HOME2019年09月号  Back Numbers
 味な話の素  No.197 2019年10月号(6535-6587) Since 2003/04/29
Short shot:おもしろ答案「辞典」 2019/10/31 Thu (6:01am) 6587 10月22日の続き
 
学生の答案に「優能」と書かれていたことがある。これは「有能」の誤りだが、「優れた能力」が頭にあったのだろう。そもそも「能」が「よく事をなし得る力。才能。…【精選版 日本国語大辞典】」で「優れている」ことを含んでいる。慣用句の「能ある鷹は爪を隠す」も「有能な鷹」を指す。これに「優」が付加されれば、単なる「有能」を飛び越えた最高水準のまれに見る「能力」の持ち主になる。世の中にはそんな人もいるけれど…。 
トップの誤解 2019/10/31 Thu 6586
 
大脳よりも体の細胞の方が先輩であるにも拘わらず、いつの間にか前者が後者を統率するようになった。つまりは下剋上なのである。しかし、そうだからと言って、トップが全能であるはずもない。そもそも、体のあらゆる部分から情報が伝えられるからこそ、トップとしての役割を果たすことができるのである。人間の組織においても同様である。トップにいる者が自分たちを「全能」だと思い込むことがあれば、それ自身が最大の問題なのである。そうした組織では、あらゆる部分からの警告信号が無視されたり、抑制されたりする。そのうち、あちこちの血管が梗塞して事態はどんどん悪化していく。こうなると、的確かつ臨機応変の判断に必要な情報が届かなくなる。その結果として、いつの日にか組織を揺るがす「とんでもないこと」が起きるのである。そうなってから「自分たちは聞いていない」では済まされない。そうした事態をもたらした原因が自らの態度と行動にあることにすら気づいていないということだ。いずれにしても、トップが自分たちの立場と役割を誤解した瞬間から、その組織は「梗塞の爆弾」を抱え、崩壊の危機に晒されるのである。
早朝夕刊:「入れ墨」と「タトゥー」 2019/10/30(5:25) Wed 6585
 
私が子どものころ、「入れ墨」は怖いおじさんが背負っているものだと思っていた。大人たちも、それをアンダーグラウンドの人間たちと結びつけていた。つまりは東映の「ヤクザ」映画や時代劇の「博徒」の世界のものであった。それでも私が子どものころは、銭湯に「飛龍」を背負ったおじさんがいたりもした。しかし、いつのころからか、銭湯や温泉では「入れ墨禁止」の張り紙を見るようになった。そして、日本社会ではそれが当たり前の常識として受け入れられていった。しかし、いまや海外からの観光客を呼び寄せることが国策となった。その結果、「タトゥー」を身につけた外国人がやって来はじめた。
 
IHIと日立造船 2019/10/30 Wed 6584 昨日の続き
 
IHIは、「石川島播磨重工業株式会社」と呼んでいた大会社である。その旧名からわかるように、重工業を主体としている。私は造船の会社として若いころから知っていた。社名の変更は2007年である。その後、2013年には関係会社がユニバーサル造船と合併してジャパン マリンユナイテッドが発足した。IHIは同社の株45.93%を保有する筆頭株主である。
 このユニバーサル造船の前身は日立造船である。高さんと私は日立造船堺工場において実施されたリーダーシップ・トレーニングの担当者として通った。研修の会場は日立造船の保養施設だった。難波から南海電鉄に乗って「みさき公園」駅で降り、真っ暗闇の道をしばらく歩いて辿り着いたことも記憶に残っている。それは1970年代の中ごろだった。
 三菱重工業長崎造船所が香焼島に100万トンドッグを建造したのは1972年のことである。これに次いで1973年には、日立造船が熊本の長洲で100万トンの有明工場をスタートさせた。それは日本が造船王国を誇っていた時代である。ところが、1973年10月6日に第四次中東戦争が勃発し、いわゆる「オイルショック」がわが国の経済に襲いかかってきたのである。
 
 早朝夕刊:スズキのリコール 2019/10/29(6:42) Tue 6583 10月17日の続き
 
スズキのブレーキなどに関する検査不正の件数は、1件あたりの台数としては過去最高の200万台のリコールになるとされる(産経新聞4月20日)。そのすべてが無償の修理になるが、膨大なコストがかかることは明らかである。スズキは国内でトップを目指さず、インドに力を入れるなどユニークな戦略を執ってきた。私は非力な個人でも自分の強みを活かすことでりっぱに生きていけるモデルとして素晴らしいと思っていた。それがこうした問題で報道されるのだから、何とも言葉がない。
 また、すでに取り上げたが、不正は1981年6月ごろからあったと従業員が証言しているという。誰も気づかなかったとは考えられない。
屁理屈と説得力欠如 2019/10/29 Tue 6582 昨日の続き
 
横断歩道に歩行者がいても「一時停止しない理由」には苦笑いするしかない。「自分が停止しても対向車が停止しない」からだなんて、まるで「他人が悪い」と言わんばかりである。しかし、これは事実とは違う。私は「100%」とまではいかないものの、「かなり」の確率で止まっている。たしかに、「こちらが止まった瞬間」に対向車が止まる確率は高くない。しかし、平均的には「2、3台目くらいは止まる」というのが私の「実感」である。
 ここで「対向車が止まらないから」と言ってる人に、それでは「対向車」が止まったら「すぐに止まる」のかいと問い返したくなる。
 また、「後続車がなく、自分が通り過ぎれば渡れる」というのも笑ってしまう。そんなこと言っても、そのとき対向車線に車が来ていれば、いくら「自分の後ろ」がいなくても「結局は渡れない」ではないか。これも「自分に都合のいい『理屈』」を付けているだけのことである。
 そもそも横断歩道を渡ろうとしている人がいたときは「止まらなければならない」という法的前提がまるで無視されている。そして「基本を守らないこと」が常態化する。
 こんな反面教師にあふれる社会で、子どもたちに「ルールを守れ」なんて、説得力に欠け過ぎる。
 
Short shot:災害の「縁の下」で 2019/10/28 (8:49am) 6581
 
これは、30年ほど前に仕事で付き合いのあった電力会社員から聴いた話である。「台風で被害が発生すれば、その回復のために一睡もしないほどの過酷な作業をする。それが原因で体を壊したり、最悪の場合には命を落とす者すらいることがある」。この最悪のケースについて客観的な情報をもってはいない。いずれにしても、災害や事故が発生すれば、その対応のために、多くの人々が懸命に働いていることを頭に思い浮かべる必要がある。
基本だから守れない? 2019/10/28 Mon 6580
 
