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| Commonsense is very uncommon [40] 2024/08/31 Sat 10220 ホレス・グリーリー(Horace Greeley 1811年-1872年)はアメリカで有数の新聞社の編集者、自由共和党の創設者、社会改革者、政治家である。この一言が最初に発せられたときの状況はわからない。ただ、わたしなりの勝手訳は、「世の中で常識と言われているものは、じつは非常識なものが多いことに要注意」となる。今では大昔の前世紀のこと、竹村健一氏の「日本の常識、世界の非常識」という書籍や大橋巨泉氏が司会する「こんなものいらない」といったバラエティがあった。いずれも、「みんながそうする、そう考える」ことが「常識」として人の行動に影響を与える。それどころか「常識に従わない連中」に圧力をかけることもある。 しかし、「ところ変われば品変わる」もまた「常識」だろう。つまりは、「こちらでは常識」でも、「あちらでは非常識」なことがワンサカあるのは当然なのである。そして、常識を疑うことから発明や発見が生まれることもまた、誰もが知っている「常識」である。常識を疑うところから変化が引き起こされ、成長が生まれる。「若者よ、常識を疑え!」 いや「みんなで常識を疑おう!」 |
| かしわめし [39] 2024/08/30 Fri 10219 大分からの[ソニック]は小倉で降りて、九州新幹線の[さくら]に乗り換えます。復路ではこの間40分ほど待ち合わせをします。小倉着がちょうどお昼になるので、小倉駅で何をするのかは決まっていました。そう、駅弁を買うのです。ただし、北九州になじみのあるわたしには[折尾のかしわめし]と決まっています。それも[東筑軒]製です。早速、これをゲットしたのですがどこかがいつもと違うのです。よく見ると「大」と記載されています。売店に[小]は置かれていなかったと思いますが、見落としたのでしょうか。ホームページで確認すると[小]もまだ健在のようです。 ともあれ、[さくら]に乗るまでの時間がけっこうあるので待合室で食べることもありですが、そうはいきません。駅弁は「駅で買って汽車で食べる」のが[決まり]です。この日も[さくら]に乗車して、かしわの味を噛みしめながら博多駅近くまで楽しみました。こうしたときくらいしか駅弁を食べなくなりました。 |
| 4人の物語(73) [38] 2024/08/30 Fri 10218 8月16日 [19] の続き Aが小学3年生のときの夏休みの絵日記、8月29日木曜日 はれ 29度 けさ早くお母さんは町に行きました。おみやげになしとぶどうを買って来ましたので、ぼくはさっそくいもうとたちと三人でぶどうとなしを食べました。とってもおいしかったです。その上、お母さんが買ったのは、よけいおいしかったです。 母親はどんなときでも身近で称賛の対象になる。父親はなかなかここまでには到達できない(という気がする…)。 |
| 続「キングコング対ゴジラ」 [37] 2024/08/29 Thu 10217 昨日 [36] の続き 母はこのとき博多から住んでいた伊万里を乗り越えて佐世保まで行き、わたしは、母と妹と3人で「キングコング対ゴジラ」を観たのでした。当時、国鉄が走らせていたのは電車ではなく蒸気機関車かディーゼルカーでした。おそらく相当な時間を要したと思われます。しかも、帰りは汽車がなく、伊万里までタクシーで帰ったのです。この時代、タクシーは庶民にとって贅沢な乗り物でした。母は「キングコング対ゴジラ」を観たいと言い張る中学生の息子のために一大決心をしたのです。 映画の内容はほとんど記憶にありませんでしたが、キングコングとゴジラが取っ組み合いながら海に突っ込んでいった最後のシーンだけは観る前から頭に残っていました。それが、大分からの[ソニック]の中で昨日観たかのように蘇ったのです。人間の大脳は不思議な力を持っています。映画の中の時間の進行とともに50年以上も前に観た画面が再生されていきました。二つの生きもの(?)は富士山麓で戦い、お城を壊しながら海に突っ込みます。このお城は地理的に小田原城でしょう。 |
| 大分と「キングコング対ゴジラ」 [36] 2024/08/28 Wed 10216 大分での仕事を終えて帰路につきました。往路と逆に大分から小倉まで[ソニック]、小倉乗り換えで[さくら]に乗りました。今度は小倉で40分ほどの待合があり、ほぼ3時間かかりました。 ところで、大分からの[ソニック]では映画「キングコング対ゴジラ」(1962年)を楽しみました。これはWOWOWのオンデマンドでスマートフォン劇場となりました。この映画はわたしの心にいつまでも残っているものです。それはわが家が伊万里に住んでいた夏の日のことです。わたしは中学2年生でしたが、7月に父が福岡に転勤になり、一足先に単身赴任していました。わたしの記憶では夏休みを利用して福岡の父と会って帰るときのことです。折から上映中だった「キングコング対ゴジラ」を私が観たいと母にせがんだのです。ひょっとしたら福岡で上映中であることを知ったのかもしれません。 当時、新作は大きな映画館で公開され、順次そのほかの町々にフィルムが回されるシステムでした。このとき伊万里では公開されておらず、長崎県の佐世保の劇場で上映されていました。 |
