係り助詞「も」と情緒 [33] 2021/09/30 Thu 8176
「〇〇に賛成する人が8割いる」と「反対者が2割いる」は、単なる引き算の関係にあるから、どちらも正しい。ただ、これに係助詞「も」が付くとどうなるか。デジタル大辞泉では、5番目の義として「驚き・感動の意を表す」と記されている。この一文字で客観的数値が情緒的に変わる。
コロナワクチンの質問に「接種しない」との回答が「2割にも達した」といった表現で情報が流されたらしい。わたしは自分の目で確認していないが、それが事実だとすれば、きわめて情緒的な言い回しである。発信者の情緒が影響して、その内容について主張あるいはアピールしているのである。
そもそも、ワクチン接種についての質問にどのような選択肢が準備されていたのだろうか。たとえば、「接種したい」「したくない」だったとすれば、その結果から接種の有無を予測するのはけっこう危うい。「接種したくない」回答者の中にも接種する者が出る可能性は大いにある。もちろん、逆も真なりである。しかし、だからといって[±で相殺=帳消し]ではお話にならない。
選択肢を「必ず接種する」「絶対に接種しない」の二者択一にしたらどうなるだろう。そうなると、「わからない」「まだ決めていない」が圧倒的に増えるだろうか。わたしはこんなことをいつも考えながら[世の中の数値]をながめている。 |
目標の小条件(6) [32] 2021/09/29 Wed 8175 昨7月19日 [29]の続き
「目標に求められる小条件」の6つ目は、「達成後のご褒美」である。有森裕子選手がアトランタのマラソンで銀メダルを取った際に、インタビューで「自分をほめたいと思います」と語って話題になった。その元はフォーク歌手高石ともやの誌の中にあるらしい。
ともあれ、[ご褒美]をもらう機会を増やすためには目標は小さいほうがいい。デッカい目標を達成すれば喜びもデッカくなる。だから、大きな目標を設定することはけっこうなことではある。ただし、わたしのような一般ピープルには、小さな目標が性分にあっている。それは「千里の道も一歩から」スピリットである。そして、[足を踏み出した]だけでも自分をほめればいい。
何分にも目標が小さいから、それが成功しても他人さまが気づくことはない。しかし、目標は自分のために決めるものである。それでも、「達成」したときは「大きな一区切り」なのだから、「ほめられる」に値する。それができるのは「自分」しかいない。 |
歴史に対する背信 [31] 2021/09/28 Tue 8174 昨日 [30]の続き
福田元首相が、講演で「文書改ざん」を「法を覆す」として批判したという記事が載っていた(7月2日 熊本日日新聞)。文書等が改ざんされた問題について、「法の制度も理念も覆す事件」であり、「国民に対する背信と言わざるを得ない」と指摘した。
ローマの[記録抹殺刑]は皇帝の所業を消し去ることで、その存在を否定するものである。その時代に生きる者の評価、今風に言えば[世論]なるだろうが、歴史としてみれば[一瞬]にもならない時間に存在していた価値観で記録を抹消するのは問題である。それは正負を問わず、「あったことをなかったことにする行為」である。それでは「歴史に学ぶ」ことができなくなる。
かの大戦末期には彼我を問わず多くの文書が廃棄された事実がある。そのほとんどは存在が明らかになるとまずいものだったに違いない。これは廃棄の問題だが、改ざんに至っては事実を歪める行為である。いずれにしても、「国民に対して」のみならず、「歴史に対する背信」と言える。 |
記録を抹殺する[刑] [30] 2021/09/27 Mon 8173
ローマ帝国には、塩野七生の意訳で「記録抹殺刑」と呼ばれる刑罰があった(「ローマ人の物語(文庫版23)」)。これは元老院による皇帝弾劾の制度である。その決定がなされると、[皇帝の像はすべて破壊される][あらゆる公式記録、碑文から名前が消される][その子孫は末代に至るまで、個人名として認められていたインペラトールを名乗る権利を剥奪される][治世中に元老院の可決を待たずに発布された勅令は廃棄される]ことになる。
[インペラトール]の歴史的な意味合いはけっこう複雑だが、ともあれ名誉ある呼称の使用禁止を子孫にまで適用するというのだからいかにも厳しい。この[皇帝不適格者]の烙印を押されたのは、ネロとドミティアヌスの2人である。その経緯については、塩野の著書に譲るとして、わたしには、個人の記録が抹殺される[刑罰]が存在していたことが衝撃的だった。一人の人間の存在を否定することのすさまじさへの驚きもあるが、すべてではないにしても、公式記録を歴史から消し去ってしまうことに対する疑問が浮かぶのである。 |
