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味な話の素
No.157 2016年05月号(4946-4985)                Since 2003/04/29
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前を向いて… 2016/05/31 Tue 4985
 私はシャーロット・ブロンテ(Charlotte Brontë)という名前は知っているだけです。彼女は小説「ジェーン・エア」の作家であることで有名です。しかし、その内容は知りません。また、「ブロンテ姉妹」と呼ばれ、これがシャーロット、エミリー、アンの3人姉妹だということも、一応は知っていました。それにしても「小説家姉妹」とはすばらしい。妹のエミリーの「嵐が丘」も教科書に登場しますね。彼女たちについてはそんなレベルの知識ですが、「ジェーン・エア」の中にすばらしい一文があることを知りました。
 それは “Life appears to me too short to be spent in nursing animosity or registering wrongs.”です。
 「私は、憎しみを抱き、不当な待遇に不平を言って過ごすには、人生は短すぎると思える」。まあ、名訳にはなりませんが、こんな感じでしょうか。世の中、生きていくに当たってはいろんなことがあります。どう考えても許せない人もいることでしょう。そうした体験がその後の生き方に影響を与えることは事実です。ただ、「憎しみ」や「不当な行為」に文句を言い続けるだけで時間が去って行くとすれば、人生がまことにもったいないではありませんか。私自身も、いまなら明確な医療ミスで母親を失いました。まだ47歳の若さでした。存命であれば、今年が90歳になります。そこまでは無理にしても、少なくともひ孫の顔までは見られたのではないかと思います。私は、そのときのお医者さんのお名前と顔はいつでも目に浮かべることができます。しかし、私は「前」を見ながら生きてきたつもりです。そして、忘れることのできない「母の死」も、私が「事故防止」の仕事を進めるエネルギーになっているのです。そしていま、私は母よりもすでに20年も長生きしています。それだけで大感謝です。
昼出し夕刊(pm12:00) 2016/05/30(2) Mon 4984
 今朝は社民党さんファンから叱られそうなことを書いたのですが、ニュースによれば、「安倍内閣不信任案」の共同提出に乗られるようですね。これまた皮肉を言って申し訳ありませんが、「衆議院の解散」はほとんどなさそうな気配になってきましたからね。そうなると「大敗」の懸念もなくなりますから、安倍内閣の不信任決議には参加しないとまずいことになります。ところで、安倍さんの「リーマンショック以来」という経済の現状認識には素人ながら驚きました。まあ、それも瞬間的で、「消費税アップの先延ばし」の理由付けということは、これまた素人にもわかりやすかったですね。ただし、メルケルさんをはじめ、他の国のトップたちは「国内政治のために、自分たちを利用するな」と思ったに違いありません。開催国の責任者がリーダーシップを発揮するのはけっこうなことです。ただ、今回はどうだったんでしょうか。
 
「大敗」の危機感 2016/05/30 Mon 4983  
 参議院選挙が近づいてきた。そんな中で5月27日付け読売新聞の「社民、不信任案に否定的 民進は提出働きかけ方針」との見出しが目に入った。民進党が安倍内閣不信任決議案を野党4党で共同提出しようと考えている。これに対して社民党は常任幹事会で「提出は望ましくない」ということで一致したという。現時点では首相は衆議院の解散は考えていないとしている。しかし、政界には「首相は『解散』についてだけは嘘をついてもいい」という奇妙な許容条件があるらしい。国民としては「それって解散だけですか」と言いたくもなるが、そこは措くとして、とにかく社民党としては「内閣不信任決議案」の提出には否定的らしい。その理由が首相に「衆院解散に踏み切る大義名分を与えかねない」からだという。つまりは、「解散されては困る事情がある」わけだ。
 社民党の又市幹事長は記者会見で「国会での不信任案よりも參院選で安倍内閣に不信任を突き付けることに力を注ぐべきだ」と述べている。その背景に衆参同日選挙への「準備が整っておらず大敗しかねない」(党関係者)との危機感があるという。この記事を読んで「大敗」とはどの程度のことなのだろうかと考えた。社民党の議席数は、衆議院で2議席、参議院で3議席である。このうち今度の参院選での改選は2議席だ。さて、記事にある、「『大敗』しかねない」だが、それって「衆議院の2名議席」のことを指しているのだろうか。「大敗」とは「大差で負けること。おおまけ」とされている(スーパー大辞林)。先週の「ソフトバンク対オリックス」の「22点-6点」といったケースでなら、「大勝」とか「大敗」と表現するだろう。選挙でも「大敗」と言うのは、20議席が10議席に半減したときなどだろう。もともとが2議席で、「大敗」という言葉はなじまない。当事者は本当にこのことばを使ったのだろうか。
 
遊覧飛行 2016/05/29 Sun 4982  
 私の「ここはどこだろう」という思いに気づいたかのごとく、機内でアナウンスが流れます。飛行機はすでに羽田近辺には来ているのでした。ところが、羽田空港の霧の影響で離着陸機が順番待ちで、いま上空を旋回しているとのことです。それが聞こえた瞬間に、眼下には先ほど見た同じ空港が目に入りました。その形状からそれは羽田空港ではないと確信しました。しかし、同じものが見えたのですから、わが搭乗機が同じところをグルグル回っているのは間違いありません。そのうちけっこう近くに同じ方向に向いた飛行機が2機見えます。これはまことに絶景です。いやいや、そんなことで満足してはいけません。そうこうするうちに、今度は反対向きに何と4機が飛んで行くではありませんか。
 そのスピードの速いこと、何といってもこちらと加算された相対速度ですから、無茶苦茶速いのは当然ですよね。こんな光景を目の当たりにできるとは何と幸運なのでしょう。
 おやおや今後は真下に三宅島がやってきました。こんな大きな三宅島はこれまで見たことがありません。しかもいつもは左側にありますが、いまは「真下」に近いんですね。おっと、今度は右側に富士山です。とまあ、こんな具合で40分ほどでしょうか「遊覧飛行」を楽しむことになりました。ここでようやく先月の写真の説明ができるようになりました。あの「三宅島」はこのときに撮ったものだったのです。島の中央、つまりは三原山にしっかり雲がかかっていましたので、お山の姿を見ることはできませんでした。
 さて、そうこうするうちに、パイロットからのアナウンスが入ります。「当機の着陸まで9機が待機しております」。つまりは10番目というわけです。さすがに能天気な私も「遊覧飛行」を楽しんでばかりではいられないことに気づきはじめました。
 
