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味な話の素
No.158 2016年06月号(4986-5016)                Since 2003/04/29
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情報時代の窃盗 2016/06/30 Thu 5016 
 情報化の中で、これからも様々な問題が起き続けることは疑いない。そもそも「窃盗」の概念が変化している。その昔、「ものが盗まれた」ことは、きわめてわかりやすかった。「ここに置いていたものが『なくなった』」ら、それは「盗られた」のである。しかし、情報化の進展とともに「盗まれるモノ」が変わってきた。とくに「コピー」が容易にできるようになってから、「窃盗」の概念が一変した。盗まれるのは「モノ」ではなく「情報」になった。
 ずっと前から昨日まで、そしていまでも「メモリー」は「目の前」にある。それだけではない。その中身を確認すれば、やはり以前と同じ情報が入っていることは疑いない。つまりは、まったく減ってもいないのである。しかし、悪意に満ちた者が、その内容を完璧にコピーしているかもしれない。それだけではない。そこに邪悪な動きをする「ウィルス」すら植え込まれている可能性だってある。こうなると、ウィルスは自分のコンピューターの体内で増殖し、さらにネットを通じて外の世界にまで感染していく。そんな危うい時代に私たちは生きているのである。そして、そのリスクは増大することはあっても、低減することなどはあり得ない。何という時代であることよ。
 それにしても佐賀県の教育情報漏洩では、教育委員会の対応が問題にされている。警視庁から「情報漏れ」の指摘がなされたにもかかわらず十分な対応を取っていなかったという。そのため、連絡があったあとにも漏洩が続いたらしい。まことに由々しきことである。
この時代… 2016/06/29 Wed 5015 
 佐賀県で起きた教育情報の漏洩は深刻である。同県に住む17歳の少年によるものとされているが、本人は「独学」でハッキングのノウハウを身につけたという。
 この世の中に「絶対は絶対にない」。そして、「絶対という言葉は『絶対に使ってはいけない』というときにしか絶対に使ってはいけない」。私はこんな戯れ言をけっこう真面目に言っている。この時代、「絶対セキュリティ」なるものはあり得ない。それを承知の上で生きていかないといけない時代である。われわれは、自分が「ICT拒否」を叫んでもどうにもならない状況にいるのである。
 テレビを購入してしばらくするとNHKのBSの画面に手続きをとるよう要請するメッセージが出る。そもそも新規の購入で「B-CASカード」なるものを機器に挿入するが、これによってBSを見はじめるとこの文面が現れるのである。これを消すためには、所定の手続きを取るのだが、その際に住所に名前、電話番号が必要である。これで受信料を支払っているかどうかのチェックをするようである。そして、手続きが終わると表示は消える。わが家は30年以上も前から口座振替で受信料を払っているから、その点で問題はない。
 しかし、このメカニズムはかなり気になる。まずは、「新しくテレビやビデオを買った」ことは、個々の機器が自分で判断できるだろう。しかし、「手続き」をしてから「文字を消す」信号はどのようにして個別の機器に送られてくるのだろうか。テレビが外部と繋がっているのは、BSのアンテナくらいのものである。そうなると、これを通して信号が送られてくることになる。すでに先方には、「住所・氏名・電話番号」はしっかり把握されているのである。
 
教育情報の流出 2016/06/28 Tue 5014 
 大学院の授業で佐賀県の教育情報が流出したことについて議論した。教育のICT化で佐賀県はトップを走っている。かつて細川護煕氏が熊本県知事だった1985年に、「県内のすべての学校にコンピューターを導入する」と花火を打ち上げた。まだPCはBASICでしか動かない時代で、当面の導入台数は最低1台といったレベルである。これで教育の情報化が一気に進むわけではないが、1986年からスタートした「マイタッチ計画」と名付けられた施策は全国の注目を浴びた。その結果、熊本県は「教育における情報化」の先進県として、関係者が全国からやってきた。
 私も当時は「教育工学センター」と呼ばれる施設の専任だったことから、その推進には深く関わった。その後、教師がコンピューターを使えるようにする研修が導入される。そのときにサポートしたのは、当時30代だった孫正義氏が率いるソフトバンクだった。そんなこともあって、県主催のシンポジウムで孫氏と同席して話をしたこともある。先方は記憶に残っているはずもないが、これまで私が会話を交わした人のうちで、間違いなく最も「お金持ち」である。
 ともあれ、私は佐賀県がタブレットを子どもたちに持たせている様子をニュースで見ていた。もう数年前のことである。そのときは、「あー、草創期の熊本のように、全国から注目を浴びているんだなあ」という思いになった。私は伊万里小学校の卒業証書を持っており、佐賀県には親近感がある。それが、突如として情報流出の問題が発生した。世の中に完璧などあり得ないが、これが「17歳の少年」の仕業だと知ると、その衝撃はさらに強くなった。
 
あいまい「神器」 2016/06/27 Mon 5013 6月15日の続き
 さて、粘着質の私ですから、4月29日に10時間30分に亘って放送された「戦後歌謡三昧」のネタはまだまだ続きます。前回の6月15日には、進行役の加賀美アナウンサー と柳亭市場師匠との間で「三種の神器」が話題になったことを取り上げました。
 じつは戦後の経済成長期に「三種の神器」と呼ばれるものがありました。いずれも当時の国民が「家にあるといいなあ。ほしいなあ」と願っていた三つのモノを、そのように言っていたのです。わが国の復興とともに、そうした夢も現実のものとなりました。それでも人間の欲望は収まらないのでしょうか。また新しい「三種の神器」が生まれることになります。
 こちらは「新三種の神器」です。その中身は「カラーテレビ」「クーラー」「車」へとグレードアップしていました。車は英語で car ですから、ほかの二つの頭文字と併せて「3C 」と呼んだのです。この新しい「神器」については、進行役のお二人も「正解」を挙げていました。ただし、最初に「三種の神器」が話題に上ったときは、なんとも曖昧だったのです。「電気洗濯機とか、あれですよね…」で終わっていたのです。私は団塊世代のど真ん中ですが、小学生のときから「三つのモノ」をきちんと知っていました。アナウンサーの加賀美さんは私よりも8歳ほど年長のようです。そして、この日の放送から、「三種の神器」が話題になった時期に、加賀美さんは学生からNHKに就職していたと推測されます。そんなことで、子どもだった私よりも第一次「三種の神器」をしっかり知っていてもおかしくないわけです。ところが、このときは「電気洗濯機とか、あれですよね…」とはっきりしないままだったのです。
 
