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味な話の素
No.168  2017年04月号(5358-5390)  Since 2003/04/29
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HPの「引っ越し」をはじめました。右のURLをクリックして「お気に入り」にご登録ください。http://ymichio.chu.jp
妻への想い 2017/05/31 Wed 5390
 二年前の今日は涙があふれて仕方のない日だった。前日、ヒデがつくった鶏のもつをタマネギと炒めたのを食べながら、涙があふれて仕方がなかった。入院前にヒデがつくった手料理がまだ冷蔵庫に残っていて、それをこの日の朝に食べながら涙がポロポロとあふれた。道雄や□□の前で隠すのに骨が折れた。ヒデが助からないということが、私の潜在意識ではわかっていたのであろうか。
 職場に出ても涙があふれて困った。どこかの奥さんに対応しているときも、突然のように涙があふれ出た。ヒデは逝くのか、去って逝くのか。わけもなく涙があふれた。この青空のどこにヒデがいるのだろう。ヒデはこの夏雲の輝く青空そのものである。何処かにいるというのではない。青空そのものがヒデなのだ。

 私の母の名は「秀子」だが、父は「ヒデ」と呼んでいた。わが妻が手術のミスによって47歳で命を絶たれてから二年目、父が書いた1975年8月3日の日記である。□□は私の妹の名前になっている。
 母が入院したのは前日の8月2日だった。このとき父は58歳、母に対する青年のような想いが伝わってくる。
白鳥の解明 2017/05/30 Tue 5389
 正宗白鳥が「歩きながら本を読む」といった情報については、本コラムですでに取り上げていたことがわかった。ただし、その際にネットで探したが該当するものがなかったと記している。そこで、粘着質の私らしく改めてチェックすると、これに関連した白鳥の文章を見つけた。
 それは「昔の西片町の人」と題するエッセーに書かれていた。そこで白鳥は彼が敬愛する「文學者の中田鋭氏」のことを取り上げている。中田氏が「博學」で、「訪問客と話をしてゐる時でも、外國の本を手に持つて讀んでるさうだ」とか、「夜二三時間しか眠らないで讀書する」といった話を聞いていたという。さらに「道を歩きながらも書物を讀んでゐる學生の勉強ぶりに心を惹かれたりした」と続いている。
 この流れから推測されるのは、「歩きながら読書」は中田氏の行動ではなく、白鳥は「そんな學生」にも感動したというのである。そして白鳥は、自分自身が「無茶苦茶に本を讀みたがつてゐた」ことを強調している。ともあれ、これで「いつか何処かで聞いた」「正宗白鳥は歩きながら本を読んだ」という話題も私自身の心のなかではようやく決着が付きました。はい。
 
白鳥物語 2017/05/29 Mon 5388
 いつだったか、おそらく4年ほど前だと思うが、正宗白鳥が「歩きながら本を読んでいた」という話を聞いたことがある。正宗白鳥は明治から昭和にかけて活動した小説家で、、劇作家、文学評論家ともされる。私たちの世代にとっては高校の教科書に名前が出てきたくらいの距離感がある。すでに1962年(昭和37年)に83歳で亡くなっているから、それも当然だろう。
 その作品を読んだことはないが、私には「白鳥(はくちょう)」というペンネームが印象的だった。その白鳥が「歩きながら本を読んでいた」という情報をどこから得たのか記憶がない。ただ、私にとっては「そのこと自身」が楽しくてメモをしていたのである。そこで、「これ」をキーワードに検索してみたところ、何と私の「味な話の素」まで出てきたので、これまたびくり仰天した。何のことはない、「たまったメモ書き」をチェックして、この話題に触れていたのである。しかも、日付は2016年12月7日だから、まだ半年も経っていない。そのときに、すでに話題にしたとしてメモを削除しておかなければならなかったのである。
 本コラムもすでに5300回を超え、そして私も古稀が見えはじめた。同じことの繰り返しが頻発するようになったときは「終熄」したほうがいい。ただし、そのこと自身を認識できなくなる虞が多分にあるが…。
 
6年前の手紙(10) 2017/05/28 Sun 5387 5月22日の続き
 三隅先生は「新しいリーダーシップ」の前書きで、「児童たちの協力を得て、アメリカの研究との比較研究を試みた」が、「その後組織におけるリーダーシップの研究に及んだ」と軽く触れておられる。これについて私は「それにはそれなりの理由があった」と書いた。
 三隅先生を所長として集団力学研究所が設立されたのは1967年のことである。このあたりの経緯については、本シリーズ「6年前の手紙」を書かれた高さんの情報に基づきながら、時間をかけて詳しくフォローすることになる。
 そしてこの数回は、その高さんの手紙の中で三隅先生が「教育界から産業界への『移行』を考えておられたのではないか」と推測されていたことについて、少しばかり情報を追加しようと試みている。したがって、「高さんからの手紙」から少しばかり脇道に入っているのである。
 さて、その研究所が設立から20周年を迎えた翌年の1988年に「20周年記念論文集 経営とグループ・ダイナミックス -集団力学研究所20年間のアクションリサーチから-」が出版されている。その「序章 回顧と展望」に、三隅先生が「教育界から産業界への『移行』」について書かれている部分がある。
 
