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味な話の素No.183 2018年7月号(5873-5909) Since 2003/04/29

 2018/06/08 6:20am  また「ホームページビルダー」が「超不安定」になっています。原因は不明で困ったことです。
     アップが途切れた場合でも「書き続け」ていますので、再開までお待ちください。
 07/07 6:20am 相変わらず「すぐにフリーズする」状態が続いています。 07/21 6:25am 未だに解消されません!
  
「色」と本質2018/07/31 Tue 5908
 
熊本市の教育センターが主催する「中堅教諭等資質向上研修」のうち、私が担当している「リーダーシップ・トレーニング」を実施した。受講生たちがグループワークをしているときにトイレに行った。ふと窓の外を見ると緑の木々が風に揺れている。緑は人の目にもやさしいという。「みどりはいいなあ」と思う。そのときふと頭の中に浮かんだ。
 緑色に見えるのは「木々の葉が緑色を反射している」からである。ということは、「葉の本質」は「緑色」ではないわけだ。同じ理屈で「青色の空や海」も「青色」を反射しているのであって、それ自身は「青色」ではないのである。青色でないものを「青色」と呼ぶのが正しいのだろうか。そう考えると、「白」はすべての色を受け入れずに反射しているということだろう。これに対して「黒」はすべての色を受け入れているのである。
 「純白」に写るものの本質は「排他性」とは言えないか。われわれは「腹黒い」などと批判的な表現をするが、それこそ「すべてを吸収し受け入れる」ほど懐が深いのではないか。「巧言令色鮮し仁」(論語)。われわれは色に欺かれて、ことの本質を見逃しているのではないか
 
「あーあ、上野駅」2018/07/30 Mon 5907
 
先日、久しぶりに常磐線を利用することになった。そこで指定席を予約しようとネットを開くと「特急ひたち」が品川発になっている。この路線は前世紀末(?)からけっこう使ってきたが、始発は「上野駅」と決まっていた。そのころは上野駅はいつ行っても工事中というイメージがあった。山手線から迷路もどきの通路を伝って常磐・東北線のホームに着いた。しかし、そこはわれわれ世代にとっては、あの懐かしい上野駅そのものだった。そこに来ると、伊沢八郎の「ああ上野駅」が頭の中で流れるのである。
 そんなこともあって、東北新幹線の玄関口が上野駅になったのは当然であり、その点に疑念をもつものなど、宇宙人の中にもいなかった。それがいつの間にかターミナルの座を東京駅に奪われてしまった。そして、今度は常磐線が品川発着になったのである。こんなことがあってもいいものか。
 まあ、そうは言いながら九州から出かける私にとって、品川発着は便利ではある。羽田から京急で品川に行けば、そのまま常磐線に乗り換えることができるのだ。JRがめったに利用しない客のノスタルジーに応えるなんてあり得ない。こうした現実を前にすると、「あーあ上野駅」ということか。
 
高さんからの手紙(72)2018/07/29 Sun 5906 continued from 07/22
 
三隅先生からいきなり長崎行きを指示された高さんだったが、この地で岩井さんと出会ったわけだ。それは高さんのその後の人生を決定した。

 今から考えると生産性本部の岩田氏は恩人になります。彼が『グループダイナミックスは役にたたない』などと言わなければ、あのまま生産性本部に勤務して60歳で定年ということになった筈で三菱とも岩井氏とも会わなかったわけだから。その夜9時頃だったか岩井氏が「明日朝早く仕事があるので今晚はこのあたりにして又改めて飲み直しましょう」と言われるので「何があるのですか」と聞いたら「朝6時10分に満潮に合わせてタンカーの進水をする。自分が責任者なものだから」とのことでした。「進水式など見たことがないから是非一度見たいものですね」と言ったら「少しこの部屋で待っていて下さい」とのことで部屋を出られ15分位して帰ってこられました。
 
 高さんの手紙によれば、これが初対面の日で眼鏡橋近くの料亭だった。いきなり「進水式」の話題が出て、おそらく1、2時間くらいだろうが、高さんが「是非見たい」と言える関係ができあがっていたということである。
「基本」の絶叫! 2018/07/28 Sat 5905
 
日立製作所グループの日立化成が産業用鉛蓄電池約6万台の検査成績書に不適切な数値を記載する捏造行為があったと発表した(熊本日日新聞6月30日)。工場などの非常用電源に使う蓄電池製品が対象で、納入先は国内の複数の原発を含め約500社に及ぶという。問題の製品は名張事業所(三重県名張市)のもので、昨年末には事業所長に報告されていたが公表していなかった。
 また、いつものパターンである。不正は2011年から今年6月まで確認されているが、さらに拡大する可能性がある。世の中でデータ改ざんなどが問題になっても、それに呼応してすぐには出ないで、時間が経過して明らかにされる。社長の記者会見での「安全性に問題は確認されていない」という説明も、いつものことである。また、その原因を「この試験方法で能力があるからいいんじゃないかという安易な判断をする現場の空気があった」と述べている。そうした空気が出来上がった原因はどこにあるのか。それは「現場」だけの問題なのか。これは「問題が起きなければ規則やマニュアルなど守らなくてもいいという」発想である。
 ここまで来ると、「規則やマニュアルは、そもそも守られないものなのか」と嘆きの声が聞こえてくる。私としては、「基本は守られないもの」との前提で、あきらめることなく「基本」について叫び続けることをお勧めするしかない
 
