味な話の素  Since 2003/04/29 
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 2014年9月号 No 137 4293-4323
新聞は「心の栄養」…  2014/09/30 Tue 4323
 ジャーナリストの鳥越俊太郎氏が新聞の広告で語りかけている。「新聞は心の栄養」だと。来月10月19日が「新聞配達の日」であり、「新聞少年の日」だという。私も活字中毒世代であり、新聞なしの生活は考えられない。また子どものころから、夕刊がある地域に住んでいた期間が長かったため、夕刊がないと気持ちが落ち着かない。これは体にしみこんだ習慣である。熊本では、いわゆる中央紙の夕刊はないから、私にとって地元紙は必須である。正直なところ、夕刊のニュース情報はそれほど多くはない。配達時間から推測すると、その日の昼ごろまでには原稿の締め切りになるのだろうから、それも当然だろう。ところで、この7月から今月まで、私は地元紙の熊本日日新聞の夕刊コラムに寄稿していた。それも先週の木曜日に113回連載して終わって。何人かの知り合いから、「読んでますよ」と言われたが、実際はどのくらいの方に読んでいただいただろうか。
 それはともあれ、私も鳥越氏の言う「新聞は心の栄養 」であることに異論はない。それに「心の栄養」とは、なかなかいい表現だ。広告では、「日本の新聞ほど信頼度の高いものはありません」と語りかける。これはけっこう強い表現で、そのことを鳥越氏が確信していると受け止めた。そこで私は思うのである。「それはどこの国と比較しているのだろうか」と。そして、それがどのくらいの客観的な事実なのかを聞いたみたくなった。素人としては、新聞の先進国と推測するアメリカやヨーロッパの国々で発行されている新聞よりも 「信頼度が高い」のだろうか。鳥越氏は元新聞記者だから、この広告に関してはいわば利害関係者である。そうであるからこそ、「伝える内容」については、客観的な情報を提示すべきではないか。
パワーポイント物語(3)  2014/09/29 Mon 4322
 ともあれ、PCは自分のものを使うので、先方に安心していただくために「時間は1分もあれば繋げます。これまでうまくいかなかったことはありません」とお伝えします。本当に「1分」もあれば十分なのです。ただ、それでも主催者の方々は完璧を期されるわけです。そこで、「予めUSBメモリーかCDをお送りください」とか「当日は、こちらで準備したPCを繋いでいますので、USBかCDをご持参ください」というご要望が出ます。これに対する私の回答は決まっているわけです。それは「じつはジャンプを多用するため、私のPCでしか作動しません。ご理解いただきますようお願いします」というものです。このメッセージがちゃんと通じているのか。そう考えてみると、主催者の方に確認したことはありませんでした。そのときは私自身が、もうすっかり忘れているのでしょう。
 ここで、私のパワーポイントについて少しばかり説明してみようと思います。まずは結論から先に言いますと、講義に講演、さらには研修でも、ベースになるスライドはタイトル部分を含めて、多くても4枚程度なのです。実質的には「メニュー」の1枚だけです。ここでその内容に応じて「メニュー」を作成しておくのです。そして実際には「ハイパーリンク」という機能を使ってジャンプさせていきます。現在、PCのハードディスクには560のファイルが入っています。ファイルの大きさはまちまちですが、合わせれば5000コマはあるでしょう。ほぼ2ギガになります。そして、講義や講演では、その場の状況でジャンプ先を決めるのです。こうしたことから、私のPCでないと、スムーズに動作するかどうかが保証できないのです。これからも「ご理解」をお願いし続けることになるでしょう。
 
パワーポイント物語(2)  2014/09/28 Sun 4321
 大学の外で講演となれば、事前に主催者の方と打合せをします。そのときは、「当日はプロジェクタとホワイトボードをご準備ください。PCは持参いたします」とお伝えしています。それで済むことが多いのですが、PCとプロジェクターがうまく動くかどうかをご心配される場合もあります。とくにPCとプロジェクターの相性などがうまくいかなかった経験をおもちの方でしょうか、とても気にされることがあります。私はウインドウズですが、アップルではちょっと違った対応が必要だとも聞きます。そこも心配の種になるようです。たしかに、20年ほど前になるでしょうか、プロジェクターが出始めのころにはPCと繋ぐコードそのものが違ったりした記憶があります。世の中にプロジェクターなるものが登場したときは1台50万円以上していたと思いますが、その時代の経験です。
 私自身は、プロジェクターをこれまで何百回も使っていますが、うまくいかなかったことは2回しかありません。その一つは、プロジェクターのランプが切れてしまったときです。これはもうどうしようもありませんでした。そのときは緊急対策として「
ジェクター」に切り替えました。ホワイトボードがいつも以上の大活躍でした。「口」はいくら使っても切れませんので安心です。もう一つは、ピンコードが合わなかったことです。ただし、それはまだ浦島太郎が元気だったころ、つまりは大昔の話です。しかもこのときは関係者の方が「これってうまくいかないんですよね」とおっしゃって、すぐ横に別のものを準備されていました。もちろん、それでOKだったことは言うまでもありません。私としては、「最初から『うまくいきそうな方』を使われればよかったのになあ」と単純に思いました。
 
パワーポイント物語(1)  2014/09/27 Sat 4320
 大学の講義は1コマが90分です。講演の場合は時間には幅があります。そのなかで最も短いのは60分でしょうか。学校で先生方に対して行われる研修などが60分から70分といった感じです。ただ全体として多いのは、講義と同じ90分でしょうか。もちろん、2時間のケースもありますが、これも事前のご挨拶などが含まれていて、実質は1時間45分程度になったりします。さらに質疑応答の時間をとってほしいとのご希望があれば、最終的に話す時間は90分程度ということです。このほか、3時間というケースもあります。その場合は休憩時間をとったりします。ただし、私個人としては3時間ぶっ続けの方がいいなあと思うわけです。途中で休むと、私の体から空気が抜けてしまいそうになるのですね。何分にも話しているうちに勝手に興奮するものですから。ただし、お聴きになっている方は大変だと思います。
 ところで、講義でも講演でも欠かせないのがパワーポイントです。ずいぶん永いこと、私は「OHPなしでは生きていけない人生」を送っていました。じつは、OHPに対する執着が強すぎて、私がパワーポイントに手をつけたのはそれほど早くはありませんでした。学会でも半数以上の発表がパワーポイントになったころ、「自分もちょっとやってみるか」という気になったのです。しかし、一端その魅力に取り憑かれてしまうともういけません。何分にも粘着質ですから、おもしろくて止められなくなってしまいました。いまでは「パワーポイントなし」では生きていけませんね。というわけで、講義はもちろん、講演でもパワーポイントは必須なのです。大学の授業では自分でPCをセットし、そのままパワーポイントの世界に入ります。これが外に出かけての講演となると事情が違ってきます。当然ですが、主催者の方と打合せをすることになります。
 
