10月号 No.187 2018年11月号(6019-6048) Since 2003/04/29 No.187 2018年11月号(6019-6057) Since 2003/04/29

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味な話の素
Short shot(5:50am) 訃報欄 2018/11/30 Fri 6057
 
かなり以前のことになるが、ある組織の方から「私が新聞を開いて最初に目を通すのは訃報欄です」と聴いたことがある。そのとき私は「ああ、組織人というのはそうなんだなあ」と思った。とくに組織のトップともなれば、社会全体の出来事に関心を向けるのは当然として、少しでも関わりのある人が亡くなった際は、即座に適切な対応をとることが求められるのである。私も大学に所属する組織人ではあったが、こうした社会性感度はきわめて低いと自覚している。そうした私だから、集団力学研究所でお世話になった紙谷さんの訃報記事も、翌月の週末に「読み直しチェック」をしているときに気づいたのである。 
第二の「苦=老い」 2018/11/30 Fri 6056 continued from yesterday
 
さて、「四苦八苦」の話である。人生のスタートの「苦」を「生(しょう)」として、つぎは「老」がくる。つまりは、「老いること=苦」というわけだ。しかし、これを「苦」と言われてしまうと、かなわんなあと思う。私の「定義」では、人は生まれたその日から「老い」続けるからである。
 たしかに、20代半ば、いや30代くらいまでは「老い」とは無縁のようでもある。そんなわけで「老い」が「苦」というのは「老人」になるとこと同義だとお釈迦さんは言いたかったのかもしれない。しかし、ちょっと待てよ。肉体的には若者に見えても、精神的には「老いている」と思われる人だっている。
 まあ、いつものようにああだこうだと言っていてもあまり意味がない。私たちは時間という「老化装置」とともに生きる宿命にあるのだ。せっかくなら、それを有効活用することを考えたい。そのためには、「毎日を大事にしながら、かつ楽しく生きる」ことに、生活の焦点を「できるかぎり」合わせていき続くことである。いやあ、何とも月並みな結論で大恐縮である。
 
正月はみんなの誕生祝い 2018/11/29 Thu 6055 continued from yesterday
 
自分たちの基準で「数え年」を笑ってはいけない。お正月にみんな年を取るという発想も「満年齢システム」に慣れきった人間には違和感があるだろう。しかし、われわれの祖先の時代を考えてみるがいい。自分たちが生産した米粒すら口に入らないほど貧窮の中で生きていた人がどんなにいたことか。しかも子だくさんで、全員の誕生日を憶えておくこともむずかしかったに違いない。そんな状況だから、今日のように、一人ひとりの「お誕生日」にお祝いをする余裕など想像もつかなかったはずである。ハッピーバースデイの歌も生クリームがいっぱいのケーキもあり得ないのである。
 それでは昔の人は「子どもたちの誕生日などどうでもいい」と考えていたのか。そんなことはない。すべての子どもたちの誕生祝いを共同体全体のお祭り日とも言える「正月」にする。これほど合理的で経済状況にかなった対応法があるだろうか。子どもに対する虐待や育児放棄が問題になる現状を目の当たりにして、現在人であるわれわれの方が「穴があったら入りたい」という思いになるべきではないか。
 
「十月十日(とつきとおか)」後の誕生 2018/11/28 Wed 6054 continued from yesterday
 
昨日、「生を得た瞬間」を話題にしたので、ついでに付加的な話をさせていただきたい。このネタ、じつは「大昔」に本コラムで取り上げたことがある。ただ、それも風化同然の状況だと確信しているから、「再書き下ろし(?)」というわけである。
 まずは、世の中で流布している「0歳児」という表現に噛みつきたい。生まれたばかりの赤ん坊を「0=無(?)」と呼ぶのはいかがなものか。それは生命に対する冒涜である。これに対して、ご先祖たちが日常的に使用していた数え年はきわめて科学的かつ合理的だ。この世に生まれたときが「1歳」とする。昔の人は「十月十日」と言ったが、まさに「ほぼ1歳」ではないか。これほど「命」を大事にする発想はない。
 それを、母親の体から離れたときから歳をカウントしはじめるなど遺憾千万である。それに、科学的事実にも反している。もちろん、この世の中は法律や社会的な行事等があり、私がいくら絶叫しても「0歳児」という呼称がなくなることはない。そんなことは百も承知しているが、昔の人たちの発想や行為を現在の知識や価値観を基準に「旧い」「非科学的」などと侮辱するのはやめましょう。
 
四苦八苦 2018/11/27 Tue 6053
 
「毎日を『四苦八苦』しながら生きている」などと言う。この世には「苦」が12個ほどあるように思えるが、これは仏教に由来することばである。お釈迦さまが、「人生で思うようにならないもの」を「苦」としたのだそうな。そもそも人生のスタートである「生(しょう)」が「苦」のはじまりらしい。
 私も「the 『人生』」というタイトルで、「私たちは生を得た瞬間から問題を抱える」という話をしている。それも「おぎゃー」とみんなと対面してからのことではない。まさに受精と同時に「死」という「大問題」と直面するのである。そして、それを「死」に至るまで背負って生きていかねばならない。もっとも宗教や哲学によっては、「死=問題」としないケースもあるだろう。そうした見方を認めながらも、私としては、「死」を「問題」として考えたい。ともあれ、「生」を得たときから「問題」を抱えるのだから、お釈迦さまとしては「生」を「苦」の一つに含められたのだろう。
 そうなると、お釈迦さまは「私と同じこと(!)」を見出されたことになる?ただし、世の中では先に発見した方が勝ちだから、この勝負はお釈迦さまに譲るべきか。
 
