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| 読み物「元気で安全な職場づくりの社会心理学(4)(5)(6)をアップしました 論文「危機管理とリスクマネジメントおよび想定外の考察」をアップしました |
| 年送り [66] 2025/12/31 Wed 11226 今年も、あるいは今年までは[1年を送る]ことができそうです。本コラムもボチボチと継続できました。毎日のカウンターは一桁のことも多いのですが、これからも、わが粘着質の特性を発揮して継続していくつもりでいます。来年は自動車の免許更新を迎えます。さあて、どうすることやらと思いはじめています。後期高齢者クラブ入会から数年を経て、次の大台も見えはじめたわけです。まだ時間的にはしばらくありますから、ゆっくり考えることにいたします。 みなさま、今年もお世話になりました。よいお年をお迎えください。 |
| 4人の物語(125) [65] 2025/12/31 Wed 11225 12月24日 [50]の続き Aが小学3年生の夏休みの日記 1957年8月4日 日曜日 はれ きょうげんとうをしました。みんなをよんでしたので、にぎやかでした。みんなは「おもしろいなー。」といったのでなんだかこっちもおもしろくなって来ました。 その日の絵は真っ暗な部屋でスクリーン(らしきもの)があり、判別しづらいがタイトルと[スコープ]という文字が読める。A本人とその横に機器らしいものがあり、さらに後ろから見た4人の頭が描かれている。 ここで[げんとう]とは「幻灯」のことで、後には[スライド映写機]と呼ばれたものである。ただし、現時点で[スライド映写機]と言われて「ああ、あの機械ね」とわかる人がどのくらいいるだろうか。今日では、パワーポイントの一コマを[スライド]と言っているが、これは[スライド映写機]にその由来がある。 |
| 教員免許更新制度(2)[64] 2025/12/30 Tue 11224 12月25日 [52]の続き 教員免許更新制度は2009年にスタートしたが、文科省はそのプリテストとして試験的に講習をはじめる大学を募集した。熊本大学はそれに手を挙げた。制度が法制化されたとき、わたしが所属していた教育実践センターが中心的な役割を果たす機関と位置づけられた。そうした経緯から、テストケースも請け負って、1年前倒しで2008年にいくつかの講座を開設した。遠方に教師たちの便宜を図るということで阿蘇地区でも教室を開いた。わたしはそのプリテストから関わることになった。 |
| 家族への通信(23)[63] 2025/12/30 Tue 11223 12月23日 [48]の続き はがき[消印1969年11月7日 博多 父が記した番号154] 「かさ」受取りました(9日は池田先生宅へ遊びに行きます)塾の講師料が四千円で契約しましたので来月から送金は若干減らしましょう 家も支出が減り、こちらも収入か少し増えるという共存共栄といきましょう。今の所の提案は送金を一万一千円から二千円ダウンして九千円にしませんか。するとこちらの収入は九千+八千+四千=二万一千円(ちょっとしたブルジョア学生) 文中の[池田先生]は、池田数好先生のことである。カウンセリングが専門でグループ・ダイナミックス講座とは違っていたが、先生とはある種の縁があった。それはわたしが入学した翌年1968年1月のことである。この話、「家族への通信」からしばらく離れることになる。 |
| 続 トップのアクション [62] 2025/12/29 Mon 11222 昨日 [60]の続き トップの「小さな行動」の積み重ねが組織構成員の「観る目、評価する目」の変化を生み出す。こう言えば、「それはいかにも素人的発想だ、トップはそんな細々したことを一々言うものではない。もっと大局的な立場からアクションを取るものだ」と一笑に付されるかもしれない。しかし、現実に問題が発覚した組織では、トップが「コンプライアンス」や「風通しのよさ」「安全優先」などのキーワードを無視していたのだろうか。ほとんどの組織のトップ層が、こうした常用語を建前として標榜しているに違いない。つまりは「大局的な目標を宣言する」だけでは意味がないのである。まずは、小さなアクションであっても、「自ら実践できることを構成員に見えるように実行する」ことからはじめることである、ここで「トップ層」を「管理職」に、「構成員」を「部下たち」に読み替えれば、これはあらゆる層のリーダーシップに関わることになる。 |
| リーダーシップ・タブー集(23) [61] 2025/12/29 Mon 11221 12月22日 [45]の続き [部下に「こんなこともわからないのか」という態度を見せる] リーダーは自分自身が仕事のプロフェッショナルでなければならない。それと併せて、リーダーには[フォロワーを育てる力]が求められる。つまりは上手な教え方、そして叱り方のスキルもリーダーシップそのものなのである。「こんなこともわからないのか」という[態度]は、自分の優位を示すには効果的な言い回しである。しかし、それを受ける側のモチベーションが低下することは容易に想像できる。ここで目を引くのは[態度]とされている点である。言葉としては「こんなこともわからないのか」と言わなくても、[そんな態度が透けて見える]ことも含まれる。自分としては「そんなつもり」はなくとも、フォロワーに[そう見えて]しまえばマイナスの影響が生まれる。 |
| トップのアクション[60] 2025/12/28 Sun 11220 組織のトップ層が厳しい現実を体感していても、それが構成員に伝わっていなければ意味がない。トラブルや不祥事が起こると、「自分たちの考えが理解されていなかった」という声が聞こえてくる。そもそもトップ層がすべての構成員と身近に関わる機会は少ない。 そこで、「構成員たちの理解力が育つまで待つ」という姿勢はあり得ない。それでは、トップ層の意思や本気度が伝わらないまま、問題が先に顕在化するおそれがある。これを克服するためには、トップ層が「声として聴こえ、行動として見えること」を自ら決定し、それを確実に実行することが必要である。 それは人格を変えるほどの大きな変革である必要はない。むしろ重要なのは、「小さな行動」であっても構成員にはっきりと見えることである。ささやかな行動であれば、すぐに実践することができる。そのうえで、さらに別の「小さな行動」を継続的に追加していけばよい。こうした行動が蓄積されていくことで、一定期間後には構成員の「観る目」や「評価する目」に変化が生まれる。 |
| 日記の中の母(99)[59] 2025/12/28 Sun 11219 12月21日 [43]の続き 1976年11月29日 木曜日 母の四十九日を迎えた。早いもので母が亡くなって一か月が経った。これで法要としては一応の区切りが付いた。何としても、あまりにもあっけない数ヶ月だった。とにかく現実だけは認識しなければならない。そうかと言って、世の中にはわが家よりも悲惨なことがあるから、自分たちはまだましだなどといって諦めるわけにはいかない。 母が亡くなったあとに集団力学研究所仕事で出かかることが続いた。それで母のことを忘れることがなかったのは当然である。 |
| 心の働きと目頭 [58] 2025/12/27 Sat 11218 心の動きは体に出てきます。わたしは、ちょっとした出来事に出会ったり、小さな事象を見たりしただけで目頭が熱くなります。悲しいときは涙が出ますが、目頭はいつでも潤むためにスタンバっているのです。あるとき、「吉田さんの目はいろいろなときに潤むんだよね。これがすごくいい」ととほめられたことがあります。その方はとても素晴らしい先輩として尊敬していましたから、それを聞いて嬉しさのあまり[目頭が潤んで]しまいました。 ともあれ、感動してワクワクするときも目は[潤みスイッチ]を入れてきます。そんなときは、「ああ、今日もちゃんと心が働いているんだ」と安心します。 |
