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味な話の素
No.167  2017年03月号(5292-5322)  Since 2003/04/29
頼もしき若者 2017/03/31 Fri 5322
 第2回目のNホテルの係長研修。その多くの部分を矢守君に移譲する。彼は立派にやれる。これは短期的にではなく、長い目で見て私の負担が軽くなることを意味している。それこそが、いま求められていることなである。
 矢守君はその能力・度胸ともに十分である。彼なら、この時点で70%はしっかりやれるので安心できる。どうしても必要な所だけ私が協力することになればいい。今年の9月ころからは実際にそうなるはずである。これから担当してもらう部分をドンドン増やしていこう。とにかく彼におまかせでOKなのである。
 係長研修2日目。矢守君は4月以来わずか数回の体験で研修のスピリットをかなり掴んでいる。体で覚えるという言い方をするが、大したものである。これまで考えていたよりも早く、私の負担が軽くなっていく気がする。その結果、私が「ご用済み」となれば、それはそれで淋しいのだろうが、とにかくけっこうなことである。
 今日は、私が書いた1988年6月8日(水)~9日(木)の日記から抜粋した。今から30年ほど前になる。当時、矢守克也さんは(財)集団力学研究所の研究員だった。現在は京都大学教授で防災研究所巨大災害研究センターのセンター長として縦横無尽の活躍をされている。
 
安全文化創続とPHS 2017/03/30 Thu 5321
 組織における「安全文化醸成」を「安全文化創続(Continuing Creations for Safety Culture:CCSC)」に転換しようというのが私の提案である。
 ところで、「安全文化醸成」は「品質保証」と結びつけられることが常識になった。それをさらに組織の「人的品質保証」として捉えることが重要である。私は下幸之助氏の「PHP」の向こうを張って、「PHS」なるものを提案している。それは、組織で働く人々の{Paece、Happiness、Health、Safely、Smile}を実現しようという提案である。それによって「組織内品質保証」が確立される。これらが充たされない組織で、優れた「品質」のアウトプットを期待することはできないのである。
 また、「安全文化創続」にはメンバー間のスムーズな「コミュニケーション」が欠かせない。ただし、「コミュニケーション」は、ことばを交わせばいいというものではない。同じことばであっても「共有化」され、「共通理解」が得られていないことがある。さらに言葉は理解されていても「コミュニケーション」はそれに関わるメンバーの人間関係にも影響を受ける。わたしはこれを「コミュニケーションのインフラ」と呼んでいる。この点を考慮しないと「同じことば」を使っても、話し手の意図は伝わらない。
 
たわいない話 2017/03/29 Wed 5320
 その日は東京モノレールの「空港快速」に乗っていました。これは羽田を出ると「第1ビル」と「国際線ビル」だけにしか止まりません。いわゆる「普通」よりも6分早く浜松町に着くのですが、もうしばらくはお二人さんの会話に「参加する」ことにしましょう。
 上司の話が福岡に飛びます。この方々はJAL系で福岡からやってきたようです。「福岡は滑走路が1本しかないから、いつも志賀島の方から入って着陸するんだ…」。若い部下が答えます。「ああ、そうなんですね」。
 「いやあちょっと待ってください。たしかに福岡空港の滑走路は1本ですが、離着陸時の進入は風向きで変えるんですよ。ときには福岡市の中心部の真上を通って太宰府なんぞを眺めながら、南側から降りてますよ」。これが「会話」に参加している私の内心の声であることはおわかりだと思います。
 こうしたたわいのない会話をとおして、「真実でない」ことが「けっこう簡単に」伝わっていくのである。もちろん、ご本人に誤った情報を流しているという意識はないし、悪意もない。しかし、そうであるからこそ問題でもある。若者が「自慢げに(?)」この話を他の人に伝えるのかどうかはわからない。
 
会話に参加 2017/03/28 Tue 5319
 モノレールのお二人さんの会話は続きます。「私はいつもSuicaを使ってる」。これは年配の「上司」の発言です。これに対して「そうですね、切符を買うたびに運賃を調べないといけません。私も今度からそうします」と若者が答えます。「そうだよ、運賃の掲示板も遠くにあるよね」。
 「たしかに切符を買うときは駅名から探しますから時間がかかります。でも、切符売り場と改札口はそれほど遠いとは思いませんが…」。これは私の内なる声です。「それに切符販売機の真上に運賃掲示板はありますよね」と私は続けます。このときすでに二人の会話に完璧なほど参加させてもらっていました。
 「それに、これを使わないと、東京の電車は『1円単位』だからねえ」。上司は都内の交通事情にも精通しているようです。「いえいえ、『1円単位』はSuicaを使うときだけです。現金の場合は、そんな端数なんて出ませんよ」。おやおや、私の方が興奮した口調(?)になりましたか。いかにも「私の方がよく知っているんだぞおっ」と言いたげではないですか。若者も先ほど切符を買ったとき、料金表に「1円単位」の表示などなかったと思っていたかもしれません。
 
