味な話の素  Since 2003/04/29 
Back Number  Home
 2014年1月号 No 128 4030-4065
子ども向け週刊誌の変貌:コーヒー物語5  2014/01/31 Fri 4065
 ともあれ、子ども向け週刊誌がスタートしたときは、文字通り大人向けのミニチュア版だった。いまでも〝小学生新聞〟といったものが出ている思うが、あの感覚である。ところが、私の感覚では〝いつのまにか〟週刊誌は漫画専門誌の様相を帯びてきたのだった。もともと漫画を卒業していたから、そうした変化は私にとっては無縁だった。しかし、発刊当初のことを知る者としては、本来の特性が歪められた様な感じがした。もっとも、細かい前後関係は承知していないが、いわゆる〝大人の漫画〟なるものが世の中に氾濫していた記憶もある。こちらはかなりどぎついというか、けっこう際物的な要素を持っていたと思う。
 それに、いまやアニメや漫画は日本の文化である。先日、授業で〝お店で食事中の家族4人全員が漫画を読んでいて会話がなかった〟と批判的な話をした。これに対して〝漫画は立派な文化ですから、それを読んでいたからといって問題だというのはどうかと思います〟と授業後のミニメモに書いた学生がいた。もちろん、話の趣旨は〝食事中の会話のなさ〟を問題にしたのだから、翌週にはその旨の説明した。そして、〝いまならスマートフォンでしょうね。これについては、ホテルの朝食で親子2人が会話無しだったのを見たことがある。ただ漫画のケースは、両親と小学生の子ども2人の4人だったので私の衝撃が大きかったわけね〟と付け加えておいた。この授業後のミニレポートは、私の言いたいことがしっかり伝わったかどうかの指標になる。実際、意図通りに理解されていないことはけっこうあるものだ。そんなわけで、フィードバックの大事さをいつも体感している。そこで、授業のとっかかりの10分ほどは〝先週のミニメモタイム〟となるわけだ。
〝心頭滅却すれば…〟:コーヒー物語4  2014/01/30 Thu 4064
〝心頭滅却すれば火もまた涼し〟。このことばは、少なくとも小学校4年生までのいつか目にしたことだけ憶えている。燃えさかる火の中で、一人の僧がそう言ったのである。それが漫画〝神州天馬侠〟の一コマだったと思うのだ。漫画の吹き出しに解説が載っていたかどうかはわからない。しかし、〝心を空にすれば、火だって熱くはない。いやむしろ涼しいのだ〟という意味であることはそのときに理解していた。つまり〝人は考え方次第だ〟というわけだ。もちろん小学生レベルの受け止め方ではあったはずだが、それが前期高齢者に達したいまでもすぐに思い浮かぶのだから、私にとって強烈なインパクトがあったのである。
 そこでネットでチェックしてみると、それは快川紹喜という臨済宗の僧侶のものであることがわかった。その事件が起きたのは天正10年4月3日(太陽歴1582年4月25日)のことだ。織田信長の甲州征伐の結果、武田氏が滅亡した。信長に敵対した者たちは恵林寺にかくまわれた。その当時、寺院は聖域で俗世の権力が手を出せないとされていた。しかし、引き渡しを拒否された信長は寺を焼き討ちにしたのである。そのとき、燃えさかる火の中で快川紹喜の〝心頭滅却すれば…〟が生まれたのだ。
 さてさて、漫画の話に戻れば、私はけっこう早いうちに、それを卒業した。茶店にあった漫画雑誌の代表が〝少年マガジン〟だったと思うが、これも私に言わせれば、変節しすぎで気に入らなかった。そもそもわが国で初めて子ども向け週刊誌〝少年サンデー〟が小学館から発刊されたのは1959年3月17日のことである。私は小学校の5年生だったが、その表紙には巨人軍の長嶋茂雄選手が載っていたことをしっかり記憶している。わたしも創刊号を買ってもらった。
 
〝茶店〟と〝パチンコ〟と〝雀荘〟:コーヒー物語3  2014/01/29 Wed 4063
 私が大学生のころ、日本人の省略好きを反映して、喫茶店を〝茶店〟と呼んでいた。これが大学の周辺にもけっこうあった。パチンコと雀荘と茶店は、大学近辺にある施設の3点セットだった。いやいや、それだけではない。古本屋だって数軒はあったし、質屋もちゃんとビジネスになっていた。わが世代の者にはとても信じられないことだが、最近は質屋が何たるかを知らない学生がいる。そりゃあそうでしょう。お金がなくてもカードなどで何とかなりますからね。しかし、そこが怖いところで、質屋の場合は質草という担保を預けるから、どうしてもお金が返せなくなったら、質流れとなって、自分に戻ってこないだけのことなのだ。それで借金はチャラになる。これに対して、信用制度が発達したおかげだろうが、無条件に貸してくれるから怖い。もちろん,何にも無しというのではなく、あとでドンドン追いかけられて、際限がなくなることもある。私としては、自慢などにはならないが、この人生で質屋さんのお世話になったことはまったくない。まあ、その方が多数派ではあるのだろうけれど。
 それはともあれ、その当時の喫茶店は学生のたまり場だった。そして、いつのころからだろうか、喫茶店にマンガ週刊誌が置かれるようになった。それまで、誰もがマンガは子どもが読むものだと思っていたから、この現象を〝大学生の幼稚化〟などとマスコミからも笑われていた。私も人並みに、子どものころは漫画を読んでいた。そのなかには〝赤胴鈴之助〟や〝矢車剣之助〟といった時代物もあったし、〝鉄腕アトム〟や〝鉄人28号〟などのロボット物もあった。吉川英治原作の〝神州天馬侠〟が漫画化されたのだと思うが、そのタイトルがなぜか私の頭には鮮烈な記憶が残っている。
〝洋モク〟〝しけモク〟:コーヒー物語2  2014/01/28 Tue 4062
 いまや〝洋モク〟なんて聴いても、〝それって何なの〟と言う人が多いだろう。〝モク〟は裏社会で使っていたタバコの隠語である。そして、〝洋〟は〝西洋〟、つまりは外国を指していて、〝洋モク〟は輸入品のタバコというわけである。〝洋〟と言うからには〝東洋〟が含まれていてもいいのだが、ほとんど〝アメリカ製〟と同義だった。ともあれ、〝洋モク〟を出す喫茶店は、学生たちからそれなりの評判を取っていた。
 ついでながら、〝しけモク〟というのもあって、これは灰皿に捨てられた吸い殻のことだ。宴会などでたばこが切れたとき、押しつぶされた吸い殻のシワを手で伸ばすなどしてまた吸うのである。自分が吸ったものもあったが、ときには他人の吸い殻にも手を出したりした。そもそも短くなっているから、火を付けるとき眉毛を焦がす危険性があった。また、フィルターギリギリまで吸うため、それを挟んだ親指と人差し指もやけどの可能性を背負っていた。普通は人差し指と中指を使って悠然と吸うのだが、短すぎて中指が介入する余裕がなかったのである。そのうえ、間近に迫った火は唇にさえ届かんばかりだった。さらに、フィルターにまで火炎の影響があって、ニコチンとともにフィルターの成分まで溶け込んだガスが肺にまで達していたわけだ。
 われながら細かい描写をしているなあと久しぶりに感動している。それができるのも、私自身がこうしたことを実体験していたからである。まことにいじましい行動なのだが、それがニコチン依存症というものである。いま私はタバコを吸わないが、大学の2年生、つまりは20歳になったころからタバコを吸いはじめた。それから30歳を過ぎるまで吸い続けた。幸い禁煙に成功したが、最後は日に30本は吸っていた。〝コーヒ
 