| 守破離(2) [57] 2025/12/27 Sat 11217 12月18日 [38]の続き おこがましいことを承知の上で、わたし自身のこれまでを[守破離]に当てはめてみたいと思います。 [守:師匠の教えを忠実に受け入れ守る]わたしは1967年に大学に入学しました。当時の大学は教養課程と専門課程の2階建てでした。大学生には広く教養を修めることが期待されました。最初から専門ギチギチでは人間は育たないというわかです。そうしたことから大半の大学で前半の2年間が[教養課程]に充てられていました。これに対して、九州大学は1年半で教養部を終えて、2年生の後期から専門課程に進学することになっていました。当時、教養部は福岡市の六本松にありました。そして、専門課程のキャンパスは箱崎で、その間は7、8Kmはあったと思います。 ところで時代とともに[教養課程]に対する見直しが進んで、いまや[教養課程]は古き良き時代の懐かしき[制度]となりました。人間を人間たらしめるのは[教養]だと思うのですが…。 |
| 遅い目覚め [56] 2025/12/26 Fri 11216 12月19日 [39]の続き 朝、6時ころに目覚めたような気がします。いや、ひょっとすると5時30分ころだったかもしれません。いつもと違ってすぐには起き上がらずにウトウトしていました。それから目を開けて時計を見ると7時15分を回っていました。これにはさずがに驚きました。けっこうなことです。たまにはこのくらい寝るのは体にいいはずです。そもそも7時台に目が覚めるなど一年に一、二度あるかないかです。しっかり高齢者になり、午睡の快感を味わうことも増えてきました。ああ、人生っていいなあ…。 |
| [絶対に]の思い込み [55] 2025/12/26 Fri 11215 12月19日 [39]の続き 確率が低いからといって「自分には[絶対に]当てはまらない」と信じ込んではいけません、それは可能性が小さいだけでゼロではないわけです。道を歩いていて鳥の糞が自分の頭に降ってくることだってあります。つまりは「まさか自分に」と思うような出来事は日常に潜んでいます。人間は安心を求めたい生きものですから「自分だけは大丈夫」と思いたくなります。しかし、それは幻想なのです。そして、[思い込み]が問題に対する準備や予防を怠らせる落とし穴になります。低い確率の事象の中には、それが起きたときの影響が大きいものがあります。「自分には[絶対に]当たらない」という信念は、[絶対に]正しくないのです。 |
| GD仕事録(7) [54] 2025/12/26 Fri 11214 12月19日 [39]の続き 1970年6月16日 火曜日 日記には関さん宅で4時ころに目が覚めて、あとはうとうとしたと書いている。博多から1時間ほど国鉄に乗って天ヶ瀬に着いた。ここは大分の温泉町だが、ブリヂストンタイヤの保養所があった。そこで「リーダーシップ・トレーニング」をするのである。わたしの日記に残されている[リーダーシップ・トレーニング]として初めてのものである。これを持って、わたしの[リーダーシップ・トレーニング]体験のスタートとしよう。ただし、自分で開発設計したものでないから[体験]としておく必要がある。そうではあるが、じつは集団力学研究室自体が「リーダーシップ・トレーニング」の開発に取りかかったばかりだった。わたしは大学4年生だったが、その開発の当初から関わりを持つことができたのである。 |
| 0.8秒の楽しみ [53] 2025/12/25 Thu 11213 毎朝ラジオ体操をしています。第一と第二をゆっくりすると7分から8分ほどで終わります。第三もあって何回かトライしましたが、第二までで十分だと判断しました。そこまでだと体が覚えているのでラジオはもちろん、YouTubeもなしです。自宅でするので跳躍は抑えて四股を踏みます。その間はビデオを回しながらですが、これは音声だけで聞いている感じで,目は窓の外を向いています。けっこう先の方にビルとビルの間に隙間があって、道路を走る車が見えます。お目当てはそこを通過する市電の姿です。ただし、それが見えるのは0.8秒ほどです。体操では前にかがんだり、横を向いたりしますから、そのときは電車が通っても見逃しになります。そのヒヤヒヤ、ワクワク感が何とも言えません。 因みに今日は2台が見えました。平和な後期高齢者の朝です。 |
| 教員免許更新制度(1) [52] 2025/12/25 Thu 11212 地元紙[熊本日日新聞]の掲載された投書の切り抜きがある。迂闊だが日付を記録していない。 「教員免許更新制度の再考を □□□=高校教諭(熊本市) 2009年4月から施行された教員免許更新制の講習を受けてきた。私の免許は30年前に大学院で取得した高等学校1級免許状であるが、教諭全員が同じ講習を受けることにはかねがね疑問を感じていた。年齢幅は3歳から5歳、免許は小学校1種(旧2級)から高等学校専修(旧1級)までの教諭の資質を保つための資格講習が全員同じでいいのかどうかは、常識で考えれば分かるだろう。」 本文はさらに続くが、まずはこの制度について手短に要約しておこう。 この制度は「教員が最新の知識・技能を身につけ、資質能力を維持すること」を目的に導入された。しかし、教育現場の負担や効果への疑問が噴出したことから、て2022年7月に廃止された。その制度化に伴って教員免許は有效期限10年となった。そこでこれを更新するためには 30時間以上の講習を受講しなければならなくなった。上記の投書は「教育現場の負担や効果への疑問」の典型である。 |
| テレビ離れ(8) [51] 2025/12/24 Wed 11211 昨日 [49]の続き [YouTubeの映画]は無料版にはCMが入る。しかし、いわゆるテレビとは決定的な違いがある。それはCMの残り時間が提示されるからである。それも長短があって、5秒ほどから長いものは50秒くらいになる。とくに[映画]となれば、長いものが多い。無料だからCMが入るのは当然である。それでも、「あと□秒待てばいい」ことがわかるから淡々と時間を過ごせる。これに対してテレビのCMはいつ終わるともしれない。しかも一つずつがやたらと短いから数え切れない(?)スポンサーのCMが「これでもか、これでもか」と止めどなく続く。[YouTube]では、「時間が来れば」CMの途中でもスキップできる。こんなことだから、テレビはますます遠ざかる。 |
| 4人の物語(124) [50] 2025/12/24 Wed 11210 12月17日 [35]の続き Aが小学3年生の夏休みの日記 1957年8月2日 金曜日 てんき 気温34度 きょうの夕方、□□子ちゃんが.「あんた色が黒なったねー。」といったので、□□子ちゃんのかおをよーく見て、かがみをみると、なるほどぼくの方が くろいようでした。もっと黒くなろうと外へ出ました。担任は「なるほど」にマルを振っている。小学3年生が使っているのをほほえましいと思ったのだろうか。 ところで、ここに登場した「□□子ちゃん」はこの日から20年近く経過してAの妻となった。 |
