メモの問題 2019/11/30 Sat 6627 昨日の続き
復路のメモは、「岡 18:55」の下に「19:09」と記し、さらにその下に「みずほ」と書いて、最後の行は「21:27」になる。これは「18時43分発の在来線が岡山に18時55分に着きき、19時09分の『みずほ』に『乗り換え、熊本着は21時27分になる」ということである。
私自身がそのつもりで書いたのだ。メモの内容は間違いないだけでなく、ちゃんと見れば、「みずほ」が岡山発19時09分発であることは十分にわかる。それにもかかわらず、私は窓口で「6時55分の新幹線」と伝えたのである。おそらく、Hさんに誘われた夕食の時間があまりないという気持ちがあったに違いない。このとき、窓口までに少しばかり列ができていて、その時間も少しずつ減少していく状況にはあった。私が「できるだけ早く」チケットを手にしたいと思ったことは疑いない。
そこで係員から「こちらへどうぞ」と呼ばれて窓口へ行くなり、メモに目にある「岡」の右横に記していた「18時55分」を見て、「6時55分の新幹線」と叫んだ(?)のである。それを聴いた担当者は猛スピードでディスプレイにタッチしていった。それに目を奪われて(?)、私は改めてメモを確認しなかった。 |
ミスの発端 2019/11/29 Fri 6626 昨日の続き
今回の「ミス」を、時間の流れに沿って分析してみよう。①倉敷からの復路として、岡山発の「みずほ」を選択した。これは、研修の終了時間を踏まえれば適切な選択だった。熊本に少しでも早く着くことを優先すれば、それよりかなり前に「さくら」があった。しかし、最速「みずほ」の魅力は、到着時間が少しばかり早いという魅力を超えている。「みずほ」は岡山を出ると、広島、小倉、博多の3駅しか停車せずに熊本に着くのだ。
その意思決定を基に、倉敷から「みずほ」に連絡する列車の時刻表を確認したのも当然である。その結果、18時43分発の電車があり、これに乗れば18時55分に岡山に着くから、19時09分発の「みずほ」に余裕を持って間に合うのである。そして、その流れをメモに帰したところまでは非の打ち所のない判断と行動だった。つまりは①の段階では問題がないように見える。
しかし、「事件」はすでにこの時点からはじまっていたのである。そのメモは26日の本コラムに挙げたが、そこには「倉 18:43」、その下に「岡 18:55」と書いている。復路はまず倉敷発18時43分の電車に乗り岡山に18時55分に到着するということである。 |
早朝夕刊:盗品のオークション 2019/11/28 Thu (6:42am) 6625 JR九州の社員が車両工場から新型車の取扱説明書などを盗んで逮捕された(nikkei.com 10月30日)。容疑は窃盗である。警察によると、問題の社員は盗んだ資料をオークシヨンサイトに出品したという。実際には落札されなかったが、この種のモノを求めるファンがいるのだろう。
取説の機密性がどの程度あるのか知らないが、ネットに載せ れば問題が発覚することは容易に想像できる。この件では厳しい処分が下されるだろう。当人は54歳、何とも嘆かわしい。その動機は記されていないが、つまりは「金」が目的だと推測される。こうした問題の原因は、飲食や遊興費などの遊び金が関係していることがほとんどである。 |
防げたミス 2019/11/28 Thu 6624 昨日の続き
ともあれ、「十分な余裕をもって」岡山駅に着いて新幹線の改札へ向かった。そこで掲示板を見て「18時50分台」に発車する新幹線が「さくら」であることに気づいた。手元のチケットを確認すると、紛う方なく「さくら569号」と記されている。しかも、熊本着は21時41分になっていて、私の頭とメモにある「21時27分着」よりも遅く着くのである。
ここで私は初めて「ミスった」ことを認識したのだった。まだ「さくら」の発車まで30分もある。それが「早めの電車に乗った『おかげ』」だったのは皮肉と言うべきだろう。すぐ横に当日券の購入窓口があった。人がけっこう並んでいたが、とにかく切り替えるしかない。その結果、「さくら」との差額を払って、「予定通り」の「みずほ」に変更した。
それから改札を通って、Hさんに電話をかけて一連の顛末についてお伝えした。「これも『味な話の素』のネタになります」。そんな「苦笑い話」をこの数日間の本欄で記してきたわけだ。それにしても、この「事件」はどう考えても、その発生を未然に防止できるものだった。「リスクマネジメント」の「専門家(?)」としては大いに反省せねばならぬ。 |
気づかないミス 2019/11/27 Wed 6623 昨日の続き
一般的にチケットを渡されるときには、担当者が目の前に提示し、指定の列車について発車時間等を確認する。このとき、私はそれを聴いたのだろうかと思う。もちろん確信はないから、「確認がなかった」と主張するつもりはない。ただそこで「岡山18時58分発の『さくら569号』」と言われたら、即座に「『みずほ』ではないですか」と聞き返した可能性がきわめて高いのだ。復路の列車を検索をしたときから「最速の『みずほ』」は一貫して頭にあったからである。
チケットを手にした私は、「これだと在来線は何分発になりますか」とたずねたことは間違いない。これに対して「18時33分発だと乗り換えが7分しかないので、18分発の方がいいと思います」と言われた。このお勧めは衝撃的だった。すでに17時40分を過ぎており、食事する時間などまったくないのである。私の頭にあった18時43分発であれば、あわただしいながらも多少の時間がある。その事情をHさんにお伝えして、お土産探しにお付き合いいただいた。それから改札口に行くと「18時6分」の掲示があり、「それなら」とさらに早めの電車に乗って、「18時19分」に岡山に着いた。
