今日まで生きてきたこと 2016/10/31 Mon 5153
10月29日は母の命日である。もう43年の歳月が過ぎ去った。母が亡くなったときは47歳だったから、それと同じ年月にあと4年で達する。これまでの長さが実感される。法要に50回忌がある。自分の親の50回忌を営むことは多くの人が体験することではないだろう。それだけ母が若くして亡くなったということである。
私は68歳になったが、おかげで家族と平和に過ごしている。父は満75歳の誕生日から2週間足らずで逝った。私にすれば、あと7年ということになる。いまのところ、そこまでは生きていくつもりでいる。しかし、それが保証されていないのが人の世であり、人生というものである。しかし、これまで68年間を生きてきたことだけはたしかな事実である。まずは、それだけでありがたいことである。
そもそも人間は何歳まで生きることができるのか、誰にもその保証はない。若者たちはエネルギッシュで未来を背負っている。しかし、私と同じ68歳まで生きられる確証はない。その昔、パナソニックの創業者松下幸之助氏は経営の神様と呼ばれ、世の中から高く評価されていた。その松下氏が絶頂に達したとき、インタビューで「いまほしいものは」と問われて、「若さ」だと答えたことがある。あの松下さんが「若さ」をうらやんだのである。わたしも無限の可能性をもっている「若者たち」にエールを送ると共に、私自身は「68歳まで生かされたこと」に感謝している。
横浜では87歳の老人が運転する軽トラックが、通学途上の小学生たちの列に突っ込んだ。まだ小学1年生で6歳の男児が亡くなった。私の孫の一人と同じ年齢である。ことばがない。 |
ニュースの年表記 2016/10/30 Sun 5152
先週25日の朝、JR九州が上場することをNHKニュースで取り上げていた。その際に「JR九州は昭和62年に発足した」という下りがあった。これを聴いて「ああ、まただ」と思った。その前日の授業で、これに関連した話題を学生とやり取りをしたばかりだったからだ。
まずは結論を先に言えば、私が見聞きする限り、NHKニュースでは元号のみで西暦で表現しない。今や新聞のトップページには元号と西暦が併記されている。地元の熊本日日新聞は元号が先で西暦を括弧でくくっている。私が確認した限り、毎日新聞と読売新聞は西暦を先にして元号を続ける。
さて、昨日の授業とは「教育情報科学」であるが、我が国が太平洋戦争で敗れた年が話題になった。私が「何年か知ってますか」と問いかけたが、しっかりした答えは返ってこなかった。これを見て、受講している30数人の学生全員がその年を知らなかったとは言えない。知っていても反応しないのは、若者にかぎったとこではない。そこで私がまずは「昭和20年だ」と言ったところ、「先生、昭和ではよくわかりません」と小声ながら、はっきりと応えた学生がいた。私は授業では元号と西暦を併せて伝えており、このときもそのつもりだったが、間髪を入れずに学生が反応したのだった。
それはそうだろう。今の若者に「昭和」だけで表現しても、その時間軸が把握できないのである。そのとき、そもそも昭和が何年までだったかを知っている学生はほとんどいないようだった。これを受けて「NHKニュースでは、西暦表現をしない」と話題にしたのだった。
その翌朝のニュースということで、とくに印象的だったのである。これまでも、大きな災害のニュースなどで「昭和□年以来」などと表現して西暦を挙げないのである。もっとも、それに「□年ぶり」と付け加えるから、古さ感覚はわかるだろうというかもしれない。しかし、何のことはない、「昭和62年、1987年」といえばいいだけのことである。このままいけば、それが「20世紀」のことか「今世紀になってからのことかすらわからなくなる恐れがある。ワープロでも元号を入れて変換キーを押せば、西暦も併記される。その逆もまた真なりである。ともあれ、NHKニュースではどうして西暦を追加しないのだろうか。 |
説明責任 2016/10/29 Sat 5151
□□君は「就職が決まっている」ことを最大の武器にして、「何でもします」と言ってきたのである。しかし、私としては如何ともしがたく、次のメールを返信した。
「□□君 大変残念ですが、同じ条件の人にも単位を出していません。むしろ、出席なしで単位を出すことは、私の方が責任を問われます。必要であればご両親にもちゃんと説明します」。
これに対する回答はなかった。学生の評価にも「説明責任」が伴う。しかも、就職と関わっているのであるから、状況次第では学生の親にも説明しなければならない。ただ、この件についての説明はきわめて明快で、「出席をしていなかった」というだけのことである。いずれにしても□□君には、私の意思が伝わったと思われる。
こうした場合、学生が所属する学科等の責任者にも電話をする。そんなとき、かなりの確率で「□□は、他にも取れていない単位がある」という回答が返ってくる。何のことはない、私の単位だけでなく、他にもうまくいっていない授業があるのだ。それでも本人は、教員が「この単位だけ」と思ってしまうような雰囲気で迫ってくる。私は現役中に同じようなケースに数件遭遇した。そのうち1件を除けば、他にも落とした単位があったから、私の評価のみで卒業できなかったわけではない。ただし、1件だけは2人が関係していたが、少なくとも1人は「私の単位」でアウトになった。しかも、このときは「出席日数」だけの問題ではなかったのである。これについては、まだ「私のこころの時効」になっていない。 |
「就職」という印籠 2016/10/28 Fri 5150
成績が出ていないことを知って、「会いたい」とメールを送ってきた□□君に、「出席日数の不足」と「ミニレポートの低評価」が原因であることを伝えた。
これに対して、さらにメールが来た。「欠席したことには何の言い訳もできませんがようやく決まった就職のこともあり、どうしても卒業したいのです。どうか再試験か課題を受けさせてください。なんでもします。課題を与えてください。お願いします」。ここで「ようやく決まった就職」が登場する。まるで黄門の印籠である。しかも、この段になって、「なんでもします」と懇願するのである。
