| また「ホームページビルダー」が「超不安定」になっています。原因は不明で困ったことです。アップが途切れた場合でも「書き続け」ていますので、再開までお待ちください。 2018/06/08 6:20am |
カスタマーレビュー(3) 2018/06/30 Sat 5872 continued from yesterday
今回は拙著の「ブックレビュー」の話題だから、「感受性訓練」に深入りしないでおこう。ただ、私は「感受性訓練」を学びはじめたときから、「これは日本人に合っていない」と感じた。そして、「状況によっては参加者にマイナスの影響を与える」と思ったのである。
私は「縁(?)」あって、「リーダーシップ・トレーニング」がライフワークになった。「トレーニング」を設計することを仕事と言うよりも楽しみにし、その実践によって参加者たちに可能な限り望ましい効果を産み出すことを目指してきた。もちろん、人もその置かれた況も様々である。そうした中で、「トレーニング」によって「自分の思い通り」の影響を与えようと考えるのは傲慢そのものである。私としては、一人ひとりの参加者に、少しでも「参加してよかった」と思ってもらいたいという気持ちで今日まできた。つまりは、トレーニングに「マイナスの影響」などあってはならないのである。
「『トレーニングは最悪でも効果ゼロ』と言い切る著者の姿勢に最も共感します」という「リンタロー」氏のコメントが、私に最上級の喜びをもたらしてくれたことは言うまでもない。 |
カスタマーレビュー(2) 2018/06/29 Fri 5871 continued from yesterday
拙著「実践的リーダーシップ・トレーニング」に対する「リンタロー」さんのレビューは続く。
「トレーニングは効果がないといけない」から「トレーニングは最悪でも効果ゼロ」と言い切る著者の姿勢に最も共感します。また、繰り返し繰り返し実践でき、その成果は確実で、結果的にはより遠くへ、どこまでも行けるでしょう。「感受性」訓練とは一線を画しながらも、心理的なダメージのリスクを回避し、効果が実感できる“トレーニング”を紹介している。また、その道具たて、仕組み、著者の考えを惜しみなく公開されているのにも敬意を表します。
ここまで評価していただくと、著者としてはありがたく言葉がない。そもそもリーダーシップ・トレーニングの原型はレビンたちが開発した〝Sensitivity
Training〟にある。これは「感受性訓練」として、わが国でもとりわけ産業界で盛んに行われていた。私が大学の専門課程に進学したのは1968年だが、まさに「感受性訓練」研究の真っ最中であった。また、三隅先生率いる集団力学研究所でも「SDセミナー」と名付けたものを開催していた。〝Sensitivity
Development Seminar〟である。 |
拙著のカスタマーレビュー 2018/06/28 Thu 5870
私の著書に「実践的リーダーシップ・トレーニング」がある。出版されたのは2011年だった。そのタイトルからおわかりのように、「リーダーシップ・トレーニング」の進め方と使用する道具を紹介した解説書である。誰にも「リーダーシップ・トレーニング」が実践できることを目指して書いた。「リスクマネジメント」への応用についても提案している。
ところで、本書をamazonで探したら「カスタマーレビュー」があった。さっそく覗いてみると、「リンタロー」という名で、何とも嬉しくなるコメントが書かれていた。まずは「五つ星」が気持ちよい。もっともコメントは「一人」ではあるが、著者としてはとにかく「五つ星」で大満足する。さらにタイトルは「真摯な姿勢に共感」とこれまた超好意的である。いよいよ本文に目を移す。
リーダーシップの定義から始まって、その具体的な育成、トレーニングの方法、研修の始終が臨場感タップリに綴られています。
いやあ「臨場感」を「タップリ」と感じていただいたとすれば、これ以上にありがたいことはない。まさに「そんな本にしたい」という思いから、それなりに工夫して書いたのである。 |
記憶の強情 2018/06/27 Wed 5869
ある人から「あなたが創られたパワーポイントのスライド1枚を使わせてほしい」との依頼があった。こうした場合、私としては「吉田の作成物」であることに触れていただくという条件で使用を了解している。今の時代、「引用」は重要な要件である。われわれの領域は、それが経済的なものと結びつくことはほとんどない。そして、「□□のオリジナル」という事実だけが「仕事をした証」となる。それはそれで立派な心理的報酬であり、十分に満足感を味わうのである。
そんな中で、この方は「あのスライドを送ってほしい」と依頼してきた。ところが、「そのスライド」は「ない」のである。つまり私の手元には、該当するものはないわけだ。ところが先方は、私の講演で「それを見た」と強く主張される。そして、「自分のこの目で見たのだから間違いない」という勢いである。その迫力には恐れ入ったが、「ないものはない」と答えるしかない。
そうした流れの中で、その口調に、私が「出し惜しみしている」という響きが込められてきた。「ちゃんと吉田の創作物だと言うのに、それでも自分に提供するのがいやなのか」という感じなのだ。私としては「申し訳ないですが、ご依頼のスライドは、私の話の流れから言っても創りようがないのですよ」と説明するしかなかった。
私たちには、事実と異なる「強情な記憶」を刻む「能力」があるのかもしれない。自分も気をつけなくっちゃあ。 |
「中堅教諭等資質向上研修」2018/06/26 Tue 5868
