味な話の素  No.256 2024年09月号(10221-10260) Since 2003/04/29

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車内の過ごし方 [40] 2024/09/30 Mon 10260 昨日 [39] の続き
 動く者の中では眠らないわたしですが、JRでの過ごし方に変化が見えはじめました。それは8月に大分へ出かけたときのことです。車内でWi-Fiが使えることはすでに知っていましたが、これまでこれを積極的に利用したことはありませんでした。ところが8月はWOWOWのオンデマンドで[キングコング対ゴジラ]を放映していました。これを観はじめたのはよかったのですが、バタバタしていて途中で止まったままでした。そうした中で大分からの復路で[キングコング対ゴジラ]の続きを楽しむことを考えたのでした。そして、大分から小倉駅までに終わりまで観終えたのです。それまでPCで仕事をし、また本を読んでいたのですが、このとき大きな変化の兆しが現れたということです。
 そんなこんなで、帰路はNHKスペシャルやニュース、YouTubeでメジャーリーグのダイジェストなどを観ているうちに熊本に着いたのでした。飛行機でもWi-Fiはありますが、こちらは動画を観ることはできません。その点、JRの方は映像系を楽しむことができるのです。かくしてわたしの車内での過ごし方に大きな変化が生まれました。
山陽路で岡山へ [39] 2024/09/29 Sun 10259 9月22日 [28] の続き
 久しぶりに山陽新幹線で熊本・岡山間を往復した。わたしは根っからの飛行機好き人間だから神戸より東となれば地上を走らない。そうなると、わたしにとって岡山は新幹線の東限ということになる。
 九州新幹線の[さくら]に乗ると、2時間30分ほどの旅程になる。わたしはとにかく何かをしていないと落ち着かない。そんなことで移動中はPCを開けて仕事をするか本を読む。海外も含めて枕が変わっても苦もなく眠れるが、[動いているモノ]の中ではこれがむずかしい。ほとんどの場合は仕事で出かけるから、往路では講演や研修で使うパワーポイントを最終チェックする。その際にあれやこれやと手を入れる。それはいいが、いざ動かしてみると[修正前]の方が良さそうに思えてもとに戻すこともある。
 いずれにしても、そんなこんなで今回も岡山までの時間を過ごした。ふと気づくと、久しぶりの山陽路にも拘わらず、外の景色を懐かしむことを忘れていた。
日記の中の母(39) [38] 2024/09/29 Sun 10258 9月22日 [28] の続き
 1973年10月1日 飛行機はやっぱり速いものだ。飛んでいるときは地球が大きいからそれほどのスピードは感じない。しかし、今朝10時過ぎ、母にブザーを持たせて病院を出たのに、今は横浜にいる。大阪上空での機内アナウンスによれば、高度8,200メートルm、時速1,100㎞と言っていた。それは新幹線のじつに5倍のスピードである。とにかく無事に着いたのだが、またすぐに帰らなければならない。明日が学会。
 母の手術後は家族が交代でベッドの横で過ごした。その都合がつかないときはおばさんが来てくれていた。それでも誰もいなくなることはあり、このときは母にナースコールのブザーを持たせて東京に出かけたのである。横浜に母の弟家族が住んでいて、そこに泊めてもらった。その叔母は2021年に他界した。そして、叔父は先週26日に94歳で亡くなった。
真[創る文化、創られる文化] [37] 2024/09/28 Sat 10257 昨日 [36] の続き
 昨日は《タイトル》から逸脱しましたので、本日は《真打ち版》です。わたしとしては、《文化》は《創るもの》で《創られるものでない》方がいいと思っています。そこには《みんなで創る》という気持ちを込めているつもりです。わたしは《ボトムアップ》という言葉(用語)そのものが問題だと言い続けています。現実にモノを創り、サービスを提供している第一線の人々を《ボトム》と呼んで疑問を感じないなどとんでもないと考えるからです。そして、《ボトムアップ》に替えて《グラウンドアップ》や《ポンプアップ》の仕様を提案しているのです。その詳細まで書いていくと、今日も《逸脱》してしまいますので、ここでは《働いている方々の立ち位置を大地(グラウンド)と考えること》《ポンプは真空になるからこそ、地下の新鮮な水が昇ってくること》を大事にしたいという主旨だけで止めておきます。
 こうした視点から、わたしとしては「文化はみんな(グラウンド)で創るモノ」だと言いたいわけです。これに対して《創られる文化》はお上の方から降りてくる文化だと考えるのです。もちろん、主体が《みんな》であれば、《創る文化》も受動態にすれば《創られる》となります。そうなると《どちらも同じ》ですが、大事なことは《誰が、あるいは誰たち》が文化を創るのかということです。
創る文化、創られる文化 [36] 2024/09/27 Fri 10256
 英語の文化を意味する《culture》は「耕す」という動詞の《cultivate》に由来したと聞いたのはいつのことだったでしょうか。そのとき「なあるほど」と感動し、ほんの少しだけ《賢く》なった気がしました。わたしたちの祖先にとって土地を耕すことはより安定して生きるために欠かせない働きかけだったでしょう。これに対して文化は抽象的な概念ですから、まずは動詞の《culture》があって、そこから《culture》が派生したと思われます。
 ここまで来ると、そもそも、ことばは動詞と名詞のどちらが先に創られたのだろうと興味津々となります。ことばの専門家はどんな分析をしているのでしょうか。わたしたちの身の回りには動かない《モノ》にあふれています。そんなことから素人的には多くの場合、名詞が先行しているような気がします。しかし、対象が動物だと動きますから自動詞が必要になりそうです。ただし、動詞のまでに、《動くモノ》が何であるか示す名詞が先に来ないと、主語なしになりますから、やはり《名詞先行タイプ》が圧倒的に多いと推測します。いやはや「創る文化、創られる文化」というタイトルから脇道に逸れてしまいました。いつものことながら貴重なお時間をお使いいただき、申し訳ございません。
