人気取りのつけ 2015/01/31 Sat 4458
とにかく歴史に名前を残したい。そんな気持ちで「レームダック」状態でやたら張り切るのはどうかと思います。しかし、ものごとは「結果が大事」でもあります。その動機づけには胡散臭いものがあっても、結果としてプラスであれば、それはそれでいいじゃないかという見方もできるでしょう。そんな実例って、人類の歴史上にどのくらいあるのでしょうか。
オバマさんの真意はわかりませんが、政治家は長期的な見通しをもっていなければいけません。その点、「目先の人気取り」が気になります。太陽光発電の買取制度にしても、高い価格で買い取る制度がはやくも危うくなってきました。あの「10年安心」の年金制度があっという間にアウトになったことを思い出します。しかも太陽光問題では、責任がすべて電力会社にあるような雰囲気になっています。そもそも高額な買い取りが破綻したことはドイツなどで先例がある訳です。もちろん、自然エネルギーの活用を推進することは誰だって賛成するでしょう。しかし、数年で問題が起きるような政策は、「場当たり的な人気取り」だったと言いたくなります。何と言っても国が先導したことです。これからの展開を信じて投資した人たちが困惑しています。政策のプロには、デメリットも考慮して計画を進めることが求められます。そこを抜きにして「人気取り」に走ると、そのうちぼろが出てしまいます。そう言えば、高速道路を無料にするという、「大受けする」政策もありました。これもあっという間にこけてしまいました。あれって何だったのでしょうか…。
もっとも理屈上は、選挙を通して間接的ながら国民がそうした政策を支持したわけです。つまりは有権者も責任ありです。もちろん、政治が国民の声を取り入れるべきことは当然です。しかし、ただ短期的な利益だけのためにブレまくっては困るのです。また、「世論調査」結果を尊重することも大事ですが、プロはそれだけに頼ってはいけません。すべての政策を「世論調査」で決めればいいのであれば、誰だって総理大臣になれるじゃあないですか。 |
歴史に残る 2015/01/30 Fri 4457
私たち団塊の世代が大好きなバナナは、ちょっと置いておくと皮が黒くなってきます。それで中身の様子もわかるわけです。これに対して人間の組織は外から内部の様子が見えません。とかく問題があれば、それを隠そうとするのです。そして、いよいよダメになってから問題が表面化して、もうそのときは取り返しがつかないところまで追い込まれている。そんなことの繰り返しです。
それはさておき、任期があと2年を切ったオバマさんは、「歴史に残る仕事」に精を出しはじめたようです。あのキューバとの国交を回復する動きです。キューバのカストロ氏が社会主義革命を起こしてアメリカと対峙したのはケネディ大統領の時代です。それから60年以上もの時間が経過しました。何分にもフロリダ半島から150km先にあるキューバが社会主義の国というのは、アメリカにとって許せない事実でした。こうした中で、フルシチョフ首相がリードするソ連がキューバをバックアップし、状況はさらに緊迫しました。一時は核戦争の危機にまで至ったことさえあるのです。そうした関係をここで大きく変えるのです。これがうまくいけば、オバマ氏が「歴史に残る大統領」になることは疑いありません。
そんなわけで、「レームダック」の2年間は、大統領権限でできるだけ大きなことをしようという「個人的な動機付け」が強まるのです。これをどう考えるかです。個人的な利害を優先していても、それが国にとっても「プラス」であれば、それもまた「結果OK」ということでしょうか。ただし、「あの人は『無私』の境地で仕事をした」という評価は得られないと思いますが。それでも、そうしたマイナス評価は時間の経過とともに忘れられて行く可能性が大です。そして、「オバマ大統領はキューバとの60年以上に亘る断絶の歴史を回復させた」という1行程度の記録が教科書にも載るのでしょうね。 |
とかく長いものは… 2015/01/29 Thu 4456
世の中には何期にも、何年にも亘って選挙に当選し続ける人がいます。とくに地方自治体の首長選挙ではものすごい例があって、20年クラスの「長期政権」もいらっしゃいました。もっとも、このごろはそんな話題もあまり聞かなくなったような感じはしますが。私はどんなに優れた指導者であっても、「長期」にトップの座に座り続けることは、それだけで問題だと思っています。誰だって「神様」ではないのですから。
その点は、アメリカの大統領など2期8年と決まっていますから、「長期」はあり得ません。ただし、こうしたきっちり決まっていることによるマイナスはあります。政治家の終わりの時期が見えはじめると、その影響力は格段に落ちます。「どうせあの人は辞めるのだから、言うことを聞いても仕方がない」。本人と直接関係がある人たちだけでなく、それを見守る周囲の者にもそうした見方が広がっていきます。このような状況のとき、ご本人は「レームダック:lame duck」と呼ばれたりします。この英語は今日では問題になると思われる意味をもっていますが、アメリカなどでは常用語のように使われているようです。CNNのネットの見出しにも〝Is Obama a powerless lame duck?(オバマは無力なレームダックか)〟といった表現があります。これは任期が決まっている制度のマイナス面でしょう。
しかし、この世の中にパーフェクトなどないのです。いつも「相対的比較」で物事を決めなければなりません。力をもった期間が長期になると、多くのことが停滞します。どうしても「変化」を嫌う傾向が強くなってきます。それだけではありません。組織内で利益を得る地位や立場の者が増えていって、それを守るために問題の解決に努力しないだけでなく、全体にとってマイナスのことも平気でしてしまうことが起きるのです。どんなに新鮮な果物でも、放っておくと腐るのです。 |
学生結集 2015/01/28 Wed 4455 continued from 1/24
私の職業人としてのスタートは大学の助手だった。これで一応は「組織人」あるいは「社会人」になったわけだ。ただそうは言いながら、大学の教員がそれに当たるかどうかは相当程度に怪しかった。今や大学をリタイアした身だから、現職の方々に失礼なことを申し上げるわけにはいかない。ここは、あくまで「私が若いころ」という条件付きであるが、「当時の大学」は、「組織人」や「社会人」で構成されていると言えたのかどうか、かなり怪しい。もちろん、それは「良きにつけ、悪しきにつけ」という言い方をしておいた方がいいのだが…。
いつの間にか私が職に就いたところまで飛んでしまった。私としては大学1年生のとき、佐世保に「原子力空母エンタープライズ」が入港するというので、それを阻止するという学生運動家が全国から教養部に集結した時期まで戻ることにする。この学生たちの多くがタオル様の布きれで顔を覆い、ヘルメットをかぶり、さらにゲバ棒と呼ぶ角材を持って列車に乗って福岡へやってきた。ゲバ棒の「ゲバ」の語源はドイツ語(Gewalt)で、「暴力・権力」を意味している。これを武器として権力に対抗するだけでなく、思想的に違うグループ同士の闘争にも使われた。その後、竹も使用されることがあり、戦闘中に目を突かれ失明した者もいた。そうした学生たちが大挙して博多駅に降りた際に、警察側が駅構内から学生たちを排除しようとした。このとき、警察官に特別公務員暴行陵虐・職権濫用罪にあたる行為があったとして問題になった。これに関連して当時九州大学の井上正治法学部教授が「警察は敵だ」と発言して、国会でも問題になった。その学生たちはデモ行進をしながら六本松にあった九州大学教養部に押し寄せた。こうした動きに対して大学側は正門を閉じて入校を阻止しようとした。
