味な話の素  No.257 2024年10月号(10261-10300) Since 2003/04/69

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リーダーシップの時代 [40] 2024/10/31 Thu 10300 昨日 [36] の続き
 人が集まる集団、そして組織ではリーダーシップが重要な要因となります。わたしが大学に入学したころ、世の中は「リーダーシップ」ということばであふれていました。その中でも東京オリンピックの女子バレーで金メダルを取ったチームの監督大松博文氏の「リーダーシップ」は世間の注目を浴びていました。その著書「俺についてこい」「なせば成る」はベストセラーになりました。前者はわたしが中学3年生だった1963年の出版です。それは東京オリンピックの前年で、「なせば成る」はオリンピックの年に出ています。わたしもこの2冊を手に入れて何度も読み返しました。いずれも高校生として大学を目指して受験勉強をする際の心の支えになったのです。今日の物差しから見ると、大松氏の有無を言わせぬ厳しさが漂っていて受け入れれにくいかもしれません。ただし、そこには選手に対する期待と信頼もにじみ出ていました。とにもかくにも選手たちが「俺についてこい」についていったわけです。
 それから間もなくした1966年に三隅二不二著「新しいリーダーシップ -集団指導の行動科学-」がダイヤモンド社から出版されたのでした。まさに、「リーダーシップ」が世の中のキーワードになっていたときで、これが組織に関わる人々から大いに受けたことは想像に難くありません。サブタイトルの「集団指導の行動科学」も60年前のことですから、いかにも新鮮で魅力的な響きがあります。この著書で三隅先生は一躍全国区に登場したのでした。わたしが大学に入学したのは1967年のことです。
 ところで、大松氏ですが、その後は参議院議員になり、またバレーの指導もしていましたが、57歳の若さで亡くなっています。
大学封鎖論(4) [39] 2024/10/30 Wed 10299 昨日 [37] の続き
 青春の400字詰め原稿用紙、「封鎖の意味するもの」は、大学のバリケードが机やロッカーで構成されていることについて言及する意欲にあふれている。それが、ほかのモノ、石やレンガや車でないのはなぜかを問おうとしているように感じられる。
 その一方で、それらが「たまたま手近なもの」だったからかもしれないと考える。そして、「ここまで考えるのは考え過ぎとの批判を受けるかもしれない。現に東京の神田等に解放区を作るときなどは自動車を使うし、そのあたりの利用出来るものを手っ取り早く使用しているに過ぎないように見えるからである」と続ける。
 そして、この原稿はそこでおしまいになる。まだ、見出しの「(1)物理的側面」から原稿用紙2枚も終わっていない。この流れだと「(2)心理的側面」が続きそうに思われる。心理学を専攻している自分としては、こちらに重点を置くことを頭に描いていたと推測できる。しかし、生来の「熱しやすく冷めやすい」性分から、そのまま放置したに違いない。
 まことにお粗末な「大学封鎖論」である。それにしても、「神田の解放区」なるところでは、駐車中の車もバリケードの材料になった。道路のアスファルトが剥がされ、機動隊に投げつける[飛び道具]と化した。そんな光景が当たり前の時代がわが国のある時期に日常化していた。それも規模の大小を問わなければ全国で発生していたのである。
4人の物語(80) [38] 2024/10/30 Wed 10298 10月23日 [29] の続き
 Aが小学2年生の夏休み8月4日の絵日記 きょう川で泳ぎました。ぼくはおよぎませんでした。□□(妹)と□□ちゃんがたちがおよぎました。ぼくはあみでさかなをとりました。おかあさんはせんたくをしました。
 その日の絵を見ると、川というより海に見える。ただし、母親が[洗濯]までしたというから、海水ではまずかろうと思う。それにしても、いくら昔と言っても[桃太郎]の時代にまでさかのぼるわけではない。子どもが泳ぎに行くというのに、母親がわざわざ洗濯物を持っていくとは考えにくい。そうは言いながら、Aが子どものころ[川で洗濯する]人たちがいたことも記憶の片隅に残っている。また、このときAが本当に魚をゲットできたのかどうかはきわめて怪しい。
大学封鎖論(3) [37] 2024/10/29 Tue 10297 昨日 [36] の続き
 「ここではその道具は本来の使用概念を持ってしては到底考えることのできない方法によって利用されている。さて最初の問題はここに出現する」。
 封鎖は、大学で授業と研究活動という本来の目的の達成ができなくするための手段です。そもそも大学の研究教育機能そのものが「帝国主義的支配のための僕に成り下がっている」との評価が根底にあります。その一方で「人民側に立つ国家」もあって、そこで行われる教育や研究は推奨されるという流れです。かくして、封鎖は最終的には革命につながる具体的な実践なのでした。それはともあれ、「大学封鎖論」は続きます。
 「というのは、この道具が大学構内への侵入を妨げるための手段であるとするならば、机やロッカー以外のもので、その目的を達成することのできるものならば何でも良いのか。つまり石であってもレンガであっても自動車であっても封鎖というものは出来るのであり、たまたま手近なものが机やロッカーであったためにそれらが利用されているのか」。
 何ともくどくどしい言い回しではありませんか。まあ、言いたいことはわからないでもないとして、とにかく背伸びしたくて仕方がない様子だけは伝わってきます。こんな若者がわたしの身の回りにもワンサカいたのです。
 そして、ものごとを表面的な印象や自分の好みで「いい、悪い」と決めつけず、いろいろな要因を整理・分析しながら判断し、行動するという[視点]そのものは、わたしのその後の人生にも大いに役立ったと思います。
大学封鎖論(2) [36] 2024/10/28 Mon 10296 2023年12月28日 [59] の続き
 昨年の12月28日の本欄に「大学封鎖論」なるものを取り挙げました。わたしが学生時代に書いた原稿が出てきたことから、これを連載にするつもりでいたのです。ところがいつものことながら「いつの間にか失念」して[(1)]で止まっていたことに気づきました。
