味な話の素  Since 2003/04/29 
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No.121 2013年06月号 3816-3845
思い出の先生方 2013/06/30 Sun 3845  Continued from 06/05
 テストの時間中なのに、新品のタイプライターを手にした嬉しさから〝カッチン、カッチン〟とキーを叩く先生。それに対して私は〝先生、その音がやかましいんですけど…〟と言ってしまったのです。とにかく心臓が口から飛び出しそうに〝ドッキン、ドッキン〟していました。そして、私はそのクレーム発言後のことはまったく記憶にありません。ただ、例の音が聞こえなくなったことだけは間違いありません。そのときの試験の出来具合など、やはり記憶にございません。ただ、私が〝忘れられない〟、あるいは〝すぐに想い出す〟先生方のお一人です。
 そういえば、数学が担当で小柄なH先生から、〝連帯責任〟だと言って〟プラスティック製だったと思いますが、しっかり曲げた定規でほっぺたを〝パチン〟と叩かれたことも鮮烈な思い出です。あのときは、どうして〝連帯責任〟なのかわからなかったのです。ここが人をしかる際に重要なポイントです。リーダーシップとして相手を評価し、ほめることは大事ですが、その一方で叱るべきときにはしっかり叱らなければなりません。ところが、ほめるのは易しいのですが、効果的な叱り方はなかなかむずかしいのです。単純な話ですが、先方が〝どうして叱られているのか〟を納得しておく必要があるわけです。そうでないと、いくら〝相手のためを思って〟いても、〝理不尽だ〟〝欲求不満の八つ当たりだ〟などと〝曲解〟されてしまう。これでは逆効果としか言いようがありません。私は、ほめるときは〝無条件〟でいいが、叱るときは双方に〝共通の物語〟が成立していないといけないと言っています。ところで、ご紹介した4人の先生方は〝マイナス体験〟と結びついてしまいました。でもいまではどれも懐かしい思い出です。
 
ドデカイ机 2013/06/29 Sat 3844
 昨日は5月17日からの〝続きを書く〟ことだけお伝えしました。それは私の都合でして、とくにこのごろからお読みいただいている皆さまには〝訳のわからない〟、あるいは〝どうでもいい〟ことですね。いやはや申し訳ございません。そこで、ともあれ私が小学生のころに〝家族4人が間借りをしていた〟ことと、部屋の一つに4畳半があって、そこにかなりデカイ机があったところから再起したいと思います。
 その部屋はひょっとしたら板張りだったかもしれません。そのデカイ机は私のものでした。父はいわゆる応接台タイプというのでしょうか、つまりは畳に座って使う机を使っていました。こんな表現をすればそれなりに立派な机をイメージされそうですね。ただし実物はきわめて小さなもので、天板は、新聞を拡げて置くことができないほど狭いものでした。これに小さな二つの抽斗がついていました。その外見の旧さから、明治にまでは遡らないにしても、少なくとも大正時代に祖父あたりが使っていたのではないかと思われるような代物でした。母からそんな話を聞いたような記憶もあります。
 ともあれ、4畳半にあったデカイ机の方が私のものでした。そして、私はそれを40年以上に亘って使いました。その机は、私が小学校に入学して間もなくのころ、わが家にやってきました。ただし、今となってはその正確な時期を両親に聴くこともできません。もっとも両親だって、元気でいたとしても机の購入時期の記憶は怪しいに違いありません。それはともあれ、その当時の私の体格を考えると、まったく不釣り合いなデカすぎる机を買ってもらったのです。私は父が転勤した先の行橋市で小学校に入学しました。北九州市の小倉から日豊線の特急に乗ると次は行橋に停車します。
Continued from 5/17 2013/06/28 Fri 3843
 〝Continued from 5/17〟などと書かれても〝何のことか訳がわからない〟とおっしゃるはずです。このコラムをずっとお読みいただいている方だって、〝そんな昔のことは記憶にない〟と思われるに違いありません。この日の数日前から、自分が子どものころに飼っていたひよこの物語を書いていました。その2羽が立派な鶏になり、そしてついにはシェークスピアの三大悲劇を凌ぐ結末になったところで終わっていたのです。つまりは2羽ともあの世に逝ってしまったという話です。その悲しい理由も書き記しました。しかし、そこまで遡ろうという方はいらっしゃらないはずですので、私としては〝そのつづき〟だと思っているのですが、皆さまには新規のストーリーだと考えていただきたいと思います。
 ただ、この話がどこから来てひよこの話になったについて、自分なりの整理をさせていただきます。この物語がスタートしたのは4月30日でした。この日に〝連休の過ごし方〟というタイトルで書きはじめました。それから有田の陶器市、美里町の佐俣の湯や二股橋、そしてド演歌テレビの話などに至り、ただ単純に使ってしまった〝書斎〟ということばに刺激されて、私が子ども時代に体験した〝間借り〟の話題へと転がっていきました。それがいつの間にか、子どものころに育てたひよこの物語にまで繋がったというわけです。したがって、私だけは〝それなりの連続性〟を維持している次第でございます。しかし皆さまには、こちらの〝次第〟などは無視して、〝とりあえず、あんたの子ども時代のことを書いていたわけな〟といった程度でお付き合いいただければ、私としては大変にありがたいのです。やれやれ、これまでの経緯をご説明するだけで今日は終わってしまいました。
緒方洪庵 2013/06/27 Thu 3842
 世の中にはすばらしい人が必ずいます。その数が多ければ多いほどいいに決まっています。現代はどうなんでしょうか。江戸の時代に緒方洪庵というお医者さんがいました。名前だけはけっこう知られていると思います。その洪庵さんがこんなことを言っています。〝世に生活するは人の為のみ、おのれがためにあらずということを其の業の本旨とす〟。この世に生を受けたものは、とにかく〝人のため〟が第一で、〝自分のこと〟など考えてはいけないんです。そして、〝安逸を思わず、名利を顧みず、唯おのれをすてて人を救わんことを希ふべし〟。自分が苦労を避けて楽を追求するなんてとんでもない。もちろん名声や個人的利益なども追いかけてはいけない。自分に執着などしないで、とにかく人を救うことを考えるべきなのです。洪庵はお医者さんですから、〝人の生命を保全し、人の疾病を復活し、人の患苦を寛解するの他事あるものにあらず〟と言い切ります。人の命を守り、病気を治し、患者の苦しみを和らげること以外に余計なことは考えてはいけないのです(原典は「扶氏医戒之略の1」)。すべてのことばに〝利他のこころ〟があふれていますね。洪庵先生って凄い人だったんですね。