羽田の滑走路 2017/03/27 Mon 5318 3月25日の続き
 東京モノレールで私の目の前に座った二人連れが会話をはじめました。同じ職場に勤める上司と部下という感じです。年配が語りかけます。「羽田は着陸が多くて、降りる飛行機と出発する飛行機は滑走路が決まっているんだ」。羽田空港について、かなり詳しい雰囲気がにじみ出ています。それを聴いた20代の部下は「そうなんですか」と答えます。
 二人の目の前に座っている私には、嫌でもその話の内容が伝わってきます。「そんなことありませんよ。着陸も離陸も滑走路が決まっているわけではありません。今日、私の乗った飛行機は着陸する滑走路が予想と違っていたので、話題の豊洲市場を上から眺めようとしたのに見えなかったんですわ」。これは私の内なる声です。
 ほんの少し前に航空会社の方から羽田の滑走路はA~Dまでの4本あるとお聴きしていました。私は3本だと思っていたのですが、いつの間にか(?)増えていたのです。そのおかげで、同じ方向に向いているAとCに飛行機が並行して降りることもあります。私はそのタイミングに出会ったことがあって、どっちが先に着陸するかと思いながら眺めていると、それだけで楽しいものです。
 
アポロは69年 2017/03/26 Sun 5317 3月18日の続き
 「昭和歌謡三昧」で、美空ひばりと坂本九の歌を紹介する段になりました。それぞれ昭和42年と44年の歌のようでした。そこまではいいのですが、加賀美アナウンサーは、いずれの年であるかを明示しないで、「公害問題、水俣病、高見山、ふーてん」と、その年に起きた問題や話題を紹介するわけです。そして後になって「42年ですね。42年の場合はアポロ月面着陸。他にどんなことを思い出されますか」とお相手の市場師匠に問いかけます。
 このときも、スタッフから「ここを言ってませんよ」、あるいは「ここを読んでください」と催促されたような雰囲気が感じられました。しかも、その情報が誤っていたので苦笑しました。「アポロの月面着陸」は1969年、つまりは昭和44年なのです。そこで当然のようにお相手の市場師匠が訂正に動きます。一言「44年でしょう」。これに対して加賀美さんは「44年です」とすぐに反応しました。
 何と申しましょうか、「スタジオの大混乱」が手に取るように「聞こえ」てくるのです。私は自分がスーパー粘着質であることを承知しています。ホンの些細なことでも「大問題」にするわけです。それはそうなのですが、この日はとにかくチョンボのオンパレードでした。
 
前の二人 2017/03/25 Sat 5316
 さて、東京モノレールに乗った。羽田の第二ターミナルの階段を降りると、発車寸前の電車があったので駆け込んだ。お昼前という時間帯も影響しているのだろうが、けっこう空いていた。私には「モノレールはいつも満員」のイメージが焼き付いているから、「やっぱり減ったなあ」と感じる。
 次の第一ターミナルではJAL系からの乗客が乗ってきた。私は向かい合わせのある座席に座っていたが、その前に二人連れの男性が座った。そのうちの年配者が私に「失礼します」と声を掛けた。マナーがよろしいと気持ちよくなる。もう一人は二十代半ばに見える若者である。一見して上司と部下のコンビだとわかる。
 ただし、その横から三十歳くらいの男性がスマートフォンを見せながら「お昼はこれで行きませんか」と提案してきた。上司が「いいねえ」と答えて、彼らのランチは決まったようだった。その男性が席に戻ると、二人ばかりの男性がにっこり笑った。この様子から5人ほどが同じ職場で働く同僚だと察した。
 お昼が決まってホッとしたのか、上司が隣の部下に話しかけた。「羽田は離着陸が多くて、降りる飛行機と出発する飛行機は滑走路が決まっているんだ」。羽田についてはかなり詳しいようだ。
 