若き日の収支記録 [35] 2024/09/27 Fri 10255
  1968年8月、わたしは大学の2年生で[教養部]の学生だった。その月の「一ヶ月の収支予定表」なるものが出てきた。
 A)収入 家より 10,000円 奨学金 8,000円 総計 18,000円 その当時、下宿していた学生の生活費は月15,000円ほどだった。したがって、わたしは平均より20%ほど裕福な(?)生活を送っていたことになる。これには奨学金が大きく貢献していた。そのころは、高校3年時に日本育英会の試験を受けて合格していれば、次年度に大学へ入学することを条件に月額8,000円を貸与するという制度があった。これは「特別奨学金」と呼ばれ、大学入学後に応募する「一般奨学金」の3,500円よりも破格の額を予約することができた。
[これが最後]の繰り返し [34] 2024/09/26 Thu 10254
 今月は毎週どこかに出かけ続けています。月初の鳥取からはじまって、北海道、千葉、そして一昨日から東京にいます。東京は急に気温が下がり、ニュースにまでなっています。ただし、今朝はしっかり日が差していますが、暑さがぶり返すようです。
 ところで、いつのころからか、いろいろなところに出かけるたびに「これがおしまいかもしれない」という思いが湧き起こります。飛行機にしても、「これがラストフライトになるかもしれない」というわけです。ただし、そこに悲壮感などはありません。何といっても後期高齢者ですから、いつ何があってもおかしくないと考えるのは当然です。その意味では、[悲観的]発想と言えるかもしれません。しかし、「そうだからこそ、[この機会]も大事にしようという思いが募ります。それは[一期一会]の精神でもあります。つまりは「それが人であろうとモノであろうと、とにかく楽しい時間にしよう」という前向きの気持ちになるのです。そして、これまでのところ[最後]が繰り返されていますので、これまたそのたびに[笑って]います。あと何回「これが最後」を積み重ねると[本当の最後]になるのでしょうか。われながらけっこう興味があります、はい。
[楽観的悲観主義] [33] 2024/09/26 Thu 10253 9月23日 [30] の続き
 まずは、[悲観主義]を基調にするのは精神衛生上どうなんだろうとは思います。しかし、生きている限り、仕事をしている限り問題が起きることは避けられないでしょう。それを前提にした上で問題の発生を未然に防ぐ行動を取りたいものです。あるいは、問題の影響をできるだけ小さなものにすることを試みるのも大事でしょう。そのために積極的な働きかけができると確信することを[楽観的]対応だと考えたいものです。組織の安全についても、いつも[リスク]を背負っていると考えるのは不安と負担感を刺激します。それでも[何かがでいる]と信じて具体的なアクションを取ることが[リスク]の低減に寄与することでしょう。それが[楽観的悲観主義]と言えるのかどうか、けっこう怪しくなってきましたが、ともあれ「[楽観]か[悲観]か」といった二分法ではなく、どちらもありの視点があっていいのではないか。そんなことをアピールしたいと思ったのでした。
4人の物語(75) [32] 2024/09/25 Wed 10252 9月18日 [23] の続き
 Aが小学2年生だった1957年12月25日、クリスマスに書いた絵日記。
 きのう町へ行ってサンタの面の着いたおかしを買ってきました。そして今日の朝5時半、□□ちゃん(妹)のまくらもとへいって、てまりとおかしをおいてやりました。□□ちゃんはほんとのサンタのおじいさんが来たのかと思って「どんなにして来たのやろうか」とふしぎそうにつぶやきました。それでぼくがいいました。「にいちゃんがサンタのお面をつけてふくろをさげて来たんよ」といいました。おわり
 この日は特別で絵日記は[2日分]のスペースを取っている。それぞれに絵が対応していて、1枚目は[サンタの面とお菓子の袋]、2枚目は[布団で眠っている妹で、頭にはお面とお菓子らしきものが置かれている。Aは、2枚とも「なかなかよく描けているじゃないか」と微笑んだ。
ルールと愚鈍な頑なさ [31] 2024/09/24 Tue 10251
 人類が地球上に《たった1人》しかいなければ、対人関係の問題は存在しない。自分以外に《対する人》がいないのだから当然である。しかし、それが《2人》になった瞬間に《対人関係の問題》が発生する可能性が生まれる。それは2人が《同じでない》ことによる必然的な結果である。そして《2人の間の違い》が区別を超えて差別やいじめを引き起こす可能性も生み出す。ここで《区別》はニュートラルの色合いが強いが、《差別》は明らかにマイナスのエネルギーを背負っている。
 その一方で、現生人類は屈強なネアンデルタール人の絶滅を見ながら生き延びた。それを可能にしたのは、われわれの超祖先が《集団で生きていく》ことを選択したからだという。こうした協力体制を維持するには《弱肉強食》の論理だけでは困難が生じる。そこで、人類は約束事やルールを作り続けている…。ここまでは、本コラムでも手を替え品を替え(?)繰り返してきた。
 そして、わたしはこれを組織の安全についても当てはめる。まずは、《決められたルールを守ること》が重要だというわけだ。そこで組織に求められるのは《ルールを愚鈍なまでの頑なさで守る気持ち》を育むことである。構成員たちに《愚鈍さ》を評価する風土が整備されれば、組織はより安全で健全な環境を実現する。そうなれば、その成果を持続的に享受することができるのである。ここで《愚鈍》ということばまで使うのは、マイナス表現でことを大げさにしようというわたしのドンキ的特性がなせるものである。
[悲観的楽観主義] [30] 2024/09/23 Mon 10250 昨日 [29] の続き
 わたしは、203年4月29日の本コラム第1回目に「行動変容のために」と題して、4つのポイントを挙げました。それぞれ、[適度の危機意識][改善できることを信じる][変わるのは自分のため][使命感]です。そのトップ[適度の危機意識]では、「今のままではいけない」という認識と思いが「行動を変える」原動力になることを指摘しました。もちろん[過度の危機意識]はストレスで判断を誤らせ、適切な行動を取れなくさせます。そこで[適度の]という条件を付けたのでした。