HPの引っ越し(6) 2017/05/27 Sat 5386 5月21日の続き
 電話の自由化でKDDI系に乗り換えていたのを、勧誘に応じてNTT系に戻ったのですが、ホームページのサーバーがうまくいかないのです。それまで蓄積してきたファイルが転送できないことがわかったわけです。そんなことで、ホームページのサーバーだけはKDDI系のものを維持せざるを得なくなりました。これは想定外の出来事です。そうした事情から、その後にまたKDDI系から切り替えの誘いが来たときは、すんなりと元のKDDI系に復帰となったのです。わたしにとっては、これまでつくってきたホームページがアップロードできることが必須の条件でした。これで一件落着と思ったのは当然のことです。
 ところがどっこい、ここにきて「10月でサーバーのサービスは停止」と宣言されてしまいました。これは私のHPの維持にとって大問題です。じつはファイルの大半は所属している教育学部のサーバーを使ってきました。ただし、このサーバーは熊大のなかのネットを経由しないとアップロードできません。そうなると、いつも早朝に更新している「味な話の素」が大学に出かけないとアップできないわけです。また出張の間は更新不能になります。それをこれまでKDDI系のサーバーで補ってきたのでした。そのサーバーが使えなくなるというのですから、これは私にとってきわめて深刻な事態なのです。
趣味の仕事 2017/05/26 Fri 5385
 People rarely succeed unless they have fun in what they are doing. Dale Carnegie
 「自分のしていることが楽しくなければ、人はめったに成功などしない」。つまりは「自分のしていることを楽しんで取り組むことが成功に繋がる」ということである。デール・カーネギー(Dale Breckenridge Carnegie 1888ー1955)の言だ。彼は「アメリカの作家で教師にして、自己開発、セールス、企業トレーニング、スピーチおよび対人スキルに関する各種コースの開発者」とされている(Wikipedia)。その著書〝How to Win Friends and Influence People〟(1936年)は「人を動かす」という書名の翻訳がある。この本もけっこう知られている。ニューヨークのカーネギーホールで有名な鉄鋼王と呼ばれるアメリカの実業家・慈善家アンドリュー・カーネギー (Andrew Carnegieとは別人である。
 私にとって「仕事は趣味」である。仕事がとにかく楽しく面白くて仕方がない。だから「自分は成功者だ」などと自惚れているわけではない。そうではなくて、「それを体験できる」チャンスを与えられたことを心からありがたく思っているのである。憎まれっ子ならぬ憎まれじいさんとして、これからも世に憚ろうかなあ…。
 
キリンの感動 2017/05/25 Thu 5384
 キリンの飼育係の話は続いていきます。キリンは草などから水分を吸収し、数日間あるいは1週間ほどは水を飲まなくても生きていけるのだそうです。ここで「数日間あるいは1週間」という時間は私の曖昧な記憶のせいによる表現です。飼育係さんはもうすこしはっきりしたことを言っていました。それにしても、草だけで水を補給するなんてすごいなあと驚きます。
 さらに、そのあたりにうんちが落ちていました。これがキリンの体の大きさから想像できないほど小さいのです。それは山羊のうんちのように黒い球形のものですが、ポロポロという感じで転がっていました。これも徹底して栄養素を吸収した結果のようです。なんと効率のいいことでしょう。
 こうした能力を獲得したものだけが生き残れることが目の前で見えます。動物園はすばらしい情報提供の場だと改めて感動しました。
 おおよその説明を終えてから、飼育係氏は「何か質問はありませんか」と問いかけます。まあ、対象は子どもたちだったと思いますが、私も「寿命はどのくらいですか」と聞いてしまいました。その答えは「たしか」「27歳くらい」というちょっと半端な数値だった記憶があるのですが、私はこれについてもしっかりした自信はありません。もうそんな年なんですね。
 
キリンの生き方 2017/05/24 Wed 5383
 無料開放の動物園は大いににぎわっていた。何と言っても「こどもの日」で、とくに子ども連れが多かったのは当然である。動物はほんの少ししか公開されていないのだが、観覧車など一部の乗り物が利用可能でモノレール待ちは長蛇の列になっていた。これは未公開の部分もぐるっと回れるからだろう。
 キリンのところへ行くとちょうどおやつの最中で、親子4頭のキリンがオリの上部にセットされた草を食べていた。そのとき解説していた飼育係の話がじつに興味深いものだった。キリンは立ったまま寝るという。その理由は単純で、いつ外敵から襲われても即座に逃げるためである。ただし動物園のように安全が保証された場所だと足を折って寝るのだそうな。そのため首の下に「寝だこ」ができる。たしかにもっこりとした盛り上がりが見えた。またこまかい数値は忘れたが睡眠時間は3時間ほどだが、それも小刻みにとるという。これもまた身の安全のためである。野生の草原は熟睡など許さない厳しい環境なのだ。
 この地球上に住むあらゆる動物たちは、こうした凄まじい状況のなかで生きてきた。あるいは、それに堪えることができるものたちだけが生き残ってきたということである。それにもかかわらず「柔和な顔」を維持しているキリンにいたく感動した。
 