目指す教師像 2016/06/26 Sun 5012
 司馬遼太郎は「国民的作家」と呼ばれている。その意味はよくわからないが、私自身は小説を読んだことはない。その代わりというわけではないが「司馬遼太郎が考えたこと」全15冊(新潮文庫)は目を通した。講演録から随筆まで年を追って収録したものである。全体としておもしろかったが、とくに最終巻に掲載されたある一文が印象深かった。
 それは司馬氏が小学生だったころの先生にまつわるものである。まずは「昭和初年、大坂難波の小学校に入学した。そのときの担任が富田栄太郎先生だった」からはじまる。年齢は40半ばだったようだが、「子どもの目にはずいぶんご年配に見えた」という。ともあれ、「私にとっての先生は年齢を越えた存在で、いまでも心のなかの特別な部屋に起居されている」と続く。そして先生は「4年生まで担任してくださって、教職そのものを辞められた。辞めるとき、子どもを一人ずつ呼び出し、ご自分の田で稔ったという稲穂を一穂くださった。そのときの悲しみは、いまもおぼえている」。さらに、「先生は無口なひとだった。なにを語られ、何を教わったかすこしも覚えていないくせに、どの瞬間の笑顔も思いだすことができるし、そのつど春の海のような気分になる」という。
 引用が長くなったが、「語ったこと」も「教わったこと」も記憶にないのに、こころに平安をもたらす「どの瞬間の笑顔」も思いだせるすばらしさに感動する。そこにまで達するのは不可能だが、そんな教師を目指す気持ちだけは持ち続けたい。
 
今月の表紙 2016/06/25 Sat 5011
 あっという間に今月も一週間を切ってしまいました。いつものことながら「今月の写真」のご紹介を忘れていました。先月に続いて、1枚は「元気なころの熊本城」です。私は折に触れて熊本城の写真を撮っていました。しばらくは、そのストックの中からそれなりにいいものを取り上げていくつもりでいます。熊本城の修復には膨大な費用と時間を要することは疑いありません。いつの日か「熊本城完全復興記念イベント」が開催されるでしょう。しかし、そのとき私はこの世にいないでしょう。それほど強烈なダメージを被っているのです。それでも、復興への歩みは始まっています。石垣の石の一つでも積み上がって行くのを愉しみながら生きていきましょう。
 もう一枚は阿蘇神社です。真っ青な空を背景にした楼門は見事なものです。全国には「阿蘇神社」が450ほどもあるのだそうです。そしてここがその総本社というわけです。しかし、それも今回の地震から逃れることはできませんでした。おそらく全国ニュースでも報道されたと推測しますが、これが完璧に破壊されてしまったのです。それぞれの地域によって震度に違いがあるとはいえ、震度7クラスの地震が30時間以内に2度も襲ってきたのです。多くの建物が猛烈な衝撃を受けたのは当然でした。こちらの修復にも相当な時間がかかることでしょう。地震後に阿蘇方面には出かけていませんが、8月初旬に「教員免許状更新講習」のため「阿蘇神社」近くまで行くことになっています。
 
そして、いまも… 2016/06/24 Fri 5010
 ここから先は「私の自惚れ自慢話」ですので、恐る恐る書いていきます。じつは、私は校長になってから「生徒たちに話をしたい」と申し出ました。その提案はすぐに賛成してもらったのですが、担当の先生は全生徒を対象したものだと思われたようでした。これに対して、私は1年生から3年生までの全クラスで授業をしたいとお伝えしました。そんな校長のわがままを快く聞いていただいたのです。
 もちろん、内容は「集団」にまつわるもので、「生徒たちが興味をもちそうな」ものを50分に凝縮して話をしました。それによって生徒が私に「親近感」を持ってくれた実感がありました。校舎の外を歩いていても、教室から「校長先生」と手を振ってくれるのです。こうして、2回目の「指揮」をするときには、生徒と私の間に「対人関係のインフラ」ができあがっていたのだと思います。それが「ありがたい誤解」、もっと言えば「美しき誤解」を生み出したに違いありません。こうした「誤解」は、「誤解」された者にとって嬉しいだけではなく、「ようし、もっとがんばるぞーっ」という気持ちが高まります。すばらしいことです。
 もっとも、私は2年の任期で校長を退任しましたから、「指揮」に関しては「もっとがんばる」ことはありませんでした。しかし、あの「錨を描くように」との松村先生の声はいまでも耳に残っています。そして、いまでもときおり音楽と共に楽しそうに手を振っている「元校長」の姿を見ることがあります。
「美しき誤解」 2016/06/23 Thu 5009
 私が「シリーズ 生徒からのメッセージ」で最もお伝えしたかったことは、「自分が生徒たちからほめられて嬉しかったこと」ではありませんでした。もちろん、生徒たちが「しっかり書いてくれたこと」を「しっかりお伝えしたい」気持ちは強く持っていました。しかし、最大の目的は「生徒たちの『美しき』あるいは『ありがたき誤解』」を「しっかりお伝えしたかった」のです。じつに多くの生徒たちが「真面目に練習もしなかった校長の指揮」について、「とてもよかった」と喜んでくれました。それだけではありません、それを大いに評価してくれたのです。しかも、「去年よりとても上手になっていた」という声も少なくありませんでした。前年と比較までして「さらによかった」というのです。しかし、その実態と言えば、「客観的には何の進歩もなかった」はずです。何せ「練習」しない「不真面目校長」だったからです。
 当時の私には「指揮なんて練習してもうまくなるわけがない」との思いもあったのでしょうか…。このごろ私は「『永年身についたことはどうにもならない』などと言ってはいけない。〝Never Ending Challenge〟の心で行こう」などと絶叫しています。そんなことから、「お前さん、『言行不一致』じゃないかい」と叱られそうです。とにもかくにも、そんな実情なのに、生徒たちは驚くほど「好意的」に見てくれたのです。これを「美しき誤解」と言わずに何と言えばいいでしょう!
 
