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 吉田道雄 YOSHIDA, Michio

味な話の素
Since 03/04/29
  No143.  2015年3月号 4487-4520
カナカナ見聞録(7)  2015/03/31 Tue 4520
 「カナカナ」に「ケチ」をつけ続けておりますが、本日は次のようなお話をしようと思います。
 子育てに関して待機児童が問題になっていますが、その一方で保育園の建設に際して住民とのトラブルが発生しているところもあるということです。その大きな理由は、子どもたちの「騒音」だといいます。社会心理学でもNIMBYに関する研究が行われています。NIMBYとは、“Not In My Back Yard”の頭文字をとったものです。様々な施設が必要なことは認めるが、それが「わが家の『裏庭』はダメよ」という主張です。ゴミ処理場や葬儀場などはときおり話題としてニュースで報道されます。誰もがその必要性を否定しませんが、「家の近くはダメ」ということです。いまや保育園もそうした施設になるのでしょうか。もっとも、「子どもの声」が騒音だということもあるのでそうですが、送り迎えの保護者の行動を指摘する人もいます。みんなが集まって声高に話をするとか、自動車や自転車のマナーが悪いことなどが問題だというのです。
 こうしたトラブルを減らすために、地域住民を招待して、子どもたちとの関わり合いをもってもらおうと努力している保育園もあります。あるとき、そこの責任者がインタビューに答えていました。「こうしたことで地域の方々にも理解していただけるのカナと思います」。そうなんです。ここでもまた「カナ」が登場したわけです。ただし、こうした「相手の気持ち」を推測する場合には、「カナ」を使うのは十分に理解できるのです。こんなときに、「理解していただけるはずです」なんて言おうものなら大反発を食らうでしょう。私だって「カナ」が持っている役割はわかっているつもりですカナ???
 
融通無碍の「統計」  2015/03/30 Mon 4519 Facts are stubborn things, but statistics are …
 Mark Twain(1835-1910) はアメリカを代表する作家であり、ユーモリストだ。作家としては、子どものころから日本人が知っている唯一のアメリカ人ではないだろうか。少なくとも私たちの世代ではそうだった。ジョージワシントンやアブラハムリンカーンと並ぶか、それ以上ではなかったかと思う。
 そのMark Twainの言である。〝Facts are stubborn things, but statistics are more pliable.〟 「『事実』は頑固者だが、『統計』は融通が利く」。〝pliable〟には「言いなりになる」という意味もある。統計を仕事にしている人間に対する痛烈な皮肉とも言える。この世の中には、「統計」を使って人々を混乱させるケースがじつに多い。それが意図的になされる場合は、影響の度合い次第で詐欺的行為にすらなる。統計を「権威」をまといながら駆使する政府やマスコミの統計にも十二分に気をつけたほうがいい。
 私も、機会があるごとに、「統計の危うさ」を訴えてきた。それが得られた過程は後ろに隠れて、数値のみが一人歩きする。そもそも政府の統計や、それに基づく予測も当たり外れが多いという評価もある。たとえば、空港や道路などの公的施設の利用予測などは、どのくらい当たっているのだろう。かつての「高度経済成長期」にも、国が予測した数値は外れが続いたようだ。現実がそれ以上にプラスに進んだので、ほとんど問題にならなかったのである。そうした「統計」をもとにしたに違いないが、国は日本の自動車産業を集約する方針を立てた。それに基づいて、「バイクから四輪車に進出する」というHONDAにストップをかけようとしたことがある。もちろん、本田宗一郎氏はそんな声には耳を傾けず、今日に至っている。ともあれ「統計」君は相当程度に「日和見」なんですよね。
カナカナ見聞録(6)  2015/03/29 Sun 4518
 なにせ「粘着質」です。ちょっとでも思い出すと、調子に乗って続けてしまいます。とりあえず「カナカナ見聞録」を追加しておきましょう。じつは、日本のロボットが宇宙から帰還したという楽しいニュースもありました。これもはっきり意識して見ていたわけではないのですが、スペースシャトルに「同乗」して宇宙飛行士の気持ちを和らげたという、いわば「癒やしロボット」が帰ってきたということでした。そこで、それを開発した研究者の方が発言していました。「人とロボットが対話をする時代が近づいてきたのではないカナと思う」。ここでも「うーん」ときてしまいました。私の趣味では「ではないかと思う」と言ってほしいわけです。それが「カナ」になってしまった。もう少し自信をもってほしいなあ。
 ついでながら、手元に昨年11月に書いていたメモがありました。それは、ガンバ大阪が仙台のチームと対戦したときのことです。ずっと攻めまくったのですが、相手からゴールされて1対1で終わってしまいました。そのときガンバは2位だったようです。試合終了後に中心メンバーと監督のインタビューが流れました。そのときに、選手の方が「勝てば首位にプレッシャーをかけることができたのに」と、当然の発言をしました。しかしそのあとがいけないんです。「(勝てなかった)のは残念カナ」なんですね。ああ、またまた「カナ」のご登場です。ここはどう考えても「残念だった」の断定形でしょう。とにもかくにも闘うことが目的のスポーツですから、「カナ」なんて曖昧な意思表示はこのうえなく不似合いだと思うのですが…。
」 
カナカナ見聞録(5)  2015/03/28 Sat 4517 Continued from 1014/12/30
 「カナカナ」発言にこだわり続け、「ケチ」をつけている感もある本シリーズですが、昨年の12月30日を最後にして「おとなしく」していました。じつは、その前にも後にも「やれやれ、またか」といった気分になることはしばしば起きていました。毎日のニュースを見ていると、もうほとんど日常茶飯的に「カナカナ」が出現するのです。それを手近にある紙切れにメモするのですから、発言の細かいところはフォローできません。そんなわけで、メモそのものの内容がよくわからなくなることもあります。それに「カナカナ」発言を聞いた瞬間は「うわー、まただ」とその気になっていても、時間が少しでも経過すると、「まあ、いいか」という気分が充満してくるわけです。
 そうは言いながら、このところも「うわーっ体験」をしましたので、久しぶりに見聞録登場ということになりました。昨夜のことですが、尼崎で起きた列車脱線事故に関する裁判の判決が出たことが報道されていました。事故の責任をめぐって当時のトップが訴えられていたものです。それについて、現社長がインタビューに答えて、「これからも安全第一で全力を挙げることが責務だ」といった趣旨の発言をしていました。何分にもニュースですから、いつものように「正確な発言」はフォローできません。ただ、その最後の「責務だ」という部分が、「責務ではないカナと思う」で終わったのです。その瞬間、私としては「うーん」と唸らざるを得ませんでした。それはもう、はっきり「責務だと思う」、いやさらに踏み込んで「責務だと確信しております」といった表現でいくべきだと思うわけです。いまや組織のトップを含めて、私流に言えばとても軽い「カナ」が、それほど意識されていないように思えてしまうのですが…。
 