キリンが見える場所 2017/05/23 Tue 5382
 熊本地震では市立動物園も大きな被害を被った。あのときはライオンが逃げたというとんでもない偽情報を流した者がいた。まことに愚かとしか言いようがない。その後、警察に検挙されたが、起訴は免れてとりあえず落着した。
 その動物園だが、閉鎖中は外から象やキリンが見える場所があり、NHKの72時間とかいう番組で取り上げられていたらしい。地震からの復帰を目指して、このごろようやく半分くらいで再開園になった。そのニュースを見ていたこともあるが、「外からキリンが見える場所」に行ってみようということで熊本市動植物園に出かけた。
 それは「こどもの日」だったが、「外から見える場所」に到達する道を確認するつもりでいた。そんなことで、「ここら辺りから入るんじゃないか」と推測した、いつもとは違うルートで動物園に近づいた。すると目の前に駐車場があって、まだ満車になっていなかった。しかも、動植物園への「臨時の入り口」が設置されている。「それなら入ってみるか」と駐車した。例年、熊本市動植物園は「こどもの日」は無料開放しており、これまでも何回か孫たちと来たことがあった。
 
6年前の手紙(9) 2017/05/22 Mon 5381 5月15日の続き
 三隅先生の「新しいリーダーシップ」の「まえがき」では、占領軍の影響下で実施された「教育指導者講習会(IEFL)」で、リーダーシップに関するグループ・ダィナミックスの最初の実験的研究を知ったことが書かれている。これはレビンたちが行った実験であった。「まえがき」は続く。

 当時、アメリカと日本は、社会、歴史的伝統が非常に違うので、アメリカの子供に対する研究結果が、日本の子供にも適用できるかどうかについて、まったく見当もつかないというのが率直な感じであった。そこで、福岡市内の小学校の児童たちの協力を得て、アメリカの研究との比較研究を試みたのである。しかるに、結果は意外にアメリカの研究と類似した傾向を見いだして驚いた次第である。その後組織におけるリーダーシップの研究に及んだ。

 ここでは「その後組織におけるリーダーシップの研究に及んだ」と軽く触れられている。しかし、そもそもは教育の場で実験をしていた三隅先生が「産業界」に「移った」のにはそれなりの理由があったのである。
 
HPの引っ越し(5) 2017/05/21 Sun 5380 5月14日の続き
 さて、「HPの引っ越し」シリーズはいつものように脱線し、その後は順調に脇道に逸れ、さらに道草まで食っております。この上、昼寝までしそうなのですが、時計を「電話の自由化」があったころまで巻き戻してみます。
 私もけっこう「新しもの好き」で、それまで誰もが使っていたNTTからKDDI系の「光プラス」に契約替えをしました。その後は競合他社から「乗り換え」の誘い話は続くのですが、私としてはまったく反応をしませんでした。その最大の理由がホームページのサーバーが使えることでした。ところが数年前、NTT系から勧誘がありました。もちろん、それまでと同様に「その気はない」と言い続けていたのですが、このときの担当者の対応がじつによかったわけです。その詳細な点は措くとして、そこでかなり長期にわたっていたKDDI系から、NTTに戻ることにしました。もちろん「ホームページのサーバー」も変更することになります。
 ところが、これが重大な問題をもたらしたのです。新規の「サーバー」では、それまで蓄積してきた「ホームページ」の転送がうまくいかないのです。これは私にとって深刻なのであります。
 
うろうろ人生 2017/05/20 Sat 5379
 洗面所と居間を往復した末に「歯磨き」は終わるが、すぐに「ブラッシング」に取りかかる。何と言っても、「80歳で20本の歯」が目標である。そのためには歯茎も含めて鍛えておかないといけない。ここからは電動「ソニケア」の出番となる。
 まずは軽く水を付けたブラシを「ブルブル」と振動させながら口内に入れる。それをしっかり歯と歯茎に当てる。これがおよそ3分ほどの時間を要する。ここでブラシだけを動かしているわけにはいかない。またしても自然に両足が動き出す。もちろん今度も目的地はダイニングとテレビのある部屋である。その間にブラシは歯の表と裏、そして上下にゆっくりと動いていく。やがて3分が経つとブラシは自動的に停止する。
 しかし、まだすべてが終わっていない。セットされた時間よりも早く終わるとまずいという勝手なかつ強迫的な思いから、歯ブラシの移動時間を意図的に「ゆっくり」目にしている。だからブラシが全部に行き届かないうちに3分が経過する。そこで、もう一度オンにする…。
 ともあれ、これを毎朝続けているおかげか、いまのところ歯も歯茎もあまあの実感がある。それにしても、2本のブラシを使用している間、口中の歯ブラシはもちろんだが、私の体も家中を動き回っている。われながら落ち着きのない人間だといつも呆れ、かつ苦笑いしている。
 
