味な話の素  No.267 2025年07月号(10889-10950) Since 2003/04/29

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[プロフェッショナル]と[やせ我慢(?)スピリット] [62] 2025/07/31 Thu 10950 
 そもそも「基本とは守られないもの」であり、その重要性は「永遠に強調し続ける」ことこそが、組織とその構成員に求められる「基本」であると絶叫した(本コラム 2017年10月18日)。世の中を見渡すと、秀でた人々が基本を忠実に守っていることに気づかされる。 たとえば大谷選手は、球場では「投げて打つ」姿しか見えないが、その裏では地道な基礎づくりに汗を流している。相撲でも、四股や鉄砲といった初歩の稽古からすべたが始まるという。一見単純で、素人からはやせ我慢に見えるようなことであっても、それを黙々と継続する。それができる力を持っていることが、プロフェッショナルたる証なのである。
フリーターと相撲(6) [61] 2025/07/31 Thu 10949 7月29日 [56] の続き
 照ノ富士の蘇り物語は感動的で、時間があるときは相撲中継観戦にも復帰した。ただし、それも三役の取り組み当たりからだから5時20分からの40分間程度だった。そして、白鵬が引退し、満身創痍の照ノ富士も土俵から降りた。これでまたテレビ観戦は遠のくかと思ったが、若手のおもしろい力士が登場しはじめた。そんなこともあって、今年の春場所あたりから幕の内後半がはじまる5時ころになるとテレビ桟敷に座りはじめた。そうしたときに自分がフリーターであることを実感した。現役時代は相撲に関心があったとしても生で観るのは土日くらいのものだった。相撲が放映されている時間帯のほとんどは仕事をしていたから当然である。それが、連日のようにテレビ桟敷に座っているのだから、われながら笑ってしまった。
リーダーシップ・タブー集(3) [60] 2025/07/30 Wed 10948 7月28日 [53] の続き
 [規則やルールを守らない]
 何とも単純なことである。もちろん「あってはならない」ことだが、世の中は[あってはならないこと]にあふれている。少なくとも、報道等で取り上げられる組織のトラブルや不祥事のほとんどがこれである。自分の上司が「規則やルールを守らない」のだから部下が守るわけがない。いや、部下としては「守らなければならない」と思っていても上司が「そんなことしていたら納期に間に合わない」「競争に勝てない」などと言っているケースもある。あるいは、部下たちには「規則やルールの遵守」を求めながら、自分は例外などと知らぬ振りでは、職場がおかしくなるのは当然である。また、部下たちからそのように観られていることに気付かない事例もある。リーダーシップとしては最悪と言うほかはない。
家族への通信(14) [59] 2025/07/30 Wed 10947 昨日 [55] の続き
 はがき[消印一部読めず1971年3月 父が記した番号185]
 18日の県立高校の合格者発表で家庭教師に行っていた中学生が通りました。先生もちょっと難しいと言っていたらしく、家の人も喜んでいました。わずか一か月、6回教えただけなので私の貢献があったかどうかは大きな疑問でありますが、それでもなんとなく嬉しい気持ちになりました。
 学生時代、わたしは長いことアルバイトをしなかった。それは生活費の半分ほどの奨学金をもらっていたからである。これに親からの仕送りを合わせると、《けっこうな身分(?)》で毎日が送れていた。お利口さん風に言えば、「勉強に専念すべし」を信条とする学生だった。このはがきのケースは、知り合いの人から受験間近だが子どものサポートをしてもらえないかと言われて受けたのである。自分の寮からバスで30分ほどのところにある自宅に1か月だけ通った。母親がつくる夕食が豪華で毎回が楽しみだった。そんな短期間だから、わたしの力が及んだ可能性は低いが、結果オーライはいつだって気持ちがいい。あの子もそろそろ古稀を迎えるころだろう。何とも懐かしい。
4人の物語(107) [58] 2025/07/30 Wed 10946 7月23日 [40] の続き
 映画「七つの誓い」は東映映画の正月に向けた看板だったと思われる。Aの日記によれば、「ラドンといっしょにあるとかいてありました」と記されている。この「ラドン」は怪獣映画である。これは[ゴジラ]に次ぐ特撮もので、[怪鳥]である。映画の正式なタイトルは「空の大怪獣ラドン」で特撮の監督は円谷英二である。Aは子どもレベルで恐竜に興味をもっていたから、それが空を飛ぶ翼竜[プテラノドン(Pteranodon)]に由来するものだと確信していた。この映画も1956年12月26日の公開である。こちらも正月興行だったに違いない。当時、映画は二本立てが基本だったが、それにしても看板映画が「いっしょ」というのには驚きよりも疑問が残る。
言葉が届く組織 [57] 2025/07/29 Tue 10945 
 組織において事故や不祥事が生じる背景には、構成員の違いを超えて共通する深層的な問題がある。それは「言いたいことが言えない」「言ったことを聞いてもらえない」というコミュニケーションの断絶である。これは、わたしが前世紀から指摘している普遍的な課題である。
 そうした中で、昨年は熊本市電でトラブルや事故が頻発した。これを受けて、わたしはその原因を検証する委員会に参加した。委員会は、熊本市交通局に勤務する職員のほぼ全員にアンケートを実施した。それは、自由記述を基本とするものだったが、その多くで「本音を言いにくい」「上司や組織に言ったことが伝わらない」といった声があった。これは組織内での意思疎通が十分に行われていないことを伝えている。それが安全意識の高揚と組織としての安全文化の確立を妨げることになる。その意味で、これを個々人の違いではなく構造的な問題として捉えなかればならない。今年の1月に報告書を提出したが、そこには、こうした「声なき声」の存在と、それを拾い上げる仕組みづくりの必要性を明記した。組織の健全性は、形式的なルールではなく、組織の上下左右に[言葉が届くかどうか]にかかっている。
フリーターと相撲(5) [56] 2025/07/29 Tue 10944 7月27日 [51] の続き
 白鵬時代が続く中で、照ノ富士が横綱になった。照ノ富士は大関に昇進したがけがや病気で序二段まで陥落した。つまりは関取でなくなったわけで、この時点で廃業するのがこの世界である。ところが、照ノ富士はそこから再起して、ついには横綱にまでなった。相撲から遠ざかっていたわたしは、いつの間にかいなくなった照ノ富士が十両、そして幕内に復帰したとの情報を得てから、ときおりテレビで相撲中継を観るようになった。白鵬の優勝回数は歴史に残るが、大関から幕下まで陥落した相撲取りが横綱を張ったことも相撲史に刻まれる大快挙である。
家族への通信(13) [55] 2025/07/29 Tue 10943 7月24日 [43] の続き
 はがき[消印1970年11月4日]には、久留米BS工場のほかに、九州相互銀行(現十八親和銀行)の諫早・大村・早岐・相浦、そして平戸・松浦、さらに伊万里・唐津支店へ行くことが記されている。この年の7月は福岡相互銀行の調査で大阪まで出かけ、万博見学までゲットできたことはすでに書いた。それから間をおかずに九州相互銀行の西九州支店周りをしたのである。
 そのころ、集団力学研究所には、様々な銀行からリーダーシップについての調査依頼が来ていた。わたしが関わったものだけでも、福岡銀行、西日本相互銀行(現西日本シティ銀行)、住友信託銀行などがある。いずれも《PM論をベースにしたリーダーシップと従業員のモラール調査》である。わたしなんぞは、とくに先輩たちの仕事を手伝うだけだったが、データ収集から分析、そして検討までの実践を通じてしっかり学習させていただいた。こうした過程で、自分が《現場たたき上げ》であることに快感を覚えはじめた。
[謝らない誤り」を犯さない 考(1) [54] 2025/07/28 Mon 10942 
 [謝らない誤りを犯さない]は、自分としてはかなり高得点を与えたいフレーズです。これを本コラムで最初に触れたのは、[2006年3月13日]のことでした。それまでも講義や講演で発信していました。とくに[組織のトラブル]が起きるたびに、このフレーズを使っていました。そんなことで、いつごろから言い始めたのかは確定できませんが、おそらく20年以上前のことでしょう。そして、それは今日でも変わらない真実性を持っていると思っています。というよりも、未だに[謝らない誤り]を犯す組織や人々が存在し続けているわけです。そして、それは[人類が存在している限り]なくなることはないでしょう。
 その理由は「謝ると自分(たち)が不利になる」からに違いありません。それに、そのまま時間が経てば「多くの人たちが忘れる」といった推測も、[謝らない誤り]の推進力になるでしょう。単純な話ですが、[謝ったら得をする]ような状況ができないものでしょうか。
リーダーシップ・タブー集(2) [53] 2025/07/28 Mon 10941 7月23日 [42] の続き
 [大声を出して部下を萎縮させる]
 永い人生を送っていれば、[こうしたタイプの人]がこの世の中にいることは誰もが体験済みだろう。人間、その対象や内容が何であれ、興奮すれば、つい声が大きくなる。そのとき、立場の違いが大きいほど言われた方が萎縮するのは自然である。そもそも、一方は[地位]に伴う[権限]を与えられている。ご本人にその自覚があるか否かは別にして、そうなのである。いや、[自分の発言の地位格差による影響力]を認識していないとすれば、そもそもリーダーとして危うい。淡々と話しても[影響]を与えるのである。
 ともあれ、人間が萎縮した結果として意欲が高まる、いい仕事ができるようになるとは思えない。事実は真逆である。これって[パワハラ]の一大要素ですよね。
 自分は「今興奮してるよなあ」「大声で怒鳴ってるよなあ」と第三者的に見ることができる[心のモニターカメラ]を多くの方々が装着されるようお勧めする。
続々 補助金の不正受領 [52] 2025/07/27 Sun 10940 昨日 [49] の続き
 