国語辞典の冷徹さ [29] 2021/09/26 Sun 8172
【保護色:《精選版 日本国語大辞典》動物の隠蔽職の一つ。生活環境の背景のなかにとけこませることにより、他から発見されにくくする効果を持つ。被食者が捕食者からのがれるのに役立つ色彩の場合にいう。 《広辞苑》⇒隠蔽色:動物の体の色彩で、周囲の色彩とまぎらわしく、他動物に気づかれにくいもの。被食者の場合は保護色ともいう。ヒョウ・トラの斑紋、カマキリの緑色の類。 《明鏡国語辞典》動物が外敵の目からのがれるためにもつと考えられる体色や模様。環境に応じて体色を変えるものもある。➣アマガエル・カメレオン。ライチョウ・エチゴウサギなど、その例は多い。[CASIO
EX-word XD-A10000] 】
国語辞典は人間の自己中心的冷たさに徹しているように思われる。[精選版 日本国語大辞典]はいきなり[隠蔽色の一つ」と来る。これが[広辞苑]では[保護色]に語義の記載はなく[⇒隠蔽色にジャンプ]なのである。つまりは、「それは[隠蔽色]と言うんだよ]というわけだ。[明解国語辞典]に至って、ようやく[ホッ]とする。しかし、これにしても、「外敵の目からのがれる」ではなく、「外敵から身を守るために」ではまずいのだろうか。
こんな言いがかり(?)に、執筆者たちは「日本語の現実を記したまで」と答えるのだろう。
地球上の生きものたちが、気の遠くなる時間をかけて身につけてきた生存のための成果を[隠蔽]で切り捨てるのはいかがなものか。わたしは子どもたちにこんな説明はしたくない。 |
情報機器の進歩 [28] 2021/09/25 Sat 8171 9月10日 [13]の続き
情報機器にかかわる分野における進歩の速さには今更ながら驚かざるを得ない。デジカメも出始めのころはまるでモザイクで、とても使えないと思っていた。ところがそのうちに画素数が倍々ゲーム的に増え続けた。その結果、いつの間にかフィルムを駆逐してしまう。今でもフィルムという名前はついているが、富士フイルムはかなり以前に映画のフィルムから撤退した。
わたしが子どものころ、宇津井健が演じる「スーパージャイアンツ」という超人の映画があった。街中や宇宙空間を飛ぶジャイアンツはロープで吊って撮影し、それを背景と合成した。このテクニック、いまではバーチャル映像として素人でもリモートで使っている。当時はそのためにコニカのカラー撮影機で3原色に分解して映像化したという。もう60年以上も前の物語だ。コニカと言えば、さくらカラーで一世を風靡した小西六写真工業のことである。現在は[コニカ
ミノルタ]になっているが、キーボードで[konishiroku(こにしろく)]と入力したところ、「子に白く」にしか変換しなかったのはいささかショックだった。 |
形だけの評価では… [27] 2021/09/24 Fri 8170
原子力規制委員会の「健全な安全文化の育成と維持に係るガイド(2019年12月)の[補足説明25]に「安全文化に関する状態の評価について」の記述がある。その冒頭で、「安全文化に関する状態の評価」は、「安全パフォーマンスに影響を与える組織固有の文化的パターン及び安全文化に関する学習や分析への一人一人の貢献に依存する」ことから、「組織の安全文化に関心が低いまま評価を形だけ実施したとしても、安全文化の改善には実態が伴わないことが多いと考えられている」と指摘する。
それぞれの組織で、「自分たちにとって[安全]とは何か、どんな状態を[安全]と定義するのか」について共通認識が成立していることが前提になるのである。そうした、[合意された基準]がなければ、[評価]そのものが成立しない。ましてや、[構成員の関心が低い」というのでは、[評価]以前の状況である。
組織のトップは言うまでもなく、職場を統率するリーダーは、現状をモニターしながら、基本の維持・向上に努め続けなければならない。ここで「関心が低いのは困ったものだ」などと嘆き、手を拱いているようでは先が思いやられる。 |
中高生の[質屋通い」? [26] 2021/09/23 Thu 8169
「十代から質屋通い そのうち高校、中学生が筆頭」という見出しが躍っている。このごろは、「質店」のCMが流れているが、言葉としてはわれわれ世代のものだろう。これは1954年8月26日の新聞記事である。熊本日日新聞が夕刊で「紙面プレーバック」とのタイトルを付けて、[昔のその日]の記事を取り上げて連載している。
記事は、「十代の犯罪の激増が子を持つ親の心痛の種となっているとき」ではじまる。敗戦から10年も経っていないが、若者、とりわけ十代の犯罪が[激増]しているというから、世の中で大きな問題になっていたのだろう。警察としては「青少年不良化防止」を目的に調査をしたらしい。