点検と経費と… 2018/07/27 Fri 5905 continued from yesterday
 
われわれの世界では何かが起きると問題になる。それは、何も起きなければ問題にならないことと裏腹である。
 国は非常用の機器について点検方法の見直しを行っていたらしい。しかしながら、その効果には疑問の声も上がっているという。点検には相当程度の人員と経費がかかるからである。「日本内燃力発電設備協会」というすごい名称の団体がある。その名前からして、ガソリンやディーゼルのエンジンを使った非常用発電装置に関わっていることは容易に推測できる。その協会によれば、防災用を目的にした非常用発電機は国内に約25万台あるという。東日本大震災の時は東北地方の約4800台のうち津波の影響を除いて209台が動かなかった。また熊本地震でも104台のぅち13台しか作動しなかった。
 あの東京電力福島第一原子力発電所では、ポンプを動かす非常用発電機が津波をかぶって機能を失った。その結果、あってはならないメルトダウンが起きてしまった。そもそも、発電機が「水をかぶれば作動しない」ことは素人でもわかる。津波の高さが想定外だったと言うのかもしれないが、大昔の貞観の大地震ではなく、われわれはスマトラのすさまじい津波の威力を目の当たりにしていた。あれを教訓にして対応を考えなかったとすれば、プロが集まる組織としては想像力に欠けていたのではないか。
非常に対応できない 2018/07/26 Thu 5904
 
災害時の非常用発電機のトラブルが頻発しているとの記事があった。先だっての大阪の地震では、国立循環器病研究セン夕ーの停電に際して非常用発電機が作動しなかった。機器の点検を5年以上していなかったという。メーカーも定期点検期間は設定していると推測するが、素人でも5年間チェックなしというのはアウトだろう。
 いつものことながら、その原因を押さえなければならない。①関係者の全員が完璧に失念していた、あるいは気づいていなかった。②点検時期は認識していた、あるいは点検していないことに気づいていた。両者は極端なケースで、その中間もあるが、ものごとはクリアなところで考えるほうがわかりやすい。いずれにしても、①②ともに問題なのだが、とりわけ②は深刻である。つまりは「わかっていたが適切に対応しなかった」わけだ。私は世の中で発生するトラブルや事故の大半が②に起因していると推測している。
 当たり前にすべきことがなされないのは、個人の問題もあるだろう。そもそも人間が犯す過ちは、その主役である人間に原因があるのは当然である。しかし、その人間が集団を構成することで、「当たり前のことができない」状況が産み出される。
 
〝のぞみ〟の台車問題 2018/07/25 Wed 5903
 
昨年12月11日、新幹線のぞみの台車に亀裂が入ったまま走らせた危うい事象があった。その後、運輸安全委員会が調査をしたところ、前日にはすでに台車部品の強度に影響を与えるほどの亀裂があったことが明らかになった。その詳細はわからないが、この時点で問題が指摘されるべきだったはずである。同委員会は国土交通相に対して、台車の異常を早期に検知し、乗務員に知らせる仕組みを整備するよう求めたという。
 室内灯や椅子の不具合のように、人命に直接的な影響がないものならまだしも、台車の異常などは気づいたら即時に報告することを当たり前のこととしなければならない。素人的には、これまでそうした仕組みがなかったことの方が驚きであり、それこそ異常と言えるのではないか。車両の点検中に台車の亀裂を発見しても、それが本人の過失でないことは明らかである。それにも拘わらず報告をしないのはどうしてなのか。むしろ「早期発見者」として評価すべきだろう。重大事態の発生を未然に防ぐためには、こうした基本的な点について関係者の心情も含めた事実を収集し、その具体的な対策を創り上げていくことが求められる。
 
今年の教員免許更新講習 2018/07/24 Tue 5902 continued from yesterday
 
教員免許更新講習の10年目である今年度は、受講期間の設定等の関係から受講者が大幅に増えることが予想された。そこで熊本大学では講座数をそれまでの1.6倍程度に設定した。
 私はすでに1日コースを6回開講しているので、「いいんじゃない?」と思っていた。これに対して事務局からは「できれば増やしてほしい」との依頼があった。その瞬間は「うーん」と唸ったが、何分にも〝Yes man〟を自認して人生を送ってきた人間である。ここで「晩節を汚してはならぬ?」とばかり、勝手に興奮してプラス3コースを引き受けた。おかげで大いに感謝された。ありがたいことである。この秋には70歳に到達するというのに「趣味の仕事」ができるのである。
 私の講習は定員が60名である。欠席者が出たりすることもあるが、掛け算をすれば500名以上の教員と出会うことになる。この講習では「筆記試験」が義務化されており、各回が終了してからその採点をする。「対人関係スキルアップトレーニング」ということもあって、参加者の「対人関係」について、様々な課題やその解決に向けた取り組みに充ち満ちている。私は一日を通じて〝Never Ending Challenge〟を強調している。
 