歯磨きの続き 2017/05/19 Fri 5378
 テレビは、あらかじめ見ようと決めた番組はない。そのときどきで「適当」に決める。どちらかというと事件物が多い。こうした番組は過去には90分物が多かったが、最近は1時間で終わるものもある。ただし覚醒している時ですら、私にとってテレビ番組は「30分」もじっと見ていれば上出来なのである。だからベッドに入って「事件の解決」まで維持できるはずもない。それどころか、「事件が起きる」前に私自身が意識不明になっている。タイマーでセットした30分がむなしく過ぎていくことになる。
 家族の証言によれば、数分で仮死状態になっているという。テレビのタイマーはさらに細かいメモリにしてほしい。たとえば「1分刻み」でデジタル入力できれば最高である。
 そうそう、歯磨き中にテレビの部屋に足が動いていくという話をしていたのだった。ついでながら、地震で壊れてしまったプラズマの代わりに、あらたに55インチの4Kを購入した。
 さて、口の中で歯ブラシが動き、さらに足が運動して洗面所からテレビのある部屋に移動する。そのとき、ヘッドフォンで録音したラジオ番組を「2倍速」で聴いているところまで話していて脇道に逸れた。ともあれそんな感じだから、テレビが点いていても画面を一瞥するだけである。そのうち口の中が練り歯磨きを交えて膨らんでくるから、再び洗面所へと足が動いていく。
 
歯磨きの時間 2017/05/18 Thu 5377
 ヘッドフォンを付けて録音したラジオ番組を聴いている。それも、まともな再生速度ではなく、ほとんどの場合2倍速である。口の中では前後左右に歯ブラシが躍っている。先ほど洗面所で練り歯磨きを歯ブラシに塗ってから動きはじめた。ここで動いているのは歯ブラシだけでなく足もである。
 洗面所から廊下を通って台所を横目に見ながらダイニングへ行く。畳のある間にはテレビが置いてある。あの地震で50インチのプラズマテレビが破壊された。今日ではテレビのない生活は考えられない。もっとも最近の学生はテレビを見ないようで、受像器そのものを置いていないという者もいる。
 私にしても、「見たい番組」はほとんどない。そもそもテレビの前でじっとしておれるのは30分が限界である。そんなことで、「テレビを見るか」と言われれば、時間的には「見ない」部類に入る可能性がある。ただ、そうは言いながらもテレビのある部屋に行くと、ほとんど無意識的にスイッチだけは入れる。これは「条件反射」の域に達している。寝室にもテレビがあり、ベッドに入ると同時にリモコンをオンする。最初にタイマーを30分にセットしてチャンネルを飛ばし見する。
 
老化と劣化と… 2017/05/17 Wed 5376
 わが国は「老大国」になりつつあるようです。ここで自分たちのことを「大国」と呼ぶことが可能なのかどうか、それも怪しいと言うべきでしょう。あるいは、よその国から視れば「あつかましい」と笑われるかもしれません。それはともかく、「老人大国」になってきたことは紛れもない事実です。
 こうした状況で若者と競うことなど考えてはいけません。私たち高齢者はそれに応じた生き方を模索しながらちゃんと生きていけばいいのです。ただし、それが「国」や「組織」のレベルになると、もう少し積極的な対策を取ることが必要になります。
 それにしても、「組織の揺れ」がとまりません。羽田からモノレールで浜松町に近づくと右側に堂々たる高層ビルがそびえています。ここが東芝の本社です。その住所は「東京都港区芝浦1丁目1番地1号」です。この地に「東京芝浦電気」が発足したのは1939年のことです。まさに「東芝」がスタートしたのでした。その大会社が上場廃止に追い込まれかねない危機的状況に至っています。
 これは「一組織」の問題ではありません。私たちは、これがわが国の「老化」、あるいは「劣化」に繋がる深刻な事態だと受け止めることが必要です。それは「他人事」で済ませてはいけないのです。どんな組織も、それを動かしているのは「人」の「集団」です。こうした事態に至った原因を追求することは、わが国の今後を考えるために欠くことができません。
ユナイテッド航空、その後 2017/05/16 Tue 5375
 ダブルブッキングの調整で乗客を暴力的に降ろしたユナイテッド航空だったが、ごうごうたる非難を受けただけでなく株価まで下がった。それは一時的なものだろうが、会社のイメージダウンも含めて厳しい試練に晒された。これを受けてか、同社は席を譲った乗客への保証金を最高1万ドルに引き上げた。日本円で110万円を超える。それにはかなりの条件がついているはずだが、何ともアメリカらしい反応と言うべきか。
 その一方で、航空会社の方もとんでもない客に悩まされている。乗客が酔っ払って乱暴狼藉をはたらいたというニュースも少なくない。私は飛行機好きでけっこう利用しているが、ときおり「遅刻者」がいて出発が遅れることがある。羽田など広い空港では係員が「〇〇行き〇〇便にご登場の〇〇さま」と絶叫しながら探している。係員を先導にして必死で走っている「その人たち」を見かけることもある。空港で徒競走などしないでほしい。
 もちろん、それにはやむを得ない事情が絡んでいることもあるだろう。しかし、私がこれまで体験した「遅刻者」の面々は、そんな感じではない人たちばかりである。携帯電話は長いこと機内に入ったときから使用禁止だったが、そのうち出発時はドアが閉まるまで、そして着陸してからは間もなく機内での使用がOKになった。ただし、他の乗客の迷惑になるので通話は控えるようにとのアナウンスがあるにも拘わらず、話し出す者がいる。上空を飛んでもモラルは高まらない。
6年前の「手紙」(8) 2017/05/15 Mon 5374 5月7日の続き
 三隅先生の著書「新しいリーダーシップ」の「まえがき」の後半に以下の一節がある。

