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| 「フリーター元年」の最終日 2019/12/31 Tue 6682 私の「フリーター元年」が終わろうとしている。この3月31日に熊本大学シニア教授を定年で退職した。再雇用の身分ながら、満70歳まで組織に所属して仕事をすることができた。まさに「ありがたや、ありがたや」で感謝のほかはない。フリーター初日の4月1日は教育委員として新たに採用された教職員への辞令交付式に出席した。さらに3日からは研修で北海道へ出かけた。これが3泊4日で、「あっ」という間に一週間が飛び去った。その後も、あっちこっちで「趣味の仕事」をさせていただいた。 今年のラストは県内の次世代を担う教員たちへの講演だった。若手の27名に私の話をしっかり聴いてもらった。これが26日で、翌日は予定が入っておらず、自宅で仕事をした。この点がこれまでと完全に違った。大学では裁量労働制が適用されていたが、私はなぜかサラリーマン的体質のようで、朝になると仕事場へ足が向いていた。だから、「仕事納め」の日は、まさに「仕事納め」気分で出勤していた。それが今年からなくなったのである。朝は仕事場から渋滞している道路を眺めるが、その中に巻き込まれることはない。 |
| 早朝夕刊:自分で自分が勝つ競技 2019/12/30 Mon(5:44am) 6681 昨日の続き ものごとには「表と裏」「光と影」があるから、陸上の100mにだって、われわれの知らない問題が潜んでいるかもしれない。しかし、「あの10秒」に向けて人生をかける選手たちには感動するしかない。しかも「勝ち負け」は決まるものの、「直接的に相手の行為を妨害したり、騙したりする」ところがない。 個人的には「相手を負かす」要素よりも「自分が自分で勝つ」といった感じのするスポーツの方を好む私がいる。日本の伝統的武道は、戦うからには「勝ち」を追求するが、勝負がついた後はしっかり礼をして終わる。もちろん内心の感情はわからないが、いやそうだからこそ、形を整えることで「心」がついてくるのだと思う。 |
| 「見出」と思い込み 2019/12/30 Mon 6680 昨日の続き 東京高裁が「東名のあおり運転」の審理を差し戻した理由にはいささか驚いた。本件の事実が「危険運転致死傷罪」に当たることは「追認」したのである。常識人としての心情は別にして、法律の適用が困難だという判決は十分にあり得た。したがって、地裁の判断は「適用できる」ように苦心しながら論理を「構成」した感があった。素人でも「この点」が最高裁まで争われることは予想できる。 ところが高裁の差し戻しには別の理由があった。それは、地裁が「公判前整理手続き」で「危険運転致死傷罪の成立は認められない」との見解を表明したことである。その後、地裁は「見解の変更」を告げないまま、同罪を適用して有罪にした。高裁はこの点を突いて、「被告の手続き保障を十分確保しなかった」から違法だと言うのである。その上で、「同罪が成立し得る前提で、改めて裁判員で審理をすべきだ」と結論付けた。 私のような素人すら、「公判前整理手続き」について本コラムで取り上げたほどである(9月15日~10月11日全8回)。何のことはない。高裁は地裁の裁判官が仕事として当然なすべきことをしていなかったと批判しているのである。 |
| 早朝夕刊:前提としての格差 2019/12/29 Sun(5:47am) 6679 昨日の続き 梨田氏は「りっぱな技術と評価するカット打法」が「高校生らしさに欠けたプレー」と批判されるかもしれないと心配している。そもそも多くの勝負、とくに相手と向き合うそれには「あざむく」行為が伴う。たしかに、表現としては殺伐そのものだが、「裏をかく」「だます」なども使われる。 これが陸上の100mであれば、わずか10秒の勝負であり、しかも押したり引いたりするなど、他者を力で抑える行為は伴わない。さらに道具も使わない完全に体のみによる競争である。過去にはドーピングでメダルを剥奪された選手がいたが、これは「違法」だから論外である。そんなことで、この競技に「あざむく」はなじまない感はある。 |
| 「見出」と思い込み 2019/12/29 Sun 6678 昨日の続き 「東名のあおり運転」については、本コラムで2018年9月15日から10月11日にかけて、8回に亘って取り上げた。 その中で、横浜地裁が「公判前整理手続き」において「危険運転致死傷罪」の適用に否定的な見解を示したことに注目した。地裁の意向を受けて検察側は「あわてて(?)」「監禁致死傷罪」を追加する「訴因変更」の手続きを取ったことに触れた。ところが、開けてみれば横浜地裁は「危険運転致死傷罪」を「あっさり」認めたのだった。その判断は、かなり込み入った論理と言うよりも、理屈あるいは組み立てという印象をもった記憶がある。 ただし、これは法の解釈に関わる問題だから、弁護側は「危険運転致死傷罪」が適用される限り最高裁まで上告することは疑いないとも思った。さらに言えば、「最高裁ではどうなるかわからないのではないか」と、ある種の懸念を抱いた。法律の専門家が標榜する「論理・正義」とわれわれのそれとは大きなギャップが存在するからである。 そんな気持ちでいた私だから、「高裁が差し戻し」との見出しが目に入った瞬間に、「早くも高裁が『危険運転致死傷罪』の適用を否定したのか」と思い込んだのだ。 |
| 早朝夕刊:前提としての格差 2019/12/28 Sat(6:57am) 6677 昨日の続き 梨田氏が挙げる「球数制限」による「さまざまな問題」の第二は「打者が意図的にファウルで粘り、投手に球を投げさせるケースも増えるだろう」との予測である。 これは「カット打法」と呼ばれ、梨田氏としては「小柄な選手たちが生き残るためにりっぱな技術だと思ってきた」という。それが球数制限によって、「高校生らしさに欠けたプレー」と批判される懸念があるようだ。素人としては、こうした打法が「増えるだろう」と記されているところが興味深い。つまりは、これまでも「そうした意図的な行為」が行われていたということである。しかも、それが「りっぱな技法」にもかかわらず、批判されるかもしれないという。 |
| 「東名」の差し戻し 2019/12/28 Sat 6676 東名高速での「あおり運転」で停車された夫婦がトラックに追突されて亡くなった事件について、東京高裁は横浜地裁に審理を差し戻した(日経Web版 12月6日)。 この「見出し」が目に入った瞬間、私は「やっぱり『危険運転致死傷罪』について考え直せと言ったのだと思った。きわめて重大な結果を引き起こしたのだから、その罪が重いことは言うまでもない。ただ、裁判官たちの「真理と正義」と一般人の「真理と正義」あるいは「常識」との間には大きなギャップがある。 素人評論家としては、検察が「危険運転致死傷罪」で起訴したとき、「大丈夫かなあ」と思った。そもそも被告側は「発生したほとんどの事実を認めていた」と思われる。したがって、問題は「一連の行為」が「危険運転致死傷罪」で罰することができるかどうかである。弁護側は「行為そのものは認めるが、それは『この法律』の罪には当たらない」という論理を構成する。街中で立ち小便をしていて捕まって、「窃盗罪」で起訴されたら、「そりゃあないでしょ」ということである。犯罪はすべて法律で認定し量刑を決めるのだから、「適用できない法律」で訴えられたとすれば「無罪」になるのは当然なのである。 |
