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| 放っておけば崩壊なのよ [70] 2024/02/29 Thu 9860 物理学に[エントロピー]なる概念がある。これは、自然界における不可逆的な過程を表す概念である。もちろん、これを十分に理解してはいないが、エネルギーは最終的には乱雑さや無秩序な状態になるということらしい。そして、それは生態系や社会組織など、あらゆるシステムに当てはまるのである。つまりは「放っておけば崩壊なのよ」ということである。 人間に限らないが、生きものは受精した瞬間から死という、生とは正反対の状態を前提に生きていく。そして時々刻々と[自己崩壊]を目指すのである。組織も同じで、それは生まれると同時に問題を抱える…。これはわたしの講演ネタのひとつだが、何もしなければ、システムは自然に混沌とした状態へと[進化]し、ついには崩壊するのである。それを防ぐためには意図的に持続可能な働きかけをする必要がある。それが生態系では種の多様性を保つことや環境保護活動であり、組織ではリーダーシップの改善などに繫がる。 |
| 天ヶ瀬温泉とトレーニング [69] 2024/02/29 Thu 9859 昨日 [68] の続き リーダーシップは行動ですから、それを変えることでタイプも変化します。そこでリーダーシップの改善・向上を目的にしたトレーニングを開発し、それを実践の場で活かしていくことが求められることになります。わたしは、[PMリーダーシップ論]に基づくトレーニングの開発がはじまったころ学部の学生でした。職場のリーダーが様々な面で望ましい効果がある[PMタイプ]になるための方法を考えていこうというわけです。 そして、その試みが久留米にあったブリヂストンタイヤの工場で働く第一線監督者の職長を対象に行われていたのです。トレーニングの会場は大分県の天ヶ瀬温泉にあったブリヂストンタイヤの保養所でした。その昔、大企業を中心に、会社は福利厚生施設として保養所を持っていました。従業員とその家族がきわめてリーゾナブルな料金で、宿泊つきの温泉旅行を楽しめたのです。そうした施設も、バブルの崩壊などもあって次第に消えて行きました。 |
| 卒論あれこれ [68] 2024/02/28 Wed 9858 わたしの学部卒論は、「リーダーシップの恒常性に関する研究」でした。わが恩師三隅二不二先生が提唱する[リーダーシップPM論]では、リーダーを[PM、M、P、pm]の4つのタイプに分類します。ここで、[PM]は[Performance]と[Maintenance]の頭文字で、[P]は仕事の目標を達成するためのもので、[M]は集団を維持していく行動です。この強弱の組み合わせでリーダーを4つのタイプに分類し、その効果を検証していったのでした。 その結果は基本的に「PM>M>P>pm」の順で一貫していました。たとえば、部下たちの[仕事に対する意欲]「精神衛生」「チームワーク」などが、[PMタイプ]の監督者の元で最も高く、[pmタイプ]では最低だったのです。そして、それは[組織や給与に対する満足度]にまで影響を与えていました。さらに、事故の発生率にも関わっていましたから、とにかく全員が[PMタイプ]を目指そうとなったのです。 |
| J事件の分析と考察(29) [67] 2024/02/28 Wed 9857 2月21日 [50] の続き J氏から性被害を受けたと思われる[元Jメンバー]が、その程度は軽かったとは言え、最後は「僕は今でもJさんが好きですよ」と語る。それは、BBCの記者には到底信じることができない。そこで、記者は「申し訳ないが、どうしても頭がついていかない。本当に理解できない」と困惑する。これに対して、[元Jメンバー]は、「Jさんはすごい本当に素晴らしい人で、僕もすごいお世話になって、なんて言うんでしょう、そのすごい愛を持って接してもらえたって、今でもそう持っていて、僕にとってはそこまで大きな問題じゃないんで、多分こうやって笑ってしゃべれるのかなって」と答える。ここで、[元Jメンバー]のインタビューは終わる。 記者は、すでに本コラムで取り上げたもう一人の[元Jメンバー]からも、J氏が虐待したとは思わず、氏を責める反応は得られなかった。それどころか、「J氏を尊敬している」と見えたのである(1月26日[89])。 |
| 新聞を読み込んだとき [66] 2024/02/27 Tue 9856 昔に比べて、新聞を読み込む時間が激減している。アパートに住んでいたころは玄関ドアまで新聞が届けられたから、目が覚めてトイレに行く前後に朝刊をゲットしていた。これがマンションになると、エレベータを使って1階フロアの郵便受けまで取りに行かなくてはいけない。これで朝一の朝刊ゲット習慣が衰退した。 さらにネット化の波が押し寄せてきた。朝刊トップのニュースなどはPCで読んでしまう。もちろん子どものころから[新聞]が生活の一部になってきたから、購読は続けている。一時期は二紙を読んでいた。 ところで、わたしが新聞の隅々まで嘗めるように読んだ時期がある。それは1973年の8月に母が手術で入院したときである。手術後は家族と交代で、ときには親戚のサポートも受けながら昼夜を問わず病院で過ごすことが多くなった。そして、朝から病院の場合は、売店で新聞を買った。韓国の金大中氏が東京で拉致された記事も病院で読んだ。 |
| 科学的管理法と発明・発見 [65] 2024/02/27 Tue 9855 テイラー (Frederick Winslow Taylor、1856-1915年)は、科学的管理法の発案者として知られている。それは、仕事の作業手順等を時間や動作の視点から分析し、効率的な生産を達成することを目的にした管理法である。そして、作業者たちにはその出来高に応じた報酬を与えた。 原題は[The Principles of Scietific Management]で、1913年の発刊である。原本は144頁になるが、その末尾に近い139頁に以下のような記載がある。 「ここまで述べてきたことのすべてにおいて、それまで知られていなかった新しい事実を明らかにしたものはないと、指摘されることは疑いない。それはおそらく真実である。科学的管理には、必ずしも偉大な発明や新しい、あるいは驚くべき事実の発見が含まれるわけではない」。 じつに謙虚なまとめである。人間の発明も発見も、それまでに蓄積されてきた知識や技術革新を基礎にして成立するのである。それが[コロンブスの卵]であることも少なくない。 |
| 教師に対する研修の感想(3) [64] 2024/02/27 Tue 9854 2月24日 [57] の続き 先生の研修の日はとても楽しみに参加させていただきました。この10年、目の前のことだけで精一杯で、あまり振り返ってきませんでしたが、目標を立て周りの先生方から評価をしていただいたことで、見えていなかった(見えないようにしていた?)ことに気づくことができました。消極的で表に出るのが苦手な私にとって、リーダーシップを取ることはつらいことでもありましたが、背中を押してもらうことで、周りの先生方との繋がりが強くなった1年でした。来年度も環境がかわってくるので、新たな信頼関係を築いて行きたいと思います。ありがとうございました。(小学校教諭 女性) 研修では、他の教師からの評価を導入した。ただし、わたしは、善し悪しの「評価」とは考えていないから、「見えてますかシート」と呼ぶものを使っている。自分ではしているつもりでも、それが相手に見えていなければ、受け止められていなければ、行動していないのも同然である。 |
| 続々「言いたいことを言う」対策 [63] 2024/02/26 Mon 9853 昨日 [61] の続き ともあれ、「相手よりも懐を1mmだけ深く、こころを1㎥メートルだけ広くして、自分の方がお釈迦さまに近いと信じて対応し続けましょう。また、特定の人で「対応しづらい人」は、その人に「影響力」を持っている人を探すのもいいですね。何でもかんでも自分で影響を与えることなど出来るはずがありません。人の力を活かすのもリーダーシップに含まれるのです。なお、正当な要求や期待でも「出来ないこと」はいくらでもありますから、「どうして(いまは)出来ないのか」を納得できるように説明することがカギになります。そして、そうした要望をいつも忘れずに気にかけていることを発信し続けましょう。時間がかかっても、いつかそれが実現すれば信頼関係は絶大なものになること疑いありません。また、実現できなくても、「いつも考えてくれている」姿が信頼を築くでしょう。(了) |
