早朝夕刊(31) :[コロナ禍]下の[研修] 2020/10/31 Sat(5:15am)7397 昨日(早朝夕刊(30))の続き
予想もしなかった「コロナ禍」で予定の研修を延期してきた組織から、「何か秘策(?)があるか」と問われた。これに対するわたしの返信メールをほぼそのまま転記しよう。
わたしなりに「コロナ対応」を考えています。研修について頭の整理をしますと、
(1)「基礎/フォロー」ともに「生」を【原則】とする。
(2)「基礎」は「生」とするが、「状況」によっては、「フォロー」をリモートにする。
(3)「状況」によっては、「基礎/フォロー」ともにリモートとする。
となります。
「コロナ禍」では「次善の策」である、(2)(3)を選択せざるを得ません。
これは[早朝夕刊]の連載だから、この続きは明日に先送りする。 |
浜の真砂とネタは… 2020/10/31 Sat 7396 昨日の続き
石川や 浜の真砂は 尽くるとも 世に盗人の種は尽くまじ 盗賊 石川五右衛門が詠んだ辞世の句とされる。まさに無尽蔵の「真砂」を凌ぐのだから、「盗人」を含めて人間の行為のすさまじさに驚嘆するほかない。五右衛門さんの句の一部を盗んで、「浜の真砂は尽きるとも 世に[味な話の素]の[ネタ]は尽くまじ」の心境である。わたしには「広辞苑」が、あるところでは「押す」、別の箇所では「おす」と記しているのも大いなる[極小ネタ]である。
[精選版 日本国語大辞典][広辞苑]を見る限り、「押印」と「捺印」はまったく同じ意味である。「精選版 日本国語大辞典」では、もともとは「捺印」だったが、当用漢字から「捺」が除かれて「押」になったと推測させる説明が付加されている。これも両者が同義であることを表明している。ところがビジネス関連の情報を見ると、それぞれ「記名押印」と「署名捺印」で相異なるという。前者は名前がプリンタやゴム印、あるいは他者の代筆でもOKで、そこに印を押のに対して、後者は「自署」が前提になっている。「署名捺印」ということばはけっこう耳にする。かくして、二つは大いに違うのである。 |
早朝夕刊(30) :[コロナ禍]下の[研修] 2020/10/30 Fri(6:56am)7395 昨日(早朝夕刊(29))の続き
その後しばらくは、[Zoom][Skype][Google meet]の3本立てで、主として「情報交換」を行っていた。そうこうするうちに、予定されていた研修をどうするかという話が出てきた。わたしもリモートのアプリを使いはじめて間もなかったが、あえて研修のリモート化を提案した。ここで、ある組織に送信したメールを紹介しよう。
それは、「こんにちは。まずは現況についてのお知らせをいただきまして、ありがとうございます」からはじまる。この組織とは10月に研修を予定しており、その状況を問い合わせた。これに対して、[コロナ禍]で実施がむずかしいと思うが、何か秘策はあるかとの返事がきたのである。 |
「検収」「押印」「捺印」 2020/10/30 Fri 7394 昨日の続き
【検収】品物が、注文どおりか、規格に合っているかをを調べて受け取ること[精選版 日本国語大辞典]。このことばは、ある組織から調査の委託を受けたときに初めて知った。もう10年ほど前になるが、アンケートの回答を分析し、その結果をまとめた報告書を提出した際に、先方から「検収した」と伝えられた。注文したものが契約どおりになっているかどうかをチェックすのは当然である。つまりは「検査」して「収納する」ということだ。それは大学に納入される物品も含めて行われているはずだが、教員としてのわたしはこの用語を知らなかったのである。
【捺印】印判を押すこと。また、押した印。押印[精選版 日本国語大辞典]。因みに[広辞苑」では、「押」が「お」となっている以外は「完全に一致」している。【押印】印判を押すこと。捺印。もと「捺印」が用いられたが、当用漢字の制定、および「法令用語改正要領」の施行によって、この語が用いられるようになった[精選版
日本国語大辞典]。[広辞苑]は「印判を押すこと。捺印。」と何ともそっけない。また、「捺印」では「おす」でこちらは「押す」と表記が異なっている。 |
早朝夕刊(29) :第三の初[Google meet]体験 2020/10/29 Thu(5:06am)7393 昨日(早朝夕刊(28))の続き
同じ5月にはある組織から[Google meet]での「情報交換」が提案された。わが生涯を通じて[Yes man]に徹してきたわたしである。即座に「わかりました、対応します」と答えたことは言うまでもない。これで[Zoom]から[Skype」に続く第三の「リモートアプリ」に遭遇したことになる。それまでの「体験」を踏まえて、「なんなく(?)」適応した。より正確には、最初の繋ぎなどの際に「やや手間取った」が、それをパスした後の情報交換は順調に進んだ。そうした中で、基本的な機能や操作法はある程度共通していることがわかってきた。いわゆるミーティングのシステムだから、それは当然のことである。 |
小者の思い出 2020/10/29 Thu 7392
いま、大学の教員として40年を過ごした自分を振り返るとさまざまな思いがある。これはあくまで「私見」である。したがって、「それはあんたの勝手な思い過ごしだ」と言われれば、「はい、そうなんです」と反論せずに引き下がる。それに、例外はいくらでもある。
その上で、大学という職場は一般社会とはかなり異なっていた。もう少しだけ突っ込めば「社会の常識」と違っていたと言うべきか。それを外から見れば「ズレている」と思われるかもしれない。これに対して「自由な研究にはそうした空気が必要なのだ」「そんな環境だからこそ独創的な研究ができるのだ」という意見があり、それも正論というべきだろう。
それにしても、日露戦争の際に「研究に没頭して旅順陥落も日本海大海戦も知らなかった」というエピソードがささやかれる研究者もいる。ここまでくると「世間知らず」を超越している。
ところで、わたしは長いこと「検収」ということばを知らなかった。さらに「押印と捺印の違い」もわからずに「ハンコ」を押していた。もっとも、日露戦争の超大物とくらべれば、そのスケールの小さい点がいかにも自分らしいと苦笑なのだが…。 |
早朝夕刊(28) :つぎは 初[Skype]体験 2020/10/28 Wed(6:53am)7391 昨日(早朝夕刊(27))の続き
はじめて[Zoom]を体験したのは4月であるが、5月になるとわたしの前に[Skype]が登場する。わが息子の家族が車で30分ほどのところに住んでいる。この距離だから、月に1、2回は行ったり来たりしていた。ところが「コロナ禍」によってこれが「全面禁止」状態になった。その穴をカバーするために出てきたのが[Skype]だった。かくして、孫たちとの会話もついに「リモート化」したのである。孫の誕生日には、両方の祖父母が写ったスクリーンを真ん中にして、[全員が集合した]記念写真を撮った。これも「コロナ禍」ならではのことであるが、与えられた状況下では疑いなく[ベスト]のお祝いになった。めでたし、めでたし…。 |
〝The BROTHERS〟 2020/10/28 Wed 7390
いま〝The BROTHERS〟を読んでいる。著者は Lesley Downerで1994年にVINTAGE社から出版された。ペーパーバックで本文が422ページでそこそこの厚さである。〝The BROTHERS〟とは堤兄弟、清二と義明の二人を指している。ただし、第1章は西武グループを一代で築きあげた堤康二郎の話からはじまる。この人物が二人の父である。
著者 Downer のホームページによれば、英国出身の[作家・ジャーナリスト・放送人]で、とくに日本を専門としている。日本に行ったり来たりして、トータルでは滞在が15年ほどになるという。本書を読んでいくと、ほとんどが初めて知ることにあふれていて興味が尽きない。ときおり、「外国人にはそう見えるのか」とか、「これは誤解を招きやすいなあ」といった記述に遭遇する。それもわたしの[新知識]として身に付いていくことになる。
