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| [オオカミ少年]の思い込み [31] 2022/02/28 Mon 8382 オオカミ少年の話はだれもが知っている。ただし、それが[イソップ寓話]で、「オオカミが来るぞーっ」と嘘を繰り返して人々を騒がせていた。そんなことで、本当にオオカミが現れたときは、「ああまたか」とみんなが真に受けなかった。そのため、お気の毒に[少年が]食べられてしまったと。とまあ、長いことそう思っていたが、食べられたのは少年が飼っていた[羊]で、少年ではなかったようだ。この話を初めて聴いたときの内容は憶えていないが、人の[思い込み]が修正されるチャンスはけっこう少ないものである。 わたしとしては[危機管理]の視点から、「オオカミ少年が問題だとしても、彼を殺してはいけない。正直になるよう育てるべきだ」といったストーリーを考えていたことがある。しかし、このネタ話はなかったことにした方がよさそうだと苦笑いした。 |
| [軽犯罪法]あれこれ(22) [30] 2022/02/27 Sun 8381 2月20日
[23]の続き 「十八 自己の占有する場所内に、老幼、不具若しくは傷病のため扶助を必要とする者又は人の死体若しくは死胎のあることを知りながら、速やかにこれを公務員に申し出なかつた者」 法律がつくられたとき、[そのような行為ががあった]ことを示している。その時点で亡くなっている人の前に、「老幼、不具若しくは傷病のため扶助を必要とする者」を先行させている。それは、[占有]の有無を問わず、人として求められる行為である。ここで[公務員]とは基本的には警察官だろう。 [死胎]は「母親の胎内で死んだ子」(精選版 日本国語大辞典)である。刑法の「死体損壊・遺棄罪」について、[死体というのは、死亡した人の身体をいい、人の形体を備えている以上、死胎をも含む」との記述がある(世界大百科事典:コトバンク)。折から、熊本の慈恵病院における[内密出産]が国会で議論された。 国は[ガイドライン策定]の考えがあると答えた。これまで国会で[内密出産]という用語が使われたことはあったのだろうか。 なお、これに関連して、 「十九 正当な理由がなくて変死体又は死胎の現場を変えた者」が続いている。 |
| [AI]の[錯覚] [29] 2022/02/26 Sat 8380 心理学に[錯視]という現象がある。たとえば同じ長さの直線の端に向きの異なる矢を付けると長さが違って見える図はその典型的な例である。一般に[錯覚]は、物理的で客観的は刺激とは異なる感覚であり、それは聴覚や触覚、味覚などでも起こる。おそらく歴史的時間の中で、[そう感じた方が役に立つ]ことが積み重なったのだろう。 それはともあれ、「AIは錯覚できる能力」を身につけることが[できる]のだろうか。あるいは、[錯覚]を排除することがAIの条件なのか。これはそのまま「AIは感情を持つことができるのか」という疑問にまで拡がる。このまま人間がAIをコントロールし続けることができればいいとして、それが逆転することにでもなったら…。 |
| [知識・意識・行動]のワンパック [28] 2022/02/25 Fri 8379 昨日
[25]の続き 「当然のことができない」のはどうしてなのか。まず考えられることは、[知識]と[意識]の乖離である。人間は「当たり前の事実」を知っていても、それを実行するとは限らない。世の中のほぼ全員が「飲酒運転は危険だ」という[知識]はもっているはずだが、[飲酒運転]は後を絶たない。それは、行動として実践されるためには[知識]だけでは十分でないことを示している。 そこでまずは、[知識]が[意識]に転換することが必要なのである。[意識化]ができれば、それを基盤にして[行動化]への可能性が高まる。ここに至って、ようやく[知識化]から[意識化]へ、そして[行動化]への過程が完成する。この一連の流れがワンパックになれば、組織の安全も確実なものになる。 |
