お月さんの「裏表」ぶり 2016/03/31 Thu 4910
「お月さん」は地球の周りを27日7時間43.193分で回っている衛星です。そして、自転周期も公転周期と同じ27日7時間43.193分なのです。その理由は科学的に説明できるのでしょうが、素人には摩訶不思議な「事実」です。「やっぱり神様はいるに違いない」と思いたくなりそうではございませんか。その結果、地球を1周する間に自分もきっちり1回転するので、私たちには「こちらの顔」しか見えないのです。ただし、正確には裏側の18%は「見える」のだそうです。
ともあれ、その「裏の顔」を地球上の生き物が初めて観たのは、1959年のことです。それは当時のソビエト連邦が打ち上げた月探査機「ルナ3号」によるものでした。その結果、「お月さん」はかなり「裏表」のある衛星であることが判明しました。たとえば、表は海が30%あるのに、裏は2%に過ぎません。また、月で最も高い地点は10,075m、最も低い地点は-9,060mだそうですが、この両方が「裏側」にあるのです。こうした数値は、それを見ているだけでも楽しくなります。地球で最も高いのはエベレストの8,848mですが、月にはこれより高い山があるということです。そうそう、先日、映画「エベレスト 神々の山嶺」を観にいきましたが、こちらの話は、また別の機会に譲ることにします。
地球でも最も深いところはマリアナ海溝で、10,911mとなっています。こちらは月よりも地球の方が深いのです。わが日本海溝は最深8,020mです。これもかなり深いのですが、この海溝に添って大きな地震が引き起こされるのです。いつの間にか、月から地球の話になってしまいました。そう言えば、「今月さん」とも今日でお別れですね。また新年度もよろしくお願いいたします。 |
太陽とお月さん 2016/03/30 Wed 4909
さて、このところ「時間」の話をしてきましたが、これは導入でございました。本当のところは、「月」の話題を取り上げたいと思ったのでした。
「お月さん」って、私たちのお友達ですよね。太陽は「お母さん」、それとも「お父さん」でしょうか。平塚らいてうの「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった」は教科書にも出てくる一文ですから、太陽は「女性」ということでしょうか。そうであれば、少なくとも太古では、太陽は「お母さん」だったわけです。
ただし、フランス語の〝le soleil〟は男性名詞です。そして、月である〝la lune〟が女性名詞になっています。もっとも、平塚らいてうは、前文に続けて「今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のやうな青白い顔の月である」と、女性の状況を嘆いています。
太陽は力強く、私たちにとってなくてはならないものです。と言うよりも、太陽がすべての生き物を創造したらしいのです。しかし、その太陽は強烈すぎて、目で見ることができません。まあ、フツーの人間の手が届かない「カリスマ」みたいなものです。それと比べれば「お月さん」はいつも穏やかで、しっかり見ることができます。ときには晴れわたった青空に、白い「お月さん」が浮いています。それはちょっとばかり遠慮しながらも、存在を示しているいる。そんな控えめな姿がじつにいいですよね。
太陽が「父親」なのか「母親」なのかは知りませんが、「お月さん」が地球の「弟」か「妹」であることは間違いありません。私には、「弟」と「妹」の二役を演じているように思えます。 |
〝 Homo Tempus〟:〝Home In posterum〟 2016/03/29 Tue 4908
人間が他の動物と決定的に違うのは、「未来展望」だそうです。もっと簡単に言えば「明日」があるかどうかなんですね。チンパンジーは人間に最も近い動物ですが、病気をしても、「これからどうなるか」などと心配することはないそうです。もちろん、動物も失敗体験から学ぶことはできそうですから、「過去の時間」はもっているのでしょう。これから先のことを考えたり、予測したりできる。それこそが人間がもっているすばらしい力なのです。そして、未来に夢を描き、そのためには「いまは我慢する」こともできるのです。ただし、それが故に心配や不安が生まれるのも事実です。それが高じて自ら命を絶つことも、また人間の特性といえるでしょう。
このように人間は「時間」なしでは生きていけないのです。そこで「時間」はラテン語で〝Tempus〟ですから、学会の習慣に倣って「人間」を〝 Homo Tempus〟と呼ぶことにしましょう。さらに「未来に生きる」ということで〝Home In posterum〟もありでしょう。これで、私の命名になる〝Homo〟は「勝手な」〝Homo ambisiosus〟(1月31日本欄)につづいて3個目になります。〝Homo ambisiosus〟 は「身勝手な」人間そのものですから、マイナスイメージをもっています。しかし、本日の2つは「時間」と「未来」を念頭に生きる人間をプラスのイメージで表現したことになります。せっかくですから「前」を向いて、それも可能な限り「プラス」の視点で人生を創っていきたいものです。私なんぞは、これまでも能天気に人生を送ってきましたから、「甘ちゃん」ではあるのですが…。 |
人間と時間 2016/03/28 Mon 4907
あっという間に「今年度」も終わりを告げようとしています。本日を入れて残りは4日間です。おそらく「来年度」までは生きながらえることができるでしょう。毎年更改のプロ野球選手と同じですが、来年度も「熊本大学シニア(老人)教授」として仕事を継続させていただきます。もちろん、給与はプロ野球選手と同じではございませんので、念のため申し添えます。
さて、「年月」は人間の約束事です。宇宙にとって、「今日が2016年3月28日」なんて意味はありません。つまりは人間が地球上で生きていくために、とくに社会の中でお互いに影響し合いながら一緒に生活するために「時間」が必要になったのです。それがだんだんと高じて「〆切」までに仕上げないととんでもないことになる。そんな時間に追われるところまで来てしまいました。そして「納期が遅れれば契約解除」と言われる。その仕事がなくなればとてもまずいことになる。そんな切羽詰まったときに、エネルギーを溜めに溜め込んだ「心の悪魔」が蠢き始めます。それは体が弱ったときに体表に出現するヘルペスのようなものです。そして「ついつい、『してはいけない』こと」をしてしまう。そんなことから、様々な不正行為や事件が生まれてくるのです。もちろん、はじめから意図的にインチキをする犯罪者もいます。こうした人は「時間に追われて」ではなく、「仕事として」悪意に満ちた行動を取るのですから、ここでは論外とします。
