組織と閉鎖性 2016/02/29 Mon 4879
化血研は市場を独占してはいなかったものの、製品によってはそのシェアがトップクラスだった。これがまずい結果を生み出した一つの要因だろう。私たちが独占禁止法について勉強したのは中学校だった。「カルテル」「トラスト」「コンチェルン」は、その内容について理解しないまま、標語のように暗記したことを憶えている。とにかく独占はまずいということだった。いずれにしても寡占が問題であることは歴史が証明しているのである。
化血研の第二の問題は閉鎖性だろう。ただし、この点については化血研の構成を知らないから推測にすぎない。相当程度の立場にいた者でも、今回の問題を知らなかったという。つまりは、外部に対して閉鎖的だという以前に、内部の人間たちにも情報が閉ざされていた様子が窺われる。
長期間に亘って「不正な方法」で製品を作っていたのは工場で働いていた人たちである。上層部の人間はこの点をどう考えていたのだろう。自分たちだけが問題行動をするのではない。そんなことをまるで知らない人たちに、不正のお先棒を担がせることになることをどれだけ意識していたか。外部だけでなく内部に対しても閉鎖的だったことは容易に想像できる。それにしても、永年に亘って歴代のトップが問題のある対応をしていることに気づきながら、あるいは明確に知りながら、それを自分の代で指摘し解決することができなかった。そこに外部からの人材が入っていれば、「なんだこりゃあ」となったに違いない。組織にとって、閉鎖性はそれだけで問題を抱えているのである。
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実力、自信、そして驕り 2016/02/28 Sun 4878
厚生労働省は化血研に対して110日間の業務停止命令を出した。これは法律で決められた期間の上限に当たり、最も重いものだという。過去40年以上にもわたる不正行為に対するものだから当然というべきである。一般の会社であれば、これだけで消えてなくなるに違いない。すでに熊本人を自認している私としては、化血研の大きなビルが映し出されるたびにガックリする。こうした問題が起きた原因はいろいろと考えられる。私もリスクマネジメントを重要な仕事にしているからには、触れない訳にはいかない。もちろん、1回だけで済むはずはない。
これはすでに指摘したことだが、自分たちの実力に対する「過信」、いや正しくは「ゆがんだ自信」があったに違いない。新聞に掲載された表によれば、化血研が製造している血液製剤とワクチンは併せて35種もある。このうち業務停止の対象になったのは8つの製品だけなのだ。対象外のほとんどが、製造を停止すると直ちに支障が出るものだと素人は推測する。化血研は血液製剤で国内シェア第2位、インフルエンザワクチンの3割を占める。つまりは大メーカーなのである。「なんのかんの言っても、自分たちが製造をストップしたら困るだろうが」。こんな意識がまったくなかったと言えるだろうか。それを日本語では「驕り」という。そこまではなかったとしても、「いざとなれば、甘い対応をしてくれるんじゃないか」といった発想は生まれてきそうだ。まさに、「実力がある」ことへの「過信」あるいは「驕り」のなせる業である。
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連絡先メモ管理 2016/02/27 Sat 4877
家内が「出先の連絡先もメモしておいてよ」と言うのはもっともなことだと思いました。そこで、今月のはじめから、新たに入った予定には出先名だけでなく、先方のご担当者や電話番号を入れることにしました。それでも、すでにお約束済みのものについては「ボチボチと…」といった気持ちでおりました。
そんな状況の中で、数日前に大きな衝撃が走りました。私としては、おそらく20年以上も前から存じ上げている方が急にお亡くなりになったというのです。情報教育がご専門で、何かの企画があると、それに関連するお知らせをメールでいただいていました。私は急逝されたこと自身を知らなかったので、とにかく驚きました。ある方とお話をしているときに話題になったのでした。お年は61歳だったとのことです。お食事中に気分が悪くなられたようで、ご自分で救急車をお呼びになったといいます。しかし、救急隊員が駆けつけたときには手遅れの状態だったらしいのです。ご本人もまったく予期しないことが起きたということでしょう。とてもお忙しい方で、その翌日もパネリストとしての予定が入っていたようです。
昨年度末でご退職になり、個人事務所を開設して、永年に亘って続けてこられたご専門の仕事を継続されていたのでした。そのため、お亡くなりになった後もたくさんの仕事を入れておられたと思います。ご家族は、そうしたところへの連絡で大変だったに違いありません。私はよくわかりませんが、携帯のデータは、息子さんの指紋も登録されていたことで、連絡先等を探すことができたとも聞きました。心からご冥福をお祈りいたします。
この衝撃的な情報を受けて、私も「連絡先の明確化」をしておく必要性を痛感しました。 |
「『元気』高齢者」の危機管理 2016/02/26 Fri 4876
「『前期』高齢者」を返上して、「『元気』高齢者」などと言ってはおりますが、人生、「一寸先は暗闇」でございます。一昨年は、熊本に来てからずっとお付き合いいただいている方が急逝されました。それも「さっきまでは元気だったのに」という状況でした。心臓関連の動脈が破裂したということでした。病院に向かう救急車の中でも「まだ着かないか」と言って意識はしっかりされていたといいます。こうしたこともあって、家内から「出張で出かけたときはモーニングコールをするように」と言われています。外出先で目が覚めると「起きてるよ」といったメールを送ります。もちろん表現はいろいろあって、絵文字を入れたりもしています。
モーニングメールは定着してきましたが、今年に入ってから「出先の連絡先も知らせといてよ」と言われました。講演などの場合、急に何かがあったとき、どこのどなたに連絡していいのかわからないというわけです。私は手帳を紛失した際のリスクに備えて、電子カレンダーに予定を記入しています。これまでのところ、手帳がどこかに行ってしまったことはありませんが、これは「運がいい」だけなのかもしれません。心のなかで聞こえる「これまでなかったから…」は悪魔の声なのです。それを信じているととんでもない危機に陥ります。私が手帳を必要としないのは曜日と時間が確定している授業だけです。
たしかに家内の言うとおりです。カレンダーには行き先は書いてありますが、先方の連絡先は入っていませんでした。これまでも宿泊するホテルの電話番号を書いていただけです。これでは、私が突如として「『不元気』高齢者」になったら、直近のお約束先に連絡できません。 |
心の金持ち 2016/02/25 Thu 4875
「金持ち喧嘩せず」という言い回しがある。金持ちは下手に喧嘩してケガでもさせられたら大損する。「それよりも、金持ちでない(?)者たちの言うことを『はい、はい』といって聞き流しておけばいい。なにせ、こっちは金持ちなんだ。少々の損をしたからといってちっとも困らない…」。いかにも「いやあな感じ」である。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」なんですよね。人間はおごってはいけない、威張ってはまずい。品位が落ちる。それに「お金持ち」になったのが自分の力だと勘違いしない方がいい。世の中は「おかげさま」の鎖で繋がっているのだから。