| 大分駅の賑わい [35] 2024/08/27 Tue 10215 昨日 [34] の続き 大分駅はりっぱな駅舎が印象的です。JR九州が展開する[アミュプラザ]もしっかりしています。これは鹿児島中央駅にも当てはまります。一方の熊本駅は後発ながら駅舎等の整備が終わり[アミュプラザ]もあります。JR九州によれば、熊本の[アミュプラザ]は鹿児島と大分を上回る規模だそうです。しかし、そう言われても建築の素人は「そうかなあ」と思ってしまいます。 熊本駅の設計は著名な安藤忠雄氏らで熊本城を意識したものだそうです。鹿児島中央駅と大分駅はいわゆる近代的なビルディングであるのに対して、歴史を思わせる風格があると評価する人もいるでしょう。 ところで熊本市は政令都市で人口は74万人、鹿児島市は59万人、大分市は47万人ですから、ほかの二都市を圧倒している感があります(各市の2024年速報値)。しかし、JR九州の利用者(2022年)を見ると、鹿児島中央駅は博多、小倉に次ぐ第3位、大分駅は第4位で、熊本駅はその次の第5位なのです。新幹線開通前はもっと下位に甘んじていました。大分駅が大勢の人で賑わって見えるのは気のせいではないのです。 |
| 熊本から大分へ [34] 2024/08/26 Mon 10214 先週は大分で仕事をしました。熊本から大分はJRの豊肥線があります。その名の通り豊後と肥後を結ぶ線で阿蘇の雄大な景色を見ながら走ります。これが熊本地震で寸断されましたが現在はつながっています。この豊肥線を走る[九州横断特急]を使うと熊本から2時間52分で大分に着きます。ただし、その本数が現時点では1日1本しかありません。 かくして、熊本から大分に行く際は別のルート、つまりは新幹線を使うことになります。熊本から小倉まで[さくら号]だと1時間を切ります。ここで大分まで行く[ソニック]に乗り換えます。この[ソニック]は多少の違いはありますが、概ね1時間30分で大分に着きます。 このとき問題になるのが小倉での乗り継ぎ時間です。今回わたしが利用したケースですと、小倉での乗り継ぎ時間が8分という驚異的な短さでした。新幹線から降りてエスカレーターを使い、改札口を通って在来線に向かうのですから、けっこう気がせきます。それでも小倉での乗り継ぎ方を知っているわたしとしては2分ほどの余裕を持って[ソニック]の到着ホームに行くことができました。小倉駅での乗り換えが初めての人にはやや心配される間隔です。ともあれ、そんなスケジュールでしたから、熊本駅から大分駅到着までほぼ2時間30分で着きました。 |
| バブルの犯人(2) [33] 2024/08/25 Sun 10213 8月21日 [26] の続き それにしても田中内閣の時代はすさまじかった。一時は長期預金の金利が8%という、今では考えられない高さだった。たとえば郵便局の定額預金は10年預けておくとほぼ倍の額になるのである。退職金を1000万円とすれば、毎年80万円の利息が付く計算である。年金にこの額が加われば、元金に手を付けずに生活できる人もいたはずである。しかも、現在の算定基準と比較すれば、たとえば公務員の場合、退職金も年金も現在よりかなり高い水準だった。 さらに、この当時は毎年のベースアップが常識で、ある年などは何とアップ率が30%にも達した。単純計算だと、年収200万円の人が翌年には260万円になるのだから笑いが止まらなかっただろう。もちろん物価もドンドン上がって、これが日本のGDPを世界第2位のまま維持させたのである。 |
| 日記の中の母(35) [32] 2024/08/25 Sun 10212 8月18日 [22] の続き 9月16日 日曜 昨日、□□□□さん(叔父)が母の見舞いに横浜からやってこられ、今朝7時21分のつばめ1号で帰られた。いろいろと苦労を経験されており、実に真面目な方である。昨夜話しをしていても父と同類の人を身近に再発見して、励みと喜び、同時に自己の現状に対する焦そう感を強く味わった。毎日コツコツと働いて何が楽しみなのかと思うのは遊び過ぎの俗人の言うことで、ちゃんと書道や歴史に対して強い関心を抱いておられるのである。私も価値観としては真摯を目標としているので大いなる見本である。 叔父はまだ存命だが、わたしにも良くしてくれた。大学生になったときは東京に呼んでもらった。仕事を休んでいろいろなところに連れて行ってもらった。叔父と叔母の都合がつかないときは叔母の妹まで動員してての大歓迎だった。その叔母と川口市の自宅で合ったとき、別れ際にわたしの妻とも握手して涙を流した。それが叔母との最後になった。 |
| 続 猫に小判 [31] 2024/08/24 Sat 10211 昨日 [30] の続き ジョニクロのビンに500円のサントリーレッドを入れていたら、先輩は金を払ってでもいいからグラス一杯だけ飲ませろと迫ってきた。そこで、いかにも仕方がないという顔をして、「ほかの人には秘密ですよ」なんて言ったかどうか記憶にないが、とにかく一杯だけ差し出した。 先輩は嘗めるように琥珀色の液体、いや何分にもサントリーレッド500円也だから、やや赤みがかった感じのする[ ジョニクロ]を口の中で転がしているようだった。「いやあ、ジョニクロはやっぱり違う!」。その予期していた感動の言葉が返ってきたのは当然だった。それを聴いたとき、自分が人を欺いたという事実を前にして、後ろめたさで息苦しくなった。それと同時に吹き出しそうにもなった。ともあれ、その瞬間の気持ちをわが稚拙なる文章力ではお伝えできないもどかしさを感じる。もちろん、そのとき代価はいただかなかったから、先輩の[ジョニクロ体験]はさらに強烈さを増したように見えた。 あれから半世紀、いまごろ先輩はサントリーの[ 山崎]、なんと25年ものは400万円の値札が付いている、なんぞを味わいながら、[ ジョニ黒]を生まれて初めて飲んだときの思い出にひたっておられるだろうか…。 |
