警察官の飲酒事故 2015/02/28 Sat 4486
つい先だって、現職の警察官が飲酒運転の現行犯て捕まった。まだ24歳、これからの若者である。午前4時すぎに信号待ちのタクシーに接触したという。前日の朝8時半まで交番で勤務していて、問題を起こした日は非番だったらしい。夜の9時から午前1時頃まで友人たちとビール2杯と焼酎の水割り8杯を飲んだ。それから官舎に帰る途中に接触事故を起こしたのである。本人は「車内で3時間ほど仮眠jしたので大丈夫と思っていた」と語っている。やれやれである。当然のことながら厳しい処分になることは確実である。ビール2杯と焼酎水割り8杯で将来を棒に降ってしまう。何と愚かなことであることよ。
それにしても、「3時間仮眠したら大丈夫だと思った」という弁解はにわかに信じがたい。飲酒運転が繰り返して問題になり、「仮眠」ではアウトということは素人でも知っている。交番に勤務する現職の警察官がそれを知らないことなどあるはずがない。そもそもあり得ない。あってはいけない。しかし、そうかと言って「ここで警察がどんな教育をしているんだ」と文句をいうつもりはない。警察が職員に対して飲酒に関する教育はしているに決まっている。もちろん確認した訳ではないが、繰り返し教育しているはずである。ここで警察の肩を持つつもりはないが、これはもう個人の問題である。ただし、勝手に推測するなら、この警察官は、日ごろから飲酒に関して「危ない」といった行動傾向があったのではないか。もしそうだとすれば、職場の上司を含めて、組織の責任が問われることになる。 |
意味不明の二文字 2015/02/27 Fri 4485
さて、「リーダーシップ・トレーニング」の終わりに、参加者たちが自分宛に「3ヶ月後の手紙」を書く。その封筒を預かって、3ヶ月が経過したら本人に返送する。ここで、ただ封筒をポストに入れるのでは、いかにも芸がない。そこで、最初は私の名前を裏書きすることにした。はじめは万年筆だったが、あるときから筆ペンにしたところまでは、一昨日(25日)の本欄ですでにお伝えした。そうこうしているうちに、「署名だけでなく『一言メッセージ』も付け加えるといいなあ」という思いが頭に浮かんだ。ただし、人の言った名言や、世の中の格言ではオリジナリティがなく、おもしろくないと考えた。そうかと言って、人様に感動を覚えていただけるような名言なんて、わが頭の中に湧き出てくるわけもない。そこでひらめいたのが「意味不明の2文字」である。例えば、「行動」を「考動」にするとおもしろい。単純な話だが「ちゃんと考えて行動しましょうね」というメッセージになる。また、「心輝」や「信進」、「豊力」といったものなどどうだろう。そして、同じ「トレーニング」の参加者にはすべて違う組み合わせのものを準備するわけだ。それもできるだけ「まったく違う」ものにするとおもしろい。ただ、どうしても私が「好きな漢字」があるから、一文字は同じ漢字が登場することはある。時間の経過とともに、「組み合わせ二文字」はドンドン増えていって、すでに1000個ほどになった。
ところで、先日JR西日本の社内で、同社が進めている安全キャンペーンの広告が目に入った。その中に「考動」ということばがあるのを見て、こころのなかで「にんまり」した。世の中には同じような発想をする人々がいるものである。そこでYahooで検索してみると、これが「ワンサカ」出てきたので、今度は「苦笑い」した。。そもそも「にんまりした」のには理由があった。私はこの用語を「前世紀」から使ってきた。だから、「自分が先」という快感があったのである。しかし、この「ワンサカ」ぶりを見ると、「自分の方がもっと先だ」という人が「ワンサカ」出てきそうだ。そんなことで、「私だって自力で考えたんだよ」とアピールするくらいで止めていた方がよさそうだ。 |
筆の物語 2015/02/26 Thu 4484
私は小学4年生のころ、近所に住んでいた書道の先生の自宅で習字を習っていた。友だち数人と騒ぎながらの練習で、実態は遊び半分だった。その後、高校のとき選択科目は書道にした。先生は西日本新聞の題字を書いたという大家だった。これは1年生で終わった。それから筆を持つ機会はほとんどなかった。書道なるものは伝統文化として残るだけだろうくらいの思いでいた。ただし、わが父はけっこう本格的な道具を持っていて、年末になると1ヶ月ほどかけて年賀状を筆で書いていた。その筆致はかなりユニークだった。それから結婚すると、家内の父親が、これまた筆で書くことを趣味にしていた。それが高じて70歳を過ぎて「師範」の資格を取り、自治体の老人大学で教えるほどになった。セミプロの本格派の域に達したのである。私が初めて中国に行ったとき、お土産に筆を持って帰ったら大いに喜んでくれた。
そんな環境のせいか、30歳を過ぎてから私もときおり筆でものを書いたりするようになった。そのころ、「筆ペン」なるものが世の中に出はじめたと思う。私の推測を交えれば、筆ペンは、「プリントゴッコ」の登場と軌を一にしているのではないか。それは革新的な「年賀状印刷機」だった。販売元の理想科学社はいわゆる謄写印刷機のメーカーだったが、この大ヒット商品で大いに潤ったはずだ。ここで「謄写版あるいは謄写印刷機」なるものがわからない方もけっこういらっしゃるだろう。それはすでに過去の道具として、世の中から消えてしまっている。そんな人たちには、とりあえず、「プリントゴッコ」の親分のような感じの印刷機だったくらいの説明でご理解いただくしかない。「えっ、『プリントゴッコ』って何ですか」ですって! |
自分宛の手紙 2015/02/25 Wed 4483 Conttinued from 2/18
トレーニングの終わりに「3ヶ月後の手紙」と呼ぶものをセットすることが多い。そのとき参加者たちは、職場で自らのリーダーシップ向上を目指すために行動目標を決めたばかりである。そこで、そうした「気持ち」を「3ヶ月後の自分」宛ての手紙に書いておこうというわけだ。これを預かっておいて、そのときが来たら本人に送るというストーリーである。トレーニングで学んだことを少しでも持続してほしい。人間、どんなに意欲が高まっても、時間の経過とともにその気持ちも弱まっていくものだ。そんなとき、自分が書いた手紙が届けば、「ああ、そうだった」とトレーニングの体験を思い出し、実践の力になるだろう。それを期待して「3ヶ月後の手紙」という道具を導入しているのである。
