味な話の素  Since 2003/04/29 
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No.124 2013年08月号 3877-3907
最強の生き物 2013/08/31 Sat 3907
 NHKで〝クマムシ〟の話を聞いた。講師は慶應大学医学部鈴木忠氏で専門は昆虫の精子形成研究だという。世の中にはいろいろなテーマがあるもんだ。これはラジオだったが、そのおもしろさに引き込まれてしまった。とにかく驚くべき生き物、それが〝クマムシ〟なのである。まずはその大きさだが、〝クマ〟というにしては極端に小さく、体長は50マイクロメートルから1.7ミリメートルだという。つまりは私たちの目には見えない世界の生き物なのである。しかし、そのパワーはめまいがするほどものすごい。
 とにかく乾燥に強く、水分がなくなっても活動を停止して無代謝状態になる。なにせ、体重の85%をしめている水分を0.05%まで減らすというから驚いてしまう。そしてもちろん水を得るとしっかり活動を開始するのである。それだけではない。彼等は真空中でも殻を作って生き延びていくのだ。その一方で75,000気圧の高圧にも耐えられるのだそうな。こんな高圧は深海を含めて地球上にはないらしい。まだまだ驚くのは早すぎる。温度にもめっぽう強いのだ。素人には0.0075ケルビンの極低温と言われてもピンとこないが、ほとんど絶対零度なのだそうだが、クマムシはこれに耐え、しかも151℃でも死なないというのだ。さらに 高線量の紫外線やX線などの放射線にも耐えまくるのである。人間は500レントゲンのX線で死んでしまうのに、クマちゃんの致死線量は57万レントゲンというから、もう比較のしようがない。
 もう地上で最強の生き物だと断定しても異論はないだろう。そしてこれほど私たちを驚かせるクマムシは、これまた究極の〝落ち〟を準備してくれているのである。なんとその寿命は3か月だというのだ。一体全体、何のための生命力なんでしょうね。
 
教師冥利 2013/08/30 Fri 3906
 定年を前にして身辺整理を続けている。研究室の図書も1/3になった。試験やレポートは5年間の保存期間があるからおいそれと廃棄するわけにはいかない。もちろん期限が過ぎた分はシュレッダーにかけている。そうしたうちのミニレポートを整理していたらちょっとおもしろいものが出てきた。ある大学に非常勤で出かけていたころのものである。内容は私の講義をほめてくれているので、それを書くと明らかに自慢話になる。それはわかっているから、あえて自慢話だと宣言した上で今日のネタにしようと思う。
 そのミニレポートは女子学生のもので〝また来ました。おそらく今後も来るでしょう〟ではじまる。こんな書き出しになるのは、彼女は私が授業をしていた学部の学生ではないからである。つまりは〝モグリ〟で受講してくれていたのだ。そして〝やはりこの講義はおもしろいです〟と続き、〝(所属)学部の授業のアンケートで『今まで受けた中で一番印象が強かった授業は?』というのがあり、この《□□心理学》〟を書きました(いいのか?)〟。彼女が所属する学部の担当者がどう思ったかは知るよしもない。しかし、私としてはただただありがたいと思う。そして〝全然関係ないんですけど、私の姉が以前いつも《ピグマリオン○○様》という書き出しでラブレターをもらっていたんですが、そんな神話があったことを今日知り、なんか感動しました。では、今後もよろしくお願いします〟で終わる。この日は〝ピグマリオン効果〟について話したのである。これについては紙数が足りないので、ここで説明することはできない。ともあれ、こうした声を聞くことで私は調子に乗るのだ。それがつぎのエネルギー源になることはいうまでもない。ありがたや、ありがたや。
川端ぜんざい 2013/08/29 Thu 3905
 さて、〝ぜんざい〟については高校時代にも懐かしい思い出があります。ご存じのように福岡市のJRは博多駅といいます。その昔、福岡と博多が一緒になって福岡市ができたわけです。福岡は武士たちの地区で、博多は商人たちの街だったのです。この福岡側には藩校からの歴史を誇る修猷館高校があって、屈指の進学校として知られています。これに対して福岡高校は博多の街にある進学校です。私は福岡高校に通ったのですが、博多の方には中州があり、川端があります。中州は全国的にも知られた歓楽街です。私が子どものころは映画館も密集していました。その隣が川端なのですが、現在はここに博多座が建っています。ずっと昔、ここには西日本相互銀行の本店がありました。その中にわが〝集団力学研究所〟が入居していたのです。夜の研究会や読書会が終わると誰いうとなく皆の足が中州に向かったものでした。
 さて〝ぜんざい〟の話に戻りますが、高校のときに〝川端ぜんざい〟というすっごいお店がありました。とにかくお品はどんぶり一杯のぜんざいのみです。これに厚手のたくわんが付いて出てくるのです。それを持ってくるお店のおじさんがすごかったですね。きっと子どものころから三食ともぜんざいを食べてきたに違いない。そんな思いにさせるお腹の出た二人のおじさんでした。兄弟だと聞いた記憶があります。お椀を持った親指がぜんざいに浸かっているんです。それで適度の塩味がついておいしくなった。そんな感じでした。あれから45年以上が経過しました。たまたま博多座に行く機会があったものですから、ちょっと川端のアーケードまで足を伸ばしてみました。いやあ、感動してしまいました。あの〝川端ぜんざい〟がしっかりと続いていたのです。
 