そう言っては何だが、私はちゃんと出席して、かつ「ミニレポート」をしっかり書いていれば、それなりの評価はしている。文部科学省の基本姿勢は「評価の厳格化」である。そうした流れの中で「出席数」という最低基準を充たしていない学生の評価はあり得ない。授業のスタート時には「出席数が不足した者は成績評価の対象にしない」と伝えている。それでも試験を受ける学生がいるのである。
学生によっては、事前に「私の出席数は大丈夫でしょうか」「試験は受けられるでしょうか」と聞いてくる。その中には「あなたは□回の欠席だから受験資格がない」と宣告される者もいる。その一方で、「十二分に」欠席しているにも拘わらず、それを確認することもなく、何もなかったかのように試験を受ける学生もいる。この□□君もそうだった。だから「試験を受けたのに評価が出ていない」ことに慌ててメールしてきたのである。 |
年度末のメール 2016/10/27 Thu 5149
もう10年以上前の3月のことである。ある学生からメールが入った。「□□学部□□学科 学生番号□□□□ □□□□(氏名) 本日3月7日はお忙しいということなのでメールで失礼します。本日私は会社の研修期間のため□□(出身地)に帰りますが、3月10日□曜日午前10時までに、ぜひともお会いしたいのです。□□□□(授業科目名)の再試験をしていただきたいのですが何とぞ宜しくお願いします」。
文頭に「お忙しいということなので」とあるから、私が不在中に電話があって事務担当者がそうした趣旨の回答をしたのだと思われる。いずれにしても、いきなりの面会希望である。しかも再試験をしてほしいという。そこで本人の成績表をチェックしてみると、まずは出席数が不足していた。しかも授業後に提出するミニレポートは、さすがに一昨日のコラム「二人の友情」で取り上げた、「おもしろかった」だけのものではなかったが、そのレベルは相当に低かった。私は出席日数が足りない場合は成績認定の対象にならないこと、ミニレポートは一定の重みを付けて評価することを授業開始時にハッキリ伝えている。こうした基準を採用して、□□君には成績を出していなかったのである。そこで、次のように返信した。「□□君 あなたは授業に何回出席したかわかっていますか。少なくとも□回は欠席です。日頃のレポートも考慮しますので、単位を出すのは極めて困難です」。 |
朝評暮改 2016/10/26 Wed 5148
学生たちに「SONYは、いまのSAMSUNGよりも、遙かに影響力のある会社だったんだ」と言うと、「えーっ、そうなんですか」という回答が返ってくる。「そもそも、電子機器は日本のメーカーが世界シェアでダントツだったのさ」と付け加えると、彼等の驚きはさらに広がる。これが日本の現状である。
ところで、快進撃していたSAMSUNGだが、スマートフォンの炎上や爆発で窮地に陥っている。世界中の飛行機で、「SAMSUNGのギャラクシーノート7」と名指しして「持ち込み禁止」になった。つい先だってまで、国内線では「使用や充電禁止」のアナウンスだったが、「持ち込み禁止」に至った。
これに関してあるワイドショーが、SAMSUNGの企業体質を取り上げていた。この会社は典型的なトップダウンで、トップの方針に組織の人間は何も言えない。それが今回の大トラブルを産み出したと言わんばかりである。私のような天の邪鬼は「あれっ」と思う。ほんの少し前には、SAMSUNGの大躍進を、「トップの意思決定が速いところだ。そこが日本とは大違い」と解説し、もてはやしていませんでしたか。まさか同じ人がそんなことを言っていたなんてあり得ませんよねえ。
もっとも、そんな人がいてもとくに驚きはありません。調子がいいときは「こんな強味がある」とおだてまくり、まずくなると同じことを「こんな弱味がある」と批判する。これでは「朝令暮改」ならぬ「朝評暮改」だよね。世の中には、すばらしい「マジック」ができる方々が何と多いことでしょう。 |
二人の友情 2016/10/25 Tue 5147
大昔の「秘密文書」を書いた学生をA君としておこう。彼が「怪しい」ことは、すでに私も気づいていた。それは「2週間前」のことである。A君は「じつは先々週のこの授業は出ていないくせに、友達にレポートを頼んだ」と告白していた。私は「そのこと」を知っていたのである。授業後のミニレポートに「同じ筆跡」のものが2枚続いていたからである。ほんの少しだけ知恵を出すなら、少し差を付けて出すことも考えられる。しかし、ミニレポートは私がいる教壇付近に置くことになっているから、「ずる」をする側としては、時差を付けて2回に分けにくかっただろう。それに「筆跡」を意識的に変えれば気づかれる可能性は低いと判断したと思われる。
先ほど、「同じ筆跡」と書いたが、それは「見直して」からのことである。あることがなければ見過ごしていた可能性があった。そのあることとは、ミニレポートの内容である。そこには「おもしろかった」と書かれていた。ただ「それだけ」なのだ。これを見れば誰だって笑うだろう。「おもしろ過ぎ」である。そこで前後をめくってみると「同じ筆跡」と思われるものが現れたのだった。
因みに、そちらの方は、そこそこまともな内容だった。それを見て、私はさらに笑った。この二人はミニレポートの代筆を依頼し、それを引き受けるほど(?)の友人関係にあったと思われる。しかし、その結果として自分の分は「まとも」に書いたが、友人のものは「おもしろかった」と、まるで「『D』をちょうだい」レベルである。
「友情もこんな程度なんだあ」。私はそんな思いで二枚を見比べて、もう一度笑った。 |
ミニレポート 2016/10/24 Mon 5146
「僕は大学に寝に来ているようなものだ。何回も大学を辞めようと思って親にも相談した。大学の先生の授業を受けて率直に思ったことは授業料を返せということだ。ある先生が『教師は子どもにやる気を起こさせなければならない』と言ったが、みんなつまらなくて寝ているし、声も小さすぎて聞こえない。よくそんなことが言えるなと思った。じつは先々週のこの授業は出ていないくせに、友達にレポートを頼んだ。だからこの授業を受けるのは初めてだ。昨日1分も寝ていない。なのに、ぜんぜん眠くないし、何かが違った。初めて教師になるためのことを学んだという感じで、先生の名前も知らないけど、やる気のない一番左の一番後ろの席まで声がとどいた」。
