| |
|
| |
|
|
| 睫毛と目[49] 2023/09/30 Sat 9539 コロナがインフルエンザ並の位置づけになって、対面での仕事が復活しはじめた。それが宿泊を伴うとホテルに泊まる。朝、ひげを剃るとき洗面所の鏡が自宅よりも近距離に位置していることが多い。そこで、自分のまつげが貧弱になっていることに気づきはじめた。子どものころから「目がぱっちり」とは言わないとして、自分のまつげが長くカールしていることは知っていた。中学生のとき、女子からそのことを言われて嬉しかった。それに調子づいてまつげにマッチ棒を乗せた記憶もある。それがいまや、余命と併走するかのように貧弱になってきた。はじめて気づいたときは軽い衝撃を感じた。 そして、まつげの衰退と合わせて本体の目も明らかに細くなった。団塊世代の後期高齢者にマッチした体の変化である。こうした中で、先日運転免許を更新した。免許センターで写真を撮る際は意識して目を見開いた。その甲斐があって、6年前に撮ったマイナンバーカードの写真より、大きな目になった。めでたし、めでたし。 |
| J事件の分析と考察(7) [48] 2023/09/30 Sat 9538 9月26日 [42] の続き BBCの番組ではじめて知ったこともある。たとえば、「日本はアメリカに次いで世界第2位の音楽市場」であり、「J-POPのファンは世界中で何百万人もいる」らしい。また、「所属タレントの総称が『ジャニーズ』である」ことも。いずれも高齢者の情報不足を露呈しているだけのことではある。 その昔、わたしも若いころ、「フォーリーブズ」という呼称のグループがいた。世の中はグループサウンズが盛り上がった時期で、「タイガーズ」に「ジャガーズ」「スパイダース」など、トラもジャガーも、そしてクモまでもが音楽番組の主役だった。そうした中で、「ブルーコメッツ」は大人の雰囲気を漂わせていた。そんなことで、「ジャニーズ」も同じような特定の4人か5人のグループだと認識していた。また、最近でも「ジャニーズジュニア」という呼称はしばしば聴いていたので、「ジュニア」を付けたもう一つのグループがいるのだと思っていた。 |
| 貴景勝の「言葉」 [47] 2023/09/29 Fri 9537 大相撲秋場所は大関貴景勝が決定戦で勝って優勝した。大関になったときは横綱が近いと期待されたが、なかなか先に進めない。先の場所も、いわゆる角番だった。素人目には太りすぎだと思えるが、それは余計なお節介というものか。 ところで、優勝後、土俵下でインタビューがあるが、たまたまその場面に出くわした。NHKのアナウンサーがいろいろと聞いている。これに「なかなかいいこと言うなあ」と好感を持ったが、質問がくどく長いと思いはじめたことにようやく終わった。そして、これを引き継いだアナウンサーが「しっかり自分の言葉で答えてくれました」と宣ったのには苦笑いした。いかにも上から目線、大関をまるで子ども扱いするような言い回しである。ご本人は気づいていないだろうなあ。ことばのプロなんですよね。 |
| 「4人の物語」(30) [46] 2023/09/29 Fri 9536 9月22日 [35] の続き Aの家は父親の転勤でY市から同じ県のY市に引っ越した。幼稚園には行かなかったAだが、ここで小学校に入学する。Y市では3回引っ越した。もちろん、すべて借家だが、小学校入学前の最初の家はかすかな記憶しか残っていない。その中に、家が雨漏りしたいたことを憶えている。新聞紙を下敷きにして置いた洗面器に天井からぽたりぽたりと水滴が落ちている。何ともわびしい状況である。Aの父親が少しでも早く家族と暮らしたいとの思いが強かった。そこで、住まいの質などは二の次で、とにかく住める借家を探し回ったのである。もちろん、そうした評価はAが成長してからのものだ。それはAが大学生のときだが、「同じようなこと」が起きたのである。そこで、就学前に住んだY市の借家もそうだったに違いないと信じるようになった。 |
| 「変わる、変わる、とにかく変わる」 [45] 2023/09/28 Thu 9535 わたしが大事にしているキーワードの一つは変化である。「変わる、変わる、とにかく変わる」。リーダーシップにしても対人関係にしても、まずはそこからはじまる。この「味な話の素」のスタートは2003年4月29日だが、第1回目は「行動変容のために」だった。その詳細は省略するが、「『今のままでいい』では行動は変わりようがない」「『どうせ生まれつき』『もともと性格だから…』では変わるものも変わらない」「変わるのは自分のため」「行動を変えるのは自分に与えられた使命と考える」という4点を挙げた。もちろん、その考えは、いまも「変わらない」…。 |
| 「赤ひげ」の感動 [44] 2023/09/28 Thu 9534 黒澤明監督の「赤ひげ」のあるシーン今も忘れられない。極貧の母親が子どもを道連れに猫イラズで無理心中を図った。二人が養生所に担ぎ込まれて生死の淵をさまよっている。仁木てる美が扮する虐待で心を閉じていた「おとよ」が母子の命乞いのためにまかないの女性たちと井戸に向かって、子どもの名前を大声で叫ぶ。それで人の命が救われるという言い伝えがあったのだろう。そのシーンでは、まず数人が井戸の底をのぞき込むようにして大声で叫んでいる。それに続いてカメラは井戸の中に入り、下から女たちが声をかけているのを捉える。それからカメラは井戸の底に向かって角度を変えると、水面に叫んでいる女たちの顔が写っていて、そこにポトリと水滴が落ちて水面が揺れる。そのとき、子どもは毒を吐き出して命が救われる。<br> このカメラ操作による映像の素晴らしさには、感動するほかなかった。それが誰の発案なのか知らないが、このシーンだけで「赤ひげ」を観る価値があると思う。ド素人のわたしは、黒澤映画はモノクロの「赤ひげ」で終わったんだなあと思っている。これは三船敏郎とのコンビが終わりを告げた作品でもあった。 |
| 高校生と[Yes-man](22) [43] 2023/09/27 Wed 9533 9月13日 [22] の続き 済々黌高校の放送部がわたしにインタビューを依頼してきたのは、「NHK全国高校放送コンテスト」に応募するためだった。そこで、「高校生が自転車に乗る際にヘルメットを被るにはどうしたらいいか」について作品を創ることにした。ヘルメットが努力義務になったものの着用率がきわめて低い。その理由のトップが「みんなが被っていないからだ」だった。そこで、こうした課題を解決するにはどうすればいいかを、グループ・ダイナミックスを仕事にしているわたしに聴いてみることにしたのである。そして、わたしがインタビューで相手のことも考えずにしゃべりまくった経緯は[20回]もかけて本欄に掲載した。 そして、その究極の問である「どうしたらいいか」について、わたしは「まずは問題意識を持ったあなたたちが実践してごらんなさい」と呼びかけた。そのときリモートで対応したのは3人の女子生徒である。 世の中は急には変わらない。わたしは、これについて研修や講演で2つの話題を挙げる。その1つはタバコである。わたしがタバコを吸っていた20代のころ、成人男性の7割が喫煙者と言われていた。その後、東京の千代田区が路上でのポイ捨てに2000円の罰則規定を設けたのは2002年のことである。全国でもはじめての試みにスタート当日は全国ニュースになった。その日に「これが当たり前の時代が来る」と考え予想した日本人がどのくらいいただろう。 このシリーズ、今日でおしまいの意気込みだったが、わたしのしゃべり癖が抑えられなくなった。 |
