ヘアサロン 2014/10/31 Fri 4358
さて、私の「床屋さん」体験の続きです。もうけっこう前のことになりますが、ある休みの日に 熊本で床屋さんに出かけたわけです。そのころちょっと新たに開発したところがあり、そこに行ってみたのですが、生憎と数人が待っていました。私は何であろうと、とにかく三人以上が並んでいるか、あるいはちょっと待たなければいけないとなると、目的を放棄することにしています。まあ、特上のせっかちということです。ということで、そこは即あきらめたのでした。その替わりと言いましょうか、近くにあるヘアサロンが頭に浮かんだのです。私たちの世代には美容院は女性専用という頭があります。ところが、そのときは、男性だって行っていいと聞いたことがあったことを思い出しました。
そこで、とにかく頭に浮かんだヘアサロンに入ったのでした。まあ、いつもの床屋さんとは雰囲気が違っています。さっそく店員さんに促されて理容台というのでしょうか、とにかくそこに座りました。そして、まずは「どのようにいたしましょうか」と問いかけられたわけです。私はいつもの調子で、「適当にカットしてください」と答えました。これに対して、相手は「はあっ!」といった感じで、鏡の中の私を覗き込みました。ともあれ、「適当に」してもらったのですが、髭剃りもなしで床屋さんよりも一回り高い料金だということを知りました。そのときは、私の方が「はあっ!」と驚いた記憶があります。ともあれ、そんな料金を払うのに、「適当にカットしてちょうだい」なんて言う客はいないんでしょうね。それで店員さんも大いに驚いたのでしょう。何分にも世間知らずなもので、笑い話みたいなことが起きるわけです。これもいい勉強になりました。ただし、それからヘアサロンに行ったことはありません。今後も、あの世に行く前になっても、ヘアサロンには行かないつもりでございます。 |
床屋さん 2014/10/30 Thu 4357
床屋さんには、月に一回ほど出かけます。若いころより衰えたとは思いますが、まだ髪の毛が生える勢いを保っています。今のところ、そこそこのスピードで伸びてきます。床屋さんに出かける目安は、髪の毛が耳にかぶりはじめたころです。これがだいたい三週間といったところです。私はかなり長いこと、ある床屋さんに通っていました。もちろん、仕事でバタバタしているうちに行きそびれることもありました。そんなとき、出張先で時間があると、出先で見つけた床屋さんに行ったりもしていました。とくに、髪の毛が耳にかぶさっていると、ほとんど反射的に飛び込みました。
ところで、野田前首相が通っていたということでQBHが一躍有名になりました。ここは、1,000円という安さが売りですが、私にとっては、それ以上に10分ですむ時間の短さが大きな魅力です。私は、深刻とも言えるほどの「せっかち病」なのです。上半身を白い布切れで覆われて、とにかくじっとしていなければならないのは苦痛以外の何物でもありません。それも1時間を超えたりもするわけです。そんなわけで、QBHは私にとっても好都合なのです。こうして、私が出かけたQBHはけっこうあります。出張先の駅などでQBHの看板が目に入ると、時間があれば、髪が耳にかぶっていなくても利用するケースも出てきました。そうですねえ、記憶にあるのは、①羽田空港
②大阪環状線京橋駅 ③名鉄名古屋駅 ④福岡は博多駅近辺 ⑤西鉄久留米駅 ⑥京急青物横丁駅 ⑦JR西川口駅 といったところでしょうか。このうち、数年前のことですが、名鉄名古屋駅のお店は、たまたまでしたが、開業の日に出くわしました。その雰囲気から、私がナンバーワンだった可能性もありました。これもご縁でしょう。 |
恐竜とSONY 2014/10/29 Wed 4356 Continued from 10/26
自分が小柄だったがから、私にとって「恐竜巨大化絶滅説」は魅力的な仮説だった。何せ、「デカイのって絶滅するんだ」というのだから。そして、光輝く日本のエースだったあのSONYが落ち込んだのも、そして未だに立ち直れない理由も、「巨大仮説」を採用したいと思うのである。そもそも、SONYの創業者は井深大と盛田昭夫として知られているが、その井深が1946年1月に書いた「東京通信工業株式会社」の設立趣意書がある。この会社こそ、1958年にSONYと改名したのである。
その趣致書は感動的な文章に充ち満ちているが、その「経営方針」がいかにも興味深い。まず、「一.不当なる儲け主義を廃し、あくまで内容の充実、実質的な活動に重点を置き、いたずらに規模の大を追わず」とある。不当に儲けを追求することをしないのは、あらゆる組織が保持すべきモラルの原点として当然である。ポイントは、文末の「規模の大を追わず」にある。ただ「大きければいいというものではない」とはっきり宣言しているのだ。
これに追い打ちを掛けるように、さらに2番目で強調する。「一. 経営規模としては、むしろ小なるを望み、大経営企業の大経営なるがために進み得ざる分野に、技術の進路と経営活動を期する」。これぞSONYの「初心」であり、まさに面目躍如というべき点なのである。「むしろ『小』なるを望む」。その気持ちの「大きさ」に感動するではないか。こうした確たる志と信念をもってスタートした「小さな」SONYは、「とにかく世界初」をキーワードに様々な製品を世に送り出すことになる。その後の大躍進は、日本人だけでなく世界中の人々が認めるところである。しかし、SONYもまた、この世に存在するあらゆる組織が遭遇する宿命と出会うことになる。 |
石榴坂の仇討ち 2014/10/28 Tue 4355
映画「石榴坂の仇討ち」を観ました。その内容は知らずに出かけました。しかし、それが「桜田門外の変」に関わるものであることは最初の場面からわかりました。あの大老井伊直弼が、江戸城に出かける際に暗殺された事件が発端になっていました。事件が起きたのは、安政7年3月3日(1860年3月24日)の雪が降る日でした。水戸藩から脱藩した17名と薩摩藩士1名が、彦根藩の行列を襲撃して井伊直弼を暗殺したのです。この日はひな祭りでした。これに関連する行事で、江戸に駐在する藩士たちが江戸城に出かけることになっていたのです。季節外れの雪で、護衛は合羽を羽織っていたため、暗殺者たちの急襲に対して即座の対応ができなかったのです。その人数は60名ほどもいたようですが、18名の攻撃に打つすべもない状態のなかで井伊直弼の首が取られたのです。
このあまりにも衝撃的な事件の影響をおそれた幕府は、直祐を急病で倒れたことにして、2ヶ月ほど経ってから病死したとして公表したといいます。しかし、事件はいわば天下の公道で起きたものです。その後に続いていた藩士たちも鮮血に染まった現場を観ているわけです。見物人たちだっていたでしょう。そんなことから、直祐の首が取られたことは庶民たちも知っていて、これに関する川柳も残っています。その後、彦根藩では、護衛に失敗して家名を辱めたとして処分が下されます。まずは重傷者は幽閉され、軽傷者は切腹、無傷だった者は首を切られて家名も断絶になりました。襲撃した側も、その場でなくなったのは一人でしたが、その他は自刃、捕らわれてから斬首といった運命を辿っています。ただし、そのうち2人だけは明治の時代まで生き延びています。
ともあれ、「石榴坂の仇討ち」はいい映画でした。 |
ニュースバリュー 2014/10/27 Mon 4354