なお、本書は「トイレ指定図書」だから、毎日1~2パラグラフしか進まない。そんなわけで、読了までには恐るべき時間を要する。それでも、本日が404ページ目だったから、終わりが目の前に見えてきた。今後、その内容を折に触れて取り上げることにしたい。 |
早朝夕刊(27) :初[Zoom]体験 2020/10/27 Tue(5:55am)7389 昨日(早朝夕刊(26))の続き
今年に入って「コロナ禍」が顕在化した。それでも2月末までは県外も出かけていた。その動きが3月からピッタリと止まった。そのうち「Zoom]の話が出て来るようになった。さらに吉田塾のメンバーから「Zoomをやってみませんか」と誘われた。かくして、SNSやリモートを意識的に拒絶するとの原則に割れ目が入った。
そんな流れの中で4月にはじめて「Zoom」を体験することになった。しばらくすると仕事でお付き合いしている方から[Zoom」で情報交換する提案が出てきた。先方は東海地方にある組織の方々だったが、会話には数年前からワシントンに駐在中のメンバーも加わって、大いに盛り上がったのである。 |
ここいらで「小?休止」 2020/10/27 Tue 7388日の続き
今月1日からはじめた「想定と想像物語」はまだ終わらない。それどころか、とうとう「正義」まで登場し、アメリカの最高裁判所に行ってしまった。わたし自身は「脇道逸れ」の意識はないが、そうかと言って「本線」を突っ走っていると確信しているのでもない。そんなわけで、また別の話題にも触れたくなってきた。
そこで、ちょいと、あるいはずっとになるかもしれないが、「小休止」前のまとめを試みよう。「想定外」は「想像不能」なことではなく、「想像可能」なもののうち、「一定の条件」を付けて、「そうした事態が起きる」ことを前提にしている。したがって、「想定の範囲内」であれば適切な対応が準備されているはずである。それが機能しなかったときは、対応策そのものが問題になる。さらに、現実に被害が発生すれば、「想定そのもの」、つまりは「一定の条件」の設定の適切さも問われる。
また、だれが意思決定したかも問題になる。そうなれば、責任問題も出てくるが、その想定の可否について評価が完璧に一致することはあり得ない。だから、またぞろ「過半数」など、何らかの基準で決めざるを得なくなる。やれやれ、これだからどもまで行っても終わらない。 |
早朝夕刊(26) :「遅れている」実感 2020/10/26 Mon(6:02am)7387 昨日(早朝夕刊(25))の続き
オーストラリアの大学で[電子メール]が一般化しているのを目の当たりにして衝撃を受けた。何のことはない。「日本は遅れていた]のである。まだ当時の日本は[ハイテク製品]の製造で世界のトップを走っていた記憶がある。ただし、コンピュータ[ソフト]の領域ではアメリカがダントツの状況だった。
そもそもウォークマンを[発明]したソニーが[ハードの精緻化]に走っているうちに、アップルの[iPod]が登場し、あっという間に主役の座を奪われてしまった。そのすぐ後は[インターネット]と[ダウンロード]の時代である。そうこうしているうちに、携帯電話も世界の中で「ガラパゴス化」した。 |
正義の定義 2020/10/26 Mon 7386 昨日の続き
トランプ氏の「正義」はご本人が勝手に言っていることだと決めつけるわけにはいかない。世論調査の結果ではバイデン氏の後塵を拝しているが、それでも[40%]台の支持率を得ているのである。しかも、わたしの見聞きする限り、日本の評論家は「最後までわからない」で一致している。アメリカの大統領選挙の仕組みから、4年前はヒラリー氏がトランプ氏よりも得票数を上回っていた。こうしたケースは[めずらしいこと]ではなく、このときが5回目だった。
アメリカの最高裁判所はギリシャ建築を思い起こさせる。正面の柱の上には〝EQUAL JUSTICE UNDER LAW〟と彫られていて、その権威を誇っている。まさに「法の下の平等な正義」ということだが、[正義の定義]が歴史の中で揺らぎ続けている。そもそも古今東西を問わず、人間は[建前
justice]の[建前]部分を透明にする性向がある。
先だってなくなった最高裁判事の後任をトランプ氏が指名した。新大統領が決めるべきとの声もあったらしいが、これが承認されれば、最高裁判事は「保守・リベラル」の比率が「6:3」になる。最高裁判事の人事も政略と無縁ではないのである。 |
早朝夕刊(25) :「リモート無縁」の生活 2020/10/25 Sun(5:37am)7385
今年の4月まで、わたしは「リモート」とは無縁の生活を送っていた。たとえば[Skype]なるものがあって、海外ともテレビ電話として対話ができるという。今から四半世紀前の1996年、わたしはオーストラリアで半年過ごした。その期間中、仕事も家族とも交信もすべて電話だった。その電話料金はとにかく半端でなかった。日本の事情はラジオの「短波放送」で仕入れた。これに加えて貴重な情報源となったのは大学の図書館が取っていた毎日新聞である。もちろん、当時のことだから1週間ほど遅れの情報だった。大学では「電子メール」がすでに一般化しており、わが国が相当に遅れていることも実感した。 |
「みんな同じ」だなんて 2020/10/25 Sun 7384 昨日の続き
広辞苑の「格差」には「生活水準」の差は含まれているが、「格差社会」と呼ばれる今日的問題の空気は今ひとつ伝わってこない。これに対して「精選版 日本国語大辞典」では「生活水準の格差が拡大しつつある」「品位の優劣の差」などと記されているから、それが負のイメージをもっていることが感じられる。もっとも、それぞれ「農業基本法」と「新聞語辞典」からの引用である。一般の辞書読みとすれば、ことばの義を伝える辞書なのだから、自分たちの辞で解説してほしいと思う。
ともあれ、人数が多くならずとも、ものごとに対する賛否が全員一致となることはむずかしい。そこで「多数決」や「過半数」などによって意思決定が行われる。とりあえず、それが民主的だとされることが多い。しかし、それは「すべての人間があらゆる面で同じ」であるときだけ成立する原理でもある。そして、そんなことはあり得ないからややこしくなる。
たとえばトランプさんのごときは自分が「正義」だから、人の話など聴かずに突っ走る。そんな人間の対極に自分の言いたいことも言えない人たちもいる。これらの人が「みんな同じ」なんてことはあるはずもない。
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早朝夕刊(24) :「偶然」と「運命」の結末 2020/10/24 Sat(5:06am)7383 昨日(早朝夕刊(23))の続き
先週土曜日の「教員免許状更新講習」で、わたしはウン十年ぶりにエーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」に言及した。そこまでなら、ただそれだけのことだった。ところが、その翌日の朝刊を見て、わたしは「あっ」と声をあげた。読書欄に「人はなぜ「『自由』から逃走するのか エーリッヒ・フロムとともに考える」(KKベストセラーズ)の書評が掲載されていたからである。
その瞬間に、わたしの頭の中で「偶然」が「運命」となった。それだけではない。「奇跡」まで飛び出してきて、「おれの方を採用しろ」と絶叫するのである。これが「『偶然』に『運命』の札を付けたがる」というお話しの結末である。 |
「個性」「違い」「格差」 2020/10/24 Sat 7382 昨日の続き
そもそも複数の人間が「まったく同じ」ではあり得ない。それを「個性」と言えば落ち着きはいい。あるいは「違い」と言っても、直ちに大きな問題は生じない。しかし、それが「格差」と同義に近いとなれば「マイナス」の意味合いも帯びてくる。
