早朝夕刊(am5:49) 御礼 2016 /12/31 Sat(2) 5219
今年も本日でおしまいです。おかげさまで、2017年までは元気で到達できそうです。今年の「味な話の素」は〝4801〟からはじまりました。これが〝5219〟ですから、年間〝419〟個の「素」になりました。オリンピックのある閏年で366日、差し引き〝53〟個は「夕刊」でした。これも「早朝夕刊」になります。年の真ん中に当たる6月14日に〝5000〟個目を迎えていました。次の目標は〝7000〟個でしょうか。まあ、個数にはこだわらず、これまでと同じ調子で「好き勝手」に書いていくつもりでおります。とにかく〝ネタ〟はいくらでもあって、最終的にはあの世に持って行かざるを得ないと思うものがワンサカなのでございます。それもまた楽しからずやです。
熊本地震の際にはご心配いただくとともに、温かいご支援を頂戴しました。おかげさまで無事に新年を迎えることができます。本当にありがとうございました。これからも、よろしくお願いいたします。 |
手帳の話 2016/12/31 Sat 5218
熊本大学に在職してから手帳は文部省(2001年より「文部科学省」)共済組合発行のものを使っていた。これはずっと無償だったが、あるときから有償に変わった。共済組合も財政が厳しくなってきたからだろう。
その時点で私は手帳を変えることにした。組合のものは使い勝手もよくて、とくに問題はなかった。しかし、「有償」と聞いて、「自分がほしいもの」を買いたくなった。当初は日本能率協会の手帳を使い、そのうち「変化」がほしくなって高橋書店に引っ越したりしていた。それからまた能率協会に戻ったりで、私の日常生活における「落ち着きのなさ」そのままの行動をとってきた。また、この数年は毎年10月ころに静岡へ出かけることがあって、そこのホテル近くにある文房具店がお決まりの購入スポットと決めていた。
ある時期には「ビジネス手帳」だとかいって、ゴッツいものやリフィル版もあったが、私自身はまったく魅力を感じなかった。いつも持ち歩く手帳なのだから、「薄い、軽い」が必須なのである。そんなことで、20代には「月別」のみのものを使ったこともあったが、さすがにこれでは必要な情報が書き込めなくなった。 |
いまごろ… 2016/12/30 Fri 5217
総務省が「18歳選挙権に関する意識調査」の結果を発表した。調査対象は18歳から20歳の若者である。今年の7月に行われた参院選に行かなかった理由のトップが「今住んでいる市区町村で投票できなかった」で2割以上だったという。これについて、「進学や就職などに伴って住民票を移さないことなどが、投票行動に影響した可能性が浮かび上がった」という書いてある(朝日デジタル)。
これを見て私は苦笑いした。そんなこといまごろになってわかったんかいなである。私は定年までの二期8年間、「熊本県明るい選挙推進協議会長」なるものを体験した。そのときも「若者の投票率」の低さが問題になった。これに関連して、私は「『成人式を故郷で祝ってほしい』『どうせ卒業したら違うところへいく』といった理由も含めて若者が住民票を移さない実態がある。海外居住者でも投票ができるこの時代に、国内にいるのに何で大学生が投票できんのかいな」と言い続けてきた。それには法律を変える必要があるとの話でいつもおしまいだった。それなら法律を変えればいいだけのことなのである。いまごろそんなこと言わんといてや、ホンマに。 |
因果関係 2016/12/29 Thu 5216
原因があって結果が生まれる。いわゆる「因果関係」である。先日、理学療法士の方と話す機会があった。病院では患者の転倒が大きな問題になっている。これは看護師からも頻繁に聞く話題である。今では私も階段の手すりをつかむ。数年前、両手に荷物を持って仕事場の階段を降りていて転倒しそうになった。このときは大いにヒヤっとした。そのまま落ちれば生命に関わる可能性もあった。
最近では、企業でも階段は手すりを使うことを原則にしているところが多い。手すりのある方がすり減っている階段もあった。世の中では、健康な人が階段で転倒する事故は多いのではないか。そんな話題になって、私は「転倒して寝たきりになり、そのまま亡くなる人もいますよね」と言ってから、「あの黒澤監督も、自宅で骨折してから回復しなないままで亡くなりましたね」と続けた。これに対して、「体調が原因でこけてしまうこともありますから」と答えられた。
なあるほど、これは目から鱗っぽいなあ。つまりは、「骨折した」ことが原因というよりも、そもそも命に関わる体調が原因で「転けて骨を折る」という結果が引き起こされることもあるわけだ。 |
100万を切る 2016/12/28 Wed 5215
ついにそのときが来た。厚生労働省によれば、昨年のわが国における出生数が100万人を切るという。一昨年に、つまりは2014年の数値が100万5000人と出たので、私は教育関連の講演などでは「昨年(2015)はちょっとだけ増えたようですが、100万人を切るのは時間の問題です」と話してきた。それが現実になったのである。単純な計算では、32秒に一人が生まれ、24秒に一人が死亡しているのだそうな。
本コラムでも繰り返し挙げてきたが、いわゆる「団塊の世代」である1947年から49年までの3年間の出生者は年間290万人もいた。細かく言えば、それぞれ287万人、288万人、289万人である。私はそのど真ん中で、小学生の教科書には、じつに見事な「人口ピラミッド」が載っていた。それが今や「逆立ち」せんばかりである。