 敗戦このかた、二〇年の歳月は走馬燈のように流れた。
 私たちが、第六章の民主的指導の研究をスタートしたのは、終戦後まもなくであった。軍服を身にまといながら、再び学問への道を決意した当時、福岡市内はみるかげもなく爆撃で荒れ果てていた。はたして長崎や広島で草がはえるだろうか、と真剣に考え込んだのも、その当時である。
 やがて占領軍の影響の下に、日本の教育指導者講習会が開催されたのは、終戦後四年目のときである。その講習会場で、今日では古典的研究といわれるリーダーシップに関するグループ・ダィナミックスの最初の実験的研究を知った。

 三隅先生が米軍の空襲で焼け野原になった福岡市に立ったのは21歳のときである。そして、それから4年後の1949年(昭和24年)に「グループ・ダイナミックス」と出会うことになる。それは戦後日本のの教育改革を目的に、〝The Institue for Educational Leadership(IFEL)〟が主催した講習会であった。 その呼称に〝Leadership〟が含まれているところが印象的である。
 
HPの引っ越し(4) 2017/05/14 Sun 5373 5月9日の続き
 その昔、わが国の電話は「日本電信電話公社」が独占して運営していました。全国に電話網を張り巡らせるためには膨大な費用がかかります。そんなことで、私たちが自宅に電話を設置する時代までは、かなり高額の資金が必要でした。その当時で7、8万円ほどだったと思います。
 また「電話債券」なるもののありました。私たちが支払ったのは「加入権」のようです。「債券」は現在のNTTにも償還義務がありますが、後者は「電話回線の設置費用」ということのようです。
 電話網は明治時代から営々と作りあげてきた「国家的大インフラ」でした。したがって、これを構築することは半端な資金と時間では不可能です。そんなことで、お金を持った先進国が圧倒的に優位な地位を維持していました。そこにワイヤレスが登場します。その構成はきわめて単純で、「基地局」と「電話機」があればいいのです。こうなると、回線を国中に敷設する必要がなくなります。そこで、まだ電話網のインフラができていない国や地域においても、多くの人々が電話を利用できるようになったのです。人間の世の中は、先行組はいろんな苦労がありますが、その点は後からキャッチアップする方が有利なこともありますよね。
 
昼出し夕刊(11:30am) 事実は小説よりも… 2017/05/13 Sat 5372
 国会の証人喚問で「事実は小説よりも奇なり」と言った人がいた。この人生を体験していると、「たしかにその通り」と思うことがけっこうある。しかし、それしても「小説よりも『奇』がすぎる」おどろきの「事件」が起きた。
 広島中央署での「現金『窃盗』事件」である。その金額が8572万円というのだから半端ではない。さまざまな事情から内部の犯行である可能性が高いようだ。そうなると対象者は限定されるから、「犯人」が明らかになるのは時間の問題である。いま、ギャンブルやトラブル、ひょっとして男女関係などの問題で経済的に困っていた人物はいないかなどの情報が集められているのだろう。それにしても、警察としては頭が痛いに違いない。ただでさえ警察官が不祥事を起こせば徹底的に責められる。飲酒運転はおろか殺人まで犯した者もいる。犯罪を取り締まる側がこれでは、どんなに批判されても反論のしようがない。
 それはそうだが、それにしても「警察署の中で」である。誰だって「信じられない」と思って当然である。大型連休後に発覚したというから、すでに1週間が経とうとしている。
 
国の呼称 2017/05/13 Sat 5371 
 もういつのころか記憶にないほどだが、中東の紛争でイスラエルにミサイルが飛んでくるニュースが流れたことがある。またイラクの街中にミサイルが落ちる光景も見た。移動中のトラックにミサイルが命中する様子が流されたりもした。そして、今でも様々な地域でそうした事態が起きている。ただ、日本から見ればそれははるか遠方の地の事態であった。われわれもその悲惨さには胸を痛めていたつもりではあるが、やはり遠くの出来事であることに変わりはなかった。しかし、それが身近なものになってきた。もちろん、最悪の事態を避けることが求められるが、まったくの個人あるいは市民としては、とにかく状況を見守るしかない。
 ところで、かなり前のことだが新聞もテレビも「北朝鮮」を引用する場合、「北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)」と正式な国名を付けていた。NHKのニュースでもアナウンサーが、この通りに原稿を読んでいた。それがいつのころからか省略されるようになった。昔から「大韓民国」を「韓国」、「中華人民共和国」を「中国」とそれぞれ省略している。「北朝鮮」の場合は、そうしたケースにも当てはまらない。
 
上司のリーダーシップと離職 2017/05/12 Fri 5370 
 「日本アンガーマネジメン卜協会」が「退職者」を対象に調査した。離職者と仕事を続けている人たちのそれぞれ200人ほどから回答が得られた。その結果、「上司との関係が良好」だったり、「上司の叱り方」が適切であれば「辞めずに済んだ」が50.8%とほぼ半数を占めたという。まずは「上司との良好な関係」が28.2%で、「上司の適切な叱り方」は22.6%,、そして「労働時間の改善」20.0%、「給与面の改善」16.9%、「同僚との良好な関係」6.7%と続いた。
 また、新卒から4年後も辞めていない人に「仕事を続けられた理由」を聞いた。それによると、「同僚との良好な関係」が31.9%、「上司との良好な関係」は14.3%で、以下「給与面の改善」10.9%、「労働時間の改善」7.6%、「適切な叱り方」6.7%になった。
 退職者の「上司との良好な関係」と「適切な叱り方」は、いずれが先かは状況によるだろうが、ほぼ「同義語」に近い。あるいは「因果関係」にあるとも考えられる。これはまさに「上司のリーダーシップ」そのものである。仕事の上で「叱る」べきことは「しっかり叱る」のが鉄則である。ただし、その「叱り方」次第で部下たちの意欲が高まったり低下したりする。それだけでは済まずに、「敵意」を引き起こすこともある。
 
