父の判断基準 2017/08/31 Thu 5491
父の日記にこんなことが書かれていた。
私には新しい基準ができた。それはヒデである。何かをはじめようと云うときに私はヒデに聞く。こういうときヒデだったらどうするだろう。どうすることがヒデが喜ぶだろうか。ヒデだったらどう言うだろうか。するとヒデがちゃんと答えてくれる。私はこれからは何事もヒデを基準にして行うことにした。
その日付は1974年11月21日である。母が47歳で亡くなってから1年と1ヶ月ほど経過している。このとき、とくに何かが起きたわけではないと思う。おそらく何にしても、自分が判断を求められるとき、父はこうして「母に聞いて」いたのだろう。この時点で父は57歳だから、私よりも一回りも若い。
父はけっこう短気なところがあった。母と二人で外出する際に、自分だけ準備をして戸外に出て待っている。ところが母が何かの事情ですぐに出てこない。そうなると家に戻ってきて「もう行くのは止めだ」と言ってきかない。私が子どものころ、そんなことが何回かあった。父は母に対して「わがまま放題」ができる人間だった。父は、母を喪ってからそんなことがあったと言っていた。私にはそれが「反面教師」になったような気がする…。
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大学の門 2017/08/30 Wed 5490
「九州大学」と大きく書かれた文字が正面に堂々と自己を主張している。理性の府、学問の府として自己主張しているのであろうか。
そもそも大学とは誰のものなのか。それは学問の自由な研究をするものとするならば、学生のものであり、教官のものである。そしてもっと重要なことは国民のものなのである。しかし、少なくとも言えることは、現在の日本の大学は市民のためのものとはお世辞にも言えない。
あのいかめしい門構えと周囲一面にめぐらされたレンガや金属の塀を見るとどう考えても市民から一つの断絶を作りあげている。あの構内とは一体大学にとっていかなる意味があるのであろうか。この中は大学という最高の学問の府であり、この中ではすべてが理性的に許される限り自由であるという〝解放区〟の意味があるのであろうか。
しかし、理性的に許されること以外のこともこの中で起こり得る可能性が十分にある。そのときにはどうすると言うのか。そのときはすべて無視して、こんなときだけは大学は教官のものとなり、教官の少数の〝表疑会(評議会)〟なるもので勝手に決定されるものらしい。(1969年10月15日)
私が20歳だった「ある日」の日記である。相当に突っ張っているが、言いたいことがわかるようなわからないような…。 |
リーダーの仕事 2017/08/29 Tue 5489
九州から遠い茨城県のことをとやかく論評すると叱られるだろうか。県知事選で自公が支持する候補が現職を破った。与野党決戦ではなかったものの、東京都議選で大敗を喫した自民党としてはホッとしたというのが本音だろう。
これに対して敗れた現職知事は「政権与党による介入」と批判している。自民党が岸田氏や石破氏、さらには小泉進次郎氏を派遣し強力にバックアップしたからである。
ただ、この知事が「7選を目指していた」と聞いて唖然とした。すでに同じ知事が24年にもわたって県政のトップにいたということである。つまりは前世紀からずっと知事だったわけだ。人口がきわめて少ない自治体ならいいと言えば、問題発言だと批判されるだろう。しかし、それにしても県の知事が6期連続なのである。つい「茨城県にはそんなに人材がいないのか」と「失言」してしまうのは私だけだろうか。
一人の人間が権力を握り続けるのは、だたそれだけで組織の力を減退させ、様々な問題が産み出すことは歴史的に実証済みだと言っていいほどである。真のリーダーなら、四半世紀近い時間を活かしてしっかりした後継者を育てておきたいものだ。
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自己防衛の力 2017/08/28 Mon 5488 contunued from 8/21
「自分たちに都合が悪いときに事実を伝えない」。集団にそうした雰囲気が生まれたとき、そこで「敢えて声を挙げる」エネルギーは生じにくいものです。「公益通報者保護法」が施行されて10年以上が経過しました。これは、いわゆる内部告発者を保護する法律ですが、大多数の「常識」に抗して問題を指摘することの困難さは容易に推測できます。
さて、「集団化」による「責任の希薄化」のほかにも、いろいろな「力」が働きます。たとえば、「集団的自己防衛」という「力」が頭に浮かびます。これは「個人」の場合と同じです。いまここで「事実」を開示すれば「自分たちの職場」がまずいことになる。最悪の場合には「存続できなくなるするかもしれない」という将来に対する不安が生まれるわけです。これが個人の場合だと「首になるかもしれない」という虞になります。
