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味な話の素
No.163  2016年11月号(5154-5184)  Since 2003/04/29
チラシの情報 2016/11/30 Wed 5184
 特定の会社を取り上げるのは、すこしばかり抵抗を感じるが、事実の範囲内で感想を述べたい。それは新聞に入っていた新車のチラシのことである。
 まずはオレンジ色の新車が目に飛び込んできた。日産の「NOTE誕生」の文字が躍る。「充電を気にせず、どこまでも。電気自動車のまったく新しいカタチ」。さらに、「それは、発電しながら電気で走る、電気自動車新型ノート e-POWER」と続く。とにかく、チラシの上から右から、その下まで一気に迫ってくる。そこで、「充電を気にせず、どこまでも」の意味を知りたくなった。ところが、ここでハタと行き詰まるのである。その情報がすぐには見つからないのだ。
 こうした場合によくあることだが、虫眼鏡を使っても読めないほど小さな文字の部分がある。そこで、型どおりに虫眼鏡で覗いてみたが、そこにも書いていない。まさか電気自動車が「まったく充電なし」で走るんだろうか。何と言っても「充電しながら」なのだから、そうかもしれない。とりあえず、「燃料消費率について」という下りはあるが、それが何を意味するのかも、これまたわからない。「それで、どのくらい走るのよ」と聴きたくなる。とにもかくにも売り込みたい気持ちは伝わるのだが、消費者が知りたいことが書かれていない。ひょっとして、高齢者だから気づかないのかもしれないけれど、読む側に立っていないなあと思う。
 もっとも、この手のチラシは他社の販売店でも同じだろう。いまのところ、私は車を購入する状況にないが、つい目に入ったチラシにものを言いたくなった。
 
「ことば」というもの 2016/11/29 Tue 5183
 同じ「ことば」でも、それが持っている意味と与える影響は人によって違っている。「ことば」の「意味」は、各人の経験や周囲の人たち、さらには育ってきた文化などによって異なるからである。
 かくして、私は小学校5年生のとき、「あの事件」に遭遇して、「いぬ」という「ことば」に、そして犬そのものに恐怖感を持つようになった。それを克服した時期は定かではない。おそらく高校生のころまでには、その「外傷体験」も過去のものになっていたと思う。
 その一方で「いぬ」と聴いて心地よくなる人も大勢いる。私の身近なところでは、孫はその一人で、「いぬ」と聴けばニッコリ笑うはずだ。それは、母親の実家に犬がいて、赤ん坊のころから友だちのように馴染んでいたからである。孫にとっては「いぬ」が楽しい仲間として頭の中に映るのである。その「ワンちゃん」も高齢のため、あの世に逝ってしまった。ともあれ、「いぬ」ということばを聴いたときの反応が、私の小学5年生から数年間と、孫とでは大違いなのである。
 こうしたことは、あらゆる「ことば」に当てはまる。そんなわけで、「『ことば』は誰でも知っている。だからみんなに通じる」と同時に、「本当は知らない。それが『ことば』」という事実を押さえておきたい。「こんなわかりきったことを言っても通じないのは、相手に問題がある」と言い切らずに、「どうして通じないのか」を考える時間がほしい。
「いぬ」の外傷体験 2016/11/28 Mon 5182
 狂犬病ではなかったものの、「犬に噛まれた」衝撃的な事件は私の記憶にしっかり刻印された。あのワンちゃんの顔はいまでも蘇る。そもそも犬の寿命は30年にも満たないという。そうなると、彼か彼女かは不明のままだが、私に噛みつくなどとんでもないことをしてしまったのだから、きっと地獄に落ちたに違いない。
 いやいや、そんな無慈悲な発想は排除しないといけない。人は「許す」力を発揮できる唯一の生き物ではないのか。一生を通じて非寛容であり続けることは、それだけで不幸だと思う。そんなことでは、天国まで行けても楽しくないだろう。
 さて、昨日から「犬に噛まれた」と絶叫しているのだが、現実には、よく見ると噛まれた後がわかる程度の被害だった。つまりは大げさなのである。とは言え、小学4年生の私にとって、それは大事件であった。この後の数年間、私は子犬が近づいてきても恐怖に怯えた。道をあるいていても、ずっと前方からチェーンを付けて犬の散歩をしている人が見えただけで、道の反対側に渡ってすれ違った。そして、日常の会話の中に「犬」が登場したときは、いつもあの顔が脳内のスクリーンにワイドで映り出されるのであった。それが克服されたのは、高校生になってからだったのではないか。
 これが、そのころ私が「いぬ」と聴いたときの心理的反応であった。
 
缶蹴り事件 2016/11/27 Sun 5181
 さて、伊万里に引っ越した次の年、私が小学5年生のときだが、ある「いぬ」と衝撃的な出会いをした。家の近くに金比羅さんという小さな山があった。その頂上付近に神社があり、境内には立派な土俵が作られていた。その季節は思い出さないが、農家の若者たちが相撲を取る大会もあった。まだ多くの若い人たちが農業を営んでいた時代である。青年団の活動も活発だった。
 その境内で、私は友だちと缶蹴りをしていた。鬼がスキ見せたと判断した私は、背中を向けている鬼に近づいて、缶を勢いよく蹴った。それから脱兎のごとく逃げたまでは予定通りだった。ところが、ほんの数歩だけ走ったときである。右足のふくらはぎあたりに激痛が走った。
 何が起きたかと驚いた私の足を犬が噛みついていたのである。その瞬間、私の体に痛みよりも恐怖感が走った。それはまだ1950年台のことである。担任の先生の警告が頭に浮かんだのだ。「おーいみんな、このごろ街の中で野良犬が増えたの知ってるか。とくに目がうつろで、よだれをたらしている犬には気をつけろよ。噛まれたら死ぬぞ」。何とも恐ろしいことだが、当時は、狂犬病の野良犬がいたのである。私が痛みよりも恐怖感を抱いたのは当然であった。もっとも、あの事件から60年もの際月が経過した。いまも命は長らえているから、私に噛みついた犬は狂犬病を患ってはいなかったことになる。
 