Short shot(5:52am) 紙谷さんと時の流れ 2018/11/26 Mon 6052
 
紙谷さんは私たちが若いころから集団力学研究所の仕事をサポートしてくださった。はじめてお会いしたのは、黒崎窯業にリーダーシップの調査のために出かけたときである。私が大学3年生だったと思う。それから永い時間が経過して、私が所長を務めたときも役員会等で研究所の活動をいつも評価していただいて、大いに勇気づけられた。白髪が美しく柔和な笑顔で話されるシーンが思い出される。その若者だった私自身がすでに70歳を超えたのだから、お世話になった方々とお別れするのも時の流れということだろう。今年の初めには大先輩の関文恭さんも逝かれた。ただただ、ご冥福をお祈りするばかりである。 
「中堅教諭等資質向上研修」受講者の声(11)2018/11/26 Mon 6051 continued from 11/17
 
先生の話を聞くたび、本当に元気になりました。先生の笑顔がとても素敵でした。また、自分のコミュニケーション能力を振り返るとてもいい機会になりました。学んだことをしっかり生かしてがんばります。ありがとうございました。楽しい研修でした。先生もお元気でお過ごしください。(小学校教諭 女性)

 私にとって「話を聞いて元気になった」という声は最上の評価である。マルクスは「下部構造」ということばを使った。「人間社会は土台である経済の仕組みにより、それ以外の社会的側面(法律的・政治的上部構造及び社会的諸意識形態)が基本的に規定されるもの」だという捉え方である(Wikipedia)。私は「人生」の「下部構造」は「人との関わり」だと思う。この基礎部分が確立されてはじめて相手の影響力も受け入れる気持ちになる。組織のリーダーは専門的な知識や技量に秀でているだけでは十分ではない。それが受け入れられる「関係」があってこそ、「尊敬」の気持ちが生まれる。そんな思いでいるから、伝えた内容の評価は措くとして、まずは「元気になった」と言っていただくことで大いに安堵している自分がいる。
 
Short shot(6:52am) 紙谷良夫氏の訃報 2018/11/25 Sun 6050
 
今年の3月31日付けの熊本日日新聞の訃報欄で紙谷良夫氏が亡くなられたことを知った。新聞には経歴として「九州国際大元理事長、黒崎窯業〈現黒崎播磨〉元副社長」と記されていた。新聞掲載の3日前に当たる29日の午後8時に「急性心筋梗塞のため北九州市の自宅で死去、95歳」とある。ご出身地が八代だということを初めて知った。こうした背景もあって、熊本の地元紙も掲載したのだろうと推測した。じつは、紙谷さんは(財)集団力学研究所の副会長を務められた時期があり、いろいろとお世話になったことを思い出した。 
高さんからの手紙(88)2018/11/25 Sun 6049 continued from 11/18
 高さんは1983年に集団力学研究所が開催した国際シンポジウム「21世紀の労働と人間」の成功を得て退職を決めたという。その間の事情を「高さんの手紙」で見ることにしよう。

 私もソロソロ選手交代の時期が来ていると思わざるを得なかったのです。第一に国際化には適していないこと。小生山口で小学校6年生のとき終戦を迎えましたが10月に進駐してきたアメリカ軍のジープや大型トラック群に圧倒された体験があります。どうもあれ以来欧米コンプレックスの卜ラウマがあるようです。これは小生だけのことではないらしく九大時代の寮仲間でも海外で活躍したという話は殆んど聞きません。(まあ佐々木君は当時船でミシガン大学に行きましたが)第二に研究活動に本当は向いていないということがありました。小生最後は短大の教師などをやり世間では一応グループダイナミックスの研究者ということになってはいるのですが、実は最初から研究者志向ではなかったのです。

 ここで引用されている「佐々木君」とは佐々木薫関西学院大学名誉教授のことで、「集団規範の研究」で知られている。高さんが集団力学研究所を退職した理由の一つが「国際化」だったということは、この手紙ではじめた知った。
 
10年目の「公開講座」 2018/11/24 Sat 6048 continued from 11/15
 
あっという間に「公開講座」が10年目を迎えた。この年、1993年の講座数は7つで、その第2講座は「現代っ子の性と心の教育 -性教育と不登校問題を通して-」である。講師は木村正治助教授と緒方明助教授のお二人で、熊本市総合女性センターで開催されている。夏休み中の8月18日(水)と19日(木)の2日間14時間、対象者は市民一般(とくに現職教師・保護者)で定員は150名である。木村先生は私が所属していた教育実践総合センター長を務めておられたときに急逝された。
 さて、この年の私は第6講座で「教師のためのコンピュータソフト入門」を8月9日(月)と10日(火)、「リーダーシップ・トレーニング」を8月18日(水)と19日(木)のそれぞれ2日間開講している。ここで注目すべきは時間で、いずれも9時から19時という長時間で、2日間で19時間になる。定員は「コンピュータ」が28名に対して「リーダーシップ・トレーニング」は42名である。
 「リーダーシップ・トレーニング」の場合、スタートの前年はで25名と控えめにし、さらに「事前の根回し」もしたが、2年目は一気に強気に出た。第1回目に参加していただいた方々の口コミによる効果が絶大で、この人数でも十分にいけると判断したのである。最終的には38名と定員には達しなかったが、「これなら継続できる」という気持ちと自信が生まれた。なお、受講料は6,100円に改定(つまりは値上げ)されている。
 