| テレビ離れ(7)[49] 2025/12/23 Tue 11209 昨日 [47]の続き ほんの少し前まで [YouTube]の映画は画質が今ひとつだった。ところが、いつの間にか[WOWOW]などと比べても遜色がなくなった。ただし、新作はないが、わたしなどはその点が魅力なのである。若いころに映画の看板では知っていたが観ていないものがある。かつて観たことがある作品も思い出しながら鑑賞できる。先日は勝新太郎と田村髙廣の「兵隊ヤクザ」を楽しんだ。これは1965年の作品で父と福岡中洲にあった映画館で観た。兵隊内の理不尽な暴力に敢然と反旗を翻す兵隊の物語。それを演じたのが勝新太郎で、その反骨精神に父は我が意を得たりと喜んでいた。 |
| 家族への通信(23)[48] 2025/12/23 Tue 11208 12月16日 [33]の続き [1969年5月1日]のはがきで三隅先生のゴールデンセミナーについて触れた。この日の日記には「今日からゼミがはじまった。安藤先生をスタートに3人の先生から話を聴いた。世の中は博多どんたく。人々がにぎわう中で勉強とは、これまた素晴らしいことである」と記している。 そのころ安藤先生は九州大学教養部の講師あるいは助教授だった。グループ・ダイナミックス出身でカウンセリングを専門にされていた。後に[コミュニティ心理学]の領域でも貢献された。当時40代の先生は180cmに達する堂々たる体格だった。三隅先生が160cm台だったから、「三隅先生がわたしに話をする際は上を向いて不愉快そうだった」と笑い話にされていた。わたしが[リーダーシップ・トレーニング]を研究テーマにしていることを評価していただいた。そうしたことから、わたしの就職先について声をかけてくださったこともある。2014年10月20日に85歳でお亡くなりになった。 |
| テレビ離れ(6) [47] 2025/12/22 Mon 11207 12月21日 [41]の続き そんなこんなで若者のマネではないが、後期高齢者もテレビに飽きた。そうは言いながらビデオを録ることもある。それが民放であればCMになるとスキップボタンを押す。それでCMはパスできるから何とも快適である。ただし、それはスポンサーにとっては由々しき事態だから、地上波のCMについて考えざるを得なくなるだろう。わたしは、その代わりは[WOWOW]と[YouTube]である。そもそも映像を観て過ごす時間はそれほど多くはないが、[地上波+BS]対[WOWOW+YouTube]は[1対4]ほどだろう。とくに[YouTube]の映画は良く見るといっていい。 |
| 世界文学考 [46] 2025/12/22 Mon 11206 放送大学「世界文学への招待」で「世界文学≒翻訳文学」という式(?)が提示される。これに加えて「世界文学とは翻訳を通して豊かになる作品である」との解説が出てくる。これは世界文学の著名な研究者でハーバード大学の David Damrosch の定義だという。素人ながらまったく同感である。それはわたしのノーベル文学賞に対する考え方を後押しする。単純な話、「文学をノーベル賞の対象にすべきではない」ということである。仮に個別の作家を賞の対象にするのであれば、その作家の翻訳者グループを選ぶことがもっとも適切なのである。 「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」(川端康成「雪国」)は “The train came out of the long tunnel into the snow country.” (Edward Seidensticker )になる。 さてさて、素人コメントは差し控えますが、みなさんいかがですか? |
| リーダーシップ・タブー集(22) [45] 2025/12/22 Mon 11205 12月15日 [30]の続き [部下が仕事でミスをしたとき、その場で指摘しない] 部下がミスをしたとき、それを本人が認識している場合は、「指摘されること」を予測するだろう。そこで間を置かず「思った通りに」指摘される。そうした状況では上役を含めて相手の指摘を受け入れる準備ができている。本人が自分のミスを認識していなければ、新たな気づきが生まれる。いずれにしてもタイミングがものを言うのである。それをそのままにしておいて、看過できないミスをしたときに叱責する。そのついてに「あんたは、□月□日にもこんなことしただろう…」などと過去のことまで合わせ技にする。部下の頭の中では「それならそのとき言ってよ。いまごろになって思い出さないでもらいたい」といったセリフが飛び交う。そして、部下たちは「うちの上司は部下のミスを執念深く憶えている」とささやき合う。これではいかにもまずい。 |
| 続 チャレンジの阻害要件[44] 2025/12/21 Sun 11204 昨日 [42]の続き そうは言いながら、組織を取り巻く環境の変化を無視することはできません。それまでよりも低い予算で対応せざるを得ない状況が発生する可能性は大いにあり得ます。そこで鍵になるのは指示する側の態度です。自らも予算の削減が厳しいことだと体感しながら、お互いに知恵を出して何とか乗り切ろうという姿勢と気持ちに満ちあふれているかどうかが重要になります。こんなとき、「上から言われたから」といった説明は最悪です。それでは納得など得られるはずがありません。「自分としても、上層部に現実を何とか伝える、説得する」といった苦悩と覚悟が見えなければリーダーシップを発揮しているとは言えません。そうした態度は組織のすべての責任者に求められます。上に行けばいくほど、「自分が先頭に立って状況にチャレンジする」という姿勢と具体的なアクションなしで、「よきに計らえ」では人は動きません。 |
| 日記の中の母(98)[43] 2025/12/21 Sun 11203 12月14日 [28]の続き 1976年11月16日 金曜日 朝7時20分のJALで大阪まで行き、新幹線で浜松まで来た。いま浜松のホテルである。 これをいつものノートに記している。わずか2行だが、その上に原稿用紙の枠を無視しして書いたメモが貼られている。 只今、浜松へ向かうカッコ”こだま”の車中。(中略)飛行機もこれで五回目だった。母が亡くなってから初めてだった。母はベッドから「毎年、誕生日のお祝いをしているのに、今年はできなかった」と言ってくれた。(中略)ヤマハのトレーニング、しっかりやろう。 これは母がわたしに発した最後の言葉だった。 |
| チャレンジの阻害要件 [42] 2025/12/20 Sat 111202 わたしの研修を受講された方からメールが届きました。 技術的な新しい仕事を受注する場合、まずはトライしようというのが技術者の習性だと思います。その時にこれまでより低い予算が設定されることがある。これがむずかしいと言うと、「どうしてできないか」とその理由を求められる。それが意欲の低下につながる。 わたしの回答:仕事の内容を問わず、担当者が「まずはトライ(チャレンジ)しよう」という気持ちになることがすべての基本です。それこそが意欲(モチベーション)であり、これを欠いては当人も組織も成長は期待できません。もちろん、成長には時間がかかりますから、わずかでも前進することにチャレンジすることが大事です。 こうした意欲を削ぐことは組織にとってもマイナスになります。頭ごなしに「従来より安い予算」でとか「これでどうしてできないか」と言われ、その返答を要求されるのではやる気は失せるでしょう。そうしたことが積み重なることで組織力が弱体化するのは当然です。はじめから「できません」と答えるか、「問題にチャレンジするのではなく、無理して対応したり、不具合を隠したりする[動機づけ]が高まるでしょう。さらに、「どうせうまくいかなくても自分たちの責任じゃない」となれば、組織を破壊するダイナマイトの導火線に火を点けるようなものですね。 |