転校事情 2016/11/26 Sat 5180
 伊万里に引っ越したとき、私は小学4年生だった。父の職場は7月の異動が一般的であった。そこで、まずは父が先に勤務地へ赴任し、母と子どもたちは夏休みに入ってから転校する。私は、伊万里小学校を卒業して伊万里中学校に入学した。ただし、2年生のときに福岡に引っ越すことになる。つまり、私は小学校と中学校のそれぞれで入学と卒業が異なるのである。
 私の妹は3歳違いだから、まずは行橋小学校1年生で伊万里小学校に転校し、さらに小学5年生になってから、今度は福岡市の香椎小学校に移った。そして、香椎中学校に入学したものの、3年生のときに父が転勤になった長崎市に移っていく。さらに長崎南高校に入学したかと思うと、また佐賀県の武雄高校に転校している。
 今日では、父親が単身赴任するのが常識になった感がある。しかし、父と母の性格から推測すれば、いまでも家族ごと引っ越しの可能性が高いのではないかと思う。父は身の回りのことを何もできなかったから。もちろん、父母ともこの世にいないから、実際にどんな結論を出すのかわからない。
 私は香椎中学校を卒業し、福岡市内の県立高校に入学した。父の長崎転勤は2年生のときだったが、私は一人で下宿することを選んだ。したがって、妹ほどには転校を経験していない。私が福岡で過ごしたのは、1962年7月から1973年3月までの18年8か月の青春時代である。この間、結婚もし、父親にもなった。
住宅事情 2016/11/25 Fri 5179
 行橋から引っ越しのトラックに乗って延々と走り続けて伊万里の町に着いた。そこで、いよいよ父が借りた「家」まで行くのだが、この道も、有史以来トラックが走った記録がないと思われるほど狭かった。その後、これよりも相対的には「広い」道路があったことがわかるのだが、そのときは運送会社の運転士さんも気づかなかったのである。
 その道を危うい感じで少しばかり進んだとき、左側に農家の庭が見えた。そこで2人の子どもが向き合っていた。その様子から、彼らが喧嘩していることは明らかだった。一人は空手のような構えで相手を威嚇していた。それを見た父は、じつに嬉しそうな表情をして、「おおっ、やっとるなあ」と笑った。何とも不謹慎であるが、「火事と喧嘩は江戸の華」と言い、さらには、「よその火事と喧嘩は大きいほどおもしろい」などと言って憚らない時代であった。そのとき私は父が相撲のような格闘技が好きであることを思った。
 もう60年ほども前のことなのに、なぜかこの光景を思い出すのである。それから数分で伊万里の「わが家」に着いた。そこは二階建の大きなお屋敷だった。それは家主さんのお家で、吉田家は二階の二部屋と一階の一部屋を借りたのである。いわゆる間借りだった。もう一家族、若い夫婦が一部屋を借りていた。ご主人は学校の先生だった。
 これが、1960年前後におけるわが国の住宅事情であった。
 
伊万里への道 2016/11/24 Thu 5178
 私の「犬物語」は、伊万里小学校5年生のときに起きた大事件をテーマにしたものである。父の転勤で、私たち家族は福岡県の行橋市から佐賀県の伊万里市に移ることになった。それは私が4年生の夏のことだが、その引っ越し途中の光景をいまでも思い出すことができる。
 当時の道路事情はとにかく悲惨だった。引っ越しはいつものように、トラックを使った。もう詳しくは記憶にないが、少なくとも父と私はトラックに同乗した。母と妹がどうしたのか、いまでは記憶にない。トラックには運転士だけでなく、もう一人の引っ越し担当者がいたと思う。それだけでも4人である。いまから60年も前のトラックにどうやって乗ったのかと思う。
 さて、ナビタイムで検索すると、この間の距離は155kmほどある。所要時間は2時間34分と出たが、これは現在の話である。当時は高速道路などないし、道幅も狭く舗装されているところも多くはなかった。これに休憩も入れたはずだから、5時間近くかかったのではないか。
 私は運転席のどこかに座っていた。途中で「大都会(?)」の福岡市を通り過ぎた記憶もある。「姪浜」という変わった名前も、そのとき知った。それは、おそらく唐津に向かう山の中の道だったと思う。カーブの当たりで突如として前方から車が突進して来た。運転席の全員が「うわ。わーっ」と叫んだ。あやうく衝突しそうになったのだった。トラックの窓から横を見ると、子どもの目には断崖絶壁があった。
 そんなリアルな光景が、このときのことを思い出すたびに私の心のスクリーンに映し出される。
 
「いぬ」って、知ってますか 2016/11/23 Wed 5177
 私は対人コミュニケーションの話をする際に、「いぬ」をネタを使う。まずは、「皆さん『いぬ』」ということばをご存じですか。また『はは』はどうでしょうか」と問いかける。何ともしょうもない質問である。この世の中に「いぬ」や「はは」を知らない人がいるはずがないのである。だから全員が「知っている」という反応をする。ここでわざわざ手を挙げたり頷いたりする人もいない。そんなもの答えるまでもないからである。
 もっとも、中には、「またはじまった。今度はどんなことで引っかけるの」と心のなかで笑っている方もいらっしゃるだろうと思う。その期待に応えるわけではないが、私もにやりと笑いながら、「そうですよね。子どもだって『いぬ』って知ってますよね」と続ける。
 しかし、それから改めて、「でも、本当に『犬』を知っていますか」と問いかける。ここまで来ると、大抵の人が「何かを言うな」という予感に満ちた表情になる。そこで「私は小学校5年生のときに、PTSDはオーバーですが、『犬』と関わってもの凄いショックを受ける体験をしました。皆さんは、その『犬』をご存じですか」と、やや声を大きくする。
 当然のことながら「そんなもん、知ってるわけないじゃない」という反応が返ってくる。ややあきれ気味とも見える苦笑も浮かぶ。それを確かめた上で、「じゃあ、みなさんが『犬』を知っているというのは正しくないのですよね」と、やや鼻を膨らませながら問いかけ直すのである。その上で、私はスライドに小学校5年生のときに撮った写真も挿入しながら、「私の『犬』」の物語をはじめる。
 
