緊急情報 2018/03/24 Sat 6:51am
このところ「ホームページビルダー」が頻繁に「応答なし」でフリーズします。まったく原因不明のため、いつ完全アウトになるかわかりません。そうした最悪の事態が起きても本欄は「書き続けて」いますので、しばらくお待ちください。ジャストシステムに電話しても、「サポート期間が終了」という趣旨の音声メッセージで門前払い状態です。 |
「推測」と「邪推」 2018/03/31 Sat 5732 continued from yesterday
ようやく大阪大学の入試ミスに対する「邪推」をはじめるところまで到達した。大学の発表によれば、対応が遅れた原因のキーワードは、「自分たちが唯一正しい」という「思い込み」である。このミスが発生したのは「物理」の問題である。つまり、出題者は「科学者」だったことになる。
そもそも「科学」は「疑うこと」からはじまる。さらに理論はいつも「仮説的」であり、「絶対に正しい」という発想は進歩や発展に繋がらない。科学を研究する者は、少なくとも理想的にはそうした態度と姿勢をもっていなければならない。したがって、「自分たちが唯一正しい」と「思い込む」ことからして、科学者としての基本的な行動指針から逸脱している。
これはニュース記事の情報だけに基づく「推測」と私の評価である。その「推測」を「邪推」という深みにまで入るとどうなるか。出題した担当者たちは、問題にミスがあると外部から指摘されたことに自尊心を傷つけられたと感じた。もちろん、その指摘を知ったときは「ドキッ」としたかもしれない。しかし、その可能性はあるとして、結果的には「冗談じゃない。自分たちの『正解』が正しいはずだ」との結論に達した。プロとしてえミスを認めたくない心情が働いたのである。もちろん、これらは「私の『邪推』」である。 |
号外? 8:09pm 2018/03/30(2) Tue 5731 とにかく、国際関係はしたたかさが武器になる。このところ「急展開」に見える状況だが、その筋の専門家は「彼の国が動き出したのは制裁が効いてきたから」などと解説する。しかし正直なところ「ホンマかいな」という思いがある。あの国はプロたちが言うようにそれほど脆弱なのだろうか。それに「朝鮮半島の非核化」と言っているところもポイントである。「北朝鮮の非核化」ではないのである。韓国に駐留している米軍も「非核化」しなければ自分たちは約束を守ることができない。そんな流れが見えてくる。アメリカが韓国における「核」について、その存否を明確にするはずもない。そこで、一方にだけ検証を強要するなどとんでもないことだ。こんなセリフも台本の中に含められているのではないか。 |
「邪推」の積み重ね 2018/03/30 Fri 5730 continued from yesterday
さて、大阪大学で発生した入試ミスである。外部からの指摘にもかかわらず、翌年まで問題が解決できなかった理由として、試験の担当教員が「『自分たちが唯一正しい』と思い込んでいた」ことを挙げた。そこで、この問題について考えてみようというわけである。ただし、私に得られる情報は報道に限定されているため、それは単なる推測になることは否定できない。一般人が知りようのない「事実」があることは当然である。その意味で、当事者たちにとっては「邪推」と認識される可能性がある。
そんなわけで、昨日は「邪推」や「忖度」について考えてみた。このほかに「下衆の勘ぐり」というものもある。こちらは「賤しく低劣な人は、何かにつけて物事を悪く推測したり、変に気を回すものだ、という意味の諺」である(weblio)。まさに品性を欠く者の「邪推」ということだ。さすがに自分のことを「賤しく低劣な人間」だとまで言い切ろうとは思わないので、ここでは「邪推」で留めておこう。
さて、大阪大学の入試ミス対応の問題である。この問題に対して「邪推」を積み重ねようというわけである。やれやれ、本日も「本題」に入れなかった。 |
入試ミスの処分 2018/03/29 Thu 5729
「大阪大入試ミス、6人処分」との見出しの付いた記事を読んだ(熊本日日新聞 3月24日)。阪大では、昨年の入試で出題ミスがあったが、23日にその処分がおこなわれたのである。このときは30名ほどが本来は合格だったにもかかわらず、不合格とされていた。この間、外部から何度もミスを指摘されていたことが明らかになっている。今回、その検証結果が公表されたわけだ。
大学によれば、試験の作成を担当した教員(おそらく複数)が「『自分たちが唯一正しい』と思い込んでいた」ために、対応が遅れてしまったという。最終的には6人を訓告などの処分にしたようだ。
ところで、「邪推」という言葉がある。これを「デジタル大辞泉」で引くと、「[名](スル)他人の心意を悪く推量すること。ひがんで、自分に悪意をもっていると疑ってかかること…」と説明されている。ほとんどの方がこんな意味合いとして受け止めていらっしゃうだろう。それでは、「邪推」の反意語はなんだろう。これがけっこうはっきりしないのである。そこでふと思いついたのが昨年から流行語になっている「忖度」である。こちらも「大辞泉」を参考にすると、「[名](スル)他人の心をおしはかること。また、おしはかって相手に配慮すること…」という解説である。うーん、いかがなものでしょうか。まあ、完璧とは言えないまでも、「邪推」の反意語的な意味合いがあり、それなりにいい線いっているかもしれない。
さて、冒頭に挙げた阪大の入試ミス問題であるが、すでに書き続けるスペースがなくなってしまった。 |
「みる」づくし 2018/03/28 Wed 5728 continued from yesterday
〝Group Dynamics〟が「動かす」ことも視野に入れているということから、〝Change〟は重要なキーワードになります。そんなことで、私は〝Never
Ending Challenge〟を十八番のフレーズにしているのです。
もちろん、「人を変える」という言い回しには危険な要素も含まれています。おそらく歴代の統治者たちの多くは人々を自分の意のままにコントロールすることを夢見てきたことでしょう。そんなわけで「誰が」「誰を」「どのように」「変えるのか」あるいは「動かすのか」についての議論は永遠に続くはずです。