| テレビ離れ(5) [41] 2025/12/20 Sat 11201 12月18日 [37]の続き テレビのCM時間には上限がある。その詳細は確認していないが、わたしのような落ち着きのない、待てない人間は、その途方もない長さに閉口する。幸い、ほとんどが観ても見なくてもいいようなものだから、別のチャンネルに切り替える。そのうち、先ほどまで観ていた番組のことなど大脳から消えている。また、正解か何かは知らないが、ちょうどいいところでCMを入れる。わたしなんぞは、そんなことで観る者を引き留めようという心得が気に入らない。そこで、さっさとスイッチを切って仕事部屋に戻る。これまた、数十秒後には何を観ていたのか見事に忘れている。 その昔は、CMにもストーリー性の高いものがあった。また、あるものは芸術性まで感じさせた。とにかく、まだCMかと思わせるばかりの状況にうんざりする。 |
| 自己満足と自慢話 [40] 2025/12/19 Fri 11200 とうとう喜寿を迎えました。満77歳です。恩師の三隅先生は2002年に78歳で逝かれました。ただ、1996年には脳梗塞で倒れられたので、お仕事からは72歳で退かれていました。わたしは、いまのところ仕事ができていますので、この一事だけは三隅先生を超えたことになります。ありがたいことです。 高校の同窓生のネットがあって、本コラムと同じようなタッチで投稿していました。わたしとしては積極的というよりも、みんなの投稿が切れたときに[繋ぎ]のつもりでいました。あるとき、メンバーの一人から、「年をとると[自己満足]か[自慢話]だけしかしなくなる」といった主旨の投稿がありました。その対象は[わたしのネタ]でした。それを読んで「なあるほど」と思いました。それまで「これからも書いて」といった声もあったので調子に乗っていたのです。それを機会に当該ネットへの投稿は止めることにしました。 本コラムも「自己満足と自慢話」に充ち満ちています。今日も「三隅先生を超えた(?)話」「まだ仕事ができている話」です。何とも「自慢&自己満足的」なことでしょう。わたしとしては、そうしたことを自覚した上で、いまのところ「味な話の素」をクローズすることは考えていません。 |
| GD仕事録(6) [39] 2025/12/19 Fri 11199 12月12日 [24]の続き 1970年6月15日月曜日の夜、[関さん]宅に泊まった。翌日早朝に大分県の天ヶ瀬に出かけるためである。そのころ関さんの自宅は博多駅から歩いて10分ほどのところにあった。わたしは室見に住んでいたから、朝早い路面電車でも博多駅まで30分はかかっただろう。関さんは乳峰寺という禅寺の息子さんだった。最初の出会いは記憶にない。わたしは学部に進学する前から集団力学研究室に出入りしていたことから、その線でのつながりだと思う。また、福岡高校の出身でわたしの先輩であることを知った。 |
| 守破離(1) [38] 2025/12/18 Thu 11198 守破離(しゅはり):茶道や武道などで、[守る」][破る]「離れる]の段階を経て成長するという考え方。千利休の「利休道歌」にある「規矩作法 守り尽くして 破るとも 離るるとても 本を忘るな」が原典とされる。 まずは、師匠の教えを忠実に受け入れ、守ることで基礎を固める。それから、既存の方を破る、つまりは乗り越える。そして、師匠から離れて自分自身の創造的力を発揮する。ただし、「本を忘るな」と、そもそもの目的、精神を忘れては行かないということである。これは個人だけでなく、組織の変革と成長を促進するためにも有用な視点である。 |
| テレビ離れ(4) [37] 2025/12/18 Thu 11197 昨日 [36]の続き AIの登場で人間が取って代わられる仕事が増えていくことは疑いない。また、AIも絡みながら自動運転はすでに実用化の段階に入った。NHKもニュースの一部をAIによるものを流している。アナウンサーが原稿を読むだけであれば、すでにAIが代行している。ニュースで記者たちがニュースでアナウンサーと対面で話している場面がある。その際にどう見ても原稿を読んでいることが見え見えになる。アナウンサーと目が合っていないことがはっきりわかる。そんなとき、わたしはいつも苦笑いしている。記者たちは情報を収集し、それを正確に伝えるのが仕事である。すべてのことを頭の中に入れているかのようなふりをする必要などない。手元にメモがあればそれをしっかり読めばいい。それこそが人間らしさである。それこそニュースで[ふり]をするなど、[フェイク]ではないか。 そんなことで、ときおりメモを見ながらしっかり伝えようとしている記者がいるとホッとする。ニュースでは演技的完成度ではなく、情報を正確に伝えようとする誠実さが求められる。 |
| テレビ離れ(3) [36] 2025/12/17 Wed 11196 昨日 [34]の続き 若者のテレビ離れは事実として疑いない。そもそも若い人たちにとってテレビのない生活はめずらしくないという。その傾向は強まることはあっても弱まることはあり得ない。そうなると地上波としては年寄りが相手になるのだろうか。しかし、その一人であるわたしは、どれもこれも同じにしか見えない番組の氾濫に食傷している。そんなことで、わたしにも「決まってみる番組」はない。それどころか「テレビはほとんど観ない」という若者と同じ回答をする者になっている。表面には出ないが、心ある放送関係者であれば、現状を深刻な問題として、おそらくは焦っているのではないか。誰が考えても、このままでは[じり貧]疑いなしである。総広告料のうちテレビは22.9%。でインターネットの47.6%の 半分にも満たない(Copilot)。これはもう惨状と言っていい。 |
| 4人の物語(123) [35] 2025/12/17 Wed 11195 12月10日 [20]の続き Aが小学3年生の夏休みの日記 1957年8月1日 木曜日 はれ 気温33度 きょう学校からかえって、赤胴鈴之助をかっていただきました。かえって、お母さんは「ホーおもしろい本ね。」といいったのでぼくはにこっとわらいました。心ではうれしかったです。 赤胴鈴之助は子どもに大人気の漫画で、ラジオでも放送されていた。Aは「剣をとっては日本一の…」ではじまる主題歌は今も口ずさむことができる。また、[大洋漁業]がスポンサーだったこともしっかり記憶に残っている。このとき声優(?)として吉永小百合がデビューしたことはずいぶん後になって知った。担任のS先生が日記に欠かさず三重、四重の[花マル]を付けていたが、この日は「心では」に小さな○が振られている。小学3年生の喜びの表現として、今で言えば「いいね」のメッセージを送ったのだろう。 |
| テレビ離れ(2)[34] 2025/12/16 Tue 11194 昨日 [32]の続き 最近、20歳前後の若者50人ほどに話をすることがあった。彼等に「日頃から、テレビを観ている人」「自分はテレビを観る方だと思う人」といった質問をしたが、手を挙げる者はほんのわずかだった。そもそも反応が控え目で挙手といっても胸の前ほどで振る感じの応答だった。最後に「これは毎週観る番組がある人」と聞いた。その際は3人ほどが手を挙げたと言うより手のひらが見える程度でサインを送ってきた。 まあ、問い方は他にもあるだろうが、とにもかくにも若者たちはテレビは欠かせない道具でないことは明らかである。 |
