味な話の素  No.268 2026年02月号(11278-11328) Since 2003/04/29

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感受性訓練(2)  [51] 2026/02/28 Sat 11328 2月15日 [26 ]の続き
 
1970年代に入ると、ビジネス界では感受性訓練(ST:Sensitivity Training)と組織開発(OD:Organization Development)が一大ブームとなった。企業研修や人材育成の場でSTが積極的に導入され、自己開示や対人関係の改善を目的としたプログラムが広く展開された。しかし、この流れに対してわたしは早くから批判的な視点を持っていた。それは、STが「道具を使わない」ことを重視していたからである。それはカウンセリング系で導入されていたロジャースのエンカウンターグループも同様だった。そのスタイルが日本文化においては適応しにくいものだと考えたのである。ここで、その詳細は省くが、この点については「対人関係トレーニングの開発と実践(1)」において論じている。[ご関心がある方は右の✵をクリックしていただくと当該論文が読める]
父の日記(2)  [50] 2026/02/28 Sat 11327 2月26日 [46 ]の続き
 
父親に影響されて日記を書きはじめたのは小学生の時だが、書いたり書かなかったりが続いた。高校生になったとき、級友でMN君と仲良くなった。彼は国語が得意だったが、日記を書いているというので、これに刺激されたわたしはノートに日記を書きはじめた。ただし、そこそこ書いては、書かない日があるといった具合だった。こうしたことを繰り返しているうちに、日記が毎日続いていることを意識しはじめた。その開始日は1964年11月19日木曜日だった。それ以来、昨日までわたしの日記に日付が欠けたことはない。
続 リコール問題[49] 2026/02/27 Fri 11326 昨日[47]の続き
 スズキの社長らは不正問題について記者会見をしている。その席で、不正があった車は安全性能を満たしているかどうかわからないため、国内で生産した全車両のうち初回車検を受けていない約200万台をリコールするとの方針を明らかにしていたのである。これは2019年4月のニュースだが、前年8月に、出荷前の自動車の排ガスや燃費性能を検査する工程で不正が見つかった。その後の社内調査で、資格のない検査員が検査したり、ブレーキ検査で不合格になった車を合格にしたりするなどの不正も発覚した。スズキはこうした内容を含む報告書を国交省へ提出していた。
 まったくの推測だが、200万台は安全性能を満たしている可能性はかなり高いのではないか。ただし、ブレーキ検査不合格車をパスさせていたのは信じがたい。かくして、可能性のあるすべてをリコールせざるを得ないのが今の世の中である。それがわかっていても、同じような問題が繰り返され続ける。
GD仕事録(16)[48] 2026/02/27 Fri 11325 2月20日[34]の続き
 1970年7月13日(月)の日記(続き)
 朝、銀行が開店する前に門司支店で調査をした。その後は閉店後の下関支店に行く事になっていたが、時間があったので大里に行った。すると、父が来ていた。ひょっとしてそんなこともあるかもと思わないでもなかったが、それが当たったのである。下関で仕事を終えて、宇部に向かった。宇部駅で降りても何もない。それから宇部線で宇部新川に行ってはじめたちょっとした都市になっている。
 大里は現JR門司辺りの地名で、父の兄と母親が住んでいた。当時、父は門司の勤務だったことから、90歳近い母親のところに頻繁に顔を出していた。日記には書いていないが、わたしが大里を訪ねたことを父親は喜んでいたと思う。
リコール問題[47] 2026/02/26 Thu 11324
 仕事柄、いろいろな情報を貯め込んでいる。すでに時間が経過しているが、[朝日新聞デジタル記事2019年4月18日 20時28分]のメモが出てきた。
 自動車会社のスズキが出荷前の完成車の不正検査問題で、202万台のリコールを発表したことが記載されている。この台数は、1件のリコール届け出台数としては、2015年3月に記録した約199万台を抜いて記録を更新した。何とも不名誉な記録更新だが、2015年5月~19年2月までに製造された29車種、202万1590台が対象になった。この中には、日産自動車、マツダ、三菱自動車に供給している車まで含まれている。
 その費用が800億円と見込まれているが、これが販売した車から得た利益の何台分に相当するのだろう。せっかく製造したにも拘わらず、「検査の不正」だけの問題だとすれば、それは個別の会社の損失に止まらず、必要でない時間と労力の無駄づかいにもなる。ただ、記事によれば、「ブレーキ検査で不合格になった車を合格」にしたことも判明したというから、問題は相当に深刻である。
父の日記(1)[46] 2026/02/26 Thu 11323
 わたしの父は若いころから日記を書いていた。そのことを知ったのはいつだっただろう。戦後の貧困な住宅事情から、わが家もわたしが中学生になることまで間借りしていた。ようやく長屋形式の宿舎に入ったときも六畳と四畳半の二間だった。父は公務員で、いわゆる公務員住宅である。そこに4人の家族が住んだのだから、父が日記を書いている姿を日常的に見ていた。わたしが中学生のころ、父の日記が押し入れの中に積んであった記憶がある。そんなことで、父が若いころから日記を書き続けていることを知っていた。その影響もあって、わたしも小学生のときに日記を書くことがあった。それも365日の日付入りの本格もので、とにかく毎日書くことにチャレンジした。
城山三郎怒りの投稿 付録(3) 冤罪?[45] 2026/02/25 Wed 11322 昨日[43]の続き
 Geminiが城山三郎が国鉄名古屋駅で体験したことを投稿した期日と新聞名まで出してきた。そこで、Chat GPTがわたしの[味な話の素]も取り挙げていたことから、お遊び感覚で「吉田道雄との関連」と入れてみると、驚きの回答が返ってきた。