「犬が人を噛んでもニュースにならぬが、人が犬を噛めばニュースになる」。こんな言い回しを小学生のころに聞いたことがある。私は「なあるほど」と大いに感心したものだ。だから、「裁判官が寝坊して審判が延期されていた」というのも、けっこうニュースになるわけだ。私は早起きで、1時間目の授業を楽しんでいる。しかし、これが相当程度にきびしい学生もいる。もう時効になるほど昔の話だが、2年生のときから朝寝坊で授業に出てこれない学生がいた。それで敢えなく出席日数不足でアウトになった。その次の3年次でも気持ちだけは出席するつもりでも体が動かないといって、やはり単位が取れなかった。そして、最後の4年次には、常習的に10分から20分ほど遅れながらも何とか出席時数は足りるところまでこぎ着けた。「とにかく起きるつもりでいるんですが、どうしても寝坊するんです」と目を潤ませながら訴える姿は痛々しかった。
それはともあれ、学生が寝坊してもニュースにはならないが、裁判官であればニュースバリュー満点である。ところが、問題は寝坊だけでなく、担当の書記官が弁護士に、出てこない理由を確認しないで、「別の裁判が長引いている」と伝えたという。何のことはない嘘をついたわけだ。これまた子どものころに「嘘は泥棒のはじまり」と言われていた。あまり上品な教訓ネタではないが、「人間、嘘をついちゃあいけないのよ」と諭していたのである。ところが、何と書記官という裁判所の公式メンバーが嘘をついたのである。裁判所が「嘘を言った人たち」を裁くところであることは子どもだって知っている。まあ、寝坊の理由がわからないので、個人的な事情があったのかもしれない。しかし、それならそれで連絡しないといけませんよ。 |
夕刊④最長駅名 2014/10/26 Sun 4353
世の中はおもしろいことがありすぎて困ってしまいます。先月、「敬老の日」がらみで阿蘇に行ったときの話です。家内が阿蘇には日本一長い名前の駅があると言います。それは「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」でした。なるほどやたらと長い。たしかに阿蘇の地下水はきれいでおいしいんです。これは大いに自慢できると思います。ところが、駅名の長さでは、2001年にトップの座を譲ったというのです。
先だって島根県の一畑電車に乗る機会がありました。その際にご案内いただいた方から、「ルイス・C・ティファニー庭園美術館前」が登場したからだったとお聴きしました。ただし、その「美術館」が2007年に閉館してしまったのです。そのため、再び「南阿蘇…駅」が第一位に返り咲いたというのです。そして、「ルイス…駅」の方は「松江イングリッシュガーデン前」になっていました。これでも「駅」を除けば同じ14文字ですから、まあ「日本一」と言ってもよさそうですが、島根の皆さんは控えめでいらっしゃるようですね。まあ、ともあれこんなところでお互いに競い合っているのは楽しいではありませんか。それに何より平和でいいですよ。 |
巨大化絶滅説 2014/10/26 Sun 4352
リゾートホテルのエレベーターに乗ってから、ちょっとおもしろいことに気がついた。仕事だからスーツを着ていた私を除いて、ほかの11人はすべて浴衣姿でリラックスムードである。その内訳は、私も含めて男性が6人、そして女性も同じ6人だった。狭いエレベーターのなかを見回すと、私より背丈の高い人は男性一人だけである。私は心のなかで微笑んだ。「いまわが世代の世界が広がっている…」。そうなのだ。ほとんどが私と同じ身長で、一人くらいは少し高めの者がいる。これがわれわれのような戦後間もなく生まれた世代の標準的な光景なのである。
そんなことから、このごろは私自身に妙な勘違いがあったことに気づいた。つまり、これまでずっと「いまの若い人たちは背が高くなった」と思い続けてきたのである。そのこと自身は間違いないのだが、その「若い世代」も時間が経過すれば適当に年をとる。つまりは「いつまでも若い」わけではないから、そのなかには、すでに50代に達した人たちもいるわけだ。そんなことで、最近では「けっこうな年配者」も含めて、日本人は「大きく」なっているのである。いやあ、すばらしい。
それはそうとして、私自身は「小さかった」から、恐竜の絶滅を「巨大化」で説明する発想には相当な親近感を覚えていた。体が大きいと食べるものも大量に必要になる。そこで身近にある食料をすぐに食い尽くしてしまう。そうなるとエサを求めて移動しなくてはならなくなる。ところが、何分にもとんでもない自重のために動きが取れない。そんなわけで、ついには飢餓状態に追い込まれて、絶滅してしまった…。この、「恐竜巨大化絶滅説」は私にとっては「体は小さい方がいい」ことを主張しているような気がして、心地のいい仮説だった。 |
背丈の話 2014/10/25 Sat 4351
それは「体が大きくなりすぎたから…」。これは、ド素人経済学者が考えるSONY衰退の最も大きな要因である。いかにも安易な結論だが、私としてはそれなりに真実をついていると思ている。すでに大昔のことになったが、私が子どものころは、恐竜が絶滅した原因として巨大化説が主流だった。少なくとも「子どもの知識」としては、それが真実だと思っていた。ところが、それからしばらくして隕石説が表に出てきた。巨大な隕石が地球に激突した。その結果、地球に大きな変化が生まれた。それが恐竜の生きる環境の破壊に繋がったというのである。いまでは、こちらの方が定説になっているようだ。
ところで、私の身長は公称163.5cmである。ただ、高齢化の影響は避けられないと言うべきなのか、あるいは人間ドックの身長計が意地悪をしているのか、この数年の記録によれば、公称値よりはさらに短くなっている自分に気づかざるを得なくなっている。いまごろ解説しても仕方がないが、団塊の世代である私たちの平均身長は165cm程度なのである。それと比較すれば、私は「ほんの気持ちだけ、背が低いに過ぎない」のである。学級の人数が60人ほどいた小学生のころ、男子30人のうち、私は前から11番目くらいに位置していた。だから「ちょっと短いだけ」なのである。
そうそう、少し前にリゾートホテルに泊まったことがある。私は仕事で出かけたのだが、その近辺でもっとも利便性が高いのがこのホテルだった。チェックインを済ませてエレベーターに乗ったところ、私も含めて12人が一緒になった。私以外はすべて浴衣姿である。もちろんリゾートホテルなのだから、浴衣姿は自然で、スーツの私の方が圧倒的に違和感があった。ともあれエレベーターのドアが閉まってから、ちょっとおもしろいことに気づいた。 |
遠くのビル 2014/10/24 Fri 4350
東京モノレールで天王洲アイルあたりを走るときだ。かなり遠くに大きなビルが2つ並んでいる。そのビルにはSONYのロゴが付いていた。私は、あれが本社ビルなんだろうと推測していた。もうはっきり記憶にないが、SONYがスタートしたのが品川あたりだったという記憶もあった。そこで、あのビルはSONY発祥の地に建てられたのだろうと、これまた勝手に決めつけていた。それが正しいかどうかは確認していないが、その地点を通るたびに、SONYのロゴが見えるビルを眺めるとある種の高揚感があった。戦後日本の復興とともに躍進を続け、世界のブランドとして定着したSONYに、日本人として無意識のうちに誇らしさを感じていたのだと思う。遙か遠くに見える2つのビルは、「わが」SONYが、それまで辿ってきた成長を象徴しているように思っていたのだ。
ところが、つい先日、そのビルからSONYの文字が消えていることに気づいた。その瞬間に、SONYが業績不振で「ビルを売った」というニュースを聞いたような記憶が蘇った。あれは、ひょっとしたらあの象徴的なビルのことだったのかもしれない。「うーん…」。そのときの私の気持ちを表現するなら、これしかない。あのSONYがスポットライトを浴び続けてきた業界で、失速したまま立ち上がれずにいる。先日は、初めて無配になったというニュースも流れていた。こうしたSONYの苦境は、いまの日本を象徴している。そんな思いが募ってくるのを抑えられない。ここに至るまでには様々な要因が働いたはずである。それについて、ド素人経済学者ではあるが、少しばかりはプロの組織研究者であるつもりの私も、それなりの分析はしているつもりだ。