 わたしが学生のころ、大学は大いに荒れていて、全国の大学で学生による封鎖が日常的な光景になっていました。そんな中で、わが大学も[封鎖]に突入したのでした。いわゆる[ストライキ]で、物理的にバリケードを築いて、みんなが教室にあるいはキャンパスそのものに入れないように、文字どおりの[封鎖]をするのです。
 最近では航空機製造のボーイング社で従業員が賃上げを求めてストライキに入っています。あのボーイングという巨大企業が経営難に陥っていると聴いて驚いてしまいます。
 さて、原稿のタイトルは「封鎖の意味するもの」ですが、それは見出し[(1)物理的側面]からはじめています。「目に写るものとしての封鎖とは次の様なものに他ならない。通常では我々が抵抗なく、何の障害もなく入っていくことのできる大学の建物の入り口に、その行動を阻止する机やロッカー等の封鎖道具が立ちはだかっている状態である」。まずは、封鎖に使われる道具立て、つまりは物理的なモノの分析を進めます。
バブル崩壊の素 [35] 2024/10/27 Sun 10295 昨日 [33] の続き
 NHK「映像の世紀」でも、中内・堤氏の崩壊をもたらしたのがバブルの消滅だったことを指摘していた。それは世界経済を牽引してきたアメリカが弱体化したことに端を発する。アメリカの財政と貿易の「双子の赤字」が世界経済の問題になったのである。戦後、製造業でその品質と価格競争力の強さで輸出攻勢をかけていた日本はニューヨークのプラザホテルで開催された先進5ヶ国の会議で為替を円高に誘導することを合意した。それは1985年のことだった。因みに当時はG5で、アメリカ、イギリス、フランス、カナダと日本で構成され、竹下登大蔵大臣が出席した。
 合意内容は①各国の通貨をドルに対して10~12%切り上げる。②そのため参加国は外国為替市場で協調して介入するというものだった。何と[協調]して[介入]することを宣言したのである。その結果、円は235円から20円ほど上昇、翌年には150円台にまで高くなっていく。ところで、この数日、円は150円前後を推移している。この相場、40年ほど昔の円の実力だったのである。
日記の中の母(43) [34] 2024/10/27 Sun 10294 10月20日 [25] の続き
 1973年10月6日 土曜 昨日の朝から今日の夕方まで病院詰であった。考えてみればこの一週間は若さで逃げ切ってきたようなものであった。日曜に病院に泊まり、月曜は病院から博多→福岡空港→羽田へと飛び、2日に学会を無事終えて、3日は羽田→福岡空港→博多→小倉→病院と逆戻りした。それから3日泊って、4日は朝から研究所に出た。その日に遅く帰って昨日は朝から病院といった具合であった。
 手術から長い長い2ヶ月であった。来週は手術が多いとのことで、ついに個室(実は2人部屋だが個室同然であった)から4人部屋へと移らなければならなくなった。この点からも母は早く歩く練習をせねばならないわけである。
 ここでも「歩く練習」と書いている。すでに記したように、食事がほとんど入らないだけでなく、その一部が体外に出てくるような状態で、「食べられないのは運動しないからだ」という医師の見立てを受け止めた上での判断だった。たしかに母は胃を切除したが、その傷口が2ヶ月経過しても塞がらないのである。その理由が「運動しないからだ」などとは、冷静に考えれば、きわめて問題だったはずである。
土地[実話] [33] 2024/10/26 Sat 10293 昨日 [32] の続き
 それはとにかく異常ではあった。土地を買っておけば「必ず値上がりする」のである。たとえば庶民がローンでワンルームの部屋を買う。日本ではいつのころかこれらをマンションと呼ぶことになった。それが東京だと、そのうち値上がりする。しかも、その率が急激だから、少し大きめで複数の部屋がある[マンション]が買える価格に跳ね上がる。そこに数年住めばさらにアップした物件が買えるほど値上がりする。かくして「土地は持っているだけで値上がりする錬金術の素」になった。そして都市部では狭い土地を無理やりにでも買い取る地上げなる現象も頻発した。日本の土地価格で26倍のアメリカが買えるという笑い話まで生まれた。これが後になって[土地神話]と言われるが、そのときは[実話]だと思われた。
 こうした中で中内功氏も堤清二氏もショッピングを中心にしたビジネス界における時代の寵児という評価をほしいままにした。
2人の異人の同じ道 [32] 2024/10/25 Fri 10292 昨日 [31] の続き
 わたしが大学生になった年、東京に住んでいる叔父から東京に来ないかと誘われた。母の弟だが、母宛の手紙に「道雄の滞在費はすべて見る」と書かれていた。わたしが喜んで東京見物に出かけたことは言うまでもない。このときわたしにとって東京は2回目だった。初めて上京したのは小学4年生で、母方の祖父と伯母に連れられていった。祖父と伯母とは京都から東京までの長旅だった。その目的が何だったのかを聴いた記憶はあるが、そのとき小学生だったわたしは憶えていない
 さて、叔父の招待で東京に出かけていろいろなところに連れて行ったもらった。そのひとつが池袋で、そこに巨大な西武デパートがあった。駅の西側は東武デパートで、「東と西が反対」と言って喜んだ。わたしの記憶では少し折れ目の付いた西武デパートはその大きさだかで驚くに十分だった。後になってから、それが堤清二氏がトップの会社であることを知った。
 堤氏は西武ライオンズのオーナーだった堤義明の兄である。この2人は対照的で清二氏は作家でもあった。彼らについては、わたしレベルでも書き始めると終わらなくなる。ここでは、清二氏が快進撃からバブルを経てすべてを失ったことだけ記しておく。生き方をまったく異にしていた中内功氏と堤清二氏の2人が同じような運命をたどったのである。
ダイエーの消滅 [31] 2024/10/24 Thu 10291 昨日 [30] の続き
 わが家が熊本に移り住んだのは1979年10月だった。赴任して間もなく大学の先輩から「吉田君、あなたの住んでいるアパートは便利がいい。近くには[ニコニコ堂]というスーパーがあって午前2時まで営業している。その上、来年には[ダイエー]もできる」と言われた。[ニコニコ堂]は熊本の資本で右肩上がりの拡大を続けていた。駅伝とマラソンで知られた松野明美選手も実業団[ニコニコ堂]の所属だった。それも拡大戦略がうまくいかず経営破綻し、現在は広島資本[いずみ]の[ゆめタウン]になった。