集団や個々人にでこうした心情が生まれること自身は自然なことです。「私は人生の中で一度も嘘を言ったことはない」というのは、100%「嘘」に決まっています。それは、ときには生きていくために必要な「力」にもなるのです。動物の「擬態」はその代表的な例でしょう。 |
高さんからの手紙(23) 2017/08/27 Sun 5487 continued from 8/20
三隅先生から、リッカート教授が九州生産性本部10周年の記念講演を応諾したとの連絡を受けて仰天した高さんの手紙は続く。
早速会議にこの件を報告したのですが「えらいことになった」というのが実感でした。現在なら大した話ではないのですが、当時の生産性本部は通産省からの補助金もなくなった頃で各種経営セミナー等で稼ぎながらなんとか運営していたのです。ただ当時の生産性本部のスタッフは皆若く「決まったものは仕方がない! やるしかない!」という雰囲気で動き始めました。まず松尾清美氏 (後に専務理事に就任)が東京のアジア生産性機構に話しを持ち込み、国際セミナーだからという理由でリッカート教授のアメリカからの旅費を負担してもらう話しがまとまり、福岡セミナー開催のプロジェクトが現実化したのです。
若い方々の「決まったものは仕方がない」という気持ちが前に進む力になったわけです。何とすばらしいことでしょう。こうした「やるしかないスピリット」が人々を動かし、組織に成長をもたらします。私も〝Never
Ending Challenge〟なるフレーズを絶叫しまくっているのですが、まさに我が意を得たりの感があります。 |
後付けと誇張 2017/08/26 Sat 5486 continued from 8/24
暴言議員の公設秘書の話題から「板柳」がクローズアップされ、私はその町名を見て永山則夫のことを思い起こした。いま、堀川惠子著「永山則夫」(講談社文庫)を読んでいたからである。このなかに、永山が中2のときの担任だった比内博美氏が著者に語った次のような一節がある(同書P185)。
「非行少年?とんでもない。マスコミは永山がどんな不良少年だったかってそればっかり聞くけど、それは違う。私がどんなに話をしても(記事が)出てみたら、手に負えない問題児ってなってるでしよ。事件を起したからって後付けしちゃって誇張したりさ、くっつけたりさ、都合のいいように作るんですよ。全然、どこにでもいるような普通の子どもでさ、とても非行なんか出来るような子じやない。身長も150センチあるかないか、小さくて痩せて、腕なんかこんな細くてね。女の子、追いかけまわすこともないし煙草もしないし。あの頃、悪ぶってるのは煙草とか吸ってたけど、そんなこともしない」。
永山が逮捕されたのは1969年のことである。それにしても、当時の担任の報道の在り方に対する批判と嘆きは、まるで今日のものであるかのようだ。 |
アクセス400,000件 2017/08/25 Fri 5485
この23日に「アクセスカウンター」が〝400,000件〟に達しました。さっそく、いつも本欄をご愛読いただいている方からゲットしたとのお知らせが届きました。
この「味な話の素」をスタートしたのは2003年4月29日ですが、その前の10日にホームページを開設していました。その日から今月の23日まで5249日が経過しています。カウンターの400,000件をこの日数で割ると1日当たり76.2件になります。毎日、これだけの方々にアクセスしていただいているのです。まさに「ありがたや、ありがたや」でございます。おかげさまで健康に過ごしていますから、本コラムを止める気持ちはまったくありません。それどころか、数単語で書いた備忘メモは増える一方で困っています。
今年から熊本大学の教職大学院でシニア教授としてお手伝いを続けています。そんなことで、毎日の生活は現役のころと変わりません。そうした中で、ネタのネタにぶつかる機会がワンサカあります。ただし、このごろは「いつになったら体が動かなくなるかなあ」などと能天気に笑っています。ともあれ、次の目標は「アクセス410,000件」ということでしょうか。 |
青森県板柳町 2017/08/24 Thu 5484
自らの暴言で「衆議院埼玉4区」から「全国区」になった議員のことを知らない人はいないだろう。その超有名議員の秘書になるという人物が出現してマスコミは大喜びのご様子である。しかもそれが青森県板柳町の現職町議だというから、大騒ぎになっている。これに対して、町議と国会議員の秘書が同時に勤まるのかという疑問がでるのは当然である。つい、「町議はそんなに暇なのかい」と言いたくなるが、それでは板柳町議に失礼この上ない。
私自身は「板柳」という町名に反応した。どのくらいの方が永山則夫という人物を記憶しておられるだろうか。ここは彼の母親の実家があった町である。そして、永山則夫は板柳で母親からネグレクトされたとしか言えない凄まじい状況の中で生活したのだった。彼は19歳だった1968年に米軍宿舎から盗んだビストルで4人を殺害した。その後、紆余曲折を経ながら最高裁で死刑判決を受けて、1997年に48歳で死刑が執行されている。