| 現場の声 [62] 2024/02/26 Mon 9852 2月19日 [47] の続き ある組織のリーダーシップ・トレーニングで、「職場の規範」について分析した。いわゆる「規範」はやや堅い表現だから、わたしとしては「職場のみんなが当然だと思っている常識」と言い換えている。ともあれ、まずは「望ましい常識」と「望ましくない常識」を個々人でリストアップする。これをもとにメンバーで情報を交換し、その改善を図るのである。 その中で、あるメンバーが改善すべきものとして「ラジオ体操」を挙げた。「誰も本気でやっていない」というのである。リモトーになって自宅でするのも違和感があるという。その昔、そうそう、株価が4万円に達するかと大騒ぎしていた前世紀終盤までの日本企業が元気のいいころ、海外の工場でも始業前に全員でラジオ体操をしている光景が流されていた。これに加えて運動会まで導入するところもあった。それは学校の運動会を彷彿とさせるものだった。これを紹介するテレビ番組は、ラジオ体操や運動会が日本文化の輸出であり、現地でも大いに歓迎されていることを強調する構成だった。そう言えば、つい最近も盆踊りの様子が流されていた。 いずれも、すべての社員の団結心を高め、生産性を上げるといった効果が謳われていた。しかし、いまや21世紀、「みんなでラジオ体操」には疑問が出される空気が充満しはじめたようだ。わたしは毎日、勝手にラジオ体操をしているが、全員一斉にと言われれば、後期高齢者も「うーん」と首を傾げるかもね。 |
| 続「言いたいことを言う」対策 [61] 2024/02/25 Sun 9851 昨日 [59] の続き 組織の安全にとって、職場に「言いたいことが言える」関係の重要性を強調したわたしに、「単なるわがままを言う部下もいると思うが、いい対処法はあるか」といったメールが届いた。これを読んで、わたしはそのとき頭に浮かんだことを書いた。 単純な話ですが、「言いたい放題、わがままを言う」のが事実であれば、その方々との信頼関係、人間関係が出来ていないと思われます。部下たちの全員がそんな感じだとすれば、ご自分の「リーダーシップ」の危うさを心配した方がよろしいと思います。それが、一部の人たちであれば、それ以外の多くの方々が、あなたの立場や気持ちを理解しているでしょう。もっとも、それを口に出して言わないかもしれませんが…。 人の行動や発言が「言いたい放題あるいは個人的なわがまま」であるか否かを誰がどんな基準で判断するのかも興味深い。ただし、リーダも、自分の方が「言いたい放題…」だと認知されないようにしておかねばならない。 |
| 日記の中の母(11) [60] 2024/02/25 Sun 9850 2月19日 [46] の続き 1973年8月13日 月曜日 研究所が盆休みなので、まだK市にいることはできる。昨夜はほとんど眠ることがきなかつた。家に帰って一息ついた。ところが、母はガスのせいか、腹がはってしまったので再び手術するという電話があって、実際しらけてしまった。二度も腹を切られて、母は今夜は酸素テントの中である。我々も三人共病院に泊まる。 7日の手術から1週間目に再手術である。医師は食道の辺りに針の先ほどの穴が空いていたと説明した。かなり後になって、それは縫合不全と呼ばれるものらしいことを知った。いまから半世紀前、素人が参考にできる医療情報など皆無の時代である。 母は、最初の術後に、その痛みから、「切らなければよかった」「死んでもいい」と言いながら苦しんだ。それがまた手術というのである。家族にとってもショッキングな事態で息が詰まる思いだった。そうしたことから、この日は、父とわたし、そして妹の3人が病室に泊まった。 |
| 「言いたいことを言う」対策 [59] 2024/02/24 Sat 9849 ある方からメールで質問が届いた。その内容は「『言いたいことが言える職場』を作るための『言いたいことを言うときのルール』について書かれておられますか」というものだった。 わたしが「世界中の組織で起きるトラブルや事故・不祥事はすべて『言いたいことが言えなかった』か『言っても聴いてもらえなかった』かのいずれかが原因で起きている」と絶叫しまくってきたので、こうした質問を受けたのである。 メールにはつぎのようなことも書かれていた。「当然ながら上司(事業主)と部下は、仕事についての経験・知識・情熱に差があると思います。ときには、単なる「わがまま」を言う部下もいると思います。そういう時に、上司として『イラッ』とせず、どう対応するのか。そういうときは、感情的に反応せずにちゃんと「教える」ということになりますか。このあたりの先生のお考えを教えていただきたく、どうぞよろしくお願いします」。 |
| リスクと生命保険 [58] 2024/02/24 Sat 9848 リスクは発生する確率、可能性である。したがって、リスクマネジメントは可能性に対するコストとなる。それは個々人かかける保険と同じである。 私が本腰で生命保険に加入したのは、子どもが生まれることがわかったときだった。それから40年近く、ときおり更新を余儀なくされながら支払い続けた。この更新が保険会社の伝家の宝刀で、10年くらい経つと、それまでの配当金などを充当して、よりしっかりした保険に乗り換えるという筋書きだった。こちらとしては、生命保険は続けなければならないと思っていたから、言われるままに契約を更新していった。そして、65歳の定年を迎えたとき、「生命の保険」はもういいだろうと考えて、20代から払い続けてきたものを止めた。何のことはない、「自分の命がなくなるかもしれないというリスク」に、当初は給与の1割近くもの保険料を40年にも亘って払い続けたことになる。それも、バックはないままに終わりを告げたのである。 こんな書き方をすると、「大損した」と嘆いていると勘違いされるかもしれない。わたしとしては、「それが保険の本質であり、リスクマネジメントなのだ」と評価している。そして、自分の保険料が必要な人に回ったのであればけっこうなことではないかとの思いでいる。 |
| 教師に対する研修の感想(2) [57] 2024/02/24 Sat 9847 2月21日 [52] の続き 自分自身を見つめる、思考、行動を変えていくとは、私にとってとても苦手な分野です。できれば自分に合った方法のまま、ずっとやっていけたらいいと思ってしまいます。ここ数年、近い学年と同じ校務分掌を担当していたこともあり、さすがに、ずっとこのままではいけないと思うようになりました。今回、内容は何にせよ行動目標を周りに示したことで、私の意識も少なからず変わりました。今回掲げたチャレンジを忘れないうちに、一歩踏み出したいと思います。(小学校教諭 女性) 何事も「まずは、隗より始めよ」である。自分が変われば、人も変わる。人が変われば、自分もまた変わる。人間関係は「変わる、変わる」のスパイラル。そして、自分が変われば周りの世界の見え方も変わる。 |
| [ヒヤリハット]のコスト計算 [56] 2024/02/23 Fri 9846 2月20日 [49] の続き 「マッチ一本、火事のもと」。いまや「マッチってなあに」と聴かれても驚くことはないだろう。まあ、小さなことから気をつけましょうという話である。それは、いわゆる「ヒヤリハット」にも適用できる。これを軽く見ているととんでもない大事故につながる。組織を揺るがす大不祥事を引き起こす。すでに過去のものになった歴史で「もし」は言っても事実は変えられない。これに対して、先のことであれば、「もし」は問題の発生を防止あるいは抑制できる。もし、ここで「ヒヤリハット」体験を言わなかったらどうなるかを考える。それが、「風が吹けば桶屋が儲かる論」になるかどうかは措いといて、「小さなコスト」が「大いなる損失」の回避につながる可能性を議論するのは大いに意味がある。「この段階でヒヤリハットを報告してくれたので助かったよ。このままだったら10億円も損したよな」なんて会話を交わすのは楽しくないですか。 |
| 「4人の物語」(51) [55] 2024/02/23 Fri 9845 2月16日 [39] の続き Aが回虫の死骸を小学校の便器で見たのは初めてだったが、その大きさに驚いた記憶がある。回虫が体内に入って病気になると[回虫症]と呼ぶ。わが国では、「昭和40年代(1965年から)までは国民の約4割が感染していて、ある意味[国民病]のような感染症」だった(岡山県生活衛生課HP)。Aが小学生だったのは1950年代中盤だから、まさに「4割」は感染していたのである。当時の子どもたちが[虫下し]といった薬を飲んでいたのは当然の対応策だったことになる。 回虫の卵は体内で孵化して、体中を回る、まさに[回虫]となる。あるものは、肝臓や肺、さらには脳にまで達する。眼球に移動して失明に至ることもある。妊娠中は胎盤を通じて子どもに感染することもあるという。おそらく寄生虫の中でも最強、最悪のものではないか。その後、A自身は、[回虫]に直接であったことはない。 |
| 羽田のCM [54] 2024/02/22 Thu 9844 羽田に着いてから手荷物受取場に行く途上でエスカレーターで降りるとき、前面にガラス板のCMが目に入る。現時点であるかどうか確かめていないが、その中に[I・O DATA社]のCMがあった。そこに、本社が金沢と書いてあることに気づいて、なぜか楽しくなったことを思い出す。 この会社はコンピュータのハードディスクやメモリーなどの機器で馴染んでいたからである。わたしの頭の中では、いまでも[ELECOM]と並んでいる。因みにこちらは大阪に本社がある。 本社が大阪と聴けば「ああそうなんだ」程度だが、金沢と言われると、「おーっ、金沢なのかあ」と心の中で叫ぶわたしがいる。その製品やサービスが何であれ、地方で立ち上がった組織の知名度が全国区であることが楽しいのである。その根底には、生まれてこの方、九州にしか住んだことのない人間の、少しばかり歪んだ感情、つまりは劣等感があるのかもしれない。しかし、わたしとしては、そんな心理分析などはどうでもいい。地方でしっかり仕事をしていることが評価されるのを見たり、知ったりするととにかく楽しくなるのである。羽田のエスカレーターを降りながら、「がんばれ、I・O DATA」と応援したくなる。 |