「Group Dynamics=集団動力学」としては、まずは「様々な個人と集団」について可能な限り客観的な目で事実を見つめることが大事になります。その際にいろんな「見方」が考えられます。まずは「見る」が筆頭でしょうが、「観る」「視る」「観る」「覧る」「看る」「診る」「察る」「鑑る」などなどじつに多彩な「みる」があるわけです。そうそう、「動かす」ことを視野に入れれば、「試みる」も「みる」に含まれるでしょう。これと関連して「~してみる」も「みる」に加えるなら、私たち人間の行動は「すべて」が「みる」ことに繋がっているのです。何と楽しいことでしょう。 |
Michio twitter(11) 6:47am 2018/03/27(2) Tue 5727 北京に北朝鮮から20両編成の列車が入った。彼の人物の電撃的な訪問だと伝えられている。まさに二つの大国を天秤にかけながら揺さぶるきわめて巧みな行動。それは両国を手のひらに載せたかのような感すらある。どこからそんな「智惠」が生まれてくるのだろうか。こちらと言えば今日は「証人喚問」…。 |
集団動力学 2018/03/27 Tue 5726
私が仕事にしているグループ・ダイナミックス(Group Dynamics)は、「静止画」に対する「動画」のようなものです。このことについては本欄でかなり前に触れたことがあります。また、グループ・ダイナミックスを創始したレビンのB=f(P,E)はよく知られています。人の行動(Behavior)はその人(Person)と周りの環境(Environment)の関数(function)というわけです。
これをB=f(L)と表示することもあります。ここで、[L]は Life Space (生活空間)ということです。「生活空間」には自分と関わりのある「すべて」が含まれるわけです。「関数」とは「伴って変わる」ものです。私たちの行動が「個々人の特性」だけでなく、「周りの環境」との相互作用で決まることは理解できます。「環境」には物理的な「モノ」だけでなく、人間が創り出した「制度」なども含まれます。さらに「周りにいる人(者)たち」も欠かせない要素です。
そんなわけで、「人々が構成する集団」も個人の行動に大きな影響を与えるのです。グループ・ダイナミックスは、こうした「関係」を「動く」ものとして捉えると同時に、「動かす」ことも考えます。そこが〝Dynamics(力学)〟の所以であり、むしろ「動力学」の方が感じが出ますね。 |
「アカウンタビリティ」の危機 2018/03/26 Mon 5725 continued from 03/20
〝accountability〟が「会計」に由来していることから推測すると、本来は企業組織の利害関係者に対する責任を意味していたと思われます。いわゆるステークホルダー(stakeholder)という用語もよく聴くようになりましたが、これが「利害関係者」ですね。
ちょっと興味深いのは〝stakeholder〟そのものは「掛け金の保管人」とされていることです。これはそもそも〝stake〟に「刺すもの」という原義があって、「くい」や「棒」、「火刑の柱」などに続いて「賭」や「賭け金」という意味もあるわけです。なおあ、このあたりの情報は「ジーニアス英和」によっていますが、こうした言葉の意味をフォローするのは楽しいものです。
さて「アカウンタビリティー(説明責任)」ですが、時代の流れの中で、今日では「会計・財務」の領域を超えて広範に使われることになりました。それは、社会的活動をするあらゆる組織が、その活動内容や及ぼした結果などについて、直接の利害関係者はもちろん、社会全体にも納得してもらえる説明をする「責任」が求められるということです。この組織には国をはじめとした様々な行政組織も含まれることになります。この場合の「ステークホルダー」は「国民」を指していることは言うまでもありません。このところ国の公式文書の改ざんが毎日のように取り上げられています。その経緯について説明が求められていますが、これは「アカウンタビリティ」以前の問題です。 |
高さんからの手紙(54) 2018/03/25 Sun 5724 continued from 3/19
はじめて「集団力学研究所」のメンバーとして銀行の調査に参加した。日記には興味深い感想が記されている。
他の支店へ行った人の結果等も見てみれば、満足した状態で社会生活を送っている人は案外少ないようである。上役との関係はむずかしいものなのである。なかでもひどいのは、上役は冷たく、いなくなってしまった方がよいという意見まで出ていた。上役が一体どんな人なのか、それはわからないけれども、とにかくどうにかしなければ、この支店はうまくやっていくことができないのではないかと思われる。
すでに20歳になり、それなりの社会的環境にはいたとしてもまだ学生である。そんな私が、銀行という限定された組織の結果ではあるが、データから働く人たちの全員が満足した職業生活を送っていないことを感じている。「上役との関係はむずかしいものなのである。なかでもひどいのは、上役は冷たく、いなくなってしまった方がよいという意見まで出ていた」。これは回答シートにある「自由記述欄」の内容だと思われる。「上役との関係がむずかしい」という表現は、私が「部下」の視点から問題を捉えていることを示している。 |
高齢者の定義 2018/03/24 Sat 5723
先日、熊本駅に出かけるために、わが家から最寄りのバス停に行きました。すでに2人ほどがいて、それに3人が加わりました。私を除いて全員が女性でしたが、外見から判断する限りいずれも高齢者でした。もちろん私もその仲間です。熊本市の市街地でもこうした光景が普通になってきました。教員の免許更新講習では天草や阿蘇、さらに球磨地方に出かけます。そうしたところで車を走らせていると、見かける人たちの圧倒的多数がお年寄りです。
