Home

 2017年12月号(先月)
 Back Numbers  

味な話の素No.177 2018年01月号(5629-5663)  Since 2003/04/29
教職大学院 2018/01/31 Wed 5663
 私は今年度からスタートした教職大学院でシニア教授として勤めています。「国立大学法人熊本大学有期雇用職員雇用規則」によれば、「同職員」の「非常勤教員(職種)」として「シニア教授(職名)」が含まれています。その「職務内容」は「専ら熊本大学において研究指導、講義、演習その他教育を担当し、又は外部資金等による研究プロジェクトを推進する」ことです。
 また「雇用対象者」は「教員選考基準に定める教授の資格を有すると認められる者で、大学、教育研究機関、民間企業等を定年退職したもの又は定年退職に準ずる退職をした者として学長が特に認めるもの」とされています。
 ところで、所属を「教職大学院」としましたが、正式には「熊本大学大学院教育学研究科教職実践開発専攻」です。教職大学院は、「法科大学院」などと同じ「専門職大学院」で、その目的は「高い専門性を身につけた職業人としての教員」を養成することです。教員は8名の「研究者教員」と7名の「実務家教員」の15名で構成されています。学生定員は15名ですから、修業年限2年で30名です。単純計算では学生二人に教員1名ということになります。
 
「比較する」ではなく「見習う」こと 2018/01/30 Tue 5662
 菊池市で開催された「『熊本の心』県民大会」と「熊本家庭教育推進フォーラム」に参加した。教育委員になって2回目で、昨年の会場は玉名市だった。
 午前中の「県民大会」では、小学生による「狂言」や優秀作文の表彰とその発表、さらには郷土の先人による農業改革を踏まえた小学生の「米作り」の実践発表があった。オープニングから閉会までの2時間ほどがあっという間に過ぎた。
 午後の「フォーラム」では家庭教育にかかわる功労者等の表彰に続いて菊池高校吹奏楽部の演奏とピアニスト月足さおりさんのトークライブがあった。月足さんは「脊髄空洞症」という病気を抱えながら、現在は左手でピアノを演奏している。オーストリアで開催された「国際障害者ピアノフェスティバル」(2013)で課題曲と自由曲の両部門で金賞という実力者である。ご本人と司会の本田史郎アナウンサーとの軽妙なトークは会場の笑いも誘った。
 その時間を過ごしながら、私の頭にはある思いが浮かんできた。われわれは、「こうした厳しい状況の人たちに比べれば…」と「比較」して自分を奮い立たせてはいないか。しかし、それは「比較」すべきものではないと思う。それがどんな領域であれ、その人がどんな年齢であれ、ただひたすら「見習う」ことこそを自分たちの生きる力に転化していきたい。
 
社会あってこそ 2018/01/29 Mon 5661 continued from 01/22
 先週に続けて、「倫理的行動」として挙げられた「公衆の安全と健康を念頭に置き、公正自由な競争の維持、業務上の秘密保持」のうち、後半の「公正自由な競争の維持」を考えましょう。これは当然のことで、組織の「不公正」な行動は、それ自身が「コンプライアンス」の点で大問題です。それが「掛け声」や「建前」だけ終わっているケースもあるでしょうが、一般的に「公正さ」を無視する組織などないでしょう。
 ただし、それを確実に実現するのは口で言うほど容易ではありません。その証拠に、組織の不祥事や問題が絶えることなく発生しています。
 また、これは「外部」に対する「公正さ」に限定されません。たとえば、「過労死」を引き起こしてしまうほど従業員を働かせる組織が問題にされます。そのこと自身が「非倫理的」であることは言うまでもありません。そして、それによって他の組織よりも優位性を確保するとすれば、それを「公正な競争」と言うことはできません。つまりは「内部」の問題が「外部」との「公正自由な競争」を阻害しているのです。
 
高さんからの手紙(45) 2018/01/28 Sun 5660 continued from 01/21
 「手紙」の43回目(1月14日)でお名前が出た井下謙二郎さんにはたくさんの思い出がある。そのなかでも、私たち後輩がした「お祝い」は記憶に残っている。それは「古稀」か「喜寿」のお祝いだが、その時期も「相当な昔」であるくらいしか憶えていなかった。こうなると、私はその日をはっきりしたいという衝動が抑えられなくなった。
 これを明らかにできる重要な手がかりがある。それは「岩波ブックレット 学徒出陣」である。われわれがお祝いをした日に井下さんがお礼としてくださったものである。その裏書きには「1993年11月22日 第1刷発行」と記されている。したがって、会合はそれ以降のことになる。私としてはその日付をどうしても知りたい。そこで手帳をしらみつぶしにチェックしていけば、その日が判明するはずである。そうした会合については必ず手帳に記録しているからである。
 そこでとにもかくにも初版発刊直後の1993年11月からチェックをはじめることにした。対象範囲は11月と12月のみであり、書籍の発刊直後だから、まずこの年ではあるまいと思った。ところが、その予想は見事に外れたのである。手帳をめくりはじめたかと思いきや、12月11日(土)に「6:00 井下氏古稀祝 さかえ鮨 那の川バス停前(日赤通り)」という記録が目に飛び込んできた。まさに、労せず(?)して日時と「古稀祝」だったことが判明した瞬間であった。
 
