味な話の素  No.252 2024年05月号(10001-10060) Since 2003/04/29
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天に昇って、世に憚る [60] 2024/05/31 Fri 10060
 今月も「アッ」という間に走り去って行きます。本コラムをスタートさせて21年、5月は[No. 10001回]からはじまりました。トータル10000回に達したことについて、数人の方からお祝いのメールをいただきました。ありがたいことです。
 その中には、「私のサラリーマン人生、先生の講演・研修でのお話と『味な話の素』により、これまでサラリーマンを続けてくることができました。感謝感謝で一杯です」と記されているものがありました。これはビッグバン級の[買いかぶり]的評価です。そう思いながらも、わたしとしては、「ありがとうございます」では表現できない「ありがたさ」を体感しました。
 今年末には定年を迎えられ、完全リタイアを考えていらっしゃったのですが、ここで70歳までサラリーマンを続けることにされたとのことです。そこで、わたしにも「あと5年は『味な話の素』をお願い致します」とのご依頼を受けました。毎朝6時30分の電車に乗られ、「『味な話の素』で元気をもらって出社しております」と記されていました。メールは「そんな勝手な理由ですが、『味な話の素』、これからも楽しみにしておりますので、末永く継続願います」で締められていました。
 世の中では、「豚もおだてりゃ木に登る」と言いますが、「吉田はおだてりゃ天にも昇り続ける」のです。おかげさまで、現時点では元気いっぱい、腕立て伏せも20回は平気になりました。もう少し世に憚るつもりです。
バス事業者の判断(1) [59] 2024/05/30 Thu 10059
 今週初めに、熊本でバスを走らせる5つの事業者が交通系カードを更新しないというニュースが流れました。その理由は更新にかかる費用が12億円に上ることです。これは赤字経営が続く会社にとって大きな負担です。ただし、「その代わりにクレジットカード決済に対応する」ことも伝えられました。こちらを選択すると6億円で済むといいますから、負担は半額になります。
 このニュース、わたしは入浴中に地元局のラジオ放送でで知りました。皆さまもお察しだと思いますが、いつでもどこでもじっとしておれない性分です。そんなわけで、わが[入浴ラジオの聴取]は50年を超える歴史を背負っているのです。
認知的不協和理論(7) [58] 2024/05/30 Thu 10058 5月28日 [55] の続き
 「喫煙=肺がん説」に対して、「タバコを吸っていても長生きする人はいくらでもいる」と言いながら、「肺がん説」を否定する人もいました。それだけではありません。世の中にはタバコを吸っていないのに肺がんで亡くなる人もいます。そうした[事実]は喫煙者が[不協和]を解消するために大いに役立ったことは言うまでもありません。とにもかくにも、わたしたちは「自分の都合に寄り添う[事実]を受け入れる」傾向があります。それは必ずしもマイナスに働くだけではありません。そもそも[ものの見方を変える]ことは、それまでの行動を振り返り、新たに前向きに生きていくための[力]になります。
看護師から患者へ [57] 2024/05/29 Wed 10057 5月21日 [41] の続き
 本コラムの2005年4月10日に、わたしは看護師の話題を取り上げています。その前日には看護師の勉強好きなどを強調していました。この日は「しかし、それでも看護師に文句を言いたくなる体験をされた方もいるだろう」と書き始めます。そして、「看護師も人間だから、『いろいろ』」で、「もっと勉強していただかねばならない人だっている」と続けています。ただし、「それはどの世界でも同じこと」で、「教員仲間にも、『信じられないこと』『とんでもないこと』をする者がいる」と、教師がらみの不祥事にも言及しています。
 それから19年が経過しましたが、「人間は学ばない、変わらないものである」ことを実感させられます。さて、その日は「それはともあれ、看護師にばかり要求するのは酷というものだ。患者だって、『信じられない』人がいるに違いない。看護師が頭に来たり、カチンと来る患者もけっこういるだろう」と、一転して患者側に目を向けています。
J事件の分析と考察(42) [56] 2024/05/29 Wed 10056 5月22日 [42] の続き
 BBCの記者は、J事務所の幹部に会いたいと食い下がるが、受付フロアに出てきた[カイさん]と記者から呼ばれる外国人の担当者は、「すでにそちらには回答しているはずです」と言い、「これ以上のやり取りは担当者を通じてお願いします」を繰り返す。これに対して、記者は「若い少年たちがJ氏に暴行されたと言っている」と、こちらも引く気配を見せない。
 そのとき[カイ氏]は撮影に気づいた様子を見せてカメラを指し、「この場所は私有地で、撮影は許可されていない」と指摘する。そのため、カメラはそのままインタビューの声を記録しながら、事務所の入り口から外に出て会話の記録は途絶える。 
認知的不協和理論(6) [55] 2024/05/28 Tue 10055 5月26日 [51] の続き
 自分が「喫煙」できなければ、「喫煙=肺がん説」は大きな不協和をもたらします。しかし、それは「肺がん説」が正しいことを前提にしています。それが信頼できないものであれば、「喫煙」と「肺がん」の関係は一気に解消します。いまから半世紀以上も前に「喫煙=肺がん説」が登場したとき、喫煙家の多くから、その信頼性に対する疑問の声が聞こえてきました。そして、タバコを吸っていない人も含めて、世の中には「因果関係はまだはっきりしない」という空気が支配していました。何と言ってもタバコは身近なもので、成人男性の7割が口にし、女性には「歩くアクセサリー」とPRされていたのです。
これまで見たことのない角度[54] 2024/05/28 Tue 10054
 日本航空でトラブルが続いたことから、国土交通相が社長を呼び出して厳重注意をした。とのときの様子がニュースで流された。国交省の担当者から鳥取社長が深々と頭を下げて受け取っていた。監督官庁が、問題を起こした民間組織に注意勧告する様子はしばしば報道される。そうした中でも、今回はこれまで見たことのない頭の下げ様だった。
