味な話の素  Since 2003/04/29 
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 2014年11月号 No 139 4359-4390
夕刊② カナカナ見聞録(3)  2014/11/30 Sun 4390 Continued from 11/7
 じつは、今朝の本欄「ことばの力」は、「カナカナ見聞録」シリーズの「仕込み」という魂胆があった。
 NHKのニュースは、谷川俊太郎氏の人を動かす影響力のすばらしさについて伝えていたのだが、そのなかで谷川氏自身にもインタビューが行われていた。その際に、氏はことばの力によって人が勇気づけられるといった趣旨のことを話していた。そのときである。前後のことばは聞き取れなかったが、私の耳に「…復活するんじゃないカナ」という声が飛び込んできた。いやあ、その瞬間の嬉しかったこと。あの日本語のスーパープロが「カナ」を使ったのである。おそらく、「ことばによって生きる気持ち、前向きの気持ちが復活する」といった趣旨だったのだろう。そんなことから、文脈的には「かな」を使っても問題にはならない。しかし、私としては何と言っても谷川俊太郎氏なのだから、「復活するんですね」「復活するんだと思います」くらいの表現にしてほしいと思ったわけだ。「ことばの力」をテーマにしていることを踏まえれば、もっと「言い切って」いいのではないか。あの谷川氏が「カナ」を使うのを聴いて、「これは『味な話の素』のネタになるな」と思いながらにやりとする私がいた。
 
 
ことばの力  2014/11/30 Sun 4389
 谷川俊太郎氏は多くの方がご存じだろう。日本を代表する詩人であり、絵本の作家としても活躍している。子どもたちが使う教科書にもその作品が収録されている。また、試験問題にも使われることも多く、それにまつわるエピソードも興味深いものがあった。それは、谷川氏の作品「天の瞳」の一部が試験に出され、完読していた高校生が、全体の内容を踏まえて答えを書いたら減点されたという話である。谷川氏から見れば、高校生の解答の方が正しいのである。また小学生の解答についても谷川氏は嘆く。それは小さな穴に落ちてしまった犬を助けようと子どもたちが、あれやこれやと努力する物語「ろくべえまってろよ」にまつわるものである。このとき、試験でその穴の深さを問われて、小学2年生の子が、具体的に3m45cmと書いた。しかし、これが「✕」だった。教師によれば、「そんなことはどこにも書いていない」というのである。
 谷川氏は「こんなところまで一生懸命に考えてくれた子どもがいとしい」と思うのである。
 ところで、11月14日のNHKニュースで、谷川氏の作品にスポットが当てられていた。朝のニュースだから、しっかり聞いている時間ではない。ただ、それは「ことばのもつ力」に焦点を当てたものであった。そのなかで、谷川氏の作品が「生きる意欲」を生み出してくれたことが、ある女性から語られていた。わたしも、ずいぶん前から「ことばは人間理解最強の道具」であることを強調してきた。ただし、それは「人間誤解最悪の凶器」になり得ることも認識しておかなければならない。「ことば」がもっている、この「両刃の剣的性質」を忘れてはならない。いずれにしても、「ことば」の力で多くの人々に影響を与えた谷川氏はすばらしい。
 
YMさんへの手紙(4)  2014/11/29 Sat 4388
 7)「安全文化・規範」について、その定義を明確にし、組織の現状を明らかにできる尺度を構成する。これにについても、結果をもとに、その改善向上を図る技法を開発する。ここで「規範」とは、すでに述べた「6)企業倫理」の「職場の常識」とも共通する、あるいは同じものだと考えていい。
 8)従業員が仕事に専念できるように、家族も視野に入れた働きかけを考える。たとえば、家族が抱える問題について相談できる窓口を開設する。この場合も大規模なものではなく、メールを活用するといった方策を採ることができる。ここでも第三者(機関)が対応する方が望ましいかもしれない。
 9)どこからでも、いつでも上申できる「メール版目安箱」を設置する。ただし、上申者が特定できない匿名システムを構築することが期待される。あるいは、信頼できる第三者(機関)を経由することも考えていい。提出された意見に対しては、会社として具体的な対策等を可能な限り速やかにフィードバックすることが必要である。
 10)会社のトップ層が従業員と直接的な関わりを持つよう努める。具体的には、トップ層が従業員とメールで「直接」コミュニケーションをとる機会を設定する。もちろん、短期間にすべての従業員をカバーすることは不可能に近い。そこで、くじ引きの要領で月に10名程度の従業員を選び、トップがメールで直接対話する。こうした方法をとれば、10人のトップが仕事を分担することで1ヶ月に100人と「対話」することができる。その結果、1年では1,200名とのコミュニケーションが可能になる。さらに、その対象を家族にまで拡大することも考えられる。
 11)地域住民など一般人の疑問に答えるQ&Aホームページを立ち上げる。これについても、可能な限り速やかに回答を行うよう努める。
 ここまで4日間に亘って掲載した内容は、5年ほど前に、私がYMさんへ提示したものである。そのなかには重複があったり、現在では実現しているものもある。私としては、自分の頭の整理として本コラムに書いておこうと思ったわけだ。
YMさんへの手紙(3)  2014/11/28 Fri 4387
 5)組織構成員の仕事意欲や生活満足度、対人関係、精神衛生などを定期的にチェックする「健康診断システム」を構築する。こうした「診断」は項目が多くなる傾向がある。そうなると「この忙しいのに…」といった抵抗も出てきて、「診断忌避」が起きたり、「適当な回答」で済ませようとする気分になる。この種のものに適切な項目数の基準などはないが、まずは軽く10個程度のものが入り口にあるくらいでいい。その結果として「気がかり」な状況であれば、さらに次の段階まで掘り下げた質問項目を準備すればいい。
 6)企業倫理に関しては、その定義を明確にし、各職場の現状を把握するための尺度を開発する。また、問題点を改善するための具体的な研修方法について検討する。なお、倫理的行動の定義については、それが時間や状況と共に変化することを考慮し、継続的に検討を行うこととする。倫理と密接な関係をもっているものに「コンプライアンス」がある。今日では誰もが知っている組織の基本用語である。ただし、これを「法令遵守」と呼んだりするために、「法律さえ守ればいい」などと誤解する向きもある。そうではなくて、「コンプライアンス」は「常識遵守」とでも言うべきものなのだ。組織のみんなが「当たり前のことを当たり前に行う」。これこそが、組織の安全を保証することになるのである。
 6)「組織内コミュニケーション(風通し)」の現状をチェックできる尺度を作成し、それによって発見された問題点を解決するための具体的な方策を探求する。その「風」は組織の上から下へ、下から上へ、さらには左右前後にも流れていかなければならない。それこそが、安全に取って欠かせない「情報共有化」にもつながるのである。
 