奇妙な安堵感 2018/01/27 Sat 5659 continued from yesterday
 すでに3月である。月末には卒業式なのだ。この時期になって「ようやく決まった就職」と言われると、こちらの気持ちも平穏ではない。しかし、それでも守らなければならない一線がある。私の回答は□□□□にとって厳しいものにならざるを得ない。
 「□□□□君 大変残念ですが、同じ条件の人にも単位を出していません。むしろ、出席なしで成績を出すことは、私の方が責任を問われます。必要であればご両親にもちゃんと説明します」。
 自分の子どもが卒業できないと知ったら、親御さんは驚くに違いない。それに対して本人がどんな説明をするのだろう。ともあれ教員として成績を出さなかったのだから、それについて説明責任がある。その気持ちを伝えるために、文末を「必要であればご両親にもちゃんと説明します」と結んだ。そしてメールのやり取りはこれで終わった。
 その後、当人の指導教員に確認したところ、「ほかにも取れていない単位がある」とのことだった。それを聴いたとき、私の心のなかに何とも表現しがたい「安堵感」が湧き上がってきた…。
 
0.01%の一人 2018/01/26 Fri 5658 continued from yesterday
 そのメールはいまから15年ほど前の3月に送信されてきた。
 「吉田先生、私は□□□□です。受講した□□□□の単位が出ていません。」。その日、就職の関係で福岡に行かなければならない事情もあるようで、文面はかなり慌てていた。
 これを受けて私は授業の記録簿を確認したのだが、当人は出席時数が不足していた。私は授業のスタート時に「出席重視する」と明確に伝えている。そして、そのメッセージを3回ほど繰り返している。事情があって最初の数回は出席できない可能性も考慮するからである。記録簿の内容を踏まえて返信した。
 「□□君 あなたは授業に何回出席したかわかりますか。少なくとも□回は欠席です。日頃のレポートも考慮しますので、単位を出すのは極めて困難です」。これに対してすぐに返事がきた。その文面から「藁をもつかみたい」焦りが伝わる。
 「欠席したことには何の言い訳もできませんがようやく決まった就職のこともあり、どうしても卒業したいのです。どうか再試験か課題を受けさせてください。なんでもします。課題を与えてください。お願いします。 □□□□」。
 
0.01%の学生たち 2018/01/25 Thu 5657
 現役を退いてもうすぐ4年が経過する。大学の助手として給料をもらいはじめたとき私は27歳だった。ただし授業を本業としたのは1978年4月に鹿児島女子短期大学の講師になってからである。そのときは、かろうじて20代だった。その1年半後に熊本大学に転じ、2014年3月に定年を迎えた。これらを合わせた期間は36年になる。さらに一般的には再雇用ということになるだろうか、熊本大学のシニア教授として採用され、それも4年目が終わろうとしている。
 かくして、助手の2年間も加えれば42年間の職業生活ということになる。その間には、様々な学生との出会いがあった。私の自己評価ではその99.99%は楽しい思い出である。普通預金の利子は0.01%ならまあまあの時代だから、けっこういい線で教員生活を送ってきたと感謝している。
 ただ、その0.01%については「稀な学生」だけに、これまた記憶から消えがたい。ここに来て、私がすでに「時効だ」と判断するケースを振り返る気になった。
 
教育委員会 2018/01/24 Wed 5656
 先日、私が熊本県の教育委員をお引き受けしたこと書きました。早いもので就任してからすでに1年と3ヶ月が経過しました。その間にも多くのことを学ぶ機会があり、そうしたものをご紹介するのも委員の役割の一つだと思います。そこで、折に触れてこれを話題にしていくことにしました。
 まずは一般な話からはじめることにしましょう。皆さんは「教育委員会」と聴かれたときにどんなイメージを描かれるでしょうか。たとえば自治体庁舎の中に「教育委員会」があって、そこで多くの職員が働いている。そんな場面を思い浮かべられるかもしれません。しかし厳密には、それは「教育委員会事務局」ということになります。いわゆる「教育委員会委員」の人数は原則4名で、条例によって都道府県および政令指定都市は5名以上、町村は2名以上にすることが可とされています。熊本県の場合は5名の委員と教育委員会事務局を統括する教育長の6名で構成されています。「教育委員会」は「教育行政機関」として「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(昭和31年)に基づいて自治体における教育の組織・運営にあたります。その範囲には、学校教育だけでなく、文化・スポーツなどの社会教育も含まれます。ただし、大学と私立学校は除かれます。
くまにち論壇 2018/01/23 Tue 5655
 地元紙は「熊本日日新聞」である。話題にする際は「くまにち」と呼ぶことが多い。日曜日の一面には「くまにち論壇」と名付けられたコラムがある。コラムと言ったが、1600字を超えているから評論と言う方が正しいだろう。執筆者はそれぞれの分野で専門性が評価されている人たちである。
 現在、その「論壇」で第一週目を担当しているのは、京都大学防災研究所教授の矢守克也氏である。連載は昨年の4月から1年間のようだから、あとは2月と3月の2回で終わることになる。
 矢守氏の所属が京都大学防災研究所であることから明らかなように、その研究と実践活動は天変地異、そして人災に深く関わっている。因みに「防災力」向上を図る「防災ゲーム クロスロード」は矢守氏を筆頭に開発されたものである。こうしたことから、「くまにち論壇」は「熊本地震」にかかわる論考を中心にしながら展開されている。地元熊本では、最初からお読みになったいる方がいらっしゃると思う。
 さて、ここまでは客観的な情報をご紹介したが、じつは矢守ご夫妻の媒酌人は家内と私が務めさせていただいた。本日はそのことだけを記しておいて、細かいことは後日のお楽しみとしておきたい。
 