「来い」と「会い」の物語  2014/09/26 Fri 4319
 若者が「金がないとくよくよする」と嘆く現状を目にして、年寄りたちが「いまの若者は」と嘆いていたのだろか。しかし、そこそこ経験を経たいい大人たちの本音も、ひょっとして同じようなものだったのかもしれない。この年、1960年はいわゆる「60年安保」の年である。日本の独立とともに締結された「日米安全保障条約」が10年の期限を迎える。当時の岸内閣がそれを自動延長しようとした。これに対して条約を破棄させようとする反対運動が起きた。国会周辺はデモ隊で埋まり、その中で女子大学生が亡くなった。岸信介氏は、安倍晋三現総理大臣の母方の祖父である。敗戦から15年、ようやく経済的な復興も見えはじめた時期だった。
 さて、「ご託宣」は続く。「恋というから行きたくなって、愛というから会いたがる。こんな道理は誰でもわかる。それを止めたきゃ字を変えろ」。そして、また「有難や有難や有難や有難や」のバックコーラスが響きわたる。「恋」と「愛」は完璧に浜口流の「ダジャレ」である。「なまじ『恋』などというから、『来い、来い』と聞こえてしまうじゃないか」と文句を言っているわけだ。それに加えて「『愛』なんだから『会い』たがって当然じゃないか」と居直るわけだ。この程度の文句を言っているころは、多くの若者が素朴で純情だったのかもしれない。いまでは、ストーカによる殺人行為まで起きてしまう時代になった。ただし、昔もストーカー的な行為自体はあったに違いない。そして、それが不幸な結果をもたらしたケースもなかったとは考えられないが…。ともあれ「庫之助教」では、「それが嫌なら『字を』変えろ」と無茶な道理につながっていく。そして、「有難や有難や有難や有難や」のバックコーラスが繰り返される。
 
ありがたや節  2014/09/25 Thu 4318
 私が小学生6年生だった1960年に、その歌はラジオから流れていた。何となく、街のどこかで聴いた記憶もある。作詞:浜口庫之助、作曲:森一也の「ありがたや節」である。小学生の私が、その歌詞の内容を十分に理解していたわけではない。しかし、なぜか強烈な印象があって、私の人生にくっついてきた。歌手は守屋浩、現在すでに76歳なのだという。あのホリプロからデビューしたタレント第1号で、ときおり懐メロ番組にでているらしい。現在はプロダクションの重役的な仕事をしているようだ。
 作詞の浜口庫之助はふくよかな顔をした、人懐っこそうなおじさんだった。いかにもこんな詞を書くだろうなあという雰囲気にあふれていた。マイク眞木の「バラが咲いた」といった若者向きの歌から、石原裕次郎の「夜霧よ今夜もありがとう」のような大人の詩もいろいろ書いた。作詞だけでなく、記憶に残る作曲も多い。島倉千代子の「人生いろいろ」なども創っている。
 さて、私の頭から離れないその歌は〝有難や、有難や、有難や。有難や〟のバックコーラスからはじまる。これがお経のように繰り返される。そんなことで、スタートの時点から目を閉じて手を合わせたくなるのである。そして「ありがたーい」ご託宣が続くのだ。〝金がなければくよくよします、女に振られりゃ泣きまする。腹がへつたらおまんまたべて、寿命(いのち)尽きればあの世行き〟。これに、すかさず〝有難や、有難や、有難や、有難や〟のコーラスがフォローする。いきなり「金がなければくよくよする」という現実をぶつけてくるからドキッとする。「人生は金なんかじゃない。もっと大事なものを探せ」なんてのが一般的な教訓だ。そんななかで若者が「金がないとくよくよする」と嘆くのである。
 
祝 カウンター回復
 お騒がせしました。大学のプロにご相談して、カウンターが無事に回復しました。
 原因は数値が入っているファイルが壊れていたそうです。ともあれ、「ありがたや、ありがたや」です。
  
おやおや、びっくり仰天!
 昨日23日のお彼岸の日のことです。これまで11年以上に亘って積み重ねてきた「アクセスカウンター」が、なぜか「クリア」されました。
 前期高齢者として「〝ゼロからスタート〟しては」とのお勧めなんでしょうか。今月の8日には、〝345,678〟件まで達していたのですけれどね。さっそく原因を調べますが、あっけないのは「人生」と同じですねえ…。「ありがたや、ありがたや」。
 
音楽万歳!  2014/09/24 Wed 4317
 舞台などと比較すれば、よりリアリティを追求する映画が、わざわざ「ミュージカル」をつくるのである。そしてそれが十分に楽しめるのだから人間はおもしろい。それが「ミュージカル」という手法の力だと言ってしまえば、それっきりになる。私としては、その根本には、人間が「音楽」とは切っても切れない関係をもっているという事実があるからだと思う。生きることの喜びも悲しみも、さらには苦痛すらも音楽が表現し、それが心を揺さぶるのに違いない。人間がまだ言葉をもたない時代から音楽はあったのではないか。少なくとも手を叩き、周りにあるものを打てば音がする。動物や風も音を立てる。それも平板なものではなく、それなりのリズムがある。心を落ち着かせる穏やかな音もあれば、心臓が音を立てるような不安を誘うものもある。その表現は果てしなく広がっていく。かくしてわれわれは音楽を楽しむことを身につけた。すばらしきかな音楽、すばらしきかな人間、まさに「ビバ、人生」である。
 最初に言葉を発したのがどこの誰かは知らない。しかし、いまや言葉を使うことは人種を越えて人間共通の力になっている。これと同じことが音楽にも当てはまる。私は素人だから実情は知らないが、音楽をもたない人種や民俗は存在しないのではないか。しかも音楽は言語を超えた力をもっている。言葉は理解できなくても、リズムを聴いただけで体が動くのも、音楽の普遍的な力である。もっとも、わが日本の演歌なんぞは、全世界共通とまではいかない。ただし、韓国とは相当程度に類似していて、言葉はわからないが雰囲気はほとんど同じである。私なんぞはスーパー団塊の世代で「ド演歌」大好き人間だ。そのやたらと悲しく暗いところがこれまた何とも言えない。
 