今回の秘書騒ぎで「板柳」という地名を聴いて永山則夫のことが頭に浮かんだ。私はまさに堀川惠子著「永山則夫」(講談社文庫)を読んでいる真っ最中で、その偶然に驚いた。 |
条件の差 2017/08/23 Wed 5483 continued from yesterday
人間は記録をつくりたがる。そこで「そのときどきの条件」などは措いといて「新記録」だと大騒ぎする。もちろん、記録を達成した人物や団体はすばらしいことをしたのである。だから、その価値は大いに評価していい。ただ、それも「相対的」なものだという視点も必要ではないか。
いまから50年以上も前、東京オリンピックのころに飯島秀雄という100m走者がいた。追い風5メートルながらユンバーシアードで10秒5を出したこともある。それが今では10秒0台の勝負になって、飯島選手の記録は当然トップ10にも入らない。しかし、その当時の走る環境やおそらくはシューズなど身の回りの道具も「今とはまるで違う」はずである。
白鵬の記録も賞賛に値する。ほんの少しブレたと思われることも皆無ではないものの、相撲に対する姿勢は真摯で、いわゆる人格や品性も高いレベルにあるようだ。そのうえで、たとえば大鵬や北の富士などと「絶対的基準」で比較するのは無理がある。正直なところ、ほかの横綱や大関が非力に過ぎる。とにかく「まともなライバル」がいない。あの貴乃花には曙に武蔵丸、武双山など、かなり手強い相手がいた。 |
比較の無意味さ 2017/08/22 Tue 5482
人間には何が起きるかわからない。ウサイン・ボルトのトラブルもその一つである。世界最速の男が最後の舞台で失速してしまった。本人はもちろんのこと、これを予想していたものは一人もいなかったはずである。それにしてもボルトの最速記録は「9秒58」だが、私はこの世に存在する記録のほとんどは「相対論」的に評価すべきだと思っている。
ただし、「ギネス」に載っている最高身長のように本人の意志とは関わりのない記録については「絶対基準」で評価していいかもしれない。因みに、その記録保持者はアメリカ人でロバート・パーシング・ワドロー
(Robert Pershing Wadlow)氏である。彼の身長は272cmだが、なんと1918年生まれというから100年前の大巨人なのである。
さて、「相対基準」の話に戻ろう。先日、中日の岩瀬投手がプロ野球最多の950試合登板記録を打ち立てた。それまでは阪急の米田投手が記録保持者だった。その米田投手の投球回数は5130回で、救援投手の役割を担った岩瀬選手の5倍以上だという。そう考えると「同じ基準」で二人を評価することはほとんど意味がない。何と言っても条件が違うのである。 |
集団の「都合」 2017/08/21 Mon 5481 contunued from 8/11
個人が「自分に都合が悪いとき、それを言わないですまそうとする」だけではありません。それに二人以上が関わってくると集団の問題になります。「自分たちに都合が悪い」と判断したとき「事実を曲げることまではしない」、つまりは「積極的な嘘はつかない」としても「事実を伝えない」という状況です。
こうした「集団」が形成されると問題の解決がさらにむずかしくなります。まずは「罪の意識」が弱まる可能性が高まるでしょう。関係者たちの心のなかに、「責任の分散化、希薄化」と言うべきものが生まれるのです。一人の人間が「これは本当のことを言うべきだ」と認識すれば、そのすべての責任を自分で背負うことになります。ところが、関係者が「二人以上」になった瞬間に「事実を伝えないのは自分だけじゃない」という「事実」が強力な精神安定剤として効いてきます。そして職場の構成員の多くが関わっている場合には、その薬効はさらに強力になります。
さらに、「地位」や「権限」という組織に必須の「ラベル」がその力を発揮します。一般の構成員にとって、「上の方針だから」「上から言われたから」というセリフは免罪符をもらったも同然だと言えるでしょう。 |
高さんからの手紙(22) 2017/08/20 Sun 5480 contunued from 8/13
三隅先生からの電話は衝撃的だった。天神の屋台で話題になった九州生産性本部10周年の講演をリッカート教授が応諾したという。高さんの手紙はそのときの驚きを伝える。
実は我々は九州生産性本部の10周年行事にはせいぜい東京の財界から有名人をゲストに招ければ良いと考えていたからです。当時東京の日本生産性本部ならともかく九州などの一地方本部がアメリカから単独でゲストを招聘するなど考えられない時代でした。第一にリッカート先生のミシガンからの旅費など全くの自紙状態でした。
これは1965年頃のことである。そもそも日本人が観光で海外に行けるようになったのは1964年である。この年は「東京オリンピック」が開催されている。それにも「年1回で持ち出しは500ドルまで」という制限が付いていた。これは日本人に付けられた条件ではあるが、一般市民にとって「海外渡航」はきわめて非日常的で稀な「事件」ですらあった。そうした状況のなかで、ビジネス界でトップクラスのリッカート氏を九州生産性本部が呼ぶことなどまったく考えられないことだったのである。 |
