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 味な話の素
 No.196 2019年09月号(6481-6534) Since 2003/04/29
母と「恍惚の人」 2019/09/30 Mon 6534
 
有吉佐和子「恍惚の人」は1972年の出版である。いまから半世紀ほど前に「認知症」の問題を取り上げたのだ。翌73年に映画化され、森繁久弥が「恍惚の人」を演じた。高峰秀子演じる嫁との葛藤が衝撃的だった。私はこの映画を母と一緒に小倉で観た。森繁の演技が印象的だった。母は老後の自分にも重ねていた。
 その母はこの年の8月に胃がんの手術を受けた。その直前まで「手術は死んでもしたくない」と言っていた。数日後、腹部が大きく膨らんだ。手術の際に縫合が不全だったことが明らかになった。そのため再手術を余儀なくされた。しかし、そのダメージは回復しなかった。医師に食欲がないと訴えると「運動しないからだ」と言われた。それを聴いて、われわれ家族は青息吐息の母を何とか歩かせようとした。食事をスプーンで口から入れると、それが開いた傷口から漏れ出てきた。
 そんな状況が回復する兆しは見えなかった。医師はただ傷口に薬を塗るだけの対応で終わっていた。そして、母と家族の苦闘に光明が差すことはないままに、10月に47歳で旅立った。今日であれば明らかな手術ミスである。こうして母は「恍惚の人」にはならなかった。
 
パワーポイントの学習 2019/09/29 Sun 6533 昨日の続き
 
パワーポイントによるプレゼンテーションに出会いはじめたころは、自分が活用するのは時期尚早、まだまだOHPと考えていた。そんな中で、私は2002年4月に附属中学校の校長になった。すると、先生たちの多くがパワーポイントを使っているのである。これが相当に刺激的だった。そこでパワーポイントのソフトと活用に関する解説本を2冊ほど買い込んで、家庭学習(?)をはじめた。
 私はコンピュータ系のノウハウは基本的に自学自習で身につけてきた。そもそもこの手のものが好きなのである。おそらく1970年ころだが、FORTRANという名前のプログラム言語を初めて学ぶとき、二日ほど講習を受けたくらいのものだ。それ以外はすべて独学したというのは私の自慢話である。そんなわけで、パワーポイントの学習がスタートしたのだが、その瞬間から「これは使える」と実感した。こうなると学習もトントン拍子で進む。
 ただし、ほとんどのところでOHPはあるがプロジェクターはないという状況だった。そこで私はそれまで蓄積していたOHPをパワーポイントに転写しはじめた。そしてプロジェクターがある場合にはパワーポイントを使うことにした。
 
パワーポイント 2019/09/28 Sat 6532
 
今日では、講演や研修にパワーポイントは必須の道具である。これなしの仕事は考えられない。私は子どものころから視聴覚機器と呼ばれる道具が好きだった。そんなことで、授業はもちろん、あらゆる場でOHPを使っていた。この機器も今の若者たちには見たこともないシロモノになっているに違いない。ともあれ、私はOHPに永年に亘ってお世話になった。
 いつのころからか、おそらく前世紀末のことだと思うが、パワーポイントなるものによるプレゼンテーションをチラホラ見かけるようになった。私の場合、そのほとんどが学会でだった。このソフト、けっこうな訴求力があって関心はもったが、まだまだOHPを手放すことなど考えられなかった。
 そもそもポータブルなPCがなければ使えないし、何よりプロジェクターがなければ話にならない。そんなわけで、当時は「いつでもどこでも」というわけにはいかなかった。プロジェクターにしてもドデカくて信じられないほど重かった。そのうえ、スクリーンに映った画像の明るさにも不満を感じた。それでも価格はおそらく50万円以上もした。あるいはこの世に出た当初は100万円に近かったかもしれない。
早朝夕刊:どちらもチャンス 2019/09/27 Fri (4:13am) 6531 昨日の続き
 
じつは昨年度、某大学から非常勤のお誘いを受けた。これに対して「もう70歳ですから」と回答したところ、「本学は75歳までです」との返信とともに改めて依頼された。私としてはこれに「集中でしたら」という条件付きでお答えした。これに「集中は困難」との回答があり、このお話はなくなった。
 私は2002年に附属中学校の校長になったが、管理職ということで非常勤講師の仕事は中断した。校長退任後も学期単位で仕事をする大学の非常勤はすべて「集中講義」を条件に受けてきた。大学の一コマは基本的に90分である。しかし、市内の大学であっても、その往復時間を含めれば午前か午後の半日は必要になる。
 
「年報」の巻頭言 2019/09/27 Fri 6530 昨日の続き
 
さて、以下は「九州学生心理学会会報」に私が書いた「卷頭言」である。
 「九州学生心理学会」も今回で44回を迎える。社会科学としての確立は比較的最近のことであると言われている「心理学」を学ぶ者にとって、この44回という数字はそれだけでも立派な伝統を築いたとも言えるであろう。だが,昨今は「伝統」というものの地位が右に左に大きく揺れ動いている時期である。
 それは社会生活一般は勿論のこと、他ならぬ我々の学園でのそれが社会の大きな注目を浴び、その結果としてのストといったようなものを、身をもって体験された諸氏も少なくはないのではないかと思う。このことは、ただ名ぱかりの「伝統」というものを保持してゆこうとする無理な姿勢に対して強い警告を発している。そのことを我々は深く顧みて、この44回を迎える「九州学生心理学会」を我々学生の生活に密着した、生きた研究、活動によって、本当の意味での「伝統」をこれからも築きあげてゆきたいものである。我々の「学会」は名ばかりの「伝統」に左右されるようなものであって欲しくないのである。
 ようやく21歳になったばかりだから、必至で背伸びして書いたに違いない。
 
早朝夕刊:「退き際」問題 2019/09/26 Thu (4:13am) 6529 昨日の続き
 
組織の劣化を防止する要件の第③として「退き際を誤らない」を追加してしまった。私自身がすでに70歳に達した。政府が主導して「70歳まで働いてもらおう」という流れができつつある。しかし、それも「70歳まで」である。熊本大学のシニア教授職は「その基準」を満たしたことから今年の3月でめでたく退いた。
 そこで、新年度になってからは勝手に「つぎの定年は75歳」と「公言」している。自分の感覚ながら、健康状態はこれまでどおりでいい感じである。おかげさまで、仕事面では「定年制」のある大学等の非常勤は終了したが、そのほかからは講演や研修のお声がけがあり、嬉々として走り回っている。 
九州学生心理学会会報 2019/09/26 Thu 6528
 手元に「九州学生心理学会会報」の第5号がある。発刊は1969年12月になっている。サブタイトルは「九州学生心理学会機関誌」とされ、全体で46頁だ。
 奥付を見ると、編集責任者は愛野正晴氏、編集協力者として吉田道雄・安永直美・西原由美子の名が連なる。発行者は「九州学生心理学会常任事務局」で印刷は「九州大学生協プリント部」である。いわゆる和文タイプの入力で謄写版印刷だが、今の若い方は何のことかわからないだろう。この3人と私は九州大学教育学部で心理学を専攻した同級生である。私はまだ21歳になったばかりだ。
 当時の入学定員は1学年35名と国立大学の学部で最少人数だったはずである。教授陣の正確な人数は記憶にないが、教育学系と併せれば少なくとも十数名にはなる。そうした環境だから、私たちは日本で最も濃密な心理学の教育を受けたと思う。
 さて、会報のトップは「はしがき」で、坂巻善生氏が担当している。彼も同じ仲間である。冒頭の原稿を書いているから会長だったのではないかと思うが、名前には「文責」としか記されていない。次の頁を見ると「巻頭言」があり、こちらは私が書いている。やはり「文責」である。
早朝夕刊:どちらもチャンス 2019/09/25 Wed (6:05am) 6527 昨日の続き
 
