味な話の素   No.227 2022年03月号《8383-8414 》 Since 2003/04/29
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ものは言いよう [32] 2022/03/31 Tur 8414 昨日 [31]の続き
 その昔、[PM論]が「部下評価」を採用していたことから、あっちでもこっちでも使われることはなかった。しかも、三隅先生は「[PM調査]は自己啓発のためのもので、[人事考課]に利用してはいけない」と強調されていた。こうなると、調査に魅力を感じる組織がさらに少なくなったのも理解できる。それが半世紀以上前、1960年代の現実だった。かくして、[部下評価]が導入に対する高くて厚い壁になっていた。いまでは[360度評価]が常識なのだから時代は変わるのである。
 こうした体験から、わたしは「リーダーシップ・トレーニング」向けに[部下評価]ではなく[見えてますかシート]なるものをつくった。「自分のリーダーシップ行動が部下たちに[見えている]かどうかを聴いてみましょうよ」という筋書きである。実質は[部下評価]と同じなのだが、[見えてますか]の方が[受け入れ感]が生まれる。まさに、「ものは言いよう」なのである。
[見えてますかシート] [31] 2022/03/30 Wed 8413 昨日 [30]の続き
 公開講座「リーダーシップ・トレーニング」で[PM論]を採用しなかったが、「リーダーシップが行動であること」「リーダーシップは、リーダーの影響を受けている[部下]からの評価を重視すること」の2点は引き継いだ。すでに述べたが、この発想は1940年代の[オハイオ研究]あたりに端を発するものである。これは「リーダーシップは[個人の特性]」という捉え方とは対極に位置する。
 そもそも、リーダーシップを[特性]とするなら、「トレーニング」で改善することはできない。わたしが[特性論]を確信していて「トレーニング」をするのは詐欺行為になる。公開講座は破格に低かったというものの受講料をいただいていたのである。
 ともあれ、わたしの「トレーニング」でも[部下評価]は不可欠なのである。ただし、それを[部下評価]と呼ぶのはストレート過ぎる。そこで思いついたのが、「見えてますかシート」と名付けたチェックリストだった。
わたしの[トレーニング観] [30] 2022/03/29 Tue 8412 昨日 [29]の続き
 わたしは、熊本大学在職中に、[リーダーシップ・トレーニング」のタイトルで[公開講座]を続けた。スタートは1992年で、大学の再雇用が満期を迎えた2018年度まで開講した。
 わたしも研究者のつもりでいたから、三隅先生に対する尊敬と感謝の念は維持しながらも、自分のライフワークだと考える「リーダーシップ・トレーニング」の設計の際は[PM論]をベースにしなかった。公開講座が「いつまで経っても、どこまでいってもPMだね」と評されるようではオリジナルとは言えない。
 さらに、それまでの[リーダーシップ論]のほとんどが、[行動リスト]を提示し、その実践を推奨していることにも抵抗があった。リーダーが置かれた状況は千差万別である。そうした人々に、[これらの行動をするといいですよ]と言うのは説得力に欠けると考えた。リーダーとして[何をするか]は自分自身で決めればいいのである。これがわたしの[トレーニング観]であった。  
リーダーシップの[部下評価] [29] 2022/03/28 Mon 8411
 三隅先生が先導した[リーダーシップPM論]最大の特徴は部下評価である。今日では[360度評価]と呼ばれる、上下左右からの評価が常識になった。そのなかには[部下評価]が含まれる。これを[PM論]では当初から[常識]にしていたのである。わたしが学生時代には[組織調査]として完成していたから、すでに半世紀以上も前のことになる。
 もっとも、[リーダーシップ行動論]の先駆けとして知られるオハイオ大学の研究では1940年代に150項目からなる調査票ができあがっていた。[the Leader Behavior Description Questionnaire]、略称[LBDQ]である。この調査が[部下評価]によるものだった。そこには、「彼は、その日の行動をこまかく計画する」「彼は、部下たちがチームとして仕事をするよう働きかける」「彼は、部下たちを自宅に招く」といったものが含まれている。ここで、設問の主語は[He]であることから、当時のアメリカでは[leader=he]だったことがうかがえる。
[軽犯罪法]あれこれ(26) [28] 2022/03/27 Sun 8410 3月20日 [21]の続き