| [当然]ができない現実 [27] 2022/02/24 Thu 8378 「当然なされるべきことがなされていなかった」。組織において、事故や不祥事が発生した後に繰り返される言い回しである。また安全対策で高い評価を受けている組織の当事者が「当然のことをしているだけのことです」と発言する。両者は、[当然なすべきこと]で共通している。ただ、それを[していた]か[していなかった]かの一点で違っている。 世の中にはだれもが認める[なすべきこと]が少なくない。もちろん、人間の世界に[完璧≒反論ゼロ]のものはない。そもそも、[2人以上]の人間が[共に]生きていくことを前提にすれば、[完全一致]はあり得ない。お互いが[完全には不一致]のままで生きる実体だからである。ただし、この議論を続けていると先に進めない。そこでとりあえず、[だれもが認める〈当然〉がある]とさせていただこう。その上で、われわれはそれを実践できるとは限らないのである。 |
| 開高健とパニック [26] 2022/02/23 Wed 8377 昨日
[25]の続き わたしが開高健の「パニック」を読んだのは、高校生1年生のときだった。大量に発生したネズミ対策に混乱する人間世界を描いたストーリーが鮮烈だった。その後、前世紀の終わりころから、わたしは「日本列島劣化物語」を創作(?)し、講演ネタにしはじめた。その際は冒頭に「パニック」を置くことにしていた。 開髙はサントリーのCMや釣り好き、ベトナム戦争取材などでも知られる。私が聴いた放送では、「書くことは解釈」であることを強調し、「事実はひとつ解釈は無数という言葉があるんです」と語っている。その後で、「作者が自分の作品を語ると嘘ばっかり言うんです」と、世界的に知られる作家の名前も挙げて笑わせる。その真偽は措くとして、「事実はひとつ解釈は無数」の視点は人間理解の原点でもある。わたしも「人は客観的な事実に自分の、あるいは自分たちの意味づけをして生きている」と考えている。 |
| 開高健とフランクル [25] 2022/02/22 Tue 8376 作家開高健の話をNHKラジオで聴いた。戦後の生活について、「戦争中はお上の統制があるからみんな食えない。敗戦後は自由競争ですから、食えるヤツは食えるが食えない役は食えない」と語る。そして、「大阪のターミナルの地下街でおとながドンドン死んでいくんです」と言い、「これは気力の問題だと思うんですね。単に食料がないだけではない。宗教やイデオロギーがあれば亡くならないのではないか」と続ける。 この発言はフランクルの「夜と霧」を思い起こさせた。ナチの強制収容所から奇跡の生還を遂げた精神科医の著書である。わたしは学生のときにこれを読んだ。そこでは、自分の人生に意味を見つけ出し、一瞬一瞬を大事に生きること、未来に希望をもつことの大事さが強調されていたと記憶している。[開高の引用はわたしの手書きメモによる] |
| [失われた年数]記録更新 [24] 2022/02/21 Mon 8375 IMF(際通貨基金)は、2022年の世界の実質成長率を4.4%と予測した(熊本日日新聞1月27日)。昨年10月の数値から0.5ポイント低下している。これは[オミクロン株]のために経済活動が改めて制限されたことによる。アメリカでは歴史的な物価高騰に直面し、中国も成長率が鈍化している。個別に見ると、アメリカは5.6%、ユーロ圏は5.2%、中国は8.1%だが、わが国は1.6%である。 日本が[失われた年数]の記録を伸ばし続けていることは[周知の事実]である。また、[成長率至上主義]に対する批判もある。いずれにしても、その理由がはっきりしたようなしないような、あるいは百家争鳴(?)状態が続いている。このままでは、国の劣化加速度は強まるばかりである。「大災害が起きれば日本は世界の最貧国になる」。そんな予測をした地震学者がいたが、それが現実味を帯びてきた。 |
| [軽犯罪法]あれこれ(21) [23] 2022/02/20 Sun 8374 2月13日