私は「まだ」自分のミスに気づいていない。 |
メモの読み違い 2019/11/26 Tue 6622 昨日の続き
「みどりの窓口」の行列に並んでから5分ほど経過して、先ほど「こちらもどうぞ」と応援に入った担当者から呼ばれた。そこで私は手元のメモを見ながら「6時55分岡山発の新幹線で熊本まで行きたいのです」と伝えた。もちろん録音していないので、発言は私の記憶を参照するしかない。
あとから振り返ると、この時点で私は大きなミスを犯した。現物のメモは廃棄したが、復路のスケジュールについて写真のようなものを手帳に入れていた。これを見て「6時55分岡山発の 新幹線」と言ったのである。しかし、それは倉敷を18時43分に発車した電車が岡山に着く時間である。「みずほ」は、それから14分後の19時09分発なのだ。
ともあれ、私の「希望」を聴いた担当者は猛烈なスピードでディスプレイの上下左右をタッチしていった。そして、「アッ」というまにチケットが出てきた。そして、新幹線の指定券と2枚の乗車券を渡された。その1枚は倉敷から岡山までで、もう1枚が岡山から熊本までのものである。つまりは目的地とは逆方向のルートなので、まずは岡山まで行き、それから改めて熊本までの乗車券を購入する段取りなのだろう。 |
みどりの窓口 2019/11/25 Mon 6621 昨日の続き 倉敷の研修は16時30分で終わった。往路と経路が異なるため、帰りの指定券は取っていなかった。JR九州のwebで指定券の予約はできたが、JR西日本の券売機に不安があった。先月、JR九州で予約したチケットがJR西日本の発売機でゲットできず、「みどりの窓口」に行ったことを思い出したのである。
そんなこんなで、復路は倉敷駅で購入することにした。私のメモによれば、倉敷を18時43分の在来線で岡山に行けば、最速の「みずほ」に乗れる。仕事が終わって移動しても17時40分には岡山に着けるので、1時間ばかりの余裕が生まれる。そこで、研修にお呼びいただいたHさんから夕食のご提案があった。ゆっくり食事をする時間はないが、喜んでご一緒することにした。
週末とあって、窓口は少しばかり人が並んでいた。その状況を見て、もう一人係員が出てきて、「こちらもどうぞ」と行列に声をかけた。私は思わず、「これが国鉄時代と違うんですよね」と小声で言った。Hさんがすぐに「そうですよね。昔は奥の方でふんぞり返っていましたからね」と同意された。国鉄がJRになった1987年からすでに32年が経過したが、高齢者にはそんな記憶が残ったままだ。 |
早出夕刊:ビジネスからエコノミーへ 2019/11/24 Sun (2:14pm) 6620 トヨタが「若者のみ」を対象に厚遇を見直すという(熊本日日新聞 11月6日)。現在、若手社員も含めて海外出張はビジネスクラスを利用している。これを主任職より下の社員はエコノミーにする。年齢的には20代から30代が多いようだ。ただし、長時間かかる中南米やアフリカ地域は従来どおりとする。
その理由として、取引先を含め他社と比べて厚遇であることを挙げている。また、その差額で若手社員の出張を増やすメリットもあるらしい。ビジネスとエコノミーの価格は雲泥の差がある。このごろのビジネスはベッドに近い状態で眠れるシートもある。その変更について他人がとやかく言う資格はないけれど…。 |
ご縁のはじまり 2019/11/24 Sun 6619 昨日の続き 倉敷に出かけたのは永年に亘ってお付き合いのあるHさんから研修のご依頼があったためである。Hさんと最初に出会ったのは2004年3月4日(木)である。
私は2003年2月25日(火)と26日(水)、翌年の3月4日(木)、5日(金)に「社団法人日本産業カウンセラー協会四国支部」が主催する「リーダーシップ公開講座」に出かけた。そもそもは同法人の方が、「財団法人集団力学研究所」が開催していた「フォアマン・スクール」に参加されて、「四国でも同じような講座をしたい」とのご依頼を受けたのがきっかけである。最初の年は高知と徳島で1日の研修をし、翌年はほぼ同じスケジュールで会場が松山と髙松になった。
前者の2003年はHPを立ち上げる2ヶ月ほど前になる。後者は「味な話の素」をスタートして1年近くが経過していた。そこで、アクセスカウンターを増やそうと、「味な話の素」をPRしまくった。今回、倉敷に呼んでいただいたHさんは、2004年3月4日の松山会場で受講されたのである。それ以来、本コラムをほぼ毎日フォローしていただいている。いつも誤字や日付の誤り、さらにはカウンターのダブりまで即座に情報をいただく「お得意様」である。 |
倉敷までの「往路・復路」 2019/11/23 Sat 6618 今週は、倉敷で仕事をした。私はどこに行っても「ネタ」に当たるようだ。
まずは倉敷に出かけるに際して、JRの取り扱いがおもしろい。チケットをJR九州のネットで予約しようと思い、こちらの都合いい発車時間で検索すると、「さくら」で福山まで行き、在来線に乗り換えるルートが出た。これを選択してから、「帰り」も検索すると、今度は倉敷から岡山へ行き、「みずほ」に乗り換える選択肢が出た。ただし、「乗車券」は購入できないとの但し書きがある。
これは往路と復路でルートが異なるからだと思われる。またルートは最短距離を基本として、福山で乗り換えることになっているのだろう。たしかに、熊本を終着地とすれば、倉敷から岡山に向かうのは、わざわざ逆コースを選択することになる。しかし、利用する時間帯に福山停車の新幹線がなければ岡山ルートにするのは当然である。しかも、最速の「みずほ」は岡山にしか止まらない。