 「二十三 正当な理由がなくて人の住居、浴場、更衣場、便所その他人が通常衣服をつけないでいるような場所をひそかにのぞき見た者」
 いわゆる[のぞき見]を禁止した者である。ここで[浴場」以下は、「通常衣服を身につけない」が当てはまる。最初の[住居]については、「衣服を身につけていても」覗いてはいけないのである。文頭に「正当な理由がなくて」とあるが、どんなケースだと「正当」だと認められるのだろう。まあ、そんな余計なことを考えずに、「とにかく覗き見はいけないのよ」と思っていた方が安全である。
 ところで、ハードの進歩で、[盗撮]なるものが問題になりはじめて久しい。こちらは「迷惑防止条例」なるもので捕まったという報道に接することが多い。
ダイヤモンドと新型コロナ [27] 2022/03/26 Sat 8409
 生来の(?)飛行機好きがフライトとほぼ無縁になった。一昨年の2019年には年間68回も飛んだ。その結果、ついに、[ANAダイヤモンド資格]をゲットした。前期高齢者後期としては、資格維持は1年限りと自覚したが、「1年だけ体験ツアー」は楽しめると思った。そうして迎えた2020年に[新型コロナ]がやってきた。これが昔ならは、トヨタの新車登場である。この一文が理解できるのは一定の年代以上の人たちに限定される。そう、トヨタの人気車種の中に[コロナ]があったのだ。
 ともあれ、この年も2月27日まではけっこう飛んでいた。すでにフライトは10回に達していた。ところが、3月から、誰もが知っている[巣ごもり生活]がはじまった。その後も、数回は飛ぶ機会があったものの、年末までの記録は[18回]で終わった。ウン十年ぶりの低水準である。ただ、世界中を巻き込んだパンデミックだから、ANAは各種の特典資格を[1年間延長]とした。
弱味を知る強さ [26] 2022/03/25 Fri 8408 2月25日 [28]の続き
 われわれ人間は、そもそも[基本が守れない][当たり前のことができない][済んだことは忘れてしまう]等々、様々な[特性]を持っている。だから、世の中で不祥事やトラブルが後を絶たない。何やら人間不信をそそのかす[悪魔の特性]をリストアップしている感がある。しかし、現実に人間が、組織が起こす[問題]に晒され続けると、そんな気にもなってくる。
 もっとも、物事には[表と裏][光と陰]がある。こうした[特性]があればこそ、新しい発想が生まれ、発明・発見を引き出す[特性]にもなる。「自分の弱味を知る強さを持とう」。これは、わたしが組織の安全に関わりはじめたころか言い続けてきたフレーズである。
「あってはならないこと」が… [25] 2022/03/24 Thu 8407
 昨年の12月、全日本実業団対抗駅伝の優勝旗がなくなっていることが判明した。前年に優勝した富士通が所在不明になっていることを発表したのである(熊本日日新聞2021年12月17日)。東京都内にある本社でケースに入れて保管していたという。最後に確認したのは6月らしいが、その後がわからないのである。これを受けて同社の執行役員が日本実業団陸上競技連合会を訪問し、「あってはならないことで、責任を重く受け止めている。栄誉あるものをお預かりしている意識が十分ではなかった」と謝罪した。「あってはならないこと」「意識が十分でなかった」に「現実の問題はない」が加われば、いつもの[3点セット]になる。今回は、大会で優勝旗の授与ができないという前代未聞の問題が発生してしまった。
 優勝旗と言えば、学校の校長室などに誇らしげに置かれている。それを見て、訪問客は「ああ、そうだ□□で優勝したんだった」などと思い出す。そんな誇りの旗が飾られることもなく、ケースに保管されていた。そして、こともあろうにどこかに行ってしまったのである。外部の者にはわからない事情があるのだろうが、当の選手たちもやるせないだろうと思う。
 それにしても、世の中では「あってはならないこと」が頻繁に「あっている」ことが気懸かりだ。
繰り返される弁明 [24] 2022/03/23 Wed 8406
 日立の子会社で検査不正が明らかになった[時事ドットコム2022年3月21日]。自動車のブレーキやサスペンション部品を出荷する際の検査や定期試験で不適切な行為をしていた。検査については、サスペンション部品で少なくとも18年4月以降、出荷検査の基準の変更や規格外製品の出荷をしていた。その総数は延べ1010万本にもなるという。また、19年1月以降、定期試験の数値を書き換えていたものが259件あった。さらに、2003年10月~21年3月もの長期間に亘って、ブレーキ部品で約5万7000件で顧客と取り決めた定期試験を実施していなかった。