しかし、同じ「金持ち」でも、「心の金持ち」はどうだろう。ここで「金持ち」という響きが悪ければ「心の裕福な人」に言い換えてもいい。もう少し「心の幸せ」にまで幅を広げるのもけっこうだ。英語で〝fortune〟は「財産」でもあるが「幸運」という意味もある。そうだ、そうだ。「心の豊かさ」は私たちの「財産」なのである。「心の豊かな人」は人と比較をしない。いつも自分の「いま」を見つめ、少しでも前進しようとする。あくまで「いまの自分」が基準なのである。
また、「心の財産」は運用面でもお勧めだ。日銀さんは「マイナス金利」なんて、とんでもない花火を打ち上げた。しかし「心の財産」には大きな利子が保証されている。そんな人は笑顔が絶えないから、それがまた周囲に伝播していく。私は「スマイルのインフレを起こそう」と言いまくってきた。この「インフレ」はドンドン拡大していくところがすばらしい。それが社会の中に、組織全体に浸透していけば、「心の財産」もしっかり増えていくことになる。ついでに調子に乗って、「スマイルのインフル」だって大歓迎していい。こちらの「インフル」は予防注射なんかいらない。それどころか、どんどん「感染」してほしいのだから.…。
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楽は苦の種、苦は楽の種 2016/02/24 Wed 4874
中学生のころ、私は相当に粘着質でした。いや、高齢者になった今でもそれを続けています。いやいや、その程度はますますひどくなっているかもしれません。まあ、その辺りのことは、とりあえず、どうでもいいことにいたしましょう。
つい先だって、私の頭の中に「楽は苦の種、苦は楽の種」というフレーズが浮かんできたのです。そのときじつに懐かしい気がしたわけです。私が小学生のときです。とにかく「算数」のある問題が解けません。そうなると私は先になかなか進めないのでした。今できないことはとりあえず放っておいて、できるとことから対応していく。これが最終的には先に進むことに繋がるのですが、そこがなかなか踏み越えられなかったのです。そして、正確な時間など記憶にありませんが、たとえば一問だけで30分も1時間も考える。その結果として解決できたときは体中が熱くなって欣喜雀躍するのです。ただし、いつもそんな体験はできません。いや、むしろ正解を発見できなかったことの方が多かったと思います。そして、私はそんな調子で中学生になっていきました。
何とも手詰まりで、どうしたら正解が見つかるのかわからない。そんなとき、私の頭の中から「楽は苦の種、苦は楽の種」ということばが聞こえてきました。「安楽なことをしていると、後になってから苦労する。今が苦労のしどころだ。それがきっと安楽を引き出してくれる」。まあ、そんな意味ですが、私にはそれがけっこう力になったのでした。それは、人生のお守りのような、いやひょっとしたら呪文だったのかもしれません。もっとも、成長するにつれて、「できないことは、とりあえずできない」という割り切り方も身に付いていきました。そして、今では「できないことばかりでもいいんじゃないかい」と居直るようになった自分がいます。
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レア体験 2016/02/23 Tue 4873
本コラムのご愛読者からいただいた貴重な情報提供が続きます。
「飛行機の右側から降機された記憶があるとのことですが、羽田空港第2ターミナル(全日空側)の一部のスポット(駐機場)では降機時の混雑緩和を目的に左側だけでなく右側にもボーディング・ブリッジが設けられており、必要に応じて右側も使い両側から降機できるようになっております。私の知る限り右側の出入口を使うのは羽田空港第2ターミナルの一部だけです。つまり、右側から降機されたのは、非常にレアな体験をされたことになります」。
そうなんです。私は現時点で「生涯フライト1100回超」を自慢話にしているのですが、飛行機の「右側ドア」から降りたのは「たった1回」です。そのことを本欄に書いたことから、上記の情報をいただいたのです。じつに「レアな体験」だったわけです。
「ちなみに、船の右舷(スターボード)の語源ですが、車の舵取り装置つまりハンドルは英語でステアリング・ホイールといいますね。ですので、船の舵取り板は英語でステアリング・ボードとなります。(一般的にはラダーと呼ばれていますが…)先ほど申し上げました通り、船の右舷側に舵取り板があったことから右舷側がステアリング・ボード側となり、このステアリング・ボードが転じてスターボードとなったと言われております」。
いやあ「初耳好き」の私にとって、絶叫したくなるすごい情報です。
「実は私は神戸商船大学出身で、この話は学生時代に当時の運輸省航海訓練所の乗船実習に参加した際に教官から聞いた話です」。
ようやくわかりました。お詳しいはずです。
そして、メールの最後は、
「少しでも吉田先生の疑問にお答えできたのであれば幸いです。昨年のセミナー受講以来、吉田先生の”味な話の素”を読むのが日課になっております。今後も先生のお話を楽しみにしております」と締めくくられたいました。
私としては「感動しました」といった月並みな表現では、メールを読ませていただいたときの気持ちを表すことができません。本当にありがたいことです。
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左舷と港 2016/02/22 Mon 4872
飛行機の乗り降りが左ドアという話題に関わる、読者の方からのメールを続けましょう。
「さて、飛行機の出入口がなぜ左側かといいますと、船舶の右側・左側の英語から紐解くことができます。英語で船舶の右舷側を「スターボード(Starboard)」、左舷側を「ポート(Port)」といいます。もうお気づきだと思いますが、左舷側を示すポートは港を意味する言葉です」。おっしゃるとおりで、この領域のことについてお詳しい様子が伝わってきます。
「では、なぜ左舷側が『ポート』になったのかといいますと、昔の船舶は右舷側の船尾に舵取り板がついておりました。長崎で行われる「ペーロン祭り」で走るペーロンという船の一部にその名残が残っております。このため、入港するときに右舷側に接岸すると舵取り板が使えなく、かつ、接岸時に邪魔になることから左舷側を接岸させていました。つまり、港は常に左舷側なので左舷側を『ポート』と呼ぶようになったと言われております」。いずれも「なあるほど」と思ってしまう情報ばかりです。とくに、「舵取りの位置」の関係から接岸する「側」が決まったことまでご存知の方がどのくらいいらっしゃるでしょうか。これを知っただけでも「ワクワク」してきますね。
「この『左舷側』=『港』が航空機に引き継がれ、飛行機の出入口は基本的に常に左側になっております。しかしながら現在の船舶では、接岸時には左舷側に限定せずその時の状況に応じ両舷を使い分けております」。おそらく「舵取り装置」が左右を決するようなものでなくなったのでしょう。このシリーズでは、「私の出番」が少ないのですが、興味深い情報が満載で、もう少し続けさせていただくつもりでおります。
