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 味な話の素  No.200 2020年01月号(6683-6731) Since 2003/04/29
早出夕刊(18):ウランのオークション 2020/01/31 Fri (7:50am) 6731
 
「ウランをネットで売買 出品・購入者を任意聴取」(東京新聞Web 2020年1月31日夕刊)。私はウランの危険性を科学的に評価できない。しかし、「ウラン」がインターネットのオークションで売買されたと聴けば驚愕し、衝撃も受ける。問題の品は粉末でガラス管に入っていたが、検査したところ放射線が確認されたという。落札したのは複数らしいから出品も複数なのだろう。
 放射性物質がテロ目的に使われれば深刻な影響を及ぼす。いつだったか原爆の製造法がネットに上が1て大騒ぎになったこともある。これは海外のケースだったが今回は国内の出来事である。人類がとんでもない方向に進んでいるのである。
謝罪の賀状 2020/01/31 Fri 6730  
 
元日の年賀状に日本郵政の挨拶文が付いていた。「あけましておめでとうございます
今年も皆さまの想いをつなぐ年賀状をお届けいたします」まではよくある挨拶文である。それから「本文」に移るのだが、これが「まず郵便局におけるかんぽ生命商品の募集につきまして 皆さまに多大なるご心配とご迷惑をおかけしましたこと深くお詫び申し上げます」と謝罪する。
 年のはじめから「お詫び」とは前代未聞の「賀状」である。そもそも「日本郵政グループは145年以上」の歴史を持ち、「全国2万4千の郵便局ネットヮーク」を誇るのである。この書面の最後は「改めてお客さま本位の精神を深く胸に刻み お客さまのご意向に沿わず生じた不利益を着実に解消し 一日でも早く皆さまからの信頼を取り戻せるよう グループ一丸となって全力を尽くしてまいります」でまとめる。
 日本郵便と言えばでは年賀はがきのノルマが問題になっていた。このときは職員に対するプレッシャーだったが、今回はそのプレッシャーが一般の顧客に損害を与えるとんでもない事態になった。小泉首相のライフワーク(?)だった郵政民営化であるが、現状をどう評価するだろう。
 
早出夕刊(17):永世名人の降級 2020/01/30 Thu (7:42am) 6729
 
将棋の「谷川九段、B級2組に降級」という見出しは将棋知らずにも相当な衝撃だった(熊本日日新聞 2020年1月24日夕刊)。谷川九段と言えば「永世名人」である。この立場の者が「B級2組」に在籍したことはないらしい。
 これまでの通算成績が2勝9敗になった時点で「降級」が決まったという。来期については「よほどのことがなければ2組で指すつもりです。気持ちを入れ替えてまたやりたい」と語っている。それぞれの世界に特有の空気や常識があるが、谷川九段は57歳だから、その若さで引退などは考えられないだろう。それにしても、まさに勝負の世界、勝敗だけがすべてを決める。何とも厳しいことである。
 
京マチ子 2020/01/30 Thu 6728
 昨年の5月12日、俳優の京マチ子が亡くなった。享年95歳だから天命を全うしたというべきである。私がこの女優のすごさに感動したのは黒澤監督の「羅生門」である。
 野盗から襲われる武士の若妻役だった。自分の夫からの支えを期待していたのに、野盗に対して「こんな女はくれてやる」と言われたときの表情に目を瞠った。人間が、まったく予期していなかったことを言われたりされたりしたときの、言葉では表現しようのない表情がスクリーン一杯に映し出されたのである。
 それは福岡の西新にあった映画館だった。そのとき、「黒澤週間」といった企画があったのである。私はその後もこの映画を20回ほどは観ているが、「このシーン」が来ると鳥肌が立つ。もう一つ、夫を演じた森雅之の「目」もすさまじかった。両者に共通しているのは「言葉」ではなく「顔の表情」である。まさに「目は口ほどにものを言い」どころか「表情は心のすべてを伝える」のではないか。
 黒澤監督、三船敏郎、森雅之、そして志村喬も亡くなって、「羅生門」を観るたびに「京マチ子はどうしてるかなあ」と思っていた。ついでながら、西新の映画館にあったスクリーンまでの傾斜まで記憶に蘇ってくる。素晴らしきかな、人生のわが記憶!
 
早朝夕刊(16):「法廷」の「正義」 2020/01/29 Wed (6:12am) 6727
 
「法廷の正義]とは何なのだろう。高速道路で高級外車を無免許で時速200キロを超えて走らせ追突したトラックの運転手が亡くなった事故の被告に懲役8年が言い渡された。弁護側は事故の原因を「カーナビを操作した際の脇見運転」と主張していたという。裁判長は監視カメラなどから速度を認定し、「この速度でカーナビを操作したとは考え難く、仮に操作したとすれば無謀だ」と述べた。
 この件、被告自身が「カーナビを操作していた」と訴えたのだろうか。そうだとして、弁護士はそれを「事実」として心底から信じているのだろうか。それが刑を軽くするための「方策」だとすれば「法廷の正義」とは何なのだろう。
 
一区切り 2020/01/29 Wed 6726 昨日の続き 
 
この連載(?)は21日の「早朝夕刊」からはじめたが、ここに来て大いなる悩みが生まれた。このまま書き続けていくと、どこまで行くのか予想がつかないのである。私としては「リーダーシップ」がライフワークだから問題はない。また、あえて1993年のメモを取り上げて、「けっこう昔からいい話をしているでしょう」と自慢したいから、当時のネタを一気に取り上げようと考えた。
 ただ、「味な話の素」の性格上、同じ材料だけで続けていては「味」の多様性が失われる。そこが悩ましいのである。そこでとりあえずこれまでの内容を整理して、改めて「連載」にしたいと考えた。
 そもそも「某デパート」の研修は「人間関係シリーズ」と位置づけられ、メモは[PartⅢ」になっている。そして、この日の演題は「あなたは部下を活かせますか」である。この日は、まずは事前に実施した調査の結果を金城集団力学研究所員(現名桜大学教授)が報告している。その後、私が「2.部下をどう活かすか」の見出しで「1)あなた自身のリーダーシップは、モラールは?」として「①やってるつもりでは部下はついてこない」について話したのが昨日の内容である。
早出夕刊(15):青年期の自死 2020/01/28 Tue (7:46am) 6725
 