ともあれ、私たちには「時間」があって、それが悲劇も喜劇も、また崇高な物語も創りあげるのです。 |
早朝夕刊(am7:00)裏切り行為 2016/03/27(2) Sun 4906
このところ、あの方のことが話題になっていますね。そうです「五体不満足」の著者として日本国中に感動を与えたあの方です。その本が出たときには私もすぐに書籍を購入して読みました。その後も教師になるなど「すばらしいモデル」として多くの人に勇気を与えてきたはずです。その彼が選挙に出るらしいというネット情報を見たときには、「うーん」という気がしました。まあ、しかしそれは個人の判断ですから、「まあ、そんなもんか」程度のことでした。
ところが、このごろ「とんでもない事実」が暴露(?)されてしまいました。まさに週刊誌ネタです。ダミーの男性まで準備(?)して、不倫旅行に出かけていたというのです。しかもお相手は複数というのですから、開いた口が塞がりません。子どもさんは3人だそうですが、一体全体この人は何を考えているのでしょうね。あまりにもひどすぎて論評にも値しません。とりわけ「勇気づけられた方々への裏切り行為」は、今後どんなことをしても償うことはできません。世の中には信じられない人がいるものですね。 |
目の当たりの著名人 2016/03/27 Sun 4905
私が大学1年生になった時点で、世の中で知られている人を目の当たりにしたのは向坂逸郎氏が二人目だったと思う。ただし、向坂氏が「世の中に広く知られていた」というのは、私の主観的な基準である。それまでも、平和台球場に西鉄ライオンズの試合を何度か観にいっていた。このときは、あの稲尾和久投手をはじめ、中西・高倉・豊田、そして後の名監督仰木選手たちもいた。さらに対戦相手の野村克也選手や、ものすごいスピードで投げるスタンカ投手なども見たことはあった。しかし、何と言っても場所が球場だから選手たちを遠くから眺めるだけで、「目の当たり」というわけにはいかなかった。
私が見た最初の人物は三船敏郎である。それは高校生のときで、福岡の中州にあった玉屋デパートの屋上でサインをもらった。その経緯についてあまり記憶にないが、時期的には「赤ひげ」のキャンペーンだったと思う。私は、高校生になるころには、かの黒澤明監督の「羅生門」や「七人の侍」などがあることを知るようになっていた。もっとも、それは「昔の映画」だったから、実際には観たことはなかった。それから数年後、大学生のとき、福岡の西新にあった映画館で「黒澤週間」が開催され、そのとき一気に「過去の話題作」を観ることになる。
ともあれ、このときは玉屋の「屋上」で、三船敏郎から直接色紙にサインしてもらった。つまりは「目の当たり」に「世に知られた人を見た」のだった。その点、向坂氏は大学の学生会館での講演だったから、少しばかり距離はあった。しかし、座席は1列目か2列目だったと思う。 |
小学生との対話 2016/03/26 Sat 4904
先日、あるところで小学生と話をした。たまたま会ったその子は三年生だという。私の孫で一番上も三年生だから身近に感じて、ちょっとだけ話をした。まずは「お家はどこ?」と個人情報を聞いてしまった。それに気軽に答えてくれたが、学校まではそこそこの距離がある。そこで「どうやって通ってるの?」と尋ねた。「うん、電車で。朝7時ころの電車」「エーッ、えらく早いね」「うん、でもお姉ちゃんは、6時40分だよ」「うわーっ、もっと早いんだあ。それで朝ごはんちゃんと食べてんの?」。なぜか、この答えは記憶していない。会話は続いていく。「お姉ちゃんは、3時ごろまで眠れないって言ってる」「エーッ、そりゃあ大変じゃないの。体に悪いじゃん」「うん、だからお父さんに怒られてる」…。
まあ、小学校三年生くらいだと、家庭の事情についてもよく話すものである。大人の方が気を遣わないとまずいなあと思ってしまった。そこまで聞く気はなかったのだから。
ところで、私が「おじさんにも三年生の孫がいるんだ」と言うと「へーっ、そうなの」と返してくる。「そうさ、私だっておじいちゃんで、もう67歳になるのよ」。これを聴いた途端に「えーっ、びっくりした」と驚いた様子を見せる。そこで私が「どうして?」と追いかける。すると、「もっと若いと思ってた」と「ゴマを擦って(?)」きた。「そんじゃあ、いくつに見える?」「うーん、51歳」。
わざわざ「1歳」をくっつけるところが、何とも素晴らしいセンスの持ち主であることよ。ほんの5分ほどの楽しい会話だった。 |
非製造業の生産性 2016/03/25 Fri 4903
わが国の製造業における生産性は問題ないようだが、非製造業の生産性は低いのだそうな。私の父は公務員だったが、「『三ズ』の精神が問題だ」などと言っていた。ここで三つの「ズ」とは、「休まズ」「遅れズ」「仕事せズ」のことである。父の話は私が子どものころに聞いたことだから、今日の実情がそうだと言うつもりはない。ただ、これが事実の一面を反映していたとすれば、「生産性」は低いに決まっている。
またいつのころだったか、「五時から男」なんて言葉が流行ったこともある。昼間は元気がないが終業後は大いに張り切る人を皮肉ったわけだ。これは、仕事では覇気がないが、「飲み会」などでは元気になるという意味もあったのだろう。しかし、それプラス「残業代が付く」ことを目当てに昼間は手を抜くという、きわめてせこい行動を取る人間たちに対する呼称でもあった。これまた「生産性」を引き下げることは言うまでもない。しかし、いまではどんなに時間があっても足りないほどの仕事に押しつぶされている人がたくさんいる。それでも「生産性」が低いとなると、仕事の見直しをするほかはない。
そもそも私は「生産性」がどんな基準で測定されているのかを知らない。先日、NHKのニュースで老舗の旅館の「生産性活動(?)」を紹介していた。まずは「宿泊客に履き物を靴箱にいれてもらう」ことにした。また、布団も客が敷くのだそうな。それらに要していた時間をほかのサービスに回したという。しかし、「日常性」とは違った体験をすることを期待している客はいないのか。布団を敷くのをしんどいと思う高齢者はいないのか。そうした客は別のところへ行けばいいと言えばそれでおしまいだが、そもそもサービスって何なんだろう。非製造業の「生産性」の測り方を知りたくなった。単なる「国際基準」ではないんでしょうね。
|
向坂逸郎 2016/03/24 Thu 4902