| J事件の分析と考察(6) [42] 2023/09/26 Tue 9532 9月23日 [37] の続き BBC[Predator, the Secret Scandal of J-pop]はジャーナリストのMobeen Azhar氏が登場する。BBCのニュースでは[reporter]とされている。 Azhar氏は、番組の冒頭でジャニー喜多川氏(以後ジャニー氏あるいはJ氏と略記する)が日本のポップ業界で圧倒的な力を持っていたことを伝える。これを証明するように、東京の街頭インタビューで若い男性がにこやかに[He is God]と答える。その上で、Azhar氏は「ジャニー氏が2019年に亡くなると国民的な英雄として称えられた」「日本有数の巨大なスタジアムでお別れ会が開かれ、当時の首相さえもが弔電を寄せました」と続ける。 わたしはこの領域とは相当に離れたところに住んでいることから、この部分は、J氏が亡くなったことを除けばはじめて知ったが、おそらく事実だろう。ご当地のイギリスをはじめ、海外でこれを観た視聴者は、すべての日本人が「そのことを知っている」と想像しそうだ。さらに、「しかしながら、喜多川氏は、何十年も前から事務所の若い少年の一部を性的に虐待しているという疑惑が取り沙汰されてきた」と追加する。 欧米では、カトリック教会の聖職者やハリウッドの大物プロデューサー、さらにはBBCの人気司会者による性的虐待が明らかにされ、重大な社会問題になった。いずれも「圧倒的な力」を背景にしたものである。そうしたことから、「日本だからといって驚くことはない」と受け止める視聴者も少なくなかったのではないか。しかし、その一方で、「疑惑が何十年にも亘って取り沙汰されてきた」という情報と、「国民的英雄」「巨大スタジアム」「首相の弔電」を並べられれば、これには大いなる驚きが伴ったと推測する。 |
| 「生きているから動く」「生きるために動く」 [41] 2023/09/25 Mon 9531 この宇宙に存在しているすべてのモノは安定を目指している。これがわたしの仮説である。例えば動物は生きているから動くのか、それとも生きていくために動くのか。おそらく、動かないと生きていけないから動いているのではないか。そもそも生命体ができたときは、植物がそうであるように、その場に止まっていただろう。しかし、そこから動かなければ生きていくためのエネルギーが得られないとなれば、これは動くしかない。 アフリカの草原に生まれた我々の祖先もはじめは木の上にいて、動くとしてもその辺りで済ませていた。それで生きていけるのであれば、そのままでいただろう。ところが気候の変化などの事情から木の上だけでは生活できなくなる。そこで、やむを得ず地上に降りで生きるエネルギーを求めた。それでも、身の周りに食べ物があれば、そこに止まったに違いない。しかし、これも干ばつで周囲が砂漠化していけば食べ物がなくなる。そこで、さらに動かざるを得なくなる。 かくして、「生きていて、動くエネルギーを持っている」から動くのではなく、「エネルギーをゲットしなければ生きていけない」から動くのが原初形態だったと考えるのである。 |
| 現場の声 [40] 2023/09/25 Mon 9530 9月18日 [30] の続き 「34.変更は早めに連絡をしてほしい」 実際の記述では、[変更]の具体的な内容が挙げられている。ただし、それを記すと業種が特定されるため[変更]で止めた。現場で仕事をするものにとって、「急な変更」は困るという趣旨である。この職場では、その事実が伝えられていない場合、それだけで人命に関わる事故に繫が可能性がある。組織としては「変更は直ちに周知する」といった指針や基準があるに違いない。それが当然である。しかし、[当然]や[常識]、さらには[基本]が徹底して守られるとは限らない。組織における事故や不祥事のほとんどが、こうした人間の習性から発生している。 |
| 「反省」の本気度 [39] 2023/09/24 Sun 9529 北朝鮮から帰国した地村さん夫妻が「無断でインタビューを掲載した」として週刊朝日に抗議した(熊本日日新聞2003年1月14日)。今から20年前のスクラップが出てきた。その経緯は省略するが、これを受けた「朝日新聞社広報部のコメント」が興味深い。小見出しが「反省せざるを得ない」だったからである。「夫妻の取材許可を得たものだと理解して記事にしたこと」「(夫妻が言うように)『取材でないと』と話したことはない」と説明した上で、「結果として抗議を受けたことは意思疎通が十分でなかったものと反省せざるを得ないと考えております」で結ばれる。これが文書なのか口頭なのかわからないが、このままの表現であれば、こちらも苦笑せざるを得ない。一般的に、「せざるを得ない」の底には本音としては「したくない」、「する必要がない」との思いが潜んでいる。どうして「反省しております」と言えないのだろう。 |
| 教科書の読みまくり [38] 2023/09/24 Sun 9528 9月17日 [28] の続き [数学]の続き。データ分析についてS社は、三つの市の気温データを扱っている。ここでも代表値の間に大きな差がなくインパクトが弱い。 K社は、「代表値、範囲と分布の仕方の関係」を項目として取り上げて、偏りのある事例を具体的に例示している。そして、「データの中に多くのデータの値から極端にかけ離れた値がある時、中央値はその影響をほとんど受けないが、平均値、範囲はその影響を大きく受ける」と解説している。その上で。「8月の平均気温」「生徒の100m記録」などを挙げる。さらに、分布に偏りがあって中央値と平均値は近くても最頻値が離れているケース、平均値あたりの実数が極めて少ない、いわゆる「フタコブラクダ」があることまで提示している。わたしなんぞは、仕事の中で、平均値が抱えるこうした問題点を指摘しまくっている。そんなことで、K社の記述を大いに評価した。実際の授業でどのくらいのウエイトが置かれるのかわからないが…。 |