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本コラムのサポーター様 2016/02/21 Sun 4871
「味な話の素」は、皆様からのサポートで成り立っています。その内容について有益な情報をいただくことも多く、とても楽しくなります。昨年12月の2日ですが、「飛行機の右側ドアから降りたことがある」という話題を取り上げました。これについて、とても興味深いメールを頂戴しました。その内容を皆様にもご紹介したいと思います。
メールは「吉田先生、大変ご無沙汰しております」からはじまります。この方は、私が担当したセミナー参加者のお一人でした。
「さて、12月2日の”味な話の素”で飛行機の出口の話がございましたが、一部の例外を除いて飛行機の出入口が左側になっている理由をご説明したいと思います」と続きます。私が書いたものをお読みいただいた内容に関する情報をご提供いただいたのです。
「そもそも航空業界で使われている言葉の語源やしきたりはほとんど海上の船舶を源としております。簡単なところでは、飛行機の離発着をするところは空港で港という文字が入っておりますし、パイロットの制服も民間商船の士官(航海士・機関士)服と同様のダブルの3つボタンですし、階級章も機長は船長と同じ金線4本など船舶準拠となっております」。
私も、飛行機が船の発想から出ていることは知っていました。しかし、パイロットの制服や階級章までも船舶に由来していることは初めて知りました。そう言えば、交通機関の運転手や車掌、さらには警察や自衛隊など、さまざまな職業に制服や階級章があります。こうしたものの歴史を追っていくとこれまた興味深い世界が広がっていきそうですね。
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教育改革 2016/02/20 Sat 4870
戦後の日本を大改造して、二度と自分たちに牙をむくような国にならないようにする。アメリカはそんな思でいたはずです。そして、教育改革も大いに重視されたのは当然のことでした。そこで来日した「教育使節団」は報告書で重要な提言をします。そこで最も重視されたのが、アメリカ流の民主主義を基本にした教育を導入することでした。そのポイントは、個人の自由と尊厳を守ることにありました。
まずは、国が統制する画一教育の代表とも言うべき国定教科書が廃止されます。そして、男女共学、6・3・3制といったアメリカ型の制度を導入することになります。国語では、漢字・ひらがな・カタカナを廃止してローマ字にするといった提言も含まれていたといいます。これは「文化」を絶滅させる無謀な政策ですね。また、「報告書」は、保健体育や公衆衛生の教育が重要であることも指摘しています。彼等から見れば、日本人が非衛生的で不健康な人間に見えたのでしょう。さらに、教員養成も師範学校を廃止して教育学部に転換していきます。学校にはPTA:Parent-Teacher Association が創られます。地方自治体には公選制の教育委員会を設置することも勧告しています。
この教育委員会制度については、一般人は教育委員会委員長と教育長の違いもわからないなど、さまざまな問題が指摘されてきましたが、これを統合する新たな制度がスタートしました。そもそもアメリカはUnited
States 、つまりは「state=国」の集合体です。そのため、各州の力が大きく、飲酒や結婚できる年齢、死刑制度なども州で決めています。それほど独立した州に教育の権限を与えているアメリカの教育委員会システムを、日本にも導入しようというのでした。
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戦後教育改革のスタート 2016/02/19 Fri 4869
「教育はこれまで問題を抱えてきた。そしていまも問題に直面している。さらに、これからも問題がなくなることはない…」。これは、私がことあるごとに話したり書いたりしていることです。そもそも人間が「人と人との間」で生きていく限り。「問題がなくなる」ことなどあり得ません。「問題はまったくなくなった」。そう思ったら、「問題に気づく感受性が錆びた」と考えるべきなのです。むしろ「問題を探し続けていく」ことこそが大事なのです。それはもちろん「問題を拡大し続けていく」ことではございませんので、念のため。
教育制度もしかりです。戦後の教育改革を考えるのもまことに興味深い。そもそもアメリカが日本を占領したとき、彼らがよしとする「改革」とドンドンと推し進めました。その中で教育制度も重要なターゲットでした。
あんな「とんでもない戦争」を起こした日本人の思想や行動は、国家を頂点にした中央統制による教育こそが原動力になっているに違いない。アメリカの目にそう映ったのは当然だったと思われます。そこで、中央統制による画一的な教育を、とにかく消し去らなければならない。そんな確信があったことでしょう。
こうした状況で、「教育使節団」が来日し、その後の教育に影響をおよぼす重要な提言を報告書にまとめます。まずは、それまで文部省を頂点にした画一的な教育を根底から変えようとします。いわゆる中央による統制を徹底的に排除しようというわけです。「何といっても、あんな信じられない精神構造の日本人を創り上げたのは学校教育だ」。そんなアメリカの徹底した重いが報告書に反映されるのです。
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生徒からのメッセージ(15) 2016/02/18 Thu 4868
中学校の合唱コンクールで、校長が指揮を執り教員が歌った。それは言ってみれば「余興」だったのですが、 生徒が感想を書いたわけです。それをリストアップながら、延々と続いて15回目になりました。あと3回くらいで区切りが付きます。それまで、もうしばらくお付き合いください。
40)僕は職員コーラスの皆さんの歌が一番よかったと思います。とても楽しそうに歌っていたし、校長先生がのりのりだったので見てる方も楽しかったです。
「一番よかった」というのは「乗せすぎ」だろう。この日は、全校生徒たちが日ごろの練習の成果を競う「合唱コンクール」である。みんなが歌い終わり、「厳正なる審査」中の「余興」が「職員コーラス」なのだ。それはそうとして、教員たちは「最高の乗せ上手」にしっかり「乗せられて」、大いに喜ぶといい。校長の「のりのり」は定番と言える。
41)去年よりも■■校長先生の指揮が歌に合っていたし、他の歌っている先生方も楽しそうで良かったです。これからも、この職員コーラス頑張ってほしいです。
校長の指揮を「去年」と比較しているのだからすごい目だ。ある意味では、今年も「しっかり合っていた」のではなさそうだ。校長の指揮を「よかった」とほめる生徒が多い中、きちんと評価をしてくれた生徒にも感謝すべきだろう。
42)先生方が赤いちょうネクタイで出てきたとき、私は何がはじまるのか少し分かりませんでした。すごく爆笑でしたよ!とくに校長先生の指揮、最高です。置き人形にしてかざりたいくらいチャーミングでした!それと■■先生がちょうカッコ良かったです!
