仕組みを変えるポイント 2016/08/31 Wed 5091 8月26日の続き
「常識」を変えるために「仕組み」を変えていく。これを実現するにはどうしたらいいのでしょうか。まずは「全員が参画して自由にアイディアを出す」ことがポイントになります。ただし、「自由にアイディアを出す」には、そこに「何でも言える」空気が必要です。世の中には「何でも言いなさい」と言いながら、顔には「つまらないことを言うなよ」と書いてある管理者がけっこういますね。いまでは誰もが知っている「サラリーマン川柳集」ですが、出始めのころに「無礼講、酔いが覚めれば無礼者」という傑作があって吹き出したことがあります。
さて、それなりの「アイディア」が出て、「これで行こう」となったら、今度は「出来ることは本気で実践する」気概が求められます。決めるだけ決めても実践しなければ「絵に描いた餅」なのです。そして、仮に「うまくいかなければ、『朝令暮改』のこころで、元に戻る」ことも選択肢に含まれます。前進するためには平気で「引き返す」力も必要なのです。その際にも「リーダーの決断力」がものをいいます。ただし、それに対して誰も文句を言わない。そんな人間関係を創っておくことも、リーダーの仕事なんですね。もちろん、本音を言えば「文句がある人」もいるでしょうが、そこはちゃんと「大人になれる」ことで組織と個々人が成長していくでしょう。ともあれ、全員が〝Never Ending Challenge〟のこころで、前進していくことを期待したいですね。 |
中国の目 2016/08/30 Tue 5090
「日中関係は『冷たい平和』」という環球時報の論説があった。同紙は中国共産党中央委員会の機関紙「人民日報」の国際版である。この中で、安倍政権を痛烈に批判している。タイトルの「冷たい平和」は、「①積極的に関係改善の努力はしない②怒りにまかせて関係を悪化させないこと」だと定義されている。そして、「中国は日本との『冷たい平和』を10年、20年と維持できる」とし、さらに「日本よリ成長率の高い発展を続けさえすれぱ勝者となり、米国を頼った日本の中国への対抗心は押しつぶされ、…日中関係は新しい基礎の上に改善できる。日本は方向転換して中国を尊重するようになるのだ」とまとめる。その中には、「日本の競争力は年々、低下しており、スイスの国際経営開発研究所による世界競争力ランキングでは27位まで順位が落ちた」との情報も挿入している。
じつに自信に満ちた論説である。「21世紀は日本の世紀」だと言われていたわが国の相対的な衰退は否めない。この先、中国は少なくとも数値的にはアメリカのGDPを超えることは間違いないだろう。われわれは、こうした「否定的情報」にも接して、その対応策を考えることが重要である。ところで、十数億の人口を抱え、民族も多様な人の集合体が一つのまとまった国家として存在できるのか。私はグループ・ダイナミックスの観点から大いに関心がある。 |
海外の目 2016/08/29 Mon 5089
地元紙の夕刊に「海外論調」というコラムがある。海外の新聞に掲載された論説を翻訳している。これがなかなか興味深く、私はほとんど欠かさず読んでいる。とくにわが国のことが取り上げられたものから、日本を海外ではどう見ているのかを知ることができる。ただし、それが正確であるかどうかは別の問題である。とくに注意すべきは、それを「伝える主体」の立場である。それによって「同じ事象」も違って捉えられる。
報道ではとくに「客観性」が強調される。しかし、純粋な物理現象は措くとして、世の中の事象に真の意味での「中立」や「客観性」は存在しない。特定の人間(たち)が見て、彼等が書くのである。中立、客観性を保持した大脳などありはしない。したがって、意図的に「客観性」を装っている最悪のケースもあり得るのである。
しかし、そうだからと言って、あらゆる情報を遮断するわけにはいかない。それではちゃんと生きていけない。われわれ受け手側は、そうした現実を承知した上で、情報を評価する視力を鍛え続けなければならない。その意味で、可能な限り複数の情報に接触し、それらを比較することを習慣にしたい。もちろん、このことは報道に限ったことではない。また、自分にとって愉快でない情報も、それなりに受け止めて吟味していくことが重要だ。そうしたものから見えてくることがある。 |
きつい評価 2016/08/28 Sun 5088
教育実習が終わった後の中学生たちの声はじつに様々です。その中には肯定的なものもありますが、やはり「きつい評価」の方が行動を考えるヒントを与えてくれるものです。そもそもリーダーは「裸の王様」状態になっては自分が見えなくなります。リーダーは日常的に「裸のリーダー」にならないよう配慮していなければなりません。そのためにも「辛口評価」は大事な情報源ということです。そこで、教育実習性に対する中学性たちの声を聴いてみることにしましょう。
まずは「1)説明不足でみんなが困ったりした」という単刀直入のものがありました。これには「みんなが困った」とまで書かれています。授業で教師が「説明不足」を指摘されてはまずいに決まっています。しかも「私が」ではなく「みんなも」困るというのですから、これは相当にきつい。こうした表現から、それが個人的な受け止め方ではないことがわかります。もちろん、その程度が問題で、プロの教師でもすべてのことについて「完璧に説明する」ことなどできません。教育実習生は生徒たちから現職の教員と比較されるわけです。その点で、彼等は「きつい」状況に置かれているのです。いずれにしても、「自分がわかっていない」ものは「説明力」に欠けてしまいます。それは聴く側のストレスになり、授業にも迫力が感じられなくなるでしょう。 |
教育実習生の評価 2016/08/27 Sat 5087
授業の終わりに10分ほど取って、受講生に「ミニレポ」を書いてもらう。その時間で理解できたことや疑問に思ったことなどについての自由記述である。これが授業の進行に役立つことは言うまでもない。次の時間のはじめに数枚を取り上げて補足したり、改めて解説をしたりする。私なりに「双方向」の教育を実現しようという気持ちでいるわけだ。試験やレポートに「自分の疑問や意見をすぐに取り上げてもらった」ことを評価してくれる受講生もいる。こんなとき「フィードバック」の大事さを実感する。
ところで、教育学部の学生たちは教育実習に出かける。その際の学生たちに対する児童生徒の声を聴くために調査をしたことがある。実習後に、実習生たちの「よかった点」と「どうかなと思った点」を挙げてもらう。前者は実習生の自信と意欲につながる。一方、後者は「辛口の批評」になるから、ちょっときつい。しかし、それでめげていては先に進めない。そうした生の指摘を自分の行動と考え方にしっかり活かしていくことが大事なのである。ところで、「教育実習事後指導」という教育実習をまとめる講座がある。大学で複数の教員が担当しているが、私もその一人である。そこで、こうした経緯で聴き取った児童生徒の声を受講者に提示し、それを実習生が自分たちで分析し、教師として期待される行動を考える。 |
「常識」を変える段取り 2016/08/26 Fri 5086