| J事件の分析と考察(5) [37] 2023/09/23 Sat 9527 9月18日 [31] の続き あらゆる情報は切り取られる。マスコミの情報は影響が大きいことから、とりわけ「切り取りは批判的に話題にされる。政治家の発言が問題になると、本人は「前後の脈絡を含めず、『そこだけ』を切り取った」と批判し、反論する。たしかに、そうしたことはあるに違いない。新聞のインタビューでも5分間のやり取りが記事では1、2行にまとめられるのは常識だろう。 ただし、こうした事情はすべての人間にあてはまる。われわれは網膜に映っている情報をすべて平等に受け取って、目に見えるものを理解しているのではない。それは耳で聞く情報も同じだ。つまりは、「見たいもの」「聞きたいもの」を見聞きしているのである。あるいは、「見たくない」「聞きたくない」から、見えてしまう、聞こえてしまうこともある。その点で、すべての人間が「自分のフィルター」を通して世界を理解しているのである。そのフィルターは大脳と言い換えることもできる。大脳は、生まれてこの方、その所有者が置かれた環境も含めて、固有の体験を積み重ねていく。それがものの見方に違いを生み出し、それがものの見方に影響を及ぼす。こうして人の数だけ固有のフィルターが創りあげられ、その過程は大脳が活動を停止するまで続く。 いやはや、言いたいことがわかりにくい長文になってしまった。われわれは、こうした「事実:フィルターの存在」を念頭に置きながら、情報を理解することが必要だと言いたかっただけのことである。それは、BBCの[Predator, the Secret Scandal of J-pop]についても適用することになる。 |
| 陳腐なタイトルの意味 [36] 2023/09/22 Fri 9526 WOWOWのドラマ「事件」(4回)を観た。敏腕弁護士が殺人事件の犯人とされた人物を弁護するストーリーで、裁判の過程に多くの時間が当てられていた。物語は被告の無罪を獲得してめでたしめでたしとなる。ラストのシーンで同僚である2人の弁護士が語り合う。一人が「お前でなければ、あの裁判はああはならなかった」と主人公の弁護士をほめる。これに、主人公は「俺だけじゃないよ。裁判官が違ったら、検察官が、裁判員が違ったら、おそらく結果は大きく変わっていた。そう思うと裁判もも一つの事件なんだ」と遠くを見るように答える。 裁判は人との出会いであり、関わりあいである。その構成員によって結果が違ってくる。個々の裁判そのものがほかとない「事件」なのである。ここに来て、陳腐とも思われる「事件」というタイトルの意味が明らかにされる。 原作は大岡昇平の「事件」である。最後のセリフは原作からそのまま取ったものだろう。大岡がこの書名を付けた思いが伝わってくる。 |
| 「4人の物語」(29) [35] 2023/09/22 Fri 9525 9月15日 [25] の続き Aの父は1952年9月27日の日記にAについて書いている。 「Aは運動会と聞くと行かずに居れないない様である。この前の日曜日には□□小学校の運動会には、赤鉢巻きをして喜びいさんで行ったし、今日は幼稚園の運動会があると聞いてぢっと居れず行こう行こうとせがむので、出かけた途中でころんで足にかすりきずを受けた。それでも運動会は実に熱心に見ていた。私としては相撲を見たかったので、三つばかり競技を見てから□□の相撲場の方に行った。そしてプールのスタンドで腰を降ろしてAが持ってきたまんじゅうを二つ食べるのを待った。」 Aの父親は相撲が大好きだった。父親が亡くなる4ヶ月ほど前の11月にAは家族で九州場所に出かけた。そのとき、父親も連れていけばよかったとの思いは今でもAの心の中で消えないままに残っている。 |
| 「ひまわり」(1970) [34] 2023/09/21 Thu 9524 わたしが学生のころ「ひまわり」という映画があった。当時、よく知られていたソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが演じていたことくらいは記憶にあるが、映画は観ていない。学会でオーストリアからチェコのプラハに向かう列車から一面に拡がるひまわり畑に目を瞠ったことを思い出した。その「ひまわり」がWOWOWで放映されたので、わたしははじめて映画の内容を知った。第2次大戦時にイタリア兵がソ連に出兵したときの物語である。撮影地はウクライナということで、今日の深刻な状況が重なり合った。 戦争によって人々は引き離され、死を免れた者たちも元の平和な関係が失われることもある。わが国でも、戦争から帰還したものの、その体験をまったく語らずに亡くなった元兵士たちの話もよく聞く。今このときも、戦争で人の命が失われ続けている。はじめから死が伴うことを前提とした行為など、一体何なのだろう。しかも命を失うのは、その大多数が弱い立場にいる市民である。 |
| [ごまん」煎じ? [33] 2023/09/20 Wed 9523 [二番煎じ:①一度煎じたものをもう一度煎じること。また、そのもの。②前にあったことの模倣で新味のないもの。(デジタル大辞泉] どんなことを思いついても、誰かが言っている。つまりは「早いもん勝ち」のネタは事欠かないから、本コラムでも繰り返している。自然科学の領域では「人類史上初めて」が成り立ちそうだが、こと人間の考えや行動、それを構成する社会・集団となれば、[二番煎じ]は超稀なケースで、ほとんどは[ごまん煎じ]だろう。 自分は新しいことを言ったんだと思っても、すでに誰かが言ったり書いたりしていると思ったいる方が無難である。いつのことか忘れたが、「司馬遼太郎が考えたこと」(全15冊)の中に法華経について書かれていた。それを読みながら、「なんだこれって社会構成主義じゃないか」と思ったことがある。社会構成主義は、人間のあり方や組織に関わって大きな影響力を持っているが、その本質的な点が「すでに]法華経に記されているわけだ。司馬の引用は華厳教だったかもしれない。何ともあやふやだが、本冊は身辺整理の対象になり手元にはない。 吉田兼好の「徒然草」の第16段だったか、「枕草子」についての引用がある。そして、「これって自分(兼好)が考えたんだけど、すでに清少納言が言っちゃってるよね」といった流れになっている。後で生まれた兼好の悔しさが見て取れる。 自力で考えたことを既に1000人が言っていたと知れば、がっくりくる。しかし、偉大なる先人の考えと同じことを「自分の頭で考えたんだあ」と思えば、それもまたそれなりの満足感をもたらす。何と言っても小市民の知恵なのですから。 |
| 続 黒と白の物語」 [32] 2023/09/19 Tue 9522 9月17日 [29] の続き リーダーシップを含めて、「対人関係」のキーワードは視点の転換である。物理的事実は同じであっても、人によって見え方が違う。それは、それぞれが異なる「解釈装置:大脳」を持っているのだから当然である。ただし、大脳は固定した部品からできているのではないから、「見方、見え方」は変えることができる。それは「物事の解釈」を変えることでもある。大脳の起源は生命の誕生にまで遡ることができる。大脳のない単細胞は生存するために様々な動きを積み重ねていった。そうした外界に適応していく過程の体験が細胞の情報として活かされ、次の段階に進化を続けたのである。 ものの見方を変える、解釈を変えること自身が人間力を強化する。単純な話、ものごとを多様な目で観ることができるようになる。それだけで対人関係は違ったものになる。そんな話しを、その時々で思いついた例を挙げながらし続けてきた。 まだ、「黒と白」に到達せず、申し訳ございません。 |