ダンスあれこれ  2014/09/23 Tue 4316
 私としては、ミュージカル映画に限らず、テレビの音楽番組を観ていても、そこそこリズムには乗れるのである。われわれより少し上の世代にツイストと呼ばれるダンスが流行った。その名のとおり、腰をねじらせながら手を振るのである。そのあとにモンキーダンスなるものがくる。これも腰のあたりはひねっていたが、手はどちらかと言えば上下に振った。まあ、単純にモンキー風の動きをするのである。さらに、ゴーゴーダンスが最高潮に達する。そして、「マハラジャ」などの、ディスコと呼ばれるダンスホールが若者のたまり場になる。その究極が「ジュリアナ東京」であり、わが国はそのままバブル崩壊に突き進んでいくことになる。そんな流れのなかで、社交ダンスは若者たちには馴染みのない時代でもあった。こうした時代の空気を吸ったが故に、私なんかでもテンポのいい音楽が流れるとそれなりに体が反応するのである。
 そこで、映画の「舞妓はレディ」でも歌がはじまると、一気に楽しくなったわけだ。ところで、ミュージカルといえば、生まれて初めて接したのは「サウンド・オブ・ミュージック」である。それは私が高校2年生のときだった。オーストリアの緑の草原が画面いっぱいに広がり、「ドレミの歌」が流れる。もうその映像と音楽だけで心がが躍った。もっとも、楽しかったとはいえ、そのあとに、わざわざミュージカルを観にいくことはなかった。ところが2年前に、「レ・ミゼラブル」がミュージカル映画として公開された。私のような者には、あのシリアスな物語がミュージカルになるなどとは想像もできなかった。しかし、これを実際に観ると、それなりにおもしろいと感じるのである。そんなわけで、ミュージカルとは何とも不思議なものだと思う。
 
「舞妓はレディ」  2014/09/22 Mon 4315
 映画「舞妓はレディ」を観にいった。津軽弁と鹿児島弁訛りの少女が苦労に苦労を重ねて京都の舞妓になるという物語だ。周防正行監督の作品だが、内容はミュージカルだった。それは想定していなかったのだが、なかなか楽しかった。映画もつくりものではあるが、舞台などよりもリアリティの度合いが高い。それがミュージカルとなると「あり得ない」という感じもする。しかし、それもまた楽しさに重点を置くと、それなりに乗ってくる。椅子の肘掛けあたりでリズムを取りたくなる。少しばかりは頭を揺らしたくもなる。このあたりは家内よりも私の方が反応する。
 もうはるか昔のことだが、卒業の祝賀会でビートのきいた音楽に合わせて学生たちと踊った。もちろん我流だが、これを見た学生たちが意外な顔をして驚いていた。しかし、われわれ団塊の世代はけっこうやるのである。ビートルズ旋風が巻き起こったときが中学生の終わりだったと思う。その流れのなかで、グループ・サウンズが一世を風靡した。そんなときに青春時代を送ったのである。
 あのプレスリーだって、われわれより少しばかり上の年代から受け受けだった。プレスリーの「ブルーハワイ」や「アカプルコの海」。それに強烈な音響が耳をつんざく「ビバラスベガス」なんぞの映画を観にいった。あの頃のアメリカはキンキラキンだった。相手役のアン・マーグレットもまぶしかった。ウィキペディアで検索したら、現在73歳だという。しかも夫がロジャー・スミスだとわかって、またうん十年前に舞い戻ってしまった。私が中学生のころから、日曜日の夜といえば、探偵事務所を舞台にした「サンセット77」が大人気だった。その主役の一人がロジャー・スミスだったのだ。吹き替えは園井啓介がしていた。
 
箍の緩み  2014/09/21 Sun 4314
 裁判官が判決でミスをして、それに気づいた検察官が控訴しなかったことが明らかになりました。問題の誤った判決を出したのは広島地裁の裁判官だそうです。法律の詳細はよくわかりませんが、「2年6ヶ月」以上の刑でないと「執行猶予」が出せないのに、強盗事件に対して「懲役2年4月、執行猶予4年」の判決を言い渡したというのです。法律のプロ中のプロである裁判官が、とりわけ重要な刑期を誤るなど素人も唖然としてしまいます。
 しかし、問題はそれに止まらないのです。裁判官本人がミスに気づいて、そのことを検事に伝えたようです。ところがこれに対して、担当検事から相談を受けた先輩の検事は「被告に不利益な判決ではなく執行猶予も付いている。あえて控訴して是正する必要はない」とアドバイスしたというのです。まあ、先輩に言われては従うしかないということでしょうか。結局は控訴が見送られたというのです。何のことはない、検察がまともに仕事をしなかったのです。
 これを知って、素人としては開いた口がさらに塞がらなくなってしまいました。人間は誤りを犯すものですが、それに気づいても修正しないのでは、お話になりません。しかも、同業者の裁判官ではなく、素人から見れば「対峙」する立場にいるのではないかと思う検事がこんな程度の低い判断をしているのです。いやこれはレベルの問題ではありませんよね。法律を厳密に運用するというプロとしての検事なのですから、まさに職務怠慢ではありませんか。これでは裁判官と検事はなれ合っているのではないかと邪推されても仕方ないでしょう。あるいは、ここで控訴すると、さらに裁判が続くので面倒になったのでしょうか。ともあれ、世の中のあっちでもこっちでも箍が緩んでますよね。
 
駅前物語(1)  2014/09/20 Sat 4313
 大分駅が再開発中であることはすでに触れた。現在建築中の新駅は21階建てでホテルも入る。これまで裏側になっていた方もしっかり広い道路ができた。すでに緑化も進み、公的な建物らしき施設も新しくできていた。この経済状況だから、開発のスピードは遅いかもしれない。それでも、東九州の代表都市として、その風格を備えつつある。ついでに大分ではスイカでバスに乗ることができる。
 同じ九州の鹿児島でも、新幹線開通前から鹿児島中央駅(旧西鹿児島駅)の周辺が着々と整備されてきた。巨大な観覧車が都会のシンボルなのかどうかはわからない。しかし、とにかく鹿児島中央駅も南九州を代表する都市にふさわしい見栄えのする施設になった。駅前には西鉄系のソラリアホテルもできている。そのビルにはバスセンターもあって、中央駅から地下道で繋がっている。現在、さらに開発が進行中である。
 さて、山陽新幹線の姫路駅もこれまたすばらしい。駅を降りると、前方に真新しくなった姫路城がしっかり見える。まさにベストポジションに駅があるのだ。しかし、それだけではない。姫路駅の両側ともしっかりした広い道路が伸びているのである。この駅も都市の風格を感じさせてくれた。
 どうしてこうしたことを書くのか、その理由は明かさない。おわかりになる方だけ、おわかりになればいい。ただひたすらあることを嘆いているだけのことである。そしてこれを「駅前物語」としてシリーズ化するつもりでいる。ともあれ、思い出したときに書くといった感じである。ここで挙げた各都市の人口を見ると、大分市はおよそ48万人、鹿児島市は約61万人、姫路市は53万人である。そして熊本市は全国で20しかない政令指定都市の一つであり、人口は74万人を擁している…。
マニュアル問題(74)  2014/09/19 Fri 4312
 規則やマニュアルを守っていなくても、何事もなかったかのように仕事がはかどる。少なくとも表向きにはそうなっている。そんなときに、個人が「これはまずいのではないですか」と問題を指摘するのはむずかしいのです。とくに自分が責任者でなければ、言い出すのは無理でしょう。そんな状況であっても、心臓が止まるほど思い切って発言したらどうでしょう。これに対しては、「せっかくうまくいっているのに、余計なことは言うな」と冷たい目で見られる。あるいは怒られるかもしれません。誰もがそんな圧力を感じるわけです。それに、いまの世の中、どこを見てもとにかく忙しいですね。そんな状況で自分だけ新たな負担を増やされてはかなわない。そう思うのは当然なのです。
 こうなると、問題はさらに深刻化していきます。小さなウソをつくと、それをカバーするために、さらにウソをつかなければならなくなる。私たちの周りには、こんな負のスパイラルが積み重なって、ついにはとんでもないことになるケースがけっこうあります。規則やマニュアルを守らないことと、一般のウソとを同列に扱うのは問題だと思われる方もいらっしゃるでしょうか。しかし、基本的に「守っている」ことが前提になっている規則やマニュアルを「守っていない」にも拘わらず、そのことを「隠す」のですから、広義には「ウソ」をついていることになるでしょう。それも組織内だけの問題だと考えるのは大きな誤りです。さまざまなものは、製品やサービスとして世の中に出ていくわけです。つまりは顧客がいるのです。もちろん、これは民間だけではなく、公的な組織についても当てはまります。それをつくる過程において、「守るべきことが守られていない」のは大きな問題なのです。
 