| 家族への通信(23)[33] 2025/12/16 Tue 11193 12月9日 [18]の続き はがき[消印1969年11月5日 福岡西 父が記した番号153] 窯業の最終日(四日)は、終ってから西洋料理のフルコースを戸畑ステーションホテルでごちそうになりました。はじめてのこと(ウヒヒ)。博多では大学院の先輩からフク料理をおごってもらいました。酒も少々(?) 五日は奨学金、来週の土曜から毎週、塾の英語の講師を大学院の人からたのまれました 土曜だけというので引受けるつもりです。学部は証明書等何でも発行しはじめました。何か恐しい位いいことばかりです。五日迄生きているので、フグにはあたっていないよ。 黒崎窯業での調査が終わったあとに、生まれて初めて[フルコース]の食事を体験したことは[シリーズ GD仕事録](12月5日)に書いた。ここで[大学院の先輩]とあるのは関文恭さんである。はじめて[ふく]なるものを食べたという。フグの本場下関や北九州では[ふく]と呼ぶ。歴史的には[布久 ふく]とされ、[ふく]の方が通っぽい響きがある。 |
| テレビ離れ(1) [32] 2025/12/15 Mon 11192 「これって、おとといもあってたんじゃない?」「そんなことないよ、この番組は金曜日の放送なんだから」「そうかなあ、2日前くらいにおととい観たような気がするんだけどなあ…」 わが家でテレビ番組を観ながら交わされたやり取りである。 その昔、「おじいちゃん山本山の海苔ですよ」「いやいや山本山の海苔だよ」といった老夫婦の会話がCMで流れていた記憶がある。どちらも相手の言っていることが聞こえていないことをネタにしたものだった。冒頭の会話はわが夫婦のやりとりである。いまのところ、お互いに会話は成り立っているが、わたしには「毎日同じ番組が流れている」としか思えない。 |
| [意志]と[意思] [31] 2025/12/15 Mon 11191 12月13日 [26]の続き 長谷川鑛平「本と校正」に[意志]と[意思」についての言及がある(p264)。詳細は省くとして、岩波国語辞典でも「一応区別づけてはあるが、私は全面的に納得するというよりは、むしろあるこっけいさをさえ感じる」と記している。つまりは、「どちらも同じなのに」わざわざ違うように解釈しているという指摘である。 その上で、「私は近き将来、どちらか一つにアマルガメートして、含意のニュアンスは修飾語でするようになることであろうと思う」と予測している。ここで[アマルガメート]は動詞[amalgamate]で、「種族や思想などを混和[融合]する、混合する」といった意味がある。因みに[アマルガメート]は[広辞苑][精選版 日本国語大辞典]のいずれにも採録されていない(電子版)。これが「思想の科学(1968年)」に掲載されていることから推測すると、長谷川氏は「この雑誌の読者だからそのくらいは知ってるでしょう」と言いたかったのだろうか。 それから半世紀を超えたが、両者は未だに[アルガメート]されておらず、長谷川氏の予測は当たっていない。 |
| リーダーシップ・タブー集(21) [30] 2025/12/15 Mon 11190 12月8日 [16]の続き [部下に仕事を任せない] ご本人の能力が高くて、部下に限らず他人に仕事を任せきれないのだろう。ここで「自分はできる」という自信があるのはいいとして、それが思い込みである可能性もある。ひょっとすると他者の方ができるかもしれない。そうした勘違いはないとしても、リーダーには部下を育てる重要な役割がある。また、「任せない」ことから時間がかかる、その間の情報が周りに伝わらないといった問題が発生する。その結果、部下たちに後始末を丸投げするのでは最悪である。いずれにしても、部下との信頼関係は築かれない。 |
| 法律と法律家[29] 2025/12/14 Sun 11189 「リーダーとリーダーシップ」は別物である。リーダーだからリーダーシップを発揮しているというわけではない。その一方で、公式にはリーダーでない者がリーダーシップを発揮している現実もある。これと同じと言えば無理筋ながら、法律家は法律を知っているが、法律を守るとは限らない。そもそも法律家は謙虚でなければならない。そもそも人間社会に法律はない方がいいのである。ただ人間が二人以上集まれば何らかの問題が起きてくる。お互いが独立した生命体だから当然である。そこでやむを得ず約束事をつくらざるを得ない。それが法律である。本当はない方がいいものを扱っている。法律家はそんな自覚を持って仕事にあたってほしい。さらに、[法の専門家=人間の専門家]が自動的に成立するものでないことも現実である。 |
| 日記の中の母(97)[28] 2025/12/14 Sun 11188 12月7日 [14]の続き 1976年11月15日 木曜日 父がこんな気分をパッとしようと言う。ふと相撲があっていることに気づいたので、3人揃って見に行った。わたしとしては中学以来、父や妹にとっては初めてだった。しかし、それにしても寂しいものである。ここに母がいたらなんと楽しかったことだろう。私は明日からヤマハのトレーニングで朝が早い飛行機なので室見に泊まることにした。父と□□は8時24分の[桜島]で帰った。汽車の窓から病院の時以来やっている別れのVサインを送った父の笑顔が印象的だった。 父と妹と3人で福岡市内の引っ越し先を探しに出かけたあとのことである。配偶者を失った父としては暗い気持ちを少しでも晴らしたかったのだと思う。この当時の九州場所は天神の福岡スポーツセンターで興行していた。当日の観戦だから後ろの椅子席だったと思うが、その日の[光景]は今もわたしの頭の中にある。[桜島]は鹿児島から東京へ行く急行で全車が座席で寝台はなかった。二人は博多から小倉に帰ったのである。 |
| ああ、勘違い [27] 2025/12/13 Sat 11187 バス停まで20mほどのところで、自分が乗ろうとしているバスが来ていないかどうか確認しようとして後ろを振り返った。するとジョギングをしていた人が立ち止まってわたしの方を振り返った。その顔は「えーっと、どちらさんでしたかね」と聞いている。一瞬前、この人とすれ違った。そのタイミングでわたしが振り向いたことから、自分の知り合いだと思ったようだった。すぐに勘違いがわかったので、「ああ、わたしはバスが来てるかどうかを見たんです」と笑って答えた。 ある人がわたしの方を見てにっこり笑っている。「さあて誰だったか」とは思いながら、仏頂面では悪いのでにっこり笑って返す。その瞬間、笑顔の相手は自分の後ろにいた人だったことがわかって、心の中で苦笑いする。 こんな勘違いがときおりある。 |
| 手書き原稿 [26] 2025/12/13 Sat 11186 12月7日 [15]の続き 長谷川鑛平「本と校正」に筆者の推敲を取り挙げたところがある。そこに「和辻哲郎博士や清水幾太郎教授のように、書き下ろしがきれいで、あとからの書き込みや修正の少ない筆者の場合」は校正もスムーズにいくという(p258)。和辻氏も清水氏も著名な学者で、前者の「風土」はわたしも読んだ。後者はわたしが学生時代でも活躍していた社会学者である。この二人の手書き原稿が「きれい」かつ「書き込みや修正がすくない」というのは素晴らしい。 これに対して、「高山岩男氏のように、行間にあとからさんざん書きこむ癖の強い人」と名指しされている人物もいる。高山氏はヘーゲル哲学の研究で知られているようだが、この21世紀にまで「あとからさんざん書き込む癖の強い人」として名を残しているのである。この手の人に当たった校正者は胃が痛くなったのではないか。哲学者は人間を考える人であるはずだ。そうであるなら、人の気持ち、苦労にも思いを馳せてもらいたい。 |