京急とモノレール 2017/03/24 Fri 5315
 羽田から久しぶりにモノレールに乗った。いつの間にか、私は京急を利用することが圧倒的に多くなった。これは行き先によるから、意図的にモノレールを避けているわけではない。今回は中央線を使う道筋だったから、必然的に「羽田⇒浜松町⇒東京⇒中央線」ルートになった。
 東京モノレールは1964年の東京オリンピックの開会式直前にスタートした。そのころの羽田空港は現在なら地方の大きな空港くらいの大きさだった。これを初めて利用した日は私の記憶にはない。日記を調べれば間違いなく書いているはずだが、そこまでして確かめる気分には達していない。
 ターミナルの浜松町や羽田空港では、出たかと思うと次の車両が入ってくるのだから、その本数たるや凄まじいものがある。しかも、私には「いつもいっぱい」というイメージが伴っていた。まさに左うちわ、走らせるだけで大もうけ状況だったのではないか。ところが、これまたいつのころからか、「わりと空いてるな」と感じることがあるようになった。そのうち、気づくとJR東日本の傘下に入っていた。おそらくは京急の羽田空港開設が大きかったのだろう。私ですら、モノレール100%が、現在はおそらく9:1くらいで京急を利用しているのである。
言行不一致? 2017/03/23 Thu 5314
 向坂逸郎氏を「百坪超えの豪邸に住まい、アパート家賃の相場さえ知らない…全くのブルジョア」と語った東郷健氏はゲイとして知られていた。この発言は二人が対談した後のものである。それは「週刊ポスト」(1978年新年号)が主宰したもので、向坂氏は「ソヴィエト社会主義社会になれば、お前の病気(オカマ)は治ってしまう」と言い放ち、「こんな変な人間を連れて来るなら、もう小学館の取材には一切応じない」等と語ったという。これに激怒した東郷は中座したようだ。時代が違うとは言え、平等な社会を標榜していた人がこんな発言をしてはおしまいである。
 さらに、岡崎次郎氏本人の著書によれば、向坂逸郎名義で出された岩波文庫版の「資本論」の下訳をしたが、ほとんどそのまま出版されたという。さらに岡崎氏が他の出版社から「資本論」を出そうとしたところ、向坂氏はそれを止めるために岩波書店に印税差し止めを働きかけたという。最終的には二人が会って、岡崎氏から印税放棄を申し出たようだ。その直後に岩波書店からマルクス「資本論」発刊100年記念の「資本論」が出版された。この新聞広告を見て、岡崎氏はそれまでつなぎ止めてきた向坂氏への敬愛を失ったという。今回は〝Wikipedia〟を主たる情報源にしているが、これが事実であれば、向坂氏は岡崎氏から「搾取」していたことになる。
 向坂先生、おっしゃってたことと、されていたことが違い過ぎませんか?
 
流れとの付き合い方 2017/03/22 Wed 5313
 私は「流れに抗せず」を基本的な価値観として生きてきました。このフレーズは、社会主義者として知られていた向坂逸郎氏が書いた書名にあやかっています。ただし、向坂氏の場合は「流れに抗して」ですから、真逆の意味をもっています。ただし、現時点では「ある社会主義者の自画像」というタイトルの講談社現代新書(1964)はリストに出てくるのですが、「流れに抗して」はどうなっているのかよくわかりません。
 向坂逸郎と言えば、三池闘争の指導でも知られる社会主義者で、日本社会党の理論的重鎮でした。またマルクス研究者としても知られ、「資本論」発刊100年を記念して岩波書店から出版された「資本論」の翻訳者です。そうした闘争的な精神を基本にして「流れに抗せず」の人生を送ったわけです。
 これに対して、私は徹底して軟弱、軽佻浮薄路線です。それは木の葉のように流されるままに、つまりは「流れに抗せず」に生きてきました。どちらも人の生き方ですよね。
 ところで、向坂氏と対談した東郷健は「自らは百坪超えの豪邸に住まい、都心のアパート家賃の相場さえ知らない向坂は、全くブルジョアにしか見えなかった」と語っています。また、向坂訳「資本論」の下訳をした岡崎次郎氏によれば、向坂氏はほとんど手を加えていないそうです。向坂氏はベルリンの壁が崩壊する前の1985年に87歳で亡くなりました。しあわせな人だったと言うべきでしょう。
通勤手当 2017/03/21 Tue 5312
 熊本県内のある村で通勤手当を大幅に削減するという記事を読んだ。この村では一般職43人のうち、約4割の17人が村外に住んでいるという。職員の通勤手当は庁舎からの距離によって13段階にも分けられているらしい。その上限は60キロ以上で、手当は24,500円である。それが改正後には、5キロ未満とそれ以上の2段階にする。そして上限は4,200円へと大幅に減額される。
 村の執行部が提出した案では、6段階で25キロ以上を上限として、15,800円になっていた。しかし、それでは「危機管理意識の向上や村内居住促進につながらない」との修正動議が出されたという。村議たちに問題がしっかりと把握されている感じがする。昨年の地震の際には、1日経っても庁舎に来ることができなかった職員がいたようだ。
 個々の職員にはそれぞれ理由があると思う。ただ、村の決断も十分に理解できる。これが民間の組織であればとくに問題はないのだろう。しかし、何と言っても役場の職員である。そこに住み着く気持ちで働いてほしいと願う村民も少なくないのではないか。それに、役場の職員なのだから、その村に住民税を納めてほしいという思いもあるだろう。こうした措置で有能な人材が確保できなくなる心配もしているようだ。人の価値観は多様である。村を元気にする力ある人が来てくれることを願う。
 