たとえ、「大昔」のものとは言え、高度の「秘密文書」レベルである。この学生、友人にレポートの代筆を頼んだことを「告白」している。ただ、私の名前も知らないが、授業から大きなプラスの印象を受けたことを伝えているのである。もちろん、ミニレポートだから名前も書かれている。この学生は、その後も「一番左の一番後ろの席」近辺で授業を受けてくれた。
これだけ「持ち上げられた」のだから、私は他の授業以上に(?)意識して踏ん張った。まだOHPの時代である。あらかじめ準備していたトランスペアレンシー(スライド)に新しいものを追加した。これを見て、彼がどんな表情をするだろうか。授業に、そんな楽しみが加わった。教師は学生に育てられるのである。
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秘密文書 2016/10/23 Sun 5145
それは、学生評価などなかった「大昔」の話である。その時期は20年ほども前のことだ。国のレベルでも50年くらい経過すると「秘密文書」が公開される。私は定年の年に身辺整理をした。その対象には、多くの書籍や文書が含まれていた。そして、その中に授業後に学生が書いたミニメモの一部があった。私なりに印象に残る内容のものを何枚かしまっていたのである。
最終的に処分する前にそれらを読んだ。これがなかなかおもしろかった。ただし、その内容が「秘密文書」レベルに達するものがあった。先ほど「『大昔』の話」と断った。その理由は、ある学生が私をほめてくれているだけではなく、他の教員を批判していたことにある。私は「ほめられる」と調子に乗る質である。しかも「そんなことありません」と日本人的行動規範にしたがって「否定する」ことはほとんどない。先方からほめてもらったことをひたすら喜んで、「おかげでやる気が出ました。もっと頑張りまーす」と絶叫(?)しながら、お礼を言うことにしている。
だから、学生が私をほめてくれていたこのミニメモも、それを見たときに「ありがたい」と思ったはずだ。それはいいのだが、他の教員をかなり厳しい表現で批判しているのである。この点で、私としては「秘密文書」相当と判断したわけだ。しかし、それも「時効」だと思える年月が経過した。そして、いまや大学における「授業(教員)評価」が常識になった。そんなことで、本コラムに古き良き時代の「私の自慢話」を追加する気になった。ミニメモのタイトルは「僕は大学に寝に来ているようなものだ」である。 |
学生評価 2016/10/22 Sat 5144
大学の教員も変わった。いや変わらざるを得なくなった。その代表例の一つが「授業評価」である。基本的には最後の授業を10分ほど早めにすませて、「評価シート」を学生に委ね、教員は教室を去る。学生たちはマークシートの質問に回答する。そこには自由記述欄もある。授業時に決めた学生が記入済みの回答を封筒に入れて教務係へ持っていく。それを大学全体で集計し、その結果は学内のイントラネットで公開される。教員は自由記述も含めた全体の結果について回答することが求められる。
私が知っているある大学では、非常勤講師の評価結果についてランクづけをしている。つまり、「あなたの評価は非常勤講師の中でこのくらいの位置にあります」と伝えるのである。
私の恩師三隅二不二先生が先導していたリーダーシップPM論では、管理職のリーダーシップの判定に「部下評価」を使っていた。それも1960年代の終わりからだったから、当時は相当に抵抗があった。これを使って調査をするのは、きわめて「進んだ意識(?)」の組織に限られていた。それが今日では「360度評価」が常識になった。上からも下からも、そして横からも、さらには外からも評価される。とにかく評価のオンパレードである。こうした状況の下で、大学での「学生評価」も定着したのである。その導入が議論されているときは、「学生評価など入れれば、学生に媚びを売る授業をする教員が評価される」という強力な反対論があった。しかし、これは学生に失礼な発想である。「そんな教師は低い評価しかされない」というのが正解だったと思う。 |
事務室の変遷 2016/10/21 Fri 5143
大学も相当に変わった。私が熊本大学に赴任したころは、事務部門も人が多かった。例えば教育学部でも庶務係、会計係、第一教務係、第二教務係があった。そのそれぞれに係長がいて、職員が数人いた。現在は総務係と教務係である。もちろん職員数は激減している。各係の窓口は、はっきり記憶していないが、手続きを受け付けるのは9時から17時までで、昼食時間はアウトという感じだったと思う。今は、8時30分から17時15分までOKで、学生は昼食時間もちゃんと対応してもらえる。いま働いている事務の方々のほとんどは、そうした時代をご存じないから、現在の方法が「常識」になっているだろう。
また、うん十年も前のことで「時効」扱いにしていただきたいが、総体として職員の学生に対する態度も「上から目線」だった。私は現在もシニア(大年寄り)教授として授業をする。その際に教室のAV関連キーを取るために教務係に行く。その際に学生が来ている場面に遭遇することが少なくない。そのときの職員の対応が、じつに柔らかくかつ親切だといつも思う。大昔のことを知っている私なんぞは、これも大いなる変化と感じられるのである。
それに、夏には教室でクーラーを使うから電力会社との契約をオーバーする事態が出てくる。それが重なると高額な違約金を支払うことになるらしい。そこで、学内のメールでしばしば警告が発せられる。そんなとき、事務室では照明を落とし、クーラーを止め、窓を開けて、汗だくで仕事をしている光景に出会う。事務室が超高湿度のサウナ風呂状態になっているのである。 |
変遷あれこれ 2016/10/20 Thu 5142
私は熊本大学に採用されてから、34年と6ヶ月間も、お世話になった。そして、2014年の3月に留年もせず無事に退職した。同僚の先生方のご好意で「退職記念講演会」をセットしていただいた。法人化前であれば「退官」となるが、それ以後は「退職」である。学内でも「教官」を「教員」と呼ぶようになった。ずいぶんと昔になるが、JALの社員教育をテーマにしたドラマがあって、そのなかで「教官」ということばが飛び交っていて、一次は流行語のようになっていた。このときは、JALは国が所有する会社だったと思う。したがって「教官」なのである。しかし、JALも民営化したから、いまでは「教員」が正しい表現のはずだが、実際にはどうなっているだろうか。