ただし、この「方式・道具」そのものは、私のオリジナルではない。私がトレーニングを学びはじめたのは45年ほど前になるが、すでにこうした道具が使われていた。私のオリジナリティとしては、その封筒の裏側に、「私の名前」と「意味不明の2文字」を書き入れることだろう。封筒に「差出人名」を裏書きするのは普通のことである。ただし、この「手紙」の差出人は「本人」であるから、私が書く「吉田道雄」は「送付人」ということになる。これを最初のうちは万年筆で書いていた。そのうち、太くて濃くて「それらしい」という、単なる私の思い込みから、筆ペンを使いはじめた。これが第2段階である。そして、このことが私にとってもすばらしい効果をもたらした。筆ペンを持っている時間は、じつに気持ちが落ち着くのである。 |
子どもたちと法制度 2015/02/24 Tue 4482
子どもたちにも法律に関する知識をもってもらうことが必要だとすれば、状況に応じて弁護士や行政書といった法律の専門家を招いて特別授業や講演会を開催することも考えられる。また、事情が許すならば判事から話を聞くものもいいのではないか。裁判員制度がスタートして、国民が法律に関わる機会も増えてきた。いま死刑判決が二審で覆り、その判断を最高裁が支持するといったこもとも起きている。私は裁判員が死刑の判断にまで関わると最初に聞いたときは驚いた。文化も制度も違うけれど、アメリカの陪審員は「有罪か無罪」を決めるだけで、量刑は判事が決めると聞いていたからである。そうなった理由は知らないが、そのときはアメリカを一足飛びに超えたように感じた。それはともあれ、こうした制度の在り方と課題も含めて、子どものころから触れておくのは意味あることだろう。
ところで、今日の組織では「コンプライアンス」が一般的な用語になってきた。これが「法令遵守」と訳されることが多い。しかし、それによって「法さえ守ればいい」と解釈する人がいる。それはまったくの勘違いであって、それなら「法に触れないことはしてもいい」という誤解を生じてしまう。すべての者が安全で快適な生活を送ることができる。それは理想に過ぎないという人もいるだろうが、われわれとしては追求し続けるべきものである。そのために、人は法律だけではなく、様々なルールや約束事、さらには倫理観を持ち、それに「したがう(comply)」ことが求められるのである。児童生徒に対する「法教育」は、こうした総合的な視点から進められることが期待される。 |
笑うから幸せに… 2015/02/23 Mon 4481 We don’t laugh because we’re happy…
「人生、泣き笑い」といいます。愛する人を失えば悲しくてたまりません。だから止めどもなく涙が出てくるのです。一方、楽しいことがあれば幸せを感じます。だから自然に笑いが生まれるのです。私たちは一般的には、あるいは経験的に、こんな「悲しみと涙」「幸福感と笑顔」の因果関係を頭に描いています。しかし、「わたしたちは、幸せだから笑うのではない。笑うから幸せを感じるのだ」と言った人がいます。アメリカの哲学者で心理学者のウィリアム・ジェームス(William James 1842-1910)で、原文は〝We don’t laugh because we’re happy, we’re happy because we laugh〟です。ジェームスはアメリカ心理学の祖とされる人で、プラグマティズムの旗頭の一人です。プラグマティズムは、意識よりも行動を重視して、その結果から思考や観念について分析していこうという立場です。人間の心を理解するためには、まずは行動の働きを知ることが先なのです。
そこで、「幸せ感があって、その結果として笑う」のではなく、「笑うという行動が先に来て、その結果、幸せという心の状態が引き起こされる」という発想が生まれたわけです。ことばだけを聞くと「真逆」のようですが、体の筋肉を動かすことで、快楽感やモチベーションを味わうドーパミンという神経伝達物質が放出されると言われます。つまりは、「体⇒こころ」に関係が脳科学でも裏付けられる時代になったのです。もちろん、こころの働きについては、わかっていないことが多いのですが、ジェームスさんの一言も大いに活かしたいものです。特別に楽しいことやおかしいことがなくったって、朝から笑っていればいいんです! |
法教育とモデルとしての教師 2015/02/22 Sun 4480
今日では、子どもたちの間に起きる「いじめ」が犯罪のレベルに達することが少なくない。大津市の中学生が自死した事件は全国的に注目を浴びたが、このケースでは犯罪として認知されている。こうしたこともあって、子どもたちに「いじめは社会のルール違反であり、犯罪にもなりうる」ことを認識させる必要がある。そして、「犯罪」となれば、法に基づいて処罰されたり、責任が問われるのである。子どもたちにこうしたメッセージまで伝えなければならないほど、状況は深刻化しているとも言える。
そんなことから、「法教育」が提起されたりしているのだが、それは単なる法律の条文を知識として教えることを目的にしているわけではない。児童生徒が「なぜ人間の社会に法があるのか」「なぜ法にしたがわなければならないのか」「法があればどんないいことがあるのか」といった、法に関わる課題を自分たちで考え、それによって毎日の生活や行動に活かすことができるような働きかけが求められるのである。こうした「法教育」を実現するためには、教師たちが法に関する知識と理解を深めることが求められる。
そして、教師は自らが子どもたちのモデルとしての行動を取らなければならない。教師に限ったことではないが、飲酒運転にセクハラ、そして体罰など、きわめて少数者ではあるが、こうしたことで問題になる教師がいる。これでは「法教育」も何もあったものではない。いずれにしても、特別に「法教育」の時間を設定するというよりも、「道徳教育」「人権教育」等をはじめとして、教師がさまざまな機会を通して「法」に関わる教育を行っていくことが求められている。 |
子どもたちと犯罪 2015/02/21 Sat 4479
それにしても、現代社会では、児童生徒が犯罪に巻き込まれる事件が目立つ。これに対して、「殺人事件は減っているのにマスコミが取り上げるから目立つのだ」という専門家の意見もある。たしかに絶対件数はそうなのだろう。しかし、「だから現状に問題なし」というわけにはいかない。殺人事件にしても、「減少」は事実なのだろうが、昨今は当初事故死や病死とされていたものが殺人だった疑いが出てきたケースもある。人的な制限などもあって、司法解剖しない事例も少なくなかったらしい。そうなると、巧妙に隠蔽された「殺人」もあり得るのである。これらは公表される件数に入ってこない。