早朝夕刊(6:33am) 2018/01/22(2) Mon 5654
 「早朝夕刊(昨日版)」の続き。最近のAIに関する情報には〝deep learning〟ということばが目立ってきた。それが碁や将棋でコンピュータが人間のトップを倒す力になっているらしい。それまでは「超大量データの蓄積」とその「超高速検索」がコンピュータの売りだった。ここにきて「学び方」そのものに変化が導入されたようだ。私はその具体的なノウハウや原理を知らない。ただ、このごろは、あっちでもこっちでも「学習しない」あるいは「学習できない」人間が目について仕方がない。その中に国や組織の運命を左右する立場にある人たちもいる。そもそも「失うものがない」方が、それこそに「ダメ元」だから、「手強い」のである。こうして「弱い方が強い」というパラドックスが成立する。
 
社会あってこそ 2018/01/22 Mon 5653 continued from 01/15
 「倫理的行動」として「公衆の安全と健康を念頭に置き、公正自由な競争の維持、業務上の秘密保持」と書かれたものがありました。これは「自由記述」ですので、敢えて一文として提示しましたが、その内容はいくつかの領域にわけて考察すべきでしょう。まずは「公衆の安全と健康を念頭に置く」ことが文全体を修飾しています。それは回答者が所属する組織と関わりがあるからなのですが、これを「社会のため」と一般化することができるでしょう。
 そもそも世の中にある組織は、相当に建前的ではありますが、社会に貢献する存在であるはずです。そして、その活動によって組織の構成員が報酬や利益を得るわけです。そこを弁えずに、自分たちの利益のみを追求すれば、社会の約束事を無視したり、他の組織に対して不法、不当な攻撃をしたりすることになるのです。その結果として「コンプライアンス」の問題を引き起こす事例が後を絶ちません。それが「建前」であれ、「組織は社会があって存し、組織は社会のために在る」ことを繰り返し確認し続けていかなければならないのです。
 また、自分たちが社会に貢献していることを実感し、それに満足するのはいいのですが、「自分たちのおかげで世の中が助かっている」などと不遜な発想をしてはまずいでしょう。
 
早朝夕刊(5:37am) 2018/01/21(2) Sun 5652
 したたか【強か】①強くて手ごわいさま。②強そうなさま。いかめしいようす…(電子版「大辞林」)。このことばほど、お隣の二つの国の一つに当てはまるものはない。このところのニュースを見ていると、一方の国が他方を完璧にリードしている。つまりは、交渉を「仕切って」いるのである。そして、どちらが困っているのかは誰の目にも明らかである。それは「懇願している」ようにすら見える。少なくとも振り回されている。これまでも似たような状況が繰り返されてきた。しかし、いずれもその期待は裏切られている。この先の結果までを含めて「デジャビュ(既視感)」の思いが湧いてくる。
 
高さんからの手紙(44) 2018/01/21 Sun 5651 continued from 01/14
 集団力学研究所スタート後の「高さんからの『手紙』」には、私が知っている方々が続々と登場する。

 集団力学研究所の正式所員第1号は武田忠輔氏(福岡大学)です。最初は現在の富士ビルの生産性本部入り口横の小部屋に研究所がおかれ、彼が中心となりここでPMサーベイの標準化作業が行われました。その意味では武田氏は研究所の基礎を創った功労者だと思います。小生は当時教育部第1課長で集団力学研究所の運営を担当し、研究員を兼務していたことになります。

 武田さんは私が学部学生だったころ最初に知った大先輩の一人である。研究所が企業でリーダーシップ調査を行う際に私は調査員として招集された。そのとき武田さんから調査実施に関する説明を受けたことを鮮明に憶えている。しばらくしてから福岡大学に異動されたが、その後はほとんど連絡がとれなくなった。
 いま、ネットで検索したところ、「福岡大学人文論叢」に「武田忠輔教授古稀記念号」がヒットした。これが2009年3月の刊行だから、ご定年まで福岡大学にお勤めだったと思われる。私がお会いした当初はふっくらした体型で後輩に優しい方だった。その後は水泳などで体を鍛えられ、細身になられた姿をお見かけしたことがある。
 
最後のご奉公 2018/01/20 Sat 5650 continued from yesterday
 私は〝Yes man 〟と表記していますが、英和辞書では〝yesman〟と単語になっています。その意味は「イエスマン、ごますり」です(ジーニアス英和)。参考までに〝Dictionary.com〟では〝yes-man〟とハイフンで繋げています。「実際の思いとは関係なく上級者に対して賛意を表明し続ける人間」とされています。これは「ごますり屋」そのものであり、否定的な意味合いをもっていることは明らかです。つまりは、自分のことを「嬉々として」表現することばではないのです。
 しかし、私はけっこう「天の邪鬼」なところがあって、マイナスイメージの用語を肯定的に解釈したい気持ちがわき上がってくるのです。たとえば「自己満足(力)万歳」「朝令暮改の勧め」などは、私がプラスの意味を込めて使っているものの代表例です。「小は大を兼ねる」もありです。これらについては、このコラムでも取り上げてきました。
 ところで、そんな〝Yes man 〟の私に熊本県の教育委員のお話しがあったのです。それは一昨年のことですが、そのときは、さしもの〝Yes man〟も驚いてしまいました。しかし、これまで教育の分野でお世話になったのですから、「最後のご奉公」とばかり、そして〝Yes man〟としての誇り(?)をもって2016年10月に熊本県教育委員をありがたく拝命いたしました。
 