その結果、20歳以下の青少年320人が質屋通いをしていた。男子が297名で圧倒的に多いが、目的は映画や飲食、遊興費だった。もっとも多かったのは19歳の105名だから高校生ではない。また、見出しの「中学生」に当たるのは15歳6名、14歳1名で、まあ困ったことではあるが、[筆頭]に含めるのには疑問が残る。因みに、この年の高校進学率が初めて50%を超えている。その後は伸び続けて、2020年度は98.8%だった(文科省「学校基本調査」)。 |
[相互依存のパラドックス] [25] 2021/09/22 Wed 8168 9月11日 [14]の続き
集団の成員数が少ないときは相互依存の範囲は狭く、その影響も限定的である。組織が大きくなるにつれて、構成員がお互いに依存し、影響を与える範囲と程度は拡大する。その一方で、互いの顔が見えにくになり、依存しあっているという意識も希薄になる。
わたしはこれを[相互依存性のパラドックス]と呼んできた。それは、[お互いが依存し合えばし合うほど、そのことに気づかなくなる]現象である。個人の生活では、すべての行為に伴うものが他者が創ったものである。朝一番にうがいをして歯を磨くことからして、その背景には、水を供給する人、歯ブラシをつくった人たちがいる。そもそも家がなければ洗面所そのものが存在しない。かくして、朝から晩まで人のおかげなしでは、一瞬たりとも生きていけないにもかかわらず、そんな存在は頭にも浮かばない。そして、「自分は自立し、独立した自由な人間だ」と思ってしまう。
こうした精神構造が個人から組織に拡大すると、些細なミスや事故を重大なものにする落とし穴になる。 |
メダルのオークション [24] 2021/09/21 Tue 8167
オリンピックで獲得した銀メダルをポーランドの女子やり投げ選手がオークションに出した。生後8ヶ月の男児が受ける心臓手術の費用のためだという(8月26日熊本日日新聞夕刊)。
いかにも怪しいものや詐欺まがいの出品、このときぞと金儲けを図るといった嘆かわしいニュースの多いなかで、こんな話に接すると
「ほっ」とする。これに地元のコンビニチェーンが応えて落札し、メダルは本人に返したというから、さらにいい話になった。終わってみれば「めでたし、めでたし」の物語である。
世の中には、こうした行為ができる人がどのくらいいるのだろうか。わたしなんぞ、メダルとは完璧に無縁だが、人生でもきわめて大事なもので同じような発想と行動ができるかと自問すれば、[イエス]とはとても言えない。 |
[偶然]でも[神様のいたずら]でもない [23] 2021/09/20 Mon 8166
台風14号が福岡に[上陸]したが、これは[史上初]という。福岡は九州にあるから、台風が通過することはめずらしくはない。ただ、ここに海から[上陸]することはなかったということだ。わたしが子どものころ、鹿児島や宮﨑は[台風銀座]と呼ばれていた。おそらく四国も同じ状況だった。それが、いつのころからか台風に妙な動きをしはじめた。
数年前には南の海から関東に上陸してから西に向かったものまで出現した。このとき、わたしは台風が東京に上陸する寸前に羽田から熊本へ飛ぶ便に乗った。その後の便は軒並み欠航したはずだ。翌日に天草で教員免許更新講習があり、帰熊後はそのまま出かけたのだが、この台風はその天草まで追っかけてきた。こんなことは常識では考えられないことで、専門家も予測していなかっただろう。
今や、われわれは、こうした事態を[偶然]や[神様のいたずら]のせいにして笑っている余裕などない。それどころか、これも[われわれのせい]に違いない。
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攻める側の支持率 [22] 2021/09/19 Sun 8165
わが国の政治状況が、たとえばアメリカやイギリスで起きていれば、つぎの選挙で与野党が逆転するのは必然のように思える。ところが、この国では政権の支持率が低下の一途を辿っていても、それに反比例して野党の支持率が伸びない状況が続いている。
これには様々な理由が考えられる。その最大のものは、あの政権時代の[外傷体験]ではないか。こまかいことは抜きにして、いまだに[あのときのこと]が日常的な会話に出てきたりする。それに加えて、登場人物に変化が見えないのも大きい。みんなで一致団結はいいが、写真を見るとあのときの人たちの揃い組である。
攻める側には、とりわけ新鮮さと躍動感が求められる。そのために、人を育てて彼らが前面に出るようにしておかないと、大きなうねりは創れない。相手を[長老支配]と批判しても迫力を欠く。