ぜんざい発祥の地 2013/08/28 Wed 3904
 子どものころから甘いものが好きでした。そのなかでも〝ぜんざい〟は好物の筆頭でしょうか。親戚一同が集って餅つきをする。元日にそれをぜんざいに入れて食べる。もう最高でした。小学5年生か6年生のころです。母が盲腸の手術で入院したことがあります。私は母からぜんざいの作り方を教えてもらい、それを持って病院に行ったこともなつかしい思い出です。わが家では隠し味として牛乳をちょっとだけ入れるんです。するとじつにまろやかなぜんざいに仕上がるのでした。私の作ったぜんざいを病院で食べた母が〝おいしい〟とうれしそうな顔をしたことは言うまでもありません。いまでも買い物に行くと〝ぜんざいパック〟を手に入れます。この時期は〝冷やしぜんざい〟が最高ですね。
 ところで皆さんは愛すべきぜんざいの発祥の地がどこだかご存じでしょうか。私もつい最近知ったのですが、それは〝出雲〟なんです。旧暦で10月を〝神無月〟と言います。これは神様たちが出雲に集まるために、諸国には神様がいなくなるからなんですね。これに対して〝出雲〟では〝神在月〟になるため、〝神在祭〟という神事が執り行われるのだそうです。そのときに振る舞われたのが〝神在餅(じんざい)〟ということなんです。これが出雲弁で訛ると〝ずんざい〟となり、さらに〝ぜんざい〟に変化して京都に伝わったというわけです。そんなことから出雲には〝出雲ぜんざい学会〟があって、新聞まで出していましたよ。そして10月31日は〝出雲ぜんざいの日〟になっていました。いやあすばらしいお話です。これを聞いたからには何が何でも〝出雲ぜんざい〟を食さなければなりません。この情報は松江で得たのですが、さっそく出雲縁結び空港でお土産としてゲットしました。
桜島噴煙物語 2013/08/27 Tue 3903
 桜島が爆発して5,000mの上空まで噴煙を上げた。標高800mにある昭和火口である。この5,000mは観測を始めた2006年6月以降で最高の高さだという。その映像を見てじつに懐かしかった。この表現は鹿児島の方々には問題になるはずだが、私たちもまったく同じ光景を目の当たりに見続けたことがあるからだ。
 それは1978年4月から翌79年の9月末までの1年半である。私は鹿児島女子短期大学に採用され、家族で福岡から引っ越して鹿児島市の住民になった。そのときの構成は家内と生後4か月の長男の3人である。このときの桜島は本当に元気がよかった。今回の爆発は昭和火口と言われているが、桜島には北岳、南岳などに複数の火口がある。私が住んでいたときはおそらく南岳からの噴火だったと思うが、とにかくすさまじかった。ときには鹿児島市内にも〝ドーン〟という鈍い音が聞こえ、教室の窓が震えなからビリビリと音を立てたりもした。その灰色の噴煙は空高く舞い上がり、夏場には鹿児島市へ流れてくるのである。それが空一面を覆って日中でも暗くなった。そして耳をそばだてると〝サラサラ〟といった降灰の音まで聞こえるほどだった。
 山形屋という老舗のデパートにはじめて出かけてレストランで食事をしたときだった。デパートの窓から下の電停を見ると何人かが傘を差している。その日は五月晴れで、雨など一滴も降る気配はなかった。何とも妙な光景だと思ったが、これが桜島の降灰対策であることが理解できるまでにそれほどの時間はかからなかった。私自身が傘を差しているとき〝サラサラ〟を間違いなく聞いたのだ。そして1978年の時点では観測史上最多の爆発回数だと言われていた。とにかくそのスケールの大きさに驚きながら1年半を過ごした。
 
困った、困った 2013/08/26 Mon 3902
 文部科学省の統計によれば、全国に教諭、いわゆる学校の先生は100万人ほどいる。これだけの人数になれば困った者がいてもおかしくはない。人間の集団とはそんなものである。しかし、その悪影響を子どもが被るのだから、やはり普通の集団の普通の人間の困った度合いではすまない。私が勝手に決めた教師が関わる3つの罪は、〝体罰〟〝セクハラ〟〝飲酒運転〟である。いずれも〝教師固有〟のものではない。しかし、それが子どもに与える害は一般組織で起きる場合と比較して、より深刻である。とりわけセクハラは厳しい。それにもかかわらず教師のセクハラはは学校における不祥事の代表のようになってしまった。じつに嘆かわしいことである。
 少し前になるが、九州のある県で20代の男性教諭が懲戒免職になった。彼は勤務中の中学校内などで女子生徒にみだらな行為をしていた。生徒とはメールで連絡を取っていたらしい。自宅のアパートと勤務している学校の中で問題行為に及んだという。生徒の保護者から相談があって発覚した。本人は〝申し訳ないことをしたという気持ちでいっぱいです〟と話している。いつも繰り返される反省のパターンである。
 不祥事は人ごとではない。大学の教員の場合も問題発生のネタは尽きない。このところ、血圧を低くする効果があるという薬のデータ改ざん問題が大騒ぎになっている。価格はかなり高いのだが、他の薬と比べて〝効果がある〟という研究があって多くの医師が使っているらしい。ところが、その効果を示すデータが改ざんされたものだというのだからお話にならない。ある公立大学の場合、3本の関連論文を撤回したという。〝インチキに大小の差はない〟のだろうが、病気の患者にそのまま影響を及ぼすのだから、罪深い。
 
独自性の光と影 2013/08/25 Sun 3901
 規則やマニュアルが〝現状に合わない部分もあり、細かい部分は各部署で作成していることがある〟という意見もありました。これは必ずしもマニュアルが守られない〝マイナス要因〟だとは限りません。仕事の実情に合わないことについて積極的に工夫する気持ちの表れだと考えることもできるからです。もちろん、それが機器に関することであればメーカーとのやりとりなども行われるでしょう。そうでなければ設計側の意図や工夫を無視することによる危険性が高まってしまいます。ときには機器のメーカーがユーザーを無視してマニュアルを作って安全な操作ができないといったトラブルが起きたりします。これとはまったく逆のケースになるわけです。ともあれ、こうしてつくられた〝独自〟のマニュアルがさらに他のグループで活用されるようなれば安全の向上にも貢献するわけです。そのときメーカー側との綿密な情報交換が行われればさらなる改善点も発見できるでしょう。
 その一方で、これは〝危険な解釈〟になる側面もあります。それは〝現状に合わない部分〟を〝勝手に〟変えてしまう場合です。過去に〝裏マニュアル〟が深刻な事態を引き起こしたことがありました。このときは、〝組織ぐるみ〟だったことで衝撃を受けました。そうした大規模なものではなくても、〝各部署〟で〝独自〟の修正や変更が行われ得るわけです。たとえそれが〝現状に合う〟ものであっても、そのことを他の部署が知らないために予想もしない手違いやトラブルが引き起こされる可能性は高まります。さらにこうした〝各部署による対応〟が〝常識〟になると、〝細部は自分たちの都合や解釈に合わせて〟手を加えることに抵抗感がなくなります。それは組織にとって危険な兆候です。
 