向坂逸郎氏の講演を聴いた。岩波の「資本論」を翻訳した人物だから、日本を代表するマルクス主義者だと言える。彼の手にかかれば、「資本家は泥棒」であった。社会主義は確かに注目に値するものである。しかし、どう考えても私には少し遠いことのような感じしかしない。及ばずながら「資本論」でも読んでみようか。向坂氏は79歳の老体であるにもかかわらず、その語調ははっきりしていて一つのことにすべてを捧げた人らしい誇りがあった。2時間以上の講演というのも、本当に私にとっては初めての経験であった。勉強をしなければならないことを又痛切に感じた今日であった。
1967年12月2日(土)、私は日記にこう書いた。
それは私が大学1年生のときであり、12月となればすでに19歳になっていた。じつは、向坂逸郎氏の講演を大学に入学して間もないころ聞いたことをはっきり覚えている。ただ、その時期は5月ころだったと思っていた。しかし、その時期あたりを日記で探しても見つからなかった。そこで、「書かなかった」のかという思いで日記を閉じた。それからそこそこの時間が経過した。私には、自分がこの「大イベント」を日記に記録していないとはどうしても思えなかった。そこで、大学入学後であることははっきりしているから、それ以降の日付を追いかけた。すると、ついに「向坂逸郎」という名前を見つけたのだった。そして、上記のように、「それなりの感想」を書いていた。
昨日からはじめたこの「物語」は、けっこう長くなりそうです。それは「流れに抗せず」という、私の生き様ときわめて強い関わりがあるからです。もちろん「連続」は避けて、「ときどき連載シリーズ」にします。ここでは、向坂逸郎氏には「流れに抗して」というタイトルの著書があることだけを再確認しておきましょう。
|
日本社会党 2016/03/23 Wed 4902
前世紀末の1994年に村山内閣が成立し、日本社会党は半世紀ぶりに与党になった。しかし、翌年1995年の第17回参議院選挙では16議席と大敗した。こうした流れの中で、1996年1月には村山内閣は総辞職する。その直後に「日本社会党」は「社会民主党」に「改称」した。したがって「日本社会党」は消滅したのではなく、「名前を変えた」ということである。ただ、大方の人は「消滅した」と思っているのではないだろうか。こうして村山富市氏は「日本社会党」最後の党首となった。そして改称後は初代党首を務め、その後、土井たか子氏、福島瑞穂氏と続き、又市征治一氏代行を経て、現在の吉田忠智氏で党首は5代目である。党勢は衆議院で2議席、参議院3名で、昔日の面影もない。
ともあれ、向坂逸郎氏は日本社会党の社会主義協会と呼ばれるグループの理論的支柱として大きな力を持ち続けた人である。彼自身が大牟田の出身ということもあってか、三池炭鉱で「資本論」を講義するなど、労働者への教育を試みた。これは「向坂教室」と呼ばれたが、その後の労働運動に大きな影響を与えた。向坂氏は、三池炭鉱を社会主義革命の拠点にすることを考えていたのである。
向坂氏は、彼の著作や発言をもとにする限り、最後まで「社会主義革命」が起きることを信じていた。その彼が亡くなったのは1985年1月、享年87歳だった。私は新聞で向坂氏が亡くなったことを知った。それから4年ほど経過した1989年11月10日、ベルリンの壁が崩壊した。その後に世界で起きた大きな流れは、私が説明するまでもない。そのころ、私はふと向坂氏のことが頭に浮かび、「いいときに亡くなったなあ」と思った。向坂氏はこの現実を受け入れることは出来なかったに違いない。 |
流れに抗せず 2016/03/22 Tue 4901
私は「流れに坑せず」を基本的な行動指針として人生を送ってきた。つまりは「流れるままに」ということである。さらに言い換えれば「Yes man」に徹するのである。ここで「流れに抗せず」と表現したのにはちょっとした理由がある。
それは向坂逸郎という人の「流れに抗して」という書名からヒントを得たからだ。まあ、「パロディー」と言えば、そうなのだ。向坂氏は元九州大学教授でマルクス主義者として知られていた。かつては野党第一党として自由民主党と対峙(?)した日本社会党左派の理論的支柱でもあった。
日本社会党は敗戦間もない1947年に比較第一党になり、民主党・国民協同党と連立を組んで片山内閣が成立した。しかし、党内の対立などから、翌年の1948年には早くも崩壊してしまった。その後、1958年の第28回衆議院議員総選挙で166議席を獲得したのが最高である。このとき日本共産党が1名、諸派1名、無所属12名だから、「野党は社会党」という状況だった。ただし、与党の自由民主党は287議席である。したがって「与野党伯仲」「二大政党」といった雰囲気はまったくなかった。それからも「浮き沈み」を続けたが、1994年には自民党・新党さきがけと連立政権を組むという驚天動地の「超裏技(?)」で村山政権が誕生した。村山富市首相は日米安保条約や原発を肯定し、自衛隊も合憲とした。当時の資料まで確認していないが、それにはそれなりの条件を付けたとは思う。しかし、それにしても、過去の党是の180度転換である。現実の政治とはこんなものだ。そして、このとき社会党の衰退は決定的なものになった。私はそのころ、「村山政権樹立」は社会党を消滅させようとする陰謀ではないかと疑った。しかし、事実は「陰謀」などではなく、単なる「結果論」に過ぎないのだろう。
|
人生の約束 2016/03/21 Mon 4900
今年になって観た3本目の映画は「人生の約束」でした。予告編で興味が湧いたのです。その一つは富山の山並みです。私はこの数年、仕事で北陸に出かけてきました。そのときに、遠く日本アルプスの見事な光景に感動したのです。やはり知っている映像が取り上げられていると、内容もさることながらシネコンに出かけてしまいます。
映画そのものも楽しめました。出演者の中にビートたけしがいました。主人公を逮捕する刑事役ですが、時間にして数分の出演でしたが、ストーリーの中でアクセントを付けているなあと感じました。もう一人の出演者である西田敏行は私より一つ上ですが「自分たちに先はない」といった意味合いのセリフを語っていました。そうなんですねえ、私も、それほど先はないんですわ。
この映画の主人公は、IT企業を立ち上げて飛ぶ鳥を落とす勢いだったのですが、途中で躓いてしまいます。人生、とにかく勝つことが最優先、そのためには何だってするといった発想はまずいですよね。ともあれ、映画ではその主人公が、過去に共同経営者だった正義感の強い友人を追放していたのでした。その友人が急死し、弔問に出かける辺りから物語がはじまるわけです。過去の経緯から、最初は郷里の人間たちにから拒否されるのですが、次第に気持ちが通じ合い、最後は伝統の祭りに情熱を注いでめでたし、めでたしということでした。ストーリーとしては「よくある物語」ですね。ただ、最初に言いましたが、私としてはきれいで見事な立山連峰がスクリーンに映っただけでも、それなりに満足したのでした。 |