熊本県内のドライバーは信号機のない横断歩道を渡ろうとする歩行者がいても、ほとんど一時停止しないことがわかった(熊本日日新聞10月23日)。これはJAF(日本自動車連盟)が2019年に実施した調査の結果である。その率は11.0%だった。そもそも全国平均が17.1%というから、「大多数が『止まらない』」という困った現実がある。「日本人はマナーがいい」などと、「自画自賛」する傾向があるが、それも怪しい結果である。
 熊本県はその全国平均よりもさらに低く、9台に1台しか一時停止していない計算になる。因みに、トップは長野で68.6%、静岡の52.5%、兵庫43.2%が続く。熊本県は全国33位である。九州・沖縄のトップは福岡の33.6%で、最下位が熊本県だ。全国は47都道府県だから、「まだ下が15県近くもある」などと言い訳をしてはいけない。そもそも道路交通法では「止まらなければいけない」のである。
 JAFのネット調査(2017年)では、「自分が停止しても対向車が停止しない」「後続車がなく、自分が通り過ぎれば渡れる」といった回答が目立ったという。何とも「自分に都合のいい」解釈で、ここでもわが国の「基本を守らない」行動が常態化している。 
訃報 2019/10/27 Sun 6579
 
熊本大学名誉教授佐藤静一先生が10月23日に逝去された。享年82歳。先生は私が学生のころ、九州大学に内地留学されており、その当時から存じ上げていた。私は40年前の1979年10月1日付けで熊本大学に採用された。その際に大学で最初にお会いしたのが佐藤先生だった。私が熊本で初めて外部の仕事をしたのは「県立天草青年の家」での講演である。このときは佐藤先生が私の名前を挙げてくださった。その後、私の所属する教育実践研究指導センター長に就任され、4年間は直属の上司だった。ときおり「『味な話の素』はおもしろいね」と声をかけていただいた。三隅先生のPM論を学校教育に適用する研究を積極的に進められた。葬儀ではグループ・ダイナミックスの大先輩である原岡先生、田﨑先生、黒川先生とお会いした。佐藤先生、ありがとうございました。心からご冥福をお祈りいたします。
最高裁の判断 2019/10/27 Sun 6578 昨日の続き
 
私語をする学生に「やかましい」と一喝された深山先生に感動を覚えた記憶がある。そしてもう一つが「未必の故意」という概念である。それは「ある人間が相手を確実に殺そうという意思をもっていないが、この行為で死んでしまうとすれば、それも仕方ないという意思があること」である。
 この判決には、加害者側のドライブレコーダーの記録が重要な影響を与えている。とくに、衝突してしまった際に「はい終わり」と発言したことは大きかった。被告は、これは「とんでもないことになってしまったことから、自分の人生が終わりだ」と慨嘆したと主張したようだった。たしかに人の心を正しく読み取ることはできない。しかし、それにしてもこれを「自分の人生」のことだと主張しなければならない弁護士は本気でそう思っているのだろうか。私自身は、立場上、そうとでも言わなければならない弁護士の仕事とは何なのだろうと思った。あるいはある種のお気の毒さへ感じた。
 いずれにしても、地裁は最も重い犯罪である「殺人罪」を適用したのである。弁護側は最高裁まで争うと思われる。そうなったとき、最高裁はどのような判断をするのだろうか。
 
未必の故意 2019/10/26 Sat 6577
 
バイクにあおり運転して追突し、大学生を死亡差させたとして、殺人罪に問われた事件の裁判員裁で殺人罪が適用された(1月25日)。被告は「故意に追突したわけではない」と殺意を否認していた。法律の素人ながら、法的に限定すれば「殺人罪」が成立するのどうか危ぶんでいた。判決では「時速約100キで意識的に車間距離を詰めた上、追突すれば転倒して地面や支柱に衝突するなどして被害者が死亡する危険性が高かったことを十分認識していたのにほとんど減速がない弱いブレーキしかかけなかった」とした。いわゆる「未必の殺意」ということで、私なりに「それでないと殺人罪の適用は厳しかっただろう」と思った。
 私は大学の教養部で受けた「法律学」の授業で「未必の故意」をはじめて知ったが、そのことをきわめて印象的に記憶している。こう記した瞬間に深山喜一郎先生の顔と細くしゃがれた声までが聞こえてきて、われながら驚愕した。あれはもう52年前の教室でのできごとである。私はいつも最前列に座っていた。あるとき後ろの方で私語をする者たちがいた。「やかましい、外に出ていけ」。深山先生のド迫力満点の声が教室に響き渡った。
 
教育委員会の位置づけ 2019/10/25 Fri 6576
 
熊本県議会事務局発行の「議会の概要(令和元年度版)」に議席表がが記されている。中央に議長席があり、隣には事務局長が座る。その席の前が演壇で、その横に座席が並び、向かって左側トップから知事、副知事等が続く。これと相対する右側には教育長、警察本部長、人事委員長、監査委員、病院事務管理者の順に座る。議員席から見て、「知事」と「教育長」は左右対称の席になっている。教育に関わる者の位置づけは相当に重いのである。
 これは戦後のGHQによる教育重視の表れだと思われる。アメリカから見れば、「とんでもない戦争を引き起こした元凶の一つは教育だ」との結論に至ったに違いない。そうした「教育」が果たすべき役割を重視した「教育委員会」の位置づけを考えたのだろう。これを構成する教育委員は地方公共団体の長が議会の同意を得て任命する。
 こうしたことで、私も教育委員に就任した際には議会で公式に挨拶をした。その際、教育が「これまで問題を抱えてきたし、今も問題を抱えている」ことと併せて、「これからも問題を抱え続けるべき」だと述べた。人の営為である教育に問題があることが問題ではなく、問題を絶え間なく発見し、その解決にチャレンジし続けることこそ教育的行為だという思いを表明させていただいたのである。
 
早朝夕刊:南阿蘇への道 2019/10/24 Thu(6:07am) 6575
  熊本市側から見ると南阿蘇の手前に俵山という山がある。このルートにある2057mのトンネルと六つの橋が地震で壊れた。その後、トンネルと橋の復旧が進められてきた。そして先月、最後に残された熊本市側の登り口に当たる265mの大切畑大橋が開通した。その手前から大きく迂回していたものが直線になった。
 これでわが家から南阿蘇まで、地震前と同じ50分程度で行けることになる。南阿蘇は蕎麦がおいしい。すでに迂回ルートで数回は蕎麦を食べに出かけたが、その機会が増えるに違いない。それにしても、大カルデラの阿蘇まで気軽に行ける熊本は素晴らしい。ただし、それも自分が運転できるのが前提である。
 