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政治家の記憶 2015/01/27 Tue 4454
私はその男に話し続けた。「これだけ国の状況が危機に瀕するようになったのは、まともなことを言う専門家がいなかったことあると思うんです。しかも、いまだに成長第一と言い続けている人もいる始末です。それならそれで、具体的な方法やいつまでにという時期も併せて公言してほしいのです。その上で、結果を評価して、それが外れたらリタイアする。専門家であるのなら、そのくらいの覚悟をしておくべきです」。これに男は答える。「そうですよね。それにしても、あなたのお国の政治家さんたちもかなりひどいですね。政治家はスポーツよりもさらに『結果』の『責任』を負わないとまずいのに、それがかなりいい加減に見えますね」。もちろん責任政党である与党さんの自覚も危ういのですが、ほんのこの前まで政治を仕切っていた政党の皆さんもどうなんでしょうねぇ。まるで過去はなかったかのような雰囲気ではありませんか。そう言えば、『100年安心』といったキャッチフレーズもありましたが、あれってどうなったんでしょう。ここで、私は突如として現実に返って叫んだ。「そうだ、政治家たちも記憶喪失症であるに違いない」。
それだけではない。有明海の水門に至っては、「開けても、開けなくても」国が賠償金を払い続けなければならないという信じられない事態に陥っている。これなども、あいまいな態度をとって、決断を避け、どっちつかずで放置した結果である。かの「定数是正」についても、小手先の対応をしただけで、「どこに行ったやら」状態だ。そして、あの年末衆議院選挙についても、「0増5減」でおしまいである。最高裁もこのごろはイラついてきたようで、ドンドン「違憲ッぽい」判断が下されるだろう…。
みなさま、「その男」に関する3日間の本コラムは「フィクション」でした。と言うよりも、「フィクション」っぽいものを書いてみてもおもしろいなあと妙な気を起こしたわけです。お騒がせしました。 |
結果責任 2015/01/26 Mon 4453
その男性はその顔に哀れみの表情を浮かべたまま、私に話しかけ続ける。「そう言えば、お国には、『私は世界の借金王だ』なんて笑いながら公言する責任者もいらっしゃいましたね。それをまた皆さんたちも笑って見ていたんではないですか」。私も「その人」のことはしっかり憶えている。「それに、成長すれば借金はすぐにでも返せるなんて、誰がいつから言われているんでしょう」。おっしゃるとおり、いまでも「成長」がキーワードだよなあ。それがないとわが国は消滅するという感じですものね。
「皆さんのお国には経済学などというものがあって、最高に知恵のある方がたくさんいらっしゃると聞きました」。この言い方からすると、男性の国には「経済学」なるものはないようだ。「その方々のお一人おひとりが、いつどのような予測や提言をして、その結果がどうなったかをリストアップされないのでしょうか」。その点では私もまったく同感である。そもそも消費税アップに関しても、「早慶戦」もどきで、両大学の経済学者が正反対の主張をしていた。そんなのって「科学」なんですかねえ。
「ご自分の予測がしっかり当たっていたのであれば、私の言うことはこんなにすごいんだぞーっと自慢されればいいですよね。そんな方は国を挙げてノーベル財団に推薦すべきではないですか」。ここで私は「たしかにそうですよね、でも…」と口ごもる。「どうなされましたか」。「いやあ、私は素人なので偉そうなことは言えませんが、どうも専門家の予測は外れが多いのではないかと思うんです」。私は少しばかりトーンを上げて続けた。「スポーツと同じで『結果責任』でないといけません。うまくいかなければ、その原因を、つまりは敗因を分析することが大事であって、言い訳なんかしてはいけませんよね」。 |
奇妙な体験… 2015/01/25 Sun 4452
何とも奇妙な体験だった。私は瞬間的に記憶を喪失した。いやいや、「瞬間的」という表現は正しくない。いつ記憶が失われたのかはもちろん、それが回復したときのことも憶えていないのである。そうなると、それは「けっこう長い時間だった」のかもしれない。そもそも「記憶を失ったという体験そのものが事実なのかい」と聞かれると、これまた説明が苦しくなる。とにかく「私は記憶をなくした」と信じている。ただ、それだけなのである。しかし、とにもかくにも「記憶を喪失した」ことだけは疑いのない事実である。少なくとも私にとっては。なぜなら、「記憶を喪失」していた間に起きたことは、しっかり「憶えている」のだから…。
その「記憶」によれば、私はある男性に会った。おそらく60代で、私とほとんど変わらないように見えた。ただし、彼は日本人ではなかった。しかし、どこの国からきたのかは、間違いなく本人から聞いたことを憶えているのだが、残念ながら「国名」は頭に残っていない。その人は前世紀末からわが国が直面している厳しい状況に同情していた。「お若いころは。あれだけ元気がよかったのに、すっかり様変わりしてしまいましたね。とても言いにくいのですが、皆さんは将来のことも考えずにやりたい放題されてきました。だから、今日のような苦境に立たされることになったのですよね。それはお認めにならないといけません」。なんとも哀れみを込めた一語一語が私の心に痛みを生じさせた。それも「記憶」にある…。 |
わが青春時代… 2015/01/24 Sat 4451
本欄に「団塊の世代の自慢話(?)」というか、それよりも「わが青春時代」と呼んだ方がよさそうな「物語」を書いていた。そこでは、私が大学に入学して間もないころの教養部で体験した「事件」まで触れていた。それが2013年の10月30日のことである。このときは、しっかり「連載物」と意識していたのだが、いつのまにかすっかり忘れていた。「それって、よくあることだよね」と言われればそれっきりだが、今後はさらにこの手の話が増えるに違いない。それはそうとして、とりあえず「初志」は大事にしたいものだ。そこで、1年3ヶ月ぶりに「連載復帰」を決めた。
ただし、「青春時代」がどの時期を指すのかはあいまいである。大学を卒業するまでは、その一つの基準になるかもしれない。われわれの世代では、中学校や高校を卒業して就職する友人もいた。この方々は、卒業と同時に「社会人」になった。それでも、年齢や雰囲気を考えると、まだ「青春時代」を過ごしていたということができる。一方、大学に進学した者たちの多くは、卒業後に就職して「社会人」「組織人」になった。そこで、ようやく「一人前の大人」となり、「青春時代」を終えるというのは一つの見方だろう。
ただ、私の場合はそれから大学院に進学したため、「職」について「給料」をもらいはじめるまでに、さらに5年を要した。その間は学生だったし、「社会人」と言えるような責任のある行動は取れていなかった。職業人としてのスタートは大学の助手になってからである。すでに27歳になっていた。その際に渡された辞令には「文部教官助手」と書かれたいた。つまりは「教官」だったわけである。一般に公務員には「官職名」と言うものがある。私の場合、「官名」は「教官」で「職名」が「助手」ということである。それが2004年に「国立大学法人」になったから、身分は公務員ではなくなり、「教官」は「教員」となった。 |