WHOによれば、青年層(15歳~29歳)の死因の第2位が「自殺」だった(2016年)。国別では10万人あたりの死亡率1位はロシアの26.5でウガンダの20が続いている。高所得の国ではベルギーが15.7、アメリカは13、日本は14.3だった。
 わが国では、2010年は19、15年は15.1と低下している。先だって公表された厚生労働省のまとめによれば、昨年の自殺者数が2万人を下回った。しかし、19歳以下では、自殺が死因の第一位になっている。かつてのわが国では「人生の意味・生き方」といった思索的な悩みが原因で自ら命を絶つケースが少なくなかった。今日ではいじめや対人関係の問題による自死が深刻化している。
 
「やってるつもり」だけでは… 2020/01/28 Tue 6724 昨日の続き 
 
某デパートでの講演では「やってるつもりだけでは部下はついてこない」と強調している。これは「リーダーシップ」を考える際の基本である。
 世の中のリーダーの多くは「自分はリーダーとしてなすべきことはちゃんとしている」と思っているだろう。日常的に「なすべきことをしていない」と確信しているリーダーがいるとすれば、その時点でアウトである。だから「こんなにしているのに理解されない」と悩ましい気持ちになる。そこで「どうしたらわかってもらえるだろうか」と考えれば道がひらける。そこには「自分が変わる」可能性が含まれているからである。
 しかし、これがけっこうむずかしい。自分のリーダーシップがうまくいかないのは「部下たちに理解力がないからだ」と思いたくなる。「自分は正しいが、相手に問題がある。だからうまくいかない」。こうなると問題の解決はおろか、事態はさらに深刻化する。
 もちろん、「客観的」には部下側の理解力に問題があるケースも少なくないに違いない。それならそれで、①部下の理解力に合わせるか、②理解力を高めることが必要になる。そこで①から始めて、②を実現するのが順当だろう。
 
早朝夕刊(14):「チェック」の「チェック・ミス」 2020/01/27 Mon(5:43am) 6723
 
新居浜市にある住友重機械の子会社で生産設備向けに納入する部品の検査データに改ざんがあった(熊本日日新聞 2018年10月2日)。その前の9月にクボタが不正を公表したことを受けて社内調査したら取引先66社のうち国内外の38社に不正な製品を納めていた。
 不正の理由は「検査項目を参考値や目標値程度に取り扱っていた」からだという。そして、改ざんは「相当前から行われていたと見られる」と説明している。今となってはいつからどうしてそうなったのかも不明のままで終わるにちがいない。この「検査不正」の問題はストップがかからない。ともあれ、「チェック」の「チェック」が行われていないのである。
 
管理職と部下のモラール 2020/01/27 Mon 6722 昨日の続き 
 
某デパートにおける講演メモ(1993年3月19日)の冒頭で、管理職の受講者に「あなた自身のリーダーシップは、モラ一ルは?」と問いかけた。リーダーシップの発揮にはリーダー自身の「モラール」が高いことが必要だという話である。
 そのあと、メモは「部下のモラールは上司の責任」と続いている。組織の管理職たちは、「部下のモラールが低い、やる気がない」と嘆く。しかし、「それもあなたのリーダーシップが影響を与えているのですよ」というわけだ。某デパートの研修は「集団力学研究所」が受託していた。そこで中心的な役割を果たしたのはリーダーシップPM論に基づく調査だった。PM論について話し始めると先に進まなくなる。
 ここでは、永年のデータ収集と分析によって、「リーダーシップが部下のモラールに与える影響」が明らかにされていたことだけを確認しておく。ただし、「部下のモラール」の「すべて」を「リーダーシップが決める」などあり得ない。そこで、①「リーダーシップ」によって「部下のモラール」が向上する余地があるから、②自分のリーダーシップを振り返り、その改善のために努めようと呼びかけたのである。
 
早朝夕刊(13):文房具界の戦争 2020/01/26 Sun(6:37am) 6721
 
文房具は子どもだけでなく大人にとっても楽しい製品に満ちあふれている。そうしたメーカーの中でも「コクヨ」「プラス」「ぺんてる」は身近に感じる名前である。ところが組織としては「楽しい、楽しい」の状況ではないようだ。
 筆記具メーカートップの「コクヨ」と2位の「プラス」が4位の「ぺんてる」買収をめぐって熾烈な戦いをしていた。ことの詳細など知りようがないが、「ぺんてる」では、創業者の孫が社長を解任されている。そのあたりの事情もいろいろあるのだろう。昨年末の時点で「コクヨ」の買収が失敗したような情報があった。ともあれ、企業がわれわれ消費者向けとは違う顔を持っているのは当然と言うべきか。
 
チョロチョロする鵼 2020/01/26 Sun 6720 昨日の続き 
 
さて、福岡市にある某デパートの研修を思い出しているうちに、教師の「生きる力」「自ら学ぶ力」にまで行ってしまった。ともあれ、「二つの力」は世のリーダー全員に求められるものだ。
 私は自分が鵼の如く怪しげな仕事をしていると自覚している。リーダーシップや組織の安全について研修や講演を依頼されるが、その対象は無制限(?)で、「ありとあらゆる(?)」領域に拡がっている。しかも、どこに行っても「同じ話(?)」をしている。その対象によって、「部下」「顧客」「患者」「児童生徒」「メンバー」「後輩」などの「用語」を入れ替えるだけである。
 こんなことを恥ずかしげもなく言えるのは、「リーダーシップ」や「組織の安全」に求められるものが、「あらゆる(?)人間集団」に共通しているからである。私は人間行動について「普遍的な法則」はないと考えている。その一方で、「どんな集団」においても「人間の行動」に「共通性」が観られることも事実だと確信しているのである。
 その結果、お誘いがあればあっちこっちに出かけることになる。今年は私の干支である。「チョロチョロ」に磨きをかけたい。
 
早朝夕刊(12):ニュースになるわなあ… 2020/01/25 Sat(6:37am) 6719 
 
「職業に貴賎の別はない」のは当然として、個々の職に期待されるものはある。また、子どものころ「犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛めばニュースになる」と聴いたときは「なるほどそうだなあ」と感心した。
 それにしても「女性巡査が風俗店勤務」という見出しには驚かざるを得ない(熊本日日新聞 2019年2月1日)。この巡査は3ヶ月ほどの間に派遣型の風俗店に勤務して8万円ほどの報酬を得たという。誰かが県警に通報して問題が発覚した。本人は「生活費の足しにしたかった」と言っているらしい。その後は処分を受けて依願退職というよくあるパターンである。たしかにニュースになるわなあ…。
※ 所属は伏せましたが熊本県警の巡査ではありません。
リーダーの要件 2020/01/25 Sat 6718 昨日の続き 
 