子どもたちが被害者になる深刻なケースがある一方で、未成年が加害者の犯罪も起きる。こちらも「大騒ぎするほどのことはない」という見解があるのだろうか。その統計は知らないが、これも放置するわけにはいかない。とくに、佐世保の高校生や名古屋の大学生が起こした殺人には共通性すら感じられる。個別の特殊な人間が犯した犯罪とは言えない要素が含まれていることを推測させるのである。
今日では、ネットを通じて誰もが過激な映像や情報にアクセスできる。私自身、中学生の間で斬首の映像が話題になったということを、すでに数年前に聞いたことがある。そんななかで、「こういう時代だから何を教育しても意味がない」とあきらめるわけにはいかない。きわめて素朴で効果は心許ないにしても、社会常識や習慣、さらには法を意識した行動を取るよう、メッセージを発信し続けることが必要だ。そんなことから、児童生徒に対する「法教育」の必要性が強調されはじめたのだろう。 |
学習者検証の原理 2015/02/20 Fri 4478
大人が平気で法律を守らないでおいて、それを子どもに求めるのは順番違いというものだ。いまや、わざわざ「法令遵守」などという用語を使う時代になった。しかし、考えようでは、それは「法令が遵守されていない」状況を認めたようなものである。そこまでは言いすぎだとしても、法令は「守られにくい」ということだ。そして、それは法律に限ったことではない。マニュアルにしても、規則にしても、まるで「破る」ためにせっせと創っているのではないかと思われるケースが少なくない。規則を作る側は、それでおしまい。あとはそれを守っているかどうかをチェックするだけですむ。しかも、違反が見つかれば「自分たちはちゃんと規則を創っていた」のだから、問題は「守らない方にある」と責めるだけでいい。その昔、訳のわからない授業をしておいて、「わからないのは学生がアホだから」などと宣う大先生もいらっしゃった。それも懐かしき、いわば旧き良き時代(?)の思い出というべきか。
もちろん、もうそんな時代ではない。心理学に「学習者検証の原理」というものがある。これは行動主義心理学者のスキナーが「プログラム学習」の5原則の一つとしてあげたものだ。行動や思考を変えるための「プログラム」は、所期の目的どおりに学習が成立したかどうかで評価するという原則である。つまりは、「うまくいかなかった」のであれば、それは「プログラムがまずかった」と考えるのだ。規則やルールが守られないときは、「守らない連中がアホだ」などと決めつけないで、「どうして守られないのか」を追求しようという姿勢である。あるいは、「どうしたら守られるようにできるのか」を考えるのである。もちろん、この発想だけで規則やルールに関わるすべての問題が解決できるものではない。たしかに「守らない側」が致命的な問題を抱えていることもあるにちがいない。しかし、そうだからといって、「守らない方がアホだ」と切り捨ててしまうのは、賢い人が考えることではない。 |
子どもたちと法教育 2015/02/19 Thu 4477
われわれ団塊の世代は、「憲法」は平和を実現する絶大な力をもっものとして教えられた。その一方で、「法律」に関わる情報はあまり記憶に残っていない。こうした状況は現在でも似たようなものらしい。教えるテーマに関係した法律が話題になることはあっても、「法」に焦点化した教育にまでは入り込んでいないという。しかし、子どもたちの間で起きる「いじめ」が深刻化し、そのなかには犯罪と認定されるケースもある。
もちろん、それを今日的な特徴だと決めつけることはできない。そもそも「犯罪」は、「弱い者」に対する行為の方が多いだろう。もちろん社会的に虐げられた側が、強い者たちに対して起こした行動が「犯罪」とされるケースもある。また、「正当防衛」は、力の強弱の問題ではない緊急事態での行為である。しかし、少なくとも、「強者」が「弱者」に対して行う犯罪は、すべて広義の「いじめ」である。そして「犯罪」は太古の昔から絶えることなく起きてきた。
ここでは歴史的な比較は措くとして、時代の変化とともに、法とそれに基づいた行動のあり方を児童生徒に教え、考えさせる必要性が高まってきたとされる。ただし、大人たちも日常生活を送る範囲では、それほど法律を意識してはいない。もちろん「人のものを盗む」「人を傷つける」「人を騙す」といったことが「法律に違反する犯罪」であることは知っている。しかし、それは「法律」で禁止されているからというよりは、「常識」として、そんな行動をしないのである。もっとも、人間は厳密な基準を使えば、「犯罪」になる行為を1日に10件や20件はしているという、お笑い番組があったりする。そもそも「赤信号」になっているのに交差点に突っ込むなんて、明らかな道路交通法違反である。法定速度を超えて運転するのは「スピード違反」だ。大人が法律を守らないのに、子どもに法律を守れというのは迫力がなさ過ぎる。 |
スケジュール表 2015/02/18 Wed 4476
主としてリーダーシップの改善と向上に焦点を当てたトレーニングの開発をライフワークとしてきた。そのスケジュール記録のほとんどが手元に残っている。それを基に推測すると、私がこれまで関わったトレーニングは500コースを超えている。スケジュール表の左の欄に予定が書かれている。その右側には実際に行ったトレーニングの流れを時間を追って記入する。これには赤インクを使う。それもボールペンだったり、水性ペンだったりする。ただし、水性ペンの方が圧倒的に多い。赤いインクの液体がスケジュール表の上で「スッと」乾いていく。これがまたらなく楽しいのである。
左の予定と右側の経過はいつも大幅に違っている。ことは「予定通り」に運ばないのだ。もっと正確に言えば、はじめから違いが出ることを前提にしているのである。そのときどきの状況に応じて様々な変化が生まれるのは当然である。そこにこそ、トレーニングの醍醐味があるのだ。毎回「いつも通り」では面白くも何ともない。大学の授業で「シラバス」なる「予定表」の作成が義務づけられ、しかも年を追ってその内容の「精度」が上がってきた。先月の本欄では、それについて「皮肉」まじりのことを書いた。はじめから「決まった通り」なんて、ダイナミックさに欠けることこの上ない。それならビデオを録っていて、「はい、今日はこれを見なさい」でおしまいである。
私は「トレーニングは『生もの』」という発想こそが最重要ポイントだと確信している。ただし、前期高齢者2年生の私としてはリタイアの時期を間違ってはいけない。世の中で言う「退き際」である。私としては、「新しいスケジュール表を創る意欲」が失せたら、そのときが「グッドバイ」のタイミングだと考えている。 |
敗戦10年後の入学 2015/02/17 Tue 4475