「読書会」の進度 2017/08/19 Sat 5479 contunued from yesterday
吉田塾では「読書」のパートは塾生が音読しながら進みます。ひとつの「段落」を目安に読んで、その内容について私が話をします。そして、それをもとにディスカッションします。この流れは典型的な「読書会」と同じでしょう。
ただし、私の「お話し」の時間が問題なのです。私が塾生に説明した方がいいと思う「用語」が出てくると、その解説話がなかなか止まらないのです。もともと定位置にじっとしているのが苦手な私ですから、ホワイトボードのところまで出かけていくこともしばしばです。また手元のPCにストックしているパワーポイントのスライドをピックアップしたり、インターネットで関連するサイトにアクセスしたりします。
たとえば「モラール(morale)」という用語に出くわせば、英語の〝moral〟と〝morale〟の解説から始まって、リーダーシップと関連した話にまで至るわけです。さらには〝morale hazard〟と〝moral hazard〟とが無関係ではないとして、両者が発生するメカニズムについて、「風が吹けば桶屋が儲かる」的論理を展開するのです。こうなるとその日は「一段落」から先には進めなくなってしまいます。 |
「吉田塾」 2017/08/18 Fri 5478
私が熊本大学を定年退職した3年前に「吉田塾」なるものができた。その第1回目の会合が開かれたのは2014年7月16日(水)のことである。それからは、昨年の地震直後の4月を除いて毎月1回のペースを守ってきた。スタート当初の塾生は5人だったが、現在は4人で構成されている。
その間に毎年1回は「公開セミナー」を開催した。また、塾生のうち2人は「合同会社PHS研究開発センター」を立ち上げた。そして、この4月には「吉田塾」と「合同会社PHS研究開発センター」が「元気で安全な職場づくりとリーダーシップ -リーダーシップで人生を変える-」と題したブックレットを出版した。「せっかく活動するのだから、目に見える成果物を創り続けていきたい」。これが全員の気持ちである。
勉強会の手始めとして、三隅先生の講演をまとめた「職場の安全とリーダーシップ」をテキストとして読んだ。これを作成する際には私も深く関わったので、当時のことを思い出しながら楽しく読み進めていった。ただし、「小さなトピック」や「用語」も、私が大風呂敷を広げて地球大の話にしてしまうから遅々として先に進まなかった。 |
「議事録」の確認は? 2017/08/17 Thu 5477
このごろ「議事録」なるものがいろいろ出てきて「問題」になっている。それを見ながらちょいと疑問を感じる。私は公的な会議にけっこう出席しているが、しばらくして担当の事務局から「議事録」を確認する文書が送られてくる。ボイスレコーダーによる録音を書き起こしたものである。個々の発言をそのまま入力しているため、冗長になったり、同じことを繰り返したりしていることが少なくない。そこで発言者が修正を入れるのである。
こうしたとき、私は「ファイルを送ってください」と依頼している。手書きよりもはるかに楽で早く済むからである。その際に「発言の趣旨」が伝わっていないと思う部分に気づいたりもする。それについては当然のことながら手を入れる。
私はこうした手続きを踏んで「公式な『議事録』」ができると考えている。ところが、先ごろは「議事録」らしきものが明らかにされていた。しかも、その存在や内容を否定する議論もあった。そうなると、「発言者に確認していない『公式議事録』」なんてものがあるような印象を受ける。それは「公開」を前提にしていない「議事録」なのだろうか。
とくに手書きメモではなく、ワープロでプリントアウトされているといかにも本物っぽい。発言者による確認も含めて、本当のところはどうなっているのだろう。 |
負のキーワード 2017/08/16 Wed 5476
地元紙の夕刊に「労組結成否決屈辱のUAW」との見出しで「ウォールストリート紙」の要約記事が掲載されていた。〝UAW〟は「全米自動車労働組合」であるが、ミシシッピ州にある日産の自動車工場で労組結成の提案が大差で否決された。
UAWは「何年もかけて従業員の説得に尽力」してきたという。また「従業員の8割が黒人のため人種問題も利用しようとした」がうまくいかなかった。
「ウォールストリート紙」はその要因を日産の14年間にわたる実績だと分析している。そして、従業員たちが「労組の過大な要求や柔軟性のない就業規則がGMなど米三大自動車メーカーを窮地に追い込んだことを認識している」と、UAWの問題を指摘する。日産は従業員たちに、組合結成は競争力を失わせる可能性があると説明したらしい。UAWはこれを日産の不当労働行為だとして、全米労働関係委員会に不服申し立てをした。その結果、再調査もあり得るが、「労組が一段と票を失うことが多い」という。
あくまで一紙の分析だから詳細な事情はわからない。ただ、どんな組織でも「過大な要求」と「柔軟性のなさ」は「負のキーワード」ではある。 |