教職を10年経験した教員を対象にした「10年経験者研修」は2003年度から導入された。これは教員を対象にした研修として法で定められたものである。そのため、すでに実施されていた初任者研修と並んできわめて重要なものである。私は熊本市教育委員会の本研修にスタートから関わり、本年度まで続いている。それから16年もの歳月が流れたのかと思うと感慨深い。
この「10年経験者研修」は、昨年度から「中堅教諭等資質向上研修」に衣替えした。教員には、2009年度から「免許更新制」が導入され、該当者は「講習」を受講しないと教員免許状が失効することになった。た。その結果、一部の教員は同じ年度に「10年経験者研修」と「免許更新講習」を受講することがあった。私は「更新講習」も2008年度の試行から関わっていたことから、熊本市の「10年経験者研修」を受講中の教員と「免許更新講習」で顔を合わせる事態も起きた。その内容は質的に異なるが、法律によって義務づけられた二つの研修を同時並行的に受講するのは大変だと思っていた。
そうした中で、経験年数に幅をもたせた「中堅教諭等資質向上研修」への移行は教員の負担を考えてもプラスだった。その名称からわかるように、本研修は「ミドルリーダー」の育成に重点が置かれる。 |
スポンサー考 2018/06/25 Mon 5867
先週20日水曜1時限目の授業で、本題に入る前に私はこんな話をした。
サッカー好きの人には申し訳ないが、私はあまり関心がない。ところが昨日は寝る前に家族が見ていたテレビにニュース速報の文字が走った。そこには日本がコロンビアに勝ったことが報じられていた。そこでチャンネルを回すと選手がインタビューに応えていた。
私としてはその内容よりも後ろのボードに貼り付けてあるスポンサーのラベルの方が目に入った。何よりも漢字で書かれたものが目立っている。それも何と読んでいいかわからないから中国のものに違いない。サッカーがそうだったかは知らないが、その昔はここに日本の企業名がズラリと並んでいた。それが一枚もない。ついでに言えば、韓国のHYUNDAIのラベルはあった。こうしたことから、わが国の衰退が目に見えてくる。
こんな話である。日本の弱体化はいまや世界の常識だろう。前世紀の幻想に浸っていないで、まずはその事実を踏まえた上で対応しなければならない。その後、このCMに関する記事を散見するようになったので、「私は20日には言っていたんだぞーっ」と強調したいために日付を明記しましたよ。 |
高さんからの手紙(67) 2018/06/24 Sun 5866 continued from 06/17
高さんが「退職を決意した」ことについては反対意見が多かったようだ。終身雇用が常識の時代、課長が辞めるなんて考えられなかったと思う。このあたりの状況を高さんの手紙でみることにしよう。
一応何人かの親しい方には相談しましたが殆んどの方が退職には反対でした。賛成したのは三隅先生と西日本新聞の井下さんだけでした。わずかな退職金を飲み屋のつけに派手にばらまき「まあ失業保険もあるしその内何とかなるだろう」と研究所の研究員の仕事はしましたがその他は大名町の自室で遊んでいました。ところが半年たっても何ともならなかったわけです。
この「大名町の自室」はじつに懐かしい。その当時は高層のマンションやアパートがめずらしい時代だった。私が高さんの「自室」が大名にあるのを知ったのはいつのことか定かではない。ただ、「高さんはカッコいいところに住んでいるんだなあ」と思った記憶がある。ただし、自宅まで押しかけたことはない。
その斜め前には西鉄グランドホテルがあった。このホテルは1967年の開業で、当時の福岡では最高級のホテルだった。私はその建築の一部始終を高校に通学する市内電車から眺めていた。
|
インターバルシグナル 2018/06/23 Sat 5865
NHKラジオ第二放送が始まる午前6時より10分ほど前からいつも流れるメロディーがある。私は、それをずっとオルゴールによるものだと思い込んでいた。これがさにあらず、正しくは「チェレスタ」という楽器の音だったのである。チェレスタは素人目にはオルガンに似た外見だが、「小型の鍵盤楽器」との解説がある。
私の記憶は小学生のころ、少なくとも1958年まで遡る。このときすでに朝の枕元でこの曲を聴いていた。父は目覚めると必ずラジオのスィッチを入れるのが習慣だった。その当時はNHKラジオ第一放送でも同じメロディーが流れていた。ラジオ深夜便など考えられない時代である。
これらは「インターバルシグナル」と呼ばれる。NHKの曲は熊田為広作曲で演奏は三石精一である。私が記憶しているときから数えても、60年の歳月が経過している。この間、欠かすことなく朝一番のサインとして生き続けてきたのだから、まさに「超長寿番組」である。
そのメロディーは、朝からワクワクの躍動感はない。それは、静かに目を覚まし、今日のために気持ちを落ち着けようという雰囲気である。これを聴くと、家族が寝ていることなどお構いなくラジオを点けていた父を思い出す。「おーい朝だぞーっ」と言いたかったのだろう。 |
「仮想」の「代役」?2018/06/22 Fri 5864 continued from 06/15
「仮想的有能感」について、「仮想」という言葉には「本人も仮想だと気づいている」という意味合いを含んでいるように思われる点で若干の違和感があると書いた。「仮想的有能感」の問題は、本人が「仮想だ」と気づいていないところにあると考えるからである。そうなると既存のことばで表現することはけっこうむずかしい。