やっぱり「金持ちが得をする」 2016/03/20 Sun 4899
これは「案の定」と言うべきでしょう。あるいは「やっぱりね」でしょうか。熊本県のある市で発行したプレミアム商品券ですが、これを代理で購入した人の割合が全体の75%にもなったそうです。もともとは1人で最高10万円分しか買えないことになっていました。その割引率は20%です。マイナス金利が騒がれる前だとはいえ、「20%」はゴッツいですよね。ところが、これを複数の代理人が購入するケースがけっこうあったのです。そして、1回で100万円を使って購入した事例が57件にも達したのです。さらに、自動車の購入が36件で、最高額は約400万円なんだそうです。これは金額が目立った例ですが、1回の金額を抑えれば、数千万円分を購入したお金持ちがいてもわかりません。
おそらく同じことが全国で行われたことでしょう。何のことはない、結局はお金持ちが得をするんです。こうした事態になることは素人でも予測していましたよ。代理購入を禁止しても同じこと。大金持ちさんが関係している人たちに1人10万円を渡して商品券を買ってもらえばいいんです。その謝礼として現金を5%でもプラスしてあげれば、喜んで協力するでしょう。それでもお金持ちは15%の儲けが出る仕組みですよ。実際、私も友人たちと茶飲み話に「こんな手を使う金持ちっているよねえ」なんて話をしていました。それが、「そうなった」だけのことなんです。これを企画した人たちって、これほど単純な問題が起きることすら予測できなかったのでしょうか。まあ、どう考えても政策のプロとは言えませんね。これって、現金のバラマキよりもひどいよね。みんなの税金です。もっと頭を使ってもらわないと困ります。 |
生徒からのメッセージ(18) 2016/03/19 Sat 4898
とうとうこのシリーズも17回目になってしまいました。「同じようなものが多いのだけど、いつまで続くの」といった声が聞こえてきます。もうちょいです。おそらく次回でおしまいです。どうかご容赦ください。
45)校長先生の指揮もとてもすばらしいものだったと思います。
46)校長先生の指揮がとっても印象的でおもしろかった。
それこそ、「ほとんど同じもの」ですが、校長の指揮ぶりが評価されており、これを読んだ校長は気持ちがよかったことでしょう。
47)あまり練習時間がなかっただろうに、とてもすばらしい演奏でした。校長先生の指揮もよかったです。
教師たちの「時間のなさ」にまで気を使って評価してくれている。教師とは何とすばらしい職業であることよ。
48)校長先生の指揮、■■先生のピアノ、先生たちの歌声、どれもパーフェクトでした。
ピアノはこの学校の音楽担当の教師である。指揮と音楽と歌声のすべてが「パーフェクト」というのである。どれだけすばらしい合唱だったのだろうか。会場の様子が目に浮かぶような気がする。生徒たちからこうした評価を受けた教師たちは、また意欲をもって自分の仕事に打ち込むことができるに違いない。
|
マニュアル問題(77) 基本のおさらい 2016/03/18 Fri 4897
さて、お久しぶりの「マニュアル問題」です。これで77回目ということですが、具体的な問題を検討する前に、少し整理をしておきたいと思います。何と言っても、最後に書いたときから1年と4ヶ月ほども経過しているのですから。
まずは、このシリーズは私の頭が動いている限り終わりがないことを「宣言」させていただきます。そもそも人間というものは「決められたことを守る」のがとても苦手なんです。それどころか、「規則やマニュアルを守らない」ことに快感を覚える人だっているのです。これもまた、すべての人間が違っていることによっています。それは、私たちが激変する環境のなかで生き残っていくための「DNA的宿命」であることは、本欄でも繰り返して指摘してきました。寒さに強い人間ばかりいたのでは熱暑が襲来すれば全滅します。その逆もまた真なりですね。そうかといって、「すべての個人」が「全天候型」の体質を備えるわけにはいきません。そこで、みんなで「得意分野」に別れて「リスク」の分担を図ることが効率のいい対応法になります。つまりは、あらゆる温度変化に耐えられるように「みんなが違っている」わけです。これも専門的な立場の人たちからは、いかもに「目的論的」な解釈だと笑われるでしょう。進化の過程では、結果としての「適応」といった概念で説明されているのだと思います。それでも、私としては、「DNA」に意思があるのではないにしても、「みんなが違っている」のは「種として少しでも生き残りの可能性を高めることだ」と考えたいんですね。いずれにしても、人間はみんな違っているわけです。
|
連載「マニュアル問題」 2016/03/17 Thu 4896
その昔、「マニュアル問題」と銘打った「シリーズ」を続けていました。たまたま、このシリーズの「続きメモ」が見つかりました。ドンドン続けるつもりで、「規則やマニュアルが守られない理由」をリストアップしていました。そこで、「この前」はいつだったんだろうと探してみましたら、2014年10月15日の76回が「直近」のものでした。いつものことですが、時間はあっという間に飛んでいくのです。そもそも、「メモ」が発見できなければ「連載していたこと自身」が記憶の彼方で埋葬されるのです、しかも、ほんのこの前と思っていたことが、ずいぶんと「昔」のことになっているわけです。
先月は「熊本城マラソン」がありました。自宅から5分も歩けばスタート間もない選手群を見ることができます。今回もちょっとだけ出かけたのですが、これがすでに「第5回」なんだそうです。そう言われればそうなんですが、もうはじまってから5年も経っているのかと、また軽い驚きを感じたのでした。そう言えば、母が亡くなってからすでに43年、父が逝ってからでも24年にもなります。そうそう、九州新幹線が開業してからでもまるまる5年か経過しました。あの前日に大地震と大津波の大災害が起きたのでした。そのため、3月12日の開業日は、いわゆるセレモニー等はすべて中止になったのです。これも、「もう5年」ということになります。私たちはこうして、「月日の経つのは早いものだ」と言い続けながら生きていくのですね。
いつものように「前口上」が長くなりました。明日、久しぶりに「マニュアル問題」の第77回目をお届けします。 |
教員の資質向上 2016/03/16 Wed 4895
さて、大風呂敷の最後、3番目は、「教員の資質」、とりわけ「リーダーシップや対人関係力の改善」です。私はそうした研修のプログラムを開発して実践することを仕事にしています。組織の管理者である校長のリーダーシップはとりわけ重要だと思っています。□□委員がおっしゃったようにスチューデント・センタードと言いますか、学生や生徒を中心に据えた働きかけは言うまでもなく大事なのですが、それができる能力を先生が持っているかどうかが問題になります。スチューデント