組織における「人事異動」は人を「動かせて位置を変える」のではない。それは個々人にとって意味がある。まずは「うまくいっている」人物であれば、その力を場所と相手を変えてさらに伸ばす機会を与えるのである。まさに成長のための異動である。もちろん異動は横滑りだけではなく、昇進を伴うこともあるから、縦方向が含まれる。そうなれば、文字通り「異動」となる。
 一方、「うまくいっていない」者にとっても「異動」はチャンスとして働く可能性がある。こちらは「心機一転」して新しい職場、仕事、そして仕事仲間との付き合いがはじまる。同じ組織であれば、以前の職場で「うまくいっていない」という情報が伝わるだろうが、新たな職場で「聴いていた話と違うぞ」と思わせればいい。
 
マニュアル問題(94) 2019/09/25 Wed 6526 8月11日の続き
 マニュアルに関する自由記述の中に「マニュアルの内容や意味が理解できていないため作業も習慣的になってしまい、遵守が徹底しないことがある」という声があった。これは規則についても当てはまる。そもそも規則やマニュアルが必要な理由が理解されていなければ、その存在そのものの意味がない。そして「規則やマニュアルはそんなものだ」という「常識」が漂えば、職場内でマニュアルを創る側もいい加減になる。そして、それを使う側も自分のあずかり知らない人間が知らないところで創った作文となれば、目を通す気にもならないのは当然である。
 本コラムで、「基本」はそもそも「守られないもの」だと断言したことがある(2017年10月18日)。その点、「規則」や「マニュアル」も「基本」と言えるから、やはり「守られないもの」と考えた方がいい。とにかく「基本」をないがしろにするのは「人間行動の法則」と言えるのではないか。ともあれ、働く者たち一人ひとりが、規則やマニュアルを守るのは「自分が安全に仕事をするためなのだ」という意識をもつことが必要である。そうした理解を深めるためにも、職場のリーダーが重要な役割を果たすことになる。
 
 
早朝夕刊:「移動」と「異動」 2019/09/24 Tue (4:31am) 6525 昨日の続き
 
組織の劣化防止の「対策②」は「異動」である。【異動】 ①物事に前と違った動きが起こること。また、その動き。②地位、勤務、住所などが変わること。新任、退任などの人事の動き(精選版 日本国語大辞典)。【移動】動いて位置が変わること。動かして位置を変えること(同)。
 この両者が違うことは一目瞭然であるが、レポートなどでは人事に関することが「移動」と表記されていることがそこそこある。これはワープロの変換ミスなのか、あるいは当人が「移動」だと認識しているのかはわからない。【移動】は名詞だから、「動かして位置を変えること」まで含むのは妥当なのか、素人としては疑問が残る。
 
「中堅教諭等資質向上研修」受講者の声(38) 2019/09/24 Tue 6524 8月6日の続き
 
元気をもらいました。楽しく元気に働くコツを教えていただきました。ポジティブにパワフルにこれからも頑張っていくことができそうです。本当にありがとうございました。吉田先生もこれからもそのままの先生でいてください。(中学校教諭 男性)

 講演のあとで「元気をもらいました」という声を聴くと嬉しくてたまらなくなる。それがご本人の今後の生き方に寄与することができる可能性があるとすれば言うことはない。私は理論や理屈で感動してもらうよりも、こうした点で少しでも役に立てればいいと思っている。
 そもそも人間の行動に関わる領域で「理論」なるものがあるのか。そんな疑問を呈すれば、専門家から囂々たる非難が飛んでくるだろうか。私はあるとき日本教育心理学会の年報に、「実践は理論に奉仕するためにあるのではない。実践はそれ自身に価値がある。むしろ理論こそが実践に奉仕すべきなのだが、現状はそうなっているか」といった主旨のことを書いた。これには「理論軽視だ」との批判を受けるだろうと思っていたが、少なくとも私の耳には聞こえてこなかった。「おそらく誰も読んでいないんだろうなあ」と推測している。
 
早朝夕刊:新人たちの意欲 2019/09/23 Mon (5:44am) 6523 昨日の続き
 
たしかに「新人研修」で講義時間に全身で「やる気ねえなあ」とアピールしている者もいる。しかし、それは「新人だから」ではない。この3月で私は大学を卒業したが、授業でもそんな雰囲気の学生もいたし、人生経験を積んだ組織人にも見られることがある。ところが、その当人がグループワークになると積極的に参加するのである。しかも、そんな人の中には研修が終わってからわざわざ私のところにやってきて、「ありがとうございます。面白かったです」などと声をかけに来たりする。まさに人は見かけによらないのである。
 こんなことがあるから、私の「趣味である仕事」はいつまで経っても止められない。
ノルマ、ノルマ… 2019/09/23 Mon 6522
 
 【ノルマ】《名》(ロシア norma)各個人や工場などに割り当てられた、一定時間内における労働・生産の最低基準量。第二次世界大戦のシベリア抑留者が、引き揚げてきて伝えた語(精選版 日本国語大辞典)。そもそもが、きわめてマイナスのイメージを背負った言葉である。ノルマは「達成目標」ではなく「最低基準量」であり、それも上が、おそらくは問答無用で決めるのである。
 ついこのごろ、「ノルマ」問題が高級外車を販売するBMWジャパンで発生した。公正取引委員会は、9月日に独占禁止法違反(不公正な取引)の疑いで、日本法人「ビー・エム・ダブリュー」(BMWジャパン)へ立ち入り検査に入った。そもそも通常の営業活動からは達成困難な新車販売台数のノルマをディーラーに課したうえ、達成できない場合に自分で新車を買い取らせ、「自社登録」を強いる不当な取引条件を設けていた疑いがある(東洋経済新報Web版)とされる。BMWと言えば名だたる高級外車である。社名〝B〟のバイエルン州にある本社が関わっていることはないとは思うが、どうなのだろうか。それにしても、「またしてもノルマのプレッシャーか」と嘆きたくなる。
早朝夕刊:新人たちの意欲 2019/09/22 Sun (5:34am) 6521 昨日の続き
 