アクシデント(4) 2018/11/23 Fri 6047 continued from 11/14 
 
とにかく突然の出来事でした。前方が直進の道路ではなく駐車場だったことがわかり、「おやおや、どうしたことか」と車を止めた瞬間に右側からぶつかってこられたのです。そのとき車が揺れ、乾いた音がし、かつ私が「やめてよ」と叫んだのは、ほとんど同時だったと思います。
 まあ、こうなってしまったからには仕方ありません。運転席から先方に合図して、とりあえずそのまま目の前の駐車場に入って車を止めました。相手は軽自動車でしたが、最初から「すみません」と言ってきました。年齢は20代から、ひょっとして30代前半かといった感じの若者です。いかにも急いでいるという感じで、いきなり「あとで話し合いを」といった趣旨の発言がありました。しかし、私は「とにかく警察には連絡しましょう」と言って承知してもらい、110番をかけました。それが15時17分ですが、ぶつけられたのはそれより5分ほど前だったでしょうか。
 そのときは近辺は大渋滞で、彼は「パトカーが来るのに時間がかかるなあ」といったことを繰り返していました。私もそうだろうと思いましたが、とにかく待つしかありません。そして何よりも印象的だったのは、この件について「自分に100%責任がある」と複数回にわたって言われたことです。
こころのふるさと 2018/11/22 Thu 6046 continued from yesterday
 
ともあれ熊本市と福岡市は私にとって「心のふるさと」であることは疑いない。ところで、両市は北九州市を含めて九州では3つの政令指定都市である。北九州市は1963年に関東・関西・中部の三大都市圏以外ではじめて政令市になった。この当時、門司・小倉・八幡・戸畑・若松の五市が並んでいて、それが一つの市になったのである。福岡市が政令になったのは1972年だが、その後の集積は全国でも飛び抜けていて、現在では東京都を除いて全国第5番目、ほぼ160万人の人口になった。
 熊本市は2012年に政令市に昇格したが、人口は74万人である。この日曜日に行われた市長選挙では両市とも史上最低の投票率で現職が当選した。その数値が31%台でほとんど同じだったのには苦笑してしまった。ただし、選挙人名簿登録者数は福岡市が1,258,232人、熊本市が605,276人でダブルスコアである。かつては熊本が九州の中心都市として最大の人口を誇っていた。ただ、ここまで差が付くと再逆転の可能性は皆無と言っていい。
 もちろん、ただ人口が多く経済が強ければ良いという時代ではない。それに私自身は熊本での人生をあふれるように楽しんでいる。しかし、こうした歴史の流れについて振り返ってみるのも無意味ではない。
 
ふるさと「福岡市」 2018/11/21 Wed 6045 continued from yesterday
 
そんなわけで、私としては福岡はほぼ「ふるさと」だと思う。ただし、私は吉井町に生まれ、父の就職で八幡(現北九州市)に移り、さらに転勤のために行橋へ引っ越した。それから父が佐賀県の伊万里に転勤になったから家族そろって佐賀県人となった。その後、中学2年生の二学期から福岡の市民になって、私は30歳近くまで福岡で過ごした。この間にも、父親は長崎、武雄、門司へと異動を重ね、最後はなんと初任地の八幡で定年を迎えた。
 私はといえば、高校2年生から一人住まいをして大学へ進学し、鹿児島女子短期大学に採用されるまで福岡で過ごした。八幡は小学校入学前で、ぼんやりとしたいくつかの記憶が残っているだけである。また行橋や伊万里も生活したのは4年間だった。こうしたことから、16年もの期間を過ごした福岡は私にとって「ふるさと」の資格は十分なのである。その一方で、熊本はすでに40年目が進行中で、かつこれからどこかへ移動する気持ちは毛頭ない。したがって熊本は私が碇を下ろす港なのである。ただし、これを「ふるさと」と呼ぶのはことばの定義としては違和感がある。そもそも「ふるさと」とは「生まれ育った土地。故郷」(大辞林)なのである。
 
熊本市と福岡市 2018/11/20 Tue 6044
 
熊本市と福岡市の市長選挙が18日に行われ、いずれも現職が当選した。投票率は熊本市が31.38%、福岡市が31.42%とほぼ同じで、しかも過去最低を記録した。
 私は福岡県の吉井町(現うきは市)で生まれた。本籍は父親と同じ北九州市である。父親は九州北部三県、つまり福岡・佐賀・長崎の中を転勤し続けた。私は中学2年生の二学期に福岡市に住んで、高校から大学院まで学生として過ごした。さらには大学の助手として初めてサラリーをもらう身分になったから、職業人としてスタートしたのも福岡市である。また結婚もして長男は福岡市東区の名島の病院で生まれた。そんなことで私の福岡市在住年数は16年になる。
 一方、熊本に来たのは1979年だから、今年は40年目が進行中である。これだけ永く住んでいるから、私はすっかり熊本人になった。また、熊本での仕事と生活をこの上なく楽しんでいる。そんなわけで、冒頭の書き出しも熊本市からはじめた。そうは言いながら福岡への思いが消えてなくなったわけではない。何と言っても中学生から高校、そして社会人になった29歳までを過ごしたのだから、福岡市は私の「青春時代」とまるごと重なるのである。
 
遠き思い出 2018/11/19 Mon 6043
 
私は1979年3月に発足した「熊本大学教育学部附属教育工学センター」の専任講師として年度途中の10月1日付けで採用されました。そのとき、まだ30歳の青年でした。当時は「教育工学」と言えば「工学」という言葉のインパクトが強く、いわゆる「機器」等を導入した新しい教育方法、とりわけテクニカルな技法を導入するものという認識が支配的でした。ティーチングマシンやアナライザーなどを活用する研究はその代表的なものです。また、現在のPCに繋がるものがこれから出はじめるといった時代とも対応していました。NECのPC8001が発売されのも私が赴任した1979年でした。
 そうした状況の中で、着任早々の私は10月中旬に金沢大学で開催された「教育工学センター協議会」に出席しました。その会議で「科学研究費」を申請する話があり、その領域が「科学教育(含教育工学)」とされていることを知りました。当時の「科学教育」と言えば、それは「理科教育」とほとんど同義でした。その出席者も大多数がいわゆる「理科系」の人たちでした。バックグラウンドが心理学の私など、ほとんど居場所がないような状況だったのです。その後も、そうした状況はかなり続いていきました。
高さんからの手紙(87)2018/11/18 Sun 6042 continued from 11/11
 高さんは1973年にめでたく集団力学研究所から給料を受ける身になった。私は修士課程の学生である。そもそも研究所が設立された間もないころから、ウロチョロと出入りしていた私だから、それより前から高さんのことを知っていた。ただし、当初は研究所の机に深々と座り、絶え間なく煙草を吸う孤高の思索者といった雰囲気があった。そうしたことから若者にとってはやや距離のある存在の人であった。研究所には大先輩の関文恭氏や篠原弘章氏が研究員としていて、いつも話をしたり食事に出かけたりした。高さんはこの2人とは対照的だったのである。そうした私が心的距離をグッと縮めたが三菱重工業長崎造船所におけるプロジェクトであったことは疑いない。それはそうとして、高さんの手紙に戻ろう。