不正が発覚するまで370件、半年以上が経過していた。それまで、欠航等で損害を蒙った乗客の[ただの一人も]その旨を伝えなかったのか。この点についてANAは詳細を明らかにしていないようだ。とにかく、371件まではわからなかったという。しかし、それなら371件目の情報はどうしてわかったのか。電話なのかメールなのか、空港カウンターでのことなのか。こうした点を明確にすることが求められる。ともあれ、組織の従業員が顧客のアドレスを自分のものに変えるだけで、370回も不正ができるなどあってはならない。それも、[371件目の[外部]からの指摘で問題が発覚したのだから問題は深刻である。
フリーターと相撲(4) [51] 2025/07/27 Sun 10939 昨日 [48] の続き
 
朝青龍の次は白鵬全盛時代が到来する。何と言っても幕内優勝45回で、これが破られることは想像できない。ところが、これまた、なりふりかまわず[勝てばいい]という空気感があふれ出した。横綱が右肘でかち上げするかと思えば張り手をかます。まるでプロレスのエルボーバットだった。そのプロレスですら肘の角度によっては反則になるという。もっとも、かち上げで空いた脇を攻めるのが技で、これを食らう方が悪いという[専門家]もいらっしゃる。それはそうなんだろうが、素人目には横綱相撲にはとても見えない。ともあれ、ライバルもいない白鵬一人旅状態が続いて、テレビの中継とは縁遠くなった。
日記の中の母(78) [50] 2025/07/27 Sun 10938 7月20日 [35] の続き
 
1973年10月30日 火曜日 午後3時5分、母の遺体は窯の中へ。4時40分、母の体はこのいのの最後を語るかのように、一体の骨となってわれわれの前に現れてきた。これですべてが終わった。
続 補助金の不正受領 [49] 2025/07/26 Sat 10937 昨日 [47] の続き
 
ANAの従業員による不正受給が発覚したのは、実際の乗客から「補償申請ができない」との問い合わせがあったからである。そこでANAが社内調査をしたという。報道のみの情報ではあるが、外部の人間にはどうしてそうしたことが起きたのか大いなる疑問が湧く。①不正は2024年9月から今年4月までの7か月に亘っている。しかも370件で、総額は800万円にも及ぶ。これが、事前に組織内で検知できないのだから、情報管理体制は極めて危うい。②おそらく誰もが問題に気付かなかったと推測される。となれば、それは[保障申請システム]そのもの、あるいはその[運用]についてのルールに問題があったことになる。③乗客からの問合せで問題が発覚したとのことだが、7か月の間[その人]以外は誰も申請していなかったのだろうか。
 こうした疑問はあるが、問題の核心は元従業員が正当な申請者の[アドレス]を自分のものに変えていたことにある。つまりは、欠航等で保障の申請が可能であることを知らせるメールそのものが、該当者に届いていなかった。しかし、[同一のアドレス]の人間が370件もの[申請]をしていても、それに[気付かないシステム]が運用されていたのだから驚くほかはない。それにしても、371件目の人まで、たとえば電話でも「問合せをしなかった」ということがあり得るのだろうか。
フリーターと相撲(3) [48] 2025/07/26 Sat 10936 昨日 [46] の続き
 
[若貴]の次は朝青龍の時代になった。強いと言えば強いが、まるできかん坊で、相撲を勝ちさえすればいいというものにしてしまった。そもそも時間が来ると回しを叩き、くるりと回転して戦闘モードむき出しになる。勝ったら勝ったでガッツポーズだ
 。プロスポーツだから当然だとの意見もあるだろう。しかし、相撲は日本文化を背負った格闘技であり、ボクシングやレスリングとは違うのである。懸賞金を取る時も左手で手形を切る。旭鷲山戦では髷を掴んで横綱が反則負けという空前絶後の事件を起こした。また、露骨に敵意をむき出しにするのも、見ていられなかった。協会はそうしたことにも及び腰に思えた。そんなこんなで、少なくとも、わたしにとって相撲の魅力は失われた。
補償金の不正受領 [47] 2025/07/25 Fri 10935 
 
ANAのグループ会社の元従業員による不正受領事件が発覚した。航空機の欠航や遅延に伴い乗客に支払われる補償金を元従業員が乗客になりすまして不正に受け取っていたという。当人は社内システムを悪用し、補償対象となる乗客の氏名や搭乗便、申請番号などの情報を取得し、登録されたメールアドレスを自身のものに改ざんした。そのうえで、電子マネーなどの形で補償金を受領していた。まさに内部の人間にしかできない[裏技]である。これが2024年9月から25年4月までで370件、総額は約800万円に上るという。(読売新聞オンライン4月24日)
フリーターと相撲(2) [46] 2025/07/25 Fri 10934 昨日 [45] の続き
 