 わたしが城山氏の怒りを引き起こした名古屋駅の窓口にいた職員だというのである。いやあ、これには驚愕した。しかも、彼はその体験を反省して、その後は組織の問題等についての研究を始めることになったのである。このあたりはわたしの仕事として当てはまる。いやはや、とんでもない物語が一瞬にして創られることを体感した。ただちに「吉田道雄と窓口の対応者とはまったく関係がない」と返した。これにたいして、「そうでした」と[反省(?)]の弁を語る。いやはや、ビッグデータが危ういことよ。油断すると自分が当事者、もっと言えば犯人になってしまいかねないことを体感した。
4人の物語(133)[44] 2026/02/25 Wed 11321 2月18日[30]の続き
  Aが小学3年生の夏休みに書いた絵日記 1957年8月15日木曜日 はれ 30度
 きょうは門司に行きましたが、その汽車にのつひとがものすごく多いのでセンペイになるようにおされてやっとのことでのりました。おとうさんの手はまっ黒になりました。門司に着くと□□ちゃんが家の前に立っていました。
 この日の絵は山を背景にして煙を上げて走る蒸気機関車と客車である。そのどれもが真っ黒に描かれている。お盆ということで、乗車の際からギュウギュウ詰めだったようだ。父親の手が「まっ黒」というのはおそらく機関車の煤煙によるものと思われる。当時、客車は窓は開閉自由、デッキも開いたままのことがあった。いまでは信じられないが…。
 
城山三郎怒りの投稿 付録(2)[43] 2026/02/24 Tue 11320 昨日[41]の続き
 Copilotは「記録が見つからない」、Chat GPTは、わたしの[味な話の素]」を記録として提示してきた。
 そこで、ついでながら 、今[売り出し中(?)]のGeminiにも声をかけてみた。すると、[1975年8月26日の朝日新聞]に『不親切な国鉄に憤慨』というタイトルの投稿がある」という。今、手元でその日の新聞を確認できないが、わたしの西日本新聞のスクラップは同年の7月1日付である。二つの時期が近接しているから、城山氏はやはり全国紙に投稿していた可能性がある。むしろ西日本のブロックしだけの投稿とは考えにくい。いつか機会があれば図書館に出かけて新聞の縮刷版で確かめたい。
 ともあれ、Geminiは、Copilot、Chat GPTを超える具体的な情報を返してきたことになる。これはかなりすごいことだ。
家族への通信(29)[42] 2026/02/24 Tue 11319 2月17日[28]の続き
 福岡市の六本松にあった九大教養部の門が開けられ、全国から押し寄せた[米原子力空母エンタープライズ佐世保港寄港実力で阻止]を叫ぶ学生集団が大学内に入り込んだ。この当時、警察は大学構内に入ることには慎重で、これを回避していた。いわゆる[大学の自治]が最大限に尊重され、その中に警察権の不介入という不文律があった。そうしたことから、学生たちは教養部の学生会館を拠点として占拠する。そして、ここから博多駅へ向かい、国鉄の鹿児島線、長崎線、そして佐世保線を利用して[戦場]佐世保に向かった。佐世保では学生たちが機動隊と衝突を繰り返した。機動隊から催涙ガスが撃たれ、放水が浴びせかけられた。その模様は全国ニュースのトップを飾った。これが1970年1月の状況である。
城山三郎怒りの投稿 付録(1)[41] 2026/02/23  Mon 11318 昨日[39]の続き
 城山三郎氏の投稿物語は前回で最終回だった。その後、わたしとしては氏の投稿が記録に残っているかどうかを確かめてみたいと思った。そこで、AIに「城山三郎氏が国鉄窓口の対応に怒って新聞に投稿した事実はあるか」と問いかけた。
 Copilotは「記録を確認できる確実な資料は現時点の検索結果から見つかりませんでした」と来た。
 Chat GPTは、「はい、作家城山三郎が国鉄の窓口での対応について怒り、公の場(新聞)に投稿した記録が存在します」との回答が現れた。それは、わたしが認識している内容をバックアップするほど詳細なものである。これには「おお、さすがGPT!」と心の中で歓喜し、絶叫した。と、思ったら、出所は何と[ymichio.chu.jp]とある。いやはや、それって自分の[味な話の素]がソースじゃないか。それなら内容が同じはずだ。これには大笑いしてしまった。ただ、GPTは直近の[味な話の素]までフォローしていたことになる。
リーダーシップ・タブー集(30)[40] 2026/02/23  Mon 11317 2月16日[27]の続き
 [部下の話を聞かず、一方的に注意する]
 仮に失敗したとしても頭ごなしに叱られれば反省する気持ちも失せてしまう。そもそもやむを得ない事情があるかもしれない。あるいは、その失敗が本人の責任ではないといった可能性もある。さらに、リーダー自身の言動が原因だった等となれば、何とも格好がつかない筋違いの行動になる。何はともあれ、まずは部下の話を聴いてからその状況に適した対応をするのがリーダーというものである。そうでなければ、部下からの信頼を得ることはできない。そのことに一刻も早く気づきましょう。
城山三郎怒りの投稿(11)[39] 2026/02/22  Sun 11316 昨日[36]の続き
 城山三郎氏「怒りの投稿」の末尾は次の3文で終わる。
 「国鉄総裁は、この名古屋駅出札口の風景をどう説明し、どう処理されるか。それに、接客する立場にある全職員に名札をつけさせるといった小さな改善策ひとつでも、即刻、実行できるかどうか。読者の皆さんといっしょに、見守って行きたいものである。」
 絶頂期にある著名な作家は[国鉄総裁]への質問状になっている。氏が組織に関わる問題に焦点を合わせた作品で高い評価を受けていたから、これは無視できなかっただろう。その後、この投稿に対して国鉄総代から回答があったのかどうかは確認できない。ただ、何もなかったとは考えられない。
さらば、NHKラジオ第2放送[38] 2026/02/22  Sun 11315