| 早朝夕刊:前提としての格差 2019/12/27 Thu(5:57am) 6675 昨日の続き 梨田氏が挙げる「球数制限」による「さまざまな問題」の第一は「複数のエース級」投手が必要になり、私立と公立校間の選手層の格差がさらに拡大するというものである。それによって勝敗に反映される可能性が高まると予想している。 この「一層開く」という部分が興味深い。つまりは、「今でも私立と公立の格差」が厳然としているのである。そもそも「スタート地点が違う」者たちが同じ土俵ならぬフィールドで戦っているわけだ。野球にド素人の人間に「この問題」に妙案などあるわけがない。ただ、高校野球はそもそも「公私立で選手層の格差」があることを「当然のこと」として開催されていることはよくわかった。 |
| 串カツ屋の「二度付」解禁 2019/12/27 Fri 6674 12月25日の続き 私は「串カツ田中」を知らないが、ここも「がっちりマンデー」の「地味チェンジ」で取り上げられた。 このお店では「ソースの二度付禁止」を解禁したんだそうな。そもそも「二度付禁止」の理由を知らないが、解禁にはもちろん理由があった。それは「子どもたちが何度もソースを付ける」からである。私なんぞは、串カツ屋にそれほど子どもが来るのかと思ったが、ある理由から家族連れが増えているらしい。店によれば、時代の流れに合わせて店を禁煙にしてからだという。つまりは客層が変化したわけだ。 店の禁煙を巡っては賛否両論があって、完璧に規制する法制化はできていない。反対の理由に「禁煙にすると客が減る」というものがあった。その点、「串カツ田中」は「禁煙」にすると単純に「客の数が減る」とは限らないことを実証したことになる。禁煙が理由で子どもと一緒の家族が増えれば、親子のコミュニケーションにとっても好ましいことである。そもそも喫煙者の割合が急激に減少しているから、今後はさらに禁煙の店が増えるだろう。 私は評判のいい食事処に出かけたことがある。ところが、そのお店が「喫煙OK」だったため、その後は足を運んでいない。 |
| 早朝夕刊:梨田氏のコラム 2019/12/26 Thu(6:02am) 6673 野球の梨田昌孝氏が「温厚知新」のタイトルで連載している。先日は「高校野球の球数制限」を取り上げていた(熊本日日新聞 12月10日)。その内容が興味深い。 来春から、一人の投手が一週間に投げられる球数が500球以内に制限される。その結果、「一人で投げ抜くエース」にまつわるドラマが「生まれづらくなる」ことは残念だと語る。ただし、梨田氏は「時流」を踏まえれば、そうした決定も「致し方ない」とする。その上で、試行期間である3年間に「さまざまな問題が起きるとみている」と続ける。その内容が興味深いのである。 |
| 教師との関わり(2) 2019/12/26 Thu 6672 12月18日の続き 教師に対しては研修よりも講演が圧倒的に多い。その例外が「教員免許状更新講習」である。その名称のとおり、「教員免許」を更新するための「講習」である。私は「試行」も含めて2008年から数コマを担当してきた。当初は「必修」を担当していたが、数年後に自分が仕事としてきた「対人関係スキルアップ・トレーニング」に乗り換えて今日に至っている。これは1日6時間のコースである。 何分にも「趣味の仕事」の一つだから、熊本大学が開催するサテライト会場にも出かけている。その会場は玉名・阿蘇・八代・天草・人吉だが、昨年は玉名が山鹿に替わった。これらに熊本大学の黒髪会場を加えて6回になる。受講者が多くなると予想された年度には8回に増やすなど柔軟に対応した。 さらに昨年度から新規として「学校における危機管理」を追加した。こちらも6時間の設計である。私は「リーダーシップ(対人関係)トレーニング」と「組織の安全(事故防止・リスクマネジメント)」をライフワークにしてきた。つまりは「教員免許状更新講習」でも、その二本柱を担当できるようになったのである。この講習は「熊本大学卒業後」も続いている。 |
| 早朝夕刊:ブラック企業大賞2019 2019/12/25 Wed(5:58am) 6671 「ブラック企業大賞」というものがあることを知らなかった。今年の大賞は某社が受賞したが、これは史上初の2年連続だとのこと。このほか、「ウエブ投票賞」「特別賞」「#MeToo賞」もある。この賞は2012年にスタートしたが、ノミネート対象企業の定義が明確で、かつ、「裁判において企業側の非が確定した案件や、行政処分がなされた企業など、広く社会的に明白に問題があるとされた企業」であることを踏まえると、かなりの説得力がある。 |
| データ主義からの「後戻り」 2019/12/25 Wed 6670 日曜日の「がっちりマンデー」で「地味チェンジ」を取り上げたとき、真っ先に紹介されたのが、テーブルまで注文品をもっていくというマクドナルドの地味チェンジだった。その際にレギュラーゲスト(?)の森永卓郎氏が、「これまでの徹底したデータ主義の方針を変えた」点を業績アップの要因として指摘していた。 これを聴いて私は、「『科学的管理法』から『人間的経営法』への転換」と題した、私の持ちネタと共通点があると思った。テイラーが提唱した「科学的管理法:Principles of Scientific Management(1911)」では、製造工程における人間の「動作」や「時間」をデータ化して、労働者がそれに沿って働くことを要求する。その結果として、生産が上がれば、その出来高に応じて賃金を払う。労働者は「平均的」な「データ」を基準に動くロボットのようである。かなり時間が経過してから、チャップリンの映画「モダンタイムズ:Modern Times(1936)」が創られる。そこではベルトコンベアに躍らされ、歯車に挟まれる労働者が描かれている。 今やAI化が話題になる時代だが、このあたりで「データ主義」から「人間主義」への「後戻り」を考えるのはどうだろう。 |
| 早朝夕刊:人材確保のポイント 2019/12/24 Tue(5:57am) 6669 【人材】①人柄としての才能 ②才知のすぐれた人物。役に立つ人物。(精選版 日本国語大辞典) 「①人柄としての才能」ってなんだろう。よくわかりませんなあ。 ともあれ、組織としては②の人材を確保することがを不可欠である。そうは言っても「人手不足」の時代だから、採用側も苦労しているようだ。そして、人材は「確保」しただけでは十分ではない。その後、それをどのように「育てる」か、これこそが組織の力である。それによって育てられた人材が、さらに組織の力になる。即戦力ばかりに目を奪われていると、「人材」は評価するところがあれば即立ち去ってしまう。また、「人材」に「教育力」が備わっていなければさらにまずい。 |