マイナンバー対応の大違い 2016/11/22 Tue 5176
 マイナンバー制度が導入された。この運用に対する組織の対応がじつに多様である。とにかく「個人番号」だからプライバシー保護には最大の注意を払うことが期待されているはずだ。
 そうしたなかで、私が体験した、もっとも厳密なケースでは、担当者が東京からお見えになった。その目的は、「マイナンバーの提供をご依頼し、その承認をいただくため」だった。本人に会って「承諾の確認」を得るだけのために来られたというのである。その後改めて専門の担当者が「提供依頼」を行うのである。私は、そこまでするのかと驚いた。
 次は、出かけた先で「マイナンバー」の提供を依頼され、それを承諾すると、「マイナンバー」専任担当者がいらっしゃるという段取りである。これもしっかり対応されているという印象を受ける。
 また、郵便で依頼はあるが、必要書類は「簡易書留」で返送するケースもある。
 さらに、返信用の封筒は入っているが、単なる普通の封書で、しかも担当部課名は記されているが、それを取り扱う個人名も書かれていないものもある。これは誰が開封するかもわからず、「個人情報」を大事にしようという意思が伝わっていない。じつは、いくつかの公的な機関がこれだった。時代環境を踏まえれば、対応が甘いと言わざるを得ない。私はそのことを同封して送ったが、そもそも問題に気づいていらっしゃらなかった風だった。
 そんなこんなで、このシステム、どう考えてもどこかで必ず「個人番号」は漏れるに違いないと妙に確信している。
年寄りの食い過ぎ 2016/11/21 Mon 5175
 あるところで講演を依頼され、マネージした団体の方の車で送っていただいた。午後からの開始だったことから、昼食として弁当が準備されていた。よくある幕の内である。それを担当者と向かい合わせで食べた。私はいつものようにしっかり食べて、ふと前を見ると先方は少し遅れて完食という状況だった。このごろは「ゆっくり食べる」ことを心懸けているのだが、この日はちょいと早食いだった。もう68歳にもなる高齢者なのだから、よく噛んで食べないといけないのである。
 それはそうとして、ふと思いついた。私の目の前にいる担当者は、20代と思われる若者である。しかも、おそらく身長は180cm台でも後半かと思われるほど大柄である。体重だって100kg近いに違いない。そんな若者が必要とするカロリーは少なくとも私よりも相当に多いはずである。それにも拘わらず、卵焼き1枚ほどではあるものの、私の方が先に完食するなど、いかにも問題ではないか。つまりは「年寄りの食い過ぎ」なのである。かつて、私は66kgバージョンだったが、8年ほど前にスーパーダイエットに挑戦した。その結果、1年間で20%の減量に成功し、54kgになった。それから7年間以上、これを維持してはいる。しかし、こんな食いっぷりを見ていると、もう少しは控えるべきであると猛省している。
 
今月の写真 2016/11/20 Sun 5174
 今月の写真は、いつもの熊本城とわが家のハイビスカスである。私はこの位置から撮った熊本城は「ベスト3」の一つだと思っている。手前のがっしりした宇土櫓の向こうに大小の天守閣が並んでいる。これは加藤神社から見たのものだ。加藤神社は、その名の通り加藤清正公に由来する。わが家の初詣の定番である。また、子どもも孫たちの七五三もここで祝った。熊本では清正のことを「せいしょこさん」と親しみを込めて呼んでいる。清正公が熊本城を造ったことは世に知られている。そのお城が地震で壊れてしまった。わが家は、自分たち夫婦の両親から子どもたち、そして孫も含めて「一口城主」である。そして、つい先だっては「復興城主」への誘いが来た。これが大盛況で、あっという間に一億円を超えたという。わが家も、そのつもりでいる。ともあれ、ラグビーのワールドカップまでには、天守閣の領域は復興されるという。あと3年らしいから、それくらいまでなら、私も元気でいる可能性は高い。
 もう一枚はハイビスカスだが、地震にめげずしっかり咲いてくれたと感動している。あの大揺れでベランダの鉢植えなどは総崩れになった。その結果、再起不能のものも出てきてしまった。そんな中で、とにかく真っ赤な大きな花を咲かせてくれたのがハイビスカスだった。それを見るだけで、気持ちが前向きになれるのは、生き物の不思議な力である。
 