こんなとき私なんぞは、じつに安易に「造語」したくなる。いや、少しばかり格好つけるなら、それも「創語」と言いたいところである。たとえば「虚想」や「誤想」などはどうだろうか。ここで「想」を「創」とするのは「肯定的な意味合い」が付加されるから適切とは言えない。それよりは「思」で置き換えて「虚思」「誤思」などもあり得る。ただし、「音のノリ」は今二つといったところか。
また、既存の「誤認」の採用も考えられる。それなら「虚認」はどうかということにもなるか。まあ、いつものように言いたい放題で、真面目に問題を提起されている速水氏には失礼千万ではある。ただ、言葉の議論はいつまでも続ける方が望ましい。 |
中吊り広告の波紋 2018/06/21 Thu 5863
地方紙の「県外フラッシュ」欄に「批判の中づり広告、西鉄が撤去」という記事が載った。福岡の天神と大牟田間を走る電車の中づリ広告に「無防備力も、女子力なんだと思います」というコピーに批判が寄せられ、その撤去を決めたという。そもそも記事には広告主が書かれておらず、どこの企業かと思ってネットで検索してみた。その結果、西鉄自身のアピールらしいことがわかった。
前身の会社設立から110年目を迎えることを記念したものだという。そこで110年記念のラッピング電車内で吊した144枚のうちの1枚だった。広報室によれば、「幼い頃の自分のように、肩に力の入っていない、無邪気で飾らない姿が本当の自分らしさかもしれない、とのコンセプトだった」とのことである。
日本郵便が「バカまじめ」というコピーで「とにかく素朴に頑なに仕事をし続ける」というイメージをアピールしていた。「ことば」は大きな影響力をもっている。この時代「バカ」ということばをストレートに使ったCMに軽い驚きを覚えた記憶がある。西鉄もそうした「純朴さ」を強調する意図があったのだろう。ただ、それを「無防備」と呼び、さらに「女子力」と結びつけたところが引っかかった。これに小さな女の子の写真を付けたというから、そりゃあ批判も出てくるだろう。それに、「無防備」から「西鉄」をイメージするのも相当にむずかしい。 |
The End of「嫁姑問題」2018/06/20 Wed 5862 continued from 06/14
本日をもって、「嫁姑問題」に関わる「10個の逆質問」の最終回となります。
「⑩遺伝子とは関係ないのに組織で「お局様」が活躍するのはどうしてか?これは『嫁姑問題』との共通性はないか?その問題解決に『上司(とりわけ男性)』の影が薄いのはどうしてか?」。ちょうど区切りのいい10個を意識して「3つの疑問」を「一つにまとめた」感がアリアリですかね。あるいはその意図がミエミエというお疑いをおもちかもしれません。私としては「ご想像にお任せします」とさせていただきます。
ここで肩すかしではお叱りを受ける可能性が高いが、「お局様」については、本コラムでけっこう「分析」してきた。[2009年6月20日~23日、7月29日、2011年6月21日、2013年2月20日]そんなわけで、ご関心をお持ちの方は当コラムの〝Back
Numbers〟ボタンで検索していただければと思う。どこからか「そんな人っているわけないよね」という声が聞こえてきますが…。
さて、メールをいただいた方にはこれまで連載した10個の「逆質問」を書き、末尾に「昨日は□□に泊り、現在□□に向かっております」との一文をつけて送信した。文面からおわかりのように、そのときはJRで移動中であった。
これに対して「吉田道雄さま お世話になります。私の変な質問に対して真摯に考えていただき、ご回答下さりありがとうございます。先生のコーチングにより挙げていただいた質問(考える切り口、ヒント)について、今後、じっくり考えていきたいと思います。そして、もしも自分が納得できる解答がわかりましたら報告させていただきます。ご安全に! □□□□」との返信をいただいた。めでたし、めでたし。 |
エンドロールを楽しむ 2018/06/19 Tue 5861 continued from 06/17
「エンド‐ロール」は余韻を楽しむためにあるもの。映画という虚像の世界から、それを創った実在の人々や団体を知らせるメッセージ。これを座席に座って最後まで観る。それが制作に関わった人たちに対する礼儀でもある。「中身だけ観ればそれでおしまい」。それでは本当に映画を観たとは言えない。
2時間近くにわたって楽しませてくれた人たちへの感謝の気持ちを込めて、目を細めながら(?)楽しむ。しばらくして館内の照明がやおら点灯する。そこで、再び現実の世界が蘇ってくる。この時点で「1本の映画」が完結するのである。ああ、それなのに、館内のあちこちで観客が立ち上がる。こちらは静かに楽しんでいるのに、その人影がスクリーンを遮っていく。いやはや、こまったものでございます。
ところで、「万引き家族」のエンドロールはあっけないほどさっと終わった。たしかに登場人物は多くなかったし、映画の場面設定も限定されていた。そんなことから「製作関係者」も少なかったのだろうか。そうした作品が賞を穫るのもまたおもしろい。 |
現実の先取り 2018/06/18 Mon 5860
「万引き家族」を観た。第71回カンヌ国際映画祭の最高賞「パルム・ドール」を受賞した話題作である。その影響もあったと思われるが、「わが家のシネコン」開闢以来の観衆でにぎわった。何と言っても座席の隣によその人が座っているのだから、その驚きは相当なものだった。