マニュアル問題(73)  2014/09/18 Thu 4311
 日常の仕事のなかで、「マニュアルからはずれそうになる」ことは起きても不思議ではありません。仕事をしているのは心をもった人間です。それは「楽をしたい」「面倒くさい」といったマイナスの要因が働くだけではありません。ときには「こうした方が効率がいい」「むしろ安全だ」といった、当事者としてはプラスの気持ちで「はずれてしまう」こともあるでしょう。しかし、そうした場合でも、自分の判断だけでなく、職場で議論することが必要なのです。つまりは個人が「勝手に判断」してはいけないのです。
 ともあれこうしたときは、その「ズレ」に気づいて、それを決められた行動を取るように元に戻す力が働かなければならないのです。ところが、人間にとってこれがまた相当にむずかしいわけです。規則やマニュアルにしたがっていると時間や経費がかかる、たまたまその時点で人員が足りなかったなどなど。とにかく少しだけ「はずれる」ことについて、いろいろな理由が付けられるのです。そのなかでも、「非常事態」「緊急避難」などは、最も「説得力」のあるものでしょう。あっという間にそれは「やむを得なかった」ということになってしまいます。しかも困ったことですが、「マニュアル」から「はずれた」、あるいは「逸脱した」その行為が直ちに問題を起こす確率は低いことが多いのです。
 そうなると、すぐに「こちらの方が効率的で楽ではないかだ」という「解釈」が生み出されるのです。ここまで来ると、「気づかない」という域を超えているのですが、職場全体にそんな雰囲気が漂ってきます。もういけません。「はずれている」と認識し「まずいのではないか」と思っても、それを表だって言いにくくなります。
 
マニュアル問題(72)  2014/09/17 Wed 4310 Continued from 9/12
 「マニュアルを作成しても説明する機会がない」という記述もありました。それには、「個人に任される」という添え書きがありました。つまりは、マニュアルをつくったのはいいが、その説明は「あんたがしてちょうだい」ということです。ここでは、マニュアルを誰がつくったかについては言及されていませんでした。いずれにしても、その説明が職場の責任者に「丸投げ」されているわけです。しかも、それを行う機会が与えられないというのです。こうなると、ただ「マニュアル」をつくることだけが目的になった感があります。
 ここまで極端な例がどのくらいあるのかわかりませんが、これは、「マニュアルを守る、守らない」以前の問題ですね。しかし、現実に管理職が「規則やマニュアルが幾何級数的に増えていって、現場で説明する時間がない」という危機感をもっている職場はあります。いずれにしても「説明したり、教育したりする機会」がなければ、規則もマニュアルも存在しないのと同じことです。
 また、「マニュアルにしたがっていると、その行動が当然だと思い込んで、マニュアルからはずれても気づかない」との声もあります。これは真意がわかりにくい表現です。「マニュアル通り」にしていれば、それで問題はありません。そして、それが「当然だと思い込む」のも、必要な行動が身についている状況なのですから、まったく問題はない訳です。しかし、それにも拘わらず、こうした指摘が出てきたのです。きちんとしていても、「本来の行動からはずれる」ことがあるというのです。その意図を推測しながら解釈すると、ほんの少しばかりであれば、「マニュアルからはずれそうになる」ことが起きるというのでしょうか。
 
誤報と虚報  2014/09/16 Tue 4309
 今回の朝日問題は、「誤報」ということになっているが、見聞きする情報を踏まえれば、これはむしろ「虚報」に近いのではないかとすら思えてくる。「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」によれば、「誤報と虚報」の項に、「誤報」は「事実とは異なる誤った報道。誤報の多くは取材する側の聞き違いや思い違い,取材される側の言い違いや勘違いなどのミスによって起こる」とされている。そして、「全く事実無根の捏造 記事は虚報といわれる」と説明する。この定義では、「全く」という条件を付けている点が引っかかった。これだと、「少しでも事実」が含まれていれば「虚報」ではないとことになる。
 しかし、世の中に広く報道される情報で、「100%事実無根」という現象があるのだろうか。そもそも、「事実無根」は、「事実に基づいていないこと。事実であるという根拠がないこと」(大辞林 第三版)である。ある事柄に関する情報が「事実でない」のだから、「事実無根」と表現しただけで「即アウト」なのだ。そこに、ことさら「全く」という修飾語を付ける必要はないのである。ところで、「全く」は副詞だから、「全く事実無根」のように名詞を形容するのはおかしいのではないか。まあ、このあたりは中学生から高校生時代の文法知識しかもっていないので、私の指摘は怪しげではありますが…。ところで、マスコミは「第4の権力」と呼ばれる。ただし、英語では〝the Fourth Estate〟で、〝power〟ではない。したがって、「権力」は誤訳だとの指摘がある。それは、聖職者・貴族・平民に次ぐ第四番目の社会的勢力を意味したというのである。もっとも、その後アメリカにおいては今日的な意味で、使われるようになったということのようだ。
 