ニコンの苦境 2016/11/19 Sat 5173
 先日、日本経済新聞に、ニコンが国内で、1,000人規模の人員削減を計画しているという記事が出た。これは現在いる従業員の1割に当たるという。あのニコンが厳しい状況に追い込まれていることを知った。その理由はカメラの需要が減ったことにあるようだ。このごろは、スナップ写真をスマートフォンで済ませる人が増えた。私の身の周りでも、カメラを持ち歩いている人がめっきり減った。というよりも、カメラそのものを見なくなった感すらある。こうした事情がニコンを追い込んだことは理解できる。たしかに厳しいが、ある意味ではカメラを取り巻く環境の構造的な変化が原因なのである。
 しかし、問題はそれに止まらない。それは光学技術を駆使した半導体装置のシェアをオランダのAMSLという会社に奪われたことである。ニコンはこの分野で世界のトップを走っていたという。転落の理由は、台湾や韓国が求める高速処理技術で追い越されたことによるようだ。半導体の製造技術と聞けば、単なるモノづくりと思われそうだが、じつは、そこに入れ込むノウハウというか、ソフトウエアが決定的な力をもっているに違いない。そうでなければ、この分野でも台湾や韓国がすでに世界を席巻しているだろう。
 こうなると、これはニコンだけの問題ではない深刻さが漂う。わが国はハードの生産で世界のトップを走ることができなくなった。そこで、ソフトウエア技術などで力を発揮することが生き残る方策なのである。しかし、それが危うい状況がニコンを通して見えてきた。
NTの反省 2016/11/18 Fri 5172
 トランプ氏がどれだけ現実的な政治をするのかわからない。しかし、選挙中の「ことば」どおりにはいかないことを、本人が最もよく承知しているはずだ。それにしても、当選後に全米で反トランプを訴えるデモが多発している。それが現実にどのくらいの動きになっているのかはわからない。ただ、トランプ氏は選挙のルールに違反したのではないようだから、アンチ・トランプデモの評価はどうなるのだろう。
 ところで、有力なマスコミは揃って反トランプに徹し、かつ選挙結果の予測で間違った。こうした中で、その対応に注目していたが、ニューヨーク・タイムズ紙は13日付けで、「我々は新大統領に対し、公正な報道を続ける」とするメッセージを発表した。 「選挙結果は劇的で予想外だった。トランプ氏が全く型破りだったため、我々メディアは彼に対する有権者の支持を過小評価したのか。なぜこのような結果となったのか」などと振り返っているという。さらに「選挙の重大な結果と、それに先立つ報道や世論調査を踏まえ、あらためてジャーナリズムの基本的な役割を果たすことをめざす」と書かれているらしい。
 「公正な報道」を続けるのはジャーナリズムの命である。しかし、今回はその精神が動揺したことを自ら認めたということだろう。すでに本欄で書いたが、この選挙はジャーナリズムの信頼性に疑問を投げかけるターニングポイントになるのではないか。その一方でSNSを代表にしたネットによる情報が人々の行動に影響を与える力を持ったのである。われわれは、それが「政治を動かす」可能性のあることを認識すべき時代に生きているのである。
 
お隣の情勢 2016/11/17 Thu 5171
 お隣の韓国は大変なことになっている。朴槿恵大統領に対する大疑惑である。ご本人がすでに瀬戸際にまで達している。
 もともと韓国では 大統領が任期満了で辞めた後に罪に問われるのが決まりになっているかのようである。その中には、後に特赦を受けるものの、死刑判決まで出た全斗煥氏もいる。また、盧武鉉氏は、在任中の収賄疑惑で退任後に捜査を受け自殺している。ノーベル平和賞を受賞した金大中氏は清潔が売りだった感があり、ご本人は問題なかったが、それでも息子3人が賄賂で逮捕されている。そんなこんなで、我々の感覚ではほとんど理解不能な事態が起き続けている。
 それにしても、今回は現職の大統領である。その点で、これまでの問題とは質が違っている。朴槿恵大統領の父親は朴正煕大統領である。父親を狙った暗殺未遂の流れ弾で母親が亡くなり、しばらくして大統領自身も側近に殺害されている。父親が親日的だったことで、国民から同じ見方をされないためか、娘の朴大統領は就任直後から日本に対してハードな対応をとり続けた。その一方で、中国が主催した「抗日戦争勝利・世界ファシズム戦争勝利70周年記念式典」の軍事パレードには第一級の賓客として出席した。こうした対応も、あのサポーターというか、あるいは黒幕の知恵が入っていたのだろうか。
 現職大統領が、検察の尋問を受けるとは、前代未聞である。ここまでくると、辞任後に起きることは容易に推測できる。そして、その行く末は厳しいものとならざるを得ない。
 
砂上の楼閣 2016/11/16 Wed 5170
 博多駅前通りの陥没にはとにかく驚いた。最初に映像を見たときには、どこで何が起きたのかわからなかった。何とも信じがたいトラブルである。
 ただ、その後は直ちに関係者が動いて通行止めにする迅速な対応を取ったことが評価されていた。そもそも、そんなことは起きないのが前提だから、そのときの対応が素晴しいとほめられるのも皮肉な感じがする。その後は日本人のお得意とする突貫工事で、わずか一週間であっという間に修復したのにも驚いた。しかし、それもまた起きてはいけないことが起きたためである。
 それにしても道路はいかにも薄く、そのすぐ下は砂の層だった。さらに砂の下は粘土で、それから岩盤に出会う。地球の歴史から考えてみれば、まずは岩盤があって、その上に粘土や砂が風に飛ばされたり、水で運ばれたりして堆積していく。とくに水の中では相対的に重い粘土が先に沈み、その上に砂が乗っかるという理屈である。人間はその上に建物を乗せて生活しているわけだ。岩盤まで杭を打っているとは言うものの、すべてが「砂上の楼閣」なのである。
 この地下構造は博多駅前通りだけでないことは当然である。それどころか、日本国中が同じなのに違いない。つまりは、車で走ったり、歩いたりしている道の下はすべて砂の層だと考えるべきなのである。いつもは、そこに水が流れていないとしても、大雨などで水が浸み込めば、とてつもなく脆弱になる道理だ。我々はそうした環境の中に生きているのである。
 
伝統の味わい 2016/11/15 Tue 5169
 熊本市から国道3号線を1時間ほど南に下ると、八代郡氷川町に至る。ここは西武とダイエーで活躍した秋山幸二選手の出身地でもある。さて、熊本から見れば、国道3号線から左に入り込んでいくのだが、口頭や文字で伝えることはあきらめてしまった方がいい、そんなところに小さなお店がある。「白玉屋新三郎」である。その名の通り、「白玉粉」のお店で、創業370年という。それも、「極上 白玉粉」なのだ。国産の水稲餅米100%がセールスポイントである。
 子どものころから、お団子など、この系統のものが大好きだった。いまは熊本城の併設施設である「城彩苑」に出店があるので、いつでも買えるようにはなった。しかし、やはりあの「口では言いにくい」ところにある「本店」でスイーツを味わうのは、やはり格別なのである。こぢんまりし過ぎているのが何よりいい。
 ところで、子どものころから葛湯も大好きだった。とくに冬になると容器に入れた粉末に熱湯を勢いよく注ぎながらスプーンでグルグル回す。あっという間に不透明のゼリー状に仕上がるのがじつに楽しかった。そのできあがりの粘度も大事で、あまり固くなりすぎるとおいしくない。もちろん、液状では味わえないのである。ただし、かなり大きくなってから、これは本物の葛湯ではないことを知った。つまりは片栗粉を使っていたのである。しかし、このごろは、これまた「極上(?)葛粉」を楽しめる年齢になった。そして、葛湯の季節がやってきた。
 