| leadership & management Tour [53] 2024/02/22 Thu 9843 2月20日 [48] の続き ともあれ、Webを見渡せば、「[leadership]と[management]はまったく違うものだ」と強調している記事や動画にあふれているのだから、これらをひたすら読んだり、観たりすればいい。そもそも英語を外国語としている人間だから、ことばのこまかいニュアンスの違いなどわかるはずもない。そんな思いから[leadership と management]の[鍾乳石ツアー]を組むことにしよう。これは、「鍾乳石が、1mm成長するのに、数年から数十年かかる」ことに感動したわたしが「人生はこれでいかなくっちゃあ」」と確信したことから企画したものである。つまりは[ちょっとずつ]の積み重ねこそが[大きな成果]を生み出すということである。それは「小は大を兼ねる」「大は小からはじまる」という、これまたわたしの行動指針と軌を一にしている。これを今回の[ツアー]に適用すれば、[leadership]と[management]に関わる様々な情報を「一気呵成」にでなく、「ボチボチ、ゆっくり」と検討していく長旅に出るということになる。 |
| 教師に対する研修の感想(1) [52] 2024/02/21 Thu 9842 あるとき、学校の先生が教職について10年目を迎えた際に受ける研修を手伝っていたことがあります。それは1年間で4回ほどのワンセットのものでした。その終了時に事務局がまとめた感想文がありますので、懐かしい思い出として取り上げていきます。「なあんだ、あんたが上手にやったという自慢話じゃないか」と思われるに違いない内容ばかりですから、パスされた方がよろしいかと思っていますけれど…。 先生の冒頭のお話しが毎回とても楽しみでした。本当に先生の講義はあっという間に過ぎたという感じです。とても勉強になりました。私は先生の講義の中で実践に活かした大きな目標の一つが「先生方とのコミュニケーションを図る」ということでした。今までは、対子ども、自分のクラスさえしっかりしておけば…という考えでした。年を重ね、他の先生方にアドバイスしたり、相談に乗ったりと、今までとは違うポジションになり、新たな悩みも生まれてきました。しかし、それも「チャンス」、ポジティブに受けとめ自分を高め続けなければ…と研修を通して思うようになりました。一年間、本当にお世話になりました。ありがとうございました。(小学校教諭 女性) |
| ボーリングとベトナム戦争 [51] 2024/02/21 Wed 9841 わたしが生まれて初めてボーリングをしたのは1968年1月だったと思う。それは高校1年生のときの同窓会の日である。同窓会といっても、1年5組の担任だった先生の自宅に集まるものだった。このときは大学1年生でだったから、高校1年生のときの担任がみんなを惹き付けたのである。 おそらくお昼過ぎに、先生の音頭で、みんなで博多駅横にあったボーリング場に出かけた。生まれて初めて見たボーリング場は「カランカラン」というピンが弾ける音が響き渡っていた。みんなが楽しくはしゃいだ。しかし、そんな騒がしい音の中で、わたしの頭にささやきが聞こえてきた。「ベトナムでは砲弾や爆撃の騒音とともに人の命が失われている。自分たちはこんなことして遊んでていいいのか」。 アメリカが南北ベトナムの戦争に介入して北ベトナムと熾烈な戦争をしていた。平和な環境の元で、初めて体験したボーリング場の騒音を聴きながら、そんな思いに至ったことが思い出される。 その年の1月2日の日記には、「同窓会」のことをノート1頁一杯に書いているが、ボーリングの記録はない。あるいは違う年のことだったのかもしれない。 |
| J事件の分析と考察(28) [50] 2024/02/21 Wed 9840 2月15日 [37] の続き BBCの記者からインタビューを受けた[元Jメンバー]は、J氏のマッサージを体験したのは16歳ころで、J氏は70代だっただろうと振り返る。また、他にも同じようにしていたのを知っていたかどうかを聴かれると、「事細かにはいわないが、自分が体験したこと以上のことになっていたという話は聴いている」と答える。 ここまで来て、記者は「あなたはJ氏がしていたことが間違っていたとは言いたくなさそうですね」と追いかける。この問には苦笑いをし、「なんでなんだろうなあ」と前置きをして続ける。「もちろんやっていること事態の善し悪しは、絶対に悪いことなんですけど、簡単に言えばJさんのことが嫌いじゃない。むしろ好きなんで僕は、いまでも大好きですよ」とニッコリ笑う。 |
| 反省と反省力の退化 [49] 2024/02/20 Tue 9839 この世で生きている限り、毎日が「ひやりとする」「ハッとする」ことの連続である。とりわけ車を運転しているときは、「いまのはちょっとスピードを落としておいた方がよかった」「対向車が通しすぎてから右折した方がよかった」などと思うことがある。何もなかったときに、「◯◯しておけばよかった」は、自分の行動を振り返り、反省しているのである。ただし、その「反省」が次の行動につながればいいが、そこが大いなる「人間の弱点」と言える。しかも、これを克服することは相当にむずかしい。反省が行動改善に100%直結するノウハウを開発したら、ノーベル賞に値する。だからといって、「反省しても駄目なのよ」と居直っていては「反省」が蓄積し、そのうち、「反省力」そのものが退化してしまう。 |
| [leader≠ leadership][management≠manager] [48] 2024/02/20 Tue 9838 昨日 [44] の続き [leadership]と[management]と言っているうちは、前者が[リーダー個人の行動とその影響力]、後者は[システムの確立とその適用]だと考えてよさそうである。実際、[leadership]と[management]に[differences]の3語を入力して検索すると、こんなにもあるのかと声を上げたくなるほどリストアップされる。動画もワンサカある。そのすべてが、「二つは同じだと思ってる人が多いけれど、両者はまったく違うものだ」と強調している。 こちらも違うと思っているから、それはそれでけっこうなことである。ただし、そのほとんどが、[leadership]と[management]を分けているというよりも、いつの間にか[leader]と[manager]に言及している。[leadership]を発揮するのが[leader]であり、[management]に関わるのが[manager]と言われれば、「そりゃあそうじゃ」と思ってしまいそうだ。しかし、わたしなんぞは、「ちょっと待ってちょうだい。それなら[manager]だけが[management]するんかい」と反問したくなる。 |
| 現場の声 [47] 2024/02/19 Mon 9837 2月12日 [29] の続き 「62.朝の体操がしっかりなされていない」。これについては議論が大いに湧く可能性がある。そもそもは、「決められたことが守られていない」ことの問題点を指摘している。そして、「形だけはやってはいるが、 適当になっている」点を問題視している。その昔、つまりは昭和の時代、朝のラジオ体操は国民的運動だった。夏休み、近くの公園でのラジオ体操は定番だった。それが大人の世界に広がったのか、気が付けば工場でもオフィスでも、全員が揃ってラジオ体操をする。それは、海外に進出した日本企業の工場などにも広がっていった。そこには、「健康を維持する」だけでなく、「全員が一致して同じことをする」点が重視されていた。それをすべての人間が意識していたかどうかはわからないが、少なくとも「一致団結」が根底にあったことは疑いない。 |
| 日記の中の母(11) [46] 2024/02/19 Mon 9836 2月4日 [09] の続き 1973年8月12日日曜日 □□(叔父宅)から久留米のBSへ行く、工場見学という名目で卒論のデーターもらいの礎作りに行ったのである。そして、K市へと再びもどってきたのであるが、途中踏切事故で二時間以上も遅れてしまった。母は熱が相変わらず高い。父が自宅へ向かい、私と□□(妹の名前)が残る。 すでに半世紀が過ぎた。いまとなっては日曜日にブリヂストン(BS)の久留米工場に出かけた経緯がはっきりしない。しかも名目としているが、「工場見学」なのである。さらに「卒論データもらい」というのもよくわからない。わたしはBSのデータで卒論を書いたが、このときは博士課程の1年目である。母が入院している病院では手帳のメモ紙に日記を書いて、それを日記本体に貼り付けた。自分が書いたものでも半世紀経つと、その経緯がわからないものがでてくるのである。 |
| 自伝的記憶 [45] 2024/02/18 Sun 9835 心理学に「自伝的記憶」と言われるものがある。文字通り、「自分に関する記憶」だが、それが「自らの物語」として構成されるのである。「自分が大学入試を受けたとき」だけでなく、「寮の先輩□□さんが昼食などを一緒に食べてくれた」「そう言えば、□□さんは鹿児島出身で、鹿児島弁のアクセントがいまも楽しく耳に響く」などと話が展開していく。その前に「□□さん」と書いた瞬間に、メガネをかけたやさしい顔が蘇ってきた。ここで、「自伝的記憶」を取り上げたとき、どうして□□さんが頭に浮かんだのかはわからない。□□さんのことは、少なくともウン十年も記憶に上ったことはないはずだ。それでも、記憶の倉庫に□□さんが格納されていたことは事実である。かくして、「自分の記憶」だけでも、この世の不思議を体感する。 |