羽田へ飛んで… 2016/05/28 Sat 4981  
 さて、「羽田空港が霧のため離着陸に時間がかかるため、出発が遅れます」とのアナウンスは搭乗前に聴いていました。つまりは機内で20分ほど待機するということです。それを承知で機内に入ったのですが、「待ち時間」は20分を過ぎ、さらに少しずつ延長されていきました。私としてはそれでもまだまだ会議に出席する時間には余裕があります。まあ、羽田でゆっくりランチを食べる時間は少しばかり窮屈になるかもしれませんが、大した問題ではありません。そんなことを考えていましたが、ついには50分ほど遅れてから、わが飛行機は熊本空港を飛び立ちました。
 この影響で羽田到着は1時間近く遅くなった12時20分ころだといいます。こうなると昼食は慌ただしくなりますが、それでも会議まで1時間はあります。東京は交通機関が超発達していますから、会場までは50分もあればおつりが来ます。そんなわけで、いつものようにPCと遊びながら、いえいえ、しっかり仕事をしながら東へとに向かいました。そのうち、ほんのちょっぴり疲れたのか眠気が襲ってきます。そこで「ウツラウツラ」したのです。
 ふと気づいて窓から眼下を覗くとすでに飛行機の高度はかなり低くなっています。チラリと時計を見ると離陸から1時間ほど経過していました。飛行機で東に飛ぶときは西風に乗りますから東京には早く着きます。つまりは1時間を経過すればけっこう東京に近づいていることになります。ただ、ちょっとだけ「おやっ」と思いました。いつもの景色と向きが反対のような気がします。西に飛ぶのですから日本列島は左側にあります。だから富士山だっていつも左側にいます。ところが目の下には海があって、その右側に陸地が見えるのです。まるで正反対に向かっている風なのです。それに何だか初めて見るような空港もあります。一体ここはどこなのでしょうか。
国民健康保険 2016/05/27 Fri 4980  
 この4月から国民健康保険に加入しまた。3月末に申請していたのですが、保険証は年度が替わってすぐの4月2日に届いたので感動しました。熊本大学在職中は文部科学省共済組合に所属していましたが、定年を迎え2年前に退職しました。ただし、その後も「任意継続組合員」になりました。これは2年間の期限付きだと聞いていました。保険料は給与天引きではなく、3月末までに一括払いということになりました。「任意」ということでしたが、「人間ドック」の補助が受けられるなどのメリットがありました。
 当初は、こうした「任意継続」制度が存在している理由がわかりませんでした。しかし、とにかく「何でも〝Yes〟の吉田』でございますから、「任意継続」したわけです。
 その後、ある方と四方山話をしていたときに、「継続組合員』が話題になりました。そこで、2年間「継続する」意味がわかりました。そもそも「国民健康保険の「保険料」は前年の所得を基準に算定されることになっているのだそうです。そうなると、定年で退職する最後の年はそれなりの所得があるわけです。したがって、それを基準にすると保険料も高くなるという仕組みになっているのです。しかし、退職すれば当然のことながら収入は格段に少なくなります。そこで、2年間は「任意継続」にしておいて、それから前年の所得に影響を受ける「国民健康保険」に加入すると助かるというストーリーでした。なあるほどと納得しました。つまりはありがたい仕組みなのです。
 これを聞いて地方税のことを思い出しました。地方税も前年の所得にかかるから、初めて就職した年の支払いはありません。そして、退職した年の6月ころに「前年の地方税」の請求が届くという段取りです。そんなわけで、退職後の支払いになりますから、これからお辞めになる皆さんは頭に置いておかれることをお勧めします。
羽田空港の霧 2016/05/26 Thu 4979  5月24日の続き
 さて、「伊豆大島物語」ですが、私が東京に出かける日の朝に戻りましょう。その日は熊本市内も霧が発生していました。そして、6時台のニュースでは東京も霧がかかっていると言っていました。そのとき、何気なく「ああ、そうなんだ。今日は東京も霧なんだ」と思った記憶があります。
 ところでその前夜のことですが、わが家で翌日が公立高校の入試であることも話題になっていました。かなり早い時間から渋滞が予想されます。そんな中で朝を迎えると、自宅の周りも「霧」っぽいわけです。まさに「入試と霧」のワンセットがそろっているのです。そんな状況ですから、いつもより早く出かけるのは当然のことでしょう。何せ「リスクマネジメント」も私の仕事なんです。
 そこで相当以上に余裕を持って自宅を出ました。その甲斐もあって、道路もまだそれほど混んでおらず、いつもの朝より短時間で空港に到着しました。空港も霧っぽい感じはしましたが、視界不良ということもなく、無事に東京へ行けるわけです。それから時間が経過していきました。
 しばらくしてお知らせのアナウンスが流れます。「羽田空港が霧のため離着陸機で混雑しており、機内に搭乗後20分ほど待機するよう管制から指示されています」。まことに皮肉なことです。今日は熊本ではなくて羽田の方が霧でトラブっているというのです。まあ、しかし心配はいりません。会議開始の2時間前には羽田に着く便を取っていました。私としては普段からそのくらいの行動パターンを選んでいます。それは「リスクマネジメント」の基本でしょう。この便だと少しくらい、いやけっこう遅れても会議の時間に遅刻することはあり得ません。こころのゆとりと余裕はじつに大事です。しかし、それにしても熊本空港ではなく「羽田空港の霧」で出発に支障が出るのは、私の体験としては稀なことです。
「原状回復」のエピソード 2016/05/25 Wed 4978
 後出しジャンケンのような「前震」が発生したのは、4月14日午後9時26分のことです。それから28時間後の16日午前1時25分に「本震」が襲来しました。最初は自宅も仕事場も「それなり」の被害でした。そこで、「それなり」に片付けをして、ほぼ「原状回復」が終わったのです。ところが、「本震」は大きなダメージを引き起こしました。わが家でも「足の踏み場がない」状態になり、「寝る場所」の確保すらできなくなったのです。その結果、私も「車中6泊7日」を余儀なくされました。
 その後、まずは「寝場所」を元に戻し、自宅に帰ったのは23日のことでした。それからは「1,000日復興計画」を旗印に、ボチボチと整理をはじめました。定年退職時の2年前までに書籍の半分は処分するなど、それなりに「身辺整理」に力を入れたものです。しかし、それでも、「不要なもの」は「ワンサカ」あるんですね。今回の「震災」を機に、さらに「整理」が前進することになりました。
 そうは言うものの、帰宅してからは「身辺整理」よりも、まずは「原状回復」が優先です。それは自宅だけでなく仕事場も同じです。そんなわけで、自宅に復帰してから最初の休日である29日の「昭和の日」は朝からわが家の「原状復帰」に精を出すことにしました。
 その数日前だったと思います。かろうじて生き残った19インチのテレビから興味深い情報が流れました。じつは、「本震」によって大型のプラズマ・テレビはガラスが割れ、小型のそれも倒れてきた書棚で変形して機能しなくなっていました。こうした中で、一台だけはかろうじて難を逃れていたのです。その興味深い情報ですが、「昭和の日」にNHKのFMで「戦後歌謡三昧」というもの凄い番組があるというのです。なにが凄いって、放送時間がお昼の12時15分から夜の10時45分まで、10時間半に亘って放送するというのです。
 
熊本空港の霧 2016/05/24 Tue 4977
 熊本空港は濃霧対策としてトップレベルの計器を導入しましたから、昔と比較すれば就航率は格段に上がりました。ただし飛行機がその計器を整備していないといけないわけです。さらに、それを使用するための免許も必要で、これを持たないパイロットは機械があっても着陸できないのです。そんな条件下ではありますが、私は相当に運が良くて、つい「日ごろの行いがいいのかなあ」と勝手に思うところがあります。熊本に住んで37年になるのですが、熊本空港の便でアウトになったのは、霧で到着機が着陸しなかったときの1回だけなのです。私は「行く側」だったのですが、使用機が「降りてこない」のですから致し方ありませんでした。これもずいぶんと昔の話ですから、そのときは福岡空港に回ったのかどうかも記憶にありません。今でこそ九州新幹線が走っていますから、福岡空港への移動もかなりスムーズです。まずは熊本・博多間は40分程度で、博多駅から福岡空港までは地下鉄で5分という信じがたいアクセスの良さです。しかし、当時は在来線で1時間45分くらいはかかっていました。それに熊本空港から熊本駅までは、これまたけっこうな距離があるのです。こうして新幹線と競合することになって、熊本空港でも大阪便は便数を増やして頑張っています。そして搭乗率を上げるため、中部国際空港への便なども含めてボンバルディアのプロペラ機なども多用しています。これがまた楽しいのです。とくにボンバルディアと言えば、ときどき車輪が出なかったなんてニュースが流れたりしますからスリル満点なんです。そして、タイヤの出し入れや滑走路から離れたり着地したりする瞬間を客室から見ることができます。そんなわけで「おおっ、出たぞーっ」とけっこう興奮している自分がいます。どんなに年を取っても飛行機に乗るのは楽しいものです。
 
昼出し夕刊(pm12:56) 2016/05/23(2)Sun 4976
  地震でお風呂が使えないとき、息子の家で孫たちと風呂に入った。最年少の孫は4歳だが、いろいろ教えてもらった。まずは、湯船に浸かる前には洗うべきところをちゃんと洗う。これは常識だ。ただし、その際に石けんを使わないといけないと教えられた。古稀も見えはじめた私だが、これまでの人生で「石けん」を使ってこなかった。その方が間違いなく衛生上いいに決まっている。それ以来、私も断固として「石けん」を使うようにした。それから小さな手で泡を立て、しっかり自分で顔を洗う。私が「石けん」で顔を洗えるようになったのはいつだっただろうか。その記憶はないが、4歳で大丈夫だったかなあ。さらにシャンプーを泡立てて髪に溶け込ませ、これまたしっかりマッサージする。その後は、おじいちゃんに頭からお湯をかけてくれと頼む。その間は息を止めてひたすら待つ。これまた私が自力でシャンプーできるようになったのはいつだっただろうか。まあ昔はシャンプーなんて気の利いたものはありませんでしたけれど…。
 
伊豆大島物語 2016/05/23 Mon 4975
 いつも本欄をお読みいただいている方は、先月の表紙写真が「胡蝶蘭」と「雲をかぶった伊豆大島」であることをご記憶でいらっしゃいますか。おっと失礼しました。「あんたとは違って、しっかり覚えているよ」とお叱りを受けるかもしれませんね。いつもは2枚の写真を本欄の1回分でご紹介しているのですが、「今回は例外」として「伊豆大島物語」になるので、先送りしていたのです。そこで、遅まきながら、「物語」をはじめさせていただきます。ただし、いつものことながら「相当程度」にくどくかつ長いものになりそうです。ただただ、ご容赦を願うばかりでございます。