9本で途切れた映画 2016/11/14 Mon 5168
 そもそもの映画好きで、その中でも今年の出足にはすさまじさがありました。この春3月の時点で9本を観ていました。
 それぞれの内容までお伝えするのは止めておきますが、まずは元日の「クリード チャンプを継ぐ男」からはじまりました。シルヴェスター・ スタローンの「ロッキー」の続きです。スタローンがコーチになっていました。そして9日は「ブリッジ・オブ・スパイ」で、東西冷戦時代の捕虜交換物語です。さらに。11日は邦画の「人生の約束」を観ました。自分でも見たことのある日本アルプスの姿が印象的でした。そして、1月末の30日には「ブラック・スキャンダル」です。幼なじみの3人がギャングとFBI捜査官、そして政治家になって関わるという実話ものでした。ジョニー・デップの映画は初めて見ましたが、もの凄い演技でした。こうして1月は早くも4本になったのです。
 そして、2月7日には邦画の「残穢(ざんえ)」、13日には「さらば 危ない刑事」と続きます。後者は、主人公の舘ひろしと柴田恭兵が「定年」を迎える話で、タイトル通り「おしまい」との触れ込みでした。私は「ドンパチもの」に関心はないのですが、とにかく「最後」となれば観ておこうと思ったわけです。2月は2本ですが、すでに6本達成です。
 そして、3月になり、12日に山田洋次監督の「家族はつらいよ」にいきました。高齢者の夫婦に関わる問題を題材にした物語でしたが、これからこの手のものが増えるでしょう。そして、18日は「エベレスト 神々の山嶺」で、山岳ものとしてけっこう楽しめました。この3月の2本目は20日のことで、「女が眠る時」という北野武が主演の奇妙な映画を観ました。これで3月までに9本クリアで、今年は40本は確実だなどと思っていました。
 そんな中で、4月14日、16日に大きな地震が襲ってきました。
 
早朝夕刊(am5:50)one man bus 2016/11/13(2) Sun 5167
 本コラムの11日に、〝one man bus〟は「和製英語」だと書いていました。これは、NHKの「ラジオ実践ビジネス英語」で講師の杉田敏氏が話題として取り上げた中で出てきたものでした。それについて、いつも本欄をお読みいただいている方から情報がありました。小学館の「ランダムハウス英和大辞典第2版(1994年)」に、「“a one-man bus” <(近代)英語>ワンマンバス」という解説が載っているとのことです。また、研究社の「リーダーズ英和辞典第3版(2012年)」にも「”a one-man operated bus” ワンマンバス」 という解説があるという情報です。まことに貴重な情報をいただいて、本当にありがとうございます。私も「ランダムハウス」を持っているのですが、本日はとある温泉地におりまして見ることができません。
 杉田敏氏は72歳ですが、「和製ロバート・キャンベル」とも言うべき、ビジネス英語の達人です。アメリカ人が「聞いたことがない」と舌を巻くこともある実力者です。その方の解説でしたから、さっそくネタにしたのでした。
 
挨拶の返事 2016/11/13 Sun 5166
 教育実習生に対する中学生の声に、「おしゃべりをしていて挨拶をしても返事をかえして来ない先生がいた」というのがありました。私たちは自分の働きかけが効果を産み出すことを期待します。こちらが挨拶をしたら、相手からも即座に挨拶が返ってくる。それもできればにこやかなものがいいですね。こうしたやりとりがお互いの関係を良好なものにするすることは言うまでもありません。
 ただし、その挨拶に先方が気づかないことはあり得ます。そんなときは、何の反応がなくても仕方がありません。それでも相手に気づいてもらうために再チャレンジするかどうかは、こちらの気持ちとそのときの状況によります。この中学生の場合、「気づいているはずなのに、挨拶を返してくれなかった」と不満を述べているのだと思います。このときどうだったのかはわかりませんが、教育実習生にとっては厳しい指摘です。
 人間はおもしろい生き物だと思います。一瞬、誰かなあと思う人がニッコリ微笑んでくれる。それで瞬間的にこちらも笑顔をつくって返します。すると、その人の目線が自分とは違う方に向いて、横から「いやあ、お元気ですか」という声が聞こえるわけです。それから二人は話をはじめます。「なあんだ、私じゃあなかったんだあ」。心のなかで「あの人は自分の勘違いに気づいたかなあ」と苦笑いした体験はございませんんか。
裏表前後 2016/11/12 Sat 5165
 その昔、わが家には「裏表前後(うらおもて・まえうしろ)」という用語があった。わが父は下着のシャツを「裏表前後」に着ていることがめずらしくなかったのである。家族はそれに気づいて、とくに母が「お父さん、裏表」などと言う。これに対して父は平然として「そこにあったままを着ただけだ」と答えるのである。さすがに、「裏表」と「前後」が同時発生することは少なかったと思う。とくに「裏表」はたまたまそうなっていただけで、母は洗濯物をきちんと整理する、いやし過ぎるほどの性格だった。そこはきちんと説明しておかないと母の名誉に関わる。
 ここで問題なのは父の「あまりにも自然体過ぎる」発想の方だった。いくら父でも意図的に「前後」を選択していたとは考えにくい。つまり、シャツをかぶってしまったら「前後」状態になった。そこで着直すことをしなかっただけのことだろう。
 さて、つい先だってのことである。息子一家と共に食事に出かけた。そのお店には靴箱があり、家内が私の靴も入れてくれた。そこまではよかったが、家内が「何これ!」と嬌声を上げた。なんと、私の靴が右と左で違っていたのである。私自身、それを指摘されるまでまったく気づかなかった。自宅の靴箱から取り出す際に、二足のうち真ん中から「一足」を選択したことになる。家内は「履いたとき違和感がないなんて信じられない」と言うのだが、ごく「自然に」履いていたのである。私は父のDNAを継いでいるに違いない。
 
