味な話の素   No.248 2023年12月号《9633-9700 》 Since 2003/04/29
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1年の感謝 [68] 2023/12/31 Sun 9700
 2023年も本日でおしまいです。今年は[後期高齢者クラブ]に入会し、人生の新たなフェーズに入りました。自動車免許も有效期間は3年です。健康保険は熊本県後期高齢者医療広域連合なるところから発給されています。今から10年前に65歳で現役を終え、70歳まで[準現役]として熊本大学で仕事をしました。その後は自称[花のフリーター]と言いながら、[準々現役]のつもりでここまで来ました。生来の[Yes-man]です。お声をかけていただくと、「ありがたや、ありがたや」でお引き受けしています。この先、どこまで行くのやらわかりませんが…。
 皆さま、本コラムにおいでいただきまして、ありがとうございました。よいお年をお迎えください。
日記の中の母(5) [67] 2023/12/31 Sun 9699 12月24日 [49] の続き
 1973年8月4日月曜 研究所へ出かけた。□□□□の集計データが出来上がったので、その分析が急がれる。母の手術が明日なので仕方なのだが、仕事をせねばならなかった。朝は父と同じ国電で博多へ向かったのだが、自宅を出てから三時間近くかかった。これでは通うのは無理なようである。夕方、研究所からの帰りに病院に寄ってきた。母は明日手術というのであきらめきっているようであった。これまでもいろいろ手術をしている。まあ仕方がない。父も妹も私もウツラウツラしている。

 末尾に、赤のボールペンで書いた走り書きがある。
 この日、病院の入口まで母送ってくれる。私はその時 shorthope を無造作に玄関に投げすてた。その時のイヤな予感がした(1974.10.2 AM3:00付記)
 母は手術ミスで闘病を続け10月29日に亡くなる。手術から2ヶ月、ベッドから起き上がることのできない厳しい状況を前に「母は駄目かもしれない」という思いが頭の中で芽生えはじめた。そんな心には[タバコを無造作に投げ捨てる]行為を母の命と結びつけるメカニズムが働き始めていた。午前3時という時間に日記を広げて殴り書きをするなど、このときの1回だけである。
続 記憶のメカニズム [66] 2023/12/30 Sat 9698
 短期記憶でなくても、記憶は放置していれば「風化」する。それは筋肉を使わなければ弱くなるのと同じである。ところで、記憶は大脳レベルで意識されているものだけではない。フロイトの理論はほとんど知らないが、無意識の作用は記憶が源になっているから発現するのである。歩行という動作にしても、「這って、立って、歩く」流れの中で獲得した筋肉の記憶が基盤になっている。それが脳と関係があるとしても意識されることがない。そう考えれば、日常行動のほとんどが無意識、あるいはそれに近い形で実現されている。そのメカニズムがどうなっているのか、まだまだわからないことの方が圧倒的に多い。人間は自分たちのことをよく知らないままに生きているのである。それが[進化]ではなく[適化]の結果であることは言うまでもない。
続々 「玉砕電報」 [65] 2023/12/30 Sat 9697 昨日 [63] の続き
 2022年6月10日は、わたしの人生で記念すべき日となった。熊本市立図書館から、生まれて初めて本を借り出したからである。より正しくは「自分が記憶する限り」という条件がつく。実際は小学生のころ、当時住んでいた伊万里市の図書館から何回か借り出した記憶がある。こう書いた瞬間にその場所のイメージが湧いてきた。とにかく記憶は不思議でかつ素晴らしい。
 また「本を借りた」だけであれば、小学校の図書室や大学の図書館から借りたことはかすかながら記憶にある。その1冊にカミュの「異邦人」があったことを、これまた瞬時に思い出した。いやはや、記憶さんよ、あんたたいしたもんだわ。あれから50年以上経ってるのにね。それでもはっきり意識して公立の図書館から本を借りたのは「これが初めて」の記念としておこう。
記憶のメカニズム [64] 2023/12/29 Fri 9696
 記憶には短期記憶と長期記憶があるとされている。前者は数十秒から1分程度しか保持できないが、後者は短期記憶を頭の中で繰り返すことで定着すると考えられている。この繰り返しをリハーサルと呼ぶ。短期記憶をその場で繰り返さなくても、憶えようという気持ちで日常的に思い出していれば定着する。わたしは英語の[ambulance:救急車]がなかなか頭に定着しなかったが、[ambulanceだ]と繰り返しているうちに忘れなくなった。このときは、[ambulance]と[unbalance]を音の類似で対にしていた。両者の間には何の関係もないが、なぜか今でも救急車の音を聞くと[ambulance]と[unbalance]が同時に聞こえる。ともあれ、広大な宇宙もわからないことで充ち満ちているが、一人ひとりの記憶についても、まだわかっていないことであふれている。
続 「玉砕電報」 [63] 2023/12/29 Fri 9695 昨日 [60] の続き
 ラジオで聴いた梯久美子氏の「散るぞ悲しき硫黄島総指揮官・栗林忠道」が気になった。あるとき注文してみると絶版の回答が返ってきた。そのため、わたしの手元には「梯久美子[散るぞ悲しき]」のメモだけが残った。それを[再発見]して、どうしても読みたくなったとき、熊本市の市立図書館のカードが目に入った。もう忘れるほど昔に登録したものである。図書館そのものは何度か、それこそ10回に及ばないが出かけたことはある。
 わたしは若いころから本は購入を原則としてきた。そのため、図書館から書籍を借り出したことはほとんど記憶に残っていない。大学生のときに何回かという程度である。フリーターになってから熊本大学や県立・市立図書館に出かかることはあった。しかし、その場合でも、書架の本を参照することはあったが、借り出しはしていない。そのわたしが市立図書館からはじめて借りだしたのが、梯久美子氏の「散るぞ悲しき」になったのである。
「4人の物語」(43) [62] 2023/12/29 Fri 9694 12月22日 [44] の続き
 Aが子どものころの鉄道は蒸気機関車が客車を引っ張っていた。東京に代表される都市部では電化されていたが、ほとんどは「シュッシュッポッポ」の[汽車]」が主役だった。客車にドアはあったが通常は空いたままで運行していた。そこで飛び乗りや飛び降りもできた。もちろん、それは危険だから誰もがしていたわけではない。
 いつだったか、母親に連れられてAと妹の3人で母親の郷里に行くことになった。その日は、何かの事情で駅に着くのが遅れて、汽車はすでに動きはじめていた。その客車に3人が飛び乗った記憶だけが残っている。蒸気機関車はそんなペースでスタートしていたのである。あとでそのことを知った父親が「落ちたらどうするんだ」と怒った。それで、Aは自分たちがとんでもなく危険なことをしたのだと悟って、恐怖が体を支配した。
「秋刀魚の味」の思い出 [61] 2023/12/28 Thu 9693
 一昨日の昼食後13時にNHK BSを付けると小津安次郎の「秋刀魚の味」がはじまった。ほんの少しと思っていたが、ついつい見続けて、最後の14時55分まで見てしまった。映画をまるごと1本観たのは、いつだっただろうかと思うほど久しぶりだった。1962年の製作だったから、わたしは中学1年生である。この映画のポスターを見た記憶がある。主演は笠智衆だが娘役の岩下志麻が魅力的だった。いわゆる思春期のころである。この映画で「秋刀魚」を「さんま」と読むことを知った。
 映画には工場地帯の風景と当時最先端だった団地のアパートが出てくる。笠智衆の息子役佐田啓二の妻を演じる岡田茉莉子がお隣のドアを叩いて、奥さんに「トマト2個貸してちょうだい」と言うシーンがあって思わず微笑んだ。そのような時代だったのである。わたし自身は、この映画を劇場で観たのかどうか、かなり怪しい。
 平日のお昼時、後期高齢者が過ごした2時間でした。
「玉砕電報」 [60] 2023/12/28 Thu 9692