人口が減少することは疾うの昔からわかっていた。医療費の幾何級数的増加も年金の危うさも「人口問題」であり、「想定内」のことである、まともな対応が行われてこなかっただけの話なのだ。日本よりも人口が少なくても、もっと豊かな国はいくらでもある。そうした国のことも勉強する価値がある。ちょっと遅すぎだけれど…。 |
最年少プロ棋士 2016/12/27 Tue 5214
中学生の棋士が加藤一二三9段を破った。すごい少年が現れた。それまでは加藤9段が14歳7か月でプロの棋士となったのが史上最年少記録だった。これを藤井聡太4段が14歳と2ヶ月で最年記録を塗り替えたわけだ。元記録保持者と新記録の2人が対戦するのもなかなかおもしろい。加藤氏は76歳だというから、その差は62歳もある。これはれっきとした公式戦で、14歳5か月で勝ったのも史上最年少らしい。こうなると、羽生善治氏との対戦が楽しみになる。
私は将棋は駒の進め方くらいしか知らない。今から半世紀前、私が中学一年生くらいだったころ、近くに将棋の強い小学生がいた。その子と将棋をしたことがある。当時は駒の進め方さえろくに知らなかったこともあり、一度も勝てなかった。私は勝負事にはめっぽう弱い。そんなこともあって、大きくなっても人と競うことはしない。その点では自己満足型と言うべきか。もちろん、「自分と競う」気もない。ただし、結果として自分が選ばれるようなことはあったりする。そんなケースでは「しっかり競争しているやんか」と笑われるかもしれない。自分の見方と他人の評価は違うものである。 |
トップの行動 2016/12/26 Mon 5213
世の中のことは、賛成する人もいれば反対する人もいる。評価する者がいる一方で、否定的な目で見る者もいる。それが人間というものである。全員が同じというのは、おそらくまずいのである。
さて、今年はオバマ大統領が広島を訪問した。これまで頑なに拒否するかに見えたアメリカの大統領が原爆の地を訪れて献花したのである。まずは、それだけで評価すべきだと思う。そして、同じ年のうちに日本の首相が真珠湾を訪問する。これもまた評価すべきだろう。
オバマ氏には、キューバとの国交回復も広島も、「歴史に名前を残す魂胆がある」という見方もある。まあ、そうなんだろうとして、じゃあ来ない方がよかったのと聞きたくなる。安倍首相の真珠湾も人気取りのパフォーマンスと冷ややかに見る人がいるかいないか、それは知らない。ただ、行かない方がいいのかいなと思う。
私は初めて原爆記念館に行ったとき、記帳ノートに〝Remember Pearl Harbor〟と書かれていた。それを見て、私はシーソーの絵を描き、跳ね上がった方に〝Pearl Harbor〟そして重い方の端に〝Hiroshima〟と記した。もちろん、遺族に「軽い、重い」はあり得ない。 |
タイとの象縁 2016/12/25 Sun 5212
象の「はな子」は敗戦後にタイからやってきた。タイとは象の縁が深く、1888年(明治21年)にも当時のシャム王国から象が来ている。
このときは日暹修好通商に関する宣言(日タイ修好宣言)が調印された記念として明治天皇に贈呈された。オスの象で、まずは恩賜上野動物園で35年の月日を送り、その後にわたって飼育された後、浅草花やしきに譲渡された。
日本で最も古い「上野動物園」は通称で、正式には「恩賜上野動物園」である。ついでながら「上野公園」も通称で、正式には「上野恩賜公園」である。
さて、シャム王国からやってきた象は1870年ころに生まれたと推定されていて、浅草花やしきでも9年間の老後を過ごして、1932年(昭和7年)に昇天した。享年(?)62歳の長寿である。明治、大正、昭和の時代を生き抜いたのである。この象は気性が荒く「暴れ象」と呼ばれて飼育には大いに苦労したようだ。一時は殺処分まで検討されたというから、相当の腕白だったと思われる。しかし、それでもちゃんと天命を全うさせたところがすばらしい。 |
「はな子」 2016/12/24 Sat 5211
武蔵野市の井の頭自然文化園にいたアジアゾウ「はな子」が今年の5月26日に亡くなった。「はな子」は1947年春ごろタイ王国で生まれた。享年推定69歳である。「はな子」は、敗戦後間もない1949年にタイから上野動物園にやってきた。戦時中の空襲などのため猛獣の処分が行われた。その中に餓死させられた「花子」という象がいた。「はな子」はその名前を継いだのである。その後、1954年に自然文化園へ移った。
私は子どものころに榎本健一が象係をする映画を観た。いまチェックすると、それは東宝製作の「動物園物語」で1957年4月の作品である。私が10歳ころだったのだろう。内容はあまり憶えていないが、「花子」と大きな目で悲しげな表情をしていた榎本健一が心のスクリーンにクローズアップで映し出される。戦時下、全国の動物園で猛獣が処分された。熊本動物園でも、象も猛獣の中に含められ、軍の命令によって「エリー」が感電死させらた。動物たちも戦争の犠牲になったのだ。
こうした歴史を背負いながら「はな子」は69年の生涯を閉じた。飼育されている象の寿命は60歳くらいだというから、天命を全うしたのである。 |
最高裁の「常識」 2016/12/23 Fri 5210
最高裁である判決が出た。遺産としての預金をどう分けるかで、新しい判断をした。記事を読んでみると、これまでは例えば2人の相続人のうち、1人が故人の生前に多くの財産の贈与を受けていても、残された預貯金は法廷の割合、つまりこのケースでは1/2に分けることになっていた。最高裁の判例としては1954年と2004年があるらしい。