そう言えば、「国鉄」も「JR」に変わり、「日本電信電話公社」は「NTT」となり、「日本専売公社」も「日本たばこ」へと民営化された。それぞれが、いろいろな意味で変貌を遂げている。国鉄は戦後の労働政策によって多くの人々を吸収した。また、明治時代に敷設が決められた路線をつくるなど、収支を別にした経営も余儀なくされた。その点で、宿命的な赤字を背負っていた。
そんな「JR」だが、ここに来て「JR九州」が株式を上場することになった。じつは「JR九州」も鉄道部門では赤字のようだが、不動産や野菜栽培など、いろいろな方面で収益を図っている。本業の鉄道ではなく、他の部門で稼いでいることから、鉄道を「不動産会社の附属」と皮肉る向きもある。しかし、そうした方々には、「赤字だから廃線」とはいかない状況で「現在の路線を維持しながら黒字を出す」ノウハウを提示してほしいものだ。批判するだけなら誰でもできる。
私の親戚に「JR九州」の人はおりませんので、念のため。 |
辞令あれこれ 2016/10/19 Wed 5141
私が大学で職を得たのは27歳の時だった。九州大学の助手である。当時、教授と助教授、講師、そして助手が文部教官と呼ばれていた。公務員には「官職名」というものがある。「文部教官」は官名で、「助手」が「職名」である。4月1日に辞令をもらった。そこには「文部教官助手教育学部」と書かれていた。一般的には「熊本大学教育学部教授」といった表現をする。しかし、公式には学部名が官職名の後に付くことを、このとき初めて知った。まあ、それだけのことで、改めて「それがどうした」と言われてもとくに答えになるセリフは持ち合わせていない。
ついでに辞令にまつわるエピソードを追加すると、大昔は助教授から文部大臣名の辞令になった。国立大学の教授、助教授はそれだけ大仰な職だったのである。私が助教授になったときの発令者は「文部大臣瀬戸山三男」だった。それから徐々にいろいろなことが変わっていった。教授の辞令も学長の発令になる。現在は「国立大学法人」になっているが、辞令についての細かいことは知らない。
ところで、私が熊本大学に赴任したのは1979年10月1日付けだった。このときは講師だったから発令者は学長である。その当時は、学部にも公用車があって、運転手も常駐していた。もちろん、そのために屋根付きでシャッターで開閉するガレージも設置されていた。学部長は公用車が自宅まで迎えにいき、それで通勤していたのである。今では信じられない光景だが、そのころは「そんなもんか」と思っていた。現在は、台数はわからないが公用車は大学全体に数台ある程度だろう。 |
4つのキーナンバー 2016/10/18 Tue 5140
ここに、いくつかのキーナンバーがある。「634」「3」「20」「100」がそれである。これには単位がついており、先頭は「634億円」で、後の3つには「年」が付く。これだけで、これらの数値が何だかおわかりだろうか。
あの熊本地震から半年が過ぎたが、4つの数値は熊本城の復興に要する費用とその期間である。それがどこまで含まれているのかわからないが、とにかく復興に「634億円」がかかるという。
まずは「3年」で天守閣を地震前の状態に戻す。これだと、日本で開催されるラグビーのワールドカップに間に合うという。このとき熊本も会場になるのである。海外からの訪問客も期待されるから、たしかに一つの目標になる。
次の「20年」で地震前の状態に復帰するという。つまりは石垣も元通りになるということである。私は今年68歳になったから、これに20年を足せば87歳ということである。さあて、これはハードルとしてはかなり高い。ここまでいけるかどうか、相当程度に怪しさがただよう。仮に生命体としては存在しているとしても、「ああ、熊本城が元に戻ったのか」と感慨にふけることができる状態でいるかどうか。それどころか、もっと早めに失礼している可能性が大いにある。
そして、「100年」だが、このときまでに、幕末の時点で確認されている櫓をすべて再建するという。そんな話は初めて聴いたし、そもそも自分で見たことがない光景だから、何とも言えない。
とりあえず、「3年」は元気でいたいものだ。 |
人生の意味づけ 2016/10/17 Mon 5139
大学院の学生たちと「カラオケ」にいく。そもそものきっかけは、授業中に私が「ありがたや、ありがたや」を繰り返していたことにある。毎日を「生きていること」自身が「ありがたや」であり、自分の「好きな仕事ができること」が「ありがたや」といった趣旨の話から、歌謡曲の「ありがたや節」まで進んだ。私が小学生のときに聴いたものだ。それを生で歌おうというわけで、「カラオケ」となった。
おっと、「カラオケ」ネタは横に置いて、私がとても気に入っている歌がある。このところ話題にしている、「意味づけする」、それも「明るく」意味づけをする人間を歌ったものである。それは、木下龍太郎作詞・高井達雄作曲「しあわせのうた」だ。いつのころだったか、NHK「みんなの歌」として流れていた記憶がある。その歌詞がすばらしい。
東に住む人は しあわせ 生れたばかりの太陽を一番先に見つけることができるから
北に住む人は しあわせ 春を迎えるよろこびを誰より強く感じることができるから
南に住む人は しあわせ いつでも花の首かざりを愛する人に捧げることができるから
西に住む人は しあわせ いつも終わりに太陽を明日の空へ見送ることができるから
生きていることは しあわせ 悲しいときもあるけれど未来をいつも夢みることができるから
人間はみんな しあわせ こんな「意味づけ」をすることができるから |
意味づけする動物 2016/10/16 Sun 5138
「紅葉の美しさ」も「立山の厳しさ」も人間が「意味づけ」をしているのである。「立山が立ちふさがっている」などと言えば、立山が「勝手なことを言うな」と怒るだろう。立山のことだから、それだけでは済むまい。「そもそも、俺のことを『立山』なんて付けやがったのはどこのどいつだ」と目をむいて吠える可能性だってある。いやいや、そんなこと言ってたら、このごろなら幼稚園の年少さんだって笑うに違いない。「立山」にまつわるすべてのことは人間が「勝手に付けた」だけのことである。