それぞれの「職場の常識(=規範)」は「構成員全員が当たり前だ」と思っていても、外から見れば「ちょっとおかしい」と思われることはいくらでもあります。また組織の効率からすると「それが障害になっている」ケースも少なくありません。そのことに誰が気づくかですが、まずは職場のリーダーがその役割を果たしてほしいですね。それによって、職場全体で「常識を変えよう」という雰囲気が生まれればいいのです。そこまでいけば、今度はそれを「どう改善していくか」について、全員が参画してアイディアを出すことができるでしょう。そして、「これでいってみよう」という合意が形成されたら、後は実践するしかありません。
そのときに、「率先垂範」、職場のモデルになるのがリーダーであることは言うまでもありません。この一連の流れは「リーダーが先頭に立って、職場にある常識の問題を発見する」⇒「部下たちへ職場の現状について発信し、その存在を認識してもらう」⇒「部下たちがその問題点を理解し、改善の必要性を納得する」⇒「リーダーは全員が参画する議論を先導して、具体的な改善方法について検討するとともに、最終的には各人が実践する行動を決める」⇒「行動目標が設定されたら、リーダーが率先して、その実践に取り組む」ということになります。こうした「常識」の変化が組織のシステムの改善に繋がるのです。 |
常識を変える 2016/08/25 Thu 5085
ある組織で「職場規範」の重要性と、それに与えるリーダーシップの役割についてお話をしました。「規範=職場のメンバーが常識だと考えている行動の基準」を改善していくことが組織の活性化と安全に繋がるというストーリーです。その後、講演をお聴きいただいた方からご質問がありました。
「職場の常識が物事の基本であるとの理解をしましたが、仕組みの面から職場の常識を変えていく方法はあるのでしょうか。個人、特にリーダーの発信が大切であることは理解しますが、これを制度的に補完する具体的方法はあるのでしょうか?」私としては次のようにお答えしました。
ご質問いただきまして、ありがとうございます。よく「組織は人なり」と言われます。それは古今東西、そして未来永劫に「真実」だと思っています。私はそれに、「システム」を加えることをお勧めしています。つまり、「組織は『人とシステム』」という発想です。ここで「システム」というと、大規模なものを頭に浮かべられるかもしれません。たしかに、「システム」は制度や「しくみ」といった組織としての対応が求められる大きなものもあります。しかし、私は「仕事の仕方」や場合によっては「仕事の順番」など、日常的なものも含まれると考えています。つまりは「ちょっとだけ改善する」とか「手順を逆にしてみる」なども「システム」に含まれるという発想です。 |
早朝夕刊(am 5:29) 2000回の特異性 2016/08/24(2) Wed 5084
気象庁の発表では、この20日で熊本地震発生から震度1以上の有感地震が2,000回に達した。昨年、わが国で発生した有感地震が1842回というから、その特異性がわかる。私もときおり、「おっと、揺れてるな」と気づくことはある。また、「今のも地震か」と感じたりもする。前者はそこそこ揺れがあり、後者は「何となく」といったレベルである。それにしても「慣れている」自分がいる。人間にとって「慣れる」ことは、よりよく生きるために必須の能力である。それと同時に、その心性が「同じ過ち」をもたらすのも、現実である。私たちは、こうした「揺らぎ」と「矛盾」のなかで毎日を生きている。 |
既存テレビの危機 2016/08/24 Wed 5083
日本ではテレビは放送を受信するのが常識である。しかし世界的には、4Kだけでなく様々な映像をネット経由で楽しむ方が一般的になっているのではないか。テレビは放送局の電波でという感覚は、この領域でも日本がガラパゴス的状態にあることを示しているように思える。
ところで、Wi-FiでYouTubeに繋がると、無数とも言えるほどの情報にアクセスできることを知った。私は、1970年ころからコンピューターに関わり、団塊世代としては情報機器を使いこなしてきた方である。ただし、スマートフォンは所持しないし、LINEなどはまったくもって縁がない。正確には、いわゆるSNSとは意識的に関わらないことにしている。そんなわけで、YouTubeも授業で心理学実験の様子を撮った動画を使う程度だった。
ところが、4Kを見るためにYouTubeに入り込むと、溢れるほどの画像が目に飛び込んでくる。とくに国会における委員会での議論を記録した動画も数えきれないほどある。政治色が強く特定の個人や政党を攻撃したり揶揄したりするものも多いから見る側の判断力が求められる。それは当然として、こちらの方が既存のテレビよりも「おもしろい」のである。とくに、最近のテレビはいずこもワンパターンで、ほとんど観る気がしない。このままだと現存するテレビ局がきびしい状況に追い込まれることは疑いない。 |
早朝夕刊(am 5:33) ドアの開閉ボタン 2016/08/23(2) Tue 5082
先日、在来線のある駅から特急に乗ることがあった。ホームに上がると普通の電車が止まっていた。目的の特急とは反対側のホームである。普通電車は特急よりも2分早く発車する。特急の発車まで10分以上あるが、電車はギリギリにしか来ない。そんなわけで、まずは普通電車に乗った。冷房が効いていたからである。この電車が出る寸前まで座っていれば涼しく過ごせる。それは良かったのだが、ドアが開けっ放しである。ああ、じつにもったいない。東北を襲った大地震の1年前、仙石線に乗った。仙台と石巻を結ぶ路線である。電車にはドアを開閉するボタンが付いていた。暖気を逃さないためである。そう言えば、冬の寒さが厳しいところでは、他でも「開閉ボタン」を見た記憶がある。南の国で「冷房ボタン」を付けるとコストがかかりすぎるのだろうか。団塊世代には「冷気が車外に流れ出る」のは見るに忍びない。 |
4Kテレビの異次元性 2016/08/23 Tue 5081
ところで、いま電気店で売られている4Kテレビは、本格的な放送が始まっても4Kの精細度で観ることはできない。お店では「それいけ、やれいけ」で売り込んでいるが、その事実はこのごろになって知られるようになった感がある。このことをちゃんと伝えている電気店がどのくらいあるだろうか。とにかく「4K」を前面に出して、店頭でも見事にきれいな映像を流し続けている。
もっとも、私自身はそれに文句を付けるつもりはない。なぜならテレビが地震で破壊されたのだから、「テレビじいさん」としては新しいものを手に入れざるを得なかったのである。そして、いま購入するとなれば当然のように4Kということになってしまう。かくしてわが家に4Kがやってきたのだが、これまでの受像器とは異次元のものであるこに驚いた。
テレビがWi-Fと繫がるのである。それはキーボードのないPCなのだ。これを利用するとYouTubeなどから4K映像をダウンロードできる。もちろん、「番組」と言えるほどのものはないが、世界の都市や自然の風景、動物や花火などの細密な画像が目の前で展開する。じつに美しい。その中に山手線の運転席にカメラを置いて、同線を1周するものがあった。全部を観ると1時間を超えるのだが、これがまた単純に楽しい。家内からは「何を観てるの」と訝しがられたことは言うまでもないが…。 |