 これに対して最高責任者は記者会見で「定期試験の重要性への意識が足りなかった」が、「安全性に問題はない」と述べている。まったく同じ弁明が、この種の問題が発生した際に繰り返される。その根底には「しなくても大丈夫」という意識があるに違いない。しかも「安全性に問題はない」のである。そうであれば、経済的、時間的コスト削減につながることをしない手はない。こうしたこころの流れが「重要性への意識が足りなかった」との発言から推測できる。
 まったく同じような
報道に接し続けているうちに、「これは氷山の一角にちがいない」との推測が確信に変わるのを覚える。これで大丈夫なのか、日本の製造業は…。
Lewinの理論と実践(4) [23] 2022/03/22 Tue 8405 昨日 [22]の続き
 自分の死後、70年ほども経過して、「これはLewinのオリジナルではない」と断定されたご当人は苦笑いしているだろう。「自分は[the statement]と書いたし、[also]も入れて[引用]した。わたしのオリジナルだなんて言った憶えはない。一体全体、だれが[Lewinのもの]と言い出したのだろう。それがいつの間にか[事実]になるなんて、こまったもんだ」。そんな嘆きの声が聞こえてくる。
 Bedeianは、「Lewinのケースから、誤った情報が印刷されてしまうと、それが([事実]として:吉田)拡散され、増幅し、世代を超えて伝わっていく」とまとめる。今日では[印刷]が[電子情報]というさらに強烈な媒体に取って代わられた。
 そう言えば、寺田寅彦の言とされる「天災は忘れた頃にやってくる」も、「そのままのフレーズ」は著作のどこにも書かれていないという(矢守克也「天地海人」2017ナカニシヤ出版 など)。社会の中で拡がる情報の特性は洋の東西を問わないのである。その最初の一声は一人の人物から発せられることがほとんどなのだろうが…。
Lewinの理論と実践(3) [22] 2022/03/21 Mon 8404 3月19日 [20]の続き
 Lewinの"nothing is as practical as a good theory"はわたしの思い込みだけではない。アメリカでも、[Lewinの言]と認識している文章があふれている。そうした状況をおかしいと憤ったかどうか知らないが、[A note on the aphorism “there is nothing as practical as a good theory”]というタイトルの論文がある。著者はArthur G. Bedeianで、Journal of Management History誌(2016年4月11日発刊)に掲載されている。そこには、「Lewinのものとされる格言(aphorism)は、「1920年代にGE(General Electric Company)が使用して」おり、それは「Friedrich W. Dorpfeldが1873に書いた[Grundlinien einer Theorie des Lehrplans, zunachst der Volks- und Mittelschule]にまで遡ることができる」と記されているのである。Dorpfeldの書名はドイツ語だが、[小中学校におけるカリキュラム理論の基礎]に関する著作だと推測できる。
 こうしたことから、Bedeianは「Lewinの格言とされるものが彼のオリジナルでないことは確信を持って結論づけることができる」と主張する。
[軽犯罪法]あれこれ(25) [21] 2022/03/20 Sun 8403 3月13日 [14]の続き
 「二十二 こじきをし、又はこじきをさせた者」
 [こじき]は仏教用語で、高校の古典で「こつじき」と読むと教わった。宗教活動以外にも「芸能活動として行われたものや、民間信仰、風習上行われたものもあった」という(日本大百科全書)。僧侶の托鉢もこれに含まれる。それが、路上などでの物乞いそのものあるいはそれをする者を指す呼称に拡がった。わが国が敗戦から立ち直り、経済が成長するとともに、一時的にはこうした人々がいなくなったように見えた時期もあった。また、蔑視的な意味合いもあり、日常的には使われなくなった。今日では、より広い範囲まで含めた[ホームレス]が定着している。
 もちろん「させていけない」ことは当然だが、法律では「してもいけない」とされているのである。ここで、そうした状況を社会がつくり出していることを抜きにして、ただ「してはいけない」と言うわけにはいかない。
Lewinの理論と実践(2) [20] 2022/03/19 Sat 8402 昨日 [19]の続き
 Lewinの"nothing is as practical as a good theory"は、グループ・ダイナミックスを仕事にしている者であればだれもが知っている。「よい理論ほど実践的なものはない」は直訳的だが、「実践的でなければ理論とは言えない」と踏み込んだものもある。