【格差】商品の標準品に対する品位の差。また、価格・資格・等級・生活水準などの差。(広辞苑)。これを見ただけでは、最後の「生活水準など」を除いて、反射的に問題を感じるほどでもない。ただし、「など」という曖昧かつ幅広い助詞がついているところがおもしろい。世の中には「そのほかにも[あれやこれやの差]がある」ということだ。むしろ、「違いが認められる」もののほとんどに「格差」があると言った方が現実ではないか。そもそも人間は「格差」を付けたがるもののように思われる。
これを「精選版 日本国語大辞典」で見ると、「①価格、資格、等級などの差」として農業基本法の前文「生産性及び従事者の生活水準の格差が拡大しつつある」を続けている。さらに「②格付け取引に用いる商品の、標準品に対する品位の優劣の差、または、価格の差[新聞語辞典(1933)]」としている。 |
早朝夕刊(23) :強力なる記憶力! 2020/10/23 Fri(5:18am)7381 昨日(早朝夕刊(22))の続き
人吉旅館は球磨川沿いにあって、ことばでは表現できない甚大な被害を被ってしまった。そうしたことで、人吉地区の「教員免許状更新講習」は先週17日に熊本大学で開催したのである。
このときは「学校における危機管理の心理学」だったが、講義の中で、たまたまエーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」を話題にした。もともとこの本を取り上げることは考えていなかった。これは、話の流れの中で突如として「強力なる記憶力」を蘇らせる「わたしの特技(?)」なのである。それが聴いておられる方々にプラスになっている保証はもちろんない。むしろ「ここで何でフロムなのよ」と首をかしげられるかもね…。 |
「多数決」と「力」 2020/10/23 Fir 7380 昨日の続き
人間がこの世の中に「一人」しかいないときは、ものごとの決定は「自分一人の判断」による。これが二人になると、おそらくは「力が強い方の意思」が決定を左右するだろう。もちろん、強い方が弱い方に「譲る」ことがあるかもしれない。しかし、それは余裕があるときに限られる。いわゆる「利害関係」が絡んでくれば「強い者勝ち」であふれるに違いない。そのことが、両者の格差をさらに拡大していく。
もう一人増えて、「世の中三人体制」ができると「多数決」が可能になる。ただし、それも三人の「力」が「同等」だとの前提が求められる。二人が組んで対抗しても、その相手が圧倒的な力をもっていれば、「一人決」になるに違いない。この際の「力」だが、それは「筋肉力」だけではない。仮に三人が出会ったときは「あらゆる面で同等だった(そもそもそんな仮定があり得ないが)」としても、何らかの要因(たとえば、一人だけが完璧な偶然で獲物や食物を発見することは十二分にあり得る)で「格差」が生まれることを考えることに無理はない。
いつも「短文主義者」を自認しているつもりのわたしだが、何とも長い悪文となってしまった。 |
早朝夕刊(22) :人吉サテライトの中止 2020/10/22 Thu(6:07am)7379 昨日(早朝夕刊(21))の続き
球磨川の氾濫で人吉と八代で開講予定だった「教員免許状更新講習」は熊本大学へ変更になった。そして、その人吉の「危機管理の心理学」を先週の土曜日17日に実施した。こうした事情から人吉に近い学校で勤務している先生方が多く、往復で少なくとも3時間以上はかかることになる。これも自然災害によるものだから何ともしようがないが、当方としてはまことに申し訳ない気持ちになった。
わたしは人吉サテライトの前泊を人吉旅館に予約していた。この旅館は人吉の老舗で女将が40年ほど前に熊本大学に在籍していて、わたしの授業を受けたことがある。そんな縁もあり、その日が来るのを楽しみにしていた。 |
「3/4」…「8/9」 2020/10/22 Thu 7378 昨日の続き
法律を含むさまざまな決まりで「2/3以上」はそれほどめずらしくない。それは「過半数」では心許ない(?)あるいは軽すぎるという判断が基本にある。そこで明確に「多数」の合意だと言える量を考えると「1/2」の上は「2/3」となるわけだ。ついでながら「3/4」も探せばある。たとえば、「マンションの建替えの円滑化等に関する法律」なるものにその基準が登場する。こまかいことは措くとして、マンションの立て替えには建替組合の設立が必要で、その認可を受けるには、「建替決議を経て、定款と事業計画について建替え合意者の3/4以上の同意を得て、組合設立認可申請を行う」と決められている。これは「4人に3人以上」「75パーセント」ということだから、「かなり多数」になる。
もちろん、それ以上もあって、「4/5=80%」「5/6=83%」「6/7=85.7%」「7/8=87.5%」「8/9=88.9%」「9/10=90%」となり、ついには「10/10=100%」に至っておしまいとなる。パーセンテージで表示すれば少数以下が出るが、人数だとすべて整数になる。そのどれを取るかが問題になるが、そこは「総合的、俯瞰的」に判断することになるか。 |
早朝夕刊(21) :「偶然」に「運命」の札を付ける 2020/10/21 Wed(5:48am)7377 昨日(早朝夕刊(20))の続き
人は「偶然」に「運命」という札を付けたがる。わたしもその一人である。この話、1回では終わらないから、「二つの札」は最終回(?)までもつれ込む。
さて、先週の土曜日は「教員免許状更新講習」の日だった。今年度のわたしは「対人関係スキルアップ・トレーニング」が5回、「学校における危機管理の心理学」の2回、あわせて7回の講座を担当している。熊本大学は県内に5ヶ所のサテライト会場を設定しており、わたしは人吉・天草・八代・山鹿にも出かけることになっていた。ところが7月の豪雨と球磨川の氾濫が両地区に大きな被害をもたらした。そのため、人吉と八代の講座が開講できなくなった。 |
「2/3」「3/4」ルール 2020/10/21 Wed 7376 昨日の続き
ある問題が発生したとき、それが事前には「想像不能」であることが証明されれば、だれも責任を問われることはない。しかし、あらかじめ「想像不能」だったことを「証明する」ことはきわめて困難というよりは不可能である。したがって、ここでも「多数決」、と言うよりも「大多数決の原理」を採用するしかない。「ほとんどの」人たちがこの事態を事前に想像することはできないと考えれば、それを「想像不能」として、関係者の責任を問わないのである。
ここで「ほとんど」は曖昧だから、そこを利害関係者の「2/3以上」「3/4以上」などと数値的に決めておくことになる。それが小さな規模であればいいが、国家やさらには国際的な問題になると利害関係者は膨大な数になる。日本国憲法の改正は衆議院の100人以上、参議院であれば50人以上の賛成で改正を提起できる。その後、衆参両院の憲法審査会での議論を経て、両院の本会議で総議員の3分の2以上が賛成すれば、国会が改正を発議する。それから60~180日以内に国民投票を実施し、有効投票総数の過半数が賛成すれば改憲となる。ここに「総議員数の2/3」という数値が明記されている。 |
早朝夕刊(20) :「岩盤」×「隠れ〇〇」 2020/10/20 Tue(5:28am)7375 昨日(早朝夕刊(19))の続き
昨日は「隠れ〇〇」が日本人特有のものではなく、アメリカ人にだっているんだと書いた。わたしが仕事にしてきた[グループ・ダイナミックス]は「あらゆる(?)集団と人間の思考と行動に影響をおよぼす普遍的な要因(=行動の原理)」を探求することを目的にしている。そこで、「こうした共通性」には興味津々なのである。さて、もう一つ「岩盤支持者」も取り上げた。わたしの関心はこの両者の掛け算にも向けられる。つまりは、「岩盤支持者」×「隠れ支持者」の結果である。まさに「岩盤」だから、どんな風雨にも微動だにしない。そうかと言って、その全員が「自分は岩盤だ」と明言するのだろうか。 |