| ジャスト イン タイム 2019/12/24 Tue 6668 先日、宮崎にバスで出かけた。その帰りのお話。宮崎駅前を9時5分発のバスに乗り、午後から教育委員会に出席することになっていた。バスが順調に走っていることはわかっていたが、人吉インターに着いたとき驚いた。何と、時刻表どおりの11時3分ジャストである。 それから熊本に向かったが、県庁前12時25分着が3分ほど遅れただけだったのに、改めて感動した。ここまでの間に2回のトイレ休憩も入っている。それも「54分までにお戻りください」といった具合でじつに細かい。この間の距離は192kmほどになる。おそらく運転手の技術力が高いのだと思う。 そう言えば、飛行機も飛んでいるときに機長が到着時刻をアナウンスする。こちらも誤差が5分程度であることに驚く。羽田と熊本の距離が870kmあることを考えればすごい精度なのだ。それを航空会社の方に話したら、コンピュータの威力だと言われた。おそらく、追い風、向かい風の分布状況や機体に与える影響などが刻々と処理されるのだろう。高度によって空気抵抗が変わるから、それも計算に入っているに違いない。 いずれにしても正確であることは単純に素晴らしく、また嬉しいものである。 |
| 早朝夕刊:「負けない」のが嫌い? 2019/12/23 Mon(6:27am) 6667 誰だったか、スポーツ選手が「負けず嫌い」と言うのを聴いて「ふと」思った。これって「負けないこと」が「嫌い」なんだろうか。そうだとすれば「負けること」が「好き」ということになる。そこでネットで探したら、何のことはない国語辞典編集者神永曉氏の「日本語どうでしょう ~知れば楽しくなることばのお話~」にちゃんと解説されていた。それを読んで「なるほど」と思った。その先までご関心がある方はアクセスをお勧めしたい。 ところで、このコラム、初めて知ったが、けっこう大昔(?)に本コラムで取り上げた「離合」についても記載があった。そんなこんなで、今後も大いに参考になりそうな予感がする。 |
| 本部の無断発注 2019/12/23 Mon 6666 セブンイレブンの本部が店のオーナーに無断で商品を発注していた(熊本日日新聞 11月19日)。現社長を含む当時の経営幹部複数がその事実を少なくとも2008年には把握していたという。その事実がわかったのは内部文書によるらしい。つまりは、組織の問題が記された文書が10年以上シュレッダーにかけられていなかったことになる。そもそも文書とはそうでなくってはね。 ところで、この件について問われた社長は「当時は件数が少なかった」と釈明したという。これを「件数」で説明するのはいかにもまずい。ご本人も「あってはいけない由々しき問題」との発言もしていたらしい。何と言っても、「由々しき問題」は、その事実を把握した瞬間に対策を取ることが「リスクマネジメント」のイロハである。その場合も、「本当の件数はこれだけなのか、表に出ていないものはないのか」と念には念を入れるのがトップの仕事である。ハインリッヒの法則ではないが、組織が生きている限り「報告されない出来事」がワンサカあると考える方が健全である。とりわけコンビニの場合は本部と店舗との間にあるパワーの差はゴジラとコアラくらいもありそうではないか。 |
| 早朝夕刊:がんばってーっ 2019/12/22 Sun(6:27am) 6665 名古屋にあるコンビニL某での話。お茶を買おうとレジにいくと2列で客が並んでいる。外国人とわかる男性レジ係が「レジ、お願いしまーす」と「誰か」を呼んだ。すると「がんばってーっ」という声が返ってきた。声の方を見ると、ソコソコの年齢に見える女性が陳列台の整理をしている。行列が短くならないので、また「レジ、お願いしまーす」が聞こえる。また「がんばってーっ」とこだまする。 コンビニでは、列が少しでもできると「お待ちのお客様、こちらにどうぞ」と機敏に反応する。そのたびに「すごいなあ」と感動してきた。今回は、応援を要請されても「がんばってーっ」のコンビニもあることに、新鮮な感動を覚えた。あまりに感動しすぎて、私はお茶をもとの棚に戻して外に出た…。 |
| 「中堅教諭等資質向上研修」受講者の声(39) 2019/12/22 Sun 6664 9月24日の続き 本コラムの「連載」はかなり怪しい。ちょっとだけ間を置いたつもりでいても、そのこと自身を忘れてしまう。ときおり思い出して、「そのうち、そのうち」と繰り返す。この「そのうち」こそが「先延ばし」の言い訳であり直接の原因である。私のコラムの連載ならまだいいが、これが組織にとって取り返しの付かない事態をもたらすこともある。危機管理にとって「そのうち」は「危険用語」に指定すべきである。 さて、熊本市教育センターで実施した「『中堅教諭等資質向上研修』の受講者の声」シリーズも「そのうち」が3ヶ月引き延ばされた。私に向けていただいた「声」は最後までご紹介しないと申し訳ない。 1年間、大変お世話になりました。先生との出会いはまだ学生の頃で附属中に非常勤で行っていた時は部下でした。あの頃はたくさんお話しをしましたね。吉田先生の話を聞きながら時々思い出していました。また今度、同じような機会があればうれしいです。また会う日までお元気でご活躍ください。ありがとうございました。(中学校教諭 男性) 今から17年前に私が「校長」だったときの「部下」からのメッセージである。研修スタートの日にその顔を発見して、私も懐かしかった。今ではりっぱな専任の教員になられていた。 |
| 早朝夕刊:共通テスト問題 2019/12/21 Sat(5:27am) 6663 大学入試共通テストについて、高校生グループが国語と数学の記述式問題について「数え切れないほどの欠陥がある」として、その中止を求めて文部科学省を訪れた(11月20日 熊本日日新聞)。 当事者の高校生から「数え切れないほどの欠陥」を指摘されるのだからことは深刻である。そもそもどのような議論がなされてここに至ったのかは検証する必要がある。高校生に指摘されるまで、関係者の誰一人としてその欠陥に気づかなかったとは考えららない。計画が具体化していくどこかで疑問や問題提起があったはずだ。そうした見解が採用されなかった経過と理由の分析が、同じことを繰り返さないために欠かせない。 |
| 活動写真 2019/12/21 Sat 6662 周防正行監督の新作映画「カツベン」のインタビュー記事を読みながらふと思った。その昔、映画は「活動写真」と呼ばれていた。当初は無声だったから活動弁士が大活躍した。今の若い人は知らないだろうが、われわれの世代のタレント徳川夢声は弁士出身だった。 さて、「ふと思った」のは「映画」と「活動写真」である。今では「映画」といっているが、漢字を読み解けば「画が映る」ということになる。しかし「画」には静止画だって含まれるだろう。また「絵画」も「画」そのものではないか。それを「映す」のがどうしてシネマになるのか。私には大いなる疑問がわいてきたのである。 そもそも「映画」は1秒間に24コマの「写真」が連なったフィルムからできあがっている。それが映写機にかけると「活き活きと動く」のだから、どう考えても「活動写真」と呼ぶべきなのだ。そうだ、そうだ、絶対にそうだ。ただし、このごろはデジタル化されて、フィルムが使われなくなったのである。その結果、最近の「映画」は4Kや8Kのような「高画質」化されてしまった。私のような者には、「ザラザラ感のある映像」こそが「活動写真」なんだけどなあ…。 |