 一方の熊本ダイエーは1980年2月にオープンした。それなりの規模だが、これでも地元の大反対で縮小された。当時は日本国中を安さで席巻する[ダイエー]の進出に、地元の既存店が反対する光景はめずらしくなかった。熊本店が開店した日は周辺の道路が渋滞で大混乱に陥った。熊本に来てその様子を見た中内社長は大いに満足げだった。この2月にダイエーは売り上げ1兆円の記録を打ち立てている。まさに向かうところ敵なしだったのである。
 わが家としても最寄りの[ダイエー]はなくてはならない存在であり続けた。しかし、中内氏のカリスマ経営も行き詰まり、ついには[ダイエー]そのものが消滅した。これを[イオン]が引き継いだが、わが家では未だに「[ダイエー]に行った」などと言っている。
 そして、その[ダイエー]、つまりは[イオン熊本中央店]が2025年2月で閉店するという。それは1980年2月から45年目という節目に当たる。
二人のカリスマ(1) [30] 2024/10/23 Wed 10290
 NHK「映像の世紀 二人のカリスマ経営者」を感慨深く観た。その二人とはダイエーの創業者中内功氏と西武デパートの経営者堤清二氏である。敗戦の焼け野原から立ち上がったわが国は「奇跡の経済復興」を遂げ、海外の識者(?)たちから、「Japan as No1」と持ち上げられ、「21世紀は日本の世紀」とおだてられた。そんな中で、松下電器の松下幸之助氏は毎年国税庁が発表していた納税者番付のトップを走り続けていた。そんなことで小学生だったわたしは野球の長嶋茂雄選手や大相撲の横綱若乃花、芸能人の石原裕次郎や美空ひばりとならんで、丁稚奉公から日本一の会社を作った松下さんのことも知っていた。そうした中で、わたしが中内功氏と堤清二氏の名前を知ったのは比較的遅かった。
4人の物語(79) [29] 2024/10/23 Wed 10289 10月16日 [20] の続き
 Aが小学2年生の8月2日の絵日記 じてんしゃにのってあそびました。あそんでいると□□ちゃんが「かてり」といったのでかててやりました。じてんしゃにのってあそびました。とてもおもしろかったです。
 じてんしゃと書いているが絵は三輪車である。女の子もいるから、これが□□ちゃんである。背面は青空で黄色い太陽が光っている。この日の温度欄には35度と記している。庶民の家には冷蔵庫などあり得ない時代である。クーラーは言うまでもなく扇風機すらなかった。今とはまた違った熱暑だっただろう。自転車にしても、子供用のものなどなかった。いやあったとしても一般の家庭で見かけることはなかった。Aの父親は通勤用に自転車を使っていたが、これも明らかに中古だった。
働きかけが伝わらない(7) [28] 2024/10/22 Tue 10288 昨日 [27] の続き
 b) いま[a)]で考えたのは「過去のケース」ですから、「これから」に適用できるかどうかはわかりません。そうしたときは、「過去のケース」をもとに、新しいことにチャレンジすることもあり得ますね。ここでチャレンジというと大げさな表現になるかもしれません。むしろ[とても小さなこと]としか言えないようなものを試みるのです。その際は、リーダーがサポートすることもあるでしょう。何と言っても[とても小さなこと」ですから、それは一人でできます。ただし、リーダーはその[試み]をちゃんとみていて、行き詰まったときはさりげなく、いやはっきりとサポートすればいいのです。もちろん、うまくいっているとき、またうまくいったときはすかさず評価することがリーダーの役割として欠かせません。
 こちらの「働きかけが伝わらない」とのご質問に「あれやこれや」とお答えしてきました。それでも、まだ「あれやこれや」のことが頭には浮かんできます。ただ、今日でラッキー[7]にもなりましたので、ここいらで一区切りといたしましょう。
働きかけが伝わらない(6) [27] 2024/10/21 Mon 10287 10月19日 [24] の続き
 それでは「②働きかけ方を変える」を採用するとして、具体的にはどのような方法があるでしょう。
  a) 問い方を変える、個別のケースに焦点化する
    「やっても無駄、伝えても変わらない」と言われた場合、うまくいかなかった具体的なケースを聴き取ることです。そして、そのケースが「無駄」になった理由を一緒に考えていきます。そうした中で、こちらから「こうしたらどうか」といったアイディアが出せるかもしれません。それも「大きなこと」ではなく「小さなこと」がポイントになります。少しでも大変そうだと、「そんなことできません」と言われそうです。その時点でおしまい感にあふれます。
    ともあれ、「一般論」ではなく「個別ケース」について「どうする、こうする」と検討していくことで、少しは前に進むことができるかもしれません。その際にも、ご自分の体験、とりわけ失敗体験やそれを何とか乗り越えたときの物語を語られると説得力が増します。わたしは「失敗は時間の樽に寝かせておくと自慢話になる」と言ってきました。こうしたときには自慢話をしっかりされるといいでしょう。
[観光]考 [26] 2024/10/20 Sun 10286
 【観光:他の土地を視察すること。また、その風光などを見物すること。〔広辞苑]】 [視察]と[見物]にはかなりの違いがあります。前者は[仕事]をイメージしますが、後者には「私的な空気」が漂います。こちらは[物見遊山]の雰囲気と親戚感があります。文字どおり「物見と遊山。見物して遊び回ること。[広辞苑]」なのです。どこかの国の女性議員さんたちがフランスではしゃいで顰蹙を買っていました。どうやら、[視察]よりも[物見遊山]の旅だったようですね。
 それはそうと、[観光]ですが、これは[光を観る]と書きます。この世に存在するあらゆるものには[光と陰]があります。これについては、2020年12月30日にも書きましたが、「光を観るだけでは[もの]を観たことにはならない」点を忘れないようにしたいものです。そもそも「観光」にはそうした決定的な弱点があるのです。もちろん、[弱い点]を踏まえた上で行動することで、[陰]につながるものを想像し、発見する力を磨けば、[観光]もそれなりの意味があるでしょう。
日記の中の母(42) [25] 2024/10/20 Sun 10285 10月13日 [16] の続き