不真面目校長 2016/06/22 Wed 5008
 「生徒からのメッセージ」で大評価された、当時の校長である私が嬉しかったことは言うまでもありません。それと同時に人間関係のおもしろさも実感したのです。じつはこの校長、「指揮」に関してはお世辞にも「真面目」だったとは言えないのです。
 最初の年、「指揮」などとは無縁だったのに、音楽担当の松村先生から「呼び出し」を食らうまで何もしていませんでした。そのとき、先生の「錨を描くようにすればいいんです」という言葉はしっかり記憶しています。ただし、それも「1回だけ」で、後は「出張がある」などと言って逃げまくっていました。それで「本番」ですから、保護者も含めた「大観衆」から笑われたことは当然でした。ただしくは「失笑」だったでしょう。もっとも、その日の私は「今日は『みんなに笑われる』ことが一番大事なことだ」と認識していました。そんなことから、「爆笑」に近い反応があったのに大満足したのでした。
 その次の年度も「合唱コンクール」があることはわかっていました。それでもこの校長は真面目に練習しなかったのでした。「すごいっ!校長先生、今年は去年と違いますねえ!」。そんな大向こうの反応を呼び起こそうなんて大それた野心などコレッポッチも持っていなかったのです。この年の1曲はフォスターの「草競馬」でした。無茶苦茶テンポの速い曲ですから、もう指揮台の上で踊るしかありませんでした。これには「スマイリー小原」も驚いたに違いありません。えっ、「『スマイリー小原』ってだれだい」ですって。まあ、知っている人しか知りませんよね。素人から見れば好き勝手に踊っているとしか見えない、バンドのリーダーだった人です。(陰の声「それにしても「スマイリー小原」の名前が直ぐに頭に浮かぶなんて、私の記憶装置もまだ大丈夫?」)
 
「生徒からのメッセージ」、その後考 2016/06/21 Tue 5007
 「生徒からのメッセージ」と題して、19回に亘って、51人の中学生のメッセージを連載していました。ある中学校の合唱コンクールで教職員たちが余興でコーラスを披露しました。それに対する生徒たちの「メッセージ=感想」を取り上げたわけです。その中でも突出していたのは「校長の指揮」を「絶賛する(?)」ものでした。それが4月2日にようやく終了し、その「校長こそは私だった」ことを明らかにしました。それから、情報を追加していく段取りでした。じつは、それこそが私がお伝えしたかったことだったのです。ところが、4月14日の前震から16日の本震となり、この話題を取り上げることもなく時間が過ぎていきました。そこで、「本当に言いたかった」ことを改めてお伝えしたいと思います。私は「指揮」を校長在任中の2年間に2回したわけです。その2年目に、音楽の先生でいらっしゃった松村美紀先生が、「生徒からのメッセージ」を取っていただいたのです。私にとってその内容は強烈でした。指揮の「テンポがあっていない」という「当然」の指摘もありましたが、そのほとんどが「校長先生のほめちぎり」で溢れていたのです。そこまでほめられた私がいい気分になったことは言うまでもありません。しかし、これについて、「どうしても書きたい」という思いが募ってくるのを抑えることができなかったのでした。
 
NHKとCM 2016/06/20 Mon 5006
 NHKは公共放送であるから営利組織のPRはしない。だから商品名については気を使ってきた。例えば「味の素」は「化学調味料」、「ウォークマン」は「ヘッドフォン付きステレオ」、「マジックインキ」は「フェルトペン」といった具合だ。ドラマで出てくるビールやウィスキーのラベルも「それらしい」ものにしていた。ただしスポーツ界ではオーナーの会社名がチーム名に付いているからPRせざるを得なかった。私が子どものころ、野球チームで「国鉄スワローズ」「大洋ホエールズ」「東映フライヤーズ」「西鉄ライオンズ」「阪急ブレーブズ」「近鉄バッファローズ」「南海ホークス」などがあった。後半の4球団はパリーグだが、4つは鉄道系である。
 しかし、いまやNHKは「社名」を挙げないで情報を発信することがほとんど不可能になった。それどころか、3月には「CM」そのものと言えるほどの話題を取り上げていた。それは「マツダ ロードスター開発物語」である。この車は1989年に販売されたのだが、2年間で14万台も売れる人気車になった。しかし、3代目からは頭打ちになっていたという。そこで、起死回生を期して、100キロの軽量化を実現し価格も200万円台に抑えるなど、懸命の努力を続けた。その結果、いまや中高年に達した初代のファンに加えて若者からも支持を得ているようだ。そんなわけで画面には真っ赤な「ロードスター」が映し出された。これはマツダにとって数億円を下らない価値がある「CM」だろう。
科学と再現性 2016/06/19 Sun 5005  6月16日の続き
 「心理学の研究結果、6割以上が再現不可能 検証調査」は、【2015年8月28日 AFP】となっている。
 「人がどのように行動したり思考したりするかに関する科学的研究は、外部専門家らによる研究結果の再現が不可能なものが多いとの研究報告が27日、発表された。心理学研究の信頼性に関する新たな疑問を浮上させる結果だという」。
 あれだけ大騒ぎになった理研の「STAP細胞」だったが、いつの間にか忘れられていた。ろころが主役の彼女が「手記」を出版したというので、あらためて「ニュース・ネタ」で一時的なカムバックを果たした。しかし、それもまた「他の大ニュース」で一般の記憶からは消えて行くだろう。彼女については誰かが「ES細胞」を盗んだとかで告訴したようだったが、その後はうやむやな感じになっている。
 話題の「手記」は読んでいないが、「STAP細胞の作成に200回成功した」ことを納得させるような内容はなかったようだ。ここは「読んでもいない」ので、われながら迫力がないが、それが間違った認識であれば、今のうちから謝罪しておこう。いずれにしても、問題になったのは「再現可能性」である。あの発表後に世界中の研究者が「追試」をしたはずである。それでも「同じことが起きなかった」ことから、「STAP細胞」の存在は認知されなかった、もっと端的には「否定された」わけである。こうなると「私は200回成功した」と宣言しても、説得力はまったくないわけだ。科学において「再現できない」とはそのような意味をもっている。
 
