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| 今年もお世話になりました [36] 2022/12/31 Thu 9024 今年も最後の日になりました。おかげさまで、かつ運良く1年を無事に過ごすことができました。今世紀最大のパンデミックが襲来して3年が経過します。まだしばらくは油断できない日が続くことでしょう。わたしがホームページを立ち上げたのは2003年ですから、来年は20周年になります。この「味な話の素」は、コロナ禍の巣ごもりで、1日に複数のトピックを取り上げるのが習慣にすらなった感がありました。そして今月に[9000回]まで届いて、何やら一区切りついた気持ちになりました。次の目標は[一万回]ではありますが、ゆっくり積み重ねていくつもりでおります。 皆さま、よいお年をお迎えください。 |
| 二つの諦観 [35] 2022/12/30 Fri 9023 昨日[33]の続き 「杞憂」を「先のことは心配してもしかたがない」として採用すると、ドリス・デイの「ケセラセラ」の世界を思い起こす。「なるようになる」のである。何をやっても、ものごとはなるようにしかならない。これは、言わば「あきらめ」の境地であるが、その先には2本の分かれ道がある。それは「だから、なにもしない」と「だから、いまできることをしよう」の二つである。わたしは。前者を「悲観的諦観」、後者を「楽天的諦観」と呼んでいる。あるいは、それぞれに「静的・沈殿的」「動的・上昇的」といったことばを付けてもいい。 「悲観的諦観」は、後になって、「いわゆる杞憂」だったことが判明すれば、「ああ、もっと行動しておけばよかった」と後悔する。そこから行動を始めても手遅れということもある。これに対して、「楽観的諦観」を選択していれば、「いわゆる杞憂」は笑い話となり、自分たちが前進していることを体感できる。 かくして、「杞憂」そのものが問題なのではなく、これにどう対応するかが重要なのである。わたしとしては、「諦めを行動に」をスローガンにして、あれやこれやとトライし続けていきたい。もちろん、前期高齢者後期として、それがいつ終わるかわからないことを自覚し、あきらめながら、今日も楽しく前に進んでいこう。 |
| 悲しいニュース [34] 2022/12/29 Thu 9022 関東のJR線で母親と子ども2人の3人が電車に飛び込んで亡くなった。母親は37歳、子どもは8歳と6歳の男の子だった。警察は母親が心中を図った可能性もあるとみて調べているという。この記事を目にした瞬間、わたし目に涙が浮かんだ。これから人生が始まる小学生の命が絶たれる。それも予期しない災害や事故ではないことによって。母親が置かれた状況や心は知りようがない。二人の子どもたちはどんな気持ちだったのだろう。なんとも悲しい。 |
| 杞憂の本義? [33] 2022/12/29 Thu 9021 【杞憂:「杞」は中国古代の国名。その国の人が、天のくずれ落ちることを心配して寝食をとらなかったという「列子‐天瑞」の故事から) 必要のないことをあれこれ心配すること。無用の心配。とりこし苦労。[精選版 日本国語大辞典]】これが一般的な理解だが、[コトバンク(故事成語を知る辞典)]には、「[列子]の話には続きがあり、そこでは、天地が崩れる可能性を説く人物が登場し、最終的には、崩れるかもしれないし崩れないかもしれない、だから心配してもしかたがない、という結論に達している」との解説が付いている。 わたしが「杞憂」を知ったのは高校の漢文で習ったときだと思うが、今まで「続き」についての知識は皆無だった。むしろ「続き」の方が人間らしいと納得してしまう。人生は、どこまでいっても「新発見」の連続である。これが楽しくて、「やめるまでは、やめられない」のである。 ただし、安全の面から考えると「続き」には問題がある。天地が「最終的には、崩れるかもしれないし崩れないかもしれない」のであれば、「崩れたときはどうするか」まで考えるのがリスクマネジメントである。ここでリスクの現実化は絶対でないから、これを確率として考え、それが発生した際の重大性との掛け算として考えざるを得ない。もちろん、その確率と重大性を主観ではなく、可能な限り客観的に評価することが欠かせない。 |
| 強弱の極限差 [32] 2022/12/28 Wed 9020 いよいよになったら世界中の人も考え直して、みんなで協力するだろう…。正直なところ、そうは思えないから不安も高まる。人類の歴史を振り返ると、ものごとが極限に達すると、強者と弱者の差が極大化する。そして、強者は相変わらず思いのままに振る舞う。猛暑時のクーラーだって使いたい放題というわけだ。その使い過ぎをを全体として抑えるために、その分だけ弱者が使えないようになる。こうして弱者はさらに厳しい条件下で生きていくことを余儀なくされる。 もちろん弱者が生産に関われないほど弱れば、強者の生活も危うくなる。そこで、「生かさず、殺さず」という、まことに由々しき対応法が強者の心を支配する。この上なく忌まわしい言い回しだが、歴史の中で語られた現実がある。これに対する弱者の抵抗に対処するために抑圧の道具も発明される。 さらに国際的なレベルになると、不満解消のために特定の国や民族をターゲットにして非難・攻撃することにもなる。環境悪化の行く末が、不幸な歴史の繰り返しになってしまっては困る。 |
