Home Back Numbers


味な話の素
No.149  2015年9月号(4678-4707)                     Since 2003/04/29
駅弁大学 2015/09/30 Wed 4707
 今どきの若い人たちは「駅弁大学」という言葉を知らないかもしれません。もちろん「駅弁」はわかりますよね。このごろは「空弁」なるものも登場していますから「○弁」に違和感はないでしょう。それにしても飛行機だから「空弁」というのも笑ってしまいます。正直なところ、飛行機の座席で弁当を拡げるというのはどうでしょうね。
 ともあれ、「駅弁」ですが、このごろはデパートが「全国駅弁フェア」なるものを開催し大盛況です。私は人が三人も並んでいたら、それがどんなものであれ「不参加」を決めることにしてきました。ところが数年前に、孫が「新幹線弁当」が食べたいと言ったものですからもういけません。デパートが開店する時間を見計らって出かけました。ところが、それでも「遅きに失した感」があって、長蛇の列の一員と相成りました。やれ、やれ…。
 私が子どものころは「急行列車」が止まる駅には、ご当地自慢の「駅弁」がありました。列車が停車するとおじさんが売りに来るのです。お客は窓を開けて買うことになります。そうなんですね、客車と呼んでいましたが、昔の列車は窓を開けることができたのです。じつにのどかな時代ではありました。そうそう、お茶は陶器製の入れ物に入っていて、これまた情緒がありました。
 さて、「駅弁大学」というのは、戦後に大学が雨後の竹の子のようにできて、もう駅弁がある町にはどこにでもあるといった現象を指した言い回しなのです。つまりは、大学ができすぎる状況を揶揄したわけです。評論家の大宅壮一氏の発言だとされています。しかし、いまや超少子化の時代を迎え、ほとんどの大学が厳しい対応を迫られています。
 
「誤審」の評価 2015/09/29 Tue 4706
  野球評論家の梨田昌孝氏が「温厚知新」というタイトルでコラムを書いている。地元紙の夕刊だが、時事通信系の新聞に掲載されているようだ。「温故知新」をもじったタイトルだが、梨田氏の「温厚」さがにじみ出ていて、なかなかおもしろい。ところが、つい先週金曜日の分は「おいおい」と驚いてしまった。まずは見出しが「誤審 なぜ認めたのか」である。これが阪神対広島戦での誤審を取り上げていることは直ぐにわかった。この試合で広島の田中選手が打ったホームランを、審判が見誤って三塁打にした件である。ビデオで見ると「明らかにホームラン」だった。しかし、審判はボールがネットに当たって跳ね返ったと判断したのである。そのことについて、日本プロ野球機構が数日後に「誤審」を認めた。ただし、試合結果についての変更はないとした。
 梨田氏は、この「誤審判定」に対して、「なぜ誤審を認めたのか」と疑問を呈する。自分自身も納得のいかない判定を体験した。しかし、「白を黒と言うほどの威厳が審判員にあった。判定は絶対だった」と言う。そして、「試合は成立していたため、やり直す選択肢はなかった。要するに誤審を認めても結果は変わらないのだ」と強調する。さらに「審判員、引いてはNPBの権威をおとしめるマイナスの方が大きいように感じる」というのである。
 私は梨田氏の嘆きが理解できない。「結果が変わらなければ、『誤審』を『誤審』と認めなくていい」。そんな理屈はあり得ない。それならビデオ判定など入れた意味がない。現実には、「ビデオで判定しても、それでも『誤審』が起きる可能性がある」のだ。この事実を教訓にすることこそ重要なのである。むしろ、「自らの誤りを認める力」こそが、組織の「強さ」なのである。
 
1人だけの仕事 2015/09/28 Mon 4705
  「倫理的行動とはどんなことですか」という問に対して、「自己に閉じこもった仕事」という意見もありました。このときは、「人がどうして『倫理的』だけでなく、『非倫理的』行動をとるのでしょうか」という質問をしたわけです。この回答は後者の「非倫理的行動」を引き起こす要因として挙げられたものです。これを単純に理解するなら、「一人でする仕事」は「非倫理的行動」につながりやすいということでしょう。何分にも「たった1人」ですから、誰も見ていないわけです。そうなると、ルール違反や怪しいことをしても、それがわかる人はいないのです。そこで「ついつい」の出来心も含めて、「非倫理的行動」をしてしまう。もちろん、そこで完全に「意図的」な犯罪が起きることもあります。
 こうしたこともあって、いまでは工場などの仕事場でも監視カメラでチェックされるようになりました。そして、それが問題発生時に役立つことがあるわけです。そもそも犯罪の確率はきわめて低いのですが、カメラが犯罪の証明になるのですから、今後も増えることがあっても減ることはないでしょう。しかも、抑止力の役割を果たすことまで期待されるのですからなおさらですね。
 ともあれ、「1人」が危ういとされることは、人間としては寂しいところもあります。そこには「人間は1人だと何をするかわからない」という不信感があるからです。これに対して、「倫理観を高める」働きかけをすることは大事です。しかし、それには限界があることも認めざるを得ません。そうなれば、「1人だけ」の仕事をなくすか、「チェックの目」を増やすしか、いい方法はないのでしょうか。
 