YMさんへの手紙(2)  2014/11/27 Thu 4386
 昨日からの続き。
 2)上記にも含まれるが、とくにマニュアルおよび社内規準については、担当者が不具合を感じた場合には、それが速やかに修正できるシステムを構築する。いわゆる社内の「マニュアル電子掲示板」といったものの開設も、その対策と考えられる。これによって、マニュアルは継続的に間断なく修正されることが当然のこととされる。もちろん、勝手に修正されて、それが確定するのでは混乱が起きるし、そもそも危険である。そこで、たとえば担当者がホームページの中でマニュアルを仮想的に書き換えることができるようにする。そして、それが職場の責任者をはじめとしたメンバーから評価されるようであれば、そのまま新しいバージョンにすることなどの方策を考える必要がある。
 3)「社外」にも従業員の「悩み相談窓口」といったものを設置する。ただし、これは大がかりなシステムでなくていい。たとえば、会社と契約した第三者(機関)に「メール」を活用して相談することなどが考えられる。もちろん、当該機関との間に守秘義務等についての既定を盛り込んでおくべきことは言うまでもない。ここでキーになるのは「第三者」という点である。
 4)管理職のみならず一般の構成員に対しても、定期的に「安全教育・研修」を実施する。これには「対人関係」「コミュニケーション・スキル」「集団づくり」にかかわる内容を含めることとする。こうした試みは、とりわけ、新入社員や入社後数年のメンバーたちのモラールを維持し、向上するために重要な役割を果たす。
 もちろん、組織のトップにも、その地位と責任に応じた研修等が欠かせない。「トップ自らが『変わる』意欲と姿」を見せることが、最大の影響源である。
YMさんへの手紙(1)  2014/11/26 Wed 4385
 ある方から組織において安全文化を育てるための会議への参加を誘われた。私としてはそのオファーに喜んでお応えしたかったが、生憎と都合が付けられなかった。そこで、予めいただいていた報告書に目を通して、私としての意見をお伝えした。最近、ファイルの整理をしていたところ、そのときの文書が出てきた。そこで何気なく読み返してみたのだが、私なりに組織安全を確立するためのヒントになるようなことを書いていた。それは、少なくとも5年ほど前のことである。その後、HSさんはご退職になり、お互いに連絡を取り合うことはなくなった。そんなわけで、十分に時間が経過していることでもあり、私がその当時からもっていた「安全文化醸成」に対する考え方の一端をお伝えしたいと思った。この「味な話の素」は好き勝手に書いているが、このところ「本職」のグループ・ダイナミックスに関わる内は無沙汰気味である。そこで、私の大事な仕事である「組織の安全」に関わるものとして、このあたりで取り上げておいた方がいいと考えたわけだ。
 本日の会議は失礼いたします。お送りいただいた報告書を拝見して、思いつくことを順不同で挙げてみました。ご採用いただけるものがあれば幸いです。実り多い会議になりますようにお祈りいたします。
 1)協力会社を含む従業員が、仕事に関する疑問や提案を出せるホームページを開設する。 ここに出された疑問に対しては可能な限り回答する。また、提案についても具体的な対策を提示する。ここで、いわゆるボトムアップを重視する姿勢を明らかにすることが望まれる。それが、組織構成員から好意的に受け止められることで、さらに組織の「風通し」がよくなる。そして、すべての構成員が疑問や提案とそれに対する解決策や対応策についての情報を共有することができる。
〝満66歳〟からの連想  2014/11/25 Tue 4384
 力道山が突如として蘇る。ほとんど断末魔に近い状態からの復帰は、まさにスーパーマンもビックリだったに違いない。この上なく卑劣な悪魔の攻撃に打ち勝って、正義を実現した。テレビを観た夜は、そのイメージが頭にこびりついて、床に入ってもしばらくは寝付けなかった。あれは金曜日の8時から「三菱ダイヤモンドアワー」として隔週に放映されていた。その間は「ディズニー・アワー」だった。いまから考えると、「プロレス」と「ディズニー」とは、何とも奇妙な組み合わせだった。もっとも、どちらも老若男女を問わず、当時の日本人に「夢」を与えてくれたことは間違いない。
 ともあれ、そんな「プロレス」体験を繰り返していたのに、あれが「演出付きのショー」だというのである。そんな冷たい現実を私に突きつけたのが〝Route66〟だった。そのときのショックは、文字で表現できる範囲をはるかに超えている。
 その後、NHKのラジオ英会話で大杉正明講師が番組に〝Route66〟を取り上げたときは感激した。大杉氏は私より一つ上の団塊世代であり、勝手に連帯意識を感じた。道路としての〝Route66〟はすでになくなっていることも放送で知った。
 さて、私は先月で満66歳になった。そのとき、「ああ、とうとう〝Route66〟になったんだあ」と思った。道路のナンバーと年齢は無関係だが、私にとって〝66〟は心に残る数値なのだ。じつは、この4日間の話を書くきっかけは、そう思ったことにある。これを同じ年代の友人に話したら、「それなら、次は〝サンセット77〟を目指すわけね」と言われてお互いに笑った。テレビの〝サンセット77〟も私たちにとって忘れられない子ども時代の思い出番組である。ただし、〝サンセット〟というのはちょっと引っかかりはする。しかし、もしも喜寿まで元気でいることができれば、それだけで大感謝すべきではないか。そして、彼岸は近いのだから、〝サンセット〟が視野に入るのは当然のことである。人間は欲張ってはいけない。いつまでも、「ありがたや、ありがたや」。
 
力道山と悪魔  2014/11/24 Mon 4383
 私が小学生のとき、プロレス界に「力道山」という英雄がいることを知った。その人気は揺るぎなく、〝Route66〟を見ていたころも続いていた。この世に生まれたときから、いやその前から悪魔だったに違いないと思える外国人の悪者レスラーたちが、反則技を繰り返しながら力道山を責めまくる。その反則もエスカレートして、卑怯にも凶器まで使う始末。その巧妙な手口にレフリーも気づかない。もう少し正確に言うと、観客も視聴者も全員が気づいていたが、なぜかレフリーだけにはわからないようだった。そしてついには力道山の額からは鮮血がほとばしる。テレビでこの壮絶なる修羅場を観ていた老人がショック死するといった悲劇すら起きるほどだった。許せない、絶対に許せない。そんなストレスが止めどもなく高まっていく。しかし、それでも悪魔レスラーは卑劣な攻撃を止めようとしない。ひたすら痛め続けられる力道山、まさに危うし。この世に正義なんてなかったのか、神はいないものか。
 そんなあきらめの境地に達しようとした、そのときである。わが力道山が渾身の力を振り絞って猛然と反撃に出るのである。これまで痛めつけられたダメージはどこにいったのか。もうそんな詮索などしている余裕などない。とにかく伝家の宝刀「空手チョップ」の嵐に、悪魔たちがリング上でのたうちまくる。テレビで観ていても、会場が騒然としていることが伝わってくる。それいけ、やれいけ力道山。そして、テレビ放送が終わろうとするギリギリのところで、必殺の逆エビ固めに入る。たちまちのうちに悪魔の顔が歪み、苦痛にマットを叩く。「ギブアップ」である。また、空手チョップで昇天した悪魔に力道山が覆い被さることもあった。レフリーの声が響き渡る。「ワン、ツー、スリー」。力道山は悪魔に勝利し、正義は実現された。やっぱり神様も仏様もいたのだ。わが心臓の高鳴りは容易に静まることはなかった。
 