出先のラーメン 2016/06/18 Sat 5004
 仕事で出かけて一人で食事をするときは、簡単にすませることが多い。 その土地で知られたものを食べるのはいいが、出てくるまでに時間がかかるといけない。これは熊本市内で食事をするときも同じで、とにかく「せっかち」なのである。
 「たった1人」で時間をかけて「黙々」と食べている姿は自分で想像してもパットしない。そんな私だが、先日は出先で「少しばかり時間をかけてもいいなあ」と思って街を歩いてみようとした。ところが間もなく「ラーメン店」が目に入った。店の中が見えていて、「おいしそう」なのである。そんなわけで、気がついたら「野菜ラーメン」を頼んでしまっていた。
 若いころは「ラーメン屋」さんに足繁く通った。とにかく「ラーメン好き」だった。スープも全部飲んでいた。しかし、いつのころからかラーメンから足が遠のいた。いまでも、家族で出かけた帰りなど「豚骨ラーメン」の看板を見て立ち寄ることはある。しかし、それも年に1回あるかないかだ。もちろん、北海道に行けば「道産子ラーメン」は定番である。また、久留米に出かけると、まずは「ラーメン」である。久留米ラーメンは九州の「豚骨ラーメン発祥の地」とされている。それが北は博多へ、南は熊本へ伝播したのだそうな。
 今回入った店はお年寄りの母親と息子でやっていた。何だか「同じような光景、どこかで見たことあるなあ」と思いながら、野菜一杯のラーメンを味わった。
 
策におぼれた 2016/06/17 Fri 5003
 とうとう桝添氏は都知事職を自ら辞任した。一連の経過を見ていると、「策におぼれた」感が強い。それと同時に「自分を衛る」点でも対応を誤った。そもそも人間は自分を衛らなければ生きていけない。その際に「剛と柔」のいずれを選ぶかは、人によって違ってくる。桝添氏は人生全体で「剛」で生きてきたのではないか。その根底には「攻撃は最大の防御也」との発想がある。つまりは、相手よりも先に仕掛けていくことで「自分を衛る」のである。それは「徹底的に戦う」ことにも繋がる。
 これに対して「柔」の方は、相手の攻撃に「剛」で反撃しないで、「しなやかに(?)」受け止める。そして、まずそうなときは、「すみません、チョンボでした。これからは二度としません」と謝る。一時的にはこき下ろされるかもしれないが、「大反省」して「行動を変える」と、「しっかりし始めたじゃないか」と評価してもらえるかもしれない。そのうち、世の中にはとんでもないことが必ず起きるから、「世論」は鎮まり、失態など記憶から消えてしまう。とにもかくにも、わが国トップレベル(?)の法律家が「『違法な行為』は一つもなかった」と太鼓判を押してくれたのである。
 桝添氏は柔道もしていたらしいが、「柔能く剛を制す(「三略)」なる発想は持っていなかったのだろう。彼の人生観は「流れに抗して」だったように思われる。それにしても、子どもでも苦笑いするような「理由」をくっつけて「自己防衛」を図ったのは、逆効果だった。
心理学の両親 2016/06/16 Thu 5002
 「心理学の研究結果、6割以上が再現不可能 検証調査」。これは私が2015年08月28日にネットで見たニュースである。保存していたこと自身を忘れていた。情報時代のネタとしては「賞味期限切れ」である。何分にも「元気」、いや「前期高齢者」ですもので…。[陰の声:その時々の都合で「元気」と「前期」を使い分けるのです]
 発信地はアメリカのマイアミだが、とにかく「心理学」の研究結果のうち、6割以上が「再現不可能」と言うのである。まことに刺激的な見出しである。私も一応は「心理学」を仕事にしていることになっている。それがこんな「文字列」を見れば、興味関心をもたないわけにはいかない。ただし、この「刺激的」な表現を見た瞬間の私はどうしたか。心理学者としては不覚ながら(?)、そのときの状態を記憶していない。ただし、おそらく「笑った」と思う。そして、それに「衝撃」を受けたことは完璧になかったはずである。「そりゃあ、そうよね」。そんな感じだっただろう。
 そうなのだ。まだ内容を読みもしないのに、「そりゃあ、そうよね」なのである。もうこれだけで「心理学者失格」の烙印を押されるかもしれない。いやいや、そんな予測は私の「自意識過剰」によるものだ。そもそも、私なんぞを「心理学者」と認知している専門家っていないんじゃないか。すでに前世紀から、私は「心理学は哲学を母とし、自然科学を父と勘違いした」と言いまくっているのである。本コラムでも書いたが、いつだったか忘れてしまった。いつものことながら、話題の記事に関する検討は次回になってしまった。
  
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「三種の神器」… 2016/06/15 Wed 5001 6月12日の続き
 「戦後歌謡三昧」で取り上げられた曲はどれもが懐かしく、楽しい時間が過ぎていきました。ただ、司会の方が相当に問題で、とにかくずーっと気になる時間が続きます。これもけっこう早い時間ですが、「三種の神器」が話題になりました。このときの加賀美さんと市場師匠のやりとりには驚きました。そもそも「三種の神器」は天皇家に伝わるお宝ですが、戦後の日本ではみんながほしいと思っていた3つの電化製品を「「三種の神器」と呼んでいました。それが進行役であるお二人の間で話題になります。
 ところが、これが曖昧なままに進みます。まずは「『三種の神器』ですが…」と加賀美さんが切り出しました。ところが、「モノ」が何であったかがあやふやなんです。じつは、生活が豊かになるに伴って、最初の「三種の神器」はそれなりに普及します。そうなると、また「新たな三種の神器」なるものが現れたのです。そこで加賀美さんが語りかけます。「一次は電気洗濯機とか、あれですよね…。カラーテレビでしょ、カーですから車ですね、クーラーですね。3Cですね。そうですね『3C』ですね…」。すでに混乱しています。「一次は電気洗濯機とか、あれですよね」ではわかりません。そして、「カラーテレビでしょ、カーですから車ですね、クーラーですね。3Cですね。そうですね『3C』ですね」ときます。この「3C」は「新三種の神器」で、電化製品でない車も入りました。その点では間違いはないのですが、「一次は電気洗濯機とか、あれですよね」ではいけません。これなんぞは手元にメモがあれば何のこともない話題です。私としては「おやおや」としか言いようがありませんでしたよ。
 