 昭和和59年?(1984年)小生は集団力学研究所を退職しましたが、これは昭和58年の第1回国際シンポジウム「21世紀の労働と人間」の成功に関係があります。このシンポジウムを機に、三隅先生は集団力学研究を本格的な国際的な評価を得られる研究所に発展させようと考えられたのではないでしようか?イギリスのタピストック研究所のような。(私の想像ですが多分当たっていると思います)昭和54年からはMOWの国際研究がスタートしていましたし。このためには研究所の国際化と研究活動の強化が必須の課題のように思われました。
 
「中堅教諭等資質向上研修」受講者の声(10)2018/11/17 Sat 6041 continued from 11/06
 
一年間、大変お世話になりました。先生のお話はもちろんですが、先生のお人柄こそが相手を和ませ笑顔にする一番の対人関係向上のヒントでした。毎回お会いすると私も思わず笑顔になってしまいました。どうすれば先生のように朗らかに穏やかにいられるのか、その秘密を探るには時間も力量もなく残念です。私自身かなりネガティブなので何かあっても自分のため、そして話のネタにしてやるぞという気持ちですごしていこうと思います。本当にありがとうございました。お身体、十分ご自愛ください。いつかどこかでまたお会いできることを楽しみにしています。(小学校教諭 女性)

 あまりにもほめていただいているので、ここは「カットしようか」と思った。しかし、もうめでたく70歳にもなった身だから、ありがたい声を取り上げて笑われてもいいやという心境になった。それに、ご自分が「ネガティブなので、何かあっても自分のため、そして話のネタにしてやるぞという気持ちですごしていこう」という思いになっていただけたのであれば、私としては大いにうれしい。この世の中、「小は大を兼ねる」、つまりは「小さなこと」でよろこぶことができれば、「中くらいのこと」でさらによろこべる。ましては「大きなこと」があれば極上のよろこびを味わえる。こうした話を十分に理解していただいたと思って、またまた大いによろこんだ。
 
社説のスバル 2018/11/16 Fri 6040
 
「スバルがまた検査不正 目を覆うガバナンス不全」。これは毎日新聞の今月10日付け社説である。ついに「社説」に取り上げられるまでに至った。私は年来のスバル派であり、レガシーに乗って30年近くになる。そもそもの「へそ曲がり」「天の邪鬼」だから、「行き違うことが少ない車」としてスバルは最適だった。それがアメリカで好調で、わが国でも販売台数が伸びてきたと聞いて、「困ったもんだ」と思っていた。社説によれば、この10年間で倍増したらしい。
 不正の原因について、社長は「急成長に伴うひずみがあったのではないか」と説明したという。これは社説の中の一文だから、「文字どおりの発言」とは断定できないが、そんな評論家みたいなこと言っている立場ではないでしょう。社説にまで取り上げられたのは、ちょっとひどすぎだからだ。それまでの不祥事の責任を取って前の社長が辞めたのが6月である。その後、「不正は昨年末まで」と宣言したにもかかわらず、今年の10月まで続いていたのだ。これでは自らの力で自らの行動を修正する能力に欠けているというしかない。
 先日、会った50年来の友人は昨年ピカピカのスバルに乗っていた。先だって食事をした後に駐車場まで見送りに行ったらワーゲンの新車に変わっていた。ゲートのところで「車を替えたのかい」と聴いたら、「うん」と手を振った。私は「あっ、そう」と手を振り返したが、車を替えた理由は聴かなかった…。
 
9年目の「公開講座」 2018/11/15 Thu 6039 continued from 11/08
 
私の「公開講座」は1992年に9年目を迎えた。この年は11講座が開設されており、前年の開講数8つから増加した。私は第10講座で「パソコンソフト入門」を続けている。定員は25名、期日は7月27日(月)から29日(水)までの3日間で計20時間も同じである。ただ、受講料は4,940円から5,560円に値上げされた。その額は大学が決めるため算定基準はわからない。おそらく文部省が基本的な単価を提示していたのだと思う。
 この年は私にとって画期的なものになった。それは第11講座として「指導者のためのリーダーシップ・トレーニング」を開講したからである。募集要項の内容欄には「リーダーシップの科学的研究を基礎に参加者のリーダーシップ向上、改善を図る」と記されている。表現はややオーバー気味だが、私としては相当に意気込んでいた。期日は8月18日(火)から20日(木)までの3日間、合計20時間のコースである。対象者は「教師、組織、団体の指導者」で、定員は25名にしている。
 自分では張り切っていたが、スタートから定員割れでは続かない。そこで、何人かの方には事前にお話しをして受講の確約を取った。その中には名古屋の人間科学研究所長高岡章一氏もいらっしゃった。高岡氏は私を様々な面からサポートしてくださった。このときは「ご祝儀参加者」として喜んで熊本に来たいただいた。その高岡氏も10年ほど前に亡くなられた。三隅先生を中心に展開された「リーダーシップPM論」の信奉者であった。
 