 わたしは長いこと、これをLewin自身の[オリジナル]だと思い込んでいた。それが、[グループ・ダイナミックス]の誕生宣言と言うべきLewin の論文を読んだとき、見事に破壊された。わが目に、"that the statement""holds also in the field of social management"が飛び込んできたからである。英文を素直に読めば、わたしが連体詞「いわゆる」を用いた理由はおわかりいただけるだろう。"nothing…thory"は、まさにだれもが知っているから[the]が付くのであり、副詞[also]から、"social management”とは異なる領域ですでに使用されていたことがわかるのである。
Lewinの理論と実践(1) [19] 2022/03/18 Fri 8401
 There are increasing symptoms that leading practitioners in government, in agriculture, in industry, in education, in community life are becoming aware of the fact that a scientific level of understanding is needed, that the statement "nothing is as practical as a good theory”holds also in the field of social management.
 政府機関、農業、産業、教育、地域社会など、様々な分野で指導的役割を果たす実践家たちは、彼らの仕事には科学的根拠に基づく判断力が求められており、いわゆる「よい理論ほど実践的なものはない」との言説が社会を運営・管理する領域においても成立することを認識する流れがますます明らかになっている。

 これはグループ・ダイナミックスの創始者Lewinが記したもので、原典は[The Research Center for Group Dynamics at Massachusetts Institute of Technology. Sociometry. 8(2):1945]である。
 一文が長く、わたしなりの意訳だが、本日はこの[物語]のキックオフとしておきたい。
専門家の解説 [18] 2022/03/17 Thu 8400
 ロシアでは放送が国営だけに限定されたようだ。そうした状況で若者たちはSNSなどによって、何が起きているかをある程度理解している。これに対して年配者は情報を放送にだけに頼るため、その内容に影響を受けている。これがわが国のロシア専門家(?)の解説である。
 それを聴いて、わたしは頭をひねる。いまから30年ほど前、ソビエト連邦が消滅したとき、多くの人々がそれまでの情報統制の深刻さと悪影響を十二分に理解したと思う。そのとき社会を動かす中核にいた人たちが、いま高齢者になっているのである。その世代が、放送の限定といった事態が発生したとき、あのころを思い出すことはないのだろうか、1つだけの情報に疑いをもたないのだろうか。それは声を挙げられない厳しい状況があるからではないか。いやいや、人間とはそんなものなのだろうか。
 そうした中、国営放送のニュースでキャスターの後ろに手書きの用紙を持った女性が突如として現れた。その内容は「プロパガンダを信じるな」だったという。その後、当局に逮捕されたが、罰金のみで釈放された。
[教科用図書の採択](2) [17] 2022/03/16 Wed 8399 昨日 [16]の続き
 わたしは2001年と14年に熊本市の[教科書選定委員]、2006年から12年まで、[熊本県教科用図書選定審議会委員]を務めた。会議では審議対象になった[教科用図書]が並べられ、それらに目を通していた。このほか、一般に公開されている会場に出かけて、内容を確かめる機会もあった。教科書採択には、多くの現役教師が複数の教科書を読み込み、評価していく。それに注ぎ込まれるエネルギーは膨大なものである。わたしは縁あって、こうした方々の仕事に触れることになったのである。そんなことで、委員会の審議の終わりに、「この仕事にかかわった先生方によろしくお伝えください」とお願いしていた。
 それにしても、地道な仕事から得られた声が文科省や編纂者にどのくらい伝わり、活かされるのだろうか。また、各出版社が、あれだけのものを作成する経費は執筆費も含めて相当なものになるはずである。それで採用されればいいが、不採択になった場合、経費の回収はどうするのだろう。選定に関わりながら、そんな疑問がわいた。
[教科用図書の採択] [16] 2022/03/15 Tue 8398