早出し夕刊(8:37am) 検査機関、お前までか! 2018/07/22(2) Mon 5901
 
「JIS認証機関が無資格・手抜き審査 英大手の日本支店(朝日DIGITAL)」の見出し。まだ詳細はわからないが、「JIS」や「ISO」の認証機関の審査員に無資格や所定の訓練を受けていなかった者が含まれていた。その上で、定められた工程を省略した不十分な審査が複数件見つかったらしい。
 法人は英国に本社がある大手機関の日本支店だが、チェックの対象はわが国の製品であり、日本人が責任をもっていると推測される。品質のレベルを認定する機関そのものがこれでは、国家レベルでの信頼性が疑われる。かのシーザーではないが、「○○お前もか!」と驚き、「列島全体を取り巻く劣化の空気」に泣きたくなる。
教員免許更新10年目 2018/07/23 Mon 5900
 教員免許更新講習も10年目を迎えた。スタートは2009年だが、前の年に熊本大学と阿蘇の会場で試行をした。私はそのときから関わってきたから、今年で担当11年目になる。
 そもそもは「終身」だったはずの「教員免許」だが、法律によって過去に遡って適用された。そんなことから開始から数年は教師からの反撥や批判もあった。それはそうだろう、終身でなくなったうえに、30時間の講習を受けなければ免許が失効するのである。しかも、ほとんどの場合、自腹で3万円ほどの受講料を払わなければならない。それでも、「制度には不満があるが、久しぶりに大学で受けた講習は新鮮だった」といった好意的な評価も受けた。これを聴いて、われわれ主催者側もホッとしたものである。
 私は、数年間「必修」と呼ばれる講座を3時間単位で担当していた。そのうち、専門である「リーダーシップ・トレーニング」を1日のスケジュールにアレンジしたくなった。その提案を受け入れてもらって、「必修」は降ろさせてもらった。その代わり熊本大学だけでなく、玉名・八代・阿蘇・天草・人吉の県内サテライトのすべての会場で引き受けることにした。そのため、「6時間1日コース」ながら、年に6回の講座を担当してきた。
 
高さんからの手紙(71)2018/07/22 Sun 5899 continued from 07/15
 生産性本部を退職し、失業中の高さんに三隅先生から「南新地の『靜か』へ来い」と呼び出しがかかった。そこでいきなり「長崎へ行って、三菱造船所の岩井氏に会え」と言われたのである。

 帰り一人で中州の川端を歩きながら涙がでました。小生は生まれて一度も長崎に行ったことはなく (1970年)5月15日始めて長崎駅に着いたら駅の前に小柄な村役場の村長さん的な方が待っておられ「三菱の岩井です。まあ今晩は軽く一杯やりますか」というわけで眼鏡橋近くの料亭につれていかれました。この時が岩井和男氏と三菱長崎との最初の出会になったわけです。岩井さんとは一瞬にして気が合い初対面なのに「田原坂」など歌ったのを覚えています。(まさか4年後に嫁さんの世話までしてもらうとは夢にも思いませんでしたが)

 これから長崎での話が展開するが、この出会いが高さんの人生を根底から変えたことは言うまでもない。何分にも奥さんまで長崎のご縁なのだから。それだけではない。この私にとっても、お二人の出会いは運命的だったと言わねばならない。なぜならば、まだ学部の4年生だった私は、歴史に残る一大プロジェクトに参加する機会を与えられたからである。
 
「生きること」と「暴力」 2018/07/21 Sat 5898 continued from 07/18
 
社会的に許容されない欲求や衝動を高次の活動によって満足させるのが「昇華」だとされる。その代表例としてあげられるのが、芸術でありスポーツである。さらには学問なども含まれる。とりわけ「スポーツ」はわかりやすい。それは基本的に「攻撃」や「暴力」といった「許容されない欲求や衝動」を「スポーツ」という競技に昇華させるのである。
 そもそも「攻撃」にしても「暴力」にしても、言葉そのものが否定的な意味合いを背負っている。しかし、つらつら考えるに、この世のあらゆる生きものが、生命として存在するために自分以外の者に対して何らかの働きかけをしている。そもそも栄養素を取り入れなければ植物も含めて生命を維持できない。それは「働きかけ」と言いながら、たとえば「食べる」「摂取する」といった行動であり、相手側から見れば「食べられる」「吸収される」のである。
 こうして「生きる」ということは、程度の差はあれ他に対する「攻撃」を伴っており、それはそのまま「暴力的行為」と言うこともできる。そして人間も生きものの一種であるのだから、こうした「欲求や衝動」を心の奥底にもっていることは当然なのである。
 
私の愛読書? 2018/07/20 Fri 5897
 
週刊誌はまったく読まない。病院などの待合室におかれていてもまったく読まない。もっとも、世間をひっくり返すほど話題になっていることが表紙に書いてあれば、「手を出さない」こともない。しかし、そうした「例外中の例外」をカウントしても、読む量は1年間におそらく10ページ程度である。
 ただし、新聞に掲載される広告は、けっこう小さな文字のところまで読んだりする。先月だったか、二つのライバル誌が隣り合わせでバトルしていた。週刊新潮は「食べてはいけない『国産食品』第7弾」として「老化を早めるリン酸塩入りパン 全86商品の『脂質ランキング』」と続ける。一方、週刊文春の方は「『週刊新潮』食べてはいけない『国産食品』は本当に食べてはいけないのか?」ときて「食品安全委員会、東大名誉教授が異議」とある。こちらは「総力検証」だという。
 私はもちろん本物を読むことはないが、「おやおや大変だ」と笑ってしまった。これを見て「二誌とも」買う人が出てくるのではないか。件の名誉教授は「新潮記事に科学的根拠はありません」とおっしゃってるのだそうな。
 週刊誌同士のバトル以外にも「新聞を批判する広告」が「批判されている新聞」に載ったりするからおもしろい。ひょっとしたら週刊誌の新聞広告は私の愛読書?
 