最高裁を頂点に、法律はやたらと保守的である。あるいは、非日常的、さらには非常識的と言えるかもしれない。家庭裁判所レベルでは判例とは関わりなく、実情に応じて調停が行われていたようだ。家裁が最高裁の判例に影響を受けないことは初耳だった。今回はこの段階で折り合いが付かず、一方が最高裁まで訴えたことで「新判断」となったわけだ。
もちろん、個々のケースではいろいろの事情が考えられる。例えば、生前は寄りつきもしなかったのに、「お前さんは、もう相当もらっているだろう」などと、預貯金の多くを要求する。そんなテレビドラマ風のことはあっちこっちで起きているに違いない。何分にも、「事実は小説よりも奇なり」なのである。「子孫に美田を残さず」が正解なんでしょうね。 |
市役所の火事 2016/12/22 Thu 5209
先日、熊本市役所で火事があった。午前3時40分ごろというから真夜中である。出火したのは10階で、健康福祉政策課を中心に300㎡が焼けたという。このフロアの1/4に当たるというからかなりのものである。ここで地震の罹災証明書を発行していたらしい。市役所によれば大半のデーターがサーバーに保存されているという。ただし、「大半」という言葉には、やや引っかかる。原因は漏電のようだ。
熊本市役所は私たちが鹿児島から引っ越してきた後の1981年に竣工した。地上15階建てのしっかりした建物であるが、35年ほどで漏電というのは当然なのか、早すぎるのか。
それは措くとして、これに続いて「このフロアで仕事をしていた別の課の女性職員が出火に気づき…」とくる。これにはびっくり仰天した。いやあ、午前3時40分ころに「仕事をしていた」というのである。もちろん、どんなことにも、その事情を知らずに騒ぐのは慎まなければならない。それはそうだが、この日は日曜日なのである。この女性、土曜日から休日出勤して、しかも翌朝午前4時近くまで仕事していたのだろうか。新聞はそのあたりについて言及していない。 |
〝Vi〟と「ヴィ」 2016/12/21 Wed 5208
本コラムにグループ・ダイナミックスの創始者である「レビン」のことを書いたところ、白樫先生から「レヴィン(アメリカ人は「ルーウィン」と呼びます)」からはじまるメールをいただいた。これを見て「そう、『レヴィン』なんだよなあ」と想った。
かなり昔、おそらく70年代の初期のころ、三隅先生が「認知的不協和の理論」で知られる Festinger 教授を九州大学に呼ばれたことがある。その際の講義で
Festinger 教授が「ルーイン」と発声していたことを思い出す。わが国では Kurt Lewinを「クルト・レビン」と表記することが圧倒的に多い。私はドイツ語についての知識は皆無だが、これは「ドイツ音」なのだろう。古くは「v」や「w」には「ヴ」を当てることがあった。その理屈だと「クルト・レヴィン」になる。英語では「Ba」と「Va」は発音が異なるから、それにこだわって「バ」と「ヴァ」と区別するのである。わが明治の先輩たちは、〝v〟や〝f〟のように下唇を軽く噛んで発音する、日本語にない音もちゃんと分けて表記していたのである。ついでながら、〝Kurt〟も英語圏の研究者は「クルト」ではなく「カート」と発音する。 |
レビン秘話? 2016/12/20 Tue 5207
私が大学院の学生だったとき、白樫三四郎先生が西南学院大学にいらっしゃった。私がはじめて学会誌に投稿した論文「成功-失敗条件およびリーダーのLPC得点が集団過程におよぼす効果(実験社会心理学研究,
1973)」は、先生のご指導のもとでまとめた。白樫先生は私より一回り上の「ネズミ」であり、三隅先生が「もう一回り上」であることは本欄でも触れたことがある。
最近は「サンデー毎日」の日々を送っておられるとのことだが、本コラムもフォローしてくださっている。そして、取り上げた話題に関する貴重な情報をいただくことが少なくない。もうかなり以前のことだが、グループ・ダイナミックスの創始者である「レビン」のことを書いたら、さっそく「第一級の情報」を頂戴した。そこで、本欄でもご紹介したいと思い、その旨を先生にお伝えした。ただし、「いつものように」進度はボチボチだから、全体をご紹介し終えるのはいつのことかわからない。その点も先生にご了承いただいた。
さて、先生のメールは「レヴィン(アメリカ人は「ルーウィン」と呼びます)は1933年ナチスから逃れてアメリカに渡りました」からはじまった。 |
歯茎の出血対策 2016/12/19 Mon 5206
私が子どものころは時代劇映画が全盛で、切られた傷口に酒をプーッと吹きかけるおなじみの場面があった。アルコール消毒である。ところで、今日でも時代劇顔負けの人がいるようだ。じつは、歯茎から血が出たので缶酎ハイで口をすすごうとした人がいるのだ。
兵庫県にある市の係長が勤務中に飲酒運転して懲戒免職になった。この人、出先から市役所へ移動中に酒気帯び運転の容疑で現行犯逮捕された。市では「酒気帯び運転」は「停職」となっているらしい。しかし、「勤務中の飲酒」という悪質さ故に懲戒免職になった。そもそも、7月ごろから職場で酒臭いとして注意されていたようで、依存症だった可能性が強い。
本人は聴き取り調査で「歯茎から出血し、車内の缶酎ハイで口をすすごうとしたときに署員に呼び止められて飲み込んだ」と説明したという。まだ江戸時代人がいたのである。僭越ながら、私は「歯茎から血が出た」ときは、缶酎ハイではなく、ミネラルウォーターで口をすすがれることをお勧めしたい。警察官から声をかけられなければ、車を走らせながら運転席の窓を開けて、口をすすいだ後の酎ハイをはき出すんでしょうかねえ…。 |