| 霧笛 [31] 2022/12/27 Tue 9019 わたしの電卓辞書の一つは、電源を入れると「今日は何の日」が表示される。その12月20日は霧笛記念日だった。霧笛とは、「霧中信号の一つ。霧による視界不良の際、航海者に警告を与え海難を防止するため、船舶や灯台などが吹鳴する汽笛(精選版 日本国語大辞典」である。その第1号が、1879年(明治12年)12月20日に津軽海峡の青森県尻屋崎の灯台に設置された。その霧笛は20秒おきに4秒鳴らされた。 わたしが「霧笛」という言葉を知ったのは小学生のときだった。赤木圭一郎の「霧笛が俺を呼んでいる」である。そのとき、6年生のわたしは「霧笛」の意味を知らないままに、口ずさんでいた。いま21世紀になり、GPS であらゆる移動体が自分の位置を知ることができる。おそらく霧笛はもちろん、光を使った灯台そのものが必要なくなったに違いない。 灯台と言えば若山彰が唄う「喜びも悲しみも幾歳月を」も頭に浮かんでくる。「俺ら岬の灯台守は 妻と二人で 沖行く船の 無事を祈って 灯をかざす 灯をかざす」。これは1957年だから、わたしは3年生だった。いずれも遠き日の懐かしき思い出である。 |
| マイクロマネジメント[30] 2022/12/26 Mon 9018 「リスクマネジメントにおける経営層によるマイクロマネジメントの弊害ですが、細かな事にばかり気を取られ大局的な視点視座における潮流的なリスクを見誤ったり、見逃すことはございませんでしょうか?」 講演後にメールでいただいた質問である。わたしは以下の回答をお送りした。 ご質問の答えは「その通り」となります。世の中で発生している組織の事故や不祥事には、それが原因になっているものものもあります。そこで、経営層の考え方と行動が変わることが求められるのですが、わたしには、これに対する「有効な手立て」は思いつきません。問題に「自ら気づいていただく」か、「気づかれるように誰かが進言する」か、あるいは問題が発生して「気づかざるを得なくなる」といったことになるでしょうか。最後のものはトップとしての能力に疑問符が付きます。 誰にも「気づかない」ことがありますから、組織には「気づいた誰かが進言できるシステム」が必要で、これがないところで問題が発生しているのでしょう。 何とも素っ気ない、解答と言えない回答になってしまったが、そもそも「問題に気づかない」「自らを変えることができない、あるいは「その気がない」方々はリーダーシップの要件を欠いている。 |
| フィルター考 [29] 2022/12/25 Sun 9017 フィルターは不要な塵や物質を濾過して清浄化するというプラスの機能を持っている。一方、われわれの「心のフィルター」はどうだろう。もちろん雑音が聞こえないのはけっこうなのだが、それが「雑音」だと決める基準は個々人によって違っている。いわば、自分の都合によってフィルターの指向や感度が違っているのである。心の状態によっては、客観的には存在しない音まで聞こえることもある。これはフィルターというよりも大脳の創造性でもある。それは視覚をはじめとした感覚器官でも同じである。われわれは、そんなフィルター機能を内蔵している大脳を頭のてっぺんに収容している事実をいつも頭に置いておきたい。 |
| 頭の中はわからない [28] 2022/12/25 Sun 9016 昨日の続き 閣議とは、国務大臣である閣僚が出席して開く会議である。内閣総理大臣が議長を務める。わが国で最も上位にある会議である。報道で大臣が揃っている光景が映されるが、あれは閣議応接室である。報道の撮影後に閣議室に移動して会議をはじめる。ここで決める際は全員一致が必要になる。だから、一人でも反対すると閣内不一致となり、決定ができない。そこで、議長である総理大臣は、必要だと判断すればその閣僚を罷免することができる。現実に、民主党政権で罷免された大臣がいる。ともあれ、「法の解釈を変更することを口頭で伝えた」と発言した法相も、「法律の解釈変更は口頭で可」とする内閣としての「解釈」を受け入れたことになる。法律の専門家として、頭の中でどう考えていたのか、ご本人以外にはわからない。 |