※訂正 下記の文中、「吉山尚裕さんが大分県の会長」とあるのは「会長」の誤りでした。ご本人からお知らせがあり、訂正させていただきます。 
〝Yes man〟人生 2018/01/19 Fri 5649
 私はこれまでの人生を〝Yes man〟として送ってきました。若いころから知っている友人たちからは「お前はそんなことまでしているのか」と呆れられることもあります。
 たとえば、「熊本県明るい選挙推進協議会」の会長などはその代表例かもしれません。「あんたがなんで選挙や」というわけです。ただし、この職については後になって大いに安心しました。沖縄で開催された会議に出かけたときのことです。何と吉山尚裕さんが大分県の会長として出席されていたからです。吉山さんは先月も本欄にご登場いただきましたが、「グループ・ダイナミックス」の「同業者」で、大分県立芸術文化短期大学教授なのです。さらに全国の会長が掲載されている名簿を見る機会がありましたが、そこには先輩の「同業者」もいらっしゃったのです。ともあれ、私としては顰蹙を買うのも厭わず〝Yes man〟に徹してきたのでした。
 その気分は前期高齢者になってからも変わらず、現在も「熊本県青少年育成県民会議会長」や「熊本県子ども・子育て会議会長」「熊本市いじめ防止等対策委員会委員長」「熊本県人権施策・啓発推進委員会委員」などをお引き受けしています。
 
今月の写真 2018/01/18 Thu 5648
 いつものことながら、「あっ」という間に時は走っていきます。すでに1月も後半です。今月の写真は二つの神社です。いずれも熊本市内にあるもので、左は「健軍神社」で右が「加藤神社」です。
 「健軍神社」は熊本市内で最古の神社だそうです。そもそもは「健軍宮(たけみやぐう)」といった呼び方だったのですが、昭和になってから「けんぐん」と読まれるようになったと言います。かつて熊本は有数の軍都だったので、こうした呼称が好まれたのかもしれません。参道も長くて初詣の際には大いににぎわいます。
 「加藤神社」は加藤清正ゆかりの神社であることはいかにもわかりやすいですね。現在は熊本城内にありますが、あの地震でかなりの影響を受けました。神社そのものは元通りになっており、境内から工事中の熊本城大天守閣、小天守、そしてそれだけでも天守閣に匹敵する宇土櫓が眼前に見えます。現時点では「熊本城内で最高の撮影スポット」になっています。そのため神社にお参りすることが主たる目的でない観光客も大勢訪れているようです。
 この神社はわが子と孫たちの全員が「七五三」でお世話になりました。
 
不可逆的差 2018/01/17 Wed 5647 continued from yesterday
 私としては年率8%の利子の時代を懐かしく思い起こしたのではありません。まずは元金100万円を年率1%の複利で9年間預けたとしましょう。その結果は1,093,685円になります。これを利率7%で運用することも考えてみましょう。この条件だと9年後には1,917,239円になります。単純計算で1.75倍になるのです。
 わが国は敗戦の焼け野原から懸命に復興に励み、1968年にはGNPが世界第二の経済大国になりました。それからはバブル崩壊やリーマンショックなどで大いに揺れながらも、かろうじてその地位を維持してきました。しかし、中国が著しい経済発展を遂げ、2010年に42年間続いた地位を譲ったのでした。
 それから9年経過しました。IMFの資料によれば、中国のGDP11兆2182億ドルに対して日本のそれは4兆9386億ドルです。すでに倍以上の差が付いています。私たちのように元気な日本を体験した者は「ほんの少し前に抜かれた」のだから「ちょっとだけ差を付けられたんだろう」くらいの思いでいるのではないでしょうか。現実は複利計算的以上で、まさに「不可逆的」な「差」になっているのです。
年利8%の時代 2018/01/16 Tue 5646
 すでに低金利の時代を迎えて久しくなります。銀行業界では大規模な合併が進み、最近は各種手数料についての話題が報道されています。資料によれば、郵便貯金の定額預金は1980年に何と年利が8%でした。これには3年以上預けるという条件が付いていましたが、今日では信じられない「高利」です。このとき私は30代の前半でしたが、そのことを記憶しています。この利率で半年複利計算でしたから、10年置いておくとほぼ二倍になるのでした。
 また当時は今と比べると相対的には退職金や年金も多かったと思います。その具体的な割合や額はわかりませんが、私たちの世代では退職金の削減が繰り返されてきました。年金の一本化などもあり、その額が減少したことは明らかです。ともあれ、年利8%であれば、退職金を1千万預けると利子だけで年間80万円になります。これに年金を合わせれば、退職金はそのままでも生活が送れる人たちがけっこういたのではないかと推測します。それがとりわけバブルの崩壊を機にじわじわと厳しい時代に入っていきました。
 