[16]の続き 「十七 質入又は古物の売買若しくは交換に関する帳簿に、法令により記載すべき氏名、住居、職業その他の事項につき虚偽の申立をして不実の記載をさせた者」 われわれが若いころ、[質屋]の看板はあちこちで見かけた。それなりに価値のあるもの、たとえば腕時計を持参して[質入れ]する。質屋はその品を査定して、お金を融通するのである。時計などは[質草]と呼ばれていた。当時は1割くらいの利子がついたのではないか。契約した日までに返金できなければ[質草]は流れて質屋のものとなる。ただし、利子分だけ払えば期間が延ばせたのではないか。 わたしは質屋を利用したことはなかったが、[質屋通い]を日常とする友人がいた。そのうち、いわゆる[サラ金]が登場して、[質屋]は消えたかに思えた。しかし、最近はテレビで[質屋]のCMを目にする。お金を借りるのに、[質草=担保]が必要で、金を返せなければ預けたものが戻ってこないだけで終わる。その点、無担保は危ういのである。 つい質屋の思い出になって、17項の内容はそっちのけになった。これは古物の売買を含めて盗品などを持ち込む犯罪を防止することが目的だったのだろう。「嘘を言って、質屋に事実でないことを書かせた者」が軽犯罪法の対象になるのである。ついでながら[盗品]が判明した場合、質屋は本来の持主に返還しなければならないと聴いた記憶がある。 |
| 小林秀雄とパスカルと三隅先生 [22] 2022/02/19 Sat 8373 小林秀雄に「直観を磨くもの」という対話集がある。相手には科学者の湯川秀樹や日本画家の梅原龍三郎なども含まれる。対話は「パスカルに於ける人間の研究」を書いた哲学者三木清からはじまる。小林は三木に対して、「パスカルは、ものを考える原始人みたいなところがある。何かに率直に驚いて、すぐそこから真っすぐに考えはじめるというようなところがある。いろいろなことを気にしないで……」と語る(新潮文庫p12)。 ここを読んだときき、わたしは三隅先生を思い出した。先生は「考えはじめる」だけでなく「行動しはじめる」も加えて、[まるでパスカル]だったのである。先生が小林秀雄のカセットテープ集を車で聴いておられたことも憶えている。あるとき同乗したわたしに「小林秀雄はおもしろいんだよ」と言われた。先生が小林のパスカル観をご存じだったか、そして自分が[まるでパスカル]と思われていたかは、わからない。 |
| [ドッグ]とリセット [21] 2022/02/18 Fri 8372 今年も[第38回目の人間ドック]が終了した。母が47歳で手術ミスのために亡くなったのは49年前である。胃がんが発見されて手術を受けたのだった。そんな体験もあって、36歳になったときから[人間ドック]は年中行事になった。共済組合から受診の補助が出る年齢に達したためである。 数年前から宿泊コースがなくなり、2日間の通院となった。二日目には[趣味の胃カメラ]がある。とにかくカメラを[飲み込む]のが得意で、これは自慢に値すると確信している。カメラが口から引き出されてベッドから降りる。そこで、「とくに問題はありません」という医師の一言を聴くことで、毎年リセットとなる。生きている限り、細胞は分裂を続け、それがガン化する確率は確実に増える。すっかり馴染みになった看護師さんから「また来年」と声をかけられた。これから先、どのくらいまで[ドック受診回数]は伸びるだろうか。 |
| [檄文]の背景 [20] 2022/02/17 Thu 8371 昨日「19」の続き 部屋の張り紙からは、学業に苦悶している様子が伝わってくる。しかし、現実のわたしは取らなくてもいい授業も受けまくっていた。そして、「明日は生きていないかもしれない。一瞬一瞬を悔いなきものにすべし」などと言いながら、大学生活を送っていたのである。また、高校3年生のときに、先生から勧められて「特別奨学生」の試験を受けてパスしていた。これは大学合格を条件に、当時としては破格の月額8,000円を奨学金として支給される制度である。大学生の生活費が15,000円ほどだったから、それは大きな額だった。両親も孝行息子(?)と思ってくれたはずである。 こうした恵まれた環境にいたから、不満など生まれるはずもなかった。ただ、入学してしばらくしたから、大学は全国的に不穏な様相を呈しはじめていた。いわゆる、[第二次安保闘争]が1970年の条約改訂を3年後に控えて盛り上がり、自分の周辺も騒然となってきたのである。入学したときからの友人にも闘争に加わる者がいて、「お前、体制側を支えるエセ学問などしてる場合か」などと言われることもあった。わが部屋の[檄文]は、こうした状況で壁に貼り付けられたのである。 |