| [創る]と[創られる] [25] 2025/12/12 Fri 11185 文化は[創る」ものと[創られる]ものの二つがある。[創る文化]とは関わる人々が主役であり、[グラウンドアップ型]と言える。わたしが[ボトムアップ]ではなく[グラウンドアップ]の使用を絶叫的に推奨していることはご存じの方が多いと勝手に推測している。ともあれ、[創る文化]は社会を構成する個々人の主体的な営みや共同の試行錯誤の中から生まれる。そこで多様な経験や価値観が交錯しながら文化が形成される。何よりも自由な発想や創造力が重視されるから、社会の変革にもつながる。 これに対して「創られる文化」は[トップダウン型」であり、制度や権威によって与えられ、それを人々が受容する。現実の世界は単純に分類することはできない。しかし、たとえば[安全]を重視する組織では、構成員たちの力で[創り続ける文化]が力を発揮する。 |
| GD仕事録(5) [24] 2025/12/12 Fri 11184 12月5日 [11]の続き 1970年6月2日火曜日の日記に、「大学院の関さんから連絡があり、福岡相互銀行の調査を依頼されたと書いている。各支店を回るもので、大阪、長崎、宮崎、筑豊、北九州の5コースがあった。わたしは大阪コースに手を挙げた。7月13日から4日間で、門司、下関、広島、岡山、大阪に支店を回るとしている。デビューが68年11月20日正金相互銀行の調査だった。その後の黒崎窯業を経て、これで3件目になる。 ここで登場する[関さん]はわたしにとって忘れることのできない先輩である。大学院から集団力学研究所員となり、その後九州大学医療技術短期大学の教授を務められた。まことに残念ながら2018年1月5日に77歳で亡くなられた。 |
| [客観的]の[主観的解釈][23] 2025/12/11 Thu 11183 「客観的」とは、主観を排して事実に基づく冷静な視点からものごとを判断するという意味あいがある。しかし、そもそも人間は純粋に客観的な判断を下すことはできない。なぜなら個々人の大脳は固有の文化と個別の経験を通して出来上がっており、その認識は必然的に個別性を帯びるからである。そこでワトソンのように、心理学を観察可能な行動の科学と定義し、意識や内面の推測を排除する発想が生まれる。それによって客観性を徹底化し、測定可能な事実に依拠する姿勢をアピールしたのである。したがって、[行動主義]は人間の内的世界を切り捨てたのである。そもそも感情や思考は観察できないからだ。しかし、目に見える行動だけで、人間行動の本質を知ることはできない。科学としては客観性を追求することが欠かせないが、可視化できる[行動(反応)]のみで人間を理解することはできない。そんなこんなで、人間を理解する[科学]はこれまでも、いまも、そしてこれからも揺れ続けることになる。 |
| AIと義理・人情・浪花節[22] 2025/12/11 Thu 11182 マルクスは経済を社会の基盤として下部構造と呼び、政治や文化を上部構造と位置づけた。これに対応させて、AIを下部構造とするのはづだろう。古代ギリシャはまるで哲学の世界だが、そうした市民の自由な発想の背景には奴隷の労働があった。そこで、現代ではAIがその役割を担わせるのである。そうなれば、人間は人間らしい関わりあいに専念できる。つまりAIは単なる効率化の道具ではなく、人間の文化的営みを支える新たな下部構造となり得る。 そして、究極のAI社会の行き着く先は「義理人情・浪花節の世界」となる。それは、合理性を超えた人の情の世界の実現である。未来社会はそうでなくてはいけない。 |
| わたしと飛行機 [21] 2025/12/10 Wed 11181 マイレージという言葉もはじめて接したのがいつのことだったか。もう相当に昔のことのように思います。航空会社はこれをアピールして乗客を囲い込むようになりました。 わたしは福岡で20代を過ごしましたが、飛行機に乗り始めたころの東京便はJALに限定されていた記憶があります。JALは国際線と国内の幹線を飛んでいたのです。現在はANAの呼び名が定着していますが、全日空は地方路線をカバーしていました。これは[エリアの棲み分け]だったと思います。 そうしたことから、たまにしか乗らないものの、JALの利用が基本でした。その後、わたしは30歳になる年に鹿児島女子短期大学に講師として採用されました。実家が福岡にあったので、生まれたばかりの子どもと里帰りは飛行機を使いました。そのときはTDA、東和国内航空機でした。こちらは地方でも離島なども結んでいました。福岡にいるときも四国の松山にはTDA機で行きました。 |
| 4人の物語(122) [20] 2025/12/10 Wed 11180 12月3日 [05]の続き Aが小学3年生の夏休みの日記 1957年7月31日 水曜日 はれ 気温34度 きょうお母さんのきぶんがわるいので、ねせてあげました。その間、ぼくがおちゃわんをあらったりしました。夕方は、お母さんがおきたので、あんしんして日記を書きました。 母親は無理をしがちである。日記には布団に寝ている母親の絵が描かれている。夏休みの子どもができることは茶碗を洗うことくらいだったのだろう。この日の気温は34度、エアコンは、その存在すら想像すらできないころである。Aのうちには扇風機もなかった。家中の窓を開け放しにしていたのだろう。 |
| 感情と演技力[19] 2025/12/09 Tue 11179 わたしの研修を受講された方のお話。 私は相手に感情を交えて物事を伝えることが苦手です。感情が入ると相手からどう思われるかと考えてしまいます。それが冷静さの現れと受け取られるかもしれないが、その一方で業務的だと捉えられ、話の内容や注意点などが伝わっていないことがあります。研修での話を、言葉だけでなく行動のレパートリーを増やすことで、相手に対する伝わり方が変わると受け止めました。これから感情を含めて自分の演技力を身につけていくいく必要があると思います。 冷静さを保ち感情を抑える姿勢は合理的に見える。ただ、相手には事務的で心が通わないと受け止められる危険もある。言葉だけでなく表情や声の調子、身振りなど非言語的要素を含めることで、伝達力は格段に高まる。演技力とは虚飾ではなく、状況に応じた表現を工夫することである。冷静さと感情表現を補完的に用いることで、信頼関係を築いていく。それはまさにリーダーシップの重要な要素である。 |
| 家族への通信(22)[18] 2025/12/09 Tue 11178 11月18日 [35]の続き はがき[消印1969年5月1日 福岡西 父が記した番号142] 連休はゴールデンウィークセミナーが三日間(三、四、五日」あるので、残念ですが帰れません。その代わりに、十日位に帰ろうと思います。このセミナーは集団力学のものです。それに、二八日、寮の叔父さんが倒れて、今、浜の町病院に入院していますが、三日間意識不明で、三十日現在、まだ少しも進展していないようなので、もしものことでもあれば、セミナーがなくても帰るべきではないことになるかも知れないのです。お金はですから一応送ってください。三隅先生から、「謹呈吉田道雄兄 三隅」と書いた小さなパンフレットをもらいました。やる気は充分。三年の専攻生の中では一番頑張っています。 大学3年時になって間もなくの連絡である。ここで[ゴールデンウィークセミナー]とは、三隅先生が恒例にしていた研究会である。世の中が連休で浮かれている最中に勉強するという三隅先生らしい発想である。研究が趣味のごとき先生だった。天神の長銀ビルに集団力学研究所があり、その上から博多どんたくの花電車などを観た。 |