| 他人が言ったら… [27] 2022/12/24 Sat 9015 いつのことだったか、東京高検検事長の定年延長が閣議決定されて問題になったことがある。この措置について、政府は国家公務員法の延長規定を適用したと説明していた。しかし、検察官については法の適応外だと政府自身が国会で答弁していたことが判明する。これに対して、政府は閣議決定の前に法解釈を変更していたと説明を変えた。しかし、その変更についての文書がなかった。 そこで、当時の法相は口頭で決済したと国会で述べた。法相は弁護士で法律の専門家である。その人が、口頭で法律の解釈を変更することに問題がないと確信していたとは到底考えられない。そうであれば、素人以下の法意識である。法律について、大臣が「解釈を変えるからね」と言えばそれで確定なんて、一般人の常識に照らしてもありえない。それこそ「そんなこと聴いてないよ」と言いたくなる。 いつものわが邪推ではあるが、ご本人も「もちろん、そりゃあ無理があると確信していたんだけど、立場上仕方がなかったのよ」というのが本当のところだったのではないか。法相だけでなく、閣僚全体も同じことを他の大臣が言ったら、「いやあ、そりゃあないよ」と苦笑しませんか。 |
| 「学習」と「変化」 [26] 2022/12/23 Fri 9014 組織、個人を問わず、その健全な成長には「学習」が欠かせない。その「学習」には「変化」が必須であり、「変化を伴わない学習」はあり得ない。ここで「変化」は結果だけでなく、「変化」を目標にして行動することが「学習活動」になる。もちろん、そのすべてが首尾よくいくとは限らない。つまりは「何の変化も生まれない」こともあり、その場合は、「失敗」と呼ばれることもある。しかし、そこには「失敗を体験した」という学習が成立している。その点で、「失敗前」とは内的に「変化」が生じているから、これもまた「学習」である。ただ、その「変化」を次の「変化」に繋げることができるか否かが、「真の学習」と言えるかどうかを決める。 ところで、「学習」と言えば、ピーター・センゲの「学習する組織」は世紀を超えたロングセラーである。生来の天の邪鬼であるわたしなんぞは、それは「組織や人々が、いまだに学習しない証だ」と憎まれ口を叩いている。ここで学習の定義をしはじめると終わりがなくなるが、直感的に[自己改造能力][外から見る目][異質集団]といった言葉が頭に浮かんだ。 |
| まずは、個から [25] 2022/12/22 Thu 9013 昨日の続き そもそも宗教の始まりには教祖がいる。その宗教を改革するときも、やはり個人がリーダーシップをとっている。何事も[個]が始点となる。造船所における実践研究がスタートしたとき、わたし学生で、駆け出しとすら言えない立場にいた。それが、「吉田君、あなたも行きなさい」という三隅先生の一言で、この大プロジェクトに関わることができたのだから、何とも運がよかった。 ともあれ、事故が多発していた一つの職場の変化が組織全体に影響をおよぼしたのである。その当時の造船所にどんな文化や風土があったのかは知らない。しかし、作業長がそれまでの考え方と行動を変えることによって導入された、安全を追求する日々の活動は、組織の文化や風土に変化をもたらした。 人間集団では、与えられた風土の上で文化が生まれ、その中で個々の集団の規範(常識)がつくられる。そして、個々の職場規範が変われば、それが文化に影響を及ぼし、その結果として今度は風土が変わる。われわれにとって大事なのは、現実の集団が行動を変えることである。それによって文化も風土も変わる。安全にしろ、組織の目標達成にしろ、まずは個々の集団からはじめよう! これが私の提案である。 |
| まずは「小・少」から [24] 2022/12/21 Wed 9012 昨日の続き 神様のような作業長が事故防止に関して自分たちの意見を聴いてくれる。それは、当時の造船所では、太陽が西から昇るほどの大転換だった。そして、そうした神様の見事な変身が、「安全な職場づくりのためにみんなでしっかりやろう」という空気を生み出したのである。その結果は事故の減少という目に見える形になって現れた。 造船所の中で事故が多発していた職場での成果だったから、他の部署に大いなる影響を与えた。プロジェクト開始時には、「どうなることやら、お手並み拝見」といった、冷ややかな目で見ていた人たちが驚いた。そして、「自分たちのところは同じことをどうしてしないのか」という声が挙がったのである。 こうして、小集団活動をベースにした全員が参画する安全運動が組織全体に広まっていった。組織の変革とはこうしたものだと思う。世の中の変化は、ほとんどの場合、まずは個人や少数者の集団からはじまる。 |