今日、学校では様々な問題が起きている。そのなかでも「いじめ」は最も深刻なものである。こうしたなかで、「法教育」の重要性を強調する声がある。いまや「いじめ」が「犯罪」であることを教えなければならないというわけだ。
われわれ世代は、戦後間もなく生まれたこともあって、「平和」をキーワードにした教育が行われていた。私が小学校に入学したのは1955年(昭和30年)である。まだ敗戦から10年しか経っていなかった。
今から10年前と言えば、2月に中部国際空港が開港し、3月に愛知万博が開幕している。また同じ3月だが、福岡県の西方でマグニチュード 7.0の大きな地震が発生している。私が高校生のとき、福岡の大地はしっかり安定していて、地震で大被害を受けたことは有史以来ないと聞いていた。それも単なる茶飲み話ではなく、授業でだったと記憶している。そんなことで、この地震には驚いた。その日は神戸で学会に参加して座長をしていたのだが、何となく大地が揺れているような感覚に襲われた。まさか老化による幻覚じゃないだろうなと一抹の不安を感じた。しかし、発表時間を計測してくれていた学生が、にっこり笑って「揺れてますね」と言ってくれたので大いに安心したものだ。
さらに、JR福知山線で脱線事故が起きたのもこの年の4月だった。その死者数107名は、戦後の鉄道事故で4番目という大惨事になった。海外では、8月にハリケーン「カトリーナ」がフロリダ州に上陸し、1,200人にも達する死者を出したとされている。そして10月には、沖縄県の米軍普天間飛行場の移転先を辺野古沖にすることで日米両国が基本合意している。
いずれを取っても、私自身には「ほんのこの前」といった感覚で思い出される。つまりは、戦争と敗戦が「ほんのこの前の体験」と思われるような時期に、私たちは小学校に入学したのである。
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大事な仕事を頼む人は… 2015/02/16 Mon 4474 If you want work well done…
「いい仕事をしてもらいたいなら、忙しい人に頼みなさい。そうでない人は時間がないから…」。皆さんはどう思われますか。これはアメリカの作家で出版者、芸術家、哲学者とされている
Elbert Green Hubbard (1856-1915)のことばです。原語は〝 If you want work well done, select a busy man: the other kind has no time〟なんですね。いかにも皮肉な言い回しですが、よくわかるなあと言いたくなりませんか。朝から晩まで「忙しい、忙しい」と絶叫するのに「忙しい」人って、けっこういますよね。その割には仕事が捗っていないわけです。
あれはまだバブルのころだったでしょうか、「5時から男」なるCMがありました。定時の時間は「忙しい」と言いまくりながら手を抜いている。そして、、残業手当が付く5時過ぎになると突如として元気になる輩のことです。そんな人が現実にいたかどうかは、皆様のご判断にお任せします。そんな人とは対照的に、本当の意味でしっかり仕事をしている人は時間管理も上手で、仕事の段取りもうまいんですね。そんな人こそいい仕事ができるわけです。それにしても「暇な人」には「時間がない」とは厳しい評価ですねえ。
こんなわけで、さらに皮肉なことですが、世の中では「忙しい人」に仕事が集中するわけです。それでも、そんな人たちは、頼まれた仕事をちゃんと仕上げるものですから、またまた仕事が増えるというサイクルができあがっていきます。しかし、幸いにも彼等はけっこう楽しそうに仕事をしているように見えます。まことに「めでたし、めでたし」ではございませんか。 |
何が起きても… 2015/02/15 Sun 4473
私が20代だったころ、すでに「変化の時代」だと言われていた。そのなかでも、ドラッカーの「断絶の時代 原題 The Age of Discontinuity
: Guidelines to Our Changing Society 1969」は、そのタイトルの新鮮さもあって、大ベストセラーになった。とにかく、これまでとは違う。この先は何が起きるかわからない。そんな予感をさせるものだった。そんな状況ではあったが、当時の私には巨大な組織はそれなりに存続するだろうと心のどこかで思っていた。
たとえば大学の友人が「日本電電公社」に就職したときは、「これで君も一生安泰、左うちわだな」と言って祝福した。本人もその気だったにちがいない。また、JALに就職した先輩がいた。彼も大いにうらやましがられた。まずもってかっこういい。そして、絶対に潰れることのない会社だと誰もが信じていた。しかし、それから相当の時間は経過したが、先輩も友人もかなりきびしい状況に遭遇することになった。「電電公社」はNTTに民営化された。いまでも巨大な力は持っているのだろうが、NTTドコモも競争の激化で大変な状況にある。「JAL」は会社更生法の申請という、いわば倒産の憂き目にあったのである。ちょうどそのころに、私の同年代たちはそれなりの立場にあって、責任も問われたことだろう。
じつは少し前にネットで「業績低迷にあえぐコンピューター大手 IBM」という見出しが目に飛び込んできた。その瞬間に、「電電公社」や「JAL」に就職した方々が思い起こされたのである。IBMは自他共に認めるガリバー企業であった。いやガリバーでは表現が足りないほど巨大な会社だった。そのIBMが「業績低迷であえいでいる」というのだ。われわれの世代にとっては信じがたい現実が起き続ける。ちょっとやそっとのニュースでは驚くこともなくなった。とにかく「何が起きてもおかしくない」時代を迎えたということだ。わが国のSONYにしても、ブランド力は低下するばかりである。 |
My缶ペンの中身(3) 2015/02/14 Sat 4472
さて、缶ペンの
⑥は三菱の色鉛筆1本である。こちらは赤と青色が半分ずつになった2色タイプだ。クラシックな銀色のキャップを被せている。現在、赤鉛筆の先はあるが、軸はすべて青色になっている。つまり、もう少しで赤色部分はおしまいになる。じつは、反対側の青色部分は削っていない。私としては鉛筆の青を使うことはないからである。赤色がなくなったら、さよならするつもりだ。それならはじめから2色タイプにしなければいいのだが、ひょっとしたら父親の遺品だったかもしれない。自分で意図的に買うことはないからである。因みにわが親父は23年前に他界した。ところで、鉛筆の三菱は、あの大組織である三菱グループとは関係がない。ロゴマークも同じに見えるから、「いっしょだ」と思っている人もいる。