 ところで、子どものころにシュバイツァー博士の話を本で読んだ記憶があります。アフリカで医療活動を行ったすばらしいお医者さんでした。先週でしたか、NHKで生活苦の人たちに土日も関係なく医療活動を進めているお医者さんが紹介されていました。私はまだ仕事をしていたので、ほんのちょっぴり画面を〝のぞき見〟した程度でしたが、いまの世にもこうしたすばらしい方がしっかりいらっしゃるんですね。その一方で自分自身に目を向けると、ただただ恥ずかしくなるだけです。
 
鹿児島も大分も… 2013/06/26 Wed 3841
 昔の時刻表がないので、その昔、熊本と鹿児島間が列車でどのくらい時間がかかっていたか、私の記憶は彼方に飛んでいます。ただ、熊本から少し先に行ってからは単線区間になって、特急として停車しない駅でも〝行き会い待ち〟をしていたことはしっかり憶えています。そんな〝ロスタイム〟もふくめて、熊本から西鹿児島駅、つまりは現在の鹿児島中央駅ですが、そこまで2時間を超えていたはずです。それも3時間近かったのではないかというのが私の気分です。その正確なところを知りたいのですが、今となってはむずかしいですね。ともあれ、それが40分台になったのです。すべての駅に止まる〝鈍行〟でも1時間を切っています。つい先週も鹿児島に行ったのですが、まさに夢の新幹線です。私は34年前に鹿児島の住人でしたから、その思いが強いのです。
 新幹線は大分という九州の東側にある街への距離も短縮しました。阿蘇山を眼前にして走る九州横断特急は情緒たっぷりですが、これは3時間ほどかかります。そして本数が1日に4本しかないのです。これを新幹線で小倉まで行って、在来線の特急ソニックに乗り換えると2時間半程度もあれば大分に着くのです。しかも在来線も1時間に2本程度あって、その本数がまるで違うわけです。ただし地図を見ればわかりますが、単純な距離は阿蘇横断だと148kmですが、小倉経由となると318.5kmで、これはもう倍以上になるわけです。料金は距離性ですから、一方が3,150円に対して、新幹線を使うこともあって、10,110円と3倍を超えてしまいます。これをどう評価するかですが、やはり仕事であれば〝時は金なり〟ということでしょう。もちろん、雄大な阿蘇を眺めながら走るのもすばらしいですよ。
〝有明〟と〝さくら〟 2013/06/25 Tue 3840
 早いもので、九州新幹線が全通してもう3年目に入っています。〝山陽新幹線の方が速い〟〝東海道新幹線よりも遅い…〟。客観的な数値を押さえずに、つまりはきわめて主観的な感覚でこんな批判っぽいことも書いたことがあります。いまのところそれを修正する気にはならないのですが、それでも新幹線効果はすごいものだという思いがあります。
 在来線の特急が熊本と博多の間をどのくらいで走っていたか、もう記憶に残っていません。ところがたまたま机の抽斗から旧い特急指定券が出てきました。日付は2008年7月28日です。それには発車時刻と到着時刻が印字されていました。切符は〝有明号〟のものでしたが、熊本・博多間の所要時間を計算すると1時間26分になりました。これが新幹線になると各駅停車の〝ツバメ〟を除けば40分を切りますから、ほぼ半分ということです。これは確かに速いわけです。
 また私は諫早に出かけることがあります。長崎県の看護協会が諫早にあるのです。このときは研修が終わって16時12分の〝かもめ〟に乗ると、18時には熊本に着きます。新鳥栖で新幹線に乗り換えるのですが、ここから熊本までが25分と抜群の新幹線効果が出るのです。現在、在来線特急の博多・鳥栖間の所要時間は23分です。これを〝有明号〟の博多・熊本間の1時間26分から引くと、鳥栖と熊本がほぼ1時間かかっていた計算になります。これが25分ですからこの部分の効果が大きいのです。新鳥栖での乗り換えに要する10分を含めて1時間48分というのは、相当に速いという実感があります。長崎線と鹿児島線の乗り換えは、新幹線が開通する前も必要でしたから、そのころは2時間をかなり超えていたはずです。とにかく所要時間が縮みました。
 
台風の変身 2013/06/24 Mon 3839
 午後から鹿児島に出かけるというのに夕刻には台風が上陸する。そんな予報が時間とともに真実味を帯びてくる。とにかく台風は九州西方の海に達していたのは事実であり、それから急激に進路を東に変える、つまりは九州を直撃することになっていたのである。こうなると、私としてはネットの台風情報をチェックし続けるしかなかった。しかしそうは言っても、この手の予報は一定時間ごとにしかアップされない。だから、ちょこちょこ覗いても、夕刻にかけて熊本から鹿児島あたりに上陸するという進路の円が示されたままだった。
 そして9時を過ぎたころだったと思うが、何回目かに台風情報を開いて目を疑った。そのときディスプレイに現れた正確な表現は忘れてしまった。とにかくびっくり仰天したからだと思う。〝台風に関する情報はありません〟。そんな文字が目に飛び込んできたのだ。まずは驚いたのは当然だった。しかし、それと同時に〝ああ、おそらく…〟と思い当たった。それは台風が台風でなくなったからである。つまりは温帯低気圧になったということである。どうして思い当たったかと言えば、天気予報で四国を過ぎた夜には低気圧になると言っていたからだ。その時間が早まって、したがってその位置も九州にやってくる前になったのである。この場合、〝予報は当たった〟といっていいのだろうか。当日の予定がどうなるか、さらに行ったのはいいが帰ってこられないと翌日の行動に重大な影響が出る。そんな立場の人間にとっては、〝結果オーライ〟ではあるが、数日間振り回され、朝方までやきもきしたわけだ。もちろん気象台としては全力を挙げて予測しているに違いない。だから、〝台風も人の心と同じなのよ〟と苦笑いして済ますしかないんでしょうね。
台風4号 2013/06/23 Sun 3838
 〝男心と秋の空〟。もともとはこちらが先で、そのあとに〝女心と秋の空〟がついてきたらしい。ともあれ、〝秋の空〟のように変わりやすいということだ。男女を問わず〝心〟を読むのはむずかしいのである。そして天気だって、秋の空も含めて先を予想するのは至難の業のようだ。この点で心理学と天気予報は似ているというのが私の持論である。ついでに言えば地震の予測も大いに共通性があると確信している。つまりは正確な〝個別予測〟と言われると、つい口がモゴモゴしてしまうわけだ。そんなことで、私としては気象台で一生懸命に予報を出している方々を責めるつもりは毛頭ない。しかし、それはそうとして天気予報にはけっこう〝振り回される〟ことが多い。
