| |
|
| 基本と繰り返し(3) [70] 2025/03/31 Mon 10640 昨日 [68] の続き とにもかくにも、職場の挨拶のように、[基本]に関わる[声掛け]を継続することが大事でしょう。その意味では、まったく同じ言い回しを単純に繰り返すことも効果が期待できると思います。 その上で、②日常の挨拶は人と人との繋がりの維持を超えて、関係の強化をもたらすと考えたくなります。たとえば、挨拶の際に「今日も元気だね」と付け加えるのはどうでしょう。また、「何だか元気がないねえ。体調は大丈夫かい」とプラスαするのです。それで、「〇〇さんから挨拶されると気持ちがいい」[〇〇さんは自分のことを気に留めてくれている」といった受け止め方をされれば、信頼関係も深まります。まあ、ご質問いあった[テクニック]とまではいきませんが、[工夫]とは言えそうです。 これと同じように、[基本]を枕詞にして、何かをちょっとだけ「プラス」することで、良好な対人関係創りも可能になると思います。 |
| 家族への通信(5) [69] 2025/03/31 Mon 10639 2月15日 [36] の続き お久しぶりに「家族への通信」です。 はがき[消印1965年11月13日 父が記した番号10] 吾輩の経済観念を信用する事。現在(十日)残金が千五百六円で十七日迄は十分過ぎる。但し時計修理代八百円は十八日に出すと時計店にも言ってある。(本当は十四日に出来るのだが十八日に取りにゆくと言った) その代わり、毎日ギリギリでやってはいるが大丈夫である。最近は夜も寒くなり出した。暖房器具を考えること。但しあくまでも無理すんな。凍死はせんから。ジャンパー、カメラフィルター、弁当箱持参セヨ。 福岡で寮生活を送る高校2年生の息子が両親宛に送ったはがきです。親子間のやり取りですが、冒頭に[吾輩]とくるのは漱石の影響でしょう。あと1週間を1506円で過ごせる時代だったのですね。毎日が[ギリギリ]とは書いていますが。それにしても「無理すんな」「弁当箱持参セヨ」などと命令口調を使っています。その点だけ見れば、なんという親子関係かと思われるでしょう。そこには「□□してください」「□□しません」などと丁寧な言い回しをすることに青年期の気恥ずかしさがあったのだと思います。 |
| 基本と繰り返し(2) [68] 2025/03/30 Sun 10638 昨日 [66] の続き わたしは、[基本は守られないものだ]と考えて繰り返し伝え続けることの重要性を絶叫しまくるわけです。まあ、それはいいとして、[同じこと]を繰り返すに当たって、メンバーの安全に対する考え方や行動の変容に繫がる方策、テクニックはないだろうかというご質問です。そうですね、同じことを繰り返すだけでは刺激力がなくなりますね。 それを承知の上で、①それでも「同じこと」を単純に言い続けることが大事でしょう。たとえば安全に関わる仕事をしている方々にとって、ミーティングを含めてあらゆる時と場で「ご安全に」が挨拶言葉になっています。わたしはこうした声掛けの効果を実証したことはありません。ただ、朝から晩まで職場で[安全]が響き渡ることがマイナスになるとは思えません。 そもそも「おはようございます」という朝の挨拶、「お疲れさまです」といった声掛けは、それをしなくても問題が起きるわけではありません。その点では、互いの挨拶が人と人との関わりをさらに強化するものではないでしょう。それでも、人と人の繋がりを維持する力にはなりますよね。 |
| 日記の中の母(62) [67] 2025/03/30 Sun 10637 3月23日 [51] の続き 1973年10月19日金曜日 今朝は早く自宅を出た。 □□(妹)に頼んでいたサンプリングでできた指定票を学生に病院近くの電停まで来てもらって8時に渡すことにしていた。学生が所属する北九州大学に預けるなどの方法もあった。しかし、わたしが朝から母の病院の付き添い担当にしていたので、電停で渡すことになっていた。ところが、昨夜自宅に帰ると、病院に泊まっている□□が早朝に福岡へ出るという。そこで、□□の出るのよりも早くわたしが病院に付かなければならなくなった。そこで5時半ころに自宅を出たが、まだ真暗であった 母は相変ず食が進まないで大変問題である。 食なしで貧血のため、輸血しなければなら ないとのこと。 マーケティング・サービスの市場調査の手配をしていたことから、調査対象のサンプリングや学生への説明、指定票渡しなどでバタバタしていた。そうした中で母は食事が取れない状況になっていた。 |