⑦消しゴム:昔は常備品だったが、今はどうなんだろう。もちろん入試などでは必須のアイテムになるが、鉛筆が使われなければ必要がなくなる。ただし、手帳などで鉛筆を使う私には必需品である。
⑧綿棒:筆記には何の役にも立たない。ときおり耳をあたってみたくなるときがあって、その際に使う。ホテルのアメニティの一つとして綿棒が置いてある。それを残りの具合に応じて補充する。常時、4本くらいが缶ペンのなかで待機している。
⑨はさみ:少しばかり値の張るホテルなどにミニ裁縫セットが、やはりアメニティとして置いてある。そのハサミだけを缶ペンに入れている。ちょっとしたことでハサミが役に立つことがある。ホテルでひげを剃っているときに鼻毛が見えたりするとまさに「待ってました」の出番である。空港の手荷物検査では、缶ペンそのものが引っかかることがある。そのときは検査員が缶ペンを開けて中身をチェックする。しかし、このブリキでできたような貧弱な「ハサミ」は問題なくパスになる。ただし、空港で自動小銃を抱えた警備員がパトロールしている海外に出かける場合は持参しない。これで引っかかっては大事だ。だから、海外で鼻毛に気づいたら、気合いを入れて「えいっ」と叫んで引き抜くしかない。そんなときは長さをしっかり確認する自分がいる。それが白髪だったりすると、前期高齢者としての自覚が深まる。
⑩クリップ:私はクリップを使わない方だと思うのだが、なぜか自然増殖する。そのスピードはインフルウィルス並である。もちろん、研究室や自宅で気づいたときは即追放している。いま確認したら、1本だけ、できるだけ見つからないような格好をして隠れていた。無駄な抵抗はやめなさい! |
My缶ペンの中身(2) 2015/02/13 Fri 4471
私の缶ペンの続きだが、講演の際に水性ボールペンをいただいたのは川尻にあったNECの熊本工場である。ここは日本が大いに元気なとき、単一工場としては世界最大のIC生産基地だった。熊本は地下水が豊富だし、働く人々も真面目で質が高い。さらに高速や空港も備わっている。それまでの重厚長大から軽薄短小に産業構造が変わるとき、熊本は魅力的な土地だったに違いない。それがいつのころからか影が差すようになった。そうしたなかで、熊本工場はルネサスへと変身して生き延びてきた。しかし、それもまた厳しさがますばかりで、ついにはクローズという状況を迎えた。娘からもらった缶ペンのなかに、そんな思い出が残されている。そのときの講演会場や出入り口の様子まで目の前に浮かんでくるから不思議なものである。さて、缶ペンの中身一覧を続けよう。
⑤クロス・シャープペンシル:これもクロス社製だが、中身は鉛筆、つまりはシャープペンシルだ。これも、昨日書いた赤インクのクロス・ボールペンをくださった方からのいただきものである。こちらは香港に観光で行かれたときのお土産だった。じつは、これをいただいた際に「クロスは愛用しています。とてもいいですね」とお礼を言ったのである。これを聞かれて、「赤インクを持っていなければ、これもあげよう」とその場でくださったのである。この方とはしばしばご一緒に仕事をした。私より10歳ほど年長でいらっしゃったが、いつも私を立ててくださった。しかし、残念ながら数年前に70歳でお亡くなりになった。
ところで、最近は鉛筆を使う機会が極端に減った。しかし、私は確定前の予定を手帳に書く際は鉛筆を使っている。そして晴れて決定したところで黒インクを使って書き込むのである。したがって、私にとって鉛筆は常備品で、缶ペンのなかで「今か今か」と出番を待っている。 |
My缶ペンの中身 2015/02/12 Thu 4470
私のバッグに缶ペンが入っている。そもそもは娘のもので、子ども向け雑誌の付録だった。そのなかに入っているものは以下の通りである。
①パイロット・ボールペンSUPER-GP1.2 (黒インク): 1.2はペン先の太さで、単位はmmである。日本製は極めることに情熱を注ぐから、0.1mmという「極細」なるものがある。私としては、こちらも魅力的だが、太い方もなかなかいい。海外では太めでブルーインクが少なくないが、書き味もなめらかで高く評価している。そんなことから、私は1.2を愛用しているのだが、こちらは「極太」とされている。価格は100円のよくあるボールペンだ。青インクも持っていたが、こちらは使い切ったあと補充をしていない。
②クロス・ボールペン:こちらはアメリカのCross社製で、いわば高級品(?)である。これには赤インクを装着している。このペンはもう10年以上前にある方からいただいた。
③三菱uni-ball VISION ELITE(黒インク):いわゆる水性ボールペンだ。かなりの細字で、ずいぶん前になるがNECへ講演に出かけた際に記念品として、おそらく工場見学者向けだろうが、いただいたものだ。と、今の今まで信じていたが、どうも私の勘違いだと気づいた。その理由はすぐあとで述べる。この細字が気に入って、手帳にはずっとこれを使って書き込んできた。VISION
ELITEといった名前から高級品をイメージする方もいらっしゃるだろうか。ごく普通の「水性ボールペン」で、今その価格を確認できないが、おそらく100円程度のものである。VISIONは、ペンに透明の部分があって、外からインクの残量が見えるからだろうか。
④三菱uni-ball VISION ELITE(赤インク):同じ製品の赤インク版である。こちらのキャップには「NEC」のロゴが入っている。先ほど、黒の方は講演でいただいたものでないと思ったのは、このロゴマークが付いていなかったからである。あのときは、もう1本、青インクのペンと3本のセットになっていた。 |
自由心証主義 2015/02/11 Wed 4469
裁判員裁判で死刑とされた判決が最高裁で無期懲役に減刑された。まずは第一審で死刑になったが、高裁で無期懲役とされた。これを不服として検察が最高裁に上告したのだが、最高裁はこれを棄却して、高裁の無期懲役が確定した。最高裁第二法廷は、「被害者が一人で計画性も低い」こと、「先例の傾向から見ても、二審を覆さなければ著しく正義に反するとはいえない」とした。「著しく」という修飾語を挿入しているのだから、「少しは正義に反する」と受け止めていいのだろうか。ともあれ、裁判員裁判の死刑判断が破棄されたのは初めてだという。
ああ、またぞろ「一人」じゃあ「駄目」なのである。そして、「三人」であれば「合格」というのだろうか。しかも、「先例」にも言及している。それなら「先例」がある限り、いつまで経っても「変わらない」ということである。「そんなことはない」というなら、いつどんなときに変わるのだろうか。人の命を人数で換算するのが法律のプロである裁判官の判断基準のようだ。ということは、「一人」の命の重さは「1/3」程度なのかと聞きたくなる。正義の味方であることが、少なくとも期待されている裁判官が、命の重みに差を付けていることに気づいていない。