 いつのことか忘れてしまったが、ノンフィクション作家梯久美子氏の講演をラジオで聴いた。NHKの「人間を考える『新しい時代に、今、伝えたいこと』」である。梯氏は「散るぞ悲しき硫黄島総指揮官・栗林忠道」で第37回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。太平洋戦中で米軍と激戦となり、玉砕した日本軍の栗林忠道に焦点を合わせたものである。硫黄島は戦いのすさまじさだけでなく、米軍が星条旗を掲げる報道写真でも知られている。この写真が、「歴史的瞬間」ではなく、画になるように撮られたという裏話まである。わたしは、「写真は[1/60秒の真実]にすぎない」と言ってきた。
大学封鎖論(1) [59] 2023/12/28 Thu 9691 12月13日 [25] の続き
 わたしが大学生のころ、大学は日本国中で紛争の嵐が吹きまくっていた。九州大学も例外ではなく1969年4月24日に文系学部は法学部を除いて全面ストライキに突入した。わたしが3年生のときである。前日に学生大会が開かれ、多数決でストが決まった。おそらくその日のうちにストを主導するメンバーたちが校門から研究棟・教室棟の入り口を封鎖したと思われた。
 それからどのくらい経過していたかわからないが、わたしは「封鎖の意味するもの」なる原稿を書いている。それは「(1)物理的側面」の見出しからはじまる。「封鎖」という重大なる行為が決定され、遂行され、我々の前に現れてから幾日を経たことであろう。私はこの状況をできるだけ詳細に研究してみようと思う。その初めの段階として、まさに我々の目に写り、物理的に我々の前にあるものとしての封鎖というものを考えてみたいと思う」。
 いつものことながら、疾風怒濤の青年期、とにかく小難しく書こうとつま先立っている。
「予言の書」考 [58] 2023/12/27 Wed 9690
 「予言の書」は予言が当たって本物になる。つまりは、検証されることが大事な要素になる。そのためには、内容が具体的でなければならない。たとえば、「いつかこの宇宙はなくなる」「いつか人類はいなくなる」は、おそらく当たるだろうが、そのときになるまで真偽の判断ができない。「近いうちに大洪水が起きる」などは、必ずどこかで起きるから、[予言]の仲間に入れてはいけない。いつだったか、「何とかダムスの大予言」なるものが話題になった。もちろん何も起きずに、本を書いた著者と出版社あたりの懐が膨らんだだけだったのだろう。
 科学と言うからには、その点を押さえておくことが求められる。しかし、経済学なんてのは相当に怪しい。少なくとも30年前に今の日本経済を「予測」した研究者や評論家がいたのだろうか。彼らには「予言」でなく、「予測」が求められるが、「ほうら当たっただろう」といま胸を張れる人がいたら、ぜひ原稿をひけらかせて自慢していただきたい。
「我鬼」考 [57] 2023/12/27 Wed 9689 12月20日 [39] の続き
 【餓鬼: 1 生前の悪行のために餓鬼道に落ち、いつも飢えと渇きに苦しむ亡者。 2 「餓鬼道」の略。 3 《食物をがつがつ食うところから》子供を卑しんでいう語。① 「がきどう(餓鬼道)」の略。② 仏語。六道(りくどう)の一つの餓鬼道に落ちた亡者。 (イ) 生前犯した罪の報いによって、餓鬼道に落ちた亡者。(ロ) 後世を弔う者もなく、苦しんでいる無縁の亡者。デジタル大辞泉】
 何とも厳しい言葉である。「餓」は「飢餓」くらいでしかお目にかからないが、これだけで「うえる」の意味がある。わたしは、食偏を取って「我鬼」に交代してもらうことを提案したい。この「我鬼」はエゴイズムの塊で、自分は飢えてなくても他者を攻撃する。そのエネルギーが欲求不満や劣等感から生まれることを、自分自身で知っていることもあれば、意識していないこともある。後者の方がより重症である。
J事件の分析と考察(20) [56] 2023/12/27 Wed 9688 12月20日 [39] の続き
 BBCのレポーターはJ氏の写真がほとんどないことから、Morganと呼ぶ男性と電話で話す。その内容から、少なくとも15年ほどは日本の芸能界に関わってきた人物のようだ。彼はJ事務所の不興を買うような使われ方をした場合にまずいことが起きると言った主旨の話をする。そして自分は10枚ほど関係した写真を持っているが、J氏本人のものは1枚もないという。
 ここでレポーターは日本人の性向について考える。この国では事を荒立てないことが重要であり、企業文化の大きな部分を占めている。そこには、摩擦を避けるための仕組みがある。しかし、それが自己検閲につながるのではないかと考える。まさに、今風[忖度]である。ただし、この言葉の本来の意味は相手の気持ちを推し測りながら発言や行動することで肯定的なものである。それがいつの間にか悪者にされてしまった。
ちょっとだけ悔しい話 [55] 2023/12/26 Tue 9687
 地球上に人類が一人しかいなければ犯罪の概念もないに違いない。彼あるいは彼女が行うあらゆる行為は咎められることもない。そもそも自分しかいないのだから[他者]に危害を加える可能性は[皆無]である。もちろん動物との接触や戦いはあるだろうが、それらが[善悪]の視点から評価されることはない。わたしの宗教に関わる知識も[皆無]だが、「原罪」という言葉があるかとくらいは知っている。そうは言いながら、怪しい知識で先に進むのも気が引ける。ここは少なくとも国語辞書に目を通しておいた方がいい。
 【原罪:キリスト教で、アダムとイブが神にそむいて禁断の木の実を食べてしまったという人類最初の罪。すべての人間は、アダムの子孫として、生まれながら罪を負っているとされる。宿罪。また、転じて、人間が根源的に負う罪。(精選版 日本国語大辞典)」
 つまりは地球上に「一人ではなく、二人以上がいたとき」に、あるいは「二人以上になったとき」に[罪]なるものが生まれたのである。これは、わたしの年来の発想とまったく同じである。ただし、「先に言ったモン勝ち」だから、「わたしが人類史上、これを初めて言ったのだ」とアピールするわけにはいかない。「自分だって一人で考えたのに」と思うとちょっとだけ悔しい。
命の違い [54] 2023/12/26 Tue 9686
 昨年の12月24日、鳥の専門店に一羽の丸焼きを頼んでいた。わが国の伝統である[にわかクリスチャン]を維持しようと考えたのである。そして、前日のこと、お店から電話が入った。従業員の一人がコロナに罹ったため、商品の提供ができないという。何と、書き入れ時の大事故である。こちらは「にわか」であるから、代替は容易にできる。しかし、お店は予約も取って仕入れも仕込みもしていたはずである。その損害と落胆は想像にあまりある。そんなことから、今年は早い時期から同じお店に頼もうと話していた。そして1年ぶりに丸焼きを楽しんだ。
 それはいいのだけれど、丸ごと一羽の姿が見えると、自分たちが命を奮っていることを実感する。そう言いながら、お祝いなどで塩焼きの大きな鯛が一匹まるごと目の前にあっても、それほど感情的にはならない。そこに、すでに区別ではない差別感が存在している。
「忘れる」事実を忘れない [53] 2023/12/26 Tue 9685 昨日 [52] の続き
 マニュアルに目を通しても日が経つと忘れてしまう。人間にとって「忘却」は悩ましいテーマである。大事なことを忘れてはならない一方で、忘れないと先へ進めないこともある。その意味で、健康に生きていくためには「忘却力」も必須と言える。
 体の筋肉も鍛えないと衰えるから、それを自覚して適度の運動を続けることが期待される。記憶も同じことである。とりあえずは、「自分は忘れる」という事実を受け入れることからはじめよう。
[変化]と[ズレ] [52] 2023/12/25 Mon 9684 12月19日 [37] の続き
 日常的な仕事は慣れるにしたがって効率が良くなる。その過程で小さな変化が生じることもある。また「改善したい」「もう少しこうした方がいい」と考えて、従来の方法に手を加えたくなる。それは前向きの姿勢の現れとして大いに評価すべきことである。ところが、そうした「変化」がマニュアル遵守からズレていく可能性を含んでいる。世の中は一筋縄ではいかないのである。こうしたときは、一人だけで判断するのを避けた方がいい。
溝が壊れたレコード [51] 2023/12/25 Mon 9683 12月18日 [35] の続き