校長の「置き人形」などとは、こちらの方が「爆笑」してしまった。首にバネが仕込んであって、頭を押すと「ボ、ボボヨヨーン」と首を振ったりして。「ちょうカッコ良かった」■■先生は、担任だろう。 |
カードを使うお金持ち? 2016/02/17 Wed 4867
「何でもカードで支払いができるようになったという話について、先生はたくさんお金をもっていそうだなと感じました。やっぱり大学講師ってもうかるんですかね」。これは私が授業の後に学生に書いてもらう「ミニレポート」の一節です。その科目は「教育情報科学」で、ずっと昔は「視聴覚教育」と呼ばれていたものが発展した授業です。絵入りの教科書を創ったコメニウスなども登場します。そうした歴史的な流れの中で「情報化」がテーマにして、いつから「情報化社会」がはじまったのかを考えます。
その際の手がかりとして自由国民社の「現代用語の基礎知識」を取り上げ、「情報化社会」という項目がはじめて取り上げられた年をフォローしたのです。まずは1970年版に「情報科学用語」が出ますが、こちらはまだハードに関連する項目が中心です。そして、いよいよ1971年版に「情報化社会」が登場します。「基礎知識」は「版」の前年に出ますから、これは1970年の末に出版されたものです。つまりは「情報化社会」ということばが、このころに認知されたということになります。
そして、その版の中で「将来はカード社会が到来する」ことも予想されているのです。このことを解説しながら、「私自身が東京に出張するときなど、航空券はネットで予約し、電車やコンビニ等はSuicaやEdyで、さらにホテルはクレジットカードで済ませる。このごろはタクシーもカードでOKになった」などと話したのです。これに反応して、冒頭の感想が書かれたわけです。現代の学生から見れば「何でもカード」で済ませるのは「お金持ちの証」と思ったのでしょうね。実態は、「カード」を現金の代わりに使っているだけなのですから、そのことを次の週に「解説」しておきました。
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重すぎる処分? 2016/02/16 Tue 4866
少し前のこと、地元紙に「飲酒運転で事故『免職重すきる』」との見出しが載った。元小学校教頭が熊本地裁に提訴したという。そもそもは、元教頭が飲酒運転で事故を起こして熊本県教育委員会から懲戒免職の処分を受けた。これに対して「免職は重すぎる」という訴えである。元教頭は熊本県内の温泉施設で缶酎ハイを飲んで乗用車を運転して、民家の生け垣に衝突したが、そのまま帰宅したとされる。
元教頭は「酎ハイを飲んだかどうか覚えていない。事故はうつ病や不眠による居眠り運転が原因で、免職と退職金不支給は裁量権を逸脱している」と主張しているという。
「うーん」と唸ってしまう。そもそも「酎ハイを飲んだかどうか覚えていない」とはどういうことなのだろう。そのこと自身は温泉施設の関係者が確認しているのだろうし、おそらく飲酒のチェックもして、「事実」と認定されているのではないか。また「生け垣」の損害の程度はわからないが、「そのまま帰宅した」というのはどうしたことか。事故の原因が「病や不眠による居眠り」だとしても、「そのまま帰ってしまった」ことの理由になるのだろうか。
ともあれ、この種の訴えは、最高裁までいくと「懲戒免職は重すぎる」といった判断が出る傾向がある。他の犯罪の刑罰とのバランスを欠くというのが、その理由のようだ。そんなこともあるのか、こうした訴えがなされたという報道をけっこう目にする。これだけ飲酒が問題になっているのだが、法の「正義」では「バランス」が重視されるのか。かつて、法曹関係者間には「相場感」といったことばがあると皮肉られていた。
そもそも裁判所は法の「番人」だから、飲酒運転による事故の「予防」には関心をお持ちでないのでしょうか…。 |
不作為 2016/02/15 Mon 4865
人のことを言うのは易しくても、自分のことになると「ムニャムニャ…」なんてのはあっちこっちで見かけます。「あんたの『味な話の素』もそうだよね」と言われると「ムニャムニャ」です。まあ、人間は神様ではありません。誰だって「叩けばホコリが出るもんよのぉー」と、世辞に長けた、しかもチョイと悪そうな時代劇的おじさんから言われると、苦笑いしてしまう。そんな人がけっこう多いのではないでしょうか。それでも「批判的精神」はお互いに維持しておきたいものです。それが集まると、世の中だって少しずつでも変わっていきます。
それにしても、選挙制度は感心するほど変わりませんねえ。最高裁もとうとう一昨年の衆議院選挙を「違憲状態」との判断をしましたね。福岡高裁では「違憲」となっています。これまでの流れからすれば、「来るべくして来た結果」ということでしょう。この判決を受けて、「政治の不作為」と言った政治家がいました。この「不作為」というのは法律用語で「自ら進んで積極的な行為をしないこと(大辞林)」というわけです。
定数は自分たちの利害関係に直接関係していますので、政治家が「ムニャムニャ」とは言いながらも、先に進まないで、ここに至ったわけです。しかし、「憲法違反」ともなれば、自分たちの存在そのものが疑わしくなるのです。そのままだと、きわめて保守的に見える最高裁が「違憲」と言い出すかもしれません。さらに「選挙の無効」にまで行けば、論理的には再選挙でしょう。そのときは国会議員に選挙費用を出してもらいましょうね…。
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早朝夕刊(am06:30) 「クリード チャンプを継ぐ男」 2016/02/14(2) Sun 4864
今年は元日に映画「クリード チャンプを継ぐ男」を観にいきました。映画が国民的娯楽だったころは元日の映画鑑賞は珍しくはありませんでした。そう言えば、2012年の元日には「エンディング・ノート」という終活ものを観ました。
さて、「クリード」ですが、私はこの手の映画にはほとんど行きません。ただ、予告編を見ると、あの「ロッキー」のシルヴェスター・スタローンがトレーナーになってチャンピオンを創る物語のようで、興味が湧いたのでした。じつは「ロッキー」も観たことがなかったのです。ただ、「前期高齢者」としては、年老いた「ロッキー」が若者を育てるというだけで、観る気になったわけです。
さて、内容はと言えば、ボクシングの打ち合いが本物に見えるところが、じつによくできていました。もっとも、あれだけ猛烈な打ち合いをしながら12ラウンドの判定になるというのは、いくら何でもリアリティに欠けていました。まあ、そこが映画というエンターテインメントなんですよね。そんなわけで、それなりに満足して帰ってきました。 |
ネズミ三代 2016/02/13 Sun 4863
白樫先生は西南学院大学から鳴門教育大学、さらに大阪大学へ移籍され、定年で退職された。その後、私立大学でお仕事を継続されていたが、現在は「『サンデー毎日』の日を送っている」とのメールをいただいたことがある。
さて、その白樫先生は私の一回り違いの大先輩である。つまりは干支がネズミということだ。さらにもう一回り年配の超大先輩に、三隅二不二先生がいらっしゃる。この「歴史的事実」は私も知っていたが、白樫先生からおもしろいエピソードを教えていただいた。