小泉環境相の発言(3) 2019/10/24 Thu 6574 昨日の続き
 
かつて、演説でとくに人の悪口を言うの才能に長け、それが笑いを引き出して大衆に大受けした人がいた。当初は信次郎氏の父親と大の仲良しで、彼を「変人」と呼んだあの人である。しかし、外務大臣という重責を担ってからの言動には首をかしげることが少なからずあった。ともあれ、いろいろあって、これ以上ないと思われるほど親密だった純一郎氏も袂を分かつというか、手を切ることになった。こうした「仕打ち」に対するご本人の「恨み節」を含めて多くの人が記憶しているだろう。
 その点、進次郎氏は人の悪口や揚げ足取りで大衆の受け狙いをするところはなさそうだ。しかし、大臣ともなれば「耳当たりのいい」ことを並べるだけでは職責を果たすことができない。そもそも周りから「どんな意味ですか」と問われないような発言と行動が求められるのである。それに加えて、回答が「ワンフレーズ」であるのも父親そっくりだ。その表現力には感服することもあるが、政治家はコピーライターではないのである。むしろ「大向こうに受けない」ことをしっかり発言し実行することで真の力量が見極められる。まさにこれから本番がはじまるわけだ。
 
早出し夕刊:高齢者の実感 2019/10/23 Wed(8:29am) 6573
 自分が高齢者であることを実感することが増えてきた。毎朝、洗顔し、ひげを剃り、整髪する際に鏡を見る。目の前に映る自分の風貌は「まだいける」と思わせる。ただし、それは年とともに視力が落ちてきたためかもしれない。単に自覚していない可能性が否定できない。この「思い込み」はいつまで続くことやら。
 ただし、周りの情報は自分が老いてきたことを実感させる。つい先だっての教育委員会で「議会の概要」とタイトルのついた冊子が配付された。熊本県議会の定数は49人だが、「議員一覧」には生年月日が記されている。それによれば、私よりも年長者は2名のみだった。私は疑いなく高齢者なのである。
 
小泉環境相の発言(2) 2019/10/23 Wed 6572 昨日の続き
 
 「小学館ランダムハウス英和辞典(第2刷)」で〝sexy〟を引いてみた。まずは、活字のポイントがやたらと小さいのに感動した。あの時代は誰もがこれを当然と考えていたのである。
 さて、語義は3つに区分されている。まずは「⒈もっぱら性を扱う;きわどい」がくる。ついで「2.セクシーな、性的興奮をそそる」などで「色っぽい」も挙がっている。そして、「⒊魅力的な、興味をそそる」となる。ついでに、OxfordのLexico's Dictionary & Thesaurusを見ると、〝⒈Sexually attractive or exciting〟〝⒉informal Very exciting or appealing〟とされている。
 手元にある「ランダムハウス」は購入して40年以上も経過しているから、あるいは新しい意味あいが追加されたかもしれないと思ったが、ネットレベルの辞典では、とくに変化はないと考えてよさそうだ。そうなると、小泉新大臣は「魅力的な、興味をそそる」に近い使い方をしたのだと推測する。これまで信次郎氏は、言わば「自由人」として人気を博してきた。しかしながら大臣になったからは、「率直で誠意ある正直な発言」は歓迎するが、「説明するのが野暮」といった反応は慎まないとまずい。
Short shot:おもしろ答案「辞典」 2019/10/22 Tue (6:50am) 6571 9月18日の続き
 
学生の答案に「戦事中」という表記があった。たしかに「戦事」という言葉は名詞として存在している。「戦争に関することがら。兵事」(精選版 日本国語大辞典)。これに対して「戦時」も名詞だが「戦争が行われているとき。戦争中の時期」(同)を意味する。これに「中」を付けて「戦時中」と表現するのは自然である。一方の「戦事」は「中」を付けづらい。答案は前後の脈絡を踏まえれば「戦時中」の誤記であることは明らかだった。 
小泉環境相の発言 2019/10/22 Tue 6570
 
小泉進次郎環境相の「セクシー」発言が話題になっていた(熊本日日新聞 9月25日)。何かの機会に「気候変動問題に『セクシーに取り組む』」と言ったらしい。その真意を記者から聴かれて「説明すること自体がセクシーじゃない。野暮な説明はいらない」と回答したという。これが政治家としての公式発言だったのかどうかは知らない。ただ、この反応、「意味がわからない者はわからなくてもいいよね」と解釈したくなる。それが「真意」だとすれば、いやしくも国民に選ばれた政治家なんだから、それはないよなあ。ただし、そう言われても「真意」かどうかも「野暮な説明」はしないんだろう。
 この記事に刺激を受けて、久しぶりに「小学館ランダムハウス英和辞典(第2刷)」を引く気になった。このところ電子版ばかりを使っており、「ランダムハウス」も、最後に参照した時期など記憶にない。おそらく10年以上は経っているのではないかと思う。裏表紙の内側には日付の「1976年4月10日」とともに、義父母からの「就職祝」と記され、九大の生協で購入したことがわかる。私はこのとき九州大学の助手として採用され、初めて職業人になった
 。
早朝夕刊:やっぱり表現不能 2019/10/21 Mon(6:42am) 6569
  あっちもこっちも「信じがたい事件(?)」が起きる。「女性巡査長が風俗店勤務」の見出しにも驚いてしまった(熊本日日新聞 10月19日)。この警官は9月に駅のトイレに実弾入りの拳銃や手錠を装着したベルトをドアのフックに引っ掛けて忘れたらしい。その際は、約1時間20分後に他の利用客が見つけて駅に届けたという。トイレのフックなどは忘れ物の定番場所かもしれないが、何と言っても「拳銃」はあり得ない。さらに、「不適切なアルバイト」に従事していたことが明らかになったというのである。本人は休日や宿直勤務明けに約20回働いて30万円ほどの報酬を得ていたのだそうな。これまた表現する言葉がない。
専門性を磨き続ける 2019/10/21 Mon 6568 昨日の続き
 