新たな既成事実 2016/08/22 Mon 5080
地震で50インチのテレビが壊れたことから、19インチのテレビで急場を凌いでいた。しかし、前期高齢者にとっては文字が見えにくいという決定的な問題を抱えことになった。そこで、「もう大きな揺れはこないだろう」と素人判断をして大型のテレビを買うことにした。
ただし、わが家のメンバーの一人は「大きなテレビはいらない」との価値観を維持し続けている。じつは前のテレビも息子と手を組んで、この人を何とか説得して、ようやく大型のものを手に入れたのだった。それは前々回のオリンピックのころだから、もう8年ほど前になる。今度もその人は「壊れたからといっても、大きなテレビはいらないじゃないの」と大いに疑問を呈していた。
そうした状況下で、やはり息子の強力な支援を受けて55インチの4Kテレビを購入した。画面の両サイドにあった枠がなくなったので実際の幅は前のよりもほんの少しながら縮小した。しかし、例のメンバーは「前よりも大きくなったのではないか」と疑っている。これに対しては取扱説明書のデータを示して「気のせいであること」を強調した。しかし、その説明が説得力あるものだったかどうかは相当程度に怪しい。しかし、とにかくわが家のテレビ台に座ったことだし、地震に備えて、専用の「粘着シール」で固定してしまった。そんなわけで、それはもう既成事実なのである。 |
昼出し夕刊(am 11:43) 「感動」のシーンか、それとも… 2016/08/21(2) Sun 5079
女子バドミントンのダブルスで日本組が決勝で勝った瞬間の映像は感動的だった。選手の一人はフロアに倒れ込む。そして男性の監督とコーチだろうか、コートに二人が飛び込んできて、それぞれの選手と抱き合って喜ぶ。これ以上に感動を呼ぶ画面があるだろうか。
ところが家内によれば、このときの出来事について、あるテレビ局では「まずは2人の選手がハグするんじゃないの。その前に監督たちが飛び出しちゃって」と語っていたという。ただし、それは批判的なものでなくユーモラスな表現だったらしい。私も「なるほど、そりゃあそうじゃ」と思った。
それからがいけない。あの「感動の場面」はいろいろな局で繰り返し流されたが、その度に私はお腹を抱えて笑ってしまうのである。まったく「同じ」画面なのに、こちらの想いが影響して、「感動」から「笑い」を誘発するシーンになった。それどころか、こうして思い出しながら書いているいまでも「笑って」しまうのである。つまりは、個々人の主観的意味づけが「事実」の見え方を決めるのである。
|
本震被害とテレビ 2016/08/21 Sun 5078
4月14日の「前震」は大きく揺れたものの自宅も研究室もそれほどの被害はなかった。しかし28時間後に襲ってきた「本震」のダメージは激烈だった。その結果として、私も6泊7日の車中泊を余儀無くされた。とにかく家中のいろいろなものが倒れ、移動し、壊れた。
そのなかに50インチのプラズマテレビがあった。「前震」では台の上を移動しただけだったが、「本震」で絨毯の上に転倒した。目に見える裏面もへこんでいた。しかし、「前面が厚手のガラスだから、ひょっとして」という期待をもちながら息子に手伝ってもらって起こしにかかった。その瞬間、「チャラチャラ」と、割れたガラス特有の音がした。テレビは見事に壊れていたのである。
それからしばらくは急場しのぎに買った19インチの小さなテレビで過ごすことになった。いま思わず「小さい」と言ったが、それでも「19インチ」である。画面が横長になっているから同じ比較は出来ないが、日本人が初めて家庭で買った超高価な白黒テレビのほとんどが14インチだった。そんな大きさの画面でも、テレビが買える家はとにかく大金持ちだった。そこに近所の人もやってきて「ワイワイ」騒いでテレビを見ていたのである。金曜日の夜8時ともなれば「三菱ダイヤモンドアワー」の「プロレス中継」がはじまった。大人も子どもも14インチで興奮したのである。 |
自転車並み 2016/08/20 Sat 5077 (4015)
先日、「教員免許更新講習」のため阿蘇へ向かった。通称「ミルクロード」と呼ばれる外輪山を上るルートしか機能していない。この道の先に絶景の大観峰(だいかんぼう)がある。ここは標高935.9m、阿蘇北の外輪山で最も高い位置にある。阿蘇カルデラに五岳、さらに反対側には九重連山も遠くに広がっている。また、黒川温泉で知られる小国や杖立温泉へも「ミルクロード」を通っていく。そんなことから、この道はこれまで何回となく使っていた。
ただし、今回は阿蘇への「迂回路」として走った。外輪山のトッペンにつく少し前に十字路がある。それを真っ直ぐに突っ切っていたのだが、そこで右折して下っていくと会場のある阿蘇町に至る。私はこの道を熊本に来て37年目にしてはじめて走った。ちょうど下り坂にかかったときだった。何とも猛烈なゲリラ的豪雨が襲ってきた。まあ、いろいろあるものだ。
さて、翌日の講習は滞りなく無事に終えた。そこまでは順調だったが、熊本への帰り道の渋滞はとにかくすさまじかった。外輪山に登る前から車の列が続いているのである。そりゃあそうだ、大分方面からやって来るトラックや長距離のバスまでもが片道一車線の道に集中するのだから渋滞しない方がおかしいのである。そんな状態だから自宅に着いたときは出発から2時間4分が経過していた。この間の距離は46kmである。単純計算で時速23km、やや速めの自転車並みあるいはマラソンよりは少々速かった。 |
幹線道路の通行止め 2016/08/19 Fri 5076
南阿蘇に行く道はトンネルだけでなく橋も破壊されたため、こちらのダメージもきわめて大きい。かくして、熊本から阿蘇へ行く南北の幹線道路2本が完全にアウトになった。そんな中、宮崎県の高千穂に車で出かける機会があった。このときナビは阿蘇を経由するルートを勧めた。しかし、地震で通行止めになっている道路もありそうなので、安全を優先して熊本市から南へ下って御船町を経由する道にした。こちらも崖崩れの形跡があり、迂回路が設定されていたが、無事に目的地まで行けた。地元の方のお話だと「阿蘇ルート」も繋がってはいるとのことだった。そこで、帰路は高森を通ることにした。もちろん、途中から迂回するのだが、俵山トンネルが崩壊したため、山道を走ることになった。熊本に来てからほぼ37年の私だが、このとき「初めて」の道を走った。とにかく上り下りの連続で道幅も広いとはいえない。そんなわけで、それなりの緊張感をもって先に進んだ。
そろそろ熊本空港に近いと意識し始めたときに道が分かれた。そこでナビが指示する方向とは違う道を選んだ。まあ、私の「直感」でそうしたのである。そして、少しばかり山道を上ると信号機のあるT字路の前に着いた。正面に民間の空港利用者向け駐車場の看板が見えた。その瞬間、私が想像していた地点に向かっていなかったことを悟った。もっとも、それはどちらかと言えば自宅寄りではあった。とは言え、またしても私の「直感」の危うさが証明された。 |
早朝夕刊(am 6:40) 賢者と敵 2016/08/18(2) Thu 5075
A wise man gets more use from his enemies than a fool from his friends.
