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味な話の素No.169 2017年06月号(5391-5426)  Since 2003/04/29
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  〒862-0971 熊本市中央区新大江1丁目25-4  PHS研究開発センター 
Tel 096-342-6610

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意思決定の評価 2017/06/30 Fri 5426
 九州新幹線が通常どおりと聴いて、私はすぐに「福岡便」に切り替えることにしました。こうした場合は元の航空券についてキャンセル料の負担はありません。もともとの熊本便ですが、自宅に着くのが9時過ぎになることから食事付きの席を取っていました。これに対して変更した「福岡便」にはその席がなく、その差額が戻ってきたくらいです。これで新幹線のチケット代もゲットということになりました。
 こうして私は熊本便から40分ほど遅く出発する便で福岡へ向かいました。空港から地下鉄で博多駅に着くと、ちょうど「みずほ」に乗れる時間でした。これは博多駅を出るとノンストップで熊本まで走るので、33分ほどしか要しないのです。それでも、予定よりは2時間ほど遅くなりましたが、無事に帰宅と相成りました。そして翌日は予定通りに「授業」ができたのです。
 熊本便の動向をチェックすると、もちろん(?)ちゃんと熊本空港に降りていました。それを見て私はしっかりとした満足感を覚えました。予定の便に乗っていてもちゃんと帰宅できたのです。それにも拘わらず「より確実な方法を選んだこと」は「正しい判断だった」と思ったのです。
 
絶対に帰る条件 2017/06/29 Thu 5425
 素人の推測が正しいかどうかは別にして、この日は「関空」に降りられては「絶対」に困る事情があった。それは翌日の日曜日に大学で「教育実習事後指導」と呼ばれる講座があり、私は8時45分から17時まで、それを担当することになっていたのである。これは「必修」である。そこで、その日のうちに熊本に帰り着いておくことは譲れない条件であった。「明日は日曜日だから、そんな体験もおもしろい」では済まないのである。
 そこで航空会社のカウンターに行って話を聞いた。もちろん担当者としては「熊本に降りる確率」などを明確にすることはできない。これに対して、先方は新幹線の時刻を確認し、さらには夜行バスのまで調べてくれようとした。私の方があわてて「体力的にバスはあり得ませんよ」と制止した。
 このとき私はある可能性を探っていた。それは福岡まで飛んで、そこから新幹線で帰ることである。しかしこの日は北部九州に大雨の予報が出ていた。これで九州新幹線が止まっていたらストーリーはつくれない。しかし、これについても担当者はすぐに確認してくれた。その結果、「いまのところ通常どおりです」とのことだった。
 
着陸不能時の代替地 2017/06/28 Wed 5424
 天候不良で熊本空港に着陸できない場合にどうして関西空港なのか。その理由は素人なりに推測できる。
 伊丹空港に帰って来られないのは明らかである。ここは午後9時以降の離着陸が出来ないからだ。その昔、騒音問題が深刻で、その克服を目的に関西空港がつくられた。ところが、関空の完成後も移転しないまま伊丹に空港が存続している。私も個人的には伊丹に空港があるので助かっている。ただ、あの大論争は何だったのだろうとは思う。
 さて、熊本から近い福岡空港は都心にありながら原則22時まで着陸可能だが、それも定期便が優先するに違いない。ここは以前から満杯状態が続いている。私の主観では、離着陸時間の遅延は羽田空港レベルである。その上、現在は滑走路を増やすための工事をしていて、状況はさらに深刻化している。そんなことから、21時過ぎあたりに「熊本がアウトのときは降ろさせてちょうだい」なんて頼んでも〝No〟と言われるのが落ちだろう。
 これに対して、海上に設置された「関西空港」は24時間の運用である。そこで「伊丹へUターン」の代替が「関空」になっているのではないか。これが私の推測である。
 
「緊急事態」への対応 2017/06/27 Tue 5423
 私も「緊急事態」に遭遇することがある。昨年の熊本地震もその一つである。あのときは「車中6泊7日」を余儀なくされた。しかし幸いなことに身体には被害がなかった。また生命の危機には至らないが、「その場での意思決定」を求められる小規模の「緊急事態」に見舞われることもある。これは誰にも起こり得る。
 先週の土曜日に私は関西で仕事したが、熊本に帰る際にそんな場面に遭遇した。この日は伊丹発の最終便に乗ることにしていた。ところが出発の2時間ほど前に、熊本が「視界不良のため、運航に影響がないか天候状況の確認を行います」とのメールが入った。じつはこの日の天気については嫌な予感がしていた。数日前から九州が大雨になるとの予報が出ていたのである。

 しかしまずは空港に行くしかない。そして伊丹空港に着くと事態は大きく進展(?)していた。飛行機は予定通り出発するが、熊本空港の視界が不良で着陸できない場合は関西空港に降りる条件付きだという。これにはさすがに驚いた。これまでも、「福岡空港」に降りるか「出発地に引き返す」という案内は聴いたことがあったが、それが「関西空港」と言うのである。
 