子どもたちの「『生きる力』と『自ら学ぶ力』を育てる」。私が学校教育と関わりを持ち始めたころに目にし、耳に飛び込んできた教師たちが共有している目標である。それは教育界のスローガンと言ってよかった。とにかく学校に行けばこのフレーズがあふれていることに新鮮さを感じる自分がいた。
 ただ、生来の天の邪鬼であることを否定しない私としては、これに対して「少しばかり」言いたいことがあった。手元の記録を確認していないが、おそらく1980年代もはじめのころだったと思う。私は授業研究会などに参加して発言を求められたとき、教師たちに次のような問いかけをした。
 「先生方は子どもたちの『生きる力』と『自ら学ぶ力』を育てることが大事だとおっしゃいます。私もそれはその通りだと思います。その上でお伺いしたいのですが、先生方はご自分の『生きる力』はどのくらいあると思われますか。また、どの程度『自ら学ぶ力』を持ち、それを仕事に活かされていますか」。
 その場の雰囲気から、これを皮肉と受け止めた教師もいたと思う。しかし、私自身は、この点こそがあらゆるリーダーに求められる基本的要件だと考えていた。
 
早朝夕刊(11):それでも騙される! 2020/01/24 Fri(6:44am) 6717 
 
昨日の朝、「50万円を拠出すると元本保証で毎月10万円が支払われる」と言って金を集める事件があり関係者が逮捕されたとのニュースを観た。
 詳細は措くとして、まずは聴いただけで愕然とした。今どき、太陽が西から出てきてもあり得ない話を信じる人がいるのだ。しかもこの手口に乗った人が3000人もいるという。それで稼いだ金が40億にも達するとなれば、もう驚天動地、表現する言葉すら見当たらない。そもそも預金の利子を引き出しに行けば電車賃で赤字になるという時代である。そうだからこそ「ちょっとでも収入になれば」という気持ちを揺すぶるのか。これが本当なら年金問題など吹っ飛びますよね!
 
デパートから学校教育の思い出 2020/01/24 Fri 6716 昨日の続き 
 
福岡市にある「某デパート」の研修でリーダーシップについて話したメモがある。日付は1993年3月19日だから30年近く前のことになる。メモには80分という時間も記している。冒頭は「部下をどう活かすか」の見出しを付け、その下に「あなた自身のリーダーシップは、モラ一ルは?」と続く。部下たちのモラール、つまりは意欲を考える前に自分のやる気を振り返ることを提案しているのである。
 これに関連して思い出すのは教師である。私は学校教育から離れたところで大学時代を過ごしたから、学校教育と関わるようになったのは、1979年10月に熊本大学の教育学部に採用されてからである。その後は学校教育とは切っても切れない関係ができた。現在は熊本県の教育委員を務めているが、その役割を果たすのは、40年以上に亘って教育に関わらせていただいたことへの恩返しだと考えている。
 私が学校での授業研究会などに出かけはじめたころのことである。それまで目にしたり、聴いたりしたことのない「フレーズ」が、教師たちの間で飛び交っていることに気づいた。それは子どもたちの「『生きる力』と『自ら学ぶ力』を育てよう!」というものである。
 
早朝夕刊(10):台湾の列車事故 2020/01/23 Thu(6:02am) 6715 
 
台湾で日本製の電車が事故を起こし18名が亡くなったのは2018年10月21日である。その後、車両に設計ミスが見つかったということで、製造会社の責任も問われる状況が生まれていたが、どうなっただろうか。事故発生直後は運転手のミスと報道されていた。それが設計ミスが絡めば日本製の信頼に係ってくる。
 それにしても直接の原因は運転士が「自動列車制御システム」を無断で切ったことによるとされている。これに対して運転手は「管制部門の同意を得た」と主張し、両者の言い分に違いがある。その際の交信記録は残されていないのだろうか。航空機のフライトレコーダに対応するものがあっていいと思うが…。
 
吉田の「漫談」 2020/01/23 Thu 6714 昨日の続き 
 
「某デパート」についてはいつも懐かしく思い出す一コマがある。それは大濠公園近くの施設で「リーダーシップ研修」をしたときのことである。おそらく厚生年金会館だったと思う。
 まずは研修の前座として私がちょっとばかり話をした。その後で三隅先生の講演になった。先生は研修室の前方に進まれ、黒板を背にしてから、「吉田先生の漫談が終わったので…」と講演の口火を切られた。この一言で会場に笑いが拡がった。もちろん私も笑った。それも心から嬉しくて笑った。私の横に座っていた先輩のAさんが「吉田さん、先生が意識してる」とニッコリ微笑んだ。ただそれだけのことである。
 もちろん大三隅先生の向こうを張る気持ちなど、その当時も現在もさらさらない。ただ三隅先生が「吉田は『漫談』っぽく情報を提供する」と認識されたのは事実だと思う。先生も講演の中でご自分としてはジョークだと確信するネタや表現を入れられることがあった。しかし、ほとんどのケースで、その効果は相当程度に怪しかった。そもそも先生に「漫談」は必要なかったのである。
 これが「某デパート」と一緒にくっつき続けている私の楽しい思い出である。
 
早朝夕刊(9):天才の心情 2020/01/22 Wed(5:51am) 6713 
 
世の中にはすごい人がたくさんいる。演劇の知識は皆無だからまったく知らない人だが、笈田ヨシという俳優・演出家の記事を読んだ(熊本日日新聞 2019年3月8日夕刊)。
 半世紀も前の1968年にフランスに渡って活動しているとのこと。慶應を卒業してから文学座に入り、杉村春子や三島由紀夫に出会った。そこで「天才のそばにいると、自分は凡才だと素直に受け入れられる。それが一番の収穫だった」という。この言葉に感動する。さらに「自分が考えることはたかがしれている。自分で考えたものは目的でなく。出発点」との発言も心が動かされる。
 笈田氏は真の凡人から見れば、その心情も含めて文句なしの天才である。
 
リーダーシップ・サービス論 2020/01/22 Wed 6712 昨日(早朝夕刊)の続き 
 
講演メモを整理していて、1993年3月19日に福岡市にある某デパートでのものが出てきた。それを見て、「いいこと言ってるジャンか」とにんまりした。このときは管理職が対象で、リーダーシップに重点を置いて話をしている。
 まずは「リーダーシップは部下に対するサービス」であることを強調する。何と言ってもデパートは販売する品物だけでなく、サービスが商品そのものである。そのプロに徹している管理職に対して、「皆さんはお客様サービスの向上にはしっかり励んでいますよね。その割には『部下に対するサービス』が苦手な方が多いのではないですか」と皮肉を交えながら問い掛けている。この講演の前に、管理職は自分のリーダーシップについて、部下からの評価を受けていた。その結果は望ましいものもあるが、管理職によっては相当程度の改善が求められるケースもあった。そうしたことから、「部下に対するサービス」のプロフェッショナルになるべくチャレンジしましょうと呼びかけたのである。
 これはデパートがサービス業だからではなく、私は1980年代から、講演や研修で「リーダーシップは対人関係におけるサービス」というフレーズを使っていたのである。
 
