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| 熊本県青少年育成県民会議での講演「青少年とともに生きる社会創り」がアップロードされました。 https://www.pref.kumamoto.jp/soshiki/54/153128.html |
| 誰かが言ってる [49] 2023/07/31 Mon 9435 今日に至る まで地球上で一体何人の人間が生まれ、あの世に逝ったか知らない。正確な数はもちろん、およその数ですら、誰にもわからないだろう。人間の細胞の数にしても、一時は60兆や70兆だという話も聴いていたが、現在のところは3兆台に落ち着いているようだ。それにしても細胞を「一つ、二つ…」と数えた人間はいないはずだから、これも単なる推測に過ぎない。いずれにしても天文学的数字にもなることは間違いない。 ところで、無数と言える人間が一定期間生活し、考えてきたのだから、今どき新しいことを思いついたとしても、すでに誰かが同じ発想をしている確率は限りなく100%だと確信している。たとえ、記録に残っていなくても、どこかのだれかが言っていると思った方がいい。 |
| 現場の声(22) [48] 2023/07/31 Mon 9434 7月24日 [36] の続き 「021.管理者等は事故防止に関して自覚があると思うが一般作業員までは浸透していない」 データは匿名で収集しているため、記入者が管理者、一般作業員のいずれかであるのかはわからない。そもそも、「安全最優先」を唱えない組織など皆無に違いない。いま世間を騒々しくしている[B・M社]さえ、「お客様本位」をアピールしてきたのである。 ただし、組織・個人を問わず、宣言が建前止まりで実態とかけ離れているケースは枚挙にいとまがない。世の中で問題が発覚したすべてがその実例と言える。わたしが小学生のころだから、60年以上も前にになるが、工事現場などに「安全第一」という看板や旗があったのを記憶している。ここで重要なのは、掛け声だけでなく、それが組織に所属するすべての構成員にまで「浸透」していることである。その実現には、トップ層をはじめ全員が「いつも自己点検」し続けていくしかない。 |
| 事情を知らずにしゃべる [47] 2023/07/30 Sun 9433 人間世界では信じがたい事件が起こり続ける。そのたびにワイドショーは、事情を知らないコメンテーターと呼ばれる人間たちがしゃべりまくる。もちろん、お馴染みの「その道の専門家」も登場して、ご高説(?)を宣う。こちらも事件などでは情報をほとんど持たないから推測しかできない。 コロナ禍のときは、一躍有名人になった「専門家」が入れ替わり立ち替わりで大賑わいだった。その中には各局で引っ張りだこ状態になり、化粧も服装も変化したと言われた方もいらっしゃった。もちろん、その真偽は知らない。 自称「花のフリーター」のわたしは、3時のおやつを牛乳で溶いた青汁と甘いもの少々で楽しむ。その際はテレビも点けるが、地デジは見ない。ワイドショーか昔の番組の再放送のオンパレードだから…。 |
| 教科書の読みまくり [46] 2023/07/30 Sun 9432 7月23日 [34] の続き T社の英語教科書には《オバマ大統領の広島訪問》が取り上げられていた。原爆を投下した米国の大統領が広島を訪れることには大きな意味があった。この《オバマ訪問》はK社の教科書にも掲載されていた。 また、《Rakugo in English》が取りあげられている。落語家たちが日本のお笑いを海外に発信していることを知ると楽しくなる。「まんじゅうこわい」なんぞは「まんじゅう」を外国人にわかる食べ物に変えればどこでも通じる。まさに人間は同じなのであり、そこを突っ込むから笑えるのである。笑いは相互理解の力となり平和な関係を築き上げる。わたしは小学生のころからラジオで落語を聴くのが好きだった。古今亭志ん生、柳亭痴楽、林家三平などは、いまでもその所作が目に浮かび、声が頭の中で蘇る。今どきの子どもたちは《お笑い》には通じていると思うが、《落語》となると、かなり厳しそうな気がするが、どうなんだろう。 |
| 元祖の真意 [45] 2023/07/29 Sat 9431 ラジオを聴いていたら、「天台宗は法華経が絶対で、法相宗とは見解が対立していた」といった主旨の話が流れてきた。そもそも宗教については、歴史の試験のために憶えただけで、内容はとんと理解していない。それでも後期高齢者まできたのだから、とくに不都合はなかった。そんなことだから、たとえば仏教はお釈迦さまの教えなどが記されたお経があって、これが大事にされてきたくらいの知識しかない。 その上で、お釈迦様は一人だから、話の内容は一つのはずなのだが、世の中には[宗派]なるものがある。これらが、けっこう対立しているらしい。元は同じなのに解釈が違うということだろう。いまさら元祖に真意を確かめることもできない。人間の情報伝達では、人を介するごとにその内容が変化していくことは常識である。そうした状況で、自分こそ本物だと争うようでは、お釈迦様はお困りではないか。 |
| 「資本論」の活字を見る記(4) [44] 2023/07/29 Sat 9430 7月23日 [35] の続き 「資本論」の活字を「見終えた」のは、6月22日で、それは大分のホテルのトイレだったと記した(7月19日)。それがわたしの勘違いであることが判明した。たまたま最後の1132-1133頁のコピーが出てきたのだが、それに鉛筆で「6/13 テラバル)」と書き込んでいた。これを見たわたしは「アッ、そうだった」と心の中で絶叫した。今年の免許更新を控えて高齢者講習に出かけ、受付待ちの9時前にラストを迎えたのだった。「テラバル」は講習を受けた自動車学校の名前である。 該当するコピーが1枚だけ残っていたのだから、この日を記録するつもりだったに違いない。自分でそれを忘れて、ほかの書類に紛れ込ませていたのである。その日が自宅のトイレでなかったことに確信があり、それが「大分のホテルのトイレ」の思い込みを引き起こしたのである。メモは書くだけでなく、目的どおりに使わなければ意味がない。 |
| [中野サンプラザ] [43] 2023/07/28 Fri 9429 東京の[中野サンプラザ]が7月2日に閉館した。オープンは1973年6月1日で、半世紀で役割を終えたことになる。このニュースを見て、その年の10月2日に[中野サンプラザ]で開催された「日本グループダイナミックス第21回大会」を思い出した。 この年は特別だった。母が8月に胃がんの手術をしたが、縫合ミスで再手術した後、厳しい状況が続いていた。そうした中で参加したことから発表を終えるとすぐに帰った。飛行機は福岡空港に向かう途上で北九州上空を通過する。わたしは母が入院している病院を眼下に探していた。何事もなく退院すると家族全員が信じていた心に、不安感が強まりつつあった。わたしは福岡からそのまま病院に行った。 母はその月の終わりに47歳で逝ってしまった。こうして、[中野サンプラザ]はわたしにとって忘れられない場所になった。 |