振り出しに戻った? 2020/10/20 Tue 7374 昨日の続き
「想定外」をキーワードにした議論は、紆余曲折(?)を経て、「頭に想い浮かんだこと」が「一定の条件」のもとで起きる「確率」を算出し、「適切な対応」をするしかないというところまで到達した。しかし、「到達」とは言いながら、じつは「出発点」に舞い戻っただけのことである。それでも、わたし自身はいろいろ考えたつもりである。だから、「その程度の結論」にもそれなりの充実感はある。
これに対して、ここまでフォローしてくださった皆さまには「時間の無駄づかい」感があふれていると推測する。そこは心からお詫びするしかない。もっとも、「味な話の素」はこの手のものの連続なので、「いつものことだよな」と寛容にお許しいただく方がおられることを密かに願っている。
ものごと、とくに事故や災害など、人命に関わる事象については、「確率」に基づく判断と対応が必要になる。その際に「その確率でよし」という評価は、その事象の専門家に依存するところが多い。それがいわゆる科学的評価である。その上で、具体的なアクションについては「多数決の原理」が働くことになる。ここでも「全員一致」を期待できないからである。 |
早朝夕刊(19) :隠れ〇〇の普遍性 2020/10/19 Mon(6:00am)7373
アメリカの大統領選挙が終盤を迎えた。世論調査の数値はバイデン氏がリードしている。しかし、わたしはマスコミの言う二つのキーワードに関心がある。それは[岩盤支持者]と[隠れトランプ支持者]である。
ある一定数の「何があろうと影響されない支持者」がいれば選挙に勝てる理屈である。もう一つの「隠れ支持者」も興味深い。ある党を支持している社会集団や組織に属していると、「自分はそうでない」とは言わない、あるいは言えない。しかし、選挙では本音で投票するのである。日本人は「集団主義的」でその影響を受けやすいと思われている気配がある。しかし、彼の国だって「隠れ…」はいるのだ。 |
確率の問題 2020/10/19 Mon 7372 10月16日の続き
あらゆる事態の発生に「絶対」の「枕詞」を付けることができないとすれば、「確率」を使わざるを得なくなる。ある状態が「想像不能」ではなく、「想像可」とした場合、それが「どのくらいの確率で起きるか」を判断する。その上で、どの程度の確率があれば「問題事象」として考え、その適切な対応を準備するかを決めるのである。こうした「文章表現」をすれば、「それはそうだ」と受け入れられるだろう。しかし、事実はそれほど単純ではない。
そもそも「確率」を導き出す過程そのものが「絶対」ではない。一般に、「確率」の計算の前に「条件設定」が必要だからである。そして、その「条件」によって結果が異なってくる。すると、今度は「そうした条件を設定する」ことの妥当性について議論しなければならなくなる。わたしは「確率」の専門家でないから、これ以上深入りするととんでもない間違いを犯す「確率」が高まるに違いない。ともあれ、すべての「確率」の根底には、それを算出するための「条件=前提」が存在している。そこで、その条件・前提を受け入れるかどうかが議論になるわけで、これまた「確率の問題」なのである。 |
早朝夕刊(18) :「またか」「どうして」「あり得ない」「信じられない」 2020/10/18 Sun(6:59am)7371
「またか」「どうして」「ありえない」。ついでに「信じられない」も付加すべき事態だ。またぞろ車のエアバッグで不正が明らかになった。それも欠陥製品で経営破綻したタカタを引き継いだジョイソン・セイフティ・システムズ・ジャパンで発覚したと聴けば「嘘だろ」と叫びたくなる。まさに開いた口が塞がらない。法令で定められた強度を満たしていない製品をメーカーに出荷していたという。まだ詳細な情報はわからないが、データを改ざんしたようだ。今回も「内部告発」がきっかけらしく問題の深刻さを語っている |
〝Inviting Disaster〟 2020/10/18 Sun 7370
いま「最悪の事故が起きるまで人は何をしていたのか」という、やたらと長い書名の本を読んでいる。著者は James R. Chiles で、2001年の出版である。原題が〝INVITING
DISASTER: Lessons from the Edge of Technology〟と、これまた刺激的である。事故は「起きる」のではなく人間が「起こす」、つまりは「招き入れる」ものだと主張している。
もっとも、〝invite〟には、そもそも「(危機・災難などを)招く、もたらす、引き起こす、招来する」という意味がある(ランダムハウス英和大辞典)。その用例として〝invite
accidents by speeding〟が挙げられている(同)。したがって、著者が「特別の意味」を〝INVITING〟に付加したというのでもない。
副題に含まれる〝Edge of Technology〟は、「科学技術の最先端」あるいは「最前線」といった訳語が定着している。わたしが読んでいるのは高橋健次[訳]で、2006年に草思社から出版されたものの文庫版である。訳者の「あとがき」を入れて514ページにもなる。それをわたしは楽しみながら読み進めているのだが、そのほとんどのページに付箋を貼らざるを得ない状況に困惑気味なのだ。 |
早朝夕刊(17) :インフルの予防注射 2020/10/17 Sat(5:41am)7369
わたしはずっと「インフル」の予防接種を受け続けてきた。熊本市は前期高齢者になった65歳の年だけ無料だった。その後は財政の事情だろう、1000円となり、現在は1500円である。それでも一般市民とくらべれば感謝しないといけない。
わたしは毎年の誕生日(休診日は翌日)を「その日」と決めている。昨年は1月に微熱が出て受診したところ「A型」と判定された。軽症だったのが予防接種の効果かどうかわからない。わたしの記憶では、前世紀のある時点まで児童生徒は無料で接種していた。その後、副作用が社会問題化し任意になったと思う。子どもは2回接種するので、親たちには大きな負担になる。 |
「うそ」発言の「うそ」 2020/10/17 Sat 7368
ある女性の衆議院議員が「女性はいくらでも嘘をつけますから」と発言したことが問題になった。当初は「そんなことは言っていない」と否定していた。ところが、一転して自分の発言を認めたという。「うそをつくのは性別に限らないことなのに、発言で女性のみがうそをつくかのような印象を与えご不快な思いをさせてしまった方にはお詫び申し上げます」と謝罪した。この議員はこれまでも物議を醸す発言で知られているが、今回は「自分は『そんなこと言っていない』とうそをついていた」のを認めたわけだ。これではシャレにもならない。
政治家には、性別を問わず公的な場で「失言」する人がいて、ときおり問題化する。そう言えば、大臣の引き継ぎに際して、都道府県を回って「相当ほら吹いてきましたから、後の始末をよろしくお願いします」と発言した政治家もいた。
大脳の中で「考える自由」は保証されなければならないが、それを「発言」として「行動」してしまうのでは、自己コントロール力に「?マーク」を付けざるを得ない。もっとも、「思ったことを言うのが正義だ、何が悪い」と確信を持っている様子にあふれた方もいますよね。 |
早朝夕刊(16) :干支の「ラッキー7」 2020/10/16 Fri(5:52am)7367
新内閣になって学術会議が話題になっているが、身分は「特別職非常勤国家公務員」である。その任期は6年で、3年ごとにその半数が任命される(日本学術会議法)。この点は参議院議員とまったく同じである。
会員の再任はないが、補欠の会員は前任者の残任期間が任期となり、この場合に限って1回だけ再任ができる。会員の定年は70歳である。わたしなんぞには縁もゆかりもない組織だが、ここでも「70歳」は一区切りなんだなあと思う。わたしは生まれてこの方、自分を直に見たことがない。この事実は今後も続くはずである。人生で干支も「ラッキー7(回目)」を迎えれば、外から見れば高齢者なのだ。 |