Q&A 対人関係のインフラ創り③  2015/03/27 Fri 4516 Continued from 3/19
 講演の際にいただいたご質問に対する回答なのですが、一気に続けずにいます。いろいろ書きたいことがございますため、申し訳ない状況になってしまいます。「異動した後にコミュニケーションのインフラを構築する」方法についてのご質問にも、一応はお答えしたつもりでした。ただし、「自分は話し下手だから、自らの強面を『ネタ』にしたりなんかできない」「そもそも場を和ませるような雰囲気を創れない」と言った方もいらっしゃるのではないかと推測もします。そうした方々はどうすればいいのでしょうか。
 私は「そこは専門性でアピール」が大事だと思います。冗談などを言って人と関わることが苦手な人は、「そのかわり、自分の仕事だけは、ご覧の通り、プロそのものなんですと」と言うわけです。もちろん、それを言葉で表す必要はありません。「異動してきた〇〇さんって、話すのは得意じゃないけど、仕事ぶりってすごいよね」。そんな会話が新しい職場の仲間たちの間で交わされるようであれば、まずはOKということにいたしましょう。ただし、それだけでは、ご質問にあった「コミュニケーションのインフラ創り」ができるわけではありません。しかも「早期に」という条件も満たせません。しかし、「早い遅い」は相対的なものでしょう。対人関係を構築するのに時間がかかる方は、「まずは専門性」でご自分の存在を認めてもらうところからスタートにした方が、「インフラ創り」も確実になるのではないかと思います。もちろん、「自分は皆さんと楽しい話をするのが苦手なので、与えられた仕事だけはしっかりしますのでよろしくお願いします」くらいは伝える必要がありますね。
 
駅前物語(4)  2015/03/26 Thu 4515
 JR九州の前社長が熊本駅の再開発構想を語ったときの「地元の協力が必要だ」という当然すぎる発言が気になったわけです。私はルーツ的には福岡の人間ですが、熊本でお世話になって35年以上の年月が経過しました。そんなことで、いまでは熊本応援団の一員でいるつもりです。しかし、そうなればなるほど、文句を言いたくなることも増えてくるのです。そもそも、この「駅前物語」なるものも、熊本駅周辺の都市開発について、あれこれ取り上げながら、まさに自虐的文句を言っているわけです。
 私には熊本には閉鎖的なところがあるように思えるのです。交通系のICカードの導入もなかなか決まりませんでした。そして擦った揉んだの結果、県内のバスで導入するICカードが県内でしか使えない地域限定型に決まったようなのです。あーあ。流石にこれではまずいということで熊本県なども負担して全国共通のカードとの互換性も確保するということにはなりました。しかし、その実現は来年の3月からだというのです。そんな経過で、互換性確保のために必要な経費を県が負担することになり、そのことに関連して知事がお詫びをする事態も起きたのでした。県知事ご自身は学者出身のユニークな経歴の持ち主で、グローバルな発想ができる方です。ご本人に確かめたわけではありませんが、おそらく交通系のICカード化を当然と思っていたのではないでしょうか。こうした流れのなかで、熊本市電だけはすでに交通系のICカード化を図りました。おそらく前市長がバスの結論が出るまで待っていられないと思ったのだと推測しています。
 福岡は当然として、大分のバスだって数年前からスイカが使えるんです。少なくとも交通系ICカードが使えなければ全国の人たちから笑われます。観光客を呼び込もうと躍起になっているのに、ご当地でしか使えないカードっていただけません。たしかに「くまもん」をキャラクターに起用すれば、「使わなくても買いたい」人はけっこういるでしょう。あの東京駅100周年記念Suicaのこともありますしね。しかし、それってICカードとしては本来の姿ではないでしょう。それにカードが増えて、持ち歩くのに不便を感じる時代です。私だって熊本県内でしか使えないカードをもつことはありません。
 
駅前物語(3)  2015/03/25 Wed 4514
 連載中の駅前物語ですが、その内容は、裏タイトル的には「吉田の熊本駅自虐物語」の感があります。つい先だっても「人口74万を擁する政令指定都市の玄関駅が、人口7万3,000人の行橋駅に負けた」なんてことを書きました。ましてや対象が県庁所在にでもなるともういけません。そのうち取り上げるつもりでいましたが、予告編的にいけば、まずは鹿児島中央駅の規模と元気さは比較の対象になりません。そして、大分駅も大改造して景色が変わりました。宮崎駅は、3年ほど前に出かけたきりですが、駅を降りると目の前に広い道路がまっすぐに走っています。その反対側にも公的な施設もあって、道路も整備されています。佐賀駅と長崎駅もしっかり「中央駅」らしい雰囲気と見栄えです。と、まああっちこっちに行くたびに、熊本駅と比較して「ああ、負けてるなあ」と「自虐性」を強化し続けているわけです。
 もう数年前になりますが、JR九州の(前)社長のインタビューが地元紙に掲載されたことがあります。そこでは、「熊本駅を鹿児島中央駅や大分駅よりも大規模なものにしたい」と発言していました。この人は、JRとして「農業」に進出したり、無茶苦茶に高級な「七つ星」と冠した列車を導入したりしたことで知られていました。その人が「熊本駅再開発大構想」を宣言したわけです。じつに景気のいい話ですが、インタビューの最後がちょっと引っかかったんですね。「そのためには、地元の協力が必要だ」といったニュアンスのことが書かれていました。普通に考えれば、それって「当然」の発言のように思えます。しかし、熊本駅に関してだけは「自虐性」を発揮する私には気がかりな発言に感じられたのでした。
「オモロイ体験」最終回  2015/03/24 Tue 4513 Continued from 3/20
 伊丹から福岡空港へ飛んだ際の「オモロイ体験」のネタですが、もう1回だけ続けておしまいにします。その前に訂正があります。それは話題の飛行機は伊丹・熊本便ではなく、福岡便だったということです。これは事実の違いだけですので、その部分はすでに修正しました。さて、定刻からほぼ1時間ほど遅れて飛び立ったボンバルディア機でしたが、その後は普通に飛んでいきます。
 そして、離陸してから25分ほど経ったとき、機長がアナウンスしはじめました。「現在、瀬戸大橋をご覧いただけるところまで飛行してきました。最大のスピードで飛んでおりますが…」。あらゆる乗り物と同じように飛行機のスピードも調整可能で、出発が遅れたときには、この種のアナウンスをよく聞きます。「許容された最高のスピード」といった表現が使われることが多いようです。
 それから遅延の原因についての説明に進んでいきます。「本来の予定機は、2つの燃料タンクの間の移送機能(?)に不具合があり、飛行に影響はないものの、大事を取って代替機にしました。そこで、エンジンをかけようとした直前に、3つある送信スィッチのうち2つの具合が悪いことが判明しました。空港の整備と検討した結果、このままでは出発できないということで、東京の整備本部とも連絡を取ってリセットしたところすべてOKになりました」ということです。こうしたことで、「福岡には定刻から35分ほど遅れて到着します」とのことです。最後は「飛行の安全にはまったく影響がございませんので、ご安心ください」で締めました。出発時刻の確認や飛行している現在の状態、さらに目的地の天候、そして到着時刻などは「いつもの定形アナウンス」です。そうではなくて、こうしたトラブルがあった際に、どのくらいの説明をどのようにするか。これも機長の専門的技量に含まれることになりますね。
 
失敗と情熱  2015/03/23 Mon 4512 Success consists of going from failure to failure…
 いま、どのくらいの若者たちが Winston Churchill を知っているのでしょうか。ウィンストン・チャーチル(1874-1965)は第2次大戦中のイギリスで首相をつとめた。連合国のリーダーとしてドイツと戦った。軍人でもあり、作家でもあり、「ノーベル文学賞」を授与されている。その対象になったのが「第二次大戦回顧録」である。これは書名の通り、第二次大戦中をチャーチルの目で振り返ったものである。私が小学生のころ、同名のテレビ番組がシリーズとして放映されていた。もちろん内容はほとんど記憶に残っていないが、大戦中の記録フィルムと特徴のある吹き替えに興味があった。
 