 人間、「生きている」とそれだけで「いろんなこと」を体験することができるものだと感動しております。ありがたいことでございます。それは3月のある日のことでございます。えっ、「お前は誰だ」ですって!いやあ失礼をばいたしました。私はすでに「前期高齢者」になった年寄りでございます。周りの方々の迷惑などには気づきもせずに、言いたいことを言い続けている厄介者でございます。しかし、人の世の中はうまくできていないものでございますよ。よく「憎まれっ子、世にはばかる」と言われますね。私なんぞはその典型でございます。しかも、「わしゃあ、はばかるぞーっ」と自覚しているのでございますから、最悪と言うほかはございませんでしょう。まあ、いつものくどい前置きはこれくらいにいたしましょう。
 その日、私はお江戸の町で開かれる寄り合いに出かけるために熊本空港に向かいました。そう言えば、いまやお江戸は「お殿様のご乱行」で大騒ぎのようでございますね。このときは、そんなお話しなどはなく、お江戸はお花見には少し早いなあという平和な様子でございました。ところで、この日の熊本は朝から濃い霧がかかっていました。何と言いましても、熊本空港は霧が発生することでは世界のトップレベルにあるのでございます。その筋から聞くところによりますと、最新鋭のレーダーが設置されているのだそうでございます。それはロンドンのヒースロー空港に設置されているものに匹敵するということだそうでございます。何でも、わが大和の国では、成田や函館など、ほんの数カ所しかないということで、まさに熊本空港は大和のお国から選ばれし空港なのでございます。
早朝夕刊(am6:01) 2016/05/22(2)Sun 4974
 高校時代の友人から電話があった。もう20年ぶりにでもなるだろうか。もちろん話題は地震である。「テレビを見ているとずいぶんひどそうだが本当に大丈夫か」と心配してくれている。
 いつものことだが、メディアは「画になる」映像を流す。益城町は軒並み家が崩壊している。熊本市内でも熊本城の惨状には胸が痛む。さらに一階の駐車場が潰れたり、2棟の繋ぎ部分が破断したマンションの映像が頻繁に出てくる。何分にも「前震」「本震」、いずれも震度7クラスの揺れが襲ってきたのだから、わがマンションも無傷というわけにはいかない。ただ、私が行動する範囲内では、「あっちもこっちもビルが崩壊」という状況ではない。そして、「見た目」には、おおむね4月14日以前の景色に戻っている。ただし、通勤途上にある熊本城の石垣は例外だが…。
 私は「教育情報科学」と題する授業を持っている。今回は「当事者」として「情報」、とりわけ「映像情報」を中心にたくさんの「情報」をゲットし続けている。
 
「不謹慎」と「自粛」 2016/05/22 Sun 4973
 大学院の演習では、院生が教育に関わる生のトピックスに関する情報を取り上げ、それについて議論しています。今年度は地震が襲来する前の第1回目は演習の進め方を確認し、私が教育の現状に関する話をしました。ところがその週に「前震」が起き、さらに「本震」と続いて、授業の再開は5月9日になりました。
 このとき院生が取り上げたのが「不謹慎」の話題でした。そもそもは地震後に「地震ごっこ」をする子どもたちがいて、これを「問題視」する向きもあるというものです。大人の世界では重大な災害や事件などが起きると「不謹慎」や「自粛」といったキーワードが表に出てきて話題になります。そして、その流れに反すると思われる行動をする個人や集団に対して「不謹慎だ」という批判が起きることが少なくありません。このあたりのメカニズムについては、大阪大学の釘原直樹先生編集の「スケープゴーティング」(有斐閣)が興味深い分析をされています。子どもたちの「ごっこ遊び」には大人になる前段階で重要な意味が含まれています。私たち世代の多くが、昆虫や野外にいる小動物の命を奪った体験をもっていると思います。それが具体的に自分の人間形成にどのように役立ったか、あるいはまったく無意味だったかはわかりません。しかし、少なくともある時期からはそうしたことをしなくなりました。ともあれ、子どもの「ごっこ」についての研究は重要な意味があるのです。
 そんな話をした上で、院生たちに私のスタンスは「それぞれの人間が自分の仕事をしっかりする」ことが大事だと思うと伝えました。今回のゴールデンウィークには博多どんたくが、おそらくは盛大に行われたように、伝統行事もしっかり開催すべきでしょう。そして、その状況に応じてみんなが楽しみ、そこでたとえば「がんばれ熊本」といった連帯の気持ちが生まれればいいのです。人の不幸を揶揄するなどは、大きな災害時や事故が起きたときでなくとも人間として恥ずべき行為です。それなりの気持ちを込めていつもの通りに過ごす。世の中全体に「自粛」の絨毯が敷き詰められるのはいかがなものかと思います。
 
早朝夕刊(am6:18) 2016/05/21(2)Sat 4972
 都知事の定例記者会見は金曜日らしい。そう言えば、それを早めに切り上げて湯河原に行っていたという話もあった。それにしても、日本の首都のトップが自分のことを追求されて2時間を過ごす。これだって税金の無駄づかいである。さすがの桝添氏も昨日は神妙にしていた。疑惑を指摘された当初は「公用車は動く知事室」なんて、笑顔半分で解説していた。このときは、まだ事態を甘く考えていたようだ。先週もまだ少しは「自説を展開する」余裕が残っていた。おそらく、都民やマスコミの面々をなめていたのだろう。しかし、週刊誌が次々と弾を出してくるので、「このままじゃまずい」と気がついたようだ。今度は一転して第三者に自分の行為を精査してもらうという。そのかわり、ほとんど何も答えないという戦術に変更した。もう。見ていて痛々しささえ感じる。これが我が首都の知事の記者会見なのだから…。
 
学会員の条件 2016/05/21 Sat 4971
 学会は研究者から構成される団体です。ただし、関連領域の実践や実務に関わる人たちも資格を得ることができるようになっているところが多いと思います。この研究者には大学院生が含まれます。私は現在でも「日本グループ・ダイナミックス学会」の会員ですが、会員になった経緯は少しばかりおもしろいものがあります。まずは結論から先に言いますと、学部の学生、それも2年生の後期に会員になったのです。それは1968年のことです。そんな事実は学会の公式記録には残っていないはずですが、まあ「事実」なのですから仕方がありません。しかし、その詳細を話しはじめると止まらなくなるのはいつものことです。そこで、それについては思い出したようにボチボチ書いていくことにします。
 私は大学1年生のときから九州大学の集団力学研究室に出入りさせてもらっていました。そのころは、三隅二不二先生が40代も中程でいらっしゃいました。こちらは二十歳になったばかりですから、多くの先生方がまぶしく見えたものです。それにしても、昔の大先生方は40代でも貫禄十二分でした。私なんぞは前期高齢者の域に達したというのに、研究能力は別にして、風貌でも三隅先生の40代に遙かに追いつかないと実感しています。
 しかし、それを言いはじめると切りはありません。あの夏目漱石は49歳で亡くなっています。森鴎外だって享年60歳なんですから。そうそう、ついでながらでは失礼千万と叱られるでしょうが、評論家として一世を風靡した大宅壮一氏は70歳でこの世を去っています。「駅弁大学」「男の顔は履歴書」「恐妻」「口コミ」など、そのときどきの世相を反映した、あるいは皮肉った流行語を創った人です。私はもっと高齢で亡くなったと思っていました。いつの間にか学会の話ではなくなってしまいました。すみません、本コラムではいつものことです。
朝出し夕刊(am5:45) 2016/05/20(2)Fri 4970
 昨日の「夕刊」で、元県議であるあの人のことを書きました。彼と首都のトップの反応に似ているところがあってけっこう苦笑できました。もちろん、首都のトップは大物でいらっしゃるから号泣などはされません。それどころか、前任者は「汗たらたら」でしたが、この人は顔全体に水分すら見えなかったのには、さすがだと感服しました。もっとも、ミネラルウォーターを入れたコップにはけっこうな頻度でお世話になっていたようでしたね。また、記者からの質問が「聞き取れなかった風」で手を耳に当てる所作も、あの方としっかり似ていましたよ。まあ、本当に聞き取れなかったのだとは思いますが…。人が本当のことを言っていない、あるいはややこしい状況に追い込まれていると、こうした反応をするような気がしますよ、桝添さん。本当のことはご家族がご存じですよね。
 