早朝夕刊(5:30am):ダルビッシュの抗議 2017/08/15 Tue 5475
テレビ朝日がダルビッシユ投手に謝罪したとの記事が載っていた。「読唇術」と題した番組で、ダルビッシユ投手が甲子園の試合のとき「最後かな。ドキドキするわ」「クソー終わらせねえぞコレ」と言ったと推測したらしい。放送後にダルビッシユ投手がツイッターで「絶対言ってないです(笑)」と否定、「偽造記事となんら変わらない」と批判した。本人も「(笑)」を付けているようだから深刻さの程度は低いのだろう。
それにしても、「偽造記事となんら変わらない」と言われて「訂正」するのでは何とも格好悪い。出演者たちは単なる「お笑い」「おふざけ」気分だろうが、「他人」の言動に関わることに鈍感であってはいけない。それも対象が高校生時代のものだから、笑いのネタにすること自身が問題だ。 |
「言ってるだけ」では… 2017/08/15 Tue 5474 continued from 8/11
もう一つ、「程度」の如何を問わず、関係した本人が「言いたくても言えない」状況に置かれている可能性を考えることも必要でしょう。その理由はいろいろあると思いますが、とりわけ重要なのは職場のリーダーの行動です。
リーダーの態度や行動が、フォロワーにとって「正直には言にくい」状況を生み出していることは少なくありません。リーダーが「失敗は許さない」「ミスは本人の責任」など、フォロワーたちに「言うとまずい」と感じさせる雰囲気をもっていれば、発言を控える気持ちになるのは当然でしょう。
世の中には「自分に限ってそんなことはない。部下たちにはいつも『何でも言いなさい』と伝えている」と言われる方がいらっしゃるかもしれませんね。しかし、「言ってるだけ」ではいけません。フォロワーたちに、それが「リーダーの本当の考え方」であると受け止められなければ影響力はないのです。リーダーが「自分ではやっているつもり」でいるのに、そのことがフォロワーに通じていないケースは枚挙にいとまがありません。リーダーたる者には、そうした認識のズレがあることをいつも心に止めておくことが求められているのです。 |
海外ニュースの重み 2017/08/14 Mon 5473
アメリカのある市で、支払わなくていい駐車料金を誤って入金した男性に市長がポケットマネーで料金1ドル返したという。この駐車場では午後6時以降の料金は徴収しないのだが、男性が機械に1ドルを入れてしまった。ところが装置に返金機能がなかったため男性が市に抗議した。これに対して市長は男性に謝罪文を送付しシステムを更新することを伝えた。
これは熊本日日新聞夕刊に掲載されたものだが、「ほほえましいニュース」として取り上げたのだろう。市長が1ドル(110円)という少額に対応したところに話題性があったか。そもそもは機械によるトラブルが起きないようにしておくべきだった。
ところで、このトラブルは問題の駐車場で最初のケースだったのだろうか。装置が設置されてからどのくらい経過していたのかわからないが、「1ドル」という少額だけに、いわば泣き寝入りしてしまった人がいた可能性もある。それに「公的施設」のトラブルによる損害賠償を市長のポケットマネーで支払うのはいかがなものかという意見だってあり得るだろう。もっとも、公的に返金していたら海外ニュースなどにならなかったに違いない。 |
高さんからの手紙(21) 2017/08/13 Sun 5472 continued from 8/6
さて、「高さんからの手紙」によれば、1965年の秋ごろ、研究会後に三隅先生と生産性本部のメンバーたちが屋台で一杯飲んだという。そこで交わされた話とその展開が面白い。
この時生産性本部の誰かが「来年は生産性本部の開設10周年だけど誰をゲストスピーカーに呼ぶかなあ」と言ったのですが、その時私の傍で飲んでおられた三隅先生が「リッカート先生なんかもいいのではないかなあ」とポツリと話されたのを覚えています。この時はただの酒の場の雑談で終わったわけですがその後2週間ばかりして、突然生産性本部の私のデスクに三隅先生から「高君! リッカート先生は来日を承諾されたよ」という電話がかかり驚愕した瞬間を今も鮮明に覚えています。
生産性本部に三隅先生を中心にした産業心理研究会が発足して、その読書会で最初に読んだのがレンシス・リッカート教授の「経営の行動科学」であり、その後に翻訳出版されたことは、7月30日の本欄で紹介した。ともあれ、当時のRensis
Likert(1903-1981)はミシガン大学の社会調査研究所の所長を務める大物であった。三隅先生は屋台での話を受けてリッカート教授本人に連絡されたのである。 |
考えることを忘れた葦 2017/08/12 Sat 5471
「人間は考える葦」とはパスカルの言である。この名言が含まれる「パンセ」はパスカルが1662年に39歳で亡くなったあとの1670年に出版された。植物の「葦」は人間の生き物としての「ひ弱さ」を意味しているのだろう。しかし、その「葦」は「考える」ことによって何物にも勝る「大きな力を得た」のである。