そのチャーチルの言、Success consists of going from failure to failure without loss of enthusiasm〟。「成功とは、情熱を失わずに、失敗からまた失敗へと突き進むことから得られるものだ」「成功は、情熱を失わずに、失敗を積み重ねることから得られる」。それは「失敗」を次のエネルギーにすることである。私は「失敗は、時間によって醸成されて必ず自慢話になる。だから、そのメモを取っておくといい」と言い続けてきた。そんなわけで、前期高齢者2年生の私にはたくさんの「失敗メモ」が蓄積されている。それが講義や講演で、はたまた私的な会話で「自慢話」になっているのである。
「無駄」をするプロ  2015/03/22 Sun 4511 
 「プロフェッショナル」。それは優れた専門的知識と技術に裏付けられた職業的な力をもった人間を連想させる。NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」も、そんなすばらしい人物たちを取り上げている。日本語で表現するなら「達人」といったところだろう。〝Cambridge Academic Content Dictionary〟によれば、名詞の部分には、〝Professional : a person who has a job that needs skill, education, or training.〟とある。ここでも、「技術」「教育」「トレーニング」が必要な仕事がポイントになっている。しかし、この世の中に「技術」も「教育」も「トレーニング」もいらない仕事などありはしない。一見すると「完璧な繰り返し」からなる仕事にも、それを行う人たちの「工夫」があり、「前進」がある。
 私は「プロフェッショナル」は人を驚かせ、感動させる人間であってもいいが、彼等が備えるべきもっと基本的な要件があると思う。その一つは「無駄をする」ことである。はじめから効率優先で「無駄」を排除することばかり考えている人間を「プロ」と呼んでいいのだろうか。むしろ、「無駄」とも思える練習や試みを倦まず弛まず継続していく。そうした「力」の持ち主こそが「プロ」なのではないか。
 また「失敗」することもプロとして欠かせない。まさに「失敗は成功のもと」なのである。問題は「失敗すること」ではない。その「失敗」にめげて、意欲を失ってしまうことが問題なのである。「プロ」であれば、自分の失敗を克服しチャレンジし続ける力を発揮するに違いない。そして、「失敗から学ぶことができる」人間こそ「プロフェッショナル」なのである。
 
あんたたちが言うか!  2015/03/21 Sat 4510 
 先日、街の歩道を自転車に乗って移動していました。まずは自転車のことですが、しっかり乗れる私に感動しました。とにかく、「その前はいつ乗ったのか」、まったく記憶がありません。おそらく「数年以上」のインターバルがあると思います。ひょっとしたら5年くらいは経過しているのではないでしょうか。しかも、そのときだって遠出するはずもなく、30分くらいだけだったに違いありません。それでも私は自転車に「乗れる」のでした。つまりは「体が自転車に乗る技を覚えている」ということです。小学校5年生のころだったでしょうね。私は友だちの自転車を借りてとにかく乗れるようになりました。それがずっと体に残っているのですから感動するのも当然です。
 さて、先日の物語に戻ります。私の自転車は6人の女性が話をしながら歩いているところまでやってきました。なにせ、横並び2列の隊形で、道はしっかりとふさがっています。お話しに夢中のようでしたので、ほんの少しばかり待ちました。しかし、それでも気づかないため、私は歩道の端に寄ってみました。話中とはいえ、顔は左右の仲間に向けて動かしていますから、視野には入るはずです。予想通り、一人が私に気づいたようでしたが、まずは、「なによ邪魔ねえ」といった感じの顔をしました。これって私の勘違いだったらいいのですがね。それでも「気づいた」ことから、ほんの少しばかり道を空けてくれました。私は「すみませーん」と軽く声に出しながら追い越しました。そのときに、女性たちが大声で話している内容がちらりと聞こえたのです。「このごろの若い人は『信号のマナーがわるいもんねえ』」だって!!!! 
 
早朝(?)夕刊③  2015/03/20 Fri 4509 
 今月の2日に、「早朝(?)夕刊」なるものを出しました。「夕刊」は、本欄をご愛読いただいている方からのご提案でした。「いつも朝方に見ていますが、『夕刊』はないものでしょうか」。正確な表現ではないのですが、そんな趣旨のものでした。そこで「すぐ乗る」私としては、さっそく「夕刊」なるものを発行したのです。ただ、これには少し壁がございまして、「夕刊」のアイディアは浮かんでも、「ベストタイミング」の夕方4時~5時ころ送信するのはかなりむずかしいのです。そうかと言って、帰宅したあとで、例えば夜の8時ころだと「夜刊」になってしまいます。そんなこんなで「夕刊」を出すことの困難さを感じていたのでした。そこで新たに発明(?)したのが、「早朝(?)夕刊」なるものです。「朝」と「夕」が並列するなど、完璧に矛盾していますが、そもそも「味な話の素」自身が「訳のわからない」ことを書き続けているんですね。私の頭ですから、「まさに『ベストアイディア』だあ!」とスンナリと受け入れたというわけです。ただし、ちょっとばかり「後ろめたさ」があって、「早朝」のあとに「(?)」を付けることにしました。もちろん、まともなタイミングで出す場合は、しっかり「夕刊」という表現をとります。
 いつものように「前置き」が長くなってしまいました。じつは、2014年11月23日に、「生徒からのメッセージ」と題して、ある中学校で生徒たちに披露した教職員コーラスの指揮を執った校長の話をはじめたのでした。。その際に、生徒たちからのメッセージがおもしろいので、「ちょっと長丁場になるが、『夕刊ネタ』として少しずつご紹介していこう」と宣言して、2件だけ取り上げています。ところが、それから放置しっぱなしで、4ヶ月も経過してしまいました。そこで、またぞろ「復帰しよう」と気分が高まってきたわけです。前置きだけで長くなってしまいましたので、1件だけ書いておきます。頭の番号は「通算」で、アンダーラインは私のコメントです。
生徒からのメッセージ(2)
3)今年は去年よりさらに楽しい歌をありがとうございます。とくに校長先生の指揮がリズムにのっておもしろかったです。
 コーラスを披露した教職員全体へのメッセージです。前年と比較しているので、2年生か3年生のものでしょう。歌は「楽しかった」一方で、校長の指揮は「おもしろかった」というあたりが「おもしろい」ですね。