「恥ずかしながら」の真意 2015/09/27 Sun 4704
  横井庄一さんは、敗戦後も27年の間ジャングルに潜んで1人で生活を続けるのです。彼が戦場に送られてきたのが27歳のときで、すでに54歳になっていました。そして、1972年のある日、現地の住民と遭遇し、最終的には「元日本兵発見」の大ニュースになったのです。
 ともあれ、それから無事に帰国した横井さんは羽田空港で第一声を発します。それが、「国民の皆さん、横井正一、ただ今『恥ずかしながら』帰ってまいりました」だったのです。この「恥ずかしながら」は国民の間で話題になりました。いまなら流行語大賞を獲得するのは間違いありません。それはともあれ、このことばにいったいどんな意味があったのでしょうか。もちろん、横井さんがジャングルが好きで、住民に見つからなければ、そこにずっと住んでいたかったからではありません。横井さんは、かなり早い時期から戦争が終わったことを知っていました。それは、終戦を告げてジャングルから出てくるように呼びかけるビラを空から撒いていたからです。それにも拘わらず、横井さんは潜伏し続けたのでした。
 横井さんは、後になってその理由を語っています。それは陸軍の兵士たちに与えられた「戦陣訓」と呼ばれる冊子の影響でした。それは兵隊としての心得や行動の基準がいろいろと書かれたものでした。その中に、「恥を知る」という章があって、そこに「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪禍(ざいか)の汚名を残すこと勿(なか)れ」という一文が入っていました。これは当時の人なら誰もが知っていたと思います。とてもむずかしい表現ですが、「戦場でおめおめと生きたまま敵に捕まってはいけない。その前に自分で死になさい。そうでなければ、ずっととんでもない人間だとの評価を受け続けるぞ」ということです。しかも、その前の文章には、親戚一族郎党の期待に応えてしっかり戦えと書かれてもいます。それを併せれば、恥をかくのはお前だけでなく、故郷のみんなも辛い目に遭うぞと言っているのです。とにかく「捕まる前に死ね」というわけです。
人生は「と関わってきる」 2015/09/26 Sat 4703
 赤ちゃんは「おぎゃあ、おぎゃあ」と元気よく泣きます。これは「私は無力なんです。しっかりヘルプミー」と全身でアピールしているのですね。ところで、皆さんは「天使の微笑み」と呼ばれる「笑顔」のことをご存じでしょうか。これは生後間もない赤ちゃんが「にっこり微笑する」反応のことを指しています。どんな人に抱かれても赤ちゃんが「にっこり笑う」のです。そんな笑顔をされてはかないません。おじいちゃんやおばあちゃん、それに赤の他人だって、「ああ、私を見て笑ったあ、かわいい」と愛おしくなりますよね。しかし、これは「嬉しさ」の感情から生まれるのではなく、赤ちゃんが周りからサポートを受けるための「戦術」だという解釈があります。それを聞いて、「なあんだ、私が気に入って笑ったんじゃないんだあ」などとがっかりしてはいけません。これこそ、私たちがどんな人からも援助してもらわなければ生きていけないことを物語っているのですから。ともあれ、人間はこの世の中にデビューした瞬間から、人に支えてもらわないと生きていけないのです。「と関わってきる」から「人生」なんですね。
 そして、そうした人と人との関係は、あの世に逝くまで続いていきます。もう横井庄一さんの名前を知っている人は少なくなったと思います。私の授業でも「知らない」という学生の方が多いと感じています。しかし、この人の半生はすさまじいものがあるのです。彼は、あの太平洋戦争のとき、兵士としてグアム島に送られたのです。しかし、日本は戦いに敗れて戦争が終わります。そのとき横井さんはジャングルにいたのですが、それからがすごいのです。
 
VWショック 2015/09/25 Fri 4702
 「VWショック」である。たしかに、「『VW』だから不正をするわけがない」というのは、根拠のない推測だ。しかし、それにしても、おそらく世界中の多くの人々が、ドイツの「あの『VW』が」という気持ちになったのではないか。私も疑いなくそんな状況にある。そして、不謹慎にならない表現として受け止められることを祈りながら、個人的にもきわめて「興味」がある。私の仕事の一つが「危機管理」であり、今回の「事件」は、まさに組織を揺るがす「危機」だからである。とにかく「どうして」こんなことが起きてしまったのか。現時点では何を言っても推測である。いや「邪推」と言われてしまうレベルのものになるかもしれない。それでも、いろいろなことを「思い浮かべたく」なる。
 まずは「競争」である。VW社は世界における販売台数でTOYOTA と熾烈な競争を演じている。私の記憶では、今年の前半まではTOYOTAを押さえていた。とりわけ中国での躍進は大きく、日本車を圧倒していたと思われる。それが中国経済の不調でスランプが発生していたと思われる。ただし、この点が今回の問題に結びついたにしては時間的にズレがあるだろう。いずれにしても「世界販売」でトップを獲得することへの執念はすさまじかったと想像する。
 また、問題のソフトが「どこで創られた」かである。それはドイツ本社の中枢部でなのか、あるいは海外を含めた工場の中でだったのか。
 そして、「最初に」それに手をつけたのは誰だったのか。おそらく「たった1人」でそれができるほど単純なものではないだろう。また「いつ」「誰」が「どのようにして」問題に気づいたのか。そのとき「どんなこと」が起きたのか…。とにかく「知りたい」ことが止めどなく溢れてくる。
 
父の教養趣味 2015/09/24 Thu 4701
 私の父は「教養好き」でした。若いころは東京で働いていたこともあるのですが、通勤電車の中では岩波文庫を読んでいたと言っていました。それも「カント」の哲学書なんぞだったらしいのです。もっとも、「さっぱりわからなかった」とも言っていましたから、まっとうな神経の持ち主だったのだと思います。そのころの「哲学書」がどんなものだったかわかりません。しかし、とくに翻訳物はひたすら難しくすることに徹していたのではないでしょうか。私が若いころだって、「カント」も、はたまた「資本論」なんぞも「英語で読んだ方がわかりやすい」などと言われていました。そもそも「哲学」は、「日常的な用語」を使って考えることのできる「日常的な生き方」の問題を扱っているのです。それを何十行は言い過ぎですが、「どこまで一文が続くのかいな」と疑うほどの長い文章で構成する。つまりは、できるだけ「わからない」ようにする工夫が凝らされているのです。もっとも、「翻訳」の一文が長いのは、原文がそうなっていたからでしょう。その点は、「原文を忠実に」ということで「仕方がないんじゃ」と反論されるでしょう。
 それはそうなのですが、そもそも日本語とあちらの言葉とは語順が違うのですから、発想そのものが異なっているのです。それは関係代名詞の役割と位置づけを見ればわかります。あちらは、「先に結論あり」で、その後で関係代名詞などを使って「説明」するのです。これに対して日本語は「先に前置き」してから、後で結論を出すのです。私は前者を「説明文化」あるいは「解説文化」、そして後者を「前置き文化」、少し自虐的な表現をすると「言い訳文化」と呼んでいます。
 