私は「新人」を対象に研修をすることがある。その内容は「リーダーシップ力の育成」というよりは、「モチベーションアップ」に焦点を当てることが多い。リーダーシップはどんな状況にいても、人と関わりをもつ限り欠かせない。したがって新人にとっても「リーダーシップ研修」は必要なのだが、組織としては「モチベーションの向上」に対する期待が大きい。
 何と言っても〝Yes-man〟を人生の基本とする私である。そうした組織の期待に応えるべく、新人向けの研修プログラムを創ってきた。その内容は別の機会に譲るとして、私には、受講者である新人たちの多くが前向きであり、意欲的に満ちていると思える。
  
自分で抑えられない… 2019/09/22 Sun 6520
 
元マラソンランナーの女性が万引きで捕まったことは、テレビの番組で知っていた。そもそものはじまりは現役時代の食事制限にあったという。それが摂食障害を引き起こし、ストレスになったのか万引きという行為に走った。窃盗の繰り返しで起訴され、近々判決が出るという時期に放送を見たのである。その後、執行猶予の判決が出たという記事を新聞で見たような記憶がある。
 そうした中、熊本日日新聞の夕刊でドクメンタリーが放映されていたことを知った(4月23日 深ヨミテレビ)。映画監督の砂田麻美氏の原稿だが、それによると執行猶予後に収容された厚生施設で賄い用の鶏肉を自室に持ち帰っていたという。彼女の頭の中のある部分では「してはいけない」という価値判断はできているはずである。しかし、それを覆い尽くすような勢いで「手を出してしまう」力が働くに違いない。おそらく「気が付いたらやってしまっていた」と言うしかないのだろう。本人は当然として、社会にとっても悩ましい問題である。
 この点は、すべての依存症に共通している可能性が高いが、今日の大脳生理学をもってしても「そのメカニズム」を説明できないでいる。 
早朝夕刊:老若の距離 2019/09/21 Sat (6:08am) 6519 昨日の続き
 
組織を含めて生きものの「劣化」抑制策の一つは「若い力、とりわけ新人を活かす」ことである。人類の歴史はトシヨリたちの「今の若いモンは」の愚痴の累積で成立している。これが「自分たちの若いときとは違う」というメッセージであれば当然のことである。時代と環境は時々刻々と変化しているのだから、「同じ」なんてあるはずがない。
 問題は「自分たちのときの方が良かった」と価値づけする点にある。その瞬間にロウジンたちは自ら若者たちと距離を取ることになる。先方だって、そんな人たちと進んでお付き合いする気になんてなるわけがない。そして、お互いが離れれば、さらに「理解」は困難になる。
 
結果が問題なければ… 2019/09/21 Sat 6518
 
住友重機械工業の「動く歩道」や「リフト」等を製造する過程で検査に不正があった(熊本日日新聞 1月25日)。またもや「検査の不正」である。こちらも無資格者が検査していた点でこれまでのケースと同じだ。さらに半導体のデータが改ざんされていた。
 これらについて、「製品の安全性や性能に問題はなかった」との説明もいつものように「繰り返される」。つまりは、製品としては問題がなかったというわけだ。おそらく現場でも不正は認識しながら「品質に問題はないから」といった理屈で放置されたままだったのだろう。これまた「結果が問題なければそれでよし」、ただし「バレたら仕方がない」の流れである。
 不正に関わったのは13人ということで組織性を否定しているが、人数の多寡が問題ではない。そして、「不適切な検査を許してしまう仕組みがあった。現場まかせで上司の監督が不十分だった」と釈明する。しかし、半導体の改ざんは2004年からだと言うから、組織として「気づかなかった」では済まされない。この時点では子会社を含めて検査不正が288件とされていたが、その後「新たに検査不正など5000件」との見出しになった(日経3月28日)。
早朝夕刊:「劣化」抑制のポイント 2019/09/20 Fri (6:24am) 6517 昨日の続き
 
およそ「生きとし生けるもの」が「劣化」し続けるのは、「生きる」ことに伴う必然である。したがって、「劣化」を完璧に抑制する特効薬はない。そうした中で、「①若い力、とりわけ新人を活かす」「②効果的な異動を実施する」2点は組織の健康維持あるいは改善に貢献する。これに関連して、高齢者にはきついが、「③退き際を誤らない」も追加しておくべきか。個々の構成員が劣化を避けられないのだから、組織が生き続けていくためには「バトンタッチ」が必須である。いわゆる「世代交代」である。そもそも、地球上にいる生きものすべてが、「DNAのバトンタッチ」を脈々と続けてきた成果物なのである。
 
車内エイゴ 2019/09/20 Fri 6516
 
「ザ・ドア オブ ザ・ライトサイド ウイル オープン」。これは私がJR東海道「こだま」、JR西日本とJR九州の「さくら」で聴いた車掌の車内放送である。英語の原文は〝The doors of the right side will open〟であることは明らかだ。ただし、私に言わせれば苦笑を誘うほど「カタカナ英語」なのである。細かいことを言えば、JR九州の「さくら」に乗車していた年配の車掌が、やや「英語ッぽいなあ」と感じた。
 これらがインバウンドを意識していることは誰にだってわかる。「どうしてもう少し英語っぽく言えないんだろう」。私が抱いた素朴な疑問である。もちろん、ネイティブ顔負けの発音を要求するつもりは微塵もない。それにしても「意図的」ではないかと思えるほどのレベルなのである。私が利用した3社で共通していたため、そんな思いに至ったわけだ。
 これを聴いた外国人たちがどんな印象をもつだろうと余計な心配をする。それなりに自然に耳に入ってくるくらいの流ちょうさがあるべきではないか。すでに海外からの旅行者たちから車内で問いかけられる機会も増えているはずだ。「意図的」というのは私の誤解であってほしいと思うけれど。
 
早朝夕刊:「生けるもの」と「劣化」 2019/09/19 Thu (6:12am) 6515
 
組織はそれぞれ固有の風土をもっている。和辻哲郎風に言えば、それが人間の思想や文化に影響を及ぼす。さらに、思想や文化は人々の「行動」に繋がっている。まずは風土があり、そこで醸成される思想・文化とそれに伴う人々の行動が組織の行動規範を形成していく。
 私はこの「行動規範」と「常識」は同義だと考えている。その常識が組織としての振る舞いを決める。それが組織の成長に貢献することも、その存続を危うくすることもある。そもそも「生きもの」は誕生したときから終焉に向かってスタートを切る。そして、生きている限り「劣化」する力を生成し続ける。人が構成する組織も「生きもの」である。
高齢者の運転免許更新 2019/09/19 Thu 6514
 