ワンマン 2016/11/11 Fri 5164
 〝one man〟は文字通り「一人」ということである。ただし、「独裁的・独断的」という意味で使うのは日本だけであり、いわゆる「和製英語」である。だから、〝one man bus〟も「和製英語」であって、英語では〝conductorless bus〟というらしい(NHK ラジオ 実践ビジネス英語)。「車掌がいないバス」というのだから、そもそも「バスには車掌がいる」ことを前提にしているように思われる。日本でも観光バスは「車掌」というよりも「ガイド」がいる。
 私が子どものころ、「私は東京のバスガール」という歌詞の流行歌があった。コロンビア・ローズという歌手が歌っていた。この「バスガール」もビカビカの「和製英語」である。どう考えても「バスの少女」なんて言うわけがない。
 ところで、〝one man〟の方だが、今日でも「ワンマン社長」などと言ったりする。つまりは専制的、独裁的で部下の言うことを聴かない社長さんである。この人が組織を運営すると「ワンマン経営」ということになる。つい先だっても取り上げたが、勧告のSAMSUNGなどは典型的な「ワンマン経営」ということなのだろうか。
 もちろん「ワンマン」といっても、その取り巻きがいるわけで、彼等が「ワンマン経営者」の言うことを忠実に実行に移すのである。そのうち、自分たちの既得権を守ることが主要な目標となる。そうした状況を維持するために、「ワンマン」に耳当たりのいいことだけを伝える。こうして、正しい情報が隠され、気づいたときには完璧に手遅れ状態という悲劇が待っている。しかし、それ以上の悲劇は真面目に働いている人々が路頭に迷うことである。
 
ジョーカーの選択 2016/11/10 Thu 5163
 それだけ国民の不満が鬱積していたということである。トランプ氏が当選した理由である。とんでもない過激な演説が大衆の心を動かす。同じような光景は歴史の中で繰り返し見てきた。そして今度はアメリカ国民がそうした選択をした。
 また、マスコミから発信された情報がまったく効果をもたなかったことも印象的だ。とにかく、有力紙を含めて圧倒的多数がトランプを非難攻撃した。しかし、マスコミがオピニオンリーダーたり得なかったのである。これは歴史的な出来事と言っていい。おそらくはネットの世界における情報の方が影響を与えたに違いない。そのことをマスコミがきちんと分析するかどうかにも関心がある。それは自分たちの影響力低下を認めることになるのだから、この点をどこまで掘り下げるかを見守りたい。
 それにしても、洋の東西を問わず世論は簡単に揺れる。スキャンダルがあると支持率が低下する。それが、対立する側のマイナス情報が流されると、今度はそちらの支持率が急落する。まるでシーソーゲームである。
 それにしても、不人気者同士の闘いと言われた。これはアメリカ国民にとって大いなる不幸だった。クリントン氏も私用メールで国家機密に関する情報をやりとりするなど、素人ですら信じられないことをしていた。自分なら何をやっても問題ないといった驕りがあったのだろう。TPPも推進役から突如として反対に転じた。何のことはない、有権者に耳あたりのいいことを言うだけのことなのだ。そんなことをしていては、子どもからだって顰蹙を買う。
 トランプ氏も口で言ったほどのことはできないに違いない。国民はジョーカーを引いた可能性がある。アメリカではかなり早い時期に失望が広がるのではないか。少し前のどこかの国と同じように…。
 
小さな自惚れ 2016/11/09 Wed 5162
 おかげで、まだ元気でいる。熊本大学でもシニア教授という立場で仕事を継続している。ありがたいことに、現役時代の研究室をそのまま使わせていただいている。また、担当する授業もほとんど変わらない。つまりは、外部の方からは「まったく同じ」ように見えると思う。ありがたいことである。
 職業人としては九大で助手を2年間した後に鹿児島女子短期大学の講師になった。そこで1年半お世話になってから熊大に移った。それから34年半を熊大で過ごした。その間、いろいろな仕事をさせていただいた。けっこう遠方でのものもあり、その打合せでご担当の方が熊本へお見えになることも少なくない。こんなとき、私は「小さな自惚れ」を感じる。
 それは熊本、それもこぢんまりした附属施設にまで来ていただけるからである。やや自虐的になるが、地方の小さな施設にいる人間のところへ、足を運んでくださる方がいらっしゃる。それだけでも「私もそこそこの仕事ができている」という思いになるのである。
 たしかに研究上の刺激は、東京をはじめとした大都会で、しかも多くの研究者がいる組織にいた方が圧倒的に多い。しかし、私としては、「どんなところにいても、できる仕事はある」ことを体感してきた。むしろ、地方から発信することは「けっこうカッコいい」と思っている自分がいる。おかげで、かなり先の仕事にもお声をかけていただいている。このごろは、「元気であればですよ」との条件を付けてお請けするようになった。ありがたや、ありがたや。
 
プレゼンテーションの技術 2016/11/08 Tue 5161
 教育実習生に対する中学生の声に、「映像が小さかった」というものがありました。ここでは「映像」と表現されていますが、パワーポイントのスライドを指していると思われます。この点は、教師に限らず、多くのプレゼンテーション時のスライドに対して指摘されることです。その昔、私はいつもOHPを使っていました。これは相手に与える印象が強く、じつに便利なものでした。私は「OHPをご準備いただけないなら、お話しはできない」などと、じつに不遜きわまりないことを言っていたほどです。
 ただ、OHPの場合は資料を作成する際にコピーが必要でした。また、手書きではパットしないので、ワープロ化し、それを印刷したものを原紙にしてOHP(トランスペアランシー)をつくっていました。そうした状況がパワーポイントが登場してから一変しました。視覚的なものであれば何でもできると言っても言い過ぎではありません。もちろん音声も自由自在という感じです。
 そもそも学校教育においては予算措置が十分でなく、新しい機器の導入には長い時間がかかることが多かったのです。ところが、時代の流れの中で、学校にもコンピューターの導入がそれなりに進んでいたこともあって、それまでの新しい道具の導入と比較すれば、短期間にパワーポイントが使われるようになったのです。それには教師側にも、そうしたソフトが使える人材が育っていたこともプラスに働きました。これは教育界にとっても革命的な教育手段の登場だったのです。
 ただし、ここで生徒から指摘されているように、「映像や字が小さくて見えない」といった訴えも頻繁に出てきます。このあたりは教材作成技術の問題でもあります。今後は、こうした面での教育もまた必要になってきます。
 