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夕刊③個人を超えて… 2014/10/23 Fri 4349
いつものことですが、「朝食2,500円ホテル」物語も日曜日からはじめて5回にも及びました。ついつい余計なことを付け加えるので、終われなくなってしまうのです。それでも「自制心」を発揮して、「終わった」つもりでした。しかし、そのあとで少しばかり気になることが出てきました。それは、「ホテルは、担当者を叱っただけでおしまいにしてはいないだろうなあ」ということです。私としては、直接の担当者を責める気持ちは全くありません。人間はエラーをするものです。それも、ときには「信じられない」レベルのものであったりするのです。それを「個人の特性」だけに帰属させていては問題の解決にならないと考えるべきなのです。もちろん個別的には、「原因は『個人の特性』だ」と言いたくなるようなケースもあるでしょう。しかし、それでは、他の人が同じようなことをする可能性をなくすことはできません。健康で安全な組織を創るためには、もっと広い視点から問題を分析していくことが求められています。今日は、「個人を責めるだけではまずいよなあ」とちょっとばかり気になったので、「夕刊」にしました。この問題は大事な内容を含んでいますから、改めて考えてみたいと思います。ただし、前期高齢者としては、「ひょっとして忘れてしまうかも」という一抹の不安が残ります…。 |
ある期待 2014/10/23 Thu 4348
「何かが冷蔵庫に入ってますよ」との連絡を受けて、フロントマンが部屋に入って来ました。そこで、私は冷蔵庫のドアを開けて、「こんな状態なんですよね」と説明したのです。そのとき、相手の顔をしげしげと見たわけではありませんが、きっと驚いたに違いありません。即座に「遅い時間ではございますが、部屋をお替わりいただけますでしょうか」との答えが返ってきました。私は、すでに風呂に入っており、「寝間着…」じゃなかった、何分にも「朝食2,500円ホテル」ですから、「ナイトウエア」に着替えていました。
そんなこともあって、「いいですよ。他のところは掃除をされているのだし」と応えました。そうです、もう23時を回っていましたし、PCで仕事をしたことでもあり、それを片付けるのは面倒でした。フロントマンは、この件をしっかり伝えるといった趣旨の発言をして、引き上げていきました。これでいわゆる一件落着したわけです。
ただ、私の心のなかには、ちょっとした期待が生まれていました。皆さん、ひょっとして「宿泊料の一部を返してくれる」とか「特典チケットなんぞをくれる」なんて期待をしたんだろうと思われていないでしょうね。いえいえ、そんなことではございません。そして、「それ」はチェックアウトのときに、明らかになるのでした。私はフロントに行ってカードキーを渡しました。フロントは女性でしたが、手際よくPCを打ってから、私を見てにこやかに「追加のお支払いはございません」といった趣旨のことを伝えました。そして、それですべてが終わったのです。もうおわかりでしょう。私が期待したのは、「昨晩は大変ご迷惑をお掛けしました」との一言だったのです。「あーあ、まずいなあ。ホテルで起きたミスが共有化されていないんだ」。私はそんな思いで「朝食2,500円ホテル」を後にしたのでした…。 |
冷蔵庫のサービス品? 2014/10/22 Wed 4347
ホテルでは夜中に起きたときに飲むため、コップ一杯の水を準備します。まずはホテルの部屋に入るとすぐにポットに水を入れてお湯を沸かします。それでお茶やコーヒーを飲むわけです。そして、寝る前には適度に冷めたポットのお湯をコップに注いで、冷蔵庫に入れておくわけです。「朝食2,500円ホテル」に泊まったその日も、同じ行動パターンで冷蔵庫を開けたのです。
その瞬間でした。私の目に4つのものが飛び込んできました。その一つは紙パックのウーロン茶でした。これはコンビニなどでよく見かける1リットル入りのものです。ホテルによっては、冷蔵庫に500mlのミネラルウォーターを「サービス」として入れているところがあります。しかしこのときは、「これもサービスなんだあ」とは思えませんでした。何と言っても、紙パックの頭の部分は明らかに開けられていました。その上、パックを持つとほとんど空っぽの状態でした。そしてその横には白い3つのコップがあって、それぞれには微妙な量の違いを見せながら水が入っているのでした。こちらは水ですから紙パックのウーロン茶から注いだものではありません。
これだけの条件がそろえば、それが宿泊客向けのサービスでないことは一瞬にしてわかります。つまりは部屋を清掃する際に、冷蔵庫のチェックを忘れたということでしょう。すでに時間は午後の11時を回りつつありました。しかし、私としてもこのままだと「自分の水」が入れられませんから、フロントに電話をしました。「冷蔵庫にウーロン茶の紙パックなどが入っているんですが…」。もちろんですが、これに対しては「すぐに参ります」との返事がありました。それからほんの少し時間が経過したと記憶していますが、ドアがノックされました。 |
コップ1杯の水分補給 2014/10/21 Tue 4346
さてさて、台風の影響で予定が変わり、そこであわてて予約した「朝食2,500円ホテル」に行きました。とにかくバスとトイレが別仕様になっているなど、このホテルは疑いなく「朝食2,500円ホテル」でした。それも2週間ほど前にオープンしたというのですから、設備はピカピカなわけですね。つまりは快適そのものなんです。もっとも、そんな状況の中でもPCを打ったりして、趣味の仕事に一応の区切りを付けたことは言うまでもありません。そして、一息ついたところで、何せ「洗い場付き」のバスでゆったり湯に浸かったのでした。そして、そろそろ寝るかという時間になりました。
そもそもが遅く移動したので、ホテルに入ったのは8時半ころでした。そのため、すでに11時を少し回っていました。私は夜中にトイレで起きたときにはコップ一杯の水を飲むことにしています。そうなんです、もう数年、おそらく還暦を過ぎたころからでしょうか、夜中に起きてトイレに行くことが増えました。若いころは、一度寝てしまうと朝まで起きるなんてことはほとんどありませんでした。しかし、これはもう年のせいに違いありませんが、ときおり目が覚めるようになったのです。その回数もだんだんと増えてきました。そんな状況になりはじめたときは、寝ている途中で夜中に起きるのですから、「やれやれ」と思っていました。しかし、すぐに「まあ、これも体の変化だから、この現実に付き合うしかないわなあ」とけっこうすんなり受け入れたわけです。人間は「うまくあきらめる」ことも大きな力になると思います。そんなわけで、夜中のトイレの回数が増えたのですが、とくに夏場には水分不足を補うために、そのときにコップ一杯の水を補給する習慣が身についたのでした。 |
上等ホテル 2014/10/20 Mon 4345
さて、急遽探して泊まった「朝食2,500円ホテル」でしたが、さすがに、「その名に恥じない」けっこうな設備でした。まずは「洗い場つきのバス仕様」でした。バスタブの中でガチャガチャしないでシャワーもかかれるわけです。もちろんこの場合はトイレは別にあります。バスタブ自身はそれほど大きくはありませんでした。体格のいい外国人だと「ちょっと狭い」と感じるでしょう。ともあれ、洗い場付きを見て、海外の上等ホテルを思い出しました。