 1973年10月5日 金曜日 昨夜、□□(妹)と話した。母はいつになったら歩けるようになるのだろうか。また今の状況で考えるならば、母は多少 甘えているところがあるのではないか。そうした話をしたこともあって、今日はベッドの下まで母を抱えおろし、歩行とまではいかなかったが、その練習をした。
 母は手術から2ヶ月が経過するのに食べ物がほとんど入らず、食べたとしても、それがまだ閉じきっていない胸の手術痕から出てくる状態だった。家族が心配してその状況を医師に伝えると「運動しないから食べられない。食べないから肉が付かず穴が閉じない」と言われた。そんな状態で、わたしたちは衰弱し、嫌がる母をベッドから起こし、歩かせようとしたのである。しかも「甘えているのではないか」とまでいいながら…。
働きかけが伝わらない(5) [24] 2024/10/19 Sat 10284 10月16日 [21] の続き
 リーダーとしては「相手に自分の働きかけが通じない」とき「やーめた」とあきらめるのではなく、「それでも働きかける」ことを選択した場合、「①これまでどおりのことを続ける」「②働きかけ方を変える」という選択肢があり得ます。わたしは[①]を採用して同じことをとにかく続けるうちに、いつかは先方に変化が現れる可能性はあると思います。ひょっとしたら相手が根負けするかもしれません。もっとも[①]は、自分は変わらずに相手が変わることを前提にしています。その点で著しい効果を期待するのはむずかしいでしょう。それでも、「自分はあきらめずにやったのだ」という満足感が生まれるかもしれません。
 そのうち組織を離れる日が来て、「あれだけトライしたけれどうまくいかない人もいるもんだ」との感慨も一つの成果かもしれませんよ。そもそも人生、すべてがうまくいくはずもないのですからね。さんざん働きかけさせて、しまいには「うまくないのも成果だ」なんて言っていたら叱られるかもしれませんが…。
虹色の話 [23] 2024/10/18 Fri 10283
 今月15日の朝のことです。わが書斎から半円形の見事な虹が見えました。これほど大きく鮮明、かつ両サイドがビルの屋上にまで届いているものは、これまで遭遇した記憶がありません。 そう言えば、今から30年ほど前ですが、オーストラリアに滞在しているときに出会ったものはこれに近かったかもしれません。
 その虹を見ながら、本コラムで[虹の色]を取り上げたことを思い出しました(2005年2月21日、2020年9月14日など) 。 日本の演歌に「七色の虹が…」ではじまるものがあります。 しかし、 アメリカやイギリスでは6色、ドイツ、フランスは5色、そのほか、2色、4色、さらには8色のケースもあるということです。
 こうした情報に接すると、「人はまったく同じもの」を見ても「観方」が違うことをしっかり実感します。わたしたちはお互いに「違う観方、考え方」の人たちと、ときには揺れながら一生懸命に生きているわけです。その点で、複数の人間が「100%」理解しあうことができないのは当然だと言えます。
 ほかの人がそれぞれの身の回りの世界をどのように認識されているのかはわかりません。ただ、「そのように観えるんだなあ」と受け止めることは大事だと思います。そうしたからといってお互いの関係が改善されないケースはあるはずです。それでも、「そうした捉え方をする気持ち」は持ち続けていきたいと思っています。
  もちろん、「人への信頼」は人生をよりよく生きるために欠かせません。その上で、わたしは、一人でこの世の中に産まれてきたのだから、あの世に逝くまでに少なくとも[一人から]「あなたがいて良かった」と言われる義務を背負っていると思っています。それが[二人になれば]もうおつりがきます。
  ところで、わたしたちは「虹は7色」と信じ切っています。しかし、今回、目の前の天空に浮かんだ見事なアーチはどう見ても3色、あるいは4色くらいにしか見えませんでした。そのそも出会う機会の少ないものに、こうした「思い込み」があることを体感しました。対人関係もそうした「思い込み」が影響します。それは弱点と言えるのですが、わたしたちは「自分の弱さを知る強さ」を持つことが欠かせないと思っています。
[異常]ということ [22] 2024/10/17 Thu 10282
 【異常:《名》《形動》普通と異なっていること。並外れていること。また、そのさま。〔精選版 日本国語大辞典]】
 10月に入ってからも、風呂上がりにクーラーを使っていた。さすがにこの数日は気温の低下は感じるが、これを[異常気象]と呼んでいる。文字どおり「常とは異なる」のである。国語辞書では「普通と異なる」としている。
 しかし、ちょっと待ってくださいよ。こうした状況が来年には元に戻る、つまりは「常」あるいは「普通」になると予想するのはかなりむずかしい。それどころか、この[状態]が[常態化]すると考えるのが[常識]ではないか。それどころか、その程度はさらに強くなっていきそうだ。
 本コラムの2008年7月26日に、涼しいベルリンから帰ってきた日のことを書いた。
 「わが国は、もはや〝温帯〟の看板は降ろした方がいい。すでに〝亜熱帯〟であることは間違いない。そのうちマラリアなど、これまで日本では心配する必要のなかった病気も増えてくるだろう。お米だって、いずれは北海道産が一番うまくなるという話もある…」。
 現時点ではマラリアの蔓延にまでは至っていないが、すでに北海道産の米のレベルはアップしている。それから16年が経過した。何と言っても[素人]のことだから、科学的裏付けはないが、けっこう当たっていると思いませんか。
働きかけが伝わらない(4) [21] 2024/10/16 Wed 10281 10月13日 [17] の続き
 前回までは、「1)リーダーの働きかけがほとんどのフォロワーに[伝わらない]あるいは[受け入れられない]」ケースについて考えてきました。
 そこで、次に「 2)リーダーの働きかけが少数のフォロワーに[伝わらない]あるいは[受け入れららない]」場合について検討してみましょう。
 こうした状況では、
 👉 リーダーの働きかけが「伝わらない」あるいは「受け入れららない」フォロワーがいることになります。
 したがって、多くのフォロワーとは異なる個別的な働きかけを試みる必要が出てきます。それでも「とにかく諦めている」「やっても無駄だから」「伝えても変わらない」と言い切られると困ってしまいますね。