気づいていない? 2015/01/23 Fri 4450
毎日のようにPR誌やマガジンの類が送られてくる。PCでも「ジャンクメール」とか「迷惑メール」が溢れている。〝junk〟には、廃品やガラクタといった意味がある。また、〝spam
mail〝と呼ばれるものもある。こちらは、相手かまわず大量に情報を送りつける。いずれも、まったくもって迷惑千万きわまりない。しかも、きわめて危険なメールもあって、添付ファイルを開けるとんでもないことになるものもあるようだ。
ところで、郵送や宅急便を使ったものも多種多様だが、その内容とは別に、それを入れた封筒も問題が多い。一番ひどいのが、薄手のプラスティック製のものだ。なにせ「プラマーク」がついているのだから、プラスティックに違いない。そこには、「この包装は焼却しても有害な塩素ガスは発生しません」などと書かれている。環境に配慮したとアピールしているのだろうが、いまどき燃やすなんてことはほとんどできなくなった。そもそも身の回りには焼却炉がない。それに続いて、「お捨てになる時は、お住まいの市区町村の定める区分にしたがってください」と、これまたご親切なアドバイスが書かれている。しかし、私は大いに文句を言いたくなるのである。そんな親切心があるなら宛先のラベルをどうにかしてほしいものだ。とにかく封筒にべったりとラベルが貼ってあって、これがちっとやそっとでは剥がれないのである。私の町では、「プラ」と「紙」は分別するようになっている。だから、「プラ」から剥がれない「紙」はまずいのだ。このあたりは気づいているのかどうか。気づいていないのも問題だし、気づいていて対応していないのなら、もっと問題だ。 |
圧力世代を目指せ! 2015/01/22 Thu 4449
私は昨年度まで、熊本県明るい選挙推進協議会の会長を二期4年間にに亘って勤めさせていただいた。その名の通り、「明るい選挙」を実現することが目的であるが、そのなかでも投票率を挙げることは大きな役割である。そして熊本県選挙管理委員会が関わる選挙が実施される1週間前の土曜日には、熊本市の繁華街で投票を呼びかけるPR活動をした。これには、県の選挙管理委員長も参加される。それもまた今では楽しい思い出になっている。
そうした役割を担っていたこともあって、大学の授業でも学生たちに投票するように繰り返し伝えた。会議でも、20代の若者たちの投票率の低さが問題になっていたのだ。たとえば、衆議院議員選挙では、1969年の第32回から世代別で最低となり、昨年の第46回まで、15回連続してその地位(?)を維持しているのである。しかも、1993年の第40回からは「50%」を切ったままだ。私は、「自分が投票しなくても、あの候補者が通るに決まってる」「自分が投票しても、あの人は落選するに決まってる」といった認識は正しくないと言い続けてきた。たしかに「個別」の選挙では、投票する前から「決まっている」としか言いようのないケースが少なくない。現実としては、「一票を争う接戦」の方が珍しいだろう。
しかし、問題は「個別」の選挙ではなく、「全体としての投票率」なのである。例えば、選挙のたびに20代の80%が投票することが明らかになったとする。そうなれば、政党や個々の候補者たちは、この年代に向けてアピールしなければ当選できないことを意識せざるを得なくなる。それが低投票率であれば、「どうせ20代は投票しないのだから」と無視されてしまうではないか。その一方で高齢になれば、周りからサポートされてでも投票所に出かける人もいたりする。昨年でも、60代は74%を超えているのに、20代は38%なのだ。そこには「選挙市場原理」とでも言うべき力が働くのである。「需要」が高ければ、そこに対応した政策をアピールし、しかも次のことも考えて「実行」する。そしてその逆もまた真なりなのである。とにもかくにも「個別の選挙結果」よりも「全体の投票率」が政治を動かすのだ。「若者たちよ、投票所に行こう」「若者たちよ、『圧力世代』になろう」。 |
お城のお休み 2015/01/21 Wed 4448
先日、地元紙が熊本城について嘆いていた。熊本城は年末の29日から31日が休園と決まっているらしい。昨年は試験的に29日に開園したところ、平均を上回る6,000人を超える客が来園したのだそうな。「それなら、今年も」となりそうなのだが、今年はそれまで通りで、3日間を休みにしたのだ。
記事によれば、城の正面玄関でがっかりしたような観光客がいたという。観光バスのガイドまであわてていたらしい。熊本駅でのPRの下手さなどは、本コラムでも繰り返し私見を述べてきた。「金沢駅に降りれば、兼六園も、武屋敷も町人町も見える。それなのに熊本駅からは何にも見えない」。まあそんな嘆き節である。だから、この記事を見て、「ああ、熊本城もかあ」とため息をついてしまった。熊本と並んで漱石にご縁がある松山城は年末年始に開園しているという。そもそもは、その時期に大掃除をしていたのだが、日程を変更したのだそうな。観光の視点から見れば当然のことである。姫路城だって年末31日は開いているらしい。もっとも、大阪城は12月28日から翌年1月1日までクローズというから、商売の町らしからぬ対応ではある。ただし、これは「天守閣」のことのようだ。
おそらく熊本城にも、それなりに理由はあるのだろう。しかし、それが納得できるようなものでない限り、「何を考えているのか」と思ってしまう。恐れながら、わが家はこれまで12人分の投資をした「城主」でござる。ちったあ文句も言いたくなるってえもんだわい。そもそも熊本城は、世界42カ国に展開する「行ってよかった日本の城」で2年連続トップの栄冠に輝いているのだそうな。とにかく、「何とかせんといかんばい」。 |
「やったあー」体験 2015/01/20 Tue 4447
ほとんど「電動歯ブラシ依存症」になった私は、毎朝せっせと4分ほどのブラッシングに励んだ。そして、鏡で見る限り歯垢は、その気配すら感じられないところにまで達した。そこで、前回の「ケア」から4ヶ月ほど経過していたこともあって歯科に予約を入れた。そのときは、相当程度にいい線まで達しているという自信があった。さて、いよいよ歯科に着いて「こんにちは」となった。まずは歯医者さんが口の中を診る。それから「きれいにしましょうね」との一言が返ってきた。これが私にとってはかなりの期待外れだった。「おやおや、今回はきれいになっていますね」。とまあ、この程度の評価はあると予想していたからである。このときはさらにショックが待っていた。その日は1回で終わらずに、「明日もう1回」ということになったのだ。こうして私は現実の厳しさを味わったのである。
しかし、そこでめげていては、努力に努力を重ねて「歯ブラシ依存症」になった意味がない。そんなわけで、それからも4分、ときには5分の精進を続けた。そして、さらに3ヶ月が経過した。このときもお医者さんは似たような反応で「きれいにしましょうね」といった反応だった。ただし、実際に手を入れてもらうと、これまでと違って、30分足らずで上下裏表のケアが終わった。そして最後に「奥の方までブラッシングができてますね」と声をかけられたのである。「やったあー」。こんな大声を心のなかで発したことは言うまでもない。これぞ、「4分間の積み重ね」の賜、「やればできる」が実証されたのである。前期高齢者としては、あと何回くらいこうした「やったあー体験」ができるのだろう。それもまた、わが人生の楽しみである。 |
茶渋追放大作戦 2015/01/19 Mon 4446