| 部屋の張り紙 [19] 2022/02/16 Wed 8370 わたしは学生時代に父が関わる組織の子弟寮で生活していた。その六畳間の写真が出てきた。出入り口と押し入れ上の壁に何かを書いた紙が数枚貼ってある。それを拡大するとぼんやりながら読み取れた。 大学生よ、お前が勉強しなければお前の生きている意味は一体何処にあるというのだ! 勉強をしない、勉強が嫌いで何が大学生だ! 馬鹿にするのもいい加減にしろ! お前と同じ歳で世に勤めている者もいるのだ! 勉強が嫌いなら今日にでも大学をやめてしまえ! 大学に来る資格がお前にはない! もう1枚は、 日本育英会奨学生として恥じることのない学生生活を送れ! さらに柱にも張り紙がある。 1968年3月4日お前は決心した。悔いなき人生を送ると! いかにも若者らしい過激な表現で、自分を叱咤激励していることが伝わってきて、思わず笑みがこぼれた。 |
| 「あの羽生さんが…」 [18] 2022/02/15 Tue 8369 わたしは将棋のコマの進行方向は知っているが、その醍醐味はわからない。それでも、藤井聡太五冠には大いに関心がある。まだ19歳の若者だが、将棋をしない者にとってもすでに著名人である。その実力は群を抜いていて、錚々たるプロたちをも驚かせている。これからどうなるか、その一戦ごとに注目を浴び続けるに違いない。 その一方で、羽生善治九段がA級から陥落したニュースも流れた。伝統の将棋界で[A級]とアルファベットが使われるのも興味深いが、その定員は10名で、このメンバーであることがトップ棋士の証とされる。それを決める順位戦で羽生氏は通算2勝6敗と精彩を欠いた。その結果、B級へ陥落となったのである。A級の在籍は29期連続で途絶えるが、これは歴代4位だという。かつて七冠独占を誇った「あの羽生さんが」である。羽生氏も51歳となり、時代が移っていることを感じさせる。 |
| [ケチケチ]と[心] [17] 2022/02/14 Mon 8368 何気なくテレビのスイッチを入れると、 [ケチケチ生活のすすめ]といったタイトルで、で70代の女性の一日をフォローしていた。毎日が1000円以内で過ごしているという。こまかいことは措いて、食べ物はもちろん、若いころの服や親が着ていたものも使い続けている。もちろん、着た切り雀のヨレヨレではなく、保管状態がしっかりしていて見栄えに問題はない。そうした生活の一方でときおり海外に出かかるのを楽しみにしている。つまりは[使うときは、しっかり有効に使う]のである。そんな情報を前にして、「この人は[心は裕福]なんだなあ」と思った。 大坂弁で[ケチ]と[渋ちん]は違うと聞いたことがある。後者は、ただただ[使わない]ことにのみに価値を置き、それ自身が[目的]になっている。こころの裕福さは何物にも代えがたい。 |
| [軽犯罪法]あれこれ(20) [16] 2022/02/13 Sun 8367 2月6日
[9]の続き 「十六 虚構の犯罪又は災害の事実を公務員に申し出た者」 きわめて短文の項である。人は嘘をついてはいけない。「嘘も方便」とはいうけれど、[犯罪]や[災害]についてこれをしてはいけないのである。ただし、ここではその相手が[公務員]となっている。それなら[民間人]に対してならいいのかと確かめたくはなる。この[公務員]の代表は警察官だろう。虚偽であっても、公務員が何らかの対応をすれば、その労力が必要になり時間も使う。つまりは税金が使われるのである。これはいけない。 ときおり、自作自演の犯罪が報道される。自分が被害に遭ったと訴えるのだが、調べてみると虚偽だったというケースである。これも[虚構の犯罪]になるのだろう。 |
| [連結ピン]と[マルチリンガル] [15] 2022/02/12 Sat 8366 [連結ピン(linking pin)]というものがある。これはLikertの〝 The Human Organization: Its Management and Value(1967)〟の中で提示されている。これを翻訳した「経営の行動科学」がダイヤモンド社から出版された。監訳者は三隅先生である。 [ピン]とは、組織において、「上」と「下」の真ん中にあって、両者を[連結する]役割を担っているものを指している。一般的には[管理職]や[リーダー]がこれに当たる。その[つなぎピン]がしっかりしていないと上下の組織はぷらぷらと揺れ動くか、最悪の場合は離脱する。 したがって[ピンの品質]が重要であることは言うまでもない。そして、それを左右するのは「コミュニケーション力」である。それも[上下]だけでなく「左右」のコミュニケーションも含まれるから、[バイリンガル]ではなく、[マルチリンガル]であることが求められる。同時翻訳は[そのまま]伝えることが仕事だろう。しかし、組織の[マルチリンガル]は、受け止め、発信する情報のすべてを、相手が理解、納得できる[翻訳]をする必要がある。もちろん、個人の主観で[翻訳]するのではお話にならない。それでは歪みが生じて[ピン]が外れるだけである。ともあれ、[ピンの「品質]は[対人関係力]が決め手になる。