 こんなとき、リーダーとしては「①働きかけを諦める」「②それでも働きかけ続ける」のいずれかを選択することになるでしょう。  ここで①を選択すると「とにかく諦めている、やっても無駄だから、伝えても変わらない」という態度の方と同じ対応を取ることになります。しかし、それも一つの意思決定ですから、その選択もありです。それを選ぶのに抵抗があれば、「②それでも働きかけ続ける」ことになります。
4人の物語(78) [20] 2024/10/16 Wed 10280 10月9日 [11] の続き
 Aが小学2年生の8月に一人で[汽車]に乗って親戚の家にいった。そこにはAの父親の兄夫婦とその家族、そして母親、つまりAのおばあちゃんがすんでいた。日記からは[予告なしのサプライズ]で行ったことが窺われる。夏休みでもあり、おばあちゃんは一泊することを勧めたようだが、それは断って、おそらくは予定通りの日帰り旅行を達成したと思われる。その日に帰る予定の子どもが帰ってこなければ親たちが大騒ぎする可能性もあった。
 この当時、ほとんどの家に電話はなかった。そこで急な出来事を知らせるにはもっぱら[電報]が使われた。電文はカタカナで表示され、その文字数で料金が決まっていた。そこで、可能な限りの短文で事情を伝えていた。たとえば、「チチキトクスグカエレ」「オバシスアスソウギ」「カネナシスグオクレ」等々である。
 Aが大学生になったころも、たとえば寮には電話がなかった。近所に電話を置いている施設があったから、そこの電話を使わせてもらっていた。Aには母親から「8ジデンワス」といった電報が頻繁に届いた。因みに20時過ぎから市外通話が割引になっていた。
大谷選手の報酬 [19] 2024/10/15 Tue 10279
 大谷選手の活躍が話題になる。日本のプロ野球よりもMLBの方が注目を浴びると嘆く関係者もいる。わたしはテレビの前でじっとしておれない性分だから、野球中継とのお付き合いはない。
 ところで、「われわれ全員が大谷選手の報酬を払っている」とまでは言わないとしても「寄与している」と言うとどんな反応をされるだろうか。それは、たとえば、こんな理屈である。大谷選手が[□□園のお茶]のCMをしている。これを買って飲んだ人は大谷選手のCM契約料の一部を払っている。その会社のお茶を飲まない人も、「そのお茶を飲んでいるひとが作っている野菜を買っている可能性」はきわめて高い。そうなると、その人は「野菜農家」の人を通して大谷選手の報酬の一部を負担していることになる…。
 その昔、社会心理学者のミルグラムが世界中の人は6段階ほどでみんなつながるというおもしろい実験を発表した。1967年のことである。その詳細はネットでご参照いただきたいが、外出先の空港で行き違うあの人この人は、どう考えても[一期一会]に違いない。そして、あの世に逝っても会うこともないに決まっている。それでも、「みんながつながっている」のである。それどころか、遠くの国に住む会ったことも、これから会うこともない人ともつながっている。それは空間を超え、みんなが人類の素とも関わっている。ああ、際限がなくなって、眠れなくなりそうだ。
続 緊急対応 [18] 2024/10/14 Mon10278 10月12日 [15] の続き
 本コラムのご愛読者からいただいた[気づき等]を確認していきます。
 まず第一は「2024年3月号から[2004年]となっているとのご指摘です。いやはや基本の基本ですが、この部分はコピーをし続けていたことが見え見えでございますね。しかし、それなら[1月号]からではなく、どうして[3月号]から[2004]なのでしょうか。
 わたしが使っている[ホームページビルダー]は、様々な点でワープロと異なっています。とくにディスプレイに表示するフォーマットを整えるのがややこしいわけです。そこで、[年]の部分を[3月号]で誤って入力し、その後はそれをコピーし続けたのでしょう。いやはや、[基本チェック]をしていなかったことがバレバレですが、ともあれ、すべて修正しました。
 その第二は「2024年6月号から、[Since]が2003/04/69となっています。 (以降、今月号まで。)」
 いやはや、そのとおりだけでなく、この部分を修正しているときに「7月号」を[6月号]にしていることも発見しました。いやあ、チェックの甘さを感じながら、こちらも修正しました。
 第三は「2024年5月号の[Back Numbers]ボタンのリンクがうまく機能していない?っぽいです」でした。
 [バックナンバー]を参照してしただいていること自身にまずは大いなる驚きと喜びを感じました。わたしは、研修や講演でHPをご紹介するときは「[バックナンバー]を見る方がいらっしゃらないことを確信していますが」などと言っているわけです。とにもかくにもありがたいことでございます。ご指摘のとおり、リンクを張っていませんでしたので修正しました。
 最後は「(実はメールを送ろうと思ったきっかけですが)本日10/11記事の 「オチ」が気になります。笑」と記されていました。これにつきましては、12日の「緊急対応(15)」に記したとおり、本当に[落ち]でした。
 こうした誤記等に対する情報をいただく方が数人いらっしゃいますが、いつも感謝しています。本コラムはまだ続けるつもりでおりますので、これまでご参加でなかったみなさまにもよろしくお願いいたします。
働きかけが伝わらない(3) [17] 2024/10/13 Sun 10277 昨日 [14] の続き
 さて、さて、「すぐに効果が現れなくても、とにかくチャレンジし続けること」には意味があると思います。そして、それがうまくいかないままでその方との関わりが終わるかもしれません。その意味では[チャレンジ]は失敗したことになります。しかし、わたしはその経験が人生全体で役立つと思いたいのです。
 わたしのネタの一つに[失敗を自慢話に]というものがあります。ウイスキーの最初の姿は透き通った水のようです。それが樽の中にじっくり寝かせておくと、香り豊かでまろやか、そして深い味わいのあるウイスキーに熟成されます。失敗もこれと同じで樽の中に寝かせるのです。もちろん、[失敗]を入れる樽はウイスキーとは違います。それは[時間]という樽なのです。失敗した当座は悔しさ、残念さ、また恥ずかしさなどが入り交じった苦い味がします。そのあたりに放り出したくもなります。