| 造船所の神様 [23] 2022/12/20 Tue 9011 どんな社会や組織、そして集団には、固有の文化があり、そこに規範が生まれる。後者は「常識」と呼ぶことも可能である。それが個々の集団活動に望ましいものもあれば、そうでないものもある。そこでプラスになるものは組織全体に広げていけばいい。 わたしの恩師三隅二不二先生を筆頭にして、造船所で事故防止を目的にしたプロジェクトが展開されたことがある。そこで職場に小集団活動を導入することが決まった。そうは言っても、とにかく大きな造船所だから、新しい試みを組織全体へ一挙に導入するのは難しい。そのため、まずは事故が多発している職場からスタートすることになった。いわゆるパイロットスタディを始めたのである。これが首尾よく展開されて事故が目に見えて減少した。 その当時は、造船所の第一線監督者である作業長はほとんど神様だった。作業長が「白」と言えば、「黒でも白」だった。まさにトップダウンしか存在しない状況に、部下たちの意見を吸い上げるボトムアップ(わたしの定義では[グラウンドアップ])の働きかけが導入されたのである。 |
| 抗原検査 [22] 2022/12/19 Mon 9010 大分の組織で対面の研修をした。先方からPCR検査か抗原検査を受けるよう要請されたため、研修前日、大分駅前で生まれて初めて抗原検査を受けた。大分は無料で検査をしていると聴いていた。検査場が長蛇の列だと、このごろの寒さで待ち時間が大変だと懸念したが、一人も並んでいなかった。検査は「鼻腔ぬぐい液 自己採取」なる方法だった。結果は陰性で、無事に対面で研修ができた。 それでも、研修中は常時マスク着用である。当方も、研修等でしゃべるケースでは立体マスクを使用する。一般の平型だと口の辺りが蒸れてしまう。演台の前にはアクリル板を設置しているところが多く、その前で話す際はマスクをはずしていいと言われる。しかし、わたしは落ち着きなく、ウロウロする性癖があるから、マスクは着けっぱなしにしておいた方が無難だ。コロナの襲来からまる3年が経過した。飛行機や電車などの交通機関はけっこう混み合いはじめた感じがする。 |
| ひよこの思い出(2)[21] 2022/12/18 Sun 9009 昨日[19]の続き その後、2羽のひよこはすくすくと育って親鳥になった。家の近くに芋畑があって、その葉が鳥のエサとして最適だった。ところが、2羽が運動中にお隣の小さな子をつつくという事件が起きた。これがきっかけになって、2羽ともあの世に送られることになった。学校に出かける前に最後のお別れをしたときの感情は記憶にないが、胸が張り裂けるほどだったに違いない。授業中も気になって仕方がなかったはずだ。 その日は、学校行事として公演中のサーカスを観る日と重なっていた。バイクが金属製の球面体内を走り回る曲芸もあったが、心は二羽のことで一杯だった。 学校から走って帰ると2羽が肉になっていた。その足の爪を切り取って、子どもなりに真空にしたつもりの壜に入れ、庭に埋めた。これは伊万里に住んでいたときだが、その後福岡に引っ越すときは壜をそのまま持って行って埋め直したときは中学2年生になっていた。今でも、太っちょと痩せで対照的だった2羽の顔が目に見える。 |
| 債務者の強さ [20] 2022/12/17 Sat 9008 人間関係は面白い。強い方が弱くなり弱い方が強くなることが少なくない。お金の貸し借りもそのような気がする。貸した方は忘れないで借りた方は忘れる人がけっこう多い。まずは、忘れること自身が問題だが、中には忘れたふりをする人も少なくないような気がする。そんなこんなで、貸している方が大いに言いにくい空気を発散しながら、おずおずと、「この前貸したものを返してくれないか」などと頭を下げながらお願いする。まるで貸した方が悪事を働いたがごときである。 世の中には、そういう人間の行動や考え方を計算に入れて、借りる相手を選んでいる人がいるのかもしれない。わたしも学生時代に、金銭だけでなく、大事な書籍で同じような経験をしたことがある。これも人間関係の一面だと思うと興味深い。そんなケースでは、債権者の方が債務者より弱々しく見える。 |
| ひよこの思い出(1)[19] 2022/12/17 Sat 9007 あらゆる生きものに、それぞれの生活があるから、生存競争は厳しい。わたしが小学6年生のころだったか、鶏を2羽飼っていた。彼らは養鶏場で生まれたオスだった。この世界では、卵を産むメスだけが市場価値を持っているからオスは厄介者のようだった。そこで雌雄を選別する作業が行われるのだが、目にもとまらぬ早さで性別を判断する専門家がいた。ピヨピヨと鳴いているヒナを取り上げ、一瞬にしてオスの箱とメスの箱に投げ分けていく。子どもにも、それからのオスがたどる運命は予想できた。ある日のこと、母親の友だちの家の近くに養鶏場があって、そこから3羽のオスをもらった。 |