| 猫に小判 [30] 2024/08/23Fri 10210 【猫に小判:価値のわからない人に貴重なものを与えてもむだであることのたとえ。猫には小判の値打ちがわからないことから。[ 明鏡国語辞典]】 価値は客観的な要素も含みながら、最終的には主観的評価が行動に影響を及ぼす。英語で《cast pearls before swine:豚に真珠を投げる》《caviar to the general:一般大衆(下々?)にキャビア》キャビアは一般ピープルの口には入るべくもない高級品なのだ。 わたしが学生のころジョニ黒と呼ばれた洋酒があった。スコッチウィスキーのジョニーウォーカー黒ラベルで、もちろん今もある。これはが当時1万円などと言われていた。大学の生協の定食が80円で、学生は月に15,000円あれば十分生活ができる時代である。あるとき、そんな高級酒の空ビンを手に入れたので、500円のサントリーレッドを入れて飾っていた。これを寮の先輩が見つけて「ほんの盃一杯ほどでいいから飲ませろ」と迫ってきた。わたしは「親戚から預かっているだけで、飲むものではない」と突っ張って要求を断った。 ところが、顔を合わせるたびに「盃一杯だけでいい。何ならいくらか払ってもいい」とまで言いだした。 |
| 何でだろう [29] 2024/08/23Fri 10209 どうしてこうも不正や改ざんが行われるのだろう。職場で「こんなことしてはいけませんよね」といった話はでないのだろうか。そうだとして、それはどうしてなのか、また、話が出たにも拘わらずそれが行動の修正につながらない理由は何なのか。その原因は何としても知りたい。 いまどき、不正は論外として、製品の最終的な工程で品質チェックをするのは常識である。それを怠って不良品が世の中に出回れば返品対応でコストがかかる。それならまだしも、買い手に損害が生じれば賠償が必要になる。さらに裁判にでもなれば致命的なダメージにもなり得る。多種の製品を販売していれば、そうしたものに対する信頼まで傷が付く。この時代、あちこちから叩かれれば組織のトップを含めて責任を問われる。第一線で働く人たちのストレスも半端なものでなくなる。ばれなきゃあいいと言う時代ではない。 |
| 自分で決める [28] 2024/08/22 Thu 10208 わたしが実施する[リーダーシップ・トレーニング]は職場で実践する行動を決めて終わる。その際に、決定する行動は3つ以下に限定している。それも、受講者が自分で「実践しよう」と決めたものに絞っている。こちらからリーダーシップに関わる行動をたとえば10個提示して、これをしなさいという発想はとらない。それは、個々の受講者が働いている現場を知らない者の上から目線的な行為である。 受講者は「あなたの研究で大事なことがわかったからといって、勝手にこんな行動をしなさい言われても、わたしにとっては意味がないのよ。何なら、うちの職場に来て実態を見てくださいよ」と言いたくなるに違いない。人が行動を起こすには[ 納得]が必要である。。まずは、「自分で腑に落ちる」ことが行動の変化につながる。 |
| 検察の犯罪 [27] 2024/08/21 Wed 10207 木村拓哉と二宮和也の「検察側の罪人」という映画があった(2018年公開)。その中で、検察官の過激な取り調べの状況を二宮和也が演じていた。一般人には、その真実性を評価できないが、これがまったくのフィクションと言えないことは様々な傍証がある。 厚生労働省課長(当時)村木厚子氏が検察の冤罪で逮捕された。これが最終的には無実となった「事件」があった。村木氏が取り調べを受けた際の状況はきわめて問題だった。これに関する村木氏の情報は完璧に信頼できるものだと誰もが認めるだろう。 検察が村木氏を巻き込んだ犯罪のストーリーをつくり、それに沿った供述を強要したという。このあたりは映画やテレビのドラマそのものである。しかも、「この事件」では検察官がデータを改ざんしていた。ここまで来ると、さすがに前代未聞、空前絶後だと思いたい。しかし、こうした実例を目の当たりにすれば、「これまで同じことは一件もなかったのか」と疑いたくなる。これには検察の立場から反論しにくいだろう。法を守る側の信頼が失われることは国家の存続そのものを危うくする。 |
| バブルの犯人(1) [26] 2024/08/21 Wed 10206 わが国の[経済バブル]とその崩壊は1986年末ごろから1991年初めまでとされている。そもそもは、世界から奇跡と言われた経済復興の中で物価も賃金も上がり続けた。それは田中角栄首相の「日本列島改造論」で頂点に達する。その目玉は、新幹線や高速道路を全国くまなく整備することで列島を改造することにあった。 そうした中で住宅用も含めて土地の価格がうなぎ登りに上昇した。そして、土地を買っておけば必ず値上がりするという[神話]が生まれた。東京などではワンルームマンションを買って住んでいても、数年後には購入額を大きく上回る価格で売れる。それを元手に、より広い部屋の住宅に移るのも日常的な景色だった。いわゆる不動産バブルである。 |
| 愛着と断捨離 [25] 2024/08/20 Tue 10205 昨日 [24] の続き リフォームを機会に書籍をはじめ様々な物を整理してかなり身軽になりました。いつものことですが、[捨てる]行為にはある種の抵抗が伴います。いわゆる[断捨離]が本になったり、それを職業にする人がいたりするのは、モノを[捨てる]ことのむずかしさを象徴しています。わたしの自己評価では[どちらかと言えば捨てる]くらいの位置にいいると思っています。それでもモノを捨てる際にはある種の愛着心が湧いてきます。それまで[あること]すら忘れていたものでも、目の前に出てくると「捨てないで」と言ってくるのです。 こうした[愛着]による抵抗をなくすには、「モノを持たない」ことが何よりの対策です。最初からモノを持たなければ断捨離も無縁になります。すでに後期高齢者ですから、これまでの人生を通して「持ってしまったモノ」が多く、これは取り返しがつきません。これからも、さらに身軽になるようせっせと身辺整理を進めるほかはありません。 |