ところで、私は自分のことを、「前期」ならぬ「元気高齢者」だと主張してきましたが、それも卒業できそうな気配がありますね。少し前でしたか、日本老年学会なる団体が高齢者を75歳からにしようと提言しました。「高齢者」の定義はWHOの基準だそうですが、寿命の短い国もあるので、わが国に国際基準を当てはめるのは現実的でない気もします。ただし、この提言には高齢社会で年金支給を遅らせようとする国の路線をバックアップするものだという批判もあり、定義替えがすんなりといくかどうかわかりませんね。
ともあれ、私としては「元気高齢者」を自称できる間は仕事をし続けたいと思っています。ありがたや、ありがたや。 |
奇跡的偶然 2018/03/23 Fri 5722 continued from 3/17
石牟礼道子氏が亡くなったとの情報を見たあと、録音していた法政大学総長田中優子氏の講演を聴きはじめて20分ころだった。私の体に驚きが走った。田中氏の口から突然「石牟礼道子」という名前が発せられたからである。
それはこんな流れだった。田中氏が法政大学で受けた授業の中でとくに影響があった一人が益田勝実氏だったという。益田氏はすでに故人だが、古代文学専攻の国文学者である。それは1970年代のことのようだが、増田氏が授業中に朗読をはじめた。それが石牟礼氏の「苦海浄土」だった。田中氏は熊本天草地方の方言で表現される「言葉の力」に驚き、感銘したと語る。それは「ドキュメントであり、ノンフィクションであり、小説でもある」という。
私は石牟礼氏の作品に触れたことがない。今回取り上げたのは、ばったり出くわした「偶然」をお伝えしたかったらである。先月10日の朝、石牟礼氏の逝去をニュースで知ってから1時間もしないうちに、昨年の10月8日に録音していた放送を聴いたところ、そのなかで石牟礼氏が登場したのだった。私がそれを「奇跡的偶然」と言いたくなった気持ちだけは記しておこうと思った。 |
将来を見据えた孫 2018/03/22 Thu 5721
その昔、老人を息子が「背負いこ」に乗せて山に捨てに行った。そのとき孫も一緒についてきた。いよいよ深い山の中で別れをして、「背負いこ」は後ろめたさもあってか、その場に置いて帰ろうとした。これを見た孫は持って帰ると言い張る。そこで父親が「どうして言うことを聴かないのか」と叱った。これに対して孫は「今度、お父さんが年をとって役に立たなくなったときに自分が背負って来ないといけないじゃないか」と答えた。それを訊いた父親は老人を「背負いこ」に入れて家に連れ帰った…。(静岡県賀茂郡:「三省堂
日本昔話百選」から簡素化)
笑えない話である。いわゆる団塊の世代が高齢者となり、2020年には高齢化率が29.1%になるとの予測がある。われわれは、放っておけば問題になることがわかっていても、それに適切な対応ができない習性をもっている。人間に最も近いチンパンジーは明日のことがわからないから、先のことを心配しないらしい。その点、人間は先天的に心配性の特性を抱えているのである。しかし「心配しても、何もしない」の繰り返しでは、「僕たちよりレベルが低いね」とチンパンジーが笑うでしょうね。 |
早朝夕刊:支持率のデータ(7:28am) 2018/03/21(2) Wed 5720
内閣支持率が急落している。一方、政党支持率は自民36%、立憲9%、公明・共産3%、希望・維新・民主1%(朝日新聞:電話調査)。自民36.2%(39.5)、立憲11.5%(11.1)、希望1.0%(1.6)、公明2.8%(1.4)、民進2.8%(1.4)、共産2.9%(3.7)、維新3.1%(2.6)、自由0.4%(0.6)、社民1.1%(1.3)(共同通信社:電話調査
( )内は3月2日、3日の調査データ)。さてさて、これをどのように読み解きましょうか。
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心の劣化列島 2018/03/21 Wed 5719
SUBARUの車検が終わった。私も前期高齢者となり、3年前に「最後の車」のつもりで新車のLEGACY B4を購入した。ところが出荷前に不正があったことが明らかになり、40万台がリコールとなった。わが家のLEGACYもその対象に含まれていた。ディーラーに問い合わせたところ、最初の車検に合わせてチェックしてもいいとのことだった。
それが済んでからある書類に署名捺印した。しばらくして5万円の為替が送られてくるという。つまりは「点検代金」ということだ。単純計算で40万台×5万円の200億円の負担である。検査がどのくらいのものかわからないが、おそらく「それだけ」を怠ったことで膨大な経費を要することになったしまった。ここで「それだけ」と表現したのは、今回のチェックは「基本的」なことだったと推測するからである。
こうした問題が繰り返されるのを目の当たりにして、私は「基本なのに」ではなく「基本だからこそ守られない」という視点にシフトすべきだと提案した(本コラム
2017/10/18)。またかという慨嘆が止まらない問題事象は、私の確信度を一貫して強化し続けている。極東の小さな島国が「心の劣化列島」と化しては、その存続は危ういというほかはない。 |
早朝夕刊:熊本駅の大混雑(8:59am) 2018/03/20(2) Tue 5718
熊本駅の在来線高架工事が終わり、その下のスペースを使ってショッピング街がオープンした。これまで新幹線から降りると正面に土産店や食事処はあったが、その規模はまことに貧弱だった。今回は3月17日のダイヤ改正に合わせて、従来のスペースを含めて相当に広くなった「肥後よかモン市場」がオープンしたわけだ。店の数は60店というから、ようやくまあまあの規模になった。中井貴惠さんの「読みきかせ」は駅前の「森都心プラザ」だったので、それが終わってからのぞきに行った。私の家内に対する第一声は「こんな人の多い熊本駅は初めてだね。今日だけは博多駅並み?」。 |
部外者に何をたずねられても納得する説明ができる行動をとる 2018/03/20 Tue 5717 continued from 03/12
