新PHP物語 2015/10/31 Sat 4738
私は{PHS}なるキーワードを創り、その実現を提唱してきました。松下幸之助さんの{PHP}はよく知られています。これは{Peace、Happiness、Prosperity:平和、幸福、繁栄
}の頭文字をとったものです。これに対して私の{PHS}は{Peace 、Happiness、Health、Safe、Smile }の5つの頭文字です。はじめの2つは松下さんとおなじです。いずれもよく使われる一般名詞ですから、このくらいで「パクリだ」とは責められないでしょう。私は、これを「組織内品質保証」の基本だと考えています。まずは働く人たちの{PHS}を高めることが何より求められます。それが不十分なままで、組織が生み出す「製品」や「サービス」の品質など議論する余地がない。これが私の主張です。ただし、この{PHS}については、過去にも本欄で取り上げたことがあります。今回は、その内容の紹介とは違った話題です。
私は昨年の3月に熊本大学を定年で退職しました。その後に、ある方から「『グループ・ダイナミックス』について勉強したいのでご指導いただけないか」とのご相談がありました。その方からのご依頼で、2年ほど前に「セミナー」の講師を務めたことがあったのです。そうしたご縁から、私の「退職記念講演会」にもご参加していただいていました。私は「Yes
man」として生きてきた人間です。このときも「いいですよ」と即答しました。そして、昨年の7月に3人のメンバーと私で毎月1回の勉強会をスタートさせました。その後すぐに二人が加われて、メンバーは5人になって今日に至っています。
さて、この会に名前をつけることになったのですが、メンバーから「『吉田塾』に」との声が挙がりました。私自身は、気恥ずかしさを感じたのですが、皆さんの総意だと思いましたので、それで行こうということになりました。 |
組織の不祥事とリーダーシップ欠如 2015/10/30 Fri 4737
群馬大学病院で肝臓を手術した患者が短期間に相次いで亡くなった。それも同じ医師が担当したのだから驚くと言うよりも、信じがたい。その後に設置された病院の管理体制を検証する改革委員会が記者会見をした。その内容が報道されている。そこで「最大の要因」として挙げられたのが、同じような手術を行う「第一外科と第二外科が独立に運営されていて」、お互いに協力する体制になかった点だ。山崎豊子の「白い巨塔」ではあるまいし、まるで前世紀の遺物がまだ残っているわけだ。
とはいいながら、人間の組織はそうした危険性をいつも持ち続けているのである。その結果が人命に関わる組織ですらこんな状況なのだから、とにかく人間という生き物は困った特性を背負っているのである。別の科が、とんでもないことが起きている実態を知らなかったはずはない。しかし、「それはアチラの問題」なのである。あるいは「ケチをつけると自分たちもまずい」とか、「今後がやりにくくなる」といった関係にあったのかもしれない。さらに別の科の「失点」を冷笑するようなことさえあり得ることである。相手の失敗でこちらの価値が上がるとなると、「もっとミスれ」などと悪魔のような気持ちさえ生まれてくる可能性すらある。こうした人間の怖さをしっかり押さえておかないと、組織は暴走し、ついには崩壊の憂き目に遭う。
委員会は「病院長や診療科長(教授)が指導力不足だった」と指摘している。マスコミ情報のみで個人を責めるのは気が進まないが、これはまさにリーダーシップ欠如そのものである。そんな状態で命が失われてしまったのだとすれば、個人的にも責任は重いといわざるを得ない。しかし、「群馬大出身者が多く、閉鎖的でものを言えない風土もあった」と指摘しているから、このときの責任者でなくても同じことが起きた可能性は低くない。私は「世界中で起きた事故の原因は『言いたいことが言えなかった』か『言っても聴いてもらえなかった』かのいずれかしかない」と主張してきた。そして群馬大学もその典型的なケースの一つである。 |
人生のイエスマン 2015/10/29 Thu 4736
さて、それがいつごろだったか記憶にないものの、夜中に膀胱が満タンになって目が覚めるようになった。その度にトイレに行くことになる。これは生理現象だから、ホテルに泊まっているときも同じことが起きる。ともあれ、こうした「習慣」が数回ほど続いたころ、「ああ、自分も年をとったのだなあ」と思った。いわゆる頻尿が高齢者に特有の現象だと聴いたことがあるような気がしたからである。それが科学的な事実なのかどうか、とくに確かめたわけではない。
ともあれ、「年をとったか」という思いと同時に「それならそれでお付き合いせんといかんなあ」と心のなかで独り言した。そのとき「こまったあぁ、これからずっとなのか」といった困惑はまったくなかった。私自身、その淡泊な「受け入れ心」」にはささやかな驚きがあった。そして、それからほとんど一晩に一回は「いつものように」トイレに行くようになった。もちろん、用件が終われば、またしっかりと眠りについている。こうした変化が起きる前は、4時ころに起きて「騒いで」いた。とにかく「朝からキャッキャ」が私の売りなのである。ところが、「夜中に一仕事」するようになったことから、目が覚める時間が微妙にずれてきた。大雑把に言えば、30分から1時間というところだ。つまりは、目が自動的に開いて「キャッキャ」となるのが、4時半から5時ころに移動した。
まあ、それでも朝食までは十二分な時間があるから、ちゃんと仕事ができるのはこれまでと変わらない。とにかく朝は仕事が捗るのである。私がこれまでの人生で書いたものの大半はこの時間帯にできたものだ。それに、「真ん中で起きる」ことが習慣化されたことから、睡眠時間も30分ほどは長くなったような気がする。これまたけっこうなことではある。
自分の体の変化を受け入れ、それに応じて、生活リズムが変わることを淡々と受け入れたことが嬉しい。私はここでも「イエスマン」であることを維持できたと思っている。ありがたや、ありがたや。 |
あいまい記憶の楽しさ 2015/10/28 Wed 4735
子どものころに一時期、柱時計の音がうるさくて、寝付きにくい体験をしたことがあった。しかし、そんなこともいまでは懐かしい思い出である。それを「克服(?)」してからというもの、枕を選ばずどこでもすぐに眠りに入る。仕事などでけっこうホテルに泊まることも少なくない。それに学会で海外に出かけることもある。しかし、いつでも、どこでも、とにかく「快食快眠」なのである。そんなわけで、ベッドに入るときは、いつも「ありがたや、ありがたや」と感謝している。そして、とりわけ冬には「UDuDuDuう!」と叫んでいる自分がいる。この部分については、私の講演をお聞きいただいた方でないと理解できないはずだ。もっとも、実態を言えば、「感謝の雄叫び」をする前に寝込んでしまうことの方が多い。