 
すみません、今日の「本刊(朝刊?)」はすぐこの下にあります…。
機長のアナウンス  2015/03/20 Fri 4508 Continued from 3/15
 伊丹から福岡へ帰る際の「オモロイ体験」についてお話ししていましたね。予定の飛行機に不具合が見つかり代替機に乗り換えたのですが、その機でも通信系がトラブったという物語です。それからのことについて結論を先に言えば、「通信機のトラブル」は「リセットする」ことで解消したようです。素人は「なあんだ、それならはじめからリセットしておけばよかったんじゃない」などと考えるのですが、そこは慎重に対応したわけで、「組織安全」についての仕事をしている私としては十二分に理解するわけです。
 こうして待っている間に、機長が状況を説明したのですが、これがけっこう興味深かったですね。まずは「お待たせしています」との断りからはじめて、「待つ身では大変長くくかかっていると思われるでしょうが(ここは軽く苦笑いっぽい感じ)、一生懸命やっておりますので、もうあと2、3分お持ちください…」とお詫びをしたんです。ただし、実際に問題が解決するまでに、そのあとも「10分くらい」はかかったと思います。まあ、しかしこうしたアナウンスを流すことがじつに大事ですよね。公的な機関などでいろいろなトラブルが起きたとき、いつも「説明不足」が問題になります。どんな場合でも、みんな問題解決の必至で対応しているはずなのですが、事情がわからない側はイライラしたり、不安がったりするわけです。
 ともあれ、しばらく経過してから、「すべてのスイッチの機能が回復しまして、『会社』からも、そのまま出発してもよいとの見解が出ましたので、このあとエンジンをかけて出発いたします」との声が聞こえてきました。これでようやく離陸ができることになったのですが、すでに定刻から1時間ほど遅れていました。
 
Q&A 対人関係のインフラ創り②  2015/03/19 Thu 4507 Continued from 3/10
 このところバタバタしていて、いただいた質問に対する回答の連載をしないままでした。おたずねの一つは、「異動した際に早期にコミュニケーションのインフラを構築するにはどうしたら良いでしょうか」というものです。そこでまずは、私が使用する「コミュニケーションのインフラ」について説明したところでした。「コミュニケーションのインフラ」は、良好な「人間関係」や「信頼関係」と言い換えてもいいでしょう。ご質問の趣旨は、それができていないところで、それを早く創り上げるにはどうしたらいいかということです。
 
初めて出会う人あるいは集団に対処する仕方は人それぞれですが、まずは「自分を知ってもらう」ことが基本になるでしょう。その際は、最初の印象が大事ですね。ここで単に「やさしそう」「甘い感じだ」といったソフトアプローチが望ましいとは限りません。しかし、そうかといっていきなり「怖そう」「厳しそう」ではじめるのはどうでしょう。どんな仕事であれ、「この人なら信頼できそう」「この人になら何でも言えそう」といった印象は持ってもらう必要があります。そんなことを考えると、まずは「親しみやすさ」を感じてもらうことが大事でしょう。
 
そうは言いながら、ときどき、「自分はもともと強面だから、初対面のときから周りを構えさせてしまう」と嘆いている方もいらっしゃいます。しかし、そうした「弱点」を「逆手」にとって、「私はいつも『怖そう』と見られるのですが、それが私の唯一の『弱点』なんです」などと言って、その場を和ませることができます。あるいは、「『怖そう』と見られる」ことを話したあとに、「じつはその通りなんです。私は短気ですぐに怒ります」と続け、さらににっこり笑って「皆さん、それって本気にしますか」と問いかけるなんて方法はどうでしょう。
駅前物語(2)  2015/03/18 Wed 4506 
 このタイトルは、ちょっと間が空きすぎですが、昨年9月20日ぶりの2回目です。先日、福岡県の行橋から知り合いがやってきました。そもそもは家内のお友達ですが、私も結婚したときから、みんなが主催する山登りや食事会などに参加したことがあります。そのメンバーたちが熊本にやって来るというので、家内は久しぶりに昼食を一緒にすることになりました。その席で話が盛り上がったのは言うまでもありません。それはいいのですが友達の口から「やれやれ」と思う発言が出たそうです。
 「熊本駅よりも行橋駅の方が立派だよね…」。正確な言い回しはわかりませんが、要するにそんな趣旨のことだったようです。いやはや、これに対して「冗談じゃない」と反論できない現実があるんですね。私も行橋駅を知っていますが、いまのところ、あちらの方が大きいと言っても、それほど外れていない感があるんです。とくに「駅裏」は正面からまっすぐにそれなりの道路が走っています。これに対して熊本駅の新幹線口は斜めに片側1車線の道があるだけなんです。駅前にも「広場」はありません。駅舎を出ると、目の前に16台くらいが止まれる駐車場があって、それですべてなんですよね。タクシーだって10台程度しか待っていられないスペースしかありません。こうしたことから、「行橋の方が立派だ」と言われても、「そんなことあるはずがない」と叫ぶことができないのです。因みに行橋市の人口は、2月末現在で72,831人です。一方、熊本市は昨年4月のデータですが、738,371人とされています。これって10倍ですよ。熊本市は何と言っても全国に20市、九州では3つしかない政令指定都市の一つなんですけど…。
今月の写真  2015/03/17 Tue 4505 
 今月はわが家のベランダで楽しませてくれる花を取り上げました。まずは、プリムラです。とは言っても、私が人様に「花」をご紹介できるような状況にはございません。すべて家内が育てているもので、それを見て「きれいじゃないかい」と声をかけているだけのことです。しかし、それにしても「オレンジ」に「黄色」、さらに「紫」と来て、「純白」に咲いている花を見れば、写真の数枚は撮ってみたくなるものでございます。まさに「可憐な」という日本語がぴったりですね。そもそも、プリムラは専門的にはサクラソウ属の花で、原種と変種、さらには、それらを交配させてつくった「品種群」なんだそうです。だから、それぞれには、「プリムラ・ポリアンサ」「プリムラ・ジュリアン」「プリムラ・マラコイデス」などなど、ワンサカあるらしいのです。私としては「とにかくきれい」で大満足しています。
 もう一枚は、なんと「金のなる木」の「花」です。正確には「カネノナルキ」だそうです。英語でも〝dollar plant〟と呼んでいるらしいですよ。まさに「世界共通(?)」の「縁起物」の感がありますね。そもそもは葉っぱが硬貨に似ていることから生まれた名前のようです。それにしても俗称ではなくストレートに「カネノナルキ」なのですから大したものです。ともあれ、その花もまことに美しく可憐ではございませんか。私が子どものころ、人気絶頂のコミックグループだったクレージーキャッツの植木等に「ハイそれまでヨ」という歌がありました。その中では女性に貢ぐために借金を重ねたあげく、「金のなる木があるいじゃなし」と嘆くというか、叫ぶんです。そのときは「そんなのあるはずない」と納得していましたが、じつは「あった」んですね…。
 真ん中の写真は夕暮れの一コマです。朝日もきれいですが、夕方の空だって、季節感溢れる色で楽しませてくれます。
一人でいるよりも…  2015/03/16 Mon 4504 Walking with a friend in the dark is better…
 ヘレン・ケラーは三重苦を背負いながら、世界中の人々に生きる勇気を与えた人である。私は中学生のころ、母親と「奇跡の人」というタイトルの映画を観に行った。家庭教師のアニー・サリバンとヘレン・ケラーの物語である。映画館は福岡の中州にあった「SY松竹」だった。ケラー役を演じたのはパティ・デュークで、その名演技でアカデミー助演女優賞を受けている。そのとき16歳である。年齢的には私よりも2歳ほど上になるが、その演技は中学生の私にも感動を与えた。いまでもそのスクリーンのいくつかのシーンが、予期せぬ形で早逝した母のイメージとともに、目に浮かぶ。
 ケラーは2歳のときの発熱で、聴力と視力、そして話す力を失った。これに対して、家庭教師アニー・サリバンが「指文字」を使いながらことばを教えていったのである。体でしか感じることのできない〝water〟の概念を把握したときのことが、映画でも最大の感動シーンになっていた。その彼女のこどばが〝Walking with a friend in the dark is better than walking alone in the light.〟である。「暗闇のなかを友人と共に歩くのは、明るい光のもとで一人で歩くよりもいい」。直訳してしまえば、感動の程度は弱まってしまう。「明るい世界で一人ぽっちでいるよりは、暗闇のなかで友人と前進する方がいい」。まあ、これくらいの意訳は許されるだろうか。ともあれ、「人は一人では生きていけない」のである。そして、「人は一人でも自分を理解してくれる人がいれば強くなれる」。これは、私のオリジナルフレーズである。
 