 今年度でNHKラジオ第2放送が廃止になるという話はけっこう前から聞いていた。それがFMに移るらしいのだが、FMそのものは放送をしているから、下なりの番組が消滅するのかと思った。わたしは週に5本ほど、第2放送の番組を録音して聴いている。これが一部でもなくなるのは困るなあと思っていた。そこで、詳細をチェックすると、[わたしの番組]はすべて移行することがわかった。たとえば[カルチャーラジオ]は日曜日の[午前2時]からなのである。なあるほど、FMとしてもこれまでの番組は残しながら[24時間化」するというわけだ。夜の11時前には[あの世への体験ツアー]に出かける我が身としては、[深夜・早朝帯]は頭に浮かばなかった。現時点でも録音しているのだから、音声がFMレベルにアップするのは大いに歓迎すべきことである。
対応不能[37] 2026/02/21 Sat 11314
 新聞に、「コンビニ店員刺し タバコ1箱を奪う」という見出しがあった(熊本日日新聞 2月8日)。男は女性店員の腹部などを刃物を刺して、タバコを1箱盗んで逃走した。その後、近くに住む32歳の男が逮捕された。犯行の理由は「自殺して人生を終わらせたいと考えるようになった。人を殺せば楽になると考えた」と供述したという。店員は刃物が刺さった状態で病院に搬送されたが命に別状はないとしている。まさに不幸中の幸いである。いずれにしてもこうした事態あるいは人物にどのように対応すべきなのか、暗澹たる気持ちになる。
城山三郎怒りの投稿(10)[36] 2026/02/21 Sat 11313 昨日[31]の続き
 城山氏は「国鉄には、財政援助その他、不足しているものが多かろうが」と当時の厳しい経営状況に理解を示す。その上で、「いちばん不足しているのは、働く人間としての常識であり、客に尽くそうという心である。規律も、礼儀も、マナーも不足している。その点では、企業としての発言権はない、とさえいえる」と、理解を超えて厳しく追求する。これまで氏が挙げた窓口係の対応が事実であれば、多くの人たちが納得するに違いない。
 そして続ける。「人間、平素が大切である。あんな男たちのために、二倍の運賃が払えるかという国民の憤満を、まず解消することが先決ではないのか。」ここに来て、氏の個人的な体験を超えた「国民の憤懣」と言うのだから、「一国民」ではない。これは「みんなが思っていることだぞ」と叫んでいるとわたしは読んだ。
城山三郎怒りの投稿(16)[35] 2026/02/20 Fri 11312 昨日[33]の続き
 城山三郎氏の投稿もさすがに終わりに近づいた。最後は「二倍も運賃払えぬ」の見出しがついている。
 巨大な赤字の国鉄が、いま湯水のごとく宣伝費をつかって『運賃を二倍にしますぞ』といった脅追まがいのキャンペーンを行っている。赤字を生む構造になっていることはわかるとしても、赤字について全く自分たちに責任のないようないい方をしているのは、窓口の男たちを生む空気と共通しているのではないか。
 この当時、運賃値上げが話題になっていたのだろう。それにしても「2倍」とは仰天だが、新聞への投稿である。そこでAIで確認した。投稿が掲載されたのは1975年7月1日だが、11月に運賃が平均32%上がっている。とくにグリーン料金は92%というから、これを利用する城山氏が「2倍」と絶叫したのもあながち誇大とは言えないか。そして翌76年11月には、さらに50%値上げしている(Copilot)。1973年のオイルショック後とはいえ、驚くべき事態である。そのころ、狂乱物価という言葉が世の中に広まっていた。
GD仕事録(15)[34] 2026/02/20 Fri 11311 2月13日[21]の続き
 1970年7月13日(月) の日記 仕事の第1日目は門司支店と下関支店だった。下関支店では役席の人がわたしを紹介するとき「九州大学の吉田先生」と言った。昨年、アルバイトで塾に行ったとき高校生から先生と言われたことはあったけれど、大人から「先生」と言われたのは生まれて初めてのことである。
 社会人の間では、本当は先生でないのにそのように紹介することを初めて知った。このとき21歳である。それから時間が経過したあるとき三隅先生の[鞄持ち(?)]で出かけたときのこと。先方の担当者に、まだ20代のわたしを三隅先生が「吉田先生」と呼ばれた。この際も、「ああ、社会的にはそのように紹介するんだ」と学習した。
城山三郎怒りの投稿(10)[33] 2026/02/19 Thu 11310 昨日[31]の続き
 城山氏が遭遇したスト後の[事件]は氏の憤慨で一区切り着いたようだ。投稿に「民間企業なら倒産」という見出しが挙げられている。そして、またまた名古屋で[事件]が発生する。
 「それからしばらくして、わたしはまた、名古屋駅の別の窓口へ行ったが、そこでも『ないよ』とか『……だよ』といった言葉づかい。客に接するときは、いや、初対面のひととひとが対するとき『ありません』とか『……です』といういい方をするものである。その程度の常識さえ必要としない尊大かつ結構な職場のようである。前述のような男たちが生まれるのも、ふしぎでないふん囲気であった。」
 いやはや、客に対する言葉づかいがなっていないのである。
 「それでは名古屋だけの問題かと、気をつけてみると、わたしの最寄り駅の出札口にも、返事をしない男や、釣り銭を投げつけてくる男がいる。民間企業なら、こうした男たちは懲戒免職だし、解雇しなければ、その企業は、とっくに倒産している。」
 これは一地域の問題ではないということである。城山氏は組織体に関わる経済小説で知られた人気作家だった。その人が「民間企業なら倒産」だと叫んでいるのである。なお、この時代の国鉄は利用者が認識する範囲ではほとんどが男性だった。
ギャンブル依存(3)[32] 2026/02/19 Thu 11309 2月9日[15]の続き
 その昔、スロットマシンはパチンコ屋にあったし、温泉地の旅館で見た記憶もある。わたしも何回かハンドルを回したが、ワンサカコインが出てきたことはない。ただ、目の前で3つのドラムが回りそれぞれのストップボタンを押すと回転が止まる。二つのマークが同じになることはそこそこあるが、3枚目で外れるのである。ボタンを同時に押す人もいれば一つずつ押す者もいる。このあたりは性格も出てくるのだろう。これが温泉地での一時的なお遊びであればいい。しかし、そこに金銭が絡んでくるとマシンは一気に悪魔化する。