| 「4人の物語」(21) [42] 2023/07/28 Fri 9428 7月21日 [31] の続き Aは父親とY市にあったOグラウンドに行った記憶がある。もちろん、休みの日に連れて行かれたのである。そこに母親がいた記憶はない。そのことを思い出した途端にグラウンド名が蘇った。いつもながら、記憶のメカニズムには感動を覚える。そこでグラウンド名とYを入力すると「O球場」として存続していることがわかって、心が晴れやかになった。そのとき、Aは5歳ころだと推測するが、折から野球の試合が行われていた。それを見ながら、父親が「野球は人間とボールの競争だ」と教えてくれた。この解説はずっとAの心に残っている。それが父親の発想だったのか、誰かの受け売りだったのかはわからない。しかし、Aが野球について少しばかり知り始めてから今まで、「これは見事な説明だ」と思い続けている。 |
| 揚げ足取り性分 [41] 2023/07/27 Thu 9427 昨日 [39] の続き 映画のリアリティの話だが、不朽の名作小津安二郎監督の「東京物語」も、遠景で尾道を走る貨物列車がアップになると明らかに別の仕様だったりして笑みがこぼれる。原節子が就寝のために部屋の電灯を切るとき、義理の母親に「おやすなさい」と声をかける。そのとき、原節子の口は動いていないところも、再生しなおして笑みがこぼれた。そんなつまらないことに気づかないで内容を楽しめといわれそうだし、わたしも映画の評価が落ちるなどとは思ってもいない。ただ、映画のリアリティには内容だけでなく、表現にも関心があるものだから、気になることは気になるのである。 これも小津作品の「浮草」で、中村鴈治郎と杉村春子が演ずる夫婦が自宅で会話する場面がある。そのときも目が止まってしまった。そこで香取線香の煙がゆらゆらと上っていたが、つぎのカットではそれが「燃えすぎ」ていた。さらに、それから少し時間がたった場面では線香がまったく燃えていないように見えるのである。ストーリーの展開に集中すればいいのに、そうしたしょうもないことに目がいくのが私の性分だ。 |
| 高校生と[Yes-man](14) [40] 2023/07/26 Wed 9426 7月19日 [28] の続き 地球上には多様な風土があり、それが人間の思考や行動に影響を及ぼす。その具体的な現れとして様々な文化が生まれる。そしてその文化が思考や行動に作用する。そこで、たとえば「日本人特有の行動傾向」といったものが出来上がる。わたしもこの点は概ね賛成である。ただし、その結果として「違い」を強調し過ぎることに気をつけたほうがいい。そうでないと、いわゆる[ステレオタイプ]的偏見に陥る危険性が高まる。これを避けるためには、異なる文化の元で生きている人間の行動にも共通点を探す意欲をもつことが求められる。そんなことを高校生に伝えたいと思った。 |
| 時代とともに… [39] 2023/07/26 Wed 9425 映画監督は基本的にはリアリティを追求するのだと思う。その中でも、黒澤明監督の徹底ぶりはよく知られている。三船敏郎が医師を演じる「赤ひげ」では、モノクロ映画にもかかわらず、「赤いひげの色」にこだわった。そこで、海外から染料を輸入したというエピソードまである。 そこまでいかないとしても、カットを繋げていく映画では「連続性」にリアリティがほしくなる。ところが、これがけっこううまくいっていないケースがある。その昔、映画は劇場だけで観るものだった。そして、スクリーン上でコマがドンドン進むから、いちいちこまかいところまで気にしてはいられない。それに、「あっ、なんだか変だな」と思ったとしても、すでにシーンは切り替わっているからたしかめる術がない。そんなことで、監督をはじめ制作者側に多少の「まあ、いいか」感があったのではないか。 そのうちビデオが普及すると、誰もが再生できるようになった。一時停止やコマ送りも自在だから、「あれっ」と思ったらすぐにでも、後になってからでも確認できる。こうなると製作側は神経を使わざるを得なくなる。 時代が、環境が変われば価値観も仕事のやり方も変化するのは当然である。大学でも、昔は唯我独尊、わからないのは学生の理解力の問題だと言わんばかりの教員がいた。講義ノートはボロボロで10年以上の年季もの。そこで、それ以上にボロボロになった学生の「ノート」が「いつまでも新鮮で!役に立ち続ける!」宝物としてリレーのバトンよろしく手渡され続けていた。今から半世紀ほど前、そんな大学の先生がいらっしゃった。 |
| 「アラート」と「警報」 [38] 2023/07/25 Tue 9424 ニュースに「熱中症警戒アラート」という用語が登場した。いつの間にか[alert]は「アラート」という「日本語」になったようだ。まずは、[alert]だが、これは可算名詞で、「 1(特に,空襲の)警戒態勢[状態] (⇔all clear). 2(空襲などの)警報; 警報発令期間. a smog alert スモッグ警報. (weblio英和辞典)」である。それじゃあ、「熱中症警戒警報」と言ったらまずいんかいな。雨に関しては、「大雨洪水警報」や「注意報」が使われている。 こうなると、[ChatGPT]さんの出番だとばかり、「警報とアラートの違いは?」と入力した。そのすべて転載すると長くなるので、「結論」だけ提示しよう。 「要約すると、警報は非常に緊急かつ重要な情報を伝えるものであり、直ちに行動が必要な場合に用いられます。一方、アラートは比較的一般的な情報や注意喚起を伝えるものであり、緊急性が低い場合に使用されます」。なかなか要領を得た文章で、「さすがChatGPTちゃんだ」と感心する。ただし、ChatGPTちゃんには失礼だが、とりあえずこの見解が正しいとして、それなら「注意報」とどう違うんかいなとなる。それに「全国瞬時警報システム(Jアラート)」はミサイル発射に関するもので、緊急性は超トップクラスである。ここでは「アラート=警報」になってるじゃないですか。口元から横文字があふれ出てくる自治体のトップがいらっしゃったが、このごろメディアでお目にかかることが減った。ともあれ、公的組織であればせめて用語は「一義的」に使いましょうよ。そもそも[Janglish]が必要不可欠なんでしょうか。 |