〔絶対〕と〔因果関係〕 2020/10/16 Fri 7366 昨日の続き
「〔絶対〕という二文字は、『〔絶対〕に使ってはならない』と言うときにしか〔絶対〕に使ってはならない」。相変わらず、わたしが好むダジャレ様の〔ことばあそび〕である。ただし、その真実性は〔絶対〕に、いや「きわめて高い」確率で正しいと確信している。
これを前提、あるいは「公理(?)」として受け入れるとどうなるか。その結果は「この世、あるいは宇宙で起きるあらゆる現象が確率的に発生する」という考えを生み出す。ここまで「遊びすぎる」とわたしのレベルでは思考が止まってしまう。「ものごとには因果関係、つまりは結果があれば、その原因が〔絶対」に存在しているはずではないか。お前さんは、「因果関係」についてどう考えているのだ
」。わたし自身が頭の中でわたしに聴いてきた。
そのときである。わたしの頭に「不確定性原理」なるものが浮かんだ。その内容についてはチンプンカンプンだが、極小の世界では「粒子の運動量(速度)を知ろうとすると、その位置を知ることができない。逆もまた真なり」という。こうした性質から、量子レベルでは「因果性」が実証できず、確率的に考えざるを得ないらしい。 |
早朝夕刊(15) :コンプレックス広告 2020/10/15 Thu(5:27am)7365
地方紙の夕刊で「コンプレックス広告」と呼ばれるものを知った。「体毛や体形を卑下する広告」のことらしい。日本語では「コンプレックス=劣等感」である。カタカナの「コンプレックス」だから目くじら立てることはないだろうが、英語は〝Inferiority
complex〟だ。さらに「優越感」は〝superiority complex〟だから、どちらも〝complex〟が付く、じつに「複雑な(complex)」話題なのである。そもそもは、様々な心的要因が「複合(complex)」した結果として「優越感」や「劣等感」が引き起こされるというわけだ。そんな流れの中で「マザコン」なるりっぱな和製英語も日常会話にしばしば登場する。 |
「ある」と「ない」の証明… 2020/10/15 Thu 7364 昨日の続き
昨日は、「ある」よりも「ない」の証明が困難だと書いた。しかし、ことはそう単純でもない。たとえばアリバイなんてのはどうだろう。わたしは論理的な整理はできないが、「アリバイ」が「ある」という証明なんぞはけっこうむずかしそうだ。
また、個々人の記憶については「ある」「なし」ともに証明が困難である。もっとも、クイズで明らかなように「何かを当てる」ケースでは「正解が記憶にある」証明になる。試験問題でも「記憶にある」から答えられるのである。この場合、「ある」方は容易に実証できる。
しかし、「自分はこういうつもりだった」とある行為の動機を語るようなときは、「すべてが正しい記憶」であることは証明できない。人は記憶内容について勘違いすることがあるし、そもそも自分の都合のいいように編集している可能性もある。それも大脳の「記憶効率化あるいは省エネ機能」に含まれる。その場合は、自分が記憶の編集をしていること自身に気づいていない。一方で「記憶にございません」は、それが真実であるかどうか証明できない。これを最初に防御手段として使った人間は神を脅かすほどの知恵者(?)に違いない。 |
早朝夕刊(14) :またまた「こんなのありかい?」 2020/10/14 Wed(7:11am)7363
何やら「GoTo イート」で大騒ぎになっているらしい。「トリキの錬金術」という流行語が飛び交っているという。わたしには何の関係もないが、とにかく300ウン十円で夕食1000円分がゲットできるのである。まずは農水省がこれを企画したのだろうが、「こんな初歩的な問題」に気づかなかったことに驚きと哀しさを覚える。もちろん農水省は委託したのだろうが、その過程で「この程度の問題」への対応が議論されなかったのは信じがたい。今回の「コロナ禍」では、問題発生の当初から「こんなのありかい」が続いている。
* このネタは先週の出張中に書いていたメモによるので、賞味期限切れ気味ですが…。 |
早朝夕刊(13) :「よかった」ではすまない 2020/10/14 Wed(5:30am)7362 昨日(早朝夕刊(12))の続き
台風が逃れてくれたおかげで予定通り帰熊できた。その一方で伊豆諸島は大きな被害が発生したから、単純に喜ぶこともできない。ところで、機材の変更で航空機が大きくなったことからアテンダントも臨時で二人増えたようだった。わたしが搭乗口に向かう先を二人が歩いていたことからそう思った。
それにこれまでだと、ボンバルディア機からボーイング機へ直ちに変更できない可能性がある。現今の航空会社の厳しい状況を考えると、ある意味では人も機材も交替できる「余裕」があったのだろうか。そうだとすれば、「3密低減でよかった」など言ってられない。生来の飛行機好きは航空会社を応援し続けている。 |
絶対にないことの証明 2020/10/14 Wed 7361 昨日の続き
これまで「想定外」に対するものとして「想像外」を使ってきた。これは「外」を共通にして両者を対比することを意図していた。しかし「想像外」は日本語として落ち着きが悪い。わたしの言いたいポイントを強調するのであれば、「想像不能」の方がいいと考えた。
ただし、これに対して「想像不能の事象」が「ある」ことを「証明しろ」と言われると、「それこそ想像不能です」と答えざるを得ない。何かが起きたとき、「そんなことは想像できるじゃないか」と当方の「想像力欠如」を攻め立てられれば、しどろもどろ状態に追い込まれる。われわれは「この世の中に、一般人には想像できない信じがたいことを想像できていた人がいる確率はゼロだ」と断定できない。
もっとも、そんな人には「事前に想像できていたという根拠を示してほしい」くらいの反論は可能だろう。これに対して日記やメモ、あるいは周囲の人たちに言いまくっていたといった「事実」を突きつけられれば、「いやあ、参りました」と驚きかつ頭を下げるしかない。ともあれ、「ある」という証明と比較すれば、「〔絶対に〕ない」ことを立証するのはきわめて困難なのである。 |
早朝夕刊(12) :機材変更の効果? 2020/10/13 Tue(6:09am)7360 昨日(早朝夕刊(11))の続き
機材変更にはなったものの、出発時刻は少し遅れただけだった。ともあれ台風でもう一泊を確信していたが、結果は予定通りになった。
ところで、本来はボンバルディアのプロペラ機だったのがボーイングのジェットに替わった。搭乗バスで移動中にボンバルディアのエンジンのフードを開けて点検している様子が見えた。すぐに「ああ、この機材の予定だったんだな」と推測した。それがおそらく正解だったことは、機内アナウンスの機材変更と遅れのお詫びを聴いてわかった。何はともあれ「コロナ禍」の完全制御にはほど遠い状況が続いている。ボーイング機の方が乗客定員が多いから「3密低減」では望ましい。 |
「絶対ゼロ」でなければ… 2020/10/13 Tue 7359 9日の続き
そもそも「人智の及ばない事態」であれば、それに対する防御策を考えることすらできない。それは「想像外」だったのである。もっとも、それが「本当に想像できなかった」のかどうかで議論が生まれる可能性はある。人間の「想像力」は「無限大」だから、「そんなこと想像できないのが問題だ」という者が現れる可能性はあり続ける。その中には、「そんなら先に言えよ」と言いたくなるケースもある。しかし、「確かに言っていた」ということもあるに違いない。
ここでも神ならぬ人間は、「絶対ゼロはない」という「公理(?)」あるいは「真実(?)」を受け入れざるを得ない。そうなると、先に進めなくなるから、最終的には「確率」あるいは「多数原理」を持ちだすことになる。つまりは、「ほとんどゼロと言っていいほど想像できなかった」「ほとんんどゼロと言っていいほど、それを想像した人がいなかった」という具合である。ここで「ほとんど」が曖昧ならば、数値を決めるしかない。たとえば、「そのことを想像できた確率が1/10000」とか「そのことを想像できた人の数が全人口の0.0001%」などと「みんな」で「決める」のである。 |