意味づけ人生 2017/05/11 Thu 5369 
 人間は気持ちが大事です。そこで、自分の身の回りのものや出来事をどのように把握するかがポイントになります。秋になれば美しい紅葉が楽しめます。テレビでは全国の庭園やお寺などから見事な紅葉が中継されます。それを背景にアナウンサーが呼びかけます。「みなさん昨日は奈良の○○にいましたが、今日は福井の○○にやってきました。ご覧ください。ここでも紅葉が美しさを競い合っています」。これは紅葉に限りません。各地の風景なども、あるときは「優雅さ」を、またあるときは「たくましさ」を、はたまた「やさしさ」を「競っている」のです。
 私たちはこうしたアナウンサーの呼びかけに「そうだなあ」と思うわけです。しかし、それは「客観的事実」ではありません。そもそも紅葉が「美しさを競う」なんて擬人化のし過ぎではないですか。それは自然の摂理にしたがっているだけなのです。
 しかし、私たちは身の回りの世界を「意味づけ」しないと生きていけないのです。そこで、どうせ意味づけするのであれば、それは明るい方がいいなあ。私はそんな思いで68年間を生きてきた気がします。
 ここで、「私の信条」をお贈りしましょう。
 あわてるな!人生は そんなに短くはない。なまけるな! 人生は そんなに長くもない。

 皆さま、充実した毎日とその結果としての豊かな人生をお送りください。
とにかくエクササイズ 2017/05/10 Wed 5368 5月6日の続き
 「対人関係」や「コミュニケーション」、「リーダーシップ」などの「筋肉」も「エクササイズ」で鍛えることができるのです。もっとも、年をとってくれば「筋肉をさらに強くすること」はむずかしくなります。しかし、そうかと言って「エクササイズ」をしないでいると、病気や怪我で寝たきりになったときのように、「筋肉が衰える」のです。そのときどきの状況に応じて、「自分にできるエクササイズ」を継続することが大事です。
 それに、「対人関係」などの筋肉は「こころの筋肉」です。その「エクササイズ」のためにジムに通う必要はありません。もちろん、けっこうなお値段のトレーニングマシーンを買わなくてもいいのです。人との関わりを大事にする、相手のことを理解するように努める、そして自分のことも伝えることを試みることです。
 はじめから「できない」などと言わずに、とにかくやってみましょう。それでうまくいかないときは、明るく笑ってそうした失敗を自慢話にすればいいですね。たしかに、失敗したときは、恥ずかしく、やるせなく、また後悔を伴う苦い味がします。しかし、その「原酒」も「時間の樽」に寝かせておけば、琥珀色の香り豊かでまろやかな味のする「自慢話」になるのです。
 
HPの引っ越し(3) 2017/05/09 Tue 5367
 さて、「その知らせ」というのは、これまで使ってきたHPのサーバーが10月で閉鎖するという「知らせ」でした。それはKDDI系のものですが、利用者の減少がクローズの理由だというのです。つまりは儲からないお荷物なのですね。まだ、時間は十分ありますが、これには軽い衝撃を受けました。
 おそらくほとんどの方が一度や二度はご経験をお持ちだと思いますが、「電話回線を変えないか」という誘いが、いろんな会社からあります。その要点は二つで、まずは「現在使用中のものよりも安くなる」が最大の「売り」です。そして、第二は「解約に際して必要となる負担はすべて面倒をみる」ということです。つまりは「ただで乗り換えませんか、その方が得をしますよ」という誘いです。コスト「ゼロ」で「これからずっと安くなる」という話ですから魅力的です。その代わり「一定期間」は継続しないと「ペナルティ」を課すという条件が付いています。ここが先方の「ミソ」で、顧客を一定期間以上は「確保」することになります。
 しかし、こうした働きかけに対して、私はほとんど動くことはありませんでした。それが4年ほど前に事情が変わったのです。
 
HPの引っ越し(2) 2017/05/08 Mon 5366
 その「知らせ」は突如としてやってきました。
 これまで、わがHPは熊本大学教育学部のサーバーをメインにして、私が契約しているサーバーをサブにして運用してきました。はじめてHPを開設したのは2003年4月10日のことです。そのとき私は附属中学校の校長を務めていました。中学校でもHPが話題になりはじめたころです。私は理科担当の浦田安之先生から「HP作成の手ほどき」を受けたのです。私なりにHPを作りあげ、夜の研究室でアップロードしたのが、2003年4月10日でした。
 そのとき立ち会っていただいた浦田先生は「おめでとうございます」とのお祝いとともに、ある助言を追加されました。「先生、HPは更新することが大事なんですよ。そのまま放っておくと誰も見てくれなくなりますから…」。これがとても印象的で、私の頭に刻み込まれました。それから2週間ほどは、「表紙」に手を加えたりしながら過ごします。
 そして、いよいよ4月29日の「みどりの日」に「味な話の素」をスタートさせたのです。それから14年、浦田先生の「更新することが大事なんです」の声をバックに、「粘着質的連載」を続けてくることができました。
 おやおや、今日の書き出しの、「突然やってきた」「その知らせ」については何も触れないままでしたね。いつものパターンです…。
 