| JanglishとEnglish [37] 2023/07/24 Mon 9423 6月29日 [58] の続き 先週、東海道新幹線を利用した。車掌の車内放送は「カタカナ英語(Janglish)」ではなく、[English]に変身していた。先月、JR九州と西日本の案内が「カタカナ英語」だと書いた。毎年、JR東海を利用する機会があるが、今年ははじめて乗った。往路は女性の車掌で「おお、[English]だあ」と密かに感動した。そして復路の男性車掌も[English]になっていたのである。今回は1往復しただけだが、きっと[English化]が進んでいるに違いない。 先月、新幹線の「カタカナ英語」を研修で話題にしたら、「わたしも変だなと思って聞いていました。日本人にはわかりやすいんですけど」と言う方がいて笑い話になった。さあて、九州と西日本はどうなるのか、楽しみになってきた。 |
| 現場の声(21) [36] 2023/07/24 Mon 9422 7月17日 [25] の続き 「020.□□警備等で点検終了が遅い早いといわれるが何を基準にしているのかわからない」 □□には、組織が判明する可能性が高い用語が使われているが、この声には、「(評価)基準が不明確」という点で普遍性がある。現実には無数のケースが発生し得るから、そのすべてに「一つの基準」を採用することはできない。しかし、それは誰もが承知しているはずである。それでもこうした発言が出るのは、実際に仕事をしている者にとって納得いかないからである。とりわけ、「現場を知らない人間が勝手に評価している」と思われたら、信頼関係が失われる。それ以前に、発信側が「現場はいい加減だ」などと頭から考えていることはないか。そもそも評価する側が組織的には上位にいることが多いのだから、こうした声を受け止めるだけでなく、具体的なアクションを取ることが欠かせない。 評価は、評価される側の納得があって、はじめて「評価」になるのである。 |
| 「資本論」の活字を見る記(3) [35] 2023/07/23 Sun 9421 7月20日 [30] の続き わたしが向坂逸郎訳「資本論」を買った1967年12月11日は月曜にだったが、日記には次のようなことを書いている。 「資本論」が本当に歴史的な大著であるならば、今日は私にとって記念すべき日であろう。それは、本日私は資本論」に突入したからである。難しいであろうこと、又難しくないとしてもほとんど読めそうにもないような大著であることはよく知っている。しかし、私は「資本論」を買った。私は買ったからには絶対に読む。中途で投げ出したりは決してしない。しかし、それにしても3000頁にも及ぶ大著だからして、私のこの19年の人間的体経験をフルに生かしても、それは想像を絶する苦悩があるかも知れぬ。しかし、俺は読む。 私的な日記であり、文章のレベルは何とも言えないが、それなりに興奮している様子が伝わってくる。それから56年の歳月が流れ、ようやくすべての「活字を見る」ことができたことになる。 |
| 教科書の読みまくり [34] 2023/07/23 Sun 9420 7月16日 [23] の続き T社の2年生教科書には[Research Your Topic]という統計グラフを使ってプレゼンするコーナーがある。さらに3年生でも[グラフや表の活用]を試みる。データを読み取って、それをみんなの前で発信することが求められる時代である。それが英語の領域にも拡がっているのは自然の流れと言える。いまの子どもたちは、われわれの[Jack & Betty]とは異次元の世界に住んでいるのである。敗戦後の日本に占領軍はいたが、子どもの日常生活の中に英語を話す外国人はいなかった。わたしが中学1年生のとき、小学校で担任だった先生が異動してきた。そして、この先生が英語も担当したのである。わたしレベルの耳にも、その先生の英語はかなり怪しく、[This is a pen.]は[ジ シ ザ ペン]に聴こえた。当時、NHKラジオ「基礎英語」で、芹沢栄講師が開講から1ヶ月ほどは発音記号を使って徹底した発音指導をしていた。これを1年前から聴いていたわたしは「先生は変だなあ」と思った。 |
| 行ったり来たりの繰り返し [33] 2023/07/22 Sat 9419 10年ほど前に NHK の「ハーバード白熱教室」という番組で、政治哲学者のマイケル・サンデル氏が超人気になったことがあります。サンデル氏は今でもときおり国際的な学生のディスカッションに登場しています。彼の著書「これから正義の話をしよう」の第8章に興味深い文章があります。 「こんにち、生物学と物理学に関するアリストテレスの著作を読み、内容を真に受ける科学者はいない。だが、倫理学と政治学の研究者は、あいかわらずアリストテレスの道徳・政治哲学について読み、考察している」(翻訳版247ページ)。たしかに、自然科学については一方向的な進歩が認められる一方で、人間を対象にした[科学(?)]はそれほど進歩があるとは思えませんね。現実は「行ったり来たり」で、ときには「戻りすぎ」もあります。わたしは「そもそも人間は学習できない生きものだ」と乱暴なことを言っています。そんな現実が地球上で繰り返されていると思われませんか。 ところで、アリストテレスは、その厳密性のレベルは措くとして、夢や記憶などについてそれなりの考え方を提示しています。そこで、彼は心理学の祖の一人として、「心理学史」では必ず引き合いに出されるのです。 |
| 客室乗務員のノーマスク [32] 2023/07/21 Fri 9418 7月12日 [16] の続き 先月、飛行機に乗ったら、客室乗務員がノーマスクになっていた。政府がマスクの要請を解除してからも、航空会社の申し合わせのようで、乗務員のマスク着用が続いていたが、おそらくは全社が揃ってノーマスクになったのだろう。何分にも当方は後期高齢者クラブ会員候補であることから、機内でもマスクは付けたままである。先月、第6回目のワクチン接種を受けたが、できろことはしておこうという気持ちでいる。最近、身近な知り合いで「罹った」という人が数人いた。当方は、とりあえず「無症状」の可能性を除けば、いまのところウイルスから回避できていることになる。いましばらくはマスク持参で移動した方が安全だろう。ただし、講演等で話をする際は、一定の距離は置きながらもナーマスクが日常的にいなってきた。 |
| 「4人の物語」(20) [31] 2023/07/21 Fri 9417 7月14日 [20] の続き AがY市に住んでいたときの思い出はまだある。自宅、もちろん借家だが、から坂を登ると市内電車が走る道路があった。その角に同姓の吉田というたばこ屋さんがあって、おそらくは母親同士が懇意だったのだと思う。その家の二階で、当時としては裕福な家にしかなかった写真を撮ってもらった。それはいまもAの手元にあるが、両手はもちろん、足の爪先まで緊張している様子がうかがえる。もちろん、顔はかなりのこわばりで、カラーであればほっぺたは真っ赤に写ったに違いない。その点、三歳下の妹は緊張を感じる年齢ではないから、ちょこんと座ってレンズを観る目は透き通っている。かれこれ70年前のイメージが、ほんの少し前のことのように思えるから、人間の記憶は不思議なものである。 |