・センタードを実現するためにも教師の資質向上を図る必要があります。またこれは企業組織でもよくあるのですが、たとえば安全文化週間に安全文化の講演会をすることで帳面消しをする。つまりは
「そのときだけ」で終わりになる。それでは意味がない。現実の職場生活と繋ぐようなものを開発しないといけないのです。
ところで先ほど体罰の話題が出ましたが、私は体罰もリーダーシップ、あるいは対人関係の問題だと思っています。それに関してひとつだけ情報を差し上げて終わりにしたいと思います。世の中には、体罰は戦後の教育基本法によって禁止されたと思っている人が多いようです。しかし、それは事実ではありません。体罰については1879年、明治12年の教育令ですでに禁止されているのです。そこには、「凡学校ニ於テハ生徒ニ体罰殴チ或ハ縛スルノ類ヲ加フヘカラス」と書いてあるのです。さらに1890年、明治23年の第2次小学校令63条には「小学校及教員ハ児童ニ体罰ヲ加フルコトヲ得ス」と明記されているわけです。そんなことで、昔は体罰が許されていたのではなくて法律的にずっとだめだったのです。こうした事情を踏まえながら、時代に応じた新たな対応を考えていくべきだと思うのです。 |
| 14日、15日は「システム工事」のため、断続的にアクセスができなくなります |
「朝令暮改」のすすめ 2016/03/15 Tue 4894
私としては、「教員全国区制度」は相当にいい提案だと思っているのですがいかがでしょうか。このアイディアを教育に関わってこられた方にお話しすると、ほぼ全員が「おもしろいですね」と言われます。少なくとも「否定」される方はいらっしゃいません。しかし、これを本気で考えるとなると、「それには法律を変えないといけない」という声が聞こえてくるわけです。たしかにそうでしょう。しかし、それなら法律を変えればいいではないですか。何もしないで
「できない、できない」 と言っているだけでは思考は停止したままです。そして、やってみてダメだったら「ごめんなさい」と謝って元に戻す。これぞ究極の「朝令暮改」の精神です。そのくらいの気持ちと迫力がなければ世の中は変わりません。選挙制度改革なんて典型的な例です。それにしても、政治家の皆さんは大変だと思いますよ。とにかく自分のしたことが「間違ってました」とは口が裂けても言えない。本当に自分の誤りに気づかない鈍感な方はいらっしゃらないはずです。それでも「間違った」と言えない、言わない。うっかり自分の誤りを認めれば、そこを突かれて自分の立ち位置が危うくなります。何ともお気の毒な職業だと思います。
ちょっと調子に乗りすぎました、「夢のプラン」の会議で、政治家の皆さんの話まではしておりませんので、念のため。
ともあれ、教育においても抜本的な改革をしないといけない。 そんな時期に来ているのです。もう手遅れ的なところはありますが、だからといって手を拱いていれば、事態はさらに悪くなるだけの話です。こんなときに「今さら」とか「もう手遅れ」なんて言葉を使うのはやめにしませんか。 |
大風呂敷の効果 2016/03/14 Mon 4893
県の委員会における私の「大風呂敷」はドンドン拡大していきます。
私は今世紀に入る前から、「『教員の全国区制』は教育活性化の原動力になる」と提言してきました。中央教育審議会でもこうした基本的なことを考えてほしいと思うのです。
これに対して 「郷土の子どもたちは郷土愛に満ちた人間が育てることが大事だ」 という意見があります。「だから郷土出身者がいい」というわけです。しかし私はその半分は真実だとしても、半分は当たっていないと思います。
たとえば、北海道の若者が熊本に来た。当初は北海道籍なので、そのうち故郷に帰ろうと思っていた。しかしいつの間にか30年の歳月が過ぎ去った。そのとき、「自分は熊本に骨を埋める気になりました」となったら、これ以上の郷土愛ってあるのでしょうか。
私は集団の心理学を仕事にしていますが、「等質より異質性の高いグループの方が効果的だ」ということが一般的に認められています。ただし、私は異質な集団はリーダーシップがしっかりしていないとメンバーたちがバラバラになってうまくいかないと考えています。他県のことですが、数年前に教員採用等に関して大きな問題が起きたことがありました。あの場合も「内輪」ということが指摘されていました。ずっと等質だから、「普通でないこと」が「常識」になってしまうのです。こうしたときに10%や20%くらい他県出身者がいれば「何でこんなことをやっているのですか」などと疑問の声を上げるでしょう。そうした健康な緊張感が高まれば組織も健全になるのです。そして、本人としては最終的に「本籍地」へ帰ることもできるわけです。そんな制度改革をしてほしいものです。
|
大風呂敷「教員採用システム」 2016/03/13 Sun 4892
教育に関わって「夢のプラン」を議論する熊本県の会議における私の発言を紹介しています。まずは「新農業革命論」で大風呂敷を拡げました。次の風呂敷は「教育改革」です。
私が10年以上前から言っていることがあります。現在、全国の教員養成学部の多くが就職について悩みを抱えています。それは卒業生数と地元における教員採用数のバランスが取れていないことです。大都市圏ではかなり弾力があって、熊大の教育学部でしっかり勉強しておけば、合格の可能性が高いと受験を勧めるのですが、希望者はそれほどの数になりません。学生たちの気持ちは十分に理解できます。たとえば東京で採用されれば 都の職員になり、熊本の教員として帰ってくることができません。そこで私は「教員の全国区制導入」を提唱しているのです。教員の一定割合を全国区枠にするという提案です。
もちろん採用は現在と同じ熊本県でいいのです。ただし、そのうちたとえば10%とか20%を全国区の教員にする制度改革を進めるべきだと強調したいのです。熊本に福島県からズーズー弁の先生が来て子どもたちを教える。それが一人の影響力に過ぎなくても、その教師に触れた子どもたちには言葉による差別がなくなるかもしれない。熊本の若者が漱石の「坊ちゃん」で有名な松山で教えてみたい。横井小楠が迎えられた福井県に行ってみたい。自分は北海道の大地で子どもたちを教えたい…。いずれもすばらしいではありませんか。もちろん、いろいろな事情から熊本に帰りたいとなれば、それもOKなのです。何と言っても本籍が熊本なのですから。現状では都道府県や政令市単位で採用されて、そこに行ってしまうとそのままなのです。だから教員の流動性がないのです。 |
農業は「総合科学」 2016/03/12 Sat 4891
県の委員会での大風呂敷発言は続きます。