JRとしては、一定のルールを設けて販売することにしているのだろう。そこで、まずは往路の「熊本⇒福山⇒倉敷ルート」のみをネットで購入した。復路については改めて買おうと決めたのである。 |
「よくありますもんね」… 2019/11/22 Fri 6617 昨日の続き
Suicaの「エラー」の原因が使用者側にないことは明かである。改札の読み取り機にかざしたら、「扉」が開いたのである。つまりは「エラー」は改札機側にがあるのだ。それにもかかわらず、「あんたは料金を払ってないから、1年以内に出直しなさい」ではまずいに決まっている。その地には二度と行かない客にとっては悪魔のストーリーである。
これに使用者が納得でき、かつ使用の継続に支障のない解決策を見つけるのはむずかしい。もっとも望ましいのは「未払いがあれば全国どこでも精算できる」というものだ。しかし、それはシステムを設計する際に前提にしていなかったに違いない。今からソフトの修正などコストがかかるから、実現はまず無理だろう。
そうなると「郵送や宅配」で問題発生の場所へ送り処理することも考えられる。もちろん料金は会社持ちである。ただし、これだとSuicaが戻ってくるまで使用できなくなるデメリットがある。しかし、少なくともそうした選択肢を準備するのがサービスというものだろう。
ところで私の場合は帰路の福岡空港でリセットとなったが、「当日」博多駅から空港まで乗ったと記録された。係員の「よくありますもんね」の一言に苦笑いした。 |
お宅の事情、こちらの事情… 2019/11/21 Thu 6616 昨日の続き
「連絡票」にはもう一つの選択肢があって、「運賃はお支払いいただいておりますが、自動改札機による出場処理が行われていません。このICカードの取り扱箇所にお申し出ください」と記されていた。
さてさて、「本事件」の「この時点」で判明した「事実」がある。それは「この種の『事件』」がどうやら日常的なものらしいということだ。それは印刷された「連絡票」なるものが「常備」されていることから明かである。JR名古屋駅における係員の対応も、「待ってました」とは言わないまでも、エラーの原因は直ちに判明した。
その点、名鉄中部国際空港駅の窓口では何のこともなくSuicaが反応してチケットが買えた。私が「自動販売機で使えなかった」と言っても「どうしてですかねえ」と頭をかしげただけだった。あの読み取り装置では、そこまで感知できなかったのだろう。
ともあれ、このときは帰路も福岡便を取っていたので、福岡市営地下鉄の窓口に寄ることができた。しかし、これが「二度と行かない土地」で同じことが起きたらどうなるか。そのまま1年経過したら「予告なく…カードの利用を停止する場合があります」というのである。こちらの事情などお構いなしではないか。 |
警告付き解除 2019/11/20 Wed 6615 昨日の続き
JR名古屋駅の係員がSuicaを再び使えるようにしてくれた。時計を見ると、もともと乗る予定だった新幹線までは10分の余裕がある。そこで後の列車に変更していた予約をあわてて取り直した。
これで、Suica問題はとりあえず解決した。しかし、改札口で渡された書類を見ると、「IC処理連絡票」とある。その下の枠内に「運賃をお支払いいただいていない区間があります」と記されている。これがまずもって遺憾である。私は博多駅で地下鉄に乗って福岡空港で降りた。そして言うまでもなくSuicaで改札を通過した、それを「未払いがある」とは何と失敬な話であることよ。
さらに票の最下段の「記事欄」には手書きで「福岡市交地博多 入場取り消し」と記載されている。何と「博多駅で乗ったこと」が取り消されたのだ。さらに、但し書きを読んで感動に震えた。「本日から1年以内に運賃をお支払いいただいていない区間の交通機関のICカード取り扱い箇所で運賃をお支払いください」ときた。これに続けて「1年以内にお支払いいただけない場合は、予告なく、下記番号のICカードの利用を停止する場合があります」と警告まで付いている。いやはやこのシリーズ、まだ終われない。 |
JR名古屋駅のSuica 2019/11/19 Tue 6614 昨日の続き
新幹線の改札口でSuicaが使えないとなるとややこしくなる。名古屋で名鉄からJRに向かい、20分ほどあとの新幹線を予約していた。そこで名鉄の電車の中で新幹線の予約を1時間半ほど遅い列車に変更した。Suicaが改札でトラブっては予約していた電車に乗れないだけでなく、払い戻しの手続きまで出てくるのではないかと危惧したのである。そんな準備をした上でJA名古屋駅の改札でSuicaをかざした。
まさに案の定、赤ランプが点滅し警告音が鳴った。そこで改札機の横にある窓口に行くと担当者は警告音でSuicaが通らないことを承知していた。私もSuicaを差し出して「どうしたんでしょう」とたずねた。すでに中部国際空港駅で「それなりの事情」についてはわかっていたが、ここで細かい説明は不要だと考えた。ともあれ、係員が読み取り機らしきものにSuicaをおくと、すぐに「これは福岡の地下鉄で未払い状態になってなっていますね」と名鉄の担当者と同じことを言った。
ただし、すぐに「使えるように処理しますのでちょっと待ってください」と答えた点が違っていた。それから機械を操作し、さらに所定の用紙らしきシートにSuicaの番号などを記入していた。 |
改札を飛び越えた? 2019/11/18 Mon 6613 昨日の続き
名鉄の中部国際空港駅の改札機でSuicaのエラーが出たのを見た女性の係員が「福岡の地下鉄で支払いが済んでいませんね」ときた。まさに寝耳に水だ。たしかに博多駅から福岡空港まで地下鉄を利用した。しかし私はちゃんとSuicaで通過したはずである。