 しかし、時間の経過とともに、[失敗体験]は自分の生き方だけでなく、人を育てる際にも大いに役立つものになります。ささやかな失敗でめげそうになっている若者に「なあんだ、そんなことでくよくよしてるのかい。わたしなんぞ、こんなにひどい失敗をしちゃったんだぞーっ」と励ますことができます。何のことはない、[自分の失敗]を自慢話にしているのです。わたしはリーダーは[失敗を語る」ことで人を育てることができると思っています。そもそも失敗したことがない人はいないと思います。あるいはそんな人がいたとしても、リーダーとしての魅力は今ひとつだと考えています。
日記の中の母(41) [16] 2024/10/13 Sun 10276 10月6日 [07] の続き
 1973年10月3日 木曜日 10時25分のJAL357便は20分ほど遅れて羽田を離陸した。気流の関係で途中若干は揺れたが12時20分、福岡空港に着陸した。空はほとんど完全に雲でおゝわれ、地上の景色とは関係なく、白い雲の上を、あるいは雲の下を飛んでいった。気流の関係で揺れたといっても、福岡から北九州に向かう国電よりも揺れは少ない。飛行機は本当に安全だなあという気がした。今までは何となく不安感があったが、あの安定度は心地よく、早く次の機会が来ないものかと心待ちにしている。
 入院している母の付き添いを父や妹、そして叔母たちにしてもらっての学会出席だった。この日福岡空港に向けて降下中の眼下に北九州が動いていった。そのとき母が入院している病院を探した。その記憶は鮮明だが、日記には記載がない。飛行機が気に入ったようだが、まだ一般人、とりわけ学生にとって飛行機は[金持ちだけが乗れる]高嶺の花だった。
緊急対応 [15] 2024/10/12 Sat 10275 昨日 [14] の続き
 本コラムにアクセスしていただいている方から大事な情報をいつも頂戴しています。ありがたいことです。そして、昨日は[初めての方]からメールをいただきました。わたしがお手伝いしている組織の[リーダーシップ・トレーニング]で事務局にいらっしゃった方です。メールには「事務局として吉田先生の講義に同席していたうちに、私も『味な話の素』のファンになり、毎朝の拝読習慣が身に付いて3年ほど経過しました」と記されていました。嬉しい限りです。その上で、「タイトル表示(20○○年○月号と,Sinceの部分)に誤記を見つけ、実は今年に入ってから1箇所、夏ころからもう1箇所増え…と毎朝『きょうは戻っているかな?』と、それもひとつの楽しみにしつつ拝読していましたが、出過ぎたお節介と認識しつつもご連絡した次第です」と続いていました。いやあ、ありがたいことこの上ありません。
 さて、その[気づき]の最後に、「実はメールを送ろうと思ったきっかけですが、本日10/11記事の『オチ』が気になります(笑)」。とありました。そこで昨日の分を確認しましたら、なんとおっしゃるとおり、書き「落とし」ていました。昨日は研修のためホテルからアップしたのですが、しっかり確認していなかったのです。
 本コラムでは明らかな誤記を除いて、誤りがあっても原則として[その部分]には手を加えず、後日のコラムで「どこそこに誤りがあった」と修正することにしています。ただし、昨日は「ここで『相手が変わらないから、やーめた』というのは」で終わっており、[落ち]が見え見えの状態になっていました。そこで例外として今回は「その後」を続けて[昨日の分]としてアップし直しました。ただし、昨日の時点で、この後どんな内容にしようと思ったのかを忘れてしまっていました(苦笑)。何分にも後期高齢者ですから…。
 本日まではホテルで書いています。これからゆっくり熊本に帰ります。
働きかけが伝わらない(2) [14] 2024/10/11 Fri 10274 昨日 [13] の続き
 ただし、そこには受け止める側の状況もあり得ます。たとえば、わたしがどんなにていねいに説明したつもりでも、日本語が理解できない外国人には何も伝わりません。そうかと言って、外国語をマスターできないことはあるでしょう。それでも相手のことばを学習しようという気持ちが伝わる可能性は期待したいと思います。そうした中で、先方もこちらのことばを理解する気になるかもしれません。
 何とも気の長い話です。しかも、それが成功するという保証はありません。これは相手の見方が変わることを前提にしています。その点、失敗とまでは言わないとしても、成功する確率は低い可能性があります。わたしとしては、「それでもチャレンジし続けましょう」とお勧めしたいとは思います。ここで「相手が変わらないから、やーめた」というのでは[おしまい]になってしまいます。うまくいく確率は低いとしても、それが当たったときはジャンボなものになるでしょう。「あんたは言うだかだからいいよね」という声が聞こえてはきますが…。
働きかけが伝わらない(1) [13] 2024/10/10 Thu 10273 昨日 [12] の続き
 職場のリーダーは様々な考えや行動をするフォロワーたちと関わります。その過程でリーダーの働きかけが伝わらない、あるいは伝わりにくいケースも出てきます。こうしたときにどうすればいいのでしょうか。ここではいろいろな状況を想定しながら、その対応策について[正解探し]の小旅行を試みましょう。
 1)リーダーの働きかけがほとんどのフォロワーに「伝わらない」あるいは「受け入れられない」。
   👉 リーダーの働きかけの内容や働きかけ方、またその両方に問題があるのでしょう。それはリーダーシップが発揮されていないことを明らかにしています。リーダが「自分では働きかけている」つもりであっても、それが相手に認知されなければ「していない」のと同じなのです。リーダーとしてはこの点を忘れてはなりません。
受講者からの質問 [12] 2024/10/09 Wed 10272
 研修を受講されたある職場のリーダーの方からメールが届いた。
 いま、職場のメンバーと面接をされているとのことだが、その中に何を言っても諦めが先行する人がいるらしい。「やっても無駄だから」「伝えても変わらない」といった発言に終始するという。
 「研修では、小さいことを積み重ね本人のいいところを伝え評価していくというお話を聞きました」と記された上で、「小さい積み重ねを続けていくことでこのように答える本人へ何か影響することがあるのでしょうか。また、周囲への働きかけを続けていく事でその人へ何か影響することがあるのでしょうか」と問いかけられた、相手は経験20年を超えたベテランだという。何かアドバイスを頂けたら嬉しく思います。よろしくお願いいたします。なかなかお困りのようである。