ある日、三隅先生が白樫先生を福岡市の天神にあった飲み屋に連れて行かれた。そのお店で突き出しが出た瞬間に、三隅先生は「白樫君、出よう」と言われて席を立ち、別のお店に移られた。そこでまずはビールを一口飲まれた途端に「先ほどの店の女性の態度がいかん」と言われたという。白樫先生が「それにしても移動はお早いですね」と仰ると、三隅先生は「自分はネズミ年だから…」と笑って答えられたそうだ。そのとき、白樫先生は三隅先生が同じ干支の生まれで一回り違うことを知られたのだった。
三隅先生の直情的かつ反射的な行動パターンが蘇ってきた。先輩たちの中には三隅先生にビリビリしていた方々もいらっしゃった。これに対して、私たち世代は二回りも違っていて、相当程度に傍若無人的行動を取っていた。それでも、それほど怒られることはなかった。お嬢さんが私たちと同じ年で、ご自分の子どもを観る感じだったのではないかと思ったりする。三隅先生は2002年5月に78歳で逝かれた。
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白樫三四郎先生 2016/02/13 Sat 4862
昨日の本欄を読まれた白樫三四郎先生から「お誕生日、おめでとうございます」とのメールが届いた。「今日は道雄の誕生日」からはじまる母の日記を紹介したことから、昨日が私の誕生日と思われたようだ。すぐに「私は10月生まれです」とのメールを送らせていただいた。それにしても、まともに読めば誰もが「そう思うよなあ」と反省した。とにかく、「今日は道雄の誕生日」が冒頭に来て、その後に何の説明もしていない。だからほとんどの方が「今日が吉田の誕生日」と思われたとしても当然だった。ことば足らず、説明不足である。
私のメールに対してすぐに白樫先生からご返事が来た。「失礼しました。吉田さんのお誕生日は10月だったのですね。お母上様の日記を読み誤りました」と書かれていた。こちらのチョンボだから、大いに恐縮してしまった。
ところで、白樫先生は私の大先輩、と言うよりも先生である。私が生まれて初めて「査読付き」の論文を書いたとき指導してくださった。ここで「査読」とは、提出された論文を複数の専門家が読んで、専門誌に掲載するかどうかを審査することである。審査の過程で、査読者と著者の間でやりとりがある。査読者が指摘した問題点などに著者が答える、あるいは修正するといった作業が行われる。これが相当の期間を要することもあれば、結局は掲載不可ということもある。こうしたことから、「査読」に合格した論文は価値が高いとされる。これから大学や研究機関に就職しようとする若者にとって、「査読付き」論文の数は大きな意味を持っている。「味な話の素」などと軽々しいネーミングのコラムに「どうでもいい屁理屈」を書くのとはレベルも品格も違うのである…。 |
地べたの記憶 2016/02/12 Fri 4861
「今日は道雄の誕生日。夕方、□□(註:長女の名前)と一緒に食事をすることになっているので、電話でお祝いだけ云っておいた。もう23歳になった。吉井にいたころ、2歳くらいだったと思ふ。夕食の用意をしている時に何かとじゃまするので戸の外に出したところ、癇癪をおこしてオーバーを着たまま地べたに大の字になって泣き出した。その格好がおかしくておこることも出来なかった事がまだはっきりと浮かんでくる。道雄は優しい思いやりのある子で、神様は私に本当にいゝ子を授けてくださったと有難く思ふ」。
ご推察までもなく、これは私の母が息子である私のことを書いたものである。このとき母は45歳だった。それから2年が経過した10月に母は手術ミスで逝ってしまった。
ところで、人間の記憶はどこからはじまるのだろうか。私には「地べた」に寝っ転がって癇癪を起こしている自分を記憶している。それもかなりはっきりしたもので、子どものころからイメージがあるのだ。母の日記を読んで「ひょっとしてこのときか」と思ってしまった。しかし、そうなると私が2歳くらいということになる。そんなに早期から記憶が残っているものなのか、かなり怪しさが漂う。いまとなっては、事実を確認することはできない。しかし、私自身は「このときだったのだ」と思いながら、母親とともに生きていくのもおもしろい。そう言えば、小さなころ「息苦しさに身をよじりながら暗闇から明るみに出た」記憶があった。まさか「この世に生まれるときの体験」なんてものではあり得ませんよね。前期(元気)高齢者が、やや危ういことを言い始めました…。 |
早朝夕刊(am05:54) はじめは「どっち」から? 2016/02/11(2) Thu 4860
皆さんは食事のときに、「おいしいもの」から食べますか、それともそれを後に回しますか。これは「好きなもの」と言い換えてもいいでしょうか。こんな疑問が頭にふと浮かんで、私自身は「どうだろうなあ」と考え込んでしまいました。人間って「その場にいない」と「どうするか」が意外にわからない。そんな気がするのは私だけなのかなあ…。
そうは言いながら、夕食ではメインと思われる、たとえば、お皿の上にしっかり載っている煮魚があれば、まずはそれにお箸を入れますね。それは私の大好きなものでもあります。そうなると、「好きなものから」ということになるのですが、「メインから」という考え方もできます。いずれにしても、「あっち」をつまみ、「こっち」にもお箸を出すのでは、全体が散らかってしまいますので、これはまずいでしょう。そんな点で、「おいしいものから」「好きなものから」とは別の「順番」という基準もありますね。何はともあれ、まずは「味噌汁」というのもいい感じです。 |
あのころの日本 2016/02/11 Thu 4859
昨日の「英文対訳」の原典は〝The JAPAN THAT CAN SAY NO〟by SHINTARO ISHIHARA である。Simon & Schuster社から1991年に出版されている。ここまで読まれただけで、さらにその原典がおわかりの方がいらっしゃるに違いない。それは「『NO』と言える日本」である。著者は当時のソニー会長盛田昭夫氏と政治家石原慎太郎氏である。講談社から1989年に出版された。その書名からセンセーショナルで、当時は日米で議論を呼び起こした。
ただし、英訳には盛田氏の文章は含まれていない。すでに25年の年月が経過して翻訳本は絶版だということだが、私は1996年に西オーストラリア大学の生協で手に入れた。
日本はアメリカに〝Yes〟しか言わない。すでに日本はハイテク、とりわけ半導体技術ではアメリカを凌いでおり、それを交渉の力として活用すべきだ。そんな主張が展開されるのだが、私自身は「元気が良かった、古き良き時代」の日本を思い浮かべる。いまやその優位性は失われてしまった。現在の若者たちは、あの時代を知らない。NHKでは「電子立国日本の自叙伝」と名づけられたシリーズが放映されていた。先人が血の出るような苦労をして、世界のトップを走る技術立国となった。それを誇らしげに振り返る番組だった。この成功が、後の「プロジェクトX」に繋がっていったと思う。
いずれにしても、複雑な思いでこの英訳版を読んでいる。古い本を読むのは、現在と対比ができて、いろいろな思いが募る。そのときの国民的メンタリティも浮かび上がる。それは「先見の明」だったのか、そうでなかったのか…。
なお、文中に登場する源田実氏は大戦中の海軍軍人で、戦後は航空自衛官を経て政治家になった。 |
ある対話 2016/02/10 Wed 4858