自己満足のためだけに行動する 2018/01/15 Mon 5645 continued from 01/08
 「非倫理的行動」として、これを挙げた人がいました。じつに「ストレート」な指摘ですね。何のことはない、「自分の満足」だけを求めて行動するのですから、それが倫理的に問題になるかどうかは二の次になるわけです。もちろん、組織の中で仕事をするのですから、あからさまにかつ日常的に「自分の満足のみ」を最優先していれば、上役や他のメンバーから問題だと指摘されたり、また顰蹙を買うことでしょう。そうしたことから、日頃は「自分にできること」に限定しながら「自己満足」を追求していくことになるでしょう。
 しかし、そうした態度や行動が「当然の習慣」として身に付いてしまうと、いつか「超えてはならない一線」を越えてしまうのです。その意味で「慣れ」ほど注意すべきことはありません。
 ただし、そうした問題を踏まえた上で、私は「自己満足力」も組織にとって重要だと考えています。日本語で「自己満足」といえば、何の努力もしないで現状を正当化するといったマイナスの響きがあります。しかし、客観的な基準によって「自分たちはしっかり仕事をした」という「満足感」を味わうことはきわめて大事です。それなくして、つぎのエネルギーが生まれるはずがないのです。これは外部から見えない、あるいは評価されない仕事であればなおさらです。みなさん、「個別的自己満足」を超えて「集団的自己満足力」を高めていきましょう!
 
高さんからの手紙(43) 2018/01/14 Sun 5644 continued from 01/07
 集団力学研究所の設立を強力にサポートされた方々のお一人に井下謙二郎氏がおられる。高さんの「手紙」は井下さんについて次のように語る。

 西日本新聞社の井下さんはバリバリの政治部記者で東京支社におられたのですが、当時の西日本新聞社は労働組合が7つもあり本社(現在の西日本新聞会館)は常時赤旗が林立しているという状況でした。当時の具島社長(アメリカ視察団のメンバー)がこの状態をまとめるのは井下氏しかいないというわけで人事部長として本社に呼び戻したというわけです。氏は当時から社内では労組幹部を含めて多彩な人脈を持っておられたのです。やはり人柄でしよう。当時満30歳(この時の直接の部下が千住方氏です)西日本新聞社内でもグループダィナミックスに関する調査研究が行われました。

 私が井下さんにお会いするのはかなり後のことになるけれど、人間性も含めてたくさんのことを教えていただいた。「手紙」の時代は現在の会館が建つ前のことだが、天神の交差点から少し先にあった本社ビルの前を通るとビラが配られたり赤旗が掲げられていた記憶がある。新社屋は1975年に完成しているが、後に集団力学研究所のホームグラウンドになる。
 
熊本学園大学と熊本地震 2018/01/13 Sat 5643
 熊本地震から1年9ヶ月になる。その当時の整理を兼ねて地震後に家族とやり取りしたメールを読んでいる。ほんの数十字のやり取りから、当時の様子が目に浮かんでくる。
 あの「本震」の日、私たちは熊本学園大学に避難した。自宅の近くには小学校と中学校もあったが、お隣の方とほとんど偶然に学園大学に行った。大学が準備した避難所は教室だったが、これが非常に助かった。それは黒板と机と椅子があるごく一般的な空間だが、床に埋め込みのコンセントが設置されていた。これが列ごとにあるのは避難者にとって最高だった。夜になると、あるいは認知症かもしれない高齢の母親とそれなりに年を取った息子の大きな声が聞こえた。息子としては、ほかの避難者たちに迷惑を掛けることを心配してたしなめていたのである。
 こうしたことも踏まえてか、大学は障がいのある人たちのために新たに教室を開放していた。そもそも学園大学には社会福祉学部があり、こうした面ではプロフェッショナルな教員と学生、そして職員の人たちがいる。そんなこともあって、「災害弱者」にも配慮した避難所の運営がなされていた。私は避難中に、熊本県や熊本市の委員会でご一緒していた先生方ともお会いした。熊本学園大学の強力なサポートに心から感謝している。
 
大学の存亡 2018/01/12 Fri 5642
 正月早々の3日に「2018年問題…大学曲がり角 少子化直撃、定員割れ4割/ 統廃合が加速」という記事が載った(産経新聞)。とにかく少子化である。この2年間は出生数が100万人を下回った。私が生まれた1948年は268万人だ。今年の成人は123万人ということである。そして、「2018年」は大学進学者が減少に転じると言われている。
 しかし、すでに大学の4割が定員割れしているという。われわれが大学に進学したころ、それこそ「雨後の竹の子」のように大学が設置された。その様子を辛口評論家の大宅壮一が「駅弁大学」と揶揄した。そのころから「留年」なるものが「大学の問題」として新聞で取り上げられはじめた。
 また「マンモス大学」ということばもあった。大学によっては数百人が入る教室で講義するケースもあった。これまた「マスプロ」教育と皮肉られた。大学は、「日本株式会社」で働く要員の〝mass production:大量生産〟を担う機関というわけだ。
 そうしたなかで勉強しない学生があふれ、大学は「アミューズメントセンター化」したと批判され、嘆かれもした。われわれの時代よりも今の学生の方が「まじめ」に見えるのは、私の気のせいだろうか。
 