「農業は総合科学」です。農機具などの機械製造もすべて農業に関連しています。熊本は農業県として抜群の力を持っています。熊本オリジナルをアピールするには、さらに農業に焦点を当てるべきです。いまこそ将来を見据えて、
農業という総合科学の分野で人を育てる教育の展開が求められているのです。はじめて出席した会合から 「農業革命」 などと大きなことを申し上げていますが、こうした発想から教育の施策も考えていただきたいわけです。
ところで、アメリカのデトロイト市が破産したというニュースを聞いて私は驚いてしまいました。またある種の感慨もありました。私たちが小学生のころ、デトロイトは巨大な自動車の都市でした。その写真を見ただけで、日本はこんなすごいところには絶対に勝てるわけがないと思っていました。ところが、今では日本の自動車産業だけではありませんが、その勢いがデトロイトが財政破綻するまでの状況に追い込んだわけです。
もちろん、TPPは農業にとって厳しい問題を含んでいると思います。しかし、ここで「農業革命」を起こして、第2の「自動車産業」 を創り上げることにチャレンジしたいものです。農業に関わる技術や様々なノウハウを輸出することだって大いにあり得えます。また、太陽電池や太陽光を使ったハウス栽培システムの輸出も可能になるかもしれません。こうした成果が上がって地元で楽しく元気に生活できるようになれば、熊本に生まれてよかったと思う子どもたちが育つのではないでしょうか。
|
大風呂敷版「新農業革命論」 2016/03/11 Fri 4890
さて、前回は前置きだけでしたが、教育に関わる熊本県の委員会における私の発言をご紹介します。ここに掲載するに当たって、加筆・修正しています。
私は本委員会にはじめて参加させていただきました。 テーマが「夢のプラン」ということで、自由に発言させていただきたいと思っています。 ただし、「夢」ではなく「大風呂敷」になる可能性がございます。私としては3つの観点からお話しいたします。
第1点は新農業革命、第2点は教育改革、そして第3点はリーダーシップというか、教員の資質も含めた対人関係能力についてです。
まず第1点ですが、このところTPPが話題になっています。私は素人ながら数年前にある原稿を書いたことがあります。このままいくと日本はいずれ「経済大国」でなくなるでしょう。
そうなったとき、「経済的には厳しい国になってしまったけれど、21世紀初めころの人たちがちゃんと対応してくれていたおかげで何とか食べるだけのことはできる」と言ってくれるようにしないといけないと思うのです。すでに手遅れなのかもしれませんが、いまこそ「新農業革命」
が必要だと言いたいわけです。生きる基本は食べ物です。それを大事にしなければ国は滅びるしかない。そもそも農業は総合科学です。農業は作物や果物を作るだけではありません。iPS細胞の研究と応用も農業に役立てることができますし、天気情報にしても欠くことができないのです。それは衛星を打ち上げる宇宙開発にまで繋がります。
私の大風呂敷「新農業革命論」は、次第に、かつ勝手に熱気を帯びてきます。 |
発言録 2016/03/10 Thu 4889
早いもので、熊本に住んで37年目になります。私が熊本で初めて講演を依頼されたのは、熊本県の社会教育課からでした。当時、熊本大学にいらしゃった大先輩である佐藤静一先生のご推薦で私にお声がかかったと記憶しています。会場は天草の松島にある「熊本県立青年の家」でした。天草パールラインの絶景を楽しみながら出かけました。そのときはリーダーシップや集団規範の話をしたと思います。
それから四捨五入で40年、地元でもいろんな仕事に関わらせていただきました。自治体関係では、教育学部にいますから教育委員会関連のものが圧倒的に多いわけです。いまでは会議は公開が原則ですから、終了後に発言録がホームページに掲載されます。そこで務局から「生記録」が送られてきます。とにかく「生」ですから、文字にするとワケがわからない部分がけっこう目立ちます。私はかなり手を入れます。もちろん、自分の意図をきちんと伝えることが目的ですから、妙な修正や追加をすることはありませんので、念のため。
そこで、いろんな委員会での発言記録がファイルとして残ります。その多くは適当な時期に削除しますが、ときおり「再発見」するものがあります。つい先だっては熊本県の教育プランに関わる委員会のものが残っていました。そこで、その一端をご紹介したくなったのです。すでに本コラムで触れた内容もあり、その点はご了承ください。またたぞろ数回は続くでしょう。ただし、原文そのままではなく、修正を加えています。といいながら、今日は「前口上」だけで終わってしまいました。 |
多弁の戒め 2016/03/09 Wed 4888
〝Do not say a little in many words but a great deal in a fefw.〟Pythagoras
「多くの言葉を使って、少しのことを伝えるのではなく、少しの言葉で多くを語りなさい」。あの「三平方の定理」で誰もが知っているピタゴラスさんの名言です。授業は90分、講演だと120分ほどです。私は、こうした時間をいただいて、基本的には話すことを仕事にしているわけです。もちろん研究もですが…。授業の場合は、これを15回連続して行います。このコラムにお付き合いいただいている皆様は十二分にご推測のように、私はついつい「余計なこと」を話してしまうのです。学生から「話題が逸れたところをノートしていて、肝心な内容を書き損ねた」とミニレポートに書かれてしまったこともありました。いやあ、申し訳ないです。
それだけではありません。私は講演や委員会の事前打ち合わせでお見えになった方に「あれやこれや」としゃべるんです。それに気づいて、「すみません、余計なことまで話してしまって」と言い訳している自分がいます。これを「いえいえ、勉強になりました」といった感じで優しく収めていただいています。しかし、内心では「何とも、自己中的に喋りまくる人だわい」と呆れていらっしゃることでしょう。それが分かっていながら治らない。いけませんねえ。何分にも、「行動変容」をお勧めしている私なのですから、反省だけでなく実践しないといけません。
わが家でも家族の者から「ちゃんと話を聞きなさい」とたしなめられています。しかも「多言」の割には中身がないというわけです。ピタゴラスさんは、「寡黙」な人の「一言二言」の中にこそ「真理」があると言いたかったのでしょう。
|
順番 2016/03/08 Tue 4887