 今度の台風4号もそうだった。発生して間もなくから、この台風が九州に上陸することがきわめて高い確率で予想されていた。そして時間の経過とともに21日(金)には九州、とりわけ鹿児島にやってくることは既定の事実になった。じつはその日、私は鹿児島に出かける予定があったのだ。そんなことから、ご担当の方に連絡して新幹線が動かない場合はアウトになることを伝えていた。そしてついにその21日を迎えた。すでに〝今日の夕方には鹿児島に上陸〟は決定的だった。私が移動するのは昼過ぎだから鹿児島まで行くことはできるかもしれない。しかし、仕事が終わるのは夕刻になる。そうなると暴風雨にさらされて新幹線がストップする確率が高まるではないか。しかし、私はその日のうちに熊本まで帰り着かなければならない事情を抱えていた。それは土曜日にも予定が入っていたからである。そこで朝の4時過ぎからネットの台風情報を繰り返して覗くことになった。とにかく私は早起きなのである。
 
レスポンスへのレス 2013/06/22 Sat 3837
 YahooやGoogleなどの検索エンジンで〝吉田道雄〟を検索すれば、〝いまのところ、私のホームページがトップに出てくる〟。講義や講演でこんな〝自慢〟をしている。これに対してすぐに〝ワッ〟と笑いを交えた反応が続くときもあれば、ほんの一部で〝クスッ〟といった小さな声が聞こえるだけのこともある。さらに完璧に近いほど無反応のときもある。人の集まりである〝集団〟にも個性があることを実感する。専門的には〝group syntality(グループ・シンタリティ)〟という用語がある。
 さて、それなりの反応がないときには、〝みなさん、私が自慢したいことはおわかりでしょう。そもそも相手の気持ちを汲んできちんと反応するのが対人関係力の基礎なんですよ〟と迫ったりもする。私が講演する場合、〝対人関係〟〝コミュニケーション〟がキーワードになっていることが多いのである。
 そもそも〝吉田〟という苗字の人はワンサカいる。佐久間英「日本人の姓」(六芸書房)をもとにしたウエッブ情報によれば、全国で第13位らしい。この本が出版されたのが1972年で、かなり時間が経過している点は気になるが、とにかく〝吉田〟が少なくないことだけは間違いない。因みにベストテンは、1)鈴木 2)佐藤 3)田中 4)山本 5)渡辺 6)高橋 7)小林 8)中村 9)伊藤 10)斎藤となっている。たしかに私の知り合いにもここに入っているお名前の方はすべていらっしゃるなあ。ともあれ、全国第13位の〝吉田〟に、これまた珍しくもない〝道雄〟をくっつけたのである。日本国中に〝吉田道雄〟さんがワンサカいてもおかしくない。そんな〝ありふれた組み合わせ〟の名前でウエッブのトップに出るのである。だから〝オーッ〟と驚いてちょうだいと無理強いするわけだ。
 
超ストレス 2013/06/21 Fri 3836
 〝味な話の素〟をスタートさせた2003年4月29日は、3つのテーマを取りあげています。とにかく張り切っていたのですね。当初はネタがあるときに〝ボチボチ〟書いていくつもりでした。しかし、それも1ヶほど連続して書いてしまったころから、〝これは続ける運命にある〟と思い込んだような気がします。しかも、そのうち家内が〝分量が多すぎると読むのが嫌になる方もいらっしゃるんじゃない〟なんて言うものですから、〝1日720字〟と、これまた自分を縛るような規制をかけてしまいました。
 とまあ、昨日から本コラムをお読みいただいている方は「やっぱり吉田は〝味な話の素〟を続けることに〝ストレス〟を感じているんだあ」と思われたのではないでしょうか。そうなっていれば、私としては大成功、〝しめしめ〟なんです。じつは〝ストレスなんぞ、これっぽっちも感じていませーん〟というのが真相です。ここで皆さんをちょっぴり引っかけてみたくなったのでした。まことに申し訳ございませーん。私は〝味な話の素〟のネタになると思ったら、〝あれこれメモ〟を書いています。そのほとんどが数単語のものですが、これがたくさん溜まってしまって、〝味な話の素〟で取りあげないで放置したままになっているのです。それどころか、その数が増えて続けているのが実情なんです。〝あー、困った、困った。このままだとわが国の国債と同じで幾何級数的に膨らんでいくだけだあ。これをすべて解消するには、自分は120歳くらいまでは生きないといけなくなるじゃないかあ…〟。これこそが私の〝超ストレス〟になっているんです。これって何とかならないものでしょうか。
〝味な話の素〟とストレス? 2013/06/20 Thu 3835
 現代は〝ストレス〟の時代なのでしょうか。おそらくそうなんですよね。なぜならマスコミはもちろん、日常の会話でも〝ストレス〟ということばを頻繁に聞きますから。じつは、私にも大いなるストレスがあることを告白しなければなりません。それはまさにこの〝味な話の素〟に関わるものです。ホームページを立ち上げたのが2003年4月10日ですから、先々月には10周年を迎えたのでした。おかげでアクセスカウンターも30万件を超えました。単純な平均を出せば毎日80人くらいの方が訪問してくださっている計算になります。こんなにありがたいことはありません。
 そして、この〝味な話の素〟はオープンから3週間ほど経過した4月29日にスタートしました。バックナンバーを覗いてみると、その日は3本のネタを書いています。記念すべきNo.1は〝行動変容のために〟というタイトルにしています。私自身、〝リーダーシップ・トレーニング〟などを通して〝変わる〟ことの重要性を強調してきました。そこで、〝適度の危機意識〟〝改善できるという信念〟〝変わるのは自分のためという気持ち〟、さらには〝変わらないといけないという使命感〟が求められることを提起したわけです。こうしたポイントを挙げる前に、〝行動変容〟の必要性について説明しなければならなかったのですが、いきなり〝行動変容に求められる条件〟に入り込んでしまっています。なにせホームページでコラムを開設するのですから、それだけで相当な興奮状態に陥っていたのだと思います。しかもその日はそれで終わらずに、〝沈黙のコミュニケーション〟〝発達段階と子どもの数〟と続けているのです。
ミステリーの構造 2013/06/19 Wed 3834
 ついに眼鏡が見つからず、自宅に空のケースを置いてきたにもかかわらず、それが出張先のホテルで見つかった。これはもうミステリーとしか言いようがありません。一体全体、何が起きたというのでしょうか。