 わたしは2020年10月に熊本県教育委員の任期を終えた。この年の始めから[コロナ]が襲ってきて、定例の会議を除けば、すべての予定がキャンセルされた。例年、3月1日は県立高校の卒業式に出席していたが、それも卒業生たちを中心に関係者のみに縮小された。そのほか、生徒たちの発表会や学校訪問も中止になった。
 そうした状況ながら、[教科書]の選定にかかわる委員会は2回に亘って開催された。中学校では次年度から新しい[学習指導要領]が全面的に実施されることになっていたのである。正式には[教科用図書]と呼ばれる教科書の採択は公立の場合、学校を設置する自治体の教育委員会が決定する。一般的に、小中学校は市町村町立で、高等学校は県立のケースが多い。国および私立学校では校長が教科書の採択を決める。熊本県には[併設型中高一貫教育校]として県立中学校が3校ある。そこで、県の委員会では中学校の教科書採択について審議したのである。
30年前の中国旅行 [15] 2022/03/14 Mon 8397
 「飛行機旅行 中国は危険」旅客団体が警告【ワシントン16日共同】」 こんな見出しのスクラップが出てきた。日付は1994年2月18日である。「国際航空旅客協会」が、中国での飛行機旅行は危険この上なく、何としてでも避けるべきだという報告書を発表したのである。航空機の安全性、航空管制をはじめ、あらゆる面で民間航空の安全を確保する態勢が整っておらず、ハイジャック発生率も世界最高だと警告したらしい。
 わたしは前年の1993年8月にはじめて中国へ出かけた。このときは福岡-青島-北京-西安-上海-福岡間をすべて中国機で飛んだ。国際線はジャンボだったが、北京から先は年季の入った小型の機材でリクライニングが離陸前から壊れているものもあった。それから間もないころの記事だったから、わが体験を思い出しながらスクラップしたに違いない。もちろん、いまは彼の国でも苦笑い話になっているのだろう。
[軽犯罪法]あれこれ(24) [14] 2022/03/13 Sun 8396 3月6日 [07]の続き
 「二十一 削除」
 ここでいきなり「削除」ときた。そう言われれば何がなくなったのかを知りたくなる。いまやネットの時代だから、その内容はすぐにわかった。それは「牛馬その他の動物を殴打し、酷使し、必要な飲食物を与えないなどの仕方で虐待した者」だった。
 昭和48年(1973年)に、「動物の保護及び管理に関する法律」が制定された。いわゆる「動物愛護法」である。その後は上記の行為をこの法律で罰することになったのである。もとの「軽犯罪法」では[牛馬]が筆頭に挙がっていることが印象深い。農業において彼らは欠かせない動物だったのである。
 ところで、競馬は紳士のスポーツと言うようだし、闘牛や牛相撲などもあるが、お馬さんやお牛さんたちにインタビューしたらどう答えるだろう…。 
人のこころは同じはずなのに… [13] 2022/03/12 Sat 8395
 五木寛之氏が連載「新・地図のない旅」で、旧ソ連時代のサンクトペテルブルクでの体験談を書いていた(熊本日日新聞2月27日)。当時の名称はレニングラードである。第二次世界大戦中はドイツ軍に包囲され、数年間の包囲戦を耐えぬいた。
 氏が冬の寒い日に凍結した川の景色を撮影しようとネヴァ川に行くと、早朝にもかかわらず、老人や子どもも含めた人だかりができていて、大声で叫んでいた。通訳によれば、対岸にある古風なレンガ建ての監獄に収容されている家族や仲間、友人たちの名前を呼んでいるのである。この回は「人の情けというものは、洋の東西をとわず、時代を超えて生きているものだな、と、心が締めつけられるような気がしたことを憶えている」と記されて終わっている。
 いまでも、ほとんどのロシア人たちが、こうした心を持っているに違いないのだが…。
我が意を得たり!! [12] 2022/03/11 Fri 8394
 地元紙の投稿欄に電話で意見を言う[ハイ!こちら編集局]がある。つい先だって、「会話の末尾の『かな』不要?」という[声]が掲載された。その主は熊本市に住む80歳の男性である。
 「最近、会話の終わりに『カナ』を付ける人が多いですね』」ではじまり、政治家やスポーツ選手の「かな」を例に挙げる。そして、「聞く方は、疑問なのか反語なのか、それとも単にはやり」なのかと続け、「自分の考えを鮮明にすることを避けているのかもしれませんが、誤解を生むし、投げやりにも聞こえるし、ただしく理解できなくなります」と結論づける。本コラムで何年も前から[カナカナ症候群]の問題を絶叫し続けてきた者としては、まさに[我が意を得たり]である。
 ところで、「こんな記事が載ってるよ」と教えてくれたのは家内である。わが家では、わたしの[カナカナ症候群]に対するこだわりが日常化してきたのカナ?