義援金と差し押さえ 2016/05/20 Fri 4969
 現代の国家は、そのほとんどが法治国家である。国民のすべての関係は「法律」で決まる。その昔「仇討ち」は一定の条件はあったが、制度として許されていた。しかし現在は個人が私怨で他人に罰を与えることはできない。私刑、つまりは「リンチ」は許されない。米語では基本的に「群衆に基づく」ことが大前提である。
 今回の「熊本地震」に関連して衆院災害対策特別委員会において「義援金保護法案」なるものが可決された。「熊本地震の被災者が義援金を受け取る権利を保護するため、金融機関などの差し押さえを禁じる法律」だという。対象は「熊本地震に関連して都道府県や市町村が交付した義援金」である。これには「法施行前に受け取った金銭にも適用」される。
 この記事を見て、「ああ、そうなんだ。こうしたこともあらかじめ法律で決めておく必要があるのだなあ」と思った。借金を抱えている人に、「義援金が入ったのなら、その金ですぐに返せ」と言ってはいけないということだ。たしかにそんな事態が起きそうである。これほど細かい(?)ことに気づくのは、法制局かどこかに専門家がいるからだろう。もっとも、これも過去の経験に基づいているのだと推測する。ただでさえ人の金を巻き上げようと手ぐすね引いている連中がわんさかいる。それで義援金を取られてしまったという事例があったに違いない。ただし、記事には「金融機関などの差し押さえ」としか書かれていない。これに「私的な貸し借り」の請求まで含まれるのかはわからない。ところで、「生活保護」を受給している人たちには「義援金」が「収入」と見なされるようだ。その結果として受給資格の問題が発生するらしい。地震被害の再生に使う費用はそれに当たらないようだが、これがまたややこしいことになりそうだ。その解釈についても、やはり法律が必要になるのだろう。
 
朝出し夕刊(am8:05) 2016/05/19(2) Thu 4968
 号泣で世界中に知られた元兵庫県議の彼は裁判所に引きずり出されて「記憶にありません」を乱発したらしい。このセリフは今から40数年前に「流行語」になった。そのときは「国会」の「証人喚問」が舞台だった。それにしても、このセリフを発見した人には「コロンブス賞」を授与すべきではなかったか。大脳に関する科学が進歩したといっても、記憶のメカニズム研究はまだまだ入り口のドアノブに触れた程度である。「『記憶にない』なんていい加減なことは言わせないぞ。これを見ろ、れっきとした『証拠』ではないか」。いまの取り調べではこんなセリフはあり得ないのである。もっとも、こんなことが実現したらおしまいだ。自分の頭の中がお見通しということにでもなれば、それは人格そのものの否定になる。つまりは人間でなくなるのである。そんなとんでもないことが起きる時代が来ないことを祈るしかない。しかし、いつかはそうなるのだろう。そして人類は存在していたとしても、何の意味もなくなるのである。
 
プロの矜持 2016/05/19 Thu 4967
 今日では「第4の権力」と言えば、マスコミが司法・立法・行政に次ぐ強大な力をもって社会に影響を与えるという意味で使われることが多い。そもそも「権力」という言葉には否定的な意味合いが感じられる。しかし、マスコミは国家権力に代表される強大な力に対して臆することなく事実を追求する。まさに小市民に代わって正義を追求する。本来はマスコミのそうした役割に対するプラス評価が含まれていると考えるべきだろう。
 そしてマスコミに関わる人々は情報のプロフェッショナルでなければならない。そうしたプロ組織に対する定義として、「虚報」を「全く事実無根の捏造」とするのでは、いかにも甘すぎる。そもそも「捏造」とは「事実でないことを事実のようにこしらえること。でっちあげること」(デジタル大辞泉)である。したがって、「捏造」の前にわざわざ「事実無根」を付け加えることはないのだ。私が考える「誤報」とは、「プロの仕事として求められる専門的な手続きを取った上で、その状況からやむを得ないと推測されるミスや問題があったために、結果として『誤った情報』を伝えてしまったもの」である。ここで、「プロの仕事」という条件が重要になる。伝えようとする「事実」について、まさに「全く問題がない」と評価されるほどに確認することである。これに対して「虚報」とは、ある一定の方向性をもった意図のもとに情報を歪めて伝えることである。記者会見の模様を伝えるニュースでも、別の質問に対する回答を、「重要な質問に答えなかったように」編集していたケースがあった。また、「誤報(虚報?)」を問題視され、その原因を「専門的な内容のために少数の人間が仕事をしていた」ことに求めた事例もあった。これではプロの報道機関としての矜持を自ら失っている。
 
「誤報」と「虚報」 2016/05/18 Wed 4966
 昨年、ある大新聞で「誤報」問題が起きたことがある。私のような一般人が見聞きした情報を踏まえれば、あのときは「虚報」に近いのではないかと思った。「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」によれば、「誤報と虚報」の項に、「誤報」は「事実とは異なる誤った報道。誤報の多くは取材する側の聞き違いや思い違い,取材される側の言い違いや勘違いなどのミスによって起こる」とされている。そして、「全く事実無根の捏造 記事は虚報といわれる」と説明する。
 この定義では、「全く」という条件を付けている点が引っかかった。これだと、「少しでも事実」が含まれていれば「虚報」ではないことになる。しかし、世の中に広く報道される情報で「100%事実無根」というものがあるのだろうか。そもそも、「事実無根」は、「事実に基づいていないこと。事実であるという根拠がないこと」(大辞林 第三版)である。ある事柄に関する情報が「事実でない」のだから、「事実無根」と表現しただけで「即アウト」なのだ。そこに、ことさら「全く」という修飾語を付ける必要はないのである。ここで使われている「全く」は副詞だから、「全く事実無根」のように名詞を形容するのはおかしいのではないか。このあたりは中学生から高校生時代の文法知識しかもっていないので、私の指摘は怪しげではありますが…。
 ところで、マスコミは「第4の権力」と呼ばれる。ただし、英語では〝the Fourth Estate〟で、〝power〟ではない。したがって、「権力」は誤訳だとの指摘がある。それは、聖職者・貴族・平民に次ぐ第四番目の社会的階級あるいは身分を意味したというのである。もっとも、その後アメリカにおいては今日的な意味で使われるようになったようである。
 
言っちゃえ! 2016/05/17 Tue 4965
 私が桝添氏の件をとやかく言う余地はない。それほど、わんさかと批判にあふれている。ただ、そうではあるけれど、やっぱりちょっとだけでも言いたくなってくる。そもそも彼は私と同じ年齢の団塊世代人だ。しかも北九州は八幡の出身だという。私は父の仕事に関係で、おそらく1951年から数年間、八幡で過ごした。あの「七色の煙」が立ち昇る八幡の空気を同時に吸ったときがあるのだ。国会議員のときには、ふるさとの母親を介護するために東京と北九州を通ったという美しい話も聞いていた。
 私自身は彼の醸し出す雰囲気には今ひとつのものを感じていたが、わざわざ文句を言うまでもなかった。しかし、今度のネタはまずすぎる。家族旅行で泊まった部屋で会議をしたんですって。だから公費なんだそうな。しかも、誰が会議に出席したのか人数すら言えないといのだからものすごい。わが家も、この2年間、孫たちも交えてグリーピアに泊まりに行った。それなりの人数だから、そこそこの部屋数もとった。そこで、誰かを呼んで「会議」をすれば、あとはプールで泳ごうと、野原を走り回ろうと、はたまた露天風呂ではしゃごうと、そして夕食を食べ過ぎようと、すべて経費は「出張」にして税金から出していただく。それで通るのなら、「本当に数人を呼んで1時間ばかり仕事の打ち合わせ」をしたくなりますよねえ。もちろん、「堂々と出席者の名前もそのときの議題も、さらには議事録だって」出せばいい。ついでに「証拠写真」まで添付すれば完璧でしょう。しかし、それだけ「きっちりした資料」をそろえても、そもそも「そんなもん、家族旅行じゃんか」と一笑に付されてしまうに決まってる。こんな説明、小学生だって笑いころげるにちがいない。それよりも「世の中ってそんなことでいいの」と、人生に対する勘違いや変な思い込みを誘発するではないか。とにかく見苦しいったらありゃあしない。
 これが他人のことだったら、桝添さん、どんなコメントしますか。われわれよりも1歳年下の矢沢永吉の「やっちゃえ日産!」じゃないけれど、本当のことを正直に「言っちゃえ、桝添!」。
 