身近な批判者 2017/06/26 Mon 5422
 私はリーダーシップと「事故防止」「危機管理」「安全文化創続」との関わりについて仕事をしてきた。この「創続」は私の造語で、「安全文化」は「醸成する」だけでなく、自分たちでそれを「創り続けていく」ことの重要性を強調するものである。これを英語で〝Continuing Creations for Safety Culture〟と訳し、さらに〝CCSC〟と呼んでいる。
 そんな私だが、自分でも緊急の意思決定に迫られることがある。しかし、その対応法について家族から「人様に『危機管理』の話をしているのに、自分では何をやってんの」としかられることもしばしばである。世の中では身近な家族がもっとも厳しい批判者なのだ。
 恩師の三隅先生は、学生たちが冗談半分に茶化したりすると、「君たちはそう言うけどね、僕は遠くに行くほど偉くなるんだよ」と笑って答えられていた。三隅先生と比較すべくもないし、「偉くなる」などとは思っていないが、この年になって私なりに先生の気持ちの一万分の一くらいは理解できるようになってきた。ただし、それは外からの厳しい声やアドバイスは入ってこないということでもある。そうした事情も頭に置きながら仕事をしていきたい。
6年前の手紙(14) 2017/06/25 Sun 5421 continued from 6/18
 さて、「最初のアクションリサーチ」が展開された「中興鉱業」は長崎県松浦市の福島にあった。炭鉱における「切羽」でリーダーシップ調査が行われたのは1963年である。その結果について三隅先生は続けていく。

 暗い作業現場では、Pタイプでなければ監督者の役目はつとまらないといわれた。事実、そうではないかと思ったのであるが、調査結果は長い間の通説を覆すようなものであった。Pタイプの下では生産性が低く、 Mタイプが介在したPタイプの下で高い生産性があがっているという結果をえたのである。これは現場の管理者、監督者達には衝撃的なものであったようである。

 ここで〝P〟と〝M〟についてご存じでない方のために簡単に説明しておこう。これらは、それぞれ英語の〝Performance〟と〝Maintenance〟の頭文字である。前者は「遂行」、後者は「維持」という意味をもっていることから採用された。その詳細については別の機会に譲るが、リーダーにはフォロワー(たとえば部下たち)に対して、「課題(仕事)の遂行」とその「集団を維持する」ための2つの働きかけが求められるという考え方である。
 
物事の両面 2017/06/24 Sat 5420
 「表と裏」「光と影」「陰と陽」「白と黒」…。この世のモノには「両面」がある。
 私は仕事場でも自宅でも、そこに「着いた途端」に「仕事」に取りかかることができる。自分の記憶によれば、この行動パターンは高校生のときにはすでに身についていた。私は高校2年生の二学期から福岡で寮生活をはじめた。学校から帰るのが何時くらいだったか憶えていないが、部屋に入ってカバンを置くやいなや机で勉強をはじめた。私は友人との話でもこれを自慢にしていた。
 その一方で相当な早寝だった。福岡のRKB毎日で旺文社の「大学受験ラジオ講座」が午後11時過ぎからはじまった。私は放送開始のテーマソングに合わせて布団を引いていた。たから講座自身はほとんど聴いたことがない。
 そのおかげで朝は強かった。目覚ましはセットして寝ていたが、「チリリン」の「チ」が鳴った瞬間に停止ボタンを押していた。これも私の仲間内での自慢話だった。
 ここまでは「コインの表」、つまりは「陽」の面である。しかし、これも明らかな「陰」を伴っていた。私は「すぐに取りかかる」だけでなく、「すぐに飽きる」という性向をも備えていたからである。
 
「流言」「デマ」の算数 2017/06/23 Fri 5419
 私はときおり「吉田さんの算数」のお話しをします。心に「悩み」があるときは「人に話してみましょう」とお勧めすします。そうすれば、他の人も同じような「悩み」をもっているものです。そうなると、それは「足し算」ではなく「割り算」になるのです。二人なら1/2、3人なら1/3ということです。その一方で、「悩みを乗り越える力」は「掛け算」で強められます。その結果、悩みに対処する勇気は2倍、3倍になります。とまあ、ここまではすでに本欄で触れたことがあります。
 それが「流言」や「噂」、あるいは「デマ」にも適用できるというのが今日の話です。これらは「吉田さんの算数」では「掛け算」どころか「べき乗」、つまりは「二乗、三乗…」とになるのです。「流言飛語」と言うくらいですから、それが空まで飛んで拡散していくのです。それも「悪い噂」の方が圧倒的に多いのは言うまでもありません。お互い、その「伝信役」、さらには「拡声器」にはならないようにしましょう。
 ところで、これは2008年9月16日のメモです。もうそろそろ「メモ整理」せんとあきまへん。もう残り時間も少なくなってきましたもんで…。
 