 歴史は繰り返される、不祥事は繰り返される。つまり、人間は学ぶことができないのである。バンデューラの社会的学習理論は先日話題にしたが、「モデル」がいくらあっても人は学習しない。ああ、嘆かわしいったら、ありゃあしない。
 昨年も日野自動車がデータ改ざん問題で、同社の国内向けトラックの約6割が出荷停止になっている。このときも、特別調査委員会委員長と社長が会見した。「上層部に物を言えない風土が影響している。 相互のチェック機能も不足し、社員が声を上げられなかった。きっかけは経営層による目標達成に向けた強い指示だ」(委員長)。「担当部署が追い込まれて不正をした。2000年ころから規模や量の拡大で現場に余力がなくなり、品質やコンプライアンスが後回しになった」(社長)。
 日野もダイハツもトヨタが親会社である。
 その昔、レコードの溝が壊れて、レコードが1回転するたびに、「同じ音」が繰り返された。とりあえず、身の回りからレコードは消えたが、不祥事の溝が壊れたレコードは[永遠]である。
現場の声 [51] 2023/12/25 Mon 9683 12月18日 [35] の続き
 「46.年間作業計画で天候や諸行事等が多く入り無理を生じている」
 天候は人の力では如何ともしがたいが、[諸行事]は人が決めることができる。組織の慣習として行われてきた行事は、それが導入されたときは必要性があったに違いない。しかし、それらが仕事の遂行に[無理]を生み出しているとすれば本末転倒である。そもそも組織の構成員たちが、「どうしてこんなことをしないといけないのか」などと話しているとすれば、「意味もわからずやっている」ことになる。そんなことで仕事に対する意欲を低下させれば安全も危うくなる。
続 ライフワークとの出会い [50] 2023/12/24 Sun 9682 昨日 [48] の続き
  卒論テーマの「リーダーシップタイプの恒常性」に関するデータを収集するために、わたしはブリヂストンタイヤ久留米工場に通った。福岡の天神にある西鉄福岡駅から特急に乗れば30分で久留米に到着する。ただ、久留米工場は国鉄(現JR)久留米駅近くにあるから、こちらを使った可能性も高い。何分にも半世紀以上も前のことだから、このあたりの記憶は怪しい。ここで、わが粘着質の証である当時の日記を調べればしっかり確認できるだろう。ただ、こうした文章を書き始めると、手が止まらなくなる。
 経路はともあれ、PM論が様々な組織で導入されはじめたころで、三隅先生もその成果を大いに期待されていた。わたしはと言えば、天ヶ瀬のトレーニングに参加した職長さんと工場でお会いして、リーダーシップを発揮されていることに感動した。工場見学者でも大事なお客様に限定して贈呈するというミニチュアのタイヤで囲んだ灰皿をもらって、みんなをうらやましがらせた。ただし、できあがった卒論の内容を三隅先生が喜ばれたかどうかも、いまでは記憶の彼方にある。(了)
日記の中の母(4) [49] 2023/12/24 Sun 9681 12月17日 [33] の続き
 1973年8月5日日曜 夏の雨はものすごい。S病院の母が雨が降っているという電話がかっってきた。アパートの窓から病院の方向を見ると空が真黒になっていた。それから、ほんの少し経ってこちらも雷が鳴りはじめた。そろそろ病院に行こうということになり、タクシーをひろって、父と妹と3人で乗った。それからあっというまに道路に水がたまる程の大雨となった。病院に着いた時はこれが嘘のように上がっているのだから信じられない。そんなことで、自分たちはほとんど濡れずにすんだ。とにかくすごい雨だった。母はたいくつな様子で電話がよくかかってくる。これは電話のありがたさである。父は母を評して、「家にいるといつも忙しく動きまわっているので、体が休まるのはこんなときだけだ」と言っていたが、まさにその通りである。これをいい機会にゆっくり休んで欲しいものである。
ライフワークとの出会い[48] 2023/12/23 Sat 9680
  わたしが本格的に「リーダーシップ・トレーニング」に触れたのは、大分県の天ヶ瀬温泉で実施されたブリヂストンタイヤ久留米工場の職長を対象にしたものだった。はじめて出かけたのは1970年6月16日である。当時のわが国の経済は右肩上がりの絶好調で、ブリヂストンタイヤもそれ行けやれ行けで元気いっぱいだった。トレーニングのスケジュールは朝から夜の9時ころまでが常識だった。これを3泊4日のスケジュールで進めていくのである。こうした関わりから、わたしの卒論はブリヂストンタイヤの職長を対象にした調査研究になった。そのタイトルは「リーダーシップの恒常性に関する実証的研究」である。そのころ、ブリヂストンタイヤ久留米工場で部下評価による監督者のリーダーシップ調査を継続的に実施していた。産業界で実用化されて間もないPM論に基づいたものだが、調査を繰り返すと監督者によってリーダーシップのタイプが変化しない者と変化する者が出てきた。そこで、この違いを明らかにしようというのが「恒常性」の研究だった。
「種の起源」考 [47] 2023/12/23 Sat 9679
 ダーウインの「種の起源」(1859)の初版には[evolution(発展、進展、進化:ランダムハウス)]ではなく、[descent with modification]が使われていた。evolution]は、「1 発展、進展、進化 2 発展[進化]の産物[結果] 3 [生物]進化(⇔devolution);進化論… (ランダムハウス)]である。また、[descent]は、「1 下る[降りる]こと、降下、下降、下山 2 下り傾斜[勾配]、下り坂[道]、下り階段 3.家系、血統、家柄、出 4.(程度・状態などの)低下、下落、転落;衰微、堕落、身を落とすこと… (同)]である。さらに、[modification]は、[1 (部分的)変更、修正;調節、加減、緩和 2 (部分的に)変更[修正]したもの;改造型;変形、変態 3 [生物]一時変異:生物体自身の活動や外部環境によるもので遺伝しない…(同)]である。
 ヤレヤレ、本日は英和辞書の転写だけでおしまい。
組織の責任 [46] 2023/12/22 Fri 9678 昨日 [43] の続き
 組織で不正をはじめ様々な問題が発生すると、それが長期に亘って行われていたことが明らかになるケースが多い。つまりは、問題を引き起こしたのは特定の状況や個人ではなく、組織自体なのである。。今回のダイハツでも第三者委員会のトップが、開発へのプレッシャーが大きく、不正をした個々人を責められないといった主旨の発言をしていた。これまでもこうした見解が述べられたり、報告書を精査すれば類似の表現が含まれたりしてはいたのだろう。しかし、某局のニュースでこの部分を切り取っていたのは印象的だった。これは組織の責任を100%認めたということである。
再び[適化]のすすめ [45] 2023/12/22 Fri 9677
 人間が生きていくためには様々なコストがかかる。そもそも基礎代謝という生存の最低ラインがある。ただし、進化論的には、低コスト、ハイパフォーマンスの生きものが生き残っていく確率が高いのだろう。ところで、いま[進化論的]と書いたが、わたしはこの表現は不適切だと思う。そこには、時間の経過とともにものごとがよくなるという「ニュアンスが含まれる。そして、究極の[進化」を遂げたのが人間であり、自らを[霊長類のトップ]に君臨すると平気で宣っている。そんなトップは無数の煩悩を抱えているのだろう。お互いの命を奪うための道具を[進化]させ続け、人の命を奪うことをやめない。しかも、その行為はどんなときにも正当化される。これが[進化]のなせる業なのか。ともあれ[進化]は人間優位の発想であり、科学的な表現ではない。わたしは、環境により適応したものが生き残るという意味で[適化]の採用を提案している。このことは、かなり前の本コラムに書いた。
「4人の物語」(42) [44] 2023/12/22 Fri 9676 12月16日 [31] の続き
 Aが住むY市に大相撲の巡業が来たことがある。Aの記憶によれば、中学校の近くにあった何かの慰霊碑の前で横綱鏡里が土俵入りを奉納するのを見た。鏡里は丸い腹が出た[あんこ型]力士の典型だった。その鏡里が横綱の回しをはめて歩くとき、左右に2人の相撲取りが支えていたのを見た。横綱になって綱をない初めて体に付ける際は力士が支えている光景は見たことがあった。そんなタイミングだったのかもしれないが、小学生のAは「あれで横綱なんかいな」と首を傾げ、小振りに笑った記憶がある。人間には、こんな小さな、しかもどうでもいいような、さらにはご当人にとっては決して名誉とは言えないような、いわゆる[トリビア]を格納しておく場所があるに違いない。