さて、そんな感じで朝までしっかり眠っていた。ここで「いた」と過去形を使ったのは、いつのころからか、夜中に目が覚めることが増え始めたからである。その開始時期について、しっかりした記憶はない。おそらく、この1、2年ではないか。それにしても「1年か2年かわからない」とは、何ともいい加減な推測である。しかし、それはそれでけっこうではないか。そもそも、「記憶ってそんなもんだ」と考えている方が人生の「安全装置」として有効なのだ。「自分の記憶は絶対に間違いない」。私としては、そう仰る方に反論などするつもりはない。ただ、私は「記憶の怪しさ」を「信じて」いるわけだ。もっとも、だからと言って悲観しているのでもない。記憶があいまいだからこそ、それをぼんやり思い出しながら楽しむこともできる。また、母親を亡くしたことも、「心に残る」思い出として振り返ることができる。その「すべて」を思い出せないことに悲しさとはるか昔の映画を見るような楽しさが混じり合う。 |
柱時計 2015/10/27 Tue 4734
いつも午後10時台に就寝するのが目標である。その通りになるのが3日に2日くらいで、1日は11時を回ってしまう。ただし、12時を越えて「明日」になることはない。私の人生で、いわゆる「本物の徹夜」をしたことは皆無といっていい。ここで「本物」というのは、夜中に一睡もせず、かつ翌日の夜までしっかり起きていたことを指す。もっとも、私は「にせもの徹夜」さえ、ほとんどしたことがない。ここで「にせもの」とは、夜中は起きていたものの、翌日の午前中には眠りこけてしまったケースである。その中には、入院していた父や母の容態が夜中に悪化し、そのまま朝になったときが含まれる。こうしたときは神経も張り詰めていて、眠気を催すはずがない。しかし、私が思い出せるのはそれくらいのものである。
私が小学生だった一時期、なかなか寝付けなかったことがある。なぜそうだったのか、その記憶はない。とにかく柱時計の振り子が振れて、「コチコチ」と時を刻む音が気になった。その上、真夜中だというのに、1時間ごとに「ボーン、ボーン」と時間を知らせるのがうるさくて仕方がなかった。ここまで書いてきて、「あれは中学生のときだったかもしれない」という気もしてきた。人間の記憶というものはこの程度なのである。もっとも、「それはあなただからでしょう」と言われるかもしれない。いずれにしても、今から考えると何とも神経質な子どもだったものである。人間の成長の過程ではそんなこともあるのだろう。それはそれで、「自分もけっこう繊細なところがある」などと感じていた。そんな記憶もある。 |
サテライト講習 2015/10/26 Mon 4733
ところで、教員免許状更新講習は「必修」と「選択」から構成されています。ただし、来年度から「選択必修」が入るといった変更が行われるようです。制度の導入から7年が経過していますから、それなりの改善も必要でしょう。
私は講習のスタートから数年間、「必修」を担当していました。それから3年ほど前に「対人関係スキルアップ・トレーニング」という講座名で「選択」コースをはじめました。こちらは、1日6時間です。この領域を専門としてきた者として、自分からこれを提案させてもらいました。最初は「必修」が主で「選択」が1コマで、いわゆる試行をしました。
その結果、新たに加えた「対人関係スキルアップ・トレーニング」はそれなりに評価していたきました。そこで調子に乗って、2年目からは6回の実施に切り替えました。熊本大学では熊本県内5ヶ所で、サテライト講習を開催しています。熊本県も広くて、天草、人吉球磨地方や阿蘇など、海あり、山あり、盆地ありなのです。人吉は高速がありますが、天草方面は一部が有料道路になっているものの、大半はいわゆる一般道です。天草市でも熊本市から100kmほどあって、時間距離は福岡よりも遠いのです。そんなことで、熊本市内で開催される講座を受講するためには宿泊が必要な人も出てくるのです。そこで、熊本大学としては、天草、玉名、阿蘇、八代、人吉の5つの会場で講習を実施することにしたわけです。その効果はあって、各サテライトでの開催は、熊本市内から遠いところに住んでいらっしゃる先生方から大いに評価していただいています。そして私はこのサテライトと熊本大学での講座を含めて、6回を担当しているわけです。とにかく「トレーニング」が大好きなのです。 |
教員免許状講習8年目 2015/10/25 Sun 4732
ここにきて文部科学大臣から、「大学入試センター試験」を「ようやく」見直すような雰囲気の発言が出はじめたようです。この間、36年もの時間が経過しているのです。とにかく「走りはじめたら止まらない」のです。人間は強力な「忘却力」も常備していますから、「いつの間にか当たり前」になるのです。私たちの行動は「慣性の法則」に支配されているのです。
さて、昨日も話題にした教員免許状更新講習ですが、私は試行の年から関わりをもたせていただいています。つまりは8年目ということです。スタートした当座は受講者の先生方も「何でや」という思いがあって、けっこう厳しい雰囲気が漂っていたものです。それでも、私としてはまじめに仕事をしてきたつもりでいます。そうしたこともあって、先生方からも「制度の趣旨には疑問も感じるが、講座そのものは勉強になった」といった好意的な評価をいただくことが多くなっています。担当者としては嬉しい限りですが、さらにいいものをご提供できるように努力したいと思います。もっとも、私は大学を退職した前期高齢者です。講習を担当している事務局から「手伝ってもらえないか」とのお誘いをいただいて、今年も開講させていただいた身です。いつ何時「アウト」になるかわかりません。今年度の担当講座はつい先だって終了しましたが、とりあえず「次年度も」というお誘いはございました。私は基本的に「Yesしか言わない」人生を送ってきましたので、今回もお受けすることで返事をしました。 |
走り出したら止まれない 2015/10/24 Sat 4731
教員免許状は2009年から更新制になりました。それから7年目が進行中です。何と言っても、この制度をつくったのが安倍政権です。政権交代のときには「すぐにも廃止される」ような「うわさ(ですか)」が飛び交っていましたが、政権がご本人に戻ったのですから、当面は廃止などという議論はあり得ません。それに、世の中にあるほとんどの制度がそうであるように、こうしたものは一端動き始めると「急には止まれない」のです。すでに7年間にも亘って受講した人がいるわけです。そこで廃止となれば、その方々にどう対応するかがややこしい問題になります。とにかく「走り出すと止まれない」のです。そこを狙って「走り出せ」という戦術も出てくるわけです。そうなるともうこっちのものということでしょうか、十分な検証も行われることなく続いていきます。
大学入試センター試験は1979年の1月にスタートしました。いまから35年も前のことです。この制度で先導的な役割を果たしたのは当時の文部大臣である永井道雄氏でした。「いまの大学は東京大学を頂点にピラミッド型になっている。自分はこれではいけないと考えている。日本アルプスには、個性的な山々があって。それぞれが競っている。日本の大学もこうした切磋琢磨するものにならなければならない」。とまあ、こんな理由で「共通一次試験」が導入されたのです。しかし、この制度はスタートしてすぐに「大学序列化」の手段になった感があります。それには東京大学などの対応が影響しているのですが、少なくとも永井氏の「気持ち」とは正反対の方向に展開していったと言うべきでしょう。そして、永井氏の発言を記憶している人はもうほとんどいないのではないかと思います。あれから36年もの歳月が経過しているんですね。「走りだしたら止まらない」のです。 |