| 早朝夕刊:香焼ショック 2019/12/20 Fri(6:20am) 6661 三菱重工業長崎造船所の香焼工場を売却するという。それは私にとってもショッキングなニュースである。長崎造船所で1970年から73年に亘って展開された「全員参画による安全運動」プロジェクトは、私の人生にとって大きな影響を与えた。そのときは学部学生・院生として末席を汚したに過ぎないが、私はグループ・ダイナミックスが組織の「事故防止」に応用可能であることを体感したのである。 当時、香焼工場は世界の造船業界をリードする長崎造船所が満を持して建設した100万トンドックだった。それが今や中国と韓国の後塵を拝する現実がある。今回は歴史を誇る旧来の造船所は対象外だが、私にもある種の感慨がある。 |
| 教員免許状更新講習 2019/12/20 Fri 6660 12月18日の続き 教師に対しては研修よりも講演が圧倒的に多い。その例外が「教員免許状更新講習」である。その名称のとおり、「教員免許」を更新するための「講習」である。私は「試行」も含めて2008年から数コマを担当してきた。 当初は「必修」だったが、数年後に自分が仕事としてきた「対人関係スキルアップ・トレーニング」に乗り換えて今日に至っている。これは1日6時間のコースである。何分にも「趣味の仕事」の一つだから、熊本大学が開催しているサテライト会場にも出かけている。その会場は玉名・阿蘇・八代・天草・人吉だが、昨年は玉名が山鹿に変わった。これに熊本大学の黒髪会場を加えて6回になる。受講者が多くなると予想された年度には8回に増やすなど柔軟に対応した。何と言っても「趣味の仕事」である。 さらに昨年度から「学校における危機管理」を加えた。こちらも1日6時間である。私は「リーダーシップ(対人関係)トレーニング」と「組織の安全(事故防止)」をライフワークにしてきた。これで「教員免許状更新講習」でも、その二本柱を担当できるようになった。この講習の担当は「熊本大学卒業後」も続いている。 |
| 早朝夕刊:不振の日産 2019/12/19 Thu(6:18am) 6659 今年春のスクラップに「日産、世界生産15%減」との見出し記事がある(日本経済新聞4月19日)。これは今年度の計画である。このごろはゴーン氏逮捕の衝撃も話題に上らなくなってきた。日産の世界販売の不振ぶりが目立つという。その原因が「ゴーン逮捕ショック」でもなさそうだ。 そもそもゴーン時代に販売目標の達成を優先して北米で大幅な値引きをして拡販したらしい。個人も組織も「無理」をしてはいけない。小さな軋みも時間が経てば、取り返しのできない大きなひび割れを誘発する。「技術の日産」が泣いている。 |
| セブンイレブンいい話 2019/12/19 Thu 6658 羽田空港の国際線ターミナルにあるセブンイレブンでの話。ペットボトルを手に持って、そこそこの長さの列に並んだ。レジは3つあって徐々に前進する。私の前の女性が呼ばれ、間を置かずに私にも声がかかった。そこでレジに行こうとしたら前の女性がいきなり走り出した。その位置関係から危うく私と衝突しそうな勢いである。私は「うわっ、危ないなあ」と心のなかで叫んだ。 彼女は数メートル先まで行って会計の終わった女性客の肩を叩いた。女性客が振り向くとそのまま「財布」を手渡した。その瞬間、日本人だと思っていた女性客が〝Oh Thank you〟と答えた。 女性はそのままレジに戻ってきた。そのとき、店員が「お客様、ありがとうございます」と対応した。いい話である。私はその場に居合わせたことに感謝した。これはレジでのできごとだから、すぐに店員が追いかけたとは思う。しかし、その間もなく、女性が反射的に「忘れ物」を掴んで走ったことがすばらしい。あの外国人は日本に対して好ましい印象を持ったことだろう。そして、そうした行為に対して店員が即座にお礼を言ったのも感動的である。こうしたときの対応として声掛けはマニュアル化されているのだろうか。 このとき買ったお茶の味は格別だった。 |
| 早出朝夕刊:そんなこと言ってないんだけど… 2019/12/18 Wed(8:49am) 6657 今年の3月で熊本大学を留年せずに卒業した。そのため、学生に対する授業は懐かしい思い出になった。昨日の「早出夕刊」で触れた〝Cha,Cha,Cha〟にも笑い話がある。これを授業で紹介したとき、「キューバに『チャチャチャ』というリズムがある。カリブ海の明るくエネルギーにあふれた感じがするように〝Cha,Cha,Cha〟でいこうよ」と呼びかけ、「応援するときも『チャッチャッチャ』なんだけど、これって何に由来してるんだろうね」と疑問を投げかけた。 その学期末の試験で、ある学生が答案用紙の裏側にメモをしていた。「応援の『チャッチャッチャ』がキューバの〝Cha,Cha,Cha〟から来てるとは知りませんでした」。それを読んだ私は「そんなこと言ってないんだけどなあ」と苦笑いした。 |
| 教師と関わるテーマ 2019/12/18 Wed 6656 12月14日の続き 「学校教育」でも「教師」と関わる場合のテーマは「リーダーシップ」「コミュニケーション」「危機管理」など様々な領域に亘る。とくに近年は「いじめ」や「不祥事」に関わる内容が少なくない。ここは慎重な表現にならざるを得ないが、全人口当たりの犯罪発生率と比べれば、教員のそれがどのくらいになるのだろう。その具体的なデータは手元にない。もちろん、それが仮に低いとしても、とくに子どもたちに影響を及ぼす行為が許されるものではない。 教師の「セクハラ」「パワハラ」「飲酒運転」「会計不正」がマスコミを賑わす状況は嘆かわしいこと限りない。これらは社会や組織でも繰り返されているが、教師の場合はこれに「体罰」も加わる。私が仕事にしているグループ・ダイナミックスの視点から、こうした問題に対応できればと、それなりに努めてはいる。まさに〝Never Ending Challenge〟の精神で課題に向き合い続けるしかない。 ともあれ、問題を前にして「やってもダメだ」「もう無理だ」は禁句である。悪魔は、われわれがそんな諦め心に陥ることを365日24時間、いまかいまかと手ぐすねを引いて自分たちの出番を待っている。その手に乗るわけにはいかない。 |
| 早出朝夕刊:Cha,Cha,Chaでいこう! 2019/12/17 Tue(10:39am) 6655 この宇宙で普遍的な現象は「変化」だと考えている。そこで私はキーワードを「変化」あるいは〝change〟として、様々な提案をしてきた。これからもその姿勢は「変わらない」と言えば、言葉の上では「矛盾」しているか。ともあれ、私は〝Challenge the Chance to Change yourself!〟、「Cha, Cha, Chaでいこう!」のフレーズを前面に出し続けてきた。「自分自身が変化を絶好の機会と考えて挑戦しよう」という呼びかけである。これをはじめてアピールしたのがいつだったか記憶にないが、おそらく20年ほどは経過していると思う。私が附属中学校の校長をしたときは、2002年3月11日の卒業式で引用している。 |