コーヒー体験 :コーヒー物語1  2014/01/27 Mon 4061
〝コーヒーを飲ませて、学生を懐柔している〟。このセリフは40年以上が経過したいまも耳に残っている。学園紛争が最高度に激しくなったとき、闘争を先導していた同じ学部の闘士が学生の集会で絶叫したのである。それは受講生が4人ほどの少数だったため、先生の研究室で授業が行われたときのことだった。池田数好教授の〝カウンセリング演習〟である。授業の一区切りで、先生がいつもドリップでコーヒーを入れてくださったのだ。
 ところで、私が初めてコーヒーなるものを知ったのは小学生のときだ。森永製菓が日本初の〝インスタントコーヒー〟を出したのが1960年だった。ただし、コーヒーは大人の飲み物だった。私の母も〝子どもはコーヒーを飲んではいけない〟と言っていた。〝飲んだら夜眠れなくなる〟という話もしていた記憶がある。そんなことで、自分が初めてコーヒーを飲んだのがいつのことかはわからない。ただ、父の転勤があって、私は高校2年生の9月から、大学生たちと同じ寮で生活することになった。おそらく、そのころにはインスタントコーヒーを飲むようになったのではないか。
 さらに大学生になると、喫茶店なるものに出入りするようになる。そこではちょっと大人の雰囲気を味わうことができた。その当時、18歳未満の高校生が喫茶店に入ることは禁じられていたのである。成人映画もやはり入場禁止で、これらを、俗に〝18金〟をもじって〝18禁〟と呼んでいた。喫茶店では注文するのはコーヒーだった。もちろん、そのころコーヒーの味などはわかっていなかったはずだ。とにかくミルクと砂糖をしっかり入れていたから、やたらと甘かった。ところで、福岡の天神にはコーヒーを注文すると洋モクが1本付いてくる喫茶店があった。
質問メール7 :違って当然  2014/01/26 Sun 4060
 いかなるものも、この世界に〝同じもの〟はありません。大量に生産される製品だって〝みんな違っている〟のです。私たちが見る限り〝まったく同じ〟で寸分の違いがないものでも〝同じではない〟のです。それが〝同じに見える〟のは、ただ私たちが違いに〝気づかない〟だけの話なのです。だって、モノを構成している〝原子〟は、一つずつが独立して存在しているのでしょう。お互いに〝違う原子〟が結合して分子になり、それらがまた組み合わさって〝モノ〟になっている。物理の専門家でなくても、そのくらいの知識はみんながもっているでしょう。だから、〝この世のモノに同じものはない〟のです。もっとも、原子や分子の違いがわからないからといって、〝感受性〟が鈍いと言われてはかないませんが。ともあれ、究極のレベルまで辿っても〝すべて違ってる〟のですから、私たちの世界は〝みんな違っていて当然〟ということです。
 そして人間では、進化の過程でできるだけ〝違うものになろう〟ともがいてきましたから、〝その違い〟がとりわけ目立つ動物になってしまいました。この地球、いつ何時何が起きるかわかりません。そんなとき〝あらゆる事態、環境〟に対応できるためには、〝まったく同じ人間〟ばかりいては困ります。地球上に暑さにやたらと強い熊本人(?)しかいないと、極寒が襲ってくれば全滅です。その一方で、シベリアでウッカを飲んで海に飛び込んで遊ぶ人たちばかりでもまずいですよね。熊本型太陽が地球を覆えば、これまた全滅かもしれません。とにかく、どんな条件でも生き残ることを目指すのであれば、〝いろんなタイプ〟の人間をつくるしかありません。だからこそ、われわれは〝できるだけ違った人間づくり〟に励んできたのです。
質問メール6 :〝優劣〟病  2014/01/25 Sat 4059
 地域によって文化が違い、それらに影響を受ける発想や行動が違っているのは当然である。しかし、人はそれに〝優劣〟を付けたがる。ギリシャをはじめとしたヨーロッパの〝石造り〟建築の頑強さを見てどう思うか。アテネのアクロポリスの丘にそびえるパルテノン神殿などは、西洋だけでなく日本の建築にも影響を与えた。私はそれが首都アテネにあるのを見て驚いたし、石造りの美と堅牢さがマッチしているのに感動もした。しかし、だからといって、わが国の木造建築が脆弱でみすぼらしいということにはならない。法隆寺や正倉院といった建築が感動を与えるのは、パルテノン宮殿のそれと変わらない。ただし、木造であるだけに、何でもかんでもが残ってはいない。とりわけ木造は火災に弱いし、台風などの災害で破壊されやすい。しかし、それも〝文化の弱さ〟ではなく〝風土に対する適応の強さ〟を示しているだけのことである。
 そもそもギリシャなどでは雨が少ないから大木など育つことがない。その点、わが国は雨もしっかり降って、山の木はドンドン育つ。もちろん、その根っこがちゃんと水を吸収するから大雨に対しても、防災装置として働いている。つまりは、〝みんなが与えられた環境の下で一生懸命に生きている〟のである。そこに特定の価値観で〝優劣〟を決めようとするから問題が起きる。とくに〝力〟によって相手を〝押さえつける〟ことができれば、その方が〝正しい〟と決めつける。〝力=正義〟という一つだけの基準が支配する。そこには弱い者に対する思いがない。歴史を振り返れば、〝弱いことは悪いことだ〟とばかり、その〝抹殺〟まで企図した事例はいくらでも挙げることが出来る。いや、歴史とは関係なく、その発想は今日でもなくなっていない。
 
質問メール5 :〝常識〟と〝非常識〟  2014/01/24 Fri 4058
 さて、質問メールは〝言った、言わない〟問題から、〝集団内の常識・非常識〟の問題に広がっていく。問題の詳細がわからないから、〝常識〟の問題までつながる経緯もよくわからない。ただ、〝言った、言わない〟の内容そのものが〝常識・非常識〟に関わっていたのだろう。この問題の分析は〝簡単〟と言えば〝簡単〟だし、〝むずかしい〟と言えば〝むずかしい〟という、どっちつかずの結論になる。実際、質問された方も、〝地域によって、常識・非常識を判定する基準に差があるように感じます〟と書かれていた。とくにご本人の出身地が九州ではなく、いわゆる〝転入者〟ということで、とくにそういう思いがあるようだ。まずは、〝その通り〟なのである。まさに、〝所変われば品変わる〟ことは昔から常識であると言っていいだろう。あちらでも、〝When in Rome, do as the Romans do.=ローマではローマ人のするとおりに行動しなさい 〟なのである。これは〝郷に入っては郷に従う〟という、私たちが使う格言と〝まったく〟一致している。つまりは、洋の東西、時代を問わず、〝それぞれの地域にそれぞれの文化や行動規範〟が存在しているということである。それは当然で、地域の気象風土など、きわめて大きな環境から、日常的なことばや道具まで、どれをとっても同じはずがないのだ。したがって、それらを基盤とし、あるいは使用しながら生活し、行動しているのだから、むしろ〝地域によって違わないとおかしい〟のである。ただし、これには少なくとも問題が二つある。その一つは、その違いに〝優劣〟を付けようとする、人間の性である。もう一つは、最初の要因の結果だとも言えるが、〝それを頑なに守って変化に対して徹底して抵抗する〟ことだ。
質問メール4:〝言った〟〝言わない〟の対処法?  2014/01/23 Thu 4057
 〝『言った』「言っていない」論争〟は決着がつきにくい問題だ。双方が〝そう信じている〟場合は、そのままでは解決のしようがない。その上、嫌なことだが、どちらかが意識的に嘘を言っている場合だってありうる。こうなると〝お天道様〟の問題になる。ところが、このごろは、あっちからもこっちからも〝お天道様〟がいなくなっている。まずは、〝いま自分としては決して嘘をついているのではない〟ことが基本になければお話にならない。その前提でどうするかだ。どう考えても〝あなたの方が正しいよね〟なんて認めるわけにもいかない。そんな気持ちも強いだろう。そこでどうするかなあと思う。こんな流れはどうだろうか。〝わかった、わかりました。このままだとどちらも譲らないようですね。これでは、先に進めませんわ。うん、私はあなたが『自分は言った』と心から信じていることを認めましょう。ただし、私もあなたが『言っていない』とも思ってはいるんですよね。そこだけは『ああ、そうかい、自分は絶対に言ったんだ』と心のなかで絶叫してください。私はもう一度、『ああ、そうなんだ、あなたは絶対に言ったと信じてるんだあ』と心のなかで受け止めます。いや、その確たるお気持ちに感動するかもしれません。その上での提案なのですが、あなたが『絶対言った』と確信していることをもう一度、いまから言ってくださいますか。私は、この耳でそれをしっかりお聞きしたいと思います…〟。 まあ、何と言うか、私も実証的なデータをもってはいないし、かなり中途半端な対処法だから、先方が〝なあるほど〟という確率までは保証できない。ただ、これだと、相手の気持ちも受け止めながら、こちらが1mmだけでも懐の深い対応だとは言えるだろう。
質問メール3:〝言った〟〝言わない〟騒動  2014/01/22 Wed 4056
 質問のメールでは、〝『言った』『言っていない』が発端となって起きる問題〟についても話題にされていた。人間の記憶はあいまいで、しかも〝自分の都合のいい〟ようにゆがんだりもする。まずもって〝あいまい〟である点は誰もが認めるだろう。ただし、なかには〝自分の記憶は絶対に間違いない〟と主張する人もいる。とくにすごいのは、ある特定のことに関して〝間違いない〟というのではなく、〝あらゆる事柄について、自分の記憶は正しい〟と断言する人だ。そこまで言う人はほとんどいないと思うが、私も相当に昔のことではあるものの、これに近い人とお付き合いしたことがある。私としては驚くべき〝自信〟だと思う。
 あるとき、私がもっている資料の提供を求められたことがある。その方は以前に私の講義を聴かれていたのだが、仕事でそれに関連した話をしなければならなくなったので、その部分の資料がほしいということだった。私としては〝ああ、いいですよ〟程度の軽い気持ちで関連するものを送った。ところが、先方から、資料のなかに、ある重要な部分が入っていないと言ってこられた。私としては、関連するファイルをつくっていて、そのすべてをお送りしたのだが、〝足りない部分がある〟と言われてしまったのである。それに、先方がおっしゃる内容は、私自身が〝はじめて〟聞いたものだった。そこで〝そもそも、そんな発想ではいませんから、おっしゃるような話はするはずはないんですよ〟と回答した。これに対して、〝自分は何でもしっかり記憶している。私自身があなたの話を直に聴いたのだから間違いない〟と譲られなかった。このときは〝ないものはない〟ので、そう答え続けるしかなかった。もちろん、それはいまも私の手元にはない。
 