運転免許を更新した。何分にも「花のフリーター」だから、免許センターへ平日に出かけた。更新手続きは2階だが、エスカレーターを昇ったら目の前に受付の人がいた。「高齢者の更新です」と伝えると、必要書類と免許証の提出を求められた。
 書類を書いて第一の受付に渡してから第2の受付へ進む。そこで更新手数料2500円と交通安全協会費2000円を支払う。それから視力検査だが、軽くクリア。目はいいのである。その後、窓口に書類を提出して椅子で待っていると、写真撮影で名前を呼ばれた。一度に呼ばれたのは3人で、待つ間もなく終了。まだ仕事をしているので残暑厳しき折りながらネクタイを着用していった。もちろん、違反した際に警察官に見られることを意識したのではない。危機管理上、運転免許証の提示がないと入れないところがある。そんなときは免許証の写真と生顔をしっかりと比較さるから、ポロシャツよりもネクタイ付きの方がカッコウつくわけだ。
 写真を撮り終えて数分で新免許証を手渡された。全行程で15分ほどだった。高齢者講習受講の効果があって(?)、あっという間にゲットした。
 
早朝夕刊:おもしろ答案「辞典」 2019/09/18 Wed (6:36am) 6513 7月22日の続き
 
学生の答案に「浦づけ」と記されていた。もちろん「裏付け」の誤りで、本来は「記載されたことがらを証明するために文書に裏書きすること」(【精選版 日本国語大辞典】)である。文字通り「裏」に「書き付ける」のだ。さらに、「③物事を他の面から確実にすること。また証明すること。また確実にするもの。証明するもの。証拠」とワンサカ列記されている(同辞典)。今日ではこの意味で使うのが一般的である。
 一方、「浦」は主として海岸や海辺などを指している。したがって、海岸に船が着くときなどは「浦づけ」になるのかしら。答案には試験内容とは関係のない「裏付け」が記されていることもある。
 
「これまでもあった」症候群 2019/09/18 Wed 6512
 
2018年6月14日、山陽新幹線で人身事故が起きた。北九州市内にある高架橋に設置された検査用の足場から侵入したと思われる。それは福岡県内に住む52歳の男性介護士で自殺と推定されている。電車は博多発の「のぞみ」で、JR西日本は確認のため新下関駅で停車させた。その結果、先頭車両の先端が割れているのを確認した。
 運転士は「ドン」という異常音に気づいていたという。ただ、過去に小動物に当たったことがあって、このときも同じだろうと考えて運行を続けたらしい。新幹線の軌道内に「人が入ってくる事態」は想定外と言えるほどきわめて「確率が低い」に違いない。これに「過去の経験」による「思い込み」が加わったのである。そこで「その場で緊急停止」することには「抵抗」があったと推測される。
 ただ、JR西日本の場合、さまざまなトラブルが起きると「とにかく走らせる」ことを優先させる価値観とそのプレッシャーが共通の要因として働いている印象を受ける。それが運行関係者に「できるだけ止めない」「できれば止めたくない」という気持ちを起こさせるのではないか。それでも小倉駅で運転士が確認するのが当然のことだった。
 
早朝夕刊:個々の引き出す 2019/09/17 Tue (5:47am) 6511
 
JALは12日の成田・中部便に乗務予定だった副操縦士からアルコールが検出され交代させた(熊本日日新聞 9月14日)。このため15分遅れの出発となったが、本人を解雇処分するという。同社では8月にも鹿児島・羽田便の副操縦士がアルコールのために諭旨解雇されている。
 JALとしては飲酒に関して厳しい条件を付け、さらに注意喚起をし続けているに違いない。それでも同じことが繰り返される。こうなると、まずは検査を厳密にし基準超えの場合は即解雇の厳しい対応をするしかないのか。世の中では、ある行為が大問題になり、それが発覚すれば窮地に追い込まれることがわかっていても同じことをする人が絶えない…。
 
女性社員の発見 2019/09/17 Tue 6510 15日の続き
 
〝THE JAPAN THAT CAN SAY NO:Shintaro ISHIHARA〟は「Noと言える日本」の英語版である。前書きは〝Japan as No.1〟の著者Ezra F. Vogel氏が書いている。その第3章に、あるエピソードが記されている。
 熊本の川尻にあるNECの半導体工場では他の工場で発生しない多くの不良品が出ていたが、その原因が掴めないままでいた。そんなある日、女性従業員が通勤途上に工場近くの踏切で待っていたところ、長い貨物列車が通過していった。そのとき彼女は「この振動が不良品の原因ではないか」と直感した。それを責任者に伝えたことから対応策を講じられた。その結果、不良品率が見事に低下したのである。彼女は18歳だったが、石原は「仕事と会社に対して誇りをもっていた」と記したあと、「こうした仕事に対する倫理観は日本の優れた学校教育の反映である」と続けている。
 一昨日はソニーの若い女性が不良品率の低下に貢献したケースを取り上げた。いずれも、現場で働いている人々が意見を出しやすい雰囲気があった点で共通している。原著の「Noと言える日本」はソニーの盛田昭夫との共著だったが、英訳では石原の単著になっている。
 
早出し夕刊:安全セミナー 2019/09/16 Mon (9:45am) 6509
 
もう数年前のことだが、ANAの機内誌「翼の王国」にヒューマンエラー対策セミナーのPRが載っていた。それは、安全を確立するANAのノウハウをセミナーとして商品化したものであった。それを見るたびに、「JALも安全性向上を目的にした教育をしているはずだが、この手のPRはできないだろうなあ」と思っていた。その理由は単純で、1985年8月12日に発生した羽田発、伊丹行きJAL123便の墜落事故の重大な責任を背負っているからである。当事者たちは「安全教育などおこがましい」と批判されることを意識していたに違いない。
私とゴルフ(2) 2019/09/16 Mon 6508 昨日の続き
 
忍者のようにクラブを持った私は思いっきりスイングした。すでに40年以上も昔のことで記憶は定かでないが、数回は空振りをしたはずだ。それから、ようやく当たったボールは、これまたあやふやな記憶ながら飛ぶと言うよりはコロコロと転がった。それを何回かトライして、最後はちょっと程度の距離は出たかと思う。その度に周りのみんなの笑い顔が見えた。
 自慢じゃないが私は「負けず嫌いでない」ことにおいては誰にも負けない自信がある。そのときも「よーっしっ、今に見ていろ」なんて気分にはなりたくてもなれない性分である。そんなわけで、「こりゃあダメだワイ」とすんなり判断した。それ以来、ゴルフとは完璧に無縁なのである。
 ところで、このところ渋野選手が脚光を浴びている。そのきっかけになった全英オープンで優勝したとき、1977年にメジャーを制した樋口久子元女王が渋野選手を「新人類だ」と評していたので思わず笑ってしまった。いまの若者たちが「新人類」という言葉を聴いたら「新語か」と勘違いするかもしれない。「新人類」は前世紀末に「旧人類たち」の間で流布されたもので、今日ではすでに「死語化」している。
 