学習者検証 2017/03/20 Mon 5311
 ある管理者が「このごろの若い人はみんな同じ間違いをする」と嘆いていた。太古の昔から年長者は「今どきの若い者は…」という嘆き続けてきた。経験を積んだ者にしてみれば共通の悩みとも言える。ただし、そうかといって手を拱いているわけにはいかない。しかも、それが「若い者」全体に当てはまるのであれば、個人的な対応で問題を解決することは出来ないのである。それは「システムの問題」だと考えた方がいい。
 学習に関する心理学の教科書に必ず掲載されているものに「プログラム学習」がある。これは、学習心理学の世界では誰もが知っているスキナーが提唱したものである。そこでは、「積極的反応」「即時確認」「スモールステップ」「自己ペース」「学習者検証」の5つの「原理」が挙げられている。その内容はおおよそ見当がつくと思うが、今日の話題としては「学習者検証」の原理が重要である。これは、「プログラム」の善し悪しは「学習者」が「学んだかどうか」で判断するというものだ。つまりは、「うまくいかない」のは「プログラム」に問題があると考えるのである。
 若者たちが「みんな同じ間違いをする」のであれば、それは個人の問題ではない。そこで問題を解決するには「システム」や「仕組み」の方を改善することが求められるというわけだ。これは対象が「若者」に限ったことではない。
今月の写真 2017/03/19 Sun 5310
 今月は「熊本城」のサクラにしました。もちろん、地震前の勇姿です。接写で撮ったものも城内のサクラです。日本ではどこでもサクラが映えます。その中でもお城のサクラはトップクラスでしょう。
 私は、見事な石垣を観ながら、そしてちょっとだけ天守閣も視野に入る道を車で走って通勤しています。この時期になると、若い人たちが朝から「出勤(?)」して、石垣近辺にブルーシートを引いている光景が、ある種の風物詩となっていました。もちろん、ブルーシートは花見の場所取りのためです。そして夜になれば、ライトアップされた城壁に花見の宴がシルエットとして映し出されます。じつに幻想的な絵巻物を愉しんでいるような気分になったものです。
 しかし、あの地震以来、熊本城内は石垣周りも含めて立ち入り禁止です。それでも、ようやく復旧工事がはじまりました。天守閣周りは3年で修復が終わるようです。ただ、石垣を含めた完全復興となると、20年の歳月を要するとのことです。私の現在の健康状態から推測すると、「天守閣」までは何とか間に合いそうな気がします。しかし、「熊本城完全復興祭」はどう考えても無理でしょうね。
 