英語のタイトルは〝Shoplifters〟、つまりは「万引き者たち」である。英語の感覚で〝lift〟というのがおもしろい。チケットにはR-20と印字されていた。〝R〟は〝restricted〟(制限あり)で、「20歳未満アウト」ということになる。たしかに「万引き」は勧められるものではないし、ほんの少しだけ「大人のシーン」が入っていたが、それで〝R-20
〟というのは、そんなものなのかと思った。
映画の中には、つい最近発生した「5歳女児虐待死」そのままと思えるようなシーンがあった。女の子が両親からネグレクトされ、「反省しなさい」と責められるのである。問題があまりにも深刻であるが故に、是枝監督が「現実の先取りをした」と自慢することはないはずだが、直近の現実を報道で知らされているだけに、じつに強烈だった。これも社会の劣化現象なだろうか。 |
早朝夕刊(7:15am)エンドロールの共有 2018/06/17(2) Sun 5859
映画のエンドロールの話題の一つに、あれに出てくる人数はどのくらいなんだろうというのがある。大抵は下から上へと流れていくが、そもそもそれを数えるなんて気にはならない。
ともあれ、世の中にはいろんな情報があふれているから、いくつかのキーワードでアクセスしてみたら、デジタルルックラボの川上氏のサイトに表が載っていた。それによれば、1994~2013年までのデータのトップは〝Iron
Man〟で3,310人である。それに続くのは2,984人の〝Avatar〟となっている。本人たちはほんの数秒で流れいくわが名を観ながら満足しているだろう。そんな気持ちを共有しながらエンドロールを楽しみたい。 |
高さんからの手紙(66) 2018/06/17 Sun 5858 continued from 06/10
生産性本部の岩井専務理事から、研究所活動の困難さを指摘され、ショックを受けた高さんは、ある行動に出た。
当時小生は教育部第一課(集団力学研究所担当)の課長で部下の人たちには「その内必ず企業で活用されるから頑張れ」などとハッパをかけていたわけです。3日後に退職願を書きました。部下の人たちには申し訳ないので「その代わり次ぎの就職先は決めないでやめるから許して欲しい」と言うことにしました。当時35歳だったから今考えるとぞっとする話しですが「独り身だし日本の産業界は経済成長真っ只中だったからまあ何とかなるであろう」と思ったわけです。岩田専務は悪気があって言ったものではなく自分の感想を率直に述べられただけで、事実退職されるまで集団力学研究所の監事をして下さったし小生にはその後も亡くなられるまでバックアップしていただきました。(小生の退職の本当の理由はご存知なかったと思います)
今日では、その理由は様々あるだろうが、けっこう多くの人が転職している。しかし、その当時、管理職に就いていて退職するとは、何ともすごい決断と行動力である。それも35歳と聴けば驚いてしまう。 |
消えた「西友」 2018/06/16 Sat 5857
佐賀に仕事でやってきた。JR佐賀駅の裏表とも熊本駅より整っている。そんなことを本コラムに書いた記憶がある。熊本駅はと言えば、新幹線側は片側二車線の道路が斜めに走るという状況である。また、観光バスなどが止まる大型車向けのスペースは皆無に近い貧弱さである。そこから車で表側(白川口)に回るには2台がギリギリすれ違える細道をクネクネと曲がり、さらに幅の狭い地下道を抜けていく。新幹線が止まる駅の中で最も貧相なのではないかというのが私の体感である。そんなわけで、少なくとも写真だけを見せられれば、佐賀駅の方が都会に見えるに違いない。
それはそうとして、佐賀駅前に立って驚いた。駅を背にしてすぐ左にあった西友がクローズしていたのである。昨年はチャンと開いていた。そう言えば、諫早にも駅前に西友があったのだが、気が付いたら閉店していた。どちらも何回かは買い物をしたことがある。西友の親会社はウオルマートだったと思うが、不採算になるとどんどんとカットされるのだろうか。こうして、人口が減少する中で、わが国は「クローズがクローズを呼ぶ」という悪循環の逼塞した状況に陥っている。 |
仮想的有能感 2018/06/15 Fri 5856
「仮想的有能感」という用語がある。これは速水敏彦中部大学教授が提起したもので、「他者の能力を低く見ることで自己評価を吊り上げ、一時的で無意識的な自尊感情を高める習慣的な感覚」とされる。今日の若者に観られる「些細なことでキレる」「自分の非を認めない」「自己中心的で、他人を見下した言動をする」傾向を理解するカギになるという。
この「仮想的」について、「自分の過去の実績や経験に基づいて生じる従来の有能感と区別するためです。仮想的有能感は自分の過去経験には左右されず、思い込みの自己評価であり『本物』の有能感ではない、そういう意味で「仮想的」なのです」と解説されている。
私は「仮想」という言葉には若干の違和感がある。「仮想」には「本人も仮想だと気づいている」という意味合いまで含まれていると思われるからである。問題が深刻でかつ改善することが容易でないのは、それが「客観的な事実に基づかない『思い込み』であること」に「気づいていない」からではないか。このあたり、なかなか興味深いところだ。 |
息子(夫)の影 2018/06/14 Thu 5855 continued from 06/12
さて、「嫁姑問題」の質問に対する「10個の逆質問」もあと2つになりました。その⑨は「『姑問題』で「『息子(夫)』の影が薄いのはどうしてか」です。