| 「砂の真砂」は尽きそうで… [30] 2023/07/20 Thu 9416 「砂の真砂は尽きるとも、世に不祥事の種は尽きまじ」。ご存じ石川五右衛門が詠んだ(?)とされる辞世の句である。いや、五右衛門の場合は「盗人」だから、そこを「不祥事」と入れ替えたもじりバージョンだ。人間世界における事故やトラブル、そして不祥事等と人間集団の関わりを探求した者にとって、「商売のネタは尽きまじ」などと言っては不謹慎極まりない。まあ、それは承知しているが、本当に絶えることがない。人間の行為によって、「砂の真砂」の方は確実に減少し、「尽きて」しまった砂浜はワンサカある。 今度は「ビッグモーター」である。その不正は修理の段階で手を抜くなんてレベルではなく、わざわざヘッドライトを壊したり、ゴルフボールを入れた靴下を振り回せて車体をへこませたりしていたというから、言葉がなくなる。その原因たるや過剰なノルマ達成圧力と言うから、また「いつものパターン」なのだ。この組織は過去にもいろいろ問題が指摘されてきたが、体質は変わらずじまいだったのだろう。組織は、企業は何のために存在してるのか混乱してしまう。 |
| 「資本論」の活字を見る記(2) [30] 2023/07/20 Thu 9416 昨日 [29] の続き 向坂訳の「資本論」は、第1巻965頁、第2巻636頁、第3巻は第一部と第二部の分冊で1133頁、全部で2,743頁になる。 これに総目次と索引が166頁の構成である。価格は第1巻1,200円、第2巻800円、第3巻第一部800円、第3巻第二部900円、計3,700円である。大学1年生のわたしは1967年12月11日に4冊をセットで買った。その年は「資本論」刊行100周年記念の出版と銘打って、割引価格になっていた記憶がある。さらに生協は書籍を10%引きで販売していたから、実際は3,000円ほどで買ったのだと思う。当時、生協の定食が80円、月に8,000円あれば生活できたから、学生にとってはかなりの出費だった。 |
| 「資本論」の活字を見る記(1) [29] 2023/07/19 Wed 9415 先月の22日に、出先のホテルのトイレで「資本論」の本文のすべての活字に目を通した。向坂逸郎訳「資本論」(岩波書店)の全4冊である。ホテルのトイレについては説明が必要になる。わたしは、毎朝のトイレでも2~3点の読んでいる。自宅であれば現物を持ち込むのだが、出張の際は手荷物をできるだけコンパクトにする必要がある。そこで滞在日数に見合った分量のコピーを持参する。もっとも、「資本論」は自宅にいても大部過ぎるので、日常的にもコピーを使っていた。そのコピーの最終ページが大分のホテルで終焉を迎えたのである。因みに全4冊の初版は1967年10月5日付けである。 |
| 高校生と[Yes-man](13) [28] 2023/07/19 Wed 9414 7月12日 [16] の続き 高校生たちには[Candid Camera]の話もした。これは元祖「ドッキリカメラ」で、隠しカメラを使って人の行動を、それも滑稽なそれを笑いの対象にする番組である。日本でも最初は素人がターゲットになっていたが、おそらく「だまし」や「悪ふざけ」が問題になって、この手の物はなくなった。現在でも扮装した芸能人が声量豊かに歌ってその場にいる一般人を驚かす形式で生き残っている。このケースでは、概ね全員が喜ぶことから問題なしと判断しているのだろう。 さて、高校生には「エレベータに乗ってくる人がすべて入り口と反対の壁側に向かう」例を挙げた。その行動を目の当たりにした事情を知らない紳士が、自然体を装って少しずつ壁の方に向きを変えるのを見てみんなが笑うのである。この話を紹介しながら、アメリカ人も「周りの人の影響を受ける」「多数派でいたいと思う」ことを伝えた。つまりは、そうした行動傾向は日本人だけのものではなく、けっこう普遍的なものなのである。 ところで、[candid camera elevator]で検索すれば、クラシック版だけでなくカラーのリメーク版(?)も楽しむことができますよ。 |
| 秋田物語 [27] 2023/07/18 Tue 9413 梅雨前線が北上して、北海道や東北で大雨になった。週末から秋田方面が厳しい状況になっていた。テレビの中継で駅前広場が冠水している状況が伝えられた。わたしは大学を定年で退職する年度である2013年の9月に、所属していたセンターの協議会で秋田に出かけた。そのときは定年の年に「わが最後の未踏の地」に行けたと個人として勝手に盛り上がった。とにかく「通過するだけ」も含めれば、これで「すべての都道府県」をクリアしたのである。ただし、後になって、「山梨県と群馬県はちょいと怪しいか」という気がしている。 さて、「最後の秋田県」だが、市内観光の時間などはなく秋田駅の跨線橋から秋田新幹線「こまち」を眺め、空港行きのバスに乗る前にシネコンに入って映画「許されざる者」を観た。その特徴のあるバス停が水に浸かっていた。 |
| 作家の「表と裏」 [26] 2023/07/17 Mon 9412 何人かの小説家には「表と裏」があると思っている。ただし、「表」は望ましいが、「裏」はヤバいという価値付けはまったくない。 たとえば、夏目漱石は「猫」や「坊ちゃん」でユーモア小説もどきを書く。その一方で「こころ」や「明暗」などは、とにかく暗い。読書人なら「猫」や「坊ちゃん」の行間にも漱石の深層心理を感じるべきという高邁な分析があるかもしれないが、素人読者は生まれたときから、そんな力は持ち合わせていない。 北杜夫は、大学時代に友人から「どくとるマンボウ航海記」を勧められて大いに笑い、楽しんだ。その一方で、「夜と霧の隅で」なんぞはかなりしんどい。 また、遠藤周作は「狐狸庵先生」としてコーヒーのCMに登場し、ユーモアあふれる随想等を書いた。わたしなどは、茶目っ気たっぷりのオモロイおっさんと思っていた。しかし、映画化された「沈黙」などは歴史と宗教と人間に関わる深刻な問題を扱っている。 誰にも「表と裏」はあるとして、作家の中にはそれが合わせて表に出てくる人たちがいることが興味深い。 |
| 現場の声(20) [25] 2023/07/17 Mon 9411 7月10日 [14] の続き 「018.監督者に作業計画書を渡すだけでなく説明してほしい」 「019.作業計画の説明がなく監督者が困ることがある」 両者は言い回しが異なるだけで同じ問題を指摘している。仕事によって、監督者の位置づけや役割、責任の程度はそれぞれだろう。ここで問題なのは、すでに出来上がった「作業計画書」を説明することなく渡す点にある。この文面からは、「監督者なのだからわかってるだろう」「監督者ならちゃんと読んで理解してから作業するよね」と言われて困り顔の監督者顔が浮かぶ。まさに[丸投げ調]の空気が漂う。計画書を作成した側では当然のことでも、それが相手に理解されるとは限らない。それはコミュニケーション問題でもあり、とんでもない事態発生の火種になる。 |