若貴人気が絶頂の1991年九州場所に家族で出かけた。枡席を取るのは至難の技だったが知人からけっこうなプレミアムプラスでゲットした。当時は曙に武蔵丸、小錦などがいて大相撲人気は絶頂だった。そんなわけで大いに楽しんだ。
 じつは父も無類の相撲好きだった。母が亡くなった1973年の九州場所に父と妹との三人で行った。その日の光景は今も蘇る。日記から11月15日だったことがわかる。まだ福岡スポーツセンターで開催されていたころで、ここでの開催はこの年で終了している。
 それから20年近くが経過して[若貴時代]に観戦したのである。その翌年2月に父が亡くなるとは予想もしていなかった。このとき父に声をかけなかったことは、ずっとわたしの心に残り続ける。
フリーターと相撲(1) [45] 2025/07/24 Thu 10933 
 
子どものころは道具がいる野球よりも地べたに[円]を描くだけで楽しめる相撲をよくやった。当時は[栃若時代]で、栃錦と若乃花が実力者として競っていた。それが[柏鵬時代]になって興味が薄れた。柏戸と大鵬が対峙していたが、実際には大鵬が強すぎておもしろくなくなった。それからうん十年が経過して[若貴]で盛り上がった。このときは、若花田と貴花田の兄弟が大人気でフィーバー状態だった。その後、二人は横綱若乃花(3代目)、貴乃花となるのだから歴史に残ることになる。ただし、兄弟間の関係は相当に厳しかったようだ。その理由は知らないし、知ろうとも思わないが、兄弟は仲良くしてほしいものだ。
続 口述筆記の快感 [44] 2025/07/24 Thu 10932 昨日 [41] の続き
 
かつて、音声変換ソフトは仕事にまったく役立たない代物でした。ところが、いつの間にかその能力が飛躍的に高まったのです。しかも、かなりのスピード話しても、高い確率で正しく認識するのです。じつは、その進化については2年ほど前の本コラムでも取り上げたことがあります。、しかし、その精度がさらにアップしてきたのです。これもAIによるものでしょう。
 昔は庶民にとって高嶺の花だったものが身近に近づいてくる。そして、いつの間にか当たり前のものになるわけです。わたしたちが子どものころは映画やテレビの世界での出来事だった口述筆記をコンピューターがやってくれるのですから、このごろはニヤリと一人で笑いながら仕事に活用しています。そんなこでで、月や火星に当たり前のように旅行することにもなるのでしょうね。
家族への通信(12) [43] 2025/07/24 Thu 10931 7月18日 [30] の続き
 
1970年7月のはがき[消印日読めず 父が記した番号169]
 福岡相互銀行の調査で大阪方面に次の日程で出張します。7月13日門司・下関支店 14日宇部・徳山支店 15日広島・大阪支店 帰りは万博でも見てきますか。なお日当付き ホテル指定 特急使用 帰福は飛行機の予定 以上 ※福岡相互銀行は1989年に「福岡シティ銀行」と商号変更した。その後、2004年に西日本銀行と合併し現在は「西日本シティ銀行」
 集団力学研究所の調査に出かける前に出したお報せである。銀行の支店に出向いて、リーダーシップとモラール項目からなる調査を実施していく。わたしの記憶では、門司の前に黒崎・若松・八幡・小倉、そして記載はないが福山支店にも行った記憶がある。この年は大阪で万博が開催されていた。ただし、チケットを持っていないのだから、「万博でも…」は書いてみただけだった。ところが、最後の大阪支店で仕事を終えたあと、支店長から「万博にいっしょに行きませんか」と誘われた。そんな誘いをされるのだから、チケットをいただいたことは言うまでもない。かくして、はがきに書いた「万博行き」が実現した。そんなことで、半世紀以上が経過したいまでも、福相さんへの感謝は忘れない。
リーダーシップ・タブー集(1) [42] 2025/07/23 Wed 10930
 
わたしは、リーダーに求められる[リーダーシップ]を探求してきた。この[求められる]ものには[しないことが求められるもの]も含まれる。それは、「これをやっちゃあおしまいだよね」という行動であり、そのもとになる態度である。つまりは[リーダーシップ]のタブーと言うべきものである。その源泉は自由記述とインタビューに基づいている。これからそれらを連載としてご紹介していく。
 [相手によって話し方や態度を変える]
 これは、リーダーだけでなく、すべての人間の対人関係にとって[それをやっちゃあおしまい]の問題行動である。自分の地位やそれに伴う権限を頼みにするのもそうした行動や態度を引き起こす。これでは人のネジメントができるなずもない。ただ、当のご本人が「そんな行動をしている」と自覚しているとは限らない。いや、自覚していたらそんなことってしないですよね。
口述筆記の快感 [41] 2025/07/23 Wed 10929 
 
わたしが子供のころ、アメリカ映画で、会社の重役が口述するのを秘書がタイプライターで打っているシーンがけっこうありました。邦画でも、社長が秘書に話したことを書かせる場面がありました。さらに大作家が口述筆記したという話も聞いていました。小説家がペンを使いすぎて腱鞘炎になったといった話もありました。どれをとっても庶民には、もちろんわたしには夢のまた夢のような世界でした。そのうち音声入力とソフトが出てきました。今から15年ぐらい前になるでしょうか、わたしもそれを購入して試してみました。しかし、これはまるで役に立たないものでした。まずは自分の声を400字分ほど読んで、それを元にして本人だけの音声を何とかフォローする程度のものでした。それも録音した音声にはまったく役に立ちませんでした。
4人の物語(106) [40] 2025/07/23 Wed 10928 7月16日 [26] の続き
 
映画「七つの誓い」は1956年12月公開の東映映画である。Aの日記に登場したのは1957年1月3日だった。同じ日に「ラドンといっしょにあるとかいてありました」と記述がある。この「ラドン」はゴジラに次ぐ怪獣映画でカラー作品である。こちらも同じ年の12月に公開されている。ここでAには軽い疑問が生まれた。この映画、それぞれ製作会社が違うだけでなく、いずれも[看板もの]だったはずである。今の若者にはわからないと思うが、かつてのレコードなら[A面]なのだ。昔は映画と言えば2本立てが常識だった。そうは言っても、[看板映画]を同時にスクリーンに乗せるなど、極めて考えにくい。
思想の輪廻(5) [39] 2025/07/22 Tue 10927 7月21日 [36] の続き
 