夕刊① 生徒からのメッセージ(1)  2014/11/23 Sun 4382
 ある中学校の行事で余興として、生徒たちを前に教職員がコーラスを披露した。指揮を執ったのは校長である。これに対して146名の生徒たちからメッセージが寄せられた。これがなかなかおもしろいのである。とりわけ校長の指揮は相当に受けたらしく、多くの生徒が取り上げている。ちょっと長丁場になるが、「夕刊ネタ」として少しずつご紹介していこう。

1)校長先生は、今年も指揮をされてお疲れさまでした。伴奏としっかり合っていて、「2年目ともなると違うなあ」と思いました。足の動きもリズムに乗って、演奏を楽しんでいらっしゃる様子が伝わってきました。
 文面から察するに、この中学校では「校長が指揮する職員コーラス」がはじめてではないことがわかる。校長の年齢は50代前半らしいが、年齢相応に動いていたのだろうか、あるいはそれ以上だったのか。

2)校長先生は、赤いちょうネクタイがとても似合っていて、かわいかったです。指揮のときも、曲に乗っていて、すばらしかったと思います。
 このとき校長は蝶ネクタイまで着けさせられていたようだ。そこが「かわいい」と評価されたのだから喜ぶべきか。それにしても、「校長」が「かわいい」ってどんな感じなんだろう…。
〝Route66〟の衝撃  2014/11/23 Sun 4381
 私が中学生のころは、担任が「バイク」という「自家用車」で通っていること自身が珍しかった。そもそもわが家に冷蔵庫がやってきたのは中学2年生か3年生のときだった。自宅で氷ができる。それだけでワクワクした。扇風機の方がさらに遅かった。学生服を着て高校から帰ると、風量を最大にして扇風機に当たる。これで「これでもうあの世にいってもいい」という気分になった。白黒テレビにしても、中学生になるまで自宅にはなかった。そんな状況だから、「車」なんて話題にもならないものだった。それでも、高校生のころになってからだっただろうか、富士重工から「スバル360」という、その名の通り360ccのエンジンを搭載した「乗用車」がデビューした。これを機に、「マイカー」で通勤する人がボチボチ出てくるようになる。
 そんな時代に、若者二人が最新のスポーツカーでアメリカを東から西に突っ走るのである。シカゴなどの市街地には高速道が縦横に走る。それも異国情緒溢れる景観に見えた。その当時、日本には1本の高速道路すらなかった。ようやく東京に都市高速道路が登場したのは、私が高校1年生のときである。その年の10月に東京オリンピックが開催されたのだ。都市間を結ぶ本格的な名神高速道路も同じころに開通した。そして、東海道新幹線も10月1日に走り始めた。あれから今年は50年にもなる。
 ともあれ、それ以前の中学生がどんな気持ちでテレビ番組〝Route66〟を観たか。今となっては、想像していただくほかはない。もちろん、テレビ番組の内容は忘れてしまった。ただし、そのうちの1回分だけは私に強烈なショックを与えた。その衝撃はすさまじく、いまでもそのことが蘇ってくる。それは「プロレス」にまつわるエピソードのときだった。そのなかで、「プロレスは、いわゆるショーである」ことが強調されたのである。それは「八百長」ではないにしても、「台本のあるショー」だというのだ。
 
Route66  2014/11/22 Sat 4380
 私と同世代であれば、多くの方が〝ROUTE66〟というテレビシリーズがNHKで流されていたことをご記憶だろう。私はまだ中学生だった。二人の若者がスポーツカーに乗ってアメリのシカゴからロサンジェルスへ旅をする。その道が〝Route66〟、つまりは「国道66号線」である。日本には「東海道膝栗毛」で有名な弥次喜多道中がある。江戸から東海道五十三次を経て伊勢神宮、京都、そして大阪に至る。その途上で様々な事件に出会うという筋立てである。こちらは滑稽本と呼ばれるように、弥次郎兵衛と喜多八の「珍道中」だが、アメリカ版はけっこう真面目な若者に起きるエピソードが毎回のテーマだった。主役はマーチン・ミルナーとジョージ・マハリスで、そのビートのきいたテーマソングをマハリスが歌っていた。これはジャスでも定番のようで、ナット・キング・コールも歌っているが、私の耳にはジョージ・マハリスの声が未だに聞こえてくる。また、ミルナーの声は愛川欽也だったこともしっかり憶えている。かなり後になってテレビで愛川欽也を見たとき、ミルナーとのギャップの大きさに笑ってしまった。おっと、こんなことを言っては、愛川さんに悪いですね。ごめんなさい。
 ところで、ウィキペディアでチェックしてみると、ミルナーは御年82歳、マハリスに至っては何と86歳で健在である。私が中学生のころの青年だから、そんなものなんだと、妙に納得した。私の記憶には若者の顔しか残っていないのである。
 それにしても、オープンカーでドライブなど、日本人には天上の出来事だった。中学3年生のときの担任だった有田先生がバイクで通勤されていた。小太りの中年でいらっしゃったこともあって、生徒たちは「月光仮面」とあだ名して喜んでいた。
「カモ」だってアウトだよ!  2014/11/21 Fri 4379
 少しばかり前のことになるが、愛知県のある市議会での質問が問題になっていた。市議の一人が「婚姻届をいただいた方にはですね、来年のプレミアム、十周年ベイビーを望むと言って、穴の開いたゴムをですね、配ったりですね」といった発言をしたというのである。さらに「自然薯で、もういっちょだとか、小粋な十周年に向けて、もうひとりとかですね、市民が、ニヤッとしていただけるようにですね、ピーアールの方法はいくらでもあると思うんですよ」といったことも言ったという。さすがに調子に乗りすぎてはまずいと思ったのか、話の前後に付け加えているらしい。「また、こういうことを言うとお叱りを受けるんですが」とか「いまの言い方は少し語弊があるのか、不謹慎な発言だったカモしれませんが」と言ったと報道されている。おそらく、ご本人としては単純に「受け狙い」のつもりだったのだと推測する。しかし、その点が「予想どおり(?)」に問題となってしまった。そこでマスコミの取材に対しては「申し訳ない」と謝罪したという。
 こんな話を聴いても、あまり驚かなくなった。つまりは、いつものよくあるパターンなのであり、それがいつまで経っても繰り返される。議員は議会で言論によって大事な問題を議論する。それが仕事であることの認識がとにかく薄い。言論で勝負するのなら、自分の発言が顰蹙を買うくらいのことを想像できるくらいの力はもっていてほしい。そして、私としては、こうした謝罪の際にも「不謹慎な発言だったカモしれませんが」などと言うのである。こんなときに「カモ」なって使ってはいけない。今回は、私がいつも文句を言っている「カナ」ではないが、「カモ」だって同じことである。どうして「不謹慎な発言でした」と断定できないのか。実際、「不謹慎な発言」なんですから…。
葛湯と電気ポット  2014/11/20 Thu 4378
 全日空のラウンジで葛湯をうまくつくれなかった。私はその理由がお湯の温度であることを確信していた。それは子どものころからの経験的知識だったからである。電気ポットのお湯が正確に何度なのかはわからない。たしかに、一時的には「グラグラ」と沸騰する音が聞こえる。まさに、そのときのお湯を使えば「葛湯づくり」もうまくいくはずである。しかし、沸騰点に達するとポットは保温状態になる。そうなってしまうと、「葛湯づくり」に欠かせない温度は失われるのである。
 そうした事情は置くとして、目の前にある葛湯をどうしても味わいたい私は、係りの女性に「熱湯はないの」と声をかけたのだった。これに対して彼女は「ポットのお湯をお使いください」と言ってにっこり笑った。私には、彼女が穏やかな表情をつくろうと意識していることはわかった。しかし、私はそこから「やれやれ、このおじさん(あるいはおじいさん?)、葛湯もつくれないんだあ」という雰囲気を感じていた。それから彼女は「こちらでおつくりいたしますので、しばらくお席の方でお待ちください」と私に優しく伝えた。こうして、私は葛湯ができあがるのを待つだけの身となった。ところが、彼女はなかなか葛湯をもってこないのである。「お湯をかける」だけなら1分の仕事である。私には、向こうで起きている状況が確実に推測できた。お湯の温度が不十分で「葛湯が液体状になってしまう」のである。そして、私の主観的な時間では10分ほども経過してから「葛湯」ができあがってきた。私は「どうもありがとうございました」とだけ言って、舌が「アッチッチ」にならない「葛湯」を楽しんだ。
 それからしばらくしてからのことである。私が確認できる限り、福岡空港のラウンジに葛湯は置かれなくなった…。
 