「好きなものから…」「いや好きなものは後で…」。人間には「順番」が付き物のようです。それが高じて、日常のあらゆる行動を、決まった順にしていかなければ気がすまない。そんな人もいます。それが心を落ち着ける大事な「儀式」になったりもします。あのイチロー選手も、打席に立つ前に屈伸などの「儀式」を繰り返していました。あれはいくつかの動作で出来上がっていたと思いますが、それなりの「順」があったに違いありません。昨年はラグビーが脚光を浴び、五郎丸選手の「儀式」が流行現象になったものです。あのときは動作の種類が少ないようですが、それでもある種の「手順」を踏んだ「儀式」になっているのだと思います。いわゆる「ルーチン」を行うことで「いつもと同じ」という気持ちになる。そんな効果があるのでしょう。それは、「イメージづくり」でもあります。いずれにしても、私たち一人ひとりが「オリジナルな『儀式』」をワンセット持っているとよさそうです。
ところで、「読書」となれば、「好きなもの」しか読みませんね。それでも私なんぞは「同時並列読書派」なもので、自然に「順番」は決まっています。現在、母親の日記を含めて、自宅だけで7冊が進行中です。ただし、これをまともに読んでいては時間はいくらあっても足りません。私の「読書」は「数行」でも読んだら、「今日の分は読んだ」ことにするという、かなり怪しいものです。この方式だと、トイレに座っているだけでも「4、5冊」はクリアーできます。そのときも、それなりの「順番」があるのですが…。
|
「公開講座」32年目 2016/03/07 Mon 4886
来年度、つまりは2016年も「公開講座リーダーシップ・トレーニング」を企画するつもりでいる。私と「公開講座」とのお付き合いも長くなった。講座の制度を知って初めて企画したのは、「教師のためのコンピュータ入門」と「ビデオ入門」だった。いずれも1985年のことである。前者は8ビットのNEC
PC8001を使った。いまから思えば、その能力は子どものおもちゃにもはるかに及ばない。現在のノートPCを新幹線にたとえれば、PC8001はせいぜい三輪車のレベルだろうか。また、ビデオは高価でめずらしい時代だった。企業の教育担当者も参加されて、大騒ぎしながら作品をつくった。「ビデオ入門」は2年でやめた。また、「コンピュータ入門」も、PCがドンドン普及してきて「公開講座」としての役割を終えたと判断し1994年に閉講した。
その少し前の1992年から「リーダーシップ・トレーニング」をはじめていた。こちらは私の仕事と直結しており、ずっと開講したいと思っていたが、人が集まるかどうかに不安があった。そんなことで最初の年はヒヤヒヤだったが、とにかく定員に達した。そのときは「お祝いだ」と言って、故高岡章一人間組織研究所長が名古屋から駆けつけてくださった。その後はきわめて順調で、昨年度までに計57コースを開講し、受講者総数も1,700名を超えた。看護師・教師・企業人・公務員・経営コンサルタントなど、幅広くご参加いただいている。ありがたいことだと感謝しながら、今年も計画を立てはじめた。
|
生徒からのメッセージ(16) 2016/03/06 Sun 4885
中学校の合唱コンクールで教師たちがトライした余興に対する生徒からのメッセージの16回目です。本日分を入れて、あと「3回」で終了します。もうしばらくお付き合いください。
43)校長先生の指揮はみんなが注目するほどすばらしいものでした。また、先生たちがつけていたちょうネクタイも似合ってました。曲も楽しい2曲で、校長先生が踊り出されたとき、みんなも心を躍らしていました。来年も楽しい職員コーラスになることを信じて期待しています。
これまで取り上げたものの中で最も分量が多い。内容的にはとくに新しいものではないが、歌われたのが2曲だったことがわかる。また、校長が「踊り出した」という表現もおもしろい。それに「みんなも心を躍らしていた」と対応させているところがすばらしい。将来の文学者を期待してますよ。最後も「信じて期待している」という強い表現で締めくくっているところも、ちょっと違いを感じる。いつものことながら、ここまで持ち上げられた校長の気分は最高だろう。
44)合唱コンクールおつかれさまでした。「さすが先生方」と思うような合唱でした。3年の先輩方からは黄色い声が聞こえていましたが、とてもきれいな歌だったと思います。
先輩の3年生たちが「黄色い声」を出したというのだからすばらしい。それにしても中学生で「黄色い」という表現をするんだなあと感動する。私が子どものころ、「黄色いサクランボ」なる、大人仕様の歌が流行っていたのを思い出した。ここでは「きれいな歌」に聞こえたという。そうなると、余計なことではあるが、「校長が踊っていた」という表現とは相容れない感じもする。ひょっとして「きれいな歌」なのに、校長が調子に乗って踊ったりして…。 |
Populism 2016/03/05 Sat 4884
populism(ポピュリズム):大辞泉には以下の説明がある。:
1 (Populism)19世紀末に米国に起こった農民を中心とする社会改革運動。人民党を結成し、政治の民主化や景気対策を要求した。
2 一般に、労働者・貧農・都市中間層などの人民諸階級に対する所得再分配、政治的権利の拡大を唱える主義。
3 大衆に迎合しようとする態度。大衆迎合主義。
これを〝Cambridge Dictionaries online〟で検索すると、いきなり "populism" in British English〟ときて、〝political ideas and activities that are intended to get the support of ordinary people by giving them what they want: Their ideas are simple populism - tax cuts and higher wages.〟となる。
政治の議論で「ポピュリズム」が取り上げられる際は、大辞泉で3番目、そして〝Cambridge Dictionaries online〟で解説されている意味で使われる。つまりは「大衆に迎合する」ということだ。「大衆;民衆が期待することを実現すると訴えて、その支持を得ようとする」。〝Cambridge Dictionaries online〟の例示「私は税金をカットし、賃金を上げる」ほどわかりやすく、かつ受けることはない。これを「政治的手段」だと言ってしまえば、それだけのことである。どんなに崇高な理想を語っても、それが実現できなければ「絵に描いた餅」「犬の遠吠え(犬の皆さん人間の勝手な解釈をお許しください)」にすぎない。まずは「当選すること」が最優先なのだ。とにかく「受けること」を連発して、とにかく当選すればいい。あとはこっちのものだ…。