犬ヶ岳 2017/06/22 Thu 5418
 「犬ヶ岳(いぬがたけ)」という山がある。大分県中津市と福岡県豊前市、築上郡築上町とにまたがっている。標高1131mである。父と私はこの山に1958年4月29日に登った。ゴールデンウィークのスタートで、当時は「天皇誕生日」である。私は小学4年生だったが、標高が1,000mを越える山は初めての体験だった。
 その日の細かい状況は記憶にないが、父から「よく頑張った」と褒められた。そのとき私は一人の「お兄さん」と知り合った。今となっては最初のきっかけはわからないが、おそらく20代の「お兄さん」であった。その人からも「しっかり登った」ことを褒められた。その際に住所も聞いていて、帰るとすぐに手紙を書いた。あるいは、はがきだったかもしれない。それに対して返事が届いた。それからどのくらいだろうか。少なくとも「それっきり」で終わることなく、「しばらく」手紙のやり取りをしていた。
 しかし、それも「いつの間にか」連絡をしなくなった。あれから60年近くの時間が流れていった。あの「お兄さん」は元気でいらっしゃるだろうか。
 
「決められない政治」の原因 2017/06/21 Wed 5417
 いまや「一強」という表現が流行っている。それは基本的には「安倍総理」を指す言葉である。さて、私の「エクセルに」に「2013/2/9 決められない政治➯国会議員だけの責任?」という「メモ」があった。私は、そのときどきで「味な話の素」に書く「ネタ」になると思うことを書き留めている。これを時間があるときに覗いてみて、1日分に仕上げる段取りである。ただし、ときおりしか確認しないから、改めて見たときはすでに賞味期限切れというケースが少なくない。
 この「決められない」メモも、いつの間にかお蔵入りになっていた。これを書いた4年前ころ、マスコミは「決められない政治」を大いに批判していた。そして、国民の多くが「そうだ、そうだ」と同調しており、その状況をメモしたのである。野田首相が解散を宣言した2012年11月には「7年間で7人になる可能性がある」と中国のメディアも呆れるとともに笑っていた。
 それにしても、こんな状況を創り出した元凶を「国会議員」だけに求めるわけにはいくまい。国の政治レベルは国民のそれを反映すると言う。それは、少なくとも人類が選挙制度を発明して以来の真実ではないか。
 
「不必要」な「必要物」 2017/06/20 Tue 5416
  〝Civilization is a limitless multiplication of unnecessary necessities.〟「文明とは必要でもない必需品を際限なく増殖させ続けることである」。マーク・トウェイン(Mark Twain 1835ー1910)の名言。トウェインについては改めて解説する必要はないだろう。「不必要な必要物(unnecessary necessitie)」という表現そのものがトウェインらしい皮肉が効いている。
 ところで、私が子どものころ「消費者は王様」という言い回しがあった。その意味を「ものを買う人間が王様なんだ」と文字通り受け止めていた。しかし、これはわれわれの経済が際限のない拡大再生産を抜きにしては存続できないことの別の表現だったわけだ。石油ショックなどの危機的状況に直面するとそれなりに対応しようとするが、それも「喉元過ぎれば」的に忘れてしまう。こうした中で「省エネ」や「環境保全」の研究にも力が入れられてはいる。それはそうなのだが、人間の貪欲な消費には追いついていない感がある。
 それに、「わが国の省エネ技術は世界の最先端を走っている」という発言も気になっている。それが客観的な事実であれば、もちろん嬉しい限りである。そして、それが事実であると思いたい。しかし、それが単なる過信で、諸外国の方がさらに先に行っているなんてことはないのだろうか。何のことはない、気づいて見れば他国の後塵を拝していたではお話にならない。これまでにも過信が客観的な評価を歪めた事例は少なくない。
 
忘れ物、あれこれ 2017/06/19 Mon 5415
 年を取るほど忘れ物が多くなる。しかし、人間は若いころでもうっかり体験はするものだ。私の子どもがランドセルを忘れて元気よく「いってきまーす」とわが家を飛び出したことなど、楽しい思い出である。
 そう言う私も笑えるチョンボがけっこうある。そもそもハンカチをズボンに入れ忘れるなんてことは、いまでもしょっちゅうである。こうなるとトイレの後がややこしくなる。いつだったか、「いってきます」と出かけたまでは良かったがカバンを持っていないことに気づいたこともあった。これもかなり重症である。ただし、さすがにそれは自分でもすぐにわかった。さらに、上着を着ないままで出勤しそうになったこともあった。
 また弁当を忘れるのは相当に問題である。何と言っても結婚して42年間、家内が創り続けてくれている弁当である。これを忘れることは重大な過失なのだ。幸い本当に忘れてしまったことはほとんどないが、それでも皆無ということでもない。そうそう、ベルトを着けていなかったこともある。上着を着ているときはごまかせるが、これが夏だとバレバレになる。
 いやはや「忘れ物」にはまつわるネタは尽きることがない。
 
6年前の手紙(13) 2017/06/18 Sun 5414 continued from 6/11
 教育の場で研究を続けることがむずかしくなったころ、「偶然の機会を得て炭鉱でグループ・ダイナミックスの研究をはじめることになった。これがアクション・リサーチのはじまりである」。三隅先生は、集団力学研究所の創立20周年を記念して出版された「経営とグループ・ダイナミックス」の序章でこう続けていく。
 この「炭鉱」とは「中興鉱業」である。まだ「石炭」が重要なエネルギー源であった。ここでわが国における「アクション・リサーチ」がスタートし、「炭鉱の切羽(現場)における第一線監督者に対するリーダーシップ調査」が行われた。「切羽」は 「炭鉱や鉱山において採掘 や坑道掘進する坑内の現場、また掘進方向における掘削面」(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)である。
 三隅先生自身が「地下三千尺といわれる炭鉱の切羽にいくたびとなく炭車で下った」という。これぞ研究者が「事象の起きている現場に出かける」ことを最も重要な要件とする「アクションリサーチ」の姿である。それは一般人では「行けない」「入れない」ところにまで出入りさせてもらえることでもある。まさに研究者冥利に尽きるとも言える。
 