 社長は客室乗務員出身だから、いわゆる接遇における挨拶時の角度なども十分に弁えていることは十分にわかる。もちろん、トラブルが発生した組織のトップとして、心から反省し、今後に備える意志と姿勢を伝えることは当然である。しかし、映像を見たわたしは、「あの角度にまで頭を下げる必要があるのだろうか」と考え込んでしまった。まるで土下座の一歩手前のように見えたからである。あの状況を、仕事にしっかり取り組んでいる多くの社員たちはどう受け止めただろうか。それが卑屈な気持ちにつながらなければいいのだが…。
記録ずくめ[53] 2024/05/27 Mon 10053
 大相撲5月場所(夏場所)は新小結大の里が初優勝を飾りました。先場所は尊富士が新入幕で優勝しています。こちらは110年ぶりのことだと大騒ぎでした。今回の大の里の優勝も、初土俵から7場所で、これは史上最速なのだそうです。また、新三役が優勝したのは安念山以来67年ぶりだということで、まさに記録ずくめの快挙です。
 テレビで安念山が房錦に勝った1957年5月場所の取り組みのシーンが流されました。わたしが小学生のときは野球よりも相撲の人気の方が高かったように思います。そして、安念山はもちろん、対戦相手の房錦もしっかり記憶しています。自分が後期高齢者であることを実感します。
現場の声 [52] 2024/05/27 Mon 10052 5月20日 [38] の続き
 「84.□□□□に一人で行くことがある」「85.□□□作業を一人でする者がいる」「86.□□□を一人で持っていることがある」「87.人手不足で一人で□□することがある」ここは「一人」のオンパレードである。
 本来は複数で行うべきことが守られていない現状がある。また、ルール化されているか否かは未確認だが、「88.単独作業が目立ち、大事故につながる芽がある」との声もある。その主要な要因として、今日では「人手不足」がくるのだろう。そして、「一人」であっても深刻な事故の「発生確率」は低いと思われる。しかし、[安全]に対しては、「確率よりも確実」を最優先する必要がある。
認知的不協和理論(5) [51] 2024/05/26 Sun 10051 昨日 [49] の続き
 そもそも「喫煙と肺がん」の関係が世の中の話題になったのは1960年代のことだったと記憶しています。英国の健康に関わる王立の研究所が両者の因果関係を指摘したことが印象に残っています。わたしが高校生のころだったのではないでしょうか。
 その当時、日本では成人男性の7割がタバコを吸っていると言われていました。また、女性がタバコを手にしている写真と共に、「タバコは動くアクセサリー」というキャッチコピーがありました。女優を起用したもので、小学生のわたしは「アクセサリー」という言葉をこれで知ったのではないかと思います。父はタバコを吸いませんでしたが、圧倒的少数派でした。
日記の中の母(23) [50] 2024/05/26 Sun 10050 5月19日 [36] の続き
 8月24日 金曜日 朝大学に行って国鉄の定期の証明書をもらった。また奨学生手帳を持っていなかったのであるが、第一勧業銀行で学生証を見せて、奨学金をもらって、そのまま預金をしてきた。今月はお金が全くいらない。奨学金をもらったので今日はKに帰ってきた。国鉄の定期の安いこと。片道280円の博多・小倉間が1ヶ月2,260円であった。これはこの線を4回往復する料金にしかならない。今日は□□(妹)と病院に泊まることになる。(pm 8:20 病院ロビーにて)
 それまで、西鉄市内電車で室見橋から九大中門まで定期で通っていた。母の入院で、病院と実家のある小倉からの[通学]の方が日常的になった。そこで、学生係に事情を伝えて、学生証の住所を小倉に書き換えてもらって国鉄の通学定期を購入したのである。まだ7日の手術から3週間にもならないが、退院までの行程が懸念される状況になっていた。なお、これまでKと記していたのは小倉のことである。
認知的不協和理論(4) [49] 2024/05/25 Sat 10049 昨日 [47] の続き
 人間は様々な習慣を身に付けることで、安定した生活を生涯に亘って送ることができます。その一方で、健康を害する困った習慣もあります。そして、それを変えるのが困難なことは誰もが実感していますよね。やれやれ、「喫煙と肺がん」の話に夢中になって、「認知的不協和理論」が後ろに引っ込んでしまいました。ここでは、禁煙がどうしてもうまくいかない人の話にまで戻りましょう。
 ともあれ、「喫煙している事実」と「肺がんになる可能性が高い事実」は協和しません。それでもから、タバコを止めることができなければ、どうすればいいでしょう。そのためには、「喫煙が肺がんを引き起こす」という[事実]を認めなければいいのです。まずは、「喫煙・肺がん説」の正しさを疑うのです。
自由律俳句 [48] 2024/05/25 Sat 10048 昨日 [44] の続き
 そもそも俳諧や俳句を理解していないから、[自由律俳句]の論評などできるはずもない。ただ、[五七五]の枠だけでなく、[季語]もいらないと聞けば相当に安心する。その時々で思ったことを一文に、あるいは一言、二言で表現すればいいだけなんだと、素人は[誤解(?)]するのである。
 わたしの一句、「雨の朝、カラスがカアカア鳴きながら飛んでいる」などはいかがだろうか。尾﨑放哉の「とんぼが淋しい机にとまりに来てくれた」の方がはるかに優れているとは思うが、どう優れているかわからないのが素人である。山頭火から「涸れきつた川を渡る」と言われれば、「名作なんだろう」と思ってしまう。
認知的不協和理論(3) [47] 2024/05/24 Fri 10047 昨日 [45] の続き
 自分の「喫煙と肺がん」の密接な関係を断ち切るためには、[禁煙]が最高の解決策ですが、それが「困難」あるいは「不可能」だと認識した場合はどうなるでしょうか。
 わたしたちは、一度習慣化した行動を変えることのむずかしさを知っています。とくに、ニコチンやアルコールなどは脳の神経細胞に直接作用する物質を含んでいますから、行動を制御する司令塔を変化させるのです。そして、これを断とうとすると、禁断症状が伴います。こうした薬物的なもの以外にも、ギャンブルにのめり込んで、本人の心身に悪影響をおよぼすだけでなく、家族を含めた周りの人たちを困らせる悲劇には事欠きません。
 さらに近年では[ネット依存]が大きな社会問題になってきました。これは長時間ネットの検索に没頭するだけでなく、そこでギャンブルにはまれば、二重依存と言うべきでしょう。ギャンブルやネットは薬物ではありませんが、これらも大脳の一部に変化を起こすようです。