グループ・ダイナミックスと「こうのとりのゆりかご」 2015/09/23 Wed 4700
 講演の機会は少なくないのですが、私が専門としている「グループダイナミックス(Group Dynamics)」という研究領域はあまり知られていません。つまりはPR不足ということです。日本語では直訳して「集団力学」と呼んでいます。〝dynamics〟は「力学」なんです。工学系の人であれば、「空気力学= aerodynamics」や「流体力学=fluid dynamics」といった用語があるから当然のように思われるでしょうね。
 この「グループ・ダイナミックス」、そもそもは人間を理解することを目的にしている心理学と深い関係を持っています。ということで、私も「心理学者」ということになっているのです。ただし、その名の通り「集団」と「人間」との関わりに大いなる力点を置いているのです。
 そもそも人間は、産まれたときからあの世にいくまで、集団や人との関わりを抜きにしては生きていけません。熊本市の病院に全国で唯一「こうのとりのゆりかご」という施設があります。ここは、自分で育てられないと思った親たちが、赤ん坊を匿名で預けるのです。匿名ということで、副詞の専門家には「子どもの知る権利を奪う」といった問題を指摘する人もいるようです。まずは「なるほどなあ」とは思います。しかし、「それならコインロッカーやトイレに放棄されていいのですか」と問われたら、どう答えるでしょうか。私は施設ができた2007年の「中秋の名月の日」に慈恵病院から講演を依頼されて出かけました。その際に、「ゆりかご」も見せていただきました。とても温かそうな雰囲気で、酸素ボンベが置かれていることに「素人的感動」をした記憶があります。
 
私とコンピュータ 2015/09/22 Tue 4699
 いまやコンピュータがなくては生活が成り立たなくなってきました。実際にコンピュータを操作しなくても、すべてのモノの裏側にコンピューターが隠れているのです。また,コンピュータ自身も使いやすくなってきました。いまではお年寄りもインターネットで楽しむ人が多いと思います。私のコンピュータとの付き合いは40年を超えています。まだ学生でした。大学に大型電子計算機センターなるものができ、それを「使って」データ集計をしていたのです。ただし、「使って」の部分は、正確には「プログラムをつくっていた」だけです。何分にも大型ですから、素人には「触らせない」ものだったのです。それでも「プログラムづくり」は楽しい思い出です。統計計算に適した〝FORTRAN〟という「言語」があって、それを使って「プログラムを組む」のです。その「1文字」でも間違うとエラーが出るというシロモノで、期待した結果が出るまで悪戦苦闘したものです。いまでは、あいまいな用語で検索をしても、「ひょっとして〇〇?」といった質問をしながら、しかも検索したかったリストが出てきます。いま試しに「熊また大学」を入れてみたところ、「熊本大学」関連のものがズラリと並びました。「ひょっとして?」すら出てきません。とにかく恐るべき進化です。
 ところでプログラム言語のFORTRANの由来は〝Formula Translation〟で、その頭の部分を組み合わせて名づけられたのです。そのまま直訳すれば「数式翻訳」ですが、その名の通り科学技術の計算に適していました。そのころ、COBOLという言語もありました。こちらは事務処理を得意にしているもので、〝Common Business Oriented Language〟の頭を取ったものです。さらに、〝assembler〟なるものもありました。こちらはコンピュータを動作させる機械語を自然言語に近い表現で記述するプリグラム言語でした。私もその入り口を「ちょろり」と覗き見はしましたが、その先には行きませんでした。
 
三度目の正直 2015/09/21 Mon 4698
 阿蘇の「カドリー・ドミニオン」に出かけました。ここは以前、「クマ牧場」という名称でした。わが家では、子どもたちが小さいころに入り口まで行ったことがあります。ところが、子どもが幼かった割に入場料が高く、恐れおののいて引き返したのでした。その当時の料金は記憶にありませんが、現在は「大人(高校生以上) 2,400円」「子供(小・中学生)1,300円」、そして「幼児(3歳以上)700円」です。これが熊本市動物園だと「大人・高校生 300円」「小中学生 100円」ですから、その差は歴然としています。そんなわけで、「若いお父さん、お母さん」だった私たちは「ビビレた」のでした。
 それから数年が経過して、少しばかりは「ゆとり」を獲得した「お父さんとお母さん」は再び、少しばかり「大きくなった」子どもたちと「クマ牧場」の前に立ったのです。ところが、この日は営業時間の残りがあまりないタイミングで到着してしまったのでした。それではやっぱし「高すぎる」という結論に達したわけです。そんなことで、2回目のチャレンジも首尾よくいかなかったのです。
 そして、21世紀となり、「お父さんとお母さん」が「おじいちゃんとおばあちゃん」に変身を遂げました。そして、「三度目の正直」ならぬ、「三度目で入場」と相成ったわけです。しかも、9月だけは「シルバー割引」のお特典があって、「65歳以上」は「2,000円」の大サービスに遭遇したのでした。
 クマはもちろんたくさんいましたが、「みやざわ劇場」と「アニマル-ジョン」と題したショーがなかなか楽しめるものでした。いずれも40分ほどでしたが、「あっという間」に終わった気がしました。そのほか、ダチョウやロバなどと触れあえるのも、前期高齢者ながら、けっこう嬉しがったものです。
 