ただし、これは私の個人的推測にすぎません。現実には「夫」が「大活躍」しているケースが多いのかもしれません。しかし、それも「かなり問題」だということになります。つまりは「夫」が一方の側に積極的に付くがために「嫁姑」に問題が起きるわけです。「いろいろ文句を言うな、お母さんのことを考えろ」などと言いまくる。夫がそんな姿勢だと嫁は立つ瀬がありません。これとは対照的に、「お母さん、その年になってゴチャゴチャ言わないでよ」と母親を責めまくれば、老人は途方に暮れるでしょう。
夫は母親の子どもですから、それなりに何でも言える可能性があるはずです。もちろん妻にも伝えるべきことはしっかり伝えることが必要です。いずれにしても夫は「良き調整者」になることが期待されるのです。
また、「影が薄い」という私の主観的推測が正しいとすれば、これもまた問題解決には障害になります。私の仕事と関連させて言えば「息子(夫)」の「リーダーシップ欠如」であり、「優柔不断」は問題解決どころか、それをさらに深刻化さるせ心配があるのです。 |
「もしそうだったら、命に…」 2018/06/13 Wed 5854 continued from 06/08
〝Feel-unsafe〟に関わる「心の声」の最後は「⑤もしもそうだったら、命に…」でした。自分がおかしいのではないかと思うことが、その通りになった場合は人命にも関わる事態になる。このときは、ことの重大さから上司に報告して、「危うく難を逃れた」といいます。
これで話が終われば、さすがに命に関わるレベルになれば、人はFeel-unsafeの機能が働いて報告するということになります。しかし、現実はそれほど楽観できないのです。なぜなら、このときは深刻な事態に陥ることを未然に防ぐことができたのですが、ご本人は「今から考えるとぞっとする」と言うのです。
その理由を問うと、「じつはこれまでも似たようなことは何回か経験していた。しかし、その時々では『自分の考えすぎだろう』と思ってとくに対応はとらなかった。そして、その後に問題が起きたことはなかった。ところが今回は虫の知らせなのだろうか、気になり方が強かったので、つい報告したのだった。とにかく運が良かったとしか言いようがない」との回答が得られたのです。「命に関わる」と思われることでも、「運が悪ければ」対応されないことがあるわけです。 |
早出し夕刊(8:05am)エンドロール 2018/06/12(2) Tue 5853
エンド‐ロール(end roll):映画の終わりに表示される、製作者・監督・小道具係などの名前を列挙した一覧(デジタル大辞泉)。昔の映画では、こうした人名等は最初に流れていた。これだと、どんな役者が出るかが観る前にわかる。名前が登場人物名に対応していればなおさらで、その時点からイメージが出来上がる。
これに対して「エンドロール」の方式だと、主演等の主だった俳優は別にして、「友情出演」などはスクリーンに映ってはじめて気づく。そこが面白いと言えば面白い。「家族はつらいよ」の笑福亭鶴瓶はその例である。「Ⅱ」では火葬場の職員、「Ⅲ」ではタクシーの運転手として登場した。 |
近距離の摩擦 2018/06/12 Tue 5852 continued from 06/05
さて、「嫁姑問題」に関す私の逆質問シリーズもあと3つになりました。その「⑧」は、「対人関係にとってその距離が近いほど問題が生じやすいことはないか」というものです。
人間の関係は平和であることが理想です。しかし、現実はそうもいかないことが少なくありません。そもそも身近な者同士は、お互いが関わる機会も多くなります。その結果として摩擦や行き違いが発生する可能性も高まるのです。国際関係でも、近隣諸国の間で様々な問題が起きやすいのは歴史的事実でしょう。わが国は、中国や韓国とことあるごとにギクシャクします。しかし、そうした傾向はヨーロッパの隣国同士でも見られることです。そもそも、「摩擦」とは、お互いに接しているからこそ発生するのですよね。
そんなわけで「嫁」と「姑」の間にも「近い」が故のトラブルも起きやすいのではないでしょうか。もちろん、そうだからと言って、世の中に「うまくいかない『嫁姑』の方が多い」ということはないでしょう。 |
明け方夕刊(5:23am)〝perspective〟 2018/06/11(2) Mon 5851
perspect[品詞]名詞 [訳語]perspective(観点;見通し;展望)のミススペル(weblio)。〝perspective〟は論文の「展望」として、よく目にする単語である。末尾の〝tive〟は動詞の後に付く「接尾辞」で、「~が可能な;~に富んだ」といった意味になる。〝active〟〝creative〟〝formative〟などが頭に浮かぶ。
そんな類推から、〝perspect〟という動詞があるものと思っていた。ところが、それは〝perspective〟の「ミススペル」というのだから「おやおや」「やれやれ」」である。また、〝positive〟〝negative〟などは「動詞+」型ではなさそうだ。英単語一つとっても知らないことばかり。 |
大人の対応 2018/06/11 Mon 5850 continued from 06/09
「小さな親切作文コンクール」で全国優秀賞(小学生の部)を受賞した3年生男子の「いいことをするといいことがかえってきた」はつぎのような内容である。
自動販売機の下にお金が落ちていた。近くに駐在所がないので、お金を郵便局に持っていった。そのことを忘れていたところ、数日後、自宅にパトカーがやってきた。おまわりさんが「この前はどうもありがとう」と言ってキーホルダーなどのグッズをくれた。三人兄弟なので、人数分もらった…。