「賢者は、愚者がその友人らから得るよりも多くのことを自分の敵たちから得る。これはBaltasar Gracian(1601-1658)のことば。彼はスペインの哲学者・神学者、イエズス会司祭である。「敵から多くのことを学ぶ」。じつにカッコいいなあ。それは「敵を評価し、尊敬すること」でもある。そう考えると、そんなことは「賢者」しかできないんだろうなあ…。 |
阿蘇への道 2016/08/18 Thu 5074
私は、教員免許更新講習で「対人関係スキルアップ・トレーニング」を担当している。スタートは9時で、16時20分までの一日コースである。熊本大学では、大学外でもサテライト会場と呼んで、「玉名」「阿蘇」「人吉」「八代」「天草」の5地区で講習を実施している。私の趣味は「仕事」なのだが、とりわけ「リーダーシップ」や「対人関係」に関わる「トレーニング」は楽しくて仕方がない。そんなことから、大学とサテライトを合わせて年間に6回の「対人関係スキルアップ・トレーニング」を楽しませていただいている。毎回、50から60名の先生方が受講される。
つい先日は阿蘇会場に出かけた。今回の大地震で熊本市から阿蘇に行くメインの道路は通行止めが続いている。大規模な土砂崩れが発生して、熊本と大分を結ぶJR豊肥線や道路が大きな被害を被った。阿蘇から熊本市に流れて白川になる黒川にかかる全長205.9mの「阿蘇大橋」までも破壊されてしまった。このとき土砂崩れに遭って行方不明になっていた大学生が、ようやく発見されたばかりである。この道路は熊本から阿蘇へ出かける定番のもので、私も年間に4~5回は通っていた。それが,まったく使えないのである。このルートは相当な年月をかけて片側2車線の道路に整備され、熊本から阿蘇がさらに近くなっていた。もう一つ、熊本空港側からトンネルがあって、南阿蘇にもあっという間に行けたのだが、こちらもアウトになってしまった。 |
早朝夕刊(am 5:44) シネコンのダメージ 2016/08/17(2) Wed 5073
そもそもは公称「映画好き」で、自分でもそのつもりでいる。今年は3月までに9本の映画を観ていた。「この調子だと40本くらいまでいくんじゃないか」と思ってワクワクしていた。そんな中での地震である。素人ながら空洞の多いシネコンの打撃はすさまじかったようだ。現在も私が観にいくエリア内のシネコンはすべてクローズしたままである。そうした状況で、熊本市街地に老舗の「電氣館」があって、すでに上映を再開している。こちらはビルの中にあることから、構造的にリカバーしやすかったのだろう。少し前、出張で出かけた際に駅のシネコンに行こうかと思ったが、上映時間のタイミングが合わなかった。あの「本震」から4ヶ月と1日、まだまだ元に戻っていないものがいろいろある。 |
同時性の衝撃 2016/08/17 Wed 5072
「人口動態年間推計」には「平均発生間隔」が記載されている。それによれば、「出生」は31秒、「死亡」は25秒である。あくまで平均だが、昨年の日本人はこの間隔で「生まれたり」「亡くなったり」したわけだ。そうしたことから、われわれは、身近な者を除けば、「知らない人」たちの「誕生」も「死亡」も意識することはない。
しかし、いまから考えると、「あのとき」だけは違っていた。それは4月16日午前1時25分に発生した「本震」の「あのとき」である。私はベッドとタンスに腕を突っ張って大揺れを凌いでいた。テーブルの下に潜り込んだ家族が私に「こちらに来て」と必死に呼んでいる声を聴いていた。そのとき私はどうしてそこに行かなかったのか、その理由はわからない。天井と壁の間から粉状のものが降ってくるのが見えた。そして、私の耳には「うぉーっ」という自分の声が聴こえていた。この大揺れで、ありとあらゆるものが、あるいは落下しあるいは転倒した。したがって、それらの音も耳には届いていたはずである。しかし、なぜかその記憶ははっきりしない。また揺れがどのくらい続いたのかも覚えていない。長かったような気もするが、そうでなかったような思いもある。
ただ、「あのとき」「同時」に、ある人たちは家屋の下敷きになり、ある人は車で走行中に崩れ落ちた土砂に襲われて「命」を失った。そして、「あのとき」を共有していた事実が、衝撃となって私の気持ちを動かす。 |
早朝夕刊(am 7:03) 一人の責任? 2016/08/16(2) Tue 5071
全国高校サッカーの棄権問題は、高校側が保護者に謝罪した。学校としては「これで終わり」ということだろう。そもそもは、予選にあたる開会式に参加しなかったことから棄権扱いになったのである。その理由は「顧問が日程を勘違いした」ことで一貫している。つまりは「たった一人」の、しかも「勘違い」が「原因」だというわけだ。私も、これを追及するつもりはない。しかし、結果を見る限り、この件は「個人」に起因すべきものではなく、「組織」の問題だと考えざるを得ない。前月にあった大会の組み合わせ抽選会でも日程の説明があったに違いない。その抽選会には「顧問しか」出ていなかったのか。
そもそも、「顧問しか」「大会のスケジュール」を知らないということがあり得るのか。わが家ですら、孫たちの運動会は年の初めには「例年通り」を予想し、その日を空けておく。そして今年も、その「予想通り」の日に確定している。大事な大会の日程を「顧問だけ」が把握していて、学校の責任者も、生徒たちも、またその保護者たちも「まったく知らない」って、本当にあり得るのだろうか。それでは「一人の勘違い」で「即アウト」ということになる。そうだとすれば、そうしたシステムで運用されていること自身、組織の問題である。
ついでながら「高校サッカードットコム」を覗いてみた。その中に全国の試合結果はあったが、「今後の日程」といった情報は見つけきれなかった。そんなものなのか。 |
超高齢社会 2016/08/16 Tue 5070
「人口動態統計の年間推計(厚生労働省2016年1月1日)」によると、2015年の出生数は100万8千人、死亡者数は130万2千人だった。つまりは29万4千人ほど亡くなった人の方が多い。それだけ人口が減少したことになる。
ところで、「団塊の世代」とは堺屋太一氏の同名の小説に由来する。彼等は敗戦後の1947年から1949年の3年間にかけて生まれた。いま三人称を使ったが、私自身がそのど真ん中にいる。その数はすさまじく、1947年247万人、翌48年248万人、そして49年は249万人である。何と、3年間で744万人もこの世に出現したのだ。先だっての参議院議員選挙で、18歳と19歳の新有権者が生まれたことが話題になった。その数は合わせて240万人だという。つまりは、「団塊世代」の1年分に届かないのである。