いつもの[原因] [43] 2023/12/21 Thu 9675
 昨日から[ダイハツ]のニュースが飛び交っている。またぞろ[不正][前世紀から][プレッシャー]である。何のことはない、わたしの十八番の「言いたいことが言えない」「言っても聴いてもらえない」の2点セットの繰り返しである。しかも、「検査不正」は自動車業界でも耳に多子ができるほどニュースになっていた。そんな状況になってすら「言いたいことが言えない」「言っても調べてもらえない」空気が充満していたとしか考えられない。この件は改めて情報を得てから分析したい。
モノクロの「赤」 [42] 2023/12/21 Thu 9674 
 高校生のとき、「赤ひげ」のキャンペーンで福岡の中洲にあった玉屋デパート屋上で三船敏郎からサインをもらったことは本コラムに記したことがある。黒澤はモノクロにこだわっているらしく、「赤ひげ」もそうだった。主役の三船がテレビ番組で、アメリカから取り寄せた染色を使って髭を赤く染めたと言っていた。それが肌に刺激的でかなりひどい目にあったという話である。モノクロであるにもかかわらず、自分が出したい[赤]にこだわったのである。そんな話を聴いて「一流のプロはちがうなあ」と感動を覚えた。
 「赤ひげ」はヒューマニティあふれる映画だが、その中で子役の二木てるみの演技がすごかった。虐待を受けて人間不信に陥った女の子が、加山雄演じる若き医師三保本登が熱発し、これを「おとよ」が看病するシーンは14分ほども続く。これでもかこれでもかと思わせる時間だが、それで少女が心をいやしていく過程を表現したのだろうと思った記憶がある。
モデルと行動の学習 [41] 2023/12/21 Thu 9673 
 「社会的学習理論」と言われるものがある。その中でもバンデューラ(Bandura, A.)は、心理学の世界でもっとも知られている研究者である。この理論は「モデリング」、つまりはモデルの行動を観察することの重要性を指摘する。他人を見ることで個々人の態度や行動に変化が生まれるのである。また、モデルの行動を繰り返すことで、それがさらに身に着いていくことを「模倣学習」と呼ぶ。バンデューラの実験では、子どもに「大人が人形に攻撃を加える」「これを映像で見る」「漫画の猫が攻撃する」「攻撃的場面を見ない」条件で、子どもの攻撃行動を分析した。その結果、「何も見ない」条件に比べて、子どもたちの暴力的行動の出現率が高まった。さらに、大人の攻撃行動が多の大人から「ほめられる」「叱責される」「攻撃を加えるのみ」の映像を子どもたちに見せた。そこでは、「ほめられる」と「攻撃のみ」で子どもたちの暴力行為が増加した。今ではこうした条件を設定することは倫理的に許容されないが、一連の実験は、われわれの態度や行動は「モデル」と状況の「観察」によって影響を受けることを明らかにした。
 ところで、わたしは1996年にシドニーで開催された三隅先生が主催する参加者が10名ほどの研究会でバンデューラに会って数日を過ごし、その後もメールでやり取りをした。これは、ささやかなるわたしの自慢話である。
マカロニの盗作騒動 [40] 2023/12/20 Wed 9672 昨日 [38] の続き
 黒澤映画では「用心棒」がリメークと言うよりも盗作ではないかと話題になったものがる。あのクリント・イーストウッド主演で、日本では「荒野の用心棒」というタイトルが付けられたものである。イタリアで製作された映画でマカロニウエスタンと呼ばれていた。その後、問題は解決されたと思うが、ストーリーはほとんどコピー版であった。いずれにしてもオリジナルが海外で真似をされるほどよくできていたのである。これは1961年の作品で、わたしは中学2年生だったが、おぼろげながら大人の映画の面白味が分かりはじめたころである。
 黒澤明と三船敏郎のコンピは世界の映画に影響を与えたが、けっこう早い時期に終わりを告げる。最後の作品は「赤ひげ」で、主人公は養生所の医師で侍ではなかった。「赤ひげ」は1965年公開で高校2年生のときに観た。
J事件の分析と考察(19) [39] 2023/12/20 Wed 9671 12月13日 [25] の続き
 BBCのレポーターは、J氏が2019年に亡くなったとき、「あらゆる媒体がトップニュースとして扱った」と伝える。原語は〝Evely front page coverd the news〟である。これを聞いたBBCの視聴者は日本の新聞のすべてが、そのニュースを一面で取り上げたと思うのではないか。わたしの記憶では社会面にそれほど大きくはないスペースで報道されていた。少なくとも一面ではなかったと思う。
 言葉は「人間理解、最強の利器(道具)」であり、同時に「人間誤解、最悪の凶器」である。わたしはこのフレーズをアピールし続けてきたが、言葉は使い方によって、そして受け止め方によって万華鏡のように変わる。大脳レベルで言えば、人間のコミュニケーションには、誰がいつ、どんな状況で行っても必ずズレが発生する。この世の中に100%、あるいは完全理解などあり得ない。レポーターのコメントは意図的か無意識的なものなのかは知りようがないが、明らかに事実とは異なっている。
リメークの「義理・人情・浪花節」 [38] 2023/12/19 Tue 9670
 アメリカのスペクタクル映画「十戒」では、主役のチャールトン・ヘストンと並んでユルブ・リンナーが印象的だった。この映画、本コラムでも折に触れて取り上げている。小学生のとき、学校ぐるみで劇場に出かけ鑑賞した。もちろん特定の学年が対象だったはずだが、それでも団塊児童の大人数だったから、少なくとも2回は別れて映画館に行ったと思う。
 さて、ユル・ブリンナーは「荒野の七人」に主役として出ていた。これは黒澤明監督「七人の侍」のリメーク版である。しかし、出演者は多彩で単なるコピー映画ではない。リメーク版の方がオリジナルよりも「義理・人情・浪花節」の世界を描いているからである。いまや、「[AI]の行き着く先は『義理・人情・浪花節』の世界でなければならない」と絶叫しているわたしにとって、ぜひとも観ていただきたい推奨作品である。
マニュアルと確率 [37] 2023/12/19 Tue 9669 12月12日 [24] の続き
 「マニュアルを守らなくても事故がおきるとは限らない」これは、確率で評価するなら、真実を突いていることが多いに違いない。近年の機器はハード的にはFail Safeが徹底して追求されているからである。しかし、「そう思った」瞬間から安全の悪魔は活動をはじめる。現実には、マニュアルを守らないことによって問題が発生する確率とその結果の重大性、深刻度の掛け算で行動が評価される。しかし、小さなことを軽んずる空気がより大きなものに影響を与える。奇跡は発生確率が[0]でないから起きる。人間が活動している限り、問題が発生する。それを小さなうちにどう防ぐかが何より重要なのである。あるいは、「それしかない」と言うべきか。 
J事件と似てない?[36] 2023/12/18 Mon 9668
 今年の流行語大賞はすでに発表済みで、年間大賞は「あれ(ARE)」だったが、このところ「キックバック」がマスコミ上にあふれている。もう少し時期が早ければ、これもノミネートされたのではないか。某党の某派閥では、これがかなりの期間繰り返されて[慣習]になっていたという。そうした情報が流されるのを見ると、[J事務所事件]と重なる。こうした[慣習]の存在をすべてのマスコミは知らなかったかのようだ。本当に知らなかったのであれば、報道機関として取材力のなさを、まずは反省して報道に力を入れるべきではないか。仮に知っていたとすれば、どうして問題を提起しなかったのか。同派閥のトップと繋がりの深かった某氏は、その人物が「そうした『慣習』の存在を知ったとき激怒した」と書いたらしい。それなら、そのとき「それ(SORE)」を伝えるのがジャーナリストというものだろう。何といっても大スクープではないか。いやはや、ご自分で「わたしはジャーナリストでありませんでした」とカミングアウトしているように思えて苦笑した。
現場の声 [35] 2023/12/18 Mon 9667 12月11日 [21] の続き