 さて、ここで言う[適度の危機意識]は[適度の悲観的見方]と読み替えることができます。行動を変えるためには「今のままじゃいけない」という思いが求められているというのです。これは[悲観論]そのものでしょう。しかし、その先にあるものは[自らの行動変容]によって、対人関係づくりやリーダーシップの発揮において望ましい結果がもたらされるという確信・信念です。それは明らかに将来を見据えた[楽観主義的発想]です。わたしとしては、これを[悲観的楽観主義]と呼びたくなるわけです。
楽観と悲観の共存 [29] 2024/09/22 Sun 10249 昨日 [27] の続き
 「イエスかノーか」「白か黒か」「生きるべきか死すべきか」…。これらは回答を[二分する]問いで、まさに[二者択一]を迫るわけです。まさに[デジタル的問いかけ]です。
 こうした発想で人を[分ける]ことも少なくありません。たとえば[楽観主義か悲観主義か]もそのひとつでしょう。何と言っても[楽観]と[悲観]は180度の対極にあるというわけです。しかし、わたしの頭の中では「そうかなあ」という声が聞こえてくるのです。単純な話、「楽観的悲観主義」や「悲観的楽観主義」なるものは考えられないのでしょうか。組織の安全文化を望ましいものに創りあげ、それを維持するだけでなく、さらにレベルアップしていくために、[楽観主義]と[悲観主義]が共存することが求められていると思うのです。この発想、まだ[ぼんやり感]が漂っています。これから時間をかけて熟成していきましょう。
日記の中の母(38) [28] 2024/09/22 Sun 10248 9月15日 [19] の続き
 1973年9月30日 10月2日はグループダイナミックス学会が東京である。明日の14時40分のJALで行く。しっかり発表して帰ってきたい。飛行機は速いもので、明日の今頃はもう東京にいる。そして明後日の今は、またこの小倉の病院で母のベッドの側にいるのである。そう考えると何とも味気ない東京旅行であるが、それは仕方のないことである。
 このとき、学会の会場は[中野サンプラザ]だった。この年の6月1日にオープンしたばかりで、デザインのユニークさが印象的だった。その後、コンサートの会場などとして名前を聞くようになった。それも50年を迎えた2023年7月2日に開館となった。母の入院も50年を超える昔のことになった。
[あいまいさ]とのお付き合い [27] 2024/09/21 Sat 10247 9月19日 [25] の続き
  とにもかくにも、わたしたちはデジタルで構成された世界の中で[あいまいさ]という力を使って生きてきたのです。そんなことで、人間にとって[あいまいさ]は欠かせない要件ということになります。ただし、ものごとには[表と裏][光と陰][長所と短所]があるものです。日常の生活や仕事におけるコミュニケーションにおいては、[あいまいさ]が欠点になることもあります。この数年来、[忖度]は忌むべき単語帳に記載されるようになってしまいました。本来はお互いの思いを理解する、相手に言わせないで配慮した行動を取るといった意味合いを帯びていたことばだと推測します。それが、問題行動を思い起こさせる単語に引きずり降ろされてしまいました。その責任を感じる方々は大いに反省してもらわねばなりません。
 ともあれ、わたしたちは[あいまいさ]に潜む[マイナス面]ともお付き合いをしていくことが大事なのです。
対人関係力、コミュニケーション力アップのヒント [26] 2024/09/20 Fri 10246 9月14日 [18] の続き
  研修受講者から出された質問の続き。 「対人関係力やコミュニケーション力を上げるために、先生の体験で一番必要なことは何かをお聞きしたい」。これには、以下のようにお答えした。
 そうですね、「一番」があり過ぎて困ってしまいます。人生で関わる人は無数とは言わないまでも、相当な人数になります。さらに、同じ人でもその時々の状況で取るべき行動は変わってきます。そうなると、「一番は無数」などと答にならない答えになってしまいます。
 その上で、基本的には「笑顔」を基調にするということでしょうか。これも状況によりますので、どんな話題の場合でも正解とはいきません。ともあれ、笑顔は「わたしにはあなたを受け入れる気持ちがありますよ」というメッセージを伝える力になります。人類は集団で生きることを選択して、肉体的には優勢にあったネアンデルタール人を乗り越えたという説があります。それは人との協力を前提にしていますから、笑顔はそのために欠かせない重要な道具になったに違いありません。
 社会的な関係で言えば、「ほめられたらストレートに喜ぶ」のはどうでしょうか。日本人は評価されても「そんなことありません」と控え目の反応をしがちなところがあります。自分がほめた相手が「わあっ、嬉しい」と気持ちを出してくれると、こちらも嬉しくなります。こうした人はほめ甲斐があります。こんなこと言うわたしですから、自分がほめられたときは嬉しさをしっかりお伝えしています。
 また、コミュニケーションに限れば、お互いに100%の「理解」はあり得ないという現実を念頭に置いておくことも大事だと思います。これはちょっと聴くと後ろ向きの発想のようですが、そもそも他人同士の間ですから「自分の思ったとおりには通じない」のは当然で、それが自然なのです。わたしたちは、自分の「強い点」だけでなく、「弱い点」を知ることで、「よりよく生きる筋力」が鍛えられるのです。それは、そのまま、「安全文化の創続」にも通じると考えています。
《あいまい力》 [25] 2024/09/19 Thu 10245 昨日 [24] の続き