| 安全運動の浸透 [18] 2022/12/16 Fri 9006 講演後に次のような質問をいただいた。「安全活動(リスクアセスメント、危険予知、指差唱和)は幹部を軸に行っていますが、末端の作業者まで浸透しているかというと、そうでもない。指差呼称も呼びかけたいが、作業者にも根付かず、管理者も否定的。隅々まで意識を高めるにはどうしたらよいでしょうか」。 いつものように、第三者的な回答しか出来ない後ろめたさを感じつつ、返信した。 正確な状況を把握しないままにお答えします。まずは、幹部の皆さまが行われている活動と同じことをそのまま実施するのが望ましいかどうかはわかりませんね。わたしの体験では、現場の方々の声を聴いて、現状をほんの少しだけ改善する試みを積み重ねることで、気が付いたらけっこう変わっていました。自分たちの仕事をスムーズにするためのアイディアを出してもらって、その実行を組織としてバックアップすることで大いなる効果が得られました。もちろん、採用されるものはほんの少しでしたが、自分たちの意見も聴いてもらえるという意識が仕事に対する意欲を高め、事故防止に向けた提案も出てくるようになりました。働く方々の中に、「どうせ言っても聴いてもらえない」という気持ちがあれば、それ以上は進みません。現場で働く方々が「トップをはじめとして、みんなが自分たちを大事にしている」と感じる組織を目指したいですね。ほんの少しずつ、1mmでも前進することが変化を確実なものにします。そもそもトップのみなさまが、どんなことでも「どうせやってもダメ」ではなく「やり続ける」という「創続スピリッツ」を持ち続けていただきたいと思います。ところで「末端」ということばですが、「作業者のみなさんはどう受け止められるかなあ」と、やや気になるところです。 |
| コロンボとピーター・フォーク [17] 2022/12/15 Thu 9005 刑事コロンボは、わが世代にとっては永遠の名作であり続ける。自分の妻を47歳で先立たれた父が、「刑事コロンボ」を見る間だけは、その爽快なストーリーに哀しさが薄れるような顔をしていた。 NHKはこのシリーズを4Kバージョンにして、数年前から全69本を繰り返し放映している。その[10 黒のエチュード]では自殺に偽装した殺人にコロンボ警部が挑戦する。まずは事件現場で遺書が発見されたことから、自殺との仮定で警部が捜査員に「人間はさあ、寿命まで生きるべきだよ」と語りかける。 主役のピーター・フォークは後にアルツハイマー症であることが公表された。その影響で、自分が「コロンボ」を演じたことを認識していなかったと伝えられている。そして、ビバリーヒルズの自宅で83歳の人生を終えている。彼には栄光のコロンボを演じたことを寿命に至るまでずっと記憶に留めておいてほしかった。 |
| ミス連射[16] 2022/12/14 Wed 9004 わがメモには「20日」としか書いていないので正確な日はわからないが、けっこう楽しめたニュースのお話。 コロナ禍の中、保健所の若い職員がお店を回って、いろんなサポートをしている。これには「がんばって」と応援したくなった。その後、男性職員が「…かな」と言ったので、苦笑した。わたしが名付け親の[かなかな症候群]は、いまや「フツーの日本語」になってきたようだ。 わたしの絶叫など、どこ吹く風である。政府や公的団体を批判する識者(?)が語尾に「かな」をつけまくる。「世論を無視して強行するなど重大な問題を引き起こすのではないかな」といった調子だ。わたしに言わせれば、それじゃあ批判になっていない。 その後に続くニュースでは、字幕に「最新の注意」と表示された。どう見ても「細心」に違いないと笑っていたら、アナウンサーが訂正ですと言う。ああ、「さいしん」違いのことだと思ったら、訂正は「司令官」の文字がが違ったという。この部分は見てなかったので気がつかなかったが、1回のニュースで二度の文字の変換ミスとは、めずらしいんじゃないかと楽しくなった。あるいは、AIのミスだったとコンピュータの責任にされる可能性もあるが、世に変換ミスのネタは尽きない。 |
| あさぎり町の仕事(3) [15] 2022/12/13 Tue 9003 昨日の続き あさぎり町の家庭教育学級シリーズは4回目の須恵小学校で終えた。須恵村は社会人類学者のジョン・エンブリーが妻と子どもと1935年から滞在した。わたしは学生時代に授業でエンブリーのことと須恵村を併せて知った。日本研究ではルース・ベネディクトの「菊と刀」が知られているのに対して、エンブリーの名前が取り上げられることはきわめて少ない。学校に行って校長先生とまずはそんな話しで盛り上がった。こちらは12月で、給食室に暖房を入れた環境で話をした。体育館よりはるかに狭いから会場一杯という感じになった。かくして4回が終了したが、いずれも授業参観の日にセットされていて、保護者のみなさんが熱心に聴いてくださった。 じつは、この3回シリーズを書き始めたのには理由がある。それは、最後の須恵小学校から帰宅して日記を書く際に、すべての学校に行く道筋と校門、そして校舎の入り口、さらには会場のことが眼前に蘇ったからである。何のことはない、「まだ記憶はしっかりしている」と思うと嬉しくなって、いつもの癖で「人様に言いたくなった」のである。そんな自己満足に、皆さまを数日間に亘って引きずり込んでしまった。まことに申し訳ございません。 |