このように、人間はあらゆるものに「意味づけ」をしながら生きている。いや、そうしなければ生きていけないのである。とりわけ日本人は「ことば」にこだわる民族に含まれるのではないか。自分たちの身の回りにある自然や生き物、そして事物に、つまりは自分自身を含めた森羅万象が「意味づけ」の対象になる。松尾芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」などは、「ことばの芸術」である。この句を詠んで、あるいは聴いて、個々人がいろいろな「意味づけ」をすればいい。一句、あるいは、それを構成する「ことば」から、それぞれの人間が、それぞれ固有の「情景」や「心情」をイメージすればいい。人間は自分の大脳が蓄積してきた情報を基に考えるから、全員の「意味づけ」が違っていて当然である。そして、どうせ「意味づけ」するのなら、楽しく明るい方が、沈んだ暗いものよりもいい。まあ、簡単に言えば「プラス思考」ということである。 |
紅葉の季節 2016/10/15 Sat 5137
朝晩はようやく肌寒さを感じるようになった。つい先だっては孫の幼稚園で運動会があった。その日も午前中から日差しが強く、さすがに真夏とは比較にならないが日焼けした。左腕に着けた時計の部分が白くなった。もう異常気象というよりは、こうした気候が当たり前のことになっていくのではないか。
それでも、チラホラ各地から紅葉の情報が流れてくるようになった。朝のワイドショーなどでは、この季節は紅葉にあふれる庭園を紹介する。「みなさん、今日は奈良の○○寺にきました。昨日は京都の□□からでしたが、ご覧ください、こちらも紅葉が美しさを競っています」。視聴者にそんな声をかける。一方では日本アルプスの立山連峰などは、次第に厳しさを増していく。ここでもアナウンサーが、いかにも寒そうな雰囲気で呼びかける。「ご覧ください。池の水も凍り、私の後ろには雪の立山が立ちふさがっています」。
紅葉にしろ立山にしろ、こうしたアナウンサーの言い回しに違和感を覚える人はいないだろう。テレビの画面の向こうには、この上なく美しい紅葉が見える。雪をまとった立山は疑いなく立ちふさがっている…。しかし、それはいずれも「事実」ではない。そもそも紅葉が「意識して美しさを競う」などということはあり得ない。そこにあるのは、植物としての紅葉がその生命を維持しているに過ぎない。それは気温の変化によって、人間が言うところの「赤色や黄色」に変色しているだけのことである。 |
驚愕の倍増 2016/10/14 Fri 5136
2137回が、じつは4081回だった。これは気象庁が11日に発表した熊本地震による震度1以上の地震回数である。それまでのほぼ倍というから、相当に驚いたのは当然である。
本震が起きた4月16日は1223回だったという。それまでは202回とされていた。こちらは6倍である。気象庁によれば、「大規模な地震では速報を重視して判定するため、複数の地震を1つの地震として発表することがある」という。したがって、「数分間隔で地震が発生したときには、より小さな地震の詳細を速報することはむずかしい」と説明している。これは速報性を重視すれば、現時点では技術的な限界なのだろう。ただ、それならそれで「詳細は分析中で、これは暫定的なものである」といった情報は最初から出しておいた方がいい。素人は、「あとになってから、前のは『前震』だった」と言われたときも「えーっ」と驚いてしまった。それに、少なくともテレビに登場する専門家たちは、そのときどきに発表される「回数」を前提にいろんなことを言っていた。
今回、回数が2倍になったからといって、それが原因で人命が失われたことはないと思うので、それほどこだわることはないかもしれない。しかし、「あとになってから『じつは』…」という説明はできるだけ避けた方がいい。世の中で起きる不祥事やトラブルのほとんどが「あとになって『じつは』」のパターンに充ち満ちている。
さてさて、熊本では、いまもときおり「おっと」という感じの揺れがある。 |
あの国の劣化 2016/10/13 Thu 5135
いまや、自分の国が劣化しているのではないかと心配している。しかし、余計なお節介だが、あの国の劣化も相当に深刻のように見える。私は、女性がわが国の総理大臣になるのと、白人以外、あるいは女性があの国の大統領になるのとはどちらが先になるかと考えていた。まずは、あちらの方で黒人の大統領が生まれて、先を越された。そして、今度は女性が大統領になる公算がきわめて高くなった。
ただし、その選択は「どっちの方がよりひどいか」が基準で、このところ「よりひどくない方」が女性なのである。遠くから眺めているだけだが、まともな政策論争は皆無のようだ。とにかく相手が「こんなにひどい」という中傷合戦で終始したらしい。それもレベルが相当に低いことで言い合っている。これを劣化と言わずに何を劣化というのだろう。
こうした状況を、別の彼の国は喜んでいるに違いない。「あの国も落ち目じゃないか。今の調子でそれいけドンドン、恐がることなんかないぞ。そのうちにこっちの力を認めざるを得なくなって、交渉の席に座るに決まってる」。そんな声が聞こえてくる。もう一つの国だって笑っているのではないか。「おやおやお気の毒に、さしものお国も先が見えてきたようですね。これからはわが国の時代なんです。もうしばらくは無理をしないで、少しずつ押していくことにしましょう。そのうち、広い海も私たちのものになるのですから」。これが幻聴とは思えないのである。 |
元気高齢者の目標 2016/10/12 Wed 5134
私は今年で68歳になる。数え年的には来年が古稀だそうな。「古来稀なり」の年を迎えるわけだ。幸い、いまのところ元気で過ごすことができている。しかし、この年になると、いつ、何が起きてもおかしくない。
もうずいぶんと前になるが、単身宿泊所で過ごす脳梗塞の老人をフォローしたテレビがあった。それはニュースのなかで取り上げられたものだったと記憶している。脳梗塞で体の自由が利かない状態での生活は厳しい日々になる。そのときは、画面が一転してスポーツジムに変わったと思う。こちらは年齢的には高齢者だが、運動で汗を流す姿が映る。そして運動が終わると教室の雰囲気の中でビールを楽しんでいた。いかにも対照的な2つの状況である。その落差は天と地ほどもあるように思えた。