いわゆる「説明責任」という言葉が使われます。これは英語のaccountabilityで、そのまま「アカウンタビリティ」と言われることもあります。そもそもは〝accouting〟と〝responsibility〟を合成したものです。前者は「会計」、後者は「責任」です。また〝accountable〟は「〈人が〉[人に/行為のことなどで](釈明する)責任がある[to/for]《◆responsibleの強意語》」(ジーニアス英和)ということで、〝responsible〟よりもさらに強い意味をもっているようです。それにしても、英和辞書では()に〈〉、[]、《》そして「/」や「◆」などなど、少ない文字数でたくさんの意味や語法を詰め込もうとする苦心と奮闘ぶりが伝わってきます。私たちも、そうした姿を頭に描きながら辞書や辞典、さらには事典に触れていきたいものです。
ともあれ、〝accoutability〟は、本来は「会計」にかかわる事実をキチンと説明する責任を意味していたようです。ところで、この連載では組織で働く方々から得られた「倫理的行動」に関する自由記述を検討しているわけです。このところ話題になり続けている「あの問題」もこうした精神に欠けていたために起きているのですね。
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早朝夕刊:読みきかせ(6:41am) 2018/03/19(2) Mon 5716
昨日、中井貴恵さんが主宰する「大人と子供のための読みきかせの会」の公演にいった。子供たちに絵本の読みきかせをする活動は全国的にも定着したと言えるだろう。私も小学校の校内研究会などに行くと、図書室などで「読みきかせ」をしているという話題が出ることが多い。中井さんの場合はピアノと大きな手作り「絵本」と合わせた公演である。絵本は「はだかの王さま」と「おかあちゃんがつくったる」の2冊だったが、いずれもすばらしい内容だった。子どものころ、布団の中で父親からも「連載物語(?)」を聴いた記憶がある。おそらく父の「創作」だったと思う。ともあれ大事なことは大人が子どもとふれあうことである。 |
高さんからの手紙(53) 2018/03/19 Mon 5715 continued from yesterday
はじめて組織調査に出かけた1968年11月20日のことは記憶に残っている。ほんの少し前に20歳になっていたが、この日が私の「組織調査デビュー」となった。飯塚までバスで往復した。調査する前の緊張感よりも帰りのバスに乗ったとき、「ちゃんと仕事ができたなあ」と少しばかり自信が湧いたことが思い出される。
とにもかくにも支店長に挨拶し行員を前にして調査をするのだから、相当に背伸びをしていたに違いない。何といっても20歳の若輩者だった。この日からやがて半世紀を迎えることになる。
日記には「九州大学集団力学研究所」と書いているが、調査のチーフは武田忠輔さんだった。当時はリーダーシップとモラール等の設問を含めて124項目の調査冊子を使っていた。これは回収して繰り返し使用することになっており、別の回答シートに「1~5」の数値を記入してもらった。シートの枠のインクが緑だったことも憶えていて懐かしい。
ともあれ、仕事をしている社会人を前にしてアンケート調査をするのだから、相当に緊張したはずである。こうした経験の積み重ねが今に至るまで効果を及ぼし続けている。 |
早朝夕刊:私のコーヒー(9:16am) 2018/03/18(2) Sun 5714
一応、コーヒー好きである。自宅にいるときは、毎朝300ccのコーヒーを飲む。数年前の父の日に家内と娘からもらった大きめのカップでちょうど一杯分になる。コーヒーを淹れるときはフィルターを使う。これまでコーヒーメーカーも試してきたが、最終的にはフィルターに落ち着いた。その理由はきわめて単純で、後片付けが簡単だからである。コーヒーそのものはフィルターに包まれている。陶器製のドリッパーもサーバーも完璧に水洗いできる。それに自分でお湯を注ぎながら2分ほどはゆったりできる。コーヒーが一滴ずつポタポタと落ちていくのを見るのも楽しい。 |
高さんからの手紙(52) 2018/03/18 Sun 5713 continued from 03/11
「高さんの手紙」に私が登場したこともあって、青春時代の日記をめくってみた。その中に1968年11月20日《水》に書いたものがあった。このとき私は大学2年生であるが、すでに専門課程に進学し、「集団力学講座」に所属していた。当時、ほとんどの4年制大学では2年間の教養部を終えてから専門課程に進むことになっていた。そうしたなかで九州大学は1年半で教養部に区切りを付ける方式をとっていた。したがってこのとき私は専門課程の学生だったのである。そうは言ってもまだ11月だから、進学して2ヶ月未満の「ほやほや」状態である。そんなときに私の日記は次のように語る。
九州大学集団力学研究所員として飯塚の□□□□銀行へ調査に行った。社会人を対象にしたこの仕事はなかなか面白いものである。しかし、他の支店へ行った人の結果等も見てみれば、満足した状態で社会生活を送っている人は案外少ないようである。上役との関係はむずかしいものなのである。なかでもひどいのは、上役は冷たく、いなくなってしまった方がよいという意見まで出ていた。上役が一体どんな人なのか、それはわからないけれども、とにかくどうにかしなければ、この支店はうまくやっていくことができないのではないかと思われる。
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Michio twitter(10) 2018/03/17(2) Sat 5712 中国の全国人民代表大会で習近平国家主席が再選されたニュースが流れた。電光掲示板には「賛成2970票」で「反対が『0』」だった。ナンバー2の国家副主席には王岐山氏が選ばれたが、こちらは「反対1票」だったとのこと。またロシアのプーチン大統領は「投票率、得票率」のいずれも70%を目指す」というものもあった。当方では「内閣支持率急落」「ポスト安倍 森友の行方注視」といった見出しが並ぶ。いやはや、何という大違いか |
折々の奇跡あるいは偶然 2018/03/17 Sat 5711