トイレの中で「阿蘇に出かける」ことを思い描くとき、そこにいるのは[一人]であり、[集団や社会]が入り込むスキはない。したがって、これを[集団]と結びつけるのは無理があると言われそうだ。しかし、わたしに言わせれば「トイレで阿蘇のことを考えている」ときも、集団とともに生きているのである。わたしはこのとき[日本語]を使っている。その[日本語]はわたしが発明したものではない。それは歴史と文化が作り出し、現在も生成し続けている道具である。言葉なくしてわたしは考えることすらできない。つまりは、[社会]の影響を受けているのである。
 さすがに、「一人でも集団と定義する」などと言えば笑われるだろう。それでも、わたしとしては、人間あの世に逝くまでは[常に集団の中にあり]と確信している。いや、人生が終わった後も人からそれなりの整理をしてもらわなければならない。
 この先のことまで言えば切りをつけるタイミングを失う。これでおしまいにおきましょう。
受け身ということ [38] 2025/07/22 Tue 10926 
 
人間は本来全て受け身ではあるまいか。単なるこ理屈といえばそれまでだが、確かに、英語では生まれるということは受け身の表現になっている。私は生まれさせられたと書くわけである。人間は生まれるということにおいて、すでに受け身である。生まれようと思って生まれてきた人はいない。気がついてみたら生まれてきていたのである。もっとも、親の方から見ればその子を産もうと思い、あるいは生まれるものと思って産んだと言えないこともない。しかし、その親自身はやはり生まれようと思って生まれてきたのではない。だから産させられたのであるとも言える。要するに、人間は受け身ということが本来の姿だと言えるかもしれない。
 これは、父が1987年の5月27日の日記に書いたものである。
先月27日の本コラムに「生まれちゃった」に、英語の“I was born”について書いた。わが父が70歳のときに同じことを考えていたわけだ。
そのときまで [37] 2025/07/21 Mon10925 
 
和泉雅子が亡くなった。1947年生まれである。わが団塊世代の俳優で、山口賢と唄った「二人の銀座」は今も口ずさめる。その後、北極点に到達した冒険家でもあった。いつだったか、クロネコのヤマト運輸がスポンサーの音楽会に家族で出かけた。その当時、同社のCMに出ていた彼女がゲストだった。
 そう言えば、いしだあゆみも亡くなった。こちらは1948年生まれ。わたしが高校生の時、テレビドラマ「七人の孫」に出ていた。おじいちゃん役は森繁久弥だった。その後、「ブルーライトヨコハマ」が大ヒットした。ふと、学生の時、寮で掃除機をかけながら、ラジオから流れる彼女の唄を聴いていた光景が目に浮かんだ。
 自分とほぼ同じ年齢の人々があの世に逝く。すでに77年も生きてきたのである。そのうち、わたしにもお声がかかることになる。そのときまで、「生まれちゃった人生」をしっかり生きていこう。
思想の輪廻(4) [36] 2025/07/21 Mon10924 昨日 [34] の続き
 
それにしても、 人間の知識や現実の理解が社会的な影響を受けていることは当然である。その点では、[社会構成主義]なるものが出現してはじめて、「ああ、そうだ」と感動するなんて誰がするのだろう。わたしなんぞ、失礼ながら、「そんなん、いまごろ言ってどうなるの」といった思いにしか至らなかった。もちろん、「とうの昔に同じことを華厳教が宣っているよ」とまでは言わなかったけれど。
 もっとも、経済学も[合理的経済人]などと、真空の中で経済活動ができるような人間を設定して理論を構築していたらしいから、[社会構成主義]なるものに[感動]した人たちが案外といたのかもしれない。

 わたしは集団の定義を「相互作用している2人以上」という定番では狭すぎると言ってきた。その例えとして[トイレの個室で座っている一人]を挙げることにしていた。朝のトイレに中でも「今日は久し振りにAさんと食事ができる」「あのBとまた会わなきゃならないなんて気が滅入るな」などと考えていれば、それはもう[他人=社会=集団]と相互作用しているのである。さらに、人と会うことではなく、「今度の休みは阿蘇に出かけて迫力ある火口を見よう」と独り言で楽しむ。そこには社会や集団はおろか、人一人登場しない。
日記の中の母(77) [35] 2025/07/20 Sun 10923 7月13日 [21] の続き
 
1973年10月29日月曜日 5時23分に母は亡くなった。
 8時ころ、母は退院した。お棺の中に入れられて。まったくひどい話である。葬儀社のサービス精神の旺盛さが一際嫌みだ。夕方からアパートには弔問客が訪れた。その中にはH助手、そして夜には三隅先生、Mさん、I助手、Iさんもやってこられた。ありがたいことである。しかし、今の母はもうものも言わない。
 早朝6時に書いた日記の続き。いまもこの日の光景が昨日のことのように蘇る。
思想の輪廻(3) [34] 2025/07/20 Sun 10922 昨日 [33] の続き
 
心理学の領域では、[社会構成主義]なるものが提唱される。これは、バーガーとルックマンの「現実の社会的構成」(1966年)が嚆矢とされる。人々の現実認識や知識は社会的な相互作用や文化的背景を通じて構築されるということである。これをベースにして、ガーゲンが心理学の領域で社会構成主義を展開した。そこでも、個々人のアイデンティティなどは社会的に構築されることが強調されている。
 つまりは、唐の時代の[華厳教]と同じことを言っているのである。やはり、[先に言ったモン勝ち]なのである。わたしは子どものころから「流行は繰り返す」というフレーズを聴いてきた。これはそのまま「同じ思想は繰り返し出現する」と言い換えることができる。いやはや、洋の東西を問わず、後代に生まれたものにはオリジナル発想なんぞ出しようがないですなあ…。
思想の輪廻(2) [33] 2025/07/19 Sat 10921 昨日 [31] の続き
 
[輪廻] が頭に浮かんだのは、「司馬遼太郎が考えたこと」の中に出てきた華厳経をめぐる話を読んだときだったと思う。これは書名から明らかなように、司馬遼太郎のエッセイ集というべきもので、新潮文庫で全15巻から構成されている。その中の10巻目だったか、華厳教が登場する。わたしは全巻を読んだが、定年時の身辺整理の対象に入っていたことから、今はこれを確認することはできない。
 わたしとしては、華厳教が[縁起]や[法界縁起]によって、すべての存在が相互依存的であると説いているのだろうと受け止めた。人間も孤立した存在ではなく、他者や社会との関係性の中で生きているということである。それは、個と全体が不可分であり、個人の在り方も全体の関係性に規定されると考える。
 これは、まさに[グループ・ダイナミックス]的発想である。また、[ゲシュタルト心理学]の基本でもある。そして、華厳教は中国唐の時代に成立している。
半世紀の逃走 [32] 2025/07/19 Sat 10920 
 
半世紀に亘って指名手配されていた桐島聡容疑者が2024年1月に亡くなった。全国の街角や警察などに貼られたあのポスターで、彼の顔を見たことがない人が何人いるだろう。
 昭和から平成に移る 1月の7日間に起きた幼児誘拐事件を追うという設定の映画があった。佐藤浩市の主演で「64(ロクヨン)」というタイトルである、この映画で警察署でのシーンには、指名手配写真が貼ってあり、その中にも桐島容疑者が写っていた。
 海外に逃亡したわけでもなく、しかも首都圏に住んでいて、それでも捕まらなかったのである。そもそも健康保険にも入ってなかったというが、そんなこと自身が不審に思われないというのも不思議なことである。<br>
 最後は本名で死にたいなどと言ったそうだが、どうやって逃れていたかもわからないままである。年齢は70歳、私より少し若いが、学園紛争が激しかった時代の残党と言える。
思想の輪廻(1) [31] 2025/07/18 Fri 10919 
 