最近の傾向を見れば、出生数が「100万人」の「大台」を切るのは時間の問題である。わが国は、すでに65歳以上の高齢者が全人口の1/4を超えた。まさに「超高齢社会」が現実なのだ。しかも、この変化は止まったわけではない。さらにその程度が加速していく。私は現在も熊本大学で授業をしていることもあり、周りには若者が多い。また、仕事場の「教育実践総合センター」は附属小中学校と同じキャンパスにあるから、たくさんの子どもたちを毎日のように見ている。しかし、熊本市からほんの少しだけ足を伸ばすと、街はシャッターが降りて閑散とし、ときおり見かける人は私よりも年配者の方が多い。 |
早朝夕刊(am 6:32) 日程忘れの棄権 2016/08/15(2) Mon 5069
全国高校サッカー選手権の予選でシード校が「棄権扱い」とされた(朝日DIGITAL)。学校側によれば「顧問が日程を間違えた」という。保護者会は「選手たちに罪はない」ことから救済措置を求めて嘆願書を提出するようだ。ただ、運営する団体の関係者は、「大会の開会式要項には、7人以上の出席がなければ大会を棄権になると明記され、『抽選会』でもその旨の説明がなされていた」と語っている。
当該高校は強豪で、だからこそシード校になっていたのである。
それにしても、どうしてこんんな「単純ミス」が起きるのだろうか。そもそも関係者が「開会式」を忘れることなどあり得るのか。記事には「顧問が日程を忘れていた」ことだけし書かれていない。これだと、顧問以外は校長を含めた教員も選手たち自身も、そして保護者たちも「開会式の日」を「まったく知らなかった」かのようだ。そんなことって「あり得る」のだろうか。 |
「専門力」がポイント 2016/08/15 Mon 5068
「設計」という仕事においても、「目標達成」と「集団維持」双方に配慮したリーダーシップが求められます。
「目標達成」に関しては、①リーダーとしてご自分の「専門性」の向上を追求し続けていただきたいと思います。リーダーは何と言っても「専門力」で勝負したいものです。学校では教師の体罰が報道されることがあります。そうしたニュースに接するたびに、私は「腕力ではなく『専門力』で影響を与えてほしい」と思います。相手を殴って言うことを聞かせるのであれば、「誰だって」教育できるのです。そうではなくて「専門力」のすごさで相手を圧倒しする。リーダーはそんな迫力を持ちたいものです。
さらに「有能」なリーダーは「専門力」に優れていますから、②自分の基準で部下を評価しないことです。あるいは才能に恵まれていて、「自分は簡単に身につけた」と思われることを、なかなか自分のものにできない部下にイライラすることもあるでしょう。そのときには、リーダーとしての「我慢力」も必要になってきます。
③その「専門力」も、すべてが部下たちより優れていなければならないわけではありません。現代は何もかもが高速で変化する時代です。専門の領域においても部下の方が上をいくことはいくらでもあります。そんなとき、「部下には負けられない」と焦ったり、あるいは張り切りすぎたりすることはありません。
今回は、「専門性」に重点を置いてお答えしました。私自身は{リーダーシップ力=(専門力✕対人関係力)/部下の人数}という「公式」をご提案しています。設計のお仕事そのものは存じ上げませんが、ここでご紹介しました「専門力」とともに「対人関係力」がリーダーシップに欠かせないことをお伝えしておきたいと思います。これらも含めて、私のHPからダウンロードできるようにしております「コミュニケーションとリーダーシップの技術」をご参照いただければ幸いでございます。
最後はちゃんと私のHPを案内することを忘れていません。 |
「尻切れトンボ」の「繋ぎ」 2016/08/14 Sun 5067 5月14日の続き
さて、「尻切れトンボ」の「つなぎ」です。昨日「尻切れトンボ」の話題がいくつかあると書きました。これはその一つで「5月14日の続き」になります。この日まで、講演後にいただいたご質問に答えていたわけです。「自分は『設計』の仕事をしているが、この業務で『安全とリーダーシップ』の関係を知りたい」といった内容でした。そこで5月7日と10日、そして14日に私の見解を提示していました。そして、「リーダーシップは『行動』だとしても、その時々の状況や部下との関係で、求められるものは『変わってくる』という見解もあります」と書いたのが5月14日です。本日はその続きです。そもそも、質問者は「設計」が専門で、「製造」などにおけるリーダーシップと違いがあるのかどうかを問い合わせてこられたのでした。
さて、生まれたばかりの赤ん坊は何もできませんから、まさに「おんぶに抱っこに子守歌」も交えながら全面的に働きかけます。赤ん坊の方も周囲の大人たちに依存しています。しかし、子どもが成長するにしたがって、親としての関わり方は変わってきます。これと同じように部下の成長や部下との関係の成熟度などに応じて、リーダーが取るべき行動が変わるべきだという考え方も当然なものとして受け入れたくなります。
ところで、「現場を中心とする業務ではなくて、設計を中心とする業務において、安全とリーダーシップの関係について参考となるものがあるか」とのご質問ですが、これに対しては、以下のようなまとめができるかと思います。
これまた「尻切れトンボ」になりましたが、この後に「まとめ」として3点を挙げています。その内容は明日の本欄でご紹介します。 |
早朝夕刊(am 6:32) 宇宙と人と運命 2016/08/13(2) sat 5066
熊本地震で行方不明になっていた大学生が発見された。今回の地震でただ一人の行方不明者だった。私たち家族は熊本学園大学の避難所でお世話になったが、この大学の学生さんだった。いわゆる「前震」の後、車で阿蘇の自宅に帰る途上に「本震」が襲ってきた。それは4月16日の午前1時25分だった。山が土砂崩れを起こして200mを超える阿蘇大橋まで破壊した。そこを大学生の車が通過していたのである。土砂崩れがどのくらいの幅で起きたのかはわからない。しかし、時速60kmで走っていたと仮定すれば、1秒で16.7m進む。土砂崩れの幅が300mとして、18秒ほどの距離である。つまり、大学生がここを20秒前に通過するか、同じくらい遅れていれば難を逃れたことになる。こうした仮定をすること自身が大学生と関係者に対して礼を失していると思う。ただ、このわずかな時間を考えると、永久と思われる宇宙の中で生きている人間の「運命」というものが頭を過ぎるのである。 |
尻切れトンボ 2016/08/13 Sat 5065
世の中では、次々にいろいろなことが起きます。また、「大脳」の中でも、あれやこれやの思いが発生するのはお互い様でしょう。そんなことから、このコラムの「ネタ」が絶えることはありません。私はそのことを楽しんでいるのですが、悩ましい問題を抱えています。それは、「連載」しているつもりでいても、いつの間にか「どこかへ飛んでいって」しまう「ネタ」が増え続けることです。
私は、おそらく5年ほど前に、グループ・ダイナミックスの創始者であるレビンがドイツからアメリカに渡るころの話を書いていました。ところが、「ちょっとだけ」間を置いたために「連載」でなくなってしまったのです。そのときは「続きを楽しみにしています」といったメールもいただいていたのですが、まさに雲散霧消してしまったまま今日に至りました。こうした「不義理」はご容赦いただくしかありません。そして、いまや「前期高齢者」の「永久資格」を取得したのです。これからは「そうしたこと」が増えることはあっても減ることはあり得ません。