それに、[この人]がそのままいてくれれば流れが変わると期待したご当人が退いてしまった。その結果、国民的には知名度の高い人物が前面に出てきた。その上、相対的に若手たちが発言して、各グループで自主投票的雰囲気が生まれた。これでは、[変化]のイメージでも負けてしまわないか。 |
「感想B」 [21] 2021/09/18 Sat 8164 昨日 [20]の続き
半世紀も[身辺整理]からまぬがれた書籍の一つに、吉田健一著「感想B(垂水書房)」がある。奥付によれば[1966年10月20日 第1刷發行]で定価700円である。わたしが大学生になった67年に購入したと思われるから50年以上が経過している。著者は英文学を中心した文芸評論家で吉田茂元首相の子どもである。
わたしがこの本を購入した動機はわからない。タイトルの「感想B」の由来も不明だが、複数の新聞に連載したコラムが1冊にまとめられている。そのときどきの話題を取り上げた皮肉を交えたエッセイ集といった感じだ。
そのなかに、昭和32年(1957年)3月17日から6月25日まで、[熊本日日新聞]に100回に亘って掲載したものも含まれている。最終回は、「この1囘で終わりである。随分長い間お喋りを續けて來たものだと思ふ」からはじまり、「併し、正直の所、どんなことを今まで書いて來たのか、どうも思い出せない。 … 何やら毎日、ブツブツ言ってゐたやうである。讀者が聞き流して下さったことを祈る他ない」で終わる。
大物吉田氏の向こうを張る気など毛頭ないが、「わが[味な話の素]もそんなところだなあ」と笑ってしまった。 |
退職歴4回 [20] 2021/09/17 Fri 8163
わたしには4回の退職歴がある。最初は29歳のとき[九州大学助手]を辞めた。大学院を終えてから2年間の[国家公務員]生活で、文部省共済組合に所属した。そのつぎは、[鹿児島女子短期大学]で、退職時は30歳になっていた。略称[鹿女短]には1年半、お世話になった。この間は私立学校教職員共済組合のメンバーだった。
そして[熊本大学]を65歳で定年退職したのが3回目である。国立大学の法人化に伴い、身分は国家公務員から法人の職員になったが、共済組合は省庁の統廃合で文部科学省共済組合にかわっていた。定年後も引き続いて5年間、[シニア教授]として勤務し、70歳で4回目の退職となった。
その節目ごとに[身辺整理]を繰り返した。最も規模が大きかったのは、熊本大学の定年時である。それまでの2回では、[書籍]は[身辺整理]の対象外だった。しかし、このときは数年前から[書籍]も聖域でなくなっていた。そうした嵐の中で、半世紀近くも整理されない書籍もそこそこある。 |
[コロナ禍]と教育実習 [19] 2021/09/16 Thu 8162
昨年は[コロナ禍]で教育委実習にいけなかった教育学部以外の学生に[代替授業]をした。理学部と文学部の学生たちだが、出身校等での教育実習を断られたのである。もちろん、当該学校としてもやむを得ない苦渋の判断をしたことは疑いない。
ただ、教員免許取得に教育実習は必修とされているから、学生も困ってしまう。とにかく、100年に一度と言える非常事態である。文部科学省も特例として教育実践性の高い科目を対象に、その受講をもって代替することを認めた。わたしが現役時代に担当していた科目も代替可能な科目だったことから、前期高齢者後期にもかかわらずお声がかかったのである。
そこは、[生涯Yesマン]を公言しているわたしだから、[Yes]と即答した。その詳細をしゃべりたくて仕方がないが、それは別の機会に譲ることにする。じつは、大学の担当事務局から、「本年度も教育実習ができなかった学生が出てきたので、集中講義を依頼したい」との連絡が入ったのである。九州7県も、福岡は[緊急事態宣言]が出され、大分県以外は[まん延防止等重点措置]の適用地域だった。本来はなければならない教育実習の[代替授業]を担当する立場としては何とも言いようがない。
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だれにもわからない [18] 2021/09/15 Wed 8161
人間にはわからないことがあふれている。個々人が頭の中で何を考えているのかもわからない。その典型的な例が「記憶にございません」である。その発言の真偽を科学的に確認することができない。だからこそ、この一言は偽証罪にも問われない鉄壁さを誇る。
今回は、「コロナ対策と総裁の仕事の両立が厳しい」という理由で立候補しないとされている。しかし、少し前までは、「適切な時期」といった言い回しで、その意志が固いと思われる発言をしていた。両立がむずかしいのであれば、先送りせずに、もっと前にそれを表明していてもよかった。