Watching 2015/10/23 Fri 4730
私が仕事をしている「グループ・ダイナミックス」ですが、その目的は「集団における人間行動の法則を発見する」ことと「その法則を実践に活かすこと」とされています。私もこの言い回しそのものに反論はありません。ただし、すでにお話ししたように、人間の行動については、厳密な意味での「普遍的な法則」はないと考えています。
それではどうするかです。私に言わせれば、「行動の法則を探究する」といった遠大な目標よりも、とにもかくにも人間の行動をウォッチングし続けることこそが大事なのです。それを通して、「人間行動を理解する」ことが可能になるんですよね。
英語辞書〝watch〟のトップには「じっと見ている、見守る、注意してみる;見物する、観察する」といった語義が並んでいます(ジーニアス英和辞典)。つまりは「しっかり意識してものを見る=注視する」ということです。その名詞形が〝watching〟です。そんなわけで、「ウォッチング」は、ただ漫然と目の前の世界を見ているのではないのです。ここで大事なことは、自分の周りで起こる様々な事柄を注意深く観察するという意識や意欲です。そして、何らかの気づきや発見があれば、それを冷静に受け止めることも必要です。自分の目の前で、これまで見たことがないようなことが起きます。そんなとき、とにかく驚いたり、喜んだり、悲しんだり、さらには憤ったりするのは人間として当然のことです。しかし、ここで「ウォッチング」にこだわれば、その事実をできるだけ感情を抑え、冷静に受け止めることが求められるのです。単純に「とんでもない人がとんでもないことをしている」と捉えれば、それでおしまいです。「どうしてあの人はあんなことをするのか」「なぜこうしたことが起きているのか」。そうした「どうして?」「なぜ?」という問いかけが大事なんですね。 |
まずは写真2枚から 2015/10/22 Thu 4729
このところ、私は講義や講演、さらに研修で好んで取り上げるネタがあります。本当はパワーポイントのスライドを提示すればわかりやすいのですが、ちょっと重くなりすぎるため、「文字表現」でボチボチと参りましょう。はじめに2枚ほど、「筆記具を持った指先」の写真を提示します。ここでは、はじめからネタを明かしておきますと、それは「親指」を筆記具の上にかかってそれを覆い被せるような持ち方のものです。本来は、「親指」と「人差し指」で筆記具をつまむように持つのが「教科書的」な「正しい持ち方」です。それを「中指」でしたから支えるわけです。ところが私が見る限り、学生たちは、「公式握り」の方が少ないのです。皆さんはいかがでしょうか。職業人を対象にした講演会などでも、「非公式タイプ」がけっこう多い気がするのですが…。
ともあれ、最初の2枚で「何か気づくことはありますか」と問いかけると、「筆記具の持ち方ですか」と答えが返ってくる確率は20%程度でしょうか。私たちは「そうではないか」と思っていても、その気持ちをはっきり伝えない傾向がありますね。私はこうした質問を全体に投げかけるのではなく、教室や会場を動き回って、個別にお聴きすることにしています。それでも、この段階では「わかりません」と言う方が数としては多いですね。そこで、さらに「覆い被せ方」の度合いが進んだ写真を2枚追加します。ここまでくれば、「持ち方のおかしさ」を指摘する人が多くなります。それでも粘着質の私ですから、もう2枚、こちらは「おかしい」と言うしかないような極端なケースを提示するのです。
この6枚はすべて女子学生の手元で、授業の際に撮ったものです。もちろん、その際は「授業などで使用する」ことを明言して撮影を許可してもらいました。したがって世の中で問題になる「盗撮」ではございませんので、念のため…。 |
水と集団の三態 2015/10/21 Wed 4728
もう少し「化学」にこだわって、水の分子を取り上げてみましょう。水はH2O、水素原子と酸素原子が、それぞれ2個と1個がくっつているわけです。そして、誰もが知っているように、それは周りの環境、まあ水の場合は温度ですが、温度が変わればその性質や形態が変わりますよね。温度が零下であれば氷という固体になります。これが、常温近くでは水になるわけであう。そのときは液体に変身します。さらに、もっと熱エネルギーが加わって熱くなると水蒸気として沸騰して気体になるのです。しかし、H2Oの組み合わせに変わりはありません。
こうした状況は人間の集団にも当てはまると思いませんか。人間の場合はH2Oのように、同じ人間はいませんから、3人の集団と考えた方がいいでしょう。ただし、このうち2人は一卵性双生児だなんて考えると楽しくなります。ともあれ、この3人組ですが、彼等の行動は周りの環境や状況に応じて大いに変わるでしょう。それが厳しい状態であっても、非常に「冷静」な行動をとるかもしれません。しかし、場合によっては「冷徹」さが表に出てくることもあり得るでしょう。環境が穏やかになるとどうでしょう。この3人は「温和」で、液体のように「柔軟」な行動をする可能性も増えるでしょう。そして、自分たちが置かれた状況が厳しく、熱くなってくるとどうでしょう。それこそ周りからエネルギーが加わると、「カーっ」となる。くなると頭から湯気が立ち昇ることになります。その反応も「爆発的」で「興奮」し、ときには攻撃さえするのです。
それでも、3人の組み合わせは変わっていないのです。いかがでしょうか。H2Oの場合と同じように、周囲の状況によっていろんな反応が生まれる。こ集団における人の行動は、じつに「化学的」だと思われませんか。 |
ささやかな奇跡 2015/10/20 Tue 4727
こんなこともあるのですね。相当にプライベートな話です。昨日の朝のことです。いつもよりも10分ほど遅く自宅を出て、エレベーターに乗りました。これまたいつものように1階のボタンを押すと、エレベーターが降りていきます。そして、わが家の階から2つほど下の階で止まりました。当然のことですが、ドアが開いて一人の男性が乗ってきました。お互いに「おはようございます」と挨拶をします。そしてエレベーターはさらに階下へと降りていきます。すべてがいつものように、当たり前の流れとして進行します。
ところが、そのすぐ後で思わぬことが起きたのです。その男性は左手にカバンを持っていましたが、右手には3冊の本を抱えていました。その一番上にあった本が私の目に飛び込んで来るや否や、もの凄い衝撃が襲ってきました。なんと、それは私の著書、「人間理解のグループ・ダイナミックス」だったのです。こうなると、私としても、1階フロアーで「失礼しまあす」と終わりにするわけにはいかなくなりました。
「あのう、突然で恐縮ですが…」「はいっ?」「じつは、私、その本の著者なんですが…」「えーえーっ」。今度は先方の方が驚かれたことは言うまでもありません。そして、出勤時間としては、あまり見かけない、玄関ホールでの名刺交換と相成ったわけでございます。