年少の上役にも「③自分の立場に求められる専門性をしっかり身につける」努力を継続し続けることが求められる。何と言っても「専門性」に欠けていれば部下たちも困るに決まっている。「うちの上司は若いけれど、素晴らしい専門性を有している。しかもそれを磨く努力を惜しまない」。こうした評価を受けることができれば、年齢や経験の少なさも克服できるに違いない。さらに尊敬すらされるだろう。
 その上で、「④年長者や経験豊富な部下たちを尊敬する」ことも忘れてはならない。「自分が上役だから」「自分の方が技量が優れているから」。そんな態度が感じられれば人は距離を置く。それが批判や反抗に繋がる可能性すらある。
 私は「運も実力のうち」などと言って、力のある者が現実を肯定するのは大問題だと考えている。本当は「実力も運のうち」であることをしっかり認識すべきなのである。 この点については本コラムで2017年6月2日にも書いた。この世に生まれてきたことも、そして現在の状況に巡り会ったのも、すべては「運」ではないか。そうした中で「実力」なるものが発揮できているのである。そこには「感謝」しか残らないはずだ。 
早出し夕刊:表現不能 2019/10/20 Sun(8:46am) 6567
 神戸市の小学校で発生した「大人のいじめ」は被害者と加害者が同じ職場に勤める教員である。教育委員会の会見と報道から得られた情報に基づけば、この事態を表現する「日本語」が見当たらない。
 そもそもこの学校には何人の職員がいたのだろう。家庭科教室におけるいじめの様子が繰り返し流されているが、こうした事態を「当事者以外の全員がまったく知らなかった」とは考えられない。被害者は校長に自分の窮状を訴えていたというから、校長はそのことを知っていたわけだ。それは教員に最も近い管理職である教頭に伝えられたはずである。そうでなかったとすれば、校長の仕事は何なのかと言いたくなる。
 
傍観者と退化 2019/10/20 Sun 6566 昨日の続き
 
年長者から見れば、「若い上司」は危ういところもあるだろう。そうであればちゃんとサポートするといい。そうすれば感謝と尊敬の対象になる。そもそも、はじめから「感謝され、尊敬されること」を「人生の目標」とするのは本末転倒である。しかし、自分の行為の結果として、そうした事態が生まれるのであれば、それを素直に受け止めて、心から喜び、感謝すればいい。喜びと感謝に満ちた世界は誰にとっても素晴らしい。
 これに加えて、「②年長者の周りも大人になる」ことが期待される。いじめは人間社会の深刻な問題だが、その当事者としての被害者、加害者だけでなく傍観者の存在がある。いわゆる「見て見ぬふり」をする者たちである。心中では「まずいなあ」「やりすぎだなあ」と思ってもそれを止めようとしない。それどころか、他人が攻撃されているのを見ながら、「ざまあみろ」とばかり、自分の欲求不満を解消する者すらいる。こんなことでは状況が好転する可能性は低くなるばかりである。人々の心にストレスが満ちあふれてくると、こうした歪んだ解消策が選択されやすくなる。誰も彼もが未熟な状態へと退化、劣化していく。
 
欲求不満解消? 2019/10/19 Sat 6565 昨日の続き
 
そもそも「年長の部下との関わり方」について質問されるのだから、上司としてご本人が困っている可能性が高い。年齢や経験などものともせずリーダーシップを発揮しているのであれば、この手の質問が出ることはない。また、世の中には「年長の部下たち」がストレスを感じるほどの「若い上役」もいることだろう。それはそれで問題だが、ここでは相対的に上役側が困っている状況を分析しているのである。
 そこで「①年長者の方が大人になる」ことの必要性を提起したわけだ。もちろん、年長者にも言い分があるかもしれない。その中には、自分自身が無情かつ理不尽な待遇を受け、責任ある地位に就けなかったというケースも考えられる。そうなると、「適切な(?)欲求不満」が生まれ、それが自分より若い上役に対する否定的な行動として現れる可能性がある。
 その原因が若い上役自身にあれば別だが、そうでなければ、それは「八つ当たり」現象となる。つまりは、自分の欲求不満のエネルギーを、その原因ではない、しかも自分よりも弱い者に向けて解消しようとしているのである。こうなると、人間としては未熟であり、何とも寂しいではないか。
 
Short shot:おう金の年 2019/10/18 Thu(5:38am) 6564 
  やっとやって来た1961年。おう金の年といわれた1960年もさって行った。1960年はぼくにとっては黄金のとしではなかった。だから1961年を僕の黄金の年にしてやろうと思う。今年は中学校に入学するし、いい年を作ってやろう。前進前進。これは私の日記(集文館 當用日記 1961 )の「年頭所感」である。原文は縦書きで西暦は漢数字で記している。「おう金」と「黄金」も原文のままである。私はこの年3月に伊万里小学校を卒業する。
年上の部下 2019/10/18 Fri 6563
 
「講演や研修で個人的なご質問を受けることがある。そのなかに、「年長の部下への対応法」に関するものが少なくない。もちろん、ご質問があるのだから、現状はその関係に苦慮しているのである。そもそもそうした事態が発生する要因は多様で対応策も様々なものになるだろう。いずれにしても「一筋縄ではいかないむずかしい課題」であることは疑いない。
 一般的に言えば、まずは①「年長者の方が大人になってほしい」と思う。組織に所属しているのだから、それに応じた役割を果たさなければならない。自分が部下であれば、上司の方針や指示にしたがうのは当然であり、それは年齢とは関わりがない。仮に経験がものを言うことがあれば、それを活かして上司をサポートをする必要がある。その際も「自分が年上だから」然とした態度や言い方を控えることがポイントになる。そんなことでは尊敬されない。せっかくのアドバイスが受け止められず活かされる可能性も低下する。年下の上司はあくまで表面的には「わかりました」と答えるかもしれない。しかし、心のなかでは「やれやれ、あれやこれやとうるさいなあ。困ったもんだ」と思うに違いない。 
Short shot:感動 新幹線 2019/10/17 Thu(6:46am) 6562
 新幹線の〝こだま〟に乗ると、ほとんど各駅で〝のぞみ〟や〝ひかり〟が通過していく。そのとき通過線を走り去る車両の下、つまりは線路をじっと見ていると思わず感動する。東海道新幹線は砕石や砂利などを敷いたバラスト軌道を採用している。その線路が新幹線の通過時に微動だにしないのである。私鉄を含む在来線では一両の電車が走っただけでも上下にたわむ。それがまったく動かないのだから、それだけで私は心から感動してしまう。 
スズキ問題 2019/10/17 Thu 6561
 
 「スズキの検査不正、一気に拡大 隠蔽が常態化」(日経Web 4月13日) 車の検査に関わる不正が日産やスバルで明らかになったが、スズキも昨年、同じ問題の存在が発覚していた。それが「一気に拡大」したというのである。ブレーキの検査などで数値を操作して不合格を「合格」としていたというから、これは「不正」そのものである。さらに1980年代から無資格者による検査が行われており、組織的な隠蔽も確認されたという。
 わが国の組織でこの種の問題が明らかになるのに「慣れきった」感がある。「〇〇、おまえもか」、まさに「シーザー症候群」である。私がより深刻だと思うのは、そのスタートが「最近ではない」ことである。ここもあそこも「前世紀」から「やっていた」という情報にあふれている。1980年代といえば、わが国が「バブル景気」にわいていた。株価も89年末には4万円台まであと一歩のところまで達する大騒ぎ状態だったのである。
 いつの時代も不正が許容されることはない。しかし、世の中の経済が順調で、企業にとっても元気のいいときに不正が行われていたのだから、逼塞した経済動向を原因として説明することができない。
東京と田舎 2019/10/16 Wed 6560
 