葛湯の物語  2014/11/19 Wed 4377
 冬の暖かい葛湯が好きだ。その楽しみはホットミルクと並ぶ。そして、今年もその季節がやって来た。子どものころは、ホンモノではなくて片栗粉だった。熱湯を注ぐコツがあって、首尾よくいけばとろりとしたなめらかな出来になる。ここでは柔らかすぎず、固すぎずがポイントだ。ちょっと油断すると塊ができてしまう。日本も豊かになって、私も本物の葛湯を楽しむことができる。ただし、純粋に本葛からできた製品はけっこう手に入らない。つい先だって買ったのは「澱粉・くず粉」となっている。つまりはまがい物である。そこで熊本駅近くにある本格的な和菓子屋に出かけた。そして、きっちり本物を手にい入れた。もちろん、すぐに試してみたが、十二分に満足できたことは言うまでもない。ただし、それまでの「澱粉・くず粉」製品と明確に区別できるほど、私の味覚がしっかりしているわけでもない。しかし、それはそうだとしても、「とにかく『ホンモノ』なんだあ」という満足感はある。こうして、この冬もホットミルクと葛湯で朝の仕事に取りかかることができる。ありがたや、ありがたや。
 ところで、葛湯についてはおもしろい体験をした。もう一昨年になるかと思うが、福岡空港にある全日空のラウンジに葛湯が置かれていたことがある。それを見て私が喜んだことは言うまでもない。さっそく葛粉をカップに入れた。そしてポットからお湯を注ぎはじめたのはよかったが、お湯の温度が不十分なことに気づいた。何と言っても子どものころからの好物である。本来は熱湯でないとうまくいかないことは知っている。そこで、係りの女性に声をかけた。「すみません。葛湯がうまくできないんですが、熱湯はないんですか」。これに対して彼女はにっこり笑って答えた。「ポットのお湯をお使いください」。このときに彼女が見せた表情が印象的だった。
安藤延男先生  2014/11/18 Tue 4376
 先月の21日に、九州大学名誉教授の安藤延男先生がお亡くなりになった。享年85歳、老衰とのことであった。まさに天寿を全うされたのである。ご葬儀の日は出張が入っていた。また通夜も夕刻まで熊本で仕事をしていたため、遅くなってお伺いした。そのため、皆さんが会葬される時間には間に合わなかった。それにしても新幹線の効果はさすがで、20時を少し回ったが葬儀場につくことができた。まだ数人の方がいらっしゃるといった雰囲気だった。そのときは、祭壇の前に、先生のお嬢さまがおられた。そこで自己紹介を氏、しばらくお話をすることができた。おそらく20分近くにもなったかと思う。皆さんが会葬だれる時間であれば、お花を捧げただけで帰っただろう。その点では、むしろ遅れたために、しっかりお話しができたのである。安藤先生はクリスチャンでいらっしゃったから、焼香ではなく献花であった。
 私との関係だが、先生はグループ・ダイナミックス講座の大先輩である。というよりも、私たちの世代にとっては、大学性になったとき、すでの九州大学の先生でいらっしゃ。戦前生まれの方としては、堂々たる体躯の持ち主で、身長も180cmは越えておられたのではないかと思う。それにもかかわらず、優しい目でゆったりと語りかけられるから、威圧感といったものはまったく感じなかった。まだ1960年代のころ、ブリヂストンタイヤの職長さんの研修でご一緒したのが、本格的にお付き合いいただいた最初の出会いだった。当時、研究テーマの一つになっていた「感受性訓練」のトレーナーを務められた。私はそこで観察者として参加して、その進行経過を記録する役割をになった。こうした体験がいまの私に繋がっている。心から、先生のご冥福をお祈りし、ご恩義に感謝申し上げます。
グレースの大芝居  2014/11/17 Mon 4375
 「グレース・オブ・モナコ」に登場した、当時のフランス大統領ド・ゴールもヒッチコック並のそっくりさんだった。さらに、アメリカの国防長官、ロバート・マクナマラも出てきたが、やはりそれらしい雰囲気を漂わせていた。彼はケネディ大統領のときに国防長官になり、大統領が暗殺されたあとは、政権を引き継いだジョンソン大統領の下でも職にあった。あのベトナム戦争でも軍事の責任者として仕事をした。北ベトナムへの爆撃停止と軍事介入の縮小を提起したことがジョンソン大統領の方針と合わずに、途中で辞職している。じつは、私は熊本でこのマクナマラ氏を目の前で見たことがある。それについては、2004年2月から3月号にかけて、このコラムで触れている。お時間とご興味がある方は「バックナンバー」から覗いてみていただきたい。とりわけ、「マクナマラ氏と遭遇」は2月23日で、本欄がまだ311回目という乳幼児期である。
 ともあれ、思惑が飛び交う国際舞台の下で、グレース王妃は華麗なる演技を披露するのである。それはスクリーンの上での演技ではなく、まさに国運を賭けた本物の大芝居だったわけだ。その彼女は、別荘から自ら運転してモナコに帰る途中に脳梗塞を発症し、車ごと崖から転落して亡くなってしまった。享年52歳というから、これまた若すぎる死であった。その際は次女と同乗しており、彼女が運転していたといううわさもあったという。
 そこで思い出されるのが、イギリスのダイアナ妃である。彼女はすでにチャールズ皇太子と離婚していたが、1997年8月31日のパリで、自動車事故によって亡くなってしまった。こちらも、事故死にまつわる陰謀説も含めていろいろな情報が飛び交った。享年36歳という。私はいま、ダイアナ事故死のニュースを伊勢原市のホテルで見たことを思いだした。
 