4人の物語(64) [46] 2024/05/24 Fri 10046 5月17日 [32] の続き
 Aが小学2年生だった1956年の夏休みに書いた絵日記がある。その7月30日月曜日に「夜おねえちゃんとおじいちゃんと3人ではき(杷木)町の花火たいかいを見に行きました。花のような花火やヤクルトとかいたしかけ花火が上がりました」とある。翌日31日には「朝7じはんのきしゃでしゃかだけ(釈迦岳)トンネルをとおってかえってきました。おみやげをたくさんもらってきました。そしてかえってみたら、うちのひまわりの花がさいていました」と続いている。
 先月19日、母親の実家に行く際に列車に飛び乗った[事件]の記憶を取り上げた。それが「このとき」のことだった可能性がある。ところで、ここに記した[杷木町]は合併して現在福岡県の朝倉市になっている。Aはこの花火を祖父の家から歩いて見に行ったことを憶えている。また、別の日にエノケンと呼ばれた榎本健一主演の映画を観た記憶もある。[釈迦岳]は大分県日田市と福岡県八女市の境界にある。
認知的不協和理論(2) [45] 2024/05/23 Thu 10045 昨日 [43] の続き
 「タバコを吸っている」という[行動]と「喫煙は肺がんを引き起こす」という[情報]は、喫煙者にとって心地いいものではありません。このとき両者は[不協和]な状態にあるわけです。ここで、「人間は[不協和]は不快をもたらすことから、これを解消しようとする」との仮説を立てます。まずはこれを前提として受け入れた場合、どうしたら[不協和]が解消されるかを考えることになります。もっとも単純かつ強力な方法は「禁煙する」ことです。これで、「喫煙が肺がんの原因になる」という説が正しいとしても、あっという間に他人事になるのです。しかし、タバコを止めるのは容易ではありません。
尾﨑と山頭火 [44] 2024/05/23 Thu 10044
 「いつしかついて来た犬と浜辺に居る」「山に登れば淋しい村がみんな見える」花火があがる空の方が町だよ」
 「ひとりで蚊にくはれてゐる」「また見ることもない山が遠ざかる」「どうしようもないわたしが歩いてゐる」
 これは自由律俳句と呼ばれるもので、前の三句は尾﨑放哉、後の三つが種田山頭火の作品である。尾﨑は1885年から1926年、種田は1882年から1940年の生涯だから、同時代人である。後者は[山頭火]と呼ばれることが多い。彼は酒を好み、放浪の旅をしながら句を作ったことで知られている。一方の尾﨑は健康に恵まれなかったようだ。いずれにしても、「自由律俳句」なるものは興味深い。
認知的不協和理論(1) [43] 2024/05/22 Wed 10043
 わたしが仕事をしている領域に「認知的不協和理論」と呼ばれるものがあります。これを提唱したのはレオン・フェスティンガー(Festinger, L.)です。人間は自分の行動や事実に対する認識などが一貫していることで心が安定します。たとえば、タバコを吸っている人が「喫煙していると肺がんになるリスクが高くなる」と言われれば、不安になるでしょう。つまり、自分自身の「喫煙行動」と「肺がん情報」が「不協和の状態」にあるわけです。一般的に、「自分の行動で問題が生じる」となれば、落ち着いた生活ができません。そこで、わたしたちは[不協和状態]を何とかして解消したいと考えることになります。
J事件の分析と考察(41) [42] 2024/05/22 Wed 10042 5月15日 [28] の続き
 BBCの番組は52分ほどだが、46分になって、記者は[J事務所]を訪れる。それまで事務所に対して「再三の電話にメール、そして正式で丁寧なアプローチを散々試してきた」が、「疑惑について答えようとしていない」のである。そこで社長に直接会おうと事務所に出かける。まずは受付で、まずは「撮影されているのは困る」と言われる。そこでカメラを落として画面上は真っ暗になるが、「だれかが対応してくれるのを待つ」といった声は聞こえる。
 それから少ししてからと思われるが、1階フロアに一人の外国人が現れる。形式的な挨拶の後、「すでにそちらには回答しているはずです」との答が返ってくる。そして、「今後のやり取りはすべて返事をした担当者と行ってください」と続ける。これに「実際は何の回答ももらっていない」と反論すると、「すでに回答しています」と繰り返す。記者は、「疑惑について答えたくないという返事をもらっています」と食い下がる。
自己満足かつ自慢話 [41] 2024/05/21 Tue 10041
 ある人から「年寄りの話は自己満足か自慢話のどちらかだ」と言われたことがあります。わたしの[味な話の素」に対するものではなかったのですが、そのとき「おっしゃるとおりですね」とすんなり納得しました。わたしも、本コラムのほとんどが[自己満足かつ自慢話]に充ち満ちていることを自覚していたからです。そして、今日もそんなネタ話ですから、スキップされた方がいいかもしれませんよ。えっ、「そんなことしていたら全部パスじゃないか」ですって!いやはや申し訳ございません。そう言いながら、厚かましくも[その手のお話]を取り上げることにします。
 新年度に入ってすぐに、NHKの[日曜討論]で、厚生労働大臣も出席して、医療と健康保健制度をとりあげていました。その中で、[かかり付け医師]についての話になりました。このとき、ある出席者が、患者が大きな病院に行きたがる傾向を取り上げ、こうした状況を変えるには、患者の態度や行動について検討することを目的にした「[患者学]が必要ではないか」といった主旨の意見を述べていました。
 わたしは、この[患者学]という用語に瞬間的に反応しました。それは、自分が[味な話の素]で、その必要性を訴えていたからです。そこで、[患者学]を取り上げた日を探したところ、「[患者学]のすすめ」のタイトルが見つかりました。それは、2005年4月10日、19年以上も前のことです。まだ726回目、1000回にも達していません。
下宿は一畳が1000円 [40] 2024/05/21 Tue 10040 5月11日 [20] の続き
 高校2年生のとき父親が長崎に転勤になり、わたしは転校せずに福岡で生活することにした。そこで生活していた香椎で下宿を探し、7月11日には入居を決めていた。家族の引越は9月だったが、その間、父は帰ってくるたびに、長崎の高校へ転校することを勧めた。わたしは今の高校で卒業したいと言い続けた。そして9月5日の日記には、「来週の12日には下宿へ移る予定」と書いている。そんな状況で、父が所属する組織の子弟寮の話をもってきたのが10日である。その日は「もう3日早ければ3500円払わずに済んだ」と記している。当時、下宿の相場は1畳が1,000円ほどで、香椎の下宿は四畳半だった。