 そもそもは《デジタル》のに、人間の感覚は《アナログ的》です。それは、人間が《曖昧な認識力》で生きているからです。いや、そうでなければ生きていけないのです。その昔、映画はフィルムでつくられていました。そして、子どものころから《映画は1秒間でフィルム24コマ》であることを知っていました。わが子が生まれたとき、月給ほどもする家庭用の8㎜映写機を買いました。こちらは1秒間18コマで、スクリーンに登場するオールスターたちの動きに《若干のぎこちなさ》が見えました。ともあれ、映画館のスクリーンには《1秒間に24コマの静止画》が点滅していたのです。もちろん、わたしたちはスクリーン上の《点滅》には気づきません。目の前で光が《点いたり消えたり》していては気分が悪くなるでしょう。これは一例に過ぎませんが、わたしたちは《感覚があいまい》だからこそ環境に適応できているのです。わたしはそれを《あいまい力》と名付けたくなります。
基本はすべて《デジタル》 [24] 2024/09/18 Wed 10244 昨日[22] の続き
 宇宙を根源やはじまりについては《仮説》があるだけです。物理学者の間で、いわゆる《ビッグバン》がはじまりという合意はある程度形成されているようです。ただし、それを客観的に自分の目で見た人はいませんから、《ビッグバン》も永遠に《仮説》であり続けることになります。まあ、《ビッグバン》はいいとして、それが起きる前はどうなっていたのかと聴きたくなります。そもそも《爆発する素材》とエネルギーが必要ですよね。ここまで行くと、それは想像の世界すら超える誰にもわからないものなのでしょう。どこかで諦めないと切りがありません。それはそうとして、現時点で人類が達した物理学の結論は、《すべてのものが物質の元で構成されいる》ことでしょう。それが《モノ》であれば、お互いに独立して存在していることになります。少なくとも、《二つのモノ》は区別されるのですから、お互いに距離を保っているのです。そうであれば、《すべてが1個づつ存在している》わけで、これは《デジタル》の世界だと言えるでしょう。つまり、《あらゆるものがデジタル的に存在している》のです。
4人の物語(75) [23] 2024/09/18 Wed 10243 9月6日 [07] の続き
 Aが小学2年生だった1957年1月3日、冬休みに書いた絵日記。
 きょう大石からかえりました。そしてまたもじへ行って16分くらいでかえりました。かえり9日からはじまる7つの誓いをラドンといっしょにあるとかいてありましたので見たくなりました。おわり
 この日の絵は、三角形に[東映]が入るロゴマークと「七つの誓い」の主人公である。この日はちょうど90字だが、Aの頭の中には400や500字では書ききれないほどのイメージが広がる。まずは[大石]だが、ここは福岡県の浮羽郡にあった町で母方の祖父が住んでいた。前年12月30日に母と妹の3人でこの日まで滞在しした。その30日の日記には「きょう7時の汽車で大石へ行きました」とある。さらに「朝バスがえんちゃくしたので汽車にとびのるようにして乗りました」と続く。その日の絵は煙を吐いて走る黒い蒸気機関車である。客車の乗り口は開放されていたから、発車ギリギリで飛び乗ったのである。このことについては、Aが肝を冷やした経験として書いているが、それが1956年12月30日だったと思われる。
《アナログ》と《あいまいさ》 [22] 2024/09/17 Tue 10242
 昔は自分を《アナログ人間だ》あるいは《アナログ世代だ》という人がそこかしこにいました。今日でも、それを自認している方はいらっしゃるだろうと推測します。もちろん、これは《デジタル》の対義語ですが、ことばとしての使用頻度、あるいは聴取頻度は大いに減少したようです。
 わたしは、本欄で「アナログを自称する人たちも、大脳の中の神経細胞レベルではデジタル信号のやりとりで考え行動している」と記したことがあります。そもそもデジタル処理されているはずのものが表に現れると様々な態度や行動のバリエーションを生み出すのは興味深いことです。人間の五感、そして第六感さえも、もともとは外界あるいは体内の《刺激信号》から成り立っているわけです。
 そうした視点に立てば、誰もが《デジタル人間》ということになります。しかし、総合的には個々人が《1か0か》ではなく、曖昧さをともなった《アナログ》的世界を持っているのですから、楽しい限りです。たとえば、かつてのフィルムも現在のデジカメの写真も、その基本は《点》の集まりです。ただ、それがあまりにも小さすぎて、個別に《識別する能力》がないため、写真や絵が目の前に顕れるのです。ここで《あいまいさ》の重要性が生まれます。ことばとしての《あいまいさ》にはマイナスのイメージもありますが、それを《いい、悪い》のデジタル的評価だけで決めつけるのはいかがなものかと思っているわけです、はい。
いつでも、どこでも、みんな同じ [21] 2024/09/16 Mon 10241 8月30日 [38] の続き
 塩野七生著「ローマ人の物語」は新潮文庫版で43冊になる その[29]「終わりの始まり[上]」の110ページに、ローマで新皇帝就任の儀式についての記載がある。それは元老院の議場で行われるが、その際に一つの決まりがあるという。
 「それは、次のように進む。まず、元老院の全議員を代表する一人が、前皇帝によって後継者に指名されていた人に向って、皇帝への就任を要請する。要請された人は、自分はその重責に値しないと言って断わる。議員の代表は、もう一度くり返して要請する。ここではじめて、要請された人は受諾する。そしてすぐ、どの名によって皇帝を務めるかを議員たちに告げる」。
 この本はわたしのトイレ読書室で欠かせない1冊だが、この部分を読んで楽しくなった。というよりも、笑いがこみ上げてきた。紀元前から続くローマ皇帝の歴史で、これがいつ定着したのか知らない。ともあれ、一度は就任の要請を断り、さらに要請されてから[やおら(?)]受諾するわけだ。それも、まずは「自分はその重責に値しない」と言うらしいから笑いが抑えきれない。それは、[謙遜と控え目]を美徳とするどこかの国とまるで同じではないか。社会関係の中で、人間の態度や行動は古今東西を通して変わっていないのである。
 いま、党首を決める選挙が話題になっている。いずれの党であれ、最後に選ばれた者が、「身に余る光栄」「非力ながら」「浅学非才のわたしが…」などといった枕からはじめるかどうか、興味津々である。そんな思いは心の片隅にもないでしょ…。
著書の思い出 [20] 2024/09/15 Sun 10240