ヒッチコックと熊倉一雄  2014/11/16 Sun 4374
 テレビのシリーズでは、ヒッチコックの声が熊倉一雄だったことも懐かしい。いまでもあの「ヒッチコック」の言い回しが耳に残っているのだから、声優も大したものである。熊倉一雄はNHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」では、トラヒゲの声を演じていた。現在も87歳で健在だという。そう言えば、「ひょうたん島」の初代ドン・ガバチョは藤村有弘だった。彼は無茶苦茶にいい加減な「外国語」らしきものを操るのが売りだった。いかにもフランス語、いかにも中国語にイタリア語といった感じで「多国語」を操るのだが、じつはすべてでたらめという趣向である。これがじつに楽しかったが、何と48歳で急逝したときは驚いた。惜しい人材だったが、その後のドン・ガバチョは名古屋章が引き継いだ。いずれにしても懐かしい。
 さて、モナコ王妃になったグレース・ケリーのところへ、ヒッチコックがやってくる。そして、「アーニー」へ出演するよう誘うのである。そんなことがあったとは、「グレース・オブ・モナコ」を観てはじめた知った。映画「アーニー」はビデオで鑑賞したが、私としてはなかなの出来だったと思った。その前にヒッチコックが監督した「サイコ」と同じ流れの心理ものである。さて、映画の「グレース・オブ・モナコ」だが、これもなかなか興味深い内容だった。そもそもモナコはカジノがあってギャンブルができる小さな国といったレベルの知識しかない。この他にもカーレースが開催されているのをテレビで観たことがある。しかしこの映画で、小国であるがゆえの深刻な問題を抱えていたことを初めて知った。とくに、フランスとの軋轢は国の独立さえも脅かされるほどの深刻な事態だったようだ。映画でも、その葛藤の前面にいた代表格としてフランスのド・ゴール大統領が登場する。
 
グレース・オブ・モナコ  2014/11/15 Sat 4373
 映画「グレース・オブ・モナコ」を観た。グレース・ケリーといえば、ハリウッドの女優から王妃へと華麗なる変身を遂げたことで知られている。子どものころ、母親からそんなシンデレラ物語を聞いた。その情報との後先は記憶にないが、私は彼女がゲーリー・クーパー主演の「真昼の決闘(原題 ハイヌーン)」で共演したことを知っていた。この映画は、とうの昔に公開済みだったが、それがテレビで放映されたときに観た。ゲーリー・クーパーが拳銃の名手である保安官で、悪人と対決するという、典型的な西部劇だった。〝Do not forsake me, My Darling〟ではじまる主題歌は、身震いしながら聴いた。もちろん、その意味はほとんどわからなかったが。しかし、.このごろの子どもたちには和製の変身活劇物が大人気のようだ。二丁拳銃なんて言葉はすでに死語と化した感がある。この事情は邦画でも同じで、二刀流も子どもたちには通じないのではないか。
 ところで、「グレース・オブ・モナコ」の初っ端にヒッチコックが登場したのには驚いた。すでに王妃になったケリーに会いに来たのである。その用件が、自分の監督する「アーニー」への出演依頼だったことを知って、さらに軽い驚きが加わった。私が子どものころ、ヒッチコックは大物監督になっていて、その初期の作品は劇場で観ることはできなかった。ただし、テレビで「ヒッチコック劇場」というシリーズ物が放映されていた。番組の冒頭と真ん中、そしておしまいにはヒッチコック自身が登場する。そして、その回の物語について皮肉とユーモアを交えた解説をする段取りだった。「あまりしゃべりすぎるとスポンサーに叱られる」といったタことも言うわけだ。そこが番組の売りにもなっていて、いつも楽しみにしていた。
お詫び500円とオプション  2014/11/14 Fri 4372
 ベネッセが個人情報の流出を受けてお詫び状を送っている。これについて、ちょっとばかり議論が沸いている。この対応に当たって、ベネッセは一人あたり500円相当の金券・ギフト券を送ることにした。また、同額の図書券も選択できる。そこまでなら、議論が起きることはなかった。ところが、これにもう一つオプションがあって、これが問題になっているのだ。
 それは、「子ども基金」への寄付である。これについての説明によれば、今回の不祥事を反省し、そのお詫びとして「財団法人ベネッセ子ども基金」を設立したというのである。そこで、金券や図書券ではなく、この財団に寄付することもできると呼びかけているのである。このことが、詫び状を受け取った人たちの間で議論を引き起こすことになった。それはそうだろう。ここで500円分の金券や図書券をもらうのは、けち臭いと思われるのではないか。どう考えても寄付の方がかっこいいではないか。そんな心の負担を強いるやり方だというわけである。私の知っている数人からも、この対応に対して批判的な声を聞いた。私もそう思う。どこでもかまわないが、たとえばユネスコといった子どもに関わる外部のの団体への寄付ならまだわかる。しかし、情報漏れという不祥事を起こした組織が自らの団体をつくっても、にわかに信じられなではないか。そんな厳しい意見もあった。動機は純粋だったのだろうが、組織には自分たちが置かれている状況を読む力が求められる。財団を作るにしても、「本来は1000円相当のお詫びすべきところですが、半額は基金へ繰り入れさせていただきます」といった流れであれば、納得も得られたことだろう。金額が500円という、ワンコイン分だっただけに、かえって反発を引き起こしてしまった。
 
大きくしない、たくさん作らない…  2014/11/13 Thu 4371
 私は、組織の「巨大化」は国のレベルでも重大な問題になると思う。たとえば、中国は13億の人口を抱え、複数の民族から構成されている。これを「一つの統治機構」でマネジメントできるのだろうか。この点については私なりの見解もある。しかし、この「SONY物語」は長くなりすぎた。そこで、国家の統治に関しては別の機会に譲ることにしたい。
 ところで、「巨大化」を意識的に選択せずに大きな力を維持している組織もある。たとえば、「アキュフェーズ」というオーディオメーカーはその代表である。私が若いころ、「トリオ」という音響メーカーがあった。そこから飛び出した副社長が創った会社が「アキュフェーズ」である。この会社は「世界一流のブランド」を目標にして、年間21億円を売り上げる。その額そのものは小さいが、従業員は70人程度なのである。
 創業から40年間、「大きくしない。たくさん作ろうとしない。社員を増やさない」ことを守ってきた。まさに「3ない」ポリシーである。最も安いのが税抜き29万円のアンプだそうで、最高のモノラルアンプは2台で250万円という高価格である。「売れ筋の安い価格帯」の製品には手を出さない。こうした価格帯で「ぼろぼろになって消えて行った専業メーカーはいくらでもある」という。これぞ経営戦略である。高級オーディオという製品は「なくても生活に困らない」かもしれない。だからこそ、「お客様との関係を大事にしたい」と、製品登録をした顧客に5万通の年賀状を出しているという。これは同社の斎藤重正社長の新聞インタビューである。
 こうした組織だけで、グローバル化のなかの日本が生き残っていける保証はない。しかし、製品やサービスの品質は、「働く人たちの品質」を高めることが基本になるべきである。
 