メガネ、フィルター、顕微鏡、望遠鏡(7) [39] 2024/05/20 Mon 10039 5月7日 [12] の続き
 そもそも網膜を構成する細胞から、その光信号を認識する大脳の視覚野にある細胞も、個々人で同じでない、つまりは異なっているのである。したがって、われわれが「同じものから発信される同じ光信号」を受け取っても、それがすべての人間で違っているのは自然科学的事実なのである。それに加えて、1人ひとりが固有な経験や生きてきた背景、置かれている状況、そして、それらに影響を受けた感情が同じでないのは当然のことである。
現場の声 [38] 2024/05/20 Mon 10038 5月13 [24] の続き
 「81.□□□□、□□□□の癖が抜けない」「82.□□に□□する癖が抜けない」
 いずれも伏せ字部分には組織が特定される[行動]が記されている。第三者としては「こんなこともあるのか」と驚く問題行動である。そして、「よくぞここまで言ってもらえた」という驚きも加わる。それが第三者効果なのである。こうした声を聴きいたとき、組織としてはどのような対応を取るのだろうか。おそらく、関連部署の長を集めて[指導する]よう指示を出したり、文書で伝達したりすると思われる。それでこうした問題行動がなくなればいい。しかし、それだけで効果が期待できないことは、現実を見れば明らかである。
自己言及のパラドックス [37] 2024/05/19 Sun 10037
 [自己言及のパラドックス]と呼ばれる[逆説のお話]があります。ある人が「自分は嘘つきだ」と言った場合、その[言]が正しければ、「嘘つきという」事実そのものが「嘘」になるというわけです。この話、そこそこ笑えますよね。
 それはそうとして、現在の科学水準では、大脳の中身まではわかりません。つまりは、それが[嘘]なのか[本当]なのかを判定することはできないのです。ただし、世の中で起きる事象には発生確率があり、それが100%のことはほぼありません。そこで、その人に「あなたが嘘を言うのはどのくらいの割合ですか」と聴いてみるのも面白いですね。
 もっとも、「自分の発言は10回に3回は嘘だ」と、その確率を明示されたとしても、そのときの発言が「嘘」であるか否かはわかりません。そもそも確率はどんなに小さくても、[確実]に起きる[率]なのです。ただし、その人が「それは100%だよ」と答えたときは、[ほぼ100%嘘]だと考えたいですよね。
日記の中の母(22) [36] 2024/05/19 Sun 10036 5月12日 [22] の続き
 8月23日 木曜日 Fの叔母さんと□□(妹)が病院にやってきて、私は□□(自宅)に帰る。今日はゆっくりとねむるつもりである。明日と明後日は博多で、研究所に行くことになっている。昼間から寝るつもりだったが、そうもいかなかった。
 日記は、淡々とした事実を記載するだけで終わっている。父の兄弟が同じ市に住んでおり、2人の伯母と叔母が病院の付き添いでサポートしてくれた。妹は福岡の大学に在籍中で、わたしと同じように通っていた。いまから50年以上前のことで、病院に空調設備があったかどうか、はっきりとした記憶はない。もちろん、個人の住居に空調などは考えられない時代である。
「道」の記憶 [35 ] 2024/05/18 Sat 10035
 熊本から荒尾まで走った。若いころは、この道をけっこう往き来していた。荒尾にある病院の研修で何回か通った。熊本に来て間もなく、諫早の少年自然の家の効果を検討するプロジェクトに参加した。そのときは荒尾の手前にある長洲のフェリーを使った。もう40年以上前のことである。
 玉名の市街地を避けるバイパスを通ったが、当初はこの道路ができておらず、パナソニックの工場の横を走ったが、あれはいまもあるのだろうか。さらに、国鉄時代の玉名駅周辺のイメージも目の前に顕れる。そして、この先の右側に学校がある、坂を降りた先の左側には警察署がある、この坂の上の左側には梨を売りにした果物屋があったなどと独り言を楽しみながら走った。
 そして、いまや後期高齢者である。そろそろ免許返納も日程に上がってきたから、「もうこの道を走ることはないだろう」といった思いも浮かぶ。それにしても道の記憶というものはけっこうしっかりしているものだ。
「変わるもの」と「変わらないもの」 [34 ] 2024/05/18 SSat 10034
 人間の歴史の中で、「変わるもの」があり、「変わらないものが」ある。あるいは「変わるべきもの」と「変えるべきでないもの」もある。さらに、「変わってほしいもの」「変わってほしくないもの」もある。ここで、「べき」と「ほしい」が付く後ろの二つは、その背景に、発言者の価値観が存在している。したがって、それは絶対ではなく相対的なものになる。その点、「変わるもの」と「変わらないもの」は、客観的で絶対的な意味合いをもっている。ただし、相対性理論がわからなくても、この宇宙に真の絶対はなさそうだ。それに、「変わる」「変わらない」にしても、全員が一致してそう判断するというものなどあり得ない。
高校生たちへの話 [33] 2024/05/17 Fri 10033
 きょうは、県内の高校で話をする。現役時代は学生に講義をし、ときおり声がかかって学校に出かけていた。その多くは中学校だったが、小学校や高校で話をすることもあった。あるとき、小学校の1年生から6年生までの全校生徒に対する話を頼まれた。このときは保護者も一緒だったが、発達段階のことなる子どもたちに同じスライでストーリーを展開するのはきわめて難しかった。この小学校では翌年も同じ主旨で講演の依頼があったが、その際は対象を高学年に絞ってもらった。
 それでも、高校生を含めた児童生徒たちに話を聴いてもらうのは楽しい。今日は午後から50分ほどの予定である。昨年、青少年育成に関わる熊本県の講演がきっかけで校長先生からお誘いがあった。いつものように、張り切りすぎて2時間分ほどの資料を送ってしまった。さあて、どの話題を選びましょうかね。
4人の物語(63) [32] 2024/05/17 Fri 10032 5月10日 [18] の続き