| 孫たちの将来 [24 ] 2023/07/16 Sun 9410 もうかなり前のことになるが、孫たちが将来を占う性格チェックリスト様のものに回答したらしい。その結果、一人は研究者、もう一人は堅実楽天家、三人目は統率者と「出た」そうだ。まずは三人三様である点がめでたし、めでたしである。わたしも研究者の端くれだから、「研究者」が含まれているのは嬉しい。「堅実楽天家」もすばらしいが、ほかの二つと分類上は異質である。堅実楽天家の研究者や統率者もいるだろう。これらが同列に並んでいるところなど、「チェックリスト」の怪しさも感じるが、そこでマジに反応することもない。おじいちゃんとしては「そうかい、そうかい」でいいのである。。 |
| 教科書の読みまくり [23 ] 2023/07/16 Sun 9409 6月26日 [52] の続き T社の英語教科書は大判だった。文部科学省は判型を規定していないのだろう。1年生の最初に「学び方コーナー」があり、「辞書の使い方」が解説されている。さらに、60ページを過ぎたあたりにその続きがある。 また、チャップリンの[City Light]を取りあげていた。わたしの世代でも、喜劇王チャップリンは同時代人ではない。彼が単なる喜劇俳優でなかったことは、青年期になってから知った。わたしは歴史の教科書でチャップリンの「独裁者」の写真を見たのではないかと思う。 その後、組織論、対人関係論などの流れの中で、フレデリック・テイラーの「科学的管理法」を取りあげるとき、チャップリンの「モダンタイムズ」を合わせて引用していた。それから相当な時間が経過して、「独裁者」をビデオで観た。上映2時間のラスト3分20秒の大演説には経験したことのない感動を覚えて思わず目頭が熱くなった。 * 映画「独裁者」については、2023年6月17日~8月26日まで、本欄で11回にわたって取り上げた。 |
| 小3の日記[22] 2023/07/15 Sat 9408 1957年11月10日(日)、わたしが小学3年生のときに書いた「絵にっき」がある。クラスは8組で、担任は女性の相良先生だった。そのお顔と声、さらにはご自宅までが蘇る。 「今日から相撲がスポーツセンターであるので4時からラジオを聞きました」。この時代の九州場所は天神の福岡スポーツセンターで開催されていた。現在はソラリアホテルが建っている。九州場所は公式記録にならない準本場所だったが、この年に本場所に昇格している。小学3年生はそこまでは知らない。 「その中で一番好きな吉葉山が勝ちましたので嬉しかったです」。これは単純に吉田の「吉」が共通しているだけの理由だった。 「若ノ花も勝ちましたので、ますます面白くなりましたが、すぐに終わったのでつまらないと思いましたが、まだ14日残っているので安心しました。そして夜はグーグーとよく眠れました。おまけに奇妙な夢を見ました 終わり」。「若ノ花」は初代である。このころは、相撲が男の子どもたちの遊びの中心になっていた。相良先生が赤ペンで、「どんな夢でしょう、聞きたいですね」と問いかけている。[花◎]付きである。先生が子ども一人ひとりにしっかり対応できていた時代だった。 |
| モノレールのCM [21] 2023/07/15 Sat 9407 東京モノレールの窓の上の広告を見ていたら、「全国・全世界へアピールのチャンス この広告スペースを活用しませんか」という「広告」があった。いつもは会社や団体、ときには地方自治体のCM等であふれているが、このときは「空き」があったのである。その料金は「月額50万円」と書かれていた。この額がどうなのかはわからないが、おそらく広さはB3サイズで年間だと600万円になる。これでペイすると考える規模のところがスポンサーになるのだろう。そんなわけで、ビジネスに関わったことのない人間がどうしようかと頭を悩ますこともない。ただ、乗車している車両のCM枠の枚数を数えて、それに50万円を掛けて、さらに車両台数まで含めて頭で計算してみる。そんな時間があったら本でも読んだ方がいいんじゃない? |
| 「4人の物語」(19) [20] 2023/07/14 Fri 9406 7月5日 [45] の続き Aはいつも人間の記憶の不思議さに感動する。その一つに、折に触れて乙羽信子という女優の名前を思い出すことが含まれている。おそらく6歳ころだったのだろうと推測するが、Aは母親に連れられて映画館に行った。映画のタイトルも内容も理解できるはずもなかったが、乙羽信子が泥まみれになるシーンがあった。Aは、その衝撃が音羽を自分の記憶に残す要因だったとは思っていない。そもそも映画とは何たるかもよくわかっていないのだから、女優の名前など知っているはずがなかった。 その記憶は、大人の言葉で表現すれば、母親が「乙羽信子の演技は迫真に満ちていてすごかった」といった思いを持ち、それを子どもに語ったからである。Aは、最近になってその映画が新藤兼人監督の「どぶ」だったことを確信している。 |
| 世論調査の体験談 [19] 2023/07/14 Fri 9405 6月5日 [10] の続き わたしが学生のころ、世論調査が戸別訪問で行われていた。そのときは、東京の調査会社から担当者が来て采配を振っていた。その人物が回収された調査票をチェックするのだが、そこで「メイキング」を発見するのも大事な仕事だった。ときおり怪しい回収票があると、アルバイトの調査員に経過を問い詰める。そこでインチキがバレると、その時点で解雇となった。そのうち、わたしは調査を仕切るところまで昇進(?)した。そして、卒業後はうちで働く気はないかと、ありがたいお誘いもあった。いまでは懐かしい思い出である。 ところで、2020年に世論調査の不正が発覚したフジテレビと産経新聞は、不正が判明した期間の放送と記事を全て削除した。そして、その後は担当者が調査に立ち会うこと、調査票チェックを徹底すること、委託先の調査会社に調査の再委託の禁止や通話記録などの提出を求めることを決めたとしている。 世の中は[性善説]で動いてほしいが、これを裏切るケースが発生する現実もある。そして、リスクを考慮に入れれば、[性悪説]的前提で対策を練らざるを得なくなる。それは万が一の確率であっても、無視することはできない。神様が、そしてお天道様が見ていても、してはいけないことをさせる悪魔がわれわれの心の奥底に潜んでいる。 |