誰もが元気で最後を迎えたいと思う。しかし、健康は自分の思い通りに行かないところがある。もちろん、暴飲暴食などの生活習慣が健康にかかわってくるのだろうが、脳梗塞などは、発生部位によって、その後の生活への影響が違ってくるようだ。このあたり、素人目には「運」も大きい感じがする。食事のときになると「しっかり噛んで」と自分に言い聞かせる。ただし、ここではそれがどれだけ実践されているかは言わない。このごろは、人と食べるとき、自分の方が少し遅めであることに気づいたりもする。
いまのところ、「自称:元気高齢者」のつもりだが、将来の「光輝」あるいは「好奇高齢者」を目指したい。「高貴高齢者」は無理だけど…。 |
今月の写真 2016/10/11 Tue 5133
今月の1枚は熊本城の石垣である。私は車で通勤しているから、いつも「ゆっくり」眺めているわけではないが、このルートを毎日走るのである。石垣の上は「北十八間櫓」から「五間櫓」が続く。その先には「不開門(あかずのもん)」がある。ずっと先には「宇土櫓」がチラリと姿を見せる。これは西南戦争でも火災を免れた。櫓は高さが19mほどあって、姫路城・松本城・松江城に次いで4番目に高いという。いわゆる大天守閣と比べれば遙かに小ぶりだから、熊本城の大きさが想像できる。石垣の下に緑の空間が広がっているが、ここは桜の季節になると大いににぎわう。今回の地震で石垣の手前部分や少し先も崩壊したままである。花見の光景が蘇るのはいつのことだろうか。
さて、もう一枚は単純に十月の夕日である。そもそも雲を見るのは大好きで、飛行機からもセッセと写真を撮っている。どんな時間帯でもすばらしいと思うが、やはり夕焼雲にかなうものはない。「夕焼け小焼けの赤とんぼ、負われてみたのはいつの日か」。私もこの「負われて」を長いこと「追われて」と思い込んでいた。そして「誰から追いかけられているんだろう」と不思議だった。私たちは「おんぶされる」体験をしっかりしてきた。赤ん坊のときおんぶされた私と母の顔を比べて、「お母さんよりも大きな顔」と笑われたらしい。それでいて「追われる」と勘違いをする。いまの赤ん坊は「母親と二つの顔」を比較することもないような気がする。 |
校長の記憶 2016/10/10 Mon 5132
私は2002年4月から2004年3月まで、熊本大学教育学部附属中学校の校長をしました。この2004年度で「国立大学」は「国立大学」としての存在を終えました。現在の「国立大学法人」になったのです。身分は国家公務員から法人職員となりました。それまでは「教官」でしたが、「教員」になりました。まあ、「ラスト」を体験するのは、どんなものでもそれなりに感慨を伴います。それもすでに14年が経過しているのです。
その後、熊本大学の授業や、地元の学校・企業・団体などの講演や研修会で、「先生が校長先生のとき、私は附中の生徒でした」と声をかけられることがありました。それは、これからも続く可能性がありますから、楽しみにしています。ところで、そうした方々は、私に関するエピソードを覚えていたくださって、それを聴くと嬉しくなるのです。私は全クラスで「授業」をさせていただいたのですが、そのとき話した話題を挙げられたりするのです。
私自身が忘れていたこともありました。それは体育祭で全校生徒に話したことに関してでした。「校長先生は体育祭で『とても短い挨拶』をされましたね。みんなが予想していたより、とても短かかったので、保護者の席からも大きな拍手が起きたことを覚えています」。これは私の記憶から完璧に消えていました。ただ校長在職中は「話は短く」を念頭に置いていたことは間違いありません。それにしても、十数年後まで、そんなエピソードを覚えていてくださったとは…。 |
早朝夕刊(am 8:43) 「訂正」の「訂正」 2016/10/09(2) Sun 5131
いつもは「前期高齢者」ではなく「元気高齢者」を標榜している私だが、やはり「前期」の方がよさそうなことが起きる。
私の妹も本コラムの「愛読者」であり、ときおり、「エラーの指摘」がある。いわゆる「誤字・脱字系」が多いので、私の基本方針に則って、「修正」している。したがって、この場合はとくに「公表」しない。ところが、今朝方かなり重大な「ミス」の指摘があった。
それは「内容」の真偽には影響しないので、「修正」でご了承いただくしかないが、とにかく「重大」なのである。一昨日7日の本欄に、「『1,000日後』として『1991年1月18日』の部分だけ『赤字』で強調していた部分は、じつは『2019年』のことだった」と書いた。おわかりのように、ここは「1919年」と表記すべきだったのである。誤りを「訂正」する文章で、最も重要な「訂正部分」を誤っていたわけだ。いやはや「前期高齢者」を自覚いたします。 |
〝Why,Why分析〟 2016/10/09 Sun 5130
看護系の方から〝SWOT分析〟ということばをよく聴く。「〝SWOT〟は、1920年代からハーバードビジネススクールのビジネスポリシーコースの一部として開発されてきた、ハーバードポリシーモデルの一部である」(Wikipedia)。そもそものスタートは1920年代というから、かなり大昔から存在していたわけだ。〝SWOT〟は、それぞれ、〝Strengths(組織や個人の強味)〟、〝Weaknesses(弱味)〟、〝Opportunities(機会)〟、〝Threats(脅威)〟の頭文字を組み合わせたものである。
私はその技法を知らないのだが、組織の内外の状況を、この4つの視点から捉えて分析し、組織や個人のアクションに繋げていこうということだろう。その際は〝Strengths〟を見誤らないことが大事だ。自分たちだけで「強い、強い」と思い込んでいると、それこそが〝Weaknesses〟なのである。また、〝Weaknesses〟も、そのことをしっかり認識することが、組織や個人にとって〝Strengths〟になる。私はいろんな機会に、「自分の弱味を知る強さをもとう」と提案してきた。
ところで、どんな分析でも、対象になった事象が発生する原因を追究する「なぜ」「どうして」がキーワードになる。英語では〝Why〟である。私は、そうした「原因追及ディスカッション」を〝Why、Why分析〟と名付けている。もちろん、これは「わいわい、がやがや、自由なディスカッションでいきましょう」にひっかけているわけだ。 |
ブログと日記 2016/10/08 Sat 5129