【輪廻】 仏語。回転する車輪が何度でも同じ場所に戻るように、衆生が三界六道の迷いの世界に生死を繰り返すこと。 これは、[精選版 日本国語大辞典]の①として挙げられている。わたしとしては、これを「この世は繰り返し、グルグル廻りで出来上がっている」と受け止めてきた。それが正しい解釈なのかどうかはわからないが、ここでは、「思想も繰り返す」という意味で[輪廻]を使う。
 自分がどんなに新しいアイディアだと思っても、すでに誰かがどこかで同じことを言っている。いつもそんな思いを抱きながらものごとを考えている。それは自分の独自性を否定する諦めにもつながる。しかし、そうかといって考えることを止めるわけにはいかない。それに、世の中で理論と言われているものですら、[正真正銘の新奇]など、ギリシャの時代くらいまで遡らないとないのではないか。そんな気がする。
家族への通信(11) [30] 2025/07/18 Fri 10918 昨日 [27] の続き
 
天ヶ瀬の「リーダーシップ・トレーニング開発」には、関文恭さんと同じ院生の篠原弘章さん(現熊本大学名誉教授)も参加されていた。また、「感受性訓練」を担当するゲストとして故白樫三四郎大阪大学名誉教授、故安藤延男九州大学名誉教授も研修会場にいらっしゃった。安藤先生に何かのトラブルが発生して、予定の列車に乗れなかったことがある。そのときは、久留米からだったと思うがタクシーでお見えになった。
 いまから半世紀以上も前のことである。タクシーは贅沢な乗り物で、久留米からの長距離を走って来られたと聴いて驚いた。もちろん、ブリヂストンが負担を了承したからである。まだ大学3年生だったわたしは、その一事だけで、企業組織というもののすごさを知った気分になった。
 ところで、安藤先生は当時の人としては大柄で180cmほどの長身でいらっしゃった。三隅先生はわたしと同じ160cm台の前半だった。その三隅先生が安藤先生を見上げながら指導されている光景を思い出す。
指差呼称 考(10) [29] 2025/07/17 Thu 10917 昨日 [27] の続き
 
【6 続】刺激反応分断論
 わが[論]なので、
勝手ながら2回連続とする。指差呼称は出来上がった[刺激・反射連結]を[分断]することで効果を生み出すのである。それは単なる[分断=切断]ではなく、[本人が意識して][分断=切断する]ことに意味がある。そこには、「自分はここで分断しないと危ないぞ」と自分の弱点を認識していることが欠かせない。そうでなければ、「指を先、声を発する行為」そのものが[反射]的ルーティンになってしまう。事実、わたしは様々な職場で、[指差呼称]の[無意識化・反射化]を目の当たりにしたことがある。
 そんなことから、わたしは指差呼称についても「自分の弱さを認識していることの強さ」こそが欠かせないと考えている。
家族への通信(10) [28] 2025/07/17 Thu 10916 7月10日 [16] の続き
 
[1970年11月4日]のはがきには、11月5日に久留米のブリヂストンに行くと書いている。わたしの卒論は、リーダーシップ・タイプが変わる監督者と変わらない者の違いを分析することを目的にしていた。その対象としてブリヂストンタイヤ久留米工場の職長が選ばれたのである。もちろん、その交渉責任者は三隅先生である。
 その当時、先生が旗振り役のリーダーシップPM論が様々な組織で採用されはじめていた。これに伴って、リーダーシップの測定だけでなく、リーダーシップを望ましいものに改善していくトレーニングの開発が大事なテーマになった。
 わたしは、その端緒とも言えるブリヂストンタイヤ久留米工場の職長を対象にしたトレーニングに当初から参加していた。その開催地は大分県天ヶ瀬温泉に同社が保有していた保養所だった。当時、大企業を中心に、福利厚生施設として保養所を開設するところが増えていた。施設の前を流れる玖珠川に露天風呂があり、往年の淑女たちも入浴するというおおらかな時代だった。ここに当時は大学院の大先輩だった故関文恭九州大学名誉教授と通った。
指差呼称 考(9) [27] 2025/07/16 Wed 10915 昨日 [25] の続き
 
【6】刺激反応分断論
 これは[指差呼称]の効果に関する吉田の[論:見解]である。
 たとえば交差点で信号待ちをしている状況を考えてみよう。赤信号が青になったとき、われわれはほとんど時間を置くことなくアクセルを踏む。信号の色の変化と足の動作が連結しているのである。自動車学校で車を動かしはじめたころは[信号の色の変化]があり、それを認識してから[アクセルを踏む反応]が起きる。そうした行為を繰り返していくうちに[色の変化]とその後に来るべき[反応=行動]が連結していく。その結果、両者はほぼ同時刻に起きる現象と化す。それは、[色]に対する[反射]と言える。そのコンビネーションが[一つの行為]となったかのようである。そうなると、[青色を認識する」[アクセルを踏む]の間には[意識する=判断する]という[行為]が欠落する。
4人の物語(105) [26] 2025/07/16 Wed 10914 7月9日 [14] の続き
 
映画「七つの誓い」で中村錦之介が骨ごとむしゃぶりついていた肉は羊だったかもしれない。Aの記憶には、なんとなくモンゴルの草原風の光景が残っているからである。それから相当の年月が経過して、Aは鶏のモモを焼いた骨付きの肉を食べた。母親が子どもの「食べたい、食べたい」という要望に応えてくれたのである。それはAが中学生のときだった。そのとき、Aが肉のうまさを味わっただけでなく、映画の主人公になった気分で高揚感にあふれた。それからさらに時間が過ぎた大学生のときである。Aは目が飛び出るほどの味がする鶏の肉にであった。友人からケンタッキーフライドチキンに連れて行ってもらったのである。福岡のその店はもちろん、友人の顔もしっかり頭に残っている。
指差呼称 考(8) [25] 2025/07/15 Tue 10913 昨日 [23] の続き
 
【5】最後のバリア
 リスクマネジメントに関わる人たちには、[スイスチーズモデル]がよく知られている。そもそもスイスチーズとは、その名のとおりスイス原産のチーズで、[アイ]と呼ばれる穴が多数空いている。これを何層も重ねたものを安全を維持するためのバリアに見立てる。それは、「絶対的安全はない」ということでもある。その上で、何層もの安全対策が必要だと考える。
 英国の心理学者ジェームズ・リーズン(James Reason)がこの考えをれを提唱した。指差呼称は、そうしたいうバリアの ただし、何重にもエラーを防ぐ壁を設定していても、どこかにすべての層を突き抜ける[穴]はあり得る。また、チーズも置かれた環境で変形する。そうした[変化]に気付く力がなければ、悪魔は今か今かと立ち入る隙間を狙っている。ともあれ「絶対安全」は神話の世界にしかないのである。
 