この日はいつもよりも10分ほど遅くわが家を出たことが、こうした偶然を呼び寄せたのでしょう。しかも、相手の方が書籍をカバンの中に入れずに、右手に、つまりは私が見える方に、しかも3冊のうち最も上に拙著を持っていらっしゃったから、私も瞬間的に気づくことになったのです。これもまた、「楽しくかつささやかな奇跡」」だと考えていいでしょう。こうしたことが起きるのですから、人生はすばらしいですね。 |
集団の化学 2015/10/19 Mon 4726
その発想が「ゲシュタルト心理学」と似ているのですが、私は「グループ・ダイナミックス」を「集団の化学」として考えることを提案しています。そもそも人間や社会を対象にした研究を進める分野は「社会科学」と呼ばれることが多いですね。人間の行動に焦点を当てる「行動科学」もそうですし、「心理学」も「行動の科学だ」というのが一般的な認識です。そんなことから、私が「集団の化学」などと言うものですから、「それって、『科学』を変換ミスしたんではないんですか」と聴いてくる方もいらっしゃいます。
しかし、それは変換ミスではありません。私としては、本気で「化学」と言っているのです。心理学は人間の行動を「科学的」に研究することを目的にしています。そこで、人間の行動に関する法則を探そうと努力しているわけです。それはそれでいいのですが、私は人間の行動に自然科学のような普遍的法則を見出すことはできないと考えています。ロケットは「物理学」で習った「法則」によって宇宙空間に飛び立っていきます。それは、社会制度や文化、そして人種が違いは関係がありません。これこそ「普遍的=universal」、つまりは宇宙のどこででも通用する「法則」ということができるのです。
これに対して「人間行動」は、「化学」として捉えていく方が楽しいのです。それだけではなくて、しっかり役に立つと思うのです。酸素原子はいろんな原子と結びついて分子ができあがります。たとえば、鉄が相手の酸化第一鉄ですが、これは爆発物になります。また、銅と結びついた酸化銅は顔料や触媒の働きをします。さらに、炭素と結合した一酸化炭素は、皆さんご存知のように猛毒の気体になるわけです。 |
ものぐさな魅力 2015/10/18 Sun 4725
突然で恐縮ですが、〝inertia〟という英語があります。さらに失礼ながら、この英語をご存じの方はほとんどいらっしゃらないと思います。もちろん、「関連した領域」でお仕事をされている専門家は除きます。発音は[
ɪnˈɚːʃə, ‐ʃiə|inˈəː」‐ ]、カナで表記すれば「イナーシャ イナーシア」といったところでしょう。これには「不活発、ものぐさ、遅鈍」といった意味があります。それが本日のタイトルの一つです。そしてもう一つは「魅力」ですが、こちらは英語で〝attraction〟です。この二つで「ものぐさな魅力」などと、妙ちきりんなタイトルにしたのでした。
もちろん、これでおしまいにするわけがございません。じつは、〝inertia〟を英和辞書で引くと、まずは「慣性、惰性、惰力」が第一義として上がってくるのです。ただ、その同じ言葉が「不活発,ものぐさ,遅鈍」の意味を持っているというのがじつにおもしろいではありませんか。私は「ニュートンは偉大なり。彼は『モノ』だけでなく『者(人間)』にも『慣性の法則』が適用できることを知っていた」などとおふざけ話をしています。他から力が働かない限り、自ら「動こうとしない」人間が少なくない。また、「これしかない」とばかり、「自分の思い込み」で一直線、自分の行動を変えようとしない人もいる。とくに前者は、まさに「不活発、ものぐさ、遅鈍」そのものではございませんか。こうした人間の性質も表現する言葉が物理科学の用語になっているのがじつに楽しいと思うわけです。
そして〝attraction〟ですが、こちらは「引きつけること、吸引; 魅力」ときます。人を惹きつける魅力的なものですね。だから「アトラクション」というわけです。これがそのまま物理の世界で使われているのです。もちろん「魅力」の意味ではありません。そうです、これまたニュートンさんと関わりの深い「引力」のことなんです。地球が太陽の「魅力に引っ張られて離れることができない」いうこわけです。月だって地球のすばらしさに「魅惑」されて、グルグル回っているのです。何とすばらしい「日常語」でしょうか。 [語義は「研究社 英和中辞典」による] |
ゲシュタルト 2015/10/17 Sat 4724
グループ・ダイナミックスの創始者レビンはもともとドイツで「ゲシュタルト心理学」と呼ばれる立場から研究をしていました。これが、グループダイナミクスに大きな影響を与えることになります。「ゲシュタルト」はドイツ語で形態という意味です。物事を構成する一個一個のものだけを見たのでは全体のことはわからないと考えるのです。いわば「全体の形が大事」ということです。たとえば、プレグナンツの法則という有名な事例があります。まずは、この図です。[//
// // ] 斜線が6本ならんでいますが、お互いに近い間隔にある2本ずつがまとまって見えますね。私たちはただ斜線が6本あるとは思わないでしょう。これは「近接」していることが影響しているのです。また、[□□■■□□■■]があれば、白の部分と黒の部分が「まとまり」を持って、交互にならんでいるように見えますね。これは「類同」の要因と呼ばれます。私たちは「似たもの同士」には「まとまり」を感じるのです。また「閉合の要因」というのもあります。これは、[()()()]のように、私たちには括弧が閉じているもの同士が一組として見えます。これが「閉合」ということです。このように、ものごとは一つ一つの部品だけではなく、全体を見ないとその性質や意味はわからないのです。
ここでは目に見える視覚だけを話題にしましたが、同じ原理がこの世の中の認識や思考にも影響を与えるのです。これがゲシュタルト的な見方ですが、それは一人ひとり集まってできあがる組織においても同じような考え方が適用できるのです。これこそまさにグループダイナミクス的な発想だと言えるでしょう。 |
約束と倫理 2015/10/16 Fri 4723
地球上で生活をしている2人がいます。自分たちが取った獲物は「同じ倉庫」に貯めています。それはいいのですが、この両者には獲得する能力に違いがあるのです。そこで一方は相当程度に不満を感じています。「自分の方がたくさん獲っているのに、倉庫に入ると『平等』というのはおかしい」というわけです。そこであるとき、倉庫からほんのちょっとだけ蓄えを取り出して「隠し」たのです。しかし、もう一方はそのことに気づきます。「どうも獲物の量が少ない。一部がなくなっているんじゃないか」というわけです。そこで相手に詰問します。
まあ、こんなことは「すぐにばれてしまう」ものです。事実を見抜かれた方は、「いやあ、実は…」と弁解したり謝ったりします。そして、「これからは同じことはしない」と「約束」します。まあ、内心では「自分の方がたくさん獲っているのに」と思ってはいるのですが、とにかくこんな流れになったのです。