早朝夕刊:個々の引き出す 2019/09/15 Sun (5:42am) 6507
 
ソニーがトランジスタを製造しはじめたころ、集団就職で採用した女子社員に仕事に対して厳しい姿勢の者がいた。彼女は自分のつくる結晶の良品・不良品率と製造工程をフォローした。その結果が上司に報告され、歩留まりが大きく向上する。さらにそれが添加物の変更にまで繋がっていった。こうして、不良品率の低下だけでなく、トランジスタの性能そのものが飛躍的に伸びたのである(【ミネルバ日本評伝選 井深 大】)。
 何ともいい話ではないか。現場で働く者が自ら進んで問題を発見し、それを上司に伝える。それを可能にする風土が組織全体の力になるのである。その重要性は時代が変わっても変わることはない。
 
私とゴルフ 2019/09/15 Sun 6506
 
ゴルフは遠く離れた地点にあるホールに向かってボールを打ち、それに要した打数の少なさで競う。この点は単純明快だから、そのことも知らない人は皆無に近いだろう。仮に知らない人がいても、一言説明すれば誰だってすぐにわかる。もちろん、様々な約束事はあるはずだが、それは少しずつ知っていけばいいのだろう。かく言う私が「最低限」のことしか知らないのである。
 私は人生の中で、一度だけゴルフクラブを持ち、ボールを打ったことがある。それは1970年代の初めころだと思うが、荒尾市にある「三井グリーンランド」でのことだ。現在この施設は「グリーンランド」と改称している。集団力学研究所がグリーンランドから管理者のリーダーシップと従業員のモラールに関する調査を依頼された。そこで西鉄大牟田線で現地へ出かけた。調査は原則として職場単位で実施することから、ゴルフ関連の仕事をしている方々については打ちっぱなしのところまで行った。そのときに、「打ってみませんか」と誘われたのである。
 まずは忍者もどきの手の組み合わせ方でクラブを持つように教えられた。これで準備万端、人生ではじめてスイングをした。
 
早朝夕刊:「いまのまま」 2019/09/14 Sat (6:30am) 6505
 
あらゆる「モノ」は安定を求める。その典型が「慣性の法則」である。つまりは外から力が働かない限り、モノは「いまのまま」を維持する。これは「モノ」からできている人間がもっている「こころ」についても当てはまる。これが私の仮設である。
 そこを基点に人間の行動についても理解していきたい。「いまのまま」には「静止」と「運動」双方がが含まれる。環境が変化すれば、「いまのまま」を維持するために自らが「変わる」ことで対応する。それがうまくいかなければ、「いまのまま」でなくなってしまう。そうなったときは「そのときの状態」が「いま」となって、これを維持する力が働くことになる。
 
人間「井深 大」 2019/09/14 Sat 6504
 
ソニーの創業者は井深大と盛田昭夫とされるが、一般的には盛田の方が認知度が高そうだ。しかし井深は人間としてきわめて興味深い人物である。
 彼はクリスチャンだったこともあり、早稲田高等学院のとき学生寮「友愛舎」で生活した。当時の入寮生の中には礼拝をサボるものがおり、禁酒禁煙にも拘わらず別棟に灰皿が置かれていた。これに腹を立てた井深はトップの宣教師に抗議したが改善は図られなかった。また、その住居には垣根が張り巡らされ、「立ち入り禁止」の札が立っていた。これも「汝の隣人を愛せよ」の教えに反すると、住居の前にあった大木を切り倒し、さらに立て札を燃やした。そんなわけで井深は寮を出ることになった(【ミネルバ日本評伝選「井深大」】)。
 そもそも世の中では建前と現実は乖離しがちである。それは日本文化に特有なものではなく、「全人類の特性」である。とりわけ宗教は「精神性」や「倫理」「德」といった言葉が重要な役割を演じている。その世界でも「建前」どおりにいかないのである。しかも、それを組織のトップが「実践」するのだからやっかいなことだ。井深の行動には彼の人間性があふれている
 
Short shot:あっていいわけがない 2019/09/13 Fri (6:08am) 6503
 
ホテルの朝食バイキングのテーブルに親子3人がいた。子どもは2歳くらいだろうか、女の子である。母親が取ってきたパンを顔一杯にして食べている。クロワッサンが顔の半分くらいも大きい。その所作はこの上なく可愛く、見ている方もつい微笑んでしまう。そのとき、私の目頭が熱くなった。こんな小さな子どもが虐待され命を失っている。その中には「お詫び」まで書かされた子どもがいる。そんなことがあっていいわけがない。
 
ゴジラの堕落 2019/09/13 Fri 6502
 
ゴジラは怖い怪獣だった。山の向こうから突如として現れたゴジラはとにかく怖かった。映画の山が、私の本籍地門司にある「戸ノ上山」に似ていた。父方のおばあちゃんと伯父夫婦が住んでいて、盆暮れには一族郎党が集まった。そんなとき、みんなで「戸ノ上山」に登った。小学1年生から2年生のころまで、山の向こうからゴジラが現れるのではないかと心配した。そんな怖いゴジラは「キングコング対ゴジラ」までだった。
 それからゴジラは変身していくのである。私に言わせれば堕落の一途を辿る。その極みがゴジラの「シェー」だった。私の年代に近い方でないと、その意味が理解できないだろう。赤塚不二夫の漫画「おそ松くん」に登場数するイヤミ氏が両手で顔を挟み、左足を上げて「シェー」と叫ぶギャグである。そしてついには「ゴジラの息子」まで出て来る始末。しかもゴジラが正義の味方に堕落してしまう。金属製のメカゴジラだなんて「やめてくれーっ」と絶句した。
 とにかくゴジラは怖くなければいけないのである。はじめてアメリカ版のゴジラが作られたときは、体型に違和感があった。ただし、怖いゴジラだった点は評価できた。
 
早朝夕刊:「枕上」の「アイディア」 2019/09/12 Thu (5:50am) 6501 昨日の続き
 
私の場合、「厠上」は第2の書斎であり読書が中心になる。もちろん、そこで「ひらめく」こともある。
 私にはこれに加えて「四上」目がある。それは風呂の中だから、「浴中」と言うべきか。ここで興味深いのは、問題を抱えていて何とか解決策を見出そうとしているときに「ひらめく」ことはほとんどないことだ。むしろ、そうした問題を忘れきって心底からリラックスしていると、キラリとした光が見えてくる。「リラックス=心の弛緩」と「アイディア=ひらめき」は相性がよさそうに思える。ところで、本コラムのネタはどうかと考えてみた。それは「寝ても覚めても、時とところを問わない」が正解だろう。
 