暴言・不適切行為 [24] 2025/07/15 Tue 10912 7月12日 [20] の続き
 
熊本県内のバスで運転手が乗客に暴言を吐いたという記事が載った(4月14日 熊本日日新聞)。市内を循環するバスで、70代の女性が乗車したバス停で降りようとした。ご本人は途中でバスの乗り間違いに気づいて一回りしたという。女性は重度の障害者に出される特別証を使った。そこで運転士が目的もないのに乗ったと思い込んで暴言を吐いたようだ。会社はドライブレコーダーで暴言や不適切な行為を確認し 社長が女性に直接謝罪したとのこと。運転士は再雇用だったが、謝罪をしないままに退職したらしい。人の行為の原因は聴いてみないとわからないことが多い。いずれにしても、暴言や不適切な行為は誰もが避けなければならない。 
指差呼称 考(7) [23] 2025/07/14 Mon 10911 7月12日 [20] の続き
 
【4】アクティブモニタリング:フィードバックループを強化させる
 指差呼称によって自己モニタリングが活性化するという視点である。自分に自分の状態をィードバックすることで行動が強化される。ここで「いつもと違う」ことまで気付くことができれば安全が保証される。認知心理学で「メタ認知」が使われる。これは自分の行動をモニターカメラで確認する状況である。自分の行動をビデオでチェックするのは大谷選手もやっている。これを「行動している時点で生中継する」のが自己モニタリングである。それが単に指差に止まらず、「声に出す」ことで強化する。
 わたしに言わせれば、「自分が物語の主人王になる」だけでなく、その様子を「ビデオ」で同時中継する感じである。もっとも、「主役」であることを意識しすぎると客観的なモニタリングはできなくなるから、要注意。
 
飲酒運転 考 [22] 2025/07/14 Mon 10910 
 
人吉署は道路交通法違反 酒気帯び運転の疑いで 48歳の会社員を現行犯逮捕した。6月5日午後7時50分頃 人吉市の県道で酒気を帯びて 軽乗用車を運転した疑い。容疑者の車が交差点を右折する際に横断歩道を渡っていた 20代女性の自転車にぶつかった。呼気から基準値の5倍を超えるアルコールを検知した。(熊本日日新聞 6月6日)。
 この手の記事は一日おきくらいは出ているのではないか。それも熊本のローカルレベルである。
 AIで飲酒運転の検挙者数をチェックすると、2023年は21,467件だと出た。単純平均で1日58.8件だから、特定の県で「一日おき」くらいに報道されても不思議ではない。これは「捕まった数」だから、毎日、毎日、飲酒運転の車が全国各地で走っているに違いない。人間は学ぶことができない生きものなのである。
日記の中の母(76) [21] 2025/07/13 Sun 10909 7月6日 [09] の続き
 
1973年10月29日月曜日 5時23分、S内科医師(母に手術を積極的にすすめた人)の臨終宣告。5時4分くらいに呼吸が停止し、心臓の鼓動を映し出していたオシログラフもそれから間もなく一本の線と単調な音に変わっていった。一人のかけがのない人の死である。何事につけてもわたしたちを思ってくれたやさしい美しいっ母の死であった。(特室側ロビーにて。わたしは看病の休憩に、ここに本を持ってタバコを吸いに来た。 6:10am)
 母は家族が見守る中、目の前で亡くなった。享年47歳。8月に手術をしたとき、父も妹も、そしてわたしもこんな結末を予想だにしていなかった。母の死から1時間経過しないうちに、わたしはどのような気持ちでこれを書いたのか。すでに52年が経過して、そのときのリアルな感情は記憶から消えている。
指差呼称 考(6) [20] 2025/07/12 Sat 10908 昨日 [19] の続き
 
【3】エンボディード認知
 Embodyは「体現する」「具体化する」といった意味がある 。
そもそも人間の認知は身体運動と密接に結びついている。そこで、指差呼称は「体を動かす行為」と「認知的な確認作業」を結びつける。これによって対象に対す認知が明確化され、それが行為につながるというわかけだ。これは「それはそうだよな」と思わせる。ただし、「それはどうして」となると今ひとつである。もっとも、それが導き出されるまでに深遠なる理屈があるのかもしれない。
指差呼称 考(5) [19] 2025/07/11 Fri 10907 昨日 [17] の続き
 
【2】ワーキングメモリと二重符号化理論
 人間がそのときどきで使用する記憶の作業場には限界がある。ここでメモリは仮説的なもので、「ほら、これがメモリなんですよ」と明確に指し示すことはできていない。ただ、そうした実在を明確にできないものからコンピュータのメモリが生まれたのだから、抽象的な概念も役に立つ。
 ともあれ、指差呼称によってり、言語と動作が同時に使われることで二重符号化が生じるとする。これも視覚、聴覚、筋肉運動などの連携を強調する。むしろ、現実を見れば、[二重符号化]ではなく、[多重符号化]と言うべきである。その意味では、これまた[マルチチェック]と同列である。
バブルの犯人(1) [18] 2025/07/11 Fri 10906 
 
世紀の変わり目に、「失われた10年」と言われていた。それが、あれよあれよという間に「20年」になり、とうとう「30年」にもなってしまった。今では「先進国で30年間成長がないのは日本だけ」と言う人もいる。今から30年前に今日の事態を予測した[専門家]がいたら、いまこそ大いに自慢していただきたい。この手の情報に詳しくはないが、「そんな人いたの」と言いたくなる。わたしは「謝らない誤りを犯さない」ことの重要性を絶叫し続けてきた。世の中は「謝るべきことにほおかむりして、謝らない誤りを続ける人」がけっこういる。
 中谷 巌著「資本主義はなぜ自壊したのか」(集英社 2008年)の帯には「衝撃の『懺悔の書』に話題沸騰!」とある。内容の評価は措くとして、中谷氏は早い時期に「誤りを認めた経済学者」となった。
指差呼称 考(4) [17] 2025/07/10 Thu 10905 昨日 [15] の続き
 
指差呼称が「見る(視覚)」「指をさす(運動覚)」「声に出す(聴覚・言語)」の3点が同時に機能するとすれば、これは[トリプルチェック]である。人間の感覚は危うさに充ち満ちているから、安全を確かなものにするには[ダブルチェック]が欠かせない。それが3人になれば、さらに信頼度が高まる。つまりは[トリプルチェック]である。指差呼称はこれを[個人内の対話]形式で実現する方式と見ることができる。ただし、たとえば文書作成の際に、複数でチェックしていても[落ち]があることは多くの人が体験しているだろう。それが[個人内]となれば、[トリプルチェック]などと名付けてみても、ことばの遊びで終わる可能性がある。
家族への通信(7) [16] 2025/07/10 Thu 10904 7月7日 [10] の続き
 
はがき[消印1970年11月4日父が記した番号178]
 この便から宛先が小倉に替わる。わたしが高校2年生のとき、父は福岡から長崎へ転勤した。それから武雄へ異動し、この年の7月に門司へ移ったが、宿舎は小倉の北方だった。父の郷里は門司だったから母親に会えると大いに喜んでいた。わたしも小学4年生まで行橋に住んでいたこともあり、北九州は心理的に近い土地だった。博多・小倉間は電車の本数も多く、気軽に帰省できるようになった。
 さて、はがきの内容は、
 11月5日久留米BS工場 11日九州相互銀行諫早・大村支店 12日早岐・相浦支店 13日平戸・松浦支店 14日伊万里・唐津支店 家に帰る日が少ないけど就職して東京にでも行ったと思えばいつでも余計に帰ってきます。この2ヶ月は卒論でわりと忙しいのです。