そのとき改札口を棒高跳びして乗り越えた記憶などまったくない。そもそも私には棒などを持ち歩く習慣はない。もちろん前期高齢者も半ばを過ぎた身である。いや年齢とは関わりなく、子どものときから改札を超える高飛びできる運動能力などな持ち合わせていない。このトラブルに「現金でチケットを買ってください」と言われて、名鉄には乗ることができた。
しかし、これで「めでたしめでたし」といかないのが人生である。名古屋に着いてから、新幹線に乗ることになっている。そのチケットをすでに「スマートEX」で購入していた。これは事前に指定席を予約しておくと、登録しているSuicaで入場できるという優れたシステムである。しかし、「このSuicaが改札口ではじかれたらどうなるか」と大いなる懸念が渦巻いた。何分にも福岡空港をまともに出札していない怪しげな人間として指名されている身なのである。 |
Suicaも続くよ 2019/11/17 Sun 6612 昨日の続き
「犬も歩けば棒に当たる」ようだが、「吉田も動けばネタに当たる」のである。福岡空港物語でバスにしばらく逗留した理由について「そうかあ」と納得できる説明はなかったが、ともあれ無事に中部国際空港に着いた。福岡では機内に乗ってからあとにも、一時的な「空港閉鎖」まであった。何とも「泣きっ面に蜂」で、お詫びのアナウンスを入れる乗務員としても「やれやれ」だっただろう。そんなおまけまで付いたこともあって、到着は定刻より1時間ほど遅れた。
空港からは名鉄で名古屋に行く。まずは指定券のミューチケットを購入するのがいつもの流れである。ところが販売機にSuicaを入れると、カードがUターンしてして、「このカードは使えません」という音声が聞こえてきた。そこで再トライするが、やはり同じ反応である。これではらちがあかないので、対面のチケット売り場に回ってSuicaを出すと、指定券は何のこともなく買えた。ここで係員に機械がSuicaを受け付けなかったことを伝えたが、「どうしてですかね」との一言が返ってきただけだった。それから改札口に行ってSuicaを読み取りに当てると、また赤ランプと音が出てアウトになった。 |
福岡空港物語(2) 2019/11/16 Sat 6611 昨日の続き
しばらくしてから、突然に、少なくとも私にはそう思えたのだが、女性の係員がバスに乗ってきた。ここで当然説明があるのだろうと予想したが、バスの運転手と一言二言の会話をしたか、あるいはトランシーバーで連絡したように見えただけだった。そして客には目を向けたくないような素振りで、少なくとも私にはそう見えたのだが、バスを降りていった。ただ一つだけ、彼女が鮮やかな黄色のスーツケースを持っていたことは、私の気のせいではなく、はっきり見えた。
そのケースが係員に渡されて、手荷物を収納するベルトコンベアーに乗せられていった。私の目には、おそらくバスに乗っていたほかの乗客の目にも「あれが原因だったんだあ」と映った。それから、無言で過ぎた20分あまりが何もなかったかのようにバスが搭乗機に近づいていった。
その後の機内放送では「整備のために遅れた」という「説明のみ」があった。バスの中からはそんな様子はまったく見られなかった。本当に整備が問題だったのであれば、バスへの乗車が遅くなるのが普通である。名古屋で降りるとき、私は乗務員に、「あれって、本当に整備だったの」と聴きたい衝動を必死に抑えた。 |
福岡空港物語 2019/11/15 Fri 6610
久しぶりに福岡空港から中部国際空港に飛んだ。九州新幹線が開通してから便数が多い福岡空港を使う機会が増えた時期もあった。また便数とは関わりなく、島根県と石川県で4年から5年ほど継続的な仕事をしたときも福岡空港を使った。島根は出雲縁結び空港、石川は小松空港の間を往復するため、福岡発着の便に限定されたからである。
それでも新幹線の開通によって博多まで40分程度で行けるようになったので、あまり苦にならずに移動できた。ただし福岡空港は年とともに大きくなって、利用者にとっては便数以外の利便性は低下してきた。比較的小さな機材でバス利用になると500m以上は歩かされる。福岡からの便しかなければ仕方がないが、今回は中部国際空港便だった。それもやはりバス移動になった。もっとも、ものは考えようで、それも運動になるとも言える。
ともあれ、そうしてバスに乗ったのだが、搭乗機を目の前にしてバスが停車したまま動かない。それも5分、10分経過しても音沙汰なし状態が続く。搭乗機の乗務員が機外にいる運行担当者と話していたが、バスの客はそのまま待たされ続ける。この間の事情は運転手にもわかるはずもない。 |
丹羽宇一郎著「死ぬほど読書」(17) 2019/11/14 Thu 6609 11月11日の続き
丹羽氏は「受験勉強」の「骨休め」として「資本論」を読みはじめたが、途中でこれをあきらめたという。
「資本論」は読むに値する本だとは思いますが、読み通すには膨大な時間がかかってしまう。専門家でもない人がそこまでの時間をかけるより、別の本を読んだほうがいいと私は思います。関心を抱いて読み始めたものの、思うように読み進められない本は、何かしらの理由があります。面白くなかったり、文章に問題があったり、必要以上に難しく書いてあったりします。
そういうときは無理に読む必要はないと自分勝手に解釈しています。
私も経済の専門家でないことはもちろん、その関心すら危うい。ただ、「資本論」の活字を「眺めた」ことは事実である。それは向坂逸郎氏訳による岩波書店版で、1967年10月5日に第一刷が発行された。この年は「資本論」が世に出て100年目にあたっていて、それを記念して出版されたのである。生協の書籍部でも大々的にPRしていた。私は大学に入学して半年ほど経ったばかりだった。この「資本論」は第一巻から第三巻までの構成である。最後の第三巻は一部と二部に分かれており、全部で4冊のセットになっている。 |