 その昔、といっても2001年だから二十数年前だが、わたしは「人間理解のグループ・ダイナミックス」という書籍を書いた。その中で「グループ・ダイナミックスは、集団との関わりを通して人間を理解することを目的にしている」ことを記してから、《ロビンソン・クルーソー》と《横井庄一》を取り上げた。わたしとしてはこの2人に《木枯し紋次郎》も加えたかったが、それはやめた。
 この3人に共通するのは《ひとりぼっち》《孤独》である。ある時期の彼らは集団と直接の関わりをもっていない。そこで、この3人はグループ・ダイナミックスの対象にならないのかという疑問が生まれる。
 これに対する答えは簡単で、彼らもまたグループ・ダイナミックスにとって極めつきの対象と言える。たとえば、《横井庄一氏》は28年間もグアム島で逃げまどう生活を続けた。本人は、敗戦の2年後には日本が戦争に敗れたことを知っていたという。それなら、どうして投降して出てこなかったのか。横井氏は「捕虜になるのが恥ずかしかったからだ」と告白している。彼の頭の中には「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪科の汚名を残すことなかれ」という戦陣訓が生き続けていたのである。生きたまま敵に捕まってはいけない。そんなことになりそうなときは、自ら命を絶て。そうでなければ、自分自身も一族郎党までもが、後々まで汚名を着せられることになる。これが、兵隊の心得だったのである。それが理由で横井氏はジャングルから出てくることができなかったという。たった一人の孤独な逃亡生活の原因が社会の作った規範に影響されていたことになる。まさに、所属する社会や集団が重要な役割を果たしていたのである。
 とまあ、そこまでは良かったのだが、後々になって横井氏は「本当の理由は《戦陣訓》じゃなかった」と《告白(?)》したらしい。この点については《電子版》で付け加えた。やれやれ…。
日記の中の母(37) [19] 2024/09/15 Sun 10239 9月1日 [02] の続き
 1973年9月25日 研究所へ行く。「順法闘争」と名付けた国鉄労組の作戦で往きも帰りも大変な混乱になった。今日はわたしが病院に泊まるので9時までに病院に着かなければならなかった。
 本来は「遵法」と表記すべきところだが、新聞は「順法」と記していた。いわゆるストライキではなく、「すべての手続きを決められた通りに、おそらく徹底して厳密に実行する」ものだった。当時、公共企業体だった国鉄労組はストライキを禁じられていた。そこで「順法」と呼ぶ方法が採用されたのである。とにかく個々の仕事の段取りや手続きに時間をかけることから、結果として大幅な遅延等が発生した。こうした中で、この年の3月13日には、国鉄高崎線上尾駅で旅客が「順法闘争」に対して暴動を起こすという事件まで起きている。母の入院で病院通いをしていたわたしもかなりの不快感を抱いたと思われる。
会話に入りづらいとき [18] 2024/09/14 Sat 10238
 研修を受講された方から質問が届いた。「自分から話したり、良い人間関係を築くことが苦手です。例えばグループワークやディスカッションなどの場では聞くだけになってしまいがちで、積極的に会話に入っていくのがなかなか難しいです。会話のコツ等があれば、教えていただきたいです」。
 これに対して、次のようなお答えをお送りした。
 人との関係は人生、永遠の課題ですね。 まずは、「聴く技術」を磨かれるのはいかがでしょうか。コミュニケーションは「発信」だけでなく「受信」のスキルが重要な役割を果たします。組織のリーダーがしゃべりっぱなしではフォロワーたちは意見が言えないと困惑するに違いありません。そんなことから、わたしとしては講習で「対人関係の基礎技術」として挙げた「聞こえる声で、聴いてもらえる声で」「顔と目で笑う」「大きなジェスチャー」を「他人を知る技術」として磨かれることを大いにお勧めします。
 「□□さんには話しやすい」「自分たちの考えを受け止めてもらえる」「とにかく聴き上手」となれば最高のリーダーシップを発揮しているのです。そうした流れの中で質問される機会が生まれます。そこでご自分の思いをお伝えになるうちに「コミュニケーションの筋肉」が身に付いていることを実感されるに違いありません。
伊丹の雷雲 [17] 2024/09/14 Sat 10237 昨日 [16] の続き
 その後、千歳に近づいても、伊丹空港がらみの新たな情報は入りませんでした。また、携帯からのチェックインはいつもどおりに受け付けていて、遅延等の説明もありません。もちろん、こうした事態に、いつも空港での送迎をしてくださるご担当者の方も大いに心配して下さいました。ただ、後は空港の表示などを確認してからのことになります。そして空港では「あのメールはなんだったの」と言いたくなる空気が漂っていました。つまりは、伊丹空港に関する情報はまったく見当たらなかったのです。
 そして、手荷物を預けたわたしにカウンターの女性は「熊本までお預かりします」といつもと同じセリフで確認してきました。こんなとき、余計なことを言いたくなる虫がわたしの心中で動きはじめます。その虫の気持ちに応えるべく、わたしは「伊丹行は雷雲が発生するおそれがあるとして注意喚起してましたよね。あれはもう解消されたのですか」と確かめました。それに対して担当者は「注意喚起」が発出されたこと自身を知らないような感じがしました。いやはや、「結果良ければすべてよし」ですから、一時の騒ぎで終わったわけです。
雷雲と飛行機 [16] 2024/09/13 Fri 10236
 昨日、北海道から帰りました。千歳空港から車で送っていただいたのですが、その途中でANAからメールが入りました。 件名は[大阪伊丹空港周辺の雷雲による運航への影響について]とあります。これだけで嫌な予感がします。そして本文の「いつもANAを利用いただき、ありがとうございます。大阪伊丹空港周辺の雷雲による運航への影響、並びに、旅程の変更(振替)・払い戻しを希望される場合の手続きについてお知らせいたします」が目に入ってきます。さらに、「ヨシダさまがご登場予定の札幌/千歳発 大阪/伊丹行NH984便は、雷雲の接近に伴う航空路線混雑や地上作業停止等の影響により、遅延・欠航・た空港への着陸や出発地への引き返しなどの影響が発生する可能性があります」とその内容について詳細な説明が付いています。