巨大化説からの分析  2014/11/12 Wed 4370
 電卓のSOBAXがうまくいかなかったときも、まだSONYは強かった。とにかくAV機器では圧倒的な力を誇っていたからだ。そして、「SONYの製品は安売りをしない」ことがユーザー側の常識だった。私は高校2年生のときから一人暮らしをはじめた。そのときに父が「餞別代わり」にSONYのFM11を買ってくれた。それは当時発売されたFMも聴ける最新のラジオだった。「トールボーイ」というニックネームも付けられたこのラジオは、そのデザインもきわめて優れていた。とにかく斬新で「カッコよかった」のである。同じ寮にいた大学生たちからもうらやましがられた。何度となく、「みんなで近くの海岸まで散歩に行くから貸してくれないか」と言われた。それだけSONYの実力は他を引き離し、そのブランド力は値引きを許さない力を誇っていたのである。それが、いつのころからか「SONY製品が値引されている」という情報が耳に入りはじめた。そして、その流れを止めることはできなかったことになる…。
 SONYの現状に至るまでのド素人経済学者の分析は、とりあえずこんなものである。その仮説のポイントは「大きくなりすぎた」という「恐竜巨大化説」である。まあ、陳腐と言えば陳腐である。それに、グローバル化した今日では、「スケールメリット」も活かさなければ生きていけないという面もある。そこで、巨大な組織を全体として統治・監督するレベルと、実務を執行するレベルに分けるといった、様々な改変も行われている。社外取締役も常識になり、それなりに大きな発言力を持つ状況も生まれている。そうなれば、「身内だけの判断」で意思決定を行うことはできなくなってくる。それによって巨大な組織も健全に機能するというのが、専門的な視点なのだろうか。
 
大きなミス体験  2014/11/11 Tue 4369
 「突っ掛けでもサンダルでもいい、何が何でも先に出せ。自分たちは『世界初』でなければならない」。これがSONYの「βマックス」だった。しかし、テレビで洋画劇場が視聴率を稼ぎはじめたころ、「30分」しか録画できないデッキが長続きするはずもなかった。どう考えても、「突っ掛け」や「サンダル」では遠くまで行くことはできないのである。それが仇になって、「2時間録画」、さらには画質は落ちるが、「6時間」まで録画が可能なVHSが登場すれば、あっという間に下駄の歯が欠けてしまったのも当然だった。しかし、その当時のSONYには余裕があった。たとえ、ホームビデオで敗北しても、プロの世界ではSONYの天下が続いた。日本国中の、いやおそらく世界中の報道用ビデオカメラには、〝SONY〟のロゴが輝いていたはずだ。もちろん、そのテープの編集機も、当然のことながらSONYの製品だったのだ。
 このほか、SONYはコンピューターの先駆けである電卓時代にも失敗した経験がある。あのCanonやSHARP、そして後には手持ちサイズでCASIOも参入した電卓市場に、SONYはSOBAXと銘打った電卓を発売している。ここで念のために、電卓とは「電子式卓上計算機」のことで、その図体は現在のプリンターほどの大きさがあった。さすがにSONYだけあって、世の中の流行とは関わりなく、かなり早めに計算機に注目していたようだ。そろばんは英語で〝abacus〟だが、〝SOBAX〟は、それと合成した名前だろうか。いずれにしても、SONYはこの領域で主導権を握ることに失敗したのである。それから長い時間が流れて、SONYはゲーム機の〝PLAY STATION〟と本格的なPCである〝VAIO〟で情報機器の表舞台に踊り出るのである。しかし、とにかく最初のSOBAXは失敗したということだ。
伝統と誇りと判断ミスと…  2014/11/10 Mon 4368 Continued from 11/05
 ほとんどワープロ専用機と同じ力をもっている。ただし、価格が128,000円とやたらと高い。それが管理工学研究所の「松」だった。こうした状況に登場したのが「JXワード 太郎」である。その名前から推測されるだろうが、現在の「一太郎」のオリジナル版である。こちらは、56,000円で世の中に出た。先行する「松」の半額以下である。その操作性もかなりのものだったから、価格も含めて完璧に「松」を圧倒した。これに対抗するために「松」も価格を下げたが、「太郎」の勢いを抑えるには遅すぎた。当時の「松」と「太郎」の熾烈な戦いは、いまだに私の記憶に残っている。最終的には「松」は市場から消えていったのである。徳島大学出身の夫婦が創り上げたジャストシステムの「太郎」は、ワープロ専用機すら駆逐したと言っても過言ではない。こうして、「ワープロ専用機」と「PC」は別物ではなくなったのである。
 あのソニーを支えてきた誇り高いトップたちの「PCとAV製品は違う」という判断は、少なくとも結果的には誤っていた。歴史のなかで燦然と輝く「ウォークマン」を創造したSONYである。彼等が、ネットからソフトをダウンロードする〝NEW Walkman〟を世に出しても、世界中で驚く者はいなかったに違いない。「ああ、またSONYがやったな」という反応だけだっただろう。しかし、その栄冠は〝i POD〟の上に輝いたのである。
 もちろんSONYも「成功」ばかりを続けてきたわけではなかった。その失敗の最大のものは、家庭用のビデオテープ戦争である。いまや懐かしくなってしまったテープだが、独自に開発した「βマックス方式」が日本ビクターの「VHS方式」に完敗したのである。その敗因は、「とにかく『世界初』」を自らの使命だと考えていたSONYの先走りにあった。
 
再送品の驚き  2014/11/09 Sun 4367
 留守電に客からの声が入っている可能性があるとすれば、それを「いの一番に確認する」のは大事な仕事であるはずだ。もっとも電話番号は複数台の代表で、だれが電話を取るかわからない場合もある。そうであれば、なおさら「問題の共有化」が欠かせない。仕事場の広さはわからないが、「こんな電話が入っています」と周知する。あるいは誰もが見える場所に掲示するといった手立てを取るべきなのだ。それが組織ぐるみの「対応」であり、顧客サービスである。
 それはそうと「梨に傷か付いている」という訴えには、スンナリと「改めて送り直します」となった。こちらとしては、現物を送り返してもいい。また、包装を開けた際の状態を写真に撮ったので、それを送ることもできる。ただし、果物の現物を送り返しても、送料がかかるだけである。そんな事情もあってだと思うが、ここでは客の言い分をそのまま聞いてくれた。そして、同じものを送り直すことで一件落着した。私は、先方ではこうしたとき、その原因を探るのだろうか思った。あるいは、そもそも同じような事態が全国で発生している件数にも興味が湧いた。さらに、この傷は「発送地」に原因があるのか、それとも「輸送過程」の問題なのかである…。
 とまあ、いろんなことを頭にめぐらせたのだが、数日後に送り直しのパックがわが家に届いた。それを開けてまた新たな驚きがあった。もちろん6個の梨はしっかりとしていた。しかし、ただそれだけだった。つまりは、最初の内容に問題があったことについて、一言も触れてなかったのである。もちろん、私たちは「こっちは客だぞーっ。お詫びくらいしろよ」などと居丈高に怒鳴るような性格は微塵も持ち合わせていない。しかし、ワープロであっても、「再送用の詫び状」を入れるくらいの配慮はした方がいいと思ったのである。
 