| 「七人」比べ [18] 2023/07/13 Thu 9404 アメリカのスペクタクル映画「十戒」では、主役のチャールトン・ヘストンと並んでユルブ・リンナーが印象的だった。この映画、本コラムでも折に触れて取り上げている。小学生のとき、学校ぐるみで劇場に出かけ鑑賞した。もちろん特定の学年が対象だったはずだが、それでも団塊児童の大人数だったから、少なくとも2回以上は別れて映画館に行ったと思う。 さて、ユル・ブリンナーは「荒野の七人」に主役としてに出ていた。これは黒澤明監督「七人の侍」のリメーク版である。しかし、出演者は多彩で単なるコピー映画ではないという印象がある。「黒澤の七人」は個性豊かではあるが、基本的に全員が善意の人だった。これに対して「荒野の七人」の中には賞金目当ての人間が含まれている。 わたしは、リメーク版の方がオリジナルよりも「義理・人情・浪花節」の世界を描いていると確信している。それは、「[AI]の行き着く先は『義理・人情・浪花節』の世界でなければならない」と絶叫しているわたしとしては、ぜひとも観ていただきたい推奨作品である。 |
| 人生の石段 [17] 2023/07/12 Wed 9403 数年前、日本一の石段である美里町の3,333段を登った。そのつもりもなく、水の備えもなく、ついつい登ったしまった。あとから考えると、自分でその無謀さに呆れた。このときは家内もいて、どちらかでも何かあれば顰蹙ものだった。 ところで、今年は後期高齢者クラブに入会するが、わが[人生の石段]はすでに27,000段を超えている。この石段、人によってその段数は違ってくるが、私の場合、地上よりも天の方が近くなったことだけは科学的事実(?)である。じつは、[人生の石段]は不思議な特性を備えている。その日のうちは[今日の石段]までしか見えないのである。そして、あの世の行く前の[疑似体験ツアー]である睡眠の後、次の朝「蘇って」みると、[本日の石段]が出来上がっている。いつの間にやら一段だけ登っているのだから不思議な石段と言うほかはない。 |
| 高校生と[Yes-man](12) [16] 2023/07/12 Wed 9402 7月4日 [05] の続き わたしは高校生たちに、「日本人は一般的に…と言われる」という問いかけそのものに、疑問を持つことを大事にしてほしいと思った。そこで、まずは「一人の人間が多数の意見に影響される」ことを明らかにしたアッシュの実験(1951)を紹介した。これは「同調」「集団圧力」の実験として知られる古典的研究で、被験者はアメリカ人である。その詳細はネットで検索していただきたいが、わたしとしては、日本人でなくても「人は周りの人と違うことをしたくない。多数派でいたい」と考える傾向がある例として話をした。 高校生たちには、この話題に入る前に、人間には「安心・安全に生きていきたい」という欲求があり、それが「周りへの同調」を引き出す可能性を高めるという話をしていた。こうした行動傾向は、程度の差はありうるとしても「古今東西を問わない」のである。 |
| 努力義務 [15 ] 2023/07/11 Tue 9401 自転車のヘルメットが[努力義務]となった。このことば、法律には「~するよう努めなければならない」といった表現をされているものを指す。そもそも「努力しているか否か」は「人の頭の中の出来事」で客観的な測定はできない。だから「罰則」がないと言うよりも、法に違反しているかどうかが明確にできないのである。憲法のような上位規範に曖昧さが伴うのは仕方がない。その精神を具体的に実現するのが法律なのだが、ここがはっきりしないのである。行政や裁判等では法律の解釈が問題になる。しかし、[努力義務]に至っては、「遵守しているかどうか」の判断が誰にもできないから、解釈が入り込む余地がない。かくして、世の中には「努力している」あるいは「努力しているように見える」人々であふれることになる。いやいや「努力していない人」は、ほぼ皆無と言っていいのではないか。 |
| 現場の声(19) [14 ] 2023/07/10 Mon 9400 7月3日 [03] の続き 「016.安全を確保するため人員を確保すべきで、職務についてももっと重視すべき」 「017.様々な事故防止体制も人員の減少でうまくはたらいていない」 世の中全体で、官民を問わず「人員削減」が「日常語」になってどのくらいの年月が経つだろう。仕事の効率化そのものは探求すべきである。それは働く者にとっても仕事に対する満足感や意欲を高める要因になる。しかし、「効率優先」という掛け声が、後先を考えない人員削減に繫がっては本末転倒である。その結果として事故や不祥事が発生すれば、それを回復するのに要する時間と経済的費用は、「効率化したつもりだったプラス」を帳消しどころか負債にしてしまう。組織で問題が発生するたびに、「アウトプットに対する過大な要求」と並んで「効率化を理由にした人員削減」が、その二大要因として影響しているのではないか。 |
| 急がば回れ[13 ] 2023/07/10 Mon 9399 マイナンバーは「全データ」を総点検するという(6月2日 熊本日日新聞)。カードは今年の4月現在で8400万枚が交付されている(「みんなのデジタル社会」)。そのすべてを「点検する」のにどのくらいの費用がかかるのだろう。はじめから「ちゃんと」していれば、この作業と経費は不要なのである。そもそも、戸籍や銀行口座、住民票等の表記が統一されていないことくらい、カードを設計する段階でわかることである。その時点で「こうした問題をクリアする必要がある」という意見が出なかったのだろうか。まさに「急がば回れ」の教訓が活かされていない。また、拙速に走ると結局はマイナスになる点では、「安物買いの銭失い」感もある。他人様のことだけではないが、国中で取り返しがつかないほど「劣化ウイルス」が拡散しているのではないかと心配している。有効なワクチンの開発も心許ない現状がある…。 |