人生も70年近く送っていると、「奇跡じゃないか」と叫びたくなることが起きる。最近では2月10日の朝がそうだった。
いつものようにPCを立ち上げて「味な話の素」をアップした。そのチェックをしようとYahooを見ると、作家の石牟礼道子さんが亡くなったことが報じられていた。私は石牟礼氏の作品を読んだことはない。しかし、彼女が熊本天草の出身で、水俣病について書いた「苦海浄土」はつとに知られている。また、地元紙でも折に触れて取り上げられてきた人である。そうした人が90歳で亡くなったという記事に接して、私なりの感慨があった。
それからいつものようにひげを剃ったり、整髪したりするのだが、その間は録音しているラジオを聴くのが習慣である。この日はNHKの「文化講演会 江戸文化研究の道のり」を聴きはじめた。講演者は法政大学総長の田中優子氏だった。放送日は2017年の10月8日(日)だから、すでに4ヶ月ほど経過していた。その内容は田中氏の子ども時代のエピソードも交えたエッセー風のもので、私は興味深く楽しく「ながら聴き」していた。そして、講演が始まってから20分ころ経過したころである。私の体に驚きが走った。 |
腹を立てなくなる方法(4) 2018/03/16 Fri 5710 continued from yesterday
I・X生氏は大脳の働きを引き合いに出しながらまとめる。
腹を立てているということは、情動に不快がおこり、感情に苦しみが生じていることである。情動は気(大脳辺縁系)に働らき、感情は心(大脳皮質)において作用する。つまり、怒つているということは、気と心が分裂状態にあることだ。心と気がうまく同調することが大切なのだ。それには心の修練が必要である。ローマは一日にしてならず。若者よ、大いに苦しむが良い。あれもせにやならん、これもせねばならぬと気迷うよりも、あれをしてもいい。これをしてもいい。する事がいくらでもあって楽しい。と頭を切りかえる心機を掴むことが大切なのである。
最後は「若者よ、大いに苦しむが良い」とエールを送り、「何でも受け入れて生きていこう」とまとめている。じつは、この4回分は父が所属している組織の広報誌に投稿し、採用されたものである。おそらく1960年代も前半の発刊である。編集部が「おもしろい」と判断したのだろうが、私の評としては「可の〇」というところか。最後は若者を励ましているが、父自身が職場で「腹を立てる」ことが多かったのだと思う。その気持ちの抑制薬がこの投稿だった。I・X生はこれ以外にも「○○する方法」と題して同誌に何度か登場している。編集担当者は「誰だろう」と興味をもちながら掲載したのではないか。そのころ父は40代だった。 |
腹を立てなくなる方法(3) 2018/03/15 Thu 5709 continued from yesterday
I・X生氏は「腹を立てる」のは「防衛反応」だと分析しながら続ける。
(腹を立てることの)問題は苦しいということにある。何故腹を立てると苦しいのであろうか。結局それは、腹を立てまいとしているからである。腹を立てようと思って、思う通りに、腹を立てているのなら苦しいことはないのである。自分の思う通りになることが苦しい筈がない。腹を立てまいと思うのに、腹が立つから苦しいのである。腹を立てたくないのだ。腹を立てたくなければない程、腹が立っているのだ。腹を立てたくて、腹を立てている人が居たら、彼は腹が立っていないのだ。腹が立っているのは、彼が腹を立てたくないからである。
この腹を立てなくなる方法」なる投稿は、ほとんど言葉の遊び状態になっている。また同じことを繰り返して表現がくどくなっている。もっとも、この点で人様のことを言うと、「あんたも同じ」と言われる危険性はあると自覚している。
ともあれ、「腹が立っているのは、彼が腹を立てたくないからである」に至っては実体的な因果関係は無視されている。たしかに「腹を立てている自分に腹が立つ」こともあるにはある。そして、それも「苦しい」ことに違いない。しかし、それは冷静沈着に自分を見つめる力と余裕があるときで、「立腹」の主たる要因ではない。 |
腹を立てなくなる方法(2) 2018/03/15 Thu 5709 continued from yesterday
さて、「I・X生氏」の投稿の続きで「中段」になる。その表現に眉をひそめる箇所があるが、半世紀ほど前に掲載されたものをそのまま読んでみよう。
人に馬鹿にされて腹を立てるのは、大いに結構なことである。腹を立てるから、ファイトも湧くのである。ホルモンも十分に身体をめぐるのだ。腹も立てない野郎は、去勢された豚見たいなものである。ただ問題は、腹を立ててから、その先である。腹を立てると苦しいのである。決して楽しくないのである。腹を立てて楽しがっている人はいない笞だ。もしいたとしたら、それは腹を立てているのではない。不思議なことである。何故腹を立てたら、苦しいのであろうか。腹を立てたら、楽しくなくて悪い法律はない筈だ。腹を立てたら、楽しい気持になってもいい筈だ。腹を立てるのは人間に限ったことではない。犬なども、よく怒って吠えかかって来る。情動という奴である。自己保存の本能である。事実犬は吠えることによつて、身を守ることをしているし、人間も、腹を立てることによって馬鹿にされることを防せごうとしているのだ。
「人間、腹を立ててもいいじゃないか」。そんなことを主張したいのだろうか。ただし、「腹を立てるって苦しいよね」と認めた上で、「犬」も含めてそれが自己防衛的反応だと考えているようだ。「腹を立てたら楽しくなくて悪い法律はない筈だ」はじつにわかりにくい。 |
腹を立てなくなる方法 I・X生 2018/03/14 Wed 5708
いまから半世紀ほど前のものだが、ある組織の部内誌に上記のタイトルが付いた投稿があった。執筆者は「I・X生」と表記されているが、その内容は以下のようなものである。