名人の進化 2016/11/07 Mon 5160
 いつだったか、「そば打ち名人」がニュースで取り上げられていた。様々な分野で伝統的な技を継ぐ人がいなくなっている。「そば」も例外ではないようだ。
 ところで、わが吉田家は全員が「メン食い」である。「うどん」に「そーめん」、「冷やし麦」、「ラーメン」、「ちゃんぽん」、「焼きそば」はもちろん、「そば」も欠かせない。洋の東西を問わないから「スパゲティ」も「めん」のなかに入る。わが阿蘇の久木野村には「そば道場」があって、「そば」をつくることができる。私は食べる役回りだが、近くに行くと立ち寄って「そば」を楽しむ。さらに時間と心の余裕があれば温泉に浸かることもある。その久木野、今回の地震で直通のトンネルがアウトになった。そんなことで、もうずいぶんとご無沙汰である。ようやく道路の修復が始まったので、しばらくすれば「そば道場」も視野に入ってくる。
 ところで、ニュースの「そば打ち名人」だが、とにかくすごい腕らしい。その師匠のもとで15年間修行したお弟子さんが言う。「上達すればするほど、差を感じてしまう」。このお弟子さん自身が相当の腕で、孫弟子もいそうなのだが、その人の言だから真実味がある。名人とはどこまで行っても自分の影のように追いつくことができないものなのだろう。その理由は、名人自身がいつも先に進化しているからではないか。そして、名人も「どこまで行っても終わりはない」という思いでいるに違いない。
 私たちも、それぞれの分野でこうした気持ちを持ち続けたい。Never Ending Challenge!
「懸念」の「先」は? 2016/11/06 Sun 5159
 「ベーシックインカム」と呼ばれるものがある。日本語では「基礎所得保障」「最低所得保障」などと訳される。格差社会の時代、政府が無条件に一定額を国民に支払うということである。浜矩子同志社大学教授がこの制度について懸念を示していた(熊本日日新聞2016年8月14日「論壇」)。浜氏は舌鋒鋭く世相を斬るといった感じでマスコミにもしばしば登場している。
 そもそも「ベーシックインカム」はトーマス・モアの「ユートピア」に出てくるらしい。すべての人間がちゃんと生きていく権利がある。したがって、そのために必要な経済的保証をしっかりするという発想である。こうしたことから、浜氏は「ベーシックインカムのルーツを確認している限りにおいて、これぞまさしく、今日的な貧困と格差問題に対する特効薬のように思える」と書く。ただし、それに続けて「懸念」を表明するのである。
 それは「既存の社会保障制度」をすべて止めて、その代わりとして「ベーシックインカム」を導入するとどうなるかという懸念である。それは、「とにかく全国民に月額15万円を支給する」する代わりに、後は自己責任になるからである。その15万円を管理できない人、すべて無駄遣いしてしまう人などはどうなるか。そうした自己管理能力のない人こそ公序が必要なのに、それがカットされてしまうのではないかということだ。
 たしかにその通りだと納得しながら、浜氏が「そこでどうすればいいのか」を提言すると思って読んでいた。ところが、「そうした懸念がある」だけで終わってしまった。いかにも評論家的結末なのだ。紙数の関係もあるのだろうが、切れ味の鋭い意見を期待していただけに、肩すかしを食った気分になった。
 
天の邪鬼の嘆き 2016/11/05 Sat 5158
 三菱自動車が2016年度の世界販売台数で富士重工業に抜かれ、国内主要乗用車メーカー7社の中で最下位に転落する見通しになったという(毎日新聞ネット配信)。今回の燃費不正の発覚によるものである。同社が最下位になったのは、1970年の創業以来初めてになるらしい。
 創業は1970年というが、それまでは三菱重工として自動車を生産していた。すでに1948年には、航空機関連のプレス機で自動車のボディを請負生産し、自動車メーカーに供給していたというから、相当な年月を踏んでいる。あの「零戦」の開発も三菱重工であり、エンジン等の製作技術もハイレベルで、車を作るのにもそれほど苦労はなかったのではないか。
 そうした歴史と伝統を誇る三菱自動車の現状を見て、なによりもあの三菱マークが泣いている。私は駆け出しのころ、三菱重工長崎造船所における「全員参画による安全運動」に参加させてもらった。それ以来、三菱に何かがあると「あーあ」と思う自分がいる。
 ところで、三菱が抜かれたのは富士重工である。つまりは、わが家の「スバル」をつくっている会社が、昨年まで最下位だったということだ。いやはや残念無念ではある。私は「あっちにも○○、こっちにも○○」というのが性に合わない。その点、「スバル」は「最下位」だから、街中を走っていても「あまり遭遇しない」のである。そこが最大の「ポイント」だった。ところが、最近は行き交う車に、「スバル」系がちょこちょこと増えてきたような気がして、そうした傾向を「まずいなあ」と思っていた。そんな矢先に「最下位を脱出した」というのだから、なんとも憂鬱なニュースなのである。
 そう言えば「零戦」は中島飛行機でもライセンス生産された。この会社こそは、現在の「富士重工」である。
 