 AはF県のY町で生まれたが、父親が仕事でY市に移り、就学前はそこで過ごした。さらに小学校に入学する前の年に、父親はもう一つのY市に転勤になった。それから小学校4年生の夏、今度はS県のI市に引っ越すことになる。自分が生まれたY町の記憶はないが、すでに3つの町で過ごしたのである。
 この物語、タイトルの「4人」はAの両親とA自身、それに妹の4人を指しているのではない。それが誰なのかが判明するのは、まだ相当先になる。著者の年齢を考えると、そこまで辿り着くことができない可能性もある。ともあれ、内容は措くとして、ボリュームだけは大長編になることは疑いない。
 閑話休題。Aが二番目のY市で小学生だったころ、夏になると近くのお店に氷を買いに行ったことだけが記憶に残っている。当時でも夏は暑かったから氷が重宝した。ただし、電気冷蔵庫なるものはどこにもなかった。だから、それをどのように使っていたのかは不明のままだ。
いたちごっこ [31 ] 2024/05/16 Thu 10031
 AIによる文書や図版等の作成ができるようになったかと思うと、これまで保守的だと考えられてきた公的機関もこれを活用するという時代である。これで論文や作文も容易にできるとなると、大学のレポート評価の妥当性も問題になる。子どもたちが投稿する作文コンテストの評価も同じ状況が生まれる。そこで、[AIで作成したものか否かをAIで判定するソフト」が開発されたという。
 これを聞いて、「そうなると、[AIで作成したか否かを判定するソフト]にひっかからない[ソフト]がすぐに出てくるのは間違いない」と苦笑した。かくして人類は際限のない[イタチごっこ]の罠にはまり続けるのである。
教師に対する研修の感想(17) [30] 2024/05/16 Thu 10030 5月9日 [16] の続き
 たくさんの宝物をいただきました。吉田先生の笑顔とお話しからパワーをいただき、いつも「明日から頑張ろう!」という力が不思議と湧いてきました。コミュニケーション力、本当に大切です。そして自分自身の心ともコミュニケーションがとれる様、小さな工夫をしていきたいと思います。本当にありがとうございました。(小学校教諭 女性)
 自分の働きけがささやかなりとも「明日から頑張ろう」という気持ちにつながったとすればありがたいことである。それが、またわたしのやる気の源泉になる。その心情が一時的なものであってもいい。人間は繰り返し様々な影響を受け続けていくことで成長するのである。
ノーベル賞もどき? [29] 2024/05/15 Wed 10029
 三菱重工業長崎造船所における「全員参画による安全運動」の展開によって4年間で事故が激減した。それは1970年当初のプロジェクトだが、この成果を含めて三隅先生はグループダイナミックスの創始者を記念する[レビン賞]を受賞された。
 ときおり、マスコミで「◯◯界のノーベル賞」の受賞を伝える記事が掲載される。その呼称はマスコミが決めるというよりも、関係者の方から「これはこの世界におけるノーベル賞と言われているんですよ」などと伝えるのだろう。三隅先生の[レビン賞]受賞が報道されたとき、現物を保存していないが、「社会心理学におけるノーベル賞」といった感じの見出しが躍った。このときも、取材の際に誰かがそんな言い方をしたのだろう。それがわたしでないことだけ以外、真実はわからない。そのあたりの経緯は措くとして、[レビン賞]はりっぱな賞であり、わざわざ[○○のノーベル賞]などと言って権威付ける必要などないのである。
J事件の分析と考察(40) [28] 2024/05/15 Wed 10028 5月8日 [14] の続き
 インタビューに応えた[元Jメンバー]は23歳、ホストクラブで成功しているように見える。彼はJ氏の行為について、「それで売れるのだから、どっちもどっち」といった言い回しで淡々と語る。これを受けて、BBCの記者はここでも困惑の表情を浮かべる。そして、「いま成功できて有名になれるなら、そうした行為を受け入れると思うか」と問いかける。これに対して[元Jメンバー]は、おそらく即座にかつ迷うことなく「受け入れる思いますね」と答える。
 記者はそれまで複数の[元Jメンバー]から聴き取りをしていたが、「これほど正直にJ氏の行為を認める発言を聞くのは初めてのような気がする。そして、正直に話してくれたことがありがたい」とまとめる。その上で、「彼はJ氏から搾取されなかったが、それがあれば有名になったのかもしれないと思うと悲しい」と心情を吐露する。複数の関係者の誰一人として、J氏を非難する声を発しなかったことになる。
校長の逮捕 [27] 2024/05/14 Tue 10027
 昨日、熊本の県立高校の校長が酒気帯び運転をした疑いで現行犯逮捕された。飲酒運転と伝えた報道もある。ともあれ、午前4時ころに、パトロール中のパトカーが信号待ちで隣に並んだ車で顔をそらすなどしたことから警官が職務質問をした。その結果、呼気から基準値の約1.5倍のアルコールが検出された。
 本人は「酒を飲んだが、まだアルコールが体に残っているとは思わなかった」と話しているという。アルコール検知器が誤作動していたことが証明されない限り、酒気帯びあるいは飲酒運転となるのが世の中の約束である。その際に[体に残っているとは思わなかった]といった本人の主観的な認識が考慮の対象にならないのも常識である。それにしても、リスクに対する意識が希薄で、組織の管理職としての資質が疑われる。現実に事故を起こしていないから、この事実だけで直ちに懲戒免職とはならないだろうが、まだ56歳、アルコールが身を滅ぼす典型的なケースである。
権威への挑戦 [26] 2024/05/14 Tue 10026
 大相撲夏場所の初日、横綱照ノ富士と4人の大関が全員負けた。これが初日に起きたのは昭和以降の歴史ではじめてだという。前例としては、2006年秋場所の6日目に、[横綱・大関全敗]の記録がある。このときは、横綱が朝青龍で、大関は白鵬・魁皇・千代大海・琴欧洲・栃東の6人で、大関が一人多いから、このときも大騒ぎだったのだろう。大関が大関らしくない、というよりも頼りない、情けないという状況は今にはじまったことではない。そんなことで、初日全敗も「やれやれ」程度の慨嘆をする。
 しかし、ものは考えようである。こうした事態が発生するのは、いわゆる[権威]と呼ばれるものが、じつは相当に危ういことを実証しているのである。そして、まだ髷も十分に結えない力士を含めた若者たちが、既成の権威なるものを吹き飛ばしているわかだ。しかも、それはコネといったアンフェアなものではなく、完璧に実力によるものである。若者よ、立ち上がれ!
