Q&A 対人関係のインフラ創り① 2015/03/10 Tue 4498
いろんなところで講演をしたあとに、参加者の方からご質問をいただくことがあります。それはメールであったり、あるいは主催者が実施したアンケートに記入されたものであったりします。これが私にとって貴重なフィードバックになり、次の仕事に活かせる内容のもので溢れています。せっかくお答えするのですから、オープンにしておきたいという思いから、いつも本コラムで取り上げてきました。今回もある企業での講演の際にいただいたアンケートに3人の方からご質問がございました。これをご一緒に考えていきたいと思います。
まずは、最初の質問です。
「我々サラリーマンの宿命として異動というものがあります。コミュニケーションのインフラが全くない部門への異動があります。そういう際に早期にコミュニケーションのインフラを構築するにはどうしたら良いでしょうか? (事業環境のスピードアップによりじっくりコミュニケーションのインフラを構築する時間的余裕がない場合がままあります)」。
このご質問にお答えする前に、本欄をお読みいただいている皆さまには「コミュニケーションのインフラ」についてご説明する必要があるでしょう。その詳細は、2004年7月29日の「味な話の素」に書いているので、「バックナンバー」で検索していただければと思います。その内容を簡単に言えば、「対人関係がしっかりできていないとコミュニケーションはうまくいかない」「関係がいいと、少しばかり情報不足や言い間違いをしてもちゃんと通じる」「関係がまずいと、完璧な情報を提供しても伝わらなかったり、誤解されたりする」という話です。それは「信頼関係」や「人間関係」と言い換えてもいいものですが、私はこれを「対人関係のインフラ」と呼んでいるわけです。 |
「ホームページ・ビルダー」が、3月4日から突如としてフリーズし続けてきました。
その後、あれやこれやとトライして、何とか動きはじめましたが、まだ安心はできません。
なお、明確な原因は推測の域を出ず、未だ不明のままです。 |
どんなに困難でも… 2015/03/09 Mon 4497 However difficult life may seem…
宇宙の起源はもちろん、「空間」や「時間」の性質は一般人にとっても興味をそそり続けます。そんななかで、 Stephen Hawking博士(1942-)は、「ビッグバン」や「ブラックホール」といった現象の理論的分析でトップを走り続けてきました。その名言の一つが、〝However difficult life may seem, there is always some thing you can do
and succeed at〟です。「人生がどんなに困難だと思えても、自分にできて成功することはいつも目の前にある」と訳しておきましょう。このことばは彼が置かれている健康状態を知っている人であれば、だれもが圧倒されるはずです。
Hawking氏は学生のころ、筋萎縮性側索硬化症を発症します。その当時、寿命は5年程度と言われた難病です。しかし、その進行が弱まって、今年で73歳を迎えることになります。しかし、日常生活は車椅子が必須で、しかも声も失っています。そのため、コンピュータによる意思伝達システムを使って、会話や講演を行っているのです。
私の手元には〝BLACK HOLES AND BABYUNIVERSES and other essays〟というタイトルのペーパーバックがあります(BANTANM
BOOKS)。そこには14のエッセイが収められているのですが、世界中で大ベストセラーになったということです。原文は平易な英語で、本人の生い立ちから書かれています。これから成長していく高校生当たりには、おすすめの1冊です。それがどんなに小さいことでも、「今できることにしっかりアタックしていく」。そして、「小さな進歩」「ささやかな成功」を「大きく喜ぶ」こと。これこそが、人として味わうことのできる醍醐味でしょう。人生は〝Never
Ending Challenge〟なのです。 |
飛行機好きの新幹線 2015/03/08 Sun 4496
飛行機が大好きな人間だから、年間を通してけっこう乗っている。九州新幹線が開通してからも、関西方面へ出かける際は飛行機にこだわってきた。ただし、新幹線そのものはしばしば利用するようになった。まずは、福岡空港発の便を利用する機会が増えた。そもそも、石川県の小松空港や島根県の出雲縁結び空港へは福岡からの発着便しかなかった。その場合は在来線で博多まで行き、地下鉄で福岡空港に達する。この地下鉄が5分という信じがたい所要時間である。そんなわけで、研究室から時間を計算して熊本駅までタクシーを使うと、1時間と少しで福岡空港にいることになる。これは新幹線の大効果である。そこで、名古屋に出かけるときにも便数が多い福岡発着を使うことが多くなった。
また、大分に出かけるときも新幹線を使いはじめた。熊本から大分へは阿蘇路を走る「九州横断特急」がある。豊後と肥後を結ぶ豊肥線を使う。これは雄大な阿蘇を眺めながら行くので、観光的には最高のお勧めである。実際に乗ってみると、外国人の客も少なくないことがわかる。滝廉太郎の「荒城の月」で知られる豊後竹田も通る。ただ、難点は本数が少ないことだ。また、ディーゼル車でお山を昇るのでスピードが遅い。これからいよいよ阿蘇だという立野駅にはスィッチバックがある。これは急な勾配を進行方向を変えて2段階に分けて、山をゆっくり昇っていくシステムで、鉄道ファンにはたまらない魅力があると思う。ともあれ、私としては本数の多い新幹線で小倉まで一気に行って、それから在来線の特急で大分へ向かうコースが便利になった。所要時間は、ほんの少し短いだけだが、とにかく1時間に数本あるからこの上なく便利なのである。 |