海の向こうでは大統領選挙に向かってヒートアップしている。お一人は最初から〝populism〟の権現様と思っていたが、よく知られた女性の方も、突如として〝unti-
TPP〟に大転換するなど〝populism〟的には互角に近づいたようですねえ…。 |
恐怖による支配 2016/03/04 Fri 4883
これから相当に長い時間が経過すれば、人が頭の中で何を考えているかがわかるようになるかもしれない。いや、現在の脳に関わる科学的な状況を考えると、それが現実になるに違いない。しかし、そんなことになったらたまらない。もっとも、「元気高齢者」とは言え、私がこの世に存在している間にそんなことになる心配なんて完璧に無用だ。
そんなわけで、お隣のあの国のあの人だって、周りにいる人間の大脳の中身まではわからない。だからこそ、疑心暗鬼の悪魔が大脳いっぱいになって、心を揺すぶり続ける。たとえ忠誠を誓っているように見えても当てにはならない。明日にも寝首を掻かれるかもしれない。そんな状況で生活しているのであれば、毎晩が悪夢の連続だろう。昼間だったら白昼夢である。
そうなると、自分を護る最強の対策はただ一つ。それはすべての人間を疑うことである。そこで、とにかく恐怖を与えることが最も効果があると信じる。だから、ほんのちょっとだけでも怪しいと思われただけで命が危うくなる。全員にそう思われることが大事なのである。人間、誰だって基本的には死にたくない。この効果をさらに強化するために、ときにはデモンストレーションが必要になる。そこで、大脳の内容ははわからないものの、ちょっとばかり変な態度を見せたり、うっかり失言したりする者がいれば大チャンスである。この機会を逃さず粛清を断行すれば絶好の見せしめになる。こうして、その力はさらに強化されていく。まさに恐怖による支配である。 |
今月の写真 2016/03/03 Thu 4882
サクラ前線は南から移動します。熊本は3月が桜の季節です。その昔、小学生たちは、4月になると全国一律に「サイタ サイタ サクラガ サイタ」と書かれた「小學国語讀本」を読んでいたようです。しかし、熊本のサクラは卒業式にピッタリです。入学式になるとすでに葉桜模様になるのです。今月の写真が熊本城のサクラであることは、どなたもおわかりでしょう。サクラはどんな場所でも似合うのですが、お城との組み合わせは最高傑作の一つでしょう。つい数日前の新聞に外国人観光客の統計が掲載されていました。その詳細は記憶にありませんが、じつは「読んだ瞬間から頭に残っていない」というのが実情ですが、ともあれ九州では福岡がダントツで、これに長崎が続き、熊本は3番目だったと思います。そのお目当ての代表が熊本城だろうと推測しています。あとは、阿蘇でしょうかね。
もう一枚は「松竹映画」のような富士山です。先月も富士山の写真でしたが、それは「三保の松原」も含めた遠景で、1月に撮ったものでした。今月はもっとドデカイ富士山です。東京に出かけるときは、高度を下げながら羽田に向かう関係から、飛行機の左側に富士山が現れるのです。私が生まれて初めて飛行機に乗ったのは、もう50年近くも前になりますが、そのときはほとんど真下といった感じの角度に富士山が座っていました。そのときの感動はいつまでも頭に残っています。ともあれ、今回は2月の写真ですが、「まるで『松竹映画』だ」と心のなかで絶叫しながらシャッターを押したのでした。私はホームページに掲載することを主たる目的として、いつもデジカメを携帯しています。富士山は最高の被写体の代表選手です。 |
「いまさら」は「悪魔の誘惑」 2016/03/02 Wed 4881
しばらく「倫理」のお話しから遠ざかっていました。その後も「劣化列島」はますます健在で、その程度を強めてすらいるようです。熊本の化血研問題は地元紙が識者のインタビューを連載していました。いずれも厳しい意見であることは言うまでもありません。これまで築いてきたものがすべて壊れて、組織の存続すら危うい状況です。とくに薬害エイズの問題では加害企業として批判されたわけです。それなのに、報道ではその裏で40年以上も不正を働いていたといいます。とくに関わりのあった方々が怒り心頭に発するのは当然のことです。ここまでに至った責任はきわめて重大で、識者たちは「法的責任を追及する」という意見を持った人が多いようです。
どうしてここまで来たのでしょうか。どこかでその流れが止まるチャンスはあったに違いありません。私たちは「いまさら」という言葉をけっこう使います。それによって「行動を起こさない」ことを正当化しがちです。もちろん時間の経過は一方向的ですから、「後戻り」はできません。しかし、我々の身の回りに起きる問題は、はじめから大きくはありません。
そうは言っても、もう取り返しが付かないほど問題が深刻化していることだってあるでしょう。しかし、それでも「いま立ち帰る」ことをしなければ事態はさらに悪くなる。世の中にはそんなケースに溢れています。化血研の場合はトップに座る「次の人」も、その前に問題を知っていた可能性がありそうです。そうなると、「自分自身」も責められることになりますから、「いまさら」の重みが抗えないほど増したのでしょうか。
|
ブリッジ・オブ・スパイ 2016/03/01 Tue 4880
スピルバーグ監督は私と同世代ですが、実話に基づく映画を何本か創っています。たとえば、第二次大戦中にナチスによって収容所に送られるユダヤ人を救った物語「シンドラーのリスト」はなかなかのできでした。これは日本の映画ですが、昨年には「日本のシンドラー」と呼ばれる杉原千畝氏の実録的物語が公開されました。もちろん、これもしっかり観ました。杉原氏は外務省の訓令に背いてビザを発給したのですが、それによって多くの人たちがシベリア鉄道を経て日本海を渡り敦賀に上陸しています。それからアメリカなどへ行ったのだと思います。私はかつて敦賀に出かけていたことがあり、その際に杉原千畝記念館に行きました。
さて、スピルバーグ監督の作品に戻りましょう。今回は「ブリッジ・オブ・スパイ」という映画です。こちらは冷戦時代のアメリカとソビエト連邦の間で起きた実話に基づいた物語でした。映画は、アメリカでソ連のスパイが逮捕されるところからはじまります。これからビデオでご覧になる方もいらっしゃるかもしれないので、内容には触れません。ただ、U-2型と名付けられたアメリカの偵察機がソ連から撃墜されたことは、私も子どもながら知っていました。その際にパイロットが捕まったわけです。当時はケネディとフルチショフの時代でした。老獪なフルシチョフと若々しいケネディが相対峙して、核戦争さえあり得るような緊張した時代でした。そんなときに起きたスパイに絡む問題が映画のテーマだったのです。主人公のトムハンクスの声がなかなかよろしいんですね。まあ、ともあれ楽しめる映画でした。 |
|