父の万年筆 2018/07/19 Thu 5896
 
天草に出かけることから「父の万年筆」をもってきた。父が生前使っていたパイロット製である。父が亡くなったのは1992年3月だから、すでに26年の歳月が流れた。いわゆる遺品であるが、まさに「万年筆」らしく、いまでも書き心地はしっかりしていて紙の上を気持ち良く走る。
 さて、「父の万年筆」を天草まで持参したからといって、そのことを父が喜ぶはずもない。それは「私の思い」に過ぎない。すべては「生きている者たち」の「心」である。それでも、自分の気持ちが穏やかになれば、それはそれで十分である。
 人は「事実」に「意味づけ」をしながら生きていく。このごろは葬儀を内輪で済ませることが多くなった。その理由の一つに、毎日を忙しく過ごしている人たちを動かすのは避けた方がいいという考え方がある。これに対して「死者が、葬儀がけなれば二度と会うことのない人々を集わせて、最後の会話を交わす機会を提供するのだ」と言われると、「なるほど」との思いにもなる。ものごとには、少なくとも二つの顔はあるような気がする。
 今日は、天草のホテルで書いた日記をアップした。この日は言うまでもないが「父の万年筆」で書いた。
 
 早朝夕刊(6:22am) [ゆっくり」「ゆっくり」 2018/07/18(2) Wed 5895 continued from yesterday
 
映画「マザーウォーター」の中で、バーのセツコ(小林聡美)が水割りを丁寧につくり、ゆっくりと客の前に差し出す。それを受けた客もグラスをゆっくりと口にもっていく。そしてミネラルウォーターで薄まったウィスキーをほんの少量だけ口の中に流し、さらに喉を通す。それからリラックスした雰囲気でセツコと会話を交わす。
 このときキーワードになるのは「ゆっくり」だろう。「ゆっくり」とつくられた水割りを「ゆっくり」と飲みながら、「ゆっくり」と会話を楽しむ。ここで客がグラスと頭を急激に傾け、ウィスキーを「ガーッ」と一気に干し上げて、「おかわり」と叫んでは興ざめである。これではアルコールが主役になってしまう。ただ酔うだけのためなら、自分の家でウィスキーのロックを飲みまくる方が疑いなく安上がりである。
 ともあれ、「マザーウォーター」は奇妙かつ面白い映画だった。
「昇華」としての「仕事」 2018/07/18 Wed 5894 continued from yesterday
 
社会的に許容されない欲求や衝動を芸術やスポーツなどによって満足させるのが「昇華」なら、芸術家やスポーツマンは「許容されない欲求や衝動」をとりわけ強烈にもっているのだろうか。私は「昇華」の心理学的な意味を聴いたとき、そんなことを考えたような気がする。また、ある解説によれば、「昇華」には「学問」も含まれる。
 そもそも「学問」とはじつに曖昧な言葉であるが、一般的には「研究」もそのうちに入るだろう。。私には自分が「学問」をしているといった自覚はないが、心の中にある「社会的に許容されない欲求や衝動」を、「研究」という「仕事」に「昇華」させているのだろうか。何といっても、欲求や衝動は心の深層にあって、その存在は本人にもわからない。
 そうなると、誰もが「仕事」という「社会的に承認された目標」を達成しながら生きていることになる。つまりは、すべての人間が「昇華」を実践しているのである。ただ、不幸なことに、自分の欲求や衝動を抑える、あるいはコントロールできずに、そのまま外に出して行動化してしまう人間が出てくる。それが悲惨な事件となって繰り返される。
早出し夕刊(8:05am) 水割りの創り方 2018/07/17(2) Tue 5893 continued from yesterday
 
映画「マザーウォーター」の中で、バーのセツコ(小林聡美)が水割り(Wisky and Water)をつくるシーンがあった。
 まずは背の高いグラスに大きな氷を1個入れる。それからサントリーの〝山崎〟を注ぐ。おそらく「適量」なのだろうが、「ほんのちょっと」という感じだ。あるネタによれば40mlだそうな。それからマドラーでゆっくり、しかし「けっこう」かき混ぜる。このときは氷とウイスキーだけがグラスの中にある。この回数がかなりのものだったので、「ああ、あんなに長いのか」と思った。それからミネラルウォーターを入れて、さらに「けっこう」かき混ぜる。そしてやおら客の前に差し出す。ただそれだけのシーンだが、水割りの創り方を初めて知ったような気がした。
 