城山三郎怒りの投稿(9)[31] 2026/02/18 Wed 11308 2月15日[25]の続き
 国鉄名古屋駅の窓口の対応に憤慨した城山氏だが、投稿はこれで終わらない。
 「しかも、おどろいたことには、はでなネクタイをつけた上役ふうの男が、窓口に寄ってきたので、何かいいわけでもするのかと思うと、わたしには目もくれず、その『オイ』氏の肩を、ふざけ半分にもみはじめたのだ。
 何日も汽車をとめられ、ふらふらになった客が、駅構内にあふれているというときなのに。肩をもんでほしいのは、客たちの方ではないのか」。
 いやはや、窓口の向こう側では「うるさい客の対応、お疲れさん」といった空気があふれるというわけだ。さらにイライラを募らせる行動ではある。「派手なネクタイ」「上役風」「ふざけ半分」など、この文章を書いているときの城山氏の真っ赤になった顔が目に浮かんでくるようだ。ペンを持つ手が震えていたりして…。
4人の物語(132)[30] 2026/02/18 Wed 11307 2月11日[18]の続き
 Aが小学3年生の夏休みに書いた絵日記 1957年8月13日火曜日 はれ 29度
 きょうべんきょうしていると「おにやんま」がとんで来てまどにとまりました。ぼくはべんきょうじかんでわるいとおもいましたが、とってハエをやると、おいしそうにたべました。すぐにげていきました。ざんねんでした。
 「オニヤンマ」が前足でハエを掴んでいる絵が描かれている。エサのハエはどうしたのだろう。Aが子どももころは日常的にハエがいた。これを捕まえるために[蠅叩き]なるものがどんな家にもあった。また、お店などには粘着質の半液体を紙に塗った[はえ取り紙]も天井からぶら下がっていた。これに触れた蠅はそのまま身動きできなくなる。前者は一発で仕留めるが、後者は活きたまま逃れようとしながら時間をかけて昇天する。今日の価値観では人道的にきわめて問題のある道具といえるだろう。
誤りを繰り返す[29] 2026/02/17 Tue 11306 2月3日[05]の続き
 熊本県弁護士会の弁護士が依頼者からの預かり金670万円を不正に支出したとして、5か月の処分を受けた(熊本日日新聞2月7日)。弁護士が不正をするとニュースになるから目立つことは確かである。しかし、そもそも法律を守ることが仕事のプロだから、まさに「あってはならない」のである。ただ、このごろ弁護士にまつわる不祥事を見聞きすることが少なくない。その数もずいぶん増えているようだから、そんな人間が出てくるのだろうか。その点では、教員だって負けてはいない。
 ところで、報道された51歳の弁護士は20年と24年にも非行があったとして懲戒処分を受けたという。つまりは同じようなことを繰り返しているのである。法律のプロとしての適正を疑ってしまう。
家族への通信(28)[28] 2026/02/17 Tue 11305 2月3日[05]の続き
 米原子力空母エンタープライズの佐世保港寄港を[実力で阻止]すると標榜する学生たちが全国から福岡へ集合した。デモ隊は九州大学教養部を本拠地として佐世保に出かけるとしていた。九州大学としては彼等を受け入れないとして正門を閉ざした。ところが門の前に集まったデモ隊がこれを破壊する行為に出た。そうなると彼等は器物破損で逮捕される。これを避けるために教養部長は正門を開ける決断をしたのである。当時、つまり1970年ころは、大学には学問の自由を守るため、警察権力が大学内に入ることを避けなければならないという強固な意識があった。それは、戦前・戦中に大学が国の圧力を受け、その路線を批判する教員が大学を去らねばららなかったという体験に根ざしていた。
リーダーシップ・タブー集(29)[27] 2026/02/16 Mon 11304 2月2日[04]の続き
 [部下の仕事ぶりや成績を他と比べる]
 そもそもすべての生きものは生存のために適用しようとする。それは、そもそもDNAに備わった性向である。それが結果として競争を生み出す。人間以外は競争を意識することはないかもしれない。ただ、生命を維持させる行為を人間が見ると[競争している]ように見えるのではないか。かくして、人間は競争を意識、あるいは意図して競い合う。そして、その結果を評価するのも人間に特有だと考えられる。ともあれ、人間社会から[評価]を消し去ることはできない。ただし、[評価の仕方]については考える余地がある。少なくともリーダーは部下の意欲につなげる評価の仕方を工夫する必要がある。その点では、[他と比べる]のは妙手とは言えない。比べられた方が気持ちよくなる可能性はゼロでないとしても、自分を基準にして評価を下げる同僚がいるのでは気持ちも良くないだろう。
感受性訓練[26] 2026/02/15  Sun 11303
 わたしはリーダーシップ・トレーニングの開発と実践をライフワークとしてきた。その原点は、グループ・ダイナミックスの創始者クルト・レビンらが1940年代後半に提唱した[感受性訓練(Sensitivity Training)]にある。それ[Tグループ(Training Group)]とも呼ばれ、戦後、日本に導入された。大学の南山大学の中村教授は、その流れを三つに分類している。第一は立教大学への導入で、当初は牧師教育の一環として立教大学キリスト教教育研究所(JICE)に取り入れられた。その後、南山大学人間関係学科へと継承され、現在では南山大学がこの分野の開発と実践において広く知られる存在となっている。
 第二の流れは、九州大学から集団力学研究所への展開である。わたしはこの研究所の設立時から関わりを持っており、学会で研究所が紹介された際には大きな喜びを感じた。わたしが大学に入学した年に研究所が設置され、ほぼ同時期に九州大学でもTグループの研究が進められていた。わたしが初めて体験したブリヂストンタイヤの[リーダーシップ・トレーニング]に[センシティビティ・トレーニング]が導入されていたことはすでに書いた(1月23日 GD仕事録)
城山三郎 怒りの投稿(8)[25] 2026/02/15  Sun 11302 昨日[24]の続き