| 丹羽宇一郎著「死ぬほど読書」(19) 2019/12/17 Tue 6654 昨日の続き 大枚をはたいて買った「資本論」をさっそく「読みはじめた」のはよかったが、丹羽氏と同じで、どこまで行っても終わる目処が立たない。そもそも「基礎知識」がないのだからチンプンカンプン状態になった。そのため、セットの4冊は本棚に整列するだけになった。 しかしながら、とにもかくにも「もったいない世代」である。いつかは読まないといけないと思いながらウン十年が過ぎていった。そして、ようやくその気になって、「第一巻」のページをめくったのは2006年11月28日のことである。この間には40年ほどのギャップがある。それからは、生来の粘着質ぶりを発揮して数行ずつ「活字を眺める」時間を積み重ねていった。そして10年10月18日にはついに「眺了」したのである。 第1巻の965頁を1,420日かかったから、1日当たり0.67頁のスピードである。しかも、まさに毎日「その程度」眺めていった。このくらいゆっくり歩いていると、目の前と少し後ろだけは認識できるが、ずっと前と後ろはぼんやりと霞んでいる。そんなことで、文字通り「眺めた」だけのことである。その後も「粘着的眺め」は続き、今日で第三巻一部の500頁を超えたところである。 |
| 早朝夕刊:中村哲さんのこと 2019/12/16 Mon(6:59am) 6653 私と非政府組織(NGO)「ペシャワール会」現地(アフガニスタン)代表の中村哲さんと面識がないのは言うまでもない。もちろん、直接的な接触も関係もない。ただ、氏と私は同じ高校の出身だということだけ共通している。そこで、同窓会の広報誌などを通してその活動について少しは知っていた。もっとも、氏のことはマスコミでも報道されていたから知っている人も多かっただろう。私としては「とてつもなく偉い先輩同窓生がいるものだ」との思いは抱いていた。 中村さんは高校の17回卒で、私は19回である。つまりは全校生徒が集まる式や体育祭のときには「同じ空気」を吸っていたんだなあとの感慨がある。 |
| 丹羽宇一郎著「死ぬほど読書」(18) 2019/12/16 Mon 6652 11月14日の続き 丹羽宇一郎氏の「死ぬほど読書」の続きを忘れていた。それはある意味で終わっていたからである。丹羽氏が学生時代に「資本論」に挑戦したが、途中で放棄したという。この点に刺激されて、私の方は「資本論に目だけは通した」という話を付け加えて完結するつもりだった。しかし、それを11月14日に書いたまま途中で止まっていた。そこで、その続きを書いて「丹羽シリーズ」を閉じたい。 私が大学に入学した1968年はマルクスの「資本論」発刊100周年で、それを記念した出版が企画されたことはすでに記した。その岩波書店刊の向坂逸郎訳「資本論」は第一巻が965頁で1200円、第二巻は636頁の800円、そして第三巻は第一部と二部を合わせて1133頁で、前者は800円、後者は900円である。この4冊の合計は3,700円になる。記念出版ということで、セットは割引価格になっていた記憶はある。ただし、本当にそうだったかどうか、そしてその場合はいくらだったかは定かでない。当時、大学生は月15,000円あれば十二分に生活ができた。そこで3,700円を払うとなれば、けっこうな重みがあったことは疑いないが、私はこれを1割引の生協価格で購入した。 |
| 早朝夕刊:「強制労働省」の嘆き 2019/12/15 Sun(6:36am) 6651 「厚生労働省」は「強制労働省」なんだそうな(熊本日日新聞 12月13日夕刊)。厚生労働省こそは「働き方改革」の旗振り役だが、その本丸で長時間労働が蔓延しているらしい。職員を対象にした調査では「負担を感じる業務」の筆頭が「国会関連業務」だった。以前から、国会における議員の質問内容の提出時間が守られない状況が指摘されてきた。 そもそもは質問する2日前の正午までとする申し合わせが1999年にできあがっているという。それにもかかわらず、質問当日午前零時を過ぎて提出されることさえあるらしい。まさに「ルール違反」であり、締切時間に間に合わせられないのでは、議員の能力を疑いたくなる。 |
| 大学生の「職業安定法違反」 2019/12/15 Sun 6650 今年も世の中ではいろいろなことが起きた。京都の男子大学生が女子大学生らを性風俗店に紹介して逮捕された事件もあった。京都の繁華街で女性を誘って食事をする。その上で、恋愛感情を抱いた風をして会員制のバーに連れて行き、高額なメニューを注文させる。その結果、多額の未払い金を生じさせる。その上で、その相談に乗る風をして風俗店を紹介するというのである。 まるで現代版人身売買ではないか。何ともひどい話である。この「スカウトグループ」には京都市内の大学生ら約20人が所属していた。彼等には紹介した店から女性の給料の15%が支払われていたらしい。こうした手口で、6年ほどの間に約1億円を稼いでいた。まさに開いた口が塞がらない状況だ。 記事によれば、グループの中でも、「部長」に「昇進」した学生は50万から100万円の月収があったと記されている。リーダー格の2人は誰もが知っている京都にある私立大学の学生である。京都府警はグループの関係者を「職業安定法違反(有害業務への職業紹介)」容疑で逮捕し、6人が起訴された。検察の求刑は3年から1年6ヶ月だったが、京都地裁での判決は執行猶予付きの有罪となった。 |
| 早出夕刊:見出しの「また」 2019/12/14 Sat(9:20am) 6649 新聞の見出しに「また」が見えたときは、悪いいいニュースに決まっている。「電通 また違法残業」(熊本日日新聞 12/5夕刊)。まずは夕刊で概略の記事があり、翌6日には詳細が伝えられた。法の制限を超える違法な残業で労働基準監督署から是正勧告を受けたという。電通といえば、4年前に新入社員が過労による自死で有罪判決が確定している。そのため、「また」かとの見出しになった。 第三者としては詳細な情報を持っていないから、どうして繰り返されたのかまで追究することはできない。ただ、私には「その事実がどうして明らかになったのだろう」という素朴な疑問はわいた。それは内部からの情報か。 |
| 子どもたちとの関わり 2019/12/14 Sat 6648 昨日の続き さて、講演や研修でお手伝いする「①教育界」だが、その範囲はきわめて広い。まずは大きく「学校教育」と「社会教育」くらいにわけることができる。また「学校教育」でも、対象者が「教師」のこともあれば、「児童生徒」に話をすることもある。 子どもたちへの話は楽しい。私の場合、その対象は全校の児童生徒であることが多い。あるとき、小学校の1年生から6年生までが「聴き手」になったことがある。これほど学年差があると、全員に受け止められる話をするのは至難の業である。その対策として、まずは私自身が毎朝目が覚めた瞬間から叫びたくなるほど楽しくなるという話からはじめた。とにかく朝からハイテンションであることに力点を置いた。さらに、動物について、たとえば「コアラが好きな人、パンダが好きな人…」と呼びかけて手を挙げてもらう。ほとんど全員が「どれか」を選択したのを見極めてから、「『好きな動物』がいるということは、『そうでない動物』もいるのだよね」と問いかける。そうした流れの中で、誰もが意識しないうちに「ものごとを区別」し、それが「差別やいじめ」に繋がる可能性があることを伝える。 子どもたちに話をすると、その感想文が送られてくることが多い。それを読むと、みんなが成長に応じて私の話を受け止めてくれたことがわかって、いつも感動する。 |