 「45.安全衛生委員会の質疑内容を周知伝達指示する方が望ましい」
 細かい事情はわからないが、安全に関わる会議等で交わされた質疑の情報が全体に伝わっていないことを訴えている。公式の会合での議論は議事録等に残されることが多いと思われるが、その内容や主旨が全体に伝わらないことに問題を感じているのだろう。それが安全に関わるものであれば、問題が起きてから当事者たちが「知らなかった」では済まされない。そうは言いながら、毎日の生活の中で情報は増え続ける。仕事におけるそのスピードはさらに加速される。そうした中では、「細かいことはいいから、結論だけ伝えて」といった状況が生まれる。それぞれの構成員に必要な情報を「周知伝達指示する」ことは、いつまでも重要な課題であり続ける。
「刑事コロンボ」あれこれ [34] 2023/12/17 Sun 9666 昨日 [19] の付け足し
 「黄金のバックル(1976)」ではカレンダー付きの時計も登場する。陰暦では30日を「大の月」、29日を「小の月」と呼んでいた。太陽暦ではこれらを区別した呼び方はなさそうだ。コロンボ警部は時計屋から、30日の月が変わる際は、翌日に[31日]を手動で操作して[1日]に修正しなければならないと教えられる。これが事件解決の重大な糸口になることは、クライマックスで明らかにされる。
 わたしも若いころに日付が付いたものを持っていたことがある。しかし、30日の月が変わるときに操作していたことは忘れていた。いまの時計もカレンダー付きだが、それが自動的に変更されることはいうまでもない。
日記の中の母(3) [33] 2023/12/17 Sun 9665 12月10日 [19] の続き
 1973年8月4日土曜 昨夜のうちに洗濯をし、食器を洗い終っている。ごみを焼いて大体の整理を終えて研究所へと向かう。夏休みは盆まで帰省しないつもりであったが、こういう緊急事態(註:母の手術)が起きたので仕方がない。しかし、無精で家に帰らなかったのであるから、かえってよかったかもしれない。(抜粋)
 このときわたしは大学院の博士課程に在学していた。わたしが高校2年生のとき、父が長崎に転勤になった。自分としては入学した高校を卒業したいと思ったので、父親の職場が福岡で提供する子弟寮に入った。大学に入学した1967年、家族はまだ長崎にいた。大学の合格通知を受け取ってから、福岡からバスで帰った。バスの中で大相撲春場所の千秋楽のラジオ放送が流れていて、大関北の富士の初優勝を伝えた。その後、父は佐賀県の武雄に転勤し、帰省先としては福岡から少し近くなった。そして、母が入院したときは国鉄の電車で1時間ほどのK市に異動していた。それでもなかなか帰省しなかった様子がうかがえる。
「刑事コロンボ」あれこれ [32] 2023/12/16 Sat 9664
 「刑事コロンボ」から歴史が見える。「指輪の爪あと」では、小池朝雄のコロンボは、「車の月賦」と語る。いまではローンが定着しているが、昔は「月賦」と呼んでいた。わたしも平凡社の「国民百科事典 8巻」を毎月1000円の月賦で買った。わが国で [コロンボ]が放送されはじめたのは1972年、まだローンという言葉を耳にすることはなかったか、ソロソロ出始めたころだろうか。それでも車を持つのは夢の実現に近かった。
 「黄金のバックル(1976)」にコロンボが男性のヘアサロンで散髪するシーンがある。ヘアカットをしたコロンボが[Wash & Styling 20$ Manicure 5$ ]と書かれた計25$の伝票を見て驚くが、自分の財布には5$しか入っていない。この当時のレートは1$が290円ほどである。単純計算で7,250円になる。その当時の東京の理髪料金が1,540円である。コロンボの財布に入っていた5$は1,450円になるから、当時の床屋代に近い。コロンボだから、そのころのアメリカ人には「これっぽち」の額だったのだろう。
「4人の物語」(41) [31] 2023/12/16 Sat 9663 12月8日 [15] の続き
 Aは子どものころから小さい方だった。団塊の世代で1学級は60人ほどいたが、男子の30人中で背が低い方から10番前後だったと思う。ところが相撲は体格の割に強かった。
 当時は栃若時代と呼ばれ、栃錦と初代若乃花が実力と人気を二分していた。二人に先行する横綱に吉葉山、鏡里、千代の山などがいたし、朝潮太郎という、子どもの目には毛むくじゃらで豪傑風の力士もいた。そのほか、記憶にある名前を挙げていけば止まらなくなる。相撲はダントツで国民的人気スポーツだったのである。
 まだ大金持ちの家にしかテレビがない時代である。Aは、ごひいきの若乃花の一番になるとドキドキしながらラジオを聴いた。Aは相撲が強く、自分より大きな友達にけっこう勝っていた。大相撲では若乃花に突っ張りの大晃が、顎から喉から攻めまくる。若乃花がこれをのけぞりながら受けて、最終的には勝つことが多かった。Aも[大晃]の名を付けられた背の高い友達の[突っ張り]を凌いで、おそらく7割以上は勝利を得ていた。Aにとって何とも懐かしい子ども時代である。
リーダーシップと専門力[30] 2023/12/15 Fri 9662 
 【論語 公冶長第五-15 下問を恥じず】 子貢曰わく、孔文子は何を以って之を文と謂うや。 子曰く、敏にして学を好み、下問を恥ず、是を以って之を文と謂うなり。
 自分が知らないことは下の者に聞くことも恥としない。専門性はリーダーシップに欠かせない要素である。しかし、それは他者を超える知識・技術をもっていることだけではない。自分に求められている知識や技術に欠けていると思えば、年齢や地位などとは関わりなく聞いていく。わたしは、そうした姿勢、行動自身がリーダーシップに含まれると考えてきた。それを「専門力」の一つとして話しているのだが、すでに孔子が言っていた…。と考えるのか、「孔子もわたしと同じ発想を持っていたんだ。わたしもたいしたもんだ」と思うのか。もちろん、わたしは…。
続[被検体]の距離 [29] 2023/12/15 Fri 9661 昨日 [28] の続き
 宗教の中には動物の命を奪うことを禁止しているものがある。また、菜食主義の真の目的は様々だろうが、やはり動物を食することを避ける。野菜についている虫も問題にするケースもあるというから、徹底している。そうは言っても、人間も生きるためには外界からエネルギー源を取り入れなければならない。したがって[食べる]行為は不可欠であり、そこに[食べられるもの]が存在している。
 一般に野菜を含めて植物系は移動することなく大地の上で成長する。また、大脳がないから、われわれのように[痛み]は感じないだろうと推測する。植物も細胞で構成された生き物だが、これを採取するとき、われわれに[彼らの命を奪う]といった意識が一般的には希薄ではないか。野菜などは[採る]とは言うが、[殺す]という言葉は使わない。いずれも[生命体]の[命]を奪う行為に違いはないのに…。
[被検体]の距離 [28] 2023/12/14 Thu 9660
 あらゆる実験には被験体が欠かせない。それに特定の働きかけをして、その影響を明らかにする。ここで被験体が物質であれば予定された手続きを淡々とこなしていく。素人レベルで言えば、「200ccの水に砂糖は何グラム溶けるか、それは水温によって変わるか」を調べるのは気軽にできる。
 しかし、被験体が生きているものになれば、淡々さに違いが出てくる。それも生きものの細胞であれば、まだ物質に近い感覚でいられる。しかし、その生命を奪わなければ被験体として意味をなさないとなれば気持ちが違ってくる。その程度は、自分たちと被験体との距離や有益性などが影響する。たとえばゴキブリの命を絶って大いなる後ろめたさを感じる実験者が満ちあふれているとは思えない。それでは、もっと距離の近い生きものが被験体になる場合はどうなるだろう。
最後の[折る刃] [27] 2023/12/14 Thu 9659
 わたしの手元には長さ15cmのカッターがある。これは1996年にオーストラリアで半年過ごした際に西オーストラリア大学の生協で買った。裏側に[MADEIN CHINA]とある。いわゆる切れ味の悪くなった刃を折る方式である。わが国ではオルファ株式会社 (OLFA)が圧倒的に知られている。これは印刷会社の社員だった岡田良男氏が1956年に「折る刃式カッターナイフ」を考案したことからはじまった。板チョコにヒントを得たという。文字どおり「折る刃」だから社名を「オルファ」にしたところが楽しい。「アイディアは求める者にのみ微笑む」のである。