倫理意識と行動 2017/06/17 Sat 5413
 日本を代表する組織が致命的な問題を引き起こす事態が頻発しています。もちろん、それは大組織だけではありません。マスコミは組織の規模や社会的な影響を踏まえて報道するかしないかを決めています。それは当然で、世の中に起きているすべての事象を伝えることはできません。あまり考えたくないのですが、報道されない「問題」や「不祥事」は次から次へと発生しているはずです。
 組織では人間が一緒になって活動しています。そこには個人的な好みの違いもあれば、利害得失も生じます。それが大小の摩擦を引き起こすのは当然です。そして、それを低減あるいは消滅させようとさまざまな「解決策」が探究されてきました。ただそうした「解決策」が倫理的に問題のある「策」であることも少なくありません。私たちには「倫理意識」とそれに基づいた「行動」が求められているのです。
 こうした視点から、「倫理的なことや行動」とはどのようなものかについて民間企業で働く人たちから「自由記述」による「生の声」を聞きました。かなり前にも本コラムで取り上げたことがありますが、問題が噴出するこの時期に改めて考えてみたいと思います。
 
早朝夕刊(6;12pm) 若者からの応援 2017/06/16 Fri 5412
 スキージャンプの高梨沙羅選手も「すごい若者」である。海外での試合を含めて表彰台の真ん中に立っている姿を頻繁に見る。他の選手には同時に生まれたことの不運を託つ者がいるのではないか。それほど群を抜いた力の持ち主のように思える。まだようやく20歳になったばかりである。その高梨選手だが、2012年のワールドカップで史上最年少の15歳4ヶ月で優勝している。そのときのコメントが「世の中を明るくしたい」だった。このときも大いに受けた。先の見えない閉塞状況の中で大人が「元気」をもらったのだ。
 
客観的判断と倫理的行動 2017/06/16 Fri 5411
 「自分たちの立場=主観的な評価」だけでは「倫理的」な行動が危機に瀕することがあります。そこで、「他人の立場からものごとを見る目」をもつことが大事になってきます。その昔、「日本の常識、世界の非常識」という番組がありました。「自分たちには当然」と思われていることも、他人の目から見れば「非常識きわまりない」ことがあり得るのです。
 もちろん、国にしても組織にしても、それぞれの風土や歴史、そしてそれらによって醸成された文化や規範があります。そうしたものは大事な個性として活かすべきものを含んでいることは疑いありません。しかし、それが自分たちが抱えている「問題に気づく感受性」を低下させることにも繋がります。また「問題に気づいても、それを指摘できない雰囲気」を生み出している可能性もあります。
 ここでは「個人」の問題として「他人の立場から考えてみること」の重要性を指摘しているのですが、「個人」を「組織」に読み替えることができるのです。もちろん、「完全無欠の客観性」は存在しませんが、「主観的判断」の危うさにいつも気をつけていることが「倫理的行動」にとって欠かせないのです。
 
早朝夕刊(6:25am) 若者から「元気」を 2017/06/15 Thu 5410
 「人生」と「若者」と云えば、競泳の岩崎恭子選手が思い出される。彼女は1992年に開催されたバルセロナオリンピックの200m平泳ぎで金メダルを獲得した。このとき14歳と6日、競泳の金メダル獲得としては史上最年少だった。その際のインタビューで「今まで生きてきた中で、一番幸せです」と答えたシーンが繰り返し流された。これが世の中で大いに受けた。とにもかく「14年」の「人生」なのだから、その発言に多くの大人たちが驚き、そのほほえましさに笑ったと思う。中学生から「元気」もらったのである。
結局は「あれもこれも」が正解 2017/06/15 Thu 5409
 その昔、みのもんたが司会をする「午後は〇〇おもいッきりテレビ」という番組があった。そこでいろいろな食品や食材が放送されると、取り上げられた「モノ」を求めて客が殺到した。その結果、あっという間に売り切れたり品薄になったりすると云われていた。
 どんな食品が話題に上ったのかは知らないが、年間を通じて「いいモノ」を並べていれば、結局は「あれもこれも」出てくることになる。私なんぞは、「つまりは、『なんでも好き嫌いなくちゃんと食べましょうね』というだけのことではないか」と笑っていた。私は好き嫌いなしであれもこれも食べる。そのおかげだろうか、いまのところ毎日を健康に過ごしている。
 テレビで視たその日のうちにスーパーに走るのだから、わが国には影響を受けやすい人が多いのだろう。たとえば納豆やピーマンなどが品薄になるのであれば、お店としては商売繁盛である。それに日ごろは食べない人が摂るのであれば、まあそれはそれで私が文句を云うこともない。ただ世の中にはこうした「影響されやすい性向」を利用して、とんでもない方向に大衆を動かすことを企む者たちがいるから気をつけないといけない。
 