しっかり磨いているつもりでも、時間が経つと前歯に茶渋様のものがついてくる。歯医者さんからは、その原因が「磨き方」にあると繰り返し指摘された。そこで私としては、舶来の電動歯磨き「●●ケア」を使って「茶渋追放大作戦」を開始した。これにはいくつかのモードが準備されているが、まずは「2分間クリーン」を選択した。一般的に、歯磨きは洗面所で、前にある鏡を見ながら磨くことが多いのではないか。歯ブラシを右に左に、そして上下、さらには手前から奥に突っ込むなど、とにかくせわしない動作と変化を繰り返す。ときにはほっぺたが膨らんだりもする。そんなわけで、それはそれなりに鏡の絵になる。しかし、電動は「歯と歯茎に当てる」だけで、鏡を見ていておもしろみがない。
そこで、電動歯磨きを咥えたら居間に移動して椅子に座ってテレビを眺めることにした。これがちょうど朝のニュースの時間帯と重なるから、情報収集にも大いに役立つわけだ。ニュースの中でも、いろんな人が登場して、コメントを発したり、インタビューに答えたりする。このとき、かなりの頻度で「カナ、カナ」が聞こえてくる。私は歯ブラシを口に入れたままだから、頭の中で、「うわー、こんな重要人物まで『カナ』って言ってるうーっ」と叫んで歓喜する。そうこうしているうちに、あっという間に2分が経過して、ブラシが停止する。これで、その日の「茶渋追放大作戦」は終了である。さすがに出張先まで電動は持参しないが、これが毎朝の日課になった。そのうち、癖になったのか「2分」では物足りなさを感じはじめた。そして気がつけば、歯の前面と背面でそれぞれ2分が標準になっていたのだ。なんでも程度が問題であり、過ぎてはまずいことは知っている。しかし、私はすでに「電動歯ブラシ依存症」の域に達しているのではないかと自覚しはじめている。はい…。 |
気になる茶渋 2015/01/18 Sun 4445
素人目にも歯石が付いていることがわかったので、かねてから誘われていた「歯のケア」に出かけた。その日はおよそ30分程度で終わったが、もう1日の追加となった。そして、「茶渋」のようなものについては、「歯の磨き方」に問題があると言われた。ともあれ、このとき初めて「ケア」なるものを体験したわけだ。前歯の「茶渋」が見えなくなったこともあって、気持いいもんだと思った。それからどのくらい経過しただろうか。またぞろ「茶渋」様のものが現れてきた。前の「ケア」からけっこう経っていから、「また行ってみるか」という気になった。そして、またしても「茶渋」の原因は「磨き下手」だと言われてしまった。
そこで、粘着質の私は一念発起した。わが家には以前から電動ブラシが置いてはあった。商品名は伏せるが「●●ケア」という、その昔、子どもたちが歯科医で推奨された外国製だ。もちろん、その後に新しく買ったものだったが、私はほとんど使っていなかった。はっきり言えば面倒くさいのである。ブラシを歯と歯茎にじっと当て続けるという。なんともとろい話なのだ。母親によれば、私は子どものころから「じっとしておれない児」だったらしい。それが、そのまま大人になり、いまでは爺さんになった。歯を磨くときも、ブラシを口の中に突っ込んで、とにかく右だの左だの、そして上に下へと、何だかわからないがゴシゴシ走り回らせる。その効果もあるのだろう、ブラシの先端は、あっという間に揺らぎ、ねじ曲がる。その形がときによって違っている。それを見て「なかなか芸術的形状になったジャンか」などと妙に感心する。これが「正統歯磨き」と信じて半世紀以上も経過してきたのである。おそらくそんなことをしているから、一定の時期が来るたびに「茶渋」が「お久しぶりです、こんにちは」と目の前に現れるに違いない。 |
お試しチェック 2015/01/17 Sat 4444
80歳で歯を20本残そうという「8020運動」の成果はわからないが、2005年の歯科疾患実態調査では対象者の21.1%が「目標」を達成していたという。女性とは違って、男性の平均寿命は80歳に届いたばかりである。だから、とくに男性は絶対人数がそれほど多くはないだろう。歯が健康で、噛む力がしっかりしていると脳の働きにも効果があるようだ。それよりも何よりも、まずは食べ物がおいしく食べられる。孫たちを見ていると、いや大人の自分もそうだが、食べることは楽しく飽きることがない。どう考えても「8020」は目指したい目標になる。しかし、それがうまくいくためには若いころから気をつけていないとダメで、そのときになってでは間に合うわけがない。
さてさて、私の方だが、「新しい歯医者さん」での治療が終わったとき、「『定期的』にチェックしませんか」と誘われた。自分自身の健康にもいいとは思うのだが、歯医者さんたちも、こうしたアプローチで生き残りをかける時代なんだなと思った。われわれ世代には「歯の定期的なケア」といった発想はまったくなかった。そこで、その間隔を尋ねると、「1ヶ月から」という。私の直感では、「1年に1回、多くて2回か」と思っていたから、かなり驚いた。そこで、「まあ時間を見て考えましょう」と答えて、そのときはおしまいになった。それから半年位は経過していただろうか、素人なりに歯の内側に歯石らしきものがあるのに気がついた。それに、歯はしっかり磨いているつもりだが、1本の歯に茶渋のようなものがついてもいた。そんなことから、歯医者さんから誘われたことを思い出した。そして、「お試しに」といった気分で出かけることにした。 |
歯にまつわるお話 2015/01/16 Fri 4443
いまではその時期を忘れたが、私は歯の不具合を感じて自宅近くにできた歯医者に出かけた。おそらく5年ほど前のことだったと思う。じつは、熊本に来て以来、ずっと行きつけていた歯医者があり、そのときも小さな治療をしていた。その何回目かのときだった。すでに予約を入れていたが、少しばかり遅れそうになった。そこで私は電話して「6時をちょっとだけ過ぎるかもしれません」と伝えた。その遅れは5分程度と見込んでいた。ところが、先方からは「6時までなので、今日は駄目ですね」といった返事が返ってきた。これで、30年ほど続いたこの歯科とのおつきあいは終わりになった。その時期、私としては日程の調整がつきにくい状況で仕事をしていたのである。
そこで仕方なく、たまたま近くにできたばかりの歯科に問い合わせたところ、6時30分ころまでいいという。そんなわけで、その歯科に初めて行き、当初の治療を終えた。その後も歯について大きな問題は起きなかった。ただし、歯のカバーが外れるといったマイナーな治療が必要なことはときおり起きる。いま、「カバーが外れた」と書いた瞬間に思い出したことがある。また別の歯科でカバーを付けてもらったことがある。そのとき、は被せたばかりのものが「数時間後」に外れた。それは見事な外れ方で「なんじゃこれは」と驚いた。当然のことだが、そこには二度と行かなかった。
さて、元に戻って、「新しい」歯科での軽い治療が終わったときに、「定期的なケア」を勧められた。歯の健康にいつも配慮しておくのはけっこうなことである。世の中には「8020運動」なるものがある。これは、「80歳のときに、20本以上の歯を残そう」というキャンペーンである。この運動は「8010」からはじまり、1989年には「8020」として愛知県でスタートしたという。 |
夕刊② 2015/01/15 Thu 4442
今日は七草です。家では七草を食べなくて、テレビで見ただけですけれど、テレビを見ていたら七草を食べたような気持ちになりました。冬休みは今日までですが、、あすが日ようなので、九日に登校です。いよいよ三学期です。がんばりましょう。今日の七草はとてもゆかいでした。今日の言葉 食べ過ぎに仁丹。(1961年1月7日(土) 曇り 8度 小学六年生時の日記)