どっちの年? 2017/03/18 Sat 5309 3月12日の続き
 「『昭和歌謡三昧』揚げ足取り物語」は続きます。加賀美さんが「これぞ戦後の歌謡スターからいきましょう」と「美空ひばりと坂本九」の名前を出します。そして、「昭和42年1967年、昭和44年1969年の曲ですね。それでは…」と先に進みます。このときまだ曲名は告げられていなかったのです。そこで、また小さな「静寂」が生じます。
 そして、「どうでしょうか、この年なんですけどね、この年、(?)いろいろ考えますとね、公害問題、水俣病…」ときて「高見山が関取になった年、『ふーてん』ということば…」と、何かしらぎこちない解説になるのでした。そもそも「この年」が特定されていないのです。前の流れから「昭和42年と昭和44年」のいずれか、おそらく昭和42年だと思うのですが、異なる年を挙げたのですから、そこははっきりしないといけません。
 ところで、このときは昭和と西暦の並列が復活しています。この番組は主として高齢者向けでしょうが、スタートの際に、若い人にも聴いてもらいたいと宣言していたように記憶しているのですが、いつの間にか西暦を付加するのを忘れて、ときおり思い出したように出てくるのです。
「区別」と「差別」 2017/03/17 Fri 5308
 人間を含めて、あらゆる動物はものごとを「区別」する能力を備えています。さらに「疑う」能力ももっています。たとえば身の回りにあるものをすべて口に入れてはいけません。はじめて出会うものに対しては「食べても大丈夫か」と「疑う」ことが求められます。ここで「疑う」という表現が適切でなければ「警戒する」能力だと言い換えてもいいですね。
 その対象は「食べるもの」だけに限られません。大昔、人間は無数の生き物と対峙していたことでしょう。そのすべてについて、自分たちに危害を加えるもとそうでないものとを「区別」していたはずです。もちろん、自分たちの方が強く、かつ害を与えないことがが一見して分かる生き物に対しては「疑う」こともなかったでしょう。眼前に現れるすべてのものを「区別」していては、まともに生きていけません。
 いずれにしても、「区別」することは生きるために欠かせない力です。そのレベルに違いはあっても、あらゆる生き物がその「能力」を備えていると思います。しかし、人間の場合は、「区別」に「差別」を伴うことが少なくありません。私は「区別」は能力ですが、「差別」は能力とは言えないと思っています。
昼食時の会話 2017/03/16 Thu 5307
 教育実習生に対する中学生の声に、「お弁当で一言もしゃべらない先生もいた」というものがありました。また、「お弁当の時間に話を積極的にしてくれなくて会話が進まなかった」も内容はほとんど同じですが、こうしたことを複数の生徒が取り上げていました。その対象は同一の実習生ではありません。いずれにしても、生徒たちは昼食時にも実習生との対話や交流を期待しているということです。
 こうした声は教育実習生にとって厳しい指摘だと言えるでしょう。昼食時の会話はお互いを理解する上で重要です。たわいないことであっても、いやたわいないことであるからこそ、気持ちの上でお互いの距離が近づくでしょう。そのときに「一言もしゃべらない」のでは、せっかくのチャンスを失っていることになります。
 そう言えば、外食する際やバス待ちなどをしている親子全員がスマートフォンに夢中になっている光景を見かけることがあります。これなども、会話の機会を自分たちで潰しているのです。いまや直接的なコミュニケーションが地球レベルで失われている感があります。まさに相互理解ではなく相互誤解のアリ地獄状態になってきました。
「共通点」を探す 2017/03/15 Wed 5306
 本コラムでは、ときおり教育実習生に対する中学生の声を取り上げています。これは大学生に対する中学生の評価です。しかし、それは大人の世界における「リーダー」と「フォロワー」の関係にも適用できるものが少なくありません。私は人間行動の普遍的な法則を探すことには、相当程度に懐疑的です。これは曲がりなりにも心理学を仕事にしている者が言ってはいけないことのようではありますが、そう考えているのは事実だから仕方がありません。
 その代わり、「教師と生徒」の間に起きる問題や、その対応法などには「共通点」がたくさんあります。私は「普遍的」などと言って、宇宙全体に当てはまるような理屈よりも、集団や組織の特性を超えて見つけることができる「共通性」探しで十分だと思っています。
 これでは、「自分が『理論』を打ち立てたり、『法則』を発見できないから、そんな言い訳をしてるんだろう」と言われそうですね。私は、そうした見方をすんなり受け入れます。それでけっこうです。ただ、「それでは、これまで人間行動を『普遍的』に説明できる理論があったら教えてちょうだい」という質問はしてみたいと思います。おやおや、中学生の声までいけませんでした。
 
「三点保持」 2017/03/14 Tue 5305
 三隅先生を筆頭に展開された造船所での事故防止プロジェクトは、私の人生に決定的な影響を与えた。ほぼ4年間に亘った大きなプロジェクトに、私は末席ながら参加できたからである。そこで何が行われたか。それは船を造る人たちを直接リードする監督者である作業長を対象にした「リーダーシップ・トレーニング」と「全員参画運動」のコラボレーションだった。
 その成功に最も貢献したのが高禎助氏である。当時、集団力学研究所副所長であった高氏は単身で造船現場に入り込んだ。そして、そこで安全に関わる職場のミーティングをはじめ、様々な活動を指導しサポートしたのである。高氏によれば、「長崎造船所に行ったとき、最初の3日間コンコンと注意されたのが『3点保持』」だった。これは、「作業現場では二本足だけでなくどこか必ず1点を手で掴め!壁に手を触れるだけでも良し」ということである。そして「心の中で『3点保持3点保持』と唱えれば安全意識はさらにに高まる」と。
 高氏はそれから半世紀近くが経過した今でもこれが習慣になっているという。すべては「基本」からはじまり、しかもそれに終わりはないのである。
 
 
みんな忘れる 2017/03/13 Mon 5304
 "Don't ever prophesy; for if you prophesy wrong, nobody will forget it; and if you prophesy right, nobody will remember it." - Josh Billings 「予言などしてはならない。予言がはずれたら、そのことを忘れる者はいない。それが当たったとしても、そのことを憶えてくれる者なんてどこにもいない。
 Billings は19世紀のアメリカで活躍した作家でユーモリストHenry Wheeler Shawのペンネームである。これから先のことなどわかるわけがない。つまらない予言などすれば、それが外れたときには世間からひどい目に遭う。しかも、誰もそのことを忘れないからたまったものではない。それに、当たったときにはみんな忘れてしまうというわけだ。
 この「名言」、おもしろいとは思うが、「正しい」とは思わない。これまで、どれだけの「専門家」が日本経済の先行きを予測し、しかも「外して」きたことだろう。それにもかかわらず、誰がどんなことを言って「外した」か、みんな忘れている。おそらくしっかり憶えているのは「ご本人」たちだけだろう。もちろん、そんなことはおくびにも出さずに「黙って」、またぞろ「予言」を出し続けられていますね。
 