私は、明らかな「誤字・脱字」、さらには「変換ミス」があったときは「味な話の素」を修正する。しかし、「内容」の誤りに気づいても、オリジナルには手を入れない。その「内容」を改めて取り上げ、新たに「修正」する文章を書く。当初からそうすべきだと考えて、実際、そうしてきた。
ところで、誤りを教えていただいたメールには、「十数年前から日記を毎日ブログにアップされ公開されている」という部分があった。いまでは、これが「ブログ」と呼ばれるのは当然なのだろう。ただ、私自身は、このことばが普及する前から本コラムを書いていたと思っている。さらに、私にとって「味な話の素」はホームページ専用の原稿で、いわゆる日記ではないのである。
その理由は明確で、私は「日記」を書いているからである。こちらはもっと年季が入っていて、スタートしたのは1964年11月19日である。それは、私が高校一年生のときで、一月前の10月に東京オリンピックが開催されていた。高校に入って間もなくクラスメートの牧野伸行君が日記を書いていると聞いた。それに刺激を受けて書き始めたのがきっかけである。当初は、欠ける日もあったが、11月19日からはずっと続いている。その日数は本日(8日)で18,951日になる。この日記は完全手書きで、ボールペンやときにはサインペンを使ったこともある。ただし、この数年は万年筆である。父の遺品も含めて数本を回しながら書いていく。友人から学位を取得したお祝いにウォーターマンをいただいた。この一本だけが青インクである。それぞれのタッチを味わいながら日記を書くのは楽しい。 |
「2019年1月18日」 2016/10/07 Fri 5128
はじめてメールをいただいた「ご愛読者」は、「たぶん、これは2019年1月18日のことだとわかるのですが、吉田先生もお忙しく見返す時間がないと思い、失礼とは思いましたが、このようにメールさせていただきました」と書かれていた。さらにきわめて遠慮がちに「初めてのメールで、このような文を書いてまことに申し訳ありませんでした」とまとめられている。こちらこそ「まことに、ありがたい」こと、この上ない。ご指摘いただいたように、相も変わらずバタバタしており、過去の内容を読み直すことはほとんどない。
こうした情報はいつもありがたいと思うだけでなく、心から感謝している自分がいる。それにしても「1,000日目」と張り切ったものだから、「1919年1月18日」の部分だけ「赤字」で強調していた。それだけ「ど派手」に目立っていたのである。いやはや、こんなことがけっこうあって、「ご愛読者」からご指摘いただくことが少なくない。そんなときはできるだけ早急に修正する。ただ、過去のファイルの修正は熊本大学とイントラでつながっているPCでしかできないので、場合によっては「即」といかないこともある。
また、これはすでに書いたことがあるが、「修正」には私なりの基準を設定している。それは、明らかな「誤字・脱字」等でない限り手を入れないということである。一度書いたからには内容を修正してはいけない。あとになって都合が悪くなり、それが理由で書き換えていては信頼を失う。 |
特大「誤記」 2016/10/06 Thu 5127
先日のことだが、「迷惑フォルダー」を久しぶりに覗いてみたところ、明らかに「迷惑」でないメールが見つかった。すぐに開封すると、「味な話の素」のご愛読者だった。もうずいぶん前から私のコラムを朝から読んでくださっている方がいらっしゃるのだが、お仕事で講師として各所に行かれている。そして、講習で「味な話の素」をご紹介いただいていることはお伺いしていた。
今回のメールには、その方から私の名前をお聴きになったと書かれていた。それ以来「味な話の素」の愛読者になっていただいたとのことである。HPにアップしている論文もお読みいただいており、拙著も2冊ご購入されたという。もう感謝の言葉しかない。
そして、その方が「味な話の素」のなかに重大なミスがあることを教えてくださったのである。それは4月14日の分で、「車中6泊7日」の避難生活の後に、わが家に復帰したときのものである。その「記念日」に、「本日をもって『1,000日復興』のスタートを切りました。それは1919年1月18日になります。そのとき私は70歳です」と書いた。すでにお気づきと思うが、この「1919年」は明らかな誤記である。何と、教科書的には「ベルサイユ条約」が締結された年ではないか。とんでもない「凡ミス」である。あの日から1,000日目は、「2019年」でしかあり得ない。 |
SONYとノーベル賞 2016/10/05 Wed 5126
「あなたたちは、私が30代のころ、日本の〝SONY〟がいまの〝SAMSON〟と〝LG〟を合わせた以上に元気がよかったことを知っていますか」。これは私がいくつかの授業で学生たちに問いかける質問である。もちろんというべきか、すべての学生が驚いた顔をする。さらに「その他にも元気のいい日本企業、例えば〝NEC〟や〝SHARP〟、それに〝TOSHIBA〟などで世界の半導体生産のほとんどを日本製で占めていた」ことを付け加えると、その驚きはさらに広がる。先週からはじまったばかりの後期の授業でもこの話をして、そんな反応を目の前で見た。いまや若者たちに往年の日本企業の姿はない。
そんなところに、大隅氏がノーベル賞を受賞した。このところ、日本人受賞のニュースは毎年の恒例になった感すらある。私が子どものころの受賞者は湯川秀樹氏のみで、日本人とノーベル賞は無縁に近い存在だった。
さすがにノーベル賞となれば、若者たちも「すごい」と思うに違いない。しかし、その一方で今世紀に入ってから、日本人が得たノーベル賞は外国籍の人も含めて、アメリカに次ぐ受賞数だという。そこで、私が来週の授業で言うことは決まった。まずは「あなたたちにとって、ノーベル賞は比較的身近に感じられるかもしれない」と語りかける。そして、こう続ける。「しかし、これから20年くらい経ったら、皆さんは若者に、『あなたたちは、まだ私が20代のころは、日本人がいまの□□や□□を合わせた以上にノーベル賞をとっていたことを知っていますか』と問いかけることになるだろう」。この□□には中国やインドが入るだろう。私はこれまでも同じようなことを書いてきた。ノーベル賞受賞の明るいニュースの向こうに、日本の必ずしも明るくない未来が見える。 |