海外に出かけるときは、何と言っても安全が第一です。そんなことから、けっこう無理をして「朝食2,500円(なんて言うわけはありませんが)クラス」を予約することにしています。もう数年前になりますが、ウィーンに出かけたときは、かのインターコンチネンタルホテルに泊まりました。もちろん、私自身は上等かどうかは知らずに行ったのでした。しかし、「インターコンチ」と言えばいわゆる一流ということらしいのでした。たとえば海外の元首級も泊まったりするレベルのようです。因みに日本にも「インターコンチ」があって、レギュラーな部屋の「宿泊プラン」でも、20.000円を超えるようですね。ともあれ、ウィーンの「インターコンチ」は、たしかにロビーのソファーからして、わが定義による「朝食2,500円ホテル」クラスを超えていました。そこに座って「ウィンナーコーヒー」を楽しむというのもいけてますよね。もっとも、私自身はそんな雰囲気に合うような柄ではございませんでしたけれどね。そうそう、朝食を摂る場所もなかなかのものでした。とくにヨーロッパではパンの種類が豊富で、しかもどれもおいしく感じます。こうした絶好の状況で体重を維持して帰ってくるのは至難の業になります。 |
朝食2,500円ホテル 2014/10/19 Sun 4344
わが国で上級のホテルだと言われているところでは、朝食が2,500円だったりします。全体としてバイキングが多いのですが、夜は割烹になるようなお店で朝食を準備しているところもあります。そこでは和服を着た女性が対応したりで、朝からすごいおもてなし(?)なんですね。私なんぞは、「朝食2,500円にこの和服代も入っているんだろうなあ」などと、貧乏性的な発想をするわけです。
これはもう「昔のこと」と言っていいほど前のことですが、関西の「朝食2,500円ホテル」で、3日連続で同じメニューという体験をしたこともありました。それに懲りて、またそこに泊まったときは、隣り合わせにあったバイキング仕様の方にわざわざ出かけたりもしました。そこでも和食にしたのですからた妙ちきりんな行動をとったものです。さすがに、このごろは連日ワンパターン朝食ということはなくなったとは思うのですが、どうでしょうか。もっとお、いまではほとんどがバイキング方式のような気がします。ともあれ、朝食が2,500円ともなれば、それは上級ホテルの部類に入るでしょう。もちろん、宿泊料だけが上級の証明ではありませんが。
さて、先日のことです。その私の言う「朝食2,500円ホテル」に泊まったわけです。これはあとで聞いたのですが、このホテルはオープンしてまだ2週間ほどしか経っていなかったのだそうです。じつは、今年も天候不順と言いますか、台風が連チャンでやってきたりしました。そのおかげで、予定よりも繰り上げて前泊せざるを得ない事情が生まれました。そこで、とにかく急なこととで便利のいいところを関係者の方に探していただいたわけです。その結果、幸いと言うべきでしょうか、「朝食2,500円ホテル」の予約がとれました。 |
スポットライト(2):みんな違っていても… 2014/10/18 Sat 4343
全員が「同じ価値観」で「一丸となって」仕事をすることが理想ではあるが、これがむずかしくなってきた。すでに「価値観の多様化」ということばは死語となった。それにグローバル化は進む一方だから、世の中はますます「多様性」の方が当たり前になる。こうした状況で部下たちをリードする監督者はどう対応すればいいのか。
その答えは「ただ状況に合わせる」というのが私の提案である。つまりは、構成員の価値観や欲求に動機付け、さらには人生の目標は違っていて当然であることを前提に置くのである。「自分はお金を得るために働いている。仕事がとくにおもしろいわけではない」。こんな人間もいるだろう。「自分はいまの仕事がおもしろくてたまらない。給料なんてのは二の次だ」。こうした人がいてもいい。「自分は仕事にもお金にも興味がない。とにかくいまの仕事仲間と一緒にいたい」。うーん、これも一つの形だろう。「自分は組織が大きくてカッコいい。ただそれだけのこと」。まあ、ここまで言われると、「何じゃそれは」と聞き返したくなるが、それもありとするのである。つまりは「いまここにいる理由」は何でもいいとして受け止める。ただし、「一つだけ」条件を付ける。それは、「自分の仕事」をするときだけは「プロに徹する」ことである。
職場という舞台の上で、それもスポットライトを浴びているときだけは、「真面目に確実に、とにかく『ちゃんと』自分の仕事をし、その責任を果たす」ことを要求するのである。個々人は「赤」でも「青」でも「緑」でもいい。しかしそれがスポットライトとして合成されると「純白」になるわけだ。つまりは、個々人の価値観を主張するのは横に置いといて、「自分の仕事に徹すること」を最も重視するのである。 |
HPの不調 2014/10/17 Fri 4342
このところ、わがホームページの調子がきわめて悪いんですね。まず第一に〝アクセスカウンター〟が絶不調です。先月の24日でしたか、突如として〝リセット〟されてしまいました。その際は、大学でお世話になっているプロフェッショナルの先生にお願いしたところ、すぐに復帰しました。それで大安心したのですが、その後も数日おきといった感じで〝リセット〟が繰り返されるようになりました。もちろんその都度ご連絡して元に戻していただいてきました。どうやら日が変わる際に〝リセット〟がかかるようなのです。ただし、それも毎日ではありません。何となく規則性があるような感じもしますが、よくわかりません。ご対応いただいているプロの方にも原因不明とのことです。ただし、それがこちら側のものではないということです。
ありがたいことに、本コラムにはリピーターがいらっしゃるのですが、「カウンターがおかしいですね」といったご連絡が入りはじめました。じつは、カウンターの数値が大台に達したり、ぞろ目になったりしたときにゲットするのを楽しみにしている方がいらっしゃるわけです。最近では、たとえば〝350,000〟のときはリセットされていて、100台の数値だったと思います。そして、復帰していただいたときはすでに大台を超えていたという具合です。あくまで原因不明ということで、しばらくは別のカウンターに替えていただくことになりました。何分にも10年以上も見慣れてきたカウンターでしたから、ちょっと違和感がありますが、それでもカウントが順調に進むことの方が大事です。
ところで、私のPCで見る限り、本コラムの上部にあるタイトルあたりが乱れています。これはまたどうしたことでしょうか。一難去って、また一難なのかしらね。ホームページのソフトまで前期高齢者にお付き合いということでしょうか。 |
スポットライト(1):集団の等質性と異質性 2014/10/16 Thu 4341
組織の構成員が同じ価値観をもち、一丸となって目標を達成する。リーダーにとっても、これは大歓迎すべき状況である。そんなところでは、全員が意欲にあふれ、事故が起きることもない。とまあ、そう考えたくなるのだが、ことはそう単純ではない。組織のみんなが同じような人間だと、かえって問題が起きる可能性がある。そもそも「同じ視点」からでしか状況が見えないから、とんでもない見落としが生じることもある。つまりは問題に気づかないという重大な問題が起きるのだ。また、だれかが問題に気づいても、それを「おかしい」と言えない雰囲気が漂う。せっかく「うまくいっている」職場にあえて波風を立てることはないのである。さらに、自分たちと価値観の異なる、言わば異分子が出てくると、当然のように排除しようとする。もちろん、外部からの侵入は徹底して阻止することになる。そんなわけで、集団メンバーの「等質性」は、それだけで自分自身の力を弱め、様々な問題を引き起こすのである。