〝Genda once said to me, Japan will be all right. We can defend ourselves.〟あるとき源田(実)は私に「日本は大丈夫だ。われわれは自分たちを護ることができる」と語った。〝When I asked him what he ment he said.〟私が彼に「それはどういう意味だ」と聴くと、〝With our technology.〟「われわれの技術力によってだ」と答えた。 〝His idea was that our national gift for improving and refining everything
from Buddhist to semiconductors is the keystone of our security.〟彼は「仏教から半導体まで、あらゆるものを改善し精緻化する日本人の天賦の才能が、わが国の安全保障の要である」と考えていたのである。〝I agreed completely, adding that we must press ahead and develop new technology
with diverse potential applications, without becoming a major military
power.〟私はその考えに完全に賛成したうえで、「われわれは、多様で潜在的な応用力を使って、新技術の開発に邁進しなければない。ただし軍事的に大きな力を発揮するのではない」と答えた。〝Genda said Japan should gain a five-year lead in certain major technologies and try to extend it to a full decade.〟源田は「日本は、特定の重要な技術で5年間のリードを獲得し、さらにそれを10年まで拡げる努力をすべきだ」と述べた。〝With a ten-year advantage, Japan would be secure through 2025.〟「10年先を行っていれば、日本は2025年までは安全を維持できるだろう」。〝The question remains, however, whether Japanese politicians can use our high-tech card effectively in the international arena.〟しかしながら、日本の政治家が国際舞台でわが国のハイテクをカードとして活用できるかどうかという疑問が払拭できないままでいる。
何とも読みにくくなってしまいましたが、明日に続きます。 |
早朝夕刊(am08:56) 高齢者の落差 2016/02/09(2) Tue 4857
NHKの朝のニュースで脳梗塞で体が自由に動かせなくなった一人暮らしの男性を取り上げていた。横浜にある単身用の宿泊所で暮らしている。「ここで一人で死んでいくしかない」。そんなことを語る。なんとも厳しい現実である。
それから10分と経過しただろうか、同じニュースの時間帯だが、スポーツジムでダンスをしている高齢者が映る。そこで汗を流した後に、別の部屋に移動する。そこには団塊の世代が喜びそうな1960年ころの懐かしき教室がある。そして、仲間と楽しそうにビールを飲む。何とも愉快な現実である。
この二つのトピックの落差に何とも言えない気持ちになった。人はどうしてこんなに違ってくるのだろうか。 |
元気高齢者 2016/02/09 Tue 4856
とにもかくにも、いろんな仕事も継続させていただいている。先日、あるところで講演したところ、「先生はトレーニングをしていらっしゃるんでしょう」とお声をかけられた。講演時間中はウロウロし、勝手に興奮して声を上げ、両手を大げさに振って動き回る。おそらく「なんだ、このおっさんは」と思われたのだろう。
そのせわしない動きから、「エネルギッシュ」な人間だと「勘違い」されて、「トレーニング」でもしているのかとの質問が発せられたようだ。もちろん、私はトレーニングなどはしていない。ただ、ひたすら「落ち着きのなさ」故に、授業では教壇はおろか学生たちが座っている机の間にまで侵略する。これがまた「こっそりメール」や「気が遠くなる」対策にもなっているから、一石二鳥なのである。講演で立ちっぱなしは当然だが、午前と午後で6時間ほどの研修でも、立っている時間の方が座っている時間よりも遙かに長い。
かくして、少なくとも現時点では、元気に毎日を過ごさせていただいている。そこでふと思った。「われながら元気だよな」と。そして「そうだ、『前期』高齢者だけを売りにするのはやめよう」。そして頭に浮かんだのは「『元気』高齢者」である。そうなんです。私はこれから「元気高齢者」として動き回ることを宣言しまーす! |
生徒からのメッセージ(14) 2016/02/08 Mon 4855
さすがに「生徒からのメッセージ」も終わりに近づきました。ただし、まだ終わりませんが…。
37)校長先生の指揮がとてもよかったし、歌声もきれいでした。来年もがんばってください。
早くも「来年」への期待まで表明されて、校長はもちろん、おそらく一生懸命に歌った教職員も嬉しがったことだろう。
38)今年も蝶ネクタイで登場され、歌ってくださり、とても印象的でした。場を大変盛り上げてくれたと思います。それでも「オーラリー」はなにかしみじみとしていました。校長先生の指揮もとても絶妙で…。とても感動的でした。ありがとうございました!
39)校長先生の指揮がよかったです。赤の蝶ネクタイもなかなかでした。授業中の先生方とは違う一面を見ることができてよかったです。来年も期待しています。あと、□□先生の服の変化も楽しみです。
教師たちの合唱が「場を盛り上げてくれた」というのだから、これまた感激していい。「今年も」という表現から2年生以上であることがわかるが、「絶妙」なることばも使うなど、しっかりしている。教師の「授業中とは違う一面」を見たとして喜んでいるのも、好意的な評価である。なお、「□□」は音楽の女性教師の実名が書かれている。服装でもアピールしたことが窺われる。 |
早朝夕刊(am06:01) 家庭内平和 2016/02/07(2) Sun 4854
このごろは「前期高齢者」を「売り」にしている。そうは言いながら、初詣に行ったら、私も来年は「古稀」らしい。何と「古来稀なり」の年を迎える。こうなると、いつ何時どうなるかはわからない。現に、ほんの少し前に私より1歳お若くて、昨年3月に定年で退職された元同僚が亡くなられた。その日もいつも変わらない様子だったという。
私はといえば、今のところ健康で仕事ができている。シニア教授ということで、研究室も退職前のままで使わせていただいている。ありがたいことである。基本的には週20時間の勤務だが、研究室があるから、それまでと同じ感覚で出かけている。これが私の精神状態にプラスに働くことは言うまでもない。しかし、その恩恵はそれだけに留まらない。つまりは「家庭内平和」にも絶対的な効果がある。定年退職後の「主人」は「居場所」を失うことが多いらしい。「年寄りのヒヨコがうるさくてしょうがない」。まあ、こんな評価を受けるわけだ。そんなことだから、家内はお友達からも「吉田さんのところはいいねえ」とうらやましがられているようだ。私も家内の手作り弁当を持って、仕事場へせっせと出かける。ありがたや、ありがたや。感謝。 |
今月の写真 2016/02/07 Sun 4853
今月は「富士山」と洋ランの「デンドロビューム」です。