早朝夕刊(5:21am) 若者の「人生」 2017/06/14 Wed 5408
 「若者パワー」は頼もしい。卓球の張本智和選手は13歳の史上最年少で世界選手権ベスト8入りした。リオのオリンピック銅メダルの水谷選手に勝ったことを「人生で一番うれしい瞬間だった」と表現した。彼は昨年のジャパン・オープンでも史上最年少で優勝している。これについて「あの優勝があったから、今の自分がある。去年のこの大会が自分の人生を変えた」と語る。いやはやまだ13歳の「人生」でこの発言である。これから先も「人生で一番」や「人生を変える」体験をドンドン増やしていくことを期待しましょう。
 
犯罪件数 2017/06/14 Wed 5407
 犯罪に関する専門家が、近年では凶悪事件の「数」が減少していることを強調している記事を見たりする。われわれが「ひどい事件が増えている」と感じるのは、世間の耳目を引く「凶悪事件」はセンセーショナルに繰り返し「報道」されるからである。昔は同じような事件が起きても報道される確率が低かったということだろう。一般人は「許しがたい事件が増えている」と錯覚していることになる。
 それも「一つの『事実』」なのだろうが、やはり「公表された数値」であることに注意した方がいい。まずは警察庁の数値は「認知件数」となっていて「発生件数」ではない。ときおり、「じつは保険金殺人だった」ことが明るみに出ることがある。現実に「認知」されないものがどのくらいあるのかわからない。それが昔より減少しているのか、あるいは増加しているのかもわからない。教育の場で起きる「いじめ」も「認知件数」が公表される。しかし、都道府県間の差が大きすぎて「比較」できない現実がある。
 また検挙率の出し方にも課題があるようだが、「数値は」は低下しているらしい。それなら「凶悪事件」の件数が減ったといっても不安は増加する。
 
早朝夕刊(6:13am) 英国選挙の影響 2017/06/13 Tue 5406
 イギリスの総選挙結果は日本にも影響を与えるのではないか。彼の国の政治状況は知らないが、メイ首相は「圧倒的な勝利」を見込んで解散総選挙に打って出た。ところが、これが大いなる誤算だった。それどころか首相の地位すら危うくなってしまった。わが国では「安倍首相一強」の状況が続いている。ここで解散総選挙に持ち込んで大勝し、そこから4年間にわたる盤石の地位を築く。安倍首相がそう考えたとしてもおかしくない。そんなとき、メイ首相が「読み違い」をした。しかも、このところ学校の認可にかかわる問題がやたらと騒がしい。これが「解散意識」に影響を及ぼすのではないか。
 
世の中の数値 2017/06/13 Tue 5405
 世の中に「公表された数値」だけでは「事実」がわからないことが少なくない。たとえば、「交通事故死者数」もその可能性がある。
 私が子どものころから青年期にかけて交通事故による死者数は一万人を超えていた。最悪は1970年の16,765人である。これは日清戦争における戦死者数17,282人に匹敵するというので「交通戦争」と呼ばれていた。それが次第に減少し続け、昨2016年には3,904人である。これには車の進歩や道路、信号等の整備などハードの改善が貢献していることもあるだろう。そうしたなかで高齢者が関係する事故は増加しているようだ。私もその範疇に入っている。
 さて「数値」の件に戻ってみよう。警察庁が発表する「交通事故死者」とは「事故発生から24時間以内に死亡した人」のことである。年を追うごとに医療が進歩し、救命や延命に有効な技術は進歩し続けている。その結果、事故に遭ってから24時間以内に亡くなる人の数は減少しているに違いない。もちろん「交通事故死者の絶対数」は減っているのだろうし、私も心からそう願っている。ただし「公表される数値」に伴う「事情」も押さえておくことが「事実」を知るためには欠かせないのである。
 
早出し夕刊(10:15am) 控えめ文化 2017/06/12 Mon 5404
 藤井四段の控えめな態度は日本人好みなものだと思う。私が小学生のころ、相撲の力士がインタビューで訥々と控えめに答えるのに、ボクシングの選手たちは試合前に「相手をノックアウトする」などと公言する極端な違いにいつも驚いていた。そこに何となく「文化の違い」を感じていた。私としては、「実力も運のうち」なのだから控えめの方が安心する。もっとも、ボクサーの場合はそうした発言で自分を奮い立たせるのだろう。それに、あまりに控えめな態度は「うまくいかなかったときの予防線?」と言われるかもしれない。
 
タバコと肺がん 2017/06/12 Mon 5403
 喫煙者には「タバコが肺がんの原因だというが、喫煙者数は急激に減っているのに肺がんによる死亡者は増加の一途を辿っている」と言われる方が少なくない。これは「喫煙者数の減少」と「肺がん死亡者の増加」という二つの「客観的(?)データ」を結びつけた発想である。しかし、この二つをただちに「因果関係のない証拠」にすることはできない。
 まずは「肺がん発生」までに要する「喫煙年数」を無視することができない。その「期間」を「〇年」と限定することはできない。それでも、平均的には最短でも20年、おそらく30年くらいは必要ではないか。それなれば、「30年前の喫煙率」を押さえないといけなくなる。しかも、団塊世代をはじめとして、人口が相対的に多い年齢層の者たちが「そろそろ肺がん」発生のトップを占めはじめた可能性がある。その点では増加しつつある「肺がん」患者の「年齢」についての情報も加味しなければならない。
 ともあれ、仮に「客観的な数値」であったとしても、それが得られた背景を押さえなければ「事実」を把握することはできないのである。あるいは、「事実」とは異なる結論を導き出してしまう。
 