早出し夕刊(am10:00) 相互依存の逆説 2016/12/18(2) Sun 5205 (400)
私が子どものころは、ご近所同士で味噌や醤油を貸し借りしていました。みんなが裕福でなく、お互いがサポートしないと生きていけなかったのです。そうなると、あっちこっちで「ありがとう!ありがとう!」の声が響き渡ることになります。昔は朝から晩まで自然体で「ありがとう」を連発する関係があったのです。
ところが現代の私たちは恵まれ過ぎていて、その心は縄文時代よりも退化していると思います。私はこれを「相互依存のパラドックス(逆説)」と呼んでいます。人間は周囲に「依存すればするほど、依存していることを忘れる」のです。例えば、吉野ヶ里は弥生時代ですが、あそこに住んでいた人たちは、お互いのおかげで自分が生きていること、つまりは「依存している」ことを全員が知っていたはずです。これに対していまはどうですか。私たちは地球規模で徹底して依存しています。いまここで自分の周りを見回しても、自分で作ったものは一つもありません。 |
教員の懲戒免職 2016/12/18 Sun 5204
熊本で「女児触った教諭免職」との記事が載った。免職になったのは小学校の男性教諭で年齢は44歳である。担任をする女児の体を触ったことから強制わいせつ罪で起訴されていた。懲戒免職である。教諭は10月に勤務する学校の校舎内で女児の尻を触ったとされる。そのことを知った女児の両親が県警に被害届を出したことから発覚した。教諭は「教育的な指導で言うことを聞かせるための行為がエスカレー卜した。生涯をかけて償いたい」と話しているという。
私は教員の三大問題として「体罰」「セクハラ」「飲酒運転」を挙げている。いずれも他の組織でも起こり得るが、教員への懲罰が報道されるトップ3ではないか。もちろん、「窃盗」や「殺人・傷害」などもゼロではない。また、教員が児童生徒に「いじめ」行為をするといっ言語道断のケースもある。
本件の教員は「生涯をかけて償う」と言っているようだが、女児は「報道された」ことを含めて、その事実を一生忘れることができないだろう。本人の年齢から推測して、教員にも妻子がいる可能性がある。こうした報道を目にするたびに「一体全体、何を考えているのか」と暗澹たる気持ちになる。 |
早出し夕刊(am11:05)わざわざ運動 2016/12/17(2) Fri 5203
保護者の方を対象に、「わざわざ運動のすすめ」というタイトルでお話をしました。かなり昔のことですが、似たようなことを本コラムで書いたことがあります。ただし、けっこう時間が経過していることでもあり、「早出し夕刊」で少しずつご紹介していきましょう。
まずは、「ウオーキングとジョギング」のネタです。私は「ウオーキングやジョギングは『わざわざする運動』だ」と言っています。もちろん冗談です。私が子どもの頃は、成人の一日の栄養摂取カロリーは今と変わらないか、もっと多かった記憶があります。しかも、当時はきつい仕事が多いのに食糧事情は悪かったので、カロリーを十分に摂ることはできなかったはずです。いまでは、みんな体が大きくなっていますが、その割には、必要とされるカロリーは伸びていません。それなのにカロリーいっぱいの食事をするので、それを燃やすために「わざわざ運動」を余儀なくされるに至ったのです。昔は痩せている人が多く、マイカーなどなかったため、日常生活で多くの筋肉を使っていました。 |
老いて嘆き続けるのは… 2016/12/17 Sat 5202
一般的に懲戒免職処分を受けた場合、退職金が払われないと思われているのではないか。その昔は知らないが、国家公務員退職手当法の12条に「懲戒免職等処分を受けた場合等の退職手当の支給制限」というものがあり、その1項が「当該一般の退職手当等の全部又は一部を支給しないこととする処分を行うことができる」と規定されている。したがって「懲戒免職=退職金不支給」ではないのである。
その際は、本人の立場、つまりは役職や責任の程度、それに問題行動の内容などが考慮される。いわゆる社会的な評価も影響を与える。たとえば、警察官や教員などは「犯罪を取り締まる」「青少年を育てる」ことが仕事だから、その他の職と比較すれば、「同じ行為」であっても、社会的に厳しい目で見られるのである。
なお、年金については細かい計算方式があって、基本部分は支払われるようである。それでも、年老いてまで「あのことが影響して他の人よりも少ない」などと嘆き続けるのは辛いに違いない。しかも、懲戒免職処分を受ければ、原則として氏名が公表される。それだけでも厳しい社会的制裁だが、家族をはじめ関係者も巻き込んでしまう。 |
早朝夕刊(am6:48)免職規定 2016/12/16(2) Fri 5201 (480)
懲戒免職:公務員が、懲戒処分としてその職をやめさせられること(デジタル大辞泉)。懲戒:① こらしめいましめること。 ②不正・不当な行為に対して、制裁を与えること。公職にある者の義務違反に対し、国家または公共団体の与える制裁(大辞林)。免職:職をやめさせること。特に、公務員の地位を失わせること(デジタル大辞泉)。「免職」は公務員に対して使われるもので、民間組織では「解雇」と呼ばれる。
そもそも公務員は強力に身分が保障されている。また、裁判官と人事官の罷免にはさらに別の手続きが求められる。これを「弾劾」と呼び、国会が訴追する。その場所が「弾劾裁判所」である。この施設は国会内に設置されている。裁判員は衆参両議院の7名で構成される。人事官とは「人事院を構成する者。3名で、うち1名は総裁」(スーパー大辞林)である。