| リフォームと身辺整理 [24] 2024/08/19 Mon 10204 自宅のリフォームをしました。ただし、ホテルに移動して部屋のレイアウトに手を加える本格的なものではありません。もうそんな年齢でもなくなってきました。まずは風呂とトイレを新しくしようと考えました。ところが、風呂は洗面部分も含めた大がかりなものになるということでトイレだけの交換となりました。それに風呂は家内がしっかりカビの管理などしていますから、かなりきれいな状態を保っています。 それでも壁紙はすべての部屋で張り替えてもらいました。その作業のすごさには声が出ないほどでした。隅から隅まできっちりと、しかも壁紙の貼り合わせ部分もまったくわかりません。とにかくプロの仕事は「さすがプロだ」と言うほかはありません。壁だけでなくフロアも張り替えてもらったのですが、こちらもあっという間に出来上がるのですから見事なものです。 また、これを機会に書籍をはじめ様々な物を廃棄しました。書籍は大学を退職する際に半分程度に整理していました。今回はこれをさらに踏み込みました。大学に入学した1967年に初版で購入した岩波の「資本論」、68年に父母から20歳の誕生祝いで買った平凡社「心理学事典」、76年に義父母からの就職祝いだった「ランダムハウス英和辞典」、そして85年に結婚10周年を記念して父から買ってもらった「広辞苑」も整理しました。後期高齢者にはこうした決断が求められています。 |
| 続 「論語」の本 [23] 2024/08/18 Sun 10203 昨日 [21] の続き [正統派]かつ[学術的]のように思える「論語」の岩波文庫に礼儀正しさと今ひとつ感を抱くわたしに興味深いサイトがある(https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/sikan/215.html)。これは岩波文庫版とは似ても似つかぬ言うべき刺激的内容に満ちあふれている。 たとえば、原文は長いので省略するが、「論語子罕篇(11)」について、「後世の創作。論語でも指折りに愚劣な章。聞いて耳を覆いたくなるようなゴマスリの言葉が、これでもかと続きます。史実ではなく、前漢の儒者のでっち上げです。もう少しましなことを書けなかったのでしょうか」と何とも過激な解説である。 ともあれ、上記のWeb版は、「論語」全体の評価が付いていて、何とも痛快である。ただし、その解説は半端でなく、論語が成立した時代の漢字や下村湖人の日本語訳をはじめ学術的な考察も含まれいて驚嘆する。 これに対して岩波版には「後世の創作」といった解説などはない。とにもかくにも孔子の言行として記載されている。世の中の[権威]は危ういものが少なくない。 |
| 日記の中の母(34) [22] 2024/08/18 Sun 10202 8月11日 [13] の続き 9月15日 土曜 敬老の日、際日である。私の周りには老人と言える人がほとんどいないが、一人だけ超老人がいる。今年89歳になる祖母である。この病院の中にも老人にあたる人が多く入院している。 今にはじまったことではないが、このところ所謂研究の足が止まってしまっている。頭を使うというだけの意味から言えば、本は結構読んでいるのでいいのだが、何といっても仕事、本職である研究がストップしているのは、はなはだ困ることである。そろそろ考えなければならないであろう、本職はやっぱり義務的にでもなさねばならないのである。研究第一である.今日あたりどのような方法でこれからやってゆくのかをしっかりと考えてみよう。当分は少なくとも来月いっぱいまでは小倉との往復を前提として本などの材料も揃えなければなるまい。 大学院生としてちゃんとしなければならないと反省している。母は入院から1ヶ月を過ぎてもできない。そもそも未だに傷口が閉じないままでいる。これほど長引いているのだがら、今なら医師にその事情について説明を求めるところである。しかしこの時代はそうしたことがむずかしい状況だった。 |
| 「論語」の本 [21] 2024/08/17 Sat 10201 岩波文庫「論語」金谷治訳は1963年7月に第1刷が発行され、1999年11月16日改版第1刷、さらに2022年4月26日に第34刷発行とある。孔子の略年表、論語関連の地図、索引を除く本文が401頁になる。カバーの裏には「孔子とその弟子たちの言行を収録したもの」との記述がある。また、はしがきに「孔子をとりまく門人たちのありさまが生き生きと躍動してくる」と書かれている。 論語の冒頭「子曰、学而時習之:子曰わく、学びて時にこれを習う…」は多く日本人が一度は聞いたことがあるだろう。岩波版の注釈に「子曰」の「子」が「男子の美称また通称」で、「ほとんど孔子をさす」と記載されている。 初版から60年も出版されているもので、何と言っても古典の岩波文庫であるから、大いなる権威がありそうだ。その後、1999年3月には改版されている。そのはしがきで金谷氏は「今日もなお好評のうちに版を重ねているのは、悦ばしい」として、その学術的なレベルの高さ等を含めて自らの本を自賛している。それはけっこうなのだが、中身は初心者を念頭に置いたものではない。解説がいかにも不十分なのである。「煩冗をさけた注釈などには、いささかの自負もある」とのことだが、どうなんでしょうね。 |