早朝夕刊(8):講演メモ 2020/01/21 Tue(7:28am) 6711 
 
手元のファイルに入れたままだった講演メモを整理するというか、廃棄を続けている。ものを捨てる際には、あれやこれやが目に飛び込んでくる。その中には懐かしさにあふれていて、「ちょっとだけ」と読みはじめる。こうした体験は誰にもあると思う。
 しかし、これがいけない。その瞬間に廃棄の時間が止まってしまう。それだけではない、「廃棄止め」の誘惑と大葛藤する。またメモに記載している項目だけを見て、「われながらいいこと言ってるジャンか」とスーパー自己満足するものがある。このほか、項目だけでは、「これって具体的にはどんな内容だったっけ」と思い出せないものもある。いやはや困ったものだ。
イチローの「義務」? 2020/01/21 Tue 6710  
 
梨田昌孝氏「温厚知新」のタイトル「引退のイチローさん 後進の指導は義務」を見て笑った(熊本日日新聞 2019/4/16 夕刊)。
 その内容は、①引退したイチローが3度目になる国民栄誉賞を辞退したことにびっくりした。②その際、「人生の幕を下ろした時に頂けるよう励みます」と返答したことを、野球界で数々の金字塔を打ち立ても、なお野球で目指していることがあると受けとめた。③記者会見では、監督については「人望がない」と否定したが、人望の有無は自らが評価するものではない。技術、精神両面で前人未到の境地に達したのだから後進を指導するのは、もはや義務であると言いたい。④選択肢はさまざまで、プロ野球の監督以外に大リーグ監督、ゼネラルマネジャーなど球団の要職も勤まる。ワールド・ベースボール・クラシックの監督には最適任者だと思う。
 梨田氏が言いたいことはよくわかる。また、現役を退いたのだから「イチローさん」と敬意を表していることも頷ける。それでは私は何を笑ったのか。それは、後進を指導することを「義務」と断言したところである。こうした言い方をされたとき「イチローはどう思うんだろうなあ」と笑みがこぼれた。
 
早出夕刊(7):裁判記録の廃棄 2020/01/20 Mon(7:28am) 6709 
 
戦後の憲法裁判の記録が多数廃棄されていたことがわかった(熊本日日新聞 9月7日)。シーザーなら「裁判所、お前もか!」と叫ぶだろうか。最高裁によれば民事裁判の記録は原則として5年間保存する。ただし、史料や参考資料になるものは「特別保存」として事実上は永久保存となる。ところが、とくに歴史的に重要になる「審議過程」の文書が失われていたという。
 この記事だけではわからないが、誰がどこでどのようにして「特別保存」と決めるのだろう。そこが明確でないと、保存と廃棄の判断がいい加減になる。裁判記録は公文書であり、判例が法律と同様の力を発揮するのだから、それは国民の財産でもある。
 
公僕と国民と… 2020/01/20 Mon 6708  
 
「彼は私が知っている中で最も偉大な人物である。並々ならぬ勇気、高潔、洞察力、思慮、そして国家への献身など、ロ—マ人が美徳と呼んだものがことごとく備わっていた」(日本経済新聞 2019年12月13日)。これほどの賛辞を受ける人間はそういるものではない。個人を称える会合や結婚式ならあり得るかもしれないが、日経の「オピニオン」に掲載された一般読者向けの記事なのである。
 原文では「彼」は「ポール・ボルカー」となっている。私はボルカー氏がアメリカ連邦準備理事会(FRB)の議長を務めたことは知っているが、業績を評価できるレベルにない。ただ、これだけの賛辞を得る人が実在したことに感動する。寄稿者はチーフ・エコノミクス・コメンテーターのマーティン・ウルフ氏である。「ボルカー氏の美徳は決して色あせることがない。彼のような資質を備えた公僕がいない限り、そしてそのような人材が必要であることを熟知した国民がいない限り、安定した国政運営は望めない」。
 ウルフ氏の評論を読みながら、わが国の現状を振り返って、心臓が「ドキッ」と鳴った。はじめの「公僕」だけでなく、それに対応する「国民」として…。
 
早朝夕刊(6):エネルギーの変換 2020/01/19 Sun(6:39am) 6707 
 
物理学に「エネルギー不変の法則」というものがある。その具体的な理屈は当然知らない。私は集団における人間の行動を探求する「グループ・ダイナミックス」の視点から、「小さな刺激を大きなエネルギーに変換する」ことを考える。ここで「小さな刺激」を「リーダーシップ」とし、「大きなネネルギー」を「メンバーの意欲」に対応させるのである。
 これは「組織のリーダーはカリスマではなくミニカリスマであるべきだ」という私の主張の別の表現でもある。その詳しい内容は「YouTube(ホームページ『動画7本』)」に譲るが、リーダーは「小さな働きかけ」によって「大きな意欲」を引き出したいものだ。
 
孫たちと3000段を… 2020/01/19 Sun 6706  
 
ニュースを見ていたら、日本で最も高い「あべのハルカス」の展望台での成人式を取り上げていた。ビルは60階で地上300メートル、「大人の階段」として「1637段」を上っていた。けっこうなことである。
 ところで、階段と聞いて頭に浮かんだのは熊本県美里町にある「日本一の3333段」である。その数だけで比較すれば。「あべの」の2倍である。じつは、つい数年前のこと、佐俣の湯という温泉に出かけたついでに石段を「見に」いった。せっかくだから、「ほんのちょと」の気持ちで上りはじめたのはよかったが、これが止まらなくなった。そして、水筒もペットボトルも持たないままに3333段をクリアしてしまった。何かがあったら、「無謀で迷惑を考えない老夫婦」と批判されたに違いない。
 そのときは成功感に浸り、「もういいな」と思ったかというと、「今度は孫たちと来よう」とやる気が出た。あれからさらに体力が落ちているに違いない。しかし、勝手に決めたことながら、「孫たち」とのチャレンジは実現したいと思う。もちろん、ペースは比較にならないほど差があるはずだから、孫たちにとっては「一緒に上った」体験とはならないだろう。
 