| J事件の分析と考察(4) [31] 2023/09/18 Mon 9521 9月16日 [27] の続き BBCのタイトル[Predator, the Secret Scandal of J-pop]の[predator]は「1.捕食者:他の生物を捕って食べることによって生存する生物 2.奪い取る人、略奪者(ランダムハウス英和大辞典)]である。これを人間にあてはめる場合、英語文化圏では、とりわけ性に関してきわめて忌避すべき人物を指すことになる。それは新社長が引用した「鬼畜」と同義と言えるだろう。 マスコミに限らず、大多数の人々に自らの情報を伝えるには、タイトルがキーになる。その点、「predator」の一語で人々の耳目を惹いたと推測する。そして[scandal]、さらに[J-pop ]が続く。海外では[J-pop]がどのくらいの刺激になるのかしらない。むしろ、[J-pop]の文字で「興味ないな」と放送を視聴しなかった人もいるだろう。それでも[scandal]は興味をそそるに十分だろう。この番組を海外の人々がどのくらい観たのかわからない。それでも歴史ある放送局BBCのドキュメンタリー番組だから、相当の数字になったに違いない。かくして、番組に込められたメッセージが「日本で起きた事件」として受け止められる。 ところで、前回(16日)に42万回だったアクセス数は現時点で45万回に達している。 |
| 現場の声 [30] 2023/09/18 Mon 9520 9月11日 [18] の続き 「33.事故情報は多いが教訓として活かされていない」 何とも単純かつきわめて重要な「現場の声」である。これだけでは、問題とされている事後の詳細はわからない。ただ、「教訓として活かされていない」となれば、同じような事故が繰り返されていることを推測させる。事故が発生すると、組織として「二度と々過ちを起こさない」ことが強調される。これほど当然のことはない。しかし、そのための手立てが取られたか、そして、組織の仕組みや行動に変化が起きたかどうか。このあたりになると怪しいところもあるのではないか。危機管理はそのときの「お利口さん発表」で終わっては意味がない。この発言者の組織では、そうした変化が起きていない可能性が高そうだ。 |
| 黒と白の物語 [29] 2023/09/17 Sun 9519 研修や講演では、自分が伝えたいことを「なるほど」と思って受け止めてもらいたい。そのために、あれやこれやの「事例を」を考える。それは[ネタ]ということもできる。ただ、同じネタを繰り返していると、自分の頭の中で「いつまでやってるんかい」という声が聞こえてくる。ここで「ネタ切れなのよ」の回答しかなかければ、リタイア信号が点灯したと考える必要がある。その点、「ホンのチョット」ながら、何かを変えるささやかな意欲は未だに残っている。 これに加えて、過去に書いた原稿を読み返すことがある。そこで、「けっこう気の利いたことを書いているじゃないか」「これって、今でも活かせるなあ」と嬉しくなったりする。もちろん、単なる自己満足的評価なのだが、そのネタを再構成する気分が高まる。そんなネタの一つが「黒と白の物語」である。今日は前置きのみで、詳細は「続き」としたい。 |
| 教科書の読みまくり [28] 2023/09/17 Sun 9518 9月10日 [16] の続き [数学]が7社あるのは、「まあ、そんなものだろう」と思った。個人的には[データ分析]に関わる部分に目が向いた。 N社は分布の形と代表値として三つについて触れている。わたしたちのころはどうだったか思い出すことができない。 D社は弁当の価格と販売数、都道府県別の中学校の数をヒストグラムで示し、三つの代表値について考える機会を提供している。現実の世界と繋げるとわかりやすいし、応用力も身につくだろう。 T社はデータを扱う目的や分布の特徴によって「中央値や最頻値が用いられることもある」と説明している。世の中では[平均値]に頼りすぎの傾向がある。それどころか、[平均値]で人を欺くものさへいる。まことに困ったことである。わたしなんぞは「中央値、最頻値ファン」を標榜しているほどである。その点で、T社は大いに評価した。ただし、例として挙げている1500m走の記録データは三つの値が近接していて、いまひとつの感がある。 |
| J事件の分析と考察(3) [27] 2023/09/16 Sat 9517 9月12日 [21] の続き 今回の事件が「改めて明るみ」に出たのは、国外からの情報だった。ここで「改めて」と記すのは、この問題に関しては、記事を連載した「週刊文春」に対する名誉毀損の裁判で、その行為の存在が認められていたからである。しかも、前世紀末には過去に所属していたメンバーの暴露本も出版されていた。こうした事実は社会問題として取り上げられることなく時間が経過していった。そして、2003年3月7日BBCが外から問題を直撃した。タイトルは[Predator, the Secret Scandal of J-pop]である。全体で52分の番組はユーチューブにアップされている。その内容を観れば、これが問題を告発することを目的にしていることがわかる。日本語の字幕が付けられていて、2ヶ月経過した現時点で視聴数42万回とある。 その内容に立ち入る前に、①海外のメディアからの発信によって問題が「改めて表面化」したこと、②それが世紀末前後とははまったく異なる経過を辿ったこと、③それが個人J氏や当該組織を超えて日本社会に対する批判になっていることを押さえる必要がある。つまりは、BBCの放送がなければ、別の言い方をすれば外圧がなければ、今回の問題は発生しなかった可能性が高いと思われる。つまりは、「日本社会には自浄能力がない」と批判されているのである。 |
| 取り調べの可視化 [26] 2023/09/15 Fri 9516 犯罪や事故、様々な問題の源は見えないことが少なくないまた、原因が見えたと考える場合でも、それが根源的なものであるかどうか、人間にはわからないことがある。さらに、結果は見えていても、そこにいたるまでの過程がわからないことも多い。犯罪はほとんどの場合見えないところで起きる。そして、犯罪の取り調べもまた見えないところで進められる。それが自白を強要し、冤罪を引き起こすといった問題が指摘されてきた。そうしたことから、取り調べの可視化が求められ、ビデオで録画されることになった。ただし、その範囲や裁判における活用の実情の詳細は知らない。世の中で注目される裁判の判決が報道されることはあっても、可視可についてはそれほど取り上げられることがない。この制度の導入が検討されていたときは、様々な立場の意見や解説が報道に乗っていたが、その話題性が失われた感がある。 |