早朝夕刊(5:53am) HPの引っ越し 2017/05/07 Sun 5365
 本日、突如として「HPの引っ越し」をお伝えしました。私がHPを開設したのは2003年4月10日のことです。本コラム「味な話の素」はその月末である4月29日にスタートしています。それから14年の歳月が飛び去っていきました。これまで、熊本大学教育学部のサーバーをメインに、私が契約しているサーバーをサブに当てて運用してきました。それが、ある事情から「メイン」と「サブ」の双方から「引っ越し」することになりました。
 これからゆっくり「作業」を進めますが、「表紙」は「新規の引っ越し先」にご変更いただければと思います。もちろん、「ある事情」については、ちゃんと「連載」させていただくつもりでおります。はい。
6年前の「手紙」(7) 2017/05/07 Sun 5364 5月2日の続き
 近見氏の「期待」に対して、高さんは、三隅先生が「教育から産業界への研究の移行」を話されたのではないか」と「想像」されている。私はこの「想像」に十分な根拠があると思うと書いた。その理由を述べるために、しばらく「高さんの手紙」から離れてしまうことをご了承いただきたい。
 私は、三隅先生が産業界で「全国区デビュー」された契機は著書「新しいリーダーシップ 集団指導の行動科学」の出版にあったと思う。その発行元はダイヤモンド社だが、同社はビジネス界では誰もが知る出版社であった。これには、九州生産性本部の近見氏の働きかけや仲介があったのかもしれない。初版は1966年(昭和41年)8月19日である。このなかで、「PM式リーダーシップ論」が70ページほどに亘って紹介されている。
 その「まえがき」は「現代はすぐれたリーダーシップの新像を求めている」からはじまる。そして、「人間関係を重んじたソフトな民主型指導で、はたしてきびしい国際競争の中に生きのびていけるかについて不安がある。さりとて、東京オリンピック以来の『おれについてこい』方式で、現代の若者たちがどこまでついてくるだろうか?」と続く。

 本書が出版される2年前の1964年、大松博文監督率いる「東洋の魔女」たちが、東京オリンピックのバレーボールで金メダルを取っていた。その大松監督が書いた「俺についてこい」「なせば成る」が大ベストセラーになった。それは私が大学への受験勉強をする時期と重なっていた。そして、私もこの本を読んで自分を叱咤激励した。
 
比べる相手 2017/05/06 Sat 5363 4月20日の続き
 「対人関係の筋肉」もエクササイズで鍛えることができるのです。ただ、これに関して大事なポイントがあります。
 私は心臓をはじめ胃や肝臓、それに腎臓などなど、体の「部品」については、あのイチロー選手とすべて同じものを持っています。もちろん私はボールを投げるときに必要な「大胸筋」「三角筋」「大円筋」に「上腕筋」も備わっています。しっかり走るための「大腿四頭筋」や「下腿三頭筋」だってちゃんと持っているのです。それにも拘わらず、私は「イチローと同じ筋肉を装備しているのに、いくらエクササイズしてもイチローのようになれない。だからからエクササイズなんてしないのさ」なんてことは言いません。
 私たちは比較する相手を間違ってはいけないのです。大事なのは「今の自分」を基準にすることです。これは「対人関係力」や「コミュニケーション力」についてもまったく同じです。身の回りには、すばらしい「対人関係」をつくり、「コミュニケーション」に長けている人がいるかもしれません。しかし、その人たちと比較しても仕方ないでしょう。まずは「今の、今日の自分」の「現状」をしっかり確認しましょう。これを「基準」にして、必要なエクササイズに励むことです。そうすれば、自分の「筋肉」が「ほんのちょっとだけ強くなった」ことを実感できることでしょう。それでいいのです。いいえ、それこそが大事なのです。
 
   
〝XKEYSCORE〟 2017/05/05 Fri 5362
 
〝XKEYSCORE〟と呼ばれる情報監視プログラムが明らかにされた。それが真実であるかどうかは素人のわれわれにはわからない。ただ、これを使って世界中のありとあらゆる情報が監視されているという。それも個々人のメールまで含まれているとなれば驚くほかはない。企業などではメールでファイルを送る際にパスワードを付けることが多い。そしてパスワードは別メールで伝えている。しかし、それも監視されているとなればパスワードの意味がなくなってしまう。
 ところで、ある商品について検索すると、その後はそれに関連したCMが検索エンジンで頻繁に提示されるようになる。こうしたことからも、個人の情報がしっかり把握されていることがわかる。それがメールにまで入り込んできて、そこに書かれた情報が監視者に読まれる可能性があるというのが今回の問題である。いまや素人でも天文学的な大量情報をいとも簡単に蓄積できる。しかも、その中から瞬時にして必要な情報をピックアップすることも可能になった。それがわれわれ一般人の生活を快適にしている側面はある。しかし、その一方で自分を含めたあらゆる人々の情報が、この地球のどこかで収集され保管されているのである。
 