| あさぎり町の仕事(2)[14] 2022/12/12 Mon 9002 昨日の続き 家庭教育学級の講演は7月からはじまった。岡原小学校の体育館には特製の大型扇風機があり、[水冷(?)クーラー]が準備されていた。その次は10月の免田小学校だったが、すでに秋景色に替わっていた。講演の帰りには「おかどめ幸福駅」に立ち寄った。ここは「日本で唯一『幸福』の名がつく現役の駅(くま川鉄道)」が売りである。駅の前の神社の駐車場に大きな柿の木があり、しっかり秋の色をしていた。 それから11月になって深田小学校に出かけた。岡原小学校と免田小学校は球磨川を渡るが、深田小学校は球磨川の北に位置している。会場の体育館はまだ寒さを実感しない状況だった。人吉インターから高速に乗ると、すぐに山江パーキングがある。ここに立ち寄って、かなりの頻度で栗まんじゅうを買う。山江村は栗の産地として知られている。暑い夏には栗のソフトクリームを立ち食いするのも楽しい。 |
| あさぎり町の仕事(1)[13] 2022/12/11 Sun 9001 熊本県のあさぎり町の教育委員会から、小学校における家庭教育学級での講演依頼があった。基本的には保護者を対象にしたものである。生来の[Yes man癖]がまだ治っていないものだから、[イエス]と答えて4つの小学校に出かけた。もうかなり前のことだが、小学校の保護者の講演を引き受けたとき、家内から「おじいちゃんなんだから、子育ての話などは止めた方がいいよ」とアドバイスされた。たしかにその通りなのだが、今回も反射的に「イエス」と言ってしまったのである。ただし、「明るいうちに帰ることができる時間帯」との条件を1つだけ付けた。あさぎり町だと高速を走って人吉インター経由で、100kmほどの距離になる。何分にも前期高齢者後期の身で暗闇運転は避けなければならない。もっとも、この時間条件は、かなり以前から提示しており、それで講演が実現しなかったケースもあった。 |
| 反復とオウム返し [12] 2022/12/10 Sat 9000 職場における情報伝達ではミスや歪みが生じる。これを避けるために、「伝える」だけでなく、相手に「復唱あるいは反復」を求める。この「復唱・反復」効果はけっこうな危うさが潜んでいる。オウムは人が言ったことを反復することから、これを「オウム返し」という。このとき、オウムさんは人が言った言葉の内容を理解してはいない。ただ、「同じことを繰り返す」だけのことである。人間は「理解した上で反復している」という声が聞こえてきそうだが、「理解しなくても反復する」状況がまったくないと断言できる方がどのくらいいらっしゃるだろうか。 わたしのお勧めの一つは、「あなたが、いま聞いたことを同僚など他人に伝えるときはどのように言うか」と問いかけて、その場で実演してもらうことである。それで、伝達した情報に対する相手の理解度、ときには納得度も確かめることができる。 |
| [eラーニング物語](24 了)[11] 2022/12/09 Fri 8999 11月24日[71]の続き とにもかくにも、わたしは今回の[eラーニング]教材づくりはやめにしようと考えた。そこで、契約条件の送信者にメールを送った。この方は、わたしにはじめてアプローチされて、それまでコンテンツについてやり取りをしたご担当者とは別人である。 「□□さま おはようございます。お送りいただきました[依頼書]を拝読いたしました。その結果、本条件ではお受けしないほうがいいと判断いたしました。□□さまからお誘いを受けましたことを感謝しつつ、当方の意思をお伝えいたします。ありがとうございました。御社のご発展をお祈り申し上げます」。 これに対して返事が届いた。そこには、「こちらはあくまで雛形となっております。ご条件につきましてですが、当初の吉田様のご想定と異なる部分がございましたら、社内の協議にて修正できるやもしれません」といった文言が含まれていた。わたしはこれに返信しなかった。わたしの[Yes-man]人生にはきわめて希有な[例外]が追加された。 |
| 2/10(十分の二)効果(3)[10] 2022/12/08 Thu 8998 昨日の続き Aさんは結果を見て、「トライした2つの行動評価が高まったのはわかるが、何もしていない8つの行動まで点数が上がるなんておかしい。彼らはいい加減に評価しているのではないか」と考え込んだ。いやいや、それこそが「2/10効果」なのである。われわれは人の行動を評価するためにの絶対的基準は持っていない。人は他者の行動だけでなく、外界の事象に意味を点けながら生きている。10個のうち、2つだけでもしっかりトライしているAさんに対するフォロワーたちのメガネが替わったのである。一方のBさんは「何もしなかったから現状維持」ではなく、「半年経っても変化が見られない」ことから、こちらもフォロワーのメガネが別のものになり、さらに厳しい評価に陥落したのだ。 何はともあれ、「2/10効果」はわたしたちに見える景色を変える。あなたは、「1つや2つだけやっても仕方がない」「1つか2つだけでもやってみるか」のどちらを選びますか。 |