早朝夕刊(06:10am) 若者パワー 2017/06/11 Sun 5402
 老大国の日本(?)が、いまや「若者パワー」でにぎわっている。その代表の一人が将棋の藤井聡太四段と言っても、これを否定する者はいないだろう。なんと、昨日で公式戦25連勝というから驚くほかはない。それも14歳、中学生なのである。あの羽生善治氏をして「すごい人が現れた」と言わしめるのだから、素人が評価する領域を超えている。インタビューで「まあ」を頭に付けて坦々と語るところは羽生善治プロにそっくりである。またその発言がじつに「控えめ」であるのも、まことに日本人好みと言うべきだろうか。
6年前の手紙(12) 2017/06/11 Sun 5401 continued from 6/04
 敗戦後の日本は「一億総懺悔」という言葉に象徴されるように、国中に「二度と戦争をしてはならない」という機運が高まっていた。そうした社会情勢の下で様々な政治闘争が行われた。1952年(昭和27年)5月1日のメーデーの日には皇居前広場でデモ隊と警察部隊が衝突し、流血の騒乱となった。また、「日米安全保障条約改定」に反対する闘争が展開され、法案の成立を阻止しようと、デモ隊が国会周辺を取り囲んだ。このときデモに参加していた女子学生が亡くなった。これが「60年安保闘争」である。
 政党間の対立も激烈で野党第一党の「日本社会党」は、1958年には衆議院で166議席を獲得している。当時の定数は467である。それから紆余曲折を経て、1996年に「社会民主党」と党名を変更したが、現在は衆議院2名と衰退の一途を辿っている。
 敗戦から10年を過ぎても国内が騒然としていたころ、私は小学生だった。その政治的な意味など理解できるはずもなかったが、学校の先生たちに何かが起きているという雰囲気は感じていた。三隅先生が「教育の現場は教職員組合の政治的活動が激しくなり、中止せざるをえない破目に追い込まれてしまった」と記している時期はこうした時代だったのである。
 
大組織の不祥事 2017/06/10 Sat 5400
 東京モノレールで羽田に向かうと、ターミナルの浜松町からしばらくして電車は左に急カーブします。右下には山手線等が走るJR東日本の線路が見えます。またJR東海の東海道新幹線も走っています。少し先にはJRの田町駅があります。その手前の右側に立方体に近い感じの大きなビルが目に映ります。これが「三菱自動車工業」の本社です。
 この大会社でも大きな問題が発生しました。軽自動車の燃費試験で不正があったという、あの事件です。しかも、同社は2004年に「リコール隠し事件」と呼ばれる深刻な事態も引き起こしていました。組織で不祥事が起きると「二度と同じことは起こさない」と誓うのですが、その教訓が活かされていなかったことになります。
 ここで「リコール隠し」と「燃費不正」は「ことがら」としては「同じこと」ではありません。しかし、そのそこにある「組織」の「行動」には完璧と言えるほど「共通するもの」があるのです。私は「世界中の事故や不祥事の原因は『言いたいことが言えなかった』か『言ったけれど聴いてもらえなかった』かのいずれかである」と「断言」し続けてきました。その考えは現在も変わることがありません。それどころか、時間が経つとともにその妥当性を確証するケースが累積され続けていると思います。こんなことで「確信」などもちたくはないのですが…。
 
「適化」の一歩 2017/06/09 Fri 5399
 もちろん、私は「生きるために生きる」「生きてるから生きてる」だけで「おしまい」と申し上げているのではありません。まずはここからスタートしましょうということです。とにかく「生きる意味がわからないから、生きていてもしょうがない」なんて考えないようにしましょうと言いたいのです。そして、「その上」で、「どう生きようか」とか「何を目標にしようか」などを考えてはどうでしょう。
 それも慌てることはないと思います。しっかり決めた目標でも、時間や状況が変われば、自分の意思と力で「しっかり変えていく」ことが必要になるはずです。まさに「生きる目標」そのものが「適化」していくわけです。まあ、「生きるために生きている」のではありますが、それに自分で「意味づけ」していくのも面白いものです。もちろん、その主役が「自分」であることは言うまでもありません。
 ところで、世の中のヒーローやヒロインたちは、周りにいるはるかに多くの脇役に支えられています。脇役がいなければ、ヒーローもヒロインも生まれることはありません。ヒーローやヒロインのみなさん、「これは私の実力」なんて勘違いしないでね。「実力も運のうち」なんですから(6月2日参照)。
 私は映画好き人間ですが、ストーリーに動かされてシネコンに足を運ぶだけでなく、「脇役」に惹かれて出かけることが少なくありません。
 