燃える朝日  2014/09/15 Mon 4308
 朝日が炎上している。この件については、多くの論評が出されているから、どんなことを書いても二番煎じになるにちがいない。そうは言いながら、私も「教育情報科学」というタイトルの講義を担当している身である。それなりの意見は発信しておきたい。
 まずは邪推から。ここまで来てしまうと、朝日新聞の社長が謝罪会見をした日程すら意図的なものを感じてしまった。その翌日の地元紙の一面トップは東京電力福島第二原子力発電所の「吉田証言」だった。しかも、その詳細が複数ページに亘って記載されていた。そのウエイトに押されたかのように、朝日新聞社長の謝罪は相対的に小さなスペースを取っているだけだった。その前日、つまりは会見があった当日の夕刊には、それなりに目立つ記事になってはいた。しかし、朝刊と夕刊をセットで購読している読者はどのくらいいるのだろうか。わが家も夕刊は取っているのだが、仕事がバタバタしているときなどは、さらりとしか読まない。いずれにしても、「吉田証言」が公表されるとなれば、そちらが重くなるのは誰の目にも明らかである。
 国を含めて、不利になることをいるだけ報道されなくするために、大きなイベントと重なる日を選んだりする。もちろん、当事者がその事実を認めることはあり得ない。しかし、とにかく事実として、それが小さな記事になったり、場合によっては取り上げられもしないのである。ここで朝日が謝罪に当たって、意図的に「その日」を選んだとは言わない。しかし、朝日にとっての深刻さを考えると、そんな邪推もしたくなるわけだ。それはそうとして、今回の問題は、朝日新聞が報道機関として存在しうるのかどうかすら問われるほど重篤なのである。
 
国家の嘘  2014/09/14 Sun 4307
 個人間の「嘘」も、その与える影響には大小の差がある。しかし、それを「組織」の「嘘」と比較すれば、あくまで相対的ながら影響は小さい。組織にも大小あるが、その最大のものは「国家」である。組織の規模が大きくなればなるほど与える影響も大きくなるのは当然である。そして、「国家が嘘をつく」ことが珍しくないことは、歴史の現実である。
 わが国においても、太平洋戦争中の海外における「戦績」は虚偽情報にあふれていた。戦績として新聞に「わが方の損害軽微なり」などという見出しが出たときは、相当なダメージがあった。生前の父は、「少なくとも自分たちはそう思っていた」と話していた。つまりは国民も「眉に唾して」受け止めていたのである。また、敵の力に圧倒されて敗走するときにも「転進」といった表現をして事実を歪めた。戦いに敗れて後退するときは方向「転」換して、そちらの方向に進むわけだ。だから「転進」で間違いないなどと言うのはごまかしに過ぎない。こんな発信をしながら、これで国民に真実を伝えているのだと認識していた者はいなかったにちがいない。そんな人間がいたら、そもそも情報発信の能力が疑われる。そうではなくて、「いまは、この表現にした方がいい。事実を伝えると国民の戦意が喪失する」。そんな「冷静な判断」をしながら、冷徹に「虚偽」の情報を流していたのだと推測する。これらは「事実と違う」のだから「虚偽」の範疇に入ることは疑いない。これに対して、「言うべきことを言わない」のはどうなるか。その発信源の立場にもよるが、これも広義の「虚偽」に含まれると考えるべきだろう。ところで、当時、主として国民にこうした情報を提供したのは新聞だった。
 
嘘の後ろめたさ  2014/09/13 Sat 4306
 完全な実証はできないが、この世の中に住んでいる大人で、「嘘」をついたことがいない人はいないはずだ。「私はこれまで一度も嘘を言ったことがない」。そう発言するだけで、それは「大嘘」だということである。そして、われわれは、「嘘も方便」などと言いながら、自分を正当化もする。実際、すべての事実を伝えない方がいいと思われることはいくらでもある。最近ではインフォームドコンセントも浸透してきて、ガンであるにも拘わらず「ガンではない」と虚偽の情報を与えることはあり得なくなっている。いずれにしても、所詮は人間のことである。これからもわれわれの社会から「嘘」がなくなることはない。
 ただ、「嘘」をつくと、多かれ少なかれ、そのことによる心の負担が生まれる。いわゆる「後ろめたさ」を感じる。人間はどんなことでも時間が経過するとともに忘れていく。そして、少なくとも本人が「ささやかな嘘」だと思っているものであれば、苦笑いだとしても、「楽しい思い出」になることもある。しかし、それが他人にマイナスの影響を与えたとなれば、たとえ「ささやかな嘘」であっても、「あの人に悪かったなあ」といった気持ちが生まれる。こうした後ろめたさを感じるのは、今さら取り返しが付かないとはいえ、われわれの心に良心が宿っているからである。もし、現時点でもその人に会うことができるようであれば、「じつはあのときは嘘をついた…」と伝えるといい。そうすれば、心の残滓もきれいに流される。もちろん、その当人が「嘘」であったことを知って憤って、厳しい状況になる可能性はゼロではない。そうした事態が高い確率で予想される場合には、そこで「本当のことを言う」のを躊躇する。
 
マニュアル問題(71)  2014/09/12 Fri 4305
 「規則やマニュアルが守られない」理由として、「働きはじめる前に読まされてもわからない」というものがありました。これは新しく採用されたときや、異動したり新しい仕事を担当するようになった際に起きることのように思われます。基本的な規則やマニュアルの概要は事前に伝えておくことは当然です。しかし、実際に仕事をはじめてみると、規則やマニュアルには明確に決められていることでも、それに気づかなかったりするわけですね。そんなときには、いわゆるOJTが重要な役割を果たすことになります。しかし、その一方で仕事の忙しさに負けてしまって、ついついそうした教育をする時間と気持ちのゆとりがなくなってしまうのです。
 もしも、これが採用時だけに関する意見だとすれば、新人教育のあり方についても重要な問題を提起していることになります。とくに、教える側にいる経験者にとっては「当然」のことでも、これから働こうとする者にはチンプンカンプンだらけということが多いのです。こうした点を忘れないようにしなければなりません。そんな意味では、「規則やマニュアルをうまく教えるための『マニュアル』が必要だ」ということになるでしょうか。それはかなり皮肉な話にはなるけれども、そんな工夫がいるかもしれません。それに加えて、教えられる側である未経験者たちが、そこで体験した「教育」をもとにして、「こんな説明があればもっと理解できた」「この部分は十分に理解できた」点を整理していくことも大事でしょう。そうした情報を生かすことで、さらに役立つ「マニュアル」ができるでしょう。いっその、彼等が「マニュアル」を作成すると、わかりやすいものができるのではないでしょうか。
 