「先例」を尊重するというのだから、「一人」で極刑は「不公平」という論理だろう。しかし、それなら命を奪われた者の「公平さ」はどうなるのか。わが国は法治国家である。そして、法に基づいて刑の判断をする権利を裁判官に100%委ねている。しかも、裁判官には「自由心証」が保証されている。事実の認定と証拠の評価は、裁判官の「自由な判断」に任せるというわけだ。もちろん、それは裁判官の「恣意性」を認めるものではないが、法律家の判断には理解しにくいことが多々ある。それだからこそ、裁判員制度も導入したのだと思うけれど…。 |
天の邪鬼的視力 2015/02/10 Tue 4468
今では、個別訪問して調査する技法はほとんどなくなったのではないでしょうか。ずっと昔は、対象者を抽出する際に市役所の住民台帳を閲覧していたのです。しかし、それが犯罪に使われたり、個人情報の問題が生じたりして、活用がむずかしくなりました。また、この方法はお金と時間がとにかくかかります。そんなことで、現在では、コンピュータでランダムに選ぶRDD方式なるものが多用されています。これは、Random
Digit Dialingの頭文字で「乱数番号法」と呼ばれます。この方法で抽出された番号を使って電話をかけ、対象者から回答してもらうのです。現時点では、対象は固定電話のようです(Wikipedia)。私なんぞは、それを聞いただけで「偏り」があるだろうなあと思います。電話番号はランダムでも出る人はランダムに分布してはいませんから。はじめから「着信拒否」に設定しているお家もあるはずです。
まあ、そんなこんなで新聞協会の「回答率55%」は、けっこう問題があると思います。まずは、その中に「読んでいない人」が多く含まれているのではないかという疑問が湧きます。さらに、「読んでいる」と答えた人たちには「社会的望ましさ」への力、つまりは「事実よりも読んでいる」方向で答える傾向がありそうに思えます。また、「どのような問い方、聴き方をするか」も回答に大きな影響があります。世の中には、「アンケートでは自分の思うとおりの結果を得るようにできる」と断言する人までいる始末です。さすがにそこまでは言いすぎだとしても、私たちは、どのような状況で得られたデータであるのかをしっかり見極める必要があります。そうでないと、「それが世論なのだ」と思い込まされる危険性も大きくなるのです。データは「天の邪鬼的視力」を磨きながら読み解くことが欠かせません。 |
「10対0」の世界 2015/02/09 Mon 4467
世の中には,様々な人がいて、いろいろな意見をもっている。それを完璧にまとめることはできるわけがない。そこで「やむを得ず」多数決原理が採用される。しかし、そうではあっても可能な限り少数意見を大事にすることを忘れてはならない。賛成が10で反対が1であれば、10の意見を採用するが、たとえ1/10であっても反対があることを認めるのである。これが「10対0」になるととんでもないことになる。「10÷1=10」だが、「10÷0=∞」なのだ。そうなると、一つの考え方が「無限大の圧力」となって、人々の思想や行動に影響をおよぼすことになる。人類の歴史を見れば、それが不幸な抑圧を生み出した事実はいくらでもある。事柄によっては、「100対1」、いや「10000対1」になることがあってもいい。しかし、一方が「0」になってはとにかくまずいのである。
その点で、不幸にして命を奪われたG氏についての報道には、ある種の不安を感じている。とにかく「10対0」で、プラスの情報しか流れてこないからである。自民党の政治家が「蛮勇」だったと、その行動を批判的に語ったことは報道された。しかし、それは「他人の口」を借りたものだ。もちろん、私が接触する情報はきわめて限定されている。だから、批判的な評価も「0」ではなく私の「見落とし」であってほしいとは思う。NHKが3日朝7時台のニュースでG氏が残したビデオを流した。そのなかで、彼自身が「自己責任」という言葉を使っていたため議論を呼んでいた。ところがニュースではその部分がカットされていた。そして、何が起きても「シリアの人たちを責めないで」という末尾の発言に繋げていた。私は大いに驚いた。正当な理由があるのなら、少なくとも「一部をカットしました」といった説明を加える必要がある。ニュースは「事実」を伝えることが基本である。それが、意図的に編集されてはいけない。 |
記憶のメカニズム 2015/02/08 Sun 4466
今月の写真の1枚は「一畑電鉄」の電車である。そこで思い出したことがある。もうかなり昔のことだが、私が仕事で島根県に出かけることになったときだ。家内が「あそこは『一畑電鉄』というのが走っている」と口に出した。そして、その瞬間に「わあ、すごいなあ、若いころに観光で行ったときに乗った電鉄の名前がすぐに出てくるんだから」と自分で感心している。私が「それって、いつごろのことだい」と聞くと、20代の前半だという。出雲大社などを回ったらしい。そのときから、40年以上、日常の会話で「一畑電鉄」という名前を使った記憶はないという。それが一瞬にして頭のなかで蘇り、口に出てくるこの不思議さよ。
そう言えば、私も久しぶりにホテルの朝食で大根おろしを見たとき、反射的に「タカジアスターゼ」と酵素の名前がひらめいた。高峰譲吉が大根から消化酵素を発見し、それを「タカジアスターゼ」と命名したのだ。この話は私が小学生のときに得た知識である。最後に「タカジアスターゼ」や「高峰譲吉」のことを声に出したり、頭に浮かべたりしたのはいつのことだったろうか。そもそも、わが人生で「高峰譲吉」を使ったのは20回もあるだろうか。それが大根おろしと一緒に、パット浮かぶのだから記憶のメカニズムには驚くしかない。
ここで重要なことは、そうした記憶再生が、少なくともそのときには何の効用もないことである。「タカジアスターゼ」を思い出したからといって、目の前の大根おろしがさらにおいしくなるわけではない。また、その他に得をするようなこともまるでない。はっきりしているのは、子どものころ、「大根おろし」に「タカジアスターゼ」が結びついたことである。そして、ここまで書いた瞬間に、その話を母がしていたイメージが脳裏に浮かんだ。ああ、記憶よ、あなたの不可解な力はどこから出てくるのか。一体全体、どこに「ことば」や「経験」そして「イメージ」を匿っているのか。 |
ホームページ・ビルダーの不具合 2015/02/07 Sat 4465