だんだん「大げさ」に…  2015/03/15 Sun 4503
 さて、伊丹から福岡に向かう予定の飛行機に不具合が見つかり代替機に乗り換えたわけです。そして、乗客は全員座席に着きドアも閉まりました。ところが、それからすぐに動く気配がしません。それから少しして、機長のアナウンスが聞こえてきました。「皆さまお待たせしております。予定の機材に不具合が見つかり飛行機を替えて出発の準備が整ったのですが…」。こうなると、当然のことながら「ですが」の次が楽しみになってきます。その続きは、「ですが、コックピットの左側にある通信機器のスィッチが正常に作動しないため…」というものでした。いやはや、乗客にとってはスィッチの場所は「左」でも「右」でも、はたまた「上」にあろうと「下」にあろうと、さらには「お尻の下」だろうと、どうでもいいですよね。とにもかくにも、3つほどある通信系のボタンのうち、2つが作動しないということらしいのです。素人的には、「そりゃあまずそうだな」と思いますが、同時に「もう一機代替?」なんて考えたりもします。そうなると、これまた「新体験」でネタになります!
 ときおり管制官でしょうか、あるいは整備関係者の声でしょうか、機長とのやりとりが機内に漏れ聞こえます。もちろん意味内容はわかりませんでしたが…。それからちょっとして、再び機長のアナウンスが聞こえました。「現在、地上関係者、さらにANA 本社と状況について検討しています」。これは逐語記録ではないので正確さには欠けますが、乗客としての私には、そのような内容だと受け止めたわけです。ここで注目すべきは、話が伊丹空港というローカル限定でなく、ANA本体にも拡大したというところです。もちろん本体と言っても、飛行機の運航に責任をもっている部署に違いありません。しかし、とにかく、ことが大げさになったことだけはたしかなようですね。
 
オモロイ体験  2015/03/14 Sat 4502
 つい先だってのことです。飛行機好きの私ですが、相当程度に程度にオモロイ体験をしました。それは大阪伊丹空港でのことですから、ちょいと関西弁風で「いきまっか」。まずは空港に着くと、「搭乗口が変更」との知らせが目に入りました。羽田や大阪などの大きな空港であれば、この手のことは珍しくはありません。そこで変更になった搭乗口へ向かったわけです。搭乗案内がはじまる15分ほど前のことでした。「予定した機材に不具合があり、別の飛行機に替えます」といった内容のアナウンスが流れたのです。
 そう聞いたので、待合のロビーから外を眺めてみました。すると、少し先に駐まっているボンバルディアDHC8-Q400のコンベアから荷物が出されています。すでに積み込んでいたものを別の飛行機に移そうとしているんですね。そして、その向こう側にはまったく同じ機種の飛行機が並んでいました。どう見てもそれが代替機であるに違いありません。
 そのとき私は「ヤレヤレ、出発まで時間がかかりそうだなあ」と思いました。しかし、その心配を吹き飛ばすように、ほんの10分ほどだったでしょうか、「お待たせしました。それではバスにお乗りください」ときましたよ。いやはや、けっこうなことではございませんか。それにしても飛行機までの距離は30mくらいしかなかったと思います。そこまでバスを使うなんて、何と贅沢(?)なことでしょう。バスが動き始めてから飛行機まで1分はかかったでしょうか。そんなわけで、とにもかくいもめでたく「新しい飛行機」に全員が乗り込んでドアも閉まりました。
 
知らなかったんだもん…  2015/03/13 Fri 4501
 またぞろ企業献金の問題が国会で取り上げられていますね。野党としては政府を攻めまくる格好のネタで、「何人の大臣の首を取る」かが目的になっている感すらあります。そうこうしているうちに、攻める側にも似たようなことが「あった、なかった」という話まで出てきます。これに対して「うちの場合は性質が違う」と反論するなんてところもあるようです。まあ、そのあたりの事情はわかりませんが、こんな問題が起きるのですから、そもそもの仕組みがおかしいのでしょう。
 そこで「改革しないといけない」となって、検討を始めるらしいですね。しかし、それも当事者同士が集まってのお話しなわけです。これでは有効な手立てが生まれるのは期待薄でしょう。聖人君子であればいざ知らず、「自分で自分の首を絞める」なんて人はいませんから。自分たちの利害に関係を持っている人たちが集団になって話し合いをしても、外部の人間に「なるほど」と納得してもらえるような結論は出ないですよね。議員定数の是正だって、本気で議論すれば即実行できるんです。それがほとんど進んでいないわけです。
 ところで、今回のキーワードは「知らなかったからしかたがない」のようです。かなり昔のことですが、「記憶にない」という、他人には絶対に否定できない名返答を発明した方がいらっしゃいました。その新手が出た感があります。ある企業の方は、寄付や献金は企業から自主的にというよりも、団体側から依頼されることがほとんどではないかとおっしゃっていました。そうなると、献金をお願いする側が相手のことをちゃんと調べておくのが常識ですよね。国会答弁を聞いていると、「先方が勝手に献金してきたのだから細かいことは知りようがない」なんて聞こえてしまいます。それに、もしそうだとしても、相手が国から補助金を受けているかどうかくらいは、自発的に確認するのが当然だと思うのですが…。
 
新幹線「新大阪・熊本」初体験  2015/03/12 Thu 4500
 「〇〇と煙は高いところに昇りたがる」なんていう。私はその典型なのか、つい先日の本欄でも触れたが、とにかく飛行機大好き人間だ。だからけっこう乗る。その傍証になるかどうかわからないが、新幹線で熊本・新大阪間をはじめて利用したのは、昨年の12月だった。それも、大阪から帰る日の昼過ぎから熊本で仕事があり、飛行機を利用したのでは間に合わないという事情があったためだ。さて、その「初乗車」の感想はと言えば、「とにかくズーッと仕事をしていたので、よくわからない(?)」といったところだ。たしかに、岡山や広島に着いたことには気づいてはいた。しかし、その際もホームを眺めることもなく、PCに向かって仕事をしていた。とにかく「仕事好き人間」である。それでも若いころは外の景色なんぞも楽しんでいたような気もする。
 ところで、私は旅に出ても枕を選ばない。ただし、「枕」そのものは欠かせないし、とりわけ柔らかい低めのものが最適である。その一方で、「動いているもの」を利用しているときは、まったく眠る気にならないという特徴も兼ね備えている。さすがに海外に出かけるときは、「動いている飛行機」の中でも「寝る」ことにしてはいるが、国内ではほとんど眠らない。それでも、飛行機に乗り込んで所定の座席に座ると急に眠気が襲ってくることはある。そんなときは現実に居眠りをしている。そのうち機体がボーディングブリッジから離れて滑走路に向かう。このときも「ゆっくり動く」から、まだ眠気が続いていることが多い。ところが、飛行域が離陸のために走り出すと、その途端に「動いてるものの中では眠らない」という法則が効きはじめるのである。
 