早朝夕刊(11) :台風の次は? 2020/10/12 Mon(5:45am)7358 昨日(早朝夕刊(10))の続き
セントレアの手荷物検査場で上着やPC、バッグをトレーに移したとき、空港内にアナウンスが流れた。「全日空熊本行き331便は機材変更のため、手荷物検査を停止します」。おやおや、検査場に入ってしまったわたしはどうするかいな。
そのとき検査場の係員が手荷物の移動をサポートしようと近づいてきた。係員はわたしが乗る便のことを知らないから、「いま検査中止と言いましたよね」と声をかけた。「欠航ですか」「いや機材の変更のようです」「ああ、それなら入っても良いと思います」。こんなやり取りをして、わたしはそのまま検査場を通過した。台風はパスしたが、機材変更で遅れる可能性が出てきた。 |
「趣味の仕事」への意欲 2020/10/12 Mon 7357
ある病院で実施した「リーダーシップ研修」のアンケート結果をいただいた。【研修目標の達成度】については全員が「達成できた」「ほぼ達成できた」で、【講義内容の理解】に関しても「理解できた」「ほぼ理解できた」と肯定的回答が得られた。「ほぼ」の人数は記されていない。
アンケートは質問内容だけでなく回答選択肢も考える必要がある。いわゆる世論調査でも「誘導的」質問や選択肢がありそうだ。ともあれ、研修を実施した立場からは「ほぼ」と判断/評価した理由も知りたくなる。また、それが講師を含めた研修側にあるのか、受講者側の要因が含まれるのかについても情報がほしくなる。
これと併せて「自由記述」が参考になる。その一つひとつを読みながら、つぎのスケジュールに生かすことを考える。全体としては肯定的な内容であることが多く嬉しくなる。それによって「さらに進化したい」というエネルギーが生まれる。先日、研修の受講者から「自分の父は先生より一つ上ですが、このごろは田舎でゆっくり過ごしています。先生は元気が良いですね」と言われた。こうした声を聴くと、ますます「趣味の仕事」を続けたくなる。 |
早出し夕刊(10) :台風はどこ行った? 2020/10/11 Sun(9:14am)7356
今回の台風14号が東海地方に近づくことは必至の状況だと思われた。わたしは木金の二日間、ご当地で研修をしてセントレアに泊り、10日の朝7時55分の第一便で帰熊するつもりでいた。しかし台風の進路を見れば、もう一泊は必要だと確信した。ところが前日の夕刻になってもANAから欠航するとのメールは届かない。仕事を終えてからセントレアに着いたときは、ちょっとした雨は降っていたものの、「台風はどこなんだ」感にあふれていた。そんなこんなで、10日は何事もなかったかのように飛行機は離陸し帰熊した。 |
東京裁判 2020/10/11 Sun 7355
映画「東京裁判」(1983年 小林正樹監督)をWOWOWで観ました。映写時間4時間37分という大長編です。この裁判の評価はさまざまですが、わたしにとって印象的なことがいくつかありました。
まずは①形式的な罪状認否、つまり全員が「有罪か無罪か」を問われ、当然のように「無罪」と答える手続きと最後に行われる刑の言い渡しの際に、氏名の語順は日本語どおりでした。裁判長は「HIROTA Koki」「TOJO Hideki」「KOISO Kuniaki」という呼び方をしていました。
②アメリカ人の弁護士が訴因となった罪に関して、アメリカの原爆投下を取り上げ大統領の責任まで示唆したことに驚きました。日本側ではアメリカが公平さをアピールするだけで、実質としては形式的な弁護に終わるのではないかと推測していたようです。実際は徹底したプロフェッショナルだったわけです。
③裁判開始は1946年5月3日ですが、判決の言い渡しは48年11月12日、刑の執行が12月23日で、これはわたしが生まれた年に当たります。
何と言っても4時間37分もの長尺です。この映画だけでも取り上げるべきことは多々ありますが、それはまた別の機会といたしましょう。 |
初めはみんな赤ん坊だった 2020/10/10 Sat 7354 *ANA331便(am8:30)
世の中には、誰もが事実と認めることがある。その中でも「はじめはみんな赤ん坊だった」は議論の余地がない。さらに、最初は「1個の受精卵だった」ことにも異論を唱える者はいない。つまり、少なくとも形の上では「みんな同じ」だったのである。
ただし、厳密に言えば、「1個の細胞に含まれる遺伝子」はすべて違っていることも科学的な事実である。そして、遺伝子の違いが人それぞれの違いを生み出す要因の一つであることは疑いない。たとえば肌や毛髪、おそらくは目の色などは生まれた当初から遺伝子の影響を受ける代表例だろう。さらに身長なども遺伝子の役割が大きいと推測する。また外からは見えない筋肉の質、いくつかの病なども遺伝子によるものとされている。
もっとも、身長などは、成長過程の食べ物などの外的な要因も影響を与えるだろう。こうしたことから、心理学では人間の行動や特性を「遺伝」と「環境」の相互作用の結果として考えてきた。ただし、二つの要因がお互いに絡み合っているとしても、その割合を「50:50」などと決定することは不可能である。まあ、「どちらがより強いか」程度のことしか言えないわけだ。 |
完全ゼロ達成「可能性ゼロ」のもとで 2020/10/09 Fri 7353 昨日の続き
トラブルが起きる「可能性」の「完全ゼロ達成」が「不可能」であることは、われわれの「公理」として受け入れられるだろう。したがって、その「可能性を限りなくゼロに近づける」ことが必要になる。その結果として、さまざまな「条件」が前提とされてくる。
個人の健康についても、「自分は絶対ガンに罹らない」と考える人は皆無に近いだろう。もちろん、人間はさまざまだから、「そういう人が一人もない」と断言するのは止めておこう。ともあれ、「絶対にガンに罹らない方法」を求められても、現時点では無理な相談である。そうかといって「ガンに罹りたくない」と言う理由であの世に急ぐこともない。
そこで、「ガンに罹る可能性」を認めた上で、出来る限りの対応を取ることが重要になる。日常的に食事に気をつける、運動をする、さらにはストレスをためないなどなど、テレビの健康番組で定番の健康法もガンの抑制に貢献するに違いない。さらに「人間ドック」をはじめ、いろいろな検診を進んで受けるのもガン抑制と発見に役立つ。そこでガンが発見されれば僥倖というものである。ただちに適切な対応を受ければめでたしめでたしとなる。 |
早朝夕刊(9) :透明人間 2020/10/08 Thu(5:14am)7352
「ものごとには必ず光と影がある」。わたしがいつも基本にしている発想である。もちろん、それは昔から「だれもが、いつでも、どこでも」言ったり聴いたりしていることで、わたしのオリジナリティ発想ではない。ところが、昨日の朝、ふと頭の中から「透明人間には影がない」という一言が聞こえた。そのとき反射的に「味な話のネタになる」と思った。ただし、「世の中に透明人間は実在しないから、あらゆるものには光と影がある」というじつに平凡なネタではあるが。
透明人間ということばを知ったのはわたしが小学生のときである。それは映画だったが、物語の内容は記憶から完全に消滅している。ただ、「コートの少し上に中折れ帽が浮いている」「煙草の煙が中空にたゆたっている」というイメージは鮮烈に残っている。いずれも「顔の見えない人物」がいることを描写していた。 |
「想定」のポイント 2020/10/08 Thu 7351 昨日の続き