かくして、大多数の他人は「勝てそうでなくなったからに違いない」と思っているだろう。しかし、それが事実なのか、単なる邪推なのかを他者が確認することはできない。裁判官も、被告の頭の中はわからないから、本人の意志や犯罪にかかわる動機を推量するしかない。犯罪を否認している場合は、裁判官が被告の頭の中を推測して判決を出す。だれであろうと、他者の大脳内における出来事は確かめられないのである。こんな身近なことでも、人間はわからないことに充ち満ちている。やれやれ…。 |
[自由]と[ことば] [17] 2021/09/14 Tue 8160
[自由]という言葉は国語辞書にも多くの意味が載っている。わたしの推測では、人類が地球上で2人以上になったとき、[自由]の問題が発生した。いや1人しかいなくても、生きていくにあたって、[自由]あるいは[不自由]はあったかもしれない。ただし、[自由]が問題として意識されるには、それを表現する[ことば]が必要である。
この仮説が正しいとすれば、わたしは、人類は[自由]という[ことば]を獲得した瞬間に[自由を失った]と主張したくなる。われわれは、ともに生きていくために、行動の自由には一定の制限が加えられる。これに対して、頭の中は完璧に自由であり、[思想の自由」はだれにも束縛されない究極の価値だと思いたくなる。しかし、そこには大きな落とし穴がある。
わたしはいろいろなことを自由に考えるが、そのとき使うのは日本語である。この言語は、わたしが[自由]に選択したものではない。そして、わたしの思考は、[日本語]という道具でがんじがらめに縛られている。その姿は、お釈迦さまの手のひらの上で、「自由に飛び回っている」と[勘違いしている存悟空]そのものである。 |
日々、エンジョイ [16] 2021/09/13 Mon 8159 昨日 [15]の続き
今回の講習も熊本大学が契約しているZoomで、わたしが共同ホストになる点は同じだった。ただし、グループ分けを含めて、9時から16時20分までのすべてを自分一人でマネジメントするのである。そこで、一週間前から事務局とチェックを行い、[順調にいく]ことを確認していた。その上で、前日の午後は[最終チェック]を楽しんだのである。ついでながら、黒板に[教員免許更新講習 学校における危機管理の社会心理学 吉田道雄]とチョーク書きしたバーチャル背景を組み込んだ。これがそこそこ自己満足できるものに仕上がった。
こうして本番を迎えたが、受講者のほとんどは自宅からのアクセスだった。グループ分けを自動にしたところ、一時的に取り残されたケースもあったが、ホストとして対応して、問題はすぐに解消された。かくして、実質一人ホストの初体験を自己評価「概ね良」で終えた。
ともあれ、いつ終わるとしれない[巣ごもり]のなかで、しばらくは[リモート]が続くことは疑いない。これも〝One of the best choices〟だと確信している。そんなこんなで、わたしは[ストレス
フリー]の日々を送っている。現役時代とは比較にならないが、研修や講演のお誘いもあり、そのためのパワーポイントづくりや、公的な委員会の[書面会議]に対するコメント作成などで、適度な忙しさをエンジョイしている。 |
[リモート]のベテラン? [15] 2021/09/12 Sun 8158
前期高齢者後期の[花のフリーター]には、時間的なゆとりがある。腕立て伏せを含めたエクササイズ、8種(?)ほどの書籍をちびりちびり読む進めるといった[あれやこれやルーチン]は午前中に終わる。そして、昼からはそのときどきに応じた仕事に注力することになる。それでも現役時代のような量ではないから、時間と心に余裕がある。
たとえば先々週の金曜日は、翌日の「教員免許更新講習」のリハーサルを十二分にした。この講習としては「初めてのリモート」だったから、いつも以上の準備が必要だった。昨年の[コロナ襲来]以来、わたしは[リモート]による講演や研修に関して、すでに[ベテラン(?)]の域に達している。ただし、これまでは先方の組織がホストで、わたしは共同ホスト権を与えられる状況できた。そうでないと6時間を超える接続が維持できない。共同ホストと言っても、ブレークアウトルームに入るだけである。事前のグループ別けを含めて、リモートのマネジメントはすべて本来のホストに依存してきた。 |
職場内リモート? [14] 2021/09/11 Sat 8157 9月8日 [11]の続き
組織が小さいときは、お互いが見えるから、一人ひとりが「自分の仕事を自分の力でやっている」ことがわかる。その結果、「自分はいなくてはならない存在だ」と自信をもって意欲的に仕事に励む。