マニュアル問題(58) 2013/08/24 Sat 3900 Continued from 8/17
 規則やマニュアルが守られない理由として〝インシデントが起こるたびに複雑なマニュアルになっている〟という声も聞かれました。その結果として〝まちがえないように業務が増える〟と追記されていたのです。これについては、〝そもそも守るべきことを守っていればインシデントも起こらない〟と指摘することもできます。しかし、何と言っても人間あ関わる行為です。エラーやミスを完璧に追放することは不可能なのです。さらに、業務が複雑化すればするほど〝想定外〟の問題が発生することも避けられません。
 こうして何か不都合なことが起きると、それに対応して手続きやマニュアルが修正されるわけです。事態の深刻さによっては、規則の変更に至ることすらあります。ときには〝新たな規則やマニュアル〟が追加されたりもするのです。そこで、規則やマニュアルがさらに複雑化していきます。その結果として、改めてチェックすべき項目が付加されるなど、なすべき仕事は増えていくわけです。それがさらにインシデント発生の可能性を高めてしまいます。悪循環の罠に捕らえられてしまうのですから、皮肉というほかはないですね。しかし、そうは言っても、この手の問題を解消できる万能薬はありません。あえて言えば、問題が起きた際に既存の規則やマニュアルを見直し、それ自身を可能な限り簡素化するといった方向で議論することくらいでしょうか。そんななかで、修正したりカットすべきものが明らかになれば、仕事が増える事態を回避することができるかもしれません。〝屋上屋を架す〟と言いますが、現状を見直さないで症療法的に〝新しい手続きや項目〟を単純に追加するという発想は避けたいものです。それでは、ミスや事故の可能性は高まってしまいます。
ギャング対策 2013/08/23 Fri 3899
 わが家のテレビが液晶ではなくガラス面で仕上がっているプラズマにした理由は単純です。何分にもときどき襲ってくる〝孫ギャング〟対策が必須だったからです。そもそも小さな子ども、とりわけ2歳ころまでは身の回りにあるものを掴んだり押したりで大忙しです。文字通り〝手当たり次第〟なんです。ただし、それでも個性はちゃんとあって、最初の孫はとくにボタンなどを押すのが大好きでした。炊飯器ではボタンを押すと蓋がポンと開くわけです。これがたまらなくおもしろいんですね。それをおじいちゃんが止めようともしない。それどころか笑っているんですよ。だから、ますますエスカレートして、とうとう炊飯機能はしっかりしているのに使い物にならなくなってしまいました。もちろんその責任が誰にあるのかははっきりしています。
 これに対して2番目のギャングはお兄ちゃんほどボタン押しにはこだわらなかったような気がしています。そして現時点では第三のギャングがせっせとプラズマ押しを試みているわけです。やはり液晶でなくてよかったと、自分たちの判断力のすばらしさを実感しています。
 さてさて、その50インチで劇場用映画を観るわけです。〝映画鑑賞リスト〟に登録するからにはできる限り劇場に近い環境をつくらなければなりません。映画館のスクリーンにはとてもかないませんので、無理にならない範囲で画面に近づきます。また映画館と同様に周囲を真っ暗にします。これでそれらしい雰囲気が出てきます。それにガラス面のプラズマは光を反射しやすいという欠点がありますから、これは必須の条件だというべきでしょう。さらに、ビデオをスタートしたからには途中で止めるなんてあり得ません。トイレに行くなどは御法度に決まってます。
映画カウントの変更 2013/08/22 Thu 3898
 今年の映画鑑賞が17本になって、最終的に26本だった昨年のペースを超えたのですが、この数値には少しばかり註が必要です。それは集計の基準を変更したからです。今年から新たにビデオを含めることにしたのです。もちろん昨年までも自宅でビデオを観ることはありました。しかし、私としては〝ビデオは映画ではない〟という定義を貫いてきたのでした。もちろんここで言う〝ビデオ〟とは〝劇場で公開された映画のビデオ〟のことです。そんなことから、私はそもそも自宅で〝ビデオ〟を観たことがほとんどなかったのです。つまりはレンタルなど無縁の生活でした。
 しかし、いまでは劇場で観ることのできないものは〝ビデオ〟に頼るしかありません。そのきっかけになったのは今年初めに公開された〝東京家族〟でした。山田洋次監督が小津安二郎監督の名作〝東京物語〟をリメークしたものです。こうなるとオリジナルはどうしたって観なければなりません。しかしそれを実現するには〝ビデオ〟しかないのです。というわけで、わが家で〝東京物語〟を劇場に行った気持ちで観賞したのでした。これが今日の時代に観てもけっこうおもしろいのですね。ストーリーには触れませんが、この秋に前期高齢者となる私にとって、じつに身近に感じる物語でした。
 ただし、自宅でのビデオ視聴を〝映画鑑賞のリスト〟に挙げてカウントすることになれば、それなりの条件は設定しないといけません。つまりは可能な限り劇場と同じにするということです。わが家のテレビはとりあえず50インチのプラズマです。これはパナソニックが力を入れてきたものです。画面の前面がガラスのため、液晶のように手で押してもブヨブヨすることはありません。この違いが購入決定の理由でした。
 
ペース復活 2013/08/21 Wed 3897
 自称ながら、私が映画好きであることは本コラムでも繰り返しお伝えしています。劇場映画だけに限定しても、一昨年は22本、昨年は26本の映画を観ました。今年はかなりハイペースで、5月までに13本と絶好調でした。ところが6月が時間が取れずパスしてしまいました。もちろん観たいものがなかったわけではありません。まあ、忙しかったと言えばそれまでですが、じつは〝忙しいときにも映画館に出かける〟というのが私の密やかなポリシーなのです。ある仕事をしなければならないときに、まずは映画を観に行く。そのあとで、それを一気に片付けるというパターンです。映画の満足感で大脳が活気づいていて、ドンドン前に進むという感じでしょうか。
 〝忙中閑あり〟と言いますが、その〝閑〟の間に何をするかがポイントになると思います。いつも周りの方に冗談を言っているのですが、〝私は家内認定の回遊魚〟なのです。回遊魚の代表がマグロらしいのですが、彼等は止まると死ぬんだそうですね。家内から認定証を授与されたのは随分と昔のことですが、私自身〝それって当たってるよなあ〟と感動してしまいました。われながら〝せわしない性格〟だと思っています。
 さて、6月で頓挫しかけた映画鑑賞ですが、7月には1本だけですが追加しました。そしていよいよお盆休みです。かつての映画館は、正月とお盆、そして5月のゴールデンウィークは大いに賑わったものです。とにかく映画は娯楽の王様でしたし、いまのように遊びが多様化していませんでした。〝ゴールデンウィーク〟ということばそのものが映画の業界が創ったものなのです。そこで、先週は2日間で一気に3本の映画を観に行けました。これで今年は17本になり、昨年のペースを超えました。
 
スマトラの議論 2013/08/20 Tue 3896
 福島の事故について、〝過去に貞観地震があったことを踏まえれば、今度の大地震と大津波は想定すべきことだった〟という意見がありました。私も〝それはそうだ〟とは思うのですが、それよりももっと議論しておかなければならなかったことがあると言いたいのです。これは素人判断ですが、貞観地震はあの有名なリアス式海岸に大津波が突き進んだために甚大な被害を生じたのだと推測します。これまた目で見たわけではないのですが、福島の海岸あたりはいわゆるリアス式のようにトゲトゲしていないような感じです。そうなると、〝三陸沖ほどのことはないだろう〟と考えたくはなります。ただし、くどいようですが、これは素人なら許される話でしょう。しかし原子力発電所の人々はプロですからもっと厳しい評価をすべきだったと思います。
 また、仮にリアス式海岸でなかったとしても、とんでもない津波が起こる可能性とそのとてつもない被害について考えるべきチャンスはあったのです。それは2004年12月26日に起きた〝スマトラ沖地震〟のときでした。地震のマグニチュードは9.1とされていますが、世界中の人々が、あの大津波の映像に驚き恐怖を感じたことは疑いありません。あのあたりの地形は知りませんがどう見てもリアス式の海岸とは思えません。素人であれば、しかも海から一定程度離れているところに住んでいる者であれば、〝たいへんだなあ〟で終わっても許されるかもしれません。しかし、原子力発電所にかかわる人たちであれば、あの映像を深刻に受け止めてもよかったはずです。いや実際にはそうした議論がなされていたと推測しています。しかし、結果から見れば、福島第一発電所においては十分な対策が行われなかったのではないかと思われます。
 