あれもせにやならん。これもせねばならない。仕事におわれて、気になって、後ろ髮を引かれたような気持ちで、心が落ちつかず、夜もおちおち眠れず、聊か神経衰弱気味で、ノイローゼ的現象を呈している人が案外多いのではあるまいか。所謂、セリー博士のストレス症状という奴である。元来ス卜レスというのは、防衛本能からおこるもので、外的変化に対し、適応するために、副腎からホルモンが分泌されることで、大いに結構なことであるが、その刺激が、あまり強く、永く繰り返される時に、ホルモンの欠亡(ママ)がおこり、いろいろの障害がおこり、あらゆる病気がここから起って来るのである。
全体で空白を除いて893文字のものだが、ここまでが前段である。タイトルの「腹を立てなくなる方法」には興味をそそられるが、個々の文章がやや長すぎて、「ダラダラ感」は否定できない。これは原稿用紙に書いて投稿していた時代のものなのだが、編集者は「そのまま」受け入れたようだが、少しは手を入れるくらいのことをしてもよかったと思う。:
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〝ECO〟を目指して 2018/03/13 Tue 5707
〝ECO : For the Environment, for the Customers and for our or my Own life 〟この英語、通じますかね。私としては〝ECO〟に引っかけながら「私たちは、『環境のために』『お客様のために』そして『自分自身のために』仕事をしましょう」という呼びかけの新作フレーズを創ったつもりでございます。ここで「ために」を「やさしい」に替えてもいいでしょう。
ここでとりわけ強調したいのが第3番目の〝For our Own life〟の重要性です。仕事と言えば、「環境」を大事にすること、そして「お客様第一」に徹することが叫ばれます。それはそれでけっこうなのですが、そのことが働く者の気持ちを無視して成り立つようではモチベーションが低下するのは当然です。それはサービスや製品の品質に悪い影響を及ぼすに違いありません。
このごろは、そうしたプレッシャーが厳しさを増し、それがコンプライアンスに関わる重大な問題を引き起こしていることが懸念されます。いまや日本製品の信頼性すら危うくなっているではありませんか。この人生、〝For
my own life〟をしっかり実感しながら過ごしていかなければ意味がないと思うのですが、いかがでしょうか。 |
集団の常識と所属意識 2018/03/12 Mon 5706 continued from 03/05
組織の健全な活動にとって、望ましい「集団の常識=規範」を創りあげ、それを維持していくことは必須の要件です。そのためには、すべての構成員たちが働く集団に対して強い「所属意識」をもっていることが欠かせません。そもそも自分の集団に魅力を感じていなければ、どんなにすばらしい「常識」であっても、それにしたがう気持ちなど生まれるはずがありません。さらに「この集団にいつまでもいたい」となれば、それが態度や行動に与える影響力は強烈なものになります。
そこで大事になるのが集団のリーダーシップだと言えるでしょう。もっとも、それよりも前に「集団の目的」を挙げるべきだという意見があるかもしれません。そもそも魅力ある活動をしているからこそ、その集団に加わるのだとも言えるからです。リーダーシップの力は所属した後のことなのです。
ただし、人生はそれほど単純ではありませんね。とにもかくにも生きていくために必要だからという理由で集団に参加することも多いのではないでしょうか。そうした場合、集団の目的は二の次ということにもなります。 |
高さんからの手紙(51) 2018/03/11 Sun 5705 continued from 03/04
集団力学研究所が九州の範囲を超えて活動しはじめた。その結果として九州生産性本部から独立することになった。移転先は川端電停前にあった西日本相互銀行博多支店の2階である。現在この地には「博多座」がある。そもそもは戦前からの建物だが、戦争末期1945年6月19日の米軍による空襲によってビル内でも多数の犠牲者が出た。とりわけ地下の状況は筆舌に尽くせぬ惨状だったという。私が出入りしていたころは焼却施設があったが、毎年この時期に慰霊祭が行われていた。前置きが長くなったが、「高さんの手紙」には移転にまつわる情報が記されている。
西銀博多ビルへの移動は井原氏のご尽力によるものです。その後会長に就任された大村武彦氏(当時多分副社長)の協力もあり家賃は只だったと思います。振り返ってみますと当時も会員企業の方々がよってたかって研究所を育てて下さったという感じでした。有難い話です。その後のことは貴兄らが研究所に来られましたから大体ご存知の通りです。
ここに至って、「高さんからの手紙」に私も登場した。 |
私の読書時代 2018/03/10 Sat 5704
1968年10月2日水曜:東君が遊び来たので一緒に本を買いに行った。今日は「古代の情熱」と「貧乏物語」を買った。「古代の情熱」を買った理由は簡単である。「パンセ」の中でパスカルはこう語る。「ホメロスの中に出てくるトロヤ等はまったくの夢に過ぎない。それは彼が実際にその場に居たわけではなく、まさに伝説に過ぎないからである。それに対してキリスト教聖書はその神の時代に書かれたのである」。しかし、ホメロスのトロヤの遺跡はシュリーマンによって発見されたのである。私はそのことだけで、「古代への情熱」を読む情熱がわいたのであった。「パンセ」も1日100頁のスピードで大変調子よく行っている。とにかくいい。
10月6日日曜:「貧乏物語」を読み終えた。最近はスピードが増して、なかなか調子よく本を読みこなしている。
私の日記から抜粋した。東国光君は大学入学後に知った友人である。「貧乏物語」は河上肇の著書で岩波文庫で読んだ。日記に作者を書いていないのは、自分が知っており、人に伝えることはないからである。それにしても、「パンセ」と同時並行で「貧乏物語」を4日程度で読んだことになる。このとき私は大学2年生、まだ19歳だった。まさに青春時代の真っ只中、読書の時間とエネルギーに満ちあふれている。かなり背伸びしながらではあるけれど。ついでに、10月2日は「今日、西原さんの英語がAだったことにより、教養部卒業が確定した」で終わっている。「西原さん」は英語の教師である。最後は蛇足的自慢話でした、はい。 |