松本清張は「点と線」で、警視庁捜査二課の警部補三原紀一に「コーヒーがおいしかった。これだけは田舎では味わえない」と言わせている。事件現場のある九州に出張していたことから、「彼はうまいコーヒーに飢えていた」のだった。そこで「銀座にある行きつけの喫茶店」に飛び込んだのである。
 これは1950年7月10日初版のカッパノベルス版86頁に描かれている光景だ。私が「点と線」を読んだのは中学3年生のときだと思う。コーヒーの味など知るよしもないが、「田舎」とは相当の差があったというのである。その「田舎」とは福岡市を指している。そもそも「事件」が発生したのは福岡市の香椎海岸である。そのとき私は香椎中学校の生徒だった。その「現場」に住んでいたこともあって、興味津々で読んだ。
 たしかに、当時の東京は遠い存在で、自分たちの街とは比較にならない大都会だと思っていた。そんなときに「田舎では味わえない」といった表現をどんな気持ちで受け止めたか、まったく記憶はない。おそらく反発よりも「そうなんだろうなあ」とすんなり納得していたのではないかと思う。まだまだ首都と地方の差が大きな時代であった。
「全体平均」の魔法 2019/10/15 Tue 6559
 
ある自治体のいじめに関する会議に出席した。そこでアンケートに対する回答結果について説明があった。そのなかに「今の学年になっていじめられたことがあるか」という項目が含まれていた。これは全国共通のものである。この自治体では、「いじめられたことがある」との回答が「小学校 18.2%」「中学校 4.2%」だった。これは「いじめの認知度」として新聞等でも発表される。
 資料には「全体 13.5%」が併せて記されていた。これについて私は「全体は示さない方がいい」と提案した。いわゆる「全体の平均値」ではあるが、重要なのは「小学校」と「中学校」の違いである。ここで「全体」を並列すると、「13.5%」に引かれて、両者の違いが薄まってしまう危険性がある。こうした場合、「平均値」は「値」としては存在するが、そんな「人」はどこにもいないのである。
 かくして、私は「平均値」の頭に「魔法の」を付けることを推奨している。さらに「悪魔の平均値」となる危険性すら有しているのである。われわれは、計算としては正しいものであっても、「平均値」が実態を伝えていない可能性があることをしっかり認識しておかねばならない。
 
早出し夕刊:ドライヤー独占 2019/10/14 Mon(9:22am) 6558
 年間を通して、かなりの日数をホテルに宿泊する。そのグレードもビジネスからハイクラスまで多様である。もちろん後者のほとんどが講演や研修等の際に先方で取っていただいたものだ。それらに共通するのがPanasonicのドライヤーである。
 つい先週、泉岳寺の東急ステイを利用したが、今年初めてKOIZUMI製に遭遇し、思わず「おおっ」と叫んだ。ときにはわが家と同製品のこともあり、これには驚かなくなったほどである。いつだったか、テレビでPanasonicがダイソンとつばぜり合いしていると言っていた。ともあれ、グレードを問わずPanasonicが独占しているかのようなのだ。その裏には様々な事情があるのだろう。
公開講座「リーダーシップ・トレーニング 2002」(8) 2019/10/14 Mon 6557 8月13日の続き
 
附属中学校の校長になったことから、「公開講座リーダーシップ・トレーニング」は3日連続から、「基礎」の2日と「フォロー」の1日に分割した。それに伴って、受講者の「リーダーシップ」をチェックする「見えてますかシート」を創った。そして、そのデータを「フォロー」で自ら分析する段取りも「創入」した。
 ここで「部下評価」ではなく「見えてますかシート」と名付けた点は、われながら名案だった。そこに「言葉のごまかし」をする意図は微塵もない。そもそも「評価」という用語が日常のリーダーシップを考えるに当たって適切なのかどうか。この言葉は「リーダーこうしなければならない」という絶対的な基準があることを前提にしている。広大な宇宙の運動ですら、いまのところは「相対性理論」で説明されている。もともと物質から構成される人間に絶対的法則を当てはめること自身、無理な話なのである。
 もっとも、そこまで言い出すと、「それ自身が絶対的発想じゃないか」と大いなる批判を受ける可能性がある。そんな議論もまた楽しいが、ここでは、「私は何分にも『大風呂敷症』なもので」と言ってごまかしておくことにしよう。
 
Short shot:超高速エレベーター 2019/10/13 Sun(6:46am) 6556
 日立製作所が開発したエレベーターが世界最速としてギネスから認定された。ビルは中国広州市の超高層で地上530m、111階まである。話題のエレバーターは地上1階から95階までの440mを42秒で昇るという。時速に換算して75.6kmもの猛スピードである。これほど速いと外なんぞ見る窓などあるはずもない。それまでの記録は三菱電機製で時速73.8kmだった。日本はエレベーターに関する技術でかなりいい位置にいるのではないかと思う。 
「かなかな症候群」の初出 2019/10/13 Sun 6555 10月10日の続き
 
せっかくなので、「かなかな」の初出を探してみた。その結果、「これが初めてだ」と確信するにた
る日を探し当てた。それは2005年7月28日で、タイトルは「気になる言い回し」である。
 そこでは、「かなかな」と「と思う」の二つを「症候群」として取り上げている。労働省の副大臣がアスベストに対する対応に問題があったことを認めた。そこまではいいのだが、その発言が「これまでの国の対応が失敗ではなかったのではないかなと思っている」という言い回しだった。この部分を取り上げて、責任のある者はしっかりストレートに発言すべきだと指摘している。「たしかに断定はしにくい状況ではある。しかし、それでも『失敗だったと思う』くらいは言って欲しいものだ」というわけだ。さらにアスベストで死亡者が出たことについて、「ご家族にお悔やみ申し上げたいと思う」というのも「お悔やみ申し上げます」が適切で、「思う」はいらないのではないかと指摘している。
 人間関係をスムーズにするために「やわらかい表現」は必要だ。しかし、専門性を発揮したり責任を伴うことがらについては、自信をもってはっきり発言することが求められる。さてさて、私の15年を超える「ぼやき」はこれからも続くのかな思う…。
 