こんなことを書いていますのは、「ああ、続きを放置したままだなあ」と思う「ネタ」がいくつか頭に浮かぶからです。例えば「リーダーシップに関するご質問への回答」「遊覧飛行物語」「昭和歌謡三昧」などは、「まだ終わっていない」のです。やれやれ、いつものように「前口上」だけで終わってしまいました。 |
今月の写真 2016/08/12 Fri 5064
熊本城はようやく補修がはじまった。天守閣は数年で修復したいとのことだが、石垣は簡単ではない。すべてを元の位置に戻すというのだから、想像しただけで気が遠くなる。私は「熊本城完全復興記念祭」を見ることはできないとあきらめている。熊本城は石垣の壮大さ、力強さが大きな特徴である。「武者返し」と呼ばれる形状はじつに格好いい。今月の写真は「東十八間櫓」の石垣を撮ったものだ。私は二つの石垣が重なっているところが気に入っていて、この角度からの写真がけっこうある。茂った木の向こう側には熊本大神宮がある。しかし、それも石垣の崩壊で社が押しつぶされてしまった。その撤去もはじまった。もちろん再建されるに違いない。
もう1枚は阿蘇の火口である。阿蘇は活動が活発になるたびに火口への立ち入りか規制されてきた。そして現在は地震で火口までの通行ができないという理由で火口を見ることはできない状態が続いている。写真は2008年10月4日に撮ったもので、もうずいぶんと昔のことになる。活火山の火口を真下にのぞき見ることができるのは世界でも珍しいのではないか。とにかくものすごい迫力である。だからこそ、大きな観光資源でもあるのだが、それもこれも天変地異にの前には如何ともしがたい。 |
早朝夕刊(am 6:08) 唯一の行方不明者 2016/08/11(2) Thu 5063
熊本地震で唯一の行方不明者だった大学生が見つかったようだ。今日のうちにはっきりするだろう。本震以来、両親を先頭に多くの人々が大学生を探し続けた。車が土砂崩れに巻き込まれたことは間違いないと考えられていた。しかし、地震直後の大規模な捜索では発見されず、余震や大雨による二次災害の虞などから中断されたりして一進一退の感があった。
その間も家族は河川敷に降りて手がかりを探し続けた。そして、ついに車の一部と思われる物を発見したのである。両親をはじめとしてサポートした人々の気持ちの力に圧倒される。これを「執念」と表現した報道もあった。車の中に「人」と「衣服」と見られるものが発見されたものの、天候などの事情から引き上げは今日まで延期された。こうした状況に父親は「もどかしいけれども、全力を挙げてもらっているのだから、お任せするしかない」といった趣旨のことを語っていた。その気持ちを抑えた冷静な姿勢に感動する。あれから4ヶ月近くになる。 |
校長のチョンボ 2016/08/11 Thu 5062
「校長、小学校敷地に喫煙所」。見出しを見ただけで「ああ、またか」とガックリする。事実が発覚したのは、福岡市立の小学校である。全国的に禁煙の流れが広がり、学校では全面禁煙が常識になっている。子どもたちの「心身の健康」を維持増進することは学校教育の目標である。学力だけが伸びればいいってものではない。
さて、件の校長だが、小学校の敷地に何と「喫煙所」を設置し、教諭らに使わせたという。記事によれば、校長は「敷地外だと地域の目が気になった。たばこはやめられなかった」と説明しているようだから、「教諭らに使わせていた」だけでなく、「自分も吸っていた」と思われる。まさに「隠れたばこ」そのもので、子どもたちに示しが付かないこと甚だしい。
いつだったか忘れたが、こっそり喫煙所をつくて教員たちがたばこを吸って小火(ボヤ)を出した学校があった。このときも校長が絡んでいたと思う。そもそも校長の了解なくして「喫煙所」など設置することはできないはずだ。今回の男性校長は52歳、減給1力月の懲戒処分を受けたという。ヤレヤレとしか言いようがない。福岡市教委は2005年4月から、市立の小中高校や幼稚園などの敷地内での喫煙を禁止する通達を出していたらしく、それからすでに10年以上が経過しているのである。 |
暗澹ニュース 2016/08/10 Wed 5061
見出しを見ただけで暗澹たる気持ちになるニュースが絶えない。「長崎バスまた身代わり運行」の文字が目に飛び込んできた。男性運転手(52歳)が運行前の呼気検査を受けたところ、酒気帯び運転相当のアルコールが検出された。この時点で運転はアウトのはずである。そのために検査をするのである。ところが、ここで家族を身代わリにして再検査をしてパスしたという。それから乗客約30人を乗せて路線バスを1時間近く走らせたのである。しかも検査を担当した68歳の男性職員も身代わリを黙認していたというから、あきれて声も出ない。しかも、会社によれば7月下旬にも、別の運転手が後輩に身代わリを頼み、運行前の検査をすリ抜けていたらしい。もう開いた口が塞がらない。
同社は就業規則に照らし、関係職員を厳正に処分する方針だという。厳正な処分がどんなものか知らないが、当然のことである。しかし、そもそも規則以前に組織に問題があるのではないか。
まずは当の本人だが、前日に350mlの缶ビールを11本も飲んだというから、倫理観云々のレベルではない。すでにアルコール依存症の域に達しているのではないか。翌日勤務があるとわかっていながらの大量飲酒である。ここで家族が身代わりになるとは、検査システムはどうなっているのか。しかも、検査を担当していた職員が身代わりを黙認していたと聞けば、もう「開いた口が塞がらない」なんて表現では足りない。しかも7月下旬に類似したすり抜けが起きていたという。ここまでくると、組織としてほとんど救いようのない状態である。
この問題の運転士、それまで飲酒に関して「全く問題になったことがない」状況だったのか。今回が「初めてだった」のだろうか。そんな人が「突如として缶ビール11本」を飲んで、翌日に飲酒検査を受けたというのだろうか。身近に「とうとうバレちまった」と思っている者はいないのか。検査担当者は何を考えていたのか。見逃しはこれが「初めてだった」のか。次々に疑問が湧いてくる。 |
天邪鬼氏の憂鬱 2016/08/09 Tue 5060
昨日、永年お付き合いをしている天の邪鬼氏と会った。何やら浮かぬ顔をしているので「どうしたのかい」とたずねた。氏曰く「また憂鬱な日々がやってきた。これは4年に一度、決まって自分に襲ってくる」と言う。天邪鬼氏は誰もが認めるテレビっ子である。ただし、その年齢を考慮すれば「テレビじいさん」というべきだろう。