ここで大事なのは、子どもの行為を「大人がしっかりと評価している」点である。本人によれば、それは「小さなこと」だったことから、家の人に言わずに忘れていたという。作文に「金額」は書かれていないが、「小さなこと」を「評価する」からこそ大きな喜びと発見があるのだ。私は永いこと「小は大を兼ねる」という話をしてきた。「大きなこと」は誰からも評価される。これに対して「小さなこと」は、それに気づいてくれた人たちとの間に「大きな」信頼関係が築かれるのである。「小さなこと」に喜べる人は「中くらい」ではさらに、そして「大きなこと」には「極大の喜び」を体感できる。 |
今月の表紙(2) 2018/06/10(2) Sun 5849
熊本市内を走る連接型の市電です。もともとは西鉄電車として福岡市内を走っていました。当時の塗装そのままで、私は大感動しています。なぜなら、私が高校生のときは電停の室見から千代町、大学生時代は九大中門まで、この電車で通学していたのです。じつは、最後尾の運転席側に「指定席」があって、毎日のように「席取り合戦」をしていました。 |
高さんからの手紙(65) 2018/06/10 Sun 5848 continued from 06/03
高さんは、生産性本部の専務理事に就任した岩田龍雄氏からヒヤリングを受けた際に、「グループダイナミックスはアメリカ生まれだから国情の違う日本の企業での活用は難しいだろう」と言われてしまった。これが「生産性本部退職」の契機になったというのだから、超後輩の私にとってもショックである。高さんの手紙をフォローしよう。
岩田氏は西銀では学究肌の人で当時「日本的経営」などにも関心が強かった方です。この発言に小生は非常にショックを受けたわけです。当時まだ研究所としての実績はなかったけれど企業への活用こそが目標でしたから。研究所の運営そのものは既に関さんも頑張っていたし問題はありませんでした。
ここで登場した関文恭さんは私にとって忘れることができない大先輩である。まことに残念ながら今年の1月にお亡くなりになった。そもそも私が「集団力学研究所」と関わるきっかけをつくってくださったのが「関さん」だった。そのお誘いで天神の長銀ビルにあった研究所に出かけたのが、昨日のことのように思い起こされる。いつも笑顔で「吉田君」と声をかけてくだり、ご自宅にも何度となく泊めていただいた。 |
今月の表紙(1) 2018/06/09(2) Sat 5847
現在、鉄筋コンクリートで新築中(?)の熊本城です。鉄パイプで囲まれているのが大天守で、左側が小天守です。袴にある石垣がまるごと無くなっていますのでスケスケですが、ここに石が積まれていくのです。それも可能な限り元の石を元にあった場所にはめ込んでいくのですから、それを聴いただけで気が遠くなります。ともあれ一歩ずつ前進しています。 |
「小さな親切運動」 2018/06/09 Sat 5846
〝Yes man〟を自認する私は「熊本県青少年育成県民会議」の議長をお引き受けしている。そのため、「会議」が主催する大会や行事だけでなく関連する団体の総会などにも出席の打診がある。おかげで現役時代と変わらないスケジュールで仕事をさせてもらっているので、そうした会合に出席できないことが多い。
そんな中で、先日は「小さな親切運動熊本県本部」の定期総会があった。「熊本県青少年育成県民会議」の会長は。役職指定で顧問になっている。今回は時間の都合がついたので出席した。私は「小さな親切、大きな感謝」というタイトルで本コラムにも書いたことがある(2003年10月31日)。「小さな親切、大きな御世話」と茶化して嗤うような風潮が世の中を劣化することに焦りすら覚えた。しかし、その後もその流れはさらに速度を上げて悪化している気がする。ともあれ、あれから15年もの時間が経過したのかと驚いてしまう。
それは措くとして、総会では子どもから大人まで、様々な「小さな親切」を行ったことに対して「実行章」が授与された。その中で、「小さな親切作文コンクール」の全国優秀賞が2編、入選が2編だった。そして、3人の小学生が壇上に立って自分の書いた作文を読んだ。その中でも、最優秀賞を獲得した3年生男子の「いいことをするといいことがかえってきた」はすばらしかった。 |
「言った方が…」 2018/06/08 Fri 5845 continued from 06/01
〝Feel-unsafe〟のキーになる第⑤「言った方がいいかな…」である。そう思ったのに言わなかったために重大事態を起こしてしまったというのである。この場合も「いつでも、誰にでも、すんなり言える」状況が職場にあるか否かが問題になる。
このところ、よく知られた組織におけるコンプライアンスに関わる問題が噴出している。どこまでいけば、その勢いが止まるのかと不安になる。それらの原因の一つに、業績第一主義や過酷な競争が挙げられる。そうした状況のもとでは、「余計なことを言って行程に支障がでるとまずい」といった心的な圧力が生じやすい。それが問題を発見しても「言わない」選択を迫ることになる。
こうした事態が発生した場合であっても、それが直ちに重大な事態を引き起こす確率は低いことが多い。しかし、それが故に「同じ」状況に遭遇しても再び「言わない」ことになってしまう。そこには「前に言わなかったのだから、なんで今さら言うのかなどと責められてはかなわない」といった心的な抵抗も生まれやすい。
そして、問題が起きてしまってから「あのとき言っておけばよかった」と嘆く。まさに「後悔先に立たず」。 |
天災は人災 2018/06/07 Thu 5844
「天災は忘れた頃にやってくる」。これが寺田寅彦の言だという話もあるが、寅彦の書いたもののなかには存在していないらしい。これについては、弟子だった中谷宇吉郎が朝日新聞に寄せた原稿「天災」に「天災は忘れた頃に来る」を寅彦の言葉として記述したことにはじまるという。