   
質問メール2:組織の問題  2014/01/21 Tue 4055
 生きるために欠かせない〝組織〟が〝生きる気持ちを失わせる〟こともある。〝山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通とおせば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい〟。誰もが知っている夏目漱石〝草枕〟の冒頭である。この作品は熊本と縁が深く、現在の玉名市小天温泉を舞台にしている。ともあれ、〝世の中〟も、その中にある〝組織〟も人がつくるものであり、人は人との関わりなしでは生きていけない。私が仕事にしている〝グループ・ダイナミックス〟も、そうした人間の現実を基礎にして展開されている研究領域である。したがって、対人関係の問題は、その〝すべて〟が〝グループ・ダイナミックス〟の対象になる。
 さて、そんな中で、質問にあった〝職場の人間関係〟の問題が生まれることになる。これまた人間はお互いに〝同じではない〟から、その違いをどう克服していくかが課題になる。太古の昔は、〝腕力〟が強いものが他を圧倒していただろう。これに抵抗ができない〝力の弱い者〟は、その圧力にただただしたがうしかない。そうでなければ生きていけないからである。そうこうするうちに、ついには体力を消耗しきって、あるいは必要な栄養を摂ることができなくなって、命が果ててしまう者も無数にいたはずである。あるいは、その厳しさに耐えられず、自ら命を絶つケースも少なくなかっただろう。そうした、いわば未発達の状態は、歴史の進展とともに改善されて、数千年を経た今日では、その当時よりは〝大いにましになった〟ことは誰もが認めるだろう。しかし、それはあくまで〝比較〟の問題である。とにかく〝同じでない〟人間同士が関わるのだから、そこに問題が起きないと考える方が間違っている。
 
質問メール1:組織の不可欠性  2014/01/20 Mon 4054
 少し前に講演を聴いていただいた方からメールが届いた。〝講演会にて感じました個人的な感想ですが、先生の講演を聞かせていただいた当時は(今もですが)、職場の人間関係にとても悩んでいた時期でした。『言った』『言っていない』が発端となった組織内でのクレームの原因の一端が、先生の講演で合点がいくことが沢山ありました。まさに、『インフラが絶縁状態であった』『人間は興味のない事は聞こえない(覚えていない)』であったという事がよく分かりました〟。
 人間は一人で生きてはいけないから、お互いに協力することが欠かせない。つまりは集団をつくって様々なことに当たる。これはわれわれ人類だけではなく、すべての生き物に共通する特性である。つまりは互いにサポートしないと生きていけないのだ。ところで、トウモロコシのひげは雌しべなのだそうな。その1本、1本が受精して実になるから、あの粒々いっぱいのコーンが楽しめる。もちろん、自分の雄しべから受粉するのはまずいから、杉のように花粉を周りに飛ばしまくるのである。それがトウモロコシ畑の中を飛び回って受精するわけだ。そんなことから、趣味の栽培だと花粉が足らずに、びっしりと粒が詰まらないコーンができたりするのだという。このようにトウモロコシも集団でいるからこそ自分の子孫をドンドン増やしていけるのである。もちろん、動植物は〝組織化〟を意識しているわけではない。おそらく地球に登場した当座の人類たちも〝組織〟などという概念など持ち合わせていなかったはずだ。いずれにしても、〝生きていく〟ために〝組織〟は欠かせないのである。もちろん、力の不均衡化と併せて、〝組織〟が人々を抑圧する道具になることは、歴史がしっかり証明している。
 