早朝夕刊(5):南半球でも 2020/01/18 Sat(6:38am) 6705 
 
オーストラリアの首相に対する支持率が急落しているらしい(熊本日日新聞 2020年1月14日)。オーストラリアで大火災が発生し被害が広がっていることはわれわれでも知っている。そうした危機的な状況の中、年末に家族でハワイ旅行に出かけたことが判明したからである。
 それが影響してか、与党保守連合の支持率も総選挙以来初めて野党に逆転されたという。旅行は予定を切り上げて帰国し、軍の派遣や支援機関の設置を発表したものの効果はいまいちのようだ。
 わが国でも大災害のときに自宅を見に行ったり、番組に出たりで不興を買っている関東地方の知事がいた。自分の立場が認識できない政治家は洋の東西、いや南北を問わないか。
 
コンピューター教育への懸念 2020/01/18 Sat 6704  
 
「コンピューター教育推進 山梨の主婦らが異議 文部省に要望書提出」(熊本日日新聞 1993年10月24日見出)。スクラップブックを開いてみると時代の変化を感じる。すでにコンピューターが世の中に定着し、学校でも情報教育の推進が課題になっていたときの記事である。この年から、コンピューター学習「情報基礎」が中学校の技術家庭科に導入されていた。
 こうした流れに対して、主婦らがつくった市民ネットワーク団体が、文部省に義務教育学校の子どもたちにコンピューター教育を押し付けないよう要望書を提出したのである。その理由は、①コンピューターが放射する電磁波はさまざまな健康障害を起こす、②機械を媒介にする教育は人間関係を希薄にする、③教育で重要なプロセスが抜け落ちマニュアル化が加速する、などとされている。代表者は「成長過程の子供には危険だとされる電磁波の影響を特に心配している」と語っている。
 今から見れば、第一の心配はほとんど問題になっていない。それよりも、②と③の問題が時間とともに深刻さを増している。さりとてコンピューターの存在を無視できないから、②③の解決に挑戦し続けるしかない。
 
早朝夕刊(4):不起訴の理由 2020/01/17 Fri(6:20am) 6703 
 
「車内わいせつ疑い運転手不起訴処分」「ひき逃げ容疑男性不起訴に」(熊本日日新聞 2020年1月8日)。ときおりこうした見出しを見る。おそらく、当該事件が発生した時点で報道されたのだろう。二件とも「地検は理由を明らかにしていない」とされている。この表現にもよく出会う。
 その詳細がわからないのはいつもの通りだが、「理由を明らかにしない理由」は気になるところだ。関係者の人権などが考慮されるのであれば、「そのこと」を理由にしてもいいのではないか。一般の国民が法律とそれを取り扱う専門職の判断基準について知ることはそれなりに意味があるはずだ。この手の記事を見るたびにそう思う。
 
自治会の餅つき会 2020/01/17 Fri 6702  
 
年末の28日に町内自治会の「年末もちつき会」が開催された。町内にある公園にテントを張って餅をつく。そこで豚汁と搗き立ての餅を食べる。さらに引換券で「持ち帰り用の餅」をもらって帰る。
 わが家は熊本に来た40年前から同じ自治会のメンバーでいつづけている。夏には地蔵祭りがある。昨年の抽選会でわが家は1等賞の40インチ液晶テレビが当たった。そう言えば、ようやく普及しはじめたデジカメをゲットしたこともある。家内のくじ運は悪くなさそうだ。
 町内に大規模なマンションが2棟建って、子どもの人口が増えた。今どき小学校の児童数が増える現象はめずらしい。ともあれ、町内のイベントにも子どもたちがやってくるから明るい雰囲気が生まれる。
 また、昔から知っていても、今ではこのときにしか顔を合わせない人たちもいる。子どもの親などはその代表である。お互いに似たような年齢になっていて、とりあえず「年を取ったなあ」と密かに感動する。先方だって同じ思いでいるに違いない。
 こうしたイベントが続くのは、イベントの中心になって動く人たちがいるからである。それはもう世襲に近いのだが、いつまでも頼り切りのままである。
 
早朝夕刊(3):体重計の精度 2020/01/16 Thu(5:32am) 6701 昨日の続き
 
体重計は「体組成年齢」はおろか、「体脂肪」や「筋肉」に「骨」のレベルなど、とにかく大サービスである。素人にはその客観度はわからないが、同じ体重計を使っていれば、その変化に注目すればいい。
ところで、「精度」については「最近の体重計」が感動的な能力を持っていることは疑いない。まずは体重を測定してトイレに行く。その後に乗ると200g減っている。表示は小数点以下第一位までだが、たしかにそのくらいの分量が体外に出た実感がある。また着替えの際に薄手の下着を着用したままと、それを脱いだあとでは、100gの違いを示す。これには「おおっ」と叫びそうになる。とにかく精度がすごいのだ。
 
規程の効力 2020/01/16 Thu 6700  
 
公立病院の前理事長が病院の研究費を横領したなどとして、懲戒解雇処分などを受けた件で解雇の取り消しを求めて提訴した(熊本日日新聞 2020年1月8日)。解雇の理由は院内の銀行口座から約728万円を流用し、車1台を購入したことだった。
 これに対して、懲戒処分の根拠とした就業規程では、その対象が「職員」となっていて、役員には適用できないと主張する。また規程の制定が17年10月であり、問題になった行為は16年だから制定前の行為は処分できないとも訴えている。いつものように詳細はわからないとの前提付きだが、「問題のある行為があった(?)」としても、それが法律や規程の対象にならない、あるいは行為の発生時点では言及されていなかったから、その効力が及ばないという論理である。
 あらゆる人のすべての行為は法律をもとに判断し、法律によって刑罰を科す「罪刑法定主義」を基本に、あるいは道具として使って裁判が行われる。最終的には、「自由心証」を保証された裁判官の判断で「罪」の有無が認定され、それに対応して「刑」が言い渡される。この裁判では、組織で決めた規程の適用の適否がどう判断されるのだろうか。
早朝夕刊(2):体重計の早逝 2020/01/15 Wed(6:05am) 6699 昨日の続き
 
初代のタニタ製「ごますり体重計」は途中から健康を崩して、5年も経たないうちに昇天してしまった。共済からの退職記念品とはいえ、金杯に匹敵するものだから、それなりの価格はしたと思う。それで5年の寿命となれば、健康、いや品質管理に問題ありではないか。
 そんなことで、跡継ぎとしてパナソニック製を買った。こちらもいろいろな機能があってデータが出る。その中には「体組成年齢」なる「例のもの」も含まれている。この数値に関してはやはりごますりの傾向が強く、今朝の時点で「65歳」と6つだけ若い。ここまで来れば、体重計の「ごますり」ではなく、「私が本当に若い」のかもしれないなあ…。
 