駅員の配慮 2016/11/04 Fri 5157
 先日、家内がJRを利用したときのお話。駅まで行ったのはいいが、乗りたい電車がすぐにでもやって来るギリギリのタイミングになった。ここで切符を買っていると間に合いそうにない。そんな思いに気づいたのか、駅員が「とにかく乗ってください。行き先で精算して」と声をかけてくれたという。
 人間というものは、時間が迫ってくると冷静な判断が出来ない。それに、いつもは利用しないJRの駅で、改札口からホームが見えない構造になっていて、かつそこに至るまで少しばかり距離がある。そうした条件で、「あと○分」と思うと、いよいよ焦ってしまう。今さら言うまでもないが、家内も前期高齢者である。いきなり走って転けたら、その影響は一生ものになる。
 そんなとき、駅員さんの一声のおかげで無事に列車に乗れた。もちろん目的の駅で事情を話して運賃を支払った。これは「自己申告」であり、それがOKというのが嬉しい。ただし、こうしたことは業務規則的にはアウトなのかもしれない。何かの機会に、切符を紛失したケースなどで「始発からの運賃をいただきます」なんて注意書きを読んだ記憶がある。そんなこともあって、ここでは駅名を伏せることにした。せっかくの温かい配慮が徒になっては申し訳ない。そう言えば、新幹線で「きせる乗車」をして、広島から新横浜までの運賃をごまかすなんてケースもあった。そんな人間がいる限り、こうした温かい話が生まれにくくなる。
  
時間を守る 2016/11/03 Thu 5156
 教育実習生に対する中学生の評価について、思い出したようにときおり書いています。実習生にとっては厳しい内容もありますが、生徒が誤りなどに気づいたとき、その場でそれを指摘してくれる状況はとても大事です。これは教育実習だけでなく、あらゆる人間集団において当てはまります。いずれもリーダーとフォロワーとが「日常の関係創り」に努力することの重要性を物語っています。ただし、教育実習という限定された時間の中では、そうした関係にまで至るのはむずかしいことですね。
 ところで、「授業の終りの時間を守って欲しかった」という声がけっこうあります。これは技術的な問題ですが、時間内に終わるように準備していたつもりでもその通りにいかないことは、現職の教師も日常的に体験していることです。その証拠には、これと同じ指摘が教師たちに対する生徒たちの評価にもよく現れるのです。とくに教育実習生の場合は、生徒たちに伝えるべき情報の重要度や優先度について十分な知識と経験をもたないことから、ついつい「あれもこれも」と詰め込んでしまう傾向があります。また、その点は理解していても、それを与えられた時間内でスムーズに伝える技術が不十分なことも影響してきます。さらに、生徒の理解が「予定通り」に得られず、その対応に時間をかけているうちに、「欠くことのできない情報」を授業時間内に提供できなくなってしまうこともあります。どんなものにもハプニングがあるのです。
 学会発表で時間を守らない研究者がワンサカいます。自分の世界に陶酔して、聴いてる方は大迷惑のシーンが展開します。児童生徒の厳しい視線を感じ続けている教育実習生に申し訳ありません。
実況中継 2016/11/02 Wed 5155
 銀行に出かけたときの話である。そこで珍しい体験をした。カウンターから見えないところで、何やら話が弾んでいる。もちろん声が聴こえるだけで、その内容はよくわからない。そうこうするうちに、その会話は熱を帯びてきた。おそらく中高年と思しき声の持ち主である。そして、ついには女性の声が行内に響き渡った。今度は手に取るようにわかる。「何ですか、あなたたちは! 私は自分のお金を引き出しにきたんですよ! 警察まで呼んで!」。ほとんど怒号である。これに銀行の担当者が応える。「もちろんです。ただ、金額が○○○円もの高額ですので…」。○○○部分は相当の金額だった。こうなるともういけない。待ち時間とはいえ、ミニがダンボのように大きくなる。これは、あの「振り込め詐欺」の実況中継に違いない。そう思ったとき、話す場所を変えたのか、声は聞こえなくなった。
 本当に何が起きていたのかはわからない。ただ、銀行に事前に連絡しないで、○○○円の現金を引き出そうという人がいたことは確かな事実である。私も20年ほど前に住宅ローンを設定した。そのとき通帳には、それなりの金額が印字された。しかし、それも瞬間的で、全額がそのまま住宅会社の口座に振り込まれただけのことである。
 そもそも世の中に、大金が「即絶対必要」ということはあり得ない。「今日の夕刻までに、○○○円を準備しろ」などと乱暴なことを言うのは誘拐犯くらいのものだろう。
 その後、大声の主がどうなったのかは知りようがない。ただ、銀行にとって異例の事態だったことは疑いない。それにしても、こんな現場に遭遇することもあるんだなあ。
 
人生最後のモノ 2016/11/01 Tue 5154
 この年になってくると「人生最後」と思う体験やモノが出てくる。昨日は全長4cmの「モノ」と最後の別れを告げた。あるレポートの採点にマーカーとして使っていたのだが、昨日の「仕事」を終えて机上に置いた。ところが、ふとした弾みで、それが机から下に落ちて、その先っぽが折れてしまった。そもそも丸いモノだから、ほんの一瞬だとしても机上に放置すべきではなかった。私の不注意でその生命を奪ってしまったことは、まことに遺憾千番である。まだ、「しばらく」は身近にいて十二分にサポートしてくれたはずだった。本人もそのつもりだったと思うし、私もそう考えていた。
 最後の別れをしたのは「青の色鉛筆」である。そもそもは、赤と青色が両サイドについた色鉛筆だった。日常的には赤色を多用するから青色が残る。これをしっかり使ってきた。提出物などにはなじまないかもしれないが、成績の採点などに色は関わりがない。そこで、学期末のみならず、様々なレポートを読む際には、私に欠かせないサポーターになってくれていたのだった。じつは、すでに手元にある鉛筆削りで限界の長さにまで達していた。それを、高校時代から愛用している「鉛筆ホルダー」で使い続けてきたのである。さすがに「これでお別れだな」とは思っていたが、残りの芯が見えなくなるまでは付き合っていたかった。私の不注意を悔やむばかりである。
 これから先の私に残された人生で「赤青色鉛筆」を購入することはない。