 まずは問題の眼鏡がどんな状態で発見されたかです。私は日ごろポケット付きのケースをカバンに入れて持ち歩いています。ポケットが4個ほどあって、それぞれに眼鏡、名刺、電卓辞書、ポケットカメラなどを収納しています。カメラはホームページ用の写真を撮るためですが、それほどシャッターチャンスはありません。そこそこの重さですから効率は悪いのですが、ホームページのためですから仕方ありません。それはともあれ、〝どこかへ行った〟はずのあの眼鏡は〝いつものところ〟で発見されたのです。
 眼鏡が目の中に入ってきた瞬間、私は何が起きたのかを了解しました。かなり前に眼鏡を処分したことがありました。その際に、何分にも〝もったいない世代〟ですから、まだしっかりしていた〝黒い眼鏡ケース〟を捨てきれなかったのです。そしてそれを机の引き出しに入れていたわけです。どうも記憶がしっかりしないのですが、数日前にあまり開けない引き出しにでも入っていた黒い眼鏡ケースを見つけたのではないかと思うのです。〝あれっ、こんなところにどうして…〟くらいの無意識的な反応で、それを机の上あたりに置いたに違いありません。そして、あるタイミングでそれを開けると空っぽではないですか。そこで〝どこかへ行っちまった〟と騒ぎだしたという物語です。そのとき、〝いつも入れているケースのポケットを確認していません。そんなことは考えもしませんでした。何のことはない、まったく同じに見えるケースが2つあっただけのことでした。
眼鏡発見のミステリー 2013/06/18 Tue 3833
 どこかに行ってしまった眼鏡ですが、自宅にないとすれば、大学の会議室か自分の仕事場にあるとしか考えられません。そんなわけで自分の研究室を見回したのですが、やはり目に入ってきません。〝そうだ、事務室にも行ったよな〟と思ってそちらも見回してみたのですがないんですね。そうなると大学の会議室ということになります。ただし、この可能性はきわめて低いといわざるを得ません。会議室のテーブルの上には、その日の資料以外は何も置いてありません。会議が終わればそれをすべてカバンに入れて帰ります。その際に〝眼鏡だけ〟を机の上に放りっぱなしにするなんて、まず考えられません。とまあ、理屈はそうなのですが、念のために電話をして先方にお聞きしました。わざわざ会議室まで足を運んでいただいたようでしたが、結果は想像したとおりでした。ここにも眼鏡はなかったのです。そんな流れのなかで時間が経過していきました。
 そして、〝最も上等〟の眼鏡が発見できないまま、私は出張に出かけました。その際に、机の上に黒い眼鏡ケースを空けたままにして置きました。そうしておけば、出張から帰ってからもすぐに〝そうだ、眼鏡がどこかに行っちまったんだった〟と思い出すはずです。そんな段取りまでしていたのですが、それから数時間後に事態は驚くような形で急展開します。まずは結論から申し上げますと、私はとんでもないところで眼鏡を発見することになるのです。どうして〝とんでもないところ〟かと言いますと、それが出張先だったからです。もう少し正確に言えば次の日に仕事をするために前泊したホテルであの紛失してしまった眼鏡を見つけたのです。自宅の机の上に、開けたままの黒いケースは、そのままじっとしているはずなんです。
去年の6月も… 2013/06/17 Mon 3832
 さて、黒のケースに入れていたはずの眼鏡ですが、家の中では見つかりませんでした。私にとっては仕事で使う〝最も値の張る〟ものです。これが出てこないとやっぱり困るわけです。
 そういえば、昨年の同じ6月でしたが、14年ほど手元にあった腕時計がどこかに行ってしまいました。これも〝あった時間と場所〟と〝ないことに気づいた時間と場所〟がはっきりしています。しかも、その間に〝いた場所〟のは大学で、それも2時間にも達しないのです。しかし、とうとう出てきませんでした。〝ああ、どこかでまだ動いているかなあ〟という思いはあります。そんな過去がありましたから、同じ月でもあって、嫌な予感もします。しかし、そこで悲観的になってはいけません。時計は時計、眼鏡は眼鏡なのです。
 ともあれ、〝見つからない〟ことと〝存在しない〟ことは同じではありません。それは単に〝見つけることができない〟、あるいは〝見つからないところにある〟という可能性を孕んでいます。それはそうなのですが、とにかく心当たりのところになかったことだけは事実として受け入れなければなりません。私は前の日のことを想い出そうとしました。午後は会議で他の学部へ行きました。そこで資料を見るために眼鏡を使ったことは間違いありません。ついでながら、私は文字を読むとき以外は眼鏡がいりません。人間ドックの視力検査機の仕組みは知りませんが、左右とも1.2を超えているのです。いつも〝ホンマかいな〟とは思うのですが、いずれにしてもありがたいことです。さて、その会議が終わってから私は職場に戻りました。そこで仕事をしてから帰宅したのです。ということで、〝自宅にない〟という仮設が正しければ、この2ヶ所のどちらかにあるはずです。
 
消えた眼鏡 2013/06/16 Sun 3831
 朝起きて、そうです4時ころに〝キャッキャ〟の気持ちで目が覚めて、机に向かったときでした。じつは正確な記憶がないので、おそらくそのときだったと思っています。机の上に黒の眼鏡ケースが置かれていたのですが、蓋を開けると空っぽだったのです。その瞬間、〝ああ、またどこかに放置しちゃった〟と思いました。とにかくよくあることなのです。そこで家のなかを探しました。
 ちょっと待ってください。すぐに探したことは間違いありません。そうなると朝の4時ころに自宅内をウロウロしたことになります。いくら早起きだといっても、私にも最低限の常識があります。そんな時間帯にはひっそりと仕事をしています。もちろん、〝味な話の素〟もこの時間に書いているわけです。こうした状況証拠から、〝眼鏡がないことに気づいた〟のは別の時間だったことになります。〝やれ、やれ〟。ただし今回の〝ミステリー〟の場合、眼鏡紛失の事実を発見した時間はそれほど重要な意味をもっていません。
 そこで、〝とにかく眼鏡がなくなった〟ことに気づいたことでOKにいたしましょう。黒のケースに入れていた眼鏡は外出用のものでした。私は4本の、正しくは5本の眼鏡を持っています。まずは自宅の机の上とリビングに1本ずつ。さらに大学の部屋に1本、そして外出用に1本ということです。これで4本になります。もう一つの5本目ですが、それは車の中に置いています。じつは〝活字好き〟の私は同時並行的に10冊ほどの本を読んでいます。そのなかに〝信号待ち用〟もあるのです。これがまた楽しい。ただし、信号が赤である間だけ、まあ黄色から止まれば2分ほどかかることもありますが、とにかく時間は短いわけです。しかしこれがまた至福の時間なのです。
 