熊本から羽田に向かうと、高度を下げ始めて間もなく富士山が見えます。もちろん、いつもというわけではありませんが、季節に応じた色合いで目を楽しませてくれます。時期としては寒いころがよくて、静岡県の掛川付近からも「デッカい富士山」が見えたりします。このときは写真の左側に日本アルプスの山々がその勇姿を競っており、富士山まで含めた一大パノラマが眼下に広がっていました。写真の下の方には海を右手で囲んだような三保の松原が写っています。富士山に繋がる雲のあんばいも良くてすばらしいひとときを過ごしました。
もう一枚は洋ランの「デンドロビューム」です。いまわが家で花が開いたところです。もう2年前の3月になりますが、私が退職する際に、皆さまのご好意で退職記念講演を開催していただきました。そのときに、本当にたくさんのお花を頂戴しました。もちろん、そのすべてを育てられるほどの「お屋敷」には住んでおりません。そこで、ほんの一部ですが、家内が肥料を与えて大事にしていたのです。それが今年も花を開かせたというわけです。もう一鉢、「紅小町」もあって、現在はつぼみがたくさん状態で、もうすぐ紅色の花を咲かせる段取りになっています。こうして、「ああ、2年前だったなあ」と退職の日を懐かしく思い出すのです。植物はことばで語りかけてはくれません。しかし、私たちの目に、そして場合によっては鼻にも働きかけて、記憶をリフレッシュしたり、心を癒やすのに大貢献しています。
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早朝夕刊(am06:30) いつの間にか消えた情報 2016/02/06(2) Sat 4852
私たちの記憶はいつも「怪しい」と考えておいた方が安全です。そもそも記憶は「薄れていく」ものなのです。そして、それがまた「効用」の側面をもっているのです。たとえば肉親を失うなどの辛く悲しい事実を、そのときのままの状態で「記憶し続ける」ことになれば、仕事への復帰もできません。そこで「後ろを振り返っても仕方がない。前を向いて生きていこう」という呼びかけが人の背中を押すのです。ある意味では、私たちには、よりよく生きるために「忘却力」が備わっているとも言えるでしょう。しかし、ものごとには必ず「裏表」「光と影」があります。さまざまな局面で「風化させてはいけない」ということばが発せられます。しかし、それを現実にすることは至難の業です。
もういつのころからでしょうか、12月8日の新聞にあることが書かれなくなった気がします。そうです日本が米英に宣戦布告を出して、真珠湾を攻撃した日です。昨年は太平洋戦争終結から70年でしたが、私が見る範囲ではこれを扱ったものはありませんでした。これも「風化」の一つなのでしょうか…。 |
教師の懲戒免職 2016/02/06 Sat 4851
早朝夕刊の「唱歌:れーっかは」にしようと思ったが、内容が重すぎるので通常版に入れることにした。
熊本市で教員の酒気帯び運転が起きた。地元紙には中学校の名前まで出てしまった。酒気帯びだったが事故は起こしていない。しかし懲戒免職となった。熊本市教委によれば、教員は午後5時半から約2時間ほど、市内のホテルであった生徒指導担当者の懇親会でビールをコップ約10杯を飲んだ。その後、校長と近くのスナックに移動し、午後11時過ぎまで焼酎の水割りを2杯飲んだという。それからホテルの駐車場に戻って午後11時40分ころ車を運転して出たところを警察官に止められた。そして、呼気から基準値の2倍超のアルコール分が検出されたわけだ。
これを受けて市教委はこの教員を懲戒免職とした。さらに、摘発される直前まで一緒に飲酒していた同校の校長も戒告の懲戒処分を受けることになった。市教委は酒気帯び運転は免職か停職と規定しているという。今回、事故は起こしていないが、飲酒後すぐに運転しており、これを悪質と判断した。この種の摘発では、「仮眠をしたのでアルコールはなくなっていると思った」と弁解するケースが多い。それでも問題なのだが、この件では、「飲んですぐに運転」したという点が悪質とされた。もちろん邪推の域を出ないが、これが初めてのことではなかった可能性も高いのではないか。駐車場から出てすぐに警察官から止められたというから、張られていたのかもしれない。しかし、そんなことは問題にならない。「してはいけないことはしてはいけない」。ただそれだけのことである。ビールのコップ10杯と焼耐の水割り2杯程度で免職なんて…。
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見直し、欽ちゃん 2016/02/05 Fri 4850
芸能人が独身のような顔をして女性と子どもがいてもしかも知らんぷりを続ける。今の時代、そんな男は世間から轟々たる批判を受けるだろう。ところが、欽ちゃんは違っていた。世間に名が知られてからも、女性と子どもに密かに会い続けていた。「今の自分には邪魔になるから近づかないでくれ」。そんな邪険なことは言わないのである。かつてトップスターだった歌手が、その座から滑り落ちていたが、久しぶりに復帰するきっかけを掴んだ。そして身近にいた女性が邪魔になってその命を奪った。羽田空港の駐車場に止めた車のトランクに遺体を置いたまま、北海道の仕事に出かけていたのである。この歌手と欽ちゃんには、歌手とコメディアンという違いはある。前者の方が「女性がいること」と人気に関係が深いとは言える。だから、二人を同列で比較することはできない。しかし、それが人の命を奪う理由になり得ないことは子どもでもわかる。
コメディアンとはいえ、人気が上昇するにつれて、マスコミは「人気者」の裏に「女性」の影を探そうとした。そして、ある週刊誌が欽ちゃんが同じところに通っているのを嗅ぎつけた。そこが女性と子どもが住んでいる場所だった。それは疑いなく特ダネだった。しかし、そこで驚きのニュースが走る。欽ちゃんが、すでに結婚し、子どもがいることを記者会見で発表したのである。彼はマスコミに知られたことを察知し、先手を打ったのだ。私にとって細かい経緯はどうでもいいこと。女性の好意に甘えていた部分があるとは言え、欽ちゃんはずっと繋がりを持ち続けていた。そのことを知って、私は彼を見直した。 |
欽ちゃんの話 2016/02/04 Thu 4849
正月の箱根駅伝のテレビ中継中に「欽ちゃん」が映った。萩本欽一は駒澤大学に入学して話題になった、つまりは学生として応援にきていたのだろう。その画面を見て、半世紀ほど前のことを思い出した。
わたしはコント55号が世に広く知られる前に本物を見たことがある。その場所は銀座にあった日劇だ。私が大学生になった1967年の夏休みに東京に出かけた。叔父叔母が「遊びにおいで」と誘ってくれたのだった。その当時、二人は仕事をしていたにもかかわらず、時間を割いて私をいろんなところに連れて行ってくれた。その中に日劇が含まれていた。そのときは叔父だけだったという記憶がある。いわゆる幕間の「時間調整」でドタバタを演じたのがコンと55号だった。「この二人、このごろ人気が出てきた」。そんなことを叔父が言った。
萩本欽一といえば、感心したことがある。私は「欽ちゃん」に「わざとらしさ」を感じていて、好きなタレントには入っていなかった。ところが、数ヶ月前に読んだ本の中で、彼の人間性に心を打たれた。