Short shot:台風襲来前夜 2019/10/12 Sat(6:20am) 6554
 昨夜、私個人としては無事に帰熊した。もともと金曜日の便の乗客は多いのだが、羽田空港そのものが大混雑していた。ANAは10日の時点で12日の全便欠航を公表していたから、前日に変更を希望する人も殺到したに違いない。行楽シーズンの三連休である。台風で予定を変えざるを得なかった人たちの数はカウント不可能である。これまでの経緯から、電力会社は緊張感を高めているに違いない。まだブルーシートが目立つ千葉も心配である。 
「消えた」番組 2019/10/12 Sat 6553
 
 私は知らなかったが、「消えた天才」という番組があったらしい。いま活躍しているスポーツ選手やアーティストが自分の勝てなかった天才を紹介するものだという。スーパースターが「あの人はすごかった」というのだから、どんな人物で、いまどうしているのかを知りたくもなる。そうした気持ちを満足させる魅力的な番組で、視聴率もそれなりのものだったのだろうが、これがズッこけた。
 少年野球の全国大会で完全試合を達成した少年の映像で、投げたボールのスピードを20%ほど速めていたという。放送された31球のうち7球で投げた球が捕手のミットに収まるまでの約0.5秒間の映像の速度を約2割速めていたらしい。これを受けて調査したところ、卓球やフィギュアスケート、サッカーについても同じようにスピードを速めていたことが明らかになった。そんなことから、番組そのものがなくなってしまったのである(毎日新聞 9月5日)。
 そもそもがバラエティー番組で、「おもしろくしてやれ」との気持ちが働いたのだろう。そこで「とにかくおもしろい」が究極の目標になると「やらせ」に疑問も抵抗もなくなってしまう。やれやれ困ったことだ。
早朝夕刊:台風と欠航 2019/10/11 Fri(6:51am) 6552
 昨日から東京で「趣味の仕事」を楽しませていただいている。本日の夕刻の便で熊本へ帰る。この数日前から台風19号が気になっていた。これが大型で猛烈な勢いをもっているという。ANAはすでに、明日12日に羽田、成田を発着する全便の欠航を発表した。いわゆる計画運休で混乱を避けることが目的だろう。
 まずは電力において「計画停電」という用語が使われはじめた記憶がある。今後はリスクマネジメントの視点からこうした動きが定着すると思われる。どんなことも先のことはわからないが、今日の便までは何とか飛びそうである。そんな運の良さを受け止めながら、しっかり「趣味の仕事」に打ち込みたい。
 
サクラマチ・クマモト 2019/10/11 Fri 6551
 
 熊本市の中心に「サクラマチ・クマモト」が開業した。もともとバスターミナルとホテル、デパート、地下商店街があったところが再開発された。オープンの3日目は熊本市にある藤崎宮の例大祭で巡行行列が街を練り歩く。たまたま孫の一人が泊まりに来ていたことから、出不精の私が出かけていった。お目当ての行列は参加者が少ないのか、午前中の部はすでに終わっていた。その足で「サクラマチ・クマモト」に足を伸ばした。
 初日だけでも25万人の人出だそうで、とにかく群衆に酔う。地下で食事をと思ったが、お昼まで時間があるにも拘わらずごった返していた。孫が「おじいちゃん、まるで椅子取りゲーだね」はまさに的を射た表現である。
 このにぎやかさを見て、父が『日本も豊かになったもんだなあ」と一言つぶやいたシーンを思い出した。それは1980年2月、住まいの近くでダイエー熊本店がオープンして間もないころのフードコートでだった。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いのダイエーだったが、いまはない。再来年には熊本駅にも大規模なショッピングセンターができる。この少子高齢社会で「大丈夫なんだろうか」と高齢者はかなり心配している。
 
早出し夕刊:自虐的謝罪CM 2019/10/10 Thu(7:56am) 6550
 日経の9月26日付けに青山商事が1面全部を使って「洋服の青山」としてのお詫びを掲載した。現社長を中心に4人のお偉いさんが所狭しと並ぶマイクの前で頭を下げている。カメラマンも端っこに写っているこの光景は、わが国では日常茶飯事、見慣れすぎの感がある。そこに「申し訳ありません。洋服の青山は、スーツ業界特有のわかりにくい表示をやめます」との文字が走る。つまりは常時価格をわかりやすくすることをアピールするコマーシャルである。これを「謝罪会見」に引っかけたところがおもしろい。職場の服装がカジュアル化してこの業界も向かい風が吹いているらしい。何と言ってもシンプルが一番です。
何度目かの「かなかな」症候群(2) 2019/10/10 Thu 6549 昨日の続き
 
他人の気持ちを思いやる際に「かな」を使用するのは適切だが、自分の考えをしっかり伝えるときは「かな」を使うべきではない。とくに、様々な分野で専門的な仕事に携わり、他者をリードする立場にある者は、自らが「かなかな症候群」に罹患しているのではないかとチェックし続けることが期待される。ところが、20分程度のニュースを見ているだけでも、あの人もこの人もと言いたくなるほど、「かな」を連発しまくるのである。
 先日、NHKのニュースでコンテナを連結した超ロングトラックが紹介された。全長が25mにもなるらしく、一気に大量の荷物を運ぶことができる。また、異なる業者のコンテナを連結することもありという興味深いチャレンジがはじまるのである。そこで、その業界の代表者と思われる人がインタビューに答えていた。発言を正確に記録してはいないが、「これが転換期になるかな」「その影響は大きいかな」と「かなかな」の連発である。うーん、「なるはずです」まではいかなくとも「なると思います」くらいは言ってほしい。いや「なることを期待しています」でもいい。これがもたらす影響は「大きいかな」ではなく「大きいです」と自信をもって断定しては問題があるのだろうか。
 
早朝夕刊:完全〝Yes man〟の卒業 2019/10/09 Wed(6:45am) 6548 10月7日の続き
 
「せっかくですから多くの人に参加してもらいたいので…」。こうした理由で夜間の講演を依頼されることがある。若いころは完全〝Yes man〟でいた。冬の時期に阿蘇を超えて講演に出かけたこともあった。冬の山道は、まだ行きはいいとして、帰りは漆黒の闇、ひょっとしたら凍結する可能性もある。それは30年以上前のことだと思うが、その日のことは道路だけでなく会場の様子までぼんやりと記憶に残っている。いくら元気なつもりでも体は高齢者なのだ。その上、高齢者については運転上の問題があることは今や世の中の常識になった。そんなわけで、夜はウロチョロせずに「趣味の仕事」で時間を過ごしている。 
何度目かの「かなかな」症候群 2019/10/09 Wed 6547
 