| おお、やるじゃないかい [12 ] 2023/07/09 Sun 9398 一昨日、昨日 [10&110] の続き この2日間の話題をもとにして、ChatGPTに、「『[天の邪鬼]と[杞憂]の精神が組織にとって欠かせない』という主旨の文章を500字程度でまとめたい」と入力した。 「天の邪鬼と杞憂の精神の重要性」 組織において、天の邪鬼と杞憂の精神は不可欠な要素である。天の邪鬼の姿勢は、従来の常識にとらわれず、新しいアイディアやアプローチを生み出す力を持ちます。彼らは既存の枠組みにとらわれず、革新的な発想と行動を推進します。 一方、杞憂の精神は、潜在的な問題やリスクを事前に見抜く能力を示します。組織が直面するかもしれない困難な状況に対して先手を打ち、予防的な対策を講じることができます。杞憂の精神を持つ人々は、問題を未然に防ぐために戦略的に行動します。 これらの精神は組織にとって重要な理由があります。まず、天の邪鬼の姿勢により、組織は常に進化し、競争力を高めることができます。古くなった方法にこだわることなく、変化に対応し、市場のニーズに応えることができるのです。 次に、杞憂の精神はリスク管理において不可欠です。組織が将来の問題に対して準備をしておくことで、潜在的なリスクを最小限に抑えることができます。予想外のトラブルに対処するための計画があることは、組織の安定性と信頼性を高めます。 そして、組織に天の邪鬼と杞憂の精神を持つ人々を配置することで、多様性と柔軟性が向上します。異なる視点とアプローチが組織内に存在することで、より創造的で効果的な解決策が生まれるでしょう。 しかしながら、これらの精神を持つ人々が組織にとって真の価値を発揮するためには、リーダーシップが重要な役割を果たします。リーダーは、天の邪鬼と杞憂の精神を持つメンバーを奨励し、その意見や提案を積極的に受け入れる文化を醸成する必要があります。 結論として、天の邪鬼と杞憂の精神は組織にとって不可欠な要素であり、競争力の向上やリスク管理、創造性の促進など多くの利点をもたらします。組織はこれらの精神を育み、リーダーシップによって活かすことで、持続的な成功と成長を達成できるのです。 最後には[リーダーシップ]まで登場させている。まずは、「なかなかやるじゃないか」がわたしの評価と感想である。現職のとき、まだ授業で関連する話をしていない第1回目に上記の課題を出して、学生がこの程度のレポートを出したら、かなりの評価をしただろう。そこで、引用文献や参考文献での関連箇所をページ付きで記載することまで求めれば馬脚が露わになる。しかし、それなら評価側もその確認をしなければ不公平になる。なかなかややこしい時代になったものである。 わたし自身は「自分らしい文章」づくりに対する意欲が湧いてきたけれど…。 本コラム、20年を超える歴史の中で「最長」の文章になりました。 |
| 「杞憂」と少数意見 [11 ] 2023/07/08 Sat 9397 昨日 [10] の続き 歯磨き中の連想2語「天の邪鬼」の続きは、「杞憂」である。【杞憂:《中国古代の杞の人が天が崩れ落ちてきはしないかと心配したという、「列子」天瑞の故事から》心配する必要のないことをあれこれ心配すること」(デジタル大辞泉)。現時点では「天が崩れ落ちてくる」確率はゼロだろう。そして、「心配する必要がない」確率が100%であれば、それは取り越し苦労となる。しかし、[杞憂スピリット]は組織の安全にとって重要な役割を果たす。それは心の中に生まれる「if(もし)」の声を発信する心である。ここでも、「そんなことあるわけないじゃんか」「そんなこと考えるだけで時間のムダなんだよね」「あんたは心配しすぎ」などと冷笑される空気の中では[杞憂スピリット]はしぼんでしまう。 「天の邪鬼スピリット」も「杞憂スピリット]は、新しい発想が生まれる契機にもなる。もちろん、朝から晩まで「天の邪鬼祭り」や「杞憂ショー」に明け暮れるわけにはいかないが、組織や集団にリーダーには2つの[スピリット]を無視することなく、むしろ育成することが求められる。 |
| 「天の邪鬼」と少数意見 [10 ] 2023/07/07 9396 歯磨きをしている最中に「天の邪鬼」と「杞憂」の2語が頭の中で結びついた。組織の中で「みんなが一緒」状態あれば気持ちは落ち着く一方で危うさを抱えることになる。それでは改善や成長に繫がらないし、危機管理の視点からも問題の発生を予見しにくになる。 ただし、みんなと違った発想や意見を声に出して言うのには抵抗が生まれる。これに対しては、「あえて少数意見や反対論を言い出す者」の存在が重要な役割を果たす。しかし、それを全員に求めるのは不可能に近い。そうかと言って、組織や集団が「いつも異論を唱える」ことができる人物におんぶに抱っこではまずいに決まっている。 そもそも特定の人物に「言いにくいことを言わせる」のでは、組織や集団として健康的でない。それどころか、こうした人たちは「変人だ」とか、「何でも反対好き」などと冷笑される。そうした体質の集団では、「せっかくの発言」もなかったことにされる可能性が高い。 |
| 規範・常識に気づく [09] 2023/07/06 Thu 9395 研修を受講された方からメールが届いた。 「安全文化の自己評価において、組織に属していると当たり前になっていて、自ら組織の行動規範に気づくことは困難です。客観的に組織の規範等に自ら気づくようになるための工夫や留意点等があればご教示ください」。 これに対して、わたしは次のように返信した。 いわゆる「常に問いかける態度」が基本になると思います。いつも、「これでいいのだろうか」という視点です。また、リーダーには、だれもが小さな疑問を意見として出せる空気づくりが求められます。おそらく「何も問題がない職場」はないと思いますから、「そうした問題」を少しでも解消するためにどうすればいいかを全員で考えていくことも「改善すべき常識」を発見する手がかりになると思われます。「ああ、みんながこうだと思っているから、こうなるんだ」とか「先に進めないんだ」といった事実が明らかになれば、問題を引き起こしている常識というか、考え方が意識されてくるでしょう。 わたしたちは、同じ風景を見ていても、すべての情報を平等に観ているのではありません。それぞれが、自分にとって意味を持っているものに焦点を合わせているものです。いわゆる問題意識があれば、良きにつけ悪しきにつけ、「気になる」ことを発見するでしょう。規範についても同じことが言えると思います。 また、カタツムリの殻が雨で流されていつもきれいな状態であったり、蓮の葉の上で水玉が弾けるのを観て、雨水で汚れが取れるビル向けのタイルや油物も水で洗い流せる皿を開発したエピソードがあります。わたしは、これは「ある製品を何とかしてつくりたい」という気持ちが発見を生み出した典型的な例だと考えています。規範の気づきから離れてしまいましたが、「意識が気づきを生む」という点で共通するものがあります。 |
| コロナ禍の詐欺行為 [08] 2023/07/05 Wed 9394 近畿日本ツーリストの関係者3人が、コロナに関連した業務の過大請求で逮捕された(6月16日熊本日日新聞)。自治体から請け負ったコールセンター業務で5億8千万を詐取した疑いが持たれている。このとき、ほかの業者に再委託が行われ、そこに勤務実績の改ざんを指示したという。その過程で、申請どおりの人数の発注を混在させて不正が発覚しないようにした可能性も指摘されている。 ここまで行くと、意図的・悪質だと言われても弁解のしようがない。しかし、この3人が詐取したとされる金額を自分のポケットに入れたとは記されていない。おそらく、そんなことはないだろう。そうなると、これは3人の個人的な問題だと言えなくなる。それに、これほどの額を、言わば架空発注していることを3人だけが認識していたとは考えにくい。再委託を請け負った側は指示に従ったのだから、その責任者はこれを承知していたことになる。 |