「自分」は見えない 2019/11/13 Wed 6608
「自分のことは自分が一番わかる」。これは「事実」だろうか。まずは、この世の中に、いや地球が誕生してから今日に至るまで、「自分を見た生きもの」は「一個も、一匹も、一人も」いないことは否定できない事実である。ただし、カメレオンなどもいるから、「一匹」について断定するのは危ういかもしれない。いやいや彼らだって「お尻の穴」までは見えないと邪推する。正解はカメレオン本人かその道の専門家に聴くしかない。
ともあれ、われら人間が見ることができるのは手や足、それにせいぜい腹部くらいのものである。個人差はあるだろうが、背中に至っては自分の手でさえ届かない部分があるではないか。そして最も決定的なのは、人間として重要な役割を果たす顔が見えない事実である。そんな状況で「自分のことを知っている」と断言するのは詭弁ではないか。
とまあ、ここまで「マジ風」に書いてきたが、自分の認識や気持ちだけでなく、他者の目とその見方も大事にしようということである。問題の分析に際しては「複眼」で見ることの重要性が指摘される。自分自身を理解する際にも、この「法則」を適用したいものだ。自分の考えていることが、他者にはどう受け止められるか。それは良好な対人関係を創りあげるために欠かせない視点である。 |
実力も運 2019/11/12 Tue 6607
「実力も運のうち」、いま自分が力を発揮できているとすれば、それも「運」のなせる技なのだ。ノーベル賞だって、「そのとき」に生を受けたからこそ、「受賞」の対象になる仕事ができたのである。
こんなことを言っていたら、「それでも本人の意志の強さなどは『運』とは言えないのではないですか」と聴かれた。これに対する私の答は単純である。「いえいえ、それだって、そういうDNAをもって生まれたのですから、やはり『運』だと思いますよ」。科学的に厳密なことはわからないが、生物が発生してから今日まで、私は親が引き継いできた膨大な遺伝情報の組み合わせという「運」の結果であることは疑いない。
これを「確率」によるという言い方もできるが、それを人間的な言葉を使えば「運」ということである。かくして私は「意志」についても「運」だと考えることになった。ただし、こうした見解は自分が望ましい環境の中で生きているときに限って採用すべきものだと思う。世の中には想像を絶する苦悩に満ちた毎日を過ごしている人たちがいる。そうした状況までも「運のなせる技」だと決めつけることは人間として許されるものではない。 |
早朝夕刊:アメリカ・ファースト 2019/11/11 Mon(6:33am) 6606 「オリンピックが「7月」に限定されているのは、アメリカのテレビ局の事情らしい。秋だとバスケットボールやおそらくフットボールなどと「重なるから困る」のである。つまりはトランプさんの大好きな「アメリカ・ファースト」でオリンピックの「月」まで決まっているわけだ。これで「アスリート・ファースト」と言われても説得力に欠けることこの上ない。
アスリートの真剣な努力と、その結果の素晴らしさは尊敬に値する。本気で「アスリート・ファースト」を標榜するのなら、「最適な時期」を提供すべきなのだ。ともあれ、今回の騒動でオリンピックが「ビジネス・ファースト」だということはわかりましたね。 |
丹羽宇一郎著「死ぬほど読書」(16) 2019/11/11 Mon 6605 11月8日の続き
マルクスの「資本論」を読み始めたものの、「受験勉強」の「骨休め」としては重すぎた。英語版にもトライしたがうまくいかなかったという。わが国ではカント哲学にしても「英語版の方が理解できる」と皮肉られる嘆かわしい翻訳事情があった。
しかし、時間をとられて他の本がまったく読めなくなってしまった。 そんなこともあって結局、途中で読むのをやめてしまいました。「資本論」はとんでもなくボリュームがあり、しかも簡単に読める内容ではありませんから、全部を読んだという人は多くはないと思います。当時の経済学者でも、ちゃんと読み通した人は少数派ではないでしょうか。
この部分にはつい反応してしまう。丹羽氏の個人的推測ではあるが、読書家を自認する氏が「経済学者でも、ちゃんと読み通した人は少数派ではないか」と言うのである。当時の状況を知っている方で、これに対して明確に反論できる人がいたら、しっかり発言してほしい。私の学生時代は学生運動が激化したのだが、マルクス主義を標榜する運動家たちのどのくらいが「資本論」を読んでいたのだろうか。これは私の邪推ではあるが、その確率はきわめて低い。 |
早朝夕刊:ビジネス・ファースト 2019/11/10 Sun(6:45am) 6604 「東京オリンピック」のマラソンと競歩では大騒ぎ(?)になった。素人が口を挟んでも仕方がないが、「アスリート・ファースト」という金科玉条的発言には苦笑するしかない。何のことはない、じつは「ビジネス・ファースト」、「アメリカ・ファースト」なのである。
そもそも〝TOKYO〟に決まったとき、「どうして真夏で日常生活だって厳しい7月なの?前回は10月10日が開会式だったじゃないか」と不思議に思った。そのときは、「そう決まっているから」という、もう一度「なんでなんや」と問い返したくなる回答をどこかで聴いた。身近に専門家などいないから、おそらくマスコミ情報だったのだと思う。 |
気が緩んで飲酒? 2019/11/10 Sun 6603