迷惑フォルダー 2016/10/04 Tue 5125
このところ、熊本大学のサーバーが、「pdf」で添付されたファイルが「ウィルス感染している」と判断して、メールを自動的に削除していたとの連絡が入った。たしかに、数件だったが、「警告メッセージ」が届いていた。そのため、何人かの方からいただいたメールが読めなかった。先方は送ったと言われているのに、こちらには届いていないというわけある。いまの時代、悪意に満ちたメールもあり、多少は感受性の強い防御手段が必要とされている。しかし、それで連絡が滞るのも困ったものである。
ところで、PCのメールソフトも自動的に「迷惑ホルダー」に振り分ける。これは、メールソフトが一定の基準で判断しているのである。そして、結果としてはかなり高い確率で「当たって」いる。つまり、そのほとんどが「迷惑メール」なのである。ただし、「間違い」もあって、それに気づかないで返信しないままでいる危険性は残っている。そんなことから、私としても「迷惑フォルダー」をときおりチェックはしている。ただ、これを頻繁に実行しているとは言えない。もちろん、それは問題だと思っているのだが、つい忘れてしまっている。私が使用しているソフトの場合、「迷惑フォルダー」が日常的に使う画面に表示されないことも、「忘れ」の原因になっている。まあ、「人(ソフト)のせい」にしてはいけませんが…。 |
Me show question 2016/10/03 Mon 5124
ラジオの英会話番組で〝Me show question〟という言葉を聞いた。「私を見せる質問」ということ。学会や講演会などでフロアーから質問が出る。ところが、何だか前置きのような話からはじまって、肝心の質問がなかなかはじまらない。前置きならまだしも、何のことはない、ご本人が「あれも知ってる、これも知ってる」との自慢話になっているのである。もう会場のみんながうんざりしていても、そんなことはこれぽっちも意に介さない。とにかく感受性が低いのである、あるいは、「わかっちゃいるけど、止められない」のかもしれない。
こんなとき、気の弱い司会者だと静止することもできない。早い話が質問をしているのではなく「自分の存在をアピールしているだけ」のことなのだ。ともあれ、こうした公的な場での質問は手短にしてもらわないと困る。こういうとき〝Me
show question〟というのである。ご本人は大満足でも、周りは大迷惑なのである。
また、「これは質問というよりも意見です」は〝This is more of a comment〟〝I have a comment not
a question〟と言うのだそうな。これは微妙なところだ。「質問はありませんか」と言われたのであれば「質問」に限定するのが一応のルールだ。もちろん、意見やコメントも発表や講演の内容を充実させるために役立つこともある。ただ、それがときには「上から目線の批判」になったりする。「自分の方がよく知ってるもんね」といった空気を漂わせる。これは〝Me
show comment〟というのでしょうかね。 |
活字離れの彼方に 2016/10/02 Sun 5123
けっこう前のことになるが、活字中毒者にとってショックではあるが、それほど大きな衝撃は感じなかったニュースに接した。出版物の販売が5.3%減少したというものである。そもそも書籍には再販売制度が適応されていて、原則定価販売であり、書店は売れ残りを返品できる。その率が、書籍37.2%、雑誌に至っては41.8%というのである。これは半端な数値ではない。版元から、おそらく取次店を経て書店に届けられた本が、そのまま帰ってくるのだ。それらに使われるインクと紙、それに必要な電気代、そして輸送の経費を含めて、その半分近くが無駄になるのだから、何とも厳しく、また悲しい。あの「宝島」や「歴史読本」までもが休刊したという。
コンピューターが幅をきかせるようになっても、とりわけ首都圏あたりでは、通勤電車では新聞や雑誌を読んでいる人が少なくなかった。しかし、ここにきてスマートフォンが普及して、画面で用が足せるようになった。私も出張の際に山手線などに乗ると、老若男女を問わず、まさに猫も杓子もスマホをいじる。今年の3月ころだったか、まだしっかり営業していた直近のシネコンで、-ここは私としては「わが家の映画館」と呼ばせていただいているのだが-、映画が始まっているのにスマホを使っている客がいた。暗闇の液晶は、まるで懐中電灯のように明るい。手元だけしか見えなかったから、性別年齢は不詳だが、まったく迷惑千万な行為である。もっとも、それ以前には、携帯で話をしていた客までいた。もうこうなると「活字離れ」なんてものではなく、「倫理離れ」である。 |
偶然の彼方に 2016/10/01 Sat 5122
昨日は、私が父に送った手紙をそのまま掲載した。私の母は北九州の病院で亡くなった。享年47歳。そもそもは胃がんと診断され、1973年8月に手術した。担当の医師からは、ほとんど全摘だったが手術はうまくいったと説明された。ところが術後から一週間ほどして再手術になった。お腹が膨らんだのである。そのとき医師から「縫合不全だった」と言われた。つまりは、しっかり縫合していなかったのである。そのことについて医師は謝罪したから、ミスを認めたと言っていいだろう。
しかし、これが致命傷になるとは、家族の誰もが予想だにしなかった。それからというもの、胸に開いた傷口から食べたものまで流れ出てくる状態だった。傷口が閉じないことを医師に訴えると、「運動しないから食べられない。食べられないから傷も塞がらない」と言われた。それを聞いた私は、嫌がる母親を抱えて無理矢理に歩かせたりした。何というひどいことをしたことか。そうした苦悩のときが二ヶ月以上も続いた後で母は亡くなった。10月29日である。これはどう考えても医師の手術ミスである。
それから13年後、私はその病院の前をタクシーで通ったのである。その日は、元気であれば、母が還暦を迎える誕生日だった。母が亡くなってからも北九州のに出かけることはあった。しかし、あの病院の前を通ることは一度もなかった。つい、何かの働きがあったと思いたくなる。あれから、43年、あの医師はお元気でいらっしゃるだろうか。 |
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