 そう言えば、かなり以前のことですが、函館空港に定刻に着陸したものの、空港周辺で雷雲が発生し、手荷物を降ろす作業が中断され、30分ほど待ったことがありました。そのときは荷物の問題でしたが、そもそも目的地に行けないかもしれないのです。さらに伊丹から熊本便に乗り継ぐのですが、この便についても同じお報せが入りました。
高齢者の視界と天神 [15] 2024/09/13 Fri 10235 9月11日 [13] の続き
 予期しないトラブルで[天神]の話がストップしてしまいました。久しぶりに友人と[博多大丸]の入り口で待ち合わせをし、さあ夕食という話になりました。どこか心当たり食事処はないかと尋ねると、このところ天神に出てくることがないという話でした。そこで、大丸の別館で、以前は昼食を楽しんだエルガーラの食堂階にエスカレーターで昇っていきました。これが往年のにぎやかさが夢だったかのように淋しげになっていました。それがコロナのせいなのかどうか友人も確かではないようでした。ともあれ、これが[ビッグバン]の一角なのかと余計な心配をしてしまいました。わたしの推測ですが、人が集まるスポットが同じ天神でも別のスポットに移動したのではないかと思います。栄枯盛衰と言いますか、この世に「いつまでも」はないようですね。
 そんなこんなで、夕食は博多駅に移動して楽しみました。
どうしてだろう [14 ] 2024/09/12 Thu 10234
 一昨日、「重複」をお報せいただいて修正したのですが、そのアップロードに手間がかかりました。当方としては[ホームページビルダー]がいつもどおりの反応をしなかったのです。もちろん、その原因はヒューマンなものに違いありません。ただし、どこがどのようにおかしかったのかがはっきりしないので困ったものです。ともあれ、今回もモニターしてくださる方がいらっしゃるので助かります。
 Mailによりますと、「最近、気づいた重複掲載については、一日ほどで修復されており、今回もいつ修正されるのかを『ワクワク』しながら拝見しておりました。 今回は二日が経過しており、今、タッチの差で修復されないかと『ドキドキ』しながらメールを記載しております」とのことでした。本当にありがたいことです。
 本日、北海道から帰熊します。熊本を出る前日は38度の猛暑日でした。北海道は最高で26度や27度というのですから、日本も縦長の国であることを実感します。
お報せ 24/09/11
 昨日、いつも本コラムをご愛読いただいている方からご2件のご連絡がありました。
 連載「4人の物語」が6日と8日で[重複]しているという情報です。昨日の朝、熊本から北海道に移動している途中のことです。確認すると、「まったく同じ」でした。連載物のため、[いつもの様式]をコピーした際に新規の入力を失念したことが原因です。そこで、まずは8日の分を[灰色のバック]にして[削除]します。その上で、本日の番号を[1]ずつ減らします。そのため、昨日と同じナンバーになっています。ご指摘いただいたものはそのまま遺します。
 もう一つ、表紙の「Mailボタン」が機能しないとのことでした。おっしゃるとおりでしたので、こちらは修正しました。
 いつも、いつも、ありがとうございます。
高齢者の視界と天神 [13] 2024/09/11 Wed 10233 昨日 [13] の続き
 そもそもは[自由律俳句]に刺激されて、「自分も」と無謀な試みにチャレンジしかかったのですが、いつの間にやら[天神]の話に逸れてしまいました。話の脱線や逸脱は本コラムではいつものことですが、とりあえずタイトルだけは変えることにしました。
 さて、地上に上がった[後期高齢者妖怪]ですが、まずは「大して変わっていないじゃないか」との思いが先立ちました。まあ、そのあたりしか見ていないのですが、これは高齢者の狭さと無関係ではないでしょう。ともあれ、久しぶりに友人と会う約束をしたものの、[目印]が必要なので、西日本新聞社の本社ビルの入り口で待ち合わせをしました。ここにはテナントとして博多大丸が入っています。じつは三隅先生がお元気なころからこのビルの14階に[集団力学研究所]があり、わたしには懐かしい思い出の場所なのです。
続々 無謀な試み [13 ] 2024/09/10 Tue 10233 昨日 [12] の続き
 天神の[ビッグ チェンジ]を目の当たりにする期待で胸をときめかせながら地上に上がっていきました。しかし、その結果は意外なもので拍子抜けしたのです。つまりは、「そう大して変わらんジャンか」と言うことです。もちろん、元の大名小学校近辺はおそろしいほどの変貌ぶりだとは聞いています。そこはブロックが違うので天神の交差点からは目に入りません。まあ、それはそれですごいと推測しますが、わたしが知っている天神は西鉄本社が入っていた福岡ビルとお隣のコアビルあたりがなくなったくらいのものでした。
 今から半世紀上も前に[怪獣ラドン]が天神を襲撃し、当時の西鉄街を一瞬にして吹き飛ばしました。このあたりは迷路のような通路の両側に平屋の飲食店やパチンコ屋が密集していたのです。それが[ラドン]によって破壊し尽くされたために(?)、この一体が再開発され、気の利いた商業ビルができたのです。そのときの変貌を知っているわたしなど、今の[変化]はいかにもささやかなものとしか感じられなかったのでした。
続 無謀な試み [12] 2024/09/09 Mon 10232 昨日 [11] の続き
  この際、せっかくですから種田山頭火の句も挙げてみましょう。本日も[]は[わたしのインチキ句]でございます。念のため…。
 「ひさしぶりに掃く垣根の花が咲いてゐる」[ひさしぶりに歩く天神は昔のままでゐる]

 先週、久しぶりに、つまりは前回いつだったか記憶にないほどの期間を経て、と書き始めて、「いやあコロナのときに行ったじゃないか」という声が頭の中から聞こえてきました。ああ、そうでした。コロナ禍の真っ最中に、福岡の天神で講演会のお誘いがあり、それにお応えして出かけたのでした。