そのあたりの事実関係は措くとして、これが名言であることは疑いない。そして、私はこの言は「『天災」は『人災』だ」と主張しているのだという思いを強くする。現代科学の力を駆使しても、いまのところ「天災」がいつ来るかを正確に予測することはできていない。数日後の台風の進路さえも、その進行方向の予測には大きな予報円が必要である。
そうした現実のもとで、天災の発生を予測し、それに対する備えをし続けなければならない。それを「忘れたり」、「手を抜いたり」すれば、取り返しのつかないダメージを受けることになる。そして、「忘却」「手抜き」、あるいは「油断」、さらには「事態を甘く見る」などは、すべて「人間」の問題である。その結果として「天災」によって厳しい事態が引き起こされる。それは「天災」による「人災」なのである。 |
「輿論」と「世論」 2018/06/06 Wed 5843
輿論・世論:世間の大多数の人の意見。一般市民が社会や社会的問題に対してとる態度や見解。「-に訴える」「-を喚起する」〔「世論」と書くときは「せろん」と読む場合が多い」(大辞林
第三版)。私の周りに「世論」を「せろん」という人はほとんどいない。
大辞泉には以下のような付記がある。当用漢字制定以前は「よろん」は「輿論」と書いた。「世論」は「せろん・せいろん」と読んだ。「輿論」は人々の議論または議論に基づいた意見、「世論(せろん)」は世間一般の感情または国民の感情から出た意見という意味合いの違いがある。
これに基づけば、両者にはかなりの違いがある。「輿論」の基礎には「議論」がある。「世論」は「感情」にウエイトがあり、「議論」が抜けている。つまり「世論」は「世間の多数者がもっている情緒的な意見」ということだ。センセーショナルな情報が流される。それによって「感情」が煽られて、「いわゆる世論調査」の数値が生まれる。それを検証する「議論」が飛ばされて「そうだ、そうだ」と一方的な流れができあがる。当用漢字に「輿」が含まれなかったことから「世論」にしてしまったのは、じつにまずい選択だった。 |
My Twitter(6:25am) 蘇りはつらいよ 2018/06/05(2) Tue 5842
山田洋二郎監督「妻よ薔薇のように 家族はつらいよⅢ」を観た。今年13本目の映画である。その副題(?)のようにシリーズ化している。今回も最後のシーンで「続編」があることを宣言(?)していた。ところで、前作で銀杏に埋められて火葬されたはずの小林稔侍が医師として蘇ったのには驚いた。名優として欠かせないのなら殺してはいけない。 |
遺伝子と「べき論」 2018/06/05 Tue 5841 continued from 05/31
講演後に受け取った「嫁姑問題」についての質問メールには、「姑」は「嫁」を「自分の遺伝子を引き継いだ孫を育ててくれる母親であり、優しくしてあるべき存在」として認めるべきではないかといった意味合いのことが書かれていました。
これに関連して「⑦『姑⇒嫁』あるいは『嫁⇒姑』のいずれ」のケースでも『原因』は同じなのか」という逆質問をしました。もちろん、私にはどちらの場合でも、その「原因」は単なる推測以上のことはわかりません。ただ、「遺伝子論」的解釈はどうなんだろうと思います。
一般的に、祖父母が孫に超アマであることはほぼ常識になっています。「目に入れても痛くない」というわけです。しかし、「だから孫を産んでくれた母親にも優しくするべき」という心情に繋がるのかどうか、私にはよくわかりません。むしろ、「嫁だけが血が繋がっていない」などという倒錯的な「血縁論」が頭をかすめるのでしょうか。しかし、それは「姑」自身も同じ状況にあるわけです。ともあれ、遺伝子や血縁などを根拠にして人間関係を「べき論」で語るのはいかがなものかと思います。それが差別やいじめを産み出すのです。 |
My Twitter(5:39am) どうして、いまごろ? 2018/06/04(2) Mon 5840
山田洋二郎監督「妻よ薔薇のように 家族はつらいよⅢ」を観た。今年13本目の映画である。その副題(?)のようにシリーズ化している。今回も最後のシーンで「続編」があることを宣言(?)していた。ところで、前作で銀杏に埋められて火葬されたはずの小林稔侍が医師として蘇ったのには驚いた。名優として欠かせないのなら殺してはいけない。
東京の世田谷で一家4人が殺害された事件は2000年12月30日から31日にかけて発生した。すでに17年以上が経過しているが、成城署捜査本部は、犯人が事件当時15歳から20代だったとみていることを明らかにした。ホー厶ぺージには遺留品が掲載されているという。それにしても、どうしていまごろになって「推定年齢」を公表するのだろう。 |
第三者 2018/06/04 Mon 5839 continued from 05/29
倫理的行動とは「問題を感じた際に、一般社会の常識を忘れず、第三者的に物事を判断する」ということ。今回はキーワードの「第三者」について考えてみましょう。
「第三者」とは、「当事者以外の人。ある一つのことがらに関係していない人」とされています(精選版日本国語大辞典)。そこには1890年(明治23年)に施行された「行政裁判法」の第38条「行政裁判所は原告被告及第三者に出廷を命し」の引用もあります。つまりは、訴えた方と訴えられた側のいずれにも関わりのない者ということです。