巨大津波とメルトダウン 2013/08/19 Mon 3895
 あの地震から2年と5か月が過ぎました。東京電力の福島第一発電所では地下水の問題がクローズアップされています。これから先も気が遠くなるような時間をかけて処理が進んでいきます。この秋に前期高齢者になる私の年齢から考えると、〝津波による事故から進められてきた作業が終了した〟というニュースに接することはできません。それだけ時間が必要なのです。とにかくあのとき、〝あるはずがない〟〝あってはならない〟とされていたメルトダウンという最悪の事態が起きたのでした。しかも素人とはいえ不謹慎な言い方だと承知していますが、それが〝いとも簡単に〟起きてしまったのです。とにかく巨大な津波が押し寄せてきて海水が堤防を越えてしまった。それが非常用電源を水浸しにしてしまった。いざというときに非常用の発電機が動いて冷却水の循環を維持し続ける。だから危機的な事故を防ぐことができる。そのストーリーが津波の一撃で瞬時に壊れてしまったのでした。原子炉を冷却する水が回らなくなれば、〝メルトダウン〟に至るのは時間の問題でした。こうして〝あってはならない〟最悪の事態が起きたのです。これが素人レベルの理解です。
 ところで、事故が起きて間もなく〝津波〟の大きさについて〝想定外〟かどうかという議論がありました。その際、〝あれは想定外のものではあり得ない〟という意見も多かったと思います。そのときに引き合いに出されたのが貞観地震でした。これは1,100年以上も前の869に起きた巨大地震で、歴史教科書では平安時代前期のことでした。そのときのマグニチュードは8.3以上あったと推定されています。これに対して今回はマグニチュード9.0といわれています。その点では貞観を遙かに上回っていたのでした。
 
飲んでも乗るメンタリティ 2013/08/18 Sun 3894
 とにかく飲酒による事故がなくならない。わずかなタクシー代をケチっただけで職を失うなんて子どもが聞いてもあきれる。とにかく想像力も何もあったものじゃない。ここで特定の職業を指定するのもどうかと思うが、子どもたちに〝ルールを守れ〟と言っている教師に至っては言語道断である。しかし、それが後を絶たないのだからことばがない。
 もちろん人ごとではない。東北地方の国立大学では副学長が酒を飲んで物損事故を起こして捕まった。警察には〝妻が運転していた〟と虚偽の説明をしていたらしい。副学長は辞任したものの、大学としては懲戒処分を検討しているという。この人は午後7時ころから飲食店で一人で飲んでいたが、その店からはタクシーで帰ったようだ。ところが、それから車に乗って出かけたという。最初に帰宅したのが午前零時過ぎとのことだから、アルコールは相当に回っていただろう。何をしにどこへ出かけたか知らないが、その帰りに自宅近くまで来てからよその家の塀に衝突したという。遠隔地ながら私の同業者ではあるが、言うことばがない。
 アルコールの怖さは、飲めば飲むほど抑えが効かなくなることである。まともな神経なら〝飲酒運転〟など恐ろしくてできないはずだ。ところが、飲めば飲むほど箍が外れてしまう。そこがアルコールのやっかいなところである。熊本市でも飲酒による懲戒処分が続いたため、新しいルールをつくった。その内容は〝飲酒する場合は、公共交通機関等を利用し、飲酒場所には車、バイク、自転車を持ち込まない〟というものである。最近、代行を頼んでいたのにトラブルを起こし、自分で運転していて捕まったケースが出たため〝とにかく自分の車は置いてこい〟となったのだ。ヤレヤレ困ったものである。ビス
 
マニュアル問題(57) 2013/08/17 Sat 3893 Continued from 8/14
 とにかく〝マニュアルが多い〟とそのすべてに目を通す時間がなくなります。そこで自分たちの都合に合わせた〝心で決める〟マニュアルと言うべきものが生まれたりするわけです。そしてみんなが〝オリジナルマニュアル〟にしたがって仕事をするようになる。これがとんでもないミスや事故に繋がったケースは枚挙にいとまがありません。もっとも厳しい例として安全を無視した〝裏マニュアル〟と呼ばれるものが〝基準〟になって、人命を失う重大事故を引き起こしたことが挙げられるでしょう。
 ところで、〝マニュアルが増え続ける〟現実は、社会が複雑化するとともに法律が幾何級数的に増加している状況とも似ています。そんなことから、システムが複雑化すればマニュアルが増えていくのはやむを得ないことのように思われます。ここに至って、システムを単純に簡素化することもむずかしいでしょう。こうして、絶え間なく増殖する情報を前にして、どこから手を付けていいのかわからなくなるわけです。しかし、それでまともな行動が取れないのでは、事態は悪化するばかりです。このごろは様々な製品に〝クイックマニュアル〟といったものがついています。これと同じように、装置や機器を安全確実に使うための優先順位があるのです。これを決めることでまずは安全が確保できるというわけです。ただし、それを誰がどのような基準で決めるかは大きな課題です。それに、とりあえず〝優先順位〟を付けたという思いが、低いランクになった部分を軽視することに繋がれば、そのうちしっぺ返しを受けることになるでしょう。また複雑な仕事を〝分担〟して、その部分だけ〝マニュアル〟を守るというのも、コミュニケーション不足の危険性を孕んでいます。
みんな同じ? 2013/08/16 Fri 3892
 ビスケットは〝小麦粉、糖類、食用油脂、食塩を原料にしており、必要に応じて乳製品や膨張剤などを加え、混合機、成形機、ビスケットオーブンを使用して製造したもの〟だとのこと。〝ビスケットオーブン〟なるものがあるなんてはじめて知った。そして〝ビスケットのうち、糖分と脂肪分の合計が40%以上で、見た目が手作り風のものをクッキーと表示できる〟と決められているという。〝糖分と脂肪分が40%以上〟となると中年以降の人たちはかなり注意をしないといけない。しかも〝見た目が手作り風〟というのもおもしろい。
 たしかにビスケットに対する私のイメージは、丸かったり四角だったりするが、とにかく整った形をしている。それに、まるで刻印されたような文字や縁飾りが付けられてもいる。これに対してクッキーは表面がスカスカで穴が空いているように見えるし、大きさもきっちり同じという感じはしない。そこが〝見た目手作り風〟なんだろう。因みにビスケットの語源はラテン語で〝2度焼かれたもの〟だという。そして〝クッキー〟はオランダ語で〝ケーキや焼き菓子(koek)〟から生まれたそうだ。さて、もう一つの〝サブレ〟はどうなのか。こちらはフランスの町の名前なのである。〝クッキーの仲間で、よりバターを多く含ませることで、サックリとした食感を楽しめるもの〟なのだそうな。
 さらに〝当たり前田のクラッカー(われわれ世代でないと理解不能のフレーズ)〟もある。これは〝ビスケットを作る生地にイーストを使って発酵させたものを、高温で短時間に焼き上げたもの〟という。少なくとも、〝ビスケット/クッキー/サブレにクラッカー〟は〝似たようなもん〟なのだった。昨日からの情報は〝伊藤 裕/GRINGO&Co.〟による。
 