カッコよすぎ… 2016/06/14 Tue 5000
 司馬遼太郎は「国民的作家」と呼ばれたりする。その「定義」は曖昧だが、その作品が多くの読者を獲得したということだろう。いわゆる「司馬史観」なるものまである。これは「小説=物語」という形をとって、独自の歴史認識を披露したことを指している。かつて松本清張が日本の古代文明に目を向けて、邪馬台国論争に加わった。その他にも「昭和史発掘」というシリーズで近現代の裏側を探った。こうした試みに、いわゆる学会はいい顔をしないというのが相場だった。それどころか意図的に無視する方が多かったのではないか。もっとも、だからと言って作家側の方が一方的に正しいというわけでもない。あくまでストーリーを展開することが主眼だから、必ずしも「事実」だけが記述されているとは限らない。
 そんなことを考えつつも、司馬遼太郎が取り上げている「竜馬の言」はじつにカッコいい。竜馬は「大政奉還」した後に、「自分は革命政府の大官にはならない。自分は役人になるために幕府を倒したのではない」と言ったという。そして「海援隊をやる」と語った。これに、西郷隆盛が驚いたのだそうな。司馬遼太郎も「あざやかなほどの無心さ」に感動する。「私心を去って自分をむなしくしておかなければ人も集まらない。人が集まることによって智恵と力が持ち寄られてくる。仕事をする人間というものの条件のひとつなのであろう」。司馬遼太郎は、竜馬の一言を「つねに念頭におきつつこの長い小説を書きすすめた」という。それが「竜馬がゆく」である。これが「事実」であれば、カッコよすぎますねえ…。
 
授業の評価 2016/06/13 Mon 4999
 授業の終わりに10分ほど取って、受講生に「ミニレポ」を書いてもらう。その時間で理解できたことや疑問に思ったことなどの自由記述である。これが授業の進行に役立つことは言うまでもない。次の時間のはじめに数枚を取り上げて補足したり、改めて解説したりする。私なりに「双方向」の教育を実現しようという気持ちでいる。試験やレポートに「すぐに取り上げてもらった」ことを評価してくれる受講生もいる。こんなとき「フィードバック」の大事さを実感する。
 ところで、教育学部の学生たちは教育実習に出かける。その際、学生たちに対する児童生徒の声を聴くことがある。私はそれをもとに「教育実習事後指導」なるものを担当している。児童生徒たちから、実習生たちの「よかった点」と「どうかなと思った点」を挙げてもらう。前者は実習生の自信と意欲につながる。一方、後者は「辛口の批評」になるから、ちょっときつい。しかし、それでめげていては先に進めない。そうした生の指摘を自分の行動と考え方に活かしていくことが大事なのである。ここで中学生たちの声を取り上げてみよう。その中でも「きつい評価」に焦点を当ててみよう。
 まずは「1)説明不足でみんなが困ったりした」。単刀直入。授業で「説明不足」はいけない。しかも「私が」ではなく「『みんな』が困った」というのだから相当にきつい。現職の教師だって「完璧説明」などできない。つまりは「日々是修行」なのである。何事も「自分がわかっていない」ものは「説明力」に欠けるから、聴く側には迫力が感じられない。
台本はありますか? 2016/06/12 Sun 4998 6月8日の続き
 さて、FMの10時間を超える「昭和歌謡三昧」ですが、加賀美アナウンサーの「これぞ戦後の歌謡うスターからいきましょう」という元気な声が聞こえます。そこで挙げられたのは美空ひばりと坂本九でした。私たちの世代には納得できる人選です。番組では「紅白」調にして男性と女性をペアにして紹介する段取りでした。それにしても、いまの若者たちはこの二人をほとんど知らないでしょう。美空ひばりは1989年に52歳で亡くなって。また坂本九は1985年の日航ジャンボ機墜落事故に遭遇したとき43歳でした。永六輔作詞、中村八大作曲の「上を向いて歩こう」はアメリカで「すきやき」というタイトルでミリオンセラーになりました。
 さて、「歌謡三昧」ですが、ここで「チョンボ③」が来ます。加賀美さんが二人の名前を挙げたのはいいのですが、曲名を紹介せずに、「昭和42年1967年、昭和44年1969年の曲ですね」と市場師匠に語りかけ、「それでは」と続けた、その瞬間に、また「静寂」が入るのです。そして「どうでしょうか、この年なんですけどね、この年、いろいろ考えますとね。公害問題、水俣病…。高見山が関取になった年、『ふーてん』ということば…」。もうなんだかよくわからないんです、聴いていて。まずは「この年」ですが、昭和42年と44年の「どっちなんでしょう」か。なんとなく昭和42年っぽいのですが、これはラジオ放送ですから耳で聴いているだけなわけです。「高見山が関取になった年」の方もどっちかわからない感じでしたよ。それから、ちょっとしてから「42年ですね、42年の場合はアポロ月面着陸。ほかにどんなことを思い出されますか」と市場師匠に問いかけます。これに対して師匠から「44年でしょう」と指摘されて加賀美さんは「44年です」と訂正します。もう、とにかく「混乱」しているんですよね。手元にまともな台本があるのだろうかと疑ってしまいました。しかも、そこでようやくく二人の「曲の紹介」があったのです。もうどっちが昭和42年で、どっちが昭和44年なのかもわかりません…。
 