人生の運転 2016/05/16 Mon 4964
 人生は自分の車を「運転」するようなものだ。しかも、これから先のルートは決まっていない。それは「自分」が決める。カーブの先、トンネルの向こうがどうなっているのかわからない。しかも、車は自分一人が運転しているのではない。前に行く車もある一方で後続車もいる。また併走する車もいるし、あっという間に追い抜いていくものもある。そんなとき、頭にきて競争する人、「お先にどうぞ」と落ち着いている人、いろいろだ。駐車場から出ようとする車を入れてあげることもある。また、そんな優しさにつけ込んで、どんどん割り込む車がいてあきれもする。もちろん対向車にも気をつけないといけない。いずれにしても道路は自分だけのものではない。道路交通法というルールがあるのだから、それを守らなければならない。見つからなきゃいいってものではない。飲酒運転などはもってのほかである。こうした常識を意識的、あるいは無意識的に無視する人がいる。とんでもないことである。
 ともあれ、運転は「前をしっかりみておく」ことが基本だ。それが安全な運転を保証する。しかし、「前だけ」では十分ではない。「バックミラー」で「背中」ではなく、「後方」もしっかり認識しながら走る。それが安全運転に欠かせない。しかし「後ろを見る」のはあくまで「前に進むため」に必要だからである。人生もしかり、「前を向いて」、「自分で前に進む」ことが大事なのだ。後ろを見るのは「前に進むため」に過ぎない。
 ただし、人生と車の運転の違いは一つだけある。人生には「バックギア」がついていない。いつも「バック」に気を配りながらも、しっかり「前を向いて」快適な運転を続けていきたい。このドライブ、自分がどこまで行けるのか、そしていつ終わるのかはわからない。だからこそ、楽しく運転して参りましょう。
〝Behind the wheel〟 2016/05/15 Sun 4963
〝Behind the wheel〟.直訳すると「車輪の後ろに」といった意味になる。日本語では「ホイール」というのが一般的だろうか。車の仕様書には「ホイールベース」が使われるし、車いすは「ホイールチェア」である。ただし、〝Behind the wheel〟の〝wheel〟は〝steering wheel〟、つまりは「自動車のハンドル」である。英語の〝steer〟は「操縦する、運転する」ということで、そのための「輪っか」だから「ハンドル」なのである。因みに、英語の〝handle〟は名詞だと「取っ手」や「柄」という意味がある。動詞にしても「手に触れる」「持ち上げる」「扱う」などだ。
 ともあれ、運転は「ハンドルの後ろでする」感覚である。日本人なら「ハンドルの前に座って」となりそうだ。車の前から見れば、運転手が「ハンドルの後ろ」に見える。彼我の視点、立ち位置の違いがおもしろい。
 ついでながら「バックミラー」も英語では〝rear-view mirror〟である。そもそも英語の〝back〟は人間や動物の「背中」を意味する。したがって、〝back mirror〟では「背中を見る鏡」になってしまう。まるで「孫の手」である。運転しながら背中を見る必要もないだろう。そんなことをしていたら危なくて仕方がない。かゆければ車を停止させ、「孫の手」をお使いになればいい。そんなわけで「後部」を意味する〝rear-view mirror〟こそが「後ろの様子」を確認する」ための道具ということである。
 さらについでながら「リアカー」がすばらしい。いまの若い人は知らない人もいるだろうか。これは〝rear car〟=「後ろ車」ということだが、見事なる「和製英語」である。とにかく人間が引っ張る「荷車」だから、「後ろ」にしか「車」はない。だから「後ろ車(リアカー)」というわけだ。そもそもはバイクの横に付ける〝sidecar〟からヒントを得たらしい。人力で引っ張る荷車を「カー」仕立にしたところはアイディア賞間違いなしの傑作である。さて、本題(?)に戻って、「ハンドルの後ろ」に座って、ときおり「背中」ではなく自分の車の「後ろ」もちゃんと見ながら運転しないといけないのは当然である。
「P」と「M」 2016/05/14 Sat 4962 5月10日の続き
 私は「リーダーシップとリスクマネジメント」「リーダーシップと危機管理」も大事な仕事にしてきました。組織の安全を確立する、事故を防止する。これはグループ・ダイナミックスにとって永遠にチャレンジし続けるべき課題です。私は人間世界で起きた事故や不祥事の原因は二つしかないと確信しています。それは、「言いたいことが言えなかった」「言ったけれど聴いてもらえなかった」の二つです。こうしたマイナス要因を解消するためには「部下との関係づくり」が欠かせません。これはリーダーにとって「集団を維持していく」行動に当たります。そこでPM論では、英語のMaintenanceが採用され、これを「M行動」と呼ぶことになったのです。
 そして、様々な組織や職場におけるリーダーに求められる「P行動」と「M行動」を探究する研究が進められました。その結果、さまざまな集団におけるリーダーシップを計る「尺度(物差しあるいは項目)」がつくられてきました。その詳細は関連する文献等を参考にしていただきたいと思います。そこでは、「どんな集団」の「リーダー」にも、「P」と「M」の双方が求められていることが明らかにされてきました。つまりは、「具体的な行動」は、個々の状況や置かれた立場などで違ってくるが、リーダーには「目標達成」と「集団維持」に関わる「行動」が求められていると言う点で「共通」しているということです。もちろん世の中にはたくさんのリーダーシップ研究者がいて、それぞれがリーダーに求められる行動について提案をしています。ただ偏狭な私には、「どれもこれも同じ」ように思えてくるのです。また、リーダーシップは「行動」だとしても、その時々の状況や部下との関係で、求められるものは「変わってくる」という見解もあります。
 
 スリーダイヤモンドを汚さないで 2016/05/13 Fri 4961
 三菱自動車が日産の傘下に組み込まれることになった。ニュースでは三菱自動車の社員が驚いている様子が流された。マスコミ的には、「そうした反応」が絵になるとの判断があったのだと思う。私の勝手な推測では「そうでしょうね」という思いの社員が少なくないのではないか。いつもながら素人の独り言であるが、今回の不祥事を受けて、「これはどこかの子会社になるしか方法はない」と思っていた。そして、それを組み込むとすれば、軽自動車で取引関係があった日産になる可能性が高いのも推測の範囲内である。もちろん海外の会社も考えられるが、そうなると「ノウハウの流出」が気になる。三菱は電気自動車でそれなりの技術力を蓄積してきたはずだからだ。そして日産もその領域ではトヨタよりも先行する部分もあるのではないか。
 過去の問題を踏まえれば、「三菱自動車」という社名が残ったことをよしとすべきだろう。社名すらなくせという過激な意見があってもおかしくないほど問題は深刻だった。当初、不正は特定の軽自動車と発表されていたが、その後になって一般車まで広がってきた。これもまたよくある悪いパターンである。「本当はまだあるのに隠しているのではないか」。そうした不信感を増大させることになる。それにしても、また真面目に仕事をしてきた一般の社員と関連会社の人々が路頭に迷いかねない状況を引き起こしている。実際にどのレベルで意思決定されたのかわからないが、現場第一線の人たちが勝手にやったとは考えられない。しかも、それをしている人々は「おかしいこと」に気づいたり、承知していたはずである。それが「おかしい」と言えないところに組織の問題があることは明らかである。ともあれ、こんなことをしたら組織がどうなるか。そんなことは誰だって想像できるはずである。万が一にも、上層部がそうした行為を知らなかったとすれば、そのこと自身、組織が正常に機能していないことになる。ともあれ、あのスリーダイヤモンドのマークを自分たちでこれ以上汚さないでほしい。
退学物語 2016/05/12 Thu 4960 
 講演会などのとき、大抵は経歴を書くように求められます。その中に「博士課程単位取得退学」と入れておくと、司会の方が言いにくそうに読まれることがあります。それは「退学」という字句にひっかかりを感じられるからのようです。もちろん、これは大学などを途中で辞める「中退」ではありません。それでは「中退」と「退学」はどう違うのかと言えば、私にはよくわかりません。ただ、博士課程の場合は「単位を取得」した上で「退学」ということですから、なんとなくわかったような感じがしませんか。つまりは「所定の単位がある」わけです。
 この数日、日本銀行の審議委員二人が「博士課程修了」としていたことが問題にされているようです。この方たちは「博士号」を取得していないというのです。文部科学省の省令によれば、5年以上大学院に在籍して30単位取得し、さらに博士論文の審査や試験に合格することで「修了」になるのです。したがって、「博士号」を取っていないのに「修了」としているのは「経歴詐称」に当たるという理屈です。
 私はそのことを承知しており、ずっと「単位取得退学」としていました。さらに講演では、「別に悪いことをして退学したのではないんです」などと、それをネタ話に使っていました。その後、私もめでたく(?)博士号を取得しましたので、それからは晴れて(?)、「博士課程修了」と表記するようになりました。私たちの時代には、博士課程在学中に学位を取る人はほとんどいませんでした。これを「課程博士」と呼ぶのですが、私の恩師である三隅二不二先生ですら学位取得は44歳のときなのです。「退学後」に論文を提出して審査に合格することで「論文博士」と認定されるのです。
 まあ、今回の例が「学歴詐称」なのかどうかは知りません。ただ、私は経歴はとにかく簡単にしましょうと申し上げています。まあ、「どうでもいい」とまで言うと言い過ぎだと叱られるかもしれませんが、経歴でしゃべるわけではありませんよね。それよりも話の内容で善し悪しを評価していただくことが大事ですから…。
 