三隅先生の[レビン賞受賞](3) [11] 2022/03/10 Thu 8393 昨日 [10]の続き
 授賞式(8月13日土曜日)の翌日には、三隅先生主催の受賞記念パーティが行われた。会場はわれわれ一行が宿泊していたニュー・オオタニである。学会会場と離れているため、ご招待した方々がちゃんと来てくれるだろうかとの杞憂もはずれ、多くの人々が集まり、大盛会となった。参加者全員が三隅先生の受賞を祝し、研究の話に花を咲かせた。日系のホテルで、和食をベースにした料理であったが、ケリー先生が、そこになかった、"Sake”をご希望になった。さっそくホテルマンに注文すると、兵庫県産の[地酒]がでてきたのには驚いた。こうして、今回の最大のハイライトである授賞式と記念講演、そして記念パーティと、二日にわたるスケジュールは無事に終了した。

 海外の研究者たちが去って、二次会となった。その席の冒頭挨拶で三隅先生は[レビン賞]の賞状を提示しながら、「ここにはJyuji Misumiとしか書かれていないけれど、この賞はみんなの力で手にしたものです。本当にありがとう」と挨拶された。これを聴いたとき、わたしの頭のなかには大先輩たちは言うまでもなく、仲間や後輩の顔が浮かんだ。そして[わたしの顔]も…。
三隅先生の[レビン賞受賞](2) [10] 2022/03/09 Wed 8392 昨日 [09]の続き
 [レビン賞]受賞日の夕刻にはケリー夫妻による祝賀会が行われ、三隅先生をはじめ、われわれ同行者全員がご招待を受けた。会場は授賞式とおなじボナベンチャーホテル最上階の”トップ・オブ・ファイブ”で、きらめくロスの夜景が一望できるすばらしいレストランであった。ここには、帰属理論のDr. Weiner夫妻も参加していた。ケリー教授は、三隅先生との交友にまつわる楽しいエピソードを実に懐かしそうに語られた。また、偶然近くの席に学習心理学の大御所ヒルガード博士がおり、ケリー先生の紹介であいさつを交わすなど、三隅先生も大変なご機嫌であった。同行したわれわれにも、心に残る会合になったことはいうまでもない。こうして記念すべき授賞式の夜は更けていった。

 相当に内輪的内容で恐縮するが、われわれにとっては教科書に出てくる研究者たちが列席していた。これはケリー氏の人脈の豊かさの故である。ついでながらホテルは[ターミネーター]だったか、よく知られる映画にも登場したときいた。
三隅先生の[レビン賞受賞](1) [09] 2022/03/08 Tue 8391
 「九州三隅先生の[レビン賞]受賞はわれわれにとってスーパービッグニュースだった。同賞委はグループ・ダイナミックスを創始したK. Lewinの名を冠しものであるわたしはその授賞式に同席することができた。そこで、日本グループ・ダイナミックス学会からニュースレターへの寄稿を依頼された。これまた身辺整理中に出てきた[ぐるだいニュースNo.4 1994/12/01]をご紹介したい。題して「三隅先生レヴィン賞授賞式同行記」である。

 クルト・レヴィン記念賞の授賞式は1994年8月13日土曜日15時から、ロサンゼルスのウェスティン・ボナベンチャー・ホテルで行われた。チェアマンであるUCLAのバートラム・レイヴン博士が三隅先生の業績を紹介し、賞状と記念品が贈呈された。受賞記念講演の演題は”Development of Group Dynamics in Japan and Leadership PM theoryc”である。三隅先生は淡々と、しかしきわめて自信に満ちた態度で、自らの研究について語られた。講演終了後は質問がつづき、予定された時間をオーバーするほどであった。質問者の中には、スタンフォード大学のDr.Zimbardoもいた。Dr.Raven、先生の永年の友人であるDr.Kelley夫妻、そして……、おそらくそのほかにもすごい人々が参加していたに違いない。私は思わず「これはすごい会合なんだ!」と心の中で叫んでしまった。