| 派生効果 [20] 2024/08/16 Fri 10200 これは前世紀の1970年代のことですが、わたしは国内で最大規模の造船所において展開された事故防止のプロジェクトに参加しました。このとき20代前半の身でしたから、末席に加えてもらったのです。そこで4年間、監督者のリーダーシップ・トレーニングと職場における全員参画による集団活動が進められました。それが大いに効果を発揮して事故が激減しました。 それでプロジェクト目的は達せられたのですが、それに加えて当初は予期していなかった様々な効果が派生してきたのです。そのひとつは、自分たちの仕事に対する[誇り]が生まれたことです。また、[職場は自分たちのものだ]という気持ちの高まりも見られました。たとえば、自分たちが担当して作り上げた船のパーツに[これは○○班の作ったものです]という大きなワッペンを作って貼り付ける職場が現れたのです。それは職場に対する誇りだと言うこともできます。これは今日で言う[マイプラント意識]そのものです。 |
| 4人の物語(72) [19] 2024/08/16 Fri 10199 8月9日 [10] の続き このところ、Aが小学2年生のときの夏休みの絵日記をフォローしている。夏休みも最終週を迎えた8月27日は雨だった。 夕がた子どものじかんに「またべえとんちにっき」をききました。おんがくがなると「ここへこい」とかおはなしがはじまります。それからおわりは「みなさんさようなら」といいました。ラジオはとてもおもしろかった。 最後になってラジオを聴いたことがわかる。その日の絵はAがしっかり記憶している大きなダイヤルが付いたラジオが描かれている。このころはテレビなど家庭にあるはずもなく、ラジオが全盛の時代だった。 |
| バス事業者の判断(47) [18] 2024/08/15 Thu 10198 8月11日 [14] の続き 熊本県のバス事業者が交通系ICカード対応をやめてクレジット決済に変える決定に対するわたしの結論は「許容できる」ということです。その理由は前回までで46回にも及ぶ[わたしなりの客観的(?)分析]によるものです。高齢者や子どもたちに関わる懸念もチャージ方式のクレジットカードであれば、機能としてはまったく同じと考えられることから克服可能だと思われます。交通系ICカードはデポジット料が必要ですがチャージ式のものは年会費無料のものが多そうです。 それにしても、カード市場は巨大です。交通系ICカードからクレジット系にすると、それは日本の資本から、VISAやMasterなどの世界資本の傘下に入ることになるのでしょう。地元限定のカードは地元の資本が取り仕切っています。それは熾烈な経済的競争原理が支配していると思われます。コンビニでソフトクリーム1個をカードで買えば、それはそのまま世界経済システムに組み込まれているのです。 |
| 青春時代の読書論 [17] 2024/08/14 Wed 10197 「本を読むことと実践」と題した原稿用紙が出てきました。書いた日の記録はありませんが、20歳前後のものです。 私は本を読んでいる時が一番楽しい。読書の喜びと言うものは、日本の兼好も言っているし、その他世界の人々が喜びとしているものである。机上に本を置いて、その白紙の上に並んでいる記号を追ってゆくのは何にも増して面白いものである。 読書というものは強制であってはならない。読みたい時に読むというのが一番いいと思う。従って読みたくない時には読まなくても良いし、常に読みたいと思っている人は常に読めば良いのである。 私は読書は強制であってはならないと述べた。読みたくない時は読まないでもいいと言った。だか、しかし、本というものは読まなくてもいいものだとは言わなかったし、言えることではない。もっと言うならば、やはり本は読まなければならないのである。「最近は本を読まなくても良くなった」と言う人がある。その理由は一体何であるのか。一つの理由は「読まなくても良くなった」のではなく、本を読むより面白いことが増えたのだと言える。それはテレビや映画、そして最近はボーリングなどという面白くおかしいことがいろいろ出来たからである。もう一つは「本当に読まなくても良くなった」のである。それは、コミュニケーション機関の発達によって 未完 いやはや、ご丁寧に「未完」とまで記して中途半端に終わっています。まあ、本を読むのがこの上なく好きだったことだけは伝わってきますが…。 |
| 安全とコミュニケーション(5) [16] 2024/08/13 Tue 10196 昨日 [15] の続き これまで、「安全とコミュニケーション」について一般論を記したが、新入社員を対象にした研修の際には、以下の3点も加えた。 さらに、上司や先輩の役割にも焦点を合わせると次のようなことも大事になります。 ①新入社員は組織内の安全規則や手順を正しく理解する必要があります。このため、上司や先輩とのコミュニケーションを通じて、安全に関する情報やルールを理解し、共有することが求められます。そして、新入社員が安全に関する情報にアクセスしやすく、疑問や不明点があれば積極的に質問できる関係があれば、安全に関する知識を身につけることが可能になります。 ②新入社員は組織内の文化や風土を理解するために、他のメンバーとのコミュニケーションを通じて組織の価値観や行動規範を学ぶことが求められます。それが安全文化の理解だけでなく、安全を最優先する行動にもつながります。 ③新入社員は組織内での役割や責任を正確に理解し、適切な行動を取るために、コミュニケーションが欠かせません。安全に関する情報や指示が明確に伝達されることで、新入社員は自らの役割や責任を理解し、安全な行動を取ることができます。また、安全に関する問題やリスクに対する理解を深めるために、上司や先輩、仕事仲間とのコミュニケーションを通じて知識や経験を共有することも重要です。 ともあれコミュニケーションは「人間が行動する際の基礎」ですから、「その改善」は終わることがありません。 |