「与えられる」データ 2018/01/11 Thu 5641
 世の中には「データ」があふれている。英語の〝data〟はラテン語に由来するもので、"(thing) given,"のことである。単純に訳すれば「与えられたもの」だろうが、日本語では「与件」「所与」などと言う。文字どおり「与えられたもの」なのだから、「受け止める側」としては「受け身」で終わることには要注意である。
 〝data〟は複数形だから様々な事象や数値の集まりのことを指すことになる。因みに単数形は datumである。マスコミによる世論調査データも頻繁に流される。われわれは洪水の如くあふれるデータの本質を見抜く能力を身につけておく必要がある。私はこれを「情報視力」と呼んでいる。
 ところで、アメリカ大統領選挙の予測で「歴史的事件」が起きたことがある。共和党のランドン氏と民主党のルーズベルト氏が、1936年の選挙で戦った。そのとき、雑誌「リテラリーダイジェスト」を発刊していた出版社が、同誌の読者名簿、全米の電話帳、様々な団体などのリストから、およそ240万もの対象者を選んで調査を実施し、ランドン氏の勝利を予測した。ところが、それは見事に外れたのである。これに対してギャラップは5万程度のサンプルでルーズベルトの勝ちを当てた。この「大ミス」が対象者の選び方など、その後の調査の在り方に決定的な影響を与えた
 
Michio Twitter(6) 2018/01/10(2) Wed 5640
 地球上の人口は75億人だという。わが国はこれまで1億2,700万人としてきた。いまや減少してはいるものの、やはり大人数である。これだけの数になれば、いろんな人間がいる。だからとんでもないことが頻繁に起きる。
 カヌーの薬物混入も信じがたい事実である。そもそもその動機からして問題だが、とにもかくにも「想像力」が欠如している。自分の行為がバレないと思っていたのだろうか。今回は本人が告白したことから事実が判明した。そう考えると、黙っていれば「バレない」事態もあり得たわけで、「想像力欠如」とは言えなくなるか。こんなことがあると、人を信頼しないことが求められたり、監視カメラの設置が容認されたりする。何ともやるせない。
 
 
栗よりうまい… 2018/01/10 Wed 5639
 「九里よりうまい十三里」。若い方々は何のことかおわかりだろうか。栗と味が似ていながら、それよりもさらにおいしいものである。それは焼き芋だ。そもそも商売として「焼き芋屋」ができたのは江戸時代らしい。「九里よりうまい…」については、この手のネタでよくあることだが、諸説ある。その一つは「焼き芋屋」が「栗には及ばない」ので「八里半」の看板を掲げて販売したというものだ。もちろん「九里=栗」にかけたのである。
 その後、自信を付けたのか「栗(九里)より(四里)うまいぞ」とアピールして「十三里」としたとか。当時の甘藷産地だった川越が日本橋から十三里の距離にあったという話もある。さらに、「十三里」より「ちょっとだけ」うまいと言いたいのか、「十三里半」というのもあったんだそうな。
 このあたりの「真実」は措くとして、私が言いたいのは、「何といっても焼き芋は『栗』の味だよね」ということである。あのホクホク感は焼き芋の醍醐味である。最近はすごく甘いのいいとしても、やたらと柔らかさを強調する芋が圧倒的に多くなった。たしかに、こちらのバージョンもうまいと言えばうまい。だからこれを敢えて忌避することもないが、やはり「焼き芋」は歴史とともに「栗」っぽいものを味わいたい。
 
私の「仕事場」 2018/01/09 Tue 5638
 年末の28日に昨年最後の出勤をし、「大学」で「仕事」をした。ただ、私にとって「大学」だけが「仕事場」ではない。そもそも大学教員は「裁量労働制」が適用されている。これは雇用者である「国立大学法人熊本大学」と被雇用者である教員が交わす労働条件に関係している。両者が「1日8時間週40時間」の労働契約を結んだ上で、具体的な労働時間は被雇用者の「裁量」に委ねられるのである。法律の素人レベルで解説すれば、「仕事場での実労働時間が長くても短くても8時間と見なす」というわけだ。
 さて、文章にすると大いなる誤解を生じるに違いないが、私にとって「仕事は趣味」というか、心理的には「遊び」である。そこで、私が「いるところ」のすべてが「仕事場」になる。大学は言うまでもないとして、自宅の「書斎らしき部屋」「リビングの机の上」は「仕事場」そのものであり、移動中の「電車」や「飛行機」さらには「バス」「タクシー」なども一瞬にして「仕事場」に変わる。もちろん、出先の組織や施設が「仕事場」であることは当然である。さすがに就寝中の「ベッド」まで「仕事場」と定義するのは無理があるが、とにかく「365日、朝から晩まで」私は「仕事場」で呼吸している。
 
悩みを打ち明ける、自分で抱え込まない 2018/01/08 Mon 5637 continued from 12/18
 「倫理的行動」とは何かについて聴いた際に得られた回答です。これは「倫理的行動」そのものではなく、「倫理的行動」をとるために求められる要件と言えるでしょう。
 自分自身が「どうしたらいいか」を迷う。あるいは「こんなことをしてはいけないのではないか」と悩む。それを誰にも相談できない。あるいは問題とされる判断をしたり、それに基づいて行動してしまった。そこで、ますます話をすることができなくなる。そうなるとアリ地獄にはまった状態でしょうか。焦れば焦るほど状況は悪くなり、さらに「打ち明ける」ことができなくなる。まさに悪循環です。
 こうした「一人で抱え込む」現象が起きるのは、個々人の特性も影響しているかもしれません。しかし、それよりも「仕事の悩みを打ち明ける」ことができる職場の雰囲気の方がもっと大事だと思います。そして、そうした状況を創り出すに当たって、管理職をはじめとした人々のリーダーシップが大きな役割を果たすのです。
 「悩みを相談したかったけれど、そんなことができる人はいなかった」。それでは個人的に「抱え込む」しかなくなります。そして、いつの日か問題が突然のように表面化するのです。
 