人を裁いたり、公務員の人事に関する仕事をする者が、関係組織から馘首されるようでは仕事ができない。そこで、罷免の手続きも厳格なのである。その結果、盗撮レベルの犯罪でも裁判官は弾劾裁判所で裁かれるのである。このごろは、お隣の国から「弾劾」が聞こえてきた。
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「危機管理」の失敗モデル 2016/12/16 Fri 5200
前都知事は、自分に「クレヨンしんちゃん代」も「家族旅行費用」も政治資金を使いたがるという弱点があることを認識し、いまの立場にいる間は何とか抑えることができていれば、「リスクマネジメント」は成功していた。しかし、それは失敗に終わった。
そして、今度は「危機管理」でも誤った対応を取ることになる。問題が表面化したとき、少しばかり恥ずかしそうに頬を赤らめながら、あるいはばつの悪そうな顔をして、「いやあ、面目ないです。ついつい人間としての甘さが出てしまって…。なんともお恥ずかしいことです。ともあれご指摘の経費はすべて精算、返上します」と答えていれば、騒ぎは一時的なものとしてで終わっただろう。そもそも、指摘された行為は専門家的には「違法ではない」ということなのだから。
そうした「危機対応」をしていれば、少なくともリオに行って旗は振れたに違いない。つぎの選挙ではうまくいかなかったと思われるけれど。ところが彼はここで「経費はあくまで政治活動のためだった」と突っ張った。それでことが収まると高を括ったのではないか。しかし、それが世の中(?)の批判をさらに激しくしてしまった。つまりは「危機管理」に失敗したのである。
とまあ、こんな話をしたことをレポートでは取り上げていただいたわけだ。ありがたや、ありがたや。 |
「リスクマネジメント」のモデル 2016/12/15 Thu 5199
前都知事は「リスクマネジメント」と「危機管理」について、わかりやすいモデルを提供してくれた。まずは「リスクマネジメント」の視点からは、こんな話が展開できる。
人間は頭の中でどんなことを考えてもいいのです。それが「思想の自由」なんです。もちろん「邪念」や「妄想」も許されるのです。ただし、そうしたことを思い浮かべること自身が認められないという考え方もあります。それもまた「自由」なのです。そうした「自由」があればこそ、発明や発見が行われ、文学が生まれ芸術なども豊になってきたのです。
ただし「思考」と「行動」は分けて考えるべきでしょう。たとえば桝添さんが「自分は『クレヨンしんちゃん』も政治資金で買いたいなあ」と思うことは自由です。また、「お正月に家族で旅行に行った経費も政治資金で賄いたいなあ」と考えても、それだけでは何の問題もありません。ただし、「自分にはそうした思考性向がある」ことをしっかり認識して、「公的な立場にいる間は、それをやっちゃあおしまいだ」と考え、「行動」を抑えておけばよかったのです。自分の「弱いところ」をしっかり知って、そのせいで問題が起きないようにする。これこそが「リスクマネジメント」なのです。 |
前東京都知事と私 2016/12/14 Wed 5198
レポートの最後にはこんなことが書かれている。
「講義の中で、『自分の弱み知ることがリスクマネジメントの第一歩』について、前東京都知事の辞任を題材にした、『最初の危機管理で間違えると大きな問題になる』『問題に気づかないのが間題であり、気づいても行動しないのが間題』という話を聞いた。これに関して、自分自身でもシステムができていないと気づいていたが、行動できていなかったことを自覚した。自分自身の弱みとして、何事にも慎重に事を進めるあまり、問題を先送りにする傾向があると言える。これからは、気づいたことにはすぐに行動する。すぐに行動できない場合は、優先順位を考えつつ、何時迄にどうするかなどタイムマネージメントして実施して行きたい」。原文では一文が長すぎるものが含まれていることから、若干の修正を加えた。
ここで、「前都知事」の話題が取り上げられている。M氏は団塊の世代の真っ只中の「会員」で、私の方が1ヶ月だけお兄ちゃんである。高校生までは八幡の住人だったようだ。私も小学生になる前の2年ほどだったと思うが、八幡に住んでいた。当時は八幡製鉄所の高い煙突から立ち上る「七色の煙」は日本経済復興のシンボルであり、「八幡市民の誇り」だった。いまでは公害の元凶と言われることは必至だが、そうした時代だったのである。 |
職場の現状分析 2016/12/13 Tue 5197
看護師のレポートは、「構成員が同じでもシステム次第で違いが生まれる」という私の話を職場へ展開していく。
「これらのことを病楝で考えてみると、スタッフの質・能力の違いで病楝の質に違いがあるのではなく、システムが整つていないために質が保てないと考えられる。現実の問題で考えると、病棟で人員配置基準を上回って看護師は配置されているが、『マンパワーが足りない』『リーダー
シップが取れる看護師がいない』『スタッフの人事異動があると看護業務が回らない』と言っている」。
こうした、少し皮肉な目で見れば「言い訳っぽい」理由を付けて現状を嘆くというケースが、あっちにも、こっちにもありそうである。私の話を受けて、職場に少しでも「変わろう」「変えよう」という雰囲気が生まれれば嬉しい限りである。
「システムにっいて考えてみると、 日々の効率良い業務や役割分担ができているか、 リーダーを育成するため計画的にその機会を作つているか、 スタッフの欠員による新採用や人事異動時のオリェンテーションや教育が適切かなどと考えると、いずれも不十分で病棟管理者としてこれはできていると言えるのもがなく中途半端である」。