2つの「昇華」 2018/07/17 Tue 5892 continued from 07/14
 
中学校あたりで「昇華」という「ことば」を聴いて、つぎに「別の」「昇華」に接したのはいつだったか。大学に入った後に遭遇したことは間違いないが、あるいは高校時代だったかもしれない。
 このときは心理学の防衛機制としての「昇華」である。いずれも完璧に同じ「昇華」で、英語でも〝sublimation〟で共通である。心理学においては、「性的あるいは生物的な衝動によるエネルギーを直接満たすのではなく、より社会的に受け入れられる目標の達成に向けることで解消すること」といった意味である。欲求に「反社会的」なものを入れた定義もある。その例として、満たされない性的欲求や攻撃欲求を芸術やスポーツ、あるいは学問などによって解消することなどが挙げられる。私がはじめて「この意味」を知ったとき、「芸術やスポーツ」と言われて、
「そうかもしれない」と思った記憶がある。それが思春期だったか青年期だったか、すぐに「裸体の絵画」や「ボクシング」が頭に浮かんだ。
 素人的には、「化学」では「物質」が、低温の「固体」から「常温」状態を飛び越して、「気体」になってしまうことであり、「心理学」では「深層に潜んでいる(?)」「欲求」が「日常」状態を飛び越して、「社会的に評価される行動」に至ってしまう点で「共通」している。
早出し夕刊(9:05am)奇妙な映画 2018/07/16(2) Mon 5891
 松本佳奈監督「マザーウォーター」映画は奇妙に面白い映画だ。舞台は京都、一人でバーを営業するセツコ(小林聡美)、喫茶店のタカコ(小泉今日子)、豆腐屋のハツミ(市川実日子)と銭湯の男二人、それに赤ん坊が主役というところだろうか。筋があるようでないようで、淡々とした会話が続いていく。祝日ながら「大学の授業日」で出かけるため、全部を観れなかったが、なぜか「もう一度あれば最初から観たいなあ」と思いながら、いまから出かける。ところで、豆腐屋の前に置かれたベンチでスプーンを使って豆腐を味わうのもなかなか面白い。昨日は夕食で豆腐を食べたが、次はスプーンで試してみるかな。 
人間性を疑う 2018/07/16 Mon 5890
 「校舎80周走れ」生徒倒れ救急搬送 滋賀・中学部活顧問が指示」(京都新聞 7月14日)。そもそも見出しは、「目につく」ものにするのが基本である。それにしても、こんな見出しは先方から目に飛び込んで来ざるを得ない。
 われわれに伝わる情報がすべてではなく、実際にはさまざまな事情があることも事実である。したがって、内容の如何を問わず、限られた情報だけを鵜呑みにしてはいけない。そうした状況を踏まえ、私は昔から「『情報視力』を鍛えよう」と提案してきた。このごろは、それを「情報五感」あるいは「情報六感」へと幅を広げた表現もしている。
 そうした基本姿勢を押さえた上でも、この記事に書かれている情報には唖然とするほかない。大津市の中学校で、ソフトテニスの部活中に2年生の男子生徒が練習中にミスが目立ったとして、30代の男性顧問教諭が「校舎周囲を80周走れ」と指示した。その結果、生徒が熱中症で倒れているところを工事業者に発見されたという。市教委は「行き過ぎた指導だった」と謝罪したらしい。しかし、これは「指導」のレベルの問題ではなく、教諭の「常識」の問題であり、その「人間性」まで疑いたくなる。
 
高さんからの手紙(70)2018/07/15 Sun 5889 continued from 07/08
 さて、失業中の高さんに新聞発送の深夜業務の話が入ってきた。高さんの手紙にはこの仕事を実際にされたのかどうかは記されていない。ただ、このとき高さんだけでなく研究所の運命を決するような動きがあった。

 その後昭和45年(1970年)5月13日だったと思いますが、夜遅く三隅先生から電話があり「今中洲の南新地で飲んでいるから一寸出て来い」ということでした。何のことか分らず「諍か」(貴兄もこの店を知っているのでは)に行ったら、「まあ一杯飲みたまえ」と言われるので有難く杯をうけたら、「明後日5月15日に長崎の三菱造船所に行け。岩井という部長に話しはつけてあるから」ということでした。どういうことをするのか等の話しは一切なく長崎で岩井氏に会えばよいということだけでした。

 南新地の「諍か」には高さんに連れて行っていただいた。私より3つ後輩で、その後は京都大学教授として活躍した杉万俊夫氏と一緒にごちそうになったことを憶えている。何をするかの説明もなく、「2日後」に長崎へ行けというのだから、何と乱暴な話ではある。三隅先生らしいと言うべきか。
 
「昇華」とナフタリン 2018/07/14 Sat 5888
 
「昇華」という言葉を初めて目にしたのは中学校のときだろうか。水に代表されるように、物質は固体、液体、気体と姿を変える。これには、ものを取り巻く温度と気圧が関係している。ところが、固体から「気体を経ず」にいきなり気体になるものがある。その代表がナフタリンだと聞いたような気がする。
 ナフタリンは、白くて丸いマーブルチョコレートの形をしたものがセロファンの袋に包まれていた。これは防虫剤で、私たちが子どものころの洋服ダンスなどには必ず置かれていた。言葉では表現しがたいが、しかし決していやでもない薫りがプーンとした。それが時間の経過とともに小さくなっていくのである。その薫りはガス化した気体で、これが防虫に効果を発揮したわけだ。ナフタリンがタンスの中で固体から液体になっては衣類が濡れてしまう。つまりは昇華という特性を最大限に活かせるのである。
 ドライアイスも同じ性質をもった物質である。私たちが子どものころはドライアイスなど聴いたことも見たこともなかったのではないかと思う。その点、今の子どもたちは、ドライアイスは知っていても、「ナフタリンって何?」と首をかしげるかもしれない。
 
プロが気づかない? 2018/07/13 Fri 5887
 本当は笑ってはいけないのだけれど、ときどきつい「笑ってしまう」ことが起きます。先日は、九州のとある県警のパトカーが一方通行を逆走したという記事が出ていました。巡査部長がパトカーで街中をパトロールしているうちに市道を逆走してしまったというのです。ご本人は50代だとのことですが、20代の巡査も同乗していたといいます。二人とも「標識に気づかなかった」らしいのです。ともあれ、運転していた巡査部長に道路交通法の通行禁止違反の疑いで反則切符を交付したということです。
 ここまでは苦笑いだったのですが、この二人はそのことを上司に報告せず、外部からの指摘で発覚したというからいけません。まあ、本音の気持ちはわからないでもないのですが、まさにコンプライアンスの問題でしょう。また、「標識に気づかなかった」点は、「プロのくせにけしからん」と責めるよりは、「プロでも気づかない標識だったのではないか」と推測したくなります。そうした標識で善良なる一般市民から違反だといって罰金をとってはいけませんね。
 