| 「4人の物語」(28) [25] 2023/09/15 Fri 9515 9月8日 [13] の続き Aの父が記した日記にはAが4歳の誕生日に以下のような記述がある。 「今日はAの誕生日である。満四歳になったわけだ。夕食はおはぎ餅のご馳走が出た。昭和23年の今日は連日の曇天が珍しく晴れ渡り清々しい良き日であった。晝の12時20分頃Aは呱呱の聲を上げたのである。Aは生まれてから昭和26年5月6日まで二年七ヶ月を□□村の□□氏宅の裏の離れに住んだ。それから昭和27年1月6日までの八ヶ月間をM市の兄の家の離れに住んだ。それから現在まで十ヶ月をY市に住んでいる。」 Aの父親は若いころから日記を書いており、その中にA自身もときおり登場する。生まれた日が晴天で、お昼過ぎにこの世に出てきたことは、話として聞いたことがあるかもしれないが、かなりあやふやである。その点、日記は文字情報としてしっかり伝えてくれる。 |
| 「アンケート」考(2) [24] 2023/09/14 Thu 9514 9月5日 [09] の続き 「あなたは、車に乗ったとき、安全に運転をしようと心懸けていますか」では「はい」という肯定的回答が圧倒的とまではいかないとしても多数を占めるだろう。そして結果もその予想どおりだったとする。それで「ああ、よかった。めでたし、めでたし」で満足できれば、それはそれでいい。しかし、そこから何らかの変化を導入するヒントは得られない。 そこで、「あなたは赤信号になっているのに交差点に進入することがありますか」と問えばどうなるか。これに「まったくない」、少なくとも「ほとんどない(たとえば1年間に3回以下)で回答する。あるいは「横断歩道を渡ろうとする人がいたとときは停止していますか」に、「いつも停止する」「かなり停止する(たとえば10回に8回以上)」と選択肢を付ける。 このほか「同僚が飲酒後に車を運転することがわかったとき」なども候補になる。さすがに、「体を張ってでも止めた」という選択肢はないとして、「周りにも聞こえる声で制止した」などはいかがだろうか。また、「いつも法定速度を守っているか」は、どのくらいになるのか興味津々である。ひょっとして「はい」は一桁、それもゼロに近かったりして…。 |
| 「資本論」の活字を見る記(7) [23] 2023/09/13 Wed 9513 9月5日 [08] の続き 学生時代に挫折した「資本論」を1977年8月7日に開きなおしたが、これもいつの間にやら頓挫してしまう。そして、またもや第1巻を手にしたのは2006年11月28日のことで、すでに21世紀になっていた。大学1年生の12月に、自分としては大枚を使って購入してからほぼ39年後のことである。 しかし、これが最後のチャレンジになり、2023年6月13日に「すべての活字を見る」ツアーが幕を閉じた。この間、6036日、1113頁をこれで割れば、わずか0.18頁である。本文には小さな活字の註記が多いから、1ページ当たりの平均は45行ほどにはなるだろう。それでも1日平均8行から9行程度に過ぎない。複数の書籍を持ち込む「トイレ読書」の1冊として、この程度の遅進は、わたしにとって「フツー」なのである。ただし、やリはじめると止まらない粘着性は大いに発揮された。 多くの方が「そんなことで頭に入るのか」と首を傾げられるだろう。それは当然なのだが、毎日のことで、わたしの頭の中ではけっこう繫がるのである。もっとも、「内容を理解しているのか」と問われれば、「『活字を見る』というタイトルから想像してください」と怪しげな回答で締めくくる。それでも、大いなる「達成感」を味わったことは主観的感覚としては疑いがない。 |
| 高校生と[Yes-man](21) [22] 2023/09/13 Wed 9512 9月6日 [10] の続き 最初、高校生が自己紹介とインタビューの趣旨をわたしに伝えた。そして、本シリーズで取り上げた6点の質問について、やり取りがはじまった。ただし、自覚のない高齢者は、インタビューの何たるかを弁えていない。前もって届いたいたメールのリストとそれに対して準備したメモを見ながら[講義]をはじめたのである。もちろん、その時々でちょっとした会話は発生したが、相互作用的なコミュニカーションがあったとは認めがたい。何と言っても[inter・view]なのだから、お互いが目と目を見合わせて[対話]しなければならないのである。とにかく一方的にしゃべりまくるのだから、高校生たちは困惑したに違いない。かくして予定の1時間を少しばかり超えたところで[一方向インタビュー]は終わった。 これが、しゃべった側の認識である。この時間が彼女らにどう見えていたのかはわからない。 |
| J事件の分析と考察(2) [21] 2023/09/12 Tue 9511 昨日 [19] の続き 新社長は、J氏の行為について「人類史上最も愚かな事件」であり、「鬼畜の所業」と断言した。記者会見では、俳優として迫力に満ちた演技力を発揮したとの見方は酷に過ぎるかもしれない。いずれにしても、「人類史上最も愚かな」「鬼畜の仕業」であるJ氏の行為が、「1950年代から2010年代半ばまでの間にほぼ満遍なく存在していた」とされている。(調査報告書(公表版))つまりは50年以上にわたる、「満遍ない」「鬼畜の所業」が問題にされなかったのである。 ただし、今世紀初めに週刊誌の報道でJ氏の行為が明るみに出され、J氏側が名誉毀損で提訴した。その結果、当人の行為を認定した判決が最高裁で確定していた。それは2004年だが、J氏は芸能界で大きな影響力を持つ組織のトップだった。その時点で、「人類史上最も愚か」と形容できるか否かは措くとして、彼の行為が「鬼畜の所業」であることは、公的な事実となったことになる。しかし、これを一部の新聞がおそらくは小さなスペースを使って伝えただけで終わってしまう。このことで、それはJ氏の個人的嗜好だけでなく、マスコミの存在意義まで問われる深刻な問題へと拡大することになる。 |
| 藤圭子のド演歌 [20] 2023/09/12 Tue 9510 8月7日 [13] の続き いまド演歌好きのわたしがはまっているのは藤圭子である。とくに、昔の演歌を歌ったものがたまらない。飛行機の移動時には、これをヘッドフォンで聴きながら仕事に励む。とりわけ、「番場の忠太郎」や「浪曲子守歌」「刃傷松の廊下」など、あくまで情緒的な曲を繰り返し聴き続ける。その力は演歌特有のメロディーや節回しにもあるが、何よりも歌詞に込められた人間模様がわたしの心を揺さぶる。藤圭子は端正な顔立ちながら、ハスキーな声でド演歌を唄うというミスマッチも大いなる魅力である。父親が旅回りの浪曲師だったから、声量の豊かさでなく、登場人物の心情を伝える能力を併せ持っている。藤圭子が62歳で自ら命を絶ってから10年になる。そうした事実も歌を聴いているわたしの頭の中で情緒感をさらに高める。 |