今月の写真 2017/05/04 Thu 5361
 熊本城の天守閣で復興工事がはじまった。そのため、鉄骨が差し込まれ、背の高いクレーンが見えるようになった。そのうち、全体がカバーで覆われるという。ラグビーのワールドカップが2019年に日本で開催される。熊本もその会場の一つになっていることから、それまでに「天守閣」だけは元に戻そうということである。
 しかし、石垣も含めて地震前の姿に戻るには20年かかるという。私も古稀が見えてきたから、「完全復興祭」には届かない。名古屋城は河村市長が木造で再建という話もあるが、熊本城はエレベーターを付けるかどうかでちょっとした議論になっていた。パリの凱旋門にもエレベーターが付いていた。その利用は高齢者や障がい者に限定されているということだった。
 もう1枚は自衛隊のブルーインパルスである。熊本の復興を願うということで熊本市上空を飛んだ。東京オリンピックの開会式と同じような輪をつくったり、ハートを描いたりした。その操縦技術には驚くばかりである。このごろはスクランブル発進が急激に増えているという。わが国の周辺が穏やかでなくなっている。そんな状況下で、こうした技が実戦に使われないためにどうすればいいかを真剣に考える必要がある。それは、はるか遠くの国で起きている問題ではなくなってきた。
 
「レジュメ」の意味 2017/05/03 Wed 5360
 「レジュメ」はもともとフランス語の〝résumé〟である。一般的には発表の際の「要約・概要」なとの意味で使う。私も「講演メモ」を「レジュメ」と言ったりする。これに加えて、〝résumé〟には「履歴書」や「身上書」との意味がある。とくにアメリカでは一般的に使われている。
 すでに21年も経過したが、ありがたいことに、私は1996年に西オーストラリア大学から客員研究員として招聘された。その2年前に先方から手紙が来たのだが、そこに〝CV〟を提出するようにと記されていた。これは〝curriculum vitae〟のことで、これも「履歴書」を意味している。このとき、英国やイギリス系の国では〝CV〟を使うことを知った。
 そもそも〝curriculum=カリキュラム〟は「教科課程」や「履修課程」の意味がある。〝vitae〟はラテン語で「生活」のことらしい。〝curriculum〟は「コース」というから、「生活歴」といった感じだろうか。
 アメリカでは〝summary〟や〝abstract〟も「履歴書」として使用されるようだ。われわれの研究論文では、〝summary〟も〝abstract〟も「要約」として欠かせない単語である。そんなことで、「履歴書」も「それまで生きてきた人生の要約」ということになるのだろう。
 
6年前の「手紙」(6) 2017/05/02 Tue 5359 4月24日の続き
 昭和34、5年(1959~60年)ころ、九州のトップマネジメントたちがアメリカ視察に出かけた。そのアメリカで三隅先生の名前が出たという。

 この視察旅行中に九州の財界人グループではグループダイナミックスの研究と三隅先生をバックアップしようという機運が生まれたらしいのです。私はその後の集団力学研究所のスタートと発展に、このアメリカ視察団の存在が関係していたように思います。この件は「経営とグループダイナミックス創立20周年記念論文集」279頁に近見氏が若干触れておられます。昭和35年頃と思いますが、近見氏は天神の福岡ビルの前で偶然三隅先生と出会われ、肩をたたきながら「九州の産業界は九大のグループダイナミックスと三隅先生の研究に大いに期待している」というような話しをされたようです。これは近見氏から聞いた話です。
 三隅先生もこの時「教育界から産業界への研究の移行」のことなどを話されたのではないかと想像しています。

 三隅先生が「教育から産業界への研究の移行」を話されたのではないかという高さんの「想像」には十分な根拠があると思う。
 
子どもへの想い 2017/05/01 Mon 5358
 急に寒くなったり暖かくなったりするので体にくれぐれも気をつける事。
 □□さんからの年賀状を送ったと云ったら、道雄は忙しくて郵便局に行く暇がないだろうに、わざわざ送らなくてもよかったのにとしかられた。でも一度見せておきたかったので送ったのですが、まだ七月まではいいのだから急いで切手をもらう必要はない。ついでのときでよい。
 こちらでもらってもよいので二月に帰ってくる時に持って来てもよい。こちらは三等のシーツがあたっている。今年はいい事があるかな…。

 大学の受験料と併せて「大して期待していない」と書いてきた「おやぢ」の便箋の後に母が書いたものである。□□さんから私宛に届いた年賀状で「切手シート」が当たったので送ったというわけだ。これに対して「おやぢ」が「道雄は(受験を控えて)、忙しく郵便局に行く暇などないだろうに」と母を「しかった」という。
 父親は青のボールペンでダイナミックな字を書き、母は付けペンで繊細な文字をしたためている。いずれも、行間に福岡で生活している子どもへの想いがあふれている。このとき、1967年(昭和42年)1月、両親と妹は長崎市の小ヶ倉にあった公務員宿舎に住んでいた。