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| [体罰]と教育令 [13] 2022/02/10 Thu 8364 教員による体罰の報道がなくならない。熊本市でも日付をメモしていないが、一昨年だったか、市立の小中高校で合わせて27件の体罰があった。これは前年度から12件の増加だという。その内容は「平手で殴る、たたく」「足で蹴る」「小突く」「転倒させる」などで、ほぼ半数が授業中である。児童生徒がけがをしたケースもあり、戒告や減給などの処分を受ける者が出ている。熊本市はそれまで報告を求めていなかった、保護者が納得しているケースについても市教委に報告するよう変更した。弁護士やPTA関係者が事例をチェックする方式も導入している。 報道では、ほぼすべてが[本人が反省している]で終わる。しかしこれを防止するには、その経過や原因を押さえることが欠かせない。わたし自身はデータをもっていないが、体罰は繰り返される傾向があるのではないか。 「凡学校ニ於テハ生徒ニ体罰殴チ或ハ縛スルノ類ヲ加フヘカラス(教育令46条 1879 年/明治12年)」。体罰は学校制度がはじまった当初から禁止されていた。 |
| [w][v][f] [12] 2022/02/09 Wed 8363 グループ・ダイナミックスの創始者 Kurt Lewin は[クルト・レビン]と書くことが多い。しかし、人によっては「レヴィン」と表記する。われわれ世代には、「そう、『レヴィン』なんだよなあ」と違和感がない。これは、〝w〟だけでなく、〝v〟や〝f〟も似たような状況がある。そして、今日でも「ヴィ」と書いているものはある。トヨタの「ヴィッツ」はその代表の一つで、〝Vitz〟と表記されている。因みに、この名前は「英語の『Vivid(鮮やかな)』とドイツ語で『才気、機知』という意味の『Wit』を掛け合わせた造語」だという(由来島.jp)。 その次に思い浮かんだのは森鴎外の「ヴィタ・セクスアリス」という「書名」だった。青年期の私にとって、その「タイトル」は興味をそそるものだった。私が中学生から高校のころは夏目漱石や芥川龍之介、森鴎外などのいわゆる古典的(?)名作を読んだ。もちろん現代作家のものにも手を出した。その中には大江健三郎や開高健、さらには石原慎太郎などの作品もある。高校に入ってから、こうした作家たちのデビュー作もそこそこかじった。川端康成の小説もけっこうな数に上る。しかし「ヴィタ・セクスアリス」は読まなかった。それは岩波文庫にも入っていたが、私には「タイトル」が刺激的すぎた。 |
| 「はずかしい」は本能? [11] 2022/02/08 Tue 8362 わたしが「はずかしい」ということばを知ったのはいつのことだろう。おそらく[何かをした]ときに、だれかから「はずかしいことをするな」と言われたのではないか。それは、生まれてはじめて「はずかしい行為」をしたときだったのか、それまでも同じようなことをしていたが、何回目かにそう言われたのかはわからない。 そもそも、「はずかしい」と感じるのは「本能」なのだろうか。サルや猫、犬たちも「はずかしい」という感情をもっているのだろうか。これまた興味深いが、それは少なくとも社会的関係の中で生じるものである。そこに「相手」の存在がある。それも一人であったり、集団や組織、さらに社会であったりする。 |