したがって、一般論としては集団メンバーの「異質性」を高めることは望ましいというべきなのだ。しかし、およそあらゆる事象には光と影、メリットとデメリットがある。私はメンバーの「異質性」をプラスに活かすためには、リーダーシップが最も重要な役割を果たすと考えている。リーダーシップが脆弱であれば、「異質性」の高い集団は、単なる「バラバラ」集団である。そこではメンバー間のスムーズなコミュニケーションなど期待すべくもない。それどころが、リーダーへの不満も高く、仕事に対する意欲も阻害される。そんな集団でミスや事故が頻発しても当然なのである。このように、リーダーシップ次第で、集団は活性化もするが、崩壊もするということだ。 |
マニュアル問題(76) 2014/10/15 Wed 4340 Continued from 10/06
「コンプライアンス」が法令を守るだけでなく、言わば「人の常識」に従って行動することとして幅広く考える必要があります。さらに、「ことの大小」による評価にも気をつけたいものです。このごろは聞いたことがありませんが、私が子どものころは、「嘘は泥棒のはじまり」なんて言われていました。つまりは「小さなこと」が大きなこと、ここでいえば「泥棒」という犯罪に繋がるんだぞという教訓なのです。「小さいからかまわない」と放置していると、そこが大きなほころびのもとになるわけです。どんなものであれ、最初は「小さな」ことを「省略」しても、現実に問題が起きることはほとんどありません。それは、いわゆる「フェイルセーフ」が働いてくれるからです。しかし、そんな気持ちの緩みが、次第にエスカレートしていく。それが人間というものなのです。
高速道路をはじめた走ったときは、多くの人が時速100kmの制限速度を守るのではないでしょうか。しかし、個人差はあるものの、そのうち「追い越すときは少しばかりスピードをオーバーしても仕方がない」などと理屈をつけて、瞬間的には110kmを出したりするわけです。そして、そうした逸脱にはすぐに慣れてしまう。これもまた人間の「特性」というわけです。とにかく「慣れる」ことは「よりよく生きる」ために「不可欠の条件」なのです。しかし、それは「マイナスの行為」についてもしっかり当てはまります。「ちょっとだけ逸脱」のつもりが、その範囲がさらに拡大するのは、もう時間の問題だといっていいでしょう。そうすることで、「仕事の手順が簡単になる」「仕事が早く片付く」といった目先の「効果」が得られます。そうなると、職場に「こちらの方がいい」との評価が定着していきます。 |
どこまでも「ありがたや」 2014/10/14 Tue 4339 Continued from 9/26
「ありがたや節」は続きます。「デモはデモでもあの娘のデモは、いつもはがいいじれったい」。この「デモ」は示威行動としての「デモ」を意識したものです。1960年の「日米安保条約」の改定を阻止しようとするデモ隊が国会をとりまいたことがありました。このときは、デモに参加した女子大学生が亡くなっています。これを、浜口庫之介、通称「浜庫」にもじると、女性の「でも」に替わるわけです。「早<一結になろう」とプッシュするのに、返事はとにかく「デモデモデモ」だけ。押す方としては、まことに困った事態ですが、そのあとはまたしても「有難や有難や有難や有難や」のバックコーラスが響きわたります。とにかく、何があっても「有難や」なのです。
まだまだ歌は終わりません。「近頃地球も人数がふえて右も左も満員だ」と人口問題へと話が移ります。しかし、それも、「だけど行くとこ沢山ござる。空にゃ天国地にゃ地獄」と結論づけます。「天国に地獄」、行くとこはいっぱいこっぱいなのです。もちろん、「有難や有難や有難や有難や」ですよ。
さらに夫婦問題も登場です。「酒を呑んだら極楽行き、と思うっもりで地獄行き」。今も昔も酒は勘違いを起こしやすいお薬ですよ。そして、「どこでどうやら道まちがえて、どなる女房の閻魔顔」となってしまいます。
ようやく親孝行の道徳訓話でおしまいになります。「親の教えは尊いものよ。俺もそろそろみならおか」と神妙になった可と思いきや、「おやじゃええとこで酒呑んでござる。勉強ばかりじゃ、親不孝」との結論に至るのです。もちろん、最後も「有難や有難や有難や有難や」でめでたく終了になります。いやあ、あらためて歌詞の分析をしてみると、私の人生に与えた影響の強さを感じます…。 |
目先で国民を釣らないで! 2014/10/13 Mon 4338
民主党が政権についたとき、とくに先生方の間で「教員免許更新制度」は廃止になるのではないかとの情報が飛び交いました。民主党もこれに替わる新しい制度をつくってからといった感じのことを言っていました。たとえば、教員になるためには大学院程度までの6年間とするといった案も出されていました。これは医学部や薬学部をイメージしたと思われます。しかし、どれもこれも立ち消え状態になっています。それ以前に具体的な制度について議論していなかったからでしょう。
これは、このところ話題になっている太陽光発電等の買取を電力会社が拒絶している問題などにも共通しています。太陽光発電が日射に依存している限り、発電量が不安定になることは、素人でもわかります。それを前提に買取制度を推進するのですから、こうしたデメリットも考慮しながら計画を進めるのが、政策のプロに求められる姿勢です。そうした検討を抜きにして、目先の人気取りで政策を打ち出すと、あとになって破綻するのです。高速道路も無料にするという、どう考えても「大受けする」以外はあり得ないこともしましたね。これもまた消えてしまいました。あれって何だったのでしょうか…。もっとも、あくまで理屈上は、選挙を通して間接的ながら国民がそうした政策を支持したわけです。つまりは有権者も責任がまったくなしとは言えませんよね。
また、政治が国民の声を取り入れるべきことは当然です。しかし、ただ短期的な利益だけのために、ぶれまくっては困るのです。これに関連して、「世論調査」結果を尊重することも大事ですが、プロであるならそれだけに頼っていてはいけません。それで済むのなら、すべての政策は「世論調査」で決めればいいことになってしまいます。 |
教員免許更新制 2014/10/12 Sun 4337
教員免許に更新制が導入されたのは2009年です。すでに、2007年4月に教育職員免許法が改正されて、この制度の導入が決まっていました。第一次安倍内閣のときになります。その前年には本格的導入を前に、文部科学省が「試行」を実施する大学を募集しました。熊本大学もその呼びかけに応じて、熊本市と阿蘇市において「試行」を行いました。こうして、試行まで含めると今年度で7年目を迎えたことになります。
全国には教育委員会の主催で、無償の例もあるようですが、基本的には、30時間の講習を3万円ほどの個人負担で受講することになりました。これを受けていないと免許状が失効してしまいます。つまり、現職の教員にとっては、絶対に必須の講習ということです。法律が変わったあとに教員免許を取得する者が講習を義務だとして受け入れるのは当然です。しかし、現在教員をしている教師たちは教員免許を終身のものだと思っていたわけですし、事実、そうだったのです。それが「途中」で制度が変更されたのです。しかもただでさえ忙しいのに、30時間の受講を強制され、そのうえ3万円ほどもする受講料は自己負担というのですから、どう考えても不満が出るに決まっています。