 ところで、わたしは生涯を通じて「刃を折った」体験がない。そもそもこの手のカッターをほとんど使ってこなかったから当然である。もちろん、目の前の[MADE IN CHINA]製もまだまっさらなままである。かくして、「このカッター」は「わたしの最後のお買い物」になることが確定している。
BS削減 [26] 2023/12/13 Wed 9658
 NHKのBS放送が2波から1波に統合された。プレミアムと呼ばれていたBS2の番組はほとんどが維持されるという。つまりは、1波でカバーできていた内容をわざわざ2つに別けていたことになる。その大部分が再放送だったのだろう。まさにSDGsの時代だから不要なものを削除するのは当然のことである。BSではショッピング番組にあふれている。電波は公共のもの、国民のものである。その使い道として品物を売りまくるショッピングには疑問を持ち続けている。また、4K放送と言いながら、民放は数えるほどしか4K番組を流していない。そのほとんどが再放送である。こちらも「4K看板に偽りあり」と言われても反論できる局はないだろう。
 それでも、人間は一旦手にしたものを手放すことには大いに抵抗する。いわゆる既得権である。世の中にはそれが無数と言えるほど充満している。それを守るために政治が動く。そして政治家の既得権こそがもっとも強力な防衛力を保持している。
J事件の分析と考察(18) [25] 2023/12/13 Wed 9657 12月6日 [11] の続き
 非公式(?)ショップに入ったBBCのレポーターは、展示されているタレントたちの写真の多さに驚く。そして、「彼らには特定の決まったタイプがある」と語る。まずは全員が若く、ひげをはやしていない。、髪型もある種決まっていて、顔型にも特定のタイプがある。そこには、ある種の無垢で純粋な少年っぽさみたいなものがあり、彼らも何が自分たちのブランドなのかを承知している。 どのタレントも1つの特定のイメージを反映しており、1人ひとりの違いはほとんどない。大事なのは個々の少年ではなく、大事なのはイメージで、ブランドだと。
 わたしはこのレポーターよりもJ系から遠いところにいるだろう。そんなことからこうした分析に頷きたくなる。ただし、一般的に外形的な印象はワンパターンになりがちである。われわれも欧米系の人々の顔を日本人と同じ程度に識別することはむずかしい。そうは言いながら、後期高齢者の目には「みんな同じに見える」のもたしかではある。
マニュアルの増殖力[24] 2023/12/12 Tue 9656
 世の中は「マニュアル」であふれている。昔は「取り扱い説明書」だったが、今では「トリセツ(取説)」が一般的になってしまった。後期高齢者にカタカナはピンとこない。ともあれ、何かを購入すれば、それぞれに「トリセツ」が付いてくるが、そのすべてを読むことがほとんどない。
 これが日常品であれば読まないでも大きな問題は起きない。しかし、企業組織で「マニュアルが多すぎて完全に頭の中に入らない」と言われると、「おいおい」と思う。しかし、それが実感なのだと思う。世の中は、何かまずいことが起きると、マニュアル等に手が加えられる。その結果、「憶えなければならないこと」「守らなければならないこと」「しなければならないこと」が増え続ける。それは、人間の大脳と体の対応力とは関わりなく増殖する。
あのときのこと[23] 2023/12/12 Tue 9655
 コロナが襲来した2020年、講演を依頼された組織に対して送ったメールがある。
 □□ □□さま 先日からご連絡をいただきまして、ありがとうございます。□□での講演につきまして「全面的にお任せいたします」とお答えしておりました。その上で、まことに恐縮ながらお願いがございます。
 【結論】今回は講演の辞退をお許しいただければと存じます。
 【理由】これは以下のような事情によるものです。
  ・ 緊急事態宣言は解除されましたが、「地域を越えての移動」について自粛が期待されていること。
  ・ 解除の結果、海外の事例のように第二波の到来が懸念されていること。
  ・ 私に不測の事態が発生した場合、御社にご迷惑をおかけすること。
  ・ 私が前期高齢者であること。
 私もこうした事由で仕事の「辞退」を申し上げますのは初めてのことでございます。
 また、ご準備を進めていらっしゃる中でのお願いで、多大なご迷惑をおかけすることを十分承知いたしております。
 せっかくのご縁をいただきましたのにまことに残念ですが、ご配慮いただければ幸いです。

 それから3年以上が経過した。すでに「ああ、こんなこともあったなあ」という思い出になっている。
卒業式のあり方 [22] 2023/12/11 Mon 9654
 ある組織から「昨今の社会環境を考慮し 来年以降の年賀状によるご挨拶を 控えさせていただくことといたしました」とのはがきが届いた。これにあわせてこちらからの年賀状送付について「お心遣いはご無用にてお願い申しあげます」との追加がある。 わたしは講演や研修の機会を持たせてもらっている立場だから、こちらの方が恐縮する。日本郵便としては厳しい状況だと思うが、時代と環境の風が[年賀状卒業]の方向に吹いていることは誰にもわかる。そう言えば、[人生の卒業式]も多くの列席者を競うのではなく、本人と関わりの深い者たちによるこぢんまりだが、心が通いあうものが多くなってきた。
現場の声 [21] 2023/12/11 Mon 9653 12月4日 [07] の続き
 「44.事故を起こさないために月に1度程度時間をとって事故防止会議を開催する」
 この情報を得たのはわたしが現役時代だが、そのときは相当に驚いた記憶がある。今日では、こうした発言が出てくる職場はほとんどないに違いない。ただし、これが現場で仕事をしている立場の者から出された点に留意する必要がある。このときも、組織のある段階からは「事故防止会議」なるものはあったと推測する。そこでさまざまな情報が交換され対応策が決定されただろう。しかし、それがトップダウンで現場に降ろされていたとすれば、その会議が期待される役割を果たしていたとは限らない。とにかく「事故は現場で発生する」のである。現場の声とアイディアを活かさない対策は、そこで働く者の意欲を阻害することもある。そうなれば、それは「事故防止」よりも「事故発生」の促進、あるいは引き金効果を生み出す。
国家の栄養不足 [20] 2023/12/10 Sun 9652
  精神疾患で連続1カ月以上の病気休暇を取るか病気休職した公立学校教員が1万944人と大台を超えた(文部科学省 21年度調査)。これは全体の1.19%ということで[±3σ]のような稀な事例ではない。わたしが知っている教員にも人が複数いる。教職がブラックだというイメージが広がり、教師を目指して採用試験を受ける受験者数も低迷している。教職が魅力的な職業とは見えなくなっているのである。マスコミ的には教師側の数値が強調されがちだが、教師たちが病弊すれば子どもたちが影響を受ける。成長期の栄養不足は将来の健康を損なうことは容易に想像できる。国の教育は国民全体に対する栄養の提供である。これから10年、20年後に国の健康がどうなっているのか、懸念材料にあふれている。
日記の中の母(2) [19] 2023/12/10 Sun 9651 12月3日 [05] の続き
 1973年8月3日金曜 福岡へ帰る。大学、研究所に連絡し、寮で簡単な掃除をした。今月はかなりの部分K市に行くことになるだろう。実社心研の論文は掲載が決まった。今回は白樫先生にお世話になったが、わたしの初めての業績。めでたし。
 母の手術が急に決まったことから、大学と集団力学研究所にその旨を伝えたのである。この時点では「今月」の病院通いを予想していた。わたしは高校2年生の2学期から福岡市の室見にある寮に住んでいた。その部屋を掃除して「通い」に備えたのである。実社心研とは日本グループ・ダイナミックス学会の機関誌「実験社会心理学研究」のことで、自分の論文が審査を経て掲載されることになったことがこの日に判明したことになる。これを業界では「業績」と呼び、大学等への就職に当たって、「掲載誌」や「本数」が重要な基準になる。これは修士論文をベースにしたもので、当時西南学院に在籍されていた白樫三四郎先生にサポートしていただいた。先生は2021年12月にお亡くなりになった。