ビスケットとクッキーとサブレ 2013/08/15 Thu 3891
 先日、研修の休憩時間にコーヒーが出た。その横には〝プラ〟マークの袋に入ったお菓子が2種類ほど置いてある。一つはチョコレートであることがすぐにわかった。もう一つの方を開けてみたらクッキーのようだった。私はそこにいた3人に〝クッキーとビスケットってどう違うんですかねえ〟と問いかけた。〝それにサブレってのもありますよね〟。これは私が発したのか3人の誰かが言ったのか記憶にない。いずれにしてもそこにいた4人が〝そうですねえ〟と首をかしげた。
 私が人生で遭遇した順番から言えば、まずは〝ビスケット〟なるものがあった。それからかなり経過して〝クッキー〟が登場した。その時期はまだ子どもだったと思うが、それでも高校性にはなっていた気がする。そしてラストが〝サブレ〟である。このときはすでに大人になっていた。サブレは比較的柔らかくて歯に詰まるような印象をもっている。こんなことを言えばサブレファンからは〝おまえは正統サブレを知らない〟と叱られるだろうか。
 そこで〝探究心旺盛〟を自認している私は〝ビスケット/クッキー/サブレの違い探検〟に出かけることにした。ところが、当然と言うべきか、私の気負いに肩すかしを食わせるように、〝彼等の違い〟は一発でわかった。インターネットで〝ビスケット クッキー サブレ 違い〟で検索すると44,500件がヒットした。そして、それを読めば3つの違いがすぐにわかった。まずは結論から言えば、私のような素人としては、〝どれも同じ〟だと思ってよさそうなくらい違いがないのだ。ビスケットは〝小麦粉、糖類、食用油脂、食塩を原料にしており、必要に応じて乳製品や膨張剤などを加え、混合機、成形機、ビスケットオーブンを使用して製造したもの〟だそうな。
 
マニュアル問題(56) 2013/08/14 Wed 3890 Continued from 8/12
 時代とともにあらゆる組織のシステムが巨大化し複雑化してきました。〝巨大化〟といっても物理的なスケールが大きくなったとは限りません。前世紀末に〝集積回路〟という用語が流行したことがあります。私たちのように〝旧い世代〟には懐かしい思い出です。同じ大きさのチップに回路をドンドン詰め込んでいくことから、〝集積〟と呼ばれたのです。こうしたものも、視点を変えれば〝巨大化〟現象のなかに含めることができるでしょう。
 いずれにしても、システムの〝進化〟に伴って〝マニュアル〟は〝増加〟していくことになります。もちろん、それに併せた〝規則〟がつくられることもあります。当然のことですが、そのすべてを個人の頭のなかに置いておくことは不可能です。それが単に記憶容量を超えているというのであれば、そのときどきの必要に応じて確認すればいいわけです。しかし、そのこと自身が時間の制約などからきわめて困難になるのです。そもそも問題に直面したとき、〝これについてはマニュアルや規則があったかなあ〟と思えばいいのですが、そうした基本的な事実ですら頭に浮かばないこともあるわけです。それどころか、〝たしかにあった〟と記憶していても、〝時間がない〟〝手続きが面倒だ〟といった理由で確認しないまま問題行動をとってしまうことも少なくないのです。それでもレベルの高いフェールセーフシステムに助けられて目に見えるミスや重大な事故が起きない確率が高いのです。こうしたことが繰り返されるていくうちに、規則やマニュアルの軽視、さらには無視が起きはじめるのです。そして、そうすることが〝職場の常識〟になっていくわけです。こうなると、それが問題であることを指摘することすらむずかしくなるわけです。
 
法の囚人 2013/08/13 Tue 3889
 強制わいせつ事件で被害児童を匿名にしたことから、東京地方裁判所がその起訴状を認めなかったという新聞記事を読んだ。公園で見知らぬ男からトイレに連れ込まれた児童がわいせつな行為を受けた事件である。起訴状の謄本が被告に送られるため、児童の親が氏名を知られることを恐れた。そこで児童名を匿名にしたのである。通常の神経を持った人間であれば当然すぎるほど当然の発想である。最近のストーカーによる悲劇を思い出すならなおさらだ。
 それを裁判所が名前を書けというのである。しかも、そのことが法律で強制されているのかと思えば、そうでもないらしいのだ。刑事訴訟法は起訴状にできる限り、日時・場所・方法を明記し、罪となる事実を特定するよう求めているという。それもまた当然である。しかし、被害者の氏名に関する規定はないそうで、通常は記載されるとされる。もちろんそれだって当たり前のことである。しかし、書かなければ裁判を開始してはいけないなんて決まりはないのである。検察は〝被告が公園のトイレに自ら連れ込んだ児童〟としたのだが、裁判所は〝起訴内容が特定できない〟として認めなかったという。強制わいせつは親告罪だから被害者が告訴しなければ裁判は成立しない。親は〝氏名を出すなら告訴を取り下げる〟と言っているようだ。
 当該の裁判官はまともな神経をもっているのだろうか。現実の問題に対する感受性を備えていないのではないか。匿名では告訴されないとなると、妙な気を起こす不届き者がでてくる可能性は十二分にある。裁判所は〝法の番人〟と言われる。しかし、単なる形式や前例だけにこだわって、犯罪の予防まで頭が回っていないのではないか。そんなことなら、裁判官は〝法の囚人〟だと笑ってしまう。
マニュアル問題(55) 2013/08/12 Mon 3888
 〝時間がなくなると夜勤入りなどで、睡眠や休息の時間がなくなる〟はもう少し表現を工夫してほしいのですが、そこから〝あまりにも忙しいから〟という悲痛の声が聞こえてくるではありませんか。仕事の処理ができないうちに時間が経過し、十分な睡眠や休息を取らないうちに夜勤に入ってしまうわけです。そこでついつい〝規則やマニュアル〟で決められていることを守らなかったりするという状況が生まれるのです。
 これが大きな問題を含んでいることは言うまでもありません。まずは、〝決まり〟を守らない、あるいは軽視するためにミスや事故が発生する可能性が高まることになります。これに加えて〝睡眠や休息〟を取らないことになれば、それが事故に繋がる危険性を無視できなくなります。このごろはミスや事故を含めて問題が起きないように様々な手続きを行うことが求められるようになりました。その結果、多くの書類を作成することなどが必要になっています。そうした事前の処置を十分にしておくことはミスや事故、さらには無用なトラブルの発生を避けるために欠かせないわけです。しかし、それが仕事の負担になって与えられた時間内で処理できなくなり、睡眠や休息時間を圧迫する。これでは問題が起きるのを防止するための手段が、かえってミスや事故を引き起こす原因になるわけです。じつに皮肉なことではありませんか。私の数少ない体験からは、このあたりは海外ではかなり〝分業化〟が進んでいるのではないかと思うのです。一時期は〝ワークシェアリング〟ということばをよく聞いていましたが、すでに消滅したのでしょうか。
 