| 安全とコミュニケーション(4) [15] 2024/08/12 Mon 10195 7月30日 [49] の続き ③コミュニケーションは問題解決にも欠かせません。コミュニケーションを通じて、安全に関する問題が積極的に指摘され、改善点が提案されることになります。そして、効果的な対策や改善活動がスムーズに実践されるためには、情報の共有が必要です。全員が安全に関する問題や改善点を自由に提案し、それが組織内で共有されることで、安全性の向上につながります。こうしたとき、職場のリーダーが部下たちと積極的にコミュニケーションを取り、安全に関する問題や改善点に対する取り組みをサポートすることも重要になります。 ④これまで挙げたことを総合すれば、コミュニケーションは組織における安全文化を醸成する上で重要な役割を果たします。オープンで透明性の高いコミュニケーションが行われる組織では、構成員が安全意識を持ち、安全に関する情報を積極的に共有する文化が根付きやすくなります。コミュニケーションが十分でないと、安全に関する情報が隠蔽されたり、問題が放置されたりする可能性が高まります。 |
| バス事業者の判断(46) [14] 2024/08/11 Sun 10194 8月8日 [09] の続き どのカードでも乗客が運賃を払う額にカード会社への上納金(?)が含まれているはずです。その点、現金払いはそのまま全額が事業者に入ります。現金の方が全額を金庫に置くか金融機関に預ける手間はかかりますが、カード会社から吸い上げられることはありません。これを逆の立場から見れば、たとえば交通系ICカードの場合、更新で12億円もの金額を得た上で、バスが走るごとに上納金が継続して確実に入るということです。 そもそもカードはそうしたシステムで運用することで成り立っているのですから、文句は言いますまい。ただ、おそらくこうした方式で相当に儲かっていると勝手ながら推測した上で言いたくなることがあります。それは公共交通を担う事業者に限定して、更新料を低価格にできないかということです。企業も個人も[個々の実力]だけで、世の中に存在し利益を上げているのではありません。そこに社会があり、顧客がいることが前提なのです。ここは[公共]という2文字の重みを受けて善処してもらえないものでしょうかね。 |
| 日記の中の母(33) [13] 2024/08/11 Sun 10193 8月4日 [04] の続き 1973年9月5日 仕事を有していることは人間にとって厳しいものである。一日位おいておこうかと考えたのであるが、とうとう研究所へ行かねばならぬような感じになって行った。悪いことにはその肝心の報告書の最終段階である封筒入れに至って大変なミスが発見された。一部とはいえ根本的にやりかえねばならない事態なのである。確かめることが私の義務であろうから、これは私のミスである。もっとも根本的には□□さんの原稿に誤りがあった結果であるから、私としては安心もした。しかし、いずれにせよいいことではない。 母の病院に通っていたことから、福岡相互銀行の調査結果を1日おいてまとめようと思ったものの、最終のまとめは早いほうがいいと判断した。そこまではよかったが、管理職一人ひとりに手渡すデータを封筒に入れる段階でミスが発見された。そこですべてやり直しになった。もともとの間違いは□□さんの原稿にあったと他人のせいにして少しだけ心を静めようとしている。このときどんなミスが発生したのかは記憶にない。ただ、当時の研究所には、仮に小さなものであっても、そして作業量が相当量になるものであっても、修正等を確実に行うことを当然とする空気があった。 |
| 続 安全あれやこれや [12] 2024/08/10 Sat 10192 昨日 [11] の続き 安全にとって、様々な場面で疑問に思うことの重要性をお伝えしたあとで、次のように続けました。 その範囲と対象を日常の小さなことにまで感受する力が求められます。そこで「どうせたいしたことない」で済ませるか否かが運命の分かれ道でしょう。 もちろん、現実は「小さなことまで気にしている」ような状況ではなく、むしろそんなことまで期待されるから疲弊するとの思いが強まることでしょう。しかし、「小さなことにも気づく」のはプロフェッショナルであることの証でもあります。 そして気づきがあれば、それを誰かに聞く、調べてもらえる環境が大事になります。「そんなつまらないこと、いちいち聞くなよ」といった空気に充ち満ちた集団では、「気づき」も抑圧されて表には出てこなくなります。それは個人ではなく組織全体の力の問題になります。「言いたいことが言える「言ったら聴いてもらえる」度合いが組織力になるはずです。 最近話題のJ事務所は問題のモデルケースと言えます。そして、いまや一組織の問題だけでなく「外圧」なしでは自浄力のない、わが国全体の「集団力」が問われています。 社会全体の問題にまで大風呂敷を広げたところで、本日はおしまいにして、さらに続けましょう。 研修受講者からの質問に対する回答をここで一区切りしている。ただし、これに追加をしていることから、本コラムでもこれをさらに追いかけることにしたい。 |
| 安全あれやこれや [11] 2024/08/09 Fri 10191 リーダーシップと安全文化に関わる研修を受講いただいた方から質問が届いきました 安全に関わる者として様々なアプローチが必要だろうと感じますが、日々の業務に追われてじっくり考える余裕がないというジレンマがあります。これについてのお考え、解決方法があればご教示下さい」 これに対してわたしは次のようにお答えしました。 たとえば、弁護士にしても「すべての法律」「すべての判例」を知っているわけではありません。その時々のケースに応じて、それらを探索しストーリーを組み立てることが仕事になります。一般の国民は、常識的なことは法律を見なくても「わかって行動」しています。そのほかのことは「まるで知らない」と言っていいでしょう。それでも概ねうまくいくのが日常です。ただし、ときおり「これはどうなってるんだろう」「これってしていいのだろうか」といった場面に遭遇することがあります。さらに「ひょっとしてヤバいかも」と思うこともありそうです。ここで重要なことは、そうした疑問に思う力です。安全分野では「問いかける姿勢」として公式化されているものです。 |