阿蘇の煙 2015/09/20 Sun 4697
 「シルバーウィーク」は「ゴールデンウィーク」の二番煎じなんでしょうかね。この期間中に「敬老の日」が絡んでいるので、そんな命名をしたと思われます。名付けた人は自慢したいほど、すばらしい呼称だと思っているんでしょうね。それはそれでけっこうですが、前期高齢者の本人としては、「パットしないよなあ」という気持ちもございますよ。はい。
 それはともあれ結婚50周年を迎えた記念行事として、阿蘇へ出かけてきました。そうそう誤解を招く表現でした。こんな書き方ではまるで私たちが「金婚式」に達したように思われることでしょう。さすがにそこまではいきません。実際は「40周年」なんです。ただし、長男夫婦が今年で10年になります。そこで二家族を併せて「50周年」ということでしゃれたわけです。
 まあ、そんなこんなで阿蘇までやってきました。皆さんご承知のように、阿蘇は先週の月曜日に突如として噴火しました。そのため、火口付近の2kmか3km以内は立ち入り禁止になりました。その他のところはとくに問題はないのですが、すでに風評被害が発生して地元の観光には影響が出はじめているとも聞きます。
 さて、わが家は阿蘇が目の前に見える「グリーンピア南阿蘇」に泊まりました。朝方にカーテンを開けると阿蘇中岳からの噴煙が東の方に流れているのが見えました。その煙は朝日に照らされて赤く見えています。それは煙ではなく、いわゆる火山灰として遠くにまで到達するのです。その光景は桜島を思い起こさせました。私たちはいまから37年ほど前、鹿児島に住んでいたのです。そのときはわが家はまだ1歳未満の長男と3人でした。それが孫たちもいっしょの3世代で、阿蘇の煙を見ていることになります。
ロボットと人工知能 2015/09/19 Sat 4696
 いまやロボットが家庭に入って来るようになってきました。ソニーのドッグ型ロボット「AIBO」は、発売されたときは知っています。ただ、「ああ、そうなんだ」くらいの興味しか無かったわけです。ところが、このごろ部品の補給等をしなくなる時期になったらしく、「愛用者」のことが話題になっていました。すでに動かなくなった「愛犬」をお寺で供養して、その部品を使った再生も行われているそうです。まさに「移植」というわけです。ソニーで働いていた元技術者の方が、それを引き受けているのです。
 ともあれ、「AIBO」は人工知能を備えていて、「反応」にも違いが出るそうです。私は「そこまで」柔軟性のあるロボットだとは知りませんでした。高齢社会の中で、自分の話を聞いてくれる人がいない老人が増えていきます。生身の人間だと「ああ、その話、もう何回も聞きましたよ」などと、若いころの「自慢話」も遮られてしまいます。その点、ロボットであればしっかり聴いてくれるでしょう。そして、それまでの話を踏まえながら、いろんな反応もすることが期待できます。もちろん、いつまで経っても「生身」の人間同士がつきあえるのが理想です。しかし、そんなことばかり言ってはおられないのが、いまのわが国です。ソフトバンクの「ペッパー」と呼ばれるロボットなんぞも、けっこう売れているようです。これは3年間で120万円ほどらしいのですが、これからドンドンお安くなっていくのでしょうね。
 私が子どものころから「人口知能」ということばはありました。しかし、それは「室内の明るさに応じて、テレビ画面の明るさも変化する」といった程度のものでした。それが、最新のロボットになると、まさに「知能」を備えているという雰囲気が出てきたようですね。
校長の危機管理力 2015/09/18 Fri 4695
 組織の管理者は、自分が責任をもつ組織が平和で安全に目的を達成することに力を注がないといけません。しかし、人間はもちろん、それが構成する組織も生き物です。だから、いつも順風満帆とはいきません。それどころか、小さな問題はいつも起きているはずです。管理者にとって大事なのは、それが大きくなる前に対応し、問題を解消していくことです。こうしたことから、現在では組織の目的や様態を問わず、そこに所属しているあらゆる管理者が、〝危機管理〟あるいは〝リスクマネジメント〟に対応をする〝力〟をもたなければならないのです。
 これは児童生徒が主たる構成員である学校にも当てはまります。とりわけ校長のリーダーシップは、学校の安全と安定を左右します。教育現場においても、そのリスクは多様です。教職員の「セクハラ」や「体罰」、そして「飲酒運転」は、学校全体を揺るがす「大事件」となりがちです。学校の場合は、教職員は言うまでもなくそのすべてが子どもたちに影響を与える点で、大人の組織よりも深刻さの度合いが大きいわけです。また、子どもたちの「いじめ」や「差別」も、最悪の場合には、「自ら命を絶つ」結果まで引き起こしています。もちろん、校長一人だけで、こうした問題のすべてを予防し、あるいは問題が起きてしまった場合の解決を図ることはできません。しかし、管理職としての校長にできることや努力すべきことは多いのです。
 これは学校に限ったことではありませんが、トラブルが表面化してしまってから、その状況を調べると、その対応にあれやこれやと問題があったというケースがほとんどです。それは、「原因=問題⇒結果=トラブル」という図式ですから、当然のことではありますが…。
インフラづくりのすすめ 2015/09/17 Thu 4694
 「ほめる免許」は、「ほめる相手」から「ほめられていること」が決め手になるというお話をしました。尊敬している人からほめられれば、「お世辞」とわかっていても嬉しくなるのです。それとは対照的に「評価していない」人からほめられても嬉しくも何ともない。それどころか「裏があるんじゃないの」などとその真意を疑ったりすることだってありなのです。
 これは「ほめられる側」からの視点ですが、同じ状況を「ほめる側」から見ればどうなるでしょう。じつに単純なひっくり返しで、「ほめる側」が「ほめる相手」から「ほめられている」ことがポイントであることがわかります。ここで「ほめられる」という日常的な言い回しを「尊敬されている」「評価されている」に交換してもいいですね。
 リーダーシップには「ほめること」が欠かせないと言われます。そこまではいいのですが、それが効果を発揮するには、リーダー自身がほめられていなければならないということです。これこそが「ほめる」リーダーシップの要諦なんですね。
 こうした関係を築いておけば、「ほめる」とは対照的な「叱る」行為も、相手から受け入れられるものです。これが私の言う「対人関係のインフラ」なんですね。ここがしっかりできていないと、相手のためを思って叱っているつもりでも、思わぬ反発を引き起こしたりするのです。それどころか、「自分の欲求不満を解消するために、私たちに八つ当たりしているんじゃないか」などと、ヒソヒソ話のネタにされては立つ瀬がありませんね。そして、「ほめること」が通じる関係を創り上げるためには、リーダーの対人関係力ですが、それ以上に自分の仕事についての専門性を磨いて高めていきことが大事ですね。
 