候補者と選挙民 2016/05/11 Wed 4959 
 アメリカの大統領予備選挙で、共和党はトランプ氏に決まりました。当初は「大ボラ」を吹くだけの泡沫候補との評価だったようです。これを「瓢箪から駒」と言うのかどうかわかりませんが、とにかく共和党の正式候補ということでしょう。いかにも単純化し過ぎですが、彼の過激なアジテーションとそれに熱狂する支持者の様子を見ていると、ヒトラーの再来を思い起こさせます。現状に不満を持つ人々が増えると決まってこうした流れができていく。それは人間の歴史の中で何度となく繰り返されてきました。今回の結果も、アメリカの多くの人々が不満を抱えていることを明らかにしたということでしょう。
 わが国でも、社会の逼塞感が高まったとき、「ワンフレーズ」でものごとを切って捨てる人が国民的な人気を博しました。しかし、その終わりのはしゃぎぶりはきわめて個人的な臭いがしました。彼はクラシックだけでなくプレスリーもお好きだったようで、ギターを演奏するよく知られた所作を大統領の前で披露していました。それを見たテキサス出身で陽気さでは人後に落ちないと思われる大統領とその家族が「苦笑い」している写真が印象的でした。もっとも「報道写真」は「1/60秒の真実」ですから、そのように見える写真を意図的にピックアップしたのかもしれません。その辺りは、われわれが「情報視力」を磨いておかねばなりません。
 あのヒラリーさんも、ご自分が閣僚として推進に関わった「TPP」に対して「反対」を表明したといいます。つまりは「選挙に勝つためには信念も何もあったものではない」といいますか、「前言を翻すなんて常識」ということでしょう。その点は、選挙を前提としている世界中の政治家に共通しているのでしょうね。そうなると、選挙民がしっかりしなければならないという理屈になりますが、これがまたむずかしい。そもそも、「ぶれない価値観の選挙民」なら、「信念を売り飛ばす政治家」など生まれないはずですから。
 ところで余談ながら、こうしたアメリカの状況を解説するNHK国際部のスタッフが「大股開き」なのが気になりましたよ。とにかく「威風堂々」としている、いやし過ぎに見えるんです。その話を聞いている男女のアナウンサーが小さくなっているように見えるので苦笑いしてしまいました。
リーダーシップのPとM 2016/05/10 Tue 4958 5月7日の続き
 リーダーシップを「特性」ではなく「行動」とする流れの中で、リーダーに求められる行動を抽出した「行動リスト(尺度)」が作成されてきました。わが国では、三隅二不二教授の「PM理論」が知られています。ここでは、リーダーに求められる行動を「目標達成」と「集団維持」の二つの柱にわけます。どんな組織や集団、あるいは集まりにも「目標」があります。もちろん目標は様々ですが、リーダーはその達成に必要な行動を取ることが求められます。たとえば「目標そのものを明確に提示する」「その目標がスムーズに達成されるように働きかける」「部下が目標から逸れていれば、それを指摘する」などが考えられます。また「目標について、メンバーが理解し納得できるようにわかりやすく説明する」ことも含まれます。さらに、リーダーとしてメンバーに影響を与えるには、「専門力」も欠かせません。
 こうした「目標達成」に志向した行動は、「遂行、実行」の意味がある英語Performanceの頭文字をとって、「P行動」と呼ばれています。これが「PM理論」で使われている「P」の由来です。
 しかし「P行動」だけで集団が目標を達成できるかというと、そううまくはいきません。集団を構成しているメンバーたちの気持ちがバラバラでは、目標達成そのものがおぼつかなくなります。そこで「集団を健全に維持していく」ことが必要になります。そのために、リーダーはメンバーの状況を把握することが大事な仕事になります。たとえば、「部下が気軽に話すことができる」「部下の意見を求める」「部下がいい仕事をしたとき評価する」などは、部下との良好な関係を促進します。
  
そして、「15日分」 2016/05/09 Mon 4957
 熊本大学は本日から授業を再開します。私は「1時間目好き」ですから、さっそくスタートを切ります。何分にも「第1週目」の木曜日夜に「前震」、そして16日夜半に「本震」が来て、そのまま休講が続いていたのです。
 さて、昨日お話した事情で、「本来15日」に掲載するつもりだった本欄の内容が放置されたままになっています。そこで、これもまたご紹介したいと思います。

ベビーカー巻き込み 2016/04/15 Fri 4928
 東京メトロでのベビーカー巻き込みは人的被害がなかったことだけが幸いだった。それにしても、これは「マニュアル通りに仕事をする」という基本の基本にしたがっていれば、「ありえない」ことだった。
 まずは、ほぼ直線のホームで「見落とし」があった。私も東京で地下鉄を利用することが多いが、駅のホームは直線になっている。少なくとも、よく利用する駅はそうなっている。私は先頭車が好きで、1号車が停止する位置で待っていることが多い。その際、自分が乗るつもりの電車がホームに入ってくる前から前照灯が見えはじめる。これはホームが直線になっているからにほかならない。その上で、ホームにはモニターカメラが設置されている。ほとんどの駅で客の乗降が確認できるのではないか。こうして、発車時には車掌が目視あるいはモニターによる確認をすることになっているはずだ。そのときは、これを形だけで済ませていたのではないか。
 全国の電車の発車回数は天文学的数値になる。そして、事故の確率は「ほとんどゼロ」である。つまりは慎重に「確認」しなくても事故が起きる確率はないに等しいのである。こうした状況の下では、つい「いつもと同じ」といった気持ちになる。これに何かストレスや心配事などがあれば、「網膜」にはドア付近にモノや人影が写っていても、「異常なし」となる。しかも視差呼称すら、「無意識の習慣、行動パターン、あるいは動作」になってしまう。
 今回の問題はそれだけではなかった。異常に気づいた車内の客が非常ボタンを押したという。こうなると、「何があっても、『とにかく停止』」以外に選択肢はないはずである。ところが、車掌はその対応もしなかったようだ。これに対してご本人は「気が動転していた」といったニュアンスのことを言っているという。マスコミ情報だけで推測するしかないが、東京メトロはこの間の事情をしっかり明らかにしてほしい。
 
あの日の「話の素」 2016/05/08 Sun 4956
 4月14日の「前震」では、揺れは激しかったものの、それほどのダメージはありませんでした。自宅もCDやビデオが棚から落ちた程度で、大型テレビも台からズレていたくらいだったのです。
 ところで、ずいぶん前に私は「味な話しの素」を継続できている「裏話」を書いたことがあります。それは、①早朝に書くこと、②翌日の1回分をストックしておくことです。その方針通り、「15日分」のものを準備していたのですが、14日夜の「前震」後にご心配のお電話やメールをいただくことになりました。そこで、15日はストックではなく、「とりあえず無事です」と「ライブ版」に変更しました。それから研究室の様子も確認して、16日には「けっこう大丈夫だった」という趣旨の「翌日分」を準備したのでした。そこで、もともとの「15日分」はさらに先延ばしになりました。ところが、16日になって間もなくの午前1時25分に「本震」が襲来したのです。これがスーパー級で、この日は躊躇することなく「ライブ」になったのです。それもアップしたのはお昼過ぎの12時20分でした。避難所に移動したのです。こうして、そもそも「15日分」として準備していたものと「『前震』の状況報告」の2回分がアップされないままに取り残されたのでした。そこで、まずは「『前震』の状況報告」として、私が16日にスタンバイさせていたものをご紹介します。