| J事件の分析と考察(1) [19] 2023/09/11 Mon 9509 組織安全[=リスクマネジメント、クライシス(危機)マネジメント]を仕事にしている者としては、今回の芸能事務所問題に触れないわけにはいかない。これを連載的に取り組めば、どのくらい続くのか予想するのはむずかしい。今回の問題は、とにかく多様な視点から分析することができる。そもそも、この事件の発端がJ事務所の個人の行為にあることは疑いな。しかし、その分析だけで終われないことは、どのような立場に立つ者もわかっている。 それにしても、その深刻さの程度は措くとして、わたしには、「これまでの組織問題とまったく同じことが起きた」としか考えられない。それは、「組織問題のすべての原因は『言いたいことが言えなかった』か『言っても聴いてもらえなかった』のいずれかに帰せられる」ということである。わたしは、これを前世紀から訴え続けてきたが、今回の[事件]はそのころから発生していたのである。 |
| 現場の声 [18] 2023/09/11 Mon 9508 9月4日 [07] の続き 「32.事故防止の規程、規制が複雑で、必要以上の規制により事故の要因を作り出している」 これが、まさに現場の声と言うべきものである。様々な約束事は、それなりの必要性に応じて作られ、また採用される。したがって、現場でこれを厳守することが基本である。ほかの部署がいい加減にしていても、「自分たちはちゃんと守る」という気概と現実の行動が求められる。ときには「やせ我慢しているんじゃないの」と冷笑されても頑なに守るのである。そして、その一方で「変えるべきものは、可能な限りすぐに変える」という機敏な行動力が求められる。ところが、われわれの心の中には「変化に対する抵抗虫」が住んでいる。何と言っても「これまでどおり」が楽なのである。そうなると、「現場の声」はかき消され、問題が発覚してから「早く手を打っておけばよかった」と後悔する。いつも繰り返される景色ではないか。 |
| リーダーシップの[正解] [17] 2023/09/10 Sun 9507 リーダーシップに関する理論や研究は世界中にあふれている。これに評論やエッセーを含めれば、その数は「無量大数:10の68乗あるいは88乗」を超えて「無限大:∞]と言うべきか。さすがにそこまではないにしても、研究者自身が「リーダーシップの理論は研究者の数だけ存在する」と皮肉るほどなのである(Bass, B. M. 1990)。 そうしたことから、世の中の研修や講演などでは、それぞれの研究成果に基づいて、リーダーシップの[正解]」を提示し、それらの実践を働きかけることが多いと推測する。しかし、わたしは、組織やその構成員たちの状況を知らない自分が現実の職業人に[正解]を提示できるはずがないと確信し続けてきた。 |
| 教科書の読みまくり [16] 2023/09/10 Sun 9506 9月3日 [04] の続き [道徳]は7社も出版していたが、それぞれ読み応えがあった。 K社は「とびだそう未来へ」がメインテーマで、「安全・防災」「歩きスマホ」などにも触れている。熊本にとっては「熊本地震」が取りあげられていて親近感が生まれる。 T社は「新しい道徳」とおとなしい。テーマを設定し、これを4つに分類している。「いじめ」について触れてはいるが、読んでいて目に飛び込んでこない感じがした。 K(上記とは別)社は「きみがいちばんひかるとき」とひらがなでまとめた。キーワードが4つに分類されているが、それぞれのページが記載されていない。 これまた、頭文字ではK社だが、こちらは「自分を見つめる 自分を考える 自分をのばす」ときわめてオーソドックスな仕上げである。道徳ノートを付けているが、教師がこれをどう使うかがポイントになる。 N社の「生き方から学ぶ 生き方を見つめる 生き方を創造する」というテーマに動きが感じられる。1年生の「仕事と心」では、NHKの「プロフェッショナル」で取りあげられた羽田空港を清掃する女性、2年生には、社会心理学系の「割れ窓理論」があって、個人的に喜んだ。 |
| 先に言ったもん勝ち [15] 2023/09/09 Sat 9505 9月7日 [12] の続き さて、「ノストラダムの大予言」だが、「ノアの箱舟」が再来するとか、しないとかで大いに賑わった。これを解説した本がベストセラーになり、出版社と著者とは大いに潤ったことだろう。ここで他人様のお財布具合を詮索する無粋なことはなしとして、誰かが言ったことは、何でもかんでもほかのことに「当てはめ」可能なのである。ある人が「理屈と膏薬はどこでもくっつく」と言ったのを聞いて大笑いしたのは、わたしが20代のころである。 もともと「ノストラダムスの大予言」なる本はタイトルを知っていた程度だが、「これは、現在のこのことを予言していた」と何でもかんでも当てはめまくったようだった。おそらく現在の地球温暖化もウン千年前に予測されていたと言う人がいるに違いない。 ともあれ、過去の人々の言ったことは、とりわけ人間の行動や考えについては現在に通じるものが多い。それほど人間は変わっていないのである。そんなことで、「早く言ったモン勝ち」なのである。それにしても、論語や孟子やギリシャ哲学の重鎮などの言は、人間と組織に関わる観察と洞察の成果であり、あれもこれも「先に言われてしまってる感」に充ち満ちている。後から生まれてきた人間としては宿命だから嘆いても仕方がない。ただひたすら、「これは自分で思いついたんだ」という自己満足に浸るしかない。 |
| パイロットのメッセージ [14] 2023/09/08 Fri 9504 このところ対面による仕事が復活してきた。飛行機大好き人間には搭乗の機会が戻りはじめた。もちろん、間もなく後期高齢者クラブに入会する者だから、その回数が減少しているのは当然である。 ところで、この2回は天候不順や台風の影響で飛行中、大いにゆれた。その真っ只中で、機長の「飛行機は揺れても壊れません」というアナウンスが聞こえてきた。いつもは「揺れましても飛行の安全には問題がありません」、ときには「まったく」を付けて強調することもある。そんなことから、わたしとしては「これは初めてのメッセージだなあ」と笑った。そりゃあ壊れては大いに困りますよね。さらに熊本空港近くまで来ると空港周辺で雷雲が発生しているというので、有明海上空を大きく2回ほど旋回したから、おまけの遊覧飛行も楽しんだ。 それからゆっくり着陸すると、パイロットがいつものアナウンスに加えて「キッズのみなさん、お疲れさまでした。飛行機は揺れましたがまた乗ってくださいね」といった主旨の一言が聞こえてきた。これで「飛行機は壊れません」の新メッセージの意図がはっきりした。このとき、6歳から7歳が一人で搭乗する企画で乗っていた子どもくんがいたのである。こんな機長さんなら子どもの飛行機ファンが増えるかもね。 |
| 「4人の物語」(27) [13] 2023/09/08 Fri 9503 9月2日 [03] の続き AがY市に住んでいたとき、友だちがいたのかどうか記憶がない。同年齢の子どもたちは幼稚園に行っており、入園できなかったAには[同級生]がいなかった可能性がある。そうした中で、一人だけ電車通りのたばこ屋の男の子がかすかに思い出す唯一の同年代である。その名前がAの姓か名前かのどちらかが同じだった。そのほかは、近所のお兄ちゃんたちからかわいがられた記憶が、これまたかすかにある。その中には使い古しのボールをもらったことも含まれる。 そんな環境だったから、同年代の友だちと遊び回った記憶はない。ところが、Aは誰かたちと遊んでいるうちに家に帰りたくなり、その理由について「嘘」を言ったことをずっと憶えていた。それは捕まえたり捕まったりするような遊びで、Aは自分が捕まりそうになったため、「嘘」をついて家に帰ったのである。いまとなっては、これが事実だったかどうかもはっきりしない。その年齢なりに「ずるいことをした」という後ろめたさがあったのだろうか。 |