企業の生命力? [25] 2024/05/13 Mon 10025 5月5日 [08] の続き
 今年2月15日に「ルネサス、米半導体ソフト開発会社を買収 9000億円」の見出しの記事に遭遇しました(日経Web版)。対象はアルティウムというアメリカのソフトウエア会社です。
 まだ日の丸半導体が世界を席巻していた20世紀後半、熊本にはNECが世界最大級と誇る工場がありました。わたしは、この工場に出かけて講演をしたことがあります。
 そのうち、わが国の半導体産業に厳しい状況が生まれました。そうした流れの中で、NECがルネサスに変わったのです。それでも厳しさは収まらず、人員削減や異動などが伝えられることになります。知り合いも遠方への異動を余儀なくされたと聞きました。そんなことで、この会社の先行きについては、第三者ながら心配していました。そう言えば、車向けの半導体では力を持っているといった話を聞いたことはありました。それが、1兆円近くの大金で海外の会社を買収するというのですから、企業の生命力には驚かされます。
現場の声 [24] 2024/05/13 Mon 10024 5月6日 [10] の続き
 「80.間合いが取れないので、余裕のある作業ができない」
 キーワードは[間合い]である。わたしの手元にはほかにも5件でこのキーワードが挙がっている。それには「昼間」や「夜間」といった、より具体的な時間帯の記入がある。さらに、ここには記さないが、ほかの作業との関連を具体的に指摘するものもある。また、「81.□□□□等による[長大間合い]を確保した工事計画が必要だ」との指摘もある。冒頭に「余裕のある作業ができない」という声を挙げた。それが単なる[余裕のなさ]で終わらず、時間までに十分な作業ができなくなる可能性も生まれる。そうなれば、深刻な事態の引き金になる。
フリーターのやる気の素 [23] 2024/05/12 Sun 10023 5月5日 [08] の続き
 コロナが来襲してから街中を歩くこともままならなず数年間を過ごしました。また、対面での仕事も激減しました。そうなると、[花のフリーター]としては自宅での滞在時間がほとんどを占めるようになります。それでも[ワーカホリック]の体質は相変わらずで、朝から晩まで自分の部屋、まあ世間並みには書斎と言われる場所で大半を過ごします。ただし、行動スケジュールは現役時代とほぼ同じで、朝は5時ころには目が覚めます。わたしは昔から目覚ましいらずで、ほぼ毎日このあたりで起床となるのです。そして朝食後は歯磨きは当然として、ひげを剃り髪も整えます。いつもどおりがやる気の素になるのです。
日記の中の母(21) [22] 2024/05/12 Sun 10022 5月5日 [08] の続き
 8月22日 水曜日 父は病院より職場へ、□□(妹)は福岡へ家庭教師のアルバイトで出かけて行った。昼までは私1人、昼からは▢▢の叔母さんがやってきて下さった、夜は□□の叔母さんが泊まってくれるとのことで、私はその付き合いで、とうとう三連投の病院泊となる。
 当時も[完全看護]という言葉はあったと思うが、患者の家族が病院に泊まることは、まったく差し支えがなかった。われわれはボンボンベッドと呼んでいたが、ビーチで日光浴する際に使う折りたたみ式ベッドとタオルケットを持ち込んで寝ていた。
大学紛争 [21] 2024/05/11 Sat 10021 4月11日 [25] の続き
 熊本大学の前を車で走りながら、自分の学生時代を思い出した。
 わたしが大学に入学した1967年は3年後の日米安全保守条約を前に騒然とした状況が生まれていた。その年10月8日、佐藤栄作首相が南ベトナムを含む東南アジアを訪問するために羽田に向かった。反米とベトナム戦争反対の立場をとる学生たちが、これを阻止しようと空港近くで機動隊と衝突した。このとき、京都大学の学生1名が警備車に轢かれて亡くなる事件が起きた。車は学生が運転していたとされる。それは60年安保改定反対闘争で国会へのデモに参加した東京大学の女子学生が死亡したことを想起させ、70年に向けた闘争に勢いを付けた。
室見の寮 [20] 2024/05/11 Sat 10020 4月8日 [19] の続き
 高校2年生の7月に父が長崎に転勤することになった。わたしは福岡に残って高校生活を送ることに決め、父の勤務先が設置した寮に入ることになった。それは、「子弟寮]と呼ばれ、室見(現西区)にあった。その下見に行ったのは、9月11日の土曜日だったが、室見の電停で両親と待ち合わせた。
 日記には以下の記述がある。「本日は父母と室見の寮を見に行った。外が大変汚くて、また中もあまり美しくなかったが、ここに入ることに決定した。部屋は4つしか入ってなく、一応一番隅の10号にした。話は逆になるが、父母と私は室見電停で1時20分に会うということだったのに、2人が来たのは何と2時であった。その代わりではないが、帰りに岩田屋でビフテキを食った」。
 両親が遅れた理由は書いていないが、電停の前にあった[みゆき]という雑貨屋で、まだかまだかと待っていた自分の姿が昨日のことのように頭に浮かぶ。突然、[みゆき]を思い出したのには驚いた。
「鈴木アナウンサーの記憶」(了) [19] 2024/05/11 Fri 10019 昨日 [17] の続き
 わたしは新幹線の試運転の中継を4時間以上に亘っ観た。もちろん白黒テレビである。それから、鈴木アナウンサーをあれやこれやと観る機会が増えた。そしてついにはNHKの顔になった。
 その鈴木氏はNHKを退職してから熊本県立劇場の館長に就任する。当時の細川護煕知事が熊本放送局が初任地だった鈴木氏に声をかけたのである。熊本のお殿様の末裔である細川氏の誘いで、自分は武蔵の心境で受けたと語っていた。
 当時の講演料は50万円だったか、それ以上だったか記憶があやふやだがとにかく破格だった。それ以下だと依頼が殺到するという理由を聞いたような気がする。どれもはっきりしないが、館長だった期間は、熊本県内で得たの講演料の全額を財団に寄付した。また、館長として県内の伝統文化の掘り起こしに力を注いだ。財団はそうした活動を推進するものだったのだと思う。清和村の文楽を掘り起こし、県立劇場で公演したことなどは、その代表例である。
4人の物語(62) [18] 2024/05/10 Fri 10018 5月3日 [04] の続き
 人間の記憶はどこまで遡ることができるのだろうか。それには個人差があるに違いない。また、「しっかり憶えている」と思っていても、原体験の記憶が、その後の体験によって影響されていることは当然である。Aは子どものころ、自分が母親の胎内からこの世に出てくるときのことを憶えている気分になっていた時期がある。なぜか水の中で息苦しくてたまらずもがいていた。いま考えると、それは[夢]の中の出来事だった。自分が母親のお腹の中にいたと聞いたことから創作したのだろう。
 とくに、成長期は身体の大きさも変わるから、周囲のものを視る立ち位置が違っている。Aは高校生のとき、小学4年生まで過ごしたY市に出かけたことがある。それはY市を出て7年ぶりのことだったが、国鉄のY駅で電車を降り、正面に出て驚いた。駅の前から真っ直ぐ走る道路が狭くなっていたのである。もちろん道路はそのままだが、小学生時の広い道路の記憶が残っていたのである。
まだ続く「鈴木アナウンサーの記憶」 [17] 2024/05/09 Thu 10017 昨日 [15] の続き