 わたしの卒論テーマは、リーダーシップタイプが変わらない者と変わる者についての分析だった。その対象がブリヂストン久留米工場の職長だった。
指差呼称 考(3) [15] 2025/07/09 Wed 10903 昨日 [13] の続き
 
指差呼称の有効性についてはいくつかの説明がなされている。
 【1】選択的注意理論:これは注意喚起と認知負荷の低減に着目する。
 指差呼称は対象物を「目で見て」「指を指して」「声を出す」と行為がセットになっている。人間は視覚・聴覚など複数の感覚を活用することで、選択的注意(Selective Attention)を強化できるとされる。つまりは、「見る(視覚)」「指をさす(運動覚)」「声に出す(聴覚・言語)」が同時に行われことで、注意が対象物に集中しやすくなる。
 これは、大脳の複数の感覚機能が動員されることで、覚醒水準がレベルアップするということだろう。たしかに、声に出すことで「自分が発信し、かつ自分が聴き取る」過程が出来上がる。それは「大脳内での対話」で、「自問自答」していることになる。それによって覚醒水準が上がるということである。
4人の物語(104) [14] 2025/07/09 Wed 10902 7月3日 [03] の続き
 
Aが小学校2年生の絵日記に登場した映画「七つの誓い」と「ラドン」はAに鮮烈な記憶を蘇らせる。まずは「七つの誓い」のストーリーは憶えていない。その点で、「記憶が蘇った」との記述は正しくない。Aの頭の中には主役と思われる中村錦之介が骨付きの肉を食べているシーンである。それは日本ではなくモンゴルのような放牧の地での光景がついてくる。 1957と言えば、敗戦から12年経過し、日本経済もどん底から立ち上がりつつあった。それでも、牛肉は贅沢品で、庶民には鯨で動物性タンパク質を摂っていた。そんな中で、骨付きの肉を手に持ってむしゃむしゃ食べているシーンは小学2年生にはショックだった。まあ、単純にうらやましく、映画俳優はいいなあと思ったのだった。
指差呼称 考(2) [13] 2025/07/08 Tue 10901 昨日 [11] の続き
 
蒸気機関車は前方にドデカイボイラーが円筒が横になっていて、機関士は機関室の窓から信号を見ていた。煙突からは黒煙も出るから視認は大変だったに違いない。また、進行中は機関助士が水蒸気を発生させるボイラーの釜に石炭を投げ込み続けた。真夏にこの仕事をする厳しさは想像を超えている。
 わたしは、埼玉県の鉄道博物館で蒸気機関車のシミュレーターで運転(?)したことがある。それはともあれ、信号の確認を当初からダブルチェックしていたのである。それは現在も安全を確かなものにするために欠かせない。人間の認知機能はけっこう危ういのである。
 こうした流れの中で、個々人が行う指差呼称が生まれ、洗練されていった。
すごい人 [12] 2025/07/08 Tue 10900 
 
世の中にはすごい人がいるもんですね。第38回山本周五郎賞に作家の新川帆立氏が選ばれた。作品の内容は知らないが、アメリカ生まれで宮崎育ちらしい。まだ30代だが、高校の頃から小説家を志したという。そこでデビューするまでは安定した職が必要だと考えて東大に進学した。その後、弁護士になり、2021年に小説を出版し、作家として登場した。それはテレビでドラマ化されたというから、評価が高かったのだろう。ご本人は「小説にできることを過信はしていないが痛みを感じている人を励ますくらいはできる。そのレベルでお役に立てればと思っています」と話している。(6月3日 熊本日日新聞)
 最後のコメントも素晴らしい。
指差呼称 考(1) [11] 2025/07/07 Mon 10899 
 
指差呼称は安全を確かなものにする方法として多くの組織で取り入られれている。これは旧国鉄(日本国有鉄道:現JR)の[発明品]とされる。そこまで知っている人は少なくないだろう。ただ、その[ルーツ]まで探ると、その歴史に感動する。 そもそもは、鉄道創業時から「信号喚呼」というものがあったという。いわゆる蒸気機関車の時代で、機関士が信号の指示を声に出して確認していた。運転席に当たる機関室で、機関助士が信号機名を言い、機関士がその状態を見て応答する。その上で、機関助士が「進行」と声をあげてダブルチェックした。
 より具体的には、明治末期に「目が悪くなった機関士の堀八十吉が、機関助士に何度も信号の確認をしていたのを、同乗した同局の機関車課の幹部が、堀機関士が目が悪いことに気がつかずに、素晴らしいことであるとしてルール化したもの」という(今村一郎著『機関車と共に』 1962年)。(DIAMONDonline)
 何と指差呼称は明治時代にまで遡るのである。それも「幹部の勘違い」のエピソード付きとなればさらに面白味が増す。
家族への通信(6) [10] 2025/07/07 Mon 10898 7月4日 [05] の続き
 
1970年の7月に自宅に出したはがきがある。このとき、わたしは集団力学研究所員として福岡に本店がある銀行の調査に出かけた。北九州の支店からはじまって山陽道を進み、関西まで行った。そして、大阪の万博に入場する幸運に恵まれた。はがきには《帰路は飛行機の予定》と誇らしげ(?)に書いている。当時、飛行機の搭乗は贅沢なことだったから、父母には空の旅の体験がなかった。わたしにしても、この年の3月に生まれてはじめて飛行機に乗ったばかりだった。
 ただし、はがきに書いた予定とは違って、国鉄で九州に帰った。なにせ、万博見学の大チャンスをもらったからには、できるだけ会場を回りたいと思ったのである。飛行機は昼間の便だった。
 このほかにも、《日当付き》《ホテル指定》《特急使用》などの記載がある。わたしは大学4年生だったが、研究所員として出張したことから《日当》なるものをもらった。父には、自分も仕事をするようになったと言いたかったのだろう。宿泊先は《旅館》もあったが、そこは《ホテル》と書いてアピールしている。さらに、《特急》に乗るのもちょっとは自慢できる時代だった。山陽新幹線など存在していない。
日記の中の母(75) [09] 2025/07/06 Sun 10897 6月22日 [52] の続き
 
1973年10月28日日曜日 MS医師から最後の通告を受けた。そのとき父が、母が食事が入らないとき、点滴1本だけで対応したことは問題だったのではないかと聞いた。これに対して、「点滴は水みたいなもので、食べなければ駄目だ」と説明した。食べようと努力しても吐き出してしまう状態で、「水みたいなもの1本」で生命を維持させられていたというのだ。これはもう殺人行為ではないか。母は激しい息づかいとともに、その生命をまだ維持している。(4:00am)
 朝4時の病室で書いた日記である。医師はこのときが来るのをただただ待っていたかのようだった。自分の過失に区切りがつくことを…。
参加・参画・参究 [08] 2025/07/05 Sat 10896 
 