カード化社会 2019/09/12 Thu 6500
 
おそらく国中のオフィスのほとんどの机上にPCが置かれている。その前に座っているのは年齢・性別、さらには地位の違いはないだろう。学校の校長室の机上にPCがあるのも当然である。私たちの年代の者から見れば、これが働く場所の光景としてもっとも変化があった部分だ。つまりはほとんどの人間がPCを使っている、あるいは使わないと仕事にならなくなっているのである。
 その一方で日本人は現金志向が強く、とりわけ高齢者にカード決済などは無理強いだという意見もある。また政府が消費税率引き上げに合わせてカード化を無理やり進めようとしているという批判的な声も聴く。もちろん、すべてのものごとにはプラスとマイナスがある。私自身はかなり昔からカードを使っていて、そのメリットを強く感じている者の一人である。とりわけ小銭がいらない、おつりをもらうこともないから支払いがすぐに済む。さらに何に使ったかを知りたければPCで明細を確認できる。
 ともあれ、カード化するかどうかは個人の選択である。ただ、1970年代からPCを使っている私には、そう遠くないうちに老若男女がカードを使っている光景が日常的になると思える。
 
早朝夕刊:「枕上」の「アイディア」 2019/09/11 Wed (5:20am) 6499 昨日の続き
 
さて、「馬上」「枕上」に続く第三の「上」は「厠上」となる。これも「わかる、わかる」と歓喜する。私にとってトイレは第二の書斎なのだ。現在、「ミネルヴァ日本評伝選 井深大」にはじまり、高齢者講習で配付された「Safety Driving シニアドライバー用」、堤清氏と義明氏兄弟が主役の洋書〝THE BROTHERS(著者は Lesley Downer)と続く。さらにマルクスの「資本論」は第三巻第一部を「読破中(?)」である。それが終わると厠書斎におけるラストであるIAEA(国際原子力機関)が発行した〝GSR Part2:Leadership and Management for Safety〟に目を移す。こうしているうちに用は済む。
 
タクシーとカード決済(2) 2019/09/11 Wed 6498 昨日の続き
 
タクシーがホテルのエントランスから移動したとき、過去の「苦い体験」が蘇り、今回も「道具一式」が出てくるかと覚悟した。ところが、運転士はスマートフォンの「ようなもの」を取り出した。そしてほんの少し繋がるのを待っている様子だった。それから「ここにサインして下さい」と言ってその機器を差し出してきた。
 そこには白いスペースがあった。「えっ、これって手で書くんですか」「はいそうです」ということで、私は人差し指で名前を書いた。どう見ても「変な字」である。とくに「道」や「雄」の「横棒」は指書きでは潰れてしまう。それでも運転士はスマートフォンの「ようなも」のにカードをセットした。通信がうまくいったのか、サインを見て「これって何と読むのですか」と聴いてきた。「ヨシダミチオ」です。運転士はカードのローマ字表記を確認して、「はい、けっこうです」で支払いが完了した。このとき、カード裏の漢字で表記されているサインを見た気配はなかった。
 こうして、通信によるカード決済が本格化してきたことを実体験したのである。ただし、「あのサインで本人確認ができるのだろうか」という疑問は残った。
 
早朝夕刊:「枕上」の「アイディア」 2019/09/10 Tue (6:13am) 6497 昨日の続き
 
何「馬上」のつぎは、「枕上」である。ただ枕の上に頭を乗せて寝ていればアイディアが浮かぶのか。いつもそうであれば、この地球上は発明と発見の山となってしまうだろう。この「枕上」というのは目が覚めてすぐの時間を指しているらしい。私には、その心当たりはたしかにある。
 今朝も「異動」という文字が頭に浮かんだ。組織における「異動」が「移動」と違うことをしっかり押さえる。それによって「異動のあり方」について議論できるというアイディアである。ともあれ、世に知られた発明や発見も「夢」がヒントになった」というケースはよく聴く話である。そんなことで、皆さんしっかり夢を見ましょう。
 
タクシーとカード決済 2019/09/10 Tue 6496
 
大分に出かけた。出張の際は原則オールカード払いで済ませる。昨年まで大分のタクシーはカードが使えないケースもあった。それが今回はすべてOKになっていた。駅前に並んでいた先頭車が個人タクシーだったので使えない可能性もあるかと思ったが、そのまま乗った。しばらく走って目的のホテルに着いて「カードでいいですか」と聴くと「少し時間がかかりますがいいですか」と問い返された。
 その瞬間、過去のことが頭に浮かんだ。運転士がダッシュボードからソコソコ大きな道具をゆっくり取り出す。それからカードを道具にセットしてバーをスライドさせる。さらに運転士が金額を手書きして、当方がそれにサインする。最後はカーボンコピーの売り上げ票をもらっておしまい。ただし、道具一式を取り出すときに「面倒くさいなあ」という空気が充ち満ちていた。
 今回も「時間がかかる」という声に昔の体験が蘇った。そんなわけで「現金でもいいですよ」と言おうとしたが、運転士はすでにその気になっていた。「ちょっと邪魔になるので動かしますね」と言いながら、ホテルのエントランスに止めたタクシーを5、6mほど先の方へ移動させた。
 
早出し夕刊:移動と「アイディア」 2019/09/09 Mon (9:03am) 6495 昨日の続き
 
何にでも興味関心があると、「どうしてこうなるのか」「これはどうすればいいか」「いい方法はないか」等など脳みその中で火花が飛んでいるのだろう。そうした火花を意識して結合するのはむずかしい。それが「移動」中に一本の回線として繋がる。それも探し求めていた解決策だったりする。
 私としては「移動」という点で共通する「歩行」も追加したい。人間は歩いているときも大脳の中では信号が飛び交っている。私もウォーキング中に思いがけなくいいアイディアが浮かんでくることがある。それも「これはあの歩道橋を渡っていたときに思いついたなあ」などとその風景と結びついているのがおもしろい。
 
時間と人生の充実感 2019/09/09 Mon 6494 
 
Those who have most to do, and are willing to work, will find the most time.(Samuel Smiles 1812年~1904年)なすべきことがたくさんあって、こころから仕事に力を尽くせる人が最も多くの時間を見つけ出すことができる。スマイルズは英国の作家で医者である。私なりに意訳したのだが、多くのことに興味関心をもち、前向きに仕事をすることによって意味のある人生を実現できるのである。
 そんな人にとって、時間はあっという間に過ぎ去っていくのだろう。そうなると、心理的な人生も短くなってしまいそうである。それがいやなら「退屈この上ない仕事」を選ぶといい。それなら間違いなく時間はゆっくり進むはずだ。しかしながら、後者の方がいいという人はほとんどいないだろう。
 私は[人生の充実感・価値=1/心理的時間]、つまり「心理的な時間は人生の充実感や価値と逆数の関係にある」と考えている。「あっという間」は限りなく「0」に近い。したがって、その逆数は「限りなく無限大」になるわけだ。ただし、「短い時間」は、仕事に積極的に取り組むことで実現される結果である。「時間が短くなれ」と祈って得られるものではない。
 