 生来の「Yes-man」を自認しているわたしですが、そのときは高齢者として生まれて何回目かに当たる[躊躇心]が刺激してきました。それでも、会場は最小限に押さえて多くはリモートで参加するというお話しと20代からお世話になった組織ということで[一大決心]をしたのです。当日はホテルもお取りいただいて夕食にもお誘いいただいたのですが、こちらはお断りして新幹線日帰りの旅となりました。
 さて、その天神ですが、いまや九州の首都福岡は[天神ビッグバン]なるキャッチフレーズで天神一帯が大改造中だと聞いていました。福岡に住んでいるある友人は「天神はもう右も左もわからないよ」とも言ってきました。そこで、わたしは博多駅から町並みが見えるバスではなく、あえて地下鉄を使うことにしました。地下鉄天神駅から地上に上がったとき息を飲んで声も出ないような、高齢者としては心臓に悪い一瞬を味わいたいと思ったのです。
無謀な試み [11] 2024/09/08 Sun 10231 5月25日 [48] の続き
 「自由律俳句」なるものをはじめて取り上げて3ヶ月以上が経ちました。
 そのときに尾﨑放哉と種田山頭火の[句]をメモしたものがあります。
 「久し振りの雨の雨だれの音」[久し振りの台風に木の葉1枚揺れない]
 「爪切つたゆびが十本ある」[わりと早く伸びるゆびの爪がいとおしい]
 「墓地からもどつて来ても一人」[旅からもどって来ても忙しい]
 「春の山のうしろから烟が出だした」[阿蘇の山の向こうから太陽が顔を出した]

 「」は尾﨑放哉の句ですが、[]は[わたしの句]でござりまする。まことに無謀ながら、自分で「実力の差」が説明できないほど、自由律俳句はレベルが高いもののようです。はい。
4人の物語(74) [10] 2024/09/08 Sun 10230 8月30日 [38] の続き
 Aが小学3年生だった8月27日の絵日記。 いつもいつもあつい日がつづきますので、ぼくはよく水あそびをします。ホースでふんすいをしたり、ドロップのかんとかで水でっぽうを作ったりしてともだちとあそびまくりました。この日は[はれ]で、[温度32°5ぶ]と記している。気象は6時、就寝は9時10分。就寝時間の鉛筆の太さが違っているから、これは翌日書いたのだろうか。人間は[寝た瞬間の時間]などわからない。
 ここに出てくるホースは、Aの家族が以前住んでいた町で使っていた都市ガス用のものである。赤い色をしていたが、これをサイフォン様に使って楽しんだ。このとき水圧の原理など知らないが、少し上に置いたバケツの水から水が伝わってくるのが楽しかった。絵日記だから、それがしっかり思い出される絵が描かれている。平和な夏休みである。
続々 便利の問題点 [09] 2024/09/07 Sat 10229 昨日 [08] の続き
 シャワー後にトイレットペーパーが真っ白になるのを念入りにチェックしているときでした。お尻の底がかすかに揺れたかと思うと「ザー」っという音とともに水が流れたのです。おそらく、腰のひねり方や手のにじり方に重大な問題が起きたのでしょう。その結果はわたしにとって深刻なものになりました。いつもは、しっかり手を加えて同じ作業を何回か繰り返します。そして、「これでよし」となってから立ち上がるわけです。それからゆっくりと体を半回転させて[本日の成果物]をしっかり点検します。その重要かつ欠くことのできない、さらにルーチン化している手続きが[水の泡]となってしまったのです。
 何と言うことでしょう。まだ終わっていないのに、先方が勝手に終わりしてしまったのです。かくして、[阿部寛:ローマ人の公共風呂設計士]が驚愕する自動トイレは、わたしにとっては日々の健康チェックの重要な手続きに問題をもたらすことが明らかになったのでした。
 申し訳ございません。これって[続々]まで、3回にも亘ってお話しすることでしたでしょうか…。
続 便利の問題点 [08] 2024/09/06 Fri 10228 昨日 [06] の続き
 自分でトイレの蓋が開くのは措くとして、ホテルの体験によって予期しなかった発見がありました。それは「一仕事」終えてからの[段取り]に関わるものです。みなさんは、トイレの[シャワー効果]に100%を超える絶大なる信頼を置いていらっしゃるでしょうか。そこで、[自分の目]による確認作業をパスする。そんな方がどのくらいの割合になるのか、個人的には興味があります。わたしには[自分の行動]に疑いを持つ傾向があり、自分の目でしっかり確認作業を実施しています。それは毎回[うまずたゆまず]の繰り返しです。これでも、[組織の安全][リスクマネジメント]の領域で仕事をしているのですから当然のことです。人様に[言うばかり]ではいけません。
 それに、毎日の[成果物]の確認は健康維持に欠かせません。毎年人間ドックに通っている身であっても油断は禁物です。少しでも怪しげな兆候を発見する努力を怠らないことが求められます。そうした日常を送っているわたしは、ホテルのトイレで決定的かつ深刻な問題に直面したのです。
4人の物語(74) [07] 2024/09/06 Fri 10227 8月30日 [38] の続き
 Aが小学3年生だった8月27日の絵日記。 いつもいつもあつい日がつづきますので、ぼくはよく水あそびをします。ホースでふんすいをしたり、ドロップのかんとかで水でっぽうを作ったりしてともだちとあそびまくりました。この日は[はれ]で、[温度32°5ぶ]と記している。気象は6時、就寝は9時10分。就寝時間の鉛筆の太さが違っているから、これは翌日書いたのだろうか。人間は[寝た瞬間の時間]などわからない。
 ここに出てくるホースは、Aの家族が以前住んでいた町で使っていた都市ガス用のものである。赤い色をしていたが、これをサイフォン様に使って楽しんだ。このとき水圧の原理など知らないが、少し上に置いたバケツの水から水が伝わってくるのが楽しかった。絵日記だから、それがしっかり思い出される絵が描かれている。平和な夏休みである。
便利の問題点 [06] 2024/09/05 Thu 10226
 先月、わが家は小規模なリフォームをしました。すべての壁紙を張り替えたり、自分が仕事場にしている部屋の床も新しくしました。わたしがキャスター付きの椅子でゴロゴロ動き回るので床の傷みがひどくなっていたのです。これに加えてトイレも交換しました。こちらは3回目になります。今では洗浄機付きが常識ですが、トイレの蓋が自分で開くものが主流になってきたのでしょうか、まずはこのカタログから奨められました。あの映画「テルマエ・ロマエ」で阿部寛が分する古代ローマ人のルシウスが驚愕するあのトイレです。