悲しきコロンボ警部 [18] 2023/12/09 Sat 9650 
 「刑事コロンボ(32):忘れられたスター」(1975)は心に残るものだった。 往年の女優が夫の命を奪うという物語である。自分が若いころに出演した輝く映画を見ながら コロンボに追い詰められていく。 最後の場面で彼女が脳に手術できない動脈瘤を抱えていることが判明する。そして残された時間は2ヶ月というのである。自分が手を下したことも記憶にない。それを受けた男性の友人が「自分が夫を殺した」と伝えたところで週末を迎える。それ自身も感動的ではあるが、コロンボを演じたピーター・フォーク自身が認知症になったことを知っている者には、また別の感慨が湧き上がる。当の本人は「コロンボ」のことを憶えていなかったという。あの栄光をも忘れさせる病の過酷さと悲しさを想う。
最後のお買い物 [17] 2023/12/09 Sat 9649 
 「初めてのお買い物」という番組があった。子どもが生まれて初めて1人で親から頼まれた品物を買いに出かけるものである。人生には「最初」があれば、「最後」もある。一般的に「最初」は確定できるが「最後」は推測しかできない。つまりは終わってしまわないと確定できないのである。しかし、これを本人は確かめることが不可能だから人生は一筋縄ではいかない。そうした中で、先日わたしは2本入りの赤鉛筆を買った。それまで使っていたものが補助キャップの助けを借りてもアウトになった。これを購入した時期など記憶の片隅にもない。おそらく10年は経過している。家内に「赤鉛筆はいらないか」と聞いたが不要だという。できれば1本は押し付けようと画策したが失敗に終わった。かくして、「この赤鉛筆」はわたしにとって「人生最後」の買い物のひとつになることはほぼ確実である。
奇跡というもの [16] 2023/12/08 Fri 9648
 【奇跡: 1 常識で考えては起こりえない、不思議な出来事・現象。 2 キリスト教など、宗教で、神の超自然的な働きによって起こる不思議な現象。 デジタル大辞泉】 つまり[奇跡]は必ず起きるのである。ただし、その確率はどのくらいのものを言うのだろう。
 今週の水曜日、わたしはFDA326便で熊本から名古屋に飛んだ。機内で離着陸前後は本を読む。水平飛行中はPCで仕事をする。仕事と言いながら耳にはイヤフォンを付けて音楽を聴きながらである。このところ藤圭子に凝っている。さて、飛行機は小牧空港に3時30分台に着陸した。そのとき、わたしは池澤夏樹「科学する心」の146頁を読んでいた。「生徒や教師を束ねていたのは東京都立富士高等学校という名前である。校舎ではない。校舎などは丘の
一本杉と同じで…」。このとき藤圭子が唄う「別れの一本杉」がわたしの耳に響き渡った。思わず時計を見て、手帳に3時41分とメモをした…。
「4人の物語」(40) [15] 2023/12/08 Fri 9647 12月2日 [03] の続き
 Aが小学校の3年生のころ、こどもたちには相撲が大人気だった。野球も間もなく長島や王が登場する。また九州には西鉄ライオンズという球団もあった。しかし、野球は9人までいかないとしても3人(?)はいる。投手と一塁手とバッターである。これでも「空振り三振」「ホームラン」だとはしゃげるものの、野球ゲームにはほど遠い。それに場所もある程度必要になる。いやいや、そもそもボールにバット、グルーブなど、子どもの手に入るものではなかった。
 その点、相撲は地面に棒きれで円を描けばどこでも土俵が出来上がる。それに最低なら2人で成立する。さらに、相撲界には多くのスターたちがいた。
家康の言… [14] 2023/12/07 Thu 9646
 「鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥」「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」はいずれも家康が発したものではない(堀新共立女子大学教授) 。日光東照宮にしても自分を小さな神社に祀れとは遺言したようだが、われわれが今見るような豪華絢爛な施設にしたのは、三代将軍家光だった。彼は家康を神格化することで、自分の力を維持したいとの気持ちがあったのではないかと言うのが堀氏の見解である。
 その時々で時代の表舞台に登場する人物には様々な情報が加えられる。かくしてその実像はわからなくなる。それは歴史上の人物に限らない。本当のことは周りの者にはわからない。それどころか、人間は「自分のことですらわからない部分」と同居している。
続々 教員としての資質 [13] 2023/12/07 Thu 9645 昨日 [12] の続き
 現在、いわゆる教諭として国公私立の学校で仕事をしている教諭は130万人近くになる(文部科学省 2023年度 学校基本調査速報値)。統計的に「ほとんどあり得ない」値として[±3σ]が引き合いに出される。いわゆる富士山のように平均値を中心に左右に広がる正規分布に関するトピックスである。その広がりの程度を示す数値のひとつが標準偏差で、これが左右34単位以内にデータの99.7%が含まれる。それを超えるのは、大小を合わせて[0.3%]ということである。これを130万人に当てはめると3900人になる。あくまで統計上ではこのくらいの[out of the ±3σ]の教員がいるとなれば、信じられない行動をしてマスコミで取り上げられるのはこの人たちということになるのだろうか。これだけ少数だから「選挙結果」が教員に筒抜けのアプリを使っていた教員たちは[in the ±3σ]と考える方が順当だろう。
続 教員としての資質 [12] 2023/12/06 Wed 9644 昨日 [09] の続き
 学校が導入したソフトは横浜のIT企業が開発したもので、全国的に使用されている可能性がある。今回の報道は大分県の公立学校のものだが、教員が児童生徒に保障すべき[選挙の秘密]を裏切る使い方をしている学校の数は相当数に上ると、いつものように邪推する。学校のなかで「これはまずい」と思った教員が「1人もいなかった」とは考えられない。そんな学校があれば所属する全員が教員免許状を返上した方がいい。そもそも管理職はそれを知らなかったのだろうか。生徒会の選挙は学校の一大行事であるから、「知らなかった」はあり得ない。そもそもあってはならない。まさか、「なかなかいいね」などと言ったりはしていないだろうが、責任ある者なら「こういう使い方は教育のあるべき姿とは相容れない」と諫める資質と能力が欠かせない。そして、「こうした使用が可能だから危険性がある」と研究会やソフト会社に問題提起するのが常識というものである。
J事件の分析と考察(17) [11] 2023/12/06 Wed 9643 11月29日 [40] の続き
 BBCのレポーターはによれば、J事務所が公表している所属タレントの写真は、広告以外では少ないらしい。そこで、原宿と思われる街にある写真専門のようなショップに出かける。地下にあるその店にはタレントの写真であふれていた。これをレポーターは[非公式の店]と呼んでいるが、そうしたショップがあることに驚いた。
 それにしても、闇の中ではなく白日の下で営業しているのだから、これを[非公式]と言うとすれば相当な皮肉か冗談になる。そこにきた客は誰もインタビューに答えなかった。その理由がJ事務所が公認していない店にいることを知られるのが怖いからだという。このあたりはレポーターの声しか入っていないから全員がそう思っているのかどうかはわからないが、そのような状況があるのだろう。
 世の中には違法なものがしっかり存在していることは少なくない。われわれには「本音と建て前」という言葉もある。それらに文化差があるのかどうかには興味がある。
宇宙は[40乗] [10] 2023/12/05 Tue 9642
宇宙のすべては[40]の中に包み込めらている。いつどこで観たのか憶えていないが、〝Powers of Ten™ 〟のタイトルが付いた1977年製作で9分の映像がある。これはYouTubeで鑑賞することができる。
 アメリカのシカゴにあるミシガン湖畔のおそらくはグラント公園と思われる芝生に2人の男女がピクニックに来てシートを敷いた。折からの上天気、男性は横になって昼寝し、女性は本を読む。季節は秋10月である。これを真上から捉えたカメラは上空に引いていく。そのスピードは10秒でべき乗数が[1、2、3…]と増加していく。そして[24乗]に達したところでカメラの動きが止まる。そのとき、銀河系は微塵にも当たらないほどだ。