| 基本と繰り返し(1) [66] 2025/03/29 Sat 10636 組織の安全に関わる研修に参加された方からご質問をいただきました。 「しつこく、繰り返し伝える」というのも重要だと思います。「また同じことを言っているな」「でも、面白いな」というように、相手に興味を持ってもらえるための工夫(テクニック)はありますか?」 わたしは、組織の安全に関わる話をする際に、「そもそも[基本は守られないもの]と考えておくべきだ」と強調しています。その上で、「基本だから言わなくてもいい」と放置する、「どうして基本が守られないのか」とカッカするなんてことはおやめになった方がいいという話になります。そして、その対応策の一つとして、「基本」については 「しつこく、繰り返し伝える」ことが欠かせないと強調するわけです。この質問は、そうしたわたしの話について発信されたものです。とにかく「しつこく、繰り返し伝える」のはいいとして、それだけでは何とも芸がないので、ここで一工夫、「なるほど」と言いたくなる技法があるかということです。 |
| 新幹線の短縮効果(3) [65] 2025/03/29 Sat 10635 昨日 [64] の続き 新幹線とは無縁の話が続いています。いつものことながら脇道、寄り道にはまり込んでしまいました。発車までいましばらくお持ちください。お忙しいみなさまにはパスされることをお勧めします。 さて、団塊の世代対応と進学率の高まりで増えた大学も天井に近づきます。当時名を馳せた評論家が発した[駅弁大学]が流行語になるほどでした。これは、「駅弁を売っている駅のあるところには大学がある」ということで、その数が増えたことを皮肉ったのです。 それはそうと、駅弁を売っている駅は激減し続けています。因みに東洋経済ON-LINEによれば、その数は147駅です。それも2021年10月付のデータですから、さらに減少している可能性があります。 |
| 新幹線の短縮効果(2) [64] 2025/03/28 Fri 10634 昨日 [62] の続き 九州大学の助手の任期が終わり、わたしは鹿児島女子短期大学の講師に採用されました。このとき短大の就職が決まるまでの[物語]が個人的には思いで深いものがあります。わたしたちが大学院を終えるころ大学で職を得ることはけっこう難しい時代を迎えていました。戦後に現れた団塊の世代、つまりはわたしたちのことですが、その[一団]が高等教育を受けるころになると、これに対応するために高等専門学校、いわゆる高専が創られ、大学も新設で賑わいます。団塊の世代が通過した後も高校進学率が伸び続け、大学はどんどん増えていきました。それに対応するため教員の需要が高まるのは自然の流れでした。つまりは、大学院を出て大学の教員になれる確率がそこそこ高かったわけです。 |
| 組織問題のスクラップ(1) [63] 2025/03/28 Fri 10633 わたしが現役を終えたのは2014年3月である。その数年前から[身辺整理]を続けていた。その後、5年間は再雇用で熊本大学シニア教授という肩書きで現役時代と同じ仕事を続けた。この間も[身辺整理]が終わることはなかった。シニアの任期が終わると、自称[花のフリーター]となった。それでも、[身辺整理]は続く。これは、[お迎え]が来るまで終わることはない。とにかく[入り]を抑え、それよりも[出]を多くする。これで、わずかずつながら[軽量化]が進む。その対象は[限定なし]だが、このごろはスクラップもリストに挙がってきた。その中には組織のトラブルに関するものも多い。そんなわけで、スクラップをチェックするシリーズを[新設(?)]する気になった。本日は[前触れ]のみでおしまいです。 |
| 新幹線の短縮効果(1) [62] 2025/03/27 Thu10632 新幹線が開業して所要時間がもっとも短縮したのはどこだろう。こうしたデータに詳しい[オタク]がいるはずだが、ここはわたしの思い込みで話を進めよう。その答は[博多・鹿児島間]である。 わたしは1978年4月、鹿児島女子短期大学講師に採用された。それまで2年間、九州大学の助手を務めていた。当時の助手は[文部教官助手]という官職名の辞令を交付されていた。そんなことで肩書きには[教官]と付いてはいたが、実際に授業を担当することはなかった。ただし、教授が出張等で不在の際には授業を肩代わりすることはあった。その他、科学研究費の申請書類作成、受領した研究費の会計管理なども助手の仕事だった。 その間も九州産業大学に非常勤で出かけて授業をしていた。これは集団力学研究所副所長の高禎助氏から依頼されたものだった。その講義題目が[職務分析]だったことを、これを書きながら思い出した。いやはや、人間の記憶は不思議なものだ。 それはいいとして、「新幹線の話と何の関係があるのか」という声が聞こえてきた。 |