マニュアル問題(54) 2013/08/11Sun 3887 Continued from 2012/12/15
 これまで折に触れて、〝マニュアルや規則〟の問題を取りあげたシリーズを書いてきました。ただし、それも前回は昨年の12月15日のことで、それから休止状態になっています。ずっとこのコラムにお付き合いいただいている方も、せいぜい〝そんなシリーズがあったっけな〟というくらいのご記憶だと思います。そもそもが〝あっちこっちに飛び回っている〟ので、当の本人が〝休止中m光陰矢のごとし〟というわけです。
 そもそもは、〝マニュアルや規則が守られない〟理由をお医者さんや看護師さん、さらには技師さんたちといった病院関係者からお聞きしたことからはじまったのです。その情報は自由記述によって得られたのですが、まだ取りあげるべき大事なデータが手元に残ったままなのです。そこでまたぞろ〝連載〟を再スタートさせようというわけです。今回で54回になることから、さすがに対象にするデータも少なくなってきました。そこで今回は〝一気呵成に〟いきたいという気持ちは高まっています。しかし、私のことですからそれも怪しいものです。また〝長ーい休止状態〟に陥る危険性はございます。まあ、そのときはそのときですから、とにかく先に進みましょう。
 お久しぶりの復帰第一弾は〝時間がなくなると夜勤入りなどで、睡眠や休息の時間がなくなる〟です。これは、自由記述をそのまま入力したものです。一文のなかで〝時間がなくなる〟が繰り返されるなど、日本語の文章として整っているとは言えませんね。
 
表紙の写真(つづき) 2013/08/10 Sat 3886
 今月の壁紙は〝ひまわり〟にした。そこで写真もゴッホの〝ひまわり〟はぴったりというわけである。ところでゴッホが日本の浮世絵に大きな影響を受けたことは素人なりに知っている。それがアムステルダムのゴッホミュージアムでもしっかり解説されていた。それが誇らしげに思えたところは、やはり私も日本人なのである。
 さて、表紙写真のもう1枚は飛行機である。こちらは日本エアコミューターのSAAB機だ。これには福岡と出雲縁結び空港の往復で乗った。先月出かけたばかりのスウェーデン製だということでとりわけ親しみを感じる。私が乗ったのは初めてではないが、定員が36人乗りとじつに可愛い。前方に向かって左側は1席で、右側が2席になっている。これが12列まであって36人というわけだ。私のような小柄な人間ですら立つとすぐ近くに天井がある。客室乗務員は1人である。乗り降りも折りたたみ式のステップを使う。プロペラ機は当然のことながらプロペラが猛烈に回転するから、しっかり飛んでいるという実感があってじつに楽しい。それに、けっこう低いところを飛ぶから景色もなかなかよろしい。
 とにかく飛行機好きだから乗ったことのない飛行機だと嬉しくなる。初めて乗ったプロペラ機は日本製のYS-11で、大阪/徳島間だった。もちろん本四架橋ができる前の大昔のことである。このごろは熊本/大阪間などでボンバルディア機が飛んでいる。これに最初に乗ったのは、大阪から出雲に行ったときだった。こちらはカナダ製である。主翼が機体の上の方に着いているため、着陸するときに車輪が滑走路に着地する瞬間が見える。摩擦熱で煙が出るのを目の前で、正確には目の横で目撃できるのが最大の売りだと思う。ともあれ、今月の写真紹介でした。
 
今月号の写真 2013/08/09 Fri 3885
 ホームページをスタートしたときから表紙に写真を入れてきた。かなり長いこと1枚だったが、今年の春から2枚にしている。これまでも〝表紙の写真はどこで撮ったのか〟といったご質問を受けたことがある。こうしたお問い合わせにには個別にお答えしていただけだった。もっとも自分がアピールしようと思ったときには〝解説〟を付けたこともある。たとえば、島根県の〝足立美術館〟や北海道の〝旭山動物園〟などはその例である。しかし、金沢の兼六園の〝徽軫灯籠(ことじとうろう)〟ように、写真を見ただけで誰もがわかるようなときには説明なしだった。
 その点で今月号はどうだろうか。まずは絵画の方だが、こちらはゴッホの〝ひまわり〟であることは多くの方がご存じだろう。ひまわりを題材にした作品は11点あるいは12点あるとされる。そのうちの1点を日本の損害保険会社が58億円もの高額で購入して話題になったことがある。バブル絶頂の1987年のことである。これについては贋作ではないかという話もあるらしいが、もちろん真偽のほどは知らない。表紙の写真は、先月アムステルダムの〝ゴッホ美術館〟で私が撮った。ヨーロッパでは、あのルーブルも含めてほとんどの美術館や博物館で写真を撮ることができる。ただし〝フラッシュはアウト〟という条件付きである。それでも〝うっかり光らせてしまう〟人もいたりするが、警備員から警告される程度である。この点は日本の同じ施設とは決定的に違っている。作品の質にもよるのだろうが、海外はきわめておおらかだ。ただギリシャの博物館では〝個人と展示物のツーショットは禁止〟というルールがあった。〝歴史的遺物と個人が一緒なんてとんでもない〟と言うことなのか。このときはちょっと笑ってしまった。 
小麦色の思い出 2013/08/08 Thu 3884
 九州はすでに亜熱帯圏に入ったのだろうか。もう梅雨は明けた〝模様〟のところもあるようだが、この2週間ほどは、素人ながら梅雨前線が北上していると思った。とにかく豪雨の被害が九州ではなく本州に移動しているからである。山口や島根は九州のお隣だけれど、石川や愛知などでの被害を見るとその感を強くする。そのうち、梅雨がないとされる北海道にも梅雨がやってくるようになるのではないか。
 そんななかで、今年も猛暑が国中を襲っている。体温を超える気温を見てもびっくり仰天しなくなったところが怖い。そして強烈な日差しを避けるために日傘も売れに売れているという。しかも、男性用のものもけっこうな人気らしい。いまや日傘ブームなのである。それだけではない。日焼止めのクリームを愛用する男性もいるのだそうな。太陽の紫外線が皮膚ガンを発生させたりするという事実はけっこう以前から知られてはいた。そんなことで日傘に限らず紫外線を避けることは性別を問わず必要なことなのだろう。しかし、われわれ世代はいやでも想い出すのだ。あの若いころの〝小麦色〟に肌を焼くブームは一体全体何だったのかと。前田美波里の小麦色キャンペーンは資生堂だったか、われわれの目に焼き付いている。
 そういえば、子どものころ、走るときは水を飲んではいけないと言われていたのに、いまはしっかり水を飲めなんですってね。体育で定番だった〝うさぎ飛び〟だって、とんでもないらしいじゃないですか。誰が言い出したのか知らないが、いかにも科学的な雰囲気を醸し出しながら、世の中には相当にいい加減な情報が拡散し、しかもそれらが常識として定着してしまう。まことに嘆かわしい。そして、ブームのときにそれを否定する見解が出た記憶もない。
 