歩きながら考える 2018/07/12 Thu 5886
 
その昔(?)ウォーキングに徹していたことがあった。とにかく粘着質を自認している私である。はじめるとなかなか止まらない。今から振り返ると、それは1995年のことだった。この年には1月に阪神淡路大震災があり、3月には地下鉄でサリンによるテロ事件が起きた。私はその前の94年終盤から96年1月ころまでの400日ほどの間、毎日10,000歩超えをした。
 朝は5時ころからわが家を飛び出し、町を歩き白川沿いを往き来した。通勤も徒歩が中心の1年間となった。もちろん歩いている間も「無念無想」とはいかない。とにかく何かを考えているのである。こんなときは、とくに仕事のことが頭になくても、けっこう使えるアイディアが浮かんでくる。
 人間の筋肉の中で最も大きな大腿筋を動かすことで、「大脳の開放現象」が起きるようだ。しかも、後になって「このアイディアは、あの陸橋の階段を上るときに思いついた」「○○町の交差点で信号待ちで汗を拭いている際に浮かんできた」などと、風景とともに蘇るのである。これもまた楽しい。
 
ブーメランDR 2018/07/11 Wed 5885 continued from yesterday
 
バイクに煽り運転をして追突し、大学生を死亡させた事件があった。その証拠が加害者が乗っていた車のドライブレコーダーだという。そもそもはバイクに追い抜かれたことから、その後を1分間ほど追いかけ、クラクションを鳴らしたりパッシングをしたりしていたシーンが記録されていたのである。しかも追突した直後には「これで終わりや」といった音声もあったという。
 一般的に、ドライブレコーダーは「被害」を受けた際に、自分の正当性を主張するために設置する「つもり」でいるケースが多いのではないか。しかし、それは「自分の過失」を証明するものでもあり、場合によっては「故意」であることも明らかにされる。とりわけ音声まで入っていれば、その証拠能力は強力になる。今回の事件では、まさにドライブレコーダーの「ブーメラン」である。
 そのうち、ドライブレコーダー装備が任意ではなく強制になるやもしれない。とりわけ高齢者には「ドライブレコーダー設置車限定」の免許が登場するのも時間の問題ではないか。こうして世の中は365日24時間年中無休の「監視社会」になる。
 本コラムで、「このままいくと、自宅内まで設置を義務づける『監視カメラ設置法』ができますよ」と書いたのは、2004年11月28日である。それから14年近くが経過し、その可能性はますます高まっているのではないか。
 
運転不向きな人 2018/07/10 Tue 5884
 先日、交差点の手前で停止していた。信号は青だが、前方の横断歩道ギリギリで車が止まっている。こうしたときは交差点内に侵入してはいけない。ここは二車線だが、左は次の信号で左折専用になる。つまり、直進と右折車は内側を使うのである。すぐ右隣はこの信号の右折レーンで、前方からの車が途切れるタイミングで右折していく。
 そんなとき、後方でクラクションが鳴った。もちろん、自分とは関わりのないこととて前方を眺めていた。そのうち、クラクションが繰り返されはじめた。そんなことからミラーを覗くと後ろの運転席で髪を振り乱している中年、あるいはそれを超える女性が目に入った。どうやら私に「先へ進め」と絶叫しているようだ。その前の状況を認識できる人間ならそんなことができないことは一目瞭然である。それに、交差点に入ったとて、それだけのこと。先に進める見通しはゼロである。ご本人にも事情があるのだろうが、こんな人がいるから困るのである。
 そのうち左の車線に入り込んだかと思うと、あれよあれよといううちに左折していった。その後で別のルートに切り替えたのかもしれない。それはお好きなようにしていただければいいが、人様にまでルール違反を強要してはいけない。こんな人って運転に不向きですよね。
 
今月の写真(2) 2018/07/09(2) Mon 5883
 いつのころからか、「全国駅弁大会」なるものがデパートの催事として開催されるようになった。これがかなりの賑わいを見せている。とくに九州では「北海道」や「北陸」が人気のようだ。
 さて、今月の2枚は肥薩線人吉の「駅弁」である。これは現地で開催された研修会で出された「本物」である。人吉駅には昔懐かしの「弁当売り」のおじさんがいる。客車の窓を開けることができた時代を思い出す。写真は「つばき弁当」である。熊本は「肥後椿」で知られている。よくある「日の丸弁当」だが、煮豆や切り干し大根などが入っていて、田舎風の味わいがある。もちろん、昼食のひとときを楽しく過ごした。
 
お隣のトラブル 2018/07/09 Mon 5882
 お隣の航空会社のトップとその家族の行動が話題になっていた。このうち娘の一人は「ナッツを投げた、投げない」問題で顰蹙を買った。それはいつのことだったかと思うほど「大昔(?)」のことである。今度はその妹が前面に出て、さらに母親も相当な問題行動発生者だという。そしてついに父親も危うい状況のようである。
 「ナッツ姫事件」のときは、一旦動き出した飛行機を搭乗口まで戻したことが法律上「航路変更」になるとされた。これに対して当人側は「航路とは空路(離陸後)のみを言う。したがって、離陸前の引き返しは航路変更に当たらない」と反論した。これに対して当局はドアが閉まった後は運航中に当たると指摘した。これって法的には常識だろう。
 これを受けて、娘は「興奮していて飛行機が動いているとは知らなかった」と主張したが、これも「乗務員の説明や体感で認識していたはず」として否定されている。その詳細は措いて「してしまった行為」は厳然たる事実として認めざるを得ない。そこで後はとにかく法的な制裁を逃れようとしているだけの話である。いわゆる裁判というものはどの国においても、そんなものなのだろう。 やれやれ…。
 