「静寂」発生 2017/03/12 Sun 5303 2月19 日の続き
 まだまだ「昭和歌謡三昧」の「揚げ足取り物語」は終わりそうにありません。とにかくこの日の加賀美さんは「スーパーベテランにしては何となく変だなあ」という雰囲気が漂っていました。
 放送開始からどのくらい経過していたでしょうか。加賀美さんが「さあ、それでは」と声を発しました。私には元気よく聞こえました。あるいは、それまでちょっとばかりチョンボが続いたので、心機一転との気持ちがあったと推測もしました。ところが、その後に一瞬の静寂が発生します。そのときにお相手の市場師匠が「一言、えーっと添えていただくとといいですね。歌手と曲名に加えて一言…」。おそらく用意されていたと思われる情報をスキップしてしまったようでした。私が「うーん」と唸ったのはご推測の通とおりです。
 これに似たようなことが、「これぞ戦後の歌謡スターからいきましょう 美空ひばりと坂本九」と呼びかけたときも起きてしまいます。何と曲名を言わずに「昭和42年1967年 昭和44年1969年の曲ですね。それでは…」。このまますぐに二人の曲が流れそうな雰囲気です。ここで、また「静寂」が生じたのは当然のことでしょう。
 
織物のシミ 2017/03/11 Sat 5302
 組織は「人」を「適切」に「組み合わせ」て、それを「縦糸と横糸」にして「織り上げて」いく。これが私の「組織」の読み方である。これを「人生」に当てはめるならば、さまざまな「現実」や「体験」を「組み合わせ」て、それを「縦糸と横糸」にして「織り上げて」、自分ならではの「織物」に仕立て上げていく。その結果、個性豊かな「人生模様」が出来上がる。
 うまく織っていると思っていたのに、ちょっと外に立った気持ちで眺めてみると、織物だけに模様に変なシミがついていたりする。しかし、慌てることはない。ときには時間がかかるかもしれないが、しっかり染み抜きすればいいだけのことである。
 大事なのは「シミ」に気づくことだが、これがけっこうむずかしい。とくに自分が着ている織物の背中は鏡を見なければ気づかない。それも頭を捻って鏡をのぞき込む必要がある。そんなときは人から教えてもらうと助かる。しかし、そのためにはちゃんと教えてくれる関係を創っておくことである。また、ときおり自分で織物を脱いでシミがついていないかを自分で確かめることも効果的である。しかし、自分の着ているものを脱ぐのは容易ではない。
 
三隅先生の「自慢話」 2017/03/10 Fri 5301
 バスの事故をグループ・ダイナミックス的な手法を用いて減少させることに成功したプロジェクトは、三隅先生の「自慢話」でした。私はこの研究の論文が世に出た1967年に大学に入学したのです。先生は授業でこの研究を紹介し、「グループ・ダイナミックスは社会に役立つことが出来る」と「自慢」されたのです。それを聴いていた私は大学2年生で20歳の青年でした。
 そもそも大学の専門課程で「グループ・ダイナミックス」の授業を受けることをワクワクして待っていた私でしたが、三隅先生の最初の授業はきわめて刺激的でした。それは「リーダーシップ」を研究の対象にするにあたっての基本的な考え方を整理されたものでした。とくに「民主的対封建的」といった歴史的かつ対立的、つまりは「二分的」な概念は、その当初から「価値観」を伴っている。リーダーシップを科学的に研究するためには、これとは異なる視点が求められる。
 私にとって、こうした発想はじつにすばらしいものでした。あるとき、そのことを助手に話したのですが、それが三隅先生に伝わったようでした。先生は「学生に褒められた」と喜んでいらっしゃったそうです。
事故防止への応用 2017/03/09 Thu 5300
 私の勝手で「集団の化学」とした「グループ・ダイナミックス」では「実践(アクション)」を重視します。わが国に「グループ・ダイナミックス」を導入したのは、私にとっても恩師でいらっしゃる三隅二不二先生です。先生は世界に先駆けてバス会社の事故防止にグループ・ダイナミックスを応用され、大いなる成果を得られたのでした。
 それはわが国が戦後の荒廃か立ち上がり、経済も元気を取り戻しつつあるときのことです。福岡に本社を置く鉄道会社のバス部門でも需要の増加に合わせてバスを購入し、走行距離は急激に増加しました。ところが、それに比例して事故も増大していったのです。会社としてはハード面をはじめ、運転手の生理的状態のチェックなどいろいろな対策を講じたようですが、その効果がなかなか現れません。
 そうしたなかで、事故を担当していた課長さんが三隅先生の研究室を訪れ、事故防止へのサポートを依頼したのです。後年、先生は「この話を聴いたとき、自分のしている仕事が事故防止に役立つかどうか自信がなかった」と語っておられます。しかし、「グループ・ダイナミックス」を応用した研修は大成功したのです。
 