早朝夕刊(6:42am):「遅い」は「まずい」 2018/01/07(2) Sun 5636
 阪大が入試のミスを計3回指摘されていながら公表が遅れたとの記事が目に入った(朝日新聞DIGITAL)。該当する受験者が30名だというからその影響は重大かつ深刻である。発表されたのが6日、本来は休日に当たる。昨年の「不合格者」がセンター試験を受ける可能性も考えたのだろう。
 そもそも人間はミスをする。もちろん、その発生を「皆無」にするために全力を尽くすのは当然である。それと同時に「問題」が起きたときは迅速な対応が欠かせない。それによって、問題を起こした組織や個人の「信頼」が得られることすらある。私はずっと以前から、組織やリーダーシップの話題の一つとして「謝らない誤りを犯してはならないこと」の重要性を強調してきた。
 本件の場合、外部から最初に問題を指摘されたのは6月で、その後、8月と12月にも同じことが繰り返されたようだ。本格的な調査を開始したのが12月になってからというのではまずいに決まっている。
 その原因は、記事が正しければ一目瞭然である。「問題責任者の教授は副責任者の教授と協議するだけで、大学内で指摘があったことを共有しなかった」らしい。今回の問題が発生した原因は「これに尽きる」と言っていい。まだ「分析」したいことはいろいろあるが、すでに「夕刊」としての適量を大幅に超えてしまっている。
 
高さんからの手紙(42) 2018/01/07 Sun 5635 continued from 12/31
 いよいよ研究所がスタートしたが、「高さんからの『手紙』」には、その際に貢献された方々の名前が次々と挙げられている。

 設立にあたって特に中心になって極めて積極的に協力されたのが、新日鉄の小朝治氏、黒崎窯業の紙谷氏、西銀の井原氏、西日本新聞社の井下氏(故人)、九電の城戸氏(故人)等です。集団力学研究所の育ての親と言えます。井原さんは戦後板付にあったアメリカ軍の教育部門で仕事をされたことがあり、九大教育学部で開催された教育長等講習会(IFEL)にも参加されましたから日本の産業人ではもっとも早くグループダイナミックスに触れられた方の一人だと思います。

 そのころの私は18歳の大学新入生だったが、記載されている方々とは何年かの時を経るうちにお会いすることになる。私は子どもの年齢だから、皆さまにしっかり育てていただいた。西日本相互銀行の井原伸充氏は後に私が研究所長を退任するまで、毎月第三木曜日に開催していた「三木会」にもご参加していただいた。大学という、「世間」や「一般常識」から距離のある組織で息をしていた私に、ビジネスにおける「常識」などを教えていただいた。
 なお、「高さんからの『手紙』」の日付は2011年6月8日であり、所属や物故に関する情報は「手紙」の「原文」のままにしている。
 
しゃべり好きの配付資料 2018/01/06 Sat 5634 continued from yesterday
 パワーポイントの配付資料の「大事なところ」に□を被せるのは、聴き手の「気が遠くなる防止」だけが目的ではない。皆が手元の資料に目を向けるのではなく、その目を自分とスクリーンに惹き付けるためでもある。つまりは「スクリーンを見ざるを得ない」ように資料を創るわけだ。また資料は「エキス」に絞る方が効果的である。「スクリーンと同じ」となれば、誰もが手元の資料を見たくなる。「あとで見ればいいや」となれば緊張が緩む。
 講演やプレゼンテーションで盛りだくさんのスライドを準備しているケースにも出会う。それはいいのだが、時間がなくなると「これは飛ばします」なんて事態に陥る。私はそうしたパターンを好まない。その代わり、スクリーンに映し出すスライドが事前の資料に入っていないこともしばしばである。そうした「問題」があることを本題に入る前にお断りする。この点については、「『メモ欄』はいるなあ」と実感した。そこで、事前配付資料はA4の上半分にスライドを挿入し、下には空白のメモ欄を付けた「ノート仕様」にしている。
 こうした事情から、私の場合、資料のスライドが10枚を超えることはまずない。それでも「すべて」について話せないままに終わることがけっこうある。これは「しゃべり好き」の大欠点だと自覚している。
 
講演資料 2018/01/05 Fri 5633 continued from 11/18
 
講演をするときは「あれもこれも」と欲張ってしまう。そこで盛りだくさんの情報を入れ込んだパワーポイントの「講演メモ」をつくり、依頼先に資料として送付する。ただし、その「枚数」はかなり少ない。たとえば、A4で2枚というのもある。まずは「演題」「講演日と時間」、さらに私の「所属と名前」が入った「表紙」である。そして、2枚目は「本日のメニュー」といったタイトルを付けた、その日に話す「かも」知れないトピックスをリストアップしたものである。この2枚も、以前は縮小してA4の1枚にしていた。
 つまりは1時間半から2時間の講演で「A4で1枚ポッキリ」というわけである。そこで、「これだけですか」と確認を求められることもある。その答えは「そうなんです」とまことに味気ないが、事実だから仕方がない。お問い合わせがないケースでも、ご担当者の多くが「えーっ、これだけ?」と思われているに違いない。
 これに「内容」に踏み込んだスライドを加えることもある。その際は、スライドの1/2から2/3くらいは長方形の□でカバーを掛ける。その部分は私の話をお聴きになりながら「記入」していただくのである。こうすることで、皆さんが「受け身」のために「気が遠くなる」のを防止する効果が期待できる。
 