全日空の福岡ー羽田便で4便が最大1時間13分遅れた(朝日デジタル 2019/11/07)。この日の午前8時発の便に乗務する予定だった40代の男性機長からアルコールが検知されたという。そのため、パイロットの交代を余儀なくされたわけだ。機長の呼気から検出された1リットルあたり最大0.22ミリグラムのアルコールがどの程度のものか知らないが、即アウトのレベルだったのだろう。
前日の夜8から10時にかけて福岡市内の居酒屋で4本の瓶ビールを飲んだらしい。これで2リットルになる。ANAの規程では「滞在先では乗務前24時間以内の飲酒を禁止している」というから、大幅な違反である。ついでながら「滞在先では」はやや気になる表現である。そうなると、本務地における制限時間は短いのだろうか。アルコールの影響は体調によっても違うと思われる。地元なら絶好調で滞在地では疲れが出るなどという理屈があるのだろうか。記事の「表現」どおりであれば、その理由を聴きたいところだ。
当の機長は「気が緩んでしまった」と話しているらしい。パイロットの飲酒が繰り返し問題視されているのだから、「気の緩み」で説明できるはずがない。 |
羽田の断水 2019/11/09 Sat 6602
羽田空港の断水は6日のニュースで知っていた。私は翌7日に東京へ出かけることになっていたが、「それまでには復旧するだろう」と思っていた。ところが、羽田に着陸した機内で「ご存じのように空港は断水していますが間もなく復旧します」といった意味合いのアナウンスが流れた。「ああまだかい」とは思ったが、「もうすぐ感」もあった。
モノレールまで行く間にちょっと見たところでもマックなどが閉店状態だった。ただし、遠目ながら丸亀うどんは電気が点いて営業しているように見えた。私はといえばトイレは使わずそのまま都内へ向かったから断水の影響はなかった。
ところが 、翌日熊本へ帰るために羽田に行くと、まだ断水状態が続いていた。その後、14時ころに間もなく給水するとの情報が流れた。搭乗前にトイレに行ったが、複数の関係者があわただしくチェックしていた。そもそもは受水槽や洗機場の水道から塩分が検出されたことがはじまりだった。つまりは「大本」が原因だから影響は甚大になる。今回のトラブルで、食事関連も洗機もトイレも「すべてが同じ受水槽」に依存していることがわかった。これは危機管理上からも、またエコの面からも大いなる問題ではないか。 |
丹羽宇一郎著「死ぬほど読書」(15) 2019/11/08 Fri 6601 9月7日の続き
丹羽氏の「死ぬほど読書」シリーズを放りっぱなしにしていた。このあたりで区切りを付けないと、また放置しそうである。
前回は氏が学生時代に左翼運動をしていて、必読の書として「資本論」に取り組んだところで終わっていた。ある夏休みに司法試験の勉強のため、避暑を兼ねて長野へ出かけた。その際に骨休めにと思つて「資本論」を持参したという。まずは、勉強のため避暑を兼ねて長野に行ける境遇がうらやましいが、まあそこは置くとして、丹羽氏は続ける。
しかし、あの内容ですから、当然骨休めなんかにはなりません。そのうち試験勉強をほったらかしにして、「資本論」に時間を割いてしまったのです。そろそろ東京に帰らなくてはいけないというときに、 「俺は何のために来たんだろう?」と悔いたものの、時間は戻りません。その後、英語で読んだほうが理解しやすいかもしれないと考え、『資本論』の英語版を買って読み始めたことがありました。
カントの難解な哲学書も、そもそも訳者がむずかしくしているという話もある。その論によれば、哲学は素人にわからないから権威が維持できるという専門家がいるというわけだ。それが一般的だとは言わないが、私も「文章が上手でないなあ」と思う哲学書に出会ったことはある。 |
「ボーッと生きてんじゃねーよ」考 2019/11/07 Thu 6600
テレビを点けたとき、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」というセリフを聴くことがある。NHKの「チコちゃんに叱られる」である。ビデオリサーチによれば10月第4週目は関東地区で視聴率15%を超えている。
回答者たちが質問に答えられなかったり、いい加減なことを言うと、真っ赤な顔をして「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と叱り飛ばす。回答者は白い煙を吹っかけられて当惑する。というよりも苦笑いする。テレビを見ている側でも笑いが起きているのだろう。その結果が視聴率15%なのだ。
しかし、そうなるのは、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と言われたとき、その場にいる者たちの間に「笑える関係あるいは状況」があるからなのだ。その同じセリフが「別の関係あるいは状況」で発せられると、直ちに「パワハラ」と認識されたり、あるいは「心の病」を引き起こしたりする可能性もある。
つまりは「表現あるいはこどば」自体ではなく、それが「使われる場における人間たちの関係」が意味を決め、影響力を持つのである。まったく同じことを言っても、関係次第で伝わり方、受け止め方が異なってくるのだ。それを認識して行動できるために対人関係スキルが必要になる。 |
Short shot : 「活気的」「活期的」 2019/11/06 Wed(6:26am) 6599
答案に記された「活気的」「活期的」はまことに「画期的」だった。そもそも「画」に「期間や範囲をはっきりくぎる」という意味がある(日本国語大辞典)。新しい時代を切り拓くようなものに対して準備された言葉である。そうだからこそ「『活気』にあふれている」とも言える。また、そうして迎えた時代(=期)は「活き活き」しているに違いない。そんなわけで、「当たらずと言えども遠からず」といったところまでは到達しているか。 |