彼は大いに嘆くのである。「とにかく、朝から晩までどのチャンネルを回しても『オリンピック、オリンピック』なんだ」。ここで「チャンネルを回す」と表現しているところからも、天邪鬼氏の年齢が推測できる。「もう、仕方がないので教育テレビで『お母さんといっしょ』を見たりして時間を過ごしてるよ。そうそう、夜の8時には『団塊スタイル』という番組もあって、われわれ世代の生活や健康の話題を取り上げているんだ。これって、自分にもけっこう役立つ情報番組なんだよね…」。
そこまで言う天邪鬼氏に聞いて見たくなった。「そんなにオリンピックが嫌いなのかい」「いやいや、スポーツが悪いなんてこれっぽっちも思っちゃあいないよ。ただ、世の中がそれ一色になってしまうのが嫌なのさ。つまりはオリンピックだけの話じゃあないんだ」。そしてぽつりと付け加えた。「それにしても、この性格だけは親父に似すぎてるなあと苦笑いもするんだよね」。さらに、「こんなことを言っても『非○民だ』と後ろ指を指されない国っていいよね」と嬉しそうに笑った。まことに白けた天邪鬼氏ではあるが、こんな人もいるんですね。 |
ブーメラン効果 2016/08/08 Mon 5059
都知事選での「瞬間接着剤」は効果を発揮しないままに終わった。T氏の出馬表明を受けてU氏が降りたとされる。私はU氏についての情報ゼロだが、過去2回の都知事選にも立候補していて、前回は90万票ほどで次点だったようだ。今回は3回目の立候補を予定していたわけだ。私は都知事選の状況をまったく知らない外野にいる。そんなわけで、「失礼この上ない」と叱られそうだが、ここで立候補していても当選はむずかしかったのではないかと推測する。
ただ、U氏は仲間たちと都議会に通い、都の問題について考え続けてきたという。そして都政に直接関わる問題を争点として提起していた。立候補すれば討論会で発言することになり、「都固有の問題」が議論されただろう。今回はこのあたりが争点になっていなかった感がある。
ともあれ、T氏はそうした人の出馬を止めさせたのである。その点でT氏の責任は相当に重い。もちろん、「参議院選挙の結果を見て急に決めた」というT氏を、瞬時に連携して支持を決めた人たちの責任も軽いとは言えない。「とにかく勝てばいい」では都民は大迷惑である。
T氏としては昔の問題で攻撃されたのは想定外だっただろう。これについて、前O市長のH氏は「自分が週刊誌から問題にされたときは、徹底的に追及しろと言ってたじゃないの」と、T氏が週刊誌を告発したことを皮肉っていた。まさに「ブーメラン」が戻ってきたのである。
|
「代表値」のおしまい 2016/08/07 Sun 5058
この話題、そもそもは統計のプロである鈴木義一郎氏が自著のカバーに「平均寿命より先に死ぬ人は半数いると達観、葉巻に酒は欠かすことがない」と書いていたことからはじまった。すでに見たように「平均寿命より先に死ぬ人は半数いる」のではない。鈴木先生が「葉巻と酒」を止めない理由として冗談を言われているのである。プロをして「平均値の魔性」は「自分の行動を正当化」させる(?)のだろう。「葉巻と酒」の魔力には驚くほかはない。
因みに三重大学の奥村晴彦教授が平均寿命について書かれているものを挙げておこう。データは21013年のものだが、このとき平均寿命は男性が80.21歳で女性が86.61歳だった。そのデータを元に「中央値」を算出すると、男性83歳、女性89歳になったという。さらに、「最頻値」は男性は87〜88歳で女性は91〜92歳だった。男性が亡くなる年齢で最も多いのは87歳、女性は91歳あたりなのである。このときの「平均値」である、男性80.21歳、女性86.61歳と比べれば、実際は「かなり長生き」する人が多いのである。
このシリーズもこのあたりでストップしないと、「いつまで引っ張ってんの」とお叱りを受けそうだ。いずれにしても、世の中に出回っている「平均値」にはお互い気をつけましょう。そして、皆さん「平均寿命」に惑わされずに、「健康で元気な人生」創りを目指していこうではありませんか。 |
最頻値 2016/08/06 Sat 5057
「代表値」のもう一つは「最頻値」で、文字通り「最も頻度の多い値」である。これを「モード(mode)ともいう。英語の〝mode〟は「行動などを含めた様式」や「流行しているファッション」などの意味がある。そして、統計や数学の用語としては〝
most frequently 〟という表現で定義されている。
ここで再度「温泉エレベータ」で乗り合わせた9人の身長を挙げると、[①155cm][②158cm][③160cm][④162cm][⑤163cm][⑥164cm][⑦164cm][⑧177cm][⑨182cm]だった。この中に[164cm]の人物が二人いる。その他はすべて一人である。そこで、「最頻値」の定義にしたがえば、それは[164cm]になる。ケースが少なすぎるので実感しにくいが「最も多い」数値もきわめて重要である。私が高校生のころ、わが家の貯金が平均値を下回っていたことを知って「軽い衝撃」を受けた。しかし、それは「お金持ち」が平均値をつり上げていたからだった。わが家の貯金だって、その当時「最も多くの人」の貯蓄額と同程度だった可能性は十二分にある。
ともあれ、「温泉エレベータ」の「代表値」をまとめると、「平均値」は[165cm]、中央値は[163cm]、最頻値は[164cm]とそれぞれ異なっている。なお、ここで扱った「平均値」は「算術平均値」で、その他に「幾何平均」「調和平均」などがある。おそらく中学校あたりで学習した記憶をおもちではないだろうか。測定する対象の性質に応じて適切なものを選択する。心理学では、そうした性質をもった要因も少なくないが、ここではこれ以上立ち入らない。 |
代表値 2016/08/05 Fri 5056 8月2日の続き
「平均値」を考えたので、ついでに「中央値」と「最頻値」についてもお話ししておこう。「平均値」を含めて、これらはデータ全体の性質を一つの指標として「代表」して示すことから、「代表値」と呼ばれる。
「平均値」が「それ以上」と「それ以下」の「真ん中」にあるとは限らない。いやむしろ、現実はその方が少ないことはすでに見たところである。ここで、例に挙げた9人の身長で考えてみよう。そのときのデータは、[①155cm][②158cm][③160cm][④162cm][⑤163cm][⑥164cm][⑦164cm][⑧177cm][⑨182cm]だった。まずは、「中央値」である。これを「メディアンあるいはメジアン」ともいう。英語の〝median〟は「中央の;中間の:二等分する面の;左右対称にわける面の」という意味がある。これは文字通り「データを小さい方から、あるいは大きい方からでも同じだが、順に並べたとき」に「真ん中」にくる「値」である。この「値」でデータ数が「左右対称」に分かれるわけだ。これぞ、「それ以上」と「それ以下」が「同じ数になる」値なのである。「温泉エレベータ」のサンプルでは同乗者が9人いたから「真ん中」は「5番目」の人物になる。その人の身長は「163cm」で、これが「中央値」になる。データの「平均値」は「165cm」だったから、より「現実」を反映しているというべきだろう。平均寿命の場合は「中央値」の方が「平均値」よりも高くなる。 |