しかし、パスカルが生きた17世紀から350年ほど経過した21世紀に至って、その「葦」にも危うさが目立ってきた。とにかく「考える」ことを止めているように見えるのである。
その代表の一つが「スマートフォン」依存である。ここで情報機器を使うこと自体を「考えていない」ことの理由にすれば猛反発を食らう可能性はある。もちろん、世の中にあるあらゆるものはプラスとマイナスの両面をもっていることが多い。「使い方次第じゃないか」「考えるという概念が変わったのよ」と言われれば、「そりゃあそうじゃ」とすんなり認めましょう。しかし、その上で、「それでも、しっかり考えて反応していますか」とだけは確認しておきたいのですよ。 |
「都合」の評価 2017/08/11 Fri 5470 continued from 7/28
連載ものは、ちょっと忘れただけで時間が飛び去っていきます。「倫理的な行動」について考えるシリーズは先月末で止まっていました。そのときは、「事実を曲げないまでも、説明に都合が悪いと思うとき、それを言わないですまそうとする」という意見を採り上げました。今日はその続きになります。
さて、「説明に都合が悪いと思うとき」とはどのような事態を指すのでしょうか。ここでの主体が「自分」あるいは「自分たち」であることは明らかです。
まずは「自分」の場合ですが、その「都合」とは自分の存在を脅かすものでしょう。もちろん、その強度は内容によって異なります。一時的に恥をかく、評価を下げるといったこともあるでしょう。こうしたケースでは、「その程度のことであれば正直に言いなさい。それで問題は解消するのだから」とアドバイスしたくなります。
しかし、それも口で言うほど簡単でないこともあり得ます。まず第一に、他人から見れば「その程度」であっても、「本人」とっては「重大」なことと認識されているかもしれません。ものごとの受け止め方は個々人で違うのは当然です。また、そこに至るまでの経過をフォローすると、「それは重いなあ」と評価されるものであるかもしれません。さらに、それが自分の立場や地位を脅かすものだと認識されれば、さらに防衛的になります。
いずれは問題が発覚することが明らかで、長い目で見ればマイナスになるようなケースでも、とっさには「都合が悪い」という認識が支配的な力をもつわけです。
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一枚の「領収證」 2017/08/10 Thu 5469
アルバムを整理していたら古びた「領収證」が出てきた。宛名は「吉田貢殿」、私の父である。発行人は「日本通運株式会社福岡支店」で電話は「大代表75-9631番」、「昭和40年9月21日」となっている。金額は「¥20,000」、「ただし福岡~長崎引っ越し料」と書かれている。
「毎日体育祭の練習。嫌なものの一つである。しかし、毎日せねばならない。今日は危ういところであった。六時半の目覚ましがまったくわからなかったのである。しかし、やっとのことで顔も洗わず、歯も磨かずで間に合った。本日長崎へ行ったはずである。天気はよかった」。
「」はこの日、私が書いた日記である。高校2年生のときに父親が長崎に転勤になった。私はこの前の週の9月13日から一人の生活を始めていた。朝の目覚ましで起きれずに大慌てしている。福岡市の西にある室見から東の潟州町まで、西鉄の市内電車で通学していた。所要時間は憶えていないが、ラッシュ時は50分くらいはかかっていたと思う。このとき私は16歳の高校2年生である。顔も洗わず、歯も磨かず、とにかく遅刻をしないことだけを考えていた。「体育祭の練習」が「嫌いなものの一つだ」と書いているのには苦笑した。 |
「『みるみる』づくし」の続き 2017/08/09 Wed 5468 continued from yesterday
「みる、みる」づくしは、なかなか終わりません。閲覧、回覧、博覧会の「覧」もやはり「覧る」ということです。さらに「監督」も「みる」ことに関わりがあります。まずは「監」ですが、この漢字には「みる、しらべる」や「見張る、とりしまる」といった意味があります。たしかに、「監督」の仕事には「見張る」といった意味合いの部分もありますね。
また相棒の「督」にも「みる、見張る」という意味が含まれています。こうなると、「監」も「督」も「上から目線」を感じてしまいます。まあ「監督」とはそんなことなのでしょう。
このほかにも「覩」などのように、日常では遭遇することのないものもあります。
私としては、さらに「試みる」や「顧みる」なども「みる、みる」づくしの「正規メンバー」になってもらいたいと思います。
そして、何と言っても「…てみる」の「みる」こそは究極の「みる」ではないでしょうか。これは「接続助詞」の「て」に「補助動詞」としての「みる」が付いたものです。つまりは、先行する「あらゆる動詞」が「みる」の対象になるわけです。そんなわけで、私たちは何でも「やってみる」ことが大事なんですよね。 |