これは問題になっている事象に「利害関係」をもたない者という意味でもあります。ただし「第三者」は、「関係がない」だけでなく、その問題について「客観的に評価し、合理的な結論を導き出す力」を有していることが求められます。この点が重要で、そうした基準を「第三者」が満たしているかどうかを判断する「第四者」が必要だという発想だってあり得るかもしれません。もちろん、それでは収拾がつかなくなります。
ともあれ、「一人ひとり」が「第三者」的な視点から問題を把握し、適切に対応することはきわめて重要です。 |
早出し夕刊(8:16am)「弱さ」を知る「強さ」 2018/06/03(2) Sun 5838
私は「自分の弱さを認める強さをもとう」と提案している。誰だって、強いところもあれば弱いところもある。それが人間である。まずは「弱さ」に気づくこと、そこからはじまる。そのうえで、「弱さ」にどう対応していくか。それを克服すべくチャレンジする。これも一つの解決法であり、うまくいけば人を成長させるだろう。それは「成功体験」としてほかの行動にまで望ましい影響を与える。
その一方で「弱いところ」をそのまま「認め続ける」という選択肢もある。「弱点」もまた「自分の個性」であり、それを無理やりに変えようなんて考えない。それがあってこそ他人に優しくなれる。これもすばらしい。 |
高さんからの手紙(64) 2018/06/03 Sun 5837 continued from 05/23
「高さんからの『手紙』」には、赤字で「ここで3月11日東日本大地震が発生、しばし手紙書きは中断。死亡災害1万人以上とは!福島第一原発の早期収束を祈るような気持ちがつづきます。6月に入りました」と記されている。震災から三ヶ月ほどが経過して記述が再開される。
一寸話しの順序が逆になりますが、小生は昭和44年(1969年)11月3 0日に生産性本部を退職しています。実はこの年の6月頃本部の専務理事に西日本相互銀行の重役であった岩田龍雄氏が就任されました。就任直後に生産性本部の職員一人ひとりに「現在どういう仕事をしているか」というヒヤリングをされたのです。集団力学研究所の担当だと話したら「東大、京大にもない地元九大のオリジナルな研究だから基礎研究は大いにやるべきだ。(ここまでは良かった)しかしグループダイナミックスはやはりアメリカ生まれの研究だから国情の違う日本の企業での活用は現実には難しいだろう」という意見でした。
地元にある研究所の存在意義を認識されていたところ「までは良かった」のだが、「これから」と思っていた高さんにはショッキングな見通しだったのである。 |
My Twitter(2:35pm) 瞬間顔面変化2018/06/02(2) Sat 5836
トランプ大統領と金英哲朝鮮労働党副委員長らの写真撮影の一コマが面白かった。カメラを前にして、まさに破顔一笑、真っ白な歯を見せる。そして、おそらくはシャッター音が響き渡り、それが終わったと思われたそのときである。まさに瞬間的に大統領の歯は消え失せた。その0.001秒も要しないような表情の変化に、私は驚き、つい笑ってしまった。 |
「越後屋」2018/06/02 Sat 5835 continued from 05/23
「越後屋、お主も悪じゃのう」「いえいえお代官さまとくらべれば…」。北陸日本海側に「越前」「越中」「越後」と並ぶ。京の都から見て「前」「真ん中」「後」ということで、現在は福井、富山、新潟の三県である。それにしても「越後屋」は悪徳商人のダントツとして永年に亘って君臨している。新潟の人は文句を言わないのだろうか。
そもそも「越後屋=悪」という等式が成立した経緯については、ネットでもけっこう話題になっている。ご関心とお時間をお持ちの方は検索されてはいかがだろうか。
この二人の会話では「直接的なことば」が交わされることはないが、その真意は二人の関係によって「正しく」理解される。権力関係で弱い方が強い方の「ことば」から「忖度」するわけだ。その際に、強い側も相手側に「そうした意識」が生まれることを期待する。あるいは要求する。これは相当程度の高等技術である。権力側は「具体的に指示したことがない」と主張するし、それは「事実」としては疑いないのである。今回のアメフト問題についても、こうした点について、法律あるいはその解釈をする「専門家」はどのような対応をするだろうか。 |
「どこかおかしい、なんとなく変だ…」2018/06/01 Fri 5834 continued from 05/23
〝Feel-unsafe〟を妨げる「心の声」の第④は「どこかおかしい、なんとなく変だ…」である。仕事の流れの中で具体的な問題点はないのだが、いつもとは違う。とにかく「どこかおかしい」「なんとなく変だ」と感じるわけだ。はっきりした問題や障害がないために、「単なる気のせいかもしれない」「まあ、いいんじゃないの」と先に進んでしまう。
これを〝Feel-unsafe〟の視点から観れば、〝Feel〟=「感じる」ところまではいっているわけだ。ただそれが「具体的な〝unsafe〟」にまで繋がらないところが問題なのである。その結果、「まあ、いいんんじゃないの」で終わってしまい〝action〟=「行動」が回避される。
ここで求められるのは「誰かに確認してみよう」という動機づけである。個人の判断ではなく「集団の目」を使うことで問題が解決する可能性が高まる。こうした際に、上司や仕事仲間から「この忙しいのに、気のせいかもしれないなんてことを聴くな」と言われたり、「言われそうだ」と思わせる空気があれば、「確認行動」は抑制される。組織の安全は「個人」ではなく、「集団」こそが大きな影響を与えるのである。 |
|