| 早出夕刊:情報流出 2019/12/13 Fri(7:15am) 6647 神奈川県のハードディスクの行政文書流出は衝撃的である。県はデータ消去の処理をしたと言うが、新聞には「落札者がソフトを使って復元ができた」と書かれている。知事は「消去の確認が不十分だった」と謝罪したようだ。そうなると、冒頭の「消去した」との見解は怪しくなってくるが、事実はどうなのだろう。県としては「富士通リース」に廃棄を委託したが、それがさらに「ブロードリンク」に回されている。こうして関わる組織と人間が増えていくことになる。年金の情報管理が大問題になったときも、個々の情報入力がドンドン別の会社に回されていったことが明らかにされた。どこもここも危うい状況だ。 |
| 「養豚界」デビュー 2019/12/13 Fri 6646 前期高齢者の私に講演や研修へのお誘いがある。ありがたいことである。その範囲も多岐に亘っている。大きな括りで分ければ、①教育界 ②産業界 ③医療界 ④各種団体となるだろう。 これに雑誌への原稿依頼も加わる。ときには連載もあって、何と、この私が「養豚界」という雑誌にもデビューして、昨年の11月号から、好評(?)連載中である。読者はその誌名からわかるように「養豚経営」に携わる方々である。その内容については、出版社である緑書房が私の自由に任せてくださるので楽しくて仕方がない。 当初は10回程度の提案を受けたが、ついつい調子に乗って、第18回にまでいってしまった。つまり、最終回は2020年4月号ということになる。じつは、私はその最終回も書き上げて、すでに出版社へ原稿を送った。とにかく、あれもこれも書きたくなるので、ドンドン先の号まで進んでしまった。私は依頼された原稿の「締め切りは守る」ことを大事にしてきた。しかし、これほど「先行」するのは初めてである。 何といっても前期高齢者も後半である。こうした連載は最後になるという気持ちがあった。それが「養豚界」だったことも、これまた楽しい。 |
| 早出夕刊:お一人様専用 2019/12/12 Thu(7:48am) 6645 ファミリーレストランなどの飲食店で「一人専用席」が広まっているらしい(熊本日日新聞 12/4夕刊)。写真を見ると、図書館の半個室机と同じ雰囲気である。こうなるとテーブル=机の前にはコンセントがあるのは当然で、WiーFiが使える。「ファミリーレストラン」は、その名の通り家族をターゲットにしてきたが、それが「個食」にシフトしていく勢いなのである。そうなると飲食店が食事よりもネットの場に変わっていくのではないか。図書館の「半個室」は当然として、食事はすべての人間にとって一番楽しい時間に違いない。仕事の事情で「一人のとき」もあるが、人としゃべりながら食べるのは楽しいものだ。 |
| 一本の万年筆 2019/12/12 Thu 6644 父が75歳で亡くなって27年以上が経過した。それまで住んでいた「日の里」のアパートで部屋を整理していたとき、机の上に万年筆が置かれたいた。パイロット製の中字で、いまは私が使っている。父が残した日記にもこの万年筆で書いたと思われるものがかなりある。その名の「万年」は無理に決まっているが、使い心地の良さはそのまましっかり生きている。 このままだと二代に亘る遺品になるだろう。それを受け取るのは息子か娘か、はたまた孫たちか。もっとも、万年筆をありがたがるのは私たちの時代で終わるのかもしれない。そんなわけで、彼等に「私の父の遺品だからちゃんと使ってほしい」などといったメッセージを遺すつもりは毛頭ない。 午前中の雨が嘘のように止んだ。雷まで鳴っていたのに、いまは日射しが机上に拡がる。ペン先の影が紙面で踊る。正面にあるディスプレイが逆光になるから、カーテンを半分だけ閉じる。これから、また「趣味の仕事」に戻る。(3:29pm)。 これは、先月のある日、私が書いた日記の一部である。この日は午後3時29分に書き終えたことがわかる。日記は「その日」に書くものだから、時間は問わない。 |
| 変える、変える、ちょとだけ変える 2019/12/11 Wed 6643 昨日の続き 私の「ネタ」に「チェンジ」に関するものがある。タイトルは「変える、変える、ちょっとだけ変える」だが、これは「がっちりマンデー」の「地味チェンジ」と同じである。 講演の際は、ご覧のスライドの下線部分をクリックしながら小出しにしていく。組織の「制度やシステム」を変えるには労力と時間、そしてお金もかかる。また、講演を聴いていただいている方だけでは変えられないこともある。そこで、まずはリーダーが「仕事や身の回りのこと」を見直して、「小さな変化」を先導することからはじめましょうとお勧めするのである。それでも「小さな変化の積み重ね」が結果として「大きな変化」につながっていく。 ![]() その具体的なものとして、「順番を変える」ことを第一に挙げた。世の中に「歯を磨いて食事をする」人はいないだろう。ましてや「靴を履いてズボンをはく」人だっているわけがない。それはもう喜劇の世界である。しかし、そんな「喜劇」を日常の仕事で演じてはいないか。ただ「順番を入れ替えるだけ」で仕事の効率が飛躍的に改善されることがあるはずなのであある。 ところが現実には、「これまで『こうしてきた』から」とか、検証もしないで「そんなことしても同じこと」、さらには「かえって効率が悪くなる」などといった理屈をつけて頑なに「順番」を守ってはいないか。 |
| ちょっとだけチェンジ戦略 2019/12/10 Tue 6642 日曜日の朝は7時からTBS系「健康カプセル ゲンキの時間」を観て、「がっちりマンデー」に繋がる。このスケジュールをいろいろなところで話すと、「私も」という方が多い。その内容から、われわれ世代の視聴率は高いのではないか。 先月の「がっちり」では「地味チェンジ」を話題にしていた。これはシリーズ化されていて、「ちょっとだけ地味にチェンジ」してがっちり稼いでいるビジネスを紹介する。 この日の一件はマックだった。客が注文したものを席まで持ってくるテーブルデリバリーをはじめて売上増になったという。私がマックを利用したのは人生のうちで5回もあったかと思う程度だから、以前のパターンは記憶にない。モスバーガーの方は、はじめから番号の付いた立て札を渡されて持ってくるまで待つシステムだったと思う。マックは接客クルーなるものも配置したらしいが、「ちょっと変えて」「大きく売り上げを伸ばす」ことに成功したという。 つまりは、「コスト」を増やすが、結果としてそれを超える「収益」を得る戦略である。これは私の「『小は大を兼ねる』『大は小からはじまる』論(?)」と軌を一にしている。 |
| 早出夕刊:「金(かね」の話 2019/12/09 Mon(6:41am) 6642 「いつの世にも」と言うべきか、あるいは「今の世の中は」と嘆くべきか。われわれ人間は、「金(かね)」という「モノ」によって行動を支配されがちになる。そもそも「金」は人類の「大発明」に違いない。誰もが生きていくために必要なものを手に入れなければならない。しかし、そのすべてを自分だけの力で得ることはできない。そうなるとお互いに必要なモノとモノを交換するのは自然の流れである。いや、それは必然と言うべきだろう。そこで「物々交換」という仕組みが生まれた。私がこの用語を知ったのは小学生のころである。それが「金」という共通した「モノ」になっていく。 |