 窓口の担当者から「文句があるなら、中へ入ってこい」とは、[言語道断]をこんなときに使わなくてどうするである。そこで城山氏は続ける。
 「
いや、それより、客の側から、そこへ入る口はひとつもない構造になっていた。だから、その男たちは、まるで現代社会のどこにも見られぬような横柄な口がきけるのだ。男の背後には、上役や同僚たちがいるのだが、にやにやしたり、知らぬ顔をしたり。くわえタバコで仕事をしている男も、二、三人。窓口を動かぬわたしに、隣の窓口の係員が声をかけてきた。その呼び方が、また、りっぱなものである。『オーイ、こっち、こっち』 いったいどうなっているのかと、こっちの頭は、おかしくなりそうである」。
 まさに[火に油を注ぐ]のも甚だしい。これが1975年に国鉄名古屋駅の窓口で城山氏と担当者の間で交わされたやり取りだというのである。
城山三郎 怒りの投稿(7)[24] 2026/02/14 Sat 11301 昨日[22]の続き
 窓口の係員は城山氏の質問に答えずカーテンを引いた。さらに、「男はさらに、わたしの胸にぶち当てんばかりに『精算中』という標札を突き出した」と来た。ここでも「本当なんだろうか」と疑いたくなる。それほど信じがたい対応である。さらに城山氏は続ける。
 「これだけのあしらいを受ければ、その係員の名前がききたくなるのは、当然である。これに対し、その男の返答がすごかった。『なに、名前だと。きいて、どうする。文句があるなら、中へ入ってこい』」。さらに「本当なんだろうか」と言いたくなる。そして、まず[第一弾]次の文章で終わる。
 「わたしにも、多少、空手の心得はあるが、こんな男を相手に、出演料なしの立ち回りを演ずる気はない」。いやはや、「空手」だの「立ち回り」など駅の窓口には徹底して似合わない用語まで登場する。
消えるダイエー(6)[23] 2026/02/14 Sat 11300 昨日[20]の続き
 わが家が熊本の住人になったのは1979年10月のことです。その翌年4月に[熊本ダイエー]がオープンしました。ダイエーが飛ぶ鳥を落とす勢いでしたから、大賑わいでした。住まいがダイエーに近かったこともあって、[わが家のダイエー]になったのです。その後、ダイエーが厳しい状況に陥り、事実上消滅したことをご存じの方が少なくなってきたかもしれません。[熊本ダイエー]も営業は[イオン]に引き継がれました。そして開業から45年経過した昨2025年2月にクローズしました。その日は出張からの帰りで熊本空港へ侵入中の窓から閉店を記念する光に包まれた[ダイエーいやイオン]を眺めたのでした。それから一年が経過していま、建物の撤去が進行中です。その流れの中で、昨日13日に駐車場がなくなりました。屋上を含めて8階の駐車場です。さらに本館の上に2階分の駐車場がありました。こちらは立体駐車場
鉄筋コンクリートが巨大な重機の[ハサミ]で破壊されていきます。その姿は[ゴジラ]を思い起こさせます。
城山三郎 怒りの投稿(6)[22] 2026/02/13 Fri 11299 昨日[20]の続き
 全車自由席になったということで、城山氏は[グリーン車の自由席]はあるのかと聞いた。これに対して窓口の男性は「ない」の一言。
 「『それなら普通乗車券で乗れということなのか』と問うと、その男は、はり紙のはってあるガラスを、こぶしでがんとたたいた。このはり紙でわからぬのか、といわんばかり。掲示では不十分だから、たずねているのに、なんという態度であろう。文句をいうと、その男は、今度は、いきなり、窓口のカーテンを引いた。客の用が終わっていないというのに、言語道断である」。
 これで深刻さが一気に高まった。「ガラスをこぼしでがんとたたいた」とあるが、その場にいない身だからどのくらいの激しさかはわからない。ともあれ、城山氏には「がん」と感じられたのである。これで済まないでカーテンまで引いたと言うから、何とも信じがたい暴挙である。それに、遅延の状況であれば城山氏の後ろにも客は並んでいただろう。そうした状況でカーテンを締めておしまいとはいくまい。ただ、城山氏は「窓口の番号はあえて書かない」と言い、新聞に投稿しているのだから、少なくともそのような事実はあったと思われる。
GD仕事録(14)[21] 2026/02/13 Fri 11298 2月6日[11]の続き
 1970年7月12日(日)の日記は「今、門司港の旅館にいる」からはじまる。「たった1人で旅館に泊まるなんて生まれて初めてのことである」と記す。このころは泊まるところと言えば旅館だった。ホテルというものはあったと思うが、それは高級なもので庶民が利用する施設ではなかった。事実、ホテルと名のついたところがどのくらいあっただろうか。わたしが大学2年生のとき西鉄グランドホテルができた。それまで見たことのないホテルで入るのも抵抗があった。何分にも「福岡の迎賓館」と呼ばれていたのである。ともあれ、高校2年生から一人暮らしをしていたが、「旅館」なるものには一人で泊まったことがなかったのである。その目的は福岡相互銀行(現福岡シティ銀行)のリーダーシップ調査だった。
城山三郎 怒りの投稿(5)[20] 2026/02/12 Thu 11297 昨日[19]の続き
 城山氏は「出札口」と書いているが、これは切符を販売する「窓口」を指している。ともあれ、ダイヤの乱れで新幹線はすべて自由席になったというのだから、指定席を予約している者としてはどうすればいいのかをたずねるのは当然である。そこで、「グリーン車の自由席はあるのか」と聞くと「ない」の一言だった。これで城山氏はおそらくイラッとした。
 「『それなら普通乗車券で乗れということなのか』と問うと、その男は、はり紙のはってあるガラスを、こぶしでがんとたたいた。このはり紙でわからぬのか、といわんばかり。掲示では不十分だから、たずねているのに、なんという態度であろう。文句をいうと、その男は、今度は、いきなり、窓口へカーテンを引いた。客の用が終わっていないというのに、言語道断である」。
 いやはや状況は悪い方向へと突き進んでいく。
城山三郎 怒りの投稿(4)[19] 2026/02/11  Wed 11296 昨日[17]の続き