ひげそり物語8:ようやく、おしまい  2014/01/19 Sun 4053②夕刊5
 さて、〝ひげそり物語〟は、そろそろおしまいにしたかったので、今日は夕刊も出しておきましょう。あの希望に満ちた新製品〝チピタ〟ですが、それは小さなチューブに入った軟膏のような感じのものでした。見た目は〝メンソレータム〟風で、血が出た部分に塗るわけです。ただし、薄く塗ったのでは〝吹き出してくる鮮血〟を抑えることができません。そこで、少しばかり出血部分に盛り上がるような感じになるのです。これが一ヶ所であればいいのですが、数カ所に及ぶと口の周辺のあっちこっちに〝盛り土〟ができることになります。見栄えなんぞ気にしない私ですが、それでもこのままで外に出るのは、さすがに抵抗がありました。そんなことで、〝盛り土〟を押さえながら拡げるのですが、そうなると今度は〝血のり〟の面積が拡大するんです。あれやこれや書いていますが、とにかくそんなわけで、私としては〝チピタ〟は1回こっきりでおしまいとなりました。ともあれ久しぶりに想い出したので、〝チピタ〟くんをネットで検索してみましたが、該当するものは出てきませんでした。私の勝手な推測ですが、〝チピタ〟は、あまり永く続かないうちに〝ピタッ〟と製造停止になったのではないかと思いました。
ひげそり物語7:血だらけに福音  2014/01/19 Sun 4052
〝ひげそり物語〟は6回も続いたので、いい加減に区切りをつけようと思います。ただ、これに関してはもうひとつだけ書いておきたいことがあります。それは、ぼろい剃刀を使うこともあってでしょうか、私は毎回のように、鼻の下や顎周りが〝血だらけ〟になりがちなのです。その理由ですが、これは技術力ではなく、道具のちがいだと考えています。事実、そのことを確信させる事態が発生したのです。
 あるホテルのフロントで〝高級(?)剃刀〟をお試しキャンペーン中ということでもらったのです。なんと驚異の5枚刃なんですね。そこで早速使ってみました。いやはや、そのスムーズな剃り心地といったら、もう百万語を使っても正確には伝えられないほどなのです。そもそも肌に刃が当たっている感触すらないのです。ただし、それだけの製品ですから、替え刃のお値段も半端じゃあないんです。携帯電話やプリンターなど、製品の仕上がりから見ると、かなりの低価格で販売する。携帯なんかは〝0円〟というのもありましたね。そして、その分は通話料やインク代で回収するわけです。スーパー剃刀くんにもこうしたビジネスモデルが適用されているのだと思います。
 もっとも、私のような人間は〝高級替え刃〟に二の足、三の足を踏んで購買行動に走りません。会社から言えば、困った客層なんだと思います。いずれにしても、このときは〝無血〟で済みましたから、〝血だらけ〟になるのは〝剃刀のせい〟だと断じてもご批判は受けないでしょう。ところで、あるとき福音がもたらされました。その名はずばり〝チピタ〟という、朝から〝血だらけの毎日を送っている〟人間には耳を疑うような魅力ある製品でした。私は〝待ってました〟と叫ぶよりも早く手に入れたのです。
ひげそり物語6:〝ウテナ〟の世界  2014/01/18 Sat 4051
〝ウテナ男性クリーム〟こそ、私の父がひげそり後に使っていたもののひとつである。おそらくメンソレータムは剃刀で肌に傷を付けたとき、その対応薬にしていたのではないか。私の場合は父のような高級剃刀ではなく、おおむねホテルから持って帰ったものが多い。こんなことを書くと、いかにも〝せこい〟感じがするが、皆さまはいかがだろうか。もちろんホテルの剃刀は〝使い捨て〟である。しかし、そこは日本製のすばらしさというべきか、1回ぽっきりでポイ捨てするなんてとんでもないほどしっかりしている。しかも、私は剃刀で剃ってから電動シェーバーで仕上げをするから、〝そこそこ剃れれば〟OKなのである。ただ細かいことを言えば、剃刀とシェーバーは順番が入れ替わることもある。その際は、剃刀の方が〝仕上げ用〟になる。まあ、どうでもいいような、しかも〝あんたも暇ねえ〟と言われそうなことだが、それも日常的な私の楽しみなのである。これだけでも相当に喜べるのだから、われながら能天気だとは思う。
 さて、〝ウテナ〟に戻ると、まさに古色蒼然なんて表現をすれば会社から叱られるが、〝外国人のおじさんマーク〟はモデルチェンジしたとはまったく思えない、子どものころのイメージそのままなのである。それにしても、〝株式会社ウテナ〟の創業はなんと1923年だというから半端じゃない。創業者が雑誌〝主婦の友〟で、美白液〝ウテナ〟を通信販売したのがスタートらしい。はじめは女性向けの化粧品を出したのである。それから間もなく男性用化粧品も販売したわけだ。ついでながら現社長の岩倉具房氏は、あの明治の政治家岩倉具視の玄孫なのだそうな。われわれ世代にとって岩倉具視は、500円札の肖像で日常的に出会っていた人である。
 
ひげそり物語5:訂正から〝うてな〟へ  2014/01/17 Fri 4050 Contineud from 1/05
 お久しぶりに〝連載:ひげそり物語〟の続きです。父がひげそり後に使っていた〝メンソレータム〟の話から、オロナイン軟膏まで飛んでしまいました。ここで最初に訂正があります。それは〝近江兄弟社〟が〝メンソレータム〟の製造販売権を放棄して、現在は会社が登録していた〝メンタム〟という呼称の製品を販売しているということに関するものです。この話題を続けるためにネットで確認したところ、〝メンタム〟ではなく〝メンターム〟と、長音記号の〝ー〟が入っていました。もっと細かく言えば、オリジナルは〝MENTHOLATUM〟で、〝近江兄弟社〟の製品は〝MENTURM〟というわけです。前者は入れ物に〝小さな看護婦さん〟が描かれていました。これに対して〝メンターム〟の方は〝メンタームキッド〟に替わっています。会社のホームページによると、ギリシャのアポロンが起源だそうです。そのアポロンは〝医術と社会秩序の基盤を支配する神〟ということで、〝平和と健康を願う近江兄弟社の思いを、このマークに込めています〟と解説されていました。
 これで〝メンソレータム物語〟は一件落着し、さらにオロナイン軟膏の話もとりあえず前回でおしまいということにしておきます。ただし、父のひげそり後のケアに関してはもう少しばかり話が続きます。それは、私の記憶の片隅に〝うてな〟ということばが残っているからです。これには外国人が顎に手を当てて笑っているイメージもくっついています。そこで〝ウテナ〟をサーチすると、ありました、ありました!あの笑顔マーク付きの化粧品が出てきたのです。〝ウテナ男性クリーム〟は、ウン十年の歳月を超えて私の目の前に現れたわけです。なんと、〝発売以来50年以上〟とアピールしています。
 
 
学生体験3:落ち… 2014/01/16 Thu 4049
 私は、メールで授業があるかどうかを聴いてきた学生に対して、〝それは授業中に伝えている。そんなことをメールで質問したって答えない〟なんてサービス精神に欠けたことは断じて言わないのである。そもそもメールの文面もじつに礼儀正しいのだ。さらにメールは続いて、〝こんな質問ですが、お答えいただけると大変助かります。ご回答の方、ぜひよろしくお願いします〟で終わっている。これはちゃんと答えてあげるしかないではないか。ただし、このメールは一つだけ大きな問題を抱えていた。それは差出人の名前が書かれていなかったことだ。人に尋ねごとをするのだから、自分の名前を入れておくのは常識である。そこで私は次のように返信した。〝こんにちは。人に問い合わせをするのに、無記名ではいけませんよ。第〇回目の〇月〇日が『授業日』です。それを読み違ったようですね〟。
 これに対して、学生からすぐに返事が来た。やはり早い対応でなかなかよろしい。〝無記名で質問してしまったのにもかかわらずご回答くださり本当にありがとうございました。そして、大変失礼いたしました。以後気を付けさせていただきます。失礼いたしました。昔から〝今どきの若いモンは〟などと言って年寄りが嘆く。まるで自分たちは倫理的に優れているかのように。しかしこの学生の姿勢はどうだろう。メールといえども、ちゃんと礼儀を弁えているではないか。そんなわけで、私はこのやりとりを通して感動すら覚えたのである。しかし人生はじつに楽しいものだ。この話にも大きな〝落ち〟が準備されていたのである。すでにお気づきの方がいらっしゃるのではないかと思う。なんと、この返信のメールも〝無記名〟だったのだ!〝味な話の素〟のネタは尽きることがない…。
学生体験2:Unhappy Monday 2014/01/15 Wed 4048
 昨日は学生とのメールの話をしていたが、その続きである。あるとき学生からメールが届いた。それは欠席の連絡ではなく、〝授業について〟という件名がついていた。〝こんにちは。〇曜〇限の授業を受講させていただいている者です。突然のメールを失礼いたします〟。まずは礼儀正しい書き出しである。なかなかいい。〝質問なのですが、〇月〇日は授業があるのでしょうか?スクリーンの授業日に〇月〇日は授業日と書いてあった気がしまして…。もしも気のせいでしたら申し訳ありません〟。スクリーンというのはパワーポイントのスライドのことである。まずは学期のはじめに15回分のスケジュールを提示する。同じことを2回目から、ときには3回目の授業まで続ける。まだ授業を受けていない学生がいるのである。受講登録の締め切り日までは、実際に受けるかどうか確定しないから、まあ3回目くらいまでは知らせた方が親切というものだ。その後は、状況に応じて提示する感じになる。
 この学生はどのときの情報を見たのかはっきりしないが、〝とにかく授業があるのかどうか〟を聴いてきているのだ。じつは月曜日については、例の〝アンハッピー・マンデー〟のおかげで授業がドンドン欠けていく。それを補償する目的で、学生に〝祝日出勤〟を強いることになる。はじめから大学が祝日の中の数日を〝授業日〟として指定するのである。前期では海の日、そして後期は体育の日や天皇誕生日が当てられたりしている。ただし、教員の判断で該当する日に授業をしないこともある。そんな事情があるから、この学生は〝〇月〇日に授業があるかどうか〟を聴いてきたというわけだ。
学生体験1:過保護な教員 2014/01/14 Tue 4047
 若い学生たちと関わっているから、こちらも気持ちが若いままで過ごせる。この点、われわれのような教師の仕事はありがたい。ときどきメールも届く。授業がスタートする際に欠席するときはちゃんと連絡しなさいと伝える。体調が悪かったなど、やむを得ない事情があるときは、事後連絡でもいいことにしている。今どき成人の大学生にそんなことまでさせるのかと思われる方もいらっしゃるだろう。ちょっと聴くと、細かくかつ厳しいようにも思えるが、それって〝過保護じゃないか〟とか、〝教師側の自己満足だろう〟などと言われるかもしれない。私たちが学生のころは、明治生まれの先生方もいらっしゃって、〝出欠なんて知ったことじゃない〟と公言する方も少なくなかった。すでに時効は成立しているから具体的に言うと、〝日本国憲法〟の授業で、担当の教師が教室に入ってくるなり、〝あれっ、君たちはデモに出てないのか〟と驚いた顔をした。そのときの事情は記憶にないが、その日は、社会的な議論になっている問題で市内のデモが呼びかけられていた。本当にそう思うのなら、〝休講:受講生はデモに行きなさい〟とでも掲示すればいいのにと思った。そもそも〝教室に来てから〟そんなことを言うのだから、〝わざとらしいったらありゃあしない〟と心の中で笑った。何のことはない、結局は授業をするのだから言行不一致も甚だしい。朝から二日酔い見え見えで授業をする先生もいらっしゃったし、たばこを吸いながら講義するケースもあった。そうした方々は今なら〝3日でクビ〟に違いない。話だけ聴くと豪傑のようだが、じつは教員の方が〝過保護〟に甘えていたのである。
 