マニュアル問題(70)  2014/09/11 Thu 4304
 小さなことでも「表明する」人もいますが、一方で、みんなが「言った方がいい」と思っていることでも、ついつい控えてしまうという人たちもいます。そうした人のなかには、「黙っていてもちゃんと理解してもらえる」という信念や態度をもっていたりもします。たしかに、周囲の者たちが評価すべきことを適切に評価する力を備えていることはとても重要です。こんなときに、「あいつだけ目立っている」とか「得をしている」などと心を歪めてはいけません。お互いが、その力を「認め」「評価する」ことが常識になっている。職場のリーダーはそんな雰囲気をつくり出すことが求められているわけです。そうであってこそ、メンバーたちは十分に満足して仕事ができますし、問題に気づいたら、それを正直に表明することができるわけです。
 ところで、「自分にプラス」になることであれば、それを言ってみようという動機づけも高まります。しかし、その反対に「自分にマイナス」になることが明らかなときはどうでしょう。もしもそれを「黙っておけばすむ」という状況だと思えば、「わざわざ言う」気持ちにはなりません。それもまた人間として、とてもわかりやすい反応です。その結果として、「隠したく」なってしまう。この力も相当に強いものがあります。なぜなら、それが自分の評価に直結する可能性が高いからです。それは処罰されたり降格になるといった厳しい対応をされることも予想されるでしょう。そこまでいかなくても叱られることは気持ちのいいものではありません。そうした形式的な処分だけではすまずに、自尊心が傷つくといった内面的なマイナスまでで含まれているのです。こうして規則やマニュアルが遵守されないのは、組織要因の影響が大きいのです。
  
Pの両輪  2014/09/10 Wed 4303
 錦織選手が決勝戦までいけたのは、メンタル面での成長が大きかったようです。日本語では「心身共に健康」という表現で、「体」と「心」の調和が強調されます。しかし、それは日本人だけではありません。この世に生きるすべての人間が、「心」と「体」のバランスを保つことで、健康な人生を送ることができるのです。その意味で「心」と「(身)体」は、私たちにとって大事な車の両輪というわけです。英語に訳せば、「心の安定性」は〝Psychological stability〟で、「身体の安定性」は〝Physical stability〟となるでしょう。これで、両輪ともに頭文字は〝P〟になります。こうなると、私としては、またぞろ、「これでパワーポイントができるな」と思うのです。
 私たちは、「あれかこれか」と2つに分けたり、「あれとこれ」と2つのものを合わせて、ものごとを理解しようとす傾向があります。いわゆる二分法ですが、「白黒」「善悪」あるいは「正邪」など、いろいろありです。これが「上下左右」などになると、2×2の四分法ということになりますか。もちろん、世の中の現象は、それほど単純ではありません。しかし、まずは荒く分けて、それを分析し、それから先に進むことで、ものごとが理解しやすくなるのです。そんなわけで、錦織選手の成長からヒントを得て、人の行動を「2つの安定:Psychological stability & Physical stability」という観点から考えていくことができそうです。そして、それを表現するパワーポイントのイメージが湧いてきました。まずは大きく二つの車輪を描きます。そして、それぞれにPを頭文字とする安定性(Stability)を付けるという具合です。この両輪を、「P+P」ではなくて、「P×P」の掛け算にすることも決定です。
驚き、錦織選手  2014/09/09 Tue 4302
 このところ、テニスの錦織圭選手のニュースが踊っています。テニスの全米オープンで決勝進出というのですから、理屈抜きの快挙が目の前で起きているので。大騒ぎも当然のことです。出身は松江ということで地元も大いに盛り上がっているようです。先月の表紙写真の1枚は出雲の「ぜんざい1号店」でしたが、この数年、私も松江に仕事で出かけていて、単純に嬉しくなります。松江はラフカディオ・ハーンでも知られています。彼は松江に住んだあと、熊本に移って第五高等学校で教鞭を執っています。そのため、松江市の旧居は国の史跡として指定されていますが、熊本にも小泉八雲熊本旧宅という熊本市が指定した文化財があります。この二つの町はご縁が深いのです。
 準決勝までいったのは日本人として史上初だったそうですが、その前の8強入りも、1922年の清水善造という選手以来92年ぶりというのが大いに強調されていました。錦織のすごさがわかるのですが、私としては92年前に、そんな人がいたことも多いに驚きでした。なにせ大正11年のことで、清水選手の身長は163cm、体重53kgといわけで、現在の私とほぼ同じなんです。今でこそ、そこそこ大きくなった日本人ですが、それでも錦織選手は対戦相手よりも短身です。それが92年前になれば、さらにものすごい差があったと思われます。実際、8強にまで入った清水選手が敗れた相手はビル・チルデンという選手でしたが、その身長は188cmだったのです。今回の錦織選手がすごいということは言うまでもありません。しかし、92年も前にウインブルドン大会で健闘した日本人がいたことだって、相当にすごいと思いませんか。みなさん、清水選手にもしっかり驚きましょうよ。あとはいよいよ決勝ですね。
 
夕刊①ぶらさがり万年筆  2014/09/08 Mon 4301
 飛行機の中でメモをしようとして上着の内ポケットを見たら、万年筆がなくなっていた。その瞬間、「しまった、落とした」と思った。その日はJRに乗ったが、上着は窓の横にあるフックに掛けた。これだと重力が働くから、その状態で落ちる可能性は少ない。もう一つはある会場でのことになる。これも椅子の背もたれに掛けたような記憶がある。だから、ここで落ちることはなさそうだ。そうなると空港のラウンジか。そうなんです、飛行機好きでけっこう乗るもんですから、ラウンジも使えるんです。これって、さりげなくというよりもしっかり自慢話をしているんです、はい…。
 ともあれ、ここで上着を掛けずにソファーに置いたことを思い出した。あそこに違いない。そう確信してホテルに着いたら電話しようと考えた。ところが、愛しの万年筆があっけなく出てきたのである。ホテルで上着を脱いだら、なんと内側の下の方の糸に引っかかっていたのだ。機内で着るときにも気づかなかったから、その後もずっと「ぶら下げ」状態で電車に乗り、駅で歩き、タクシーにも落とさずにホテルまでくっついた来たわけだ。なんとすばらしいことよ。それにしても、良く落ちませんでしたねえ。
 