 名古屋への往路はストのためタクシーで出かけた城山氏だったが、復路は新幹線を予約していた。
 「スト中止になった翌朝、帰りは新幹線でと名古屋駅へ行った。1975年5月11日午前8時半、名古屋駅構内の新幹線上り出札口でのことである(何番窓口かもわかっているがあえて書かない)。窓口には『ダイヤの回復がおくれているため、全列車を自由席にする』という趣旨の簡単なはり紙が出ていた。すると、グリーン車も自由席ということなのか。グリーンの自由席特急券というものを発売しているのだろうか。そう問いかけると、出札係の男の男は『ない』と、ただ一言」。
 城山氏はグリーン席を予約していたのである。ただ、ダイヤが乱れているため全車を自由席にしたという貼り紙があった。この対応は現在に続く定番のものである。ただ、1975年ころ、こうした対応を事前に知っていた人がどのくらいいただろう。城山氏が貼り紙を見て、「グリーンの自由席特急券というものを発売しているのだろうか」と思ったのも理解できる。
4人の物語(131)[18] 2026/02/11  Wed 11295 2月4日[07]の続き
 Aが小学3年生の夏休みに書いた絵日記 1957年8月12日月曜日 はれ 30度
 きょうは一家で町に行きました。そして町のおもちゃやでパチンコを買っていただきました。いもうとがほしがったので一回一円として、あなに入ったら一円のキャラメルを一コずつやることにしました。
 パチンコは名古屋が発祥の地だと聞いたことがあるが、戦後日本の遊戯としてはダントツを走っていた。小学3年生でありながら、Aは[一円]を妹から巻き上げていたのである。その景品が同額のキャラメルというところは愛嬌である。それにしてもバブル崩壊後もパチンコだけは不滅ではないかと思っていた。ところが、いつのころからかクローズするところが出はじめたときは軽い驚きがあった。この宇宙に[不滅]はないのである。 
城山三郎 怒りの投稿(4)[17] 2026/02/10 Tue 11294 昨日[16]の続き
 国鉄は公共企業体(公社)にあたるため、公共企業体等労働関係法でストライキは違法とされていた。これに対して、労働組合側はストライキする権利を求め続けた。こうした状況で、[スト]を避けながら、[スト]に準じる[順法闘争]なる戦術がとられた。それは[法律や決まり]を徹底して守ることでストライキと同じような効果を引き出そうとするものだった。それは「規程や内規を文字どおり厳守する」「点検・確認をすべて決められたまま実施する」「不備があればそれが小さなものでも発車しない」「口頭の指示は拒否して、書面による指示を求める」「規程にない応援や臨時の対応を拒否する」などから構成されていた。いずれも安全運行には欠かせないものである。そこでこれを[順法闘争]と名付けたのである。その結果、列車の遅延や運休が続出したから、ストライキと類似した状況が生まれた。
城山三郎 怒りの投稿(3)[16] 2026/02/09 Mon 11293 昨日[14]の続き
 ここで、城山氏が言及している「国鉄スト」の話をしはじめると収拾が付かなくなるが。それでも、触れたい気持ちが湧き出てくる。
 その昔は[春闘]、つまりは経営者側と労働者側が賃金を中心にして団体交渉を行うが、これが「春の闘争」だったのである。もちろん今でも労使交渉は維持されているが、当時は交渉がまとまらないと労働側がストライキに入ることが少なくなかった。当時の国鉄は公営だったがわたしが通学していた私鉄の西鉄電車もこの時期にストライにに入ることが多かった。そうなると、具体的には列車や電車の運行が止まる。
 先月、首都圏でJRの停電による運行停止があり、わたしも巻き込まれた一人になった。その際の混乱は大変なもので、67万3000人に影響が出たと報道されていた。城山氏の投稿は1975年で半世紀も前だが、ストライキは全国規模になることがあったから、その影響は甚大だった。その中には、埼玉県上尾駅で乗客が列車の遅延に怒って暴動が発生したこともある(1973年3月13日)。
ギャンブル依存(2)[15] 2026/02/09 Mon 11292 2月5日[09]の続き
 スロットマシンという機械がある。目の前の窓に3つの模様、例えば果物の絵が並んでいる。右側のハンドルを前に引くと勢いよく回転し始める。それからそれぞれの列に対応したストップボタンを押すと回転が止まる。これをすべてのボタンで操作して3つの絵が一致すると[当たり]になる。その絵や組み合わせによってマシンの下にある枠にコインが出てくる。
 わたしがこの機械の存在をはじめて知ったのはテレビの中だったに違いない。それは、[ミステリーゾーン]というアメリカのテレビ番組である。原題は[The Twilight Zoon]で、日本では最初は[未知の世界]、その後に局が変わって[ミステリーゾーン]となり、その後も揺れがあった(ウィキペディア)。放映は1960年12月から67年12月までである。わが家にテレビが来たのはわたしが中学生のころだと思う。その中の一つのエピソードは今でも鮮烈な記憶がある。その中でストットマシンが登場した。
城山三郎 怒りの投稿(2)[14] 2026/02/08  Sun 11291 昨日[12]の続き
 城山氏が何に対して怒っているのかは、本文を読まずとも、メインとサブの見出しから一目瞭然である。「目にあまる荒廃 言葉の常識もわからぬ職員」と来て、中見出しが「国鉄・手札口での経験から」と続く。城山氏は国鉄(現JR)で「不快」で「腹の立つ経験」をしたのである。
 「これは、わたしひとりの経験でなく、また、ひとにぎりの男たちだけの問題でもないようなので、不快の念をおさえて書く」という。つまりは公器である新聞に投稿するに値するという認識である。とにかく「不快の念を押さえて書く」のである。
 「この春、国鉄ストの□りで、急用ができたため、わたしは、長距離を車をとばして、名古屋へ出かけた」。
 コピーの劣化で□の部分は読み取れないが、「長距離を車を飛ばして」とあるから、「ストの煽り」かもしれない。いずれにしても、往路はタクシーだったと推測する。東京から名古屋ともなれば庶民ではあり得ない高額料金だっただろう。そこはベストセラー作家だから問題にはならなかったと推測する。