柔の大事さ 2016/04/16 Sat 4929
 地震が発生した一昨日の夜から、ご心配のメールをいただき始めました。おかげでわが家では人的な被害はありませんでしたので、その返事もボチボチすることができました。昨日になると、たくさんのメールやお電話もいただきました。ありがたいことです。
 その後もけっこうな余震が繰り返しやってきました。いわゆる直下型というんですか、横に揺れるよりも前に「あっ、来たな」という感じがすることを知りました。それにしても前期高齢者になるまで、「ちょっとゆらゆら」程度の地震は体験していました。地震列島に住む日本人ですから当然ですね。しかし、今回は半端ではありませんでした。昔から「地震、雷、火事、おやじ」と言いますが、やはり大地が揺れるのが一番になるわけです。
 仕事場にも出かけました。じつは恐る恐る研究室のドアを開けたんです。結論から言いますと、予想を遙かに下回る状態でした。机とロッカーの抽斗はほとんど飛び出していました。しかし、私が最も恐れていたのはビデオデッキの上に載せていたビデオカメラなどです。これが床に落下すれば、まず間違いなく壊れてしまうと思ったのです。ところが、そうした機器がなどがいずれも「載っかった」ままだったのです。その理由はデッキなどを置いていたテーブルにありました。これらにはキャスターが付いていたのです。そのため、揺れに応じて移動したわけです。まさに揺れに抵抗するのではなく柔軟に対応することで、その上の物は落下を免れたのでした。建物の柔構造なども同じ理屈ですね。今回はそれを実体験することになりました。これは物の世界だけでなく、人間関係にもしっかり当てはまります。お互いがガチンコでぶつかり合うよりも、柔らかくの方が何かとよさそうではございませんか。
 

 いま読めば、相当に楽観的なことを書いていました。
  
早朝夕刊(am6:05) 2016/05/07(2) Sat 4955
 非日常性の中で人と人の繋がりの大事さを実感することになります。また、日常のありがたさもしっかりわかります。避難所に行った当初は水が配給でした。それも量が圧倒的に足りず一人あたり紙コップ1/3ほどでした。それでも避難所の熊本学園大学では必至に探されたのでしょう。しばらくすると「また少しずつです」と配給がはじまりました。食料も最初のころはおにぎり1個とバナナでした。そのほか所定の場所にクッキーやキャンデーが置いてあり、個々人でそれを取りにいくことになっていました。夕食にカレーが準備されましたが、紙製の容器には名前を書いて再利用することになっていました。夜には日赤から寝る際に使う折りたたみ式のマットが支給されました。家族はそれを使ったのですが、私は「車中泊」ですから、座席シートが敷き布団になりました。
 そもそも「夕刊」は「思い出話」に適していませんが、「非日常的体験」ですら「脳内風化」するものですから、ちょこちょこメモしておきたいと思います。
 
質問への回答 2016/05/07 Sat 4954
 ある組織で講演した際に「設計を中心とする業務において『安全とリーダーシップ』との関係についてお知らせください」といった趣旨のご質問をいただきました。これに対してお答えした内容を本コラムで取り上げることにしました。それが4月10日のことで「前書き的」なものを書いていました。その後、大地震が襲来したこともあり、そのままの状態で今日に至りました。そこで、その「続き」をご紹介するとことにいたしましょう。私としては以下のようなご回答をさせていただきました。

 まず、「リーダーシップ」の基本的な定義からお話をはじめます。そもそも「リーダーシップ」の研究は、「リーダーの特性」に焦点が当てられていました。つまり、「効果的なリーダーはどんな資質を備えているか」を探そうというわけです。その結果、じつに様々な「特性」が「発見」されました。その中には「性格」をはじめ、「身長」「体重」そして「年齢」までもがリーダーシップに関連する「特性」として挙がってきました。しかし、こうした個人の「特性」に焦点を当てるだけでは、組織においてリーダーシップが与える様々な要因との関係を明らかにすることができませんでした。そこで重要だと考えられたのはリーダーの「行動」に目を向けることでした。組織に望ましい結果をもたらすリーダーは「どんな『特性』をもっているか」ではなく、「どんな『行動』をとっているか」が大事だと考えられるようになったのです。こうして、リーダーシップの研究は「リーダーの行動」を探究することに力を入れるようになりました。
 
早朝夕刊(am6:30) 2016/05/06(2) Fri 4953
 昨日の「自慢話」に、ある方からさっそくメールをいただきました。拙著「リーダーシップ・トレーニング」が、Yahoo検索で3番目に出てくると書いたのですが、もう一冊の「人間理解のグループ・ダイナミックス」についてお知らせくださったのです。GWの前半に、ご夫婦で東京にお住まいのお嬢さんのところへ出かけられたとのこと。東京では大型書店の本店に行くのを楽しみにされていて、三省堂本店と 紀伊国屋書店本店に数時間ずついらっしゃたというのです。根っからの書籍好きでいらっしゃるのがすばらしいですね。私も大学生になった年に神田神保町あたりを徘徊したものです。真夏の日差しの中をウロウロしている自分をいまも思い出します。
 さて、いただいた情報によれば紀伊国屋書店の社会心理学のコーナーに拙著「人間理解のグループ・ダイナミックス」が並んでいたということです。その場所が「3階のレジのすぐ横の棚」ということまでお知らせいただきました。いやあ、嬉しくなります。
 じつは、この方はずっと本コラムをお読みいただいており、アクセスカウンター〝333333件〟をゲットされたときもメールを頂戴していました。しかも、高校生のお嬢さんと、その8年前に「10万件ゲット」を外したエピソードがあり、さらにそのお嬢さんが結婚されるというめでたいお話しも付いていました。ありがたや、ありがたやです。
二の丸広場から 2016/05/06 Fri 4952
 熊本城は最初の地震(後に「前震」とされる)が発生した4月14日の翌日から閉鎖された。その時点でも瓦は落下していたものの、まだかなり残っていた。これに16日の「本震」が追い打ちをかけた。それによって、天守閣などの建物だけでなく、熊本城が誇る石垣が大きな被害を受けた。それは今月号の表紙でおわかりの通りである。それ以来、熊本場内は完璧に入場できないままである。
 ただし、「二の丸広場」だけは開放されている。これまではここにある駐車場に大型バスが並んでいた。今月号の壁紙にしている写真は、その二の丸広場から写したものである。大天守と小天守、そして宇土櫓の三つが、それぞれの勇姿を誇っている。熊本城を遠景で撮影するベストポイントである。一昨日、そこに家族と出かけた。道路が1本だけ駐車場へ繋がっていた。目の前には地球のエネルギーのすさまじさを認識せざるを得ない光景が広がっていた。
 天守閣の惨憺たる姿だけではない。城の質実剛健さを引き立てる長塀は軒並み倒されていた。わが家は孫たちも一緒に加藤神社に初詣に出かけている。今年もそうだった。そこへは、二の丸とは別の駐車場に車を止めて、ゆっくり石段を登りながら歩いていく。しかし、いまは神社に通じる道路も通行止め状態である。そして、「いつもの路」から見える石垣はほぼ全滅の状態だった。櫓は崩れ落ちた石垣の上にかろうじて乗っかっている。
 ただ、ただ目の前にある現実を受け止めるしかない。その復興にはどのくらいかかるのだろうか。私がこの世に存在している間に「熊本城完全復興祭」が開催されることは決してあり得ない。まだ余震が続いている。ときおり「ズシン」といった」感じの揺れがくる。これが落ち着かないと、石垣に近づくこともできない。そもそも「復興」のスタート自身を切ることができない状況にある。これから先はまだまだ長い。しかし、前に進む時間は与えられている。
 
早朝夕刊(am5:45) 2016/05/05(2) Thu 4951
 「自慢話」に調子づいてしまいました。私は前世紀の終わりから「組織安全学」なるものを提唱してきました。この用語は私が「初めて」使ったと認識しています。これも、「自慢」なんです。そこで、Yahooの「トップ」という希望的予測をして検索して見ました。その結果は「残念でしたあ」。それでも第3位にはつけていましたので銅メダルです。1位は関西大学の研究誌で、2位はウィキペディアです。ただし、どちらも「組織安全学」は使われていません。「組織」や「安全学」などの組み合わせなのです。そこで、「組織安全学」に限定すれば、私の読み物が「トップ」の金メダル獲得と言いたくなりました。
 ついでにもう一つ「リーダーシップ・トレーニング」で検索してみました。何分にも私のライフワークです。こちらは、トップページの4番目に拙著「実践的リーダーシップ・トレーニング」が挙がっていました。本の同じ写真が4枚も並んでいるのです。まるでPRですからどうなんでしょうねえ…。しかし、文句を言っては罰が当たります。もっとも、私としては「リーダーシップ・トレーニング」について論文や読み物を相当程度書いているので、それがピックアップされてほしいのですが、個人の期待とは関係ないわけです。そこで、先に進むと、3ページ目に、熊本大学で開講している「公開講座リーダーシップ・トレーニング」の案内情報が出てきました。これも論文ではありません。そんな実情ですが、この時点で約462,000件だそうですから、それなりに「自慢したいなあ」とはなりました。すみません、「夕刊」まで出して、「自慢話」を続けるなんて…。
 