 わたしは研修で①すぐに回答することはできないが、必ずお答えする。②内容に満足できるかどうかは保証しない。③匿名を前提に[味な話の素]に掲載するの3点をお伝えしている。本日は、そのまえがきでおしまいです。
4人の物語(77) [11] 2024/10/09 Wed 10271 10月2日 [02] の続き
 Aが小学2年生の8月10日の絵日記
 きょうきしゃでもじ(門司)に行きました。ひとりでいったのでおばあちゃんたちがビックリしました。あしたがぜんこうしゅっこう日なので、「あしたかえり」といいましたが、やっぱりかえりました。
 その日の絵は黒い煙を吐いて走る汽車の最後列に自分が立っているもの。赤いランプも書き込まれている。機関車も列車も真っ黒である。当時は一等車から三等車まであったが、それは長距離の列車だっただろう。門司は父親が育った地だが、汽車で1時間ほどかかっていたのではないか。そこまで小学2年生が出かけたのだから小さな冒険だったに違いない。そのころは電話もないから、「無事に着いた」とか「今から□時の汽車で帰る」といった連絡はできなかった。そう考えると、大きな冒険だったと言えるかもしれない。
どこまでも見られている社会 [10] 2024/10/08 Tue 10270
 今年の二月にWOWOWで映画[スノーデン](2016年)を観た。スノーデンはアメリカ政府が世界中で送受信されるメール等の情報を得ていることを告発した人物である。彼は日本の横田基地でも勤務していたことがある。その衝撃的な[事実]が報道機関を通して明らかにされたのは2013年である。
 それからすでに10年以上が経過しているが、わたしにも「そう言えばそんなことがあった」という記憶はある。そのときは、[一般人のメールなどもすべて見られている]というのだから驚愕した。それが事実であればパスワードも何もあったものではない。それからというもの、ビッグデータ化の流れはとどまることなく、カバーする範囲は際限なく広がっている。さらに、これを分析するAIは過激と言えるほどの進歩を遂げている。その結果、国レベルでの情報収集能力は強化されるばかりである。世界中が監視カメラ社会になり、「いつでもどこでも見られている」状況が生まれた。その対象が街中やビル内のことだけでなく、個々人のメールまでとなると、人類はこの先どこまでいくのか懸念せざるを得ない。
日記抄(1) [09] 2024/10/07 Mon 10269
 わたしと日記のお付き合いは相当な期間に亘ります。まずは小学生のとき絵日記を夏休みと冬休みに書いていました。ただし、1年生から6年生までの全学年だったのかどうかはわかりません。いま手元には[集文館]の[常用日記]があり、これは1961年版です。裏表紙の内側に縦書きで[昭和三十五年十二月二十六日求む]との記載があります。それはわたしがボールペンで書いたものです。わたしはまだ小学生でしたが、4月には中学生になるという年です。
 冒頭の[年頭所感]に「やっとやって来た一九六一年。黄金の年といわれた一九六十年もさって行った。一九六十年はぼくにとっては黄金の年ではなかった。だから千九六十一年を僕の黄金の年にしてやろうと思う。今年は中学校に入学するし、いい年を作ってやろう。前進前進」
 黄金の年とはケネディ政権下でのアメリカ経済の拡張政策を基本にしたもののようです。もちろん、小学生のわたしは大人たちの発言を聴いていただけのことでした。ただし、前年が「黄金の年でなかった」というのですから、何があったのか興味が湧きます。
ニッカ、サントリー、オールドパーク [08] 2024/10/06 Sun10268 9月25日 [32] の続き
 前回は「東京国税局査察部」に挟まれていた栞を話題にしたが、その90ページに1964年に行われた自民党の総裁選の記述がある。
 「森脇の脱税発覚は、65年4月の吹原産業事件の摘発ではじまる。 池田勇人首相が、三選をめざして佐藤栄作と激突した、第7回自民党総裁選挙(64年7月)を背景にしておきた事件だった。いまもって真相ははっきりしない。この総裁選には二人のほか藤山愛一郎が立候補、佐藤、藤山は二位、三位連合を約束する。もっとも汚れた総裁選といわれ、巨額の買収資金が飛んだ。両派からカネをもらった「ニッカ」、三派からカネを手に入れた「サントリー」、結局、棄権、白票を投じた「オールドパー」、相手陣営の国会議員を個別に買収した「一本釣り」。これらの新語がつぎつぎに生まれるほど、凄まじいものだった」。
 個別の事件や個々人については、ウィキペディアなどで探していただくとして、こうしたプロセスで最終的には総理大臣が決まっていたということである。こうした状況などで札束が飛び交うことは、NHKがスペシャル番組として放映した読売新聞グループのトップ渡辺恒雄氏のインタビューでも語られている。この記載から60年、自民党の総裁に石破茂氏が選ばれた。
日記の中の母(40) [07] 2024/10/06 Sun 10267 9月29日 [38] の続き
  10月2日(火) 朝7時、青葉台駅より叔父と中野へ向かってスタート。叔父はわざわざ私を送ってくれたのである。会場にはけっこう多くの人々がいた。自分の発表を終えて昼休みに中野のマーケッティングサービスに寄ってみた。それから会場に戻り手荷物の発送で外に出るとすでに4時になっていた。これで今回の東京の予定はすべて終わった。
 母の弟である叔父は子どものころから本当にお世話になった。大学に入学したときは、わたしを東京に呼んでいろいろなところに連れて行ってくれた。自分が田舎から上京したときの思い出があるのか、学会が開催されている中野まで電車で送ってくれるという過保護ぶりである。このときわたしは大学院の博士課程の学生だった。
 マーケティングセンターは三隅研究室と関わりのある調査会社で、わたしも福岡でマーケティング調査を実施する際は手伝った。社長の柳原良造氏はグループダイナミックスに対する関心が深く、いつも学会で会っていた。研究室しか知らないわたしは、新しいものにチャレンジし続ける、進取の気性に富んだ経営者に刺激された。
広辞苑第5版 [06] 2024/10/05 Sat 10266
 立石勝規「東京国税局査察部」(岩波新書)は1999年2月22日に出版された。その中に栞が入っており、広辞苑第5版のPRが載っている。まずは「21世紀に必携」とあり、全面大改定の最新版という文字が続く。広辞苑は新村出編として知られているが、この版の総ページは3010頁で威容を誇る。定価は12,000円で、5月31日までは7,300円の特別価格である。