| 日大への補助金カット [10] 2022/02/07 Mon 8361 私立大学への補助金配付を決める日本私立学校振興共済事業団は日大への補助金を全額カットすると発表した。これを受けて日大は、これを理由とした学費の値上げは一切行わないとコメントしている。学生や保護者にはまったく責任のないことで当然である。ただ、その額が単年度の90億円だけでなく、その後も数年に亘ってカットが続くという。それも体制の改善が認められてのことである。そうなると、値上げはないにしても、それがあればできたであろう様々な教育サービスに影響が出るのは避けられない。この世に[打ち出の小槌]はないのである。 まずは、こうした状態が続いていた原因を押さえることがすべてのはじまりになる。わたしのワンパターン分析では、組織に「言いたいことが言えない」「言っても聞いてもらえなかい」空気が充満していたに違いない。 |
| [軽犯罪法]あれこれ(19) [9] 2022/02/06 Sun 8360 1月30日
[101]の続き 「十五 官公職、位階勲等、学位その他法令により定められた称号若しくは外国におけるこれらに準ずるものを詐称し、又は資格がないのにかかわらず、法令により定められた制服若しくは勲章、記章その他の標章若しくはこれらに似せて作つた物を用いた者」 いわゆる「詐称」をしてはいけないだけでなく、「偽の制服」などを着るのも御法度なのである。ここで「法令で定められた」ものはけっこうたくさんある。ご関心があればチェックされると楽しいかもしれない。 ときおり、政治家や芸能人などが、公表した「経歴」「学歴」で問題視されることがある。ともあれインチキはいけない。学会でも、いつだったか「外国で取得した博士号」なるものが出現し問題になった。わたしも、「学位取れますよ」といった内容のメールを受け取った記憶がある。怪しげなものはありとあらゆるところでひしめいているんですね。 |
| 警官とカメラ [8] 2022/02/05 Sat 8359 文化によって、人の行動、そして制度に様々な違いが生まれる。アメリカでは銃による殺人が頻繁に起きる。それでも完全な銃規制は不可能に近い。自分の身は自分で守るといった、建国以来の価値観が根底にあるという。 犯罪に対して警察官が銃を使用することも稀ではない。そうした中で、黒人に対する警官の発砲が事件になるケースもある。アメリカでは警察官の体にカメラが装着されているようで、問題が起きるとその様子を撮ったビデオがニュースで流れる。さらに、発砲した警察官の顔写真も映し出される。裁判になれば、それも映像になる。こうした手続には、こまかい規定や約束事があるのだろうが、とにかく彼我の間にはきわめて大きな違いがある。 |
| 生きものの起源から組織へ [7] 2022/02/04 Fir 8358 生きるという現象は[化学反応]を繰り返すことである。そもそもは、地球において無数の[化学反応]が繰り返され続けた。そうした反応が特定の物質で囲まれることがあった。それが細胞の起源であり、囲んでいるのが細胞膜である。こうして細胞は外界との化学反応をはじめた。つまりは、外からものを取り入れ、それを化学反応によって処理し、不要になったものを外界へと排泄する。 ここで興味深いのは、その[排泄物]を取り入れて[生命]を維持する別の[生命体]が生まれることである。太陽のエネルギーを取り込んで化学反応によって酸素を[排泄する]ものがいれば、その酸素を生きる素にするものも生まれる。とまあ、これくらいまでは素人でも了解できるが、これ以上こまかいことまで言及すると素人の化けの皮が剥がれてしまう。 ただ、人間という生きものとそれから構成される組織について考えている者としては、このあたりからおもしろくてたまらない。 |
| 傘いらず [6] 2022/02/03 Thu 8357 昔と比べて[雨量]は増えたと思うが、「年間の降水日数」はどうなのだろう。わたしの場合、傘を使用する頻度が激減した。 それにしても現代は何という時代だろう。たとえば東京に出かけるときである。ここでは福岡空港経由で考えてみよう。まずは熊本駅にタクシーを使うが、自宅の1階が駐車場だから傘いらずである。熊本駅で降車するときも、傘なしですませられる。博多駅に着くと地下鉄で空港に向かうから雨とは無縁状態が続く。 そして羽田からも京急やモノレールで目的地まで移動する。この距離だから、九州と関東で同時に雨が降っている確率はかなり低い。さらに、最寄りの駅から地下道を通れば目的地のビルやホテルだったりもする。 つまりは、傘を使う機会が激減したというお話でした。長さの割にはどうでもいい内容で申し訳ございません。 |