「適化」のすすめ 2017/06/08 Thu 5398
 昨日、私は人生を「生きるために生きる」「生きてるから生きてる」と書きました。これでは迫力に欠けますかね。「それならミミズと同じじゃん」と言われますか。おっとっと、これは大失言です。こんな軽率な発言をすると「ミミズ」さんたちから厳しく批判されるはずです。「大変失礼いたしました。心からお詫び申し上げたいと思います」。OH、NO! 「申し上げたいと思います」はいけません。「たい」なんて、余計なものを挟まずに、「申し上げます」とストレートに断定しましょう。そうでないと「イヤイヤ感」が見え見えです。
 まずは「ミミズさんたち」にお詫びをした後で、「動物たち」に入れ替えたらどうでしょう。私としては、それも「NO」です。人間はこの世のあらゆる動物よりも優れているという気分丸出しではございませんか。これまた嫌な言い回しです。すでに絶滅したものを含めて、地球上のすべての生き物がルーツを同じにする仲間であることは科学的に実証されています。大腸菌のDNAもすごいらしいではありませんか。それが「人間まで進化してきた」わけです。
 やれやれ、この表現も問題だなあと思います。「進化」が気に入らないなあ。生物がそのときどきの環境に「適用」してきたことは事実でしょうから「適化」というのであれば、私も受け入れ可能ですが…。
 
「生きる」ために「生きる」 2017/06/07 Wed 5397
 青春時代、あるいは思春期に「自分は何のために生きているんだろう」と考えた方は多いのではないでしょうか。ここで「自分」ではなく、「人間」を主語にしたかもしれません。それは若いころに限りません。人間にとって永遠のテーマだとも言えるでしょう。私としてはそんな重い課題にちょっとだけ挑戦してみようという気になりました。
 とまあ、まことに大げさな書き出しになりましたが、じつはいつものことで、「ふと頭に浮かんだこと」から膨らんだだけのネタです。まずは「生きるために生きるんだよね」が私に聞こえた「セリフ」でした。それから「何のために生きるなんて、深刻に悩むことはないのよ」という声が追いかけてきました。さらに「だから生きる目的がわからないからといって死んじゃあいけないのよ」「とにかく生きていこうよ」という後押しがあったような気もします。
 もちろん「生きる目的」をしっかりお持ちの方はそれでけっこうなことです。だた「それが見つからない」からといって心配したり悩んだりするのは、「とりあえず」止めときましょうと言いたいわけです。人様に偉そうなことが言えるような私ではありませんが、じつは「何のために生きている」のかよくわかっていません。とにかく「生きてるから生きてる」としか言いようがないのです、はい。
 
「妄想」、「想像力」あるいは「創造力」? 2017/06/06 Tue 5396
 私は福岡県の行橋小学校に入学した。それから4年生の一学期までを過ごして佐賀県の伊万里小学校に転校した。父が転勤になったのである。
 小学校時代の思い出はあふれるほどある。そんな中でも大雨や強風の日にレインコートというよりもビニールの雨合羽を来て登校したときのことはしっかり記憶している。その当時でも台風の襲来時にはさすがに休校だったと思う。したがって強風あるいは豪雨のもとで通学したといっても、大人の目から見れば大したものではなかったかもしれない。
 その客観的な強度は措くとして、こんな日、私はいつもヒーローになっていた。自分にありったけの力を振り絞りながら圧倒される風雨に抗して私は前進する。そのとき頭の中から力強いナレーションが聞こえてくるのである。
 「勇猛果敢な吉田君は、いま猛烈な勢いで襲いかかる悪魔のような雨風をものともせずに学校に向かっているのです。そうです、正義は邪悪な者どもを押し返しながら最後は必ず勝利を収めるのです…」。これはそのころ娯楽の代表だった映画の見過ぎの影響に違いないが、とにかく自分が「大スペクタクルの主役」になりきっていたのである。そんな「重大事態」でない場合でも、「独り言大作戦」で「毎日がヒーロー物語」といった感があった。それを「妄想癖」という人もいるだろうが、私としては「想像力」と「創造力」の賜であったと「思い込んで」いる。
 
今月の写真 2017/06/05 Mon 5395
 今月の写真は2枚とも熊本市動植物園で撮ったものです。地震で大きな被害を受けて今年の2月まで閉園を余儀なくされていました。この2月も部分開園と云うことでオープンしたのは全体の40%未満でした。私たちも先月5月5日の「こどもの日」に出かけてキリンと象に会ってきました。とくにキリンについては5月23日から3回ほど本コラムで取り上げました。この3日にはさらに開園エリアを拡大して、全体の54%が元に戻ったとのことです。観覧できる動物は36種類になりました。
 写真の1枚はきれいな花でいっぱいの植物園から動物園の観覧車を眺めたものです。このときは上天気で真っ青な空が感動的です。やっぱり野外での写真は晴れの日に限りますね。
 そしてもう1枚は先月取り上げたキリンです。私たちがキリン舎にいったときはちょうどおやつの時間でした。ところで、飼育係さんの話によれば、地震後に生まれた子ども含めた2頭は近いうちに他の動物園は移動するとのことでした。繁殖のためのようですが、キリンですから背が高くなりすぎると運送できなくなるわけです。そこで小さいうちに養子縁組(?)をするんですね。こうして命が続いていくことになります。
 