ある夜の電話 2018/01/04 Thu 5632 continued from 12/19
 
博士課程を終えた私は「集団力学研究所員」として給料をもらって仕事をはじめることになった。社会保険等の手続きも終わり、まさに準備万端、香椎の自宅から天神の研究所へ通うのである。
 そんな時間が経過していたなかで、「集団力学講座」の狩野素朗先生から自宅に電話があった。正確に言えば、私が夕刻に自宅へ帰ると、家内が「狩野先生から電話があった」と告げたのである。それは1976年2月25日水曜日のことである。「コンパで遅くなるが、10時には自宅にいるので電話を入れてほしい」という内容だった。私は夕食を摂って勉強していて、「10時きっかり」を逸したところ、10時5分ころに電話のベルが鳴った。狩野先生からだった。それは「人事のことですが」という前置きからはじまった。
 じつに細かい記述だが、これは私の日記からの転記である。私は高校1年生のとき、同級生の牧野伸行君から勧められて日記を書き始めた。そもそも父が日記をつけていて、中学生のとき当用日記に365日書き続けたことはあった。高校生で再びその気になったのである。はじめは飛ばした日もあるが、1964年11月19日(木)からはずっと続いている。本日をもって19405日目になる。
 
重大事態発生の原因 2018/01/03 Wed 5631 continued from 12/23
 
JR西日本の新幹線台車トラブルについて、われわれにはマスコミの情報しか手に入らない。本件に限らず、様々な問題が発生した際に「伝えられない事実や事情」があることは念頭に置いておく必要である。当事者としては言いたいことがあっても言えないことがあり得るからである。
 それはそうとして、「事故調査委員会」のメンバーでなければ論評もできないでは理不尽である。また、JR西日本が12月27日に内部で実施した調査結果について詳細を pdf で公開した。それでも自分たちが知らない情報があり得ることを踏まえたうえで、それなりの分析をしたい。
 私は「のぞみ34号」が名古屋駅で運転を中止したというニュースを耳にしたとき、思わず「神様がいたに違いない」と叫びたくなった。それが決して言い過ぎとは思えない重大かつ深刻な事態が現実に発生したのである。そして、それが「ハード」ではなく、職場の「規範」や「コミュニケーション」のあり方、さらには「リーダーシップ」や「対人関係」など「ソフト」の問題に起因していると推測した。台車の亀裂という「ハード」の問題は、その結果に過ぎないのではないか。
 
ものの数え方 2018/01/02 Tue 5630
 
ものの数え方はいろいろあるが、日本語はその数が圧倒的に多いのではないか。もちろんチェックしてはいないから、私の勝手な思い込みである可能性は高い。それを承知の上で、そのいくつかを挙げてみよう。
 「位牌」は「一柱」、「馬」は「一頭」「一匹」だが、人が乗ると「一騎」。ただし、これは「馬に乗った一人の武者」である(大辞泉)。鏡は「面」だから3枚合わせが「三面鏡」になる。このごろはあまり見なくなった。「鐘」の「一口」はなじみがない。「櫛」は「枚」だそうな。「重箱」はそのまま「重」、「数珠」の「連」はなんとなくわかる。「寺院」の「宇」と「神社」の「座」、そして「寺」の「堂」はいかがだろうか。「仏像」が「躯」と聴けばなるほどとも思う。これに加えて「山」も「座」となれば、「うーん、そうなんだあ」と驚きを隠せない。「蝶」が「頭」というのも、アゲハなどのきらびやかな姿がそう呼ばせるのか。「手袋」の「双」もおもしろい。「絵馬」「マネキン」、さらに「遺骨」も「体」である。「絵馬」は想定外?「船」の場合、「艘」は小さい船、「隻」は大きい船、「艇」はボートなど、「杯」はかつお船など特殊なものだそうな。
 新年早々、本日はこれだけでおしまいです。
 
あけましておめでとうございます 2018/01/01 Mon 5629
 
皆さま、新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。私は今年の秋のとある日に満70歳に到達します。いわゆる古稀ということですが、旧き慣習に従って、すでに昨年子供達から「古稀祝」をしてもらいました。それにしても「新たな大台」に到達するのだなあという感慨はあります。父は満75歳の誕生日を迎えて八日目に亡くなりました。私にとって、それまで6年を切ったということです。毎日をしっかり生きていきたいものです。
 現在、熊本大学教職大学院のシニア教授としてお手伝いしていますが、その「定年」は70歳です。このままですと、来年の3月31日をもって熊本大学を「完全卒業」になります。ともあれ、この年齢まで仕事ができるありがたさを実感しています。自分の専門領域にかかわるお手伝いも継続しています。先々の日程については、「『その日まで生きていたら』の条件付きですよ」と申し上げてお引き受けしています。頭と体が働く間は動き続けた方がいいに決まっています。さすがにパワーダウンは否めませんが、「私はマグロ」路線を堅持して、今年も「動き続ける」つもりでおります。