「知行合一」  2015/03/11 Wed 4499
 組織において「倫理的な行動とはどのようなものですか」というアンケート調査をしたことがあります。そのなかに、「お互いを思いやり、自分本位にならない」という回答がありました。これが世の中をよくしていくために必要だと言われれば、反対する人などいるわけがありません。まさに「自明」のことではありませんか。そんなことなら、子どもだって知っていますね。ただし、そこには多分に「建前」的なところがあります。 「知っていること」と「実践していること」は同じではないのです。「知行合一」ということばがあります。しかし、これは「現実は『知行不合一』だから、何とかしないといけない」という教訓が含まれているのだと思います。
 私が仕事にしているグループ・ダイナミックスの領域でも、 このギャップをどのようにして埋めていくかが大事なテーマの一つになってきました。とにかく、みんなが「思いやりをもち、自己本位にならない」という精神を行動に移すのであれば、国家レベルでの戦争もなくなることでしょう。しかし、長い歴史を振り返って見れば、 私たちには「それは『不可能』だ」と断定せざるを得ないようなデータしかありません。いまでも世界中で不幸な事態が起き続けています。
 そんなことで、「自分本位=自己中心的」な気持ちが働いて、他者にとってマイナスであることがわかっても、あえて行動に移すことが生まれるのです。そして、それが結果として大きな問題を引き起こしてしまった事例は少なくありません。それにしても、「相手の気持ちになれるかどうか。そして、それを傷つけたり害したりしない行為がとれるかどうか」は、もう道徳の問題だといえるでしょう。
 
Q&A 対人関係のインフラ創り①  2015/03/10 Tue 4498
 いろんなところで講演をしたあとに、参加者の方からご質問をいただくことがあります。それはメールであったり、あるいは主催者が実施したアンケートに記入されたものであったりします。これが私にとって貴重なフィードバックになり、次の仕事に活かせる内容のもので溢れています。せっかくお答えするのですから、オープンにしておきたいという思いから、いつも本コラムで取り上げてきました。今回もある企業での講演の際にいただいたアンケートに3人の方からご質問がございました。これをご一緒に考えていきたいと思います。
 まずは、最初の質問です。
 「我々サラリーマンの宿命として異動というものがあります。コミュニケーションのインフラが全くない部門への異動があります。そういう際に早期にコミュニケーションのインフラを構築するにはどうしたら良いでしょうか? (事業環境のスピードアップによりじっくりコミュニケーションのインフラを構築する時間的余裕がない場合がままあります)」
 このご質問にお答えする前に、本欄をお読みいただいている皆さまには「コミュニケーションのインフラ」についてご説明する必要があるでしょう。その詳細は、2004年7月29日の「味な話の素」に書いているので、「バックナンバー」で検索していただければと思います。その内容を簡単に言えば、「対人関係がしっかりできていないとコミュニケーションはうまくいかない」「関係がいいと、少しばかり情報不足や言い間違いをしてもちゃんと通じる」「関係がまずいと、完璧な情報を提供しても伝わらなかったり、誤解されたりする」という話です。それは「信頼関係」や「人間関係」と言い換えてもいいものですが、私はこれを「対人関係のインフラ」と呼んでいるわけです。
  「ホームページ・ビルダー」が、3月4日から突如としてフリーズし続けてきました。
 その後、あれやこれやとトライして、何とか動きはじめましたが、まだ安心はできません。
 なお、明確な原因は推測の域を出ず、未だ不明のままです。
どんなに困難でも… 2015/03/09 Mon 4497 However difficult life may seem…
 宇宙の起源はもちろん、「空間」や「時間」の性質は一般人にとっても興味をそそり続けます。そんななかで、 Stephen Hawking博士(1942-)は、「ビッグバン」や「ブラックホール」といった現象の理論的分析でトップを走り続けてきました。その名言の一つが、〝However difficult life may seem, there is always some thing you can do and succeed at〟です。「人生がどんなに困難だと思えても、自分にできて成功することはいつも目の前にある」と訳しておきましょう。このことばは彼が置かれている健康状態を知っている人であれば、だれもが圧倒されるはずです。
 Hawking氏は学生のころ、筋萎縮性側索硬化症を発症します。その当時、寿命は5年程度と言われた難病です。しかし、その進行が弱まって、今年で73歳を迎えることになります。しかし、日常生活は車椅子が必須で、しかも声も失っています。そのため、コンピュータによる意思伝達システムを使って、会話や講演を行っているのです。
私の手元には〝BLACK HOLES AND BABYUNIVERSES and other essays〟というタイトルのペーパーバックがあります(BANTANM BOOKS)。そこには14のエッセイが収められているのですが、世界中で大ベストセラーになったということです。原文は平易な英語で、本人の生い立ちから書かれています。これから成長していく高校生当たりには、おすすめの1冊です。それがどんなに小さいことでも、「今できることにしっかりアタックしていく」。そして、「小さな進歩」「ささやかな成功」を「大きく喜ぶ」こと。これこそが、人として味わうことのできる醍醐味でしょう。人生は〝Never Ending Challenge〟なのです。
 
飛行機好きの新幹線 2015/03/08 Sun 4496
 飛行機が大好きな人間だから、年間を通してけっこう乗っている。九州新幹線が開通してからも、関西方面へ出かける際は飛行機にこだわってきた。ただし、新幹線そのものはしばしば利用するようになった。まずは、福岡空港発の便を利用する機会が増えた。そもそも、石川県の小松空港や島根県の出雲縁結び空港へは福岡からの発着便しかなかった。その場合は在来線で博多まで行き、地下鉄で福岡空港に達する。この地下鉄が5分という信じがたい所要時間である。そんなわけで、研究室から時間を計算して熊本駅までタクシーを使うと、1時間と少しで福岡空港にいることになる。これは新幹線の大効果である。そこで、名古屋に出かけるときにも便数が多い福岡発着を使うことが多くなった。
 また、大分に出かけるときも新幹線を使いはじめた。熊本から大分へは阿蘇路を走る「九州横断特急」がある。豊後と肥後を結ぶ豊肥線を使う。これは雄大な阿蘇を眺めながら行くので、観光的には最高のお勧めである。実際に乗ってみると、外国人の客も少なくないことがわかる。滝廉太郎の「荒城の月」で知られる豊後竹田も通る。ただ、難点は本数が少ないことだ。また、ディーゼル車でお山を昇るのでスピードが遅い。これからいよいよ阿蘇だという立野駅にはスィッチバックがある。これは急な勾配を進行方向を変えて2段階に分けて、山をゆっくり昇っていくシステムで、鉄道ファンにはたまらない魅力があると思う。ともあれ、私としては本数の多い新幹線で小倉まで一気に行って、それから在来線の特急で大分へ向かうコースが便利になった。所要時間は、ほんの少し短いだけだが、とにかく1時間に数本あるからこの上なく便利なのである。
 