| 富士フイルムとゼロックス 2019/12/09 Mon 6641 富士フイルムが米ゼロックスの買収を断念した(熊本日日新聞 11月6日)。この2年間ほどゴチャゴチャしたようだが、細かい事情は知らない。ただ、わが世代には富士フイルムがゼロックスの買収を試みたこと自身が感慨深いのである。 私が大学に入学したころ、ゼロックスは普通紙コピーの代名詞だった。その当時、「複写」と言えば「青焼き」だった。これを知らない人に説明するのはきわめてむずかしい。その原理は「日光写真」と同じだと言っても、これまた多くの人が知らないだろう。いずれにしても、「ゼロックスして」と言えばコピーすることだったのである。そうこうするうちにゼロックスの特許が切れてから日本製コピー機がシェアを急激に拡大していった。 その当時、富士フイルムはその名の通りフィルムメーカーに過ぎなかった。それが今では「フィルム」という名称が会社の製品を代表していないのである。そして、医薬品や化粧品など様々な分野で力を発揮している。そんな富士フイルムが米ゼロックスの買収を考えたのは、「ゼロックス」ブランドが世界で認知されているからだという。その商標使用権は2021年までとのことだが、その後はどう展開するか。 |
| 「振り子」の乗客 2019/12/08 Sun 6640 6日[Short shot]の続き 今回は小倉から大分までソニックに乗った。この揺れが尋常ではないのである。まさに「振り子電車」に違いない。その特徴はカーブでもハイスピードで走れることにある。 それにしても「揺れまくり」だ。通路を歩いている人が吹き飛びそうな格好で座席の端を掴まえながら前進する。これでは乗客が「振り子」になっている。私はと言えば、車内で定番としているPCの仕事を諦めた。もともと座席のテーブルが狭いこともあって、マウスもまともに使えないのである。その代わり(?)、座席の頭にはミッキーマウスの耳のようなカバーが付いているので苦笑した。車両は斬新なデザインで知られているが、前期高齢者にはそのすばらしさが理解できていない。 ともあれ、国策でインバウンドも増加中である。「日本の鉄道は揺れまくり」で済まずに、「怖くて仕方がなかった」といった印象までお土産にされるのではないかと懸念する。ネットで見ると、「振り子電車」と「乗り物酔い」も相性がいいらしい。素人感覚ではカーブと感じないような部分でも大いに揺れるから、「酔客」が出るのも納得できる。 これでどのくらい時間が短縮するのだろうか…。 |
| 早朝夕刊:入試ミスの対応 2019/12/07 Sat(5:55am) 6639 九大の入試で採点ミスがあった(熊本日日新聞 11月2日)。今年2月に実施された前期日程で合格ラインに達していた男性の受験生が採点ミスで不合格になった。本人の希望があれば入学させる。また他大学に進学していた場合は入学金や授業料を補償するという。 この情報だけを前提にして考えた。①そもそもどんなミスか、②ミスが発生したのはどうしてか、③同種のミスを防止するためにどうするか、④この時期までミスが明らかにならなかったのはどうしてか、⑤進学していたとして、どうして入学金や授業料なのか、⑥それが私立であれば国立との差額分なのか、また期間はどのくらい分なのか、⑦本人が入学を希望した場合は、受講していない前期の分をどうするのか。 |
| 光栄なるかな「ヨシダ君」 2019/12/07 Sat 6638 倉敷に研修で出かけたとき、コーヒーを飲みながらHさんから聴かれた。「先生、中央労災防(中央労働災害防止協会)のマスコットの名前をご存じですか」。「労災防とは懐かしいですね。ずっと前ですが安全について、労災防の雑誌に連載したことがあります。ただ、キャラクターの名前は知りません」。これが私の回答である。原稿は「働く人の安全と健康」の2004年1月から6月にかけて書いたものだった。すでに15年以上が経過していることに驚いてしまう。 閑話休題、マスコットの名前は何と「ヨシダ君」だった。いただいたプリントを見ると、女の子も描かれていて、そちらは「よしみさん」である。ネットで確認すると「ヨシだ君安全衛生ステッカー」なるものが商品化されていた。いわゆる「指差し呼称」で「ヨシッ」と声を出すことに由来しているのは誰にもわかる。 ともあれ、「ヨシダ君」本人としては嬉しい限りである。まさに身の引き締まる思いでそのモデルになりたいものだ。ところで、その起源は国鉄の「指差喚呼」にある。さらにその元が明治末年に神戸鉄道管理局でルール化された「喚呼応答」だと聴けば感動するしかない。 |
| Short shot:「振り子」の揺れ 2019/12/06 Fri(6:22am) 6637 もう随分と前の話だが、長崎線の電車が大揺れする「問題(?)」を取り上げたことがある。素人としては保線をしっかりしているのかと心配し、疑いすら生じた。そのことを研修で話題にしたところ、ある受講者から「それは『振り子電車』だからではないですか」と言われた。休憩時間にわざわざ私のところに来られたのである。何となく鉄道好きの人だという印象を受けた。その情報のおかげで、保線に対する懸念や疑問はなくなった。 |
| 本題は… 2019/12/06 Fri 6636 昨日の続き この二日は「歯ブラシ」「剃刀」問題を取り上げた。じつは、これらは前書きで、本当に書きたいことは別にあった。それにもかかわらず、本題を頭に置いた瞬間に「あれやこれや」の妄想が拡がってくる。これが私の習性だから、恐縮ながら本コラムが「ズルズル」と続いていってしまう。 さて、「本題」とは近くのスーパーで発生したある「事件」に関わっている。ホテルの「剃刀」を完全に卒業した私は「シックの5枚刃」に切り替えた。その意志の強さは、今ではホテルの剃刀には手を触れずにいることで証明されている。 そんなわけで、ときおり「5枚刃」の補充をする。先日、スーパーに行ったところ、「5枚の替え刃」に「2,380円」の値札がついていた。それはそれでいいのだが、すぐ近くに替え刃が「5枚」付いた「ホルダー」がぶら下がっていた。それもそれでいいのだが、値札を見て絶叫しそうになった。なんと「2,400円」なのだ。「ええーっ、20円差でホルダー付きかい」と驚いた私はその二つをレジにもっていって確認した。店員はバーコードで確認してから「そうですね。間違いありません」と答えた。 「価格」とはなんぞや。私がどちらを購入したかはご想像にお任せします。 |
| 早朝夕刊:「最小」湿度? 2019/12/05 Thu(6:05am) 6635 すっかり師走らしい気温になってきた。朝食後に歯を磨くときもじっとしておれないからリビングに足を伸ばす。昨日の7時35分ころだったが、NHKのニュースで天気予報が流れていた。ちょうどそのとき、おなじみの女性気象予報士が持っている手書きのホワイトボードが目に入ってきた。 そこに「最小湿度」という文字があったので刺激を受けた。あっという間のことで、その表現が見間違いだった可能性はある。その危険性を承知の上で言えば、「湿度」は「最小」と表現するのだろうか。パーセントで表示されるものであれば、「最高」「最低」ではないのか。空気中の水蒸気の量としても「多い/少ない」だろう。 |