道路整備とコスト 2014/01/13 Mon 4046②夕刊4
 今日の〝夕刊〟は〝朝刊〟の続きです。
 さて、道路環境の整備が進む中で、熊本に信号機のない横断歩道をカラーで舗装したり、文字を書いて運転手に注意を促す道ができた。名称は〝思いやりロード〟で、くまモンが子どもたちと渡り初めをしているローカル・ニュースが流れた。これは長さ約1.7kmに亘る道路の信号機のない横断歩道4カ所を青色でカラー舗装し、さらに道路に〝あっ!あぶないの文字や減速マークなどを書いたものである。文字の場合は、その内容に目を取られるとかえってまずいのではないかなどと余計なことを考えたが、ともあれ〝いいことだ〟とは思った。とにかく横断歩道で〝止まらなさすぎる〟という事実がある。ただ、その後に続いたアナウンサーが読んだ情報を聴いて驚いた。これに要した費用が1,500万円だというのである。工事関係者の方からは〝これだから素人はやってられない〟と叱られるに違いないが、〝横断歩道4つで1,500万円も〟と思ったわけだ。おそらくこれがリーゾナブルなコストなのだろう。つまりは、ものごとにはお金がかかるということである。この費用もまた税金でまかなわれている。先日、逃走した容疑者を捕まえるために数億円はかかっただろうと推測した。税金は有効に使ってもらわないといけない。〝夕刊〟らしく、いつもより少しばかり少ない文字数でおしまいにさせていただきます。(582字)
交通事故死の減少 2014/01/13 Mon 4045
 昨年の交通事故による死者の数が5,000人を切った。最悪だった1970年には16,765人だから、1/3以下というすばらしい数値である。私が子どものころは〝交通戦争〟ということばも使われていたほどである。もちろん、これは数の問題だけで済まされないことはわかっている。掛け替えのない命が失われたことは厳然たる事実である。ご本人の無念さは言うまでもなく、家族や周りの人たちの気持ちは推し量れない。しかし、とにかく13年連続の減少は喜んでいい。そしてこの流れをさらに前進させることが大事なわけだ。すでにわが国の人口は減少しはじめているし、どのくらいの車が走っているのか、その正確な数は知らない。しかし、少なくとも1970年からはドンドン増えていったに違いない。もちろん免許をも持っている人の数も増加したはずだ。そうした状況下で志望者が減ったのだから、とにかく5,000人を切ったことは特筆していい。この間、交通事故に対する人の心が成長したとはとても言えない。それどころか、赤信号になった後でも交差点に突っ込んで来る車がなんと多いことか。法律で禁止されている携帯電話の使用も、ほとんどどこ吹く風である。私なんぞ〝こんなに放置するのだったら、法律をなくせ〟と言いたくなるほどひどい。まさに国民の〝順法精神〟を失わせるために〝携帯禁止の法律〟をつくったのではないか。これが皮肉と言えないほど〝しまくり〟である。子どもたちが、〝なあんだ、法律なんて守らなくてもいいんだ〟と考えたとしてもまともに否定できない。だから交通事故死亡者数の減少は〝人の心の成長〟〝思いやりの高まり〟が理由でないことは明らかである。おそらく、道路環境の整備や車の性能の向上などが効いているのだと思う。
3つの質問6:フォロワーへの期待 2014/01/12 Sun 4044
 組織のメンバーである限り、すべて〝リーダー任せ〟ではまずい。リーダーの指示や意見を十分に受け止める努力をしよう。また、それをリーダーに見える形でちゃんと返そう。講演では、こうしたことを伝えたかったのである。
 さらに、この話にはもう一つ大事な視点を含めたつもりだった。それは〝誰もがリーダーであり、同時にフォロワーである〟ということだ。巨大な組織のトップであれば、その上には誰もいないような気がする。しかし、その組織にかかわる省庁は必ずあって、少なくとも形式的にはそのトップである大臣の指示には従わないといけない。そのときは、トップもフォロワーになっているわけだ。もちろん大臣だって、総理大臣というリーダーとの関係で言えばフォロワーである。
 そこまで言及することもないが、社会や組織のなかで、人はあるときはリーダーであっても、また別の状況では同時にフォロワーにもなっている。そして、リーダーシップもフォロワーシップも〝対人関係力〟という点で共通している。そこで、自分のフォロワーシップを磨くことが、別の局面ではリーダーシップの力につながるのである。そうしたことを踏まえたうえで、〝フォロワーもしっかり勉強しましょう〟というのが、講演後にいただいた質問に対する一つの正解である。自分が担当する仕事について興味をもち、少しでも改善できるものはないかと考える。そしてそのために勉強する。それも座学と言うよりは、リーダーを含めていろいろな立場の人間から知識や技術を身につけようと動き回る。こんな部下であれば上役もしっかり評価して、実際に動いてくれる。そんな状況が生まれたらいいなと思う。ただし、ここでも〝まずはリーダーが動く〟ことが必要なのではあるが…。
 
将棋のものすごさ 2014/01/11 Sat 4043②夕刊3
 今月から、毎日欠かさず本コラムをご愛読いただいている方からのアドバイスで〝夕刊〟を発刊することにした。〝夕刊〟と言いながら、第1号は午前9時40分ころにアップした。したがって、その実態は〝遅出の朝刊〟といったところだが、まあそれほどこだわられる方はいらっしゃらないと思う。私としては、とにかく時間にこだわらず〝気軽に追加できる〟点が最大のメリットなのである。そこで、その〝気軽さ〟にもう一つ条件を付けたいと思った。それは〝720字〟で統一するというポリシーを〝夕刊〟に限定して解除するということである。私自身がそのスタート時期を記憶していないが、おそらく2005年7月号から、とにかく〝1コラム720字〟を楽しんできている。もちろん、半角を使ったりすると、〝多少の変動〟はあるが、原稿は〝40字×18行〟で書き続けているから、私としては〝いつも720字〟のつもりである。しかし、実際の〝夕刊〟もそうだが、〝朝刊〟と比べるとかなり薄い。それに倣って〝わが夕刊〟も〝文字数こだわり〟を解除して、〝短く〟てもよしにしようということである。
 さて、そこで〝本日の夕刊〟だが、将棋の谷川永世名人がA級を陥落したという話題だ。いかにも勝負の世界らしく、連続32期も維持してきた〝永世名人〟がBクラスに落ちるという。相撲だって大関は2場所連続して負け越すと関脇に陥落する。しかし、そのために〝角番〟を繰り返す大関が出てくる。理屈上は〝負け越しては勝ち越す〟ことで〝大関〟に居座り続けられるのだ。この点、〝勝負の世界〟にしては〝甘さ〟が残る。この点で将棋の〝すごさ〟を実感する。谷川さん、再起を目指してがんばってね。やれやれ、結局はこれも720字になっちゃいましたよ!
  