一体全体、何なのよ! 2015/09/16 Wed 4693
  「日本の官僚は優秀だ」。そんな評価を私が若いころまでは頻繁に聞いていました。それが事実であったかどうかはわかりません。しかし、年金制度や気の遠くなる国の借金の現実を目の当たりにすると。「優秀説」はホンマだったのかと疑いたくなります。しかし、過去の話はなかなか実証しようがありません。それに、これは官僚だけではなく、政治家の問題でもありますからね。その政治家を選んだのは、私たち国民でもあります…。
 それにしても、「軽減税」還元のお話ですが、あれは本当に官僚の皆さんが考えたのでしょうか。マイナンバー制度の「導入記念に、これを使うとおもしろいよなあ」なんて笑いながら考えたのかいなと疑ってしまいます。とにかく、まともな大人が真面目に議論した結論なのでしょうかね。もしそうだとすれば、あきれると言うよりは悲しくなってくるではありませんか。あの結論に至るまでに費やした人員と時間も、もとはといえば税金ですよね。
 その上、カードを持っていって手続きをして、最終的には年間4,000円が上限なんですって。もう、ため息が出てきます。そもそも消費税の軽減は、食料品などの必需品について、「収入の少ない層」に配慮することが強調されていましたよね。今回の案だと「お金持ち」もみんな同じで、しかも上限4,000円なんです。
 話が逸れますが、プレミアム商品券もけっこう売れ残りがあるようです。それに大金持ちがドーンと買ったんなじゃないかという話もあります。まあ、お金が世の中を回ればそれでいいといえばそれまでですけれど。それにしても、大金持ちほどプレミアム分が儲かるわけです。個人の購入額に制限あるのでしょうが、ちょっと裏技を使えば、どうとでもなるでしょう。
 とにかく、このごろは「一体全体、何なのよ」と言いたくなることが多すぎると思いませんか。やっぱし「劣化列島」なんでしょうか。
ほめるライセンス 2015/09/15 Tue 4692
 私は「リーダーは『ほめる免許』を持っていなければならない」と言い続けてきました。もちろん、自動車学校のような免許を取得するための施設はありません。
 まずは日常の自分を振り返ってみていただきましょう。「自分はいつも部下をほめているが、自分がほめられることはないなあ」。そんな方は疑いなく「無免許」状態です。「いやいや、少しはほめられることもあるよな」と思われるのなら「C級ライセンス」をあげましょう。「まあ、けっこうほめられる方だろう」というのであれば、ワンステップ上の「B級ライセンス」保持者ですよ。そして、「いやあいつもほめられているんだよね」と感じていらっるようでしたら「A級ライセンス」と認定いたしましょう。ただし、その「確信が正しければ」という条件は付けさせていただきますが…。
 私が申し上げたいことは、ご自分が「ほめられる側」に回ればすぐに理解していただけると思います。職場に、日ごろからまったく評価していない、もっとはっきり言うと軽蔑すらしているリーダーがいたとしましょう。まあ、こんな仮定をすることそのものが、愉快ではありませんが。ともあれ、その人物からほめられたとき、あなたはどう思われるでしょうね。おそらく「あの人が私をほめるなんて、どういう風の吹き回しなんかいな」とまずは驚かれることでしょう。そして、「危ない、危ない。気をつけないと、裏があるかもしれないぞぉーっ」などと警戒するのが落ちではありませんか。
 これに対して、いつも尊敬している人から同じことでほめられたらどうでしょう。それが「見え見え」のお世辞だとわかる場合でも、「いえいえ、そんなことはありません」などと言って否定しながら、内心ではしっかり喜ばれるのではないでしょうか。この両者の違いは明らかです。ほめてくれる人物を「ほめられる側」がどのように「評価」しているがポイントなのです。
 
お別れ会 2015/09/14 Mon 4691
 大江小学校の「えのき」が台風15号のために倒れてしまいました。それを今月の表紙写真にしました。そして、13日にはお別れ会が挙行されました。わが家が熊本にきて以来の校区にある小学校で、二人の子供が通いました。授業参観や運動会の時には、大きな「えのき」がしっかり立っていました。そんなことで、私たちもお別れの会に出かけることにしました。
 日曜日に授業参観が企画されていて、運動場には子どもたちと保護者が集まっていました。その日の4限目がお別れ会に当てられていたわけです。幸いにもいい天気で、汗がにじむほどでした。子供たちが主体的に主催するといった流れで、校長先生のご挨拶から始まりました。それから、祖父、娘、孫の3代のゲストを含めて、「えのき」ゆかりの方々から、いろいろな話がありました。樹木のお医者さんも来られて、再生の奇跡も起こりうるといったお話しもされました。すばらしいことです。そして最後は校歌で締めとなりました。
 そのあとで、突如としてドローンが飛び上がったのには驚きました。私がドローンが実際に飛ぶのを見たのは初めてでした。しっかり安定して空中に浮かんでいるのに、これまた驚きました。これで子どもたちと「えのき」を俯瞰するすばらしい映像が出来たことでしょう。
 ともあれ、今度は木の根元から出ていた芽を育てて、次の100年をめざす大プロジェクトも生まれました。ひとつ一つの命には終わりがあっても、それはつながっていく。大江小学校「えのき」は子どもたちにそんな教訓も残してくれたんですね。
コンピューターの思い出 2015/09/13 Sun 4690
 いまや、コンピューターなしの生活は考えられなくなりました。それ自身が「私はコンピューター」と言っていなくても、この世の中にあるほぼすべてのものが「コンピューター」がらみです。テレビはもちろん、スマートフォンの中には「コンピューター」がワンサカ入っていますよね。
 さて、私がコンピューターと「出会った」のは大学生のときです。それはもう45年ほど昔の話になります。当時はコンピューターといえば大型の電子計算機でした。そして、それを動かすためにはプログラム言語を習得する必要がありました。その中で科学技術計算に向いていると言われた〝FORTRAN〟を勉強しました。プログラムやデータはパンチカードを使っていました。いまでは、「パンチカード」と聞いても「何、それ?」と言う人の方が圧倒的に多くなっています。
 それからしばらくして、私が30代に達したばかりときにNECからPC8001と命名された、その名の通りパーソナルコンピュータが発売されました。これを動かすのは〝BASIC〟と呼ばれる言語でした。〝BASIC〟は〝FORTRAN〟の甥っ子か姪っ子のようでなじみやすく、これを使ってPCを動かすのが楽しくて仕方ありませんでした。それからかなり経ってから「オタク」ということばが流行りました。当時の私は疑いなく「PCオタク」の走りだったのです。たとえば、心理学に必要な統計計算ができるプログラムをつくるために、毎日のように夜遅くまで研究室で格闘しました。それまで大型の計算機でなければ不可能だったことが、目の前のPCでできるのですから、それはそれは興奮の連続だったのです。
急がば回れ 2015/09/12 Sat 4689
 あるところに4回出かけることがありました。最初の日は強い雨が降っていて、道路の一部がちょっとばかりながら冠水しているほどでした。私としては十分に余裕を持って出かけたつもりでした。ところが、こうした道路事情から大渋滞となってしまって、車が前に進みません。そんなわけで、先方には「遅れるかもしれない」との連絡を入れざるを得ませんでした。そして、途中から予定していた道を変更して、片道が2車線の道路に切り替えました。それも効果があったのか、結果としては約束していた10分ほど早く目的地に着くことができて、「めでたし、めでたし」となりました。
 さて、2回目ですが、その際は天気の問題もなく、大丈夫だろうと思って「同じ道」を使うことにしました。ところが、これがまたしても大裏目で、前回よりも渋滞しているではありませんか。そこで、大決断をして方向を転換して別の道を選択しました。このときも「逆送」したにもかかわらず、やはり10分ほどの余裕を確保できたのです。
 そして3回目は、「これまでの道」にこだわってみました。しかも、1回目は途中で2車線の道路に切り替えたのですが、それもやめて「真っ直ぐ」に進んだのでした。これまでとは違って、大きな渋滞がなかったためですが、やはり「予定していた」かのように10分前に到着しました。
 いよいよ最後の4回目です。距離的には遠回りなのですが、「可能な限り片道2車線」の道路を選択するチャレンジをしてみました。その結果が推測できる方がいらっしゃるのではないでしょうか。そうなんです、このときは何と25分も早く着いたのでした。
 なんのことはない。「急がば回れ」。渋滞するように見えても、じつは「幅広」道路の方が「早く着く」確率が高いということでしょうね。
 