私はホームページの作成に「ホームページ・ビルダー」を使ってきました。スタートしたのは2003年4月のことですから、ほぼ12年、干支は一回りになります。ところが、その調子がきわめて悪く、作成したファイルがスムーズにアップできないのです。ファイルの一部が欠けたり、背景が送れなかったりするわけです。その対応策として、「うまくいくまで」繰り返していますから、最終的には「まとも」に見えるわけです。そんなわけで、いつもご覧いただいている方でも、あまりお気づきにならないと思います。しかし、その裏側では、同じ「転送作業」を4から5回ほど繰り返しているのです。
これは「ホームページ・ビルダー」の問題だと推測しています。その理由の第一は、複数の異なるコンピュータから転送しても同じ状況が起きるからです。つまり、特定のPCがおかしいのでないことは明らかです。さらに、大学からも自宅からも、はたまた出張先からでも「同じ状況」が発生するのです。これは転送するルートが原因でないことを示しています。もちろん、転送先として契約しているプロバイダーにもチェックしてもらいました。こちらも「問題なし」との回答です。こうなると、やはり「ホームページ・ビルダー」が原因だとしか考えられなくなります。
この問題が発生してから、ずいぶんと時間が経過しています。それが半年前だったのか、もっと以前だったのか、あるいはそこまでは至っていないのか、もう記憶から消えてしまいました。そんななかで、昨日はファイルの再保存なども含めて、10回以上もトライしてもうまくいきませんでした。そこで、とうとう「不十分なまま」アップした次第です。今後も同じような状況が起きることが予想されます。とりあえず、「本文」だけは読めるようにしますので、ご了承ください。 |
戸別訪問 2015/02/06 Fri 4464
いわゆる「世論調査」でも、「社会的望ましさ」の力が作用すると思われます。ずっと昔のことですが、社会調査は戸別訪問が基本でした。私も学生のころ無作為に抽出された対象者の家をたずねて回ったことがあります。政党支持や商品の購買意欲などを分析するためのものでした。たまたま留守だった場合は何回か繰り返し訪問しました。夜回りもありました。また、在宅中であっても回答を拒否されるところも出てきます。そのときは「予備対象者」に切り替えるなどの手立てを取ったりしていました。調査が終わると、「謝礼品」をお渡しします。それも、そのときどきで違っていて、けっこういい品があったりしました。そのなかでも「ドライバーセット」などは変わり種として記憶に残っています。
そんなわけで、調査する人間が対象者に接して回答をもらうのが基本だったのです。こちらは淡々と質問するのですが、相手の様子を見ながらですから、態度や表情も含めたいろいろな観察ができました。そこで「本音」よりも「プラス」に反応していることが窺えることもありました。つまりは「社会的望ましさ」が効いていたのです。その反対に、あえて「悪ぶった」回答をしているように感じる人もいたものです。また、冬の夜回りの際には、「寒いのに大変だねえ。お茶でも飲んでいきなさい」と、お菓子まで食べさせてもらったこともありました。
回答を拒否する方々もいろいろでした。完璧に嫌な顔をする人もいれば、「よくわからないから、ごめんなさいね」と謝られることもありました。さらに、「戦時中に、『人から意見を聞かれても自分の考えを言ってはいけない』と教えられた」と言って、申し訳なさそうに回答をしなかったお年寄りに出会ったこともありました。そんなこんなで、相手の顔を見ながら調査をしていましたから、いろいろな補助情報が得られたのです。 |
社会的望ましさ 2015/02/05 Thu 4463
心理学に「社会的望ましさ(social desirability)」という概念があります。私たちは社会の中で生きていますが、「いい人=社会から望ましいと思われる人物」の方が何かと得をします。それは金銭的な利益につながることもありますが、それだけではありません。社会から「いい人」と思われれば、みんなから認めてもらえます。褒められることも多くなるでしょう。それは自分の存在感を高める気持ちのいいことです。これは大多数の人に当てはまると思います。
もちろん、この世の中には例外があります。ときには「悪ぶる」方を自分の存在感の証として選択する人もいます。その理由はいろいろあるのでしょう。しかし、これも「存在を認めてもらいたい」という気持ちの表れだということができるでしょう。そうした人たちも、「いい人」と認めてもらえれば、その方が気持ちがいいに違いありません。ところが、そうした機会が徹底的に失われると自分の存在感を示すことができません。そこで、周りから注目されることをしたくなります。それが「社会的に望ましいこと」であればいいのですが、「困ったこと」をして自分の存在感をアピールする人たちが出てくるのです。
さて、困った人たちはちょっと措くとして、数としては、「自分はいい人でありたい」と思う人が多いでしょう。ただし、世の中はそう甘くありませんから、いつも「いい人」であり続けるのはけっこうむずかしいわけです。そんなときには、周りから『いい人だ』と思われたい」という気持ちが働いて、それに応じた振る舞いをすることもあるわけです。それが自分の気持ちにちょっとだけ反していることもあれば、ときには意図的な嘘のこともあるでしょう。そうした行動に原動力として「社会的望ましさ」が働いているのです。 |
今月の写真 2015/02/04 Wed 4462
今月は電車の写真2枚にしました。まずは熊本を走る最新型の路面電車です。愛称は「COCORO(こころ)」ということで、昨年10月から走っています。熊本市電は1997年に、わが国ではじめて低床の電車を走らせました。その流れの中で久しぶりに新型車を投入したわけです。設計したのは水戸岡鋭治氏で、この人はJR九州の特急列車をデザインしたことで知られています。とくに、目が飛び出るような価格の豪華寝台列車「ななつ星in九州」も手がけています。
昔は東京も含めて、路面電車は「都市のシンボル」でした。それが車の時代になって、道路渋滞の元凶のように責められて、多くの街から姿を消したり、路線が大幅に縮小されてきました。しかし、高齢社会を迎えて、その機能が見直されはじめています。熊本市では路線を延長する話も出ています。それに、ヨーロッパの都市では、「景色の一部」として「なくてはならない」ものになっています。