「捏造の科学者」 2015/03/07 Sat 4495
須田桃子著「捏造の科学者」(文藝春秋)は383ページの本だが、全編を通じてというよりも、そのすべての行が私に「衝撃」を与え続けた。著者は毎日新聞の科学環境部(東京)の記者である。早稲田大学大学院理工学研究科修士課程を修了している。専攻は「物理学」である。彼女の本は、2014年1月28日、理研発生・再生科学総合研究センター(CDB:Center
for Developmental Biology)で行われた華麗なる発表の4日前からはじまる。
それからほぼ10ヶ月、彼女はSTAP細胞を追い続けた。彼女は自ら命を絶ってしまった笹井芳樹氏とは2006年から接触があり、このときは「須田さんは『絶対』に来るべきだと思います」といったメールを受け取っている。そう言わせるほど、科学の領域における実力の持ち主なのだ。そのことは、記者会見での質問を含めて、この本を読む進むうちに実感する。だからこそ、すべてのページに迫力があるのだ。本は11月14日の「あとがき」で終わっているが、この間に、笹井氏とは40本にも上るメールのやりとりをしている。
それにしても、あれは一体何だったのか。私にとって、「組織の安全」「Risk management」は重要な研究領域である。そこにはいわゆる「事故」だけでなく、「不祥事」も含まれる。その意味で、CDBで起きたことに、私はきわめての大きな関心を持たざるを得ない。ともあれ、須田氏は、あの華々しい発表から、影響力のある科学者の自死を経て、それが「崩壊」していく過程を追っていく。 |
秋晴れの日 2015/03/06 Fri 4494
秋晴れの日、甘木のYTの家に行った。昭和19年、今日から恰度30年前、5月31日にHと見合いをした家だ。あの日、Hは義理の祖母にあたるYHさんと二人であの家に来た。玄関を開けて、照れら笑いをして入って来たのを見たときが、私が最初にHを見たことになる。あの玄関を30年過ぎて私はおとずれた。さんさんと秋の日差しは輝いているのに、もうHはいない。YHさんも、もう20年以上前に亡くなった。二人ともすでにこの世の人ではない。
あの玄関の前にしばらくたたずんで、昔をしのんだが、まだ17歳だった少女といった方がいい可愛いHが、その玄関に入っていくのをまぼろしに見る。仲介人になってくださったKNさんももう10年前に亡くなっている。そんなことを知る人とて誰もいない。私は一人そこを立ち去ってKNさんのお墓のあるお寺にお参りした。人はみんな死ぬものなり。されどこの秋晴れの美しさよ。人は多けれど、昔の人はいない。次の世代の人々でにぎわっている。
11月11日に甘木の親の家に行ったが、Sはいず、間借りの人がいただけだった。あの懐かしい玄関に腰を下ろすいとまもなく立ち去った私ではあった。あのHが、はじめて私に姿を見せた懐かしい玄関であったが。
30年前のことだ。私が散歩に出て、Sの家に帰ってみると、HとMさんが家の前の道路に立っていた。私と目が合い、Hは頭を下げた。胸を張るように母に言われていた私は胸を張っていた。見合いが済んで、Hたちはたしか帰るところだったと思う。そのHが立っていたと思われるところは今もあるのに、HもMさんも、もういない。
これは、私の父の日記である(人名のアルファベット以外は原文のまま)。日付は1974年11月26日、Hは父の妻であり、私の母だ。母は前年1973年の10月、手術のミスが原因でこの世からいなくなっていた。今も父の嘆き悲しむ声が聞こえる。 |
代わり映えしない… 2015/03/05 Thu 4493
民主党の大会が開かれて、衆議院選挙の敗北を認めたということでした。定期党大会ということですから、この時期になったのは仕方がないのでしょうが、それにしても、いまごろ12月の敗北を公式に認めるというので。こんなときにこそ「遅きに失した」ということばを使うべきなのでしょうね。
それはそうと、少し前に代表戦が実施され、その後に「新体制」ができたということでニュースになっていました。そのときに映し出された責任者たちのお顔を拝見して、正直なところ笑ってしまいました。簡単に言ってしまえば、「まったく代わり映えしない」方々なんですね。さすがに、「最低」とか「最悪」などと酷評されたお二人は座っていらっしゃらなかったですね。しかし、それも当然で、お一人は議員をお辞めになっています。もうお一方は選挙区で連続してアウトになられてしまいました。もっとも、「比例代表制」なる救済措置(?)で議員さんとしてご健在ではあるようですが。
いつのことでしたか、ある有力な党の幹部が「悪代官のようだ」などと言われたこともありました。ご本人たちがどう感じられたか、そのときの状況は忘れてしまいました。しかし、ものは考えようです。「悪代官」と呼ばれるほどの大物と言うこともできるでしょう。その点、今回のニュースに登場された皆さんですが、私としては「うーん」といった感じでした。とにかく、あの数年間のダメージが大きすぎました。今のところ、何を言われても、悪夢を思い出すように、「みんな同じ顔」に見えてしまうんです。
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