3つの質問5:フォロワーシップ 2014/01/11 Sat 4042
 最後の質問は〝具体的に上司を動かすためのフォロワーの活動の事例はありますか〟だった。講演のなかでリーダーシップを取りあげたとき、〝フォロワーもしっかりリーダーをサポートしなければ組織は動かない〟という話をしたのである。そこではフォロワー、組織でいえば部下たちの姿勢について強調した。フォロワーは〝リーダーがしっかりと働きかけてくれないから自分たちは仕事ができないのだ〟と嘆くばかりではいけない。職場では、部下も積極的にリーダーをサポートする必要がある。それが〝フォロワーシップ〟であり、仕事をスムーズに進めるにあたって欠かせない要因であるという話をしたのである。まずは〝力あるリーダーが力あるフォロワーを育てる〟こと、これは間違いない。しかし、それと同時に、〝力あるフォロワーが力あるリーダーを育てる〟ことも事実なのだと強調したわけだ。
 こうした話を受けて、〝それではどうしたらリーダーを動かすことができるか、その具体的な事例はあるか〟という質問をいただいたのである。これについては、私自身も具体的事例をあれやこれやと提示できるほどの情報はもっていない。そもそもこの話の要点は、職場のリーダーにリーダーシップをしっかり発揮してもらいたいというところにある。しかし、自分たちの仕事を効果的に進めていくためには、一方的にリーダーだけが頑張ればいいというものではない。フォロワーの側にしても、リーダーの働きかけに対して受け身的な態度で終始するのではうまくいくはずがない。フォロワーとしても、リーダーシップを積極的に受け止めて、それを理解し、なおかつしっかり反応する努力をすることが求められる。つまりは、フォロワーに期待される姿勢を強調したのである。
 
法治国家のコスト 2014/01/10 Fri 4041②夕刊2
 日本は法治国家である。〝すべての決定や判断は予め国会で定められた法律に基づいて執行される〟ということである。この2日間ほど世間の耳目を引いた容疑者逃走事件は無事に逮捕となった。しかし、彼には〝逃走罪〟は適用されないという。ニュースでも逮捕の容疑は、最初に神奈川県警が逮捕したときと同じ、〝集団強姦等〟だった。しかも、横浜地検が改めて逮捕状を取って、県警捜査員が発見現場で逮捕したという。まったく同じことを繰り返したわけである。素人的にはどう考えても〝逃走罪〟に当たるだろうと思うが、今回は逃走時は裁判所が勾留を決定する前だった。容疑者や被告が拘留中で、その状態から逃げたときには〝逃走罪〟が適用される。しかし、その決定がなされていなかったので、〝法律上〟は〝逃走〟という行為が成立しないのである。いわゆる市民感情としては驚いてしまうが、それが法律的立場であり、法治国家とはそのようなものなのだ。
 報道によれば、警視庁の協力も得て4,000人もの警察官とパトカーなど約900台、さらにはヘリコプター、船舶まで投入して捜索したという。テレビのアクション物であれば、それもカッコいいのだろうが、私などはこれにかかった費用のことが心配になる。正月にアルバイトした学生が8時間で日給9,000円だったと言っていた。特別手当などはなかったとしても、4,000人✕2日間の8,000人分のコストは軽く1億円を超えるだろう。それにパトカーやヘリコプターに船舶の燃料費などを考えれば、コストは数億円になるに違いない。これが1人の容疑者が逃げ出したことで消えてしまったわけだ。もちろん原資は税金である。つまりは、無駄な経費を使ってしまったのである。もっとしっかりしてよと言いたくなる。
 
3つの質問4:気づいたらアクション 2014/01/10 Fri 4040
 さて、後輩たちを元気づける第2のポイントとして、その仕事ぶりをきちんと評価することを心掛けたい。とくに後輩がした仕事の〝小さなこと〟〝ささいなこと〟に気づき、それを評価するのである。〝報告書のまとめ方がいい〟〝時間が早い〟〝字が見やすい〟〝レポートの構成がよくできている〟〝仲間に対する声かけがいい〟〝『おはようございます』というときの雰囲気がいい〟…。そのうち〝評価するネタ〟がなくなってしまうのではないかと心配になるかもしれない。しかし、人間は同じことでも、いつもきちんと評価してくれると思うだけで意欲は維持されるものである。さらに、〝何かに気づこう〟という積極的な姿勢を持ち続けていれば、新しいことが〝見えてくる〟ものである。
 いつもカレーの味が同じであれば、その〝同じであること〟をほめればいい。〝これなんだなあ、あなたの作ったカレーはいつもおいしいんだよね〟。少しでも変わったことに気づけば、それを評価すればなおさら〝ヨシ〟ではないか。〝あれっ、いつもと違うなあ、どうしたの〟と驚くことである。もちろん〝今日はちょっと辛さを抑えた感じだ〟などと細かいところに気づいたら、それをそのまま口に出してみればいい。それが当たっていたら〝いやあ、そうだと思ったよ〟と、自分の味覚の感受性を自慢して喜べば、言った方も気持ちがよくなるし、元気だって出てくるのではないか。生憎と間違っていたら、〝うわー、私の味覚って怪しいもんだなあ。でも、とにかく今日のは違うと思ったんだよね。その直感だけはまあまあじゃないの〟などと笑って〝ごまかす〟手だってあっていい。これでもけっこう人間関係のインフラはできるものだ。ともあれ、〝気づいたらアクション〟である。
 