 【《かな》 (疑問の助詞「か」に詠嘆の助詞「な」のついた語)①不確かな点を確かめる意で自問し、あるいは、相手に問い掛ける語。②(「ないかな」の形で)願望の意を表す。広辞苑第六版】
 【《かなかな症候群》 何につけても語尾に「かな」を付けまくって意思表示を避ける、いかにも日本人的な一連の性行 Dic YOSHIDA©2019版】
 本コラムでこの「症候群」を取り上げたのはいつだったか、記憶の彼方に行ってしまった。
 ここまで書いたものの、気を取り直して探してみた。その結果、「またまた〝かなかな〟」とタイトルを付けたものが2009年10月11日にあった。冒頭に「これまでにも何度か書いているのだが、相変わらず〝かなかな症候群〟が世の中に蔓延している」と記して、「もう〝日常語〟として定着してしまったのだろうか」と続け、「まことに遺憾である」と慨嘆している。その日からちょうど10年が経過したことになる。しかし、この時点で「何度か書いている」のであるから、初出はさらに遡るわけだ。私に言わせれば、「かな」は相手の気持ちを思いやる際に適切に使われるべきものである。たとえば、「これをするのは嫌なのかな」といった具合である。
脱線と交通問題 2019/10/08 Tue 6546
 
 「熊本電鉄枕木交換せず 脱線事故2年前の再発防止策」(熊本日日新聞 2月2日)。この1月に地元の電鉄会社で脱線事故が起きた。その原因は木製の枕木の不具合にあったとされた。じつは2年前に同社では木製の枕木による脱線事故が発生していた。木製の劣化が進みレールを止めていた釘が緩んだため、レール間の幅が広がったことが原因だった。その対策としてコンクリート製の枕木に交換することになり、国土交通省九州運輸局には工事が完了したと報告していた。同社によれば半径250m以下の急カーブ区間を優先してコンクリート製に交換したという。
 ところが今回の事故発生の部分は半径100m以下の急カーブにも拘わらず木製のままだった。同社によれば、事故現場はカーブから直線になる境目の区間だったという。つまりは急カーブの終点で、その先は直線になるため、「半径250m以下」には該当しないと判断したというわけだ。そもそも鉄道は全国的に経営が厳しい。枕木の交換には相当な費用がかかると思うが、「脱線」は鉄道として最も深刻な事故である。一社の怠慢を責めるだけでなく、交通体系の社会的問題としても考える必要がある。
早朝夕刊:条件付き〝Yes man〟 2019/10/07 Mon(6:25am) 6545 9月27日の続き
 
これまで〝Yes man〟の人生を送ってきたが、大学の非常勤講師は「集中」を条件にしていた。前回も書いたが、市内の大学で90分の授業をする場合でも往復時間があるから半日仕事になる。これに加えて15週間、特定の曜日と時間に拘束される。本務の場合は当然のことで、「拘束」という言葉は当てはまらない。しかし、非常勤となればこの「拘束」が自由な動きを制限する。そこで「集中」を前提にしてお受けしていたのである。また、このごろは、大学の授業ではない講演等のご依頼に対して「条件」を追加した。それは「夜間の仕事」を控えさせていただくことである。何と言っても「前期高齢者」なのである。 
「振る舞い」の理解を求めて 2019/10/07 Mon 6544 昨日の続き
 
ともあれ、石黒氏の話は刺激的である。映画やテレビドラマは編集されている。したがって「日常における人間の振るまいがどのようなものか」について参考にならないと言う。その点、演劇は観客の前で生の人間が継続的に演技をするから、「いかにも人間的な振る舞い」が求められる。
 いつのことだったか、私は本コラムに「演劇」のすごさについて書いたことがある。そこには舞台という「作り物」があり、大道具、小道具も本物ではない。さらに演技者そのものが本物でないのである。また、セリフや発声も誇張され「日常の振る舞い」とはかけ離れている。観客もそうした事実を知っているにも拘わらず、笑い、涙を流し、興奮もしながら感動する。そして私はその不思議な力に感動するのである。とまあ、こんなことを書いたわけだ。
 そうした視点とは別に、石黒氏の話は刺激的だった。それは私たちが仕事としている心理学などい対する「ある種の批判」的な視点を提供しているからである。グループ・ダイナミックスは「実践的であること」を重要な目標にしている。それが「日常の振る舞い」の理解と改善に役立つために奮戦しているのではあるが…。
 
「編集」と「演出」 2019/10/06 Sun 6543 昨日の続き
 
石黒氏は映画などの映像メディアについても触れる。たとえば映画やテレビなどの映像は編集されている。あるいは演出されている。とくにCGに至っては、ご本人の言い方は淡々としているが、つまりは「創りもの」なのである。
 たしかに、「真実を伝えることが最大の使命」であるべき「ニュース」ですら、送り手側が「演出」しているのである。その動機は「公正・中立・客観性の確保と維持」にあっても、「創る行為」そのものが「絶対客観性」とはほとんど重ならない。とりわけ力のある送り手は、それが人間の行為として当然であることをあらゆる場面で認識し、その限界を受け止める側と共有し続けるしかない。
 ニュースを創る側は「編集」という用語を使うから、それを「演出」などと言えば「けしからん」と憤るだろう。たしかに「編集」と「演出」はかなりの違いがある。とくに報道関連で「演出」と言えば、それは「やらせ」をイメージしてしまう。もちろん、そんな行為は言語道断である。しかしながら、現実を解釈し、それに対応するように人の発言や映像を組み合わせる、さらにBGMを流すとなれば、けっこう「演出」っぽくはないか。
早朝夕刊:単細胞と脳 2019/10/05 Sat(5:51am) 6542
 
この世の生きものの原始が単細胞だったことは疑いない。それが何らかの理由で分裂しながら進化してきた。そのどこかで脳らしきものができていったことも間違いない。したがって、「細胞⇒脳細胞」という順は不可逆的なのである。
 つまりは体の細胞の方が脳よりも先輩なのだ。素人的には神経細胞の束の端っこが脳として機能するようになったと考えていいだろう。つまり大脳は最初から統率器官ではなかったのである。その永い時間の中で脳がまとまってきたのだから、それ以外の感覚器官等が脳を創ったとも言える。そうであれば、体の刺激が先にあって、それを受けて感情が生まれると考えるのは自然である。
既存科学と「振る舞い」 2019/10/05 Sat 6541 昨日の続き
 