「集団」と「約束事」 2019/11/06 Wed 6598
法律には「おかしなことがある」「修正しないといけない」、さらには「なくすべきだ」といった意見や考えが生まれるのは当然である。法律は人間がつくったものだから完璧などあり得ない。それが社会という人間集団における行為に適用されるとなれば、関係者の間に「利害関係」が発生する。そもそも問題が発生しない事象については法律そのものが必要ないのである。
このところ、「香典」や「選挙運動員への報酬」などに関連して二人の大臣が辞任した。いずれも公職選挙法に違反する疑いがあるらしい。知人が亡くなった際、霊前に香典を供えるのは日本の文化である。また、いまどき日当15,000円では運動員を集めるのもむずかしいという。そこで、「法律が現実に合っていない」と言いたくなるのだろうが、それが理由で「法律違反」をしてはいけない。組織で発生する不祥事も、そのほとんどは「決められていることを守らない」ために起きている。
選挙に関しては、お金がなくても立候補して国政に関われる可能性を保証することが重要なのである。「香典」も「報酬」もたくさん出した方が勝ちではまずいから、制限が設けられているに違いない。 |
早朝夕刊:竜巻竜之進 2019/11/05 Tue(6:58am) 6597 ある会合が始まる前にメンバーと雑談をした。一人が「最近は竜巻が発生しますが、昔は竜巻なんかなかったですよね」と言う。「そうですよね。私が子どものころ、『竜巻』と言えば『赤胴鈴之助』の好敵手『竜巻雷之進』で知っていたくらいですからね」。こちらは私の発言である。
これを聴いた周りの全員が「赤胴鈴之助」を知らなかった。みんな50代も後半なのだが、それでも70歳を超えた私にくらべればずっと若いのである。マンガ「赤胴鈴之助」はラジオでも放送されていた。そのテーマソングは未だに歌詞を含めて口ずさむことができる。夕方の5時台の放送で、これが聞こえたら家に帰っていたものだ。 |
「集団」と「約束事」 2019/11/05 Tue 6596
「法律はない方がいい」。これは私の基本的考え方である。この地球上に人が「一人」しかいないとしたら、法律など念頭に浮かぶことすらないはずだ。また、「二人」になった場合でも、相互に「何の問題もない」状況であれば、それはそれで「めでたし、めでたし」である。
しかし、「二人」が個々の生物体として、また置かれた状況において「まったく同じ」ことはあり得ない。人は「すべての面と点」において違っている。「同じ」なのは抽象的な表現においてだけである。たとえば、外から認識できる「体」「頭」「顔」「足」や体内にある「大脳」「心臓」「胃」「肝臓」等などの「名称」は同じでも、個々人で「すべて」違っていることは議論の余地がない。
そんなわけで、最少の「集団」である「二人」でも、お互いに問題なく生きていくには、それなりの約束事が必要になる。その規模が大きくなって社会や組織における生活にまで拡大していけば、そこで必要になる約束事は幾何級数的に増加していく。その約束事を守ることに強制力がついたものの典型が法律である。そして、「法治国家」では、すべての行為が法律によって規定される。 |
今月の表紙(2) 2019/11/04 Mon(5:17am) 6595
「春は曙」として、「秋は夕暮れ」だろう。山の端に沈む太陽を送った後の残照に色づいた雲はすばらしい。英語では「老齢期」を〝autumn years〟と呼ぶ。たしかに「日没」だから「命の終わり」を思わせる。しかし、英語では退職後の65歳以降を〝golden
years〟とも言う。それは「わずかな一時(ひととき)」かもしれないが、「黄金色」である。すばらしい人生を輝かせる時間と考えることもできる。
私は「仕事が趣味だ」と公言してきたが、このごろは「趣味の人生」という表現も使いはじめた。「好きなことをさせてもらったからね」とは家内の言である。その幸運に感謝するしかない。ありがたや、ありがたや…。 |
タトゥーと銭湯 2019/11/04 Mon 6594 10月30日の続き
広辞苑では「タトゥー」は「入れ墨。刺青」であるが、このごろは「入れ墨」という言葉を見たり聞いたりすることがほとんどなくなった。高齢者の中には「タトゥー」の意味を知らない人もいる。特定の地域や国に特定されるのかどうか知らないが、外国ではごく普通の若者たちがタトゥーをある種のおしゃれのような感覚で入れているように思える。女子テニスの選手やにわかファンで盛り上がったラグビーの選手たちにもタトゥーをしている者がいる。
こうした状況があることから、温泉地を抱える観光地では「入れ墨禁止」を維持し続けることがむずかしくなってきた。そんな中で、熊本の銭湯では「タトゥーがあっても、配付するくまモンのシールを体に貼った外国人に限って、タトゥーの大きさに関わらず入浴できる」ようにしたという(熊本日日新聞 10月28日夕刊)。これは「アイディア賞」クラスの対応だと言える。ここでシールが「飛龍」ではシャレにならないが、「くまモン」ならOKといった雰囲気になる。これをはじめたのは1930年創業の「世安湯」で、現在でも薪を使って湯を沸かしているというから、これまた話題性に富んでいる。 |
今月の表紙(1) 2019/11/03 Sun(9:17am) 6593
ワールドカップのラグビーの視界を開催することもあって、熊本城の天守閣周りを観覧できることになった。表紙写真は青空を背にした大天守閣と「新築中(?)」の小天守閣である。重機と混在する風景は今ならではのものだ。私も久しぶりに大天守を仰ぎ見て、しばし感慨に耽った。