「旗もらい」までは… 2016/06/11 Sat 4997
 これまで文句のない人生を送ってきました。もちろん、問題がまったくなかったわけではありません。しかし、それも自分の力で克服してきました。その迫力は周りの方々にもしっかり評価していただきました。しかし、それも「私の力」があったからこそです。その確信はこれからも変わることはありません。そして、皆様もご存じのように、誰もがうらやむところまでやってきました。私は団塊の世代で、今年の秋口には68歳になります。おかげさまで健康には恵まれていますから、まだまだやる気一杯です。
 そんなわけで、誰もがうらやむにちがいない人生なのですが、欲を言えばもう一つ上までは行きたかったことも事実です。いまでも「トップリーダー」と思っていますが、「あと一つ上」がありますよね。しかも、数年前には世の中から、「この男しかいない」といった声が聞こえてきた時期もあったのです。
 しかし、私の「ちょっとしたチョンボ」で身の回りの雲行きが怪しくなってきました。この道のスーパープロの方が「法律には違反していない」とおっしゃっているのに、「辞めろコール」が多いのはどうしてなのでしょう。私としては「トップリーダー」として、世界中に晴れやかな姿をお見せすることが人生最大の成果として、その実現はほぼ間違いないと確信していました。ああ、それなのに、それなのに、何ということでしょう。ここに至っては、少なくとも「旗もらい」にだけは行きたいと思うのです。もちろん「ファーストクラス」は止めときます。そうなんです。私は誰が何と言おうと、「旗もらい」までは辞めるわけにはいかないのです。いま、自分が勉強してきた国際政治の知識を最大限に活かして駆け引きをしているところです…。M.Y.
「遊覧飛行」の帰路 2016/06/10 Fri 4996 6月7日の続き
 羽田の代わりにセントレアに着いて、そのまま熊本へ帰る5、6人の乗客はチケット調達の手続きがあるということで、しばらく解散しました。まだ時間は13時台でした。帰路の便は18時05分ですから、相当に時間があります。それぞれいろんなところに行かれたのでしょう。私はPCで仕事をしていました。これさえあれば、どんなところでも電源が確保できれば効果的に時間が過ごせるのです。
 そして「無事」に「遊覧飛行」を締めくくる「熊本行きチケット」をゲットすることができました。この日は長い一日でした。そもそも「熊本空港の霧」を懸念して、9時45分の便にはおつりが来るほど早めに出かけたのでした。ところがこの日は「羽田空港の霧」が鬼門だったのです。それでも熊本空港を10時40分に離陸したときは、まったく問題ありませんでした。ところが羽田上空の「遊覧飛行」が影響して、燃料不足でセントレアに着陸することになったのです。12時50分でした。まあ、そんなこんな「ハプニング」はあったものの、18時05分発で熊本に帰ってくることができました。到着は19時40分でした。この日の「遊覧飛行」は「無料」ということで、「熊本空港に着いたら払い戻しをしますので係員に声をかけてください」と言われていました。担当したのはIさんでしたが、「緊急事態」に懸命の対応をしてくださいました。
 
もう一つの「前震」体験 2016/06/09 Thu 4995 6月5日の続き
 東日本大震災の際は、東京の高層ビルにいた人から、目の前のビルがゆらゆらと揺れていたと聞いた。これは動画サイトでも見ることができる。たしかに「揺れて」いる。いつのころからか、超高層ビルに「長周期の揺れ」が大きな影響を与えるという話を聞きはじめた。じつは、今回の熊本地震で気象庁が西原村のデータを分析したところ、「長周期の揺れ」が発生していたことが明らかになった。直下型の地震では、「長周期振動」のデータが少ないこともあって、あまり考慮されていなかったようだ。これに対して陸地と離れた海底が震源地になるプレート型では「長周期」が懸念されていた。しかし、これが直下型でも発生するとなると、大都会の高層ビル群は大丈夫なのかが心配になる。
 さて、私の友人の体験は続く。運転中に地震に遭遇し、マンションの揺れや閃光を目の当たりにした。そして、「揺れが収まってから車を動かすと、道が地割れしてブロック塀や家の入口の石垣が崩れていました。そうした光景を見て、しばらくは家に帰れませんでした。とにかく震えが止まらなかったことを覚えています」。
 これが「前震」(4月14日21時26分)のことである。ことのきわが家では、書棚の本とビデオやCDがこぼれ落ちた程度だった。大型のプラズマテレビも台の上で少しばかり動いていた。あとで、これが益城町で震度7、熊本市で震度6弱とされたものである。もちろん、初めての体験ではあったが、一方では「それほどの被害はなかった」というのが実感だった。
 
「さあ、それでは」と元気よく… 2016/06/08 Wed 4994 6月6日の続き
 いよいよ「昭和の日」の10時間30分番組「昭和歌謡三昧」がはじまりました。加賀美アナウンサーが元気よく「さあ、それでは」と口火を切ります。と、その瞬間に「小さな静寂」が走ります。それから「そのときにですね師匠、一言、えーっと添えていただくとといいですね。歌手と曲名に加えて一言…」。お相手の噺家の柳亭市場さんの同意を求めます。これって「チョンボ②」ですね。つまり、メールやファックスで「①リクエスト」を募ったのですが、「一言メッセージ」を添えるように言わなかったんです。それをパスして、いきなり「さあ、それでは」と来たので、スタッフが「メモ」を出したんだと推測します。そこで「小さな静寂」が続いたのでしょう。市場師匠としては「そうですね」と言うしかないですよね。それにしても、これはこの種の番組の基礎的前提で、アドリブで追加するようなものではありません。生放送ならなおさらのこと、「箇条書きのメモ」、もっと言えば「台本」って準備されていなかったんでしょうか。まだ放送は始まったばかりです。なあんか、私の心の中で妙な不安が形成されていくようでした。「これから10時間もあるのに、大丈夫かいなあ…」。
 じつは、そうした不安が次々と現実のものになっていくのです。なあんか、「超粘着質吉田」の「揚げ足取り物語」になってしまいそうです。しかし「仕事」というものを考えるには、こうした分析も欠かせません。なあんて、「屁理屈」を付けていますが、「某都知事」に比べればお許しいただけると高をくくっております。
 