「捏造の科学者」 2015/03/07 Sat 4495
 須田桃子著「捏造の科学者」(文藝春秋)は383ページの本だが、全編を通じてというよりも、そのすべての行が私に「衝撃」を与え続けた。著者は毎日新聞の科学環境部(東京)の記者である。早稲田大学大学院理工学研究科修士課程を修了している。専攻は「物理学」である。彼女の本は、2014年1月28日、理研発生・再生科学総合研究センター(CDB:Center for Developmental Biology)で行われた華麗なる発表の4日前からはじまる。
 それからほぼ10ヶ月、彼女はSTAP細胞を追い続けた。彼女は自ら命を絶ってしまった笹井芳樹氏とは2006年から接触があり、このときは「須田さんは『絶対』に来るべきだと思います」といったメールを受け取っている。そう言わせるほど、科学の領域における実力の持ち主なのだ。そのことは、記者会見での質問を含めて、この本を読む進むうちに実感する。だからこそ、すべてのページに迫力があるのだ。本は11月14日の「あとがき」で終わっているが、この間に、笹井氏とは40本にも上るメールのやりとりをしている。
 それにしても、あれは一体何だったのか。私にとって、「組織の安全」「Risk management」は重要な研究領域である。そこにはいわゆる「事故」だけでなく、「不祥事」も含まれる。その意味で、CDBで起きたことに、私はきわめての大きな関心を持たざるを得ない。ともあれ、須田氏は、あの華々しい発表から、影響力のある科学者の自死を経て、それが「崩壊」していく過程を追っていく。
 
秋晴れの日 2015/03/06 Fri 4494
 秋晴れの日、甘木のYTの家に行った。昭和19年、今日から恰度30年前、5月31日にHと見合いをした家だ。あの日、Hは義理の祖母にあたるYHさんと二人であの家に来た。玄関を開けて、照れら笑いをして入って来たのを見たときが、私が最初にHを見たことになる。あの玄関を30年過ぎて私はおとずれた。さんさんと秋の日差しは輝いているのに、もうHはいない。YHさんも、もう20年以上前に亡くなった。二人ともすでにこの世の人ではない。
 あの玄関の前にしばらくたたずんで、昔をしのんだが、まだ17歳だった少女といった方がいい可愛いHが、その玄関に入っていくのをまぼろしに見る。仲介人になってくださったKNさんももう10年前に亡くなっている。そんなことを知る人とて誰もいない。私は一人そこを立ち去ってKNさんのお墓のあるお寺にお参りした。人はみんな死ぬものなり。されどこの秋晴れの美しさよ。人は多けれど、昔の人はいない。次の世代の人々でにぎわっている。
 11月11日に甘木の親の家に行ったが、Sはいず、間借りの人がいただけだった。あの懐かしい玄関に腰を下ろすいとまもなく立ち去った私ではあった。あのHが、はじめて私に姿を見せた懐かしい玄関であったが。
 30年前のことだ。私が散歩に出て、Sの家に帰ってみると、HとMさんが家の前の道路に立っていた。私と目が合い、Hは頭を下げた。胸を張るように母に言われていた私は胸を張っていた。見合いが済んで、Hたちはたしか帰るところだったと思う。そのHが立っていたと思われるところは今もあるのに、HもMさんも、もういない。
 これは、私の父の日記である(人名のアルファベット以外は原文のまま)。日付は1974年11月26日、Hは父の妻であり、私の母だ。母は前年1973年の10月、手術のミスが原因でこの世からいなくなっていた。今も父の嘆き悲しむ声が聞こえる。
 
代わり映えしない… 2015/03/05 Thu 4493
 民主党の大会が開かれて、衆議院選挙の敗北を認めたということでした。定期党大会ということですから、この時期になったのは仕方がないのでしょうが、それにしても、いまごろ12月の敗北を公式に認めるというので。こんなときにこそ「遅きに失した」ということばを使うべきなのでしょうね。
 それはそうと、少し前に代表戦が実施され、その後に「新体制」ができたということでニュースになっていました。そのときに映し出された責任者たちのお顔を拝見して、正直なところ笑ってしまいました。簡単に言ってしまえば、「まったく代わり映えしない」方々なんですね。さすがに、「最低」とか「最悪」などと酷評されたお二人は座っていらっしゃらなかったですね。しかし、それも当然で、お一人は議員をお辞めになっています。もうお一方は選挙区で連続してアウトになられてしまいました。もっとも、「比例代表制」なる救済措置(?)で議員さんとしてご健在ではあるようですが。
いつのことでしたか、ある有力な党の幹部が「悪代官のようだ」などと言われたこともありました。ご本人たちがどう感じられたか、そのときの状況は忘れてしまいました。しかし、ものは考えようです。「悪代官」と呼ばれるほどの大物と言うこともできるでしょう。その点、今回のニュースに登場された皆さんですが、私としては「うーん」といった感じでした。とにかく、あの数年間のダメージが大きすぎました。今のところ、何を言われても、悪夢を思い出すように、「みんな同じ顔」に見えてしまうんです。
「倫理」再考? 2015/03/04 Wed 4492
 もうずいぶんと昔の話になりますが、「倫理」について考えていたことがあります。いつのことだったかと思って検索してみると、2012年の5月13日がラストでした。もう3年もの時間が経過しているのです。いつものことながら、「光陰矢のごとし」を実感するわけです。「倫理」は人類が地球上に存続し続ける限り、ずっとついて回る課題に違いありません。つまりは「生き続ける限り、考え続けなければならない」のです。しかも、このごろは「コンプライアンス」なる用語も社会や組織の常識語になっています。これは、ある側面から見れば、「倫理」とほとんど同義語と言っていいものです。つまりは、世の中の状況が、ますます「倫理」を「問題」にしなければならなくなってきているのです。そんなわけで、3年ものブランクを超えて、お久しぶりに「倫理」についても取り上げてみたいと思います。
 ところで、ものごとを考える際の一つの方法として、「究極」、「極限」の状態に焦点を当てることで解決のヒントが得られることもあります。ただし、「そんなことはほとんどあり得ない」と一笑に付されるかもしれません。たしかに「現実」からほど遠い条件で「現実」の問題を考えても、その解決法など見つからない可能性はあります。しかし、世の中には「想定外」というケースがけっこう「起きて」いるものです。そこで、「倫理」についても、極端なケースを取り上げてみましょう。その一つは「正当防衛」で、もう一つは「カルネアディスの板」と呼ばれている問題です。後者は広い意味で「正当防衛」にも関わっていると思われます。私は法律の専門家ではありませんので、「法理論」的にどうなっているのかは知りません。
  