Short shot(6:18am) 虫に無視された?2018/11/14 Wed 6038
 
殺虫剤で知られるフマキラーが本年度の業績予想を下方修正した。その原因が猛暑による虫の活動量低下だという。虫さんたちも熱中症気味で動かなかった大事だったのだろう。これについて、同社のトップが「虫が悪いのではなく、虫に頼りすぎていたのが原因」と反省しているという。これは日経の記事だが、つい笑ってしまった。この引用通りに発言したのかどうか確認できないが、「虫が悪い」と本気で悩んでいるなんて考えられない。そうであればまれに見る大ギャグである。「下期には花粉症対策の新製品を開発したい」とのこと。殺虫剤会社も猛暑に負けたということか。
 ついでながら社名は「ハエのフライ」に「蚊のモスキート」の頭文字「フ」「マ」に「キラー」を付けたものだそうな。今回は会社の方が「猛暑のキラー」に出会ったとも言えそうですね。 
  
アクシデント(3) 2018/11/14 Wed 6037 continued from 11/03
 
目的の道路に行く前に駐車場があったことから、直進するのをためらった私はブレーキをかけて停車しました。その瞬間です、まったく想定していなかったことが起きます。突如として右側から車が突っ込んできたのです。あっと言う間の出来事で、すぐに「パーン」という乾いた音がしました。そのとき私は「やめてよ」と叫んだことを鮮烈に覚えています。とにかく「やめてよ」しか発する言葉がなかったのです。その前に私はブレーキをかけ、車は停止していました。ただし、それは「あっ」という間もなく発生したことですから、そのとき、自分の車が「完璧に『停止』していた」とまでは断言できません。しかし、それは限りなく「停止」に近い状態だったことは間違いありません。
 そこに、右側から車がぶつかってきたのです。私の車の右前に先方の前面中央からやや左の部分が当たりました。そうした状況は私の車を見ればすぐにわかる状況でした。車の右側にはわずかに黄色に見えるものがついており、先方によれば、それはナンバーの地の色だというのです。こうした状態を専門家が見れば一目瞭然で、「道路を直進しようとして停止した車」に「左折できなかった車が衝突した」ことを示していたのです。それも、私の車の損傷が「前部」であることから、私の車が道路の先まで進んでいなかったことも明らかでした。
 
復活「マニュアル物語」(78) 2018/11/13 Tue 6036
 
「規則」や「マニュアル」には「基本的なこと」が書かれている。ご承知のように、私の世界では「基本だから守られない」が「基本」を考える際の「基本的スタンス」になっている。もちろん、「基本が守られない」のには、それなりの理由がある。そこを押さえれば、少しでも「基本」を守りやすくする可能性が高まる。
 そんなこともあって、組織のメンバーに「マニュアルが守られない理由」について調査した。その結果は想定外というよりも、「やっぱりそうだろうなあ」と思われるものに満ちあふれていた。つまりは「みんなわかっている」ような理由で規則やマニュアルが守られていないのである。そうだからこそ事態は深刻だと言える。予想されるような理由なのだから、あらかじめ対策ができそうなのに、それができないということなのだ。
 ともあれ、調査から得られた回答の分析をこのコラムでシリーズ化して連載していた。それも、いつものことながら「休止状態」になったままである。これまたいつものことだ。その最後は2016年3月18日の「77回目」である。それから1ヶ月後に「熊本地震」が襲ってきた。そして2年以上の時間が過ぎたが検討していない回答も残っている。そこで、引き続いて連載する気になった。
 
「言ったら愉しい」状況創り 2018/11/12 Mon 6035
 
世の中には「言いたいけれど言えない」ことがたくさんある。もちろん「言いたいこと」が人を傷つけたり、自分の利益だけを追い求めるものでないことは当然である。あるときは「人のため」に、さらには「組織のため」に、もっと大規模になれば「世界のため」になど様々である。そんな「いいこと」なのに「言えない」ことがある。そんな思いをいただきながら人は生きていく。
 ところで、私たちは「言ったら得する」とか「損する」と考えながらものを言ったり言わなかったりすることがある。それも一つの基準ではあるが、心情的には「ちと寂しい」気がする。あまりにも理想的すぎるけれど、ものを言うときは「言ったら愉しい」「嬉しい」気持ちでいたいなあと思う。
 もっとも、組織の問題などについては、「愉しい」などと言ってはいられない。それどころか「言ったらマイナスになる」ことも覚悟しなければならない。現実にはそんなことの方が多いに違いない。しかし、それでも「言ってよかった」という気持ちになれるような状況を創ることはできないだろうか。名だたる企業で頻発する不祥事も、問題が明るみに出てからは組織の信頼低下は言うまでもなく、膨大な経費を要することになる。その規模によっては組織の存続そのものすら危うくする。明るく愉快にはいかないとしても、「言ってよかった」を重要なキーフレーズにしたいものだ。
 
Short shot(12:11pm) 50年来の友人 2018/11/11 Sun 6034
 
私が大学生になったのは1967年の4月である。そのときからの友人がいる。誕生月も同じだから、ほやほやの70歳同士だ。私が集中講義で出かけている大学の所在地に住んでいることから、毎年ではないが夕食をともにする。何と言っても51年にもなる付き合いで話に花が咲く。仕事は弁護士だから定年はない。私は熊本大学のシニア教授として今年度までである。ただし、4月からは「フリーター宣言」をしているから、その後は「定年なし」になる。
 彼は弁護士事務所を「経営」しており、事務職員もいる。つまりは相当の経費を稼がないといけない。また公的年金は国民年金だけである。そんな状況を聴いて「それでいつまで仕事をするの」と問いかけた。「まあ、75歳くらいまでだろうなあ。けっこうきついから…」。私も「そうかい。自分も第三の定年を75歳にしている」と答えた。
 