| [設計力]と[影響力] [44] 2024/02/18 Sun 9834 昨日 [42] の続き IAEAの[マネジメント]は続けて言う。「安全とセキュリティの設計とその適用は統合的な方法て行われなければならない。また、このマネジメントシステムは堅固な安全文化の醸成と安全に関わるパフォーマンスの継続的な評価、そして経験に基づく教訓を現実に活かせることも保証しなければならない。さらに、そのマネジメントシステムは、先を見通し、応答性の高いマネジメントの開発を支えるものである」。ここまで読んだところで、わたしは[リーダーシップ]はリーダー個人の行動とその影響力に重点があると受け止めた。これに対して、[マネジメント]は[システムの確立とその適用]に焦点が合わせられていると理解した。それは、わたしなりに考えていた[リーダーシップとマネジメント]のイメージと重なっている。本コラムに「マネジメントは設計力」[リーダーシップは影響力]と書いた(2020/03/09)が、それはIAEAの定義とほぼ一致している。 |
| 失念「こころ旅」 [43] 2024/02/18 Sun 9833 2月11日 [26] の続き 火野正平が福岡の「鳥飼」にところまで、「連載していたこと」を忘れていた。とにもかくにも懐かしい町名に惹かれて「番組の最後」まで観た。テレビのスイッチを入れたとき、たまたま「こころ旅」に遭遇することはある。しかし、[1回分]を始めから終わりまで観きったのは、これが初めてだった。 世の中のすべての人が「これぞ自分のライフワークだ」と言えるものを持っているかどうかはわからない。そんな中で、誰もが「これぞ□□のライフワーク」と認知する番組を持ったタレントがいる。黒柳徹子の「徹子の窓」などは、その代表である。ライフワークと言うからには、厳密には「人生の最後まで」の条件付きになるかもしれない。ともあれ火野正平の「こころ旅」も、彼にとって堂々たるライフワークになった。 因みに小生のライフワークは「リーダーシップ・トレーニングの開発と実践」である。すでに、後期高齢者の身だから、とりあえず「ライフ」は付けてもよさそうはある。(了) |
| IAEAの[leadership]と[management] [42] 2024/02/17 Sat 9832 昨日 [40] の続き IAEAの文書によれば、[安全のためのリーダーシップ]は「①組織のビジョン、目標、戦略、計画、目的を確立し、それらを統合する。②放射線の有害な影響から人々と環境を守ることに個人として関与することを明確にする。③基本的な安全原則を提唱し、期待される行動を明確に設定し、強力な安全文化を育てる」ことである。 一方、[安全のためのマネジメント]は、「効果的なマネジメントシステムを確立することと、その適用が含まれる」とする。そして、このシステムは、「安全についての要件を確立し、他の様々な要件との一貫性を保持できるように、マネジメントのすべての要素を統合しなければならない」とする。そして、この「すべての要素」には「人的なパフォーマンス、品質と安全(security)が含まれる」とともに、「安全そのものが、そのほかで求められる要件や要求と妥協することがないようにする」ことにも配慮する必要があると強調している。 |
| 子弟寮 [41] 2024/02/17 Sat 9831 いつまで経っても[身辺整理]は終わらない。それは定年前の60代から始めた人生の一大事業だが、このごろは「終わりまで、終わらない」と確信しはじめた。 わたしは高校2年生の2学期から福岡で寮生活をスタートした。父親が長崎に転勤したが、わたしは高校を転校したくなかった。そこで、家族が福岡市の東部にある香椎に住んでいたことから、国鉄か言い駅から遠くないところに下宿することに決めた。すでに入居の日まで決めていたが、父親が、自分が勤務する組織の子弟寮があると言ってきた。新しい鉄筋の職員寮ができたのだが、木造の旧寮を壊すのはもったいないので、福岡にいる職員の子どもを対象にした寮にすることになったという。これだと、寮費が安いのはもちろん、父親が働く組織がバックアップするのだから安心できる。わたしの記憶では、当時の下宿は一畳当たり1000円の時代で、四畳半なら4500円で、これに光熱費等が加わる。これに対して子弟寮は光熱費込みで2000円と、破格の安さだった。 |
| [leadership and management] [40] 2024/02/16 Fri 9830 昨日 [38] の続き わたしはリーダーシップに、少なくとも[Management]的な要素が含まれるべきだと考えていた。もちろん、組織全体の経営を考えるものとしての[Management]があることは言うまでもない。むしろ、こちらの方を[Management]と呼ぶ方が一般的だと思っていた。そんなとき、IAEA(International Atomic Energy Agency:国際原子力機関)から[LEADERSHIP AND MANAGEMENT FOR SAFETY:GENERAL SAFETY REQUIREMENTS(2016)]なる文書が出された。タイトルで、[安全]のための[Leadership]と[Management]が並べて挙げられている。そこから両者が相異なるものとして取り扱われることが推測されるのである。そこで、ネットで[leadership management differences]の3語を入力してみた。すると、両者の違いを解説する文書や動画が驚くほどリストアップされた。英語圏でも両者について曖昧な状況があることがわかる。 |
| 「4人の物語」(50) [39] 2024/02/16 Fri 9829 2月9日 [21] の続き Aが子どものころは[虫下し]なるものがあった。寄生虫を殺したり、体外に排泄したりする薬である。子どもたちのお腹、つまりは腸の中に虫がいたころのお話である。いまから60年以上前、わが国では、野菜づくりの肥料に人糞を使っていた。そもそも化学肥料なるものがなかったか、あっても野菜の価格には似合わないほど高価だったのではないか。こんなことは、現在50代の人たちにも想像すらできないだろう。 Aは小学校に通う途上の畑から、風向き次第ではそれなりの香りがしたことを憶えている。そのころの子どもたちは「そんなものだ」と思っていたから、それが理由で野菜を食べない者はいなかっただろう。その代わりと言うべきか、様々な虫の卵も野菜にくっついていた。これを除去する農薬もなかったか、高かったに違いない。その結果、子どもたちには[虫下し]が必要だったのである。Aは小学校の[便所]で、便器に大きな回虫の死骸が付いていたことを記憶している。 |
| [管理]から[経営]へ [38] 2024/02/15 Thu 9828 2月11日 [28] の続き リーダーシップの重要なポイントとして、見えない、聞こえないフォロワーたちの声を吸い上げることを[グラウンドアップ]の流れとして捉え、そのために具体的な行動をとることを提唱してきた。それはリーダーシップを[管理]から[経営]の視点に転換することを意味している。つまりは、[グラウンドアップ]と[経営]はリーダーシップの発揮に欠かせないものである。その一方で、[トップダウンとグラウンドアップ]を重視すること、「経営]を[管理・統制]のみの視点から脱却することは、組織としての政策でもある。そうなると、それはリーダー個々人の具体的な行動を超えた組織の基本的考え方になる。その場合は、[Management]は[リーダーシップ]とは別の組織経営に関わる政策となる。この流れでいえば、[Management]と[Leadership]は、あるときは重なり合いながら、またあるときは別のものとして存在していることになる。 |
| J事件の分析と考察(27) [37] 2024/02/15 Thu 9827 2月7日 [17] の続き 寝室でJ氏からマッサージされたという[元Jメンバー]は、「逆ならいいよ」と考えた。つまり、部下が上司の肩をもむという、その昔はめずらしくない[ごますり(?)]行為があった。わたしの手元にも、学生主催のコンパで三隅先生の肩をもんでいる写真がある。BBCのレポーターは、自分であれば「どちからにしても、マッサージするのは一線を越えた行為だと言う」と語り、実際に何があったのかをできる限り話してほしいと伝える。これに[元Jメンバー]は「肩からドンドン下の方に行ったって感じですね。そうした話はもちろん僕も聞いてたりしたんで、『ああついに僕の番が来たか』って感じだった。ただ、ある一定のところまで来て、そろそろ度が越えそうだなって思ったんで、『もうこれ以上は駄目』と言った。それで、Jさんは『ごめんね、ごめんね』と言ってほかの部屋に行った」という主旨の話を続けた。J氏の性癖は「もちろん聞いていたこと」だったのである。 |