Mr. Ghosn has gone! 2020/01/15 Wed 6698  
 
ゴーン被告の変装「名声に泥」(熊本日日新聞 2019年3月8日 夕刊見出)。ゴーン氏が保釈の際に作業着で出てきた。それは3月6日のことだが、「ああ、そんなこともあったなあ」と遠くの記憶のように思い出す。
 その変装を計画した高野隆弁護士が自分のブログで、「ゴーン氏の名声に泥を塗る結果となった。申し訳なく思っている」と謝罪したという記事である。その理由として、「素顔をさらして住居に向かえば、マスコミに追い掛けられ、全世界に知れ渡る。生活を取り戻すどころか、健康すら損なわれる」と説明したらしい。たしかにニュース映像を見たときは多くの人が苦笑いしたに違いない。ところで、その日にかぶっていた帽子は鉄道車両整備会社のものだった。「許可もなく使われて対応にびっくりしている」と困惑するというおまけまで付いていた。冒頭の弁護士は「計画は失敗だった」と言いながらも、「自由人として家族に再会できた」と語ったようだ。
 さて、年末の「計画実行」は「大成功」で、母国で家族たちと「自由」を謳歌しているということか。ところで、〝gone(逃亡)〟した〝Ghosn〟氏の「名声」はどうなるんでしょうねえ…。
 
早朝夕刊(1):ごますり体重計再考 2020/01/14 Tue(6:48am) 6697  
 
わが家の[ごますり体重計]について書いたことがある。体重計は、記憶にない昔から使っている。その性能が革命的に進歩したのは熊本大学を退職したときだから、もう6年前になる。共済組合から退職記念として贈呈されたのである。
 もらえるリストの中に金杯があったことは憶えている。ほかにも、1、2点の候補が含まれていたと思うが具体的な記憶はない。金杯は置く場所もないから、見た瞬間に対象外になった。そして、家内と「そりゃあ体重計に決まってる」との結論に達したのである。そのタニタの体重計で「体内年齢」が65歳の私に「50台」を表示し続けたため、[ごますり体重計]と呼んだわけだ。
 
「球数制限」のメリット 2020/01/14 Tue 6696 昨日の続き 
 
梨田氏は高校野球の「球数制限」に伴う問題を挙げた後に、一点だけ「プラス材料」を指摘している。それは「投手が野手、野手が投手を兼ねることが増え、より多くの選手が投打で可能性を探れる」ことである。あの王選手は早稲田実業の、イチロー選手は愛知工業大学名電高のピッチャーとして甲子園に出場している。ほかにも同じような選手はけっこういると思う。その最たるものが大谷選手ということか。
 ともあれ、若者は無限大の可能性をもっている。たしかに、子どものころから一筋でなければ大成しないものもありそうだから、それはそれでけっこうである。その一方で、私のような人間は、中途半端にあれもこれもしてみたいでいいじゃないかと思う。その結果、どれもこれも「いまいち」になる可能性はきわめて高い。しかし、それはそれで人生として楽しめるのであればOKとしたい。
  そもそも普通の人間なのだから、「きわめる」ところまで行ければいいし、そうならなくてもまたよろしい。そんな甘ちゃん的発想で高齢者となった者としては、残りの時間も「あれやこれや」でいきたい。今年は私の干支である。「あっちこっち」で「チョロチョロ」しまくりましょう。
 
理想化し過ぎは… 2020/01/13 Mon 6695 1月5日の続き 
 
野球の投球そのものからして「戦術」である。投手が「今度は真っ直ぐ、つぎはカーブでいくよ」なんて言うはずがないし、そうだからこそ勝負になるのである。打者は投手と捕手の「手の内」を読みながら、さらには腕の振りなどを瞬時に判断してボールを打とうとする。
 つまりは、双方が「裏をかく」ことに全神経を集中させるのである。もちろん投手と捕手は何としても打たせまいとする。そうした中で「カットして逃げる、また投げさせる」「カットなどさせない」と技術を競い合う流れの中で面白味も増大するのである。そもそも野球用語は楽しくて、「盗塁」「封殺」「憤死」などと文字だけ見れば怪しい用語に充ち満ちている。
 昨年は、知られた高校の二塁走者がサインを盗んだと相手の監督が抗議したという報道もあった。ことの真偽は知らないが、そんな、「ルール破り(?)」をするとんでもないチームは世の中で「あのチームだけ」の「前代未聞」「空前絶後」の不祥事だったのか。しかも、「あのチーム」として「あのとき初めて『やってしまった』」というのだろうか。
 とにもかくにも、いまや高校野球で過度に理想を強調するのはどうなんだろうと素朴に思うのである。
 
栄誉と食事 2020/01/12 Sun 6694 昨日の続き 
 
昨日は「実践」あるいは「経験」と「理論」について大風呂敷的論評をした。これを日常に置き換えるとどうなるか。たとえば、食物については「栄養素の話」は理論になるだろう。こまかいことは知らないが、とにかく「バランスが大事だ」のはわかる。そこで、それを「実践」するとなれば、個々の食事に繋がるわけだ。毎日、平均的には3回の食事をする。その食材は無数と言えるほどある。
 人間の行動を探求する分野でも、人々の行動の種類は無限大にある。それを少しでも「一般化」して理解しやすくするために「理論」が構築される。その特性は「単純さ」が命である。それで説明できないものは、あれもこれも例外だと言っていれば、人間の数だけ「理論」がいることになる。それはもはや「理論」の資格を喪失している。
 ところで、健康についてもたくさんの「理論」であふれている。手元に「ゲンキの時間 41℃ 15分 湯槽」というメモがある。いつも日曜日に見る「ゲンキの時間」で、たしか腰痛対策として推奨されていた。ところが、別の番組ではヒートショックを避けるために、「40℃くらいで湯槽は10分以内」と言っていた。やれやれ、どうすりゃあいいのさ思案橋…。
 
理論と実践 2020/01/11 Sat 6693 
 
どんな分野でも、また日常の生活においても、「理論と実践」は密接不可分である。
 人類がこの世に登場してかなりの間は「実践」が支配していたに違いない。そして、自分たちで説明がつかない現象や事象は「神や霊の意志」にその原因を求めた。これで皆が納得すれば、それはそれなりの「理論」と言うことができる。
 今日の科学万能の世界でもわからないことは無数にある。そうしたものに対しては、「こう考えるとつじつまが合う、事実と一致する」と「仮説」を立て「理論化」している。こうした流れの中で、相対性を強調し、時間や空間さえも伸縮するという、素人では理解不能の理論が物理学の中心に位置しているのである。
 しかし、その理論は「光速はいかなる条件下でも等速度」という「絶対的原則」を採用する。しかし、なぜそうなのかはわかっておらず、「どんなに測定しても同じだから」という経験的事実(?)によっている。その理由を「神や霊の意志」と仮定していないだけ「科学的」と言えるのだろうか。
 ともあれ、まずは初体験だったものが繰り返されるうちに、何やら「共通すること」があるように思えてくる。これが「理論」のとっかかりになる。
 