愚かな同年配 2015/09/11 Fri 4688
 劣化列島の話題は尽きません。今度は司法試験の問題漏洩です。これもまた「開いた口が塞がらない」口ですね。法科大学院の教授が学生に問題を教えたというのです。しかも、模範解答まで提示して「指導」したらしいですね。これがバレた理由がすごい。問題の回答があまりにも見事だったんだそうです。また論文だけでなく、短答式と呼ばれる問題でも正答率がきわめて高かったといいます。そもそも司法試験の問題など知りようがありませんが、「出来すぎ」が落とし穴だったというのですから、何とも皮肉なことです。つまりは「指導しすぎた」んですね。しかし、それは「適当なレベル」だったら「バレていない」可能性もあるということです。何と恐ろしいことでしょう。それにしてもこの先生、10年以上も同じ委員を務めていたといいます。「これが最初のケースかいな」と疑われてしまうではないですか。
 しかも、何と言っても「法律」のプロ資格を与える試験なのです。とにかく領域が悪すぎですよ。法律は社会正義を実現するための道具でしょう。そのプロとそれを目指す人間が「ズル」をするのですから、その罪は重いと言わざるを得ません。この件では、すでに法務省から告発された東京地検が動き始めているとのことです。明らかに「法律違反」なのですから、まったくひどい話です。言語道断とはこんなことに対して言うのでしょうね。
 ご本人は大学に辞任を申し出たんだそうです。しかし、大学が「はいそうですか」とそれを受理することなど出来るわけがありません。そんな話を聴くと、「この人、ホンマに法律を知ってるんかい」と疑わしくなってきます。それにしても、この教授はほとんど私と同じ年齢です。この年に至って何という愚かなことをしたのでしょう。
 
朝令暮改のこころ 2015/09/10 Thu 4687
 「倫理的行動とはどんなことですか」という問に対して、補足的に「ルールが適さないのなら改める」という意見もありました。倫理的行動の基本は「ルールを守る」ことでしょう。規則やルールを守り、マニュアルなどにしっかり守っている。ところが、周りを見るとけっこういい加減な職場があったりする。しかも、そこで問題が起きているかというと、何のこともなく動いている。そうなると、自分たちだけ真面目に仕事をしているのが馬鹿らしくなってくる。そんなとき、「悪魔」が「正直こころ」に忍び寄ってくるのです。ここが「組織の安全」「リスクマネジメント」の正念場なのです。たとえ周りが「いい加減」であっても、自分たちは「頑固」に守るべきものは守り、従うべきことには従う。そんな気持ちが「悪魔」を追い払うのです。
 ただし、「頑固さ」を大事にする一方で、現状では意味のない、さらには不適切で障害になりかねない規則やルールもあります。時代遅れのマニュアルだっていくらでもあるでしょう。そうしたものを日ごろから点検し、変えるべきものは変え、廃棄すべきものがあれば直ちに廃棄する。そんな臨機応変の対応こそはリスクマネジメントに欠かせません。
 つまりは、「真面目に守る」ことと「しっかり変える、廃棄する」ことを「両立」させるのです。「守る」ときにも職場全員で「上手な守り方」を考えるといいですね。いろいろな智恵が出てくるはずです。また、私は「変える」ときも「朝令暮改のこころ」をお勧めしています。皆で議論して「変えた」「廃棄した」ところ、まずいことが起きた。そんなときは「すぐ元に戻す」ことです。こんなときに「一度決めたことはコロコロ変えない」なんて言って躊躇していると、また「別の悪魔」が肩を叩いてきますよ。
 
超高級寿司 2015/09/09 Wed 4686
 さて、「今月の写真」の2枚目は、「超高級寿司」です!とにかく見るからにおいしそうでしょう。何せ価格をお聴きになれば目が飛び出るに違いありません。これをつくった職人が最高級のプロフェッショナルなのですから…。
 その「寿司職人」とは、私の孫たちです。わが一族で「大誕生日会」なるものを催すことになりました。その際、孫たちのリクエストで、メインは「お家でお寿司」ということに決まったのです。そうなると頭に浮かぶのは「手巻き」です。そんなイメージで私たち、おじいちゃんとおばあちゃんは「寿司ネタ」を持って出かけたのでした。
 ご飯が炊けて、寿司飯づくりには孫たちも団扇でお手伝いとなります。そしていよいよ寿司づくりとなるのですが、ここで小さなまな板のような「新兵器」が登場したのです。その仕様を細かく説明するのはむずかしいのですが、とにかくプレートに溝があって、その中に寿司飯を詰め込みます。そして、その上に寿司ネタを載せます。あとはもう一枚のプレートを軽く押しつければできあがりとなります。それはそれは見事な「にぎり寿司」が目の前に並んでいきます。もちろん味だって「最高級」であることは言うまでもありません。私も思わず食べ過ぎてしまいました。
 それにしても、私たちが子どものころと「寿司」のイメージがすっかり変わりましたね。昔は「寿司」と言えば、それはそれは高級品でした。最近は回転寿司の競争も激烈のようで、「お寿司」は若いファミリーの定番になった感がありますね。しかし、そもそも江戸で寿司が生まれたころは、庶民の食べ物だったそうです。そう考えると、いまや原点に回帰していると考えるべきなのかもしれませんね。
 