早朝夕刊(am7:28) 2016/06/07(2) Tue 4993
 お二人の弁護士さん、ありがとうございました。私のようなド素人でも、「『司法試験』を突破した方と『同じレベル』の仕事ができるにちがいない」という、「自信(過剰)と確信(過信)と勇気(蛮勇)」をもつことができました。郷里(?)の北九州に「家族」で帰ったとき、「くれよんしんちゃん」を買ったのは、…。」と戒め、すかさず「もちろん違法ではありません…」と付け加える。もっとも、同席した「関係者」について聴かれて「関係者は関係者ですよ」は「ド素人の予想」を超えていました。
 ともあれ、全体としては「ド素人の予想通り(本欄4日付け)」だったことだけを申し上げて、まったく内容のない「早朝夕刊」とさせていただきます。貴重なお時間を盗ってしまい、申し訳ございませんでした。
「遊覧飛行」後の段取り 2016/06/07 Tue 4992 6月3日の続き
 飛行機が飛んでいる間、乗客は完璧に「機長おまかせメニュー」になります。羽田上空で「遊覧飛行」を楽しんだ後は「燃料切れ」のため無事に「中部国際空港」へ着陸しました。そもそも熊本を定刻9時45分発でしたが、羽田が混雑中ということで機内でけっこう待って、熊本離陸は10時40分でした。そして中部国際空港着が12時50分でしたから、2時間10分の「遊覧フライト」を楽しんだわけです。空港に着いてからしばらくは機内で待機となりました。中部国際空港から名鉄で名古屋へ行き、それから新幹線で東京に向かうルートがお勧めで、その交通費の現金を調達しているようでした。
 私はと言えば、東京での会議は13時30分からでした。機内にいるうちに13時を回りましたから会議出席はあり得ません。もう熊本に帰るしかないのです。さて、ようやく資金調達(?)ができたようで、乗客は機外に出て「東京までの現金」の入った封筒を受け取ります。ここで、「このまま熊本へお帰りのお客様はいらっしゃいますか」と声がかかりました。これに呼応して、5、6人が手を挙げました。その中に私が含まれていたことは言うまでもありません。他の二人か三人は男性で、もう一組母親と高校生くらいの男の子がいました。航空機会社の担当者が私たちを案内し、18時05分発の熊本便に空席があれば、それを手配するということでした。そこでまたしばらく待ったのですが、幸い「空席」は確保できました。
 ついでながら、この便が満席だった場合はどうなったのでしょうか。これが熊本行きの最終便なのです。まあ、結果としてはそうならなかったので、どんな段取りになるのかもわかりませんでした。このあたりの危機対応は考えられているのでしょうね。しかし、それにしても、まだ13時台でした。これから18時までは何とも長い時間です。チケットの確保まで1時間ほどかかると聞いて、「帰熊組」は一時的に解散しました。
「歌謡三昧」のチョンボ 2016/06/06 Mon 4991 6月2日の続き
 自宅の整理に徹した4月29日は、お昼からNHKFMで10時間30分の「昭和歌謡三昧」を聴きながら楽しく進めることができました。と、ここまでは「めでたし、めでたし」だったのです。ところが番組が始まってみると、「おやおや」と驚くことが起き続けます。これは生放送でしたが、案内役の加賀美アナウンサーがチョンボをしまくったのです。もちろん、それは彼女個人だけでなく、放送を支える人たちも関係しているはずです。それは、生番組だとしても、「そのくらいの準備はしておいてよ」と言わざるを得ないレベルだったんです。
 私自分の性格が歪んでことを自覚していますが、番組の途中から「次はどんなチョンボが出るかいな」と何かしら期待している私がいました。いやあ、じつに「いやあな性格」なんです。もちろん「問題だった」と叫ぶだけではいけません。私なりに「これはチョンボだ」と感じた具体的な内容をピックアップする必要があります。その上で、「そりゃあ、あんたの性格の方が問題やで」と言われれば、「言い過ぎました、すみませーん」と謝るしかありません。マスコミで売れっ子の教育評論家が、なにやら「行き過ぎた発言」をしたらしく謝罪されたようですね。この方くらいになれば、ご自分の発言には十分に気をつけるべきなのですが、そのあたりの判断がおできにならなかったようです。これに比べれば、私なんぞは「すみませーん」で済ませていただきないなあと甘く考えています。
 さて、いよいよ加賀美さんの「チョンボ」ですが、それは番組開始早々からはじまります。まずは「①リクエスト」に関する情報提供です。「ホームページ」や「携帯」、そして「ファックス」からリクエストすることになっているとの説明がありました。これはラジオですからアドレスやファックス番号は繰り返す必要があります。ところが、これがわかりにくい。何分にも「アドレス」は番号ではないのです。携帯電話の方はは繰り返したと思いますが、メモする余裕もなくおしまいときました。ただし、その後にファックスの番号は繰り返されました。このとき、私は番組スタッフから「もう一度」といったメモが渡されたのではないか思いました。そんな雰囲気が感じられたのです。
もう一つの地震体験 2016/06/05 Sun 4990
 私の知り合いからメールが届いた。そこには「地震」の体験が詳しく書かれていた。その内容がきわめて印象的だった。そこで、一部の改変を含めてご本人の許可を得たので、ご紹介したい。
 まずは後の定義による「前震」が4月14日21時26分に発生した。私はそのとき息子と電話中だった。この4月に孫が幼稚園に入ったのだが、上の子のときは「『お祝い』をやったかなあ」などと平和な話をしていた。その最中に突如として大きな揺れが襲ってきた。電話の向こうで「おーっ」と言う息子の声が聞こえた。息子も私の「おーっ」を聴いたはずだが、その瞬間に電話を切ったのは言うまでもない。これが「はじまり」だったとは、専門家も含めて誰一人として予想した者はいないはずだ。
 さて、わが友人はまったく別の体験をしていた。「前震のときは運転中でした。何が起きたかわからないくらいハンドルが右に左にとられ急停車しました。 幸い、脇の道だったので事故にはなりませんでした。子供たちも一緒に乗っていたのですが、目の前のマンションがぐーらぐらと揺れており、遠くに見える空には青い閃光が走りました。電線が切れたときの光かと思います」。
 あれから一ヶ月半、私の体験から推測すると、運転中であれば震度1や2の揺れでは気がつかないと思われる。しかし、このときは益城町で震度7、私が住んでいる熊本市内でも震度6強とされている。益城町は熊本市に隣接しており、私の自宅から車で20分ほど走れば町の端までは到達する。とにかく、この揺れだと「ハンドルが取られる」のである。高速道路ではきわめて危険な状態になる。車を止めたものの、「目の前のマンションが揺れ、青い閃光が走る」状況には声も出なかっただろう。「大地が動く」のだから。
第三者の結論 2016/06/04 Sat 4989
 私は法律のど素人ですから、有能な元検事の弁護士さんとは相当の距離があります。しかも「政治資金規正法」に至っては、「ほとんどざる法だ」という評判以外は何も知りません。今回の桝添さんの騒ぎは、当のご本人が「プロの第三者」の判断を仰ぐとおっしゃっていることから、それを待つかたちになっています。報道によれば、来週の6日月曜日に調査結果が出されるということです。現在、どのような形で結果をまとめるか、大いに知恵を絞っていらっしゃることでしょう。もちろん、桝添さんが専任した「第三者」ですから、ご依頼主のために最善を尽くされることは当然です。本人ではなく、奥様を含めたご家族や親戚でもないのですから、たしかに「第三者」ということでしょう。もっとも、「普通」は、ご本人が、誰もが認める「第三者」に依頼して「第三者」を専任すれば、「うん、たしかに『第三者』」とみんなが納得するわけです。その点、今回は「桝添応援団」になるのでしょう。
 そこで、不遜ながら「もし私が頼まれたら」という、ドリフ張りの「もしも…」で弁護士になりきってみます。まずは、「政治資金規正法」と関わりそうなケースを丹念に取り上げ分析します。もちろん「すべて法的には違反していない」という結論になります。ここで問題は、「そのほか諸々」のことどれだけ取り上げるかでしょう。ことここに至っては「法に抵触するか」だけでおしまいにすると、とてもまずいことになります。そこで、「社会の常識」から見れば「誤解を招く」ものがあり、これについては、今後は「姿勢を正して処していかなければならない」とお灸を据えるのも欠かせません。なにせ「第三者」なのですから。この「叱責する」範囲と対象をどのくらいまで拡げるかがプロの腕の見せ所ですね。もちろん「謝りすぎる」と、「そこまでわかってるんならすぐに辞めろ」となりますから。さあ、どうかな…・。
遊覧飛行と燃料 2016/06/03 Fri 4988 5月29日の続き
 羽田へ着陸するための待機順が9番目とアナウンスされ、その後も「遊覧飛行」が続きます。その一方で、時計の針はいつもと同じように動いています。そもそもこの日の目的は東京で開催される会議に出席することでした。熊本市内の霧が深く、これを考慮して時間のおつりが来すぎで困るほどの余裕を持ってわが家を出かけたのでした。ところが、鬼門は羽田空港の霧だったのです。いまや、会議開始の時間までに会場に到達できるかどうかが相当程度に怪しくなりはじめました。しかし、空の上で困っても仕方がありません。生憎とこの日はパラシュートも持ってきていなかったのでした。リスクマネジメントを看板の一つにしている者としては恥ずかしいことですが、準備していなかったことは正直に告白せざるを得ません。
 それから少しばかり時間が経過しました。操縦席から機長のアナウンスが流れます。「羽田空港の上空を旋回して着陸に備えておりましたが、搭載している燃料の関係から中部セントレア空港に向かうことになりました」。おやおや、「燃料不足」ですって。それで「ご近所」のセントレアに着陸するというのです。これってちょっとまずいですよね。すでに12時50分にもなろうとしています。セントレアから名鉄で名古屋に行って新幹線で東京に向かうルートに変更というわけです。それはすぐに理解できたのですが、東京に着いたとき会議は間違いなく終わっています。つまりは行っても意味がないことになるのです。これってまずすぎますよね。私はこの会議の一出席者でしたから、「やむを得ず欠席になった」で了解していただくしかありません。正直なところ、「講演」のように、私がお話をするようなスケジュールだったら、先方に大迷惑をおかけするところでした。その点では不幸中の幸いというべきなのでしょうか。
 