瞬間接着剤の効力は? 2016/08/04 Thu 5055
知事選の結果はマスコミの情勢分析そのままだった。投票終了時間の8時には「当確」が出るのだから、おもしろくもなんともない。
当初は小池氏と鳥越氏が競り合うかに見えた。増田氏は与党のバックアップを受けたが、印象が薄いというのか、今ひとつだった。その点では、鳥越氏の知名度は抜群だっただけでなく、野党が統一候補としてあっという間もなく飛びついた。それはもう瞬間接着剤が効いたかのようだった。そして、その瞬間は「ひょっとすると鳥越さんか」という雰囲気もあった。先の参議院選挙における得票結果を見ると、東京都では野党を合計した数が与党と競り合うところまでいっていたらしい。そこで、「統一なら行ける」と踏んだのだろう。しかも、自民党が分裂気味になったことから、「勝てる」との期待が現実になりそうな気分が漂ったのではないか。
ところが、時間の経過とともに鳥越氏には不利な情報も流されるようになった。それだけでなく、そもそも立候補した経緯が、参議院選挙の結果を見て「これではいかん」と「急に思い立った」というのだから、これは相当程度に問題である。都民の中には「自分たちを馬鹿にしているのか」という思いの人もいたのではないか。さらに、その後も討論会をキャンセルしたり、保育所に関しては制度を知らないのではないかと指摘される発言をしたりで、急速に力を失っていった。そして、「惨敗」と評される結果になってしまった。
|
私と都知事選 2016/08/03 Wed 5054
私と都知事選の関係はまったくない。ただ、ほんの少しばかりの繋がりがあって、勝手に面白がっている。前知事の舛添氏と私は同じ年である。生まれ月では私の方がほんの少し兄貴分だ。彼は北九州の八幡市の出身で、高校生のときまでそこに住んでいたらしい。私の両親は中国からの引き揚げ者である。父は帰国してから公務員の試験に受かり、その初任地が八幡市だった。そんなことで、子どもの私は小学校に入学する前の2年間ほどは八幡市に住んでいたのだ。つまり、舛添氏と私は、ほんの一時期ながら、あの八幡製鉄所の煙突から出る七色の煙の元で暮らしていたのである。あのころは、煙突から吐き出される煙が元気な都市のシンボルであり、市民のほこりでもあった。
さて、もうお一人は「究極の後出しじゃんけん」と言われた鳥越氏だ。この人とは年齢はけっこう違うが、福岡県の吉井町出身だという。私の両親は引揚げてから母の郷里で一時的に過ごした。八幡市で生活を始める前である。そのとき、吉井町で私が生まれた。ここにいたのも2年程度ではないかと思うが、この間だけ鳥越氏と「同じ空気」を吸ったことになる。
もちろん、舛添氏も鳥越氏も、それ以外では私と何の関係もない。このところ東京都知事がらみでマスコミをにぎわせたお二人とちょっとした関係にあったというだけの、他人にとっては面白くも何ともないネタ話である。貴重なお時間を取ってしまい、申し訳ございませんでした。 |
プロの冗談 2016/08/02 Tue 5053
「平均値」は全体の「真ん中」にある、つまり「それ以上」と「それ以下」が「半分」だとは限らないのである。温泉エレベータの例からわかるように、そこに「長身の若者2人」がいただけで、「平均値」はグーンと高くなる。そして、現実はこうしたケースの方が多いと言うべきなのだ。私が高校生のころ銀行協会が家庭の平均預金額を公表していた。そのとき、母にわが家の貯金額を聞いたら、かなり少額で「うちは貧乏所帯なんかいな」とがっくりしたことがある。しかし、心配はいらない。世の中には数は少なくても「超大金持ち」や「金持ち」がいて、「平均値」を「高い方」に「引き上げて」いるのである。これは「温泉エレベータ」と同じことである。
それと対照的なのが「平均寿命」だ。出生時に亡くなってしまう赤ん坊がいる。また、健康で長生きする可能性が高い子どもや大人が予期せぬ事故で天命を全うできない場合もある。こうした事情から、「寿命」にかかわる「平均値」は、「低年齢」の方に動くのである。実数としては、「平均寿命」よりも「長生き」する人がけっこう多いのである。
そんなことで、統計のプロである鈴木義一郎先生が、ご自分の著書のカバーに「平均寿命より先に死ぬ人は半数いると達観、葉巻に酒は欠かすことがない」と記しているのが笑えるのである。その「論理」で「酒と葉巻」を十二分に楽しんでいらっしゃるのだ。だた超真面目な私(?)は、統計の入門書のカバーだから「素人は勘違いするよなあ」と思ってしまうのですが…。 |
早朝夕刊(am5:21 ) 1≒2+3 2016/08/01(2) Mon 5052
東京都知事選挙はマスコミの事前報道の通りになった。国政選挙ではないので、投票の締め切りと同時に午後8時から特番を組んだのはNHKだけだった。いまでは常識になったが、「時報」と同時に「当確」が出された。あとは「どのくらいまで得票数が伸びるか」「他の有力候補とどのくらいの差がつくか」だけが関心事となった。最終的には、トップが44.5%で、2位は27.4%、3位が20.6%だった。2位と3位の合計がかろうじて1位を上回った。政党からの強力な支援を受けた2位、3位がダブルスコアに近い差を付けられた。これは「完敗」である。選挙時の「投票行動」も、グループ・ダイナミックスの研究対象に含まれる。公示日の瞬間状況で、こうした結果を予想した者はいなかったはずだ。今回の結果も分析のし甲斐がある。 |
平均値の魔性 2016/08/01 Mon 5051 7月30日の続き
「平均値が真ん中にある」というのは、現実世界ではむしろ例外的だといえる。そして、「平均値」は悪魔的であり、それによって幻惑されないように気をつけなければならない。このことは、とりあえず簡単なデータで考えると理解できる。
私がある温泉地のホテルに行ったときの話である。エレベータに乗ると、すでに温泉に入ったことが浴衣姿と香りからわかるおじさんたちと一緒になった。こんなとき、私もホッとした気分になる。そのほとんどが似たような身長で、私も含めていかにも日本人の高齢者なのである。ところが、一行とは別の旅行者らしく、2人の若者もエレベータに乗り込んできた。
ここで私を含めた9人の「旅人たち」の身長は次のようになった。[①155cm][②158cm][③160cm][④162cm][⑤163cm][⑥164cm][⑦164cm][⑧177cm][⑨182cm]。ここで①~⑦までの中に私が含まれていることはおわかりだろう。そして、ご推測の通り、⑧と⑨が「若者」である。日本国中にある温泉地のエレベータで見られる光景としてはかなりリアリティがあると思う。
さて、この9人の「平均身長」を算出すると165cmになる。もう説明の必要はないだろう。「平均」より「低い者」が7人で、「平均」を上回っているのは「若者2人」だけである。このように「平均値」はデータの「真ん中」にあるのではない。つまり、「それ以上」と「それ以下」が「半数いる」のではないのだ。
|
|