石黒氏の話で興味深いのは、人間とその行動を研究している「認知科学」や「心理学」の特性に関する言及にある。石黒氏は二つの領域を無意味なものとして批判しているのではない。ただ、そうした科学で得られた知見から、「人間の複雑な日常生活において、『どのように振る舞うと人間らしいか』について学ぶことはできない」というのである。
 そして、「認知科学や脳科学、心理学で行われている『人間らしさ』の研究の多くは、日常生活の様々な条件や環境を一切排除した統制された実験室の中で行われている」ことを改めて強調する。ここでも、石黒氏が心理学に基礎と応用の領域があること、そのすべてが「日常条件や環境を一切排除した統制された実験室の中で行われている」のでないことは承知の上だと推測する。
 私が興味をもつのは、これに続く次のような発言である。「日常で良く起こり得るだろうと思われる場面でどのようにアンドロイドを振る舞わせるかという課題に、これまでの研究成果を応用することには根本的なむずかしさがある」「いくら文献を探しても、『人間らしさ』や『人間らしく振る舞う』方法は記述されていない」。
Short shot:表紙写真 2019/10/04 Fri (5:36am) 6540
 
熊本から羽田へ向かうルートでは、四国から大阪を通る。静岡あたりでは季節に応じた富士山の姿が見える。さらに伊豆大島を下に見ながら千葉へ向かい、左に旋回して羽田に進入するのが一般的である。写真は大阪湾上空で、関西国際空港がしっかり見える。写真では小さいがその対岸には神戸空港も視野に入る。かなり霞んでいるが、左側には淡路島の一部と架橋が写っている。また私の好きな「雲」が小さなこぶ状になって浮かんでいる。 
心理学と日常の行動 2019/10/04 Fri 6539
 
大阪大学の石黒浩教授はわが国におけるロボット研究のトップランナーとして知られている。その石黒氏がロボットを演劇に出演させる試みについて、NHKラジオ「こころをよむ『人とは何か -アンドロイド研究から解き明かす-』(全13回)」の「第5回」で語っている。その内容が心理学を仕事にしている者にきわめて刺激的なのである。
 冒頭で、それが奇をてらった行為ではなく、人間の理解にとってきわめて意味のあるものだと強調する。そして、「認知科学や心理学をいくら勉強しても、人と関わるロボットが日常の様々な場面、状況、目的において、たとえば『どう目を動かせばいいか』『どういうふうに立ち居振る舞えばいいか』といったことはわからない」と述べる。その理由として、「認知科学や心理学は特定の限られた知能、しぐさ、振る舞いに関して実験室の中で精密に計測し、人間の部分的なあるいは普遍的な機能を理解することを目的にしている」からだと続ける。
 心理学研究のすべてが「実験室」の中で行われているのではないし、石黒氏はそのことを知っているにちがいない。ここで重要なのは、そうした事実関係の正誤ではない。 
Short shot:表紙写真 2019/10/03 Thu (5:33am) 6538
 
熊本地震から3年半、熊本城の大天守は概観の修復工事が完成した。現代の新築だが、元通りの印象である。これに並列する小天守はもう少し時間がかかる。また天守閣そのものに登れるのは2021年の春ころらしい。ただし、サッカーのワールドカップが開催されることもあって、この5日からは特別に周遊ルートを開放するという。石垣を含めた全体の修復が終わるまで20年ほどかかるそうだ。そうなると、「完全修復祭」は無理だなあ、私は…。 
高齢者人口 2019/10/03 Thu 6537
 
われわれ高齢者、国の定義で満65歳以上が全人口の28.4%だという。これが25年には30%を超えるらしい。この数値、統計としてはかなり確度が高い。平和であることが前提だが、5年程度では、出生率も死亡率も急激な変化は起きないからである。この1年間で70歳以上が98万人増えたという。これを単純に読めば、78万人は1948年生まれということになる。
 この数値にはいささか疑問がある。わたしが知っている統計では、1948年生まれは268万人だった。これから78万人を引くと198万人になる。その全員があの世に逝ったとはとても思えない。むしろ生きているものの方が多いと思う。それも圧倒的にである。そもそも平均寿命などから推測しても、70歳までに亡くなる人の方が多いとは考えられない。そこで、「この数値はどうやって出したのか」と思ったのである。
 ところで、70歳から75歳までの就業率は30.2%である。まだ3人に1人は働いている計算になる。その多くが卸売・小売業と農業・林業だという。わたしの場合、熊本県教育委員が非常勤で、そのほかは「花のフリーター」である。今のところお声をかけていただいて「趣味の仕事」を続けている。
パワーポイント・デビュー 2019/10/02 Wed 6536 昨日の続き
 
附属中学校の校長時代にパワーポイントを本格的に使う気になった。それが2003年のころで、本ホームページを開設した記念すべき年である。この「味な話の素」は4月29日からスタートし、今日まで続いている。
 それではパワーポイントデビューはいつになるのか。これがしっかり記録に残っているのである。それは〝2004年4月4日〟と〝4〟の続く日だった。手元に国土交通省九州地方整備局の新人研修に向けて準備したレジュメがある。演題は「野外活動とコミュニケーション」で副題に「対人関係のスキルアップ」を付けている。国立阿蘇青年の家が会場で、時間は9時30分から10時30分までの1時間である。同じ研修を1999年から担当していることもわかる。このメモの最大の情報は、朱文字で〝Power Point 初登場〟と明記されていることである。このとき初めて講演でパワーポイントを使用したのである。それからすでに15年以上が経過したわけだ。
 その後もしばらくは、パワーポイントのスライドを資料に組み込まず、この手のメモを配布していた。なお、赤い取り消し線を引いているのは、「話すつもりで準備したが、時間の都合で省略した」内容である。
 パワーポイントのパワー 2019/10/01 Tue 6535 9月29日の続き
 
パワーポイントを使い始めると、すぐにOHPでは考えられない表現力と簡便さを実感するようになった。またOHPだと、使うかもしれない教材をワンサカとまでは言わないがかなり大量に持ち歩いていた。それぞれのシートは軽いものの、それが集まれば重くなる。
 一方、パワーポイントはコンピュータにファイルとして保存するから「重さ」を実感することがない。たしかに、PCそのものはノート型になったものの、かなり重かった。しかし、それはパワーポイントを使用するためと言うよりも、文書の作成等を主要な目的として使っていた。したがって、もともと持ち歩いていたPCでパワーポイントによるプレゼンテーションまでできるようになったというのが現実だった。
 それに、学習を進めれば進めるほど、OHPでは考えられなかったバラエティ豊かな提示の可能性が広がっていった。そのうち、「こんなこともできるのか」と驚喜したくなることが繰り返された。また、「こんなことはできないか」と思って解説本の索引から探すと、それがしっかりあって、「さすがー」と叫んだものである。こうして、パワーポイントは私の仕事を完璧に変えたのである。