ゆりかご 2013/06/15 Sat 3830
 〝人間、一人で育ったわけじゃない〟。そんなことは誰でも知っているけれど、自分だけで世の中が動いているなんて勘違いしている人を戒めたりするときに使われる。生まれたばかりの赤ん坊を放置する母親がいる。そのままだと赤ん坊はあっという間に命がなくなってしまう。それを知らない人間などいない。とにかくその行為は即アウトである。赤ん坊の命が助かっても殺人未遂ではないか。
 そんな社会のなかで、熊本に〝コウノトリのゆりかご〟ができた。この施設を設置した慈恵病院に出かけたことがある。まだ〝ゆりかご〟が立ち上がって間もないころだった。このときは〝コミュニケーション〟に関する講演を依頼されたのである。それは中秋の名月の日だった。私の方から〝ゆりかごを見せてください〟と言い出すのは不謹慎だと思っていた。そんな私の気持ちを察してか、先方から〝ご覧になりますか〟と言っていただいた。そこで私はスタートしたばかりの〝ゆりかご〟を見ることができたのである。じつに温かそうな小さな部屋で、酸素ボンベまで備えてあった。素人としては、それを見たときにも〝なるほど〟と感動した。この施設をつくるまで、法律に触れることがないか慎重に検討されたということだった。そして、〝こうした施設はうちだけで十分だ〟ともおっしゃっていた。
 その通りだと思う。なくて済むならそれがいいに決まっている。〝ゆりかご〟には批判もあるようだ。もちろんいろいろな考えがあっていい。しかし表に出てこないが、現実として日常的に子どもたちの命が失われているのではないか。そんな中で〝なるほど〟と納得させる別の策があるのかどうか。
管理職の嘆き 2013/06/14 Fri 3829
 最近は、〝校内暴力〟や〝学級崩壊〟といった〝ことば〟を聞く機会は減ってきました。現実にこうした現象が少なくなったのかどうかはわかりませんが。しかし、不登校やいじめの問題は解消されることなく、むしろ深刻化している感があります。また、池田小学校で起きた外部からの侵入者による児童殺傷事件など、本来は安全が保証されているはずの学校でも危機管理上の対応が求められることになりました。さらに、〝あってはならない〟と言われながら、教員の飲酒運転、セクハラ、体罰などの、いわば犯罪行為も後を絶ちません。
 こうした問題の中には学校の力だけで解決できないものもあります。しかし、学校に関わる問題に対して校長をはじめとした管理職は責任を問われます。そうした中には校長に同情したくなる事例もあります。小学校の教師が駐車場で車上荒らしをして捕まりました。そのとき校長は監督責任を取らされたはずです。しかもそれからどのくらい経過していたでしょうか、同じ学校の別の教師が友人の結婚式に出た帰り道でひったくりをして逮捕されたのです。教師としてあるまじき事件が2件も続いてしまった。そのときの校長はどんな思いでいたでしょうか。校長が毎朝の会議で教師たちに対して〝車からものを盗んではいけませんよ〟〝ひったくりをしてはいけませんよ〟と伝えなければいけなかったなんてあり得ませんよね。〝やってられない〟とも言いたくなります。
 しかし、こうした想定外というか、想定してはならないことは置くとして、校長自身がしっかりリーダーシップを発揮していれば結果はもっと違ったものになったと思われるケースがあることもまた現実です。校長によって学校全体の雰囲気が変わる点は、一般の組織と同じなのです。
時代とともに… 2013/06/13 Thu 3828
 浅沼社会党委員長が刺殺されたというラジオのニュースを聞いて、私はランドセルを背負ったまましばらく立ちすくんでいたと思います。肩の高さくらいまであるタンスの上にラジオが置いてあったことも含めて、あの日のあのときの状況はしっかり記憶に残っています。委員長を襲った暴漢が17歳の少年だったことが世の中に大きな衝撃を与えました。そうしたことから、この事件は政治や社会の問題であったと同時に、青少年の教育のあり方についても議論が沸騰しました。
 その当時は子どもでも〝小刀〟をもっていました。ただし、いまの若い方々には、その読み方すらわからないかもしれませんね。これは〝こ・がたな〟と言うのですが、つまりは折りたたみナイフです。ケースに〝肥後守〟なんて彫ってありました。これも〝ひごのかみ〟と読むのですが、兵庫県三木市にあるメーカーの登録商標なんだそうです。つまりは、熊本の肥後とはまったく関係がないわけです。それはともあれ、浅沼社会党委員長がテロに遭ってからは、子どもに小刀をもたせてはいけないという声が高まったことは容易に想像がつくと思います。この17歳の少年は東京少年鑑別所で自ら命を絶ちました。それまで未成年が犯罪を犯した場合は、実名を伏せて報道していました。ところがこのときは、あまりにも重大な事件だということで少年の名前が明らかにされました。私も子どもながらその名前を聞いたわけで、いまでもその記憶が残っています…。
 そして、それから半世紀以上の年月が流れていきました。子どもたちを含めて、私たちを取り巻く環境は時代とともに変化し、教育に関わる問題もまた多様化していったのです。一時期は、校内暴力や学級崩壊が社会現象になっていた観すらありました。
子どものころの思い出 2013/06/12 Wed 3827
 私が子どものころ、〝学力テスト〟を受けた記憶があります。インターネットで検索すると、それは1961年から1964年の4年間だったことがわかりました。最初の年は中学3年生のみで、そのあとは2年生と3年生の全員を対象にしたようです。私はこのとき中学校2年生から3年生でしたから、〝受けた〟という記憶は間違いないと思います。また、〝道徳〟の授業がはじまるときにも、やはり大人たちの間で論争になっていることを実感していました。これは1958年のことですから、私が小学校4年生のときです。その昔、〝修身〟という教科があって、それが軍国主義をもたらした。〝道徳〟はその復活だというので議論が沸騰していたのです。もちろん子どもですから、くわしい事情はわかりませんでしたが、そのとき〝修身〟ということばを聞いたことはしっかり憶えています。
 さらに1960年10月12日には衝撃的なテロ事件が起きました。東京の日比谷公会堂で開催された自民党・社会党・民社党の党首による立ち合い演説会で、社会党の浅沼稲二郎委員長が刺殺されたのです。私はそのとき小学6年生でしたが、家に帰ってラジオのスィッチをひねった瞬間に事件が起きたことを知りました。おそらく臨時ニュースを流していたのだと思います。念のためですが、このときわが家にはテレビはありませんでした。子ども心ながら強烈なショックを受けたことを昨日のことのように思い出します。当時は日米安保条約の改定を巡る闘争など激しい政治状況がありました。そんな中で、子どもたちも大人の世界で起きていることをそれなりに理解していたのです。その主義や主張はわかっていませんでしたが、堂々たる体格で鼻ひげを生やした浅沼委員長はけっこう人気のある政治家でした。
 