| 4人の物語(71) [10] 2024/08/09 Fri 10190 7月25日 [41] の続き このところ、Aが小学2年生の夏休みに書いた絵日記をフォローしている。 けさ8じはんのきしゃでおおいしのくるめのいしばしぶんかせんたーをみに行きました。みんなプールでたのしそうにおよいでいます。ボートをうかしているところでしゃしんをうつしてもらいました。 大石はAの母親の実家があった町だが、現在は久留米市に含まれる。石橋文化センターはブリヂストンタイヤの創業者石橋正二郎が寄贈したものである。当時、プールで遊ぶなど頭に浮かぶことのない時代だった。このときAの妹と撮った写真はAの手元にある。 |
| バス事業者の判断(45) [09] 2024/08/08 Thu 10189 8月4日 [05] の続き これまで見てきたことから、交通系ICカードを使ってきた高齢者と子どもたちがクレジットカードに変わると困るという点だけに絞れば、決定的な問題はないように思えます。もちろん、長年使ってきたものを今から変えるというデメリットはありますが、そこは事業者の立場を理解することも必要ではないでしょうか。 ところで、わたしの手元には交通系ICカードが3枚あります。わたしがこれを使うのは出張時のみですから、1枚ですらそれほど利用していないわけです。このカードにはそれぞれ500円のデポジット料が含まれています。これを回収するためには決められた場所に出かけないといけません。それがけっこう面倒くさいので、そのまま机の中で眠っています。わたしと同じような方が日本国中にはけっこういらっしゃるような気がします。そうなると、使われないカードのデポジット料は[安定資金]になりそうです。それも含めて運用すれば利益が得られます。また、[利子]だって付くわけです。今やコンピュータの時代ですから、使用頻度が年間を通して[0]のカードの枚数など瞬時にわかることでしょう。野次馬としては、その情報を知りたいと思うのですが公開はされているのでしょうか。 |
| 父の短歌 [08] 2024/08/07 Wed 10188 わたしは父が若いころから日記を書いていたことを知って、中学生のころから日記を書いていました。ただし、それは書いたり書かなかったりで継続したものではありません。その後、高校1年生のとき、国語に強かった仲良しのM君が日記を書いているというのに影響されました。はじめのうちはときおり書かない日がありました。それがある日から止まらなくなりました。その日は1964年11月19日です。それから昨日まで、書かなかった日は1日もありません。内容的にはA4ノート1ページぎっしりの日もあります。ただし、「今日は体育祭の練習で疲れてしまった。何も書かずに寝る」といった日もあります。このような一、二文で終わる日は少ないのですが、「それなら連続とは言えない」という方がいらっしゃるかもしれませんね。 ところで、わたしに影響を与えた父の方ですが、その内容は興味深いものです。たとえば、父が18歳だった1935年(昭和10年)の日記は365日短歌で通しています。毎日3~4句ですから、1000以上になります。わたしには短観の評価はできませんが、詠んでみると、あちこちでけっこういけそうな句があります。今から考えると、わたしはこうした粘着質的傾向を引き継いでいるような気がしています。 |
| 続 アドバルーン [07] 2024/08/06 Tue 10187 昨日 [06] の続き 観測気球ということばを聴きます。英語でも[observation balloon]でお互い直訳です。[ 精選版 日本国語大辞典]では、「 ①気象測定などにおいて高空での大気の状態を調査するために上げる気球」と記されていますから、一般人が「そうだよね」とすんなり理解できます。さらに、「 ②軍事上で、敵情の視察や発射した砲弾の着弾状態などを観測するために用いられた気球」もよくわかります。「②」では「用いられた」と過去形になっています。今日では使われていないのでしょう。適地にふんわりバルーンが浮かんでいたらる瞬時に打ち落とされるに決まっています。現在は衛星がそれに取って代わっているに違いありません。 さて、「観測気球」には「③ ( 比喩的に ) 世論や周囲の反応などをさぐるために、わざと流す情報や声明、発表など」。が続いています。わたしとしてはこちらに興味があります。とくに政治家がこれを多用する傾向があります。その際も、わざわざ[観測気球]ではなく[アドバイス[アドバルーン]という表現を選んでいるような印象があります。その方が[観測]という本来の目的が顕わになりますから。 ともあれ、本物の[アドバルーン]はおくとして、とくに政治家や影響力のある組織などから揚げられる[アドバルーン]にはお互い気をつけましょう。 |
| アドバルーン [06] 2024/08/05 Mon 10186 アドバルーン[ad balloon]は広告に使用される気球です。佐賀県はバルーンフェスタで世界に知られるようになりました。そんなことで、[バルーン=気球]はもう常識でしょうか。これに[ad]がつくのですが、これは[adverticing]の頭を2文字取ったもので、[advertise:宣伝広告をする]という動詞の現在分詞です。そこで「アドバルーン」が[広告用気球」となるわけです。 わたしが子どものころはデパートの屋上に「大売り出し」などの[のぼり]を付けた気球が青空をゆらゆら揺れているのを眺めたものでした。その後、バルーンではなく、飛行船様のものが登場して、街の上空をゆっくりと飛んでいることもありました。 ところで、アドバルーンは、「広告用の文字や絵を吊り下げて空中に掲げる軽気球。明治40年(1907)に日本で初めて考案され、大正2年(1913)上空に掲げられたのが実用第1号。広告気球。」(精選版 日本国語大辞典)との記載があります。また、「日本では1913年に化粧品会社(中山太陽堂など)が使用したのが最初とされる」(ウィキペディア)との情報もあります。いずれにしても、広告を目的にした[アドバルーン]は「日本発」らしいのです。 |