 これに対して家内とわたしの反応は[即No]でした。年を取ると手で開けないと間に合わないほど切迫することもあるということです。こうした緊急事態に対応できないという情報も同年齢の仲間たちから得ていたのです。そして無事に交換が終わり満足の日々が重なってきました。
 ここで鳥取の話に戻ります。今回宿泊したホテルのトイレは[阿部寛ビックリ仕様]でした。ドアを開けて個室に入ると蓋が開き、少量の水が流れました。その目的は理解できないままでしたが、設計側としては意味があるのでしょう。もちろん、「どうしてだろう」と深刻に考えたわけではありません。ろもあれ現物に接してみると、いや便器ですから眺めただけですが、けっこう素早い反応でオープンしました。そんなことで、「切迫時には間に合わない」との説は、トイレのせいではないのでしょうが、やや怪しい臭いが漂ってきました。
鳥取だより [05] 2024/09/04 Wed 10225
 月曜日に鳥取へやってきました。家内と姫路、鳥取砂丘、足立美術館、出雲大社を周遊するツアー以来の鳥取です。それは2016年の3月でしたが、翌4月に熊本地震に遭遇しました。今回は米子での仕事でしたが、米子空港の国内線は羽田便のみということでした。そのため福岡・出雲空港を利用することになりました。空港から米子までは車で1時間30分ほどの旅程です。
 この鳥取物語は改めてお伝えすることにしますが、JAL系のエアコミューター便は36人ほどの超小型のプロペラ機です。機内で黄金色のアメが出たので懐かしくなりました。もう相当に昔のことですが、鹿児島のエアコミューター本社で安全に関わるお話しをしたことがあります。その中で、エアコミューターで出されるキャンデー[黄金糖]が大好きなことを話題にしました。その結果、講演後に黄金糖がどっさり入った袋をおみやげにいただきました。家に帰ってこの話をしたところ、家内から「それではちょうだいと言っているのと同じじゃないの」と顰蹙を買いました。いま、[おねだり]が話題になっていますが、出雲便でこのときのことを思い出しました。
神様の話 [04] 2024/09/03 Tue 10224
 わたしは無神論と公言するほどではありませんが、「神様なんているのかいな」とけっこう疑っています。そのわたしが稀にですが「ひょっとしたら神様がいるのかもね」と思うことがあります。前月の大谷選手の[40-40]もその一つに入りそうな気配です。とにかく1シーズンで[40本塁打かつ40盗塁以上]を成し遂げたメジャーリーグの選手が過去に5人しかいないというのです。その6人目になった大谷選手の凄さには驚くしかありません。もちろん、大谷選手は神様ではありません。
 ただ、「神様がいるかもしれない」と思ったのは、その達成の仕方です。そもそも同じ試合で[40-40]に持っていったのですから何やら[神がかり的]ではありませんか。それでも[がかり的]が付いてきますが、問題はサヨナラホームランです。なんと9回の裏3対3の同点で満塁になり、打順が大谷選手に回ってきたのでした。ホームランは本人が日ごろから精進していることが大きく貢献しているはずです。しかし、そこで[満塁]になるというのは個人の努力とは関わりがありません。ここでわたしの頭の中にも[神様]が登場したのです。もっとも、この時点で3点差で負けていて、逆転満塁さよならホームランの4点で勝利とならなかったことから、[神様の小さな手抜き]を疑う余地は残ります。いずれにしても、無神論者に神の存在をちらりと頭の中に描かせるのですから、大谷選手自身が[神がかり的存在]だと言うべきでしょうか。
熊本の山と海 [03] 2024/09/02 Mon 10223
 熊本は東側に雄大な阿蘇があり、空港も[阿蘇熊本空港]が愛称です。公式には[熊本空港]ですが、阿蘇山が熊本にあることをアピールするために、空港名に[阿蘇]を付けたようです。まあ、[山は阿蘇]ということですが、熊本は素晴らしい海にも恵まれています。それが天草です。こちらはクルマエビの養殖で知られており、[県魚]はクルマエビなのです。それだけではありません。天草を走る国道324号線の有明地区では[ありあけタコ街道]があります。そのドでかいモニュメントは過去に本コラムのカバー写真に採用したことがあります。写真は9月に[街道]を通ったときに撮したものです。これだけ[干され]たタコさんたちの気持ちはどんなものでしょうか。
日記の中の母(36) [02] 2024/09/01 Sun 10222 8月25日 [33] の続き
 9月16日 日曜 父から電話があって救急の患者が出たことから、母は2人部屋に戻ったとのこと。1ヶ月ぶりのことである。今日は病院に泊まるが、日記も自由には書けないと思って今書いた(1:00pm 自宅にて)。父と言い叔父と言い、わたしの前にはりっぱな生きる見本がいる。
 前日、母の弟が横浜から見舞いに来て、朝早くとんぼ返りで引き揚げた。前回の続きである。手術後の数日は個室だが、回復とともに2人部屋になる。そうした予定だったが、母は予定外の再手術をして胃のあたりの傷口が閉じないままで1ヶ月以上が経過した。それが理由なのか1人部屋から移動を要請されずにこの日を迎えたのである。
阿蘇の9月 [01] 2024/09/01 Sun 10221 昨日 [67] の続き
 台風一過、熊本はあっという間に[涼しさ]がやってきました。もちろん9月にも[熱暑の戻り]が予想されますが、遠く阿蘇の連山から昇る太陽の位置は南寄りになってきました。地球が太陽の周りを公転していることが目に見えます。写真は9月の阿蘇の一景です。頂上がギザギザ模様の山は阿蘇五岳の一つ根子岳です。やがて秋色になり、ススキが銀色に揺れる季節がやってきます。子どもたちが小さいころは季節を問わず阿蘇に出かけたものです。噴煙を上げる中岳あたりもいいのですが、雄大な外輪山からカルデラ内を眺める景色は世界の中で阿蘇が一番でしょう。ここに水がたまって火山湖があったというのですから小さな人間には想像の世界です。