教育とリーダーシップ 2013/06/11 Tue 3826
 教育はいつも〝問題〟を抱えてきたし、これからもそうあり続けなければならない。これが私の〝教育〟に対する基本スタンスです。そもそも教育に限らず、問題を一つ解決したと思っても、また新たな課題にぶつかる。それどころか、一旦はうまくいったと思えたものですら、真の解決に至っていなかったといったこともあり得るのです。いや、私たちの身の周りに発生する問題のほとんどが、そうした性質をもっているのではないでしょうか。そんなことから、私は〝問題がなくなった〟と思ったときには、〝問題に気づく自分の感受性が鈍ったのではないかと心配した方がいい〟と申し上げているのです。そして〝自分で問題を探し出し、その解決にチャレンジし続ける〟ことが大事だとは、先月にも本欄に書いたとおりです(5月30日)。
 そうした姿を子どもたちに〝見せる〟のも、リーダーシップに含まれるのです。リーダーシップと言えば、校長は学校組織の、個々の教師の多くは学級組織のリーダーです。組織のリーダーは、文字通り構成員たちを〝うまく組み合わせ〟〝組み替え〟、そして個々のメンバーやグループを縦に横に〝織りあげて〟いくのです。それがうまくいけば、校長にとって組織の構成員である教師や事務職員たちの意欲を高め、それがそのまま学校におけるもうひとつの主役である児童生徒たちの学習意欲や人間的成長に大きな影響を与えるのです。また学校では、教師たちの〝あってはならない〟不祥事や、〝いじめ〟に代表される子どもたちのさまざまな問題が現実に起きています。こうした問題の未然防止、早期発見、そして効果的な解決にも、リーダーシップはきわめて重要な役割を果たすのです。もちろん個々の教師にとってもリーダーシップが欠かせないことは議論するまでもありません。それが学級全体の雰囲気さえ左右するのです。
〝奇跡〟は〝行動〟あってこそ… 2013/06/10 Mon 3825
 〇〇さんは入院されていませんでした。〝ああ、遅かった〟。今回は不安が的中したのです。そして奇跡は起きなかったのです。私はいろんな機会に〝奇跡は求める者にのみ起きる〟と言っています。しかし、それは〝求めるだけ〟では十分でないことを悟りました。そこに〝行動〟が伴っていないとダメなのです。当然のことです。
 しかし、このまま放っておくことはできない。そんな思いがありました。そのとき、○○さんの所在をご存じの可能性が高い方のことが頭に浮かんでいました。私が知っている二人ほどを中継したのですが、その方の連絡先がわかったのです。ともあれ、最初にお見舞いに行ったときからかなりの時間が経過しています。ひょっとしたら病状が進行して記憶が厳しくなっているかもしれません。それでも、〝また来ますよ〟と言った約束は守らないといけないという思いがありました。
 そこでさっそくその方にお電話を入れました。〝お久しぶりですね。お元気ですか〟。お互いに挨拶を交わしてから、私は本題に入りました。〝じつは○○さんのことですが、□□病院にはいらっしゃらないようですね〟。〝ああ、○○さんですね。とても残念なことに、少し前に亡くなられましたよ〟。その一言を聞いたときの衝撃は、ここで説明する必要がないでしょう。〝○○さんは、先生が行かれたあとで本当に喜んでいました…〟。そんなことも電話の向こうから聞こえてきました。何ということでしょう。約束は永遠に守られなくなったのです。私が発した〝約束〟を信じておられたり、心待ちにされていたなどと言うつもりは毛頭ありません。しかし、私には〝約束〟を反故にしてしまったという思いが残るのです。〝後悔先に立たず〟。その通りだと実感しています。
病院のインターフォン 2013/06/09 Sun 3824
 今回は最初のときよりも時間が経過していることが気になっていました。〝もう転院されている可能性が大きいなあ〟。そんな思いで雨の降る日曜日に病院へと車を走らせたのです。〝病院がいつも通勤する道すがら、あるいは少しだけ回り道をすれば行けるような場所にあれば、もっと早く出かけたかもしれない〟。私は頭の中でそんな言い訳を自分自身にしていたような気がします。
 病院に着きました。休みの日ということで、通常の玄関は閉まっていました。少しばかり横の方に行くと入り口のドアがありインターフォンでやりとりするようになっていました。ボタンを押すと病院の方から反応がありました。まずは、お見舞いに来たことを告げてから、○○さんのお名前と私との関係をお伝えしました。〝ちょっとお待ちください、調べてみます〟というお答えがありました。私の感覚ではけっこうな時間が経過してから、〝お問い合わせの方は入院されていません〟という声が聞こえてきました。やっぱりというべきでしょうか、今度は残念ながら不安が当たってしまったのです。
 それでも〝ひょっとしたら旧姓の可能性もありますので、□□さんはどうでしょうか〟と念のためインターフォンに語りかけました。はじめから両方を言っておけばよかったのです。しかも、頭ではそのことも浮かんだのですが、そうしなかったのでした。人間とはそんなものだと思います。いつも小さな失敗をし、そしてそれを後悔することを繰り返し続けるのですね。新たな問い合わせをしたこともあって、休日用のドアの前にずっと立ってもらっていて悪いからと、ご担当の方がわざわざ入り口まで降りてこられました。そして、やはり□□さんという患者さんも入院していないことがはっきりしたのです。
手帳のポストイット 2013/06/08 Sat 3823
 昨日からの続きで、とくに前置き的な説明は加えません。
 しかし、幸運にもその予想あるいは不安は当たりませんでした。○○さんは、まだその病院に入院されていたのです。もちろん私は〝アルツハイマー〟についてまったくの素人です。記憶の機能に障害が起きてくるくらいの知識しかありません。映画の〝明日の記憶〟は観ていましたので、渡辺謙扮する男性の病状とその変化のイメージが頭にありました。映画の最後には妻も認識できなくなるという厳しいシーンがあったことを憶えています。
 そんなことから〝私がおわかりになるんだろうか〟という思いもありました。しかし、この不安もまた完璧に解消されました。私の顔を見た瞬間にとても嬉しそうな顔をされたからです。じつに久しぶりのことで、こちらに駆け寄ってこられて軽くハグするような感じになりました。〝私を本当に憶えてくださっている〟ことを体感したのです。そのときは、私の方が○○さん以上に嬉しそうな顔をしていたのではないかと思います。そして1時間ほどだったでしょうか、病室で話をすることが出来ました。私の心には〝行ってよかった〟という満足感が広がりました。そして、〝また来ますよ〟と言ってお別れをしました。