「ふるさと会」の梨物語  2014/11/08 Sat 4366
 郵便局が主催している「ふるさと会」というものがある。全国11の聴くに別れていて、四季折々の品を送ってくる。「それぞれの郵便局長が責任をもって推薦しているので品もいい」。そんなお話しを北陸のある方から聞いたことがあった。それからけっこう時間が経過したが、家内の子どものころからの友人で、私も知っている方から電話があった。その会話のなかで、子どもさんが郵便局に勤めていることが話題になった。そして、「ふるさと便」の誘いがあったという。私は先の話を聞いていたので、「いいんじゃない」と即決した。
 そして、7月をスタートにして9回分の商品を頼んだ。そして、第1回目から順調に商品が送られてきた。ところが、第3回目の9月にちょっとしたトラブルが発生した。その月は梨だったのだが、包装を解いてみると7個のうち1個に打ち傷があった。さらに他のものをみると、濃淡の違いはあるものの、同じようなくぼみがあった。「これはいけないよね」となったことは言うまでもない。連絡先が書いてあったので、家内がそこに電話した。ところが、そのときは時間外で留守番電話になっていた。そこで留守電に事情を説明しておいた。
 そして翌朝になって改めて電話したわけだ。まずは、家内が「昨日、留守番電話に入れていたのですが…」と切り出した。これに対して「自分は担当でないから確認していない」といった意味合いの答えが返ってきたという。先方の表情などはわからないので、あくまで感触ではあるが、「わしゃあ知らん」風らしいのである。ここで、われわれとしては、「そもそも客からの留守テルは朝一番で確認するよなあ」と思うわけだ。客に電話番号を提示し、時間外は留守番電話をセットしているということは、そこに客からの声が入っている可能性は高いはずである。
 
カナカナ見聞録(2)  2014/11/07 Fri 4365 Continued from 10/8
 お久しぶりに「カナカナ見聞録」です。ある日のことです。先月のことだったか、それとも9月だったかは忘れたのですが、仕事をしながらNHKのテレビを入れていました。いまこの国では「家事ハラ」なるものが話題になっているらしく、いろんなケースが取り上げられていました。私としては仕事をし「ながら」なわけです。したがって、聞こえる話をぼんやり聞いていた感じでした。そのうち、番組のゲストが発言のたびに「カナ」をつけているのが気になってきたのです。しばらくすると、その人にお鉢が回ると「あっ、また言うぞ」と予測するようになっている自分がいました。そして、それがほぼ100%的中するんですね。
 画面をじっと見つめていなかったので断言はできませんが、その方はどこかの大学の教員のようでした。おそらく、そこで問題になっていたことを専門的に研究しているに違いありません。私に言わせれば、あれだけ自分の言いたいことを「カナ」で終わらせているなんて、よっぽど発言に自信がないのカナって思ってしまいました。あの方に指導を受けている大学の教え子たちも影響されて、「カナカナ」と言っているのでしょうか。いやしくも研究をしているのですから、ご自分の主張はしっかり断定すべきカナと思います。そして、それが誤りであることがわかったら。そのときは潔くそれを認めて訂正すればいいのです。まさか、発言が問題になったとき、「だから『カナ』と言ったでしょ」なんてごまかしたりしませんよね。とにかく、あの方は語尾に「カナ」を付けないといけないのカナと確信しているのカナと思ってしまいました。私としては、自分の仕事には自信をもって発言すべきですよとお伝えしたいカナという気持ちカナ。わざとらしく「カナ」を使い過ぎたカナ…。
今月の写真  2014/11/06 Thu 4364
 今月の写真は2枚とも、「先月の写真」になりました。まずは、皆さんおわかりですね。「皆既月食」の「赤いお月さん」です。その日は、10月8日だったのですが、全国的にも晴れていてどこからもよく見えたようでした。もちろん、わが家からもしっかり鑑賞することができました。月食は太陽と月の間に地球が割り込んで、月に当たる太陽の光をさえぎってしまうという段取りなんですね。この写真は20時20分ころに撮ったものですが、月がしっかり「皆既」状態になっています。光の屈折のせいで、月が「赤く見える」のだそうです。ウサギさんもしっかり写っていていいですね。私は子どものころ、地球や生き物など、いわゆる理科的な世界が大好きでした。自宅で電球の照明を背にして手に持ったボールを見ると、そこに自分の頭の影が写ります。その反対に電球に向かうと、今度はボールが電球をさえぎります。前者が「月食」で、後者は「日食」であることを、子どもなりに楽しんでいました。
 もう1枚は「松竹映画の富士山(?)」です。といっても、お若い方は何のことかおわかりにならないかもしれませんね。しかし、私たちの世代にとって、松竹映画は「雲に浮かぶ富士山」のタイトルバックからはじまるしかなかったのです。いまでも松竹は「富士山」ですが、グラフィックなイメージになっています。この写真は羽田空港に着陸する際に撮りました。そのため、窓の影響もあって、周囲がくすんでいますが、とにかく「松竹映画の富士山だあ」と心のなかで叫んでシャッターを切ったのでした。これまで離着陸時はデジカメも使用が禁止されていたのですが、それが、この9月から緩和されました。そこで着陸間際に見えた富士山が撮れたというわけです。あとでニュースを見ましたら、富士山の初冠雪日だったということでした。いやあ、めでたし、めでたしです。
トップの戦略  2014/11/05 Wed 4363
 組織が大きくなると、「あちらを立てれば、こちらが立たず」といった状況が生まれる。そうした問題を避けるためには、組織は小さい方がいい。これが第一原則である。しかしこの世の中はスケールメリットも無視できない。そこで決定的に重要なのがトップの判断である。それが組織の戦略を立てるというトップの仕事なのである。個々の戦術は現場に任せればいいのだ。
 ともあれ、巨大化したSONYに、「保守本流」を自認するグループと「革新」を唱える者たちとの間に溝が生まれた。私のようなド素人には、そのあたりの事情はまったくわからない。しかし、「本流」にいたテレビ部門に人たちの間に、「PCとAV製品は違う」という発想があったのは事実のようだ(日本経済新聞社「ソニーとSONY」)。こうした中心にいる者たちの意識と自信が、そのときどきの状況を展望し(Perspectives)、将来に亘る状況を見通す(Prospect)目の前に霧を発生させるのである。経営のトップが、ものごとを空間的、時間的に見透し、また見通す力を欠いては、その組織が健康を保てないのは当然である。
 その昔、それは1990年代の初めころまでだっただろうか、パーソナルコンピュータとワープロ専用機は画然と区別されていた。そして、電器製品の販売店では、PCよりもワープロ専用機の方が目立っていた。そのうち、PC向けに「ワープロソフト」が世の中に登場しはじめた。当初はおもちゃ程度のレベルだったが、それも次第に力を付けてきた。その代表の一つが管理工学研究所の「松」だった。ちょっと変わった名前ながら、グリーンの文字表示など、当時の「ワープロ専用機」と同程度の実力と雰囲気をもっていた。ただし、価格は128,000円ときわめて高価だった。とても素人に手が出る商品ではなかったのである。
 