今月の写真 2015/09/08 Tue 4685
 まずは、「倒木」の生々しい写真です。これは熊本市の大江小学校にある「えのき」です。先日の台風15号によって、無残にも根元近くから折れてしまいました。この学校は私の子どもたちが通ったところで、運動会などでは親である私たちやおじいちゃん、おばあちゃんも出かけたものです。この「えのき」は校歌にも歌われるシンボルだったのです。この木が植えられたのは1897年(明治30年)、この地に大江小学校が移転したときだといいます。すでに樹齢は120年を超えるようです。
 それは衝撃的なニュースとして地元では報道もされました。学校はすぐに記帳台を設置したのですが。熊本市長や卒業生、それに近隣の住民たちも訪れました。私が写真を撮りに行ったときには花束も捧げられていました。わが息子と娘もしっかり見届けたことは言うまでもありません。
 小学校では専門家に相談しましたが、「本体」については再生困難との判断が下されたそうです。ただ、幹の根元当たりに小さな芽が見つかったらしく、これが挿し木で再生するかもしれないということです。また、根元から新芽が出てくることもあり得るらしいのです。すばらしい生命力です。小学校ではこれを育てて、「次の100年」に繋げるプロジェクトにしたいといいます。まことにすばらしいお話しですね。今度の日曜日には「お別れ会」もあるそうです。またゆかりのある人たちが集まることでしょう。台風のよって木は倒れてしまいましたが、その一方で、命の力強さと大事さをしっかり教えてくれたのですね。
電話問題 2015/09/07 Mon 4684
 「電話を変えませんか」。そんな誘いが続く。じつは昨年の2月に、それまで10年以上も続けてきた電話会社を変えた。とにかく「安くなりますよ」というのである。こうしたことにはけっこう保守的な私だから、「いいですよ」と答えていたが、とにかく熱心に勧めてくる。その内容を聞いてみるとたしかに「安くなる」ようなので、その気になった。そして「違約金が発生するときは補填します」と確約された。しかし、わが家の場合は長期間に亘って使っていたので、その心配はなかった。
 こうして1年と数ヶ月が過ぎた。すると、今度は「元の」系列から「戻ってはどうか」という電話がかかってきた。いつもであれば「まだ変えてから間もないから」とことわることろである。それに「違約金」が発生する。これについては「補填しますから大丈夫です」と言ってくる。しかし、そんなもんじゃないんだという思いがある。そもそも「違約金」とは約束違反に対して支払うものだ。そんなことってしたくない。それがわが世代のメンタリティである。
 ただし、今回はやや気持ちが動いた。それには大きな理由があった。じつは昨年はじめに切り替えたのはよかったが、新しいプロバイダーでは「味な話の素」がうまくアップロードできない状況が続いていた。そのために、以前からのプロバイダーに使用料を払い続けていたのである。今回の誘いに乗れば「それが元通りになる」わけだ。そんなことで、結果的には、「違約金」が発生する状況で元の電話会社に切り替えることにした。小さな問題が私の心を動かしたのである。
 それにしても「違約金」を補填してでも客を奪い合う。本当にすさまじい世の中である。
貼り紙と行動変容 2015/09/06 Sun 4683
 いわゆる猛暑の季節は終わりを遂げました。私は前期高齢者になる前から問題を抱えていました。それは「渇きの中枢」の効き方が悪いんです。朝から2コマの講義をした後で「あれっ、水分をとったのは朝ご飯のときだったなあ」と気づくことが多いのです。そんなわけで、とりわけ夏は熱中症に要注意の状態が続くのです。そこで、研修など1日仕事の際は気をつけています。たとえば教員免許状更新講習では、あらかじめ1リットルのお茶を手に入れます。私は水よりもお茶の方が好きなんです。
 さて先日、研修で出かけた際にトイレにいったときのことです。男子の小用は立ってすませますが、その前にいろいろな情報が掲げられているところが多いんです。そのなかには、「サラリーマン川柳集」から選んだ作品もあります。それを読みながら、一定時間、その場にたたずんでいるわけです。いずれも傑作で、ついつい笑みがこぼれます。また、「もう一歩前へ進め」などと命令的な文言の貼り紙だったりもします。
 このときは、「熱中症」という文字が目に飛び込んできました。その下に書かれていることが私に衝撃を与えることは、その前に立つまでは夢にも思いませんでした。何と「お茶は利尿作用があるため熱中症対策には向いていません」というのです。その上で「水」が推奨されていたのです。その日からというもの、私が1リットルの「お茶」を「ミネラルウオーター」にチェンジしたことは言うまでもありません。こうして、1枚の貼り紙が私の「行動」を変えたのです。
 いかがでしょうか。人間は「自分に関わりがある」ことは敏感に気づくのです。そして、「行動」まで変えることができるのです。
 
劣化進行中 2015/09/05 Sat 4682
 いまや劣化列島と呼ぶべき状況が目の前で展開している。わが国が敗戦の焼け野原から立ち上がり、経済復興を遂げつつあったとき、それは世界から「奇跡」と呼ばれた。そして、それを模範にしようと考えた国々は少なくなかった。マレーシアのマハティール首相が唱えた〝Look East政策〟はその代表例である。しかし、いつのころからか「日本の二の舞を演じてはいけない」といった状況が生まれはじめた。わが国が「反面教師」として目立ちはじめたのである。
 オリンピックの開催国で準備が遅れているニュースがあれば、笑いものにしていなかったか。「やれやれ、ひどいもんだ。自分たちの国ではあんなことは起こりようがないよなあ」と…。しかし、オリンピックに限っても、いまや諸外国から笑われている。
 まずは「コンパクト」を売りにしていたのに、東京都以外にも会場を求めなければならなくなった。これについてIOCからは何とか了解を得た。すると、お次は競技場問題である。それも競技場の建設が遅れて開催までに間に合うのかいったレベルではない。そもそも、どんなものを建てるかどうかで振り出しに戻ってしまったのだから半端ではない。これまた規模や設備で大幅な変更を余儀なくされた。これも公式的にはIOCも了解したという。しかし、「あんたら、何をしてんねん」とあきれたにちがいない。そして「二度あることは三度ある」の格言どおりに、またまた「エンブレム」で国際的に大恥をかくことになった。IOCも怒っているに違いない。〝TOKYO〟と宣言したことを後悔しているかもしれない。
 猪瀬東京都知事は金銭問題で辞めざるを得なかった。「とにかく何とかごまかして、知事の二の舞は避けるぞーっ」。オリンピックに関係する組織の「責任者(?)」たちからは、「責任逃れ」の強い意志が感動的に伝わってきますよね…。
 