多重ミス 2020/01/10 Fri 6692 
 
京大病院に入院していた男性患者が「多重ミス」で死亡した(読売新聞 2019年11月20日)。男性がCT検査のため点滴を受けた際に、医師が看護師に適正濃度の6倍を超える指示を出した。その結果、患者が痛みやしびれを訴えて医師を呼ぶよう看護師に依頼した。これに対して担当医は投与速度を落とす指示をしたが、診察はしなかった。その後、患者はトイレで倒れて心停止状態になった。
 別の医師が駆けつけて心臓マッサージをしたが、血液が固まりにくくなる薬を服用していたことを把握していなかった。そして患者は出血性ショックで亡くなった。腎機能障がい者にCTをする際のマニュアルはあったが、担当した医師はその経験がなく、マニュアルの内容も十分に把握していなかったようだ。
 高度の技術が要求される手術ではなく、薬剤の濃度に関するミスである。その点を確認さえすれば防げたはずである。医師がCTを経験していなかったのであればあ、なおさら「薬剤の『量』」について確実さを最優先すべきだった。
 患者が心停止になった後での対応も問題とされ「多重」となった。しかし、目の前に心肺停止している患者が倒れているときマッサージと併せて別の情報を求める余裕があっただろうか。周りの関係者が「血液が固まりにくい薬を服用しています」と伝えなければならない状況だったのだろうか。記事だけでは、このあたりのことはわからない。
 
下ってお詣り 2020/01/09 Thu 6691 昨日の続き
 
宮崎初詣ツアー2日目の朝はホテルでバイキング形式の朝食を摂った。それから向かったのが鵜戸神宮である。こちらは日向灘に面した洞窟の中にある。もういつだったかはアルバムをひっくり返さないとわからないが、ここに家族旅行で出かけたことがある。
 バスを降りていきなり石段を昇り、トンネルを進んで、さらに急な石段を降りた。これが前回の記憶と一致しなかった。楼門が見えるところまで来ると、近くに「第一駐車場」があった。これを見た瞬間に、「やっぱり前回と違うんだ」と納得した。人間の記憶は曖昧さと、そこそこの確かさが共存している。
 ツアーガイドの説明によると、神社といえば、「上の方に上って」行ってありがたく拝むパターンがほとんどである。これに対して鵜戸神宮は崖に沿って石段を降りながら本殿に達する。これを「下り宮」と呼ぶそうだが、全国的にもめずらしいとのこと。本殿前の海に霊石亀石なる岩があり、そのくぼみに、願いを込めて素焼きの「運玉」なるものを投げる。男性は左手、女性は右手を使う。運玉は5個で100円だった。私の場合、運良くそのスポットに入ったかどうかはご想像にお任せしたい。
バブルの記憶 2020/01/08 Wed 6690 昨日の続き
 
宮崎のホテルは「シェラトン・グランデ・オーシャンリゾート」だった。シェラトンと聴けば高級ホテルをイメージする。松林のある海岸にそびえ立つ43階の偉容は遠く離れた青島からも見えた。われわれ世代が知っている「シーガイア」というバブル時代の巨大プロジェクトとして建てられたものだ。波乗りができる室内プールやゴルフコースなど話題になった。私なんぞは波乗りもゴルフも超無関係だから、その近くに行ったことすらなかった。開業してからは赤字の連続で第三セクターとしては過去最大の3,261億円もの負債を抱え会社更生法を申請した。
 その後は外資に買収されて今日に至っている。近年はとくに韓国や中国からの観光客が増えるなどして黒字になっているらしい。さらにインバウンドねらいもあるのか100億円かけてホテルなどをリニューアルしたという。そのためだろう、ホテルの客室も含めて築30年近い施設とは感じなかった。また正月のツアー企画も重なったと思われるが夕食や朝食時も多くの客で賑わっていた。
 人口減少が進む中、全国のこうした施設がどうなって行くのだろう。外国人客だけでなく、外国資本頼りになりはしないか。(主たる情報はWikipedia)
 
あふれる御利益… 2020/01/07 Tue 6689 昨日の続き
 
青島神社から宮崎市内へ移動し宮崎神宮に参拝した。そもそも神社とは「日本人固有の信仰対象となっている神をまつり、法的に存立を認められた礼拝施設」で、神宮は「①神を祭る宮殿。神のみや・神殿。やしろ。しんきゅう。②とくに格式の高い神社の称」とある(広辞苑)。たしかに神社は身近にあるが、神宮になると全国的にも知られるレベルになる。
 ともあれ、宮崎神宮も私の例外的行為として長い行列に並んだ。本殿の少し前に竹で組んだ壁様のものが2枚あって、その間が空いている。その前に整理係がいて参拝者を左手に少し迂回するように誘導している。この塀の間が「通路」になっていた。その効用はすぐに理解できた。本殿の左右にお札などの販売所があって、いずれの側からもスムーズに往き来できるようにしているわけだ。何分にも参拝者の列が長いから、こうした「道」がなければ、「向こう側」に行きにくいのである。
 向こうにいくと、あるわあるわ、「家内安全」「お伊勢さまの御礼」「商売繁盛守護」「身体安全守護」「健康守護」「厄除守護」「合格守護」「学業成就」「夫婦和合守」「安産の御守」「長寿の御守」「開運守護」「自動車の御守」「縁結び」…。神様、働き過ぎではございませんか?
今年の初詣 2020/01/06 Mon 6688 
 
今年の正月は宮﨑に出かかけた。前の年は大晦日から京都に行ったので、かなりこじんまりとしたスケールになった。宮﨑まではバスによる一泊二日の初詣ツアーである。熊本から高速で3時間ほど走ると宮﨑に着く。
 まずは青島神社に行った。さすがに正月だけあって本殿まではかなりの時間をかけて前に進んだ。私の辞書では「行列」は「前に一人以上いる人の列」となっている。つまりは自分が2番目だと、これで立派な行列が成立する。そして3人以上いれば、「並ばない」選択をする人生を送ってきた。したがって、青島神社の状況は天文学的な規模の行列であり、いつもであれば当然並ぶはずもない。
 しかし、今年は私の干支である。つまりは生まれてこの方、8回目の「子年」なのだ。そうなると、やはり人生の例外を選択するのも必要ではないかという気持ちになる。何せ、「つぎの干支」を迎えられるかどうか、けっこう危うい年齢になっているのである。とまあ、そんなことで本殿まで辿り着いた。その後は周囲1.5kmほどの島を20分ほどでぐるっと回った。私は中学校の修学旅行ではじめて青島に行った。はるか昔の1963年4月のことである。
 