| パワハラ相談員のパワハラ [5] 2022/02/03 Thu 8356 昨年3月、「パワハラ相談員がパワハラ」という見出しが載った(日本経済新聞3月29日Web)。これが厚生省の政策統括官の行為とのことだから嘆かわしい。 関係者によれば、一人の部下に対して「つぶしてもいいの?」「死ねっつったら死ぬのか」「何様のつもりだ」などと暴言を浴びせたり無視したりしたという。こうした中で、部下はうつ病を発症して休職、最終的には退職した。これが公務災害と認定されたようだ。 その時点と重なりがあるのかはっきりしないが、ご本人が「パワハラ相談員」だったというのだから言葉を失う。この事実を「関係者」は認識していたと思われるが、病気になるまで対応がなされなかったのだろうか。そうであれば、その集団的な要因を含めて分析することが必要である。 |
| [失敗]は必須 [4] 2022/02/02 Wed 8355 【失敗】を国語辞典で引いてみた。 [精選版 日本国語大辞典]物事をしそこなうこと。やり方、方法などを誤って目的とはちがった結果になること。しくじり。やりそこない。 [広辞苑]やってみたが、うまくいかないこと。しそこなうこと。しそこない。しくじり。 [明鏡国語辞典]予期・計画のとおりにいかず、目的が達せられないこと。 いやはや、いずれも判を押したように[散々]な意味が並んでいる。これは[辞の解説本]だから仕方がないが、およそ人間の行為や思考に[失敗がない]ものがあるのだろうか。「失敗は成功の母(もと)」と言うが、これも失敗したときの慰みの含みがある。本当は、成功しようがしまいが、[失敗]は必ずくっついてくるのである。 わたしは、あらゆることに「失敗は必須であり、失敗なくして目標達成はあり得ない」という認識からはじめるべきだと考えている。 |
| 今月の写真(2) [3] 2022/02/02 Wed 8354 [パークドーム熊本]は熊本県民総合運動公園内にある。構造的には東京ドームと同じ空気膜で天井を支える。ただし、二枚の膜の間にある空間の気圧を高める二重空気膜方式としては世界初だった。これによって、利用者がいる空間は加圧されないという、けっこうすごいものである。グラウンドは120m×106mでサッカーが一面取れる広さで、天井までは32mある。竣工は1997年で、世界男子ハンドボール選手権の会場になった。わたしもこのときはじめて入場した。熊本空港に着陸する際は、これを観て「熊本に帰った」気分になる。 |
| 今月の写真(1) [2] 2022/02/01 Tue 8353 [熊本丸]は熊本県立天草拓心高等学校の練習船である。これは五代目で、2019年2月23日に竣工式が行われた。当時、わたしは県の教育委員だったことから、大事な式に立ち会うことができた。船内もしっかり見学した。船体の煙突部分には[くまモン]が描かれている。熊本には世界最大級のカルデラに囲まれた阿蘇山とイルカウォッチングまでできる天草もある。まさに山海の味にあふれる県なのだ。 |
| [満足]の相対性 [1] 2022/02/01 Tue 8352 人の満足度は相対的なものです。たとえば、陸上競技のトップ選手は100m走で10秒を切らなければ満足できないかもしれません。しかし、わたしなら100m走れるだけで大満足です。もっとも、前期高齢者後期になったいまではそれも不可能ですが。 ともあれ、外から観察すれば「同じこと」でも、それに満足できる人とそうでない人がいます。もちろん、人によって見方や考え方が違って当然です。 そんなわけで、あることに「満足している」と答えても、それがほかの人たちと「同じ程度なのかどうか」わかりません。そもそも人のこころには重さや長さのように「だれが測っても同じになる物差しや基準」はありません。こうした評価は満足度に限らず、個性的相対的であり、それでいいのです。 それでも、「満足している」「楽しい」「素敵」だと思っていれば、それはプラスの態度をもっている証だと言えるでしょう。そして、個々人のプラスの程度がどのくらいであろうと、多くの人が「満足している」と言っている組織や集団であれば、それだけで「満足」していいですよね。 |