 しかし、それから時間はまたしても容赦なく過ぎ去っていきました。手帳の中に○○さんのお名前と病院名を書いたポストイットを貼っていました。その手帳が2冊目に変わったかもしれません。そのメモを見るたびに、〝約束を果たさないといけない〟という思いになるのですが、実際には行動しないままでいました。しかし、先月の土曜日のことでした。〝明日病院に行こう〟と決めたのです。私の著書を読んでいただけたらと思い、それを持っていくことにしました。
 
入院情報の衝撃 2013/06/07 Fri 3822
 それはいつのことだったか、はっきりしたメモは残っていません。いや、本当は丹念に日記を遡って探せば確認できることではあります。しかし、今はそれよりもとにかく書いておきたいという気持ちでいます。
 〝○○さんが若年性アルツハイマーになって入院している…〟。私が永いことお付き合いいただいていた方の情報を聞いたときは、声が出ないほどの衝撃を受けました。〝□□病院に入院されているけれど、転院されるかもしれない〟。そんな情報も付加されていました。ただただ驚くばかりでしたが、それと同時にお見舞いにいかないといけないと思いました。しかし、現実には時間が足早に走っていきました。個人情報がきわめて重視される時代です。電話で〝○○さんは入院されていますか〟などといった問い合わせなどはあり得ません。それどころか、病院に出かけていって面会をお願いする際にも、自分の身分と患者さんとの関係を明らかにする必要があります。ときにはご両親に連絡を取って承諾を得ることが要請されることもあるでしょう。そうした対応の厳しさと言いますか、その程度は病院によって違いがあるとは思います。ただ、私自身は〝今はそうであるはずだ〟と信じていました。そんなわけで実際に自分が行ってみないと、入院されているかどうかも確認できないと思っていました。
 これは言い訳に過ぎませんが、私にはそうした思い込みがあって、病院で出かけることを先延ばしにしていたのではないか。そんな心のメカニズムが機能していたような気がします。しかし、時間はある程度経過しましたが、私は病院に出かけたのです。〝もしかしたら転院されているかもしれない〟。そんな予想といいますか、あるいは不安のようなものが頭にありました。
 
B787 2013/06/06 Thu 3821
 バッテリーからの発煙でボーイング787が高松空港に緊急着陸したのは1月16日でした。それと同じ日からだったと思いますが、先月まで熊本空港にも1機がずっと駐まったままでした。何分にも世界的な規模で同型機の運航が停止されたのですから致し方ありません。そして、いつのころからか、エンジンにはカバーが取り付けられていました。それを見たときは、駐機が長期間に亘るという予感がしました。実際、それから4か月も、言わば野ざらし状態でいたのです。それが〝めでたく(?)〟運航許可が出て、今月からは本来のスケジュールで飛びはじめたようです。停止になった当座は機材の手当がうまくいかず運休する便もありました。私もANAのそれに当たったため、時刻が近いJALに切り替えたことがあります。あとでANAがマイルを加算していることに気づきました。たしかに、切り替えたのはこちらのせいではありませんから、そうした措置をとったのでしょう。
 ところで、私の知り合いに熊本空港にお勤め方がいらっしゃるのですが、先だってメールをいただきました。〝一昨日(5月15日:吉田註)から、熊本空港ではボーイング社から30名程のエンジニア・スタッフが来てB787のバッテリーやその付属部品の交換が行われています。そのスタッフの為の環境づくりがすばらしいことを先生に報告したいと思います。スタッフの休息場所、トイレ等がB787機体のすぐ横に簡易ですが設営されました。やはりいい仕事をするには、いい環境づくりが大事であるということを感じます〟。これがアメリカ流なのでしょうか。私が若いころは製造の現場をけっこう見せていただいていましたが、かなり厳しい環境のところが多かったという記憶があります。現在はわかりませんが…。
 
カッチン、カッチン… 2013/06/05 Wed 3820
 学校が新しいタイプライターを購入したのです!それはそれは、先生にとって子どもがクリスマスプレゼントをもらった以上に嬉しかったに違いありません。そこでわが英語の先生は、その喜びと楽しさのあまり、定期テストを監督する際にも〝キーボードを叩いてしまった〟のです。この暴挙に生徒たちが参ってしまったことは言うまでもありません。とにかく必死で答案に向かっているのに、〝カチン、カチン…〟が続くのです。先生自身がタイプライターに不慣れであることは私たちの耳にも明らかでした。スムーズに〝カチカチカチ…〟といけばまだしもですが、〝カチン、カチン〟、というよりも〝カッチン、カッチン〟の方に近かったと思います。とにかく〝うるさくてやってられない〟状況が極限に達しようとしていました。
 しかし、これに対して文句を言うものは1人もいなかったのです。何分にも試験中ですから隣の友人と〝おまえが言えよ〟なんて交渉することも出来ない事態なのです。それでも後ろから見ると、といってもおそらく5列目くらいだったような気がするのですが、まあその正確さはきわめて怪しいとしても、とにかく見える範囲でクラスメート全員が背中で〝うるさいなあ〟と訴えていました。そんな危機的状況なのに、先生はご自分が犯している重大な過ちに気づく気配がまったくありませんでした。そこで元来が気弱で、友人たちからも〝引っ込み思案〟で定評のあった私ですが、ついに人生で、まあ少なくともそのときまでの人生ですが、とにかく究極の決意したのです。そのとき、心臓の鼓動が体中に響きわたっていましたし、口の中だって一言も発しない前から乾ききっていることを感じていました。〝先生、その音がやかましいんですけど…〟。
 
〝第三の教師…〟 2013/06/04 Tue 3819
 さて、私の記憶に残る三人の先生のラストは、やはり英語の先生でしたが、こちらはお名前をまったく想い出すことができません。ただし、そのお顔はもちろん、小柄で少し前屈みの体型までしっかり頭に残っています。お声まで何となくではありますが耳に聞こえるような気がします。そしてこの先生の場合は別の〝音〟が思い出になっているのです。