早朝夕刊:3つの「上」 2019/09/08 Sun (6:51am) 6493 
 
私たちは「ひらめき」によって大きく前進したり、それが発明や発見に繋がることもあります。この「ひらめき」はどのような状況で生まれるのでしょうか。中国・北宋時代の欧陽脩という人は、それを「三上」という言葉で表現しています。「三上」とは、馬上・枕上・厠上です。
 馬上は馬に乗っているときですが、今日ではそうした機会はほぼありませんね。これに近いと言えば車や自転車に乗っているときでしょうか。ただし、あまり考えごとをしていては安全上の問題が出てきますが。その点、電車やバスの乗客であれば心配ありません。私も移動しているときに面白いアイディアが浮かぶことがよくあります。
 
「味な話の素」と「日記」 2019/09/08 Sun 6492 
 
ブログ (blog):World Wide Web上のウェブページに、覚え書きや論評などを記すウェブサイトである。「WebにLogする」のウェブログ (weblog) をブログ(Blog)と略称する(Wikipedia)。この定義だと「味な話の素」はかなりの部分が「論評」だから「ブログ」になる。
 また、「個人の日記などを、簡便な方法で作成し、公開することができるウェブサイトの総称」というものもある(デジタル大辞泉)。
 私自身は本コラムを「日記」とは考えていない。その理由は「日記」は別に書いているからである。こちらは万年筆にこだわって手書きである。私の日記は小学生時代の絵日記にはじまり、中学生のときには「當用日記」にもチャレンジした。本格的な「日記」は高校生になってから書き始めた。そしてほぼ54年前の1964年11月19日(木)からは今日まで続いている。今日で20015日目になる。まさに「塵も積もれば山となるだなあ」と実感する。ときおり本コラムで過去の日記を取り上げているが、その際は「解説付き」であり、「日記」そのものではない。私としては2003年4月29日にスタートした「味な話の素」はあくまで「味な話の素」なのである。
 
Short shot:生かされている 2019/09/07 Sat (9:59am) 6491 
 
まことに月並みながら、私たちは「生かされている」ことを念頭に置いて「生きていく」べきだと思う。宇宙がなければ、地球がなければ、生きものたちの祖先がいなければ、先祖たちがいなければ、それを生かしてくれた食べ物がなければ、社会がなければ、他人がいなければ、とにかく「あれもこれも無数に」なければ、あるいはいなければ私はいない。自分の力で生きているなんて、まさに天文学的勘違いだ。ありがたや、ありがたや。
 
丹羽宇一郎著「死ぬほど読書」(14) 2019/09/07 Sat 6490 7月16日の続き
 
いつも月日は「あっ」という間に走り去る。丹羽宇一郎著「死ぬほど読書」からピックアップしていたシリーズも最後は7月半ばだった。そのときは「西田哲学が訳のわからない難解さで、それ故に高尚だと思い込んでいる人がいるのではないか」といった批判のところで終わっていた。そうした流れに乗って、丹羽氏は「関心があっても、緑のない本もある」と続ける。

 私は学生時代、左翼運動をしていて、左翼思想の理論を熱心に読んでいました。なかでもマルクス(1818~l883年)の『資本論』は、学生運動をしている者にとっては必読書でした。当時、私は検察官か弁護士になろうと思って、司法試験の勉強もしていました。ある夏休みに避暑を兼ねて試験勉強をしようと長野へ行ったことがあります。 そのとき勉強の骨休めにと思つて『資本論』を持って行きました。

 丹羽氏は1939年生まれで私より9歳上になるから、今年80歳である。丹羽氏が学生のころは1960年の日米安全保障条約改定反対、いわゆる安保闘争の時期と重なっている。改定に反対する学生や人々が国会議事堂を取り囲み騒然となった。そして、最前線にいた者たちが議事堂へ突入を試みた。
 
モニターテレビの主役 2019/09/06 Fri 6489 昨日の続き
 
通常の歯ブラシで歯を磨き、続いて電動歯ブラシで仕上げをしている男性がモニターテレビに映っていた。スタートは洗面所だが、歯ブラシを口に入れるとリビングに向かい、そこでテレビを点けたり、眺めたりする。もちろん最後は洗面所に戻って口をすすいで終わる。
 このモニターテレビ、じつは「私の頭の中」にあるものだ。そして、映っている主役の男性は私である。ともあれ、こうした「儀式」を毎日繰り返している。もちろん歯磨きそのものはほとんどの人間が世界中で繰り返しているはずである。ただ、そうした人たちと「この男性」の違いは、後者が一瞬たりとも「じっとしていない」こと、もっと正確に言えば、「ウロウロしまくっている」ことにある。それは出勤時の着替えにも当てはまる。シャツやズボン、そして靴下にハンカチを所定の場所で取り、それを身につけながらテレビの前に移動する。
 子どものときは親戚から「この子はいつもチョロチョロしている」と一定の評価を得ていた。それが古稀を超えた現在まで続いている。研修で6時間ほど過ごすときも座っている時間はほんの少しである。とにかく落ち着きがないのである。
 
モニターテレビの男性 2019/09/05 Thu 6488 
 
モニターテレビに男性が映っている。どうやら自宅の状況のようだ。まずは男性が洗面所で歯ブラシを取り練り歯磨きを付ける。何となく「付けすぎ」を気にしている様子だ。それから歯ブラシを口に入れると歩きはじめた。その行き先はリビングで、すぐにテーブルの上にあるリモコンでテレビを点けた。画面が出ると間もなく洗面所に引き返していく。
 それから口をすすぎ、歯ブラシを元の場所に戻すと、今度は電動歯ブラシを手に持った。それを口に入れるとスィッチをいれた。その後、また歩きはじめたかと思うと先ほどのリビングに至って、食卓の椅子に座る。目線はテレビに注がれている感じがする。ただし、電動歯ブラシの音がそれなりのものだから、本人にテレビの音声がちゃんと聴こえているのかどうか軽い疑問が残る。その様子から、とくにテレビの番組を注視しているようには見えない。どちらかと言えば、「画面を眺めているだけ」といった雰囲気が漂っている。そこそこ丁寧に磨いているようだが、しばらくすると椅子から立ち上げり、洗面所へと帰って行く。そのタイミングを見計らったように、電動歯ブラシの運動が止まったようである。
 