| [長崎通い]のころ [36] 2024/02/15 Thu 9826 昨日 [30] の続き 高さんのメールを見ながら、自分が[長崎通い]をしたときの日記を眺めた。1972年8月18日(水)に長崎に移動し、翌日から21日(土)まで2泊3日のトレーニングである。それが終わると、雲仙小浜からバスで諫早に向かい国鉄の特急かもめで福岡に帰った。翌週も水曜日の25日移動で28日に福岡に帰る。そして、9月1日(水)に三度長崎泊からはじまり9月4日の土曜日で[完了]となった。 そして週明けの6日(月)からは、九州電力の管理者研修に出かけている。こちらは9日で終わっているから4日間である。「今回は午後からのスケジュールで夜には寮に帰るので気分的に楽である」と書いている(7日)。スタートの6日には「理論学習が進まず、実践ばかりである。このままではいかん、いかん」と自分に言い聞かせている。トレーニングは面白いが、その裏打ちとなる座学の時間が取りにくいお悩みがあったのである。 |
| 高さんからの手紙[補遺](5) [35] 2024/02/14 Wed 9825 昨日 [33] の続き 作業長会から、副作業長全員のトレーニングを実施してほしいとの要望は、ありがたいことながら人的に無理だと回答した。この後の経過を、高禎助氏からのメールでフォローしよう。 その結果作業長会で検討が進められ「それでは作業長会主催で副作業長対象のPMTを実施しよう」となり、結果的には作業長がリーダーシップを取ってPMTが一泊二日で実施されたのです。小生は一切手を出さず側で見ていただけです。実はこの作業長会主催のPMTが極めて有効だった訳です。PMリーダーシップとはどう云うものかと云う講義を作業長自身が先生となり実施したわけですから。このことが長崎プログラムの成功に強く関係したと思えます。 これは「高さん」らしい表現だと思う。「小生は一切手を出さず側で見ていただけ」としているが、自分たちが教育している現場に出かけて来て、「側にいるだけ」で、作業長たちの士気が上がったに違いない。いや、状況に応じて「様々なサポート」をしたはずである。「そうでしょ、本当は…」。こんな質問をしたら、「高さん」はどう答えるだろうか。ともあれ、「高さん」は、三菱重工長崎造船所で展開された「全員参画による安全運動プロジェクト」の主役の1人なのである。 メールのは、「 (追記)貴兄の講演の録画も聴きました。極めて魅力的! おせいじに非ずです」で終わっていた。「高さん」から言われて、わたしの退職記念講演会のビデオを送っていたのだった。これを読んで、「おせじに非ず」を文字どおり受け止めて、はしゃいだことが懐かしい。(了) |
| 東京の[転入超過] [34] 2024/02/14 Wed 9824 総務省の発表によると、東京の人口は昨年[転入超過]で3万68,285人増えた(熊本日日新聞1月31日)。全国的に人口が減少する中で 東京が増加傾向になるとは、わたしなんぞは[やれやれ感]が高まる。一極集中型は短期的には効率が良さそうだが、危機が襲来すると、「一極が集中して崩壊する」のである。関東大地震から100年、直下型の地震がいつ発生してもおかしくない中で、何の手立ても取らないでいいのか。かつて、首都移転や分散化などが「流行った」時期があったが、いつの間にかしぼんでしまった。 |
| 高さんからの手紙[補遺](5) [33] 2024/02/13 Tue 9823 昨日 [30] の続き 作業長140名のトレーニング後に、作業長会から副作業長のトレーニングの要請を受けた。それはそのまま、作業長のトレーニングが成功した証になった。何と言っても、実体験者たちの意志なのである。わたしは大学院修士課程の学生で、トレーニングを取り仕切ったのは高禎助氏だった。これに当時集団力学研究員だった篠原弘章氏が加わった。篠原氏はわたしの先輩で、その後、熊本大学に移籍された。わたしを熊本大学で教員の採用があるから、応募してはどうかとお誘いいただいたのも篠原氏である。高氏、篠原氏とわたしの3人が、3回連続のトレーニングのために福岡から通った。まずは長崎まで行って、翌日朝にトレーニングの参加者たちと合流し、貸し切りバスで雲仙の小浜に向かう段取りだった。 |
| 祖父の思い出 [32] 2024/02/13 Tue 9822 わたしが小学生のとき手作りしていた「新聞」の愛読者だった母方の祖父の情報が出てきた。本籍は福岡県浮羽郡で1893年(明治26年)12月31日生まれ。1965年8月5日、東京都北多摩郡で死去 71歳。 わたしが高校1年生のとき、しばらくわが家に滞在し、その後、東京の伯母宅に行き、1年ほどして亡くなった。わたしは夏休みなどに母が実家に帰ったときだけ会っていただけだが、その顔も声もしっかり記憶の中にある。実家には五右衛門風呂があり、鉄製の扇風機や陶器製の枕があったことなどが懐かしく思い出される。ジョンという、あちら風の名前の付いた犬もいた。そうそう、道を挟んだ向こう側にはサトウキビ畑があり、ときおりその中に潜り込んで生かじりで甘い汁を吸った。 冒頭の「新聞」は、わたしが小学生のころ新聞を真似て作ったもので、祖父に月刊程度のペースで送っていた。わたしは、新聞の見出しで使われている明朝体の活字に大いなる興味を持っており、それを見えたままに模倣して「新聞」を作るのが楽しみだった。 |
| 「管理」から「経営」へ [31] 2024/02/12 Mon 9821 昨日 [28] の続き [management]には、[管理]と[経営]と訳されるが、前者は[上から目線]丸出しである。そこで、管理職は[管理]ではなく[経営]の視点からリーダーシップを発揮することが期待される。そこで、わたしは[リーダーシップ]のあり方を[管理から経営へ]転換するよう提案してきた。それは「トップダウンとボトムアップ」の発想にも言及することになった。 [ボトムアップ]は[上から目線]の典型的表現である。水が高所から低いところへ流れるだけでは循環が起こらない。この世界では水は海から大地から、そしてあらゆるところから上に昇っている。ただし、それは水蒸気となっているから目には見えない。これを吸い上げるのは太陽である。組織においてもトップは、そして管理者は太陽となって、見えない、聞こえない声を大地から吸い上げなければならない。この点を強調するために、わたしは「ボトム」を「グラウンド」に変えることを提唱してきた。 |
| 高さんからの手紙[補遺](4) [30] 2024/02/12 Mon 9820 昨日 [27] の続き 造船所では、作業長140名全員が「リーダーシップ・トレーニング」の対象になった。トレーニングは3回に分けて、3週間連続で実施した。会場は雲仙の麓にある小浜温泉の国民宿舎[望洋荘]で、おそらく半分ほどが貸し切りだった。スタートは1972年8月19日で、2泊3日のスケジュールである。その日の日記に、「トレーニングとしては短いが、3週間繰り返すので、かなり疲れそうである」と書いている。何と「2泊3日」が短いというのだからつい笑ってしまった。なんでもかんでもが「モォ-レツ(猛烈)」の世界だった。少し時代は下るが、栄養ドリンクのCMではビジネスマンが「24時間、戦えますか」と迫り、「企業戦士」なることばが世の中を席巻した。ところで、トレーニングの2回目は8月26日、3回目は9月3日がスタート日だった。 |
| 現場の声 [29] 2024/02/12 Mon 9819 2月5日 [11] の続き 「58.作業に使用する車の積載制限を超える場合がある」。これに、「59.積み過ぎでシャフトが曲がった」「60.無理な積載が見受けられる」「61.過積載している」といった「ことば違い」で同じことがあれこれ出てきた。 つまりは「してはいけないことをしている」のは個人の問題ではなく、多くの人間が認める現実なのである。しかも、インタビューで語ったり、アンケートに記載しているのだから、「問題である」こともわかっているわけだ。そして、問題が起きると、そうした状況が哱され続けていたことが明らかになる。 |
| リーダーシップとマネジメント [28] 2024/02/11 Sun 9818 2023年6月3日 [06] の続き リーダーシップとマネジメントは、わたしの仕事の中核にある。本コラムでも、この話題は書き続けてきた。ただ、連載にして番号を振るのはやめにした。毎日の生活で、「今日の歯磨きは生まれてから〇回目」などわかるはずもないが、そもそも記録する意味がない。いつものことながら例えがまずいが、リーダーシップとマネジメントについては番号なしの同じ標題で書き続けることにした。 わたしには、[management] が日本語の[管理]と[経営]に訳されることに焦点を合わせたネタがあった。まずは[management]を[the Scientific Management]に繋げる。それは[Frederick Winslow Taylor 1913 The Principles of Scientific Management]の話からはじまる。ここで、[Scientific Management]は日本語では「科学的管理法」と訳されている。つまり[management=管理]なのである。その一方で[management]には[経営]という意味もある。また、[経営の腕、管理能力、運営力、経営力、行政力]などもあり、さらに[しばしば the management]と定冠詞を付けて[経営者側、経営幹部、経営陣]ときわめて幅広い(ランダムハウス英和辞典)。日本語で[管理職]は自然に受け止められるが、[管理主義的]といえば、マイナスのイメージが漂う。それは「統制、コントロール」などと相性がいい。つまりは、[上から目線]にあふれているのである。 |