「みるみる」づくし 2017/08/08 Tue 5467 continued from yesterday
私が仕事にしている「グループ・ダイナミックス」は言うまでもなく、自然科学の領域でも「すべては『ウォッチング』からはじまる」のです。それどころか、「科学」なんて大げさなものを使うことはありません。私たちの毎日が「ウォッチング」を基本にして成り立っているのです。そもそも人間が生きるために「ウォッチング」を欠かすことはできません。そんなこともあって、私たちの身の回りには「みる」という言葉があふれることになりました。
おそらく小学校で最初に学ぶのは「見る」でしょう。そのうち「視る」という漢字も「視力」といった熟語として登場すると思います。さらに少し成長すると理科の教科書で「観察」なる用語に出会います。そこで、「観る」という漢字にも「みる」という意味があることを知るわけです。それだけではありません。「察」の方も「よくみる」という意味を背負っているのです。
やがて「診る」にも遭遇するでしょう。これは病院の「診察」で使われますが、とにもかくにも「しっかり調べる」という意味をもっています。これに関連して看護師の「看」も「看る」と読めることを教えてもらったりします。 |
〝Watching〟考 2017/08/07 Mon 5466
私は「人間ウォッチング」こそ「グループ・ダイナミックス」の最も重要な方法だと絶叫しています。そもそもこの世の中で生きる人間全体を対象にして、その行動の法則を発見するなんてできるわけがないと考えているわけです。
そこで、私としてはとにもかくにも、毎日「人間ウォッチング」に徹し、そこから「人間というものはこんなとき、こんなことをするんだ」という傾向を見つけ出すことを「仕事」にしているのです。それは疑いなく「仕事」なのですが、これがとにかく「面白い」んです。そんなことから、私はいつも「自分の趣味は仕事です」と言いまくっています。
こんなことを平気で言えるのですから、本当に恵まれています。もちろん、そのことをありがたいと思っているのは言うまでもありません。
ところで、「人間ウォッチング」は文字通り「人間を見る」ことですが、英和辞書では「観察」とされています。もともとの動詞である〝watch〟は「じっと見ている, 見守る, 見物する, 注視する, 観察する;注意[用心, 警戒]する;見張る, 監視する」など、多くの語義が挙げられています(いずれも「プログレッシブ英和中辞典」)。 |
高さんからの手紙(20) 2017/08/06 Sun 5465 continued from 7/30
高さんの手紙には私がはじめて知った興味深いエピソードが取り上げられている。
よく覚えていませんが、昭和40年(1965年)秋頃、夜の研究会が終わって生産性本部のメンバーと三隅先生と天神の冨士ビル前の屋台で一杯飲んだことがあります。
福岡はいまでも屋台の町として知られているが、当時は市内の至る所に屋台があった。私自身、東は香椎から中央部の六本松、西の西新に室見、さらには大濠公園付近にまで「屋台」があったことを覚えている。市内電車の電停近くにはどこにもあったような感じである。現在も中州の那珂川沿いに屋台が並んでいるが、ビジネスとショッピングの中心だった天神にも屋台があふれていた。
ところで、「天神の富士ビル」は、その名の通り富士銀行が入っていたが、私の耳にも懐かしく響いてくる。その「富士ビル」内に九州生産性本部があった。高さんの話は1965年のことであるが、九州生産性本部はその後も同じビルで業務を続けていた。このときから40年ほど経過した2006年に、私は「財団法人集団力学研究所長」を務めることになった。研究所の会計監査はずっと生産性本部の専務理事にお願いしていたことから、私は年に数回ほどだが「富士ビルの九州生産性本部」を訪ねていた。 |
今月の写真 2017/08/05 Sat 5464
写真の1枚が「夏の雲」であることは一目瞭然でしょう。もう1枚についてはすぐにおわかりになる方がどのくらいいらっしゃるでしょうか。
これは京都仁和寺の庭園です。「仁和寺の法師」は吉田兼好の「徒然草」でつとに知られています。ただし、それは軽率な行動を茶化したものですから、仁和寺としては名誉な話ではありません。私にとって二度目の訪問でしたが、その日は36度をこえる猛暑日で目が眩みそうでした。そのときのエピソードはまた別の機会にということにします。
さて、「夏の雲」の方は飛行機からのショットです。モクモクと湧き上がる積乱雲ですが、光線の具合では純白に見えることもあります。しかし、その形からは猛烈なエネルギーとともにある種の不気味さも漂います。その真下ではバケツをひっくり返したような雨が降っているかもしれません。
私が子どものころは、「入道雲」というユーモラスな愛称で呼んでいました。それが「夕立」を降らせ、下界に一時の清涼感をもたらしたものでした。それがいまでは「ゲリラ」と化し、ゴルフボール大の雹までまき散らすのですから地球環境は疑いなく変わってしまったのです。 |