あれも、これそ、そして… 2018/03/09 Fri 5703 continued from 03/03
さて、「ド演歌好き」と「ながら族」が掛け算をして、ネットでサックスによる「ド演歌」を楽しむことに相成ったわけである。これがとにかくたまらない。仕事の効率も格段に上がる(ような気がする?)」。そのうち、ギター演奏も追加される。ギター演歌と言えば古賀政男抜きには語られない。これまた目頭が熱くなるようなメロディーにあふれている。その中には「親父が歌っていたなあ」と父のイメージまで浮かぶものもある。
こうして私は「ド演歌ながら族」といて生きていくことを決意したのであった。いまのとろサックスとギター、それにドラムの効いたものが大半を占めている。しかし、「じっとしておられない」「多感な」元気高齢者は知っている。まだ先に進むであろうことを…。
それは「三味線」であり、「琴」、さらに「大正琴」へと展開していくに違いない。いやまてよ、「和太鼓」もドラムに負けるわけにはいかない。そうそう「尺八」なんぞも背筋がぞっとするような「枯れもの」はないか。
あー、いけません。これだけでも、十二分に楽しむには、私に残された人生の時間を目一杯使っても足りなくなるだろう。しかし、それはそれで愉快な話である。旅立ちのときまで「ド演歌」を「ながら聴き」するのもまたオモロイではないか。 |
岩を砕く 2018/03/08 Thu 5702 continued from yesterday
岩を砕いてトンネルを掘るのは大工事にちがいない。トンネルは両サイドから掘り進んでいくのが一般的なようだ。それが真ん中あたりで出会うのだからすごい技術である。ところで、そんな知恵がないとき、一方からだけ勢いよく水を叩きつけながらトンネルを掘り進むことをイメージしてみた。水で穿つことができる場所を試行錯誤的に発見し、そこからさらに前進していくという状況である。
これはトンネルの掘削というより人の生き方として考えるとよいかもしれない。ともあれ、水が跳ね返されたらそこは無理をしない。もちろん、それで諦めることはしない。しっかり放水を続けながら前進できるところを探し続けるのである。そうすれば、自分が進むべき道は必ず見えてくる。私はそうした生き方をしてきたのかもしれない。つまりは無理をしないのである。
「なんという軟弱な発想か」と笑う人もいるだろう。人生は困難に立ち向かってこそ意味がある。強固な岩盤すらも打ち砕くまで水をぶっつけ続けるべきだという主張である。私は、それもすばらしい生き方だと思う。
さて、皆さんにはどちらの方がお好みでしょうか。まあ、ケースバイケースだとは思いますけれど…。 |
今月のもう1枚 2018/03/07 Wed 5701 continued from yesterday
今月の表紙のもう1枚は日の出どきの東の空である。写真の上半分は暗雲に見えるが、私がシャッターを切る気持ちになったのは、その下に浮ぶ雲のすばらしさに感動したからである。朝日に映えて黄金色で荘厳な輝きを放っている。その空気に圧倒されて合掌したくなった。
写真の下部にはビルやアンテナが写っているが、遠くになだらかな山脈が見える。これは阿蘇の雄大なる外輪山の南側部分で、その向こうは高森あたりになる。そこは「田楽の里」としてで知られる。ノコギリの刃のような厳しい形をしている根子岳を眺めながら田楽を味わうのは楽しい。
ところで、太古の人々は黄金色に輝く雲をどんな気持ちで観ていたのだろう。この21世紀に生きる私ですら、その美しさと荘厳さに感動するのである。地域のみんなが息をのみ、神々しさに恐れおののいていたか、それとも歓喜に満ちて飛び上がっていたか、それはわからない。私は雲のウォッチングが好きだ。雲はわざわざ観察に行くこともない。いつもちょっとだけ空を見上げれば、多くの場合、そこに雲がいる。それはいつも機嫌がよいとは限らない。ときには不気味な「暗雲」が不安をかき立てる。雲にも喜怒哀楽があるに違いない。 |
今月の写真 2018/03/06 Tue 5700
今月の1枚は花開いた、いやじつは撮影時を少しばかり逸した「蘭(デンドロビューム シースカイ 紅小町)」のアップである。これは2014年3月21日、私の「退職記念講演会」の際にいただいた。すでに4年が経過しようとしているが、家内がしっかり育ててくれた。もう2鉢も元気に過ごしている。
この時期が来ると、「ああ、もう〇年前のことかあ…」と、当日のことを思い出す。会場の「熊本県民交流館パレア」のホールにたくさんの方が来てくださった。まさに「光陰矢のごとし」、すでに「懐かしい」領域に入ってきた。
ところで、講演会の様子を学生がビデオに撮ってくれていたのだが、それをユーチューブにアップしてはどうかと言われる方がいらっしゃった。そんなわけで、現在「どうするかなあ」と思案中である。そのときの演題は「私のワクワク人生 これまで、今、そしてこれから ー
グループ・ダイナミックスの旅人として - 」である。タイトルから推測できるように、私なりに自分の「人生」を振り返ることにした。そこで、仕事としての「講演」では触れることのないトピックスを取り上げていった。その意味では「当日1回限り」と言える内容のものになった。 |
心のガン 2018/03/05 Mon 5699 continued from 02/26
組織の中で働く場合も「自分に正直であること」はとても大事です。そして、その「正直さ」は個々人が所属する社会、組織そして集団が醸成してきた「規範」「価値」によって影響されるのです。つまりは「自分を取り囲む『文化』」が個々人の行動を規定するわけです。
私の基盤である「グループ・ダイナミックス」に「集団規範」と呼ばれるものがあります。一般的には「集団構成員が共有している常識」と言えるでしょう。これがメンバーの行動に影響を及ぼします。
ただし、その方向は望ましいものだけではありません。「集団規範」には、組織を内部から崩壊させる「心のガン細胞」というべきものも含まれます。これは増殖のスピードがとくに速く、人の心にあっという間に浸潤していきます。しかも、かなりの程度まで進行するまでその存在に気づかないことが多いのです。それだけ「心のガン」の影響は重大かつ深刻なのです。