これほど真摯な態度で、自分の職場を振り返っていることに感動する。それと同時に、自分が発した言葉の重さに責任を感じる。 |
同じシステムなら、多い方が… 2016/12/12 Mon 5196
レポートは次のように続く。「また、システムが同等で人が多ければ人が多い方が生産力は高くなる。中国で例えるならば、 世界一の人ロを有しているためシステムが良ければ他の国は太刀打ちできない」。
日中が国交を回復したころ、すでに中国はアメリカとの関わりを強めていた。キッシンジャーという類い希なる外交官がいて、ニクソン政権と中国との秘密裏に交渉を進めたのである。当時の日本は佐藤栄作総理大臣だったが、日本の「頭越し」、「寝耳に水」のニクソン訪中が行われた。そして、政権が田中角栄総理大臣へ移ってから日中の交渉がはじまったのである。その後、実力者の鄧小平氏が、経済システムとして「資本主義」の導入を語りはじめることになる。もちろん政治体制は中国共産党の一党支配は変わらないというわけだ。
そうした状況を見て、私は日記に「経済の仕組みが同じになれば、中国の人口が圧倒的な力になる。日本の10倍、アメリカの5倍である…」といった趣旨のことを書いた。いまアメリカ合衆国の人口は3億を超えているが、当時は日本の2倍といった感じだった。そして、あれから40年を超える歳月が過ぎた。もちろん、専門的にはいろいろあるのだろうが、私の素人予測もそれなりに当たったと言える。講義でそうした話をしたところ、それを受けて上記のようなレポートになったのである。 |
人材を「組」み合わせ、「織り」なす 2016/12/11 Sun 5195
それでは、私の講義を受講されたある看護師のレポートを解説付きでご紹介しよう。
「組織とは、 組み合わせ、 織り上げるものであるという話があった」。
私は「組織」を「組」と「織」に分解して、「人材を『組み合わせ』、それを縦糸と横糸にしっかり『織りなす』もの」だと解説している。そして、リーダーがその重要な役割を果たすことを協調する。こんなとき、いつも表意文字である「漢字」の強い力に感動する。
「隣のふたつの国を比較し、両国間の違いについて、 構成員の質の違い 、人材の能力の違いではなくシステムの違いである。 同じ民族で同様のDNAを持つていてもシステムの違いで国の生活水準などに大きな違いが生まれる」。
いま、壮大な歴史的実験が行われている。南北では気候や土地の豊かさで違いがあり、北の方が厳しいのが現実だろう。しかし、我々が得ている情報が限定されているとは言え、両者の間の差は大き過ぎはしないか。その原因が「構成員の違い」でないことはハッキリしている。南北は人為的に引かれた境界であり、どちらも同じ民族から構成されているのである。 |
看護師への転換 2016/12/10 Sat 5194
看護婦は、時代の変化に対応して呼称が看護師に変更された。そもそも看護婦は女性が就く職業の代表だった。その中に男性が入るようになり、これを看護士と呼んで区別していた。しかし、看護士の増加もあって、2001年に「保健婦助産婦看護婦法」が「保健師助産師看護師法」に改定された。そこで性別を問わず2002年3月から「看護師」と呼ぶことになった。このとき、「保健婦・助産婦」も、「婦」が「師」に変わったことがわかる。
私自身は、呼称の変更とは関わりなく、現在まで看護師さんたちとは関わりを続けている。その中でも、研修のお手伝いなどをすると各種のレポートが出されることがある。それを読めば、講義した内容の理解度が確認できる。それだけでなく、自分の話が病院でどのように活用されるのかがわかる。さらに、私にとって病院や看護師が置かれている現状や課題に関する貴重な情報源である。こうしたことから、私は看護の専門的な領域の知識・技術はまったく持たないにも拘わらず、現実を「けっこう」把握している(?)のである。それが講義や研修で役立っことは言うまでもない。そんなこともあって、ある研修の受講者から出されたレポートを取り上げてみたくなった。それは講義をきちんと受け止めてもらっていることが伝わるもので、私のネタのご紹介にもなると考えたわけだ。
ただし、今日はその前置きのみでおしまいです。申し訳ございません。 |
看護婦の芸達者 2016/12/09 Fri 5193
その後、私が福岡から鹿児島に移り、鹿児島女子短期大学に在籍していたころも、看護との関わりは続いた。その中でも、ある団体が主催した看護婦対象の研修には印象深い思い出がある。その会場は観光地にある公的な宿泊施設で、そこで開催される2泊3日の研修に講師としてお呼びがかかったのである。おそらく国民宿舎だったような気がする。
研修そのものは順調に進んだ。そして最終日の前夜に、懇親会を開くので参加してほしいとのことだった。もちろん、私はそれに顔を出したのだが、これがものすごいものだった。その宴会場には少しばかりだが段差のついた舞台があり、そこで繰り広げられる各種の芸は目を瞠るものばかりだった。その中には、両手で目を塞いで指の隙間から眺めた方がいいものもあったが、どれもが愉快でお腹を抱えて笑った。とにかく芸達者揃いなのである。さらに、飲みっぷりが半端でない人も少なくなかった。私は、まだ20代のおしまいのころのだったが、今もその光景が目に浮かぶ。
その後も、この印象が強烈過ぎたためか、看護師を対象にした研修では、そのときの体験を話題にした。そのついでに、「あのときは、『看護婦さんたちにはストレスが多いんだなあ』と実感したものです」などと言うと、その場で笑いが広がるのである。 |
看護との関わり 2016/12/08 Thu 5192