| 父の問いかけ [61] 2025/03/27 Thu10631 父が聞く。「モチベーションとは何か知っているか」 私が答える。「心理学用語やろ。それしか知らん」 「何 だ 駄目だ」 この様に父は私の持ち帰った本等を私の先回りをしたり、教育テレビで仕入れたり、またスクラップしたりしたものの知識を私にぶっつ けてくる。私としてはそれを格好よくスラスラと答えたいのだけれど、なかなかうまくはいかない。今日父は「勉強はしている様だが、ものは書いているのか」と聞いてきた。そう言えば読むばかりで書いているものと言ったらせいぜいこの日記位なものである 。 1968年7月18日木曜日の日記。わたしは大学2年生19歳の夏休み。父はこんな話をする人だった。 |
| [書写]の教科書 [60] 2025/03/27 Thu10630 3月24日 [54] の続き 教科書シリーズも[書写]でおしまいにしましょう。 [書写]では、筆はもちろんですが鉛筆の持ち方に対するアプローチが興味深いものがあります。三省堂は[鉛筆の持ち方]というタイトルです。鉛筆を持っている二つの写真を提示して、「望ましいのはAの持ち方方だよ。自分の持ち方はどうなっているかな」となっています。また、東京書籍「書きやすい鉛筆の持ち方」となっています。光村図書は単純に「鉛筆の持ち方」です。 わたしがおもしろいと思ったのは、「望ましい」とか「書きやすい」という表現です。わたしたちが子どものころは、「このように持ちなさい」との正解があり、「こうでないといけない」といった空気がありました。 わたしが現役のころ、ペンを持つ際に親指が突出している学生が目立っていました。彼らに「あなたたちは[親指姫][親指小僧]だね」と茶化していました。もちろん、「こうしなさい」などとは言いませんでしたが…。 |
| 習慣を克服する(5) [59] 2025/03/26 Wed 10629 3月23日 [53] の続き わたしが、「今でも「[大昔]の話をする」という連載は3月13日に一区切り付けました。[集団決定法]もレビンたちが太平洋戦争中に試みたものです。今年は日本の敗戦から80年目に当たりますから、これまた[大昔]のことです。しかし、[集団決定法]は人間の行動を変えるために力になる要素を持っているのです。 体型が[ビフォア&アフター]で劇的に変わる、あのコマーシャルの締めは、「わたしたちは結果にコミットします」です。あれは「約束する、責任を持つ」といった意味でしょう。 わたしとしては「問題に関わり合う」という点に焦点を合わせています。人ごとではなく「自分の問題」と捉えることです。そして、「自分の問題」だからこそ、「自分の解決策」を設定することが欠かせないのです。ただし、その「正解」を集団メンバーの力を活かしながら探求していく。そこに[集団決定法]の普遍性があると考えています。 |
| 4人の物語(90) [58] 2025/03/26 Wed 10628 3月19日 [42] の続き Aが小学2年生の冬休み、1956年12月25日の絵日記 きのう待ちに行ってサンタの面のついたおかしをかって来ました。そしてきょうの朝五時半、□□(妹)ちゃんのまくらもとへいって、てまりとおかしをおいてやりました。□□ちゃんは、ほんとのサンタのおじいさんが来たのかと思って「どんなにして来たのやろうか」とふしぎそうにつぶやきました。それでぼくがいいました。「にいちゃんがサンタのお面をつけてふくろをさげて来たんよ」といいました。おわり。 この日は特別のようで絵日記の2ページを使っている。最初はふくろを背負ったサンタがのお面が前面に突出した、なかなかの[名画]である。次のページは妹がグッスリと寝ている頭の上に[鞠]と[おかしらしきもの]が置いてある。小学2年生の時点で、A が[サンタさん]の秘密を知っていたことは明らかである。ただし、その経緯はわからない。そこまではいいとして、そのトップシークレットを妹にまで明かすという、兄が犯したとてつもない犯罪の動かぬ証拠が出てきたのである。 |
| 悲惨な二期目(6) [57] 2025/03/25 Tue10627 3月6日 [13] の続き アイゼンハワーは太平洋戦争後の大統領です。Gould教授によれば、2期目の1957年に[スプートニク]を予想できない失態を招いたというのです。それは当時のソビエト連邦が打ち上げに成功した人類史上初の人工衛星でした。科学技術でトップランナーだと思い込んでいたアメリカにとって激烈な衝撃を超える一大事だったのです。それは「スプートニク・ショック」と呼ばれ、翌年にはNASAが設立されたわけです。また、数学教育の充実も図られました。 また、アイゼンハワー大統領二期目の1960年には、アメリカの偵察機U2がソ連のミサイルによって撃墜されます。何と言ってもスパイ機なのですから、その存在は極秘にされていました。そこでアメリカは気象データを収集していた民間機が墜落したと発表したのです。ところが、同機からパラシュートで脱出した捕まったパイロットがスパイ行為を自白してしまいます。そのときわたしは小学生でしたが、[スプートニク号]の成功も、[黒いジェット機]が墜落して大問題になっていることも知っていました。 |