| 保管庫におののく 2019/12/05 Thu 6634 昨日の続き ホテルの「歯ブラシ」は危うく遺品になるところだったが、私の「決断」によって定年までに片がついた。これに対して「剃刀」の方は「保管庫(?)」を確認して戦慄を覚えるとともに不安と恐怖に身震いした。その量を目の当たりにして、「このことがバレると銃刀法違反で捕まるのではないか」と思ったからである。 ずっと昔から家内はアメニティの持ち帰り癖に対して「いじましいことをしなさんな」と言い続けていた。剃刀については「替え時ってものがあるでしょう」と責められた。たしかに「替え時」はあった。それは「口の周りが血だらけになる」という明確なサインが出たときである。ただ、私の髭質だと数回で「血を見る」ことができないのだ。そこで「ついつい」あるいは「意識下の力」によって使用期間が引き延ばされていった。 しかし、事態は逼迫していた。定年退職前に「銃刀法違反」で捕らえられれば、元も子もないのである。そこで心を入れ替えた私は、「血を見る」前に次々と使っていった。この果敢なる意思決定は目に見える成果を生み出した。さすがに定年には間に合わなかったが、ほぼ1年で「保管庫」は空になった。 |
| 今月の表紙(2) 2019/12/04 Wed 6633 上賀茂神社で12月31日に行われる「人形(ひとがた)流し」である。まずは人形をした紙に自分や家族の名前と年齢を書いて、それに息を吹きかけたり、身体を撫でたりする。これで穢れが人形に移るとされる。それを神職がハラハラと「ならの小川」に流して清めるのである。その有効期限は半年間のようで、6月にも同様の行事が行われている。今日では「穢れ」については議論もあるが、心の重荷を文字通り「水に流す」わけだ。 私も大晦日の日に人形を流してもらった。小川の先の方で神社のスタッフが、川面に浮かぶ膨大な枚数の人形を回収していた。上賀茂神社は京都で最古とされ、世界文化遺産でもある。 |
| 歯ブラシ遺品問題 2019/12/04 Wed 6632 「もったいない」&「いじましい」世代である。いや、自分の行動傾向を世代に責任転嫁してはいけない。私が「いじましい」だけである。けっこうな年になるまで、ホテルのアメニティを持ち帰っていた。それらのうち「丸い石鹸」などは自宅で使うこともなくホコリをかぶるだけ、しまいには処分する始末だった。そんな失敗を体験しながら、持ち帰り品も選択制となっていった。 最後まで残ったのが歯ブラシと剃刀である。すでに定年の3年ほど前から果敢に「身辺整理」を進めていた。私の自訓「人生少しずつ」に基づく断固たる行動である。人間「そのうち、そのうち」には気をつけなければならない。「そのとき」は「アッ」というまにやってくる。ただし、そうかといって「一気」に動くのはしんどい。そこで「少しずつ」をキーワードにして生きてきた。 さて、定年退職の1年前に「保管庫(?)」で寝ている歯ブラシを見て「このままだと大多数が遺品になるじゃないか」と感動的な衝撃を受けた。それからは、「少しずつ」の自訓を横に置いて、せっせと使っていった。その結果、定年までに在庫はおおむね底をついた。めでたし、めでたしである。 |
| 今月の表紙(1) 2019/12/03 Tue 6631 朝日が昇る午前6時半ころの羽田空港である。東京の日の出は九州よりも1時間ほど早いが、12月の朝ともなれば、やはりこんな感じである。前方には海があり、その先はおそらく川崎あたりの工業地帯が見えるはずだ。ほんの少し赤みがかりはじめた空に流れるように黒い雲が浮かんでいる。その姿にはおどろおどろしさもあるが、その向こうから今日がやってくるという感じがする。写真ではわかりにくいながら複数の航空機が眠っている。 |
| ラストチャンス潰し 2019/12/03 Tue 6630 昨日の続き 今回の「ミス」を回避する最後のチャンスは、③私がチケットをその場で確認すること、だった。窓口の担当者が確認しなくても、手元に差し出されたチケットを見れば、「みずほ」でないことは瞬時にわかることである。それをそのまま胸ポケットにしまい込んだのだから、まさに「最後のチャンス」を自分で潰してしまったわけだ。いずれにしても、最終的には「予定通り」の「みずほ」に乗って21時27分に熊本駅に着いた。 私はこの体験で、まずは「メモの書き」の仕方について学んだ。たとえ発車時刻等を正しく記していても、その表現によって「勘違いする」可能性が生まれるのである。また、こちらの予定を伝えるときにも、「時刻」だけでなく「列車名」をワンセットしにしないとまずいこともわかった。あのとき「新幹線」ではなく「みずほ」と特定していれば、「その時刻の『みずほ』はありませんよ」と回答されていたに違いない。そして、最後に手渡されたチケットに印字された内容をしっかり確認することも必須の条件となる。 いずれも「基本的」かつ「当然」のことである。私は「基本をスルーする落とし穴」に嵌まったのである。 |
| ミス回避のチャンス 2019/12/02 Mon 6629 昨日の続き 「さくら569号」は岡山を18時58分に発車して熊本には21時41分に着く。これに対して「みずほ691号」は9分遅れの19時9分発だが、熊本には21時27分と14分早く熊本に到着する。そんなことで、「1本遅い『みずほ』の方が早いですよ」くらいは言ってくれてもよさそうな気がする。 しかし、それはこちらの勝手な期待であって、後ろにも客が並んでいる状況で無理な注文ということになるか。さらに、「さくら」と「みずほ」は300円ほど高いから、それが理由で「お勧め」しなかったのかもしれない。 ところで、あとで考えるとミスを修正するチャンスはあったのである。私が最初に「18時55分の新幹線グリーン席」と言うや否や、みどりの窓口の担当者は猛烈なスピードで「その時間」に対応する列車を検索した。その結果、「自由席もグリーン席も空いていますよ。グリーンにされますか」と問い返された。これを聴いて、私は一瞬「えっ」と軽く驚いた。その日の昼休みにJR九州のネットで予約しようとトライしたら、「みずほ」の自由席は満席状態だったからである。それにもかかわらず、「自由席」もけっこうな空きがあるといった様子だったのだ。 |
| 確認されたか? 2019/12/01 Sun 6628 11月30日の続き 最初のミスは「メモの不備」である。単純なことながら、「倉敷18:43発⇒岡山18:55着」「岡山19:09発 みずほ 熊本着21:27」と記しておけば、今回の事態は発生しなかった。それを「自分が分かればいい」という気分でいたのはいいが、結果としては「自分もわからない」ことになったのである。これでようやく①の分析が終わった。 つぎは②窓口の担当者が「確認しなかった」(と思われる)ことである。この点は私の思いちがいである可能性を認めた上での分析である。 そもそも窓口ではチケットを客に手渡す際に必ず内容を確認する。このとき「それをしなかった」と主張する気持ちはない。ただ、「15時58分『さくら』569号ですね」と言われていたら、私は「えっ」と叫んだ可能性が極めて高い。倉敷に出かける前から「復路は『みずほ』」と決めていたのである。私がメモを見ながら、普通列車の到着時間である「18時55分の新幹線」と伝えたのは間違いない。窓口の担当者としては「時間」よりも「新幹線」の印象が強かったのだろうか。それでも行き先は熊本だから、「後発の『みずほ』の方が早く着きますよ」とたずねることを期待するのは虫がよすぎるか。 |