「共通性」と「実践性」 2017/03/08 Wed 5299
 グループ・ダイナミックスの創始者であるレビンは研究成果が実践に役立つことを大事にした。「良い理論ほど実践的なものはない」ということである。私は、そもそも人間行動に普遍的な理論を立てることができると思っていない。人間は数千年の歴史を踏んできて、未だにまともな行動の予測ができないでいる。「いつかは普遍的な理論、法則が見つかるはずだ」という発想にも「そうかな」と思う。
 「お前さんは理論を打ち立てたり、法則を発見する力がないからそんなことを言うんだよ」。こうした批判は喜んでお受けする。そのかわり「それでは、これまで誰もが納得し、ちゃんと人間行動の予測が出来る理論があったら教えてくださいな」と反問したくなる。
 私のレベルの者には「共通性」の発見と「実践性」の2本で十分だと思う。そして、私の仕事に「理論」や「普遍的法則性」どスケールの大きいものは含まれていない。ただ、「リーダーシップ・トレーニング」については、「同じプログラム」が、産業・看護・教育・各種団体はもちろん、じつは小学生にまで適用できたのである。私としてはこの「共通性」と「実践性」で十分に満足している。
 
状況次第で三態(度) 2017/03/07 Tue 5298 2月28日の続き
 「集団の化学」の話をしていました。酸素原子が結合する相手によって、爆発注意になったり、触媒になったり、はたまた有毒のガスになったりする。それと同じように、私たちも誰と一緒になるかによって、「集団」としての「行動」が大きく変わるわけです。
 ここで大事なことは「相手」との「関わり」であり、それはまさに「化学反応」的だと思うのです。また、原子が結びついた分子であっても、置かれた環境によって状態は変わります。もっともわかりやすいのは水のH2Oですね。水が周囲の気温によって、固体・液体・気体とその姿も性質も変えることはみんな知っています。
 私たち人間も、例えば同じ三人組なのに周囲の状況次第で行動が変わることは日常的な体験でもあります。あるときには冷静沈着な行動が取れる、あるいは少しマイナスの方に向けば冷徹さが表に出てくることもあり得るでしょう。そして環境が変化すれば、同じ三人組のままなのに穏やかで柔軟な振る舞いをする。さらに状況次第では、全員が興奮した行動に出るかもしれません。それもマイナス方向だと攻撃的になる可能性も否定できません。まさに「三態(度)」ですね。
 
往生際の悪さ 2017/03/06 Mon 5297
 この数日でおわかりのように、私は今でも「携帯を持っていない」ことになっています。とにかく、「捕まる」のがいやなんです。
 私は子どものころから「隠れ家遊び」が大好きでした。中学生時代は、4人家族が六畳と四畳半の二部屋しかない公務員住宅に住んでいました。私はときおり自分の机に毛布を被せて、その下に潜り込んで勉強をしていました。いわば住宅内「隠れ家」です。これが今でも楽しい思い出になっています。
 そんな私ですから、24時間、どこにいても「捕まる」携帯は「持っていないのが一番」なのです。ただ、福岡にある研究所の責任者になったときは、どうしてもと言われて「持たされた」時期があります。その際も使用は最低限にしていました。そのうち、家族との連絡に便利だとわかって、「密かに」持つことになりました。しかし、それも次第に無理が出てきて、「仕事」で関わる場合は「持っている」ことになってしまいました。
 今どき「持っていない」というのは、とても信じてもらえない時代環境になったのです。それでも「公称不所持」で突っ張っています。皆さまには、往生際の悪さに深いご理解をいただきたいと存じます。
 
一般化の危うさ 2017/03/05 Sun 5296
 〝All generalizations are dangerous, even this one.〟これはフランスの小説家Alexandre Dumasの言である。もちろん原語はフランス語だろう。「どんなものであれ、モノゴトを一般化するのは危険である。もちろん『この言』も含めて」。かなり装飾して訳したが、とにかく何でもかんでも「一般化」して考えるのは危ないということである。しかも、「そう考えること自身」も「一般化」だから気をつけるべしと付け加えている。これには。「さすが『大デュマ父さん』」と大向こうから声をかけたくなる。
 ところで、一般化は偏見にも繋がる危険性がある。いわゆる「ステレオタイプ」というものがある。これは、モノゴトを型にはめて、先入観をもって観ることだ。「○○人は□□だ」などと言うレッテル貼りはその典型である。本当は個々人で違いがあるのに、それを背景に追いやってワンパターン化する。それが差別やいじめを産み出すことになる。もちろん、生きていくためにはモノゴトを識別する力が必要である。こうした人間にとってなくてはならない力が、悪魔のささやきで偏見と差別を引き起こす凶器になる。何とも因果なことである。
 