高さんからの手紙(86)2018/11/11 Sun 6033 continued from 11/04
 長崎造船所でのプロジェクトがはじまった当初、高さんの身分には曖昧なところがあったようだ。しかし、それも目に見える成果が出ることで変わってくる。
 
3年後の昭和48年(1973年)だったと思いますが災害が急激に減少したことから、三菱長崎造船所と集団力学研究所との間に公式のコンサルタント契約ができ(月50万円〜70万円くらいか?)この段階で小生も正式の有給研究所員となり初めて研究所から給料をもらったわけです。したがって小生この3年間は年金も納めておらず健康保険もなしでした。一度歯医者に行ったら高い費用を請求され驚いたことがあります。岩井氏に病気になったらどうなるのでしょうかね?と言ったら「まあ三菱病院もあるし何とか私がごまかしますよ」との話しでした。(下らぬことを長々と申し訳ありません。)

 いやはや大変である。年金や健康保険については何かと問題が発生しているが、この当時は「おおらか?」といっていいのだろうか。ともあれ、高さんは晴れて集団力学研究所から「給料」をもらうことになったのである。めでたし、めでたし。
信じがたい真実 2018/11/10 Sat 6032
 
高さんの「月給」に因んで「物価」を調べたところ、なかなか興味深い情報が得られた。情報源は「団塊世代の思い出」である。
 まずは大卒公務員の初任給だが、1970年の31,510円が翌71年は41,400円となる。これは31.4%の上昇である。その後も額と上昇率を追いかけると、72年47,200円(14.0%)、73年55,600円(17.8%)、74年72,800円(30.9%)と続く。1973年は第一次オイルショックで世の中からちり紙やティッシュぺーパー が消えて大騒ぎとなった。
 こうした怒濤の上昇にはブレーキが利きはじめ、75年は80,500円(10.6%)だったが、76年には86,000円(6.8%)と、はじめて10%を切ることになる。いま手持ちの資料はないが、こうした流れにマスコミはどのような意味づけをしていたのか興味深い。ともあれ、かなりの落ち着きを見せたあと、77年91,900円(6.9%)、78年94,600円(2.9%)と推移し、79年の97,500円(3.1%)で1970年代が幕を閉じる。いずれにしても、この10年に公務員の大卒初任給は31,500円から97,500円まで、何と310%も上昇したのである。因みに、池田勇人総理大臣が「所得倍増計画」をぶち上げた1960年は10,800円だから、単純に計算すれば20年で9倍を超えたわけだ。
 
今月の写真 2018/11/09 Fri 6031
 
まずは、私の大好きな飛行機から撮った、これまた大好きな雲である。もちろん11月の雲だ。私が子どものころ、母がフトンの綿を入れ替えていた。そのときを思い起こさせるような雲がすし詰め状態で一面を覆っている。いまでは綿の打ち替えなんて話題にもならなくなった。そんなことを思った瞬間に「うぬまさん」という母の声が聞こえてきた。わが家が福岡の香椎に住んでいたころ、綿の打ち直しをしてもらっていたのが「うぬまさん」だった。おそらく「鵜沼」さんなのだろうが、私が中学生のころである。
 写真の上部には飛行機のエンジン部分が見えている。プロペラ機であるボンバルディア系に乗るとこんな感じになる。タイヤの出し入れも見えるし、離陸と着陸の瞬間も目の前の出来事になる。これがけっこう楽しめる。
 もう一枚はスターゲートホテル関西エアポートからの眺めである。右側の海が大阪湾で、その先が和歌山方面になる。南海電鉄で「みさき公園」にあった日立造船の保養所に「リーダーシップ・トレーニング」のために通っ。それは1970年代の半ばのことである。責任者は高さんだった。
 ところで、このホテルは関空が開港した当初は全日空系だったが、経営がうまくいかず譲渡された。その後は、LCCの登場と海外からの観光客増で、いまではペイしているように見える。世の中は、わからないものである。
8年目の「公開講座」 2018/11/08 Thu 6030 continued from 10/30
 
「公開講座」の8年目は1991年だが、この年の開講数は8つだからだんだんと減少している。ただし、その内容は「日本の古代文学」「熊本の歴史」「母と子の水泳教室」「油絵入門」「彫刻実習」「ミュージカル制作」などバラエティ豊かである。これよりも少し前になるが、川﨑順一郎先生の「水泳講座」には、私の息子と娘も参加させていただいた。その様子を見に行ったことがあるが、川﨑先生の子どもに対する関わりの見事さには、家内とともに感動した。
 私は第8講座で「パソコンソフト入門」は変わらず、定員も同じく25名で受講料の4,940円も据え置かれている。やはり「A」「B」の2コースである。8月1日(木)から3日(土)と21日(水)から23日(金)の合計6日間で、各コースは最終日が6時間の合計20時間となる。前年まで「連チャンの大車輪」で乗り切っていたが、今回は8月初旬と後半にわけている。さすがに、40代に突入し、気力と体力に「疲れ」が見えはじめたのだろうか。
 もっとも、おかげさまで70代に突入した今日でも健康で元気に仕事をしている。人様には「趣味は仕事」と言って憚らない。そんなことで、当時も「気力・体力ともに疲れていた」わけでもなさそうです、はい。
 