| 早いモン勝ち [12] 2023/09/07 Thu 9502 世の中は[オリジナリティ:独創性]が大事にされる。研究でも、既に誰かが言ってることを自分の発見のようにアピールすれば笑われる。ただし、人間にまつわるあらゆることは、これまで誰かがすでに言っていると考えた方がいい。この世は「早いモン勝ち」なのである。わたしは高校から大学にかけて「論語」を覗いたことがある。また、「徒然草」や「枕草子」「方丈記」などの古典にも触れた。その中で、「そうだよなあ、人間ってそんなもんだよなあ」と納得し、ときには笑ってしまうことに出会い続けた。そのうち、人間行動を探求する仕事をしはじめたが、あの古典、この書物に、「ああ、もう言われちゃってるジャンか」と落胆(?)する言説が充ち満ち、満ちあふれているのである。 こうなると、あれやこれやと書物を探るのはやめて、「思いついたことはすべてが[わがオリジナル]と信じ込んだ方が大いに幸せではある。それに、過去に誰かが言ったことは、ほとんどのものが現在に「当てはめる」ことができるものである。それは人間の素晴らしい(?)特技と言うべきか。いつのころだったか、「ノストラダムスの大予言」なるものが、世の中で話題になった。ただし、その「こじつけ度合い」には大いに注意を払いたい。 |
| グリーン車が安く、普通車が高い [11] 2023/09/06 Wed 9501 普通車よりもグリーン車が安いとはどういうことか。これは、1975年4月5日付けの西日本新聞に掲載された評論記事である。筆者は、経済評論家の杉岡碩夫氏で、わたしのセピア色になったスクラップブックに貼っていた。このコラムのポイントは、様々な面で圧倒的に厚遇されている国立大学の授業料が安い一方で、国の補助金などが少ない私立大学は高い授業量料を払わなければならない状況に対する批判にある。このときは「グリーン車が普通車の1/5から1/10」と記している。わたしが大学生になったのは、1967年だが、自分の実感として7倍から8倍くらいだと思っていた。そのころの国立大学は月額換算で1000円で、幼稚園よりも安いじゃないかと言う人がいた。 その後、「格差是正」を旗印に、国は国立大学の授業料をあれよあれよと言う間もなく上げ続けた。その「おかげ(?)」で、両者の差は相当に縮まった。これって善政なんでしょうかね…。 |
| 高校生と[Yes-man](20) [10] 2023/09/06 Wed 9500 8月30日 [54] の続き 高校生とは1時間ほどRemoteでやり取りした。そこでわたしが、問われていないことまでしゃべった経過は前回まで書き続けた。最初のメールには、いろいろ相談する相手を探していたところ、「吉田先生のホームページにたどり着いた」と記されていた。この点について聞いたところ、部活で顧問をされている先生から教えてもらったことがわかった。それ以上、細かいことは確認しなかったが、先生がわたしの講演か研修をお聴きになって、「集団の心理学」については、わたしに聴いてみたらとお勧めいただいたとのこと。それがわかって、もともとやる気満々だったわたしのエンジンが旧式の割には燃え上がったようフル回転しはじめた。 リモートの向こう側には3人の女子生徒が座っていた。この時点では、彼女らは相手のことを考えずにしゃべりまくる後期高齢者がZoomの向こうにいるとは想像できなかったに違いない。ところで、前回までは高校名を匿名にしていたが、この3人は熊本県立済々黌高等学校放送部のメンバーである。 |
| 「アンケート」考 [09] 2023/09/05 Tue 9499 みなさんは、「あなたは、車に乗ったとき、安全に運転をしようと心懸けていますか」と問われたら、どう答えるだろう。人間の行動は状況に影響されるから、まずはそのいくつかを挙げてみよう。 ①自動車免許に関わる公的な機関に提出する書類の中にこの質問が含まれていたとき。 それも「記名」か「無記名」かで回答に違いが生まれる可能性がある。 ②自分が所属する組織や部門が実施する「アンケート」の設問であったとき。これも「記名・無記名」が考えられる。 ③私的に所属する趣味の団体が送ってきた「アンケート」にそれが含まれていたとき。やはり「記名・無記名」があり得る。 ④子どもころからの「いたずら坊主」仲間が、焼き鳥屋で飲みながら、「おまえ、運転するとき、安全に心懸けているか」と聞かれたとき。これは「記名」云々の問題は起こらない。 常識的すぎて面白くも何ともないが、①の記名式では、「心懸けている」が大多数を占めるのではないか。それが、②から④に移るほど「スーパー肯定的反応」が減少しそうだ。とりわけ④では、「心懸けている」と自認している者が、周りの爆笑狙いで「そんなもんナンセンス」と叫んでいる光景すら目に浮かぶ。 |
| 「資本論」の活字を見る記」(6) [08] 2023/09/05 Tue 9498 8月17日 [30] の続き わが書棚の「資本論」は青春時代の挫折を忘れたかのように存在し続けた。わたしの学生時代は学園紛争一色で、運動家たちはマルクスやレーニンの名前を引用し続けていた。岩波「資本論」の翻訳者向坂逸郎氏も、わが世の春とばかり、マルクス礼賛でフル活動していた。そんな時代の中で、運動家のうち、どのくらいの人たちが「資本論」を読み、かつ理解していたのだろう。わたしの周辺で元気のよかった数人については、これがけっこう怪しかった。つまりは「受け売り」が見え見えだったのである。 わたしの場合は、「大枚をはたいて買ったのだから読まないともったいない」というセコい理由で「資本論」を挫折したことに後ろめたさを感じていた。そう考えていただけでも、「資本論」を読んだ風をして、「おまえらのようなプチブル階級の愚かな人間があ…」「国家独占資本に奉仕する奴隷どもがあ…」などと、われわれを指さして叫んでいるよりは良心的だったと、いまでも思う。 |
| 現場の声 [07] 2023/09/04 Mon 9497 8月28日 [51] の続き 「31.上部からの文書には理解に苦しむものがある」 まことに単純・素朴な声で、本来は職場で意見として出されて当然のものである。それが、インタビューやアンケートでしか聞こえてこないとすれば、その職場は文書に限定した問題以上のものを抱えている可能性がある。とくに「上部」が自分たちが発信する文書を「これで伝わる」と考えているのであれば問題は解消しない。さらに「理解に苦しむのは彼らの能力不足だ」と決めつけるようでは改善の余地すらない。こうした状況が放置されれば、文書を作成した側は「伝えた」という完結感を抱き、受け止める側には「よくわからない」という消化不良感を生み出す。かくして、いつの日にか一気に問題が噴出する。 |