| 日記、拾い読み [56] 2025/03/25 Tue10626 3月9日 [19] の続き 10月7日(土) 永い間、日記を書かずに居たら恐ろしくなった。何時死ぬかわからぬのに、日記も書かずに生活を続けるとは正に恐怖だ。日記のない生活はあまりにも愚□であると私は思ふ。日記の愚□を感ずる事は致命的な事だ。 これは、わたしの父が1936年に書いた日記の一部です。[愚□]は□が判読できません。このとき、父は19歳、サラリーマンとして東京で働いていました。この年の2月26日には[二・二六事件]が発生しています。 わたしは父が若いころから日記を書き続けていたと聞いていました。この記述に遭遇して、父が日記を書かない日があったことを知りました。 |
| 20年来の相棒 [55] 2025/03/24 Mon 10625 3月19日 [44] の続き 電子辞書の新規開発が中止されるのは自然の流れでしょう。わたしたは、わが家の[トイレ図書館]でSHARPのPW-S7200を使ってきました。これは2004年7月に発売されたものですが、形状はコンパクトでありながら優れものです。現役時代は国内だけでなく海外の学会に出かける際も必須のアイテムでした。それから長い年月を経た現在でも、出張の相棒として付き合ってもらってきました。つい2週間前に大分で仕事をしたときも一緒でした。とにもかくにも、わたしの[出張 携行品リスト]の重要なアイテムなのです。 その古き助っ人との縁に危うい空気が漂いはじめたのが[カシオが電子辞書の新規開発を止めた]というニュースでした。わたしはスマートフォンを仕事場に置いています。それは大学の研究室に電話があったと同じ感覚です。 |
| [保健体育]の教科書 [54] 2025/03/24 Mon 10624 3月16日 [36] の続き [保健体育]は全くの素人ですから、どの教科書も同じように見えます。そんなわけで、自分の好みを入れても評価などできません。 そうした中で敢えて言うと、東京書籍と大修館は飲酒事故につれついて触れています。わたしが中学生のころは飲酒事故が学校で取り上げられることはありませんでした。そもそも「マイカー」などは豊かなアメリカあたりの話だったのです。わたしが中学3年生のとき担任の有田浩先生がバイクで通勤していました。それでも自家用単車を持っているとめずらしがられたほどですから。 また、大日本図書と学研はアルコールハラスメントに触れています。昔の酒席では、今日のセクハラ、パワハラが常態化していました。これが中学生の教科書で取り上げられるのですから時代の変化を実感します。 個人的には飲酒事故とアルコールハラスメントの二つを一つの教科書で触れていないのどうしてなんだろうと疑問が湧きました。 |
| 習慣を克服する(4) [53] 2025/03/23 Sun10623 3月21日 [47] の続き 国民に前線の兵士たちに牛肉を送る必要性は理解されたとしても、それまでの食習慣を変えるのは容易ではありません。単純素朴に「内臓肉を食べましょう」といった呼びかけでは世の中は動かないわけです。ここで、グループ・ダイナミックスの創始者であるレビン氏の出番です。公衆衛生局が彼に食習慣を変えるために効果的な方法を相談してきたのでした。 そのアイディアが集団決定法です。それは、課題の解決について集団で話し合って決定するのではありません。この方法の鍵は[自己決定]にあります。それは文字通り自分で自分の行動を決定するのです。これを[集団決定=集団討議+自己決定]という式で表すことができます。[集団討議]の[集団]と[自己決定]の[決定]を組み合わせということです。ただし、これは日本語だから成り立つので、まあこじつけ感もあります。英語では “group decision making” です。 |
| “Beating Japan”(2) [52] 2025/03/23 Sun10622 3月4日 [09] の続き ペーパーバック “Beating JAPAN”の表紙裏に1996年9月12日 UWA と記しています。UWAは |