そうしたなかで、2009年の衆議院議員選挙で民主党が圧勝し政権を奪取しました。その際に、民主党はマニフェストで「教員の資質向上のため、教員免許制度を抜本的に見直す」と宣言していました。これが影響して「更新制はすぐになくなる」というムードが広がっていきます。この点に関して文部科学省は「公式に制度廃止を認めたことはない」としています。マスコミが先走ったというニュアンスです。それはともあれ、受講対象になった教員たちの間に大きな混乱が生じました。 |
歴史を消さないで 2014/10/11 Sat 4336
私たちの世代にとっては驚きの事実があります。それは、「10月10日」が「東京オリンピックの開会式の日」だったことを知らない人が増えています。それも若者たちだけのことではないのです。私の主観的な評価で言うなら、けっこうな年配者でも「エーッ、そうだったの」なんです。
こうした事態が起きる原因は考えるまでもなくはっきりしています。いつのことか忘れてしまいましたが、「ハッピーマンデー」などという、とんでもない法律をつくって歴史を消してしまったからです。その直接の責任は国会議員たちにあります。とくに選挙が近づいてくると、いまでも「新たに祝日を」などといった話が出てきたりします。もういいかげんにしてください。そうこうしているうちに、わが国の法律で決めた休日の数はアメリカよりも多いのだそうです。それでゆとりのある労働環境や生活状況になったかどうか。これまた個々の主観的な評価には違いがあるでしょう。しかし、休日の数だけ増やしても、働く制度や国民の考え方が変わらなければ意味がないんですよね。
それはともかく、「体育の日」は「10月10日」でしかありえないのです。私たちに歴史を返してください。つい数日前のことです。Yahoo の見出しだったと思いますが、来週の13日に台風が来たら、体育の日としては史上初だと書かれていました。とんでもない。「体育の日」は「10月10日」であり、今年だっていい天気だったではないですか。体育の日は台風なんぞに負けなんかしないのですよ。もっとも、この日が晴れの日の多い「特異日」だというのは、どうも怪しいようですが…。とにかく、「アンハッピーマンデー」は見直してください。大学でも月曜日の授業は休日開講で対応することもあるんです。 |
超アンバランス 2014/10/10 Fri 4335
セントレアから熊本まで飛んだときのお話です。機材がボンバルディアDHC8-Q400で74人乗りでした。これはプロペラ機なのでバスで移動します。出発時刻の20分ほど前になって、バスへの案内がはじまりました。それまで待っていた乗客たちが改札を通って前に進んでいきます。そのうちにバスの座席が埋まり、それでも客は乗っていきます。そして、かなり混み合ってきました。そのなかには立っているお年寄りもいます。まあ、私だって前期高齢者ですが、まあとりあえず元気ではあります。さて、ボンバルディアは定員が74名です。この調子だとバス1台で済ませるんだろうと思ったわけです。ところが、あわててきたように見える2人を残してバスは発車しました。
そのあとはご想像の通りです。最終的には2台で乗客を運んだのですが、2台目は17人しか乗ってきませんでした。正確には赤ん坊がいましたから18人です。その日はほぼ満席に見えましたから、74名として、単純に引き算をすると1台目は57名が乗ったことになるんですね。何というアンバランスなのでしょう。カウンターを通りますから、その通過した乗客数はきちんとわかるはずです。それにも拘わらず、1台目は超満員で、2台目はガラガラというのはいかにもサービス精神に欠けているではありませんか。出発時間を遅らせないために、2台目の方が少なめにするといったことは考えられます。しかし、満員とガラガラというのはいただけませんよ。一体全体どうなっているのか、関係者に聞いてみたいものです。ところで、チェックインしておけば、少しくらい遅れても待ってくれるなんて考えている客がいるようです。航空会社が客に甘いんですね。決まられた時間が来たら即アウトにすべきですね。 |
マニュアル問題(75) 2014/10/09 Thu 4334
今日では、多くの組織で「コンプライアンス」は常用語になってきました。新入社員も大抵は知っていると思います。それは新人研修時に「コンプライアンス」が取り上げられることが多いからです。さて、原語の〝compliance〟は、「(命令・要求などに)従うこと;《経営》(企業内での)法令遵守」と説明されています(プログレッシブ英和中辞典)。こうしたことから、わが国では多くの人が「法令遵守」と言います。これをMerriam-Webster
Onlineで検索すると、〝 the act or process of doing what you have been asked or
ordered to do : the act or process of complying〟と説明されています。「依頼や命令に従う行為あるいはその過程」を指しているのです。そもそも、動詞のcomplyが「(希望・要求などに)従う、応じる(conform);(条件を)満たす」ことで、〝comply
with regulations〟は「規則に従う」となります(プログレッシブ英和中辞典)。
そんなわけで、「コンプライアンス」が「法令に従う」という意味が含まれているのは疑いありません。しかし、これを「だから法律に違反しないことは『コンプライアンス』とは関係ない」などと解釈してはいけません。少し前まで、「脱法ハーブ」が問題になっていました。これは要するに、「法律に触れなければ」、「違法」ではなかったのです。何と言っても日本は法治国家です。法律に規定されていないことは罪に問われないわけです。しかし、「コンプライアンス」が「法令に従っていれば何をしてもいい」などといった意味でないことは当然です。いわゆる「人の常識」として「してはいけないことはしてはいけない」わけで、「常識遵守」とでも訳した方が、まだましカナ…。 |
夕刊②カナカナ見聞録(1) 2014/10/08 Wed 4333
「カナカナ」物語を書いたついでに、これから「カナカナ見聞録」なるものをはじめようと思います。これは「カナカナ」について、主として「耳より情報」を得たときに記録にとどめておくという「新企画」です。おそらく「見る」ことはほとんどないので、「聞録」が正しいのでしょうが、これだと調子外れの感があります。永いこと連載中の「マニュアル問題」は月曜日に74回まで進んだのですが、この「見聞録」の方がそれを凌駕するでしょう。なぜなら、「カナカナ症候群」は老若男女、地域を問わず日本国中の広がっているからです。
今日はその記念すべき第1回目にふさわしいものです。何と言っても、今年のノーベル物理学賞はすばらしいサプライズでした。それを祝って、安倍総理が受賞者の一人である赤崎勇氏にお祝いの電話をしていました。「○○を世界に示すことができたのカナあと(思います)…」。ニュースは流れていきます。私も前期高齢者、瞬間的な記憶はとくに怪しくなってきました。したがって正確なことばまでは記憶に残ってくれていません。「〇〇」の部分は、たとえば「日本の実力」といった表現だったのカナと思います。末尾も「思います」といったものでしょう。そのあたりはあいまいなままですが、ポイントは「できたのカナあ」にあります。これって、「できたと思います」「できましたね」であってほしいのです。私の印象では、安倍総理はけっこうな「自信家」に見えるのですが、ここで「カナあ」は使わない方がいいのではないカナあ…。 |
「カナカナ」物語 2014/10/08 wed 4332