 1964年8月25日の日記。
 「東京と大阪が陸上で4時間で結ばれた。NHKではこの歴史的実験をテレビで全国へ伝えてくれた。テレビで見ていてもこのスピードというのはすごい。なにしろ最高時速200キロをこえる速さで、文字通り光のごとくつっ走るのである。しかし中ではそんなに感じないらしいことをアナウンサーが言っていた。そんなことを聞いても乗ってみなければわからない。いまに見ておれ、僕だって乗ってやるぞ」。
 このときのアナウンサーが鈴木健二氏だった。新幹線が走る全行程を生中継するのだから、いまから60年以上前の放送技術としては大いなる挑戦である。丹那トンネルを通過中は電波が途切れたはずであるが、どう対応したのか記憶にない。ただ、鈴木アナウンサーの様子だけは目に焼き付いている。また、ヘリコプターも動員していた。これだと時速200kmの新幹線もフォローできたのである。そして、試運転車は定刻に新大阪に着いたと思う。
教師に対する研修の感想(16) [16] 2024/05/09 Thu 10016 4月20日 [48] の続き
 先生の話を聞くたび、本当に元気になりました。先生の笑顔がとても素敵でした。また、自分のコミュニケーション能力を振り返るとてもいい機会になりました。学んだことをしっかり生かしてがんばります。ありがとうございました。楽しい研修でした。先生ものお元気でお過ごしください。(小学校教諭 女性)
 わたしとしては、「元気になった」と言われるだけで至上の喜びを感じる。ただし、「笑顔が素敵」かどうかは何とも言えないが、講演や研修でも大部分は笑っていると思う。ともあれ、自分が楽しんでいることだけは疑いない。それで仕事になるのだから、甘いと思いながらもありがたいと感謝し続けている。
続々々「鈴木アナウンサーの記憶」 [15] 2024/05/08 Wed 10015 昨日 [13] の続き
 新幹線の開通時は東京・大阪間を4時間とし、追って3時間30分にまで短縮する計画になっていた。それでも往復で7時間だから、実質的な「日帰り」までには至らなかっただろう。しかし、在来線の[こだま]が13時間だったこと考えれば、飛躍的なスピードアップに違いなかった。ところで、[こだま]は募集によって命名されたが、「往って返ってくる」という意味でピッタリ感があった。それが新幹線に引き継がれたのもうなずける。そして、これを上回る最速の電車が[ひかり]と決められた。宇宙の中で最も速いスピードの[ひかり]だから、速度だけでなく、明るさを象徴する素晴らしい呼称だった。
J事件の分析と考察(39) [14] 2024/05/08 Wed 10014 5月1日 [02] の続き
BBCの記者が最後にインタビューしたホストの[元Jメンバー]は、J氏に対する肯定的な態度を示した後で、その行動について、「正直なところ、めっちゃ悪いとは思わないんですね」と語る。これに記者が「それは性的虐待に当たる」と言うと、「受け入れちゃっている時点で、そう言ううわさが回っちゃっているから、それがあれば売れるとかがちょっとあると思うんで、そこはどっちも責めれんかなと思う」と答える。そして、そうした行為も「正直、有名になるのが僕の夢なので受け入れると思います」と続ける。これに記者は「頭が追いついていかない」と、それまでのインタビュー後と同じように困惑する。 
続々「鈴木アナウンサーの記憶」 [13] 2024/05/07 Tue 10013 昨日 [11] の続き
 東海道線の[ビジネス特急 こだま号]は東京・大阪間を6時間30分で走り、「日帰り可能」と宣伝された。たしかに、早朝に東京を出発、大阪で数時間の仕事をして最終の[こだま]に乗れば、宿泊しないで帰れるというわけだ。しかし、現実に「日帰り出張」をしていたビジネスマンは皆無だっただろう。この間の運賃も高額だったと推測されるから、[数時間の仕事]ではペイしなかったはずである。ところで、[ビジネスマン]なる用語も今日では[ビジネスパーソン]と言い換える必要がある。ともあれ、新幹線は同じ区間を4時間で走り抜けるというのだから、そのスピーとアップ率は相当なものだった。
メガネ、フィルター、顕微鏡、望遠鏡(6) [12] 2024/05/07 Tue 10012 5月2日 [03] の続き
 そもそも、視覚は眼球の前にあるレンズを外界の光が通過してその奥にあるスクリーンにあたる網膜に像を映し出す。カメラで言えば、[フィルム]だが、いまや若い人たちには[フィルム]がわからないかもしれない。ともあれ、網膜上に張り巡らされた視細胞が光を受け止める。個々の細胞は「細胞膜」で包まれ、その中に[核]があり、またその中に[DNA]があるなどなどである。このDNAは、同じものが出現する頻度は天文学的に少ないといわれる。一説には、[4兆7千億人に1人]だという。その受け止め方には興味深い議論もあるが、ここでは「周りに同じ人はいない」程度の合意が得られればいい。
続「鈴木アナウンサーの記憶」 [11] 2024/05/06 Mon 10011 4月28日 [66] の続き
 新幹線の試運転日を控えた1964年8月24日の日記に、「今日、新東海道線の特急こだまが東京から大阪まで5時間で走る実験がうまくいったそうだ。明日は4時間の実験をするということで、成功を祈ってあげましょう」と書いている。
 若い人たちは「こだま」にはなじみがないだろう。それは、新幹線開業前に東海道線を東京から大阪まで走っていた特急電車である。その所要時間は6時間30分で「日帰りができる」との触れ込みだった。これを仕事で使う乗客が多かったこともあって、[ビジネス特急]と呼ばれていた。それにしても、片道が6時間30分で「日帰り可能」というのだから、かなりの無理がある。
「現場の声」 [10] 2024/05/06 Mon 10010 4月29日 [68] の続き
 「79.□□に承認をもらって□□を確認したところ□□していたことがあった」
 そのまま記すと組織が判明するため、伏せ字が3ヶ所も出てしまった。安全に責任を持つ担当者から手続きどおりの承認を受けたのだが、その確認ができていなかったことになる。部外者ではあるが、ここで取り上げられている事象は、安全の面で相当に深刻なレベルだと推測する。つまりは、「そこで間違ってはおしまいだ」と言いたくなるような承認ミスなのである。このときは、仕事をする本人が確認したことから問題は発生しなかった。現実にも、作業前に再確認されているのだろうが、その後、組織的な対応がなされただろうか。
鈴木アナウンサーの記憶 [09] 2024/05/05 Sun 10009 昨日 [05] の続き
 元NHKアナウンサーの鈴木健二氏が3月29日に95歳で亡くなった。わたしにとって鈴木アナウンサーの記憶といえば、東海道新幹線が試運転で東京と大阪を走った日に全線で生中継をしたことである。新幹線の開業は1964年10月1日だが、それから9日後の10日は東京オリンピックの開会式だった。日記によれば、試運転が行われたのは8月25日(火曜日)である。そのとき、わたしは高校1年生で、折から夏休み中で生中継に興奮した。
日記の中の母(20) [08] 2024/05/05 Sun 10008 4月28日 [66] の続き