| ChatGPTの腕前拝見 [06] 2023/09/04 Mon 9496 わたしのメモに「経済学 合理的経済人 ナンセンス 宝くじ パチンコ」がある。この5つの単語から、わたしはあることが頭に浮かんでメモをしていた。それを書くつもりになったが、ここで[GPT]ちゃんとチャットしてみたくなった。そこで、「次の単語を使って300文字程度で文章を作りなさい。 経済学と合理的経済人 ナンセンス 宝くじ パチンコ」と伝えた。これに対して次のような回答を返してきた。 「経済学は合理的経済人の行動を理解し、合理性を前提とした意思決定モデルを提供しますが、時には現実世界ではナンセンスな行動も見受けられます。宝くじとパチンコはその典型例です。合理的経済人にとって、宝くじは数学的に期待値が低く、購入は合理的ではありません。しかし、多くの人が夢を追いかけ、少額のお金を宝くじに使うことで希望を抱きます。これは感情や娯楽の要素が合理性を上回る瞬間です。同様に、パチンコもリスクと報酬の不均衡が顕著です。経済的に見れば、時間とお金の無駄と言えるかもしれませんが、パチンコを楽しむことで人々は社交を楽しみ、ストレスを発散します。経済学は合理的な行動を追求しますが、人間の行動には合理性だけで説明できない要因が存在し、宝くじやパチンコのようなナンセンスな行動も生活の一部として受け入れることがあります」。 なるほど、「経済学者」に忖度して(?)、「宝くじやパチンコ」を「ナンセンス」としましたね。わたしは「合理的経済人」を前提にして「人間の経済行動」を理解しようとした「経済学理論」が「ナンセンス」と言いたかったんですけどね…。 |
| 小さな満足感 [05] 2023/09/03 Sun 9495 わたしは随分と前から、「運も実力のうち」ではなく「実力も運のうち」だと言ってきた。この話題は本コラムでも何回か触れたことがある。そんな状況の中で、マイケル・サンデル氏の本を読んでいて面白い記述を発見した。それは政治哲学者のジョン・ロールズ(1921-2002)の話である。ロールズは「生まれ持った才能は本人が自力で勝ち取ったものではない」として、実力主義に基づく正義論を否定する。これに対して「才能を開花させるための努力はどうなのか」と問うと、ロールズは「努力すら恵まれた育ちの産物だ」と言う。そして、「一般的な意味での報酬を得るために努力し、挑戦しようとする姿勢でさえ、 幸福な家庭と社会環境に依存する」と述べているらしい。 何のことはない、わたしの「実力も運のうち論」とまったく同じことを言っているのである。もちろん、わたしにとってロールズという名前はお初であり、わたしの頭には彼の言説から影響はまったくない。そんなわけで、「実力も運のうち論」はわたしの[オリジナル]である。もっとも、ロールズ氏はサンデル教授にも引用される大物らしいから、わたしとしては「同じこと」を発想しただけで十二分に満足するのである。 |
| 教科書の読みまくり [04] 2023/09/03 Sun 9494 8月27日 [50] の続き 中学校の[道徳]については、7社もの出版社が教科書を作っているのを知って驚いた。[道徳]は、敗戦後から多くの議論があった。われわれが子どものころは、戦前・戦中の[修身]の復活だとして批判が目立っていた。その後もこれを[教科]とするか否かで議論が続いてきた経緯がある。そうした中で、7種類の教科書があったので単純に驚いたわけだ。 N社は「あすを生きる」をタイトルに、この教科書で学ぶものとして掲げる10個の主要テーマをページで検索できる。また、国際理解も重視しており、安全の視点も含まれている。G社は「明日への扉」「自分を見つめ伸ばす」「人と支え合って生きる」「社会に生きる一員として」「生命を輝かせて生きる」など、「テーマ」と「ブロック」、さらに[22の鍵」で構成している。これを「さまざまなテーマで学ぼう」と呼びかけて、主な教材がページ単位ですぐに検索できる。これらをどう体系づけていくかが教師の腕の見せどころになる。 |
| 「4人の物語」(26) [03] 2023/09/02 Sat 9493 8月25日 [45] の続き AのY市における映画がらみの記憶はもう一つある。それは、黒澤の「七人の侍」である。この映画は1954年の公開だから、Aが5歳ころだった。そんな年齢で「七人の侍」を映画館で観た記憶などあるはずもない。ただ、Aの父親が後々まで、「七人の侍」を観に映画館に入ったのはよかったが、途中でAが大声で泣き出してしまった。そのため、映画を観ずに家に帰ったと、折に触れて言っていた。Aとしては「幼い子どもを映画館に連れて行く方がおかしい」と、話題に上がるたびに当然すぎる反論をしていた。しかも、「七人の侍」は207分という4時間にも迫るド長尺である。父親の方が明らかに無謀であった。この件について母が語るのをAは聴いたことがない。 |
| 今月の写真 [02] 2023/09/02 Sat 9492 熊本の県魚は「クルマエビ」だが、写真は「道の駅 上天草さんぱーる」の駐車場にある大きなモニュメントである。いまにも弾けそうで、これを見るとエビが食べたくなる。ここは天草市に出かけるときのトイレ休憩所として頻繁に使う。全国的な傾向だと思うが、熊本でも「道の駅」の元気がいい。地元で取れたての野菜や果物、それに魚にあふれている。これに対応するかのように、立ち寄る客も多く、大いに賑わっている。夕方に行くと品切れが目立つから、ビジネスは順調に違いない。 先月は蓬莱柿という名のイチジクをこだわって作っている農園に出かけたときに立ち寄った。天草のイチジクについては別の機会に取り上げたい。ついでながら、熊本県の花はリンドウ、鳥はヒバリ、木はクスノキである。 |
| 表紙の写真 [01] 2023/09/01 Fri 9491 天草四郎は島原の乱で知られている。写真は上天草市大矢野の「藍の天草村」に建っている四郎像で、15mにもなる。名前は[村]だが、じつはツアーバスが土産を買う場所として停車する観光施設である。何と言っても、焼きたてのちくわと揚げたての辛子蓮根が魅力である。わたしも教員の免許更新講習で天草市に出かけていたころは、けっこう立ち寄ったものである。しかし、この3年ほどはコロナ禍で、素通り状態が続いていた。先日、家族と天草に出かかる機会があって、久しぶりに[村]で辛子蓮根を食べた。もう一つ、ちくわも出来たてを食べようと思ったが、その日は夕刻ですでに販売が終了していた。できあがりがケースにはあったが、ここは「焼きたて」でないとおもしろくない。 それから四郎さんの像の方に行くと、これまで見たことがない妙な像が建っていた。何だろうと思ったら、家内が「いま話題の『アマビエ』よ」と教えてくれた。コロナ禍で疫病退散で有名らしいが、わたしは「アマエビ」は知っているが「アマビエ」は名前も初対面だった。いやはや、遅れているようですな…。 |