今日は冬休みさいごの日である。が、いつものように宿題がたまっているということはなかったので、そこらへんにあったドリルなどをペラペラやって一日をおわった。今日はとても大きなあられがふった。とにかくストーブの部屋に入れても、ちょっとやそっとではとけないといいう大もので、みんなおどろいたし、そのうえ、かみなりさまがゴロゴロとあって、みんな空をうらんでいるよう。でも最後の日にしては、とてもおもしろくゆういぎな一日であった。。(1963年1月7日(月) 曇り 16.5度 中学二年生時の日記) |
元気でいるかなあ 2015/01/15 Thu 4441
ほんの数分のところで開業した歯科だったが、あっという間にクローズしてしまった。私が通勤する途上にあるため、ビルの2階にあったその場所がいつも目に入る。若いお医者さんだったから、ここを歯科人生のスタート地として選択して、未来の希望に溢れていたに違いない。しかし、開業を続けるほどの患者が来なかったのだろう。私が初めて診察を受けたとき、数回は通ったと思う。歯科医は基本的にマスクを付けているので、若いことはわかったが、おそらく顔の全体は見ていない。だから、その「顔」まで頭に浮かぶことはない。しかし、そのビルの前を通るたびに、「あのお医者さん、今ごろどうしているだろうなあ」という思いになる。どこかでしっかり頑張っていてほしいものである。
さてさて、つい私の個人的な感慨に耽ってしまったが、昨日から続けている「味な話の素」のネタは「歯医者さん」業界の話題ではない。それは、「私の歯」のことである。私たちの世代では、子どものころから「歯医者」に行くのは、「歯に問題があるとき」に限られていた。そもそも口の中でものすごい音がする歯科は、子どもが最も恐怖感を覚える場所であった。しかも、そもそも歯が痛くてたまらないから仕方なく行っているのに、素人的には「その痛い場所」を「ドリル」のようなものでしごかれる。その先が逸れて歯茎に刺さりでもしたら気を失ってしまうではないか。歯科での治療はそんな「空想」まで豊かにしてくれるから、なおさら怖くなる。ただ、いつのころからか、私自身はそれほど歯科恐怖を感じなくなった。いまから思えば大学生のころだったと思う。とにかく「俎上の魚」あるいは「まな板の鯉」の心境になればいいのである。ただし、そのとき、生きのいい魚はけっこう抵抗しているから、決してそんな「心境」ではないはずだ。そもそも鯉に「いまのお気持ちは…」なんて聞いた者は、人類の歴史上ただの一人だっていない。このことだけを取っても、人間がいかに自己中心的な生き物であるかがわかる。 |
夕刊① 2015/01/14 Wed 4440
冬休みで帰ってきていた道雄は午後3時35分の汽車で福岡に行った。いつものように駅まで見送りに行ってきた。ニコニコしながら車内から手を振っていた。長崎にいたころは、汽車が見えなくなると急に淋しくなり涙ぐんでいたけれども、道雄も大人になってしっかりしてきたので、今までのように心配することも少なくなり、「やれやれ元気で福岡に行った」と思うようになった。それでも家に帰ると何となく落ち着かない。(1969年1月6日(月)母の日記)
寒い福岡市に帰ってきた。急行は多くて、武雄からずっと立ちっぱなしだった。やっぱり6日というのは少し早かったかもしれない。汽車の中から山が雪をかぶっているのが見えた。ところによっては平地にも雪が残っていて、一時はチラチラすることもあった。冬である…。(1969年1月6日(月)私の日記から抜粋)
このとき、母は42歳、私は20歳である。 |
思い出した話のネタ 2015/01/14 Wed 4439
「味な話の素」に書けると思ってPCのスイッチを入れる。しかしながら、この時点で、何を書こうと思ったのかが思い出せない。あることが頭に浮かんで、それをメモしようと自分の部屋に行ったのはいいが、そこで何をするつもりだったのかを忘れてしまっている。こうした経験は若いころにもあった。そんなときは、つい今まで自分がいたところに戻ってみると、「ああ、そうだった」と思い出したりすることもあった。ところが、このごろは、その「再生率」が圧倒的に低下した。これも年齢の影響を無視することはできない。そんなことで、「もう思い出せないなあ」とあきらめていた。
ところが摩訶不思議なことに、突如として「それ」を思い出した。ここが人間の大脳のおもしろいところだ。しかしながら、今日でも記憶を含めて大脳のメカニズムが十分に解明されたとはお世辞にも言えない。そんなわけで、人間を研究する心理学も、なかなか常識から抜け出せないままでいる。私がこの世で生活している間は、似たり寄ったりの状況が続くのだと、妙に確信している。こんなことを言うと、「そりゃあ無責任だ」と叱られるだろうか。しかし、それが事実なんだから仕方がない。おいおい、こんなことを書いているうちに、またぞろ何を考えていたかを忘れてしまうじゃないですか。
そこで、その話題を取り上げることにしよう。それは「歯磨き」の物語である。まずは歯科医の状況だが、もうかなり以前からビジネスとしてきわめて厳しくなっていることは報道等で知っていた。とにかく数が増えて、過当競争になったのである。それが証拠には、私の家から歩いて10分~15分の範囲内でも歯科が4ヶ所ほどある。数年前のことだが、自宅からほんの3分ほどの距離に歯科ができて、私は一度だけ行ったことがある。ところが、それから間もなく、おそらく1年は経過していなかったと思うが、気がついたらクローズしていた。 |
今月の写真 2015/01/13 Tue 4438
いずれも熊本城にちなんだ写真である。まずは二の丸広場からの絶景。天守閣様のものが三つ並んでいる。いずれも風格があるが、右側がメインの「天守閣」だ。そして、左側にあるのが「小天守閣」で、この二つは繋がっている。その手前は「宇土櫓」といわれるものだが、この単体だけでも立派な姿をしている。わが国最後の内戦である「西南の役」で天守閣をはじめ城の多くの部分が消失した。そのなかで、宇土櫓はそのままの状態で残った。そうした歴史的な経緯もあって、現在では国指定の重要文化財になっている。また、熊本城にも「おもてなし武将隊」なるものがいて、開園の8時30分から観光客にサービスしている。元日は6時30分の開門だったが、折から寒風吹きすさび、「『武将隊』も大変だった」と当事者の一人が言っていた。
もう一枚は、熊本市の中心街から熊本城を仰望した。もともと「城」と「路面電車」にはなんの関係もないのだが、なぜかこの二つは相性がいい。少なくとも「写真(絵)」になる。熊本市の市電は2系統で走っているが、最近は乗客数が伸びて、この2年間は1000万人を超えている。今年の地元紙元日号に、「市電延伸」についての記事が載った。昨年の選挙で当選した市長が前向きだという。ヨーロッパに行けば、市電に相当する「トラム」が重要な交通手段になっている。これから高齢者が増えれば、路面電車への期待も高まるだろう。先日も認知症の高齢者が高速道路を逆走して死亡する事故が発生していた。熊本の場合、電車の運賃は150円均一で、これも手ごろである。もっとも、「安い」が故にバスを苦境に追い込んでいるという新聞投書もあった。このあたりはバランスの問題だが、そうかと言って「だから電車はやめた方がいい」とはならない。 |
どんどや 2015/01/12 Mon 4437