 母が胃の全摘手術を受けた1973年の8月は研究所の仕事で多忙だった。9月にはDNTの[リーダーシップ・トレーニング]も入っていた。DNTとは大日本塗料のことだが、常務が三隅先生のPM論に惚れ込んで、人事担当のHNさんを研究員として出向として派遣していた。
 HNさんは耕作機等で知られるK鉄工の社長の息子さんだった。ご本人は親の七光りを嫌って、まったく関わりのないDNTに就職されていた。わたしより5歳ほど年上だったが、仕事に対する真摯な姿勢を含めて尊敬していた。ご自分の会社の[リーダーシップ・トレーニング]にわたしを誘っていただいた。いまでも電話でお話することがある。
父の転勤 [07] 2024/05/04 Sat 10007 4月8日 [19] の続き
 父の転勤が長崎に転勤となった。父が3年から4年に一度は異動することを就学前からから体験していた。自分の記憶が曖昧な時期も含めて、八幡市(現北九州市)から行橋市、伊万里市、そして福岡市に引っ越した。小学校と中学校は入学と卒業した学校が違っていた。そこで、高校に入学した際も、父の転勤は、その時期や異動先は不明ながら既定の事実だった。
 それが高校2年生のときにやってきたのである。このことがわかった1965年7月1日の日記には「意外なことが起きた。お父さんが長崎に転勤になったのである」と書いている。ここで[意外]と表現しているのは、自分たちが予想していたより早かったからだろう。また、「お父さん」とは、高校2年生ながら、いかにも子ども子どもしている。そのあと、「長崎…考えるだけでやけに遠い。これで私は16歳にして一人の生活となるであろう」と続けている。両親と話をする前に、転校しないと決めていたのである。
続 国勢調査 [06] 2024/05/04 Sat 10006 昨日 [05] の続き
 大隈重信の建議書には「国の情勢」を明らかにするために必要な調査が提案されていた。この中にある[情勢]とは「変化する物事の、その時その時代の状態や、近い将来に予想されるなりゆき(精選版 日本国語大辞典)」である。つまりは、「国の情勢」を調べることから、[国勢]という二文字が採用されたのである。ただし、そこからは「勢い」という意味合いはそれほど強く感じない。
 しかし、第1回目から100年以上が経過した、21世紀のいま、わが国の[勢いのなさ]を体感せざるを得ない現実に晒されている。最近の円安などはその象徴である。そうした状況では、[国勢調査]が「国の勢い度」を明らかにしているように思えてくる。先月24日には民間の有識者で構成する「人口戦略会議」が、2050年までに消滅する可能性がある実態が744にのぼるという予測を公表した。その信頼性などについては措くとして、これもまた、「国の勢い」が失われるということである。
国勢調査 [05] 2024/05/03 Fri 10005
 日本では[国勢調査]と呼んでいるが、英語では[census]である。これについて、総務省のホームページには「古代ローマにおいて、市民の登録、財産及び所得の評価、税金の査定などを行う職業をラテン語でCensereといい、これが転じてCensusとなったといわれています。古くから人口や土地、財産等について調査が行われてきましたが、これらは、あくまでも納税、徴兵、強制労働を達成するための情報収集でしかありませんでした」との解説がある。
 わが国では、大隈重信が統計院の設置を提案したが、その建議書には「政府は政策の善し悪しを判断するためには、現在の国の情勢を明らかにし、過去の施策の結果と比較してみる必要がある」との記述がある。これが[国勢調査]として実現した。その第1回目は1920年(大正9年)のことである。その後、5年ごとに実施されて、前回の2020年が第21回になった。これは、開始から100周年の記念すべき調査だったのである。
「4人の物語」(61) [04] 2024/05/03 Fri 10004 4月26日 [62] の続き
 Aが妹と母親に連れられて、母親の実家に帰省するとき、「汽車」に乗るためにY駅へ行った。その日は相当に遅れて駅に着いたと思われる。とにかく乗るつもりだった汽車の発車時刻ギリギリだった。というよりも、すでに汽車は「ポーッ」と汽笛を鳴らせて動き始めていた。親子3人は、これに走り寄って、かろうじて乗ったのである。いまでは考えられないが、この当時の客車は、その気になれば、飛び乗りや飛び降りができる構造になっていた。このとき、少しでも不運の悪魔が手を出していたら最悪の事態にまで至った可能性があった。Aは子ども心に、自分が命に関わる体験をしたような気がして怖くなった。
メガネ、フィルター、顕微鏡、望遠鏡(5) [03] 2024/05/02 Thu 10003 4月4日 [08] の続き
 顕微鏡は「小さくて目に見えないもの」を目の前に見せてくれる。望遠鏡はその対極にあるが、こちらは「遠方にあるため小さくて見えないもの」を対象にしている。だから、それが天体であれば[モノ]自身は巨大である。そんなこんなで、まずは[目]で自分の外界にあるものを見ることからはじまる。これを補うための道具として、人間は[メガネ][フィルター]「顕微鏡][望遠鏡]等々を創ってきた。とにかく何でも見たいという好奇心と欲求がモノづくりの力になる。そして、われわれは自分の視力や対象物の特性によって適切な道具を選択しているのである。ともあれ、道具が違えば[見える世界]も違うのは当然である。それ以前に、[目に見える事実]だと思っているものであっても、個々人で違っている。人間の眼球の奥にある網膜に達する光の信号が同じでも、[モノの見え方]は、個々人の特性や、それを見ているときの心理状態によって異なるのである。
J事件の分析と考察(38) [02] 2024/05/01 Wed 10002 4月24日 [57] の続き
 BBCの記者は、[J百科事典]に掲載されていた「もう一人の男性」を訪ねる。彼はJ氏が亡くなる2019年までメンバーだったが、現在は大阪のホストクラブで働いている。本人がメンバーになったのは、母親がそれを夢見ていたからだった。そして、J事務所から連絡が入った段階で泣いていたという。実際に入ってみると「こんなにもらえるんやあ」と思った。そして、「自分の家は裕福でなかったことから、夢のような信じられない時間だった」と語る。最後(?)の一人もやはりJ事務所に対して肯定的な態度なのだ。
北斎美術館 [01] 2024/05/01 Wed 10001
 昨年の5月に[すみだ北斎美術館]に出かけた。東京での仕事があり、その前日は早めの便を利用してホテルに荷物を預けてJR両国駅に向かった。大相撲夏場所が国技館で開催されていた。これをチラリと眺めて歩いて美術館に行った。窓口で、65歳以上は高校生・大学生と同じ300円だと言われた。その日は、常設展のみだったが、それなりに楽しめた。
 今月の写真はそのとき撮ったもので、[新板浮絵両国橋夕涼花火見物之図]と[北斎のアトリエ再現模型]である。花火は空にパット広がり、それが水面にも映って、感動を呼ぶ。北斎は90歳まで「真の絵師」を目指して絵を描き続けた。誰もが知っている「富岳百景」の中に「百数十歳まで努力すれば生きているような絵が描けるだろう」と書いているというから、まだ自分に満足していない。何とも、怪物としか言いようがない。再現されたアトリエは84歳のころのもので、側にいる娘の阿栄とともに絵を描いている。