歌謡曲10時間30分 2016/06/02 Thu 4987 5月25日の続き
 4月の29日は「昭和の日」でお休みでした。いつもであれば「ゴールデンウィーク」のスタートとして気持ちもウキウキというところです。「さてさて、映画は何本観ようか」と楽しい計画を立てたりします。とくに今年の映画鑑賞はハイペースで、3月までに9本を楽しんでいたのです。そして、「前震」がやって来る4月14日は、「ブラックスキャンダル」について好きなことを書いていたのでした。それがいまや熊本市内や近辺のシネコンは軒並みアウトのままです。市内の繁華街にある老舗の「電氣館」が何とか営業しているくらいです。
 そんなこんなで、「昭和の日」は、私の部屋の整理と相成りました。そこにすばらしい情報が入ったのです。その日の12時15分から22時15分までの10時間30分にも亘って「戦後歌謡三昧」という放送があるというのです。ここまでは、すでに5月25日に書いたこととダブっています。
 私の歌謡曲好きは半端ではありません。それを夜まで楽しみながら部屋の整理ができるのですから、これは最高です。そして、お昼過ぎに番組がスタートしました。まずは、懐かしの「東京五輪音頭」が聞こえてきました。国民的歌手(?)と言われた三波春夫さんの、晴れやかな声が気持ちを元気にさせます。この放送、今年で8回目なんだそうです。
 司会進行はアナウンサーの加賀美幸子さんと噺家の柳亭市場さんです。市場さんは歌謡曲の歩く辞書といえるほどの情報通で、かつ自ら歌を唄うというのです。加賀美さんはNHKの超ベテランで、定年退職はされたのですが、現在でもNHKの「古典講読」で様々な古典を朗読しています。その穏やかな雰囲気と語り口は秀逸です。そんなことで、私がこの10時間を大いに期待したのは当然でした。いつもだと、これほど長時間ラジオを聞き続けることはあり得ません。しかし、今日は「足の踏み場」もなくなった部屋の整理です。耳だけで楽しめるラジオは、その日の私にとって最高の贈り物になりました。
 
危機事態のリーダーシップ 2016/06/01 Wed 4986
 いわゆる「本震」が襲来したのは4月16日午前1時25分である。その28時間前の「前震」では、それほどの被害もなかったから自宅に留まった。しかし、「本震』では足の踏み場もなくなった。私の仕事部屋はドアすら完全には開かなくなった。その向こう側に落下物が積み重なったのである。そうした中で、同じマンションの方が「みんな外に出ていますよ」と声をかけてこられた。そこで私たち家族も階段で1階まで降りた。お向かいには公立の住宅が建っていて、その前にはかなり広い空間がある。そこに住宅の方々と一緒に一時的な避難をしたわけだ。
 そのとき、しっかりリーダーシップを取る人がいた。まずは集会所に置いている名簿に記入を求められた。さらに集会所は暖房が効いているので、とくにお年寄りはこちらを利用してほしいという。それから朝がやってきた。その際に何と「パンとおにぎり、そしてバナナが準備できたのでどうぞ」と呼びかけられた。われわれは住宅前の空間を利用させてもらってはいるが、住民ではない。ところが、「名簿の人数分はありますから遠慮しないでください」との説明が加えられた。これは推測だが、近くの公的施設に出かけて、そこで交渉して食料を確保してこられたようだった。その方は日ごろから住宅でいろいろな世話役をされているに違いないと思った。それにしても午前2時ころから暗闇の中で数時間、声かけだけでなく様々なアクションをとり続けられたことに敬服した。まさに「危機事態」におけるすばらしい「リーダーシップ」であった。
 ところで、余震が繰り返される、まだ暗い中にバイクの音が聞こえてきた。その音はマンションの前で止まり、一人の男性がエントランスに入っていった。その姿は、まるで「何事もなかった」ように見えた。それは新聞を配達する人だった。とにかく「何事もなかったよう」に感じたことが鮮烈な記憶として残っている。