| 「4人の物語」(18) [07] 2023/07/05 Wed 9393 6月23日 [45] の続き Aは「済生会病院」という名前を憶えている。いまから70年近くにもなるのに、なぜか母親が「済生会病院」という病院の名前を言っていた。家族がその病院にお世話になっていたのかどうかはわからないが、A自身はそれが自分の家の近くにあったという記憶もある。まだ修学前のことだから、具体的にどの程度の距離だったのかはわからない。 これとあわせて、病院とは何の関連もない紙芝居が記憶の糸に繫がっている。昔は紙芝居のおじさんが自転車でやってきて子どもたちに、弁士のように物語を語った。それには観劇料(?)が必要で、おそらく5円だった気がするが、それで箸の半分ほどの長さの丸い棒に水飴を付けてもらう。これを嘗めながら芝居を楽しむのである。お代が払えない子は後ろの方で観るしかない。あるいは、商売熱心(?)なおじさんだと、遠巻きに観ることもダメだと言っていたような気がする。 |
| 観劇初体験(?) [06] 2023/07/04 Tue 9392 舞台演劇「笑いの大学」(三谷幸喜作・演出)をWOWOWで観た。映像ではあるが、1時間56分の演劇を始めから終わりまで観たのは初体験だった。内野聖陽と瀬戸康史の二人だけで2時間近くの対話を続けることに感動する。それがプロだと言われればそれっきりだが、頭の中のどこにすべてのセリフが収まっているのだろう。もちろん、言葉だけでなく体の動きも同様である。 演劇の中にはウン十年、数百回も公演を続けるものもある。映画やビデオは何度再生されても「まったく同じもの」だが、演劇はすべてが1回限りで、「まったく同じ」はあり得ない。俳優たちは1回1回に成功と充実感を味わったり、失敗して苦い体験をしたりの繰り返しなのだろう。そこから改善や成長の可能性が生まれる。それが「役者冥利に尽きる」といった発言にも繫がるに違いない。この年になって演劇に興味がわいてきた。 |
| 高校生と[Yes-man](11) [05] 2023/07/04 Tue 9391 6月27日 [55] の続き 一般的に「…と言われる」は確たる証拠のない漠然とした傾向を指すときに使う。高校生からは、「『日本人は周りの人と違うことをしたくない』『多数派でいたい』と言われるが、それはなぜか」と問われた。そこで、わたしは「だれがどこで、そう言ってるんだろうね」と反問した。 これに対して即座に明確な答えを出すことができるのはきわめて少数に違いない。たとえば、「□□が実施した調査(研究)では、それを明らかにしています」といった答えが返ってくれば、それだけで[優]である。しかし、それはおそらく、特定の対象に、特定の話題について調査した結果に限定されており、ほかの人は話題にまで一般化するのはむずかしい。とにもかくにも、わたしとしては高校生たちに「…と言われている」ことに対して、そのまま受け入れるのではなく、まずは疑問を持つことの重要性を伝えようと思った。 |
| トップの対応 [04] 2023/07/03 Mon 9390 わが国の女性科学者の先駆として猿橋勝子(1920年-2007年)がいる。キュリー夫人にも憧れたという。女性が高等教育を受けることがほとんどない時代に医師を志し、東京女子医専(現東京女子医科大学)を受けて試験に合格した。そして面接で志望動機を聴かれたのに対して「校長先生のようになりたい」といった主旨のことを述べたらしい。これに対して校長が「わたしのようになりたいなんて不遜極まりない」と、少なくとも本人にはそう受け止められるような発言をした。これが理由で彼女はこの学校への進学を止め、帝国女子理学専門学校(現東邦大学理学部)に入学した。この経緯についてはご本人が語っている。 組織のトップが、とりわけ若者に対してどのような態度で接するかをしっかり考えさせられる。いま彼女は女性科学者を表彰する「猿橋賞」にその名を残している。 |
| 現場の声(18) [03] 2023/07/03 Mon 9389 6月19日 [37] の続き 「015.□□の移動及び□□状況の把握を行い作業員に徹底させる」 □□の部分には業種が明らかになる用語が使われている。単純化すれば、まずは「作業に関わる変化」の把握が十分でないことが問題なのだろう。さらに、それが把握されていたとしても、現実に作業する人々に伝えられていない、あるいは伝えても実践に繫がっていないことをうかがわせる。仕事の内容やそれに取り組む作業員の数によって「徹底」の難易度も異なるに違いない。ただ、「状況の把握とその徹底」は、あらゆる仕事に共通するリーダーの仕事であることは疑いない。 |
| 遊びをせんとや… [02] 2023/07/02 Sun 9388 「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん」(後白河院「梁塵秘抄」)子どもを見ていると「遊ぶために、戯れるために生まれてきたようだ。わが子が小さいときはもちろん、赤ん坊や幼い子どもたちを見るたびにそう思う。そうなのだ、みんなそうだったのだ。それなのに、犯罪行為に走る人間、人の命を、それもわが子の命を奪う者まで出てくる。個々人に様々な条件が積み重なったのだろうが、いつどこで何があったのだろう。 ともあれ、この世に無数の人生が生まれ、一生を終えていく。そうした中で、ペシャワール会の中村哲さんのように、神様とどこが違うのかと首をかしげたくなる人がいる。大谷翔平選手のように、求道者然としている若武者もいる。 そうだ、「わたしは遊び、戯れるためにこの世に生まれたんだ」。そんな思いで、これから先の人生を送っていきたい。 |
| 国宝の石橋へ [01] 2023/07/01 Sat 9387 今月の写真は熊本県の山都町にある[通潤橋]である。今回、この石橋が国宝に指定されることになった。わたしが出かけたときは放水が終わった後で、ホンの気持ちだけ中央から水が落ちている。江戸時代(嘉永7年1854年)に農業用水を運ぶために造られた石橋で、現在も稼働している。大和町にとって重要な観光資源でもある。熊本県内の小学生であれば、おそらく全員が学校行事として見学に行っている。わが家が40年以上前に熊本に移ってから家族で出かけたが、ほとばしる放水の迫力に感動した。 ところで、全国にも重要文化財はけっこうあるが、[国宝]となると桁が違う。熊本県では人吉の青井阿蘇神社についで二番目である。橋の高さは20.2mとされているが、幅6.3mの上を屁っ放り腰(?)で歩いて渡るのも楽しい。これが国宝になって制限されたりはしないだろうか。国宝指定の話を聴いた瞬間に、そのことが心配になった。 |