禁断の歌? 2017/08/04 Fri 5463 continued from yesterday
平尾昌晃の「星はなんでも知っている」が流行ったとき、私は小学4年生だった。この年の夏、父の転勤で福岡県の行橋から伊万里に引っ越していた。
テレビのない時代である。小学4年生の私はこの歌もラジオで何度となく聴いていた。それは父がつけていたラジオの放送だったのか、それとも私がたまたま昼間に聴いたのかはわからない。当時、ラジオが音による情報源としては唯一の手段であった。映画館に行けば映像と音が楽しめたが、これは非日常的な状況である。
さて、「星は何でも知っている」だが、その歌詞は「星は何でも知っている 夕べあの娘が泣いたのも かわいいあの娘のつぶらな その目に光る露のあと 生れて初めての甘いキッスに胸がふるえて泣いたのを」。私の子ども心の記憶は、これまた「禁断の歌」を聴いている気持ちだった。この歌には「ミヨちゃん」と同じように「独り言」の「セリフ」付いていて、それを聴いているだけで小さな気恥ずかしさを感じていた。
ところで「ミヨちゃん」の方は、作詞も作曲も平尾昌晃となっている。すでにその面での才能が発揮されていたのである。平尾昌晃さんのご冥福をお祈りします。 |
記憶の連鎖 2017/08/03 Thu 5462 continued from yesterday
伊万里市の「わが家=借間」と大家さんの居住部分を仕切っていた「禁断の襖」を開けて「向こう側」に侵入したことが明るみに出たことはなかった。だた、何かのきっかけで「僕のかわいいミヨちゃんは…」が私の頭に浮かぶと、この「禁断の襖」と「漆塗りの階段」がワンセットになって蘇るのである。つい先だって、平尾正晃氏が亡くなったニュースに接して「可愛いミヨちゃん」が頭に浮かび、「禁断の襖」の記憶が鮮烈に蘇ったのである。
人間の記憶のメカニズムの詳細は未だに解明されていない。しかし、少なくとも現時点でのAIのように、「膨大なストック情報」を「ただひたすら検索しまくるだけ」でないことは明らかだろう。私は、いわゆる〝AI〟が「超高速情報検索機」に過ぎないという明確な根拠をもっているが、その話題は別の機会に譲ることにしよう。
そして、「ミヨちゃん」とほとんど同時に頭に浮かび、これまた自然に歌詞を口ずさむのが「星は何でも知っている」である。この歌は1958年(昭和33年)の発売だから「ミヨちゃん」よりも2年早い。ラジオから頻繁に流れるこの歌を小学4年生の私はしっかり聴いていた。 |
「ミヨちゃん」 2017/08/02 Wed 5461
「僕のかわいいミヨちゃんは、色が白くて ちっちゃくて、前髪たらしたかわいい娘、あの娘は高校二年生」。いつどんなときでも、ふっと口ずさんで歌える。平尾昌晃が歌う「ミヨちゃん」である。それは1960年の発売だから、私が小学6年生のときこの歌が流行った。
佐賀県伊万里市の木須というところに大きな屋敷があり、わが家はその三部屋を借りていた。家主さんは「多久さん」といった。子ども心に、お金がたくさんあるから「多久さん」などと言って喜んでいた。他にも若い教師の夫婦が住んでいた。それほど大きな屋敷だった。
わが家が借りていた部屋のしきりは襖のようなもので、そこを開ければ「向こう側=おそらく多久さんの居住部分」に行けた。好奇心旺盛な小学6年生は、「禁断の襖」を開けたことがあった。そこには「漆塗り」のような階段があったが、その先まで探検に出かけたかどうかは記憶にない。さらに深入りしたような気もするし、そうでないような感じもある。もう60年近くも前のことである。ただ、「好奇心」はあっても「冒険心」まで兼備していたか。そんな勇気は持ち合わせていなかったのではないか。 |
「タカタ」と初期対応 2017/08/01 Tue 5460
エアバッグの「タカタ」が破綻した。ホンダとの結びつきが強いようだが、世界シェアの20%を占めていたという。素人から見れば、問題が起きるまでは「順風満帆」だったと思われる。それがアメリカを中心にバッグの作動時に不具合が起きて、少なくとも11人が亡くなったとされる。先日はオーストラリアで死亡者が出たとのニュースも流れた。
こうしたなかで、リコールは1億台を超え、その費用も1兆円以上になるという。不具合の原因は明確になっておらず、それが「タカタ」の対応を遅らせた側面もあるらしい。しかし、ここにきて取り返しのつかない状況に至ってしまった。
アメリカで最初に死亡事故が発生したのは2009年だったから、「初期対応」のまずさは否めない。問題が大きくなってからも、社長はアメリカ議会の公聴会に出ていない。かつて「トヨタ」の車載ソフトが死亡事故の原因ではないかと言われたとき、社長が飛んでいったのとは対照的である。アメリカは責任者が自らの声で語ることを重視し、それを評価する印象がある。そこを怠ると不信感が生まれ、状況はさらに悪化する。「タカタ」はその典型的なケースだと思う。
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