〝カリスマ家〟の子どもたち 2013/08/07 Wed 3883
 〝失敗〟はそれを克服する過程が大事だ。それによって失敗体験者をひとりの人間として成長させる。しかし、リーダーシップの観点から見れば、〝失敗の力〟は本人だけに作用するだけではない。そうした厳しく、おそらくは辛く、さらに悔しい体験を克服する姿勢やその具体的な方法をフォロワーたちに示す。これこそがリーダーの重要な役割なのである。このとき、リーダーは〝失敗を克服するモデル〟になっているのだ。また、同じ失敗でも他者に対してまずいことをしたようなときには、タイミングよく謝ることである。これもまたリーダーシップとして欠かせない行動に含まれる。そして、〝謝り方〟そのものがリーダーとしてのモデルになっているのである。この点でもカリスマはきわめて致命的な欠点を抱えている。なぜなら、彼等はそもそも〝失敗しない〟ことになっているからだ。そんなことではリーダーになりたくてもなれないではないか。
 親子関係においても似たようなことが起きる。両親がスーパーマンやスーパーウーマンだと子どもはついていけない。しかも、親の方は自分たちをモデルにしろと言わんばかりに過大な期待を寄せる。社会的にはスーパーな両親たちが評価される傾向があるから、子どもはさらに自信を失ってしまう。両親は〝子どものためだ〟と信じているから、あくまでも期待をもち続けて、鞭打つ手を緩めない。まさに親が〝カリスマ〟になっているのである。われわれは個々人で価値観というものをもっている。それに干渉したり侵害することは避けなければならない。その意味で〝カリスマ家〟の教育方針に口を挟む気は毛頭ない。ただ、スーパー両親が張り切れば張り切るほど、その子どもたちはきついだろうなあと思ってしまうのである。
カリスマと失敗 2013/08/06 Tue 3882
 われわれ人間は必ず失敗するするのに、〝失敗したことのあるカリスマ〟は実在しないのである。もっとも、カリスマのなかには〝失敗体験者〟がいるかもしれない。しかし、そうした〝失敗〟も〝隠蔽〟されるか〝神話化〟される。後者の場合はそうした取り返しのつかない〝大失敗〟を〝超人的〟に、あるいは〝奇跡的〟に、ときには〝神の加護のもと〟で〝乗り越える〟という具合である。何と言っても〝超人〟なのだから、われわれ一般の人間がお付き合いするには距離がありすぎる。現実のリーダーは〝失敗体験〟をもち、それを〝自分の力で克服〟しているべきなのだ。そしてその体験を隠すのではなく、人と自分を育てるために活用することができるのである。
 さて、〝カリスマがリーダーになれない〟条件の第二は〝過去だけでなく、いまでも失敗しない、あるいは〝失敗できない〟からである。人間なら過去形、現在形を問わず〝失敗しない〟なんてあり得ないのだが、それでは〝カリスマ〟失格になってしまう。そんなカリスマは何とも辛いことだろうと同情したくなる。これに対して、わが理想のリーダーは〝現在進行中で失敗できる〟のである。そもそも失敗は、何事かにチャレンジした結果の一側面に過ぎない。その対局は〝成功〟だが、人生いつも成功ばかりしているわけにはいかない。そして成長という観点からは、〝成功〟よりも〝失敗〟の方が大きな役割を果たすに違いない。〝生長〟は、生き物が与えられた条件のなかで、あらかじめセットされたプログラムにしたがって育っていくことである。つまりは〝生きながら長くなる、あるいは大きくなる〟わけだ。これに対して〝成長〟は、〝成って長じる〟のだから〝変わる〟ことを含んでいる。この違いは大きい。
 
太陽とカリスマ 2013/08/05 Mon 3881
 もちろん太陽は〝優しく〟〝温かい〟だけではない。とりわけ夏になると太陽の〝厳しさ〟が遺憾なく発揮されて、人間の方が参ってしまう。また台風を生み出すのも集中豪雨を引き起こすのも、その原動力は〝太陽〟にある。それが毎年のように大きな被害をもたらしているのだ。太陽はそれだけ怖いのである。そんなわけで、組織のリーダーは全面的に太陽に見習うことはない。ただ〝厳しくすべきときは厳しく〟という常識的な行動が取れれば十分なのである。
 ところで、リーダーが話題になるとき〝カリスマ〟ということばが使われたりする。これはリーダーを〝太陽〟の代わりに〝カリスマ〟と言い換えたようなものである。本コラムでは〝カリスマ〟についても折に触れて取りあげてきたが、ここで〝太陽〟の話をしたこともあり、あらためて〝カリスマ〟について考えておこう。〝カリスマ〟は神様のように優れた人間のことである。つまりは超人的な側面をもっている。まずは結論から言えば、私は〝リーダーはカリスマになってはいけない〟と考えている。そんな神様か人間かわからない者が組織で人をリードするなんて間違いのもとである。さすがに神様は言い過ぎだとの反論もあるかもしれない。それはそうだとしても、〝カリスマ〟が〝スーパーエリート〟であることは誰もが認めるだろう。そして私は〝そんなエリートが人の上に立ってリーダーシップを発揮してはいけない〟と主張しているのである。その理由はきわめて単純だ。そもそも〝カリスマ〟には真のリーダーとして備えるべき条件が欠けているである。まず第一に〝カリスマは失敗したことがない〟という致命的な欠陥を抱えている。この世のなかで、過去に失敗したことがない人間などいるはずがない。
 