気象庁の発表に「これまで体験したことのない」という表現が使われはじめたのはいつだったか。その後、この言い回しが日常的になった感がある。国土交通相では2016年から「1000年に一度」の雨量を想定した「洪水浸水想定区域」を公表しはじめた。この場合は「1000年に一度」という条件が付けられているから、まさに「想定」なのである。その際は「雨量」も合わせて算出されているだろう。
海外では、オランダは土地が海面より低いことで知られているが、堤防の中には「1万年に1度の高い波を想定した堤防」があり、「ロンドンのテムズ川の堰も1000年に1度の水害に備えている」という(ライフコラム
エコノ探偵団)。オランダの1万年はさすがだと感心する。
だれもが「絶対安全」を確保したいが、人智の及ばない状況が起きる可能性があるから、「絶対」は求められない。そこで災害等では、安全のために可能な限り厳しい条件を設定する必要がある。つまりは「想定」する際の「条件」が問題になる。雨量やそれに伴う水害等のケースでは「①どの程度の雨が降るか」「②それがどのくらいの期間で起きるか」がポイントである。 |
早出し夕刊(8) :メール対策 2020/10/07 Wed(9:24am)7350
わたしの「身辺整理」はメールにも適用される。現役のころとは比較にならないが、メールのやり取りはけっこうな量になる。ときおり気づくと1万を超えている。そんなことで「整理」をはじめた。かなりの時間をかけた結果、3000件ほどまで集約できた。それでも前期高齢者後期には多すぎる。そうかと言って、「えいやっ」と消去できないものもある。そこで現時点では2000件台を維持しようと目標を設定した。今のところ、3000件にはみ出したり、引っ込んだりの状況だ。さらに、メールチェックの時間をある程度決めることにした。とりあえず、「朝、昼、晩」の3回で我慢する力を身につけていこうと思う。 |
「想定できた」が「想定しなかった」 2020/10/07 Wed 7349 昨日の続き
東日本大地震の前に、東京電力が明治三陸沖津波の分析から敷地を越える津波発生の予測値を出していた。その場合は、発電所に海水が溢水し電源喪失を引きおこすリスクがあることを認識していた。これを受けて東京電力は、土木学会のへの検討依頼やそれに基づく対策の検討だかで終わっていた(日本学術会議
2019年 「我が国の原子力発電所の津波対策 -東京電力福島第一原子力発電所の津波対応から得られた課題-」。
これを「本コラムの定義」で言い換えると、「東京電力は地震による津波によって深刻なトラブルが発生することを『想定できた』が実際には『想定しなかった』」のである。さらに素人としては、2004年にスマトラ沖地震で発生した津波を想起する。その威力と被害の甚大さは、テレビで繰り返し伝えられたから、まさに直近と言える「実例」だった。一般人であれば恐怖や脅威を感じるだけで終わることもあるだろう。しかし、東京電力にとって「津波対応」は重要な仕事に含まれる。つまりは、津波に対するプロフェッショナルであるべきなのだ。それが学術会議の分析どおりだったとすれば「想定ミス」ということになる。 |
早朝夕刊(7) :母を尋ねる 2020/10/06 Tue(6:27am)7348
いとおしや見るに涙もとどまらず親なき子の母を尋ぬる
道のほとりにをさなき童の母を尋ていたく泣くをそのあたりの人に尋ねしかば、父母なむ身まかりにしと答え侍しを聞て 源実朝「金塊集」
先月、車の中に二人の女児を放置して死に至らしめた母親がいた。ニュースを観たときは、報道されない事情があるのかもしれないと思った。その後、時間の経過とともに、母親は男性と朝まで飲食し、車の外から子どもたちが見えないようにしていたことなどが明らかになった。子どもたちは母のことを呼び続けたのではないか…。 |
想像できた地震 2020/10/06 Tue 7347 昨日の続き
これまでの議論からすれば、「想像外」とは「想像すらできない事象」を指す。まさに神ならぬ人智の及ばないことである。何かが起きたとき、そうした評価が行われる場合は「致し方ない」ことになる。誰に対してもその責任を問うことはない、あるいはできない。
これに対して「想定外」は「想像はできたが、一定の条件を付けて、それが起きた場合の対応は考えなかった」ということである。東京電力福島第一発電所の場合は、貞観地震という先例があった。それは平安時代の貞観11年5月26日(ユリウス暦869年7月9日)、陸奥国東方沖の海底を震源域として発生したと推定されている。マグニチュード8以上の巨大地震である。
このことから、2011年の東日本大震災は「想像もできない地震」ではなかった。それは1100年以上の前のことだから、津波の痕跡は目に見える形では残っていなかったかもしれない。しかし、1000年も経っているのだから、そろそろあってもおかしくないと考えることもできる。そうした意味で「十分に想定可能な地震」だったと言える。そこで問題になるのは、同程度の地震が起きた際に発生する津波の大きさである。 |
早出し夕刊(6) :お礼の辞 2020/10/05 Mon(8:51am)7346
わたしは、昨日10月4日をもって熊本県教育委員会委員の任期を終えました。この間、教育委員ならではの貴重な体験をさせていただきました。県立学校の入学式や卒業式に参列して式辞を読んだり、教員採用試験の視察などはその代表例です。特別支援学校における卒業式の感動は忘れられません。さらに教科書の選定にも関わることができました。
わたしは、40年に亘って熊本大学教育学部で過ごしました。そうしたことから、教育委員の仕事は人生の終盤にいただいた大きな贈り物だと受け止めておりました。これからは熊本県の教育を応援する一員として過ごしていきます。本当にありがとうございました。 |
車と死亡事故 2020/10/05 Mon 7345 昨日の続き
人の命が掛け替えのないものであることは言うまでもない。したがって、それが何であれ、人の命を奪う可能性のあるものがあればそれを排除する必要がある。この一文に誤りは微塵も含まれていない。しかし、ここで「もの」の代わりに具体物を入れると一瞬にして悩ましい問題が発生する。
たとえば「車」は人の命を奪う可能性のある典型的なものである。それは可能性ではなく現実に人の命が失われている。今年上半期の交通事故死亡者数は1,357人である(警察庁)。しかし、それが故に全国から車をなくすという議論が起きたことはない。それは、車が社会の存続に不可欠のものになっているからである。もちろん、車の安全性や道路環境を改善することは必要であるし、そのための施策も講じられてきた。また、近年では自動運転に対する期待が大きく、中国では公道での実験も行われている。それは「①車をなくすことはできない」「②車による死亡事故が発生している」「③死亡者を限りなく『ゼロ』にするための対策をとっていくことが不可欠である」という流れである。つまりは、「死者が出る可能性があるから車をなくす」となはらないのだ。 |
早朝夕刊(5) :今月の写真 10月の雲 2020/10/04 Sun(5:34am)7344
10月の空も雲がすばらしい。これは東北に向かう途上に撮った「雲の絨毯」である。夏の入道雲は力とともにおどろおどろしさも背負っている。その点、秋の雲はキレがあって透き通っている。それでも空の上から見ればふわふわで厚そうにも見える。わたしは雲が好きで飛行機に乗るときは若いころから、前期高齢者後期に達した現在に至るまで窓側を選ぶ。昨年までは飛行機乗りまくりの感があったが、それも「コロナ禍」で激減している。 |
「想定外」と「想像外(?)」 2020/10/04 Sun 7343
「想定」とは、人が「仮に」「一定の条件」を付けて、その対応を考えることである。したがって、厳密な意味で「想像できなかった事態」は「想定外」のことではない。われわれは「仮に『想像できないこと』が起きたらどうするか」に対して具体的な対応策を設定することはできない。あえて言うなら、「それは、そのときに考えるしかない」が正解である。