| 2/10(十分の二)効果(2)[9] 2022/12/07 Wed 8997 昨日の続き あるときのこと、リーダーのAさんとBさんがフォロワーたちから、「リーダーにこんな行動を取ってほしい」という10個の期待リストをもらった。いずれも5段階で「2あるいは3」の評価である、これを見て二人は「10個もしっかり実践しろって無理だ」と思った。ただし、Aさんは「この2つくらいはトライしてみるか」と思って実践に努めた。もう一人のBさんは「こんなもの期待されてもやれるわけがない」と無視することにした。 それから半年ほど経過して、同じリストをフォロワーたちに提示して再評価してもらった。その結果は予想どおりで、Aさんは実践に励んだ2つの行動が「4と5」に上昇した。これはわかりやすい結果だったが、予想外のことが起きた。Aさんの「あと8つ」の行動も改善していたのである。さらに、「何もしなかった」Bさんは、すべての項目で半年前の評価よりも数値が悪化していた。 |
| 2/10(十分の二)効果(1) [8] 2022/12/06 Tue 8996 リーダーがフォロワーの期待や要求を知り、それに応えることは重要である。しかし、それらが正当、適切なものであっても、そのすべてに応えることはできない。それでも、「できることだけ」は積極的に実現すること、あるいはその努力を続けることが必要である。リーダーが、「彼らは言わせておけば、好き勝手のオンパレード」と不信感丸出しで、すべてを否定していたのでは、フォロワーたちもリーダーに対する不信感を募らせ、本当の気持ちを出さなくなる。まさに絵に描いたようなブーメラン効果である。 リーダーは、「10個のうち、1つでも2つでも、フォロワーの期待に応えようと努力する」ことだ。その結果、期待が現実のものとなればフォロワーたちは大いに喜び、リーダーの行動力を評価するに違いない。たとえ「2/10」であっても、フォロワーとの対人関係のインフラが強化されるのである。 |
| レビンの宣言(2) [7] 2022/12/05 Mon 8995 昨日の続き ルーズベルトは[現代社会の力を適切に制御すること]の重要性を訴えた。その主旨は抑圧的という意味ではなく、新しい社会への改革と創出にあったことは疑いない。それは、レビンの考える[グループ・ダイナミックス]のあるべき姿と一致したのである。ルーズベルトの引用のあとにレビンが続ける。 「[グループダイナミクス研究センター]は、[科学]と[実践]というの2つの必要性の認識から生まれ育ったのである。社会科学において、[集団生活]を研究するための手段として、心理学、社会学、文化人類学を統合することが必要である。現代社会は、集団の問題に対して、より深く理解し、効率的で偏見のない対応を求めている。わたしは、この必要性が民主主義においてとりわけ重要であり、かつ不可欠であると確信している」。 ここに、レビンは社会改革への[社会科学=グループ・ダイナミックス]の貢献を高らかに宣言したのである。それから77年、[人間集団]から問題がなくなることはない。 |
| K. レビンの宣言(1)[6] 2022/12/04 Sun 8994 グループ・ダイナミックスの創始者クルト・レビン(Kurt Lewin)は、1945年に〝Sociometry〟誌第8巻2号で、MITに[グループ・ダイナミックス研究所]が設置されたことを宣言した。タイトルは〝THE RESEARCH CENTER FOR GROUP DYNAMICS AT MASSACHUSETTS INSTITUTE OF TECHNOLOGY〟と、まさに[そのまま]である。この年に太平洋戦争が終わり、日本はポツダム宣言を受け入れた。論文の冒頭に、ルーズベルト大統領が若者たちに向けて語った演説からの引用を掲げている。 「(アメリカにおける地理的な開拓がほとんど終わったと述べたあと)しかし、わが友人のみなさん、社会を開拓する時代は、いまはじまったばかりなのです。自然の力を支配下に置くために求められたのとまったく同じ勇気ある行為と自信、そして洞察力がさらに必要になるのです。それによって現代社会がもっている力を適切に制御できることを忘れてはならないのです…」。 |