石垣を含めて完全に復元するには20年ほど有するとのことである。私は単純計算で90歳を超えているから、「復元祭」を見るのはかなわないと決めている。とりあえず、今の健康状態が維持できれば大小天守閣の完成には間に合うことだろう。
そんな思いでいるときに、沖縄では首里城の大部分が焼失してしまった。 |
苦渋の決断と署名活動 2019/11/03 Sun 6592 昨日の続き
当時、大学に警察力が入ることはタブーになっていた。ヨーロッパで生まれた大学は長い歴史の中で自由を守るために、問題は自らの力で解決することを重視していた。これを「大学の自治」として標榜し、権力の介入を拒否あるいは忌避することが「常識」だった。
角材をもった学生たちが教養部の閉ざされた門を突入すれば、不法侵入や器物損壊で警察に捕まるだろう。それを座視することはできないとして、大学は門を開ける苦渋の決断をした。その責任を池田教養部長と百瀬学生部長がとって辞表を出したのだった。
こうした推移を見た1年生の有志が教養部長が辞職しないようにと署名を募ったのである。私も代表者の一人だったため、父はそのことをはがきで取り上げたわけだ。
それにしても「辞めることができるのだからけっこうなことだ。俺が勤め先を辞めたら食えなくなる」というのは、いかにも父らしい表現である。しがないサラリーマン生活を積み重ねてきた者にとっては「辞めたくても辞められない人間がワンサカいる」と言いたかったのだろうか。子どもから見て、父もプロ根性は持っていたが、それが生かされたかどうかはかなり怪しい。 |
早出し夕刊:「ことば」のプロ 2019/11/02 Sat(9:37am) 6591 プロはその道の達人を目指す。あるいは「達人」の域に至っていても、さらに向上することにチャレンジし続ける。そうした姿を見て人々は感動する。
政治家はそれぞれが信じる政策を実現することが期待されるプロである。そして、言論の府である国会および社会の中で自分の考えを発信する。それはほとんどの場合、「ことば」や「文字」として表現される。こうして政治家は政策の内容だけでなく、「ことば」の「プロ」でなければならない。ところが、この点で「プロ」であることを疑うようなケースがしばしば発生する。私は、「ことばは『人間理解最強の道具』であると同時に『人間誤解最悪の凶器』だ」と言い続けてきた。 |
教養部の責任者 2019/11/02 Sat 6590 昨日の続き
私が入学した1967年は大学が騒然としはじめていた。いわゆる60年安保闘争の勢いを10年後の改定期である70年に再現しようという動きが出はじめたのである。そんな中、佐世保に原子力空母「エンタープライズ」が寄港することになった。これを「実力阻止する」ために全国から学生が九州大学の教養部に向けて集結することが明らかになった。
ヘルメット姿にタオルで覆面状態の一団が、武器である「角材」を持って博多駅にやって来た。これを博多駅頭で排除しようとする警官隊とトラブルになった。このとき九州大学の井上正治法学部教授が「警察は敵だ」と発言し、それが国会でも問題として取り上げられた。
学生たちは六本松にあった教養部へデモ行進しながら進んでいく。学生たちが到着したとき、教養部は門を閉じており、進入を阻止しようとした。その前には機動隊が立ち塞がっている。学生と機動隊が一触即発の状況になった。こうした状況を受けて教養部は門を開けたのである。両者の衝突を避けることを最優先したのだ。それは大学にとって苦渋の決断だった。その責任者が池田数好教養部長だったのである。 |
早朝夕刊:「運も実力」の勘違い 2019/11/01 Fri(6:13am) 6589 女子のプロゴルファーが暴言を吐いて問題になった。当人は熊本の出身らしく、NHKラジオのローカルニュースでも取り上げられていた。生涯を通じてゴルフのクラブを10分ほど握ったことしかない私である。どのような状況で誰にどんな暴言を吐いたのかもとくに関心はない。
ただ、本人が謝罪し、活動を自粛するらしいから相当な問題行動だったと推測する。おそらく「天狗」になっていたのだろう。すでに本欄でも書いたのだが、このごろ研修や講演で繰り返して言っているフレーズがある。それは「実力も運のうち」だ。「運」までもが「自分の実力」だと「勘違い」する。そうなったが最後、自分が見えない「天狗」になる。 |
「はがき」 2019/11/01 Fri 6588
いよいよ国立大学の入学願書の受付がはじまった。去年の今頃は悲壮な気落ちや夢に浮かれた気持ちが入り交じっていた。ミチオが最後の追い込みで孤軍奮闘していたことを思い出す。遠い昔のことのような気もするが、今あの感動がよみがえっても来る。今ミチオは学生服も着ないでブレザーにネクタイを締めて大学に通っている。一年前と何という大きな違いであろう。
学生として伸びていくわが子を見る親の冥利と言うべきか。学部31人の署名を集めて学部長に代表として出したところなど、また中学時代のようにリーダーみたいなことをやったと思いほほえましい。とにかく池田教養部長にしても百瀬学生部長にしても辞めることができるのだからけっこうなことだ。俺が勤め先を辞めたら食えなくなる。
これは私に宛てた父からの「はがき」で、消印は1968年2月3日になっている。前半は私が、つまりは自分の息子が大学に入学して1年を迎えようとしていることに対する父としての想いが記されている。私の親世代の多くは大学に行っていない。それも「行きたくても」経済的な問題で断念する若者が多かったと思われる。さて、後半は少し説明が必要である。 |
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