だから問題が発生したとき不用意に「想定外」を使用するのは気をつけた方がいい。それは「そんな可能性もあり得るとは思ったのですが、自分たちのところでは『それはない』と判断しました」と言っていることになる。これに対して、「どうして『可能性はあり得るのに、自分たちにはない』と思ったのか」と詰問されることは容易に予想できる。そうなれば、「たしかに私どもの判断が甘かったとしか言いようがありません」と頭を下げざるを得なくなるのである。
しかし、物理的な現象もわれわれに起きる出来事もさまざまなものから影響を受けた結果として現れる。それぞれの時点で頭に浮かぶ問題発生の可能性を「すべて排除」することを要求されるのであれば、われわれは生きていけない。 |
早朝夕刊(4) :〝Sontaku〟in The White House 2020/10/03 Sat(6:27am)7342
トランプ大統領がコロナに罹った。公式報道は「軽症」とのことだから、それはそれでけっこうなことである。ただし、選挙前に活動を抑制せざるを得ないのはダメージだろう。そうは言いながら「人の心」はわからない。トランプ氏の「ポピュリズム・パワー」は歴史に残る突出した強力さを誇る。ここで「軽症」をどう使って勝負に出るか。
ところで、マスクをしないことをアピールしてきた大統領だが、周りにいる人たちもマスクなしでいたらしい。その具体的な人数や状況についてはわからない。ただ、これを聴いて「これぞまさに『忖度』のホワイトハウス版だなあ」と感動するとともに思わず笑ってしまった。 |
早朝夕刊(3) :今月の写真 10月の朝 2020/10/03 Sat(6:02am)7341
数年前に宮﨑県の五ヶ瀬町に講演で出かけた。その際に木地屋に泊まった。翌朝、外を見るとすばらしい光景が広がっていた。「ああ、日本の10月だなあ」。そんな思いが湧いてきた。猛暑の夏が過ぎて、9月はまだ残暑の日もある。それが10月を迎えると一気に「秋深し」モードになる。空は澄み切って、まさに「天高し」そのものが体感できる。この町に蕎麦焼酎で知られる「雲海酒造」の酒蔵があるのは十二分に納得できる。その「雲海」も気が付けば文字通り雲散霧消、「アッ」というまに消えるのもなかなかいい。 |
「想定」できる前提 2020/10/03 Sat 7340 昨日の続き
さて、【想定】の意味として複数の辞書に共通しているのは、「仮定として」「考える」ことである。その文字通り、あることや事態を「想い定める」わけだ。まずは「仮定する」のだから、その前に「一定の状況や条件」が必要になる。それは、「想定する」主体が「状況や条件」を考える能力を有していることが前提にある。
たとえば地球に深刻な影響を与える飛来物の衝突は「想定」できる。それが恐竜を絶滅したともいう。ユカタン半島沖のメキシコ湾にあるチクシュルーブ・クレーターは小惑星衝突の痕跡だとされている。こうしたことから、これから同じ事態が発生することは容易に「想定」できる。ただし今日では、それが起きる可能性や日時、衝撃の度合いなどなど、さまざまな予測が可能になったから、これから先それが「事実」と認定される日もくるだろう。そうなったとしても、人類は存続に繋がる有効な手段をもっているだろうか。あるいは選ばれし者のみが地球からサヨナラする、そんな時代になっているかもしれない。いやいや、それが起きるはるか前に、人類は滅びている可能性だって「想定」しておいた方がよさそうな気がする。 |
早朝夕刊(2) : 「ストレスなし」の能天気 2020/10/02 Fri(6:21am)7339
ある知り合いへのある日のメールである。〇〇□□さま おはようございます。昨年度より「花のフリーター」となり、「趣味の仕事」に励んでいます。今回の「コロナ禍」で、3月から6月までの仕事はすべてキャンセルあるいは延期となりました。そのため、「自宅の巣ごもりワーク」に精励中(!)です。腕立て伏せ15回を2~3回、ラジオ体操、筋トレストレッチで体力維持中です。ともあれ、「外出なし」でも「ストレスなし」の能天気状態です。しっかり時間の余裕ができて、「味な話の素」も「早朝夕刊」「Short
shot」が連載化状態です。とにもかくにも、この状況をプラスに活かしましょう!あるいは、「どうしたらプラスに活かせるか」を考えましょう!人生にバックギアはついていない。 |
「難解さ」の追求 2020/10/02 Fri 7338 昨日の続き
広辞苑の【想像】の項は淡々としているが、別項目で追加がある。
たとえば、〈想像力〉では「①想像をする心的能力。②㋐カントでは、感性と悟性の性質を分有し、両者を媒介して認識を成立させる能力。構想力。㋑ニーチェ・サルトルらでは芸術経験の想像・享受両面における形象生産の契機」。「想像力」だけでカントにニーチェ、サルトルまで登場させる。さらにその内容はやたらと難解にする苦心の跡が見える。㋐だけでも、「感性」「悟性」は言うまでもなく、人によっては「分有」に「認識」「構想」だって引きたくなるかもしれない。まさに広辞苑の面目躍如と「認識」し、かつ感動し、これを仲間と「分有」したい気持ちになった。
さらに、〈想像もつかない〉もあって。「その事柄がとっぴすぎて想像することもできない。考えが及ぶ範囲を超えている」と来るから、一般ピープルは一安心する。ついでながら〈想像を絶する〉には「普通に考えられる範囲を超えている。とても考えられない」との解説で、「そりゃあそうじゃなあ」と苦笑いした。 |
早朝夕刊(1) : 初「リモート研修」終了記 2020/10/01 Thu(6:00am)7337
昨日、わたしにとって初めての「リモート研修」が無事に終わった。スケジュールは1日半で、初日の午前と午後3時間に2日目がお昼までの3時間、計6時間である。
こちらは主としてパワーポイントを提示しながらコースを進めていく。その中でグループワークも入れる。ただし、「コロナ禍」ということで、本格的なグループは組めず、2人から3人の情報交換となった。それもフェースシールドを付けてのことである。その間、わたしは会場の様子をPCで観ていた。受講者たちの声も聞こえてきた。
こちらがどのように映っているのかを確認するために写真を撮って送ってもらった。会場の大スクリーンやモニターテレビにパワーポイントが映り、わたしが話しかけている様子も小さな枠として組み込まれていた。それを予想してカメラ目線で、手振りも交えながら話しかけた。その雰囲気が少しでも伝わっただろうか。ともあれ、パワーポイントの動きもスムースだったようだ。そんなことで、「初」としては合格点を出しておきたい。
これまで半世紀以上に亘ってライブでない研修など考えたこともなかったが、ここにきて大変化が起きたのである。 |
「想定」と「想像」 2020/10/01 Thu 7336
【想定】[精選版 日本国語大辞典]仮に、ある状況や条件を考え定めること。ある状態を仮定すること。[明鏡国語辞典]ある状況・条件などを仮に考えてみること。(広辞苑)ある一定の状況や条件を仮に思い描くこと。
すべてに共通するのは「仮に」である。また「考える」と「思い描く」は文脈から同義と言っていい。
ここでもう一つ【想像】について見ることにしよう。[精選版 日本国語大辞典]おもいやること。実際には経験のない事物、現象などを頭の中に思い描くこと。根拠のある推測や、現実からかけ離れた空想をもいうことがある 心理学では、現実の知覚にあたえられていない事象を心に思い描くことにいい、過去の経験を再生する再生想像と、過去の経験を材料にして新しい心象を想像する創作創造とに分ける。[明鏡国語辞典]実際に見たり経験したりしていない事柄を頭の中で思い浮かべること。[広辞苑]①実際に経験していないことを、こうではないかとおしはかること。②現前の知覚にない物事を心に浮かべること。
[精選版 日本国語大辞典]は心理学の「想像」にも言及している。[広辞苑]の記述は淡々としたものだ。 |
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