他者への応援 2019/09/04 Wed 6487 
 
たまたまWOWOWにチャンネルを合わせたら女子ゴルフを中継していて、白人系の選手が最後の一打を打っているところだった。これをパット(putt)と言うことを知ったのは、それほど昔ではない。辞書では「ゴルフで,グリーン上の球をホールに向けて打つこと」となっている(大辞林)。
 ともあれ最後の一打だからそのまま見守った。ボールがホールに近づいたとき、選手が膝を曲げた。これは「入れ、入れーっ」とこころのなかで祈りながら思わず出る動作である。画面の端には、もう一人女性がいてやはり同じように腰を落とした。こんな近くにいるのだからキャディが一緒になって「入れーっ」と祈っているのだろうと思った。しかしながら無情にもボールはわずかにホールから外れてしまった。
 アナウンサーが解説者に「コ・ジンヨンも膝を曲げてましたね」と言ったので、韓国の選手だとわかった。ご本人の真意はわからないが、人のプレーに対しても「入れーッっ」と応援しているようで素晴らしいと思った。ネットでチェックすると、彼女が優勝していた。強者の余裕と言えばそれまでだが、私たちの仕事でもこうした態度をとりたいものである。
 
Short shot:表紙写真② 2019/09/03 Tue (6:29am) 6486 
 
羽田空港の朝焼け雲も美しい。まだ6時前だというのに空が朱色に染まる。実際、関東と九州では体感で1時間ほどの差を感じる。秋から冬にかけて東京は夕方4時ころから次第に暗くなる。九州人にとってはいかにも早い夕暮れになる。大相撲九州場所は11月に開催される。中継では中入り辺りに翌日の取り組みが、博多湾辺りを背景に映し出される。この時点ではまだ明るさが残っている。これをすでに真っ暗になった東京で観ていたりする。
 
若者の遠距離投票 2019/09/03 Tue 6485 
 
〝Yes-man〟の私は2期8年に亘って「熊本県明るい選挙推進協議会」の会長を務めたことがある。その後、選挙権が18歳以上に引き下げられた。それでも若者の低投票率は悩ましい問題であり続けている。私は在任中から「衆議院選挙に海外からでも投票できるのに、地元外の大学に通う学生が投票できるようにすべきだ」と提案してきた。本来は生活しているところに住民票を移さないといけないことになっているのだろう。
 私は息子が福岡の大学に進学したとき、父親の「独立への贈り物」のつもりで住民票を変更した。ところが、それによって熊本市が主催する「成人式」にお呼びが掛からないといった問題が発生した。選挙があるたびに地元に戻って投票しないといけないのであれば、近距離ならいざ知らず、わざわざそのために帰省しろと強制もできない。とくに暮れの選挙などになれば交通関係はチケットも取りにくくなるし、航空運賃などは高止まりする。
 このごろ、ようやくネットによる投票の議論がはじまった。法律的な整合性を保つことは大事だが、しっかりスピードアップしてほしい。この件、すでに本欄で触れているが、まだ実現しないままである。
 
早朝夕刊:表紙写真① 2019/09/02 Mon (5:59am) 6484 
 
熊本県山鹿市にある鞠智城は大和朝廷が7世紀後半に築いた山城で国の史跡に指定されている。写真は八角形鼓楼で、まだ夏の雲の名残のある9月の青空を背景に歴史を感じさせる。社会科で「白村江の戦い」を学習した。それは663年のことで、大和朝廷は唐・新羅の連合軍に大敗した。その後、彼方からの侵攻に備えて築かれた城の一つなのである。
 大宰府やそれを守る大野城・基肄城(基山に築かれた山城)に武器・食糧を補給する支援基地だった。この城は国の歴史書である「続日本紀」にも記載されている(鞠智城・温故創生館ホームページを参照)。九州の対馬からは朝鮮半島の街の灯が見えるほど近いのである。
フランスとイタリアの仲 2019/09/02 Mon 6483 
 
今年の2月8日時事通信の配信で「仏、駐伊大使召還へ=大戦以降『前例ない挑発』」という見出しが載った。フランス外務省が駐イタリア大使を召還すると発表したという。両国は難民問題などをめぐって関係が悪化して、イタリアのサルビーニ内相が複数回にわたってマクロン仏大統領を「劣悪大統領」呼ばわりした。また、ディマイオ副首相がフランス全土に広がった反政権デモへの支持を表明したらしい。
 これに対してフランスの外務省が「最近の内政干渉は新たな挑発であり、受け入れがたい。大戦以降、前例のない事態だ」と強調する声明を発表するに至った。そして、「両国関係をめぐる伊政府の真意に疑いをもたらす」と指摘した上で、「友好関係と相互尊重を取り戻すため行動するよう求める」とイタリアに呼び掛けた。
 本コラムでも折に触れて「近くの国同士で仲が良くないケース」があっちこっちで見られるという話題を取り上げてきた。上記の発言の単語を一部入れ替えるだけで、このごろのお隣の国との関係を伝えるニュースと重なってしまう。その後、彼の二国はどうなったか知らないが、当方は展望がなかなか開けないでいる。
 
早出し夕刊:ザ・デストロイヤー 2019/09/01 Sun (9:12am) 6482 
 
プロレスラーの〝ザ・デストロイヤー〟がこの3月に88歳で亡くなった。戦後の鬱屈した国民を空手チョップでスカッとさせた故力道山の好敵手だった。私が中学生のころ「四の字固め」の必殺技を誇った悪役だった。かなり露出度の高い白マスクをかぶっていたが、ときには流血で額の辺りが赤く滲んだりもした。
 しかし、力道山が亡き後はジャイアント馬場とタッグを組むなど、一転して正義の味方になった。日本テレビの「うわさのチャンネル」では和田アキ子たちを相手にコメディアンも演じた。いまから2年前の2017年には秋の受勲で旭日双光章を贈られている。ともあれ、ある年代層の日本人には懐かしい人だ。
 
合格発表の日 2019/09/01 Sun 6481 8月31日の続き
 
〝吉田道雄〟。この名前を見る為にどれだけの精神的苦労をしたか。親たちと離れて一年半、とにかく頑張ってきたのである。様々な苦労やいやなことがあった。しかし今は「とにかくよかった」の一言しか私に言える言葉はどこを探しても出てこない。お父さん、お母さん、そして〇〇よ(妹の実名)喜んでくれ!!俺はやったんだ!!お父さん、お母さん、私はあなた方の身近にいる以上の苦労と心配をなさったことをよく知っています。でも今はもう「有難う」の一言しか、私には言うことばがありません。

 1967年3月16日木曜日の日記である。父が転勤で家族は長崎へ移った。私は福岡高校で卒業したいと主張して、2年生の二学期から福岡で父が関係している組織の「子弟寮」に入り、そこで受験を迎えた。寮では私以外はすべて大学生で時間の過ごし方が完全に異なっていた。そうした環境での受験勉強に「苦労」や「いやなこと」が伴うのは自然の成り行きだった。合格発表は午前零時で交通機関は途絶えているから先輩のSさんと大学のある箱崎から室見の寮まで歩いて帰った。地図で計測すると10kmほどあるから、2時間以上はかかったことだろう。