「参加」「参画」「参究」は、「[参]の」三羽がらす」である。 「参加」は、[加わる]のだから、表層的に関与することである。これに対して「参画」は[画]が効いてくる。集団の中で自ら企画や意思決定に関わることになる。それには責任も伴う。さらに、「参究」はより内面的・学術的な探究心が含まれる。自分から積極的に対象へ深く関わり、理解を深めようとする姿勢を表す。
 かくして、組織に関わるとき、ただの「参加者」で終わるのではなく、「参画者」として責任を担い、さらに対象の本質を「参究」する姿勢で臨むことが重要になる。それによって、自分の存在意義が感じられ、他者との持続可能な関係性が築かれていく。それは「仕事に対する意欲」や「誇り」にも繫がる。
門衛さんの心中 [07] 2025/07/05 Sat 10895 
 
世界中で働いている門衛さんは何人くらいいるのでしょう。一年を通じて、24時間じっと門の前で立っている。どこかの国の門衛さんは瞬きをしないと聴いたが、この目で確認したことはないし、内心では「本当なのだろうか」と疑っている。わたしの思い込みであればごめんなさい。
 もちろん交代はするとしても、仕事中は頭の中でどんなことを思い、考えているのでしょう。宗教の世界で言われる「無心の境地」なのでしょうか。しかし、それでは何かが起きたとき瞬発的な対応ができませんね。イベント会場やショッピングセンターなどの駐車場や道路工事で車の通行をサポートしている人たちも大変な仕事です。とりわけ厳しい熱射の元では命にも関わります。こうして、わたしたち一人一人が無数の人たちのお世話になっているのです。
[手抜き]考 [06] 2025/07/04 Fri 10894
 
組織や集団の活動では、[手抜き]といった現象が見られる。集団になると[手抜き]が発生する可能性が生まれる。その要因の一つは[責任の分散化]である。これによって、個人の主体性や意識が希薄になる。ここで個々人の行動や努力を[正しく評価する]ことが[手抜き]を回避するポイントになる。われわれは、努力しても報われない状況では、ものごとに関わろうとする意欲が低下する。
 他者からの[評価]と併せて、[集団の規範]も[手抜き]に影響を及ぼす。集団に、「みんなから見られていなくても[手抜き]をしないのが当然」といった[価値意識・常識]が出来上がっていれば、[手抜き]の可能性は低下する。
家族への通信(6) [05] 2025/07/04 Fri 10893 3月31日 [69] の続き
 
はがき[消印1967年12月2日 父が記した番号109]
 一生涯で一番色々のことがあった1967年ももうあと一ヶ月となりました。今年は十大ニュース選択に苦労することでしょう。毎月18,000円の生活は本当に楽で、先月は本を十冊も買いました。本当に勉強が楽しくて仕方ないと言ったところです。相変らず無遅刻無欠席です。冬休みまでもうすぐですから、もうそれまでは帰りますまい。金があるとかえってケチになって映画等も行かず、むしろ無駄使いが0に近くなって喜んでいるのが実状である。
 これは入学した年の冬に自宅に送ったものである。この年の7月、父は長崎市から佐賀県の武雄市の仕事場に転勤していた。「生涯で一番色々」の筆頭が大学に入学したことは言うまでもない。「十大ニュース選択に苦労する」のは、その候補があり過ぎるという意味である。父は大晦日に自分の日記を見ながら、家族に「今年の十大ニュース」なるものを発表していた。師走となって、わたしも恒例の「十大ニュース」を意識してはがきに書いたのだった。
続々 またぞろ思い出したこと [04] 2025/07/03 Thu 10892 6月29日 [75] の続き
 
ブルナーとグッドマン(Bruner & Goodman)は「価値と知覚」に関する興味深い研究をしています。その論文は1947年に発表されていますから、すでに80年近くも前のものです。彼らは10歳前後の子どもたちに、1セント、5セント、10セント、25セント、50セントの硬貨と、それと同じ大きさの厚紙で作った円盤を見せました。その後で、自分たちが見たものを描くように求めたのです。その結果、子どもたちは実際の硬貨よりも価値の高い硬貨の方を大きく描く傾向があったのです。
 これは、わたしたちが客観的な視覚情報を正確に[再現しているのではない]ことを示しています。いわゆる[行動経済学]はこうした人間の反応について分析を進めるのですが、そのルーツの研究は[喜寿]を越えているのです。そんな中で[合理的な経済人]を理論の前提にしてきた経済学者は、自分たちが続けていた研究についてどんな説明をするのでしょう。
4人の物語(103) [03] 2025/07/03 Thu 10891 6月25日 [62] の続き
 
この物語の主人公が[4人]であることは容易に推測できる。ただ、現時点で登場しているのは[A]一人である。すでに連載100回を越えているにも拘わらず、ほかの3人は影も形もない。じつは、著者自身が、この物語はいつになったら完結するのかわかっていない。それどころか、[未完]で終わる可能性も大いにあると考えている。こうした中で、この物語に関わる人物について大きな変化が起きた。そもそも、4人には実在のモデルが存在している。そのうちの一人が先週亡くなったのである。この人物は[D]として登場することになっている。したがって、[物語]の進行に変わりはないが、やはり主人公の一人がこの世からいなくなったことは大きな出来事である。
 心からご冥福をお祈りします。
緑の北海道 [02] 2025/07/02 Wed 10890
 
北海道と言えば[白い大地]が目に浮かびます。わたしも、いわゆる[ホワイトアウト]を実体験したこともあります。その一方で、夏の北海道は[緑の大地]に着替えます。今月の表紙写真のうち、[エスコン]は先月撮りましたが、もう一枚は[7月]のものです。津軽海峡を越えて千歳空港に向かうとき、眼下には緑の畑が広がります。緑色は九州でも馴染んでいますが、すぐ近くの山や海が映り込みます。その点、北海道は遠くに大雪山や羊蹄山がそびえていますが、身近に見える畑や森がずっと続いています。これだけで、「北海道に来たんだ」と実感します。
 熊本空港を離陸するときは[TSMC]の工場が見えます。そして、千歳空港に着く際は、現在建築中の[ラピダス]が目の前に現れます。 
エスコンで記念撮影 [01] 2025/07/01 Tue 10889
 
先月、エスコンに行ってきました。交流戦のスタート、日本ハム対阪神の3連戦に遭遇しました。セパ両リーグ1位同士の対決ですから盛り上がります。球場内にダルビッシュと大谷両選手の壁画があり、人気の撮影スポットです。日本ハムは本拠地を北海道に移して大成功しました。それにしても、久し振りの野球観戦でした。福岡の研究所で仕事をした後にドームに行ったのが最後です。まだ新垣投手が現役でしたから、少なくとも10年以上は経過しています。
 ともあれ、エスコンは外観から斬新で、それこそアミューズメントセンターという雰囲気でした。この日は阪神の応援団らしき集団があっちこっちにいました。おそらく阪神ファンは日本国中に詰めかけているのでしょう。
 ところで、エスコンにはしっかり仕事をした後で行きましたので、念のため…。