それは〝2005年7月28日〟の本コラムだったカナと思います。とにかく話の末尾に「カナ」を付けるのが気になって仕方がないと書いたカナと記憶しています。相手の気持ちをやさしく包み込んで、「いまはそれを言いたくないのカナ」と推測してあげるようなときには、「カナ」も効果的カナと思います。しかし、自分の意見を、とりわけ責任をもって伝えないといけないときに、「いいカナと思います」なんて表現はきわめて不適切カナと感じるわけです。そのことを私は「カナカナ症候群」なんて呼んだカナという記憶があります。
そして〝2009年10月11日〟には、国土交通省のお役人や法務大臣までが「カナカナ症候群」に罹っていると嘆いたカナという思うんです。さらに、われながら「粘着質」カナと確信しているのですが、昨年2013年の2月10日付けにも、やはり「カナカナ症候群」について取り上げているカナという感じです。私も、ことばは生き物カナと考えてはいます。そして時代や環境が変わるとともに、ことばも変化していくのが当然の流れカナとは思っています。そうした事実は認めるべきカナと考えてもいます。しかし、それにしても「カナカナ症候群」が拡散する範囲とそのスピードは猛烈過ぎるカナと思います。そして、わが国の津々浦々にまで広がってしまったカナと感じています。私も、このあたりで妙な抵抗をすることをあきらめた方が、自分の精神衛生にもいいのではないカナと思い始めているカナというのが実感です。最近は、朝から晩まで、とくにテレビが中心なのですが、大事なことを発言する立場にあるカナと認められる人から一般の市民まで、発言のおしまいを「カナカナ」で締める人たちがとにかくワンさかいるカナという状況カナ…。 |
今月の写真 2014/10/07 Tue 4331
今月は2枚とも阿蘇がテーマです。秋の空は見事に美しいですね。とくに雲がいい。夏はエネルギーを吸い込んでモクモクと天まで盛り上がる。その結果として雷は落とすわ、大雨は振らすわと、とにかく激しすぎます。とりわけ、わが国が「亜熱帯症」に罹りはじめてから夏は陽性を超えてしまいました。もう、さわやかな「夏の夕立」なんて味わうことはむずかしそうです。その点で、まだ秋の空は雲が薄く流れて、すがすがしい。空に透き通っているのがいいですね。写真は野外のコンサート場「アスペクタ」です。ここでライブなんぞがあるときは大いに盛り上がるわけです。自然の中で聴く音楽は、また格別のものがあるでしょう。この写真を撮った日は、夕方から「観月会」だというので、その準備が進行中でした。阿蘇で観る名月もまた感動を呼ぶのです。いやあ、想像するだけでも気持ちが落ち着きますね。
そして、もう1枚は、「アスペクタ」のすぐ近くにある「グリーンピア南阿蘇」というホテルです。じつは、「敬老の日」ということで、孫たちと一緒に、ここで一泊したわけです。ホテルのすぐ下には遊戯施設があって、けっこう楽しみました。食事もおいしくて、孫たちはデザートのヨーグルトやソフトクリームにも魅了されていました。もちろん、子どものころは「1年に1回」くらいしかソフトクリームを口にすることができなかった団塊世代の私も、ついついお代わりとなりました。またはじめてベッドに寝るということで、孫たちはこれにも大いに喜んでいました。さらに、温泉の温度がまろやかでじつにいいんです。露天風呂では、雄大な阿蘇の連峰やカルデラが一望できます。そんなゆったり感のなかで過ごしましたが、阿蘇山も噴煙を吹き出す活火山です。 |
マニュアル問題(74) 2014/10/06 Mon 4330 Continued from 9/18
「守るべき規則やマニュアルが守られていない…」。これが組織の問題であることは疑いありませんが、問題はそれだけでは止まらないのです。その製品を使用し、サービスを受ける顧客は「規則やマニュアル」の内容まで知りようがありません。そして、それらが「ルール違反」の結果として自分たちの前に出されていることはないと考えていて当然なのです。そうでなければ、世の中全体が「不信」で充ち満ちてくることになります。お互いが信用できない、信頼できない社会は進歩も成長もありません。その究極の形が戦争ですが、これがいつまで経ってもなくならない。これは組織についても似たようなもので、「規則やマニュアル違反」も含めて、組織の問題や不祥事も「なくなる」ことを知りません。そう思うと「やれやれ感」で気持ちが落ち込んでしまいそうです。しかし、そうかと言って、それを否定しても仕方がないわけです。何のことはない。これこそが人類の「永遠の弱点」だと思った方がいいのです。そして、すべての人間が自分たちの「弱いところ」をいつも自覚して生きていくほかはないですね。
さて、「マニュアルや規則が守られない」理由として、「慣れてくると、その一部を省略してしまう」という意見がありました。これは、「知らず知らずのうちに『つい』はずれてしまう」のとは少しばかり意味合いが違っています。どちらかと言えば、「意識的に省略する」という感じがあるわけです。どんなものであれ、最初は「小さな」ことを「省略」しても、現実に問題が起きることはほとんどないと思います。いわゆる「フェイルセーフ」が働いてくれるからです。しかし、そんな気持ちの緩みが、次第にエスカレートしていく。それが人間というものなのです。 |
夕刊①四次元ポケット 2014/10/05 Sun 4329
「STAND BY ME ドラえもん」を観た。予告編からして〝3D〟っぽく、「観てみよう」候補に挙げていた。今回は目が目を掛けた〝3D〟で楽しんだ。実写ものは、私がこだわる「リアリティ」の問題が絡むが、漫画は完璧に〝3D〟がいい。ドラえもんをはじめ、のび太、スネ夫、ジャイアンにしずかちゃんの表情と動きがじつにいい感じだった。物語も、笑いあり、ほろりありで、なかなか楽しい作品になっていた。子どもたちにもいじめなんぞに負けないぞというメッセージになってくれるといい。ここで欲を言えば、「いじめはかっこうわるい」ということをさらに強調してほしいと思った。それにしても「四次元ポケット」や「どこでもドア」なんて、大人たちにとっても夢の「ひみつ道具」だ。それを使っていろんなことができる。そんなことを頭に思い浮かべているうちに、しっかり昼寝ができた。何かしら夢を見ていたような気がするが、すぐに忘れた。 |
ラストのこころ? 2014/10/05 Sun 4328
高田さんは「自然体+キンキン声」が「大売り」だったのだと思う。何せ、物まねされるほどだから、もう超一級である。長崎県は佐世保の写真屋さんの息子だという。その人が、一代で財界トップが集まる年始の名刺交換会に出席するほどにまでの会社にしたのである。それは文句なしに「超カリスマ」と言っていい。もう2004年のことになるが、元従業員が会社の顧客リストを持ちだした事件が起きた。その際は、高田社長は直ちに一切のビジネスを自粛した。この素早く大胆な対応が好印象として記憶に残っている。こうした際には、トップのスピーディな決断が欠かせないのである。
これは2005年に起きた松下電器産業の石油温風機による死亡事故のケースを思い起こさせる。年末商戦に大打撃になるにも拘わらず、会社はCMの中止などを決断した。しかも、翌2006年2月には、全国の4900万全世帯と宿泊施設の1100万箇所に対象機種の修理・回収を呼びかけるはがきを送ったのである。とにかく6000万ものはがきを送るという対応は信じがたい大規模なものだった。死亡事故が起きたからだとはいえ、その徹底ぶりが高く評価されたことは当然だった。このとき私は、松下幸之助氏の創業精神がしっかり生きていると感じた。これぞ「危機対応」の基本なのである。