看護師は基本的に勉強熱心だというのが、私の認識である。その根拠は追い追い述べるとして、私と看護関係者との付き合いは古い。
それは、恩師の三隅先生が看護協会の仕事を受けてこられて、私たちが総出で研修などをしたことからはじまる。たとえば「看護教員6ヶ月講習」と呼ばれていたと思うが、大濠公園近くの「黒田荘」や二日市の「石狩山荘」で、数年間に亘って研修をした。いま、これを書いているときに「黒田荘」と「石狩山荘」が一瞬にして思い出せる自分に感動する。人間の記憶は一体全体どうなっているのだろうか。
また、ある日いきなり三隅先生から「吉田君、温泉に行くよ」と言われた。どんな経緯でそうなったのか、今では記憶にないが、おそらくどこかの病院だったと思うが、そこの看護婦さんたち数人と玄界灘を望む温泉に出かけたのである。その際は、ハワイだったか、アメリカから来ていた日系の研究者もいっしょに行った。彼は発想も風体も「おもろ過ぎる」人物だったが、今となっては「風体」のイメージしか残っていない。それは1970年ころのことだから、すでに半世紀に近づくほど大昔の話である。
ともあれ、目的地ではおいしい食事と温泉を愉しんで帰った。それにしても、普通の日にいきなり「温泉に行くよ」と声をかけられたのである。今になっては「あれって何だったのだろう」と首をかしげる不思議な思い出である。いやあ、とにもかくにもおおらかな時代であった。 |
意味不明のメモ 2016/12/07 Wed 5191
本コラムのネタになると思うことに出会うとメモをする。かつては、それをエクセルに入力していたことがあった。しかし、そのこと自身をすっかり忘れてしまうのである。たまたま別のファイルを開けようとした際に、そのファイルに気づいて、そちらも覗いてみたところ、50件ほどのメモがあった。しかし、文字通りメモであるから、「一言、二言」である。今となっては、私がそのとき何に興味をもち、何を言いたかったのか思い出せない。
たとえば、「2013/1/19 正宗白鳥 歩きながら本を読む」とある。すでに4年近い時間が経過している。おそらくラジオで正宗白鳥が「歩きながら本を読んでいた」といったエピソードを聴いたのだと思う。そこで白鳥をネットで検索してみたが、上位にはそうした記述はなかった。まあ、それはそれでいいやと思う。
最近は歩きながらスマートフォンということだろうか。また、二宮金次郎は薪を背負って本を読みながら、おそらく歩いている。それは私たち世代の者であれば誰もが知っている銅像のイメージである。しかし、これが教育的でないという意見もあって、金次郎さんが座らせられたという話題もあった。鉄道では車内放送で「駅のホームなどで歩きながらスマートフォンを使用しないでください」と繰り返さなければならない時代である。ところで、ここまで書いたら、1回分の字数に達してしまった。つまるところ、「2013/1/19 正宗白鳥 歩きながら本を読む」と書いた趣旨は不明のままだが、これでこのメモは削除しよう。あと49個をどうするか。 |
左折してから… 2016/12/06 Tue 5190
映画の帰りに渋滞に巻き込まれ、やむを得ずJRの駅前から左折のつもりが右折に切り替えざるを得なくなりました。この方向に曲がれば、自宅へは遠回りになります。しかし、交差点でお互いに譲ろうとしない状況ですから、この方向を選択したわけです。
このルートは初めてでしたが、直ぐに左折できる道路を発見しました。これは幸運でした。この道なら、最初に行こうと思っていた大通りに比較的早く、しかも簡単に到達できるはずです。そして、それは思った通りでした。道路は真っ直ぐに延びていて、かなり先の方ですが、「大通り」に繋がっているのがわかりました。さらに車を進めて行ったのですが、大通りに入るための車がけっこう並んでいます。そこには信号がないのでなかなか入れてくれない感じです。それでも、左折ですから、そのうち入れるだろうとの思いがありました。
ところが、さらに近づくと大通りまで続いていると思っていた道が途中で駐車場になっていたのです。そこに行くまで気づいていませんでした。道路そのものは直角に右に曲がっているではありませんか。左側は大型電気店の建物があって壁になっています。 |
大渋滞のなかで… 2016/12/05 Mon 5189 12月3日の続き
久しぶりに映画を観ました。そうですね、3月20日に北野武の「女が眠るとき」からちょうど半年が経過していました。熊本のシネコンは全滅状態だったこともあり、かなりの賑わいだったのは当然でしょう。
ともあれ、2日連続で映画を観て満足し、自宅に帰るためにシネコンの駐車場に向かいました。家族で車に乗り、右折して「メイン道路」に行こうとしました。ところが、その車線にはショッピングモールに向かう車で大渋滞で、わが車が入り込む余地がありませんでした。そこで、私はやむを得ず左折することにしました。すぐ近くにあるJRの駅前から右折できるルートが頭に浮かんだのです。これまでも、そこから右方向に行く道を通ったことがあったのでした。
ところが、その日は「駅前」もバスなどの大きな車を含めて大いに渋滞しており、左右から来る車が並んでいました。しかもその多くがこちらの方に右左折するために大混乱状態でした。そこには信号もないので、その状態で右に入り込むことは相当に厳しい状況です。しかも、すぐ後ろには左折することが明らかな車がいます。私としてはやれやれと思いながら、ふと見ると左折であれば簡単にできそうです。「そうか、自分もとりあえず左折すれば、そのうち『メイン道路』に繋がる道があるだろう」という思い、ハンドルを左に切りました。 |