反抗と服従 2013/08/04 Sun 3880 Continued from 8/01
 〝グラウンドアップ〟と〝北風と太陽〟。それは、私にとって〝リーダーシップ物語〟なのである。そしてこのストーリーは教育界で問題になる体罰についても大きなヒントを与えてくれる。ひたすら力だけに頼って子どもたちの行動や態度をコントロールしようとする。それは〝北風的発想〟そのものである。それは当然の帰結として〝反発心〟を喚起する。また状況によっては、まったく対照的に〝卑屈な服従〟を引き起こすこともある。〝反抗〟と〝服従〟、一見すれば真逆の反応が、じつは指導者の同じ行動から生まれている可能性が高いのである。〝自分の言うことをちゃんと聞く子がいる。だから反抗する連中はけしからん〟などと嘆く。こんなときは、〝人の心のメカニズム〟に気づいていないと考えた方がいい。どちらにしても教師としてのリーダーシップが発揮されていないのである。
 これは体罰に限ったことではない。人間を北風的な発想で変えようとする試みは一時的で見かけ上の変化をもたらすことはある。しかし、永続的で主体的な行動や態度の変容を引き起こすことはできないのだ。そもそも無理矢理に衣服をはがそうとされれば、誰だって全力を挙げて抵抗するに決まっている。そして、それがストレスを引き起こすことも容易に想像できる。さらに悪くすれば、組織にとって致命的なミスや事故に繋がっていく。こうした〝北風的発想〟の対局にあるのが〝太陽力〟なのだ。太陽の穏やかな温もりが人の体を温める。それが旅人の〝自分から進んで服を脱ぐ〟行為を引き出したのである。いや、〝体〟だけではない。おそらく旅人は〝こころ〟にまで温もりを感じたはずである。こうした状況は組織のメンバーが〝自主的・意欲的に仕事をする〟ことに対応している。
 
感動をありがとう 2013/08/03 Sat 3879
 ヘルメットをかぶった小学生は自転車を押しながら横断歩道を渡り終えた。それは車が止まったのを確認した人が横断歩道を横切るいつもの風景だった。しかし、道路の反対側に着いた彼の行動は見慣れたものとはほど遠いものであった。小学生は、まず一方の車に深々と礼をした。それは、いわゆる接遇を業とする講師がどんな評価をするかは知らないが、単なる何度の角度で頭を下げるといった形式的なものではなかった。こちらから見ていると、ヘルメットが頭からひっくり返って落ちるのではないかと思えるほどだった。そして、角度のことなどこれっぽっちも知らない小学生の誠意があふれていた。もちろん彼はすぐさま反対方向の車に対してもまったく同じ行動を取ったのである。
 私は目頭が熱くなるのを覚えた。なんというすばらしい光景であることよ。そして彼は自転車に乗って横の道を進んでいく。それを見た私は車のハンドルをそちらに向けたいという衝動に駆られた。その子を追っかけていって一声掛けたかったのである。〝すごくいい挨拶をしていたね。感動したよ〝〝いつもああしているの〟〝誰かからそうするように教わったの、それとも自分でそうしようと決めたの…〟。こんなことを矢継ぎ早に聞きたかったのである。しかし、残念ながら大学の用件で急いでいた私には車の進行を変える時間的な余裕がなかった。
 それにしてもすばらしい、そして感動的な一瞬を味わうことができた。それは横断歩道の両側から車を止めたドライバーたちにも心地いい体験になったはずである。ところで、皆さんは横断歩道で人が渡ろうとしているときに車を止めていますか。待てども待てども止まらない。そんな大人の思いやりのない行動が子どもたちの心を壊しているのです。
 
県道3号線 2013/08/02 Fri 3878
 熊本市が政令都市になって市域が広がった。それまでは隣町であった植木町も現在は熊本市北区になる。ここには西南戦争で有名な田原坂がある。またスイカの産地としても知られている。全国レベルの品質でかなり早い時期から関東や関西地方にも送られていると聞いている。その植木町には平田機工という地元の会社がある。本社は東京の品川区になっているが、本部は植木町にある。自動車のエンジンやトランスミッション、半導体を中心に生産する地元の優良企業である。
 熊本市から国道3号線を北に走ると、その平田機工を通り過ぎたところで分岐点に達する。そのまま直進すれば山鹿へ向かい、さらに山を越えて福岡県の八女市に至る。同じ分岐点を左に曲がると県道3号線大牟田/植木線に入る。この道を進むと熊本県の和水町から山の道を走って福岡県の大牟田市に達する。この3号線を和水町から熊本方面に向かっていたときである。私の前を小型のトラックが走っていた。車間距離を適当に取っていたが、ゆっくりとスピードを落とした。ふと見ると前方に横断歩道があり、道路の左側にヘルメットをかぶったおそらく小学生の高学年と思われる子どもが立っているのが見えた。トラックが止まったこともあってか、前方から来ていた車も止まったようだった。その車の動きについてしっかりした記憶はない。人間の認識というものはその程度なのである。われわれは、視界に入るすべてのことを注視してはいない。そんなことをしていたら疲れ果てるだけでなく、むしろ適切な行動が出来なくなってしまうに違いない。適度の散漫さと注意力のバランスが生きる上で必要なのである。それはともあれ、両側の車が止まったので、その子は自転車を押して歩道を横断しはじめた。
 
組織と北風と太陽と… 2013/08/01 Thu 3877
 組織の健全な維持と発展にとって、第一線で懸命に仕事をしている人たちの意見や考えを大事にするのは当然のことである。それを〝ボトムアップ〟と呼ぶ。何と失礼千万かつけしからん表現ではないか。そんな言い回しはすぐに追放して、その代わりに〝グラウンドアップ〟でいこう。とまあ、私としては授業でも講演でもそんな提案をし続けているし、このコラムでも書いてきた。またホームページからダウンロードできる読み物〝コミュニケーションとリーダーシップの技術〟にもしっかり書き込んでいる。これについても授業や講演でPRしているから、〝グラウンドアップ〟はけっこう多くの方々の目に触れていると思っている。もちろん、これまでお聴きいただいた方の人数までチェックしてはいない。〝いつか『グラウンドアップ』が『ボトムアップ』に取って代わる〟。これは、組織のダイナミズムについて仕事をしてきた前期高齢者候補者にとってささやかな夢といっておきましょう。
 ところで、〝グラウンドアップ〟は〝地上から水分を蒸発させること⇒組織の構成員のすべてから幅広く意見やアイディア、さらには気持ちを吸い上げること〟であるが、それを可能にする〝力〟についても私なりの物語ができあがっている。その〝力〟の源が自然界では太陽にあることは科学的な事実である。あの〝北風と太陽〟物語における太陽の力は圧倒的で、北風を寄せ付けなかった。この寓話が訴えていることは明らかである。上から〝力〟で言うことを聞かせようとしても人は動かない。北風は自分の力を過信して無理矢理〝服を脱がそう〟として見事に失敗した。これに対して太陽の方は〝温かい〟日差しを注ぐことで旅人が〝自分から進んで服を脱ぐ〟ように仕向けたのである。