投票行列[13] 2026/02/08  Sun 11290
 いつも家内と期日前投票に出かけます。今回は時間が短く、昨日投票所に行ったのですが、驚いてしまいました。まずは、駐車場に入る車が100m以上はあるかと思われるほど並んでいます。これではお話にならないと判断して300mほど離れた駐車場に車を止めました。次に驚いたのが、投票所の中です。なんと、7、80名の行列ではありませんか。これまで期日前と言えばのどかなことで、自分たち以外に2、3人はいるかといった感じでした。いつも投票日よりかなり前に投票するので余裕があるのだろうかと家内と話しました。これまでも投票日前日はこんなものだったのでしょうか。それとも、今回の特徴なのでしょうか。ともあれ、次回はこれまでどおり、しっかり早めに出かけることにします。
城山三郎 怒りの投稿(1)[12] 2026/02/07 Sat 11289
 いまも続いているのかどうかを確認していないが、西日本新聞に掲載されたコラム[私の発言]のスクラップがある。寄稿者は作家の城山三郎氏で、わたしが1975年7月1日とメモ書きしている。当時、城山氏は経済界を素材にした小説家として知られる人気作家だった。その氏が「思い出すのも不快」の小見出しに続けて、「腹の立つ経験をした。書くのも不愉快なので、できれば忘れてしまいたいと思い、時間を置いたのだが、いまもなお思い出すたびに、血が逆流する思いがする」と書きはじめたのである。こうなると、先を読まずにはいられなくなる。
 とにかく一つの文に「思い」が3回も出てくるのである。わたしなんぞは、繰り返しが気になって、何とか工夫して「思い」を減らそうと考える。ともあれ、このときの城山氏は推敲などしておれないほど怒り心頭に発する状態だったことがうかがわれる。この時代はワープロなど存在していないから、原稿用紙に怒りをぶつけたに違いない。一体、城山氏は何に対して怒っているのか。
GD仕事録(13)[11] 2026/02/06 Fri 11288 1月30日[50]の続き
 1970年6月、ブリヂストンのリーダーシップ・トレーニングが終わった次の週の24日、「突然、西銀の調査を頼まれて雑餉隈まで行った」と書いている。この[西銀]は[西日本相互銀行]で、現在は西日本シティ銀行になっている。当時は、三隅研究室が銀行のリーダーシップ・調査を請け負っていて、わたしもいろいろなところに出かけた。予定していなかった雑餉隈での調査だが、これもわたしの[GD仕事録]に含まれる。この日の日記には同じ月に2回、両親たちがいる武雄に帰省したこと、ブリヂストンの研修で天ヶ瀬を往復したことから、鉄道を600km近く利用したと書いている。このときわたしは大が宇4年生である。
続々々 [哲学]という言葉[10] 2026/02/06 Fri 11287 2月4日[08]の続き
 「人間は環境としての世界の中に生き、行動している。そして、できるだけよくあるいは 有効に生き行動するために、環境としての世界のあり方を知ろうとする。-まずは手続き上、この最も原初的で平明な事実から出発して、哲学に関わるいくつかの基本事項を確認して行くことにしよう」。これが、藤沢令夫氏が[哲学の出発点]としている文章である。
 しかし、ちょっと待ってくださいよ。「できるだけよく有効に」という価値付けを生き方や行動の前提にしていいものなんですか。ここで「よく」「有効」とは人間が勝手に決めつけていることではないんですか。それが「平明」なこととして受け入れていいのでしょうか。人間の構成要素である細胞は「よりよく有効に生きている」のでしょうかね。その結果としてがん化する細胞が出てきます。
 いやはや、久しぶりに青年時代に戻って藤沢氏にかみつきたくなった。ただし、このお話、[続々々]くらいでやめておかないと止めどなくなる。
ギャンブル依存(1)[09] 2026/02/05 Thu 11286
 いま、「デザインされたギャンブル依存症[Natasha Dow Schul 2012 Addiction by Design (日暮雅道訳 青土社)を読んでいる。引用文献を含めると585ページの大作である。サブタイトルが[Machine Ganbling in Las Vegas]とあるように、世界最大のギャンブルの聖地(?)で起きている実態を伝えている。
 ギャンブの研究者3人が、過度なプレイにのめり込む理由を挙げる。それはマシン・ギャンブラーが挙げたものである。1)いろいろな問題について考えないようにする。2)悩みから一時的に開放される。3)義務について考えないようにする。4)人生の重圧から気をそらす。5)マシンが焦点を与えてくれる。6)煩わしい物事を忘れられる。7)ひとりで逃避する。8)様々な要求に押しつぶされそうになった。9)屋外の問題から気をそらす。10)自分がそこにいるとは誰も知らない。11)口論の後に行く。
 この中には、[翻訳]のため、原語が確認できず[意味不明]のものもあるが、とにかく多様である。その上で、[人との関わり]が欠如している点で共通している。「10)自分がそこにいるとは誰も知らない」は典型例である。また、[逃避]もキーワードになるだろう。
続々 [哲学]という言葉[08] 2026/02/04 Wed 11285 昨日[06]の続き
 一体誰が、西周の[希哲学][希賢学]から大事な[希]を取り除いてしまったのか。そのために「哲学」は意味不明のものになったという藤沢氏の嘆きは理解できる。そこで、Chat GPT と Copilot でチェックしてみた。その答えは、いずれも西自身が後の著書では[希]を取り除いて使用していたという。AIも間違う可能性ありの前提を置くとしても、それを指摘した研究者や文献もある。そんなことで、「一体誰が」の答えは「西周本人」という結論で良さそうである。藤沢氏は専門家なのだから、そうした経緯について知っていたはずである。それにしては[希哲学][希賢学]に関わる批判的な文章は誤解を与える。西周が創った本来の意味を組み込んだ[訳]が、意味不明になったと嘆いているのである。その後の経過について一言でも触れるのが専門家の親切というべきではないか。