スタンカ投手 2018/11/07 Wed 6029
 
日本シリーズはホークスが4勝1敗でカープを破ったが、元南海ホークスのジョー・ドナルド・スタンカ(Joe Donald Stanka)投手が10月15日に亡くなった。享年87歳だが、私が初めて見た巨人のような外国人投手だった。それは平和台球場で行われた「西鉄ライオンズ戦」でのことである。この球場は内野席と外野席の間にブルペンがあって、控えピッチャーの投球練習を「真上」から覗くことができた。私は中学生だったが、そこからスタンカの投球を見たのである。
 その位置関係から「すべてが見える」のである。スタンカが振り下ろした手から離れたボールは一瞬にしてキャッチャーのミットに消えていく。そのときの音がこれまたすさまじく、耳をつんざくほど響き渡った。このとき子ども心に、素人はバッターボックスに立つことすらできないことを知った。
 今から60年近くも昔の物語である。西鉄ライオンズは「太平洋クラブ」、「クラウンライター」へと譲渡され、現在は西武ライオンズとなった。その当時「西鉄対南海戦」はパリーグの看板カードだった。その「南海」をダイエーの中内功氏が「ホークス」として再生させた。そのダイエーも「ソフトバンク」が引き継いだことは、われわれ世代には周知の事実である。
 
「中堅教諭等資質向上研修」受講者の声(9)2018/11/06 Tue 6028 continued from 10/29
 
先生の研修を受けるまで、私の中には「自分のしたいこと」はあったものの、「期待されること」というものがなかったのではないかと思います。自分のやりたいことかそうでないかではなく、期待されていることかそうでないかという視点で見られたことがよかったです。そのことによって、自分の課題を具体的に公に聞いてみることができました。自分の課題を「見える化」し、意識し、変えていくことで自分自身という人間を変えていきたいと思います。ありがとうございました。(小学校教諭 男性)

 人は仕事を通して「したいこと」ができれば最高である。もちろん、現実は厳しいから、「したいこと」が完璧に実現できるとは限らない。しかし、それを「求め続ける」ことは人生を豊かにする。これに加えて研修では「期待されていること」の重要性も発見できたということである。われわれは「人とともに、集団とともに」生きていく。自分の「したいこと」も「人や集団との関わり」を抜いては実現できないはずだ。人生では「『したいこと』+『期待されていること』」ではなく、両者の「掛け算」が大事なことを直感されたのだと思う。私としても嬉しい限りである。
 
Short shot(2:10pm) 日本の味 2018/11/05 Mon 6027
 
家内がデパートの「京都市(?)」で買ってきた「金胡麻いわし」を夕食で食べた。これが格別においしかった。家内によれば、「ゴマソムリエ」なる人がいて実演していたらしい。その袋には「天日干しが美味しさの秘密」と記されている。ネットで見ると、「京都・ごまの専門店 ふかほり」とある。パックに5きれ入っていたが、とにかく「なんとも言えない」美味なのだ。この日のおかずにはチキンもあったが、つい二匹分を口に入れた。ともあれ時間をかけて「洗練(?)」されているから、ソコソコのお値段のようだが、「日本人でよかったあ」とうれしくなった。めでたし、めでたし。 
〝walking dictionary〟だけでは… 2018/11/05 Mon 6026
 
〝labor〟と〝work〟を考えているとこきに。ふっと〝walking dictionary〟という単語が頭に浮かんだ。〝walking dictionary : 生き字引(weblio)〟で、「生き字引」:は「博識の人。特に、会社・役所などで過去の出来事や規則などに通じている人(デジタル大辞泉)」となる。
 ここで少しばかり考えた。たしかに〝walking dictionary〟は何でも「知って」いるのだからすごいと言えばすごい。しかし、人間はそれだけでいいのか。われわれは「知識」を基礎にして。それを「生かすこと」が大事なはずだ。そもそも「知行合一」という言葉はあることからして、本音では「知識」と「行動」は「合体しにくい」ことを認めているのである。
 もうおわかりになったことと思う。私が頭に描いたのは〝working dictionary〟という言葉である。これは英語の〝information〟と〝wizdom〟の関係に似ている。前者が「個別の情報」に近い意味合いがあるのに対して、後者は「生きる智恵」であり、それこそが人間としての生き方に欠かせないものなのだ。そうだ、われわれが目指すべきは、〝walking dictionary〟ではなく〝working dictionary〟に違いない。それも複数の〝dictionaries〟であってこそ豊かな人生が実現できるのである。
 
Short shot(8:01am) 日本人の見分け 2018/11/04 Sat 6025
 
先日、英国とフランスに出かけた知り合いの話を聞いた。中国人や韓国人がたくさんいる中で、「あなたは日本人でしょ」と声をかけられたという。そのときは理由を確認しなかったが、それなりに思い当たることがあるらしい。それは「私たち日本人は、無意識に『ちょっとだけ頭を下げる』からではないか」という。なあるほどの一言である。私たちは人と会うごとに、いわゆる「軽い会釈」をしている。それもほとんど無意識である。そこが顔では判別がむずかしい東洋人のうちから日本人を見分けるポイントだという推測である。おそらく当たっていると思う。それが文化というものなのである。ただし、組織の不祥事でトップが頭を深々と下げるのまで「文化」にされてはまずいことこの上ない。 
高さんからの手紙(85)2018/11/04 Sun 6024 continued from 10/28
 
長崎造船所の船殻工作部に「参画」を導入する試みは「組溶3係」をパイロットヤードにしてスタートした。まだ、造船所の公式運動ではなかったのである。そうしたことから、高さんの立場は必ずしも明確ではなかった。

 したがって小生の長崎における立場も最初は微妙なもので造船所の労務部とは全く無関係でした。報酬なども三菱から公式にはでていなかったはずです。月末に船殼工作部の庶務のおばさんから「寸志.岩井」と書かれた祝儀袋(5万円)をもらいました。おそらく岩井氏の交際費か部の雑費かなにかで捻出されたものと思います。但し小生の三菱会館ホテルの費用(食費も洗濯代も酒代も総て)は全額船エ部からの支出でありタクシー代も総て会社持ち、週1回は集団力学研究所との打ち合わせとの名目で博多-長崎間のグリーン車の出張旅費支給というわけで生活には困りませんでした。