理想と現実 2020/01/05 Sun 6687 1月2日の続き
 
高校野球の「球数制限」に伴う梨田氏の懸念の三つ目は「好球で初球から打ちに出ない」可能性が高まることだ。「はつらつとした攻守交代などで試合時間が短いという高校野球の良さはカット打法を含め、戦術を理由に失われることもあり得る」という。
 たしかに梨田氏の言いたいことはわかる。高校野球の理想は理解できる。しかし、現実はそうしたあるべき姿からほど遠いのではないか。
 そもそも学校におけるスポーツは教育の一環としてあるべきだろう。野球に限らず、特定のスポーツのために特定の高校に入学すること自身、スポーツが「目的化」している。数年前の甲子園では、「地元出身者だけの生徒で優勝」などと特筆されていた。犬が噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛むとニュースになる。子どものころ、そんな笑い話を聞いて「世の中って、そうなんだあ」と妙に感心した。何のことはない、高校野球も都道府県の代表とは言えない、あるいは言いにくい状況が当然のことになっていないか。ともあれ、純粋に個人の力量だけで競うものはどうか知らないが、グループによる戦いであれば、それに勝つためには「戦術」やあるいは「策」も欠かせない。
 
弁護士になったミステリー作家 2020/01/04 Sat 6686 
 
世の中にはすごすぎる人がワンサカいる。ミステリー作家の和久俊三もその一人である。彼は大学を卒業し新聞社に就職したが、友人の影響でミステリーに取り憑かれた。そして、「紅い月」が雑誌「宝石」に掲載される。しかし、その後スランプに陥った和久は人生体験が不足していると思い知ったという。そんなとき弟が判事で裁判記録を見る機会があった。そこに自分の知らない底辺の人間の厳しい体験を知り、弁護士になることを決意したのである。その後、司法試験に合格し弁護士として「法廷ミステリー」を確立した。
 弁護士が推理作家になることは、欧米ではめずらしくないらしい。しかし、ミステリー作家になるために弁護士になった例は、世界でもないという。こうした人が書いたものであればリアリティも豊になるだろう。まさに人を勇気づけるすごい人である。
 もっとも、あまりにもすごすぎて、「勇気づけ」の効能はないかもしれない。すべての人間に同じことができるのであれば、この世の中はすごい人間ばかりになってしまう。それはそれでおもしろくなくなってしまうか。(和久氏の情報は、熊本日日新聞 2019年1月16日を参考にした)
 
今月の写真:富士と阿蘇 2020/01/03 Fri 6685 
 
富士山はいつ見ても画になる、写真になる。これは羽田を飛び立って間もなく真下に見えた絶景である。まさに「あたまを雲の上に出し 四方の山を見おろして かみなりさまを下に聞く 富士は日本一の山」(文部省唱歌 富士のやま)である。
 富士山は、熊本から羽田に向かう際は左側にやや距離を置いて見える。これも駿河湾を手前にして画になることが多い。さすがに日本一の山だけあって、千葉県上空から羽田に向けて旋回するときも「ここにいるぞーっ」とアピールする。ともあれ、眼下に、雪化粧して雲に取り囲まれた「富士の山」に遭遇したのは幸運だった。
 それから1時間ほど飛ぶと、今度は阿蘇が見える。このところ阿蘇は噴煙を上げている。そのため、世界でも有数の火口直近までの立ち入りが規制されたままである。ロープウエーは大規模な噴火や地震の被害で解体されたが、その後、再開を目指した工事がはじまった。ところが、その後も噴煙が上がるなど工事の継続に目処が立たず、再開を断念することになった。
 火山の噴煙は飛行機のエンジンに深刻な障害を引き起こす。このため状況が悪いと熊本空港発着便に影響が出る。飛行機マニアの私は阿蘇のご機嫌を気にしている。
 
軟式野球出身の投手 2020/01/02 Thu 6684 2019年12月30日(早朝夕刊)の続き
 
高校野球で投球数を制限することに関連して、興味深い記事を読んだ。国際大会「プレミアム12」に出場している代表選手のうち、投手は軟式出身者が多かったというのである(熊本日日新聞 11月14日夕刊)。
 今永投手(DeNA)は「そこまで勝利を求められなかった。のびのびと野球ができる環境だった。自分で考えて練習するのがよかった」という。山本投手(オリックス)は「中学でたくさん投げなかったから、今の自分がある」と語っている。日本ハムのスカウト大渕氏は『成長期に投げずにすんだ投手が生き残っている側面がある」とまで言っている。さらにプロ野球選手の治療にも関わる整形外科の小島医師は「硬式出身の投手はどこかでつぶれてしまっている。小さいころに頑張り過ぎて淘汰されてしまっている」との見解である。
 どんなことにも「表と裏」「光と影」がある。すべての人間に該当する条件などあるはずもない。それにしても、投手自身、スカウト、整形外科医と3拍子揃って同じベクトルの意見となれば、それを頭から否定するのはむずかしい。とくに、もっと伸びる選手を途中で潰していた可能性があるとすれば、けっこう重い現実である。
 
 元日の思い 2020/01/01 Wed 6683
 
今日おきたらお母さんが門司に行くよといわれた。僕はあまり行きたくなかった。しかしお母さんが「小学六年生」をこうてやるといわれたので行きました。門司に着いたら色々たのしんでねました。「小六」はきていませんでした。今日のこよみ言葉は「大なる希望は人をして人たらしむ」です。(1961年)*「小学六年生」は小学館発行の雑誌
 今日は一月一日この日記の門出の日である この日記は去年の日記よりも倍以上高い したがって書くところも多くなったとこういうわけである それで僕は考えた 一日のことをで一つのこうもくを大きくとり上げていこうと思う それから僕は新記録を作った といっても大していい記録ではないが いっておくが去年と今年にまたをかけて風呂に入ったということである たいしたことではないが僕はほこりに思っている(1962年)
 今、午前零時13分。今年は世間でよく問題とされる17歳になる。高二になる年なので、しっかりとがんばって悔いのない年にしよう。もう今年も364日と23時間43分しか残っていないのである。机の前に菊が生けてある。美しい。今年は何かでっけいことをしてやろうとも思うが、ま、神妙に勉強一途も悪くはないね。これを年頭所感とする。(1965年抜粋)
 
 私が小学6年生、中学1年生、高校1年生で書いた1月1日の日記である。