ご無沙汰自慢話 2016/05/05 Thu 4950
 私は「自慢話」が大好きで、本コラムでもときおり取り上げてきました。日本人は「自慢じゃないけど」と言いながら「自慢話」をします。しかし、私は「自慢話」とお断りしています。もっとも、このところ「自慢話」はご無沙汰の感があります。ただし、前期高齢者でもあり、過去に「自慢済み」のものを「繰り返す危険性」も少なくありません。まあ、そんなときは「また自慢してらあ」と笑ってスキップしてください。
 それでは本日の自慢話です。Yahooで「組織安全」を検索すると、私が書いた読み物がトップに出ます。中央労働災害防止協会が発刊する雑誌「働く人の安全と健康」に連載したものです。その第3回目「組織安全のグループ・ダイナミックス」がトップに出るのです。発刊は2004年ですから、かなり昔になります。私としては「組織安全」について他にもけっこう書いていますので、「これ」が挙がってきたのには驚きもあります。ソースは私のホームページにアップしたものですから、さらに「これがどうして」という不思議さもあります。
 まあ、それはそうとして、とにかく「トップ」なのですから文句を言ってはいけません。じつは、けっこう長期間にわたって「トップ」を維持しているのです。何分にも「組織安全」という大きな枠組みですから、関連する論文や読み物はワンサカあります。Yahoo の場合、約47,800,000件(4日現在)と表示されていましたから半端ではありません。そんな中でのトップとなれば、生来「控え目で売っている(? )私」なのですが、ついつい自慢したくなってしまいました。まだまだ「人間ができていない」んです。それにしても、いわゆる検索エンジンは、どんな基準でリストをつくっているのでしょう。そこで上位をゲットするためのノウハウもあるのだそうです。私自身はそんな細工などしてはいないのですが…。
 
ありがとう 、もうしばらくは… 2016/05/04 Wed 4949
 心臓くん、ありがとう。僕が生まれる前から、そして寝ている間もずっと動いてくれていて、ありがとう。
 もうどのくらい動いたのか知らないけれど、もうしばらくはお願いしたいなあ。
 胃の腑くん、ありがとう。僕が生まれてから、いつもたくさん受け止めてくれて、ありがとう。
 もうどのくらい消化したのか知らないけれど、もうしばらくはお願いしたいなあ。
 小腸くん、ありがとう。僕が食べたものを、いつも栄養にしてくれて、ありがとう。
 もうどのくらい生きる力になったか知らないけれど、もうしばらくはお願いしたいなあ。
 大腸くん、ありがとう。僕の食べたものの後始末を、いつもしっかりしてくれて、ありがとう。
 もう、どのくらい外に送ってくれたか、知らないけれど、もうしばらくはお願いしたいなあ。
 体くん、ありがとう。僕の毎日を、いつもワクワクにしてくれて、ありがとう。
 あとどのくらい楽しめるかわからないけれど、もうしばらくはお願いしたいなあ。

 世の中のみなさま、ありがとうございます。いつもしっかり受け止めていただいて。ありがとうございます。
 あとどのくらいお付き合いできるのかわかりませんが、もうしばらくは、よろしくお願いします。
 
今月の写真 2016/05/03 Tue 4948
 いつもは「今月の写真」を紹介するタイミングを失しがちだが、今回はそうもいかない。私は先月の156号まで、写真は明るい話題に繋がるものを取り上げてきた。しかし、今月は地震による熊本城の惨禍を4枚掲載する。そのすべてが、私の通勤路途上の光景である。
 最初の2枚は熊本城ならではの石垣の崩落状態である。とくに2枚目は2つの石垣の曲線がすばらしく、私はただ見ているだけで感動していた。その向こうに市役所が写っている。そして3枚目は大天守閣である。最初の一撃が襲ってきたとき、NHKの屋外カメラが強烈に揺れる市役所方面の市街地を映し出した。それからすぐに不自然なほど早く右方向にパンして熊本城を視野に入れた。突然の事態にも拘わらず、NHKの誰かが意識して熊本城へカメラを回したに違いない。それはまさにプロとしての反射的行動だった。私はそう推測している。そして暗闇に映し出された天守閣から一見すると埃のようなものが舞い上がっているようだった。このとき瓦が崩落していたことは明るくなってからわかった。そして二撃目が輪をかけて天守閣を揺るがした。最後の4枚目は熊本大神宮である。すぐ後ろの石垣が崩壊して社を潰してしまった。
 熊本人にとって熊本城はなくてはならないシンボルである。そして、私たちは両親4人と家族、さらに孫を含めて全員が「城主」なのである。新緑の5月、表紙は「緑地」にしたが、このコラムは黒系にした。それが、現時点での熊本城に対する私の気分である。そして背景には熊本城の勇姿をはめ込んだ。大小の天守閣と宇土櫓が並ぶ。私の写真帳には様々な表情をした熊本城が写っている。しばらくは、それらを使っていきたい。それにしても、通勤で「熊本城」を見ることのできるとは、何という贅沢であろうか。これからも復興の姿を確かめながら、それを味わい続けていく。
 
都知事の想像力 2016/05/02 Mon 4947
 このところ、舛添要一東京都知事の名前がマスコミに頻出している。毎週のように神奈川県の湯河原にある別荘に公用車で通っていたというのである。とくに「公用車」を利用していた点が問題視されている。ご本人によれば、股関節の手術をした影響で半身浴しか出来なくなった。在京の風呂は狭くて足が伸ばせないからとのことである。東京から湯河原までは電車の距離で調べるとほぼ100kmある。これを車で往復するとけっこうな時間がかかるだろう。また、この間は運転手が公務として仕事をする。
 今回も組織のトップにまつわる話である。ご本人の個人的な事情はわからないが、やはり調子に乗りすぎた感は否めない。トップであれば「こんなことしていたら足をすくわれるかもしれない」と想像する能力くらいは備えていないとまずい。都政と直接には関わりのないことで「追及」されるようなことは避けるのが常識というものだ。むしろ都民から「そのくらいのことは許されるのじゃないの」と言われようなことですら、いやそうだからこそ絶対にしない。それは「やせ我慢」であったとしても、それがトップというものである。東京都内にだって脚を伸ばせるところはいくらでもあるだろう。
 桝添氏は公用車が「動く知事室」だと言う。移動中にも外部との情報交換がある。その内容について、公務員である運転士には守秘義務がある。タクシーではそうはいかないからセキュリティ上も必要だという。しかし、そもそも毎週のように決まった時間に湯河原に行くということ自身がセキュリティの問題を生み出す。悪意をもった個人やグループが「この日、この時間、都知事はいつも湯河原にいるぞ」となれば、都内で何かを起こすチャンスを与える。そもそも、自分から「公用車は『動く知事室』」などとは言わない方がいい。とりわけ地震は予告もなく襲来し、甚大な被害をもたらす。東京はその危険性が指摘され続けているのではないか。
繰り返された不正 2016/05/01 Sun 4946
 三菱自動車の不正問題発覚のニュースには驚くほかはない。あれだけ反省したはずなのに、どうしてこんなことが起きるのか。第三者には推測できる範囲を超えている。どこまで原因を追究できるか。当初、担当部局のトップが自分が指示したと言っていたらしい。しかし、その後になって前言を翻している。あまりにも影響が大きいことに驚いて、「事実」あるいは「事実に近い」ことを言わざるを得なくなったのだろう。これがどのくらい重要なことであるかを認識していなかったのかと問い詰めたくなる。
 この不正は件の部長が責任者になる前から行われていた。その事実だけでも一部長の指示でなかったことは明らかである。つまりは歴代部長の間で「引き継がれて」いたことになる。さらに、こうした指示を部長だけの判断で維持し続けることができるとは思えない。もしそれが可能だったとすれば、それ自身が「組織の問題」である。また、そこには不正行為を実行するものがいる。こうした人々が不正を告発できない状況があったことも疑いない。自分の行為がどれだけの人々に被害をもたらすか。ごく普通の人間であれば、それを想像できないものはいないはずだ。それは社会に対する裏切り行為に止まらない。そもそも真面目に働いている第一線の従業員に対する裏切り行為に他ならない。
 今回の件で受注が半減し、水島工場の部品メーカーでは多くの従業員が自宅待機になっているという。こうした人々を路頭に迷わせかねない結果を生み出すことも想像できないのだろうか。そうだとすれば、それは「組織人」としては欠格している。時計は逆回りはしない。したがって、現時点では「原因の究明を徹底して行う」としか言いようがない。それにしても、「人間とは同じことを繰り返すものなのか」と考え込んでしまう。学ぶことを知らないのである。