3つの質問3:元気づけのリーダーシップ 2014/01/09 Thu 4039
 さて、講演の後にいただいた2番目のご質問は、〝忙しく時間的に余裕がないときに後輩を元気づけるには心理学的にどうすればいいのでしょうか。『身体に気を付けよう』、『風邪を引かないようにしよう』とは言いますが、それだけでは足らないように思います〟というものである。これも一言で納得されるような答はない。
 まずは、先輩である自分自身が〝元気であること〟が基本である。たしかに仕事は忙しい。しかし、それにチャレンジする姿勢を見せる。これが後輩たちの元気につながらないか。そもそも元気のない先輩が〝君たち元気になって〟と言っても迫力に欠ける。また、忙しい仕事だからこそ、少しでも効率よく対応できるアイディアやノウハウを探し求める。それが見つかれば、即実践してみる。うまくいけば体全体で喜ぶし、思ったほどでなければ、迷わず元の段取りに戻して悔いない。そのことで後輩たちに迷惑をかけるようなことがあれば、しっかりと謝る。もちろん、失敗にめげずに新たなアイディアを探し続ける。先輩たるもの〝謝るときはスマートに謝る〟ことが、後輩たちにとって大いなる教育になる。その意味で〝謝らない誤りを犯してはいけない〟のである。また、失敗して落ち込んでしまうのでは教育にならない。チャレンジすれば失敗はつきものだ。それは、しっかり仕事をしている証ではないか。大事なのは、失敗をどう克服していくか、その姿を見せることなのだ。そう考えると、〝失敗を楽しむ〟力も先輩というか、リーダーに欠かせない強力な能力と言うことができる。もちろん、ものごとはいつも程度がある。あまりにも元気がよすぎると、後輩たちは〝モデル〟にする気にもならない。そんなときは〝自分を少し抑える演技〟も必要だ。
3つの質問2:少しばかり〝曖昧〟ですが… 2014/01/08 Wed 4038 Contineud from 1/06
 したがって、われわれに起きる事象は少なくとも長期的な展望で物事を判断する限り、〝すべては確率で生起する〟と考えるべきである。ただし、期間をきわめて短期間に絞れば、とくに目の前で起きていることに限定すれば、とりあえず〝確実〟だと見なせる事象はある。たとえば、ビールをコップ2、3杯ほど飲んでも、酒に強い人なら事故を起こす〝確率〟はきわめて低いに違いない。しかし、そうした確率に依存している人間のうち何人かが他の車に追突したり、ガードレールにぶつかったりするのである。そのために飲酒による事故はなくならないし、それによって職を失う人たちがいる。そこで、その量は問わず、ビールを少しでも飲んだのだから〝12時間はハンドルを握らない〟と決めればどうだろう。これなら〝確実にアルコールが抜ける〟と考えていいだろう。もちろん個人差があるから、すべての人間にとって12時間後にアルコールが〝絶対0〟になると100%断定することはできない。
 こんな話をしていると、技術系の厳密な目で評価される方々は、〝それでは『0』とは言えないぞ〟と叱られるだろう。しかし、そこは少しばかり曖昧さを許容していただきたい。私としては、〝おそらく大丈夫〟といった基準で手順を飛ばしたりせずに、〝しっかり決まった通りにやろう〟という姿勢の重要性を訴えたいのである。現実には、マニュアルや手順が仕事の状況と乖離している場合もあるだろう。そうしたときは、〝確実〟を求める一方で、その修正が容易にできることも欠かせない条件である。それでも〝この世に『確実』はあり得ない〟ということであれば、〝そのときどきで考えられる、最も『確率の低い』選択肢を選ぶ〟ではどうだろうか。私はそれでもかまわない。
〝夕刊〟発刊のお知らせ 2014/01/07 Tue 4037
 HPの表紙は昨日アップした。この部分だけは、大学のPCからでないと更新できないからだ。これに対して〝味な話の素〟は〝どこから〟でもアップ可能である。だから海外に出かけていても〝自慢げ〟に更新しているわけだ。ところで、今月の写真は〝水前寺公園〟である。久しぶりに本拠地の熊本に戻った。仕事で出かけると、どうしても行き先の写真を載せたくなる。つまりは〝ここにも行ったんだぞーっ〟と自慢したくなるのである。そして今年初めての表紙を更新した。ただし、すでに朝方には6日の〝味な話〟はアップしていた。ところが、表紙の写真の説明も加えたくなったのである。そこで、久しぶりに1日に2つのネタを掲載することにした。
 そして、連載ナンバーの後に〝②夕刊〟と補足を付けた。まだ午前10時前で〝夕刊〟にしては早すぎたが、このアイディアはいいなあと思ったので即実行したのである。それは、本コラムを〝完読〟してくださっている高禎助さんから、〝夕刊も出したら〟とのご提案を頂戴したからである。あえて〝さん〟付けにさせていただいたが、この方は私がいまの道を選択するにあたって決定的な影響を与えてくださった恩師のお一人である。もちろん私は多くの方々のおかげで今日に至っている。しかし、〝リーダーシップ・トレーニング〟の醍醐味を誰よりも実感させていただいたのは高さんである。ともあれ、〝味な話〟を完読されている方からの〝夕刊〟のお勧めはまさに時宜を得たものだった。と言うのも、これまで2つの話題を取り上げるときは、すべて〝朝一番〟にしていたからだ。これが〝夕刊〟なら、その日のいつ〝追加〟してもOKになる。これは私にとって最高のアイディアだった。そこで昨日は早速それを実行した。
 
今月の写真 2014/01/06 Mon 4036 ②夕刊1
 今月の写真は正月の水前寺公園で撮った。この公園の公式名称は水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)である。阿蘇の伏流水が湧き出している池を中心にして熊本の初代藩主細川忠利が1636年(寛永13年)ころから築きはじめた。その後、細川綱利のときに現在の形になった。〝成趣園〟は陶淵明の詩〝帰去来辞〟の〝園日渉以成趣〟からとったという。東海道五十三次の景勝をミニチュア化したということで、明らかに〝富士山〟とおぼしき〝山〟もある。西南戦争後の1878年(明治11年)に、細川家の歴代藩主を祀る出水神社が園内に創建された。今年の正月はその出水神社に初詣に出かけた。かなり久しぶりのことだった。
 季節によって色合いは変わるが、正月はけっこう渋いところがいい。出水神社とは、まったくその名の通り、園内の池は阿蘇の水が湧き出ていて、それも徹底的に澄み切っている。まさに〝出水〟なのである。熊本市の人口は74万人ほどだが、飲料水の100%が地下水でまかなわれている。この人口規模の都市としては世界唯一ではないか。その池でゆったりと泳ぐ鯉と小サギの2ショットである。水に映って揺れる小サギの姿が透明度を主張している。小サギは正月気分でゆったりしているわけではない。ときおり羽を広げて飛び立ったかと思うと水に嘴を突っ込んでエサを獲る。いきなり数メートル先まで飛んでいくところを見ると相当に視力がいいのだろう。生きるために身につけた技に違いない。庭を見渡せる場所に茶室があって、そこでお茶を楽しむことができる。年末に映画〝利休にたずねよ〟を観たばかりだったから、利休気分で〝一服を豊に味わった〟。じっと静かに座っている蹲(つくばい)も、その先の灯籠とペアでじつに趣がある。
 
3つの質問1:〝確率〟よりも〝確実〟? 2014/01/06 Mon 4035
 講演をした後にメール等でご質問をいただくことがある。昨年暮れには〝安全〟に関する私の話をお聞きになった方から3点の問い合わせがあった。それは、〝確率と確実〟についての質問からはじまった。私は以前からリスクマネジメントの基本として〝『確率』よりも『確実』を〟という意識と行動が欠かせないと強調してきた。〝確率が低いから大丈夫〟。こんな気持ちで自分たちを納得させながらしてはいけないことをする。それがトラブルや事故を引き起こすのである。今回の講演でもその話をしたのだった。
 これに対して質問された方は〝むかし、リスクコミュニケーションにかかわっていた時期がありますが、『科学技術にゼロリスクは存在しない』と散々説明してきました。『確実』というと『どの程度確実なのか』と問われ、結局は数値で示すとなると確率になってしまい、両者の区別をどの様に考えればよいのか分からなくなります〟と言われるのである。つまりは〝やはりすべて確率ではないか〟という問いかけである。技術系のお仕事をされている方であるだけに、まさに理詰め、論理的な視点からの疑問が湧いたのである。そもそもこの世の中の出来事、いや宇宙全体で起きることは自然現象も人間的な現象もすべては、少なくとも人間から観れば〝確率〟でしか把握できない。もちろん、神がすべてを取り仕切っているという理解の仕方もある。しかし、その場合であっても、それはあくまで〝すべては神にとって確実〟だということであって、人間には〝確実なこと〟として認識することはできないのである。宗教について理解できていない私には、その程度のことしか思いつかない。そもそも自分がいつ何時にあの世に逝くのかすら確実にはわからないのである。
  
ひげそり物語4:生きてる証拠 2014/01/05 Sun 4034
 さて、父がひげそり後に〝メンソレータム〟を使っていた記憶から、あやうく〝オロナイン軟膏〟にまで行いきそうになった。この軟膏にもまたおもしろい話題に満ちあふれているのだが、このあたりでストップしておこう。ただ一つだけ付け加えれば、われわれの世代だと大村崑の〝とんま天狗〟を懐かしく思い出す方がいらっしゃるだろう。この番組のスポンサーは大塚製薬で、主人公の〝とんまな天狗〟の名前が〝尾呂内南公〟、つまりは〝おろない なんこう〟だった。
 それにしても〝メンソレータム〟は臭いも刺激もかなり強く、肌に塗るとヒリヒリしていた。それをひげそり後の口や顎の周りにベッタリと塗りつけるのは、さすがにわが父が変わり者だったとしても、やり過ぎの感がある。今となっては父に聴くこともできないが、あれは剃刀で切った後の〝補修用〟だったのではないか。私も不器用なのか、剃刀でひげを剃ると鼻の下から顎にかけて〝血だらけ〟になることが多い。ほんのちょっと一ヶ所ほどのものだと、ほぼ毎回である。これはティッシュで拭けば一応は収まったように見えるが、けっこうしぶとく血がにじみ出て止まらないこともある。それにしてもまずは血が出るのは生きている証拠だから、ありがたいことだ。つぎに、しばらくすると収まるのだから、これまた生きているわけで、それを実感すればいい。その結果小さめのかさぶたが残ったりする。これではちょっと見栄えが悪いなあと思って人差し指でサッと飛ばす。すると〝待ってましたあ〟とばかり、またぞろ血がわき出てくる。そこでまた生きていることを実感するのだが、これはおそらく余計なことをしたと反省すべきだろう。そんな悩みの人が少なくないのだろう、随分前だがこれに対応する薬が出た。
 