| 負けるのもリーダーシップ [5] 2022/12/03 Sat 8993 リーダーに求められる条件は様々で、「面白い、楽しい」はフォロワーとの距離を縮める。ただし、リーダーが自分だけそう思っていても意味がない。リーダーシップの影響度はフォロワーが「リーダーをどう見ているか」で決まるのである。 そうした中で、ときには「リーダーが負ける」のもお勧めである。そもそも、リーダーがすべての面でフォロワーを凌ぐことはあり得ない。もちろん、そのときどきで期待される専門力は欠かせないが、そうした領域でも「負ける」ことがあっていいのである。 リーダーがフォロワーに負ければ、「リーダーがオールマイティでない」という、本来あるべき姿が浮き彫りになる。それがフォロアワーたちとの距離感を縮めれば「負けるが勝ち」ではないか。そんなとき、リーダーはフォロワーたちの力を認め、評価することだ。すかさず、「君たちすごいね」と驚けば、大いなる「驚育」となる。 「負けたら彼らから何と言われるかわからない」。そんな思いがわいたときは、フォロワーとの関係が未成熟である可能性がある。 |
| 短期雇用者の教育[4] 2022/12/02 Fri 8992 講演の後にメールで質問をいただいた。「人の入れ替わりが多く、1日だけのスポット派遣などもある職場での『安全文化の創続』に悩んでいます。 受け入れ時教育にも限界があり、どういったアプローチをすればよいでしょうか」。わたしは「安全文化」は「醸成」ではなく、「創続(つくりつづける)」に替えることを提案しており、ご質問にもこの言葉が使われたのである。わたしは次のようなお答えをした。 正確な状況を把握しないままにお答えします。まずは、「受け入れ時教育」に限界があるとのことですが、現在どのような「教育」をされておられるでしょうか。それは「ほとんどしていない」ことと同義なのか、それとも「ある程度はされている」ということでしょうか。最終的には何かが起きれば、組織には大きなダメージを受けます。限界の壁をを少しでも低くする試みをされ続けることが大事でしょう。「そう言っても何もできない」と思ってしまえば、変化は起きませんから、改善も期待できません。また、スポットの方が「職場の全員が、ちょっとした会話の中でも、安全に関してしっかり考えていることがわかるなあ」と思う空気感があれば、それがりっぱな教育になります。「あそこは1日だけ仕事をしたが、また派遣されたい」というお気持ちになっていただくといいですね。 |
| 思い込みと失敗[3] 2022/12/01 Thu 8991 ある組織の会合のために関東地方へ出かけた。朝、当地の駅前に集合することになっていた。事前に送られてきた集合場所の地図に目を向けた。わたしは2回目で、赤い文字で記された場所はこの前と違っていたのだが、あまり気に留めなかった。頭の中で「この前と似たようなところだろう」と勝手に思い込んだのだ。そして当日、「あれっ、この前のところじゃない」とあわてる自分がいた。その結果、先方の担当者が来られて、所定の場所へ案内されたが、すでに五分ほど遅れていた。 あとで携帯を見ると、電話が入っており、わたしが時間どおりに現れないので確認されたのである。わたしは早々と留守モードにしてカバンに入れていたのである。何ともリスク意識に欠けることだったと大いに反省した。 |
| LBDQ[2] 2022/12/01 Thu 8990 われわれの業界では[LBDQ]と聴けば、それが何であるかを知っている者が多いはずである。ただし、世代によっては「それって、何のこと」と言われる可能性も高い。このごろは、自分がしっかり年を取っていることを頭に入れておかねばならない。いつも「わが常識は世間の非常識」と考えて行動する方が安全である。 さて、[LBDQ]だが、これは[Leadership Behevior Description Questionnaire]の頭文字である。直訳すれば、「リーダーシップ行動記述質問表」で、読んでの通り、「リーダーシップ行動」を測る質問紙である。これはアメリカのオハイオ州立大学で開発されたもので、われわれ世代にとっては、リーダーシップに関する行動研究の先駆けとなるものである。それまで、リーダーシップは個人的特性として研究されてきたが、効果的なリーダーに共通する特性は見出されなかった。そこでオハイオの研究者たちは、「リーダーの行動」を収集し、これを分析していった。 |
| 大自然の感動[1] 2022/12/01 Thu 8989 自然の大きさと美しさには感動するほかはない。夕暮れの空はすばらしいが、12月のある日、羽田を発って熊本に向かう飛行機のまでから、西に沈む日の光が神秘的な美しさを演出する。あれが「本物の後光」というものだろうと息をのむ。空一面に拡がる雲がそれを演出している。もう1枚は熊本が誇る阿蘇である。何と言っても「阿蘇熊本空港」なのだ。これがときおり噴火して緊張感が走る。大昔の人は、爆発音と噴煙を目の当たりにすれば、神の怒りと信じたに違いない。 |