 Philip Zimbardoはスタンフォード大学構内に模擬監獄をつくり、被験者である看守と受刑者の行動に関する衝撃的な実験を行ったことで知られる[超有名人]である。アメリカ心理学会の会長も務めた。
 本日は1/3のところまでにしておきたい。
つっぱり[巻頭言] [08] 2022/03/07 Mon 8390 3月5日 [06]の続き
 「九州学生心理学会会報」の第五号の巻頭言をわたしが書いていた。このとき21歳、相当に気張っている。
 巻頭言「九州学生心理学会」も今回で44回を迎える。社会科学としての確立は比較的最近のことであると言われている「心理学」を学ぶ者にとって、この44回という数字はそれだけでも立派な伝統を築いたと言えるであろう。だが、昨今は「伝統」というものの地位が右に左に大きく揺れ動いている時期である。
 それは社会生活一般は勿論のこと、他ならぬ我々の学園でのそれが社会の大きな注目を浴び、その結果としてのストといったようなものを、身をもって体験された諸氏も少なくはないのではないかと思う。このことは、ただ名ばかりの「伝統」というものを保持してゆこうとする無理な姿勢に対して強い警告を発している。そのことを我々は深く顧みて、この44回を迎える「九州学生心理学会」を我々学生の生活に密着した、生きた研究・活動によって、本当の意味での「伝統」をこれからも築きあげてゆきたいものである。我々の「学会」は名ばかりの「伝統」に左右されるようなものであって欲しくないのである。
 一文が長い、文頭・文末の対応が怪しい、[つっぱり]感あふれるなど、幼い自分がほほえましい。
[軽犯罪法]あれこれ(23) [07] 2022/03/06 Sun 8389 2月27日 [30]の続き
 「二十 公衆の目に触れるような場所で公衆にけん悪の情を催させるような仕方でしり、ももその他身体の一部をみだりに露出した者」
 犯罪として「しり」や「もも」、そして「身体の一部」をみんなの前で露出していけないのである。ここでも「けん悪の情を催す」とはどのようなことなのかという声も聞こえてきそうではある。また、「わいせつ物陳列罪」なるものを聴いたことがあるが、こちらは刑法だと思うので、「軽い犯罪」ではすまない。それにしても、昔からこうした行為をする者がいたということである。
九州学生心理学会 [06] 2022/03/05 Sat 8388 
 身辺整理中に「九州学生心理学会会報」の第五号が出てきた。いまでは懐かしいタイプ印刷で発刊日は1969年12月20日、九州大学生協プリント部で刷っている。原稿を和文タイプで打ったガリ版刷りである。ガリ版や謄写版と言っても、知らない人の方が圧倒的に多いのではないか。それでも、ここでその説明までは立ち入らないでおこう。
 わたしはそこに巻頭言を書いている。それによれば、会報は五号だが、すでに44回目の大会を開催したことがわかる。1969年から引き算すると1926年になる。同じ年に複数回開催されたかどうかの記録も記憶もない。
 現在はどうなっているかと思ってWebで検索すると、今年の2月25日に西南学院大学が幹事校になって開催されていた。この時期だからオンライン方式だったのは当然である。ここには記されていないが、2019年度のHPに第112回とある。ここで引き算するのは措くとして、すでに100回を超える歴史ある学会として若者たちが活動していることを知った。
副反応と抗体 [05] 2022/03/04 Fri 8387 
 今週、3回目のワクチン接種を終えた。昨年のいまごろは予約で大混乱していたが、今回は、[いわゆるかかり付け]で打ち終えた。前回は接種場所が分離されていたが、3回目は通常の診療と同じフロアで外来患者といっしょだった。このあたりの段取りはスムーズになった。