| 高さんからの手紙[補遺](3) [27] 2024/02/11 Sun 9817 2月9日 [22] の続き 造船所で事故、出勤率、能率が最悪だった係で事故が減少した。周囲は「何がはじまるやら」と「見物」していた感があったが、事故の減少は数字で目に見えた。そうなると、「うちでもやってほしい」の声が出てきたのである。そこで、すべての第一線監督者である作業長の研修が導入された。 しばらくして現場には作業長会と云うのがあり、ここから「PMリーダーシップは副作業長にも必要だ。副作業長に我々と同じようにPMTを実施して欲しい」との申し出がありました。しかし副作業長は各作業班に2名ずついるので全体では280名になります。作業長対象のPMTは全て貴兄等の協力で集団力学研究所が行った訳ですが、当時280名を対象に2泊3日のPMTを実施することは、とても不可能でした。そこで残念ながらとても無理だと断った訳です。 つまりは、研修参画者である作業長たちが、プロジェクトを自分たちの部下である副作業長にまで拡大することを要請して来たのである。 |
| まだ、まだ「こころ旅」 [26] 2024/02/11 Sun 9816 昨日 [24] の続き BS「こころ旅」で火野正平は唐人町に向かう。わたしは市内電車の「貫線」で室見から千代町まで行き、そこからは歩いて高校に通った。その途中に電停の「唐人町」があったから、唐人町そのものはそれほど往き来したところではない。ただ、その名称が印象的で、何度か商店街を歩いたことはある。 それから「こころ旅」は最終目的地の鳥飼に向かった。この鳥飼も同じ名前の電停があった。こちらは「城南線」である。室見から見れば、「鳥飼」の少し先に行くと「六本松」電停になる。ここに九州大学の教養部があり、1年半は「城南線」の通学客となった。そんなことで、「鳥飼」はけっこう馴染みのある地で、そのままテレビを見続けた。 |
| 続々々 「研修受講者からのメール」 [25] 2024/02/10 Sat 9815 昨日 [23] の続き 研修受講者が書く「3ヶ月後の手紙」に付ける「意味不明の漢字二文字+署名」は筆ペンで書いている。わたしは小学生のとき近所の書道教室で習字を習った。その後は高校で書道を選択した。その先生は西日本新聞の題字を書いたという大物だった。それから後は書道とは縁が切れた。わたしの父親は独特の筆字で年賀状などを書いていた。この世代らしく、硯と数本の筆を入れた筆箱を持っていた。わたしはと言えば、あるとき、「3ヶ月後の手紙」に署名することを思いついて、これを筆ペンで書くことにした。それからは、筆ペンがわたしの必携物になった。ずいぶん前に受講いただいた方とお会いして、「あのときの『手紙』をまだ持っています」と言われると嬉しくなる。 そんなことで、年が明けて届いたメールを読んで、すぐに返事をお返しした。 年始早々から、当方の気持ちが良くなるメールをいただきましてありがとうございます。 □□さまの創続的ステップアップに少しでもお役に立てたとすれば嬉しい限りです。おかげさまで心身共に元気なつもりでおり、こうしたお声で「もうしばらくは世の中に憚る」気になってしまいます。 そのうち、完全匿名に配慮した上で、「味な話の素」にも紹介させていただこうと思います。(了) |
| まだ、「こころ旅」 [24] 2024/02/10 Sat 9814 1月8日 [18] の続き BS「こころ旅」の福岡シリーズは「続」「続々」「続々々」まで来たが止まらなくなった。番組の火野正平は自転車で愛宕浜から室見、そして唐人町へ向かうのだが、わたしはまだ百道の浜辺りをうろついている。 郵政研修所を抜けると住宅地に入り、細い道をてくてく歩いて行くと、その先に西南学院大学がある。わたしは高校生だったが、日曜日には西南大の生協に出かけて昼飯を食べることがあった。大抵は寮にいた大学生の先輩たちと一緒である。大学に入学してからは、平日に出かけて生協で本を買うこともあった。当時の大学生協は、再販制度で定価販売が基本だった書籍が10%オフで購入できた。とにかく、散歩がてらに歩いて20分もかからないから、自分が通う大学よりはるかに近かった。 |
| 続々「研修受講者からのメール」 [23 ] 2024/02/09 Fri 9813 昨日 [19] の続き 研修の終わりに、3ヶ月後の自分に宛てて「手紙」を出すのは、わたしのオリジナルではない。それは50年ほども前にもあった。ただ、その封筒の差出人欄に、意味不明の漢字二文字とわたしの署名を書き入れる点がオリジナルなのである。ここで「意味不明」とは、辞書に載っていない二文字で、たとえば「心輝」「命豊」「考動」などである。もちろん、漢字をランダムに組み合わせるのではなく、わたしなりに気持ちを込めて意味づけしていることは、サンプルを見ていただければおわかりだろう。そして、すべての受講者に異なる二文字を贈ることに、こだわっている。このところは、頭の一文字は共通で二文字目を違ったものにすることもある。たとえば、「安探」「安信」「安創」などがこれに当たる。メールをいただいた受講者には「安希」の二文字を贈ったのだった。 |
| 高さんからの手紙[補遺](2) [22 ] 2024/02/09 Fri 9812 昨日 [20] の続き それは、三菱重工業長崎造船所で展開された「全員参画による安全運動」の話である。このプロジェクトは4年間で事故を激減させたが、そのスタート時の話である。 最初の実験は□□□□係で実施しましたがこれは□□□□部長の指示によるものでした。事故、出勤率、能率など当時同部では最悪の係でした。ところがこれが運良く成功し事故が減少したのです。この動きを見ていた隣りの□□□□係の作業員の一人が「うちは何でやらんとですか?」と自分の係長に文句を言ったのがキッカケで□□□□係でも集団決定とPMTが実施されることとなり結果がでました。この事が原因で□□係他の全ての係に作業長対象のPMTが実施されたわけです。全ての係が現場からの申し出で実施されたのです。 そもそも、大きな組織だから、はじめから全体でプロジェクトを展開するには無理があった。そこで、パイロット的に「最悪の係」を選んだことが、その後の成功につながることになる。 |
| 「4人の物語」(49) [21 ] 2024/02/09 Fri 9811 2月2日 [88] の続き Aは自分の記憶だから、正確さには自信を持っていないが、小学生のころは人前に立つと心臓がどきどきして、顔が赤くなった。もちろん、小学生だから、誰もが程度の差はあれ、心拍数が増え、その結果として顔が赤くなるのは自然なことである。ただ、本人は、自分はほかの人よりもその傾向が強いと思っていたような気がする。 また、時折お腹が痛くなってトイレに行きたくなることもあった。それでも授業中、先生にトイレに行きたいとは言えなかった。Aは3年生のころ、クラスで元気な子が、便意をこらえきれずズボンの裾から便が転がり出たことをいまでも憶えている。当時の子どもたちには、「うんちに行くこと」がはずかしいと考える空気があった。 |
| 高さんからの手紙[補遺](1) [20 ] 2024/02/08 Thu 9810 わたしが「高さん」とお呼びしている高禎助氏は2021年の夏に他界された。三隅先生と並んで、わたしが「リーダーシップ・トレーニング」をライフワークにするに当たって決定的な影響を与えていただいた。その高さんから「集団力学研究所」の裏話を含む歴史を記したお便りをいただいた。その内容を高さんのご了解を得て、2017年4月から19年4月まで107回に亘って本コラムに連載した。そんな高さんとの関係だから、関係した情報はすべて掲載していたと思っていた。ところが、まだまだ発掘すべき情報が残っていたのである。 そこで、先の連載の「補遺」的なものになるが、それを取り上げておこうと考えた。本日は、その予告でおしまいです。 |
| 続「研修受講者からのメール」 [19] 2024/02/08 Thu 9809 2月5日 [12] の続き 前回取り上げたリーダーシップ研修の受講者からのメールは、「 研修の終了後に自分が実践する行動目標を設定する。その期間は概ね3ヶ月としている。そこで、受講者の行動実践に繋げる道具のひとつとして、研修の最後に「3ヶ月後の自分にあてた手紙」を書いておくのである。それを事務局が預かり、3ヶ月後を目安に本人に返される。そおとき計画した通りに実践できていれば、めでたし、めでたしである。そして、「あのとき書いた気持ちが懐かしいなあ」と喜べばいい。 しかしながら、どんな小さな行動でも、それまでの習慣的な発想や振る舞いに変化を加えるのは容易ではない。研修を実施する側としては全員が100%成功してほしいが、なかなかそうもいかない。そうしたとき、3ヶ月前に自分が記した心情を書いた「手紙」が返ってくる。自分で宛名書きした封筒を開封すれば、「ああそうだった」といった記憶が蘇るだろう。それが、あらためて行動実践のきっかけになることを願って、「3ヶ月後の手紙」の作成を研修プログラムに入れているのである。 |