高さんからの手紙(69)2018/07/08 Sun 5881 continued from 07/01
 さて、「失業」した高さんだが、その給付期限が迫ってくる。そのとき一筋の光が差してくる。

 当時□□さんが知恵をつけてくれ希望職種は「大学講師とせよ」というのでナルホドなと指示に従いました。(お蔭で職業安定所からの就職指示は一切なし)5月の初めいよいよ失業保険(給付は退職後6ヶ月間でした)も終わりだなあとさすがに心細くなっていたら、西日本新聞の千住さんがやってきて(たぶん井下さんの差し金でしょう)「一体どうするつもりだ?Jと聞くので「どうにもなりませんなJと言ったら「大名町からは近いから毎晚12時に西日本新聞社の印刷局に来いJという話しでした。「夜中に新聞の発送でトラックに積み込む仕事があるが深夜業だから手当ては高い。一人なら十分食えるよ」ということでやれやれこれで飢え死にせずにすみそうだと一安心しました。

 失業保険は求職中であることを前提にして支払われる。その希望職種を「大学講師」にすることを勧めた人がいたのである。すでに半世紀が経過するとは言うものの、ここは「匿名」にしておくことにする。私もお世話になった大先輩だが、この方ならではのアドバイスだなあと笑えてしまう。
 
偶然との遭遇 2018/07/07 Sat 5880
 先日、天草市に出かけた。そこまでは「天草五橋」を走る。その名の通り、5つの橋が1966年に開通した。この中の1号橋については、5月に「天城橋」という名の新しい橋が加わった。私は初めてこの橋を渡って往復した。旧い橋は急なカーブがあったが、新橋は直線的で走りやすい。
 さて、その天草で宿泊したホテルで机の抽斗を引くと「古事記」の現代語訳が置かれていた。ホテルによっては聖書などを見かけるが、「古事記」に出会ったのは初めてだった。私としては読む気が湧いたが、非売品と記されていたから書店では買えない。学生時代にとりあえず目を通した岩波文庫でも当たってみるかと思った。
 無事に仕事が終わって車で帰る途中、録りだめをしているラジオ放送の番組を聴いていた。これは通勤時も含めてドライブ時の楽しみである。さて、いくつかの番組を聴き終えて、つぎの録音に入ったときである。なんと、NHK「文化講演会」の「古事記」がはじまった。まことに不思議な一致としか言いようのない偶然である。この2月にも、「苦海浄土」の石牟礼道子氏が亡くなったその日に、法政大学の田中優子氏のラジオ講演で石牟礼氏の名前が出てきて驚いたことがある。偶然もけっこう頻発するものだと思うと楽しくなる。
  
今月の写真 2018/07/06(2) Fri 5879
 一繋がりの石で支えている熊本城の櫓である。その隙間から透き通るような青空が見える。これは全国的に「有名」になった飯田丸五階櫓ではない。飯田丸は天守閣の南西にあり、頑丈な鉄骨で囲まれて「手厚く」補修されている。
 写真は木造3階建ての戌亥(いぬい)櫓である。本丸の北西(戌亥)にある。加藤清正のときからあったが、西南戦争後に解体されたという。それを熊本市が4億6,000万円かけて2003年復元したのである。これが2016年の熊本地震で隙間が空いてしまった。こちらも飯田丸と同じ状況だと思うのだが、このままの状態で今日に至っている。いまのところ、その間近まで行くことができる。
 
今日まで「レビュー」 2018/07/06 Fri 5878 continued from 07/04
 ここまで「木に登るブタ」になったのだから、「カスタマーレビュー」で「持ち上げられた」ことを粘着的に取り上げて、これでおしまいにしたい。もっとも、わざわざ「おしまい」などと表現するまでもない。「人間理解のグループ・ダイナミックス」についての「レビュー」は「1,2件」しかないのである。ともあれ、〝touten2010〟さんは拙著全体をまとめた後で語る。
 「グループ・ダイナミックスの研究成果は、人間は集団で生きていること、集団の社会規範をうまく作り上げていくことが、人間が幸せに生きる社会を作り上げていく上で非常に重要であることを示している。この本は心理学の研究成果からリーダーシップやマネジメントを具体的にアドバイスしているところがとてもおもしろい。特に中間管理職にはぜひとも読んでいただきたい本である」。ここまではなかなか調子が良い。
 その上で「全体の構成がちょっと脈絡がなくて散文的に思えるし、情緒的で科学的根拠にかけるような『語り』も交えられているが、そうしたノリが心理学の本とは思えないおもしろさを生み出している。楽しく読めて役に立つとてもおススメの本である」と締める。
著者としては「脈絡ないかなあ」とは思うが、「情緒的で科学的根拠にかけるような『語り』」については、これを「ノリ」と評価してくださったことをあわせて「ニャリ」とした。
 ともあれ、出版から17年、私が初めて書いた単著である。ありがたや、ありがたや。
大村会場の声掛け 2018/07/05 Thu 5877 continued from yesterday
 それまで私は「パニック障害」について、その呼称を聴いたことがあるといった程度だった。もちろん、現在でも知っているとは言いがたい。
 〝Medical Note〟(https://medicalnote.jp/)によれば、「パニック発作」「予期不安」「広場恐怖」が三大症状で、「100人におよそ1人が発症する」と言われているようだ。突然に恐怖や強い不安が引き起こされ、動悸やめまい、呼吸困難などが現れる。こうした症状はすぐに消失するが、発作を繰り返すことで、それがまた起きるのではないかという予期不安が高まって社会生活を送ることに支障が出てくるという。
 私に声をかけてくださった方は「自分は講演会で話を聴いていても不安で仕方がなくなり、いつも途中で席を立っています。今日も一番後ろの出入り口近くに座っていました。それがなぜか最後までお話が聞けたのです。本当にありがとうございました」とお礼を言われたのである。その厳しさを知らないながら、私は20代後半くらいに見えたこの女性にとって、こうした声掛けをすること自身にも負担があったのではないかと推測した。私の脳裏には大村の講演会場が焼き付いている。
 