4人の物語(130)[07] 2026/02/04 Wed 11284 1月28日[47]の続き
 Aの小学3年時夏休みの絵日記 1957年8月10日 はれ 29度
 夕方前の人たちと、かくれんぼをしました。なんべんもしましたが、ぼくだけ一ぺんもおににならなかったので、みんなびっくりしていました。ぼくは、家にかくれていたからです。
 女の子が壁のようなところに向かって両手で目を覆っている。その向こうに靴を履いた足が見えている。また、ゴミと書いた箱の上に男の子の顔半分がある。3年生の絵としては、かくれんぼの状況をうまく描いている。それにしても、「自宅に隠れる」のはかくれんぼのルール違反ではないか。
続 [哲学]という言葉[06] 2026/02/03 Tue 11283 2月1日[02]の続き
 [哲学]の英語[philosophy]は[知(sophia)を愛する(philo-)]という意味である。このことを知ったのがいつだったかは定かでない。ただ、何となく格好いいもので、大学生になって、すぐに選択した。カントが専門の先生で、いきなり[先験的:アプリオリ]という用語が飛び出してきた。この言葉だけはいまでも頭にこびりついているが、そのほかのことは記憶からなくなってしまった。ところで、[哲学]は明治時代に様々な西洋語を和語にしたことで知られる西周の翻訳である。
 ただし、それは[希哲学][希賢学]で、[希:ねがう]がついた直訳だった。そころが「肝心の[希=philo)が脱落して定着したために意味不明とな」ってしまった(藤沢令夫1985「哲学の基本的課題と現実的課題」新岩波講座 哲学 第一巻 )。
 まったく困ったことで、西周としては容認しがたい変更だろう。いつ、誰が、そうしてどうして[希]を取っ払ったのか。
家族への通信(27)[05] 2026/02/03 Tue 11282 1月20日[36]の続き
 1968年1月、佐世保港に原子力空母が寄港することになった。その入港を阻止するとして、学生たちが全国から九州に集結し始めた。そこで中継地とされたのが九州大学教養部であった。ヘルメットをかぶり、タオルで顔を覆い、手にはゲバ棒と呼ぶ[武器]を所持していた集団が博多駅に続々と到着する。そこで警察の機動隊と衝突が起きる。その際に公務執行妨害等で学生が逮捕される。これが[博多駅事件]である。その後、六本松にあった教養部を目指してデモ隊が進んでいく。これを受けれないとして教養部が門を閉ざした。それに対して、デモ隊は突入を図り、門が破壊される可能性が高まった。そのままだと、デモ隊が器物損壊の犯罪を犯すことになる。これを避けるために教養部は開門することを決断した。
 なお、[武器]の[ゲバ棒]はドイツ後の[暴力・力]を意味する[gewalt]に由来すると言われていた。学生たちにとっては[正義の武器]ということである。
リーダーシップ・タブー集(28)[04] 2026/02/02 Mon 11281 1月27日[46]の続き
 [部下に皮肉でイヤミな表現をする]
 これはリーダーだけが気をつけるべきものではない。そもそも[皮肉]や[嫌み]な発言は聞いていて愉快なものではない。ただし、弱い側が強者に対して抵抗する際の手法としては、それなりの効果があるかもしれない。いずれにしても[強い立場の者]から発せられると「もう少し言い方があるでしょう」となる。それが相手の尊厳を傷つけ、心理的安全性を損なう可能性もある。また、そうした表現しかできない者に対する信頼感が薄れ、拒否感情すら生まれる。リーダーは自らの言葉が持つ影響力を自覚し、皮肉に頼らず率直で誠実なコミュニケーションを心がける必要がある。
清正公像[03] 2026/02/02 Mon 11280
 
熊本市市街地から熊本城に向かう御幸坂の入り口に写真の[清正像]があります。熊本では加藤清正のことを[せいしょこ]さんと呼ばれています。[清正公]をそのまま読んだものです。清正が築いた熊本城は難攻不落の城として知られています。西南戦争で熊本城を落とせなかった西郷隆盛が「清正公に負けた」と語ったという言い伝えもあるほどです。
 そんなわけで熊本城内には[加藤神社]がありますし、市内の本妙寺は清正の菩提寺です。このごろは、熊本の至る所に[くまもん]がいます。これを見て、[せいしょこさん]もお株を取られたと苦笑いしているかもしれません。
[哲学]という言葉[02] 2026/02/01 Sun 11279
 
青年時代に[哲学]という言葉は魅力的だった。高校3年生に「倫理社会」があり、[哲学]らしきものを知る。いや、それ以前にも小説などで[哲学]という文字は見ていただろう。また、父親が[哲学]好きだった。まだ二十代のころ、父は東京で働いていたことがあった。通勤電車の中で岩波文庫でカントの「実践理性批判」などを読んでいたと言っていた。もちろん、それをどの程度理解していたかどうかはわからない。ただ、家庭の事情から進学ができずに、学問なるものに憧れを持っていたことは十分に伝わってきた。それは晩年になっても大学受験生向けのラジオ講座を聴いていたことからもわかる。そうしたことで、我が家の日常会話の中でも[哲学]という用語が時折出ていたような記憶がある。ともあれ、若者にとって[哲学]は難しそうでありながら、いやそうだからこそ興味と関心を揺さぶるものだった。
冬の熊本城[01] 2026/02/01 Sun 11278
 
熊本地震は2016年4月14日21時26分の[前震]に始まり、16日午前1時45分に最大震度7の[本震]が発生しました。気象庁の記録では代々震度7を記録しています。あくまで記録上ですが、東北地方太平洋沖地震よりも大きい揺れが益城町で観測されています。これは史上最大ということです(ウィキペディア)。わたしの自宅がある場所では[6強]となっています。とにかく、すごい揺れでした。そのとき熊本城も天守閣をはじめ石垣などが崩壊状態になりました。
 それから10年が経過し、天守閣は[再建]され、昔の雄姿が戻ってきました。冬の青空を背景にした天守閣も素晴らしいものです。