もう一枚は、島根県の一畑電鉄で走っていた電車です。これは映画「RAILWAYS」で登場した「デニハ50形」ですが、現在はリタイアして車庫に入っていました。映画では中井貴一扮する企業戦士が49歳で電車の運転手になって、出雲の地を運転していくのです。映画好きの私ですから、この映画もしっかり観ました。ラストは空撮で、美しい畑の中を走る電車が印象に残っています。仕事で出かけた際に、ご担当の方と一緒に一畑電鉄に乗り、さらに「デニハ50形」が置かれている車庫まで案内していただきました。いやあ、蒸気機関車も含めて、鉄道の乗り物は見ているだけで楽しくなります。そうそう、その後の「出雲縁結び空港」では「ぜんざい」まで楽しむことができました。ところで、「一畑」は「いちばた」と読みます。私は、ずっと「いちはた」だ と思い込んでいた節があります…。 |
調査結果の読み方 2015/02/03 Tue 4461
先日、「世論調査」で政策を決定すればいいのであれば、誰だって総理大臣の仕事ができると書きました。政治家はときには「世論」から総スカンを食うようなことでも、「100年先」を見て決断することも大事なのです。ただし、今日では「一寸先は闇」状態ですから、「100年」どころか、来年にだって何が起きるかわかりません。いずれにしても政治家には「一時的な人気取り」だけはやめてほしいと言いたいわけです。
それに、「世論」の根拠になる「世論調査」については、けっこう注意が必要です。「ものは言い様」などと言いいますが、いわゆる調査なるものも、「聞き様」によって、正反対の結果になったりするのです。これは様々な機会に公表されるデータについても同様です。たとえば、日本新聞協会が実施している「全国メディア接触・評価調査」というものがあります。その2013年度の結果によれば、回答者が3,801名で、そのうち83.6%の人が「新聞を読んでいる」とされています。この数値は、私のような世代はいざ知らず全体としては実態よりもオーバーではないかと感じてしまいます。いつも接触している学生たちですが、授業中に「新聞を読んでいる人」と聞いても、ちらほらしか手が挙がらないのが実情です。そうですね、10%はいるでしょうか。
それに、「どこをどのくらい」読んでいるのかも大事なポイントになりますね。また、回収率が55%程度のようです。ひょっとして「読んでいる人」が積極的に回答しているのではないでしょうか。ここで「読んでいるけど答えない」人よりも「読んでいないから答えない」人の方が多いとすれば、「読んでいる人」に聞いて、「みんな読んでました」なんてことになっていないかどうかですよね。 |
100年の夢 2015/02/02 Mon 4460
人口や人口密度はさておいて、昨年のアメリカの中間選挙のときに興味をもったことがある。それはアメリカの議員定数である。上院議員はちょうど100人なのだ。その内訳は、アメリカの50州から2人ずつ選出される。また下院の議席数は435になっている。一方、わが国の場合は参議院が242人である。その内訳は、都道府県を単位とする選挙区選出議員が146人、全国を単位とする比例代表議員が96人である。一方、衆議院議員の定数は475人で、そのうち295人が小選挙区選出議員、180人が比例代表選出議員だ。国情は違っているが、上院が参議院に対応するとして、アメリカとの人口比率で計算すると、参議院は40人程度になる。また下院と類似している衆議院は190人ほどである。
これをドイツの例で見ると人口が約8100万人で、連邦議会の定数は598である。ただし、私にはよく理解できない理由で、2013年9月の時点では630議席だという。ここで定数598を採用しても、数値だけ見ると日本の衆議院よりも相当に多い。しかも人口は日本の64%である。アメリカを基準にすれば、人口が25%のドイツは110程度になる。ただしドイツも二院制を採用している、参議院は国民による投票はない。それぞれの州政府が人口に対応して決められた議席数の代表者を送り出すのである。その構成数は69という少数である。選挙制度は国の歴史が関係していて、お互いに理解しにくいが、衆参を単純に合計すればドイツは667で、わが国は677だから、日本がドイツと比べて多いとは言えない。
ともあれ、国会議員がその人数に応じた仕事をしているかどうかが問題である。それにしても、アメリカ上院の発想には感動する。各州の人口は関係なく、とにかく2人というのである。そこには数の圧力ではなく、地域の意見を反映しようという断固たる意思が窺える。わが国も参議院は47都道府県から2人ずつの94人にしてはどうだろうか。その方が参議院の存在意義がはっきりする。まあ、この国の状況を見る限り100年は無理でしょうけど…。 |
71億人 2015/02/01 Sun 4459
アメリカの人口は、3億2300万人である。これに対して、わが国は1億2700万人だ(国連『世界人口白書 2014)』)。両国の人口を割り算で比較すると、アメリカが日本の2.54倍になる。それぞれ世界で第3位と10位に位置する。国土はアメリカが圧倒的に広い。そのため、日本は1km2あたり349.29人で第30位だが、アメリカは34.56人で162位である(2013 GLOBAL NOTE)。
因みに、最も人口が多いのは13億8500万人で、インドが12億2400万人で続いている。アメリカは第3位なのだが、中国、インドとは一桁違う。統計として最も少ないのは215位のツバルで、1万人とされている(2013 GLOBAL
NOTE)。なお、ここではランクアップされていないがバチカンは819人である(外務省)。ちょっとしたマンションの住民程度である。ローマ法王と聖職者たちが大部分なのだろうか。
また人口密度では、マカオがトップで18,942.31人で、日本の54倍ものすさまじさである。ここには出てこないがバチカンは2,000人を超えているようだから、密度的には確実にベスト10入りする。とにかく面積が0.44km2なのある。最下位はグリーンランドの0.14人だが、一般的に国の感覚で言えばモンゴルが213位で、1.83人となっている。
世界の総人口の推計値は、71億2400万人である。この地球上にいるすべての人間が平和に生きていくことができないものなのか。
軍事費については正確なことはわからないが、スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の発表では、その推計額は日本円で200兆を超えている(2013)。これを一人あたりに換算すれば248ドルになるという。これが貧困対策に活かされれば、すべての人間が生きていけるのではないか。 |
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