過ぎたるに… 2015/03/03 Tue 4491
 「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」。孔子の「論語」先進十五にある有名な一文である。原文は「子貢問。師與商也孰賢。子曰。師也過。商也不及。曰。然則師愈與。子曰。過猶不及」。懐かしや、漢文の授業を思い出す。「子貢問う、師と商と孰れか賢(まさ)れる。子曰く、師や過ぎたり。商や及ばず。曰く、然らば則わち師愈(まさ)れるか。子曰く、過ぎたるは猶及ばざるがごとし」。ここで「師」とは子張で、孔子の弟子の一人。また「商」は孔子の門人子夏のことである。孔門十哲の一人と言われる。問を発している子貢も孔子の弟子で、孔門十哲の一人。
子張と子夏は正反対のタイプだったようだ。子張はやたらと積極派、なんでも自分がリードしないと気が済まない。一方の子夏の方は、スーパー控え目の人間だったらしい。そこで、子貢が孔子に「二人のどちらが優っているのでしょうか」と師の考えを尋ねたのである。 これに対して孔子は両者の問題点を指摘し、どっちもどっち、「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」と答えたという。つまりは、「やり過ぎも、やらなさすぎも困ったもんだわ」なのである。ということで、「中庸」が大事だという結論に至るわけだ。私も一般論としては、これを正解だと考える。ただし、組織の安全対策などの場合は、そうもいかないのである。
そこでは、「注意し過ぎても過ぎることはない」の精神こそが求められるのだ。そんなことで、私は組織の安全を確保するためには「過ぎたるに如くはない」のこころを大事にすべきだと強調したい。この「組織安全」のなかには、学校におけるいじめなども含まれることは言うまでもない。
早朝(?)夕刊② 2015/03/02 Mon 4490
 「法曹界」とは、裁判官・検察官・弁護士といった法律の専門家が関わる世界である。おそらく、彼等は正義を求め、あくまで真実を追究することを目的にしている人たちである。しかし、みんな人間であることに変わりはない。おそらく聖人もいるはずだが、とんでもない人もいるに違いない。それはどんな集団でも同じことである。大学の教員なんぞ、後者の方が多いかもしれない。などと言ったら顰蹙を買ったりして…。まあ、自虐的精神はおくとして、「正義」とは、「真実」とはなんぞやと思うことが少なくない。詳細は忘れたが、ある弁護士が、「依頼人の立場に立って、本当は『嘘』であっても、『無実』だと主張する」といった意味合いの発言をしていた。それが「仕事」なのだとも言っていたような記憶がある。そんな「仕事」もありだと思えばそれまでである。しかし、それは「正義」なんだろうか。それは「真実」を求めることなのだろうか。
川崎市で起きた中学生殺害事件で3人が逮捕された。リーダーだとされる若者の父親は、「本人は該当する時刻は自宅にいて一緒だった」と言っているらしい。それが事実であれば、彼は完璧に「誤認逮捕」だということになる。このまま起訴されれば、裁判の結果次第で「冤罪」になってしまう。また父親がマスコミに出したコメントには、被害者と「面識がなかったわけではない」といった文言が含まれていた。報道されているような暴行などあり得ないといったニュアンスである。コメントは代理人を通しており、子どもが逮捕されて間もなくこうした表明をした背景には弁護士が関わっているようだ。われわれに「真実」がわかるはずもないが、こうした流れがあると、今後の展開には注目せざるを得なくなる。
 
成功よりも… 2015/03/02 Mon 4489 〝Try not to become a man of success
 「理論は、乗り越えられるためにある」とは言いますが、現時点ではかの「一般相対性理論」が字宙の原理を説明しているように思えます。あの、Stephen Hawking 博士のビッグバンやブラックホールも、私のような素人レベルの人間は相対性理論を前提にしていると受け止めています。もっとも、超極小の世界になると、「量子論」が大いなる力を発揮するようです。そんなこともあってか、アインシュタインさんは「量子論」がお嫌いだったといいます。
 それはともあれ、今日は偉大なる Albert Einsteinさん(1879-1955)の「おこどば」を取り上げました。原文は〝Try not to become a man of success, but rather try to become a man of value〟です。「『成功者』になるよりも『価値ある人間』を目指しなさい」といったところでしょう。とりわけ若い人たちに対するメッセージとしてすばらしい名言ですね。もちろん、アインシュタインさん自身は一般人から見れば「大成功者」ですから、「あんたがそんなことを言ってもねえ…」と斜に構える人がいるかもしれません。しかし、当のご本人が言うんだから、「どんなに成功したって、本当に求めることは『もっとほかに』あるんだ」と考えることもできますよね。さらに人生の目標に向かってやる気が起こるではありませんか。もちろん、「人間としての価値」にも様々な基準があります。私たちは人間社会に生きているのですから、社会と無関係の「価値」というものを頭に描くのは至難の業です。そうかと言って、あまり社会を意識しすぎると、単なる「迎合」で終わってしまう危険性もあります。「うーん、まことにむずかしい」。このあたりのことは、改めて考えましょうか…。
 
夕刊①「生死」と「死生観」 2015/03/01 Sun 4488
 「生死」という。「生きる」ことと「死ぬ」ことは不可分の関係である。この世に「生」を受けた瞬間から、だれもが「死」に向かい合って「生きて」いく。「生」があるところには必ず「死」がある。「生きている」ことは「死んでいないこと」であり、その逆もまた真なりである。もっとも、「死んでいない」のだから「生きて」はいるのだが、まるで「死んでしまった」かのような「生き方」もある。人にはそれぞれの価値観をもっている。だから、私が他人の生き方についてとやかく言うことはできない。ただ、私個人は「死ぬまでは、しっかり『生きている』ように生きたい」と思っている。個々人の価値観があると書いたが、人生観を含めて、死や生に対する考え方のことを「死生観」という。この順番がおもしろい。「生」と「死」は、明らかに「生」が先に来て、「死」がそれに続く。ところが、「死生観」は「死」が「生」よりも先に来るのである。じつに深いなあと思う。「死」は人生の「最終目標」なのであり、そこから「日々の生き方」を考えよう。そんな気持ちが込められているように思うのである。
  
「フィルター情報」ながら… 2015/03/01 Sun 4487
 自分の目の前で起きたことを除けば、われわれに入ってくる情報は、すべて「フィルター」付きのものである。さらに正確さを期すれば、「自分の目の前で起きた『事実』」も、「自分自身の『フィルター』」がかかっていることを認識しておく必要がある。自分の育ってきた環境、経験、意思、好き嫌い、得手不得手、そのときの体調、人間関係…。無数と表現すべき多くの要因が大脳に働きかけて「認識」が成立する。そうした「総合的な認識システム」の「結果」を「わずかな要因」で「説明」しようというのだから、「心理学」も無謀なことをするものだ…。とまあ、ここまで書くと「お前は破門だあーっ」と叱られそうだ。私も一応は心理学者村の端っこには住んでいることになっているのだから。しかし、このテーマは私の大好きなものの一つだから、今後も折に触れて「遠吠え」を続けていくつもりでいる。
ただし、今日は「外からの情報は『フィルター』がかかっている」ことだけを前提にして、あることを取り上げようと思ったのである。それは川崎市で起きた中学生殺害事件に関するものだ。容疑者として18歳の少年が逮捕された。いつものようにマスコミが殺到し、テレビや新聞で報道合戦が繰り広げられている。この事件について、私には「マスコミの『フィルター』」を通した情報しかない。だから、それをもとにした議論しかできないことを、まずは確認しておきたかったのである。逮捕された少年は、警察で「話したくない」と言っていると報道されていた。私は、はじめから「黙秘権」を行使しているように思えたので、少しばかり驚いた。しかし、その後の報道で、警察には母親と弁護士が同伴して出頭したと知って、「ああ、最初からプロがついていたんだ」と納得した。さらに父親が「子どもは事件と無関係」とのメッセージを発していたが、これも弁護士との打合せをした結果だと思われる。第三者である私としてはこれ以上の憶測はしない。ただ、重大な問題が起きたとき、最初から「プロ」がサポートしてくれる未成年もいるんだなあと思ったのである。格差社会と言われはじめてかなりの時間が経過した。こうした場面でも大きな格差が生まれているのではないか。そんな気がする。