そんなことも思い出すのだが、とにかく「高田さんの全面絶叫」が気になったのである。来年にはご子息に社長の座を譲るという。「もうラスト」。そんな思いも加わっているのだろうかなどと、無関係者として邪推なんぞするわけだ。そうそう、規模が大きくなって、数年前だったか東京にもスタジオをつくったようだ。「うーん、原点の佐世保でしっかりやってもらいたいなあ」などと九州人は思うのである。 |
高田さんの変化(?) 2014/10/04 Sat 4327
あのジャパネットの高田さんが気になった。私自身は「テレビショッピング」をまったく見ない。それどころか「公共の電波」を商品販売のみに使うことには疑問を感じている。いわゆるスポンサーであれば、それなりに「番組」という本体がある。またいわゆるCMは数分程度だから、「まあそんなもんだろう」と思う。ところが「テレビショッピング」は、放送時間全体が「セールス」になっている。電波には量的な限度があるから、誰もが勝手に使ってはいけない。電波は公共のもので、それを国が配分しているのである。だから、法律で私的な利用は禁じられ、放送にしても「公共性」が要求されるのである。つまりは自分たちの都合のいいことだけを放送してはいけないのだ。そんな前提で考えると、始めから終わりまで商品の紹介と販売を目的にした「テレビショッピング」ってありなのかと疑問に思うわけだ。まあ、そうは言っても、現実にはあれだけ頻繁に放送されているのだから、法的には許容されているのだろう。
ところで、つい先日のことである。チャンネルを変えようとしていて、たまたま「ジャパネットの高田さん」の「放送」に遭遇した。その瞬間、私は「おやっ」と思った。これまでの高田さんと感じが違っていたのである。あの高田さんが、「絶叫しっぱなし」に見えたのだ。これまでは、どちらかというと、淡々と語りかけてはいるのだが、地声がキンキンなので、誠実さとユーモラスさを同時に感じていた。そこが受けたのだと思う。ところが、今回は、「とにかく地声で絶叫」を売りにしているかのごとき雰囲気が漂っていたのである。もっとも、「ほとんど見たことがない」私だから、それも気のせいだろう。ただ、「自然体が失われた」と感じたのである。 |
「猿の惑星:新世紀」 2014/10/03 Fri 4326
「猿の惑星:新世紀」を観た。オリジナルの「猿の惑星」(Planet of the Apes)は、1968年に公開された。主役のチャールトン・ヘストンとともに、その衝撃的な映画はいまでも記憶に残っている。このとき、私は大学2年生だった。早いもので、それから半世紀に近い時間が流れたのである。にわかには信じられない。ともあれ、第一作目の「猿」もよくできていた。その見事な特殊メイクにはとにか驚いた。当時はCGなどない時代だから、とにかく「本物」を創らなければならなかった。そんなことで、「猿」と見えただけで感動するに値したのである。
それがいまではCGも駆使しながら、さらに「本物度」が高まった。どこが実写で、どこがCGなのか。はたまた、その両者を合わせているのか、観る者にはわからない。前作はサンフランシスコの金門橋でのラストシーンが記憶に残っているが、新作はその続きである。これから観みられる方もいらっしゃると思うので内容には触れない。私としてはA評価としておこう。
ところで、映画には正義の味方と悪役が登場することが多い。両者の葛藤や戦いが物語になるのである。今回も「猿」の世界に善玉と悪玉が出てくるのだが、その風貌がじつに興味深い。善玉は「シーザー」という名前だが、これがどう見ても「いい顔」をしているのだ。それは「高貴」とすら言える。これに対して敵役の「ココ」は、とにかく見るからに「悪顔」なのである。それに加えて牙をむくから、「悪役」意外にはありえない。それにしても、これはインターナショナルな「悪顔」と言える。しかし、現実は「人は見かけによらない」のであり、「善玉顔」の悪だっているのだ。われわれは「外見」で決めつける危うさも知っておく必要がある。 |
自らを振り返る 2014/10/02 Thu 4325
一連の「朝日叩き」について、評論家の江川紹子氏が論評している(熊本日日新聞9月27日)。朝日に問題があることは言うまでもないが、その「裏で醜い争い」が進行中だという。まずは、「間違いを指摘されても、なかなか正さない。謝罪しないのも、朝日に限ったことではない」と指摘する。そして、「今、激しく朝日叩きをしている新聞や雑誌で、すねに傷を持たないメディアはほとんどないだろう」と続ける。さらに、「朝日の記者たちは実名で批判の声を上げた」ことを評価している。その上で、「朝日叩きをしているメディアの中には、そうした社内言論の自由が見られないところもある」という。有能なジャーナリストの江川氏だから、そうした内情にも通じているのだと思う。そして、「朝日批判を行うのはいいが、同時に、自らを振り返る謙虚さが必要だ」という主張もしっかり頷ける。しかも、これに乗じて、読者を奪う販売戦術として朝日叩きのビラまで配っているところがあるらしい。まことに嘆かわしいと言うほかはない。
そんなことを考えながら、江川氏について思い出したことがある。それは、「PCの遠隔操作事件」である。あのときは「なりすまし」で、何人かは誤認逮捕された。しかし、やがて容疑者が逮捕され、裁判が始まった。その公判では、冤罪事件の解決で知られた著名な弁護士もついた。そして、江川氏もこれが冤罪であると主張し、容疑者のバックアップに力を注いだという。しかし、その結果は意外ともいうべきあっけなさで、容疑者が真犯人であることが明らかになった。この事実が確定したあとに、江川氏は自らの間違いをどの程度検証したのだろうか。その点について私は情報をもっていない。彼女らしくきちんと振り返ったとは思うのだけれど…。 |
第一線の苦しみ 2014/10/01 Wed 4324
鳥越俊太郎氏が「日本の新聞ほど信頼度の高いものはありません」と語りかけていることについて、客観的な情報を提示すべきだと書いた。ただし、これはあくまで広告だから、そこまで厳密なデータの提示を求めるのは無理があるかもしれない。しかし広告でも、ある事実をアピールする際には※をつけた注釈を付けているケースもある。たとえば「〇〇協会調べ」といった具合である。そうであるならば、日本の新聞の信頼性を強調するのだから、広告であってもその客観的な根拠をあげることはできるに違いない。とりわけ、朝日新聞の「誤報」あるいは「虚報」とも言うべき問題が世間を賑わしている時期である。ジャーナリストの先頭を走る鳥越氏だからこそ、しっかりした根拠を提示することが期待されるわけだ。
それにしても、これは「新聞少年の日」に関わる広告である。新聞を家庭と繋いでいるのが新聞少年たちだ。今回の朝日の問題で、現場第一線で働いている彼等はどのような気持ちでいるのだろうか。これは組織のトップが起こした問題で、一生懸命に働いている人々が苦しい立場に追い込まれてしまう。そんなケースが多くはないか。朝日の場合もまさにその典型的な例である。かなり前になるが、大手の食品会社で上層部の責任が問われる問題が明らかになったことがある。それが、毎日口に入れる食べ物に関わっていたこともあって、消費者の反応はすばやく、かつ厳しかった。そんなことから、生産停止や工場の閉鎖といった事態に追い込まれてしまった。その結果は明白である。それによって、現場で一生懸命に働いていた人たちが路頭に迷うことになったのだ。何の責任もない善良な人々に苦しみを与える。組織のトップはこうした点をどのくらい自覚しているのだろうか。 |
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