マニュアル問題(69)  2014/09/08 Mon 4300 Continued from 8/31
 世の中の多くの職場で、どんな小さな「ヒヤリハット」も報告することが奨励されています。しかし、組織の安全に関わっている責任者のなかには、「それが口で言うほどにはうまくいっていない」と嘆く方もいらっしゃるのです。こうした状況を放置すれば大事故につながりかねません。そこで、どうして「ヒヤリハット」が報告されないのか、その理由について考えてみましょう。
 たとえば、自分の仕事ぶりのまずさのために「ヒヤリハット」を体験した場合はどうでしょうか。おそらく、それが報告されずに「隠されたミス」になる可能性は高くなると思われます。その結果として、組織を危機に陥れる致命的な問題を含んでいることもあり得るのです。そもそも世間を騒がせる「事件」のすべてが「小さなミス、あるいは違反」行為が「隠された」ことからはじまっていることが少なくありません。そして、すでに見たように、リーダーシップが「ヒヤリハット」が報告される可能性に影響を与えているのです。
 つまりは、「小さなミス」でも「責められる」「不利な扱いを受ける」ことが明らかであれば、「それでも真実は伝えないといけない」という正義の味方は姿を現しにくいのです。しかも、この点については、それが「明らか」でなくてもいいのです。メンバー全員が「まずいことになる」と認識しているだけで、同じ力が働きます。これは人間の反応として当然なのです。それとは対照的に、「自分にプラスになる、有利になる」「自分が得をする」ことであれば、それを「隠す」気持ちにはなりませんね。もちろん、そうかといって、そのことを「積極的に表明する」かどうかには個人差があります。自分が有利になると思えば小さなことでも「表明する」タイプの人がいます。
今月の写真  2014/09/07 Sun 4299
 今月は電車とお山です。まずは電車の方ですが、これはJR九州の白い「かもめ」で、長崎駅に停車中のものです。「かもめ」は博多と長崎間を走っていますが、「ソニック」として、博多と大分・佐伯間も繋いでいます。ご覧の通りの丸みを帯びた真っ白の外観は、いかにも「かもめ」さんという感じがします。座席は黒のレザー張りの雰囲気ですから豪華に見えます。ただし、個人的な好みから言えば、やや堅めで、私なんぞはこれに乗るたびに馴染みにくいなあと思っています。新幹線が開業してから、鹿児島線の特急「つばめ」の車両が引っ越して頑張っています。佐賀や長崎方面に出かける際に、新鳥栖で乗り換えるのですが、車両が「つばめ」タイプだと、ホッとしている自分がいます。さらについでながら、長崎線がひどく揺れるのは気になります。ときには立っていられないほどなのです。
 もう1枚はおわかりでしょうか。鹿児島の錦江湾に浮かぶ桜島です。鹿児島市からは桜島から日の出が楽しめるのです。この日は雲がかかっていましたが、それもまた幻想的でいいもんだと思いながらシャッターを切りました。桜島は北岳、中岳、南岳からできあがっているのですが、最も高い北岳が標高1,117mです。中岳も1,040m、そして南岳が1,040mと続きます。つまりは、あまり変わらない高さの岳が競い合っている訳です。噴火しているのは南岳で、これが爆発すると、ものすごい量の火山灰を天から降り注ぎます。とくに風向きの影響で夏場は人口の多い鹿児島市がターゲットになるため、とにかく大変なのです。この写真のように、うっすらと白い雲で化粧をして、噴煙も白いとホッとします。雄大で激しい気性の桜島の優しい顔を見ることができた。そんな気がしました。
 
想像力欠如  2014/09/06 Sat 4298
 本当に信じられない。ラジオのニュースを聴きながら運転していた。車の事故で乗っていた子どもが放り出されて意識不明だという。軽自動車が道路から落ちて、10mほど走ってから止まったらしい。子どもはもう二人いたようだが、こちらは命に別状がないという。運転していたのは母親で職業は看護師だった。私は仕事で看護師さんたちと関わることが多い。夜勤もある大変厳しい仕事だ。そんな人の子どもが事故で意識不明になってしまった。心から気の毒だと思った。その瞬間である。アナウンサーが追加する。母親の呼気から「基準を超えるアルコールが検出された」と。何という愚かなことであることよ。酒を飲んで運転していたのである。人ごとながら、目の前が真っ暗になった。いろんな事情はあるのだろう。しかし、どんな理由があっても、飲酒運転の言い訳になるものなどあるはずがない。自分がどん底に落ちるのは、いわば自業自得である。しかし、子どもに対する責任はどうするのか…。
 そんな思いでいたら、アナウンサーがさらに追い打ちをかけてきた。元郵便局長が酒気帯びで捕まった。ところが、この男、警察官に偽造免許を見せたというのである。じつは昨年の12月に、やはり酒気帯びで摘発され、免許を取り消されていたらしい。そこで免許証をカラーコピーして、ビニールのケースに入れていたというのだ。これまた、あきれ果てて言葉を失う。しかも短いローカルニュースに2本続けて飲酒がらみである。こういう人たちは「自分はどうせバレない」と思っているのだろう。そこには、「捕まったらどうなるか」について想像力のかけらもない。これで他人の命まで危険にさらされるのである。酒を飲んで運転することは、それだけで未必の故意である。
 
公開講座物語14  2014/09/05 Fri 4297
 私が「公開講座」をスタートしたのはコンピュータ関連のものでした。もう30年ほど前になりますが、そのころコンピュータは「プログラム言語」で命令しないと動かなかったのです。そして、パーソナルなコンピュータが世の中に登場したときは、〝BASIC〟と呼ばれる言語が主流になっていました。もちろん、本格的な「大型電子計算機」やビジネス向けの専用機では、さらに高度な言語が使われていました。ともあれ、その〝BASIC〟が、〝Beginner's All-purpose Symbolic Instruction Code〟の頭文字をとったものだと言われた時には笑ってしまいました。けっこう頭をひねって、「こじつけた」と思われたからです。
 この手の工夫はいろいろありです。たとえば交通系のICカードで、JR九州の開発したのは〝SUGOCA〟ですが、これは〝Smart Urban GOing CArd〟の頭文字を取ったというわけです。博多弁では「すごい」ことを「すごか(あ)」といいますから、「すごかカード」なんです。また西鉄のカード〝ICOCA〟は〝IC Operating Card〟で単純です。これも福岡では「行きますか」といった際に「行こか」と言ったりしますから、これまた博多弁を連想させます。IC乗車券の元祖、〝SUICA〟は〝Super Urban Intelligent Card〟です。さすがに〝Super〟で、ローカルの意味合いはまったくありません。
 ところで、熊本ではようやく市電で全国系のカードが使えるようになりました。バスの方はなかなか調整が付かず、地域限定型になるらしいのです。いろんな事情があるようですが、ICカードになじんでいる私には驚きでした。ただ、最終的にはICカードも使えるようにするとのことです。そうでないと、全国からやって来る、観光客も驚いてしまいますよね。
公開講座物語13  2014/09/04 Thu 4296
 今年度の「公開講座リーダーシップ・トレーニング」が、昨日からスタートしました。昨年で定年でしたから、「講座は今年でおしまい」と絶叫していました。事実、私もそのつもりでした。ところが、新しい年度になって、大学から「今年も開講しないか」とのお声がかかったのです。私は、大体「Yes 」に徹してきました。まずはOKしてから考える。そんなことの繰り返しでした。大学からの誘いも「開講してほしい」といったニュアンスも含まれていました。そこで、時期は少しばかり後ろになるものの、第56回目の「リーダーシップ・トレーニング」を実施することにしたわけです。もっとも、「東京会場」は予定どおり完全にクローズすることにしました。
 そうした流れの中で、今年は35名の方々がご参加されています。この2日間が「基礎研修」で、2日目には職場で実践する行動目標を立てていただきました。その後は、ひたすら目標達成に向かって邁進することが、参加者の皆様方に期待されることになります。そして、3ヶ月ほど経過したころに、「行動目標」の実践度合いをチェックします。このときは、部下評価が重視されます。リーダーシップは「やってるつもり」ではいけません。それが部下をはじめとした周りの人たちに通じてこそ、本当のリーダーシップが発揮されていると考えるのです。チェックされる側にすれば、「ちょっとドキドキ」感もありますが、そうしたフィードバックこそが行動の変容に繋がるのです。そもそも「やってるつもり」が通じていないでは寂しいではありませんか。部下との間に認識の「ズレ」があるとこが問題なのではありません。問題なのは、「それに気づく努力をしない」「気づいても変わろうとしない」ことなのです。
 