| 九州の出来事 [17] 2025/12/08 Mon 11177 12月4日 [8]の続き 先週、関東地方に出かけました。ホテルで全国紙が置いてあったのですが、その社会面に九州の冒険の記事が載っていました。そのひとつは、町長が「セクハラで辞意」を表明したというもの、もう一つは「パワハラ町長3選出馬表明」との見出しが付いていました。前者は名古屋の進出企業を訪問した際に、宴席があり、そこでセクハラ行為があったといいます。地元ではないので[旅の恥はかき捨て]状況だったのでしょうか。もう一件は町長のパワハラで自ら命を絶った課長の遺族から訴えられたのです。これに対して、町長は「ここで辞めたらパワハラを認めたことになる」として3選となる次の選挙に立つと決めたということです。外部者にその真相はわかりませんが、遠い九州の町で起きたことが全国紙で遠方にも伝えられるのだなあと思ったのでした。 |
| リーダーシップ・タブー集(21) [16] 2025/12/08 Mon 11176 12月1日 [02]の続き [部下に「こんなこともわからないのか」という態度を見せる] リーダーのこうした態度は、表面的には自らの力を誇示しているように見える。それが自らの力に対する自信の現れと思っているかもしれない。しかしフォロワーたちには単なる優越感によるものと認識される可能性がある。そうだからこそ、こうした声が出てきたのである。とにもかくにも上位に立ちたいという心根は、部下との信頼関係を築く妨げとなる。また、組織の健全な協働を阻害する。これではリーダーに求められる尊敬とは遠い距離にある。それは、誠実な姿勢や謙虚な関わりから自然に生まれるものである。 また、本人がそのように受け止められていることに気づかない場合、リーダーシップそのものが危うくなる。リーダーはフォロワーを導き、成長を支えることが求められる。そこに感受性と認識力を欠くようではリーダーシップを発揮しているとは言えない。 |
| 「本と校正」の校正ミス[15] 2025/12/07 Sun 11175 12 月3日 [07]の続き わたしは、「本と校正」に書かれている[活字時代のに校正]を十二分に経験した。そんなことですべてのページが懐かしく「そうだった、そうだった」と声を出したくなる。なあるほど「そうだったんだなあ」というところには感動もする。とにかく、すべての文字に対応した活字を1個づつ選んでいく植字工というプロがいたのである。活字が鉛でできていたこともあり、健康被害もあったと聴いたいた。 さて、文庫版の204ページに「つまり。四分につめることはよいが、マルの下は、あいなるべくは、そういうことはしないがよい」と言う一文がある。この「あいなるべくは」はどうもおかしい。これは「なるべくは」であればすんなり通る。ここはどう考えても「校正ミス」に違いない。本書は1965年初版の増補版で電子入力のはずである。天国の長谷川鑛平さんはこの箇所について「何と言うだろうなあ」と笑って推測した。増補新版は今年の9月25日の発行だが、その後どうなるか楽しみにしている。 |
| 日記の中の母(96)[14] 2025/12/07 Sun 11174 11月30日 [59]の続き 1976年11月15日 木曜日 父と妹の3人で別府・田島の宿舎を見に行った。別府は今の小倉よりもやや狭いが、倉庫というか物置がある。どうせ1年半くらいしかいないのだから、他の条件を考えると引っ越した方が賢明かもしれない。3人としてはその方向に傾いた感じがする。父にとって北方は母の思いだが残っていて良くないように思える。 文中の[別府]は[べふ]と呼ぶ福岡市内の地名である。父と母が住んでいた北九州小倉区の北方から引っ越す可能性を考えたのである。このとき父は55歳、停年の57歳までの時期で、「どうせ1年半くらい]との表現になった。 |
| 発言を引き出す [13] 2025/12/06 Sat 11173 わたしの研修を受講された方のお話。 職場では毎月2回KYT(危険予知訓練)を行っているが、発言をする人が決まっている。自分の考えを発言しない人が多い。これは推測だが、自分の考えに自信がなく、否定されてしまうのではないかとの不安があるのかもしれない。何かについて発言したとき、一人でもそれを理解し支持してくれる人がいればどうだろう。それだけで発言に対する不安が軽減できる。また、自分を認めてもらえたという気持ちになる。それで活発な意見交換ができるようになるだろう。管理職としては、全員が自分の考えを出せる職場環境を作ることが必要だと思う。そこで、自分としては発言者の考えを理解し、それを言葉にすることで支持していく必要がある。 わたしは集団が個人に及ぼす影響について話すとき、実験例を挙げて、「人は一人でも自分を理解(支持)してくれる人がいれば強くなれる」ことの重要性を伝えている。ここで挙げたのはその呼びかけに対する反応である。 |
| 日記物語(2) [12] 2025/12/06 Sat 11172 12月4日 [8]の続き 父の刺激を受けて、小学生のときから日記をときおり書いていた。その傾向は中学生時代にも引き継がれた。ただし、ずっと続いていたわけではなかった。その後、高校生になったとき、級友でMN君と仲良くなった。彼は国語が得意だったが、日記を書いているというので、これに刺激されたわたしはノートに日記を書きはじめた。それも、そこそこ続けて書くものの、すこし経つと書かない日がでてくるといった具合だった。こうしたことを繰り返しているうちに、あるとき日記が続いていることを意識しはじめた。その開始日は1964年11月19日木曜日だった。 ただ、MN君から刺激を受けたという記憶はわたしの思い込みがあることがわかった。手元にあるのは[コクヨ製]で、25cm×17.5cmのいわゆる大学ノートである。これを[セミBサイズ]と呼ぶことをはじめて知った。その表紙には[1964.3.26ー]と記しており、実際に3月26日木曜日からはじまっている。まだ彼と会う前のことである。その日は前々日に買ってもらった腕時計が話題になっている。高校進学のお祝いも兼ねていたのだろう。 |
| GD仕事録(4)[11] 2025/12/05 Fri 11171 11月28日 [55]の続き 黒崎窯業での調査ははじめて集団力学の人間として初めて銀行に出かけた際のものと同じPM調査である。ただ、日記には「調査の対象者が多いので大声を出さねばならない」と記している。銀行の支店は20人もいなかったと思う。これがGDに関わる第2の実体験となった。 調査は1969年11月4日(火)に終わったが、「その後、戸畑ステーションホテルでフルコースの西洋料理を食べさせてもらった」と喜んでいる。何分にも[フルコース]など、生まれてはじめてのことで、ナイフとフォークの使い方もかなり怪しかった。いまから56年も前のことである。家族にその話をしたところ、父も母も、そしてもちろん妹も「フルコース」など未体験で、大いに盛り上がった。同じ講座の先輩や友人にも自慢して、うらやましがられた。 |
| 続 虎の威を借る狐 [10] 2025/12/05 Fri 11170 昨日 [09 ]の続き 警視庁から呼び出された長谷川氏は「小男の鼻下にチャップリンひげを黒々とたくわえた係り官」と対面します。この言い回しから、相手に対する長谷川氏の評価が透けて見えます。そのやり取りの詳細は措くとして、まずは先方から「これは何だ」と一喝され、その中には「馬鹿!お前はそれでも日本人か!」といった言い回しも含まれていたとう。はじめのうちは、その一言一言に「ハイハイ」と答えてい。しかし、その執拗さに「合いの手を入れれば」終わりがなさそうなので、途中から沈黙を守ったという。 実際にどのような状況だったかはご本員たちにしかわからない。ただ、「小男」で「チャップリンひげ」をたくわえた係官の居丈高な雰囲気は伝わってくる。後光ならありがたいが、自分の力ではなく、背中に[権威の笠]を背負っている姿は何とも淋しい。 |