ところで、「約束」ですが、これは2人いなければ成立しません。そして、「約束」という行為が生まれた瞬間に、「倫理」の問題が生じてくるのです。もちろん、すべての約束が守られれば問題は起きません。しかしながら、「約束は破るためにする」のではないかと思うほど、世の中には約束違反が横行しています。しかも、違反をしたら、それを隠そうとします。何と言っても、自分が相手との信頼関係を壊したことになるからです。それは責められるべきことですから、やはり避けたい気持ちになりますからね。そうなると嘘を通し続けなくなってきます。すると、さらに新しい嘘を積み重ねるないとまずくなる。こうしたことが蓄積していって、ついには組織レベルの事故や不祥事にもつながっていくのです。 |
錯覚? 2015/10/15 Thu 4722
人間の視覚は相当に発達していますが、全体で見れば必ずしも外界を「正確」に「見ている」わけではありません。皆さんも、子どものころから「錯覚」という言葉をご存じだと思います。心理学ではこれを「錯視」と呼んでいます。目で見える場合は「視覚」ですから「錯視」と限定した方がよさそうではあります。それに「錯覚」では何となくあいまいな感じもします。ただし、そうなると「錯聴」や「錯臭」「錯触」「錯味」の五感での「錯」があってもおかしくないわけです。しかし「錯視」に比べると、ほかのものはみんなの間で「共有化しにくい」ところがあります。「どっちが長い?」とか「どっちが大きい?」といった質問をすれば、多くの人たちが「同じように見えている」ことがわかるわけです。
そもそも「錯」という漢字は「まじる、まじわる、あやまる」といった意味があります(電子版 漢字林)。だから私たちは「外界を間違って捉えている」と思ってしまいます。しかし、「錯覚」は動物を含めた生き物が地球上で存続していくための「必要性」から生まれたずなのです。つまりは「そう見える」ことの方が「生きるために有利」だったと考えるべきでしょう。その理由は専門の研究者の方々にお任せしますけれど。いずれにしても、ものごとを頭から「錯誤」などと決めつけるのはまずいのです。対人関係の世界でも「自分が正しく、相手が間違っている」としか考えることができないと、それでおしまいですよね。そうした判断が正しいことが多いとしても、そこで「ちょっと待てよ」と立ち止まり、「どうして『相手が間違っている』と思うのか」と自分に声をかけてみるわけです。それだけで自分自身の世界が広がるに違いありません。もちろん、対人関係スキルだって、さらにハイレベルなものになるのです。 |
レビンさんの3つめの仕事 2015/10/14 WEd 4721
グループ・ダイナミックスの創始者であるレビンさんの仕事として、私は「リーダーシップ研究」と「集団決定法の発明(?)」を挙げました。そしてもう一つ「感受性訓練」の発明(?)があります。これは「対人関係」を改善するために「個々人の感受性」を向上させよることを目的に開発されたものです。原語では〝sensitivity
training〟ですから、わが国でも「センシティビティ・トレーニング」と呼ぶこともあります。また、英語の野頭文字をとって「ST」、あるいはさらに簡略して「Tグループ」といったりもしています。これは、私自身がライフワークにしてきた「リーダーシップ・トレーニング」や「対人関係トレーニング」の原型と言うことができます。ただし、私自身は学生のときに、はじめて「感受性訓練」を見る機会があったのですが、「これはヤバい」と思いました。その細かいことはいつか本欄にも書くといいのですが、一言で言えば「日本人のメンタリティに合っていない」ということです。ある意味で、ストーリーもなく道具もない。とにかく「いまここで」をテーマに時間が過ぎていく。「あのとき、あそこで」といった話はアウト、そんな感じなのです。
その後、私自身も「感受性訓練」に参加し、さらに「トレーナー」としての教育も、それなりに受けました。しかし、どうしても違和感があって仕方がありませんでした。私の結論は「トレーニングには『道具』がいる」ということでした。
ともあれ、私としてはこれらの3つを「レビンさんの三大仕事」と呼んでいるわけです。いずれも私たちが「集団との関わりを通して人間を理解する」仕事を進めるにあたって、大事な礎になっているものです。 |
地方からの発信 2015/10/13 Tue 4720
地元紙の記事は新幹線の話題から経済の話題に移る。「高速鉄道網は地域浮揚に一定の効果があるが、なお東京の一人勝ちは続く」として、「石川県小松市発祥の建設機械大手コマツの坂根正弘相談役(74)は『本社機能も社員採用も東京一極集中』と企業の現状を憂う」と伝える。しかし、そのコマツは「全てが東京にある必要はない」との発想から「機材の購買や研修機能を小松に移し」「金沢に工場を新設し、製品を金沢港から輸出する」という。こうして「地方創生」の在り方について語っている。
日本国中が元気でありたいと思う。この少子高齢社会でしっかり生き延びていくためにどうするか。まずはできることからはじめていくことだ。それい首都東京では直下型大地震の確率が高まっているという。そんなことを聴くと、オリンピックだって「おいおい、大丈夫かい」と言いたくなる。そもそもオリンピックは開催決定まではうまくいったが、その後は会場の分散化に競技場問題、さらにはエンブレム騒ぎと躓きっぱなしである。それだけではない。大会開催中に大地震が起きたら大変だ。海外の一流選手たちが集っているなかでの災害は想像を絶する被害をもたらすに違いない。それにうまく対応するのはほとんど不可能だろう。そんなこんな、「いっそのこと返上したら」なんて言えば大顰蹙を買うだろうか。
東京オリンピックについては、私の杞憂であることを祈るしかないが、ともあれ「大地方人」としては「地方が元気になる」ことを心から願う。そしてそれができる分野は広がってきている。私自身も正真正銘のローカルな地方で、それも学部の附属施設というこじんまりした職場でささやかな仕事をしてきた。それでも、「リーダーシップ・トレーニング」や「安全文化醸成」については、いろいろなところからご相談に来られたり、お手伝いのご依頼があったりする。つまりは「生活している場所」とは関わりがなく好きな仕事ができるのである。これは私の単なるうぬぼれに過ぎないが、「地方からの発信」ができることがとても嬉しい。 |
熊本駅自虐物語 2015/10/12 Mon 4719
地元紙に掲載された「金沢訪問記事」の続地元紙掲載された「金沢訪問記事」続き。「夕暮れの茶屋街」に「軒灯がともり、しだれ柳が揺れていた」ことから、「歴史を感じさせる風情は、市民が文化を大切にしてきたたものだろう」と推測する。そして、「一方で金沢駅周辺の変貌に驚いた。大屋根が駅前を覆い、ビル街が広がる」と感動した様子である。さらに、「8月に北陸新幹線が開業し、『ハレの日が続いています』と誇らしげだ」と金沢の人の声を伝える。その後は、「建設を求める動きは1965年、
金沢市であった佐藤栄作内閣の『1日内閣』で、東海道新幹線のバイパスとして北陸経由の必要性が指摘されたのが発端」と新幹線の話題をまとめる。私が初めて金沢に行ったのは1979年10月である。そんなわけで、当時の金沢駅や周辺の状況は知っている。これが見事に変貌し、いまでは古都と近代都市の風格まで備わった感がある。