孫が通っている小学校の校庭で行われた「どんどや」に出かけた。熊本では「どんどや」と呼んでいるが、「どんど焼き」が一般的のようだ。わが家の子どもが小学生だったころは、阿蘇を水源にして熊本市内を流れる白川の河川敷で大々的に行われていた。それがなくなってからは、小学校で個別に行われたりしていた。私が出かけた「どんどや」の主催は「親父の会」で、竹を組んだ立派な櫓ができあがっていた。これに子どもたちがたいまつで火を付ける。あっという間に火が燃え上がる。そこに正月のしめ縄や門松などを入れて焼いていく。竹が「パチパチ」と破裂音を響かせる。全体が燃えて灰になってから残り火で鏡餅を焼く。これを食べると一年間は病気にかからないというわけだ。昔ながらの伝統が行き続けていることが楽しく、嬉しい。
それにしても、これだけの櫓を組んで、その後始末までするのだから、関係者は大変である。私はただ出かけて燃え上がる火を眺め、餅を食べ、PTAが協力してつくった豚汁とカレーを食べて帰るだけである。しかし、その間に多くの親と協力者たちが段取りよく作業を進めていく。これが見ていて気持ちがいい。いま地域の力が落ちているという。時代とともに、お互い「隣のことは知らない」といった状況が日常化しつつある。こうした中で、みんなで、「子どもたちのために」昔ながらの伝統を守ることはすばらしい。こうしたエネルギーが、さまざまな活動にも繋がっていって、「地域の子どもたちはみんなで育てる」ことが「普通の風景」になってほしいと思う。
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おつりの教訓 2015/01/11 Sun 4436
コンビニのおつりをもらいすぎたために逮捕されたというニュースが話題になっている。その内容は、コンビニで店員が誤って、客におつりを多く渡した。それを受け取って帰ったことから詐欺罪で逮捕されたわけだ。消防関係者らしく、公務員になるのだろうか。おつりの間違いに気づいたら、ちゃんと申告しないといけないということである。
ただ、これがニュースになったのは、その額がいかにも不思議だったからである。なにせ「おつりが46,000円」だったというのだ。わが国の場合、最も高額な紙幣は1万円であり、買い物をする際の最も小さな単位は1円である。したがって、「1円の買い物」に「1万円札」を出せば、おつりは「9,999円」になる。これが現金でやりとりするときに発生する「おつり」の最大値である。したがって、「46,000円のおつり」など、常識ではあり得ない。それにも拘わらず、一体全体どうしてこんなことが起きたのか。そもそもは、携帯電話料金など「13,000円」の支払いをするために「1万円と5千円札」の2枚を出したという。つまりは「2,000円」のおつりで単純におしまいとなるところだ。それが「46,000円」になるとは、どう考えてもわからない。ニュース記事によれば、「6万円」を預かったと勘違いしたらしい。つまりは「5千円札」が「5万円札」に化けたわけだ。しかし、それだと、「60,000円-13,000円=47,000円」だから、ここでも「46,000円」のおつりはあり得ない。
このごろはバーコード化が進んで、暗算しなくてもレジスターがおつり計算までしてくれるようになっている。そんな環境の中でこんな「事件」が起きるのだから、それこそ「事実は小説よりも奇なり」である。いまやキャッシュレスの時代、そのうち、この世にどんなお札があるのか知らない人間が出て来るのかもしれない。それにしても、この件は「常識が何より大事」という教訓話ではある。 |
二人の男の立ち話 2015/01/10 Sat 4435
「こんにちは」「こんにちわぁ」
「どちらからですか」「私ですか、熊本市内です。お宅は?」
「佐賀です」「えっ、佐賀ですって!佐賀のどこですか?」
「伊万里です」「えーっ、伊万里ですってえ!私、伊万里小学校の卒業生なんですよ」
「えーっ、そうなんですか。小学校は違いますが、すごい偶然ですねえ」「いやあ、おやじが転勤族で、小学校4年生のときから中学校2年生まで伊万里に住んでたんです」
「ああそうなんですね。それでいまは熊本に住んでおられる?」「そうなんです。ところで、私は昭和23年生まれの団塊世代なんですが…」
「えーえーっ、私も昭和23年ですよ」「うわぁーあっ、何と言うことでしょう!」
「いやあ、信じられませんねえ…」「いやあ、本当に…」
これは、二人の男が横に並んで交わした「立ち話」の一部始終である。
じつは、その場所は幼稚園の男性トイレなのだ。この日、幼稚園で「祖父母の日」が開催された。孫たちと一緒に凧づくりをして、それを運動場で揚げる。お昼にはぜんざいを食べておしまいというイベントである。そこに出かけたおじいちゃんの二人が、たまたまトイレで横に並んだのだった。それにしても、これは奇跡と言っていいほどの巡り合わせだ。こんなことがあるから人との対話はおもしろい。そして人生そのものが楽しくなる。ぜんざいを食べて帰る際は「お互いに元気でいきましょう」と声を交わして別れた。
おじいちゃんの一人が私だったことは言うまでもない。 |
ラストシーン+α 2015/01/09 Fri 4434
映画「蜩の記」の「ラストシーン」。これから城に赴いて切腹をする。これが「最後」の別れであることは全員が承知している。カメラはその後ろ姿を見送る位置から動かない。そして、主人公は一度は家族を振り返る…。
じつは、わが吉田家には代々伝わる家訓がある。それは、家族の者が出かけるときは、家に残った方が、その姿が見えなくなるまでバイバイするというものである。もちろん、送られる側も家が見えなくなるまで振り返る。もっとも、代々などと大げさな表現を使っているが、まあ私の両親までは遡れるという程度のものではあるが…。
これに対して「蜩の記」ではどうなったか。カメラはそのあとも後ろ姿の主人公を遠景から追い続けた。そして、それから十秒ほど経過して、スクリーンから光が消えた。つまりは二度と「振り返らなかった」のである。ここは監督の踏ん張りどころだったのではないか。私もこの選択の方が観る者に多くの感慨を与えたと思う。「振り返るか、そのまま行くか」。おそらく心情的には、せめて「もう一回だけでも家族の顔を見ておきたい」。そんな気持ちを押さえて、主人公はそのまま逝ってしまったのだった。
ところで、主人公と後に娘婿になる青年が小筆で記録を書き留めるシーンが出てくる。そのときに驚いてしまった。それは、2人とも、親指を突き出す形で筆を持っていたからだ。このところ、とくに若者の鉛筆やペンの持ち方が気になっている。とにかく親指がはみ出して、じつに不自然なのである。これを私は「親指姫、親指小僧」と呼んで話のネタにしている。ところが、大きなスクリーンの中で2人の主人公が、まさに「親指じいさん、親指青年」をしているのである。これって、小筆の正当な持ち方なんでしょうか。ご存じの方がいらっしゃったら、ご教示いただきたいものである。
ところで、この映画ではもう一つおもしろい体験をした。あの感動のシーンが終わっても館内の電気が点かなかったのだ。とにかく点かない。そこで暗闇の中を手探り状態で出て行く人がではじめた。こんなとき、私はどうなるのかを確かめたくなる性分で、ひたすらじっと座っていた。すると、化なりの時間が経過してから、映写室の方でドタドタという足音が聞こえた。それからすぐに館内は明るくなった。そして、そこにいたのは私1人だけだということがわかった。担当者が点灯する時間を忘れていたのである。 |
昨年の映画物語 2015/01/08 Thu 4433