6年前の手紙(11) 2017/06/04 Sun 5394 continued from 5/28
 三隅先生が「集団力学研究所20周年記念論文集」の「序章 回顧と展望」に書かれた「教育界から産業界への『移行』」の部分を引用してみよう。

 私どもは、初等、中等教育の現場におけるリーダーシップの研究や集団決定の研究を、数ヵ年つづけたが、その後、教育の現場は教職員組合の政治的活動が激しくなり、中止せざるをえない破目に追い込まれてしまった。その頃、偶然の機会をえて炭
鉱でグループ・ダイナミックスの研究をはじめることになった。これがアクション・リサーチのはじまりである。

 ここに、三隅先生が「教育」から「産業界」へ「移った」理由が明らかにされている。つまりは「教育の現場は教職員組合の政治的活動が激しくなり、中止せざるをえない破目に追い込まれてしまった」のである。そのため、教育におけるリーダーシップの研究や集団決定の研究は数年で継続できなくなった。それは1960年代のことであった。私が小学校に入学したのは1955年である。その当時、教員に対する「勤務評定」や「全国学力テスト」の導入・実施などに対して激しい反対運動が展開されていた。子どもにその意味は理解できなかったが、学校で何かが起きているという雰囲気を感じていた記憶がある。
 
HPの引っ越し(7) 2017/06/03 Sat 5393 continued from 5/27
 これまで使ってきたサーバーがアウトになるという危機に対応するため、「レンタルサーバー」の情報を収集しました。その結果、「ここはよさそうだ」と思われるところが見つかりました。このごろはネット上で様々なサービスや商品についての評価が得られます。私が見つけたサーバーは利用する条件を踏まえると文句のない評価を受けていました。そこで大型連休中に契約したのです。
 その後は「ゆっくり」とKDDI系からファイルを転写しようと考えていました。ところが、いくつかのファイルを移して動作テストをしてみると、じつに具合がいいのです。これが愉快でたまらないのです。それが高じて、教育学部のサーバー分まで転写しようという意欲が高まりました。これができると、自宅や出張先からでも「表紙」のアップロードが可能になります。
 そう考えると、もう「どうにも止まらなく」なってしまいました。そして、5月28日の日曜日には「吉田道雄のHP」に関わるすべてのファイルを新しいサーバーに移し替えてしまったのです。
 そのおかげで、今月の1日は大分にいたのですが、6月号の表紙をリアルタイムで更新することができました。何とも楽しい限りです。これで「HP引っ越し物語」はおしまいとさせていただきます。
 
「運」も「実力」? 2017/06/02 Fri 5392
 「勝てば官軍」ではないけれど、世の中には何をやっても成功者として称えられる人がいる。けっこうなことである。そして、そうした人に「実力」が伴っていることも疑いない。それに加えてその方々には「運」まで味方するように見える。一般ピープルにとっては、「神様は不公平だなあ」と嘆きたくもなる。
 これに対して「運も実力のうちなんだよ」と言う人がいる。これに対して、私は「そうかなあ」と思う。むしろ「実力も運のうち」ではないのか。そもそも、「実力」を遺憾なく発揮できている状況にいること自身が「運」以外の何者でもない。
 体力、筋力的には100mを9秒で走ることができる人間がこの地球上にいても不思議ではない。しかし、その人物がどこに住んでいても「陸上競技で成功」するわけではない。本人がどこで生まれるかはもちろん、時代、国や地方、そのときどきの社会情勢などなどとの「運による出会い」がなければ「成功」はあり得ない。
 これはあらゆる「成功」に当てはまることである。その意味で、すべての成功者は「実力も運」の「こころ」で、さらに「成功」を目指してチャレンジしていただきたい。「ありがたや、ありがたや」の精神を大事にしましょう。
  
AIと人類 2017/06/01 Thu 5391
 このところ、将棋界のトップ・プロが「AI」に「負けた」ことがセンセーショナルに報道されている。ある新聞では「将棋ソフトに『人間敗北』 電王戦 佐藤名人も連敗」と大見出しで伝えた。また、囲碁の世界でも最強のプロが粉砕されたという。将棋の相手は「PONANZA」、囲碁は「Alpha碁」というAIソフトである。私としては、それぞれのソフトを開発した人たちの意欲とエネルギー、そして能力を高く評価する。
 ただし、マスコミが「人間敗北」や「人類完敗」などと煽り立てるのは、まあ仕事だから仕方がないものの、「いかがなものか」と思う。それは単なる時間の問題だっただけである。そもそも人間が機械を発明した瞬間から人間は「負け続けている」のである。鉄の鍬は原始の時代に「人間の手」を「敗北」に追いやった。ウエイトリフティングでも「たかだか260kg」が人類世界記録である。どこにでもあるフォークリフトにかなわない。
 まあ囲碁では「頭脳」という「人類のプライド」とする能力で負けたことが違うと言いたいのだろう。しかし、それは基本的に「演算能力」に依存しているのだから、それが向上すれば、あとはソフトウエアの問題だったのである。
 スポーツと同じように、人間同士が展開する囲碁将棋のおもしろさがかわることはない。いまや藤井聡太君に大注目である。