| バス事業者の判断(44) [05] 2024/08/04 Sun 10185 昨日 [03] の続き もう40回以上も続けてきた「バス事業者の判断シリーズ」です。そろそろ区切りを付けるころだと思いますが、まだ終われないままでいます。 そもそものスタートは熊本県でバスを運行する複数の事業者が交通系ICカード対応を廃止するというニュースからはじまりました。事業者たちはその代替策としてクレジットカードを使えるようにすることも合わせて発表しました。ここで熊本では議論が沸騰しはじめました。これまで交通系ICカードを使ってきたのに、それが使えなくなるのは大変だというものです。その代替策であるクレジットカードのタッチ決済の評判はまことに芳しくないものでした。とりわけ高齢者と子どもたちにとってクレジットカードは問題だというものです。 事業者としては、システムの更新に交通系ICカードが12億円必要なのに、クレジットカード系では半額の6億円ですむことから、いわゆる「苦渋の選択(?)」をしたのでしょうか。ともあれ、大都市は措くとして、地方の公共交通機関は大半が赤字ベースです。ここで6億円もの差があれば、どちらかにしようと考えるのはよくわかりますよね。 |
| 日記の中の母(32) [04] 2024/08/04 Sun 10184 7月28日 [31] の続き 1973年9月4日火曜日 研究所で一仕事をして帰ってきた。福岡相互銀行のPMサーベイの報告書作りをした。グループ数が多くてなかなか大変である。サーベイは労の大きい仕事だ。今週いっぱいで仕上げる必要がある。こうした状況を考えるにつけても、結果論としてはトレーニングを断っておいてよかったような気がしている。しっかり毎日を送ってゆこう。前途多難であるが、意志を強く自分に負けずに頑張ろう。 この当時は大学院生と集団力学研究所研究員と二足の草鞋を履いていた。主として企業組織から、管理職のリーダーシップと部下のもモラール(意欲・満足度)やチームワークなどについて調査の依頼があり、その分析を担当していた。福岡相互銀行は懐かしい名前だが、本店と東京や大阪を含む全支店での調査だったから膨大なデータ分析が必要だった。調査計画から実施、そして報告までを行うのである。まさに、重責を与えられていたわけで、末尾に[前途多難」と記しているのは、こうした分析と「母の入院」が重なっていたことによるのだと推測する。 |
| バス事業者の判断(43) [03] 2024/08/03 Sat 10183 7月30日 [48] の続き ところで、クレジットカード系にも細かい手続きが不要で、しかも事前にチャージするものがあります。わたしはその詳細な情報を持っていませんから、デメリットもあるでしょうが、ネットでは[小学生でもOK]とアピールしています。つまりは、元中学校の先生がご指摘の、生徒たちにとって「後払い(借金)は適していない。保護者がチャージしてくれた範囲の中で工夫して消費する」点では交通系ICカードとまったく同じように対応できるというわけです。これは、高齢者がクレジットカードを使うことを懸念される方々にとっても朗報と言えるかもしれませんね。 そんなことを考えながら、数日前ですが、わたしは熊本の市電に乗って、クレジットカードによるタッチ決済にトライしました。ワクワク、いやドキドキしながら降車時にカードを読み取り機にかざしたわけです。すると、じつに快適な音がしてスムーズに支払い完了となりました。その際の時間にストレスを感じることはまったくありませんでしたよ。 |
| 真夏のサービスエリア [02] 2024/08/02 Fri 10182 写真は九州自動車道の山江サービスエリアです。八月の真っ青な空に夏の雲が浮かんでいます。木々も深い緑でこちらを取り囲みます。鹿児島を指し示す矢印の看板は、逆光のためでしょうか、緑色が枯れて見えます。あるいは気のせいかもしれません。ほんの少し走ると人吉インターになります。 わたしが熊本に来てから今年で45年目になりますが、人吉での仕事がそこそこあって、少なくとも昨年までは毎年ように出かけていました。当初は高速が人吉までつながっておらず、球磨川に添った国道219号線をしっかり走っていたものです。その後、高速が全線開通してからは国道は通らなくなりました。さて、人吉からの帰りの定番はこの山江サービスリアで名産の栗を使った[くりソフトクリーム]を味わうことです。これをゆっくり楽しんでから、[栗まんじゅう]を土産にするのがいつものパターンでした。 |
| 歩いて渡れる島 [01] 2024/08/01 Thu 10181 写真の1枚は、熊本県の天草にある[亀島]という名前の無人島です。ただし[島]といっても手前の砂浜から陸続きのように見えます。そもそもは海水浴場から400mほど離れた海の中に浮かんでいますから、誰も文句を言わないりっぱな[島]なのです。ところが、そこはわが国で最も干満の差が大きな有明海のことです。佐賀県あたりでは6mもの差が出るというのですから、一時的に島が陸続きになる道理です。そんなわけで、潮が引いてくるとともに渡り廊下が見えはじめるわけです。そこで今がチャンスと島に渡るのはいいとして、潮が満ちてくれば無人島に取り残されてしまいます。フランスには海に浮かぶ世界遺産のお城があるようですが、[亀島]もなかなかのものですよ。 |