ひげそり物語3:短縮好きとメンタム 2014/01/04 Sat 4033
〝近江兄弟社〟がメンソレータムの権利を返上したあと、これに呼応するかのように、1975年にロート製薬が製造・販売権を取得して今日に至っている。しかも、1988年にはロート製薬がメンソレータム社を買収したのである。アメリカでの創業から100年目にして日本の会社が経営することになったわけだ。日本人はことばの短縮が好きな民族だと思う。インフラストラクチャーは〝インフラ〟だし、〝リストラクチャリング〟も〝リストラ〟となる。旧いところでは〝エンジンストップ〟も〝エンスト〟だ。そもそも〝エンジンストップ〟という名詞があるのかどうかも怪しい。そう思って念のため調べたら、案の定だった。英語ではengine stallで、〝エンジンストップ〟そのものが和製英語だというから笑ってしまった。これではわざわざ〝造語〟してから〝短縮〟したということになる。
 そんなことだから、〝メンソレータム〟だって〝メンタム〟と呼んでいた。これは父が言っていたからはっきりしている。厳しい状況に置かれた〝近江兄弟社〟は〝メンソレータム〟の権利を失ったから、この商品名は使えなくなった。しかし、それまで製造し続けてきたラインは残っていたわけだ。しかも、この手の薬にはしっかり需要があったと思う。誰だって手持ちの設備を使って同等のものをつくろうという気になるだろう。じつは〝近江兄弟社〟はすでに〝メンタム〟という商品名は登録していたのである。これが幸いして、〝メンソレータム〟に替わって同社は〝メンタム〟の製造販売をはじめることになった。その後の売り上げの実績は知らないが、〝メンソレータム〟にまつわる物語だけでも相当におもしろい。さらに〝オロナミン軟膏〟にまで踏み込むと収拾が付かなくなる。
 
ひげそり物語2:仕上げのメンソレータム 2014/01/03 Fri 4032
 父は〝極上〟の道具を使ってひげを剃っていたが、その仕上げはメンソレータムだった。少なくとも私の頭にはそのイメージが残っている。容器は平たい缶だったが、蓋にはわずかに微笑む女の子の看護婦がこちらを向いている絵が載っていた。その手にもっているのもおそらくメンソレータムだろうと思うのだが、何分にも小さいものだから確認はできない。そもそも The Mentholatum Companyはアメリカで1989年に創業された会社である。ちょっと油っぽくてベタつくのが気になるが、切り傷からひびやあか切れ、とにかくなんにでも効く万能薬だと思っていた。じつは今でもわが家にちゃんとあるのだ。
 私には〝メンソレータム=近江兄弟社〟という、ちょっと変わった社名との組み合わせがおもしろく、しっかり記憶に残っている。この会社、その名の通り滋賀県の近江八幡市に本社がある。そもそもは八幡商業学校に赴任した建築家ヴォリーズが、1920年に創業した会社である。社名は〝人類みな兄弟〟という、キリスト教の精神に由来するらしいから、兄弟が力を合わせて作った会社ではない。ヴォリーズがアメリカ人だったこともあってか、メンソレータムのライセンスを取って、この会社が国内で製造・販売をはじめたのである。彼はそもそもが建築家だったため、各地で教会を設計している。関西学院大学の旧図書館で現在は時計台になっている建物も彼の設計になるという。こうしていろんな情報を集めていると、それに対応して知らなかった世界がドンドン広がっていく。これがまたじつに楽しい。ところで、〝近江兄弟社〟はヴォリーズが1964年になくなってから10年後の1974年に倒産してしまった。その際にメンソレータムの製造・販売権も返上したのである。
 
ひげそり物語1:極上の儀式… 2014/01/02 Thu 4031
 日常的なことで楽しいものがけっこうある。その一つは朝のひげそりだ。私は電動シェーバーといわゆる剃刀を使う。どちらを先にするか、その順番はなかなか決まらない。そもそも子どものころに父がひげを剃っていた。その剃刀がすごく上等に見えた。それは床屋さんが使っているものと同じで、それも刃を折りたたんで収納する取っ手でホルダーにもなる部分が、まさか象牙だったはずはないが、子どもの目にはすごく高級品のように映っていた。しかも、家には皮砥(かわと)まであった。これは文字通り革製のもので、刃物を研磨するために研磨剤が塗りこまれている。因みにネットでチェックすると〝プロ用極上品〟として12,000円のものがあった。やはりホルダー付きの剃刀を探すとこちらは12,500円である。さらに石けんを泡立てるブラシまで常備していて、これも4,800円の値が付いたものがあった。
 そのころはシェービングクリームといった気の利いた製品はなかったので、普通の石けんをブラシで泡にして、それを顔面に塗りつけるのである。そうそう、その前に熱湯を洗面器に入れてタオルを浸けてアッチッチにする。それを顔面に当ててひげを柔らかくする段取りがあった。そして丁寧にひげを剃っていく。そのときにジッジッと剃刀に抵抗するようにひげの音が聞こえる。そして一連の作業が終わると、シュッシュッシュと皮砥で剃刀を磨いて、ひげそりが終了する。まさに理髪店でのひげそりとほとんど同じ段取りである。やはりアフターシェービングクリームなんぞもなかったが、メンソレータムを塗っていた記憶がある。メンソレータムは1895年にアメリカで生まれたのだが、現在は日本のロート製薬が傘下に収めている。これも話し出すと止まらなくなる。
 
明けましておめでとうございます 2014/01/01 Wed 4030
 新年、明けましておめでとうございます。今年は私の人生にとって大きな節目を迎えます。この3月をもって熊本大学を〝満期退学〟させていただきます。熊本の地に来てから35年目になります。もうすぐ31歳になる10月のことでした。それがすでに前期高齢者の免許を取得することができたのですから、〝ありがたや、ありがたや〟です。私は授業中もけっこう〝ありがたや〟を発するのですが、その原点は子どものころのはやり歌にあります。それは1960年(昭和35年)ですから、私が伊万里小学校の6年生のときです。父が日曜日になると聴いていた〝歌謡曲ベストテン〟といった感じの番組で守屋浩の〝有難や節〟が繰り返し流れていたのです。もちろんそのころはラジオしかありませんでした。
 その歌詞がとにかく楽しいんです。作詞は浜口庫之助です。〝有難や有難や 有難や有難や 金がなければ くよくよします 女に振られりゃ 泣きまする 腹がへったら おまんまたべて 寿命尽きれば あの世行き 有難や有難や 有難や有難や〟。こんな調子の歌詞が4番まで続くわけです。私の人生の様々なシーンでこの文句が蘇ってきます。どんなことがあっても、まずは〝有難や有難や〟でいこうというノリなんですね。じつは年末に〝忘年会〟と称して大学院生たちとカラオケに行きました。もちろん私が歌うのは1960年代に流行った曲が中心です。大学院生とは住んでいる銀河系そのものが違うほどの差があります。しかし、いつものことながら調子に乗って古典を歌いまくっていた私に、院生の方から〝有難や節〟をリクエストする声があがったのです。なんと不覚にも、私の方が我を忘れていたのでした。それはともあれ、今年もまたよろしくお願い申し上げます。