 その後は注射針が刺さったところの痛みはしばらく残ったが、これといった[副反応]はなかった。たまたま電話してきた友人とその話になった。自分も何ということなかったが、かかり付けの医師によると「副反応が強いほど抗体ができる」と言われたという。わたしとしては「ホンマかいな」と思ってネットで検索した。国立国際医療センターによれば、「副反応とは無関係」と発信している。科学的[事実]も[絶対]ではないが、医療従事者220名に対する定期的な採血のデータによっていた。
 ともあれ、「副反応と関係がある」方が、「無関係」よりも拡がりやすいだろう。人間は自分が不安になると、それを分散し薄めたくなる。流言はそんな状況で発生し拡散する。ときには真偽は確認されないまま、[勝手に自己増殖]していく。
人災と究極の不平等 [04] 2022/03/03 Thu 8386 3月1日 [02]の続き
 戦争によって弱い立場にいる人々は死を含めた厳しい状況に追い込まれる。その点で、戦争は人類にとって最悪の[人災]である。それは攻撃を受けた側だけのことではない。国連をはじめとして、手を出したとされる国に制裁が加えれられる。それによって国の経済に悪影響を与えることが目的である。その結果、社会的・経済的に弱い立場にいる人々が深刻な影響を受ける。兵士にしても、前線で戦う者たちが命を失う。いつの世も、強い者たちは直ちに困ることはない。かくして、[人災]が、[命]を左右する究極の不平等を生み出す。
今月の写真 [03] 2022/03/02 Wed 8385 
 胡蝶蘭がお祝いなどに選ばれる理由は5点あるらしい(蘭すぐ.net)。
[1.華やかで豪華]上品な花びらでまっすぐに前を向いている。
[2.花粉と香りが少ない]飲食店、病院などでも安心して飾ることができる。水やりなどの世話があまりいらない。
[3.花持ちが良く長く楽しめる]花が1~3か月ほど咲いている。
[4.花言葉が縁起いい]「幸福が飛んでくる」。鉢植えには「根付く=社会に根付いて仕事をする」「根付く=幸せが根付く」という意味がある。
[5.栽培で時期を選ばない]一年中栽培されていて、どの季節でも美しさが変わらない。
 なあるほど。それに、「白」は清潔だし、とにかく「でかい」から、大いに目立つ。
 わたしがたくさんの胡蝶蘭をいただいたのは2014年3月21日に「最終講義」のときである。あれから8年の歳月が経ったことになる。
[人災]としての[戦争] [02] 2022/03/01 Tue 8384 
 【人災】人間の不注意や怠慢が原因で起こる災害。一般に天災とされる水害などについて、十分な対策が講じられていなかったような場合にいう。
【天災】自然によってもたらされる災害。地震・風・落雷・洪水など自然現象によって起こり、人為的に避けにくい災害。(いずれも[精選版日本国語大辞典])
 「人災」は「人間の不注意や怠慢が原因」と定義されているだけで、[戦争]の言及がないのはおかしくないか。それは明らかに人為的なものであり、【人災】中の【人災】である。人間の愚かさはどこまでいっても改善されることがない。
今月の写真 [01] 2022/03/01 Tue 8383 
 ある年の3月に家内と日光へ出かけた。東照宮と華厳の滝は定番の訪問先である。そのとき撮った[華厳の滝]の水しぶきがおもしろく写った。この時期はまだ雪が残り、落差97mの瀧の水は、まさに[華やかさ]と[厳しさ]を体現していた。あたかも、[龍]が[水の中]で天にまで昇る勢いでいるようにも見えた。明治の時代、1903年旧制一高生で、漱石の教え子でもあった藤村操が身を投げたことでも知られている。漱石は「吾輩は猫である」「草枕」で藤村について言及している。