ブタさんよりも… 2018/07/04 Wed 5876 continued from 07/02
 「ブタもおだてりゃ木に登る」「吉田もおだてりゃ嬉しがる」である。ほんの一人か二人の「レビュー」なのに、「有頂天」状態だ。「あんたが勝手に飛び跳ねてはしゃぐだけのコラムなんて目を通すのもごめんだ」と言われる方がいらっしゃるに違いない。そうした思いの皆さまには、本日もすっ飛ばしていただきますように…。
 私が単著として書いた「人間理解のグループ・ダイナミックス」は2001年、つまりは今世紀元年の出版になる。これについての「レビュー」もあった。まずは「読むと勇気が出る!、励まされる!、やる気になる!中間管理職に絶好のアドバイスを与える心理学の本」との見出しが付いている。投稿者は〝touten2010〟さんで、2012年2月17日とある。拙著が「勇気が出て、励まされて、やる気になる」ことに少しでも貢献したとすれば、これまた極上の喜びである。
 講演が終わってから、ときおり「お話を聞いて元気が出ました」と声をかけていただくことがある。これも純粋に嬉しい。長崎の大村ではある方が来られて、「私はパニック障害ですが、今日は最後までお話を聞くことができました」と言われた。それをお聞きして、私は嬉しさよりも感動し、目頭が熱くなった。ありがたいことである。
 
記念碑なんてなくても 2018/07/03 Tue 5875
  “After I'm dead I'd rather have people ask why I have no monument than why I have one.” ( Marcus Porcius Cato) 私は後世の人たちから「どうして彼は記念碑を遺したのか」と言われるよりも、「どうして記念碑を遺さなかったのだろうか」と問われたい。いやあ何とも格好いいなあ。「何であんな人間の記念碑なんかあるのかい」などと言われるのはわびしい限りである。世界には大衆からなぎ倒される像もある。
 そうではなく、高い評価を得ているが故に、人々が「どうしてこの人の記念像はないのだろう」と疑問に思う。それは最高の評価である。しかも「偶像崇拝」を否定する精神も持ち合わせているわけだ。
 この言の主Marcus Porcius Catoは共和政ローマ期の政治家である。その清廉さと弁舌の素晴らしさで知られ、執政官、監察官を務めた。その三代後の Catoと区別するため、「大カト」と称される(Wikipediaを一部改変)。彼の没年は紀元前149年、すでに2150年以上の時間が経過した21世紀の日本でも、おそらくは高校の教科書にも登場する大人物なのである。たしかに彼には「記念碑」なんて必要なかったと言える。
 
カスタマーレビュー(4) 2018/07/02 Mon 5874 continued from 06/30
 拙著「実践的リーダーシップ・トレーニング」のレビューをしていただいた「リンタロー」さんの締めは次の一文である。

 その(トレーニング)の道具たて、仕組み、著者の考えを惜しみなく公開されているのにも敬意を表します。

 これも私の期待をはるかに超える上級の評価である。まさに至上の喜びである。私自身、20歳になったころから、三隅先生は言うまでもなく、とにかく数え切れないほどの先生や先輩方から方々様々なことでお世話になった。そうした中で、「リーダーシップ・トレーニング」が私のライフワークになった。いわゆる粘着質かつメモ魔を自認している私だから、その当時からの日記をチェックすれば、「トレーニング」に関わった回数もしっかりわかるはずだ。もちろん、はじめのころは先生や先輩たちが企画し、実践する「トレーニング」の手伝いをするのが私の仕事だった。いわば「金魚の糞」のようなものである。ときおり「吉田君、このデータを15分くらいで解説してよ」と声をかられた。私の仕事は、トレーニング中に参加者たちが行った「行動チェックリスト」をまとめた結果を説明することであった。
 
高さんからの手紙(68) 2018/07/01 Sun 5873 continued from 06/24
 
高さんの手紙は、生産性本部の課長職を退職してからの状況を語っている。

 失業保険は働く意欲のある人に支給されるのが原則で希望職種という記入欄があり総務とか営業とか記入する必要がありこれによって職業安定所から企業に紹介され受験に行くというシステムになっていました。受験しなければ働く意欲なしということで保険金の支給は中止になるわけです。

 私は幸運にも失業を体験することがなかった。1976年3月、大学院を終える時点で大学教員の職はなかったが、学生時代から通い詰めだった集団力学研究所で仕事をすることが決まっていた。ところが、年度末のギリギリになって九州大学の助手の話があり、面接の結果、それに落ち着いた。私にとって初めての職は「文部教官助手」となった。それから2年後には「鹿児島女子短期大学講師」に採用された。さらに1年半後に熊本大学の職があり、今度は「文部教官講師」の辞令をもらった。それから34年半に亘って熊本大学で教員生活を送った。退職後も改めて「シニア教授」となり、今年で5年目を迎える。つまりは39年半もの間、失業することなく仕事をさせていただいている。