| 続々々「こころ旅」 [18] 2024/02/08 Thu 9808 昨日 [16 ] の続き 金屑川を渡って少し歩くと百道中学校があった。その運動場の先は博多湾に面していたが、しっかりとした砂浜だった。ここで寮の先輩たちとキャッチボールをした。博多湾の向こう側には海の中道が走り、志賀島につながっている。ときおり博多港から志賀渡島に渡る船が浮かんでゆっくりと進んでいた。わたしもこの船で志賀渡島を往復したことがある。 百道中学校から少し進むと郵政省の研修所があった。ここで、わが恩師の三隅先生たちがIBMのパンチカードを使ってリーダーシップの実験をした。いわば、リーダーシップPM論の聖地である。ここで、[IBMのパンチカード]に[PM論]、さらには[その聖地]などと言っても、何のことかおわかりにならない方の方が多いかもしれない。いつか機会があればお話しするとして、わたしたちにとって記念すべき場所だったことだけをお伝えして、さらに先に歩いて行こう。 |
| J事件の分析と考察(26) [17 ] 2024/02/07 Wed 9807 1月31日 [89] の続き BBCの記者は[J]の「百科事典」があるという。それはファンが作ったものだと推測しているが、とにかく[J]に関わる情報満載だという。たとえば、かつて[J]だったメンバー全員の名前がリスト化されていて、1950年代にまで遡るらしい。記者はこれを手がかりに[元J」との接触を試みたところ、1人だけ会うことができた。その人物は飲食店の経営者だが、2002年に[J事務所]に入って10年間[J]だった。この時期は裁判でJ氏の性加害が裁判所で確定したときと重なっている。 記者が「J氏が少年に性的な行為を仕掛けるのを見たり、聞いたりしたか」と問いかける。これに対して、「知っていますし、あります」と答える。その具体的な内容について聴かれると、「家に行ってご飯を食べて、お風呂に入らせてもらって寝室に行ったときにJ氏が来て、『最近すごく忙しいだろうからマッサージしてあげる』といった感じでマッサージしてもらった」と語る。 |
| 続々「こころ旅」 [16] 2024/02/07 Wed 9806 昨日 [14] の続き 志賀島に続いてはじまった「こころ旅」で、主役の火野正平が愛宕浜を起点にし自転車をスタートさせた。すぎに室見川を渡る。わたしが住んでいたころは、川岸に白魚の躍り食いを売りにしていた「三四郎」という料亭があった。それはそうと、画面に広がる光景は、橋を除けばどこを走っているのかわからない。それもそのはず、わたしが室見で生活していたのは50年前のことなのである。それから間もなくドームが見えてくる。 わたしが住んでいた寮は室見川と比べると小さいが、金屑川という名前の川に挟まれたところにあった。そこから出てすぐに、人と自転車しか渡れない橋があった。ある日の夜、この橋まで1人で行って、星が輝いている天空を見上げた。この宇宙と比べれば、人間は星屑にもならない。そのときは、どちらかと言えば、感傷的な気分でいたような憶えがある。 |
| ここでも順番待ち? [15] 2024/02/06 Tue 9805 熊本市の火葬場に設置されている炉が足りなくなるという。(熊本日日新聞1月20日)いまや「少子高齢社会」であり、あわせて「多死社会」なのである。この話、人ごとではなく、われわれ世代が主役なのだ。世の中では運転士不足の「24年問題」が話題になっているが、それより先行していたのが「25年問題」である。この年には「団塊世代の全員」が「後期高齢者」になる。その結果、医療費をはじめとした財政問題がさらに深刻化するというのである。 そもそも「団塊世代」とは堺屋太一氏が書いた同名の小説に起源があるが、戦後の1947年から49年の3年間に生まれた800万人を超える「元子どもたち」を指す。いまや年間出生数が80万人を切る状況だから、3年を掛けても240万人にしかならない。熊本市では火葬されるまで日を置いて待つこともあるらしい。子どものころは60人のすし詰め学級だったが、あの世に逝くときも「順番待ち」になるかもしれない。それでも、本人が退屈したり、疲れたりする心配はないが、周りの人間が大変だよね。 ともあれ、火葬炉の増設は自分にとってまことに身近な話題で、改めて「人ごとじゃあないわな」と笑ってしまった。 |
| 続「こころ旅」 [14] 2024/02/06 Tue 9804 昨日 [13] の続き NHKのBS「こころ旅」の志賀島は5分ほどで終わった。そこで、そろそろ移動しようと思ったら次の回がはじまった。このシリーズが朝8時ころに放映されていることは知っていたが、2回分をまとめて流すことは知らなかった。いかにもBSらしい。 今度は福岡市の愛宕浜が出てきた。福岡の都心から室見川を渡った先に愛宕山がある。その海側が砂浜になっているのだ。わたしは高校2年の2学期から大学院時代の大部分までを室見で過ごした。まだ福岡で西鉄の市内電車が走っていたころである。市電の線路は室見までが複線で、その先の姪浜までは単線になる。室見の次の電停が[愛宕下]だった。愛宕山には愛宕神社があり、晴れた日曜日などに友人と登った。愛宕神社とは「火の神」を祀る神社で全国にある。その中でも、京都、東京と並んで福岡は三大愛宕神社のひとつらしい。とにかく山そのものが小さかったが、狭い頂上から博多湾が一望できた。その向こうには長い「海の中道」が湾を囲むように走り、志賀島につながっていた。 |
| 「こころ旅」と志賀島 [13] 2024/02/05 Mon 9803 先週の土曜日、やや遅めの昼食を終えてテレビのスイッチを入れた。たまたまNHKのBSで日野正平の「にっぽん縦断こころ旅」が放送中で、福岡の志賀島が出てきた。 わたしは中学2年生の夏休みに父親の転勤で福岡の住人になった。宿舎は福岡市の東にある香椎にあった。松本清張の「点と線」は香椎の浜で男女2人の遺体が横たわっているところからはじまる。わたしは香椎中学校に転入した。まだ商用車以外の自家用車など金持ちの所有だったころ学校からバスで志賀島に出かけたことがあったと思うが、はっきりはしない。ただ、高校に入ってから中学校のときの友人たちと志賀島に行ったことは写真も残っていてしっかり記憶している。何と言っても国宝「漢委奴国王印」が出土した島だから、誰もが一度は教科書で見たことがあるだろう。この島には国民宿舎があって、大学に入ってからは研究会などで何度か宿泊した。そんなことで「こころ旅」を観ていたら、5分ほどで終わった。 |
| 研修受講者からのメール [12] 2024/02/05 Mon 9802 年が明けて、昨年実施したリーダーシップ・トレーニングの受講者からメールをいただいた。 □□の研修でお世話になりました□□の□□でございます。 一言御礼を言わせていただければと思い、メールしております。年末に、吉田先生の最後の仕掛けが届きました。ふるまいを変えたいと思い、行動目標□□□ができている現在の自分を嬉しく思いました。昨年は私自身が色々な研修を受ける機会に恵まれました。その中でも、□□□研修で学んだ□□□と先生の研修で学んだ「ちょっとずつふるまいを自ら変える」「まいにち人は生き返る」「情熱を持って生きる」が融合して、一歩を踏み出す事ができました。 私自身、「安」全文化やリーダーシップについてはまだまだ勉強中ですが、また学びが深くなったと思っております。今年は自分に「希」望を持って、臆せず前に進もうと思います。素敵な文字をありがとうございました。 |
| 現場の声 [11] 2024/02/05 Mon 9801 1月28日 [82] の続き 「54.児通しできる距離が短いとき、複数の見張り員が必要で作業員が不足する」「55.児通しが悪いところで作業するとき、見張りが手薄になる」 この組織では見張りを立てて作業することが重要な業務になっている。その際に、安全を確保するために「見張り員」が必要になる。ところが、それに人を当てると作業の進捗に支障が出るのである。これを同様の趣旨のものが数件あったことから、「見張り員」については個別特殊な事象でないことが伺われる。また、「56.□□後の作業開始で見張り体制ができていない」という声もある。さらに、「57.1人で現場に行くが、見張員は必要ないのか」と現状に疑問を呈するものもあった。 こうした状況も、ほとんどの場合は事故につながらない。ただ、何かがあると「見張りの体制が杜撰だった」と指摘される。 |
| メールのやり取り(15) [10] 2024/02/04 Sun 9800 昨日 [06] の続き わたしがお送りした最後のメールである。 □□□□さま おはようございます。お送りした[味な話の素]の一部が文字化けしていたようですね。失礼しました。05年4月に起きた[レジャー施設での死亡事故]をきっかけに、5月ころまで、組織の安全について連載しました。そこから選んでお送りしたつもりでした。この時期のバックナンバーを見ていただければと思います。 本コラムで[組織安全]に関わるものを送っていたのである。 毎回、大事な仕事をされている中で感じられる思いが伝わってきました。最初の返事で書きましたが、いただいたご質問等も頭に入れた話題も取り上げていきたいと思います。もっとも[味な話の素]は論文ではありませんので、顰蹙を買うほどの脱線もします。このあたりのことはご了解いただいた上で、ご愛読いただければ幸いです。 わたしの心に残るメールのやり取りだった。(了) |