昨年は映画を21本観た。例年、20回以上は劇場に通っているが、数値的には平年並みである。ただし、昨年は3月までは一本も見なかった。ある仕事にかかわっていて、映画館に出かける時間がなかった。その仕事に区切りがついたことから、4月に最初の映画として「白雪姫殺人事件」を観にいった。それから21本だから、大幅に出遅れた割には、けっこう観たと言うこともできる。
そんなわけで、今年は年の初めから突っ走ろうと意欲満々だった。ところが、気持ちが高まったのはよかったが、見たい映画がないのである。じつは、昨年の暮にも、もう少し回数を増やそうと思ったのだが、「これだ」という作品がなかった。もちろん、それは個人の好みだから、文句を言うつもりは毛頭ない。ただ、年頭から気勢をそがれたのも事実である。そうは言いながら、改めて気を取り直して、新記録に挑戦しようとは思っている。
ところで、昨年観た作品の中に「蜩(ひぐらし)の記」がある。ある殿様の重臣が問題を起こして、じつは冤罪なのだが、切腹を命じられる。だだ、彼の能力が買われて藩の記録書を作りあげるために一定の期間まで切腹が延期される。そして、その時期がやって来る…。そんな内容で、それなりに楽しんだ。そのなかでも、エンディングのカットがなかなかのものだった。これから切腹ということで、主人公は城からの迎えに来た者の後をついて出かけていくときが来る。主人公役の役所広司を見送るのは妻と娘夫婦、そして元服した息子の四人である。まずは当然のように妻と息子夫婦たちに別れを告げる。そして少しばかり歩いたところで主が家族を振り返る。そして、あとはスクリーンにその後ろ姿が映される。それが少しずつ小さくなっていく。これがどこまで続くのか。私は主人公の姿を見ながら、どうなるのかを楽しんだ。 |
パチンコの夕暮れ 2015/01/07 Wed 4432
出生者数が100万1,000人になり、とうとう100万を切るのは時間の問題になった。それとはまるで次元が違うのだが、「パチンコ人口1,000万人切る」というニュースの見出しも私の目を引いた。
まずは「パチンコ人口」が1,000万人という数値に驚いた。日本の人口は一口に1億2,700万だと言われている。そのうち、大人は1億人と少しのようだ。パチンコは「成人」にならなくてもできるが、高齢者など、「パチンコ店に行きたくても行けない」人たちもいるだろう。となると、大雑把に言えば、日本人の10人に1人がパチンコをしてきたことになる。これが驚きなのだ。私の世界が狭いのかもしれないが、身の回りにパチンコをしている人はほとんどいない。
そんなわけで、この1,000万という数値の出所はどこなのだろうかと思う。まさか、パチンコ店がまとめたお客さんの数を足し合わせたんじゃないでしょうね。もしそうならば、単なる延べ人数に過ぎないことになる。パチンコに関してはどうだか知らないが、世の中に飛び交う数値には、かなり怪しいものがあるから気をつけた方がいい。
それにしても、時代は変わるのである。バブル期には、ギャンブル性の高いパチンコが大盛況だった。そらからバブルがはじけて、わが国は長い低迷のトンネルに入ってしまう。その深刻さは尋常ではなく、多くの企業が大打撃を受け、ビルを建てる余裕もなくなった。そんなことで、街中にちょっとした建物が建っていると、「あれはパチンコ店だろう」と予想して、それがかなりの確率で当たっていた。私は、景気が悪くなってもパチンコ店だけは不滅だとすら考えていた。もっとも、いつのころからか、クローズするお店も出はじめたことに気づいた。それが「1,000万人切れ」という形で確たる数値となったわけだ。この世の中に「永遠の繁栄」をなんてものはないのである。 |
総倒れの話 2015/01/06 Tue 4431
出生数が年間100万人を切ろうとしている。その一方で、高齢者はどんどん増加していく。こうした現状では、それを支える基盤が崩壊するのは時間の問題である。私のような団塊世代の人間にとって、出生数100万人切れは衝撃的なのである。「手を拱いているうちにとうとうここまで来てしまったか」。そんな思いが走る。そもそも「団塊の世代」とは元官僚で作家・評論家の堺屋太一氏が名づけたもので、1947年から19年の3年間に生まれた世代のことを指している。まずは1947年に267万人が生まれ、1948年は268万人、そして最後の1949年が269万で終わる。これを合計すると800万人を超えるのである。
とにもかくにも、その世代がすべて前期高齢者となったのである。このまま放置しておけば、わが日本国は国内の事情から崩壊することになる。地方の過疎化が問題になって数十年、「地方創生」という耳あたりのいいスローガンが聞こえてくる。しかし、「地方の時代」と言われはじめたのは、それがいつだったかも思い出せないほど大昔のことだ。それにも拘わらず、ここまで来てしまった。いまでは、どこから手を付けていいかわからないほど、問題は深刻化している。
教育においても、少子化に伴う学校の統廃合が現実のものとなっている。これから先にどうするかで議論が沸騰している。誰一人として、「自分のところから学校がなくなってもかまわない」などと思うはずがない。しかし、その一方で、少なくとも、いまある形で「すべてが存続できない」こともまた明らかな現実である。しかも、関係者の「すべてが満足できる解決策がない」ことも、また厳しい現実なのだ。学校の統廃合は「無数にある深刻な問題」の一つのケースに過ぎない。しかしながら、一つひとつの「解決」を先送りしているうちに、気がつけば「総倒れ」になってしまう危険性は高まるばかりである。 |
人口のよくない話 2015/01/05 Mon 4430
昨年の暮に、熊本県の人口が34年ぶりに180万人を切ったというニュースが流れた。わが家が熊本にやってきたころに180万人を超えて、その後は186万人くらいまではいったはずだ。ニュースによれば、全人口のうち、65歳以上の高齢者が28.0%を占めていたという。私が生活している熊本市には大学や高校も多いから若者も多い。しかし、計算上では、4人に1人以上が私を含む高齢者なのである。さらに衝撃的なのは、14歳以下の子供たちは13.7%しかいないのである。わが町内会でも、「小学生が15人だ」と言って驚いていたが、これも実態を反映しているわけである。そもそも熊本県は高齢化のスピードが速いとは聞いていた。しかし、それは程度の問題であって、この傾向は全国的なものである。
こうした状況のもとで、国として存続していくためにはどうすればいいのか。こうなることは、もう何十年も前からわかっていたことである。たしかに、ことあるごとに「何とかしないといけない」と言われてはいた。しかし、それはいつもかけ声倒れで、その具体的な対応はいつも先送りにされてきた。政治が、そして国民が自分たちの身を切ることを回避し続けてきたからである。その責任の相対的な軽重はあるだろう。例えば政治が悪い、官僚がひどい等々…。しかし、その政治家を選挙で選んだのは国民なのである。いずれにしても、これまで考える時間はあったにもかかわらず、われわれはまともに対応しないままでここに至っている。そのツケが次のいくつかの世代にまで及ぶことは誰もが否定できなくなってしまった。そうしたなかで、昨年の出生数も相当に深刻な数値だった。新生児が100万と1,000人だったというのである。いつだったか、私も本欄で出生数が100万人の大台を切ることを憂慮した記憶がある。それがもう現実のものとして目前に迫ってきたわけだ。あとは時間の問題で、それが今年になる可能性はきわめて高いのである。 |