つまりは、「気が付いたら手が着けられない」状態で、後は崩壊を待つだけになります。そんな場合でも、後になって考えると、あれやこれやの「兆候」が顔を覗かせていたことに思い当たるのです。そうした事態に陥らないためには「日常の自己チェック」が欠かせません。 |
高さんからの手紙(50) 2018/03/04 Sun 5698 continued from 02/25
集団力学研究所が天神の長期信用銀行ビルにあったころの思い出に「ゴールデンセミナー」がある。そのタイトル通り、三隅先生主催で「ゴールデンウィーク」に「勉強会」をするのである。博多の町が「どんたく」のお祭りで大賑わいの真っ最中に「お勉強会」というのだから、全員が「大喜び(?)」で参加した。西鉄の花電車が通るときは、みんながビルの窓側に走り寄って眺めた。ともあれ、私は「長銀ビル」の集団力学研究所でデビューしたのだった。
それからしばらくして、研究所は川端町に移転した。私もすでに引越の手伝いをするくらいのメンバーになっていた。高さんの手紙にその間の経緯が書かれている。
昭和46年(1971年 吉田註)に研究所は生産性本部から独立して西銀博多ビルに移りますが、これは九州生産生本部が通産省管轄の財団であり原則として活動のエリアが九州地区内に限定されるという事情がありました。その頃すでにPMサーベイは全国に拡大していましたし、45年(1970年)には富士吉田市の日経連人材育成センターで研究所主催の第1回目のSDセミナーも開催されていましたから既に九州生産性本部の枠内では活動しにくくなっていた訳です。
こうして集団力学研究所が独り立ちすることになった。 |
サックスからドラムへ 2018/03/03 Sat 5697 continued from yesterday
「ド演歌」好きの私にとってすばらしいのがネットである。自分が子どものころから口ずさんだ「ド演歌」を簡単に聴くことができる。演歌はメロディーもさることながら、すばらしい「歌詞」が叙情の世界に連れて行ってくれる。じつを言うと、素人の私にとって「メロディー」はどれもこれもほとんど同じように思える。ともあれ、「歌詞」がやたら情緒的だという「大欠点」をもっているが故に、「ながら」にはきわめて不適切である。したがって、「どうでもいい(?)」ことをしているときは同時並行的に聴いていた。
ところが、つい先だって「サックス」のBGMを試してみた途端に、「これだっ!」と飛び上がった。私は20代のころから歌謡曲のバックに流れるサキソフォーンの低い音にしびれていた。とりわけ石原裕次郎の歌やムード歌謡では、何とも言えない魅力に鳥肌が立った。それが高じて、自分でサックスを吹いてみたいなあと思ったりもした。後々にクリントン大統領がサックスを披露しているのを見て「やられたなあ」と小声で叫んだものだ。彼は私よりも2歳上の同世代である。
ところで現在は、時間ができたらトライしたいと思っているのがドラムである。サックスは肺活量の問題があり、とても無理だ。これに対してドラムは超最低ランクで満足だから。まだ「叩ける」気がする。ただし、「泳ぎ続けないと生きていけない」自称マグロの私だから、いまのところ「叩くひま」もない…。 |
「ながら族」 2018/03/02 Fri 5696
昔から「ながら族」の気がある。自宅でも仕事は四六時中している。何分にも「裁量労働制」の身である。わざわざ計測などしないが、机についている時間は相当なものになる。ただし、「仕事は趣味」などと、誤解されるような言い回しを能天気にしている私である。大半はPCに向かっているが、自宅では消音状態でテレビを点けていることもある。もちろん「いつもではない」ので念のため。
ところで、私は「ド演歌」大好き人間だ。その根源は子ども時代にある。そのころのテレビは大金持ちの専有物で一家の娯楽はラジオが背負っていた。ラジオは全盛期にあった。そして、父は日曜日になると朝からずっとラジオを点けっぱなしで聴いていた。そのなかに、いまなら「ベストテン」と言える番組があったが、そこで取り上げられるのは歌謡曲であった。それをBGMのように聴かされ(?)続けたのである。もっとも、私が高校に入るころには洋楽の「ヒットチャート」のような番組もあって、それを楽しみはじめた。何とも騒がしいビートルズなるグループが登場したのもそのころである。
それはそうとして、小学生にころから耳に焼き付いた歌謡曲はその後も聴き続けた。そんなことから、懐かしの歌が耳に入ってくるといまでも鳥肌が立ってくる。そのメロディーと歌詞につい目頭が熱くなるのを押さえられなくなったりする。 |
「はひふへほ」 2018/03/01 Thu 5695
ある待合室での話。いまどき、ほとんどの人間が「スマホ」なるものに集中している。私は公称「携帯をもたない」ことになっている。とにかくいつでもどこでも捕まるのがいやなのである。いろいろな待合室における私の基本パターンはヘッドフォンを付けてレコーダーを聞いている。その大部分がラジオ放送を録音したものである。
さて、それは措くとして、そのときある人の携帯に電話がかかってきた。ご当人は中座するでもなく相手との会話を始めた。単純にマナー違反である。そう思いながらも、声は耳に入ってくる。「はひふへほ」だった。
「はい、はい」「ふん、ふん」「ふーん」「へーっ」「ほうーっ」。このときはご本人の年齢のせいもあってか「ひゃーっ」はなかった。ともあれ、この「はひふへほ」の対応を聞いていて「ふと」思った。この人は相手との会話にそれほど関心がなさそうだなあっと。それを物語るように、空いている右手の方が洋服や身近にあるものを無意味に触ったりしている。そして、かなりの時間が経過した後に電話を切ったとき、「ほっ」とした表情に充ち満ちていた。
皆さま、電話でお話するときは、相手の「はひふへほ」には気をつけましょう。 |
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