おとなのおもちゃ 2015/09/04 Fri 4681
 さて、マイカーネタの続きです。スバルは何といってもアイサイトが売りです。フロントに取り付けられた「二つの目」が威力を発揮するのです。とりわけ自動車専用道路を走るときはすばらしい。あらかじめ走行スピードをセットします。これで先行車との距離を保ちながら、しっかり走っていきます。その間はアクセルもブレーキもノータッチなのです。もちろん、前の車が止まれば、ちゃんと自分でブレーキをかけて停車します。この機能をはじめて試したときは、正直なところ「ホンマかいな」と心臓の高鳴りが聞こえました。何せ、目の前に車がいるのに、ブレーキを踏まないのですから。当然のことながら、不安になりますよね。しかし、ご心配無用なんです。わが愛車はちゃんと止まってくれたのでした。いやあ、すばらしいったらありゃあしない。
 これを「全車速追随機能付きクルーズコントロール」と呼んでいるんですね。じつに長ったらしい呼称ですが、とにかく「すべて任せてちょうだい」ということです。それに、前回ご紹介しましたが、前の車に合わせて停止すると、直ちに「アイドリングストップ」に入るのです。節約するガソリンの量はしれたものですが、じつにメカニックで楽しくなります。
 また、「アクティブレーンキープ」といったものもあるんです。これは車が車線を逸脱しないように監視してくれる機能です。そして、車線からはみ出しそうになると、「ピピピピピピッ」と警報音が鳴ります。また運転席前方のディスプレイには「はみだし注意」と表示されるのです。
 かくして、この6ヶ月は「おとなのおもちゃ」で大いに楽しませてもらっています。
 
 
識者のコメント 2015/09/03 Thu 4680
 寝屋川で起きた2人の中学生が命を奪われた事件の件です。これに関して「専門家=識者」が新聞でコメントしていました。先月27日に、それらが「けっこう怪しい」というか、「当たっていない」ことを書きました。今日はその「補足(?)」です。
 犯罪社会学の大学教員は「人目に付くところで声を掛けられると子どもは安心する」という理由から、「顔見知り」であるかどうかは判断しかねると言っています。ただし、時間は明らかにされていませんが、「声を掛けた」のは13日の早朝のようです。お盆に入った時期でもあり、そのときが「人目に付く」状態だっのかどうかはわかりません。それにビデオで見る限り、事件が起きたのは人通りのない早朝のようですよね。
 また被害者の顔に粘着テープが何重にも巻き付けられていた事実から、「かなり焦っていたのではないか」という見解もあります。さらに「相当なうらみか愉快犯」という識者もいるわけです。「うらみ」となれば「顔見知り」どころか、かなり親密な関係を推定しているのだと思いますが、容疑者と中学生たちにはそんなことはまったくなかったようですね。
 別の犯罪心理学者は「強い怨恨の可能性を指摘する一方」で、「昆虫をいじめる幼児のように、精神年齢が低い人間ということも考えられる」としています。うーん、「精神年齢」というのはどこまで科学的な指標なんでしょうか。それはおくとして、「ことも考えられる」ですから、「そうでなかった」としても「外れてはいない」ことになりますか。
 非行臨床学の専門家は「複数犯とした上で、『集団心理が働いてエスカレートしたのでは』と推測した」とも書かれています。そして、記事は「多くの識者は『2人を同時に連れ去ったとすれば単独の犯行は難しい』との意見で一致する」とまとめています。これも確定した事実ではありませんが、いまのところ単独犯のようですよね。この推測も相当程度に怪しいわけです。
 ともあれ、記事も「識者」の発言を並べた後に「などと見方はさまざま」とまとめています。記者さんも「ちょっと困ったなあ」と感じたのではないでしょうか。いずれにしても、マスコミに現れる「専門家」や「識者」の意見はこんなもんだと思っていたほうが無難なんですね。
お粗末事件の経費 2015/09/02 Wed 4679
 早朝の愛知県岡崎市のコンビニで立てこもり事件が起きた。包丁をもった犯人が店員を人質にしているという。テレビでは緊迫した様子が映し出される。しばらくして、犯人が「金はいらない。酒を持ってこい」と言っていることがわかった。その瞬間、「何じゃこりゃあ」と思う。「単なるアルコール依存症の男なのか」と推測する。事実、逮捕したときは「ろれつが回らないほど」のベロベロべろべろ状態だったという。その動機は「人生を悲観し、大きなことをやってやろうと思った」からだという。あきれ果てて、開いた口が塞がらない。親から仕事もしないで酒ばかり飲んでいることを責められたらしい。それで「人生に悲観した」んですって!そんな理由で立てこもりなんぞされてはかなわない。人質になった店員の精神的負担はもちろんだが、あれだけ大人数の警察官を動員させたのである。その経費を払ってもらいたいものだ。
 さて、熊本県のある町の議員が強制わいせつと住居侵入で逮捕された。家の前で遊んでいた女子小学生たちに「テストを受ければ図書カードをあげる」といって子どもの家に入った。塾の関係者を装っていたらしい。そして少女たちがテストを解いているときに、その足をもんだのだそうな。逮捕された本人はその事実を認めているという。その上で、「合意の上だった」と弁解しているらしい。何と、この議員さん、女の子に「足をもんでもいいかい」と聴いたら、「うん、いいよ」と素直に答えてくれたとでも言うのだろうか。お年は63歳、間もなく前期高齢者でいらっしゃるのだ。これまたあきれてものが言えない。逮捕した警察官はもちろんのこと、取り調べをする警察官たちにかかった経費を払ってちょうだいと言いたくなる。
 とにかくお粗末な事件が多すぎる。そのすべてに国費が使われるのである。
 
絶対の意味… 2015/09/01 Tue 4678
 私たちの辞書には「絶対」ということばが入っています。しかし、私は「『〝絶対〟ということばは〝絶対、に使ってはいけない」と言うとき以外は〝絶対〟に使ってはいけない』」などと、〝「」〟が不足するほど「訳のわからない」表現を好んで使っています。何のことはない、「『絶対』なんて不用意に使うな」と言いたいだけのことです。
 そもそも「絶対」という言葉の意味も、考えれば考えるほどわからなくなります。宇宙の始まりにしてもそうです。絶対的なスタート点、つまりは「ゼロの位置」というのはどうなっているのでしょうか。素人的には「そのとき」はあると思いますが、トップレベルの科学者たちにも、その詳細はわかっていないようです。
 「真空」ということばは、「絶対にカラッポ」と読めます。しかし、この世界に「何もない」という状態があるのでしょうか。これについては科学的に説明ができているのだと思います。しかし、とにかく「完璧に何もない」なんて、素人としては相当に信じがたいことです。実際は「何かで充ち満ち」ているのでしょうね。
 自然の世界がそうなんですから、人間に関わることで「絶対」なんてあるはずないんです。とくに「絶対ゼロ」などという表現はしてはいけません。それが起きる「確率がメチャメチャに低い」ときには、「ゼロに近い」ことになります。しかし、それでも「絶対ゼロ」ではありません。災害や事故についても「絶対」ということばは使ってはいけません。それもあくまで「確率が低い」だけのことです。そんな世界で生きている私たちですから「絶対」はないと考えて行動することが「絶対に(?)」必要ですよね。