未来からコントロールする 2017/03/04 Sat 5295
 「公称携帯不所持者」だから、スマートフォンなどに興味があるはずもない。さらにLINEやTwitterとは無縁である。そうそう、Facebookなるものも、名称だけは知っている程度である。知り合いから「○○さんが誘ってます」といった意味合いのメールが繰り返し届いたことがある。これにはまったく対応しないでいたら、そのうちお誘いがなくなった。
 ところで、Twitterは「小鳥のさえずり」や「くすくす笑い」という意味のことばである。これが日本では「つぶやき」と訳された。それにしても、いまやトランプ大統領は世界で一番影響力のある、というよりはお騒がせ力のあるツイッター発信者である。ツイッターの仕組みは知らないが、140字以内のメッセージを送るものらしい。
 この文字数のなかで自分が伝えたいことを集約すると考えれば、それなりに文章力が身につくだろう。その半面で、頭のなかの発想単位が細切れになりそうな気もする。それで短期的な展望は出来ても長期的な見方が出来なくなるのでは困ったものである。私たちは瞬発力と持久力の両方を鍛えていく必要がある。未来から自分をコントロールできるのが人間なのである。
 
チェックタイム 2017/03/03 Fri 5294
 私としては、そろそろメールの「チェックタイム」を決めないといけなないと思いはじめている。朝から晩まで四六時中、メールを確認しているというのは健康的ではない。
 まずは、①朝一番 ②出勤前 ③仕事場で「いの一番」 ④お昼前 ⑤午後のスタート時 ⑥退勤前 ⑦自宅で「いの一番」 ⑧就寝前 このくらいのタイミングはあるが、これでは明らかに多すぎる。そこで、①朝一番 ②仕事場で「いの一番」 ③お昼前 ④退勤前 ⑤就寝前 ではどうか。まあ、このくらいは許容限度ということにしておきたい気がする。いや⑤の「就寝前」に開封すれば、どうしてもその場で返信したくなる危険性が高まる。そこで、⑤は21時ころとしておいた方がよさそうだ。まずは、これで様子を見ることにしよう。
 ところで、仕事の依頼をするときにメールを使うと失礼だと考えていらっしゃる方が少なくない。どうしても電話でと言われるのである。そのお気持ちはとてもありがたい。また、「いきなりメールで頼みごとをしてくるなど、けしからん」と考えている方もいらっしゃるのだとは思う。しかし、私に関しては、完璧に「心配ご無用」である。
 
私とメール 2017/03/02 Thu 5293
 私がはじめてメールを使ったのがいつだったか記憶にない。ただ、1996年4月に西オーストラリア大学に出かけたとき、すでにメールが常識化していた。そして、その少し前に熊本大学でアドレスを取得していたことはしっかり憶えている。そうした記憶から推測すると、私がメールを使い始めたのは、1995年のあるときということになる。私のアドレスは yoshida@kumamoto-u.ac.jpである。アドレス名は早いモン勝ちであるから、私はいの一番で〝yoshida〟を取得して22年が過ぎたわけである。
 私はスマートフォンは使わない。それどころか「公称:携帯不所持者」である。いまどき「不所持」などあり得ないから、これはあくまで「公称」である。とにかくいつ何時でも、そしてどこにいても「捕まる」なんて御免被らせていただきたいのである。その代わりメールだけは超頻繁に使っている。いつも先方から「早速のご返信、ありがとうございます」といったお礼のメールが届く。つまりは、度々チェックして返信しているのである。ただし、私としては、チェックしすぎだと思いはじめている。とにかく落ち着きがない、せわしないのである。
 
おろかなキャンブラー 2017/03/01 Wed 5292
 昨年末に県立高校の教諭が酒気帯び運転の疑いで現行犯逮捕された。午前1時ころ国道で信号待ちの車に衝突した。その前の車も巻き込む玉突き事故になったという。逮捕されたとき、呼気から基準値の約2倍のアルコール分が検出された。
 この日はホテルで開かれた忘年会に車で参加したらしい。教員が宴会場まで車を運転していくのは原則として禁止されている。その上で、やむを得ない事情があった場合は校長の許可を得るようになっている。そのときは校長の許可を受けていた。これだけでは細かい事情はわからないが、忘年会に参加しての午前1時といえば、まったく飲んでいない限りアルコールが残っているのは当然である。これでまた自分だけでなく、家族まで巻き込んでしまう。
 こうしたニュースを聞くたびに「愚かだなあ」と思う。アルコールはビールをコップ一杯飲んでも事故を起こす確率はきわめて低いのだろう。しかし、人生を棒に振るかもしれないことに確率で行動してはいけない。世の中に健全なギャンブルがあるのかどうかは知らないが、確率は宝くじなどで愉しんだらいい。酒に賭けるなど愚かなギャンブラーになってはいけない。