今月の写真 2016/12/04 Sun 5188
大地震以来、元気なころの熊本城の写真を掲載してきました。また壁紙も同じように熊本城を貼り付けることにしていました。そうこうするうちに今年も最後の月になりました。昨日は「わが家のシネコン」が復帰したことをお伝えしました。そんなこともあって、そろそろ地震前の雰囲気に戻ろうと思います。
さて、1枚目は見事な紅葉です。先月、神戸の有馬温泉に出かけることがあり、そこの瑞宝寺公園の紅葉です。その美しさに息をのんでシャッターを切りまくりました。そのうち、どれを掲載するか大いに迷ってしまいました。いまでも、「他のがよかったんじゃないか」と言う声が聞こえてきます。とにかく心が動かされますね。ところで、有馬温泉には初めて行きました。その理由については、また別の機会にお話しすることにいたしましょう。
次は、熊本大学のキャンパスの紅葉です。大学には夏目漱石も講義をした、赤レンガ造りの五高記念館があります。こちらの銀杏がすばらしいのですが、何分にも地震で大ダメージを受けてしまいました。この写真は大学の通路から「ちょっと見える景色」なのです。しかし、これまた日常的ながらちょっとばかりいいスポットだなとカメラを向けました。 |
シネコンの後に… 2016/12/03 Sat 5187
今年は4月の大地震で「わが家のシネコン」がダウンしてしまい、ずっと映画が観られない状況が続いていました。しかし、8ヶ月の時間を経て、ようやく11月23日に復活しました。ただし、私の方はと言えば、けっこう仕事が続いてバタバタとなり、いまのところ出かけるチャンスを見いだせないままでいます。
ところで、車で30分ほどのところにある光の森のシネコン「東宝シネマ」は、他に先駆けて再開していました。そんなことから、本コラムの9月27日には、そこで久しぶりに映画を愉しんだことをお伝えしました。このときは2日連続で出かけたのです。まずは前評判の高かった「シン・ゴジラ」に行きました。そして、翌日は「超高速!参勤交代」を観ました。私にとって、連チャンはめずらしいことではありません。過去には3日連続で通ったこともあるわけです。後者の「超高速!参勤交代」は完璧な喜劇ですが、これは続編と言うべきもので、前編も観ていました。家族で「あれっておもしろかったよね」ということで出かけたのでした。
それなりに愉しんで、30分ほどかけてわが家に帰ることになりました。ここまでは何のこともなかったのです。ところが、それから10分ほど経って、予期せぬ出来事に遭遇することになるのです。 |
NOTEのメカニズム 2016/12/02 Fri 5186
日産「NOTE」のチラシに文句を付けたところ、ある方が、さっそくそのメカニズムを教えてくださいました。実際に試乗されたそうです。ともあれ、車には40リットルほどのガソリンを入れるそうで、それでエンジンを動かすのです。ただし、そのエンジンは動力ではなく発電機を回すんですね。その電気でモーターが回転して車が走るというメカなのだそうです。つまり動力はあくまで電気モーターというわけです。もちろん走り始めると、そのエネルギーで発電しますから、「走りながら充電」という触れ込みです。
そうした構造ですから、バッテリーが消耗すると走行中に発電用のエンジンがかかるので、慣れないと違和感があるそうです。また、「NOTE」はアクセルにブレーキ機能も持っているのだそうです。アクセルを緩めると同時にブレーキがかかるという話でした。
そんなこんなで、なかなかおもしろい車だというのが、その方の意見でした。一度、試乗してみられるといいですよとのお勧めもありました。
おかげさまで、、チラシの話題から新しい情報を得ることができました。ただし、チラシの「情報不足感」はそのままです。 |
フランス人の視点 2016/12/01 Thu 5185
フランス人の研究者と話したことがある。彼は日本のことにも関心があるらしく、おもしろい視点を提供してくれた。「日本人は『白か黒』かを決めるのが好きみたいですね。いろいろな出来事に対する日本人の反応を見ていると、国全体で『絶対賛成』か『絶対反対』に分けられるような気がします。その点、自分たちフランスでは、基本は『51対49』の精神なんです。政治も選挙も、支持が『51対49』の感じでいく。だから、ある政党がうまくやらなければ、すぐに別の政党に支持が回るというわけです」。
まあ、現実がどうなっているのかはわからないが、彼は「日本の極端さ」が印象的だというのである。たしかに、NHKの政治討論を聴いていても、いくつかの政党の間では相当に割れている。もっとも、「自分たちは違うんだぞ」と、他の政党との違いをアピールしないと存在感がなくなってしまうから、これもまた一つの戦術なのである。その点、人数は少ないが、このごろは「是々非々」を強調する政党もいくつかある。
それにしても、そのときどきの出来事で、丁々発止で議論している場面に充ち満ちている。とりわけ選挙前はこの傾向が強いのは、少しでも当選者を増やすためには仕方がないのだろう。有権者はそうしたところも見極める必要がある。どの政党の代表者も、自分に有利なデーターをピックアップしてアピールしますからね。
政治家の皆さんは、こうした議論を録画していて、半年に1回くらいは合同試聴会をされてはどうかと思う。そうすれば、ご自分たちが直近の出来事で大騒ぎして、長期的な展望に欠けた議論をしていることがおわかりになりますよ。 |
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