私は「一方で金沢駅周辺の変貌に驚いた。大屋根が駅前を覆い、ビル街が広がる」という一文の後に、どうして「熊本とは大違いだ」と加えなかったのかと思ってしまった。熊本は新幹線が開通してからすでに4年半が経過している。それでも駅舎は旧来のまま、在来線の高架化もいまだ進行中である。これが完成してから新駅舎を建設するという。しかも、新幹線側は斜め方向に向かって2車線の道路があるだけである。
熊本市は人口70万人を超え、政令指定都市でもある。しかし、新幹線駅前の風情は貧弱としか言いようがない。写真だけを見れば、人口24万人の佐賀駅のほうが大きな町に見えることだろう。大分駅に至っては、新幹線は通っていないが、もとの駅裏も整備された。これまた、写真だけで比較すれば、いつまで経っても熊本は追いつかない感がする。
この地の住人になって36年、もう私は熊本人のつもりでいる。そして、こよなく愛する熊本には、あれやこれやと文句を言いたくなるのである。そんな私にとって、熊本駅は格好の材料であり、この「自虐物語」はいつ終わることやら…。 |
トレーニングの道具 2015/10/11 Sun 4718
私は「リーダーシップ(対人関係)・トレーニング」で決定的な役割を果たすのは「道具だ」と考えています。ただ、一口に「道具」とは言いながら、それはいくつかの側面から分類することができます。
じつはトレーニングの基礎になっている「理論」そのものが重要な「道具」なのです。たとえば、「リーダーシップ」は「個人の資質で決まる」か「個人の行動で決まるか」で、その内容はまったく異なるわけです。前者を「特性論」、後者を「行動論」と呼んでいます。もっとも、「特性論」を採用するのであれば、「個人的な資質」は変わらない、あるいはきわめて変わりにくいという見方ができます。したがって、その発想からは「トレーニング」自体が意味のないものになるわけですが…。
トレーニングで使用される「教材」や様々なシートなどが「道具」であることはわかりやすいでしょう。私自身は、こうした「シート」を開発、バージョンアップすることを大事な仕事にしてきました。
さらにトレーニングを実施する役割の「指導者」もまた、その成否に大きな影響を与える「道具」なのです。ここで「指導者」は「講師」「トレーナー」「ファシリテーター」など、様々な呼び方をされている個人あるいはチームのことです。まったく同じスケジュールで、同じ道具を使用しても、「指導者」という「道具」によって、その効果に違いが生まれることは当然でもあります。
そして、その「指導者」が行う「講義=情報提供」そのもの、そしてその中で使う「教材」も、これまた道具であることは言うまでもありません。これからは、時間を見ながら、そうした「講義」や「教材」ネタもご紹介していくことにしましょう。 |
雪の兼六園 2015/10/10 Sat 4717
地元紙「熊本日日新聞」一面の「新生面」(10月6日)が目に留まった。それは「石川県金沢を10年ぶりに訪れた」からはじまる。「夕暮れの茶屋街を歩くと出格子の町家に軒灯がともり、しだれ柳が揺れていた」と続く。私はこの数年間にわたって石川県と関わりを深めた。そんなことから、「雪の兼六園」にも出かけたことがある。それも大雪だったため、観光客もほとんどいない状況だった。この兼六園で県外からの訪問者にインタビューする地元放送局の番組があった。その人がやってきた地方にちなんだクイズを出してもらう。ラジオの聴取者はその地方を当てて賞金をもらうという段取りである。その日は放送時間が近づいているのに誰もいない兼六園で、インタビュアーは「人」を探していたわけだ。そこに「飛んで火に入る夏の虫」ならぬ、「兼六園を歩いて雪の中にいる熊本のおっさん」がひっかかった。
こちらの視覚から見れば、何かを物色しているようにも見えた長身の女性がこちらに近づいてくる。そして、番組の趣旨を説明して、協力してくれと言うのである。こちらもけっこう調子に乗るタイプではあるから、「いいですよ」と軽く応じた。先方の要望は「ヒントを三つ出してもらいたい。最初で当たると白けてしまう。また、三つめでも答えられないと賞金が次の週に回されてしまって、おもしろくない」と、まあけっこう難問なのである。そこでとにかく第3ヒントまでを考えて、放送に乗っかった。じつは第1ヒントを「ここの県庁所在地の水道水は地下水100%が自慢です」だったことはしっかり記憶にある。そして、第3ヒントは「この県の魚は車エビです」だった記憶がある。すでに相当程度の年月が経過して、第2ヒントは思い出せない。ともあれ、聴取者からは沖縄県とか三重県、さらには静岡県といった回答が出ながら、最後には「熊本県」が当たり、じつに「めでたし、めでたし」となったのである。
じつは、今日は新聞記事がらみで別のことを書きたかったのだけれど、いつものように脱線してしまった。 |
教員免許状更新講習 2015/10/09 Fri 4716
教員免許状は更新制になりました。そもそもは終身だったのですが、第一次安倍政権のときに教員免許に関する法律が変わったのです。その影響が制度変更後だけでなく、「終身」だったはずの教師たちにも適用されることになったわけです。しかも、30時間で30,000円程度の受講料は自己負担というのです。そんなことからスタート当初は批判と不満の声に満ちあふれていました。たしかに、まるで「後出しじゃんけん」のようなもので、「話が違う」と文句を言いたくなるのもわかります。そのうえ、実施時には政権が交代していて、「すぐにも廃止」という機運が高まったのです。もっても、国としては「止めるなんて、一言もいっていない。マスコミが先走っただけ」といった説明をしてはいました。おそらく「公式」発言はなかったのでしょうね。しかし、そのときは「そう思わせる」ような、あるいは少なくとも「そう思っても仕方がない」ような雰囲気を感じさせる人たちがいたことは確かなのです。
そして、その政権も混乱だけを残しながら、あっという間に交代してしまいました。いま、また政権を奪取すべくがんばっているのだと思いますが、テレビに出てくる顔ぶれが「あのとき」を思い出させる人たちばかりです。誰が言ったか知りませんが、その政党に「第一党である必要があるのですか」と、これ以上の皮肉はないような問いかけをした人がいると聴きました。当事者たちは除きますが、これを聴いて失笑しない人はいないでしょう。そして、今回の法案についても「力による暴挙」といった表現を使っているようです。しかし、そうした状況をつくってしまった原因はどこにあるのか。その分析は十分に行われているのでしょうか。 |
決め手は「道具」 2015/10/08 Thu 4715