しかし、組織が大きくなるとそうはいかなくなる。そもそも自分の仕事が他人に役立っているとか、支えられているという実体験が減少する。日常的にかかわる同僚同士で影響の与え合いがわかる程度である。ただし、以前から、背中合わせに座っていても情報交換はメールで済ませることがあると聴いていた。何のことはない。すでに「職場内リモート現象]がはじまっていたのである。いまや、人と人の相互作用がバーチャル化しているわけだ。
かくして、自分の仕事が全体の組織の中でどのような意味を持ち、他と関連しているのかがわかりにくくなる。そこで、「自分に与えられた仕事をこなしていればそれでいい」という思いが生まれる。大きな組織には、そうした精神構造ができあがりやすい条件が整っている。 |
ため込んでも… [13] 2021/09/10 Fri 8156 9月3日 [6]の続き
講演でのなかで、「われながらいいこと言うじゃない」と思うことがある。まあ、過剰な自己満足なのだが、話しているときに脈絡もなく頭に浮かんでくる。そこがライブの楽しみでもある。ただし、そこで話を止めてメモするわけにはいかない。そして、講演が終わったとき、その内容が記憶の彼方に消え去っているのはご想像のとおりである。それは自分が考えるほど大したものではないはずなのだが、「逃した獲物は大きい」と思ってしまう。
そんなとき、音声入力は強力な助っ人になり得る。講演を録音しておけば、その部分を確認できるからである。しかし、これは止めておいたほうがいい。その一言を探すために費やす時間の方が獲物の価値よりも大きいに違いない。そもそも、録音データは蓄積されるだけで、それを聞き直すことなどないだろう。
じつは、音声入力がおもしろくて、新聞記事や読んでいる本の一節をドンドン入力していったら、あっという間に山と積もった。それが日の目を見るのはいつのことやらである。自分の年齢を考えると、ほとんどがそのまま放置される可能性が高い。ものも情報も、ため込む状況ではなくなっている。 |
いまでは懐かしい [12] 2021/09/09 Thu 8155
すでに9月を迎えたが、今年は[ノン・フライト]状態が続いている。おととし2019年12月時点で[生涯フライト1,356回]を記録し、昨年も2月の時点で10回に達していた。これが3月からパッたり途絶え、最終的には18回で終わった。今年の残り4ヶ月でどうなることやら見通しは立たない。
いまでは、外国人を含めて混雑する空港は懐かしい思い出である。数年前に体験した、セントレア空港から熊本便に乗るときの驚きは頭から消えない。朝の1便に乗るため、空港まで歩いて数分のホテルを7時過ぎにチェックアウトした。搭乗までの時間には十分な余裕があったが、空港について焦ってしまった。手荷物検査を受けるための行列が半端でないのだ。直感的には数百人が並んでいると思った。
イベント会場の入り口や駅のみどりの窓口などで行列を整理するために使われるベルトが迷路のように張られている。最後尾の札を掲げた係員までいて、行列はお土産店を塞ぐまでになっていた。それが朝の7時過ぎなのである。大混雑のなかでは外国語も飛び交っていた。そのころはセントレアを頻繁に使っていたこともあって、数ヶ月の間に3回は同じ体験をした。いまや懐かしい思い出である。 |
適切な人数 [11] 2021/09/08 Wed 8154
組織が大きくなるほど、そこで働くメンバーの相互依存性が見えにくくなる。最小の集団である2人から構成されている場合は、お互いが依存しあっていることを体感する。自分の相手は一人しかいないからである。その状況はメンバーが少しばかり増えても変わらない。しかし、組織が大きくなるにしたがって、そうした可視性が低下してくるのである。
わたしが若いころ、三隅先生が、適切な集団の大きさを「マジカルナンバー7±2」と表現されていた。この「マジカルナンバー7」は三隅先生のオリジナルではないが、7人前後がお互いの存在を意識して作用し合える限度ということである。わたしがグループワークをする際は、[原則6人]とし、つぎは[5人]で、できれば[4人あるいは7人]は避けることを基準にしてきた。これに科学的根拠はないが、経験値としての暫定正解だった。それがリモートになってからは、「5人」を優先しはじめた。ネット接続という物理的な要因もあるが、[6人]だとグループによる進行の時間差が大きくなる傾向が見られるのである。 |
「うーん」のグループ・ダイナミックス [10] 2021/09/07 Tue 8153
魑魅魍魎が跋扈するという政界だから、正解など素人には知りようがない。あるいは理解できるはずもない。ただ、総裁選挙まで1ヶ月ほどのときに役員を交代させるなど、一般ピープルとしては空想すらできない。新たに任命されても選挙までの[任期1ヶ月未満]ということである。