町内会のいい話 2015/01/04 Sun 4429
わが家が熊本に住みはじめたときから、町内会の責任者は、あるお宅がその役割を担っている。現在は三代目である。こうした人たちがいないと、「餅つき」や「花見」も含めて、地域での活動は存続しえないのである。
また、町には民生委員がいる。こちらは法律に基づいた民間の奉仕者で、非常勤の「特別職地方公務員」とされている。民生委員は児童委員を兼ねており、地域の子どものために活動してもらえる。民生委員の方々がそれを望んでいるのだが、その活用は個々の学校次第だという声を聞く。そもそも、一般の人たちにも目立たない。全国的に地域力が低下しているなかで、こうした人材を活かすことも考える必要がある。とにかくもったいない。
さて、わが町内会の餅つきは、昨年暮れに、いつもの公園で開催された。餅つきは10時の開始で、家内と私は10時30分を回ったころに出かけた。前の日から準備されたと思われる広いテントの中に入ると、まずは町内会のメンバーとして、つきたてのお餅一袋をいただく。それから豚汁と餅のサービスを受ける。醤油やきなこの定番に、納豆付きもある。そもそも納豆好きの私だが、餅ともピッタリ合うので嬉しくなる。それを食べながら、顔見知りの方と言葉を交わす。それが終われば、自宅で食べるお餅を買って帰るという段取りである。
今回は、わが家が熊本に来た35年以上前から知っている、元ご近所の方と久しぶりに会った。当然のことながら、大昔の話に花が咲く。その中でも、「町内に小学生が15人しかいない」という情報は衝撃的だった。私たちが小中学生の親であったころは、もちろん正確なことはわからないが、100人くらいはいたはずだ。それがわずか15人だというのだ。しかも、私たちが住んでいた公務員アパートは、それほど遠くない時期になくなる運命にある。ここだけで90軒あるから、その後はさらに子どもがいなくなることだろう。いまや都市部も含めて少子化は現実のものになっているのである。 |
餅つきのいい話 2015/01/03 Sat 4428
餅つきは特別の行事になった感がある。わが吉田一族が年末に集まって餅つきをする慣習があった。北九州の伯父の家には、石臼はもちろん、杵もちゃんと常備されていた。そこで若い者たちが婚約者を連れていき、親族一同に紹介するという習わしのようなものもあった。私の場合も、そのしきたりにしたがった。そんなわけで、結婚式当日に親族が初めて対面するというケースはほとんどなかった。しかし、その餅つきも高齢化の波とともに消滅した。それはつい最近のことではなく、前世紀末だったと思う。何分にも棟梁である伯父が明治生まれ、その弟分である親父たちも大正の人間なのである。その子どもたちの世代が我々なのだが、それでもけっこうな年に達していた。そんなわけで、伯父たちが餅つきを止めると言い出したとき、次の代から「引き継ぎ」の宣言は出されなかったのである。
こうした変化する時代にあって、私が住んでいる町ではいまでも餅つきをしている。今日では、「町内会」ということばは死語化しつつあるのではないか。そんなとき、わが町内会は「餅つき大会」を実施し続けているのである。それだけではない。春には「花見の会」もあるのだ。これには、組長や地区係のボランティア精神が大いに貢献している。それに、こうした行事を仕切る地元のリーダーの力がきわめて大きい。わが家は熊本に来た1979年10月からずっと同じ町内会のメンバーである。当初は公務員宿舎に入って、そこで足かけ20年間を過ごした。それから50歳になる年、同じ町内に建ったマンションなるものに引っ越した。この町が気に入って、終の棲家も同じ町内でというのが家内と私の一致した意見だった。そして、この町での生活が35年を超え、私も無事に熊本大学を定年退職した。 |
リーダーシップのいい話 2015/01/02 Fri 4427
世の中には無数の仕事があって、無数の素晴らしい関係が生まれている。また、私が仕事にしているリーダーシップについても、楽しく素晴らしい話に充ち満ちている。野球評論家の梨田氏が夕刊のコラムを連載している。あるとき、日本ハムの稲葉選手を取り上げていた。彼は仕事で一切手を抜くことはなく、真摯な姿勢で野球に取り組み続けた。梨田氏によれば、その姿は選手の鑑だったという。
梨田氏が監督だったときである。稲葉の守備位置を外野から一塁に変えた。それは、外野として若手が育ってきたからであった。しかし、それだけがコンバートの理由ではなかった。稲葉選手は攻守交代のときに全速力で外野に走って行くのを常としていた。しかし、これを繰り返していると体力を消耗する。それほど勢いよく走っていたわけだ。しかし、それなりの年齢に達していたこともあって、その後のプレーに差し支える心配もあった。しかし、監督が「全速力はやめて、少し手を抜け」などと言っても言うことを聞くような選手ではない。そう思って梨田氏は、少しでも負担を減らすために、ベンチに近い一塁に守備を変えたと言うのである。いやあ、何とも素晴らしいリーダーシップであることよ。自分の言うことをすんなり聞かない部下には、それに対応した働きかけをする。そんな監督の配慮を稲葉選手も十二分にわかっていたのではないか。
ところで梨田氏が近鉄バッファローズの監督だった2001年には、代打・満塁・逆転・サヨナラホームランでリーグ優勝を決定している。こんなことが現実にあるのだ。このときのことを私は「奇跡は求める者にのみ起きる」とタイトルを付けて寄稿した(熊本県労働基準協会報
2001/11/15)。このときは、阪神で活躍できずに移籍した北川選手を起用した結果だった。あくまで結果論ではあるが、梨田氏の選手に対するリーダーシップを想わせる。 |
いつまで… 2015/01/01 Thu 4426
あなたはいつまで本を読み続けるのですか? それは、私が本を読めなくなるまで。
あなたはいつまで考え続けるのですか? それは私が考えられなくなるまで。
あなたはいつまで仕事を続けるのですか? それは私が仕事ができなくなるまで。
あなたはいつまで話し続けるのですか? それは私が話せなくなるまで。
あなたはいつまで人の話を聞き続けるのですか? それは私が人の話を聞けなくなるまで。
あなたはいつまで歩き続けるのですか? それは私が歩けなくなるまで。
あなたはいつまで笑い続けるのですか? それは私が笑えなくなるまで。
あなたはいつまで文句を言い続けるのですか? それは私が文句を言えなくなるまで。
あなたはいつまで食べ続けるのですか? それは私が食べられなくなるまで。
あなたはいつまで心配し続けるのですか? それは私の心配ネタがなくなるまで。
あなたはいつまで「味な話の素」を続けるのですか? それは私が「味な話の素」を書けなくなるまで。
あなたはいつまで生き続けるのですか? それは私の命がなくなるまでですよね。
そのとき、あなたはどうするのですか? もちろん、いまどうするかはわかりませんが、いまをただひたすら一生懸命に生きるだけ。
そもそも、「ああ、これでおしまい」なんて、自分にだってわからないんですよ。
だって、毎日のことなのに、自分が眠った瞬間すらわからないじゃないですか。
人生の最後が「わからない」で終わるのって、ちょっと楽しくすてきだと思いませんか?
そのあと、あなたはどうするのですか? そんなこと、考えることもないでしょうよ。 |
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