 それからカメラは逆方向に向かう。そして、[等倍]の世界から昼寝をしている男性の右手の中に侵入していく。今度は[マイナスべき乗]、つまりは[ミクロ]の世界に侵入する。その極限は[マイナス16乗]ということになる。それから先が[無]なのかどうかは知らない。ともあれ、現在の知識では宇宙のすべてが[40乗]に収まるようだ。ここでプラスとマイナスが同じ[20]にならないところが興味深い。 
教員としての資質 [09] 2023/12/05 Tue 9641
 大分県内の複数の公立中で行われた生徒会選挙で、生徒の投票の内容が教員にわかるようになっていた(熊本日日新聞 10月25日)。学校で導入されている「教育支援アプリ」でそれができるという。今年の8月に教員限定の会合が開かれ、その席で情報通信技術(ICT)の活用事例として報告された。参加したのは20校ほどだが、このうち複数校がこれを使って選挙をしていたという。
 細かい事情はわからないが、開いた口が塞がらない。それも「(ICT)の活用事例」というのだから深刻である。この人たちは自分たちが何をしているのか理解していないのだろう。学校の管理職を含めて、「その威力」に満足していたのか。こんなことをするから、教員は世間知らずだと笑われる。いや、これを知った子どもたちのことを考えると笑われるだけではすまない。
後塵の自己満足 [08] 2023/12/04 Mon 9640
 どんなことでも、後発者は「後塵を拝する」宿命を背負っている。人間は時間を遡ることができないから、「先に言った者(もん)勝ち」なのである。もっとも、自然科学の場合は、これからも「人類初」の冠(メダル)が保証されるのだろう。これに対して人間の行動にかかわる領域は「人間初」の表現が使えるのかどうか、けっこう怪しいところがある。ファッションの世界では昔から「流行は繰り返す」と言われてきた。それでも、その時々の状況にマッチさせるオリジナリティがあると言えば「初物」になるのかしら。かくして、「きっと誰かが言ってると思うけど、これって『自分で考えたんだよね』」と自己満足しながら、毎日を過ごしているわたしがいる。
現場の声 [07] 2023/12/04 Mon 9639 11月27日 [37] の続き
 「43.実績をあげるため作業に無理がある」
 きわめて単純な声である。世の中は目に見える実績がものを言う。実績がなければ市場で敗退するしかない。そのために生産性を上げることが求められる。いわゆる生産性がどのような「式」で算出されるのか知らない。同じ結果を生み出すために少ない人間と時間を要するのが生産性なのだろう。そのためには人間を減らすのがわかりやすい。これを働く側から見れば無理が生じる。そのそも「生産性」と「無理」は相容れないのではないか。漱石調なら、「無理が高じれば事故が生まれる」あるいは働く者が疲弊して人的パワーが弱体化する。それでも世の中は「生産性向上」と「無理化」が合体しているように見える。
総理大臣のリーダーシップ [06] 2023/12/03 Sun 9638
 この世の中に絶対的な[スーパーマン]も[スーパーウーマン]もいない。MBLの大谷翔平選手や将棋の藤井聡太たちなどは限りなく[スーパー]ではあるが、それでも[すべて]の能力ではない。国の行政のトップである総理大臣とて、あらゆることで[スーパー]であることはできない。また、その必要もない。この位置に立つ者に求められるものは未来を見据えたグランドデザインである。つまりは、この国をどのようなものにしたいのか、それも来年のことではなく、少なくとも30年くらいは先から今を見る眼力が求められる。それが明確で信念に満ちたものであれば、これを実現する具体的な対応策は専門家に委ねる。もちろん、そこで出てくる個々の提案を選択するのは総理大臣である。ただし、そうした提案そのものが複数で、かつしっかりしたものであることは当然である。政治状況を遠くから観るしかない一国民の目には、そうした提案をする人々の劣化が甚だしいのではないかと危惧する。
日記の中の母(1) [05] 2023/12/03 Sun 9637 11月26日 [36] の続き
 1973年8月2日木曜 昨夜家から電話があったとのことで、今朝早く家に電話をすると父が出た。母が胃の手術をすると決めて、今日入院するという。今日入院とは全く突然である。午後から□□の病院へ行く。□□のおばさんも来てくれていた。私もこの変化を自分の生活の変化へともってゆきたいと思う、大人に、社会人になってもよいころだと考えている。
 このとき、わたしは大学院の博士課程に進学していた。わたしは高校2年生のときから福岡の室見に住んでいたが、父親の転勤で両親は国鉄で1時間ほどのK市の住人だった。それにしても寝耳に水のニュースだった。
ベランダの花 [04] 2023/12/02 Sat 9636 
 わが家のベランダには、かつてけっこうな草花が並んでいた。最初は小さなものが時間と共に成長する。ご近所の食料品店で「このネギ、植えたら増えるよ」と言われて味噌汁を賑わすものもある。また、オクラは可憐な花を咲かせて、食卓に彩りを添えた。これが170cmほどにまで伸びることをはじめて知った。そんな中で、この時期に可憐な花を咲かせるオキザリスは緑を背景にした白と黄色のバランスがいい。こうした楽しみが一年を通じてあるのだが、台風が襲来するたびにベランダに置いているものを部屋の中に退避させる。これが後期高齢者にはけっこう大変で、デカいものから徐々に引退していった。それでも小さな花たちがいつも咲いている。
「4人の物語」(39) [03] 2023/12/02 Sat 9635 11月24日 [32] の続き
 Aが小学校1年生と2年生の担任はI先生だった。小学生の目だから年齢はあやふやだが、やさしい年配の女性である。それから3年生になってS先生に変わった。こちらも女性で、そのふくよかな笑顔は今も目に浮かぶ。翌年もS先生だったが、その7月にAの父親が隣の県のI市に転勤した。小学校は木造だったが、運動場の正面に講堂があり、両側におそらく2階建て校舎が囲んでいた。1年、2年は五組で、3年生は八組だった。それも1クラス60人前後だったのは団塊世代の証である。とにかくにぎやかだった。いまとなってはどちらが正門だったのか定かでないが、二宮金次郎の像があったほうがそれだったのだろう。成人してから金次郎と再会したとき、Aはその小さいことに驚いた。先方は少しも変わっていなから、自分の方が大きくなったのだと笑った。
ベストショット [02] 2023/12/01 Fri 9634
 わたしの風景写真の中で疑いなくトップクラスに入るのが[12月の富士山]である。飛行機で東京に出かけると往路も復路も富士山と遭遇する。羽田に向かうときは左側に姿を現して房総半島を回るまで見える。天気が良ければ羽田空港からも遠くに眺めることができる。復路も羽田を離陸して10分も経たないうちに、今度は左下にやって来る。おおむね眼下だがときにはすぐ上を通過する。この体験、何回重ねても、それだけで楽しく嬉しさがあふれる。まさに霊峰というべきか。そしてあるとき、頭を雲の上に出し、雪をかぶった富士山を写真に捉えた。ところで、雪を被っていない時期は黒茶だから、冬の姿の方に軍配を上げる自分がいる。
白と黒 [01] 2023/12/01 Fri 9633
 富士山の[黒茶]と[白雪]で、[白]に軍配を上げたついでに[白と黒]のお話しを追加しましょう。上記の[ベストショット]から読まれることを想定して、その下に続けます。
 ともあれ[白]は明るく清潔、まさに[純白]という表現が似合います。一方、[黒]は[真っ黒]と言い、[腹黒い]といったマイナスの表現が付いてきます。まあ、それはいいのですが、どうして[白]や[黒]に見えるのかを考えると両者の評価が違ってくるかもしれませんよ。
 ものが白く見えるのは、それが周りの光の侵入を阻み、すべてを跳ね返しているからでしょう。つまりはアンタッチャブルなのです。一方の[黒い]ものはすべての光を受け入れ、吸収してくれるのです。体感的にも[黒]は暖かいではありませんか。この話、大昔に本コラムで書きましたが、富士山の写真を観てまた取り上げたくなりました。