私はグループ・ダイナミックスという領域で、とくに「リーダーシップ・トレーニング=対人関係トレーニング」の開発と実践をすすめてきました。そして、このトレーニングの成否を決するのは、「リーダーシップ」や「対人関係」に関わる「理論」というよりも、そこで使用する道具だと考えてきました。かつては、リーダーシップが「個々人の資質で決まる」という、いわゆる「特性論」的な研究が行われていました。しかし、今日では、その影響力は格段に落ちています。これに変わって登場したのが「行動論」でした。それはリーダーシップは「リーダー自身の行動で決まる」と考え方で、こちらの方が大きな力を得るようになってきたのです。ただし、そうした「行動」も「集団の成熟度合い」や「集団が置かれた状況」、さらには「リーダーとフォロワーの関係」などの影響をうけると主張する研究も多いわけです。リーダーは固定した特定の「行動」をすればいいというわけにはいかないといのです。
それはそうとして、私は、様々な立場の研究が提示する「行動」については、それほど「多様性はない」と考えています。あえて誤解を招くことを承知で言えば、「期待される行動」は「みんな同じ」だとすら言えるのです。こうした状況で「リーダーシップ」や「対人関係」の「トレーニング」の効果を生み出すためには、「理論」は「どんなものであれ」、参加者たちが「なるほどそうか。それならしっかり実践してみよう」と納得することが欠かせません。これを「なるほど感」、あるいは「腑に落ち感」と言ってもいいでしょう。そして、そこで重要になるのが「道具」なのです。この「道具」の出来具合によって、「理論」の受け入れ度合いが異なってくるのです。 |
レビンの仕事 2015/10/07 Wed 4714
グループ・ダイナミックスの創始者であるレビンは3つの大きな仕事をした。そう私は考えています。それは、「社会的風土の研究」、「集団決定法の創案」、そして「感受性訓練の開発」です。それぞれについて詳しい話をはじめると、またいつものように止めどもなく続いていくことになります。どれを取っても、それほど大事な仕事なのです。そこで、ここでは簡単な紹介だけしておきます。
まずは「社会手的風土に」関する研究で、現在のリーダーシップ研究の先駆けになるものです。これはキャンプで子どもたちが物づくりをする実験として行われました。その際に、指導者は「専制的」「民主的」「自由放任」の3つの役割を演じたのです。レビンたちは、これを「社会的風土(social
climate)」の違いとして取り上げていますが、まさに「リーダーシップ・タイプの効果」を明らかにしたものだと言えるでしょう。
次は「集団決定」です。私たちは「悪いとわかっていても、やめられない」「ついしてしまう」ことが多いものです。つまりは「知っていること」と「行動」は一致しないのです。また身についてしまった習慣を変えることはとてもむずかしいですね。そんな人間的な課題を解決することを目指したのが「集団決定法」なのです。レビンさんたちは食習慣などの変容でこの方法を適応して成果を上げました。そして、わが国では三隅二不二氏(大阪大学名誉教授)が、世界で初めてこれを事故防止のために導入したのです。このプロジェクトも大成功を収めることになりました。集団の力を活用しながら、個々人の行動を変容していくという基本的な考え方は、いまでも十分に活用できるものです。 |
今月の写真 2015/10/06 Tue 4713
今月の1枚目は噴煙を上げる「阿蘇」と白い雲です。先月、阿蘇中岳が噴火し、当日は飛行機の一部が欠航になるなど混乱しました。火山灰は航空機のエンジンにとって大敵だそうです。そう言えば、ヨーロッパにある火山が爆発したときは、かなり長期に亘って航空機が飛ばないことがありました。いまでは飛行機なしでは生活が成り立たない時代です。阿蘇山の活動がいつ落ち着いてくるのか、その予測は専門家にもむずかしいようです。それはそうとして、わが一族が連休中に出かけた際は天気も良くて、真っ白な雲が浮かんでいました。火山灰は歓迎できませんが、けっこういい感じの写真になりました。日本の四季に合わせるように、阿蘇はいつ行っても絵になるのです。
さて、もう1枚は北陸は石川県小松市にある那谷寺です。小松空港から車で30分ほどのところにある由緒あるお寺です。そこの奇岩遊仙境は国名勝指定なんですね。まだ紅葉には早いのですが、大きな岩が池を従えながら絶景模様を見せていました。本堂は岩窟の中にあって胎内を象徴しているのだそうです。そこをぐるりと回ると「生まれ変わる」というわけです。一周するだけで新たな気持ちになれるなんてすばらしいではありませんか。このお寺には松尾芭蕉が訪れています。あの「奥の細道」で、「石山の 岩より白し 秋の風」と詠んでいます。これがまた見事な一句で感動します。岩の物理的な白さを、そのまま風の「白さ」へと繋げる。その感覚は芭蕉さんならではというところでしょうか。こんな表現ができると、身の回りのものすべてが命をもってくるんですね。それが自分にも生きる力を与えてくれる。こんな好循環が毎日の生活を豊かにすることでしょう。 |
声帯模写 2015/10/05 Mon 4712
NHKの大河ドラマの第2作目は「赤穂浪士」です。主役の大石内蔵助を長谷川一夫が演じました。この「赤穂浪士」はそのテーマ音楽と合わせて、われわれ世代の人間はほとんど全員が記憶しているのではないでしょうか。それほど話題になった大型番組でした。そして、長谷川一夫の「おのおの方」と鼻に抜けるような響きの呼びかけは、当時の声帯模写で取り上げられる筆頭でした。お若い方には「声帯模写」は通じないかもしれませんね。今日では「ものまね」で統一されているようです。声をまねるので「声帯模写」と呼んでいたのです。だから「形態模写」だってありましたよ。こちらは身振りや表情などの所作、つまりは「形態」をまねるわけです。
さらに「ものまね」の対象が動物の場合もあります。私が子どものころの代表は江戸家猫八でした。鶏やウグイス、そしてその名の通りの猫については、春の賑わいまで実況中継もどきの逸品でした。猫八の息子は子猫と称して親子で演じていましたが、今は父親の後を継いでいます。そして、さらに自分の息子とペアを組んで芸を引き継いでいるようです。
ところで、私が子どものころになじんでいた猫八は3代目で、そのルーツは1868年生まれの初代にまで遡るのです。そして3代目の本名は六郎でした。つまりは六男ということです。とにかく昔は子だくさんでした。ところで、現在の猫八は本名が八郎なんですって。ただし八郎氏は先代の長男ですから、親としては何が何でも子どもの名前に「八」を入れると決めていたに違いありません。因みに「八」は「8種類の猫の鳴き真似」をすることに由来しているのだそうです。
ところで、現在「ものまね」の世界でトップの座に君臨するのはコロッケでしょう。彼は「形態」を「主」として先行し、「声帯」が「従」でついてきたという感じですかね。芸能人一人ひとりの特徴をオーバーに強調する「形」の滑稽さに誰もがお腹を抱えて笑います。いつも進化のために工夫しているようで、その技は超一級のプロというべきでしょう。そのコロッケは熊本第一工業高等学校(現開新高等学校)出身なんです。 |
教養好き 2015/10/04 Sun 4711
父は「教養」が大好きでした。青年時代、家庭の経済的な事情から進学ができなかったのです。それでも「勉強をしたい」気持ちは萎えることがなかったようです。そんなことから、相当に無理をしてむずかしい本にもチャレンジしたと言っていました。私が高校生のころは、ラジオで旺文社の大学受験講座を聴いていました。私の方が「受験生」だったのですが、ラジオ講座とは無縁の生活を送っていました。