| 日記の中の母(10) [09] 2024/02/04 Sun 9799 1月28日 [82] の続き 1973年8月11日 土曜日 叔父の家ではよく寝れた。こんな単調な時間を病院で過しているのに案外と時のたつのが早いのには驚く。 8時少し前、母が腹痛を訴える。相当に痛かったようで、「もう死ぬ」と言っていた。「おとうさんをよろしく」の言葉を聞いた時には大丈夫と思いつつもヒヤリとした。明日はBSに行かねばならない。 このとき、母が本当に亡くなるとは夢にも思っていなかった。最後の[BS]はブリヂストンタイヤ久留米工場のことである。集団力学研究所員として調査とトレーニングに関わっていた。 |
| 「万華鏡」と無限 [08] 2024/02/03 Sat 9798 2月1日 [02] の続き 万華鏡は英語で[カレイドスコープ]である。和英のいずれもが耳に心地よく響く。そもそも[万化・万華:ばんか]とは「多くの花、いろいろの花(精選版 日本国語大辞典)」で、万華鏡(まんげきょう)は[万]どころか、二度と同じものはできないから、[無限華鏡]と呼ぶのが正しい。もっとも[万]には数字の桁だけでなく、「ひじょうに多くの数」という意味がある(精選版 日本国語大辞典)。それでも[無限ではない]が、[万華]の方が文字面もいい。 英語の[kaleido]は古代ギリシャ語の[kalos:美しい]と[eidos:形]を合成したものである。発明者のイギリス人デビッド=ブルースターが命名した(精選版 日本国語大辞典)。英語はストレート過ぎて[万華]の宇宙的な広がりがない。まあ、古代ギリシャ語を使ったことで、彼の国の人々には[万華]的な雰囲気が出るのかもしれない。 万華鏡を覗いていると「一期一会」の世界が目で見える。 |
| 依存に気づかないままに [07] 2024/02/03 Sat 9797 2月1日 [02] の続き フロムによれば、サディズムもマゾヒズムも「相手に対して依存している」点で共通しているという。ただし、「この依存はまったく無意識的であるかもわからない」のである。 サディズムは、多くの観察者にとっては、マゾヒズムよりは謎のすくないものである。ひとをきずつけ、ひとを支配しようとすることは、けっして「よい」ことではなくても、きわめて自然であるように思われるから。ホッブスは「死のほかにはとどめることのできない、権力から権力を追求するたえまない願望」の存在を、「全人類にみられる一般的な傾向」と考えた。かれにとって権力をもとめる願望は、悪魔的なものではなく、快楽と安全をもとめる人間の願望の、まったく合理的な結果にほかならない。ホッブスからヒットラーにいたるまで、支配の願望を、生物的に条件づけられた適者生存のための闘争の論理的結果と説明するものにとっては、権力への渇望は、なんの説明も必要としないほど明らかな人間性の一部であると考えられている。(日高訳 P165) 自分の依存性には気づかないままに、「権力を振るうのは自然かつ当然」と考える者が、この世の中にどのくらいいるのだろう。 |
| メールのやり取り(15) [06] 2024/02/03 Sat 9796 昨日 [04] の続き 最後のメールの内容は、それまでやり取りしていたものと重なりがある。それでも、まとめとしてお書きいただいたところに思いがにじみ出ている。「TopはCompliance を口にしている」が、それが現実には実行されているとは言えない。むしろ「会社の利益を追求する」ことから不祥事が起きるのである。これは一般論のように見えるが、この方は自分の組織でもそうした傾向があると思っていることがうかがわれる。たしかに、経営者の部屋をはじめ、至るところに掛けられている額に入った「社是」の内容は非の打ち所のない文章で輝いている。しかし、口で言うだけでは「ない」のと同じである。いや、そのギャップが大きければ大きいほど、単なる飾り物になってしまう。さらに、それが働く者たちの意欲を低下させる。もちろんトップとしては。Complianceを真剣に考え、組織全体にそれを徹底するためのモデルとして行動しているに違いない。しかし、みんなに「そう見えなければ」意味がない。 |
| 「4人の物語」(48) [05] 2024/02/02 Fri 9795 1月27日 [80] の続き Aは、父親が通勤する自転車の後ろに乗って学校に向かったのは良かったが、下りる時にタイヤのスポークに足を挟まれて捻ってしまった。タイヤの回転が止まらないうちに降りようとしたのだろう。それから学校までは足を引きずりながら歩いて行った。まあ、捻挫程度ですんだのだから、不幸中の幸いである。それはいいとして、その日が学芸会か何かで講堂のステージに立ったことがAの記憶につながっている。もちろん、それが事実であるかどうかには怪しさが伴っている。それはともあれ、壇上では心臓が破裂するようにドキドキした。そして、顔も上気して赤くなっていたような気がする。 |
| メールのやり取り(14) [04] 2024/02/02 Fri 9794 1月30日 [88] の続き 「メールのやり取りはこれで最後にする」とのメールには、つぎのようなことが書かれていた。 「最後に、今の企業が起こしている不祥事を見ますと、Top がはっきりとCompliance を口で言っていますが、実行が伴わず会社の利益を追求したことで起こったと思います。Bottom Up 求めるのではなく、今は、Top がはっきりとした方向性を持って今ではなく将来を見据えた方針と環境を作らなければ企業存続はないと思います。言いたいことを言える組織を作ってもその個人の考えを聞き評価(いい評価)すれば良いののですが、しないで進言に対してもフィ-ドバックせず個人の評価にされては、言わなくなると思います。今は、会社の Top が色んなことを言われても全部受け入れてどのようにしたら皆の気持ちを一つにして、目標を達成できるかが重要だと考えます。色々とお返事を頂き有難うございました」。 原文の重みを考えて、まずはすべてそのまま掲示した。これに対するわたしの受け止め方を続けたい。 |
| コロナとダイヤモンド [03] 2024/02/02 Fri 9793 熊本大学の再雇用の定年満70歳を迎えて2019年3月31日をもってサラリーマン生活を終えた。新年度からは、自称[花のフリーター]となった。ありがたいことに、それまでのご縁もあって、仕事のお声がかかった。本欄でも繰り返しているが、わたしの辞書の筆頭には[Yes-man]が記載されている。授業も会議も公務もなくなって、まさに[Yes]を乱発して大忙しになった。そんなことで、飛行機にも乗る機会が増えて、ANAのダイヤモンドメンバー資格をゲットした。そこまではハッピーストーリーだったが、翌年からのコロナ大襲来である。ANAもこうした状況に対応して、ダイヤモンドの有効期間を21年まで延長した。しかし、リモートの普及もあり、仕事はしても航空機は使わないことが増えた。そんなことで、飛行回数が低空飛行となり、ダイヤモンドは2年でバイバイバイとなった。 何の話かと思われただろうが、主役は写真のドーナツである。これは羽田のダイアモンドメンバーのラウンジにあったもので、20年2月1日に撮った。ただそれだけのことである。 |
| 心の合理化-理屈づけ [02] 2024/02/01 Thu 9792 1月30日 [87] の続き 人の行動は、一見すると真逆に見えるが、その底には共通の原因があることはめずらしいことではない。フロムはサディスムとマゾヒズムにも共通点があると言う。 マゾヒズム的人間のばあいには、はっきりした依存がみられるが、サディズム的人間のばあいにはそれが逆になっているとわれわれは期待しやすい。かれはこのように強く支配的であり、かれのサディズムの対象はこのように弱く屈従的であるからには、強者がかれの支配するところのものに依存しているとは考えられないかもわからない。しかし、綿密に分析すると事実はそうである。サディストはかれが支配する人間を必要としている。しかも強く必要としている。というのはかれの強者の意識は、かれがだれかを支配しているという事実に根ざしているから。(日高訳P163) 「攻撃は最大の防御なり」と言うが、サディズムには、意識しないままに「弱い自分を防衛する」動因が働いているのだろうか。 |
| 2月の能登 [01] 2024/02/01 Thu 9791 今月の写真の1枚は、能登半島にある千里浜なぎさドライブウエーである。ここは8kmの砂浜をバスも含めた自動車で走ることができる。写真は2015年2月15日に撮った。日本海の冬の波は厳しく、荒々しい。そんな海の上にはどんよりとした雲が広がる。そして、その向こう側で太陽が海に沈もうとしている。それでも、このときは何の悲壮さも感じなかった。「冬の日本海は厳しいなあ」といったものだった。 それから9年が経過した。いま、このスポットはどうなっているのだろう。この砂浜が羽咋市にあると聴いて、これを「はくい」と読ことを知った。その後、羽咋市の宇宙科学博物館[コスモアイル羽咋]にも行った。わがホームページの表紙写真にしたことがある。ここは、いまどうなっているのだろう。 |