 先だって、わが家のリフォームで廃棄した広辞苑は第3版で1985年に購入したものだった。昔の辞書は何回も繰り返し引いた痕跡が辞書の外側にも残っていた。しかし、処分した広辞苑にしてもそれほど汚れていなかった。それは頻繁に使うことがなかったことを示している。わたしは、今から見ればよちよち歩きの電子辞書から使い始めた。オーストラリアで半年間を過ごしたのは1996年だが、そのときは重い辞書を避けて国語も生後も英語も電子辞書を持参した。その後、電子辞書は百科事典や家庭の医学などをどんどん取り入れ、大きさは元のままで内容は超大型化していく。
 今となっては「21世紀に必携」というコピーがうつろに見える。これに対して「今では電子版として必携となっている」と岩波書店は言うんだろうなあ。
入会へのお誘い [05] 2024/10/04 Fri 10265 昨日 [04] の続き
 岡山の仕事にお誘いいただいた方とは4年ぶりにお会いしました。前回は19年のことで、あのコロナが猛威を振るいはじめる前の年でした。そのときはご所属の企業の研修会でした。組織をリタイアされたことから新しい名刺をいただきました。すぐに「裏面を見てください」と促されて名刺を裏返すと複数の団体名が記載されていました。名刺としてはごく一般的な仕様ですが、末尾の団体が大いに自己主張していました。それは「花のフリーター連盟」で、会長はわたし、ご本人は終身会員となっていました。
 いやあ、思い出しました。わたしは熊本大学で定年を迎え、その後5年間の再雇用を終えたのが19年3月でした。それからは本コラムなどを通して[花のフリーター]を自称してきました。そのうち、今回お声をかけていただいた方も定年を迎えられ、[フリーター]になられたのでした。その際に連盟の会長であるわたしが[入会資格]を授与させていただいたのです。
 同連盟は会長が引っ込み思案で、会員を増やす試みはまったくしておりませんでした。もちろん、会費は無料ですが、何の義務もないかわりにメリットも皆無です。それでも入会のお気持ちで揺れる方がいらっしゃるようでしたら、[お誘い]したい気になりました。
カウンターゲット物語 [04] 2024/10/03 Thu 10264
 先週末は岡山で仕事をしました。これを企画されたのは20年来のお付き合いのある方です。最初は四国でわたしの講演会に受講者として参加されました。その後は数回にわたって講演や研修を企画され、お声をかけていただきました。本コラム[味な話の素]は今から21年前にスタートしましたが、その翌年からずっと愛読者でいらっしゃいます。そして、アクセスカウンターが大台に乗るときは、そのゲットにトライし続けていただいたのです。
 そうした中で、2006年5月22日にカウンターが10万件に達しましたが、このときは高校生だったお嬢さんとも連携して[ゲット]にチャレンジしていただきました。しかし、それは中学校の先生に回りました。この先生には何度か大台をゲットしていただいていました。昨年、こちらも20年近くの時間を超えてリモートの研究会でお会いしました。さて、高校生のお嬢さんですが、今では職業人としてしっかり活躍されています。
 当時は勢いがあって、スタートした2003年4月から1年半ほど経った04年11月10日には[3万件]に、さらに半年後の05年5月2日は[4万件]に達しています。それからすでに21年目を迎えましたが、現在[54万件]ほどですから、かなりのスローペースとなりました。それでもお付き合いいただく方がいらっしゃる限りストップするつもりはございません。
羊蹄山の勇姿 [03] 2024/10/02 Wed 10263
 表紙の写真だけを見た方は、まずは[富士山]と思われたかもしれませんね。ただし、背後にもけっこう高い山があることから富士山説に疑問符が付けられる可能性があります。これは北海道の富士山[羊蹄山]の勇姿です。先月、千歳から飛び立った飛行機から撮りました。子どものころに習ったコニーデ(成層)火山の典型です。
 わたしは5年ほど前から毎年北海道に出かけていますが、地上から[雪をかぶった羊蹄山]を見たのは1回だけです。それ以外はいつも雲に隠れていたり霞んだりで「これぞ」というチャンスに恵まれない状況が続いていました。それが羊蹄山の方から「今ならしっかり見えるよ」と声をかけてくれたのです。今回の北海道は往路で[地図と同じ佐渡島]と[羊蹄山]にご対面できたのですから、スーパーラッキーだったと言うほかありません。ありがたや、ありがたや。
4人の物語(76) [02] 2024/10/02 Wed 10262 9月25日 [32] の続き
 前回はAが小学2年生だった12月のクリスマスに描いた絵日記を取り上げた。妹が枕元に置かれていたプレゼントに気づいた。そして、「本当にサンタが持ってきたのだろうか」と言ったとき、「兄ちゃんがサンタのお面をつけて…」と答えたという。妹とは3つ違いだからまだ幼稚園児である。この日は絵日記も2ページを使い、絵もサンタのお面と妹が寝ている光景の2枚という力の入れようである。
 Aがこれを見て苦笑したことは言うまでもない。この情報から、2年生のAはすでに[サンタさん]が実在していないことを知っていたと思われる。いまとなっては、その情報をいつ、誰から得たのかは永遠の謎であり続ける。それにしても「ちょっと早すぎだよね」の感は否めない。
地図と同じ! [01] 2024/10/01 Tue 10261
 先月、北海道で仕事をしました。熊本から千歳までの直行便はありません。そこで、往路は[熊本➣ セントレア➣ 千歳]の便を取っていただきました。
 羽田に向かうときは四国上空から房総半島に飛びます。また、羽田から千歳も概ね地図上では直線で飛ぶ感じです。これに対して、セントレアからの便は離陸すると日本海に向かいます。そのため、眼下には新潟県と海が見えはじめることになります。そして、なんとも素晴らしい佐渡島が現れたのです。その形、やや斜め目線ですが、子どものころから見慣れた[地図どおり]ではありませんか。ただそれだけで感動できるのは何とも楽しいことです。こうした体験ができるので、わたしは[終身窓側族]をキープしています。それでも座席の左右によって、[お目当て]の対象物が見えたり、見えなかったりします。また、[見える席]であっても、雲がかかっていればアウトです。それもまた空を飛ぶワクワク感を高めてくれます。