そんな父ですから、「教育テレビ」が大好きで、いわゆるドラマなんぞには目もくれませんでした。それに対して、子どもの妹と私は「まともな番組」を観たくて仕方がないわけです。そこで「親子間の葛藤」がしばしば起きました。もっとも、父は夜も8時台の後半あたりになるとすでに「夢の世界」ということが少なくありませんでした。そんなことから、たとえば日曜日8時台に「大河ドラマ」がはじまるころは夢うつつといった感じになっていたのです。
これに対して母は「常識人」でしたから、誰もが観るような番組にチャンネルを合わせていました。そして、受験生だった中学3年生の私は、母たちといっしょに「花の生涯」を毎週のように観ていた記憶があります。これがNHKの大型時代劇第1作目だと思います。ところで、父はテレビのすぐ前に布団を敷いて寝ていました。いまでは想像できないと思いますが、それはそれは狭い住宅に住んでいたわけです。何分にも4人家族で、六畳と四畳半の二部屋と台所の構成だったのです。その父が目を開けないように祈りながらテレビを鑑賞していました。 |
グループ・ダイナミックスの創始者 2015/10/03 Sat 4710
グループ・ダイナミクス」を創始したのはクルト・レヴィン(Kurt Lewin)という人です。はじめはドイツで研究をしていましたが、ユダヤ系だったため、ナチスの台頭とともに難を逃れてアメリカに移って研究を続けたのです。彼は研究が「実践」に役立つことを重視しました。それは〝There is nothing more practical than a good theory”という表現に象徴されています。これを直訳すれば「いい理論よりも実践的なものはない」ということでしょう。さらに「実践的でなければ理論とは言えない」と強調する人もいます。ともあれ、こうした姿勢で、社会問題の解決に大いに力を発揮したのです。そして1945年にはマサチューセッツ工科大学に〝The Research Center for Group Dynamics〟という名称の研究センターを設立しています。日本語的にいえば、「集団力学研究所」ということになるでしょう。
こうしてレビンはグループ・ダイナミックスの研究を先導していったのです。ところで、 心理学の領域に、B=f(P,E)という式があるのをご存じの方がいらっしゃるかもしれません。これもレビンが提唱したものです。原語では〝Behavior is a function of the Person and his or her Environment〟となります。「行動」は「個々人」と「その環境」の「関数」ということです。つまりは二つの要因が相互に作用しあいながら、その結果として個人の行動が生まれると考えるわけです。この「環境」には物理的なものも含まれますが、むしろ、個人にとっての「社会的環境」の方が重要です。個人の行動が、周囲の「人たち」との関係に影響を受けることは誰もが認めることでしょう。 |
お読みいただきませんように 2015/10/02 Fri 4709
今日はかなり尾籠な内容ですから、お読みにならないようお勧めします。それは男性トイレの物語です。そう、くどいようですが、この時点でパスしていただくことを強くお勧めします、はい。その男性トイレには「間を持たせる」ために様々な工夫が施されております。とくに目の前に「耳寄り(?)情報」が貼られていて、つい「その間」を利用して読んでしまうのです。たとえば「急ぐとも、心静かに手をそえて、外へもらすな松茸の露」などという「一句」などはかなりポピュラーで、あっちこっちで目にします。その解説はあえていたしませんが、おおよそのことはおわかりいただけると思います。ここまで来て「やっぱりパスすればよかった」と後悔されている方がいらっしゃいましたら、深くお詫び申し上げます。そして、これから先は「決して前進しない」ように強くお願いします。
さて、本題です。上記のような一句に刺激を受けて、多くの人が「そんな事態にならないように」努力するわけです。つまりは「松茸」をしっかり振って、そのの露を完璧にカットしようとします。そのときの回数は人によって、あるいは状況によって異なってくるのは当然です。つい先だってのことです。私のすぐ左側に並んでいた方が、最後の動作をはじめました。そのこと自身はいつものことです。ところがその回数が半端ではないのです。私がそのことを認知するのですから、それまでがすでにかなりの回数がカウントされていたわけです。しかも、それからがまた半端でないんです。とにかく私は「いつ終わるかわからない」ことに感動してしまいました。
しかも、運命的といいますか。その方が定位置を外したところ、そのまた左側の人が、ちょうどそのときを迎えていました。そして、こちらは先の人を上回るほどのすさまじさなのです。私としては笑い出すわけにもいかず、淡々と自分の用務を続けるしかございませんでした。ここで誤解のないようにお断りしておきますが、私だってしっかり左側のポイントを凝視していたわけではありません。ただ人間の視野は意外に広く、その回数が認知できる程度には見えるのです。今日は「読まないでほしい」という私の切なる願いを無視してここまで来られましたね。心からお詫び申し上げます。 |
横井さんとグループ・ダイナミックス 2015/10/01 Thu 4708
横井庄一さんは戦争が終わったことはかなり早い時期に知っていたようです。空から「投降(?)」を呼びかけるビラが撒かれたりしたのです。しかし、「戦陣訓」は「敵に捕まる前に死ね」と命令しています。それでも横井さんとしては生き続けたかったわけです。人間として当然のことですね。しかし、「敵に捕まる前に自ら命を絶たなければならない」という「戦陣訓」の文言は頭から離れません。そうなるともう逃げるしか方法はありません。捕まったらおしまいなのですから。これが横井さんがジャングルの中に「1人で」潜み続けた理由だったのです。しかし、戦争が終わってから27年目にグアム島の住民と遭遇し、それがきっかけになって捕らわれの身になったのでした。横井さんとしては「捕まる前に死ねなかった」ことになるわけです。こうした事情が、祖国を離れて27年ぶりに帰国した横井さんに、羽田空港のお立ち台の第一声として「恥ずかしながら」と言わせたのです。
皆さん、いかがでしょうか。横井さんの「たった1人のジャングル生活」をもたらしたのは、「戦陣訓」だったのです。その「戦陣訓」は、国という組織が創ったものです。それは同時にそれまで築かれていた文化や社会の価値観を背景にしていることは疑いありません。私たちは横井さんの例からわかるように、「1人の行動」も社会や文化、そしてその中の規範や決まり、さらには約束事などに影響を受けているのです。つまりは、「1人の行動」を理解し、それを説明するためには、社会や組織、そして集団との関わりを考える必要があるのです。これこそが「グループ・ダイナミックス」そのものなのです。 |
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