ここまでくると、マスコミに煽られなくても、大多数の人間が「うーん、それって何なの」と首をかしげたに違いない。いや、むしろ「意図が見え見えすぎる」と苦笑いしたのではないか。そのメリットとデメリットをどの程度分析されたのかはわからない。
しばらく前に「総理が総裁選に出ない」という「仰天シナリオ」がネットに出ていたが、タイトルを観ただけで本文は読まなかった。したがって、その根拠は知らないが、結果として「当たり」になったわけだ。ご本人の行動と周りの反応を含めて、グループ・ダイナミックスの視点からきわめて興味深い。 |
アメリカの豪雨 [9] 2021/09/06 Mon 8152
アメリカで日本の台風に当たるハリケーンが都市部を襲った。これに伴う豪雨が各地に大きな被害を与えた。ニュースは道路にあふれた泥水に沈む車を映し出す。ニューヨークでもアンカーが「一時間に3.15インチもの雨が降った」と、そのすさまじさを伝える。これを換算すると80mmになる。わが国でも「一時間に50mmから多いところでは100mmの猛烈な雨が降った」というニュースがめずらしくなくなった。
豪雨に加えて、アメリカのニュースには竜巻によって多くの家屋が破壊されている空撮映像も流れていた。わたしが子どものころは、竜巻と言えば、漫画[赤胴鈴之助]に登場する竜巻雷之進を思いつくくらいで実感はなかった。それが、日本でも竜巻による被害のニュースに接することが多くなった。地球の気候が変化していることは疑いようがない。 |
仕事をしている証 [8] 2021/09/05 Sun 8151
人間が何らかの行動をとるとき、エラーやミスを犯す可能性があることは当然である。それを十分に認識していることが求められるのだ。その意味で、職場でミスや事故が起きる可能性が高いのであれば、それだけ重要な仕事をしている証だと考えていい。まさに、人に誇れる仕事をしているのである。
われわれは、こうした前提をもとにして、組織の安全を確かなものにするために、絶え間ない挑戦を続けていく必要がある。それは、どこまでいっても終わることはない。したがって、これを維持し、継続するエネルギーが必要であり、それが〝Never
Ending Challenge spirits〟なのである。これこそが、組織の「安全文化」を創り続ける力になる。こうして、わたしは、[安全文化醸成]に替えて、[創続]と呼ぶことを提案してきた。 |
生徒へのメッセージ [7] 2021/09/04 Sat 8150
わたしの[身辺整理]は、あの世に出かかるまで続き、かつ未完で終わることは疑いない。
わたしが附属中学校の校長をしていたとき、生徒たちに送った原稿のファイルが残っていた。おそらく[学校通信]に寄稿したものと思われる。かなり長いが、一気に転載する気になった。
太陽が照っていると、わたしたちの影ができます。みなさんが学校に来るときは、影はどちらにありますか。前の方、それとも後ろの方?わたしが通勤するときは、大体は影が前の方にあります。そこで、「自分の影」を追いかけながら、学校へ向かうことになります。「おいおい、影よ。そんなに逃げなくてもいいぞ」。こんな気持ちで、影を追っかけているうちに、「あっ」という間に学校に着いてしまいます。もちろん、車に乗ることも、バスを利用することもありますから、学校までの道をずっと追いかけているのではありません。そんなことしていたら、すでに50歳を越えた体が参ってしまいます。その影も、昼間は、ほとんどなくなってしまいます。影が隠れてしまうのです。それは太陽が真上から輝いているからです。こんな時間は、わたしも元気いっぱいで仕事をしています。人は輝いているときは、自分の影は見えないのです。このことは、ちょっと気になりませんか。調子がいいときは影に気づかないので、自分を反省することを忘れてしまうのです。元気なとき、輝いているときこそ、自分自身の影を見つけて、行動をふり返る必要があると思います。
仕事が終わって帰るときには、また長い影がわたしの友だちになります。今度は後ろから影が追いかけてきます。「寄り道などしないで、早く帰れよ」と言うのです。「まあ、そんなに急かせないで、ゆっくり帰らせてよ」。こんな会話を影と交わしながら家に帰っていきます。ところで、この影は季節によって痩せたり、太ったりします。その時々で、体型が変わるなんて、楽しいですね。そして、冬になると、仕事を終えて帰るころには、もう影は見えなくなっています。ですから、この季節は朝がとても大切です。影を追いかけるだけでは物足りないので、遠回りでも脇道に入ります。進む方向を変えると影から追いかけられるようになるからです。 |