| 虎の威を借る狐 [09] 2025/12/04 Thu 11169 昨日 [07]の続き 「本と校正」はどのページをめくっても引用したくなる話題が満載です。それを一々取り挙げていたら切りがなくなります。ここはグッと我慢してわたしの勝手な基準で選ぶしかございません。皆さまにはご一読を猛烈にお勧めします。 その中に「校正」の問題で当局に呼び出された件についてご紹介しましょう。ただし、その面白さは微塵もお伝えできない点は残念と言うほかありません。 長谷川氏は少年の保護施設向けの新聞の校正に小菅の刑務所に出かけたのでした。原稿は日独伊三国同盟で発せられた詔書だったのです。そこに「提攜」と書かれていたのですが、同じ意味の「提携」にしたわけです。何分にも刑務所の印刷工場ということでこんな活字はないだろうと考えたのです。ところがこの「勝手な置き換え」で警視庁に呼び出されることになります。 |
| 父と日記 [08] 2025/12/04 Thu 11168 父は若いころから日記を書いていた。そのことを知ったのはいつだっただろう。戦後の貧困な住宅事情から、わが家も間借りをしていた。ようやく長屋形式の宿舎に入ったときも六畳と四畳半の二間だった。そこに4人の家族が住むのである。そんなことだから、父が日記を書いている姿も日常的に見ていた。わたしの記憶では、少なくとも中学生のとき父の日記が、押し入れの中に積んであった。そんなことから、父が若いころから日記を書き続けていることを知っていた。そんな影響もあって、小学生のときに自分でも日記を書くことがあった。それも365日の日付付きで、とにかく毎日書くことにチャレンジした。 |
| 悪筆と校正 [07] 2025/12/03 Wed 11167 長谷川鑛平「本と校正」(中公文庫)は[活字時代]に校正プロフェッショナルが書いたもので、とにかく面白い話満載です。悪筆として心理学者の波多野完治、石原慎太郎がやり玉に挙がっています。丹羽文雄は「素直な字」が「速筆」のために「思いがけないデフォルメを生んで」いるらしいのです。こうした話は「面白くないわけではない」が「悪口めいてくるので、犠牲者はこのくらいにとどめて」と自制しています。 |
| 喜寿とこれから [06] 2025/12/03 Wed 11166 今年、とうとう[喜寿]に到達しました。おかげさまで[趣味の仕事]を続けています。ここまで来ると、[勇退論]と[生涯一□□論]の二つが頭に過ります。前者は[自ら退き際を弁える美学]と相通じるものがあります。それは自分の限界を知り、周りに迷惑をかけることを潔しとしない意志を称えるものです。その一方で野村克也氏のように[生涯一捕手]を宣言した人もいます。サッカーの三浦知良選手は58歳の[現役]です。 こうした方々とは比較になりませんが、わたしも[趣味の仕事]ですから、行けるところまで行きたいという気持ちになってきました。一時は「[勇退]がカッコいいぞ」と思ったこともありました。しかし、そんな心配は無用だと気づきました。本人が「やる気満々」でいても、[お声]がかからなければ、そのまま[リタイア]なのですから。 |
| 4人の物語(121) [05] 2025/12/03 Wed 11165 11月26日 [51]の続き Aが小学3年生の夏休みの日記 1957年7月30日 火曜日 はれ 気温32度 きょうもじに行きました。バスのきゅうこうでいったので大ぶん早くつきました。いもうとはようちえんなのでるすばんしていました。かえると、いもうとが「子供会よ。」といったのですぐ行きました。 この日は32度、絵には大きなオレンジいろの太陽が緑の2つの山のうえで輝いている。その麓をバスとトラックが走る。当時の道路事情と言えば、すべてが舗装されていたかどうかも怪しかった。それでも鉄道の列車より「大ぶん」早く着いたと書いている。蒸気機関車の鈍行列車のスピードはどのくらいだったのだろう。 |
| ハワイ珍道中 [04] 2025/12/02 Tue 11164 テレビ番組のレベルは[劣化]の道をまっしぐら、いやすでに[劣壊]していると言いたくなります。個人の主観ではありますが、「スポンサーは番組の内容を知った上でお金は払っているのかいな」と言いたくなってしまいます。そんなこんなで、わたしのテレビ視聴時間は減少の一途を辿っています。 その一方で、YouTube などのネット系に回す時間が増えてきました。そこでは、ずいぶん昔の映画が高画質で観られます。数日前、新東宝の提供で「ハワイ珍道中」がアプロードされたのに気づきました。これは1954年の作品ですから、わたしが小学生に入る前になります。この映画をわたしは八幡市(現北九州八幡東区)の映画館で観たのです。もちろん、両親と妹の一家揃って映画館に出かけたわけです。そのストーリーはドタバタの喜劇ですが、花菱アチャコと伴淳三郎、そして堺駿二の映像が脳みそにこびりついていました。わたしが退職する際の講演でも就学前の思い出の一コマとして取り挙げたほどなのです。 |
| もう一つの富士山 [03] 2025/12/02 Tue 11163 もう1枚は15時ころ西日に当たる富士山です。昨日と同じ復路で撮ったものです。こちらは、太陽の光を受けて少しばかり赤みがかっています。まだの反射も気になりますが、翼のエンジンも写り込んで、これはこれでそれなりの映像になっていると思います。山と言えば熊本離着陸時には阿蘇も見えます。こちらは雄大さとときおり噴出する煙がポイントになります。これに対して富士山の場合は[突出感]で目立つわけです。何分にも[日本一高い山]ですから当然でしょう。 |
| リーダーシップ・タブー集(20) [02] 2025/12/01 Mon 11162 11月24日 [47]の続き [部下が仕事でミスをしたとき、その場で指摘しない] 部下がミスをしたとき上司は部下を適切に指導しなければならない。もちろん、[その場]とは、みんなの前で恥をかかせることが目的であってはならない。その点ではタイミングを含めて具体的な方法は考える必要がある。その上で、ミスが起きたそのときに問題を指摘することが求められる。鉄は熱いうちに打てである。ミスを犯した本人は指導を受ける覚悟もできている。それをしないまま、時間が経過してから「あのときは」などと言われても迫力がない。それどころか、「うちの上司はいつまで経っても部下のミスを執念深く憶えている」などと部下たちの間でささやかれかねない。 |
| 富士山 [01] 2025/12/01 Mon 11161 飛行機は原則として[富士山シート]を取ります。熊本から往路、復路とも[左側のA]です。東京に向かうときは、熊本から大分、四国を通過し、窓から関西空港などを眺めながら知多半島を過ぎます。やがて左側に富士山が見えてきます。天候次第ですが富士山は千葉の房総半島からUターンした後まで勇姿を保持し続けるのです。復路は羽田から機種を西に向けてしばらくすると左下に富士山がやってきます。今月の写真はいつもこの時期に出したくなってしまいます。わたしが撮った富士山の写真としては最高傑作です。 因みに[右側シート]の場合は羽田へ降下中にディズニーランドやスカイツリーを含めた東京都心が見えます。こちらの景色も悪くはありませんが、やはり富士山にはかなわないわけです。 |