公開講座物語12  2014/09/03 Wed 4295 Continued from 12/24/2013
 定年で退職するに当たって、20年を超えて開講してきた公開講座を振り返っていた。それが10回目に達したのは、昨年の12月24日だった。それからは、それが連載であることすら忘れていた。ある目的で過去の本欄を見ていたら、それが目に飛び込んできた。そうなると、またぞろ私の心のなかで、〝連載の虫〟が騒ぎはじめる。じつは「コンピュータ」の講座にまつわる思い出に関わって、私とパーソナルコンピュータの出会いなどを書いているところだった。そこで、これに続けて久しぶりに「思い出」をお話ししようと思った。
 私は当時は大型の電子計算機しかない時代に、それを動かすためのプログラム言語である〝FORTRAN〟を勉強していた。そんなときに、ようやく30代に達したばかりの私はNECのPC8001と出会ったのである。これを動かすのは〝BASIC〟と呼ばれるプログラム言語だった。そのため、〝FORTRAN〟の甥っ子か姪っ子のような〝BASIC〟はなじみやすく、それを使ってPCを動かすのが楽しくて仕方がなかった。それからしばらくして〝オタク〟ということばが流行った。当時の私は〝PCオタク〟の走りだった。ところで、この〝BASIC〟という呼称だが、これは〝Beginner's All-purpose Symbolic Instruction Code〟の頭文字をとったものである。これを直訳すれば〝初心者向け汎用記号命令コード〟となる。まずは人間が理解しやすい記号を使った命令コードを創ろう。それも、〝あらゆる目的〟に対応できるようにしよう。そんな気持ちで開発したプログラムだから、そのまま〝Beginner's All-purpose Symbolic Instruction Code〟と名づけた。ところが、〝驚いたこと〟には、その〝頭文字〟をとってみると〝BASIC〟と読めるではないか。
 
距離は無関係  2014/09/02 Tue 4294
 今年も天候不順で、広島の土砂崩れでは想像もできないような人命が失われてしまいました。すでに日本は亜熱帯地域になっているのだと思います。そのうち、マラリアが当たり前の風土病になるのではないか。そんなことを言っていたのですが、先日もデング病なる蚊が媒介する病気の患者が出たりしていますね。それに台風も桁違いの猛烈さになってきました。
 ところで、私が子どものころも竜巻ということばはありました。その中でもマンガ〝赤胴鈴之助〟に登場する兄弟子〝竜巻雷之進〟は有名人でした。それからしばらくたって、プロ野球の野茂投手が〝トルネード〟投法で一世を風靡します。しかし、竜巻といえば、それはアメリカで起きるものといった感じしかありませんでした。ところが、わが国でも竜巻が被害を出しはじめました。とにかく地球に変化が起きていることは疑いないですね。
 ところで、昨年のことになりますが。私は北海道から石垣島まで出かけるチャンスがありました。このうち、島根県や石川県に行ったときは、その前後が記録的な大雨で交通機関が動かない事態も覚悟したのですが、その隙間に挟まってまったく変更なしでうまくいきました。その他、新潟・秋田・青森・北海道はすべて〝台風がらみ〟でした。それでも〝強運〟なんでしょう。〝すべて〟をクリアしたのです。ところが、台風でキャンセルになったケースが1件だけ出ました。それがどこだと思いますか。何と島原だったのです。島原は熊本からフェリーで30分のところです。北海道も含めて、遠隔地へは首尾良く行けたのに、お向かいにある島原がアウトというのですから笑ってしまいました。このときは前日から欠航が決定していましたから、早々とあきらめざるを得ませんでした。そんなこんなで、距離なんてのはまったく関係ないのです。時の運と言うことでしょうかね。
 
支配人へのメッセージ  2014/09/01 Mon 4293
 ホテルに「支配人」宛のメッセージカードが置かれているところがある。これまで、これに記入した経験はまったくなかった。そんな中で、つい先だって、生まれて初めてメッセージを書いた。
 まずは「モーニングコール」である。これは和製英語で日本人としては違和感がない。しかし、英語では〝Wake-up call〟である。このホテルでは、わがわざ英語で〝Morning call〟として説明が書かれていた。そうなると余計なお節介をしたくなる。せっかくのサービスなら、英語文化圏のお客さんたちに伝わった方がいい。ただし、和製英語の方が優れているものもある。携帯電話の「マナーモード」は相当にいいできだ。英語では〝silent mode〟というようだ。こちらは、そのままの表現でおもしろくもおかしくもない。「マナーモード」の方が他者に対する思いやりも含まれているようで素晴らしい。もっとも、せっかくの名称なのに、マナーを守らない人がいるのは困ったものだ。
 さて、二番目はベッドサイドのランプを点灯する紐の先が切れていたことを書いた。これはクリーンアップの際にチェックしておくべきものである。一生懸命仕事をしている方には悪いなあとは思ったが、やはりサービスの点では放置できない。
 そして、三番目はフットライトである。私は基本的に真っ暗な状態で寝る。そのため、いわゆるフットライトはなくてもかまわない。ただし、何といっても前期高齢者である。このごろは夜中にトイレに行くこともしばしばなのだ。そんなときはかすかなライトはあった方がいい。ところがそのスイッチが見当たらなかったのである。結論から言うと、このホテルにはフットライトが設置されていなかった。私の経験では、このレベルのホテルとしては初体験であった。