彼は困窮する家を出て独り立ちを目指す。その行き先が浅草の芝居小屋だった。そこで劇場の時間繋ぎなどで芸を磨いた。こうした下積み苦労物語はビートたけしなどの大物などからもよく聞かれるネタである。欽ちゃんは、そこで踊り子と知り合って子どもも生まれた。しかし、その女性は欽ちゃんが世に知られるようになる前からか、それともその後かは知らないが、自ら「身を引いた」という。女性と子供が影に隠れて一生を過ごす。その一方で、男の方は順風満帆、時代とともにスーパースターになっていく。しかも、ヒーローは自分に子どもがいることすらひた隠しに隠す…。
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合体の行く末 2016/02/03 Wed 4848
民主党と維新の会が一緒になることを模索している。岡田代表は「新党結成」も視野にあるという。かなりの劣勢と日本共産党の伸長もあって、こちらとも手を結んでいいといったニュアンスの発言もあった。これには党内でも反対意見があったようだ。たしかに、両党の政策は徹底して違っているように見える。そうなると、第三者あるいは国民から、「とにかく選挙に勝つことだけを目的にしている」と見られてしまう。そうなると、野党第一党としては相当にまずい。これが維新の会とであれば「合体」にも壁が低いということだろう。それはそうだが、そもそも民主党自身が一枚岩ではなさそうだ。ここで「新党」となれば、「そんならボクはヤーメた」という人も出てきそうである。いや内心では「ボク、できれば自民党に行きたーい。でも、それってあからさまに言いにくいんだよね」と思っているメンバーも、けっこういるのではないか。そうなると「新党立ち上げ」や「維新と合体」を絶好の理由にして、「そんなんじゃあ、やってられませーん。ボクって自民党に入れてもらいまーす」なんて人も出るんじゃないかなって予感がする。それがグループ・ダイナミックスなんですよね。
ところで、甘利経済再生担当大臣の問題で国会審議が大渋滞する予想もあった。しかし、少なくとも民主党は、予算審議そのものには入るということにした。枝野幹事長に言わせれば「不本意ながら」ということではある。しかし、この戦術は当たりだろう。ここで予算審議を拒否していると、批判の矛先が野党に向いてきかねない。大事な議論は進めながら、責任は適切な場できちんと追及する。いまや、その方が効果的なアピールになる。そんな時代になったようだ。 |
早出し夕刊(am10:00) 微妙にいい話 2016/02/02(2) Tue 4847
関東地方のある県で、お年寄りの女性が封筒のようなもを警察に届けた。それをを開けると60万円相当の宝くじが入っていた。封筒には手紙もあって、昨年の「洪水で被災した〇〇市の方々にあげてください」と書かれていた。担当機関はこれを遺失物として保管していたが、所定の期間が近づ
いた。法律的には、こうした場合は手紙に書かれている市ではなく、県に寄贈されることになるらしい。そのことが報道されたのだろう、落とし主が現れた。それが何と「拾った」と言って封筒を届け出たお年寄り本人だった。自分のことがわかるのが恥ずかしかったのではないかと言われているようだ。あるいはご本人が、そう
言ったのかもしない。ともあれ、当初の希望通り、当選金は市に渡されたという。なかなかいい話である。
ところで、その当選金だが、12万円ほどだった らしい。再び、いい話だと思う。ただ、それなら現金60万円を入れた封筒を渡した方がもっと喜ばれただろうに…。イヤイヤ、そんなことを言ってはいけません。とにかく、
微妙に(?)、いい話ですよね。 |
偶然の〝BASIC〟? 2016/02/02 Tue 4846
この話の一部は本コラムで触れたことがあるので、以前からアクセスしていただいている皆さまにはお退屈さまでございます…。
私が熊本大学に赴任したのは1979年(昭和54年)10月1日のことです。その4月に発足していた「熊本大学教育学部附属教育工学センター」の専任講師として採用されたのでした。じつはこの年に、NECのPC-8001と呼ばれる歴史的「名機」が発売されたます。私はコンピュータ言語として〝FORTRAN〟はそれなりに勉強していました。そんなことから、〝BASIC〟はその甥っ子か姪っ子のようで馴染みやすいものでした。そして〝BBASIC〟でプログラムを組んで、出たばかりのPCを動かすのが楽しくて仕方がありませんでした。ようやく30代に達したばかりの私はその魅力に取り憑かれたのです。それからしばらくして「オタク」ということばが流行りましたが、私は〝PCオタク〟の走りだったと言えるでしょう。
ところで、やはり本欄で触れたことがあるのですが、〝BASIC〟という呼称がおもしろいですよね。これは〝Beginner's All-purpose
Symbolic Instruction Code〟の頭文字をとったものです。そのまま訳せば、「初心者向け汎用記号命令コード」です。「まずは人間が理解しやすい記号を使った命令コードを創ろう。それも『あらゆる目的』に対応できるようにしよう…」。そんな気持ちで開発したプログラムだから、そのまま〝Beginner's
All-purpose Symbolic Instruction Code〟と名づけた。ところが、「驚いたこと」には、その「頭文字」をとってみると〝BASIC〟と読めるではないか。まさに「初心者向きのプログラムとして、これ以外には考えられない!」と…。そんなできすぎた偶然なんてあり得ませんよね。最初に〝BASIC〟があって、それに合わせるためにしっかり頭をひねったんですよね、本当は…。
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初心を忘れた? 2016/02/01 Mon 4845
昨年7月のことだから、やや「賞味期限」切れっぽい話題。それは 100円ショップで知られる「ザ・ダイソー」が不当返品をして公取委から勧告を受けたという問題である。いまや100円ショップの王様「ザ・ダイソー」の大創産業が、公正取引委員会から下請法違反で再発防止を求める勧告を受けた。ダイソーが下請け事業者に対して売れ残った商品を違法に返品したなどがその理由だった。公取がこの種の勧告を公表しはじめた2004年以降に、勧告が2度目になるのはダイソーが初めてだという。つまりは改善されていなかったということだ。
その内容を見ると、日用品の製造委託先62社に対し、売れ残った商品を不当に返品した。また、2社に対しては商品の売れ行きが悪かったとして、発注前に決めていた予定単価の約6~7割引きで納品させたという。その額は1億4500万円ほどにもなる。会社は全額返還したというが、じつに悲しいことである。
その昔、同社が100円均一で世の中に出たとき、相当に苦労したはずである。そもそも100円の商品なんて、世の中から子どもだましくらいにしか受け止められていなかった時代である。おそらく「安かろう悪かろう」だと嘲笑されたこともあるに違いない。そうした厳しい批判や攻撃に晒されても耐え抜いて苦難の道を歩んできた。そして、いまや世界的な規模で展開するまでになった。それが「ザ・ダイソー」だったのではないか。
そんな苦労を背負ったことをいつまでも忘れない。それができてこそ尊敬される組織になれる。ふと気がついてみればドデカイ会社になって、小さなところに圧力をかける。それって、どう見ても「初心を忘れて」いますよね。 |
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