 お若い方々はその存在すらご存じないかもしれませんね。いまでは随分と昔の話になりますが、タイプライターといわれるものがあったのです。それはコンピュータが世の中に出て、ワープロなるものが登場するまでは、少なくとも英文を書く専門家には必需品でした。現在のキーボードの配列の起源は、このタイプライターにあります。それをコンピュータがそのまま引き継いでいるのです。そもそも〝type〟には〝活字〟という意味があります。それぞれのキーを〝叩く〟とその向こう側にハンマーがあって、そこに鉛製だったのでしょうか、凸版型の活字が黒いインクをしみこませたリボンと呼ばれる帯を打つわけです。この衝撃でリボンの向こう側に置いてある用紙に活字の文字が印字される仕組みになっているのです。黒だけでなく赤いインクを上下の2段にしみこませているリボンもあって、これを使うと2色で印字できました。
 実物をまったく知らない方には、こんな説明ではイメージすら湧かないでしょうね。どうしても知りたいと思われたら、それはもうネットで検索することをお勧めします。ともあれタイプライターは、〝夢〟とまでは言わないとしても、当時の英語の先生であれば自分の机に置いて〝一度は叩いてみたい〟機器だったはずです。そんなとき、学校の予算がついたのでしょうか、それを買うことが出来たのです。
 
〝東京投石物語〟 2013/06/03 Mon 3818
 そして、東京出張帰りの土産話をしていたH先生はこんな武勇談で話をまとめたのです。〝皇居前の道路でボクの目の前をひっどい運転をするタクシーが走り抜けていったのよ。その瞬間、ぶっつけられて死ぬかと思ったよ。それでカッときちゃったんだ。すぐに道ばたにあった石ころを拾って、それをタクシーめがけて投げつけてやったのさ…〟。子どもたち全員が、そうですほぼ60人のすべてが、固唾をのんで先生の口元に視線を集中させました。何せ〝タクシーに投石する〟という前代未聞のアクションです。それがどんな結果をもたらしたか。これはもう世界中の人が聴きたくなる流れですよね。つぎの一言を待つのは当然のことでした。
 と、ここまできてまことに申し訳ありませーん。じつは、その後の〝顛末〟について確信がもてる記憶がないのです。H先生の手を離れた石が〝首尾良く〟タクシーの車体、あるいは窓に当たってガラスまで割れたかどうか…。ぼんやりながら、そうした事態にまで至ってしまったというお話だった様な気がするのですが、そこが今ひとつはっきりしない。しかし、その点は置いても、H先生の勇猛なる正義の行動に、クラスの全員が心を揺さぶられたことだけは間違いありません。しかし、大人になってから、この話はおそらく〝作り話〟だっただろうと思うようになりました。いかに危険な行為にさらされたとはいえ、大の大人がタクシーに向かって石を投げつけるなどあり得ませんよね。しかもそれが命中してタクシーに傷を付けたともなれば、その場で現行犯逮捕されてもおかしくありません。
 これはH先生とはまったく関係のないことですが、子どもたちはそのころに〝大風呂敷〟ということばとその使い方を覚えたような気もしています…。
ヒールのヒーロー 2013/06/02 Sun 3817 Continued from 05/31
 戦後ベビーブーム世代の私たちが団塊の世代と呼ばれていることは、多くの方がご存じでしょう。団塊の世代は堺屋太一氏が提唱したものですが、昭和22年から24年生まれの子どもたちを指しています。まずはスタートの昭和22年(1947年)生まれが、2,678,792人、翌23年が2,681,624人、そして最後の24年は2,696,638人もがこの世に生を受けたのでした。これが昨年などは103万3千人で、もう100万の大台を割りそうな状況です。ともあれ、そんなことで団塊の世代の教室は子どもたちであふれ、一学級に60人などは当たり前の光景でした。その全員がHS先生の〝ハイヒール=高い丘〟説に体を震わせて感動したのです。まさに先生は英語もわかるヒーローでもあったのです。そして、私の頭に定着したその伝説的なイメージは、〝heel〟が〝かかと〟を意味することを知るまでは続いたのでした…。
 さて、記憶に残る教師のお二人目は中学校で英語を教わったH先生でした。まことに申し訳ないのですが、名字しか記憶にありません。しかし、そのとき先生が市内のW旅館にお一人で住んでいらっしゃったことなどをしっかり想い出すのです。いまから考えると先生は単身赴任だったのでしょう。とにかくお住まいが旅館なのですから。それはそうとして普段からとても元気のいい方でした。その先生があるとき東京に出張されたことがありました。当時の東京といえば、子どもたちにとっては夢の街でした。生きているうちに一度でも行けるかどうか、そんなあこがれのところだったのです。そんな東京から帰った先生ですから、子どもたちは土産話に聞き入りました。その中で、東京は車がワンサカ走っていること、皇居前の道路などはとくに凄いことなどに話が進んでいきました。
大感謝〝30万件達成〟 2013/06/01 Sat 3816
 先月末の29日にホームページのアクセスが30万件に達しました。それから2日目の31日に、30万件をゲットされた方からメールを頂戴しました。いつもアクセスしていただいている方でした。スタートした2003年ころには、1万台ごとにお知らせが届いていましたが、次第に桁が上がってきたこともあって、私自身もあまり気にしなくなりました。それでも、5万とか10万といった、ちょっとした大台が近づくと、〝そろそろだなあ〟と注目していました。せっかくですから、区切りになるような数値はどなたかに獲得していただきたいわけです。これを書いている私がゲットしたのではしゃれになりません。
 そして、29日はいつものように朝一番で〝味な話の素〟をアップロードして、ちゃんと読めるかどうかのチェックだけはしました。そのときの数値を見て、〝おそらく今日のうちに大台達成だなあ〟とは思っていました。すると、ある方から〝もうすぐですね〟というメールが届きました。つい最近、私がホームページをご紹介したこともあって、〝私が大台をゲットしてはいけませんよね〟といった遠慮がちなことも書かれていました。そして夜になって、同じ方から〝私は300004でした〟というメールが届いて、大台達成を知ったのです。これで〝めでたし、めでたし〟となりました。ところで、30万件の方はアクセスしたら偶然に大台だったそうです。パチスロの〝777〟よりも確率が低いと喜んでいただきました。ありがたや、ありがたやです。これからもしっかり続けますので、ご愛顧のほどよろしくお願いいたします。
 ところで、今月の写真ですが1枚は長崎のあじさいで、背景は眼鏡橋です。昨年の6月に撮っていました。もう1枚は梅雨の雲の上を飛ぶ飛行機です。