あのころは… [6] 2021/09/03 Fri 8149 8月31日 [94]の続き
われわれが、あるいはわたしだけ(?)が知らないうちに、[音声入力]の技術は飛躍的に進歩していた。かなり前のことだが、アメリカのニュースで音声とほぼ同時に[文字]が流れていくのを観た。そのとき、「日本語はまだまだだろう」と思った記憶がある。
現在のようなパーソナルなコンピュータが登場しはじめたころの会議でその可能性が話題になった。将来は「こうなる、ああなる」と話が進むなかで、わたしは障がいのある人たちが活用できる技術にもなり得ると思った。そのときは、「たとえばキーボードを押すだけで点字本がつくれるようになるのではないか」と発言した。それは1980年代、細川熊本県知事が県内すべての学校にコンピュータを1台導入する「マイタッチ計画」を打ち上げたころである。それからすでに40年近い年月が流れた。 |
歴史の証人 [5] 2021/09/03 Fri 8148
いま、わたしたちは100年後、いや1000年後の歴史書や教科書に掲載されることを実体験しています。これまでも、ヨーロッパにおけるコレラの流行など、歴史書に不可欠な出来事が起きています。また、多くの国を巻き込んだ世界大戦は今後も掲載され続けることでしょう。
そうしたなかで、今回のパンデミックは地球上で生きる人類を同時に見舞った病として最大の歴史的事実となりました。しかも、最初にその存在が認知されてから、未克服のまま2年になるのは必至の情勢です。われわれは歴史の証人になったのです。 |
原因不明?![4] 2021/09/02 Thu 8147
[みずほファイナンシャルグループ]のシステム障害は、今年に入って[5度目]というから何ともすさまじい。しかも、金融庁に提出した報告書には「障害の原因が特定できない」とされているようだ。そもそも「原因」がわからなければ、対応のしようがない。それなら、[第1回目]以降は[再発防止対応]もできていなかったことになるのか。このままだと、「6度目」の可能性もありうることになる。
このグループは、[富士銀行・第一勧業銀行・日本興業銀行]の合併でできたのだが、いまどき「原因不明のドラブル」で終わることはあり得ない。 |
大和の時代から… [3] 2021/09/02 Thu 8146
表紙写真のもう1枚は、山鹿市菊鹿町にある[鞠智城(きくち)]のシンボル[八角形鼓楼]にした。
この城は、東アジアが緊迫した7世紀後半に、大和朝廷によって築かれた(歴史公園鞠智城・温故創生館HP)。歴史で学んだ[白村江の戦い]に敗れた後、大陸からの侵攻に備えたものである。いざとなれば、太宰府や大野城、基肄城(きいじょう)に武器や食料を補給することになっていた。
現地に出かけたのは、まだ夏の空がのこる9月だったが、その後も整備が進んでいるようだ。もちろん、当分は出かけることはない。 |
知恵が抑圧されると… [2] 2021/09/01 Wed 8145 8月31日 [92]の続き
[渋谷の大混乱]は、「トップの一声(?)だった」という情報が目に入った。一昨日、「関係者は思考が停止するほど疲れたのだろうか」と推測した。そうした一面もあるだろうが、それに加えて「思考停止にならざるを得ない」要因が存在していたようだ。
組織のトップはいつもアピールしたくなる。あの横文字連発も、無意識かあるいはしっかり意識した方略なのだろう。それが機能していればいいが、「こんな問題がありますよ」「この点を考えてはどうでしょうか」など、現場の意見や知恵が抑えられると困ったことになる。それどころか、「言いたいようにしとこうよ。どうせうまくいかなくて恥をかくのはあの人だから」といった空気がフォロワーたちの心に生まれると相当にまずいですよね。 |
秋のごちそう [1] 2021/09/01 Wed 8144
熊本市にある[KKRホテル熊本]の目の前に熊本城天守閣がそびえ立っている。まるで巻物のなかに取り込まれた気持ちで写真が撮れる。表紙の1枚は、その4階にある[和食 まつり]で、一昨年の9月に撮った。秋の味覚にあふれている。
わが家のお祝い事や家内との食事でも使うが、遠方からのお客様と歓談する場所としても最適だと思っている。ただし、昨年からはとんとご無沙汰である。そもそも、わが家が最後に外食したのは2月だった。その後は、熊本市の委員会で中心街に2回ほど出かけただけである。
先だって、車で街中の電車通りを通ったらビルがなくなっていて驚いた。この4月にはJR熊本駅も大きな商業ビルがオープンしたが、ここにいつ行けるのかわからない。 |
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