SONYの皮肉  2014/11/04 Tue 4362 Continued from 10/29
 時代とともにSONYは『大きく』なり、ついには『巨大化』していった。そして、 「大経営企業の大経営なるがために」、そして、「過去の成功」に縛られたがために、ついにはいまの状況にまで追い詰められてしまった。創業者井深大氏の掲げた会社の設立趣意書とは真逆のことが起きたのである。まことに皮肉としか言いようがない。
 たとえば、トリニトロン方式という独自のブラウン管を開発していたために、液晶に力を入れるのが遅れてしまった。まさに「過去の成功」が変化への力を阻害したのである。あのウォークマンは歴史に残るビッグ商品である。それを生み出したSONYが、アップルのiPodに完膚なきまでに敗れてしまった。SONYが、そして日本のメーカーが、保存するメモリーの小型化など、それまで得意にしてきた流れでトップを走り続けようとした。そのため、ネットからのダウンロードにウエイトを転換することができなかった。そうすれば、本体は単なる箱でいいことになり、記憶媒体の限りない微細化は強味ではなくなる。メモリーの極小化は、これからも永遠に続いていくが、それはまた別の事業の話になる。これは、日本の携帯電話がマニアックになりすぎて、世界の潮流から外れてしまったことと酷似している。
 それだけではない。巨大化したSONYにはもう一つ先に進めなかった事情があったのではないか。それはSONYがレコード会社も抱えていたからだ。ネットからダウンロードする方式にすれば、その売り上げに影響が出ることが予想される。そうした問題もあって、ネット化には二の足を踏んだのではないか。もしそうだとすれば、これも皮肉と言うほかはない。その昔、これと類似した状況が、ホームビデオを開発したSONYとアメリカの映画業界の間に起きたのである。
生活笑百科のカンニング  2014/11/03 Mon 4361
 NHKの生活笑百科は他局の人気番組の先駆けになった面白い番組である。日常生活で起きる様々な問題について、上方の漫才コンビが相談する。放送開始は1985年4月というから、堂々たる長寿番組である。
 ところが、いつの頃からだろうか、出演者のほとんど全員がカニングをするのが気になりはじめた。そして私の主観では、その傾向がますます強くなってきた。このごろでは、率直に言わしてもらうなら、見苦しいほどなのである。司会の笑福亭仁鶴は下を向いて台本を見続ける。これに加えてレギュラー相談員である大阪のお笑いの二人も、チラリチラリと下を覗くのである。さらに主として芸能人のゲスト相談員もまた下を見ることが多い。ただし、なかにはカンニングを感じさせない、立派なゲストもいたりする。そんなときは、「ゲストですらしっかりしているのに」と思うから、レギュラーの動作がさらに気になるわけだ。もう一人、プロの弁護士が登場して、「正解」を出すのだが、こちらもかなり気になる目線の動きをする。もちろん、彼らは芸能人のような「映像のプロ」ではない。しかし、法律の条文や解釈については専門家であり、その力を発揮するために出演しているのだ。そう考えると、見ている人間が気になるほどのカンニングをしてはいけない。
 その一方で、問題を提起する相談者たちはカンニングしない。漫才タッチで問題を出すのだから、じつはカンニングが「できない」のである。しかも相談員よりも時間は長いし、科白の量もはるかに多い。つまりは「やればできる」のである。レギュラー相談員は、話のプロである。そうした人たちに、素人が「やればできる」と苦言を呈するなど失礼なことではある。私は関西という土地柄も文化も、そしていわゆる関西人と呼ばれる人たちも大好きだ。そうであるからこそ、こんな文句など「言わせんといて」という心境になってまっせ。
 
近くは速く、遠くは遅い  2014/11/02 Sun 4360
 東海道新幹線は砂利仕様ですから、スピードと柔らかい乗り心地を併せて体験できるという売りがあります。私はJR東海の安全に関する集会で講演する機会がありました。その際に、保線をされている方々の発表をお聴きしたのですが、その内容のすばらしさはいまでも記憶に残っています。とにかく皆さんが仕事に対する誇りにあふれ、意欲満々で仕事をされていることに感動しました。「自分たちは世界一安全で、乗り心地のいい新幹線を走らせている」。この気持ちが伝わってきたのです。
 さてさて、昨日、「九州新幹線が山陽や東海道よりも遅く感じるのは、私の思い込みではないか」と書いたままになっていました。ここまできて、ようやくその理由をお伝えすることにします。たとえば、新幹線が名古屋駅を出ると急速にスピードを上げます。それは窓の外のビルや家々が飛ぶように去って行くことからわかります。また、列車が発するモーターも「それらしい」音を立てはじめるのです。これは博多駅を出た山陽新幹線も同じで、やはり家並みが飛んでいくわけです。
 じつは、九州新幹線も、モーター音や架線を張っている電柱が飛び去るスピードはほかの路線とそれほど変わりません。これまでもそんな感覚はありました。そして、ついに「あっ、そうなのか」と私の脳内に閃光が走ったのです。それは、「近くに見える景色の違いが影響している」という確信です。九州新幹線では田園風景が多く、線路の間近にビルや家々が密集していません。またそうしたところには高い防音壁が設置されていて、スピードを感じる光景が目に入らないのです。それだけ騒音への対策も進化しているわけです。遠くの景色は飛行機から見ても「ゆっくり」流れていきます。そうなんです。私が「九州新幹線が遅い」と感じた最大の理由は、外の景色のあり方だったに違いありません。
  
新幹線の体感速度  2014/11/01 Sat 4359
 九州新幹線の最高スピードは時速270kmとされています。これに対してJR西日本は300kmまで出して走ります。九州が300kmに届かない理由は、山が多いからと言うのです。しかし、山陽新幹線が開通したのは1975年です。九州新幹線はそれから35年以上も経過して完成しました。その間に線路の工法も進化し、電車の性能だってレベルアップしてよさそうなものです。それなのに山陽新幹線レベルに達していないというのです。その理由も山が多い、つまりは傾斜のせいだと言うのですから、少なくとも素人にはわかりにくい説明です。そんな思いがあるものですから、熊本から乗っても、博多駅を出ると「突如として」スピードがアップするように感じてしまうのです。しかし、それは客観的な事実ではなく、私の思い込みが大きく影響しているのではないか。このごろ、そんな気がしてきました。
 東海道新幹線は50年も前に開通したのですが、線路は在来線と同じ砂利を敷いている区間が大半です。そのため、最高速度は九州新幹線と同じ時速270kmとされてきました。もっとも、このごろ、それを少しばかりアップするというニュースを見ました。それでも東京・新大阪間の時間短縮は数分だということで、実用上はほとんど変わりません。しかし、50歳の東海道がチャレンジをするのですから、まだ幼児期の九州新幹線もしっかりしてよと言いたくなります。ところで、私は九州新幹線で博多まで行き、福岡空港から名古屋中部空港へ移動し、さらに東海道新幹線を利用することがあります。つまり同じ日に数時間を置いて二つの新幹線を比較することになります。そんなときも、「やっぱり東海道の方が速いなあ」と感じてしまう自分がいるのです。