 当時の5万円はどのくらいのものだっただろうか。ネットで見ると、「大卒初任給(公務員)31,510円で、牛乳:25円 かけそば:100円 ラーメン:110円 喫茶店(コーヒー):120円、週刊誌:70円 新聞購読料:750円 映画館:700円」といった感じである(団塊世代の思い出)。高さんの立場と経験年数等から、おそらく妥当な額だったのだろう。
Short shot(7:29am)「レーバー」から「ワーク」へ 2018/11/03 Sat 6023 continued from yesterday
 
高さんの「レーバーからワーク」の話は、「『作業:labor』ではなく『仕事:work』をしよう」という意味を込めたものだった。その趣旨は長崎造船所から「リーダーシップ・トレーニング」に参加したすべての作業長たちに伝わった。トップダウンで指示されたことをひたすら実行するのは「レーバー」なのである。そこに「自分たちで考える、工夫を加える」ことが付加されて、それが「自分たちの仕事=ワーク」になる。それを体感してこそ作業長であり、その意味を部下たちに伝えるのも職場のリーダーとしての役割ということだ。
 私はいまでもこの話を聞いたときのことを思い出す。それだけ納得感が強かったのである。そして、このとき私は「仕事」であるが故に「責任」と「誇り」が生まれるのであり、両者はコインの両面なのだ」と確信した。
 
アクシデント(3) 2018/11/03 Sat 6022 continued from 10/26
 
渋滞でやむなく入り込んだ道でしたが、お店の駐車場を通り抜けないと目的の「大通り」にいけません。これまでにも触れたことがありますが、私は道路交通法をかなり守る人間です。横断歩道に人がいれば止まることが多く、そのことがかえってヒヤリハット体験を生んだことも書きました。私が止まったことで高校生が反対車線を十分確認しないで歩道を渡ろうとしたため、対向車が急ブレーキをかけたのです。あれで事故が起きたら、私が止まったせいになるのでしょう。それはかなわないなあと思ったものです。
 そんなわけで、私は平気でよそ様の駐車場を突っ切って道路に進入することをよしとはしないのです。その道に入ったのは初めてだったので、「直進後に左折して『メイン道路』に入ろうとしている」と見えた複数の車は、じつは駐車場を突き抜けていたことになります。ともあれ、私自身は駐車場に気づいて、「これって先に行けないんじゃないの」と家内に言いながらブレーキを踏みました。このとき助手席に座っていた家内は、「あと」になってから「何か言ってたよね」と振り返っています。
 
Short shot(10:41am)〝Labor〟と〝work〟 2018/11/02 Fri 6021 continued from 10/30
 
高さんが取り上げていた〝labor〟と〝work〟について、私はその原語的な違いを識別する力をもたない。参考までに〝Dictionary.com〟では、前者の第一義が〝productive activity, especially for the sake of economic gain〟で、後者は〝exertion or effort directed to produce or accomplish something; labor; toil〟となっており、〝labor〟は「生活のため」という意味合いが先に来るのに対して、〝work〟は「何かをつくる、完成する」といった感じがする。ただし、その末尾には〝 labor; toil work〟が付け加えられている。そうなると〝labor〟や〝toil〟と同義語とも言える。この〝toil〟は〝hard and continuous work; exhausting labor or effort〟で「苦役」「疲れ果てる」といったマイナスのイメージがある。 
「リーダーシップ・トレーニング」最終回 2018/11/02 Fri 6020
 
このところ「公開講座」をシリーズで振り返っていますが、昨日はその最終回を終えました。熊本大学公開講座「リーダーシップ・トレーニング」がちょうど50回目の区切りの良いところでおしまいになったのです。スタートが1992年ですから、27年間もの長い期間でした。今回は「The Last」ということもあって、受講者数も多めに設定し、48名の方にご参加いただきました。これで27年間の受講者総数は1,854名になりました。本当にありがたいことです。
 とにかく最終回ということで、これまで使ったことのない「職場規範探求」のグループワークまで入れたことから、終了時刻までギチギチでした。そもそもおしゃべり好きの私ですが、これをかなりセーブしました。それでも最後は「飛行機物語」と「私の信条」のトピックスを二つお話ししました。前者は「飛行機は空気抵抗に向かって走るから空に舞い上がる。私たちも様々な抵抗を克服しながら成長しましょう」といった内容です。後者は「あわてるな、人生はそんなに短くはない。なまけるな、人生はそんなに長くもない」という、私が高校の卒業文集に書いたスローガンの紹介です。
 皆さまから拍手をいただいて無事に閉じることができました。感謝。
 
驚愕の三重奏 2018/11/01 Thu 6019
 
もうしばらく前になるが、「私事性的画像記録の提供被害防止法」に違反したとして逮捕者が出たとの記事が載った。同法での摘発は熊本県ではじめてらしいが、少女の裸の画像をネットに投稿した容疑である。その画像は16歳の少女ら女性2人の上半身裸や性器を写したものだという。
 これだけでも、「何たることか」と驚愕してしまう。しかし話はこれで終わらない。まずは「下着などを買う」と呼びかけ、これに応じた女性に「裸の画像を送ればさらに高<買う」と持ち掛けたという。そして、それに応えた女性がいるのである。私にとって、この時点で「驚愕」をはるかに超える。容疑者によれば、「金を払わずに少女らとトラブルになリ腹いせに投稿した」というのである。この記事を読んだ瞬間は意味がわからないほどだった。
 しかし、これまた「驚天動地」のことが書かれているのだ。つまりは容疑者が「約束」を守らず「対価(?)」を払わなかった。そのことに「怒った(?)」女性たちとトラブルになった。そのトラブルがどんなものだったかは知りようもないが、それで「頭にきた(?)」容疑者が腹いせに画像をアップしたというわけである。そのときすんなり「金」を払っていれば、